古村治彦です。
今回は、1月に出版予定の本の為に読んだ本の中身とそこから考えたことを書きたいと思います。
片山慶隆著『小村寿太郎 近代日本外交の体現者』(中公新書、2011年)という本を読みました。これは日露戦争時のポーツマス講和会議に日本側全権として参加した小村寿太郎(1855~1911年))の業績を詳しく紹介している本です。小村寿太郎については、記録文学・歴史文学の名手であった吉村昭著『ポーツマスの旗外相小村寿太郎』(新潮文庫、1983年)がありますが、こちらはポーツマス講和会議がメインで描かれていて、小村の駐清国公使、駐韓公使、駐米公使といった時のことは描かれていません。しかし、家庭的には不幸であったことは紹介されています。
小村は1901年から1906年まで、そして1908から1911年までの期間、それぞれ外務大臣を務めています。それぞれ第一次桂太郎内閣、第二次桂太郎内閣の時です。第一次桂内閣時に日露戦争が開戦され、ポーツマス講和条約に至る訳です。この両内閣の外相である時、小村が取り組んだのが韓国における日本の影響力の強化であり、韓国併合です。こうしたことは片山著『小村寿太郎』に詳しく書かれています。ここからは、これら2冊の内容を要約しつつ、文章を続けたいと思います。
日露戦争が勃発すると、日本は朝鮮半島に軍隊を送り、韓国を占領します。そして、1904年2月に日韓議定書を締結します。その内容は、第1条、韓国は、施政の改善に関し、日本の忠告を受け入れる、第2条、日本は、韓国の皇室を安寧を保証する、第3条、日本は、韓国の独立と領土保全を保証する、第4条、第三国の侵害により若しは内乱のため、韓国の皇室の安寧或いは領土の保全に危険ある場合は日本は必要な措置を取る。 日本は、その目的を達するため、軍略上必要の地点を臨検収用することができる。第5条は、両国政府は、相互の承認を経ずして本協約の趣意に違反する協約を第三国との間に訂立する事ができない」というものでした。日韓議定書の内容は、韓国が日本以外の国に国家の安全保障を依存できないようにし、日本が朝鮮半島に軍隊を置くことができるように
するものでした。小村は朝鮮半島を日本の勢力下に置くことを意図していました。そのために、外務次官に珍田捨巳、政務局長に山座円次郎、通称局長に杉村濬といった韓国勤務経験者を要職に配置しました。そして、日露戦争が始まるとすぐに韓国を完全に勢力下に置くために、日本軍がソウルを占領している間に日韓議定書を締結しました。
続く、1904年8月には第一次日韓協約が締結されましたが、ここで重要なのは、韓国が外交顧問として外国人を招聘すること、そして財務顧問を日本から招聘するという内容でした。外交顧問は外国人でしたが、実際には日本政府と長年関係の深かった米国人スティーブンスが、財務顧問には大蔵省主税局長の目賀田種太郎が就任しました。1905年に日本は閣議で、韓国の保護国化を決定しました。そして、同年11月には第二次日韓協約を締結しました。その内容は、「第1条、日本国政府は今後外務省により韓国の外交を監理指揮するため、日本の外交代表者と領事は外国にいる韓国人とその利益を保護しなくてはならない。第2条、日本国政府は韓国が他国と結んでいる条約を実行する立場となるため、韓国は今後日本の仲介無しに他国と条約や約束を交わしてはならない。第3条、日本国政府は代表者として韓国皇帝の下に統監を置く。統監は外交を管理するために京城に駐在し韓国皇帝と親しく内謁することができる。また日本は韓国の開港場などに理事官を置くことができる。理事官は統監の指揮の下で、従来韓国にある日本領事が持っていた職権の全てを執行し、また本協約を完全に実行するための一切の事務を担当しなくてはならない。第4条、日本と韓国との間にある条約や約束は本協約に抵触しないかぎり効力を継続する。第5条、日本国政府は韓国皇室の安寧と尊厳の維持を保証する」(ウィキペディアから)というものでした。これによって、韓国は独自の外交を行うことができなくなりました。そして、独自の外交を行う必要がないことから、在韓の外国公使館などの撤収が行われることになりました。
その後、小村寿太郎は第一次桂内閣の総辞職に伴い、外相を辞任します。そして、その年の6月に駐英大使となり、渡英します。しかし、そこでも彼の最大の欠点であった社交嫌いとマスコミ嫌いを十分に発揮してしまい、イギリス側に嫌われることになってしまいました。小村は動乱の時には力を発揮しますが、平時には全く役に立たない外交官であったと言うことができるでしょう。いつも本ばかり読んで、質素な生活(父親の残した借金返済のためにいつも汲々としていました)を苦にしないというのは美点ではありますが、外交官としては資質に欠けるところがありました。
それでも、1908年に第二次桂内閣が成立し、再び外相になります。その前年にハーグ密使事件が起き、その影響から第三次日韓協約が締結されていました。韓国の高級官吏の任免権を韓国統監が掌握し、また韓国政府の官吏に日本人を登用できることが取り決められました。更に、非公開の取り決めで、韓国軍の解散・司法権と警察権の日本への委任が定められました。韓国はこの時に国としてのシステムを停止したということが言えましょう。
小村は、義兵による抵抗が収まらないなどの理由から、更なる韓国支配を目論み、韓国の併合を意図しました。小村は桂首相とともに、伊藤博文韓国統監(韓国併合には反対の姿勢を取っていました)を説得し、1910年、日韓併合条約を締結しました。「韓国皇帝が大韓帝国(韓国)の一切の統治権を完全かつ永久に日本国皇帝に譲与する」という一節は有名です。小村は満州支配と朝鮮半島支配を通じて、ロシアからの脅威を避けようという意図のもとに、このような「帝国主義的」とも言える外交政策を行いました。その結果が太平洋戦争にまで至り、日本を亡国へと導いたという議論もあります。そして、現在まで続く日中韓の間の軋轢の原因になっているという主張もあります。
私は、そのような議論や批判はもっともだと思います。しかし、歴史を見ることで、現在をよりよく理解できるという立場から、次のような考えを持っています。それは、この韓国併合に至るまでの道のり(日韓議定書→第一次日韓協約→第二次日韓協約→第三次日韓協約→日韓併合条約)は、一国の存在を滅ぼすためにはどのような手段で、どのような方法でやるのかということを私たちに示している、ということです。
この歴史的な教訓から見ると一国の存在を滅ぼすには、①被支配国に行政を行う能力がないと決めつけること、その国の無能さが地域の平和に悪影響を及ぼすと断定すること、②外交と財政において、支配国の意向に沿わせること、③被支配国の外交権を奪うこと、④被支配国の統治権を奪うことの4つの段階を踏むようです。
現在は、日韓併合時代のような、国の併合はないでしょう(対等合併ならば統一ということであるでしょうが)。それでも、この保護国化ということはあり得ます。いや実際にあるのです。それは、日本とアメリカの関係を見てみれば明らかです。2013年12月6日現在、日本版NSC法は成立し、特定秘密保護法の成立も時間の問題です。このような拙速な両法の成立には、アメリカの意図が大きく絡んでいます。アーミテージ・ナイレポートにあるように、アメリカとしては、安全保障(そして外交)の面で日本との間の相互運用性(interoperability)を高めたいとしています。相互運用性というのは、この場合、安全保障(そして外交)のアメリカ化、従米化を意味します。それでいくと、日本は、昔韓国に対してやったことを今、アメリカにされていると言えます。保護国と言えば聞こえは良いですが、これは属国化ですから、日本はアメリカによってどんどん属国化されている過程にあるのです。日本版NSCと特定秘密保護法はセットであると安倍晋三首相も述べていますが、この2つは、日本の外交権と安全保障をアメリカに差し出す(相互運用)ということなのです。
戦後、日本はアメリカの属国でした。しかし、それを人々に悟られないようにうまくカモフラージュできていました。しかし、最近になって、その属国化がどんどん露骨になっています。それは、アメリカ側の「焦り」を反映したものであろうと私は考えています。アメリカも既に衰退の兆候を見せ始めています。それを少しでも遅らせるために、日本を利用しようとしているのですが、時間がないために露骨さに拙速さも加わってきているのだと思います。アメリカは、アジア地域において、負担の大きい軍事を日本にある程度肩代わりさせながら、お金はもっと取る、そして美味しいところ、綺麗なところだけをいただくということを考えているのだと思います。これは日本が疲弊し尽くすまで続くでしょう。
ここはひとつ、日本も忍耐で、相手が倒れるのを世代という長いスパンで待つという態度を取る、面従腹背の態度を取るというズルさを発揮すべきではないかと思います。しかし、現在の国政の場には米政翼賛会(U.S. Rule Assistance Association of Japan)の人々しかいないのです。これは大変厳しい状況であり、まずはこの状況の改善から始めなければなりません。
(終わり)

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