古村治彦です。
今回は、2013年11月、12月に刊行されましたフランシス・フクヤマ著『政治の起源(上・下)』(会田弘継訳、講談社)の欧米の一流メディアに紹介された書評の翻訳(2013年10月29日に旧版ブログに掲載したもの)を再掲いたします。年末年始の読書計画に是非お加えいただければ幸いです。
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①エコノミスト誌 2011年5月31日
http://www.economist.com/node/18483257
「歴史に関する諸理論」
11世紀にカトリックは聖職者に対して禁欲を強制したが、これが他の地域に先駆けてヨーロッパに法の支配を生み出した。その理由は何か?この疑問に対する答えは、フランシス・フクヤマの刺激的な新刊の中にある。禁欲主義はローマ法王グレゴリー七世によって制度化された重要な改革の一つであった。禁欲主義によって、教会法は発達し、王と言えど協会法には従わねばならないという考えが生み出されたのだ。グレゴリー七世は、神聖ローマ皇帝ヘンリー四世を屈服させたことで名前が残っている。カノッサにおいてヨーロッパで最強の人物ヘンリー四世を自分の前で跪かせて懺悔させたのだ。
禁欲主義は、カトリック教会名部の腐敗とタダ乗りに対する戦いにおいて重要であった。この2つは世襲では必ず起こるものであった。禁欲主義改革はカトリック教会が「近代的で、階層的、官僚的で法に支配された機関」と呼ぶものへと進化するための道徳的進歩をもたらした。この「近代的で、階層的、官僚的で法に支配された機関」は、精神面での権威を確立した。これが世俗国家の確立のための土台となるルールを生み出すことになった。
サミュエル・ハンチントンは40年以上前に政治秩序に関する古典的名作を書いた。フクヤマはハンチントンの生徒だった。フクヤマは、政治秩序起源の研究を小規模の狩猟グループから部族への変化の研究から始めた。それがやがて「リバイアサンの登場」、つまり強制力を持つ国家へと変化していった。農業を基礎とする社会の複雑さが増す中で国家は登場した。更には、規模が拡大し続けていった戦争を遂行するために組織の面の必要性からも国家は生まれたのだ。
フクヤマの知識の豊富さには目を見張るものがある。加えて、彼は中国、インド、イスラム世界、ヨーロッパ各国を旅し、良い政治秩序の主要な構成要素を探し求め、それぞれの地域でどのようにして、そしてどうして政治秩序が生まれ、消えていったかを調査した。
フクヤマは、政治秩序の重要な3つの要素として、強力な国家、社会全体に対する法の支配、支配者の行動を制限する説明責任を挙げている。
フクヤマは史上初の近代国家は、紀元前221年に成立した中国の秦であると確信している。秦が生み出した多くの管理メカニズムはそれから500年間を通じて発達した。中国全土が小国に分立し、それぞれが相争いながらも合従連衡をするという東周時代まで続いた。このような管理メカニズムには、徴兵された軍隊とそれを率いる実力主義で昇進した(貴族中心ではない)指揮官、洗練された徴税システム、そして家族のつながりではなく才能を重視して採用される官僚たちが行政を司るといったことが含まれていた。秦は更に改革を勧め、全体主義に近い、その前身とも言うべき独裁政治制度を確立しようとして、社会の全ての部門に非情な変革を強制した。
秦の急進主義は結局のところ、秦の滅亡を誘発し、その後、漢王朝が取って代わった。韓王朝は秦よりも長く続いた。漢は貴族エリートたちと妥協し、復活した儒教の正当性を認めた。漢は400年以上続いた。しかし、フクヤマが「悪帝問題」と呼ぶ問題と人間の思考傾向そのものによって滅んだ。富、力、地位を与える基準に親族関係を据えたことで漢は滅んだのである。フクヤマは次のよう書いている。「中央集権的な国家の強さと家族主義のグループの強さとの間には負の相関関係がある。部族主義は、近代国家が生み出された後でも、政治組織の決まった形として存続した」
本書の大部分のページで描かれているのは、強力な統一国家を目指す世界各地の支配者たちの間の争い(軍事的な支配がこの当時の支配者たちの目的であった。それは技術の発達よりも征服ことが豊かになる方法であったからだ)と、支配者たちと親族集団との間の争いのことである。親族集団は支配者たちが目指す統一国家を崩壊させる力を持っていた。中国の歴代皇帝たちは、宦官を高い地位に就けることを好んだ。8世紀のアッバース朝からエジプトのマムルーク朝とオスマントルコまで、イスラムの歴代支配者たちは身内優先の贔屓と部族間の争いを減らすために軍事奴隷制度を確立した。
マムルークは一代限りの貴族で、スルタンにだけ忠誠を誓った。ジャニサリーはオスマントルコ帝国の軍事奴隷の中のエリート部隊であったが、結婚は認められなかった。しかし、2つの制度とも空洞化していった。それはマムルークもジャニサリーも利益団体に変質し、彼らがそれを守ることを目的にして創設されたはずの中央集権化した国家を滅亡させるだけの力を蓄える結果となった。縁故主義が再び姿を現したのである。
フクヤマは、そこまでの絶対王制ではなかった一七世紀のフランスと内戦と1688年に名誉革命が起きたイギリスとの間で興味深い比較研究を行った。イギリスは世界で最初の望ましい政治秩序の構成要素が結合した場所である。デンマークがそれに続いた。政治秩序の構成要素とは、強力な国家、法の支配、そして説明責任の三つである。フランスが抱えていた問題は、王が貴族たちの法的特権に挑戦する自信を十分に持っていなかったことであった。しかし、王も貴族も農民たちと勃興しつつあった商人たちに対する法の支配の適用は拒絶する点で一致していた。農民も商人も徴税を通じて国王が戦争に必要としていた資金を提供していた。その当時のイギリスは民主政治体制と言えるものではなかったが、慣習法の発達、立憲君主制のための政治的条件の確立、経済発展によって社会全体で説明責任が確立されていた。
この第一巻目はフランス革命までを取り上げたものだ。第二巻目はそれから現在までを取り上げるもので執筆中だそうだ。この一巻目の内容は、私たちの近代国家と近代国家の成り立ちの理解にとって重要なものを提供してくれる。例えば、中国には中央集権化した賢明な官僚たちが存在するが、法の支配はまだ弱く、説明責任という考え方もない。フクヤマは、毛沢東という存在が、中国は未だに「悪帝」問題から免れられないでいることを示していると主張している。一方、インドの国家は弱体であるが、中国に比べて説明責任は確立され、法律も整備されている。
フクヤマはまたわたしたちにこの春に起きたアラブの春が政治秩序に関する、彼の3つの試験に合格しているかどうかの尺度を与えてくれる。テストの成績は良くはなかったが、落第というものではなかった。フクヤマは今でも私たちに俯瞰図を与えてくれる人物である。彼は私たちに「歴史の終わり」という大きな考えを提示した。しかし、彼は同時に細かい点にも目配りをしている。政治理論の本というととかく難しくて読み進めるのも大変だが、この本はそうではない。
(終わり)
②ガーディアン紙 2011年5月12日
http://www.theguardian.com/books/2011/may/12/origins-political-order-francis-fukuyama-review
「書評:フランシス・フクヤマ著『政治の起源』」
デイヴィッド・ランシマン(David Runciman)筆
秩序だった、活発な活動を行う社会を形作るのは要素とは何か?フクヤマはこの問いに答えを持っているのか?
フランシス・フクヤマはこれからも常に『歴史の終わり』の著者として知られていくだろう。『歴史の終わり』という本を書いたことで、フクヤマには政治的な楽観主義者という評判が付いて回る。「フクヤマは、歴史がその辿るべきコースを辿っていけば全てが民主政体にたどり着くと確信しているのだ」というのである。実際のところ、フクヤマは皆さんが考えているよりもずっと悲観的な思想家である。常に何か悪い方向に行くのではないかと考えている。『歴史の終わり』は1992年に出版された。綺麗な装丁の本ではあったが、1989年に出された「歴史の終わり?」論文よりもだいぶ中身が暗いものになっていた。『歴史の終わり』は、フクヤマの師の一人で、シカゴ大学の哲学教授で保守派のアラン・ブルームの影響を色濃く反映していた。ブルームは、アメリカ社会が知的な相対主義とポップカルチャーの海に沈みつつあるとかなえた。そして、フクヤマは、1989年以降の民主政体の勝利もまたそれらによって脅かされると考えた。イデオロギー上の激しい戦いがなくなったことで、人々にとって政治は関心事ではなくなるだろうというのであった
フクヤマの新刊は彼のもう一人の師である、ハーヴァード大学の保守的な政治学者であったサミュエル・ハンチントンの影響を強く受けている。ハンチントンは『文明の衝突』によって世界的に知られている。しかし、彼の主要な関心は政治秩序にあった。政治秩序はどのように構築され、どのように崩壊するのかということに彼は関心を持った。ハンチントンは、より良い秩序を持つ社会に至る道筋には2つの危険なものが存在すると考えていた。より良い秩序に到達できない理由は、社会が血なまぐさい闘争と内戦が起きる条件を超越できないことと、ある型に固執して、新たな脅威や挑戦に対処できないことである。フクヤマはこの枠組みを民主的な秩序に関する問題に適用している。いくつかの社会では民主的で安定した秩序に到達できるのに、貴族政に留まる社会があるのはどうしてだろうか?そして、民主政治体制は直面する新たな脅威や挑戦に対処できるのであろうか?
最初の質問に答えるために、フクヤマは人間社会の起源にまで遡る。これを人類以前の歴史と呼ぶのはやり過ぎだと思われる。最初の数ページは猿のことが書かれ、それから初期人類の物語が書かれている。人類は常に緊密な関係を持つグループに組織化されている。ルソー流のパラダイスなど存在しなかった。精神的に自由な個人が原始的な森の中で自由に暮らしているなどと言うことはなかった。問題は最初の人類社会が人々の緊密過ぎる関係の上に成り立っていたということである。これらは基本的に親族関係を基にしたグループであり、フクヤマが「いとこたちの暴政」と呼ぶ状態を生み出した。人間は親族のためなら大体のことをやる。そして、親族でない人間に対してもたいていのことをやる(レイプ、強盗、殺人)。これが世界でいつも起きている争いから、大量の人間が死亡する規模な戦争までに共通する理由となる。
親族関係の陥る罠から抜け出す方法は国家(フクヤマは中央集権化した政治的権威と呼んだ)を作ることである。これには家族のしがらみを打ち破る必要があった。国家はフクヤマが考える政治秩序の基礎となる3つの柱の一つである。政治秩序にとって強力な国家だけでは十分ではない理由は、政治的な権力だけでは親族関係がもたらす問題を解決できないからだ。それどころか、政治権力が親族関係の利益のために使われてしまうことになる。
強力な支配者は自分の力を親族の利益のために使用する。このような現象は古代世界から現在のリビアまでを考えてみれば理解しやすい。従って、国家の統治には法の支配が必要となる。法の支配によって政治権力と腐敗には制限が加えられる。しかし、法の支配自体が政治秩序を不安定化させることもある。それは必要な時に国家が決定的な行動を取る能力を削いでしまうこともあるし、非国家組織に過度の自由裁量を与えてしまうこともあるからだ。よって、第三の原理である説明責任を負う政府が必要となるのだ。これは私たちが民主政治と呼んでいるものだ。民主政体では強力な国家は維持されるが、人々は支配者が間違いを犯した場合に彼らを交代させることができる。
フクヤマは私たちが政治秩序の3つの原理をそれぞれ別のものであり、別々に機能を果たすことができるものとして扱い過ぎていると考えている。もしくは、私たちは民主政体を賞賛するが法の支配がなければ社会の分裂を深めるだけだということを忘れている。また、私たちは法の支配を賞賛するが強力な国家がなければ政治的な不安定をもたらすことになることを忘れている。しかし、フクヤマは社会全体が同じ間違いを犯すとも考えている。フクヤマは良い政治秩序と「まあまあ良い」政治秩序との間を区別している。「まあまあ良い」政治秩序は政治秩序の3つの原理のうちの1つか2つが実現し、安全であるという幻想が存在する時に成立する。例えば、古代中国で強力な、中央集権的な国家が誕生したのは、西洋よりも早かった。国家が成立した理由は、長年にわたって続く内戦問題と戦うためであった。しかし、中国に誕生した国家は強力過ぎた。国家は領主を打ち倒したが、同時に初期市民社会や説明責任という考えを壊してしまった。従って中国は政治秩序確立に関しては西洋に先行していたが、それがまた遅れを生み出したのだ。それは、強力過ぎる権力はすぐに集権化した。そして、フクヤマはこれが現在の中国政治の独裁的な側面の理由であると確信している。
もう一つの国家はうまくいった部分とうまくいかなった部分があった。その国はハンガリーである。13世紀、イギリスでマグナカルタが成立して7年後、ハンガリーにも独自のマグナカルタ制定の時期が到来した(これは「黄金の雄牛」と呼ばれる)。貴族たちが王の示威的な権力に対して法的な制限を加えることができた。それでは、どうしてハンガリーは、イギリスのように自由と憲法に則った統治を確立できなかったのだろうか?それは、貴族たちが余りにも多くのものを手にしたからだ。彼らは王を弱体化させ過ぎ、自分たちが望むものは何でも手に入れることができ、何でもできるようになったからだ。これは、貴族たちが自分たちの親族を富ますために農民を搾取することができたということである。国家の力を無力化させてしまったために、ハンガリーの貴族たちは安定した政治秩序構築の機会を失い、自分たちの力を強大化させるだけにとどまったのだ。
フクヤマは、人類社会が政治秩序の構築に成功する方法よりも政治秩序の構築に失敗することの方に興味を持っている。彼が本当に答えたいと思っている疑問は、ハンガリーがどうしてイギリスのようにならなかったのかというものではなくて、イギリスがどうしてハンガリーのようにならなかったのかというものだ。彼の答えは基本的に幸運に恵まれるかどうかというものである。西ヨーロッパの端にあるイギリスで政治秩序の構築に成功したのは、いくつかの偶然が重なったためである。宗教、法律面での改革、才能に恵まれた行政官がうまくミックスされ、それに17世紀に起きた内戦と疫病によって人々は、そうした好条件をバラバラにしてしまうのは得策ではないと考えるようになった。
フクヤマは私たちに対して、良い政治社会というものは実現が難しく、多く尾条件が揃なければならないものであることを記憶して欲しいと思っている。しかし、彼はこのことからポジティヴなメッセージを導き出している。政治秩序を構築することは偶然の要素が多いということは、そこに行きつくまでには様々な経路が存在する。必ず政治秩序を構築できるという保証がある社会など存在しない。しかし、だからと言って、絶対に構築できないという社会も存在しない。中国であってもそうだ。このような積極的なメッセージには納得できないものも含まれているが、本書『政治の起源』全体の内容は興味深いものだ。フクヤマはどっちつかずの議論を行うことがよくある。政治秩序は基本的に、数世紀にもわたる政治闘争の結果生まれた偶然の産物である。しかし、そのことを知れば政治秩序を確立することはより容易になる。それはどのようにしたら可能か?それには、自分の運を良くすることしかない。更に言えば、政治秩序の話は、「ニワトリが先か、卵が先か」の話に集約される。イギリスは1688年に名誉革命を達成したが、それは、イギリスが比較的秩序が整った社会であったからだ。そして、私たちは、名誉革命によってイギリス社会が秩序だった社会になったと教えられる。
もう一つの問題は、フクヤマガ最初に提示した2番目の疑問に対して答えを提示していないことだ。安定した民主社会が一つの様式に陥ることを止めるものは何か?政治秩序は安易な自己満足と安全を生み出す。フクヤマはこれもまた3つの原理の上に成り立っている社会にとっても問題であることは認識している。しかし、3番目の原理が希望を与えてくれると主張している。政治的な説明責任の意味するところは、政府が失敗すれば、私が政府を変えることができるということである。しかし、これは上辺だけのことで建前であり、誰も信用していない。これはまるで政府が交代するということは、根本的な変化(気候変動、債務、中国の台頭)が起きている時に、デッキチェアを動かすくらいのことのように見える。『政治の起源』は2巻出るシリーズの1巻目である。そして、フクヤマによると、2巻目は、フランス革命から現代までを網羅した内容になるということである。1巻目はフランス革命までで終わっている。 しかし、このような野心的な本にはありがちだが、解決したいと思っている基本的な問題に対して、十分な回答を出せていない。フクヤマは現代の社会科学の言葉を借りて彼が本当に興味を持っていることを説明している。彼が興味を持っているのは、どのようにすればデンマークのような国にまで到達できるのか。つまり、安定していて、反映していて、現在世界最高のレストランがある国になるにはどうしたら良いのかということである。しかし、フクヤマが本書で描写している歴史はこの疑問に対する答えとはならない。王子の出てこない『ハムレット』のようなものなのである。
(終わり)



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