古村治彦です。
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私がこのブログで紹介している、国際関係論の大物学者スティーヴン・M・ウォルトの論稿をご紹介する。彼は昨年、オーストリアのウィーンにある人間科学研究所に客員研究員と滞在した。彼がオーストリア大罪を通じて得た知見を基にして、アメリカとオーストリアを比較する内容の論稿になっている。ちなみに、ある調査では、ウィーンが世界で一番住みやすい都市となっている。私は旅行したことはないが、確かに、ハプスブルク王朝の都で、ヨーロッパ有数の都市というイメージはある。
ウォルトは両国の類似点として、右派ポピュリズムへの移行を挙げている。オーストリアではオーストリア自由党が台頭し、アメリカではドナルド・トランプが大統領に当選した。ウォルトは両国の相違点として、経済格差の大きさを挙げている。オーストリアは経済格差が小さく、アメリカは大きい。ここで、ウォルトは重要な指摘を行っていて、それは、「経済格差が右派ポピュリズムを台頭させる訳ではない」ということだ。それでは何が右派ポピュリズムを台頭させるのかという疑問が出てくるが、そのことについては論稿では触れていない。
ウォルトは、アメリカはヨーロッパを見習うべきだという主張を行っているが、それは不可能な話、無理な話だ。そのことはウォルト自身が書いている通りに、アメリカ社会のダイナミクスとヨーロッパでは異なるからだ。私は国民皆保険(universal health insurance)について思い出す。アメリカ留学中に、大学の日本政治の授業に出席した際、日本研究専門家である先生が学生たちに「ヨーロッパや日本は国民皆保険であるが、アメリカではそうではない」と一言ポロっと発言した。次の授業の冒頭で、その先生は「私はアメリカを批判した訳でもないし、社会主義を称揚した訳でもない」と述べた。不思議に思って、先生に話を聞いたところ、前回の授業の後に、学生の中に保護者に先生の発言を伝え、保護者が学校側に「アメリカを批判するような人物を先生にしているのか」「社会主義者を雇うな」というような抗議の電話があったということだ。
国民皆保険の話1つでこのような騒ぎになる。アメリカには平等や相互扶助という考えが広がるのは難しい。しかし、アメリカはこれから国力を落とし、世界覇権国としての地位から転落していく。世界最強の国の国民として享受してきた特権や生活水準がなくなっていく。そうした中で、アメリカ人たちも考えを変えていくかもしれない。しかし、その時には「時すでに遅し」ということになるだろう。
(貼り付けはじめ)
オーストリアはアメリカのヨーロッパにおけるモデルとなるべきだ(Austria
Should Be America’s European Model)
-西側諸国で最も過小評価されている国の1つから学ぶ政治的教訓。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2024年12月11日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2024/12/11/austria-should-be-americas-european-model/
ハーヴァード大学の同僚だった故シドニー・ヴァーバは、著名な学者であり、また機知に富んだ人物でもあった。彼が皮肉たっぷりに残した格言の一つ(one of his tongue-in-cheek aphorisms)に、「その上空を飛行したことのない国について書くべきではない(you should never write about a country you haven’t flown over)」というものがある。この控えめな基準からすれば、私はここ数ヶ月、ウィーンの人間科学研究所の客員として過ごしてきたので、オーストリアについて書く資格は十分にあると言えるだろう。
人間科学研究所は素晴らしく協力的な環境で、私はここで過ごした時間を心から楽しんだ。しかし、以下に述べる考察は、オーストリアの政治や文化に関する広範な調査や深い知識に基づくものではない。一方で、私は今、ドナルド・トランプ次期米大統領が任命した一部の人々が新しい職務に関して持っていると思われるよりも、オーストリアについて多くの専門知識を持っている。
オーストリアとアメリカ合衆国には、顕著な類似点と重要な相違点がいくつか存在し、両国の最近の選挙は両者を浮き彫りにした。両国にはどのような共通点があり、どのような相違点があり、アメリカ人はオーストリアの経験からどのような教訓を得ることができるだろうか?
第一に、類似点について。オーストリアとアメリカ合衆国はどちらも豊かな工業化した民主政治体制国家(wealthy industrial democracies)だ。アメリカ合衆国は建国以来(不完全なものではあるが)共和国(a republic)であり、オーストリアは第二次世界大戦後に占領していた外国軍が最終的に撤退した1955年以降、安定した民主政体国家となっている。
両国とも、直近の選挙でポピュリスト勢力が大きな勝利を収めたものの、直接的な政治的影響は異なるだろう。オーストリアで9月に行われた世論調査では、ヘルベルト・キクル率いる極右政党オーストリア自由党(Austrian Freedom Party、FPO)が、ナチスのシンボルやレトリックを時々用い、過去に疑わしい行動歴があったにもかかわらず、最大の得票率(28.8%)を獲得した。言うまでもなく、アメリカ合衆国では、有罪判決を受けたトランプが再び大統領選に勝利し、共和党が連邦上下両院を制した。
オーストリアは議院内閣制を採用しており、オーストリア自由党は絶対多数(an
absolute majority)を獲得できなかったため、他の主要政党が政権樹立を阻止しており、現首相カール・ネハンマーが引き続き複数党連立政権(a multiparty coalition)の首班を務める可能性もあるが、その樹立は困難なプロセスであることが証明されている。
類似点はそれだけではない。両国において、移民反対は他のヨーロッパ諸国と同様に、ポピュリスト政治家にとって大きな追い風となっている。両国の投票パターンは、都市部と農村部の根深い分断(a profound urban-rural divide)を反映している。つまり、ウィーンをはじめとするオーストリアの都市は、中道左派に大きく傾いている(人口でオーストリア第2位の都市であるグラーツの市長は共産主義者だ)。一方、アメリカの多くの赤い(共和党支持)の州の各都市では、青い(民主党支持)、または拮抗した状態(紫色)に投票の投票になっている。
両国には強力な宗教的伝統もある。オーストリアでは依然としてカトリック教徒が圧倒的に多く、アメリカ人は多様な宗教に属しているが、両国とも宗教的慣習(religious observance)は衰退しつつあり、オーストリアの信者もますます多様化している。
まとめると次のようになる。オーストリアは人口約900万人の小国であり、アメリカ合衆国は人口約3億4000万人の大陸規模の超大国だが、両国にはいくつかの顕著な類似点がある。中でも特に顕著なのは、近年のポピュリスト右派へのシフト(a recent shift toward the populist right)だ。
それでは、違いは何だろうか? おそらく最も顕著なのは不平等・格差(inequality)だ。両国とも裕福だが、所得の分配はアメリカ合衆国よりもはるかに平等だ。オーストリアのジニ係数[Gini coefficient](不平等・格差の指標)はアメリカ合衆国よりも10ポイント低く(29.8対39.8)、オーストリアでは人口の下位50%が所得の22%を得ているのに対し、アメリカ合衆国ではこの数字はわずか13%だ。オーストリアでは上位10%が所得の29%を得ているのに対し、アメリカ合衆国では上位10%が所得の45%を得ている。
したがって、ロンドンに拠点を置く調査機関「ワールド・エコノミクス」がオーストリアの経済的平等を世界21位、米国を66位と大きく下回る順位にランク付けしているのも当然と言えるだろう。これは、現代のポピュリズムが経済的不平等・格差とあまり密接に関係していないことを示唆している。
世界で最も住みやすい都市の1つという名声にふさわしいウィーンに住めば、その違いはさらに顕著になる。私が到着して間もなく、同僚の1人が次のように述べた。「ウィーンは、1世紀以上も社会主義政権に支配された都市がどのような存在になり得るかを示している」。ウィーンには、アメリカのどの都市も匹敵できない、素晴らしい公共交通機関(extraordinary public transit that no U.S. city can match)がある。地下鉄、路面電車、バスは快適で、運行頻度も高く、時間通りで、ほぼどこにでも行くことができる。しかも、移動手段は驚くほど安価である。私の月間パスは全路線が乗り放題で、料金はわずか51ユーロだ。
同様に、オーストリアには優れた公営住宅制度[a remarkable system
of public housing](オーストリアでは「ソーシャルハウジング[social housing]」として知られている)があり、その構造と目的はアメリカ合衆国とは大きく異なる。オーストリアでは、最貧困層のみを対象とし、貧困層を他の住民から巧妙に隔離する手段として利用されるのではなく、はるかに幅広い層の住民がソーシャルハウジングの入居資格を得ており、これもアメリカ合衆国の同等の制度よりもはるかに魅力的だ。
その結果、オーストリアの公営住宅の居住者はより幅広い社会階層(a wider
range of social classes)に及び、これらのコミュニティはアメリカの公営住宅事業に見られる多くの機能不全から解放されている。手頃な価格の住宅が広く利用できるため、民間の1年賃貸はアメリカのほとんどの都市よりもはるかに安価だ。(ただし、私が現在住んでいるアパートのような短期賃貸は数が少なく、高額なのが難点だ。)
ヨーロッパの多くの国々と同様に、オーストリアの公衆衛生制度(public health
system)もアメリカを凌駕しており、これがオーストリアの平均寿命がアメリカよりもはるかに高い(81歳対76.4歳)理由の1つとなっている。オーストリアの殺人率はアメリカの8分の1だ。誰であっても、どこに住んでいても、オーストリアははるかに安全な場所だ。もしもっと多くのアメリカ人がウィーンで数ヶ月間生活する機会があれば、バーニー・サンダース連邦上院議員の考えが正しいのではないかと疑い始める可能性がある。
もちろん、オーストリアはオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊時に帝国主義の野望を放棄した小さな中立国(neutral country)であり、そのため無分別な海外進出に国富を浪費していないという点も有利に働いている。
オーストリアは完璧か? もちろんそんなことはない。オーストリアの官僚機構は時に苛立たしいほど独断的だ。ウィーン市民は常に礼儀正しいものの、移民を特に歓迎しているということもない。公営住宅制度も完璧ではない。そして、オーストリアはヨーロッパの多くの国を悩ませているのと同じ人口動態上の問題(高齢化と人口減少)に直面している。ウィーンの物価は安くなく、インフレと公的債務は深刻な問題であり、オーストリア社会は変化を嫌う。シリコンヴァレーの合言葉が「早く動いて、物事を壊せ(move fast and break things)」だとすれば、オーストリアのスローガンは「ゆっくり動いて、可能な限り維持しろ(move slowly and conserve as much as possible)」なのかもしれない。
他の国と同じように、オーストリアにも過去には完全には忘れ去られていない不快な出来事がいくつかある。そして、薬局を含めほとんどの店が閉まっている日曜日にイブプロフェンが買えたら良いのであるが。
しかし、こうした特徴にもかかわらず、オーストリアには多くの魅力がある。一般のアメリカ人の日常生活を真に改善したいと願うアメリカ大統領は、オーストリアの例から貴重な教訓を学ぶことができるだろう。残念ながら、アメリカ人がそのような人物を選出する機会を得るまでには、少なくとも4年はかかるだろう。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ブルースカイ・アカウント:@stephenwalt.bsky.social、Xアカウント:@stephenwalt
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『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』