アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 今回は、今年新潮文庫で発売された『日本海軍400時間の証言: 軍令部・参謀たちが語った敗戦』を皆様にご紹介します。この本は、2009年8月に3回にわたって放送されたNHKスペシャル「日本海軍400時間の証言」の取材班(ディレクターたち)が、自分の経験を基にしながら、取材の過程や番組の内容を著した本です。私もこの番組を視聴した記憶があります。海軍が決して善玉ではないという印象を新たにしたことを覚えています。そのこともあって、私は自著『ハーヴァード大学の秘密』(PHP研究所、2014年)に山本五十六と永野修身の2人を取り上げました。
 


 海軍反省会というのは、1980年から1991年まで131回、旧海軍士官の
OB組織である水交会で開催された、秘密の会議のことです。この会議には、その当時まで生存していた海軍の佐官級、尉官級の人々が出席し、太平洋戦争前後のことを話し合ったのだそうです。この会議の様子はテープに400時間にわたって記録されていたということです。

 

 2003年に歴史研究家の戸高一成氏がこの研究会のことをNHKの取材班に話し、そこから番組作りがスタートしました。門外不出の録音テープを何とか借り受け、それを慎重に現在の録音技術で録音し、その素材をディレクターたちがひたすら聞いていく、そして内容を理解し(海軍用語や人の名前が多く、一度聞いただけではチンプンカンプンだったそうです)、誰がどのような発言をしているのか(発言者は自己紹介をする場合もありますが、そうではない場合もあって発言者の特定も大変だったそうです)が分かるところまで聞き込んでいったということです。

 

 NHK特集の番組の作り方の一端や、製作者側の考え、苦労などが分かり、報道やドキュメンタリー、ノンフィクションの分野に進みたいと思っている方々には、番組内容以外にも参考になることが多く書かれていると思います。

 

 本書のポイント(そして番組のポイント)は、①開戦、②特攻、③戦犯裁判です。太平洋戦争開戦に関しては、「陸軍がやりたがり、海軍は反対していた」「陸軍も海軍も開戦には消極的であったが、どちらも臆病者のそしりを受けることを恐れ、開戦に反対と明確に表明できなかった」という話があります。どちらにしても、海軍は開戦に反対でありながら、仕方がなく、「空気」に従って開戦に同意した、ということになります。
 

 しかし、海軍反省会では、開戦に関して、海軍内部においても開戦を推進する勢力があったことが指摘されています。これまでも石川信吾少将(「俺が戦争を始めたんだ」と言ったという話やオープンカーで政治家たちの走り回っていたという話が有名です)と高田利種少将が参加した「第一委員会」で、少数の佐官クラスの密議で開戦計画が進められたという話はありました。これに加えて、永野修身海軍軍令部総長の「第一委員会」任せの態度が、この権限と責任が曖昧な機関の権威を高めることになってしまったと、反省会では指摘する声が出ています。この権限と責任が曖昧な機関が実権を握ってしまったために、誰が責任者か分からなくなってしまうということはあります。この第一委員会にはそこまでの力はなかったと言って責任逃れもできる訳です。

 

本書では、当時、批判の対象にしにくい皇族の伏見宮が軍令部総長就任して、「兵力量に関しては、海軍軍令部総長が定める」と統帥部に権限が委譲されたことが、指摘されています。これによって、本来であれば「軍政」の方にあるべき編成権が「軍令」の方に移ったことによって、海軍の膨張と暴走を止めることが難しくなりました。伏見宮という皇族がそれをやってしまったことで、誰も批判ができなくなってしまいました。

 

 海軍は軍縮の対象となっており、ワシントン条約やロンドン条約で、その規模にある程度の枠をはめられます。これは、日本の厳しい財政状況もあって当然のことでしたが、海軍内は、軍縮条約に賛成するグループ(「条約派」)と反対するグループ(「艦隊派」)に分かれましたが、結局、条約派は敗れ、軍縮条約脱退から多額の予算獲得狂騒していくことになります。

 

 その結果、日米開戦という重大な決定がなされる時に、「これまで多額の予算を使ってきておいて、戦争ができないとは言えない」という、「海軍あって、国家なし」の態度で、「絶対戦ってはいけない戦争(負けることが分かっている戦争)」に引きずられてしまったということになってしまったということです。

 

②特攻に関しては、第一航空艦隊長官であった大西瀧治朗中将がフィリピンで「神風特別攻撃隊」を始めたとされ、大西中将は「特攻の父」(何と嫌な言葉でしょうか)と呼ばれています。周りは消極的な反対をし、「強制ではなく、あくまで志願という形でやるように」と言ったと言われますが、1944年末に始まった特攻作戦は終戦まで続き、陸海軍共に多くの若者たちが亡くなりました。大西中将は敗戦後に自決しています。

 

 体当たり攻撃(脱出装置のない「必死(100%亡くなる)」の攻撃)という構想に関して、大西中将の独断であったという話が一般的ですが、大西中将が構想する前に、既に海軍は、体当たり攻撃を考えていたという指摘が、海軍反省会でなされています。特攻兵器「回天(一人乗りの潜水艦型の兵器)」の構想は、1944年3月には既に存在したという指摘がなされているのです。中澤佑中将(海軍軍令部第一部長)、黒島亀人少将(山本五十六連合艦隊司令長官に重用され、参謀を務めた)、源田実大佐(真珠湾奇襲攻撃を成功させた)といった人々が1944年初めの段階で既に特攻を考えていたことが明らかにされています。

 

 ここで問題なのは、特攻をまず考え出した人物たちは戦後まで生き残った訳ですが、こうした事実には口をつぐむ、もしくは「死人に口なし」で、全く違うストーリーを語っていたということです。しかし、そのことで個々人を責めては問題が矮小化されてしまうだけです。私たちは、「自分たちがそのような立場に置かれてしまったら、果たして立派に振る舞えるだろうか」という視点とを持ち「組織として隠ぺいを許すような体質があったのではないか、それは現在の私たちが作る組織でもあるのではないか」という問いかけを行わねばならないのではないかと思います。

 

 戦犯裁判に関して言うと、A級戦犯として死刑になったのが、陸軍の首脳と文官(広田弘毅)であったために、「陸軍悪玉、海軍善玉」というイメージが定着することになりました。戦犯裁判対策は、豊田隈雄大佐(戦時中は在ドイツ大使館付武官)によって行われました。この対策の最大の焦点は、「天皇に戦争責任を負わせない」ということでした。そのために、口裏合わせや証拠隠滅などが行われました。海軍からはA級戦犯容疑で逮捕された人たちも出ましたが、永野修身軍令部総長は病死し、その他、海軍大臣経験者たちは極刑にはなりませんでした。

 

 しかし、海軍では、BC級戦犯として200名が死刑となりました。その多くが、現地の実働部隊の責任者で、上位の命令者を守るために、処刑されたということです。「天皇陛下に累を及ばせないようにする」→「天皇陛下に近かった高位の人物たちを重罪にしないようにする」→「そのためにそれ以下の人々の責任にして、彼らに責任を取らせる」という構図がそこにはあります。

 

 本書で執筆陣も指摘していますが、海軍反省会で話された問題点は、現在の私たちも直面する問題ばかりです。「空気に支配され、言うべき時、言うべきことを言えなくなる(ある元海軍士官は「やましき沈黙」と表現しています)」「責任の所在を曖昧にし、下の者が責任を負わされる」「大局観がないために、選択を誤る」「組織優先で、個人を切り捨てる」といったことは、私たちが現在も苦悩するところです。過去のNHKの戦争に関する番組を見てきて思うことは、彼らの番組は常にこのことを問いかけてきているということです。
 

 

これらの問題が日本だけのことだと言い切ることはできません。しかし、これだけの諸問題の存在を認識しながら、それに改良を加えようとか、そうならないようにしようと努力しないところが日本的な特徴ではないかと思います。「これは仕方がないことなのだ(It cannot be helped)」という言葉、この言葉を免罪符にして、改善、改良の努力を怠っているのではないかと私は思います。

 

 この文章を書いている時、私は防衛大学校における虐めに関するニュースに接しました。防衛大学校2年生の男子学生が虐めを受け、肉体的、精神的苦痛を受け、ストレス障害を発症、8名の学生を障害と強要容疑で刑事告訴したということです。このニュースを報じたアドレスは以下の通りです。

 

http://news.livedoor.com/article/detail/9139678/

 

 この記事の中で気になったのは以下の部分です。引用します。

 

(引用はじめ)

 

その一方で、同じく防大OBで現役幹部海上自衛官は、「こうしたいじめに耐える、いじめられないように立ち振る舞うことも自衛官としての修行になる」と話す。

 

「そもそも、いじめに遭うのは動作が緩慢な者か、やたらと正論を吐く理屈っぽい者が多い。自衛隊のような戦闘組織は命令一下、たとえ理不尽な命令でも率先して動かなければならない。動作が緩慢な者はいざというときに組織の足を引っ張る。海外からの侵略や震災などの有事の際は、『何が正しいか』を議論している間に、事態が深刻化することもある。本人の考え方を自衛官らしく矯正し、もし向いていないと判断するならば、別の進路を考えさせることも防大同窓の役目だ」

 

(引用終わり)

 

 旧海軍の後身である海上自衛隊の現役自衛官がこのような発言を行っています。「いじめは修行」「本人の考え方を自衛官らしく矯正」という言葉に、旧海軍から続く、陰の伝統を感じてしまいます。そもそも「動作が緩慢な者」を「いじめ」て、動作が素早くなるのでしょうか。「自衛官らしい考え方」とは何でしょうか。防衛大学校は、旧軍で言えば士官を養成する陸軍士官学校や海軍兵学校に相当します。ここの卒業生たちは、部下たちを率いて、部下たちに命令を下す立場になる訳です。その時に、この「自衛官らしい考え方」(命令絶対服従と思考停止と同調至上主義)で正しい判断や命令が下せるのでしょうか。自衛隊の幹部である人々は、人間の人生と命に直面する仕事をする訳です。その点では、高い肉体能力と共に健全な精神と慎重な判断力が必要になると思います。これらが果たして、今の防衛大学校で養われるのでしょうか。私は自衛隊出身の一部国会議員たちのアホさ加減に辟易してきましたが、彼らのアホさはこうした防衛大学校の「素晴らしい教育」で涵養されてきたのではないかと思います。

 このような自衛官たちが、海軍の先輩たちが抽出した諸問題の解決をできるのでしょうか。この発言を行った海上自衛官の考える、「正しい自衛官の姿」とは、自分の頭で考えない、間違った命令にも絶対服従、いじめられないように立ち振る舞う=空気を読んで、徹底的に周囲に同調する、ということなのでしょう。

 

 海軍反省会に参加した旧海軍の将官だった人々は、このような姿を後輩に求めたのだろうか、いやそうではないだろうと私は思っています。

 

(終わり)



野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23