古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。X accountは、@Harryfurumura です。ブログ維持のために、著作のお買い上げもよろしくお願いします。

 古村治彦です。


 今回は、楠木誠一郎著『石原莞爾 「満洲国」建国を演出した陸軍参謀』(PHP研究所、2002年)を皆様にご紹介します。

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石原莞爾

 この本を手に取ったのは全くの偶然で、本を処分したいという友人から貰ってきたたくさんの本の中にあった一冊です。石原莞爾については、「満州事変を画策し、満州国建国を実現した人物」「世界最終戦論、日米による世界戦争を目指し、そのために日本がアジアを主導することを目指した異色の軍人」ということしか知りませんでした。


 この本は、石原莞爾が小説仕立てになっており、1928年に関東軍参謀になって以降、特に1931年から1932年の満州事変のほとんどのページを割いています。石原の人生のハイライトが満州事変から満州国建国にあるのでこれは当然のことと言えましょう。


 私は、デモクラシーを信奉する人間として、そして政治学を勉強した人間として、石原莞爾の行動を容認することはできません。どのような思想や考えを持つのも個人として自由ですが、軍人として武力を持って人間が、国家の掣肘を離れて、独自の考えで行動するのは許されません。また、文中にも出てくるのですが、彼は何かあると「統帥権干犯」を持ち出しますが、自分が行っていることが統帥権干犯、命令不服従であるという意識はありません。

 英雄譚を喜んで読むのは楽しいことだし、大きな構想を持つ人間には魅力を感じます。しかし、その手段が間違っていたということについては批判を加えねばなりません。軍人は政治に興味を持つべきではないし、その点で周囲から見て「そこまでやらなくても」というくらいに自制をしなければならないと考えます。現在でもこれは変わらないと思います。これは親族から数名の帝国軍人将官を出した人間としてもそう思います。

何か大きな発見があるとか、新しい解釈がこの本でなされているのではありません。主要な登場人物である板垣征四郎や本庄繁との会話でストーリーが進められ、その合間にト書きのようにその時の状況やが書かれています。そして、著者の楠木が忖度したのであろう感情(怒りや喜び、諦観など)が書き連ねてあります。その点で、この本は小説と言うことができます。しかし、美文調でもなく、また吉村昭のような徹底的な記録文学という訳でもない、中途半端さもまた感じられてしまいます。


それでも読者は様々な理由で本を読みます。満州事変についてとってりばやく知りたい人、難しい言い回しや無味乾燥な歴史書が苦手な人たちにとっては読みやすいし、小説仕立てになっていることで大まかなところを掴むためには手ごろだと思います。

(終わり)

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 古村治彦です。

今回は、2013年11月8日に発売されました副島隆彦先生の『説得する文章力』(KKベストセラーズ、2013年)を皆様にご紹介いたします。

 この『説得する文章力』は、副島先生が文章の書き方を具体的な文例を使って教えるという本です。副島先生はこれまで130冊以上の本を出版されましたが、「文章の書き方を教える」という内容の本を今回初めて出されました。

 この本を読んで私が感じたことは、「文は人なり」「神は細部に宿る」ということです。

 私も弟子の一員として、副島先生に指導していただいております。しかし、正直に申し上げまして、この本のようにまとまった形で教えていただいたことはありませんでした。この本を読んでみて、「あの時に厳しく言われたことはそういうことだったのか」と改めて気付いたことがいくつかありました。

 その中でも特に気づかされたのは「断定する、逃げない、曖昧な言い回しをしない」ということの大切さです。これらは、副島先生が文章を書かれる場合に最も大切にしている点です。これは副島先生の考え方、生き方にも通じています。先生は自分で考えたことを人々に伝えようとして「説得(persuasion)」をしようとし、そこで逃げずに人々に対峙してきました。それが文章となり、私たちを惹きつけてやまないのです。まさに「文は人なり」です。


 私は、人生の途中まで学界で生きていきたいという大きな希望を持っていました。今でもその希望を棄て去れないでいます。しかし、自分の能力の限界もあり、その方向には進まないという決心をしました。しかし、それでも、滲み出てくるのが「大論文を書きたい」「難しいことを書きたい(そして頭が良い人だと思われたい)」という思いです。大学院教育では意外なことにあまり文章指導はありません。難しい専門用語をつなげて文章にしていけばとりあえずOKという感じになります。私は学界に生きるという希望を捨てた身ですが、それでもなかなか難しく、回りくどく、揚げ足を取られない書き方の癖が抜けません。ここは自分自身との闘いの最前線になると思います。

 「神は細部に宿る(God is in the details)」という言葉があります。「何事も細かな小さな部分までおざなりにせずに大事にしなければならない」という意味で使われますが、「芸術作品などの細かい部分にこそその作品の真骨頂がある」という意味でも使われることがあります。副島先生は人々を説得するために「細かい部分」に至るまで、「これで読んでくれる人に分かってもらえるだろうか」と考え、推敲を加え、赤ペンで訂正を施します。更には、本書の中で時々出てくる先生の若い時のお話は読者の皆さんにとっても興味深いものであると思います。先生が「ライター(安い報酬で文章を書く人は”百円ライター”と揶揄されたそうです)」になるかどうかの選択の話、自分がどのようにして物書きになったのかの話は皆さんにとって面白く感じられる部分であると思います。

 『説得する文章力』、是非、手にとってお読みいただきたいと思います。宜しくお願い申し上げます。

(終わり)

  
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 古村治彦です。

 今回は、鹿児島第二選挙区から選出されている徳田毅(2013年11月13日までは自民党所属、当選3回)のニュースについて取り上げたいと思います。本日、徳田毅代議士は、所属していた自由民主党を離党しました。これは、徳田氏の親族と医療法人「徳洲会」グループの幹部たちが公職選挙法違反容疑で逮捕されたことを受けてのことです。以下の新聞記事はそのことを伝える内容になっています。

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徳田毅代議士



(新聞記事転載貼り付けはじめ)



●「徳田議員の姉ら6人逮捕 公選法違反容疑 連座制も視野」



朝日新聞電子版 201311121317

http://www.asahi.com/articles/TKY201311120067.html



 医療法人「徳洲会」グループをめぐる公職選挙法違反容疑事件で、東京地検特捜部と警視庁は12日、昨年12月の衆院選で公選法が禁じる運動員買収をしていたとして、自民党の徳田毅(たけし)衆院議員(42)の姉で、徳洲会の関連会社社長だった越沢徳美(なるみ)容疑者(50)ら計6人を同法違反容疑で逮捕した。不正を主導したのは元衆院議員で徳洲会創設者の徳田虎雄・前理事長(75)とみているが、病気療養中のため、在宅で調べる。



 特捜部が越沢容疑者と、同じく毅議員の姉で関連会社社長だったスターン美千代(46)、警視庁がグループ幹部の石川一郎(58)、桶谷義一郎(69)、屋田正彦(69)、北口浩孝(53)の各容疑者をそれぞれ逮捕した。いずれも選挙運動に専従させたグループ職員に、事実上の報酬を支給した疑いがもたれている。



 公選法では、候補者の親族らが買収などの違反行為をし、有罪が確定すると、連座制によって候補者の当選は無効となる



●「自民、徳田毅衆院議員の離党届を受理」



日本経済新聞電子版 2013/11/14 18:44

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1402H_U3A111C1PP8000/



自民党は14日、持ち回りの党紀委員会を開き、医療法人の徳洲会グループの公職選挙法違反事件で親族らが逮捕された徳田毅衆院議員の離党を了承した。徳田氏は12日に石破茂幹事長と会って「これ以上党に迷惑をかけられない」と離党の意向を伝えていた。



(新聞記事転載貼り付け終わり)


 私は鹿児島県鹿児島市で生まれ、高校卒業まで生活しておりました。そのために鹿児島に関連するニュースには興味を持ちます。徳田氏の選出されている鹿児島第二区に含まれる地域は、親戚も多く住んでおり、関心があります。私なりに、といっても新聞やネットニュースを見て今回の事件について追いかけて、考えてみました。



 徳田氏は二世議員で、父親は徳田虎雄元代議士です。徳田虎雄氏は病院の全国チェーンである徳洲会の創業者として立志伝中の人物です。「生命だけは平等だ」という理念を掲げ、医師会や当時の厚生省と戦いながら病院を作った人物だと教えられました。徳洲とは、徳田氏の出身地である徳之島の別名です。私の父方のルーツは徳之島の隣にある沖永良部島ですが、沖州と呼びます。



 徳田虎雄氏は1983年に当時の奄美群島区から衆議院議員に立候補しました。当時の奄美群島区は保岡興治(やすおかおきはる)氏が父親以来の地盤を保っていたのですが、それに挑戦する形となりました。選挙戦は「保徳戦争」と呼ばれる程に激しいもので、常に両候補の陣営が衝突し合い、実際に暴力事件に発展することもたびたびありました。私は子供でしたが、ニュース番組で大人たちが役所におしかけ押し合いをしている映像を見た記憶があります。



そして、1983年、1986年の総選挙では保岡氏が僅差で当選しましたが、1990年の総選挙ではついに徳田氏が保岡氏を破るという結果になりました。1993年の総選挙では奄美群島区は鹿児島第一区に組み込まれていたために、保岡氏と徳田氏が二人とも当選しました。



 その後、1994年に公職選挙法が改正され、小選挙区制度が導入されることになり、奄美群島区は、薩摩半島の南部地域と一緒になり、鹿児島第二選挙区となりました。保岡氏は鹿児島市を中心とする鹿児島第一選挙区から立候補することになり、徳田氏はそのまま鹿児島第二区から立候補することになりました。1996年からは保徳戦争は終結することになります。



 その頃、徳田氏は自民党に所属するも医師会の反対ですぐに離党を余儀なくされ、自身で政党「自由連合」を結成していました。そして、1996年の総選挙では、鹿児島第二区で自民党公認の園田修光氏と戦うことになります。そして、園田氏に敗れてしまいました。しかし、その後の2000年の総選挙からは徳田虎雄氏が、そして2005年からは徳田毅氏が議席を守ってきました。2000年、2003年、2005年と園田氏は徳田虎雄氏、毅氏に敗れました。そして徳田毅氏が自民党に入党したことで、2009年の選挙には立候補せずに、徳田氏を支援するということになりました。


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徳田毅代議士と園田修光氏(右側)


(新聞記事転載貼り付けはじめ)



徳洲新聞2012年(平成24年)12/31 月曜日 NO.858 過去のダイジェスト 

http://www.tokushukai.or.jp/media/news/shinbun858.html



●「第46回衆議院 議員総選挙 徳田たけし代議士が圧勝 鹿児島2区で3期連続当選」



16日に投開票が行われた第46回衆議院議員総選挙で、鹿児島2区から立候補した徳田たけし代議士(自民党)が再選を果たした。2005年、09年に次ぐ3期連続の当選。1116日の衆議院解散から1カ月間の短期決戦を制した徳田代議士は、「故郷をしっかりと守っていきます」と意気込みを語った。



6万4000票の大差で勝利



徳田たけし代議士は109744票を獲得。これは鹿児島2区の有効投票総数の3分の2に達する大量得票で、ライバル候補に約64000票もの大差をつけての圧勝となった。徳田代議士は奄美群島に加え、鹿児島本島の谷山・指宿地区でも着実に票を伸ばした。



前回総選挙でもライバル候補に約25000票の差をつけて当選した徳田代議士。今回は与党・民主党への失望感から、自民党有利という事前の予想があるなか、徳田代議士は気を緩めることなく選挙区を奔走した。



被災地の復興や日本経済の再生、TPP(環太平洋経済連携協定)反対など、自身の政策を粘り強く有権者に訴え続け、多数の支援者やボランティアの方々の協力も得て、3期連続当選を果たした。

..

総選挙の投開票が行われた16日─。午後8時の開票開始直後、テレビの選挙速報番組で徳田代議士の"当確"が伝えられると、鹿児島市卸本町にある選挙事務所は拍手と歓喜に沸き返った。事務所に詰めかけていた多くの支援者の方々は喜びを爆発させ、隣り合う人同士で握手を繰り返し、徳田代議士当選の喜びを分かち合った。



徳田代議士は当確が出るとすぐ、指宿市内の選挙事務所を訪れ万歳三唱。支援者の方々に感謝の言葉を述べた後、鹿児島市卸本町の選挙事務所に移動した。



午後9時頃に選挙事務所に到着すると、徳田代議士は待ち構えていた支援者の方々から拍手で歓迎を受けた。手をあげてこれに応えながら事務所に入ってきた徳田代議士は、支援者の方々に向かって両手を合わせ、感謝の気持ちを表した。徳田代議士は、園田修光・選挙対策本部長の音頭による万歳三唱を支援者の方々と行った。



このあとマイクを握った徳田代議士は開口一番、「感謝の一言です。皆さまのおかげで、これまでで一番素晴らしい選挙戦を行うことができました」と謝意を露わにした。



続けて今回の選挙戦での争点に言及し、「故郷に関わる大きな問題としてTPPがあります。TPPに参加した場合、故郷が、そして日本がどうなってしまうかを訴えました。『私たちはTPPに断固反対しなければならない。私たちこそが故郷を守っていかなければならない』。この大きな意思を鹿児島2区の皆様に示していただけました」と、徳田代議士は選挙区から大きな支持を得られた手応えを語った。



そのうえで、「この意思表示をしっかりと受け止め、これからもTPPは断固として阻止し、故郷を守っていきます」と強い決意を述べた。



また徳田代議士は、「日本は多くの国難に直面しています。なかでも優先して取り組まなければならない課題は、被災地の復興、経済の立て直し、外交・安全保障、社会保障などです。こうした問題に対する国民の皆様の期待に応えられるよう、結果を必ず出していく考えです」と抱負を語った。



 2009年の選挙では徳田毅氏の応援のために保岡興治氏と園田修光が奄美を訪問するということもあり、かつての仇敵同士が手を取り合うシーンが見られました。2012年の総選挙で徳田毅氏が3回目の当選を飾るのですが、園田氏が徳田陣営の選挙対策本部長として選挙に中心的に関わっていました。そのお返しなのか、翌年の2013年の参議院議員選挙では園田氏が全国比例区で立候補し、徳田氏が支援を行いました。しかし、園田氏は落選しました。



●「厚労相、徳洲会幹部と会食 5月 移植陳情、参院選も話題」



MSN産経ニュース 2013.11.8 07:10

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/131108/crm13110807120002-n1.htm



 田村憲久・厚生労働相(48)が今年5月、医療法人徳洲会副理事長(当時)の鈴木隆夫氏ら徳洲会グループの最高幹部4人と東京・赤坂の料亭で会食していたことが7日、関係者の話で分かった。現職閣僚が監督業界に当たる医療法人の幹部らと料亭で会食するのは極めて異例だ。



 関係者によると、会食があったのは5月17日頃。徳洲会側からは、鈴木氏と特定医療法人沖縄徳洲会の安富祖久明副理事長、医療法人徳洲会の佐藤耕造専務理事ら4人が出席したという。



 徳洲会グループは当時、7月に控えた参院選に向けて全国の病院組織を使い、園田修光・元衆院議員(56)=自民党から比例全国区に出馬し落選=の支援活動を展開していた。会食の席で園田氏の選挙に向けた支援活動のことも話題になったという。



 鈴木氏は当時、徳洲会グループ創始者の徳田虎雄氏(75)に次ぐナンバー2で、虎雄氏の退任に伴い10月12日、医療法人徳洲会などの理事長に就任している。



 徳洲会は厚労省に修復腎(病腎)移植を先進医療として認定してもらうため再申請を準備しており、早期認定に向けた陳情活動の一環として田村氏に面会を求め、会食がセットされたという。



 修復腎移植は現在、保険適用外のため、高額に上る患者の自己負担額を病院側が肩代わりしてきた。厚労省による先進医療認定を受けると、入院費などが保険適用対象となるため、負担額が大幅軽減される。



 グループは、昨年11月の衆院解散後から投票日前日の12月15日まで、傘下の病院の職員を運動員として徳田毅衆院議員(42)=自民、鹿児島2区=陣営に派遣。欠勤にともなう給与減額分をボーナスで穴埋めするなどした公職選挙法違反の疑いが持たれている。東京地検特捜部はグループ東京本部を捜索した9月17日以降、鈴木氏からも任意で事情を聴くなどして捜査を進めている。



 田村氏の事務所は取材に対し、「捜査中のことでもあるので、回答は差し控えさせていただく」としている。



(新聞記事転載貼り付け終わり)



 私が疑問に思っているのは、園田修光氏は選対本部長を務めながら、逮捕されていないのはどうしてかということです。選対本部長が全ての仕事を取り仕切っている訳ではないにしても、何も知らない、なにも関与していないということがあるだろうか、と私は不思議に思っています。この疑問に対する自分なりの答えは「園田氏には累が及ばないようになっていて、園田氏が徳田氏の後釜になるのだろう」というものです。



 徳田氏の連座制による失職は可能性が大きくなっています。これから逮捕された6名の裁判が行われ、有罪が確定すれば徳田氏は代議士の身分を失ってしまいます。そうなれば、鹿児島第二区から立候補が考えられるのは、それぞれ代議士経験がある民主党の打越明司(野田佳彦元首相と松下政経塾第一期生で同期、県議時代は自民党所属)と自民党の園田氏ということになります。そのために園田氏にまで累が及ばないようになっているのだろうと私は考えています。



 そのように単純な話ではないのかもしれませんが、私が集められる範囲で得た誰でもアクセスできる情報を基にして考えたことは以上のようなものです。



(終わり)

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 古村治彦です。


 今回は、柳田邦男編『心の貌(かたち) 昭和事件史発掘』(文藝春秋、2008年)を皆様にご紹介します。私がこの本を手に取ったのは、偶然からで、友人が要らなくなった本を処分するということで、貰ってきた本の中にあり、特別意識して読もうという意図を持たずに読み始めました。この本は、各章で昭和時代に起きた事件や出来事を取り上げ、編者である柳田邦男が指揮者たちを対談をしているという内容の本です。


 私が特に気になったのは、「第6章【造船疑獄】」です。この章で柳田は内田健三(元共同通信政治部長・論説委員長、元法政大学・東海大学教授)と堀田力(元東京地検特捜部検事でロッキード事件を担当、さわやか福祉財団理事長)と対談をしています。この対談の内容は、典型的な「吉田学校卒業生(官僚政治家)良いもの・党人派政治家悪者」説で構成されています。日本の戦後の政治論壇の典型的な姿がそのまま展開されています。


 官僚派である池田勇人、佐藤栄作には構想力があり、指導力があり、国の利益のために動いたが、党人派は選挙に当選することが第一で、地元利益第一主義で、金に汚いというコントラストが展開されています。


 この章に出てくる内田・柳田と掘田が代表する戦後マスコミ(新聞、民放、マスコミ)と戦後法曹界(検察)が、アメリカの意向を受けて、アメリカの言いなりになる政治家を持ち上げ、そして田中角栄の「政治的な抹殺」に加担したことは明らかです。彼らは東大、京大を出たエリートであり、内田は池田、佐藤の旧制五高の後輩にあたります。彼らが「仲間うち(クローニーcronyと言います)」を刺すようなことなどしません。彼らが展開している「党人派(田中角栄)悪玉説」に対しては少しずつですが、批判や疑問が投げかけられるようになっています。


 堀田は、対談(鼎談)の中でロッキード事件の公判中に被告の小佐野賢治が彼に向かって「日本の経済発展は特捜部のお蔭です」と言われた、「言われて気分は悪くはなかったけど、あなたが言うかという感じがした」と発言しています。。特捜部の努力によって「会社は社業に懸命に取り組まねばならない。政治にお金を渡してもダメなのだ」ということになったのだという内容なのです。それなのに、「サラリーマン的な小さな人物だけが政治家になって、気宇壮大な人物が政治家になれなくなった、そういうジレンマもある」などとふざけたことを言っています。

 柳田が描く「昭和史」について、疑問を持ちながら、そして批判を加えながらこの本を読むと(柳田の意図には反するでしょうが)、全く違った読み方法ができて、昭和史に対する理解が深まると思います。


(終わり)

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 古村治彦(ふるむらはるひこ)です。

 ブログの会社を引越しし、心機一転ということで、これから皆様にこのブログをご愛顧いただければと思います。しばらくは使い方の実験や初期のご挨拶といった具合になると思います。今回は、心機一転ということで、ここで自己紹介をさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。

◆古村治彦(ふるむらはるひこ)

一九七四年鹿児島市生まれ。鹿児島県立鶴丸高校卒業。早稲田大学社会科学部卒業、大学院社会科学研究科地球社会論専攻修士課程修了(修士)。南カリフォルニア大学大学院政治学専攻博士課程中退(政治学修士)。現在、SNSI研究員並びに愛知大学国際問題研究所補助研究員。


(単著)

・『アメリカ政治の秘密 日本人が知らない世界支配の構造』(PHP研究所、2012年)



(論文・共著)

・「アメリカの黒人プロ・スポーツ選手の世界-ヒーローになるにはスポーツ選手」 副島隆彦著『からだで感じるNYの黒人英語』(講談社、2000年)所収、173-195ページ

・「アメリカの『プリウス人気』の裏に何があるのか」 副島隆彦・SNSI共著『エコロジーという洗脳』(成甲書房、2008年)所収、159-188ページ

・「国際環境制度・機関についての議論に関する一考察」 愛知大学国際問題研究所紀要133号(愛知大学国際問題研究所、2009年3月)所収、145-163ページ

・「社会工学 social engineering-文明化外科手術」 副島隆彦・SNSI副島国家戦略研究所共著『悪魔の思想辞典』(KKベストセラーズ、2009年)所収、126-133ページ

・「ロビー活動 lobby-薄汚いものだがデモクラシーには必要なもの」 副島隆彦・SNSI副島国家戦略研究所共著『日本のタブー むき出しの真実ほど恐ろしいものはない 悪魔の思想辞典〈2〉』(KKベストセラーズ、2010年)所収、230-241ページ

・「『属国』日本が展開する原発輸出とその司令塔・前田匡史」 副島隆彦・SNSI副島国家戦略研究所共著『放射能のタブー 悪魔の思想辞典〈3〉』(KKベストセラーズ、2011年)所収、172-183ページ


(翻訳)

・デイヴィッド・ボウツ著、副島隆彦訳『リバータリアニズム入門』(洋泉社、1998年)翻訳協力(下訳)

・ジョン・J・ミアシャイマー、スティーヴン・M・ウォルト著、副島隆彦訳『イスラエル・ロビーⅠ・Ⅱ』(講談社、2007年)翻訳参加(下訳)

・トーマス・ウッズ著『メルトダウン 金融溶解』(副島隆彦・監訳、解説、ロンポール序文、成甲書房、2009年)翻訳

・アダム・レボー著『バーナード・マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』(副島隆彦・監訳、解説、成甲書房、2010年)翻訳

・パラグ・カンナ著『ネクスト・ルネサンス 21世紀世界の動かし方』(講談社、2011年)翻訳

・ロバート・ケーガン著『アメリカが作り上げた“素晴らしき”今の世界』(ビジネス社、2012年)翻訳

・フランシス・フクヤマ著、会田弘継訳『政治の起源(上)(下)』(講談社、2013年)翻訳参加(下訳)



twitter ID: HarryFurumura

◆ウェブサイト「副島隆彦の論文教室」管理人:ウェブサイトへはこちらからどうぞ

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 古村治彦です。

 今回は、私も「翻訳協力」として翻訳作業に参加しました、『政治の起源(上)』の著者であるフランシス・フクヤマが日本外国人特派員協会で行った講演の様子がYouTubeにアップされておりましたので、皆様にご紹介いたします。

 ゆっくりとした英語で、通訳の方もついていますので、英語が苦手な方でも大丈夫です。また、英語の練習をされている方にも良い練習材料となります。

 また、『政治の起源(上)』の良い紹介(著者ですから当然ですが)となっております。

 1時間以上ありますが、お時間が許す限り、ご覧いただければと思います。




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※私(古村治彦)が管理人をしておりますウェブサイト「副島隆彦の論文教室」にも『政治の起源(上)』の宣伝文を掲載しております。宣伝文へは、こちらからどうぞ。

Francis Fukuyama)著『政治の起源(上) 人類以前からフランス革命まで』(会田弘継訳、講談社、2013年)を皆様にご紹介いたします。




  古村治彦(ふるむらはるひこ)です。

 今回は、2013年11月6日に刊行されましたフランシス・フクヤマ(


 本書は、2011年に全世界で出版されました
The Origins of Political Order: Volume 1(Farrar, Straus and Giroux, 2011)の前半部を訳出したものです。後半部は来年2013年12月に刊行される予定です。また、「volume 1」とありますように、「volume 2」も来年全世界で発売される予定です。こちらもまた上下2巻に分けて訳出されて講談社から刊行されます。日本語訳で合計4冊にもなる壮大な仕事ということになります。


 本書『政治の起源(上)』の刊行に、私は翻訳協力として関わりました。具体的には、本書第5章から第14章までを訳しまして、訳者である会田弘継氏がそれに手を入れるという形、出版の世界で「下訳(したやく)」と呼ばれる仕事を行いました。私が訳出した文章を会田氏がより読みやすく、より正確に加筆訂正したものが今回刊行されました。


 『歴史の終わり』で颯爽とデビューし、一時期はネオコンの理論家として活動していたフランシス・フクヤマ。フクヤマは、ハーヴァード大学の学生時代の恩師(mentor、メンター)である故サミュエル・ハンチントンの業績である『変革期の政治秩序(上・下)(Political Order in Changing Societies)』(内山秀夫訳、サイマル出版会、1972年)からインスピレーションを受けて、本書『政治の起源』を書いたそうです。


フクヤマは、『政治の起源』のシリーズで、「政治制度(政治秩序)の発展と衰退」の研究の成果を発表しています。この研究はフクヤマにとって人生最後の大きな研究ということになります。そして、フクヤマは師であるハンチントンのように、読者である私たちに向けて「大きな俯瞰図(big picture)」を提示しようとしています。


 本書『政治の起源(上)』には、第1部「国家以前」と第2部「国家建設」が収められています。『政治の起源(下)』(2014年に日本で刊行予定)には、第3部「法の支配」と第4部「政府の説明責任」が収められています。これから、その内容について、簡単にご紹介したいと思います。


第1部「国家以前」には5つの章が収められていて、国家が形成されるまでの人類の社会組織について、これまでの生物学、考古学、人類学の成果に基づいて、詳しく述べられています。フクヤマによると、人類の社会組織は、群れ(band、バンド、非定住的)、部族社会(tribal societies、トライバル・ソサイエティーズ)、首長制社会(chiefdom、チーフダム)、国家(state、ステイト)の4段階に進んできたとしています。そして、フクヤマは近代的な政治制度を機能させる3つの柱として、①国家(state、ステイト)、②法の支配(rule of law、ルール・オブ・ラー)、③政府の説明責任(accountability、アカウンタビリティ)を挙げます。国家は「一定の区切られた領土において、権威を集中させ、その権威が軍事力を事実上独占する」ものです。そして、法の支配とは、「法制度に、社会を覆う最高の権限が付与され、一時的に軍や官僚制度を指揮するだけにすぎない統治者の権限よりも上位にある権威とみなされるようになる」ものです。更に、説明責任とは、「統治者を明文化された法に従わせることで国家の力を制限するだけでなく、広範な市民を代表する議会などに対し、統治者に「説明責任」を負わせる」ことで、「近代的民主主義は、統治者が自身の権力を制限するための明文化された規則に従い、選挙によって表明された広範な民意に自らの統治権を従わせること」となります。


そして、欧米の学者の多くはギリシア、ローマが国家制度を初めて作り出したと主張しているのですが、フクヤマは、マックス・ウェーバーの定義する近代国家に適う国家制度を作り上げたのは中国だと主張しています。そして、中国、インド、イスラム世界、キリスト教世界における国家制度発展の道筋を辿っています。近代国家の特徴を挙げると、洗練された徴税システムと家族のつながりではなく才能を重視して採用される、階層的組織を持つ官僚たちということになります。これらは、ギリシア、ローマでは生まれなかったとフクヤマは指摘しています。


第2部「国家建設」には11の章があり、中国、インド、イスラム世界、ヨーロッパにおける国家形成について詳しく述べられています。部族社会から国家社会への進化、部族と国家との間の緊張関係、国家と宗教との間の関係が主なテーマになっています。フクヤマによると、世界史上、初めてウェーバーの定義に適う国家を生み出したのは中国だということです。中国を初めて統一した秦帝国(紀元前221年建国)は、法家思想(Legalism、リーガリズム)に基づいた国家であったということです。強力な国家は戦争遂行と国家の生存のために生み出されました。近代的な官僚制度(実力主義と階層的組織という特徴を持つ)と軍隊(徴兵制と実力主義を備えた)が生み出されました。


しかし、秦は急進的な社会改革を進めようとしたために、社会各からの反対に遭い滅亡しました。その後に誕生した漢王朝は、秦時代に弾圧された儒教(Confucianism、コンフューシャニズム)の正当性を認め、法家思想による国家組織を維持しながら、その国家組織を、儒教教育を受けた官僚によって運営させるという折衷案を生み出しました。これがその後の中国の各王朝のモデルとなりました。


 インドの場合は、国家が作られる前に、ヴァルナ(varnas)と呼ばれる社会階級が出現しました。それは、司祭(バラモン)、戦士(クシャトリア)、商人(ヴァイシャ)、上記3つの階級に入らない残りの人間(シュードラ)です。加えて、バラモン教(ヒィンドゥー教)に基づいたカースト制度(jatis、ジャーティ制度)が導入されました。


 インドでは、統治者である王よりも上位の権威としてバラモンがいて、バラモン教の教義が王の権威と権力を制限しました。その結果として、インドでは、「法の支配」が発達しました。また、社会の各集団が自律性を持ったことで、統一的で中央集権的な国家の誕生に対する障壁となりました。しかし、分権的な社会集団の存在と国家の力が弱いことが結果として、戦後独立したインドで民主政治体制(democracy、デモクラシー)を存続させることにつながりました。


イスラム世界の国家制度において大きな特徴となったのは、軍事奴隷(mamluks、マムルーク)制度です。この軍事奴隷とは、非イスラム教徒(キリスト教徒)居住地域から、肉体的、知能的に優れた少年たちを徴発してきて、家族と引き離し、教育を施し、エリート官僚や軍人にする制度のことです。彼らは「一代限りの貴族」であり、マムルークの子孫たちは財産や特権を引き継ぐことができませんでした。


ヨーロッパのキリスト教世界では、部族社会から個人主義へと社会を変革したのは、カトリック教会でした。カトリック教会は自身の物質的利益を増大させるため、財産や土地の寄進を人々に行わせようとしました。その時、邪魔になるのは部族、親族です。部族社会であれば、ある人が後継ぎを作らずに死亡した場合、その人が遺した財産は部族のものとなり、血縁関係がある人がその財産を継承します。しかし、カトリック教会は、「禁煙同士の結婚、親類の寡婦との結婚、子どもの養子縁組、離婚」を禁止しました。その結果、ヨーロッパでは、部族関係と親族関係が弱まり、個人主義が発達しました。このことが結果として、「法の支配」や資本主義の誕生につながったとフクヤマは指摘しています。


 中国からヨーロッパのキリスト教世界に至るまで、共通するのは、国家制度に対する大きな挑戦は、部族社会の存在であり、国家制度を家産制(Patrimonialism、パトリモニアリズム)に引き戻そうとする動きであったことでした。家産とは個人の財産のことで、国家の支配者が国家を自分の財産のように扱うことを家産制と言います。自分の親族や友人を大事にしたい、優遇したいというのは人間の自然な感情です。しかし、国家体制はそのように「私物化」されると、弱体化していきます。実力ではなく、縁故で人材が登用されれば、実力が伴わない人間が重要な地位に就くことになり、国家は衰退していきます。権力の「家産(個人の財産)化」、「私物化」を如何に防ぐか。これが国家制度の維持にとって歴史的に大きな課題でした。この課題のために生み出されたのが中国の「科挙(civil service exams、シヴィル・サーヴィス・エグザムス)」であり、「宦官(eunuchs、ユーナックス)」であり、イスラム世界の「軍事奴隷(mamluks、マムルーク)」ということになります。


 フクヤマは、「日本語版への序」の中で次のように書いています。「人類史を通じて、人の本性は変わっていない。「家産制の復活」、すなわち支配階級が政治制度を私物化し自分の目的のために使おうとするような慣行は、中国の後漢時代や17世紀フランスと同じように、現代でも普通に行われている。本書の日本での出版を通じて、日本の経験を世界の他のさまざまな社会の場合と引き比べるとともに、日本の諸制度の将来についての議論を活発化させる一助になってほしいと願っている」(8ページ)。この一節について、いろいろな読み方、解釈ができると思います。私は、「現在の日本の国家制度は家産化されているのではないか」ということを読者である私たちが注意深く、世界史の流れを理解した上で考えてみるべきだ、というフクヤマの提案、提言であると考えます。


繰り返しになりますが、本書は、フクヤマの人生最後の大研究の成果が収められたシリーズの第1冊目となります。これから後3冊、刊行される予定になっています。その第一弾として、今回、『政治の起源(上)』が発刊されました。フランシス・フクヤマという現代の第一級の学者の渾身の研究成果の翻訳に参加できたことはとても光栄なことでした。そして、まだ本決まりではありませんが、来年に刊行される「volume 2」の翻訳に私はまた参加(下訳・翻訳協力)することになると思います。


 是非『政治の起源(上)』を手にとってお読みいただきたいと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。


※私(古村治彦)が管理人をしておりますウェブサイト「副島隆彦の論文教室」にも『政治の起源(上)』の宣伝文を掲載しております。宣伝文へは、こちらからどうぞ。


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 古村治彦(ふるむらはるひこ)です。

 この度、ブログ「古村治彦の酔生夢死日記」の会社をエキサイト・ブログからライヴドア・ブログに変更しました。引っ越しの理由は、私の友人にライヴドア・ブログに引っ越しすることを勧められたからです。

 引っ越しをして、心機一転、定期的に記事を更新していきたいと思います。今後ともブログ「古村治彦の酔生夢死日記」を宜しくお願い申し上げます。

古村治彦拝

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2013年6月に「副島隆彦の学問道場」福島復興活動本部解散式に出席したときの一枚

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