古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

2015年03月



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 イスラエルのネタニヤフ首相の連邦議会演説、総選挙前と当日の人種差別を煽る発言とこれまで積み上げてきたパレスチナ国家樹立をすべて否定する発言、それ以降の動きについて、ホワイトハウスの大統領首席補佐官デニス・マクドノウと、ジョージ・HW・ブッシュ(父)政権時代に国務長官を務めた重鎮ジェイムズ・ベイカーが同じ場所で語った内容について、ご紹介します。

 

 2人は、左派的な親イスラエルのロビー団体Jストリートの年次総会に出席し、演説を行いました。二人の話した内容はほぼ同じですが、それは、2人が所属する政党は違えども、外交政策に関しては「リアリスト」的な立場を同じくしているからです。

 

 日本でリアリストと言うと、中国や北朝鮮と戦争をやるんだというようなことを言う声の大きなオヤジ、という感じですが、本当のリアリストは、慎重に国益を判断し、現状から最善の結果を導き出す考えをする人たちです。私が拙著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)で取り上げた、また副島隆彦先生の最新刊『日本に大きな戦争が迫り来る』(講談社、2015年)で分析の枠組として使われた、共和党のネオコン、民主党の人道主義的介入派はそれぞれアメリカと西洋文明の理想を世界に広めて「アメリカ版・八紘一宇」の世界を作り上げようとする人たちです。理想のために現実をいじくることはとても危険なことです。しかし、それをやりたがって、悲惨な結果を招くことを何とも思わない人たちです。

 


 私が拙著『アメリカ政治の秘密』で取り上げたように、オバマ大統領の外交政策の理想は、同じ民主党の歴代大統領ではなく、どちらかと言うと人気がなかったジョージ・
HW・ブッシュ(父)大統領時代のものです。このこともきちんと押さえておく必要があります。

 

 私は2015年から定期的に「副島隆彦の学問道場(http://www.snsi.jp/tops/entry)」内の「今日のぼやき」に寄稿することになりました。このリアリストについても「今日のぼやき」で近々論稿を発表したいと思います。恐らく、会員(年会費が一般1万円、学生6000円、困窮者には救済制度もあります)しか読めない場所に掲載されると思いますが、ご興味がある方は是非会員になって、お読みいただければと思います。宜しくお願い申し上げます。

 

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ホワイトハウスはネタニヤフの謝罪ツアーに何の印象も受けず(White House Not Impressed by Netanyahus Apology Tour

 

ジョン・ハドソン、デイヴィッド・フランシス筆

2015年3月23日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/03/23/white-house-not-impressed-by-netanyahus-apology-tour/

 

 イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは、月曜日(3月23日)、謝罪ツアーを継続した。イスラエルのアラブ系国民に対して、パレスチナ国家樹立につながる和平合意に対する支持を撤回すると選挙日当日に発表したが、これは有権者の不安感と恐怖感を煽るための戦術ではなかったと弁解した。しかし、ホワイトハウスは今でも懸念を持ち続けており、ベンヤミン・ネタニヤフの発言をすぐに忘却することはないだろうとある高官は述べている。

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ホワイトハウスの大統領首席補佐官のデニス・マクドノウは、ハト派の親イスラエル・ロビー団体Jストリートがワシントンで開催した年次総会に出席し、「これらの発言がなされなかったというふりをすることはできない」と発言した。更には、「総選挙後、ネタニヤフ首相は自分自身の立場を変えていないと発言した。しかし、イスラエル国民の多くと国際社会は、彼の矛盾に満ちた発言を聞くことで、彼の2国共存による解決への関与に関して甥なる疑問を持たざるを得ない状況になっている」とも述べた。

 

マクドノウは続けて、「パレスチナの子供たちは、イスラエルの子供たちと同じく、自分たちの土地で自由を享受する権利を持っている」と述べた。

 

 ネタニヤフがイスラエル国内の少数派の指導者たちを集めた会合で、選挙前にパレスチナ国家樹立を認めないこと、「アラブ人たちが投票所に押し寄せる」と警告を発したことに関して謝罪した。

 

 『エルサレム・ポスト』紙は、ネタニヤフが「私が数日前に発言した内容でイスラエル国民、アラブ系のイスラエル国民の中に感情を害した人々がいることは分かっている。こうした人々の感情を害することは私の意図ではなかったし、申し訳なく思う」と発言したと報じている。

 

 ネタニヤフが発言内容を撤回したのは、2015年3月19日で、MSNBCのアンドレア・ミッチェルに対して、彼自身は「平和的な」2国共存による問題解決を望んでいるが、「そのためには環境が変化しなければならない」と発言した時からだ。

 

 マクドノウは、「アメリカは和平プロセスに対する私たちのアプローチを再考する」というホワイトハウスの立場を繰り返した。これは明瞭な言葉ではないが、アメリカ政府はイスラエル・パレスチナ紛争を国連の場に持ち出すことを示唆する脅しであった。イスラエル政府はこのような動きには徹頭徹尾反対してきた。

 

 オバマ大統領の片腕、デニス・マクドノウは、イスラエルが永続的にヨルダン川西岸地区とガザ地区とを占領し続ける、1国主義的な解決法を、アメリカは「決して支持することはない」と改めて強調した。マクドノウは「イスラエルが、他国の人々を完全に軍事力によって統制し続けることなど不可能なのだ」と発言した。マクドノウは包括的な和平合意を結ぶことが、国連やその他の機関においてイスラエルを孤立させ、経済制裁を加えようとする試みに対しての「致命的な一撃」になるのだと強調した。

 

 現在行われているイランとの核開発を巡る交渉について、マクドノウは最近47名の共和党所属の連邦上院議員たちが署名した、イランの最高指導者に宛てた公開書簡を引き合いに出し、オバマ大統領が結ぶいかなる合意をも避妊できる連邦議会の力に対して憂慮を示した。

 

 マクドノウはリベラルな考えを持つ聴衆に対して、「私たちは外交に成功するチャンスを与える必要がある(We have to give diplomacy a chance to succeed)」と述べた。聴衆は共和党の連邦上院議員たちが発表した公開書簡に話が及ぶと大きなブーイングを発し、不満の意を露わにした。

 

 月曜日、連邦下院外交委員長エド・ロイスは別の書簡を発表した。これには民主、共和両党の367名の連邦議員たちが署名をした。彼らはイランの核開発を巡る交渉から派生して起きる「致命的かつ緊急の諸課題」について懸念を持っていた。3月20日付でオバマ大統領宛てに出された書簡では、イランのウラニウム濃縮プログラムの規模と、イラン政府の国際原子力機関に対する極めて非協力的な態度に関する懸念が書かれていた。

 

 マクドノウは、アメリカはイランが核兵器を所有できないようにこれからも努力を続けると強調した。しかし、同時に、ホワイトハウスは現在行われている交渉に対して連邦議会が介入しようとして行ういかなる試みに対しても、拒否権を使って対抗するとも述べた。

 

(終わり)

 

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ジェイムズ・ベイカーは、ネタニヤフよりも厄介だったイスラエル首相との思い出話を語った(James Baker Recalls An Israeli Prime Minister More Difficult Than Netanyahu

サマンサ・ラクマン筆

2015年3月23日

『ハフィントン・ポスト』紙

http://www.huffingtonpost.com/2015/03/23/james-baker-j-street-_n_6928042.html

 

 ワシントン発。元国務長官ジェイムズ・ベイカーは月曜日、アメリカとイスラエルとの間の関係が低調である現在であっても、イスラエル・パレスチナ間の紛争のための2国共存による解決について「楽観的である」と発言した。

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 ベイカーは、左派のイスラエル・ロビー団体Jストリートの年次総会で基調講演を行った。この中で、ベイカーは、イスラエルの指導者たちと関わった自分自身の経験から、ネタニヤフ首相とバラク・オバマ大統領が現在の低調な両国関係を乗り越えることが出来れば、中東における和平はまだ実現可能だと述べた。ベイカーはジョージ・HW・ブッシュ元大統領に仕え、現在は共和党の米大統領選挙の有力候補ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事に助言を行っている。

 

 ベイカーは、和平合意が出来なければ、「衝突は継続」するとし、「私は現在も楽観している。私は自分が慎重に事態を見ていることを強調しておきたいが、それでも楽観している。それは、2国共存が実現しなければ、イスラエルの将来は厳しいものとなると考えているからだ」と述べた。

 

 共和党側はオバマ大統領が不当にネタニヤフを攻撃していると批判しているが、ベイカーはこうした批判は的外れだと述べた。

 

 「世界中の誰もアメリカのイスラエルに対する関与の深さを疑うことなどできない。現在もそうだし、未来においてもそうだ」とベイカーは述べた。

 

 ベイカーは自身が国務長官在任当時の、イスラエル首相イツハク・シャミルとの緊迫した外交関係についての思い出話を語った。彼は、「自分が国務長官の時には緊張した瞬間があった」と述べ、それでもイスラエルとアメリカの同盟関係が政策の不一致を乗り越えることが出来たと話し出した。ベイカーは1991年に起きたシャミルとの対立について語った。この当時、ソヴィエト連邦の崩壊に伴って多数のユダヤ人たちがイスラエルへの帰還を果たしていた。それに対して、アメリカ政府は100億ドルの住宅ローン保証をイスラエルに与えるとしたのだが、それにはシャミルがこのお金をヨルダン川西岸地区へのユダヤ人入植地建設には使わないと確約することをベイカーとブッシュは条件とした。

 

 「私はアメリカ・イスラエル関係に関して最初はその複雑さに驚き、それから常に論争が起きることに気付いた。私はブッシュ大統領が行ったことは正しいと考えた。これは今も変わらない」とベイカーは述べた。

 

 ネタニヤフが総選挙前に2国共存による解決を支持しないと発表したことを受けて、オバマ政権は、紛争解決のためのアプローチを再考しているが、このことについて、ベイカーは総会の出席者たちに対して、ネタニヤフはアメリカにとって最も扱いにくいイスラエル首相という訳ではないと述べた。ベイカーは、その当時イスラエルの外務次官を務めていたネタニヤフに対して国務省への出入りを禁止しなければならなかったと思い出話を語った。その理由について、ベイカーは、「彼がアメリカの中東に対する外交政策は、“嘘と歪曲”の上に成り立っていると述べたからだ」と語った。

 

 ベイカーは次のように述べた。「皆さんに申しあげたいのは、25年前、イツハク・シャミルはベンヤミン・ネタニヤフを“柔らかすぎる”と評したことだ。これは、ネタニヤフが若くして首相になった時にシャミルが述べた発言だ。アメリカとイスラエルの国益は常にぴったり一致する訳ではない。全く別のものになるということはこれからもあるだろう」

 

 ネタニヤフの行動は「彼の発言内容と一致してこなかった。入植地の建設は勢いが衰えないままに継続されている」とベイカーは指摘した。しかし、同時に、オバマ大統領とネタニヤフ首相は両者の争いを「悪化」させてはならないとも述べた。

 

 イランの核開発を巡る交渉について、「完璧な(perfect)」合意内容の達成をあくまで求めることには懸念を示した。ネタニヤフは連邦議会の演説でアメリカとイランの交渉の道筋について反対を表明した。

 

 ネタニヤフは次のように語った。「ウラン濃縮をイラン側が行わないこと、これ以外に合意は存在しない。アメリカもイスラエルも、本来の目的を忘れて本末転倒のことをすべきではない(not led the perfect be the enemy of the good)」。(←この英語の言葉がリアリストの真骨頂だと思います。訳者註)

 

ベイカーはまた、オバマ大統領は、必ずしも必要ではないにしても、イランとのいかなる内容の合意を結ぼうともそれについて議会の承認を得られるように努力すべきだ。

 

 Jストリートの年次総会でのベイカーの演説は、Jストリートがイスラエルのヨルダン川西岸地区の占領に対して批判的すぎると考える保守派の人々からは批判された。

 

(終わり)








 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 2015年2月16日、NHKはニュース番組の中の特集のコーナーで、1946年2月16日から政府が行った「預金封鎖」を取り上げ、詳しく報じました。江崎大輔記者という人が主に取り組んだ特集のようです。

 

私たち戦後生まれ世代も歴史の事実として、「預金封鎖」と呼ばれる、突然自分の銀行口座から自由に現金が引き出せなくなる措置が政府によって行われたことは知っています(ちなみに現在のATMでの引き出し額制限も緩やかな「預金封鎖」であると私は思います)。

 

 私たちが習ったのは、「悪性インフレ(その例として第一次世界大戦後のドイツのマルク紙幣の話を習います)を抑制するために、預金封鎖をして、世の中に出回る通貨の量を減らしたのだ」ということです。しかし、以下の特集内の報告にあるように、インフレは解決されず、預金封鎖が解除された時には、預金の価値はがた減りしていたということです。取材に協力している大阪市立大学名誉教授の林直道氏は、預金封鎖中は現金が自由に降ろせずにそこらに生えている草まで食べ、封鎖が解除になったら、預金の価値がなくなっていたことをなまなましく証言して言います。私たちは人生の先輩のこうした証言を真剣に聞かねばなりません。

 

 特集では、預金封鎖の目的として、「財産税徴収の前提となる国民の資産把握」があったということを明らかにしています。戦時中の国債発行(国が国民に借金をしたこと)で、政府の債務は膨大な額となりました。そこで、政府は、国民に借金を返すために、国民から税金を取り立てることにした、というなんだかよく分からない、自家撞着の話になりました。特集の中で、当時の大蔵省幹部の呆れるほど傲慢な発言が取り上げられています。

 

(引用はじめ)

 

『“天下に公約し国民に訴えて発行した国債である以上は、これを踏みつぶすということはとんでもない話だ” “取るものは取るうんと国民から税金その他でしぼり取る。そうして返すものは返す”』。

 

『「一億戦死」ということばがある。みな一ぺん戦死したと思えば、相続税を一ぺん位納めてもいいじゃないか』。

 

(引用終わり)

 

 国民も確かに戦争を望んだ面があったかもしれませんが、それはマスコミ(政府によって利用された)に煽られた面があります。しかし、誰も米英などと戦争をしたい、戦争をして勝てるなんて思っていなかった訳です。勝手に自殺的な戦争を(天皇の意志をもある意味踏みにじるようにして)勝手に初めて、国民を殺すだけ殺して、それで「一億総戦死だ(自分たちは死なないけれど)」などと放言するのが官僚の真骨頂であり、これは21世紀でも30世紀でも不変でしょう。

 

 私は更に「預金封鎖」には、次のような目的があったと考えます。

 

①負債の重さを軽くするには、インフレが進行させれば良い。ですから、「インフレ退治」を名目にしているが、政府はインフレを進行させるつもりでいたと考えます。②しかし、インフレで生活が苦しい庶民たちの不満が過激思想(共産主義など)に結びつくことを恐れた。③そこで、戦前に社会革新を唱えた革新官僚たちは、このインフレを使って、「革命を実行しよう」と考えたのだと思います。戦前からの財産家たちを没落させて、社会革新を行って社会の平等化を進めようとしたのだと思います。国民の殆どは資産なんかありませんから、預金封鎖はある程度の資産家たち(大富豪たちは逆に助けてもらえたのでしょう)を狙い撃ちにして、表面的な「平等社会」(大富豪たちの存在は見えない形になっている)が官僚たちによって作り上げられたのだと思います。

 

 こうして考えると、現在の状況は70年前とよく似ています。そこで、再び、官僚による「革命」が起きる可能性があります。その時、庶民はお金なんかありませんから、体や労働力を、そして財産家たちは財産を取り上げられるのだろうと思います。

 

 国家(官僚たち)は私たち国民に寄生し、食い殺す存在です。パラサイトであり、プレデターなのです。そのことをNHKの特集は教えてくれました。

 

 

(転載貼り付けはじめ)

 

“預金封鎖”の真実

 

218 1755

江崎大輔記者

http://www3.nhk.or.jp/news/web_tokushu/2015_0218.html

 

終戦後間もない昭和21年2月16日、時の日本政府は預金の引き出しを厳しく制限する「預金封鎖」を突然発表しました。

 

日本経済を襲った猛烈なインフレを抑えるためだと国民に説明された「預金封鎖」。

しかし、その政策決定過程を検証していくと、現代の日本にも通じる深刻な財政問題が底流にあったことが見えてきました。

 

特別報道チームの江崎大輔記者が取材しました。

預金封鎖で国民生活は

 

突然通告された預金封鎖を国民はどう受け止めたのか。

当時のことを証言してくれる人を探すなか、私は、兵庫県芦屋市に住む大阪市立大学名誉教授の林直道さんにたどり着きました。

 

現在91歳の林さん。

 

当時は22歳の学生で大阪で母と姉の3人で暮らしていました。

 

当時、一家の蓄えは3万円ありましたが、「預金封鎖」で突然自由に引き出せなくなり、途方に暮れたといいます。

 

特に、手持ちのお金が不足したことで、ただでさえ足りなかった食料がさらに手に入りにくくなり、川の堤防に生えている草をゆがいて、ごく僅かのご飯とともに食べたこともあったと、当時の窮状を語ってくれました。

 

林さんは「封鎖」の印が押された当時の通帳を今も保管していて、預金封鎖について「突然の発表に仰天し、恐怖感すら抱いた。こつこつ貯めたお金が使えないということは本当につらかった」とも語っていました。

 

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預金封鎖はなぜ断行された?

 

日本政府が預金封鎖を発表したのは今から69年前、昭和21年2月16日でした。

 

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当時の日本は、物資や食料が極度に不足し猛烈なインフレが起き、経済は破綻しかねない状態にまで追い込まれていました。

そこで政府は流通するお金の量を強制的に減らしインフレを抑えこもうと預金封鎖を断行しました。

 

時の大蔵大臣、渋沢敬三氏は「政府はなぜこうした徹底した、見ようによっては乱暴な政策をとらなければならないのでしょうか。それは一口に言えば悪性インフレーションという国民としての実に始末の悪い、重い重い病気を治すためのやむをえない方法なのです」と呼びかけ、国民に理解を求めました。

 

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預金封鎖後、物価上昇の動きは弱まりました。

 

しかし、それはあくまで一時的で、その後、インフレは収まるどころか、逆に加速していきました。

 

その結果、預金は封鎖された2年余りの間に価値が大きく毀損しました。

林さんは「何十年もかけて貯めてきたお金なのに、数か月分の生活費しか残らなかった。 戦時中、そして戦後も国民はさんざんな目に遭った」と憤りを隠しません。

 

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預金封鎖もう1つのねらい

 

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国民生活を混乱させ犠牲を強いた預金封鎖。

 

この手荒い措置がどう決まっていったのか。

 

私は政策決定過程を検証しようと財務省に情報公開請求を行い、当時、非公開とされた閣僚や官僚の証言記録を入手しました。

 

すると、インフレ対策とは別に、もう1つのねらいがあったことが見えてきました。

それが如実に記されていたのが、渋沢大臣の証言記録です。

 

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この中で渋沢大臣は大蔵官僚だった福田赳夫氏から『通貨の封鎖は、大臣のお考えでは、インフレーションが急激に進みつつあるということで、ずっと早くから考えていられたのでございますか』と問われたのに対し、『いやそうではない。財産税徴収の必要から来たんだ。まったく財産税を課税する必要からだった』と答え、預金封鎖に込めたもう1つのねらいを吐露していました。

 

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渋沢氏が語った“財産税”とは? それは、国が戦争で重ねた膨大な借金の返済を国民に負わせる極めて異例の措置でした。

 

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「国債を買って戦線へ弾丸を送りましょう」。

 

政府は戦時中、国民に国債の購入を促し、国債を大量に発行しました。

その結果、政府の債務残高=借金は急増し、終戦前の昭和19年度末には対国民総生産比204%にまで膨らみ、財政は危機的状況に瀕しました。

 

このため政府は、借金返済の原資を確保しようと国民が持つ預貯金のほか、田畑、山林、宅地、家屋、株式など幅広い資産に25%から最高90%の財産税(対象10万円超)を課税することを決めたのです。

 

ただ、財産税を課税するには対象となる国民の資産を詳細に把握する必要がありました。

つまり、預金封鎖には、財産税徴収の前提となる資産把握のねらいもあったのです。

 

大蔵官僚の証言記録からは財政再建のためには国民負担もやむをえないという当時の空気がうかがえます。

 

『“天下に公約し国民に訴えて発行した国債である以上は、これを踏みつぶすということはとんでもない話だ” “取るものは取るうんと国民から税金その他でしぼり取る。そうして返すものは返す”』。

 

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さらに、戦時中を思わせるようなことばもあります。

 

『「一億戦死」ということばがある。みな一ぺん戦死したと思えば、相続税を一ぺん位納めてもいいじゃないか』。

 

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東京・北区にある旧古河庭園も財産税で国に徴収された資産の1つです。

 

申告された財産税の税額は国全体でおよそ400億円に上りました。

 

預金封鎖と財産税を決めた渋沢氏は後にNHKの番組で、「国民に対してこんなに申し訳ないことはないと思う。焼き打ちを受けると思うぐらいの覚悟をした」と振り返っています。

 

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預金封鎖現代への教訓

 

預金封鎖から69年。

 

国民の負担のもといったん改善した財政は、バブル崩壊後、経済対策として繰り返された財政出動、そして高齢化の進展による社会保障費の増大で再び悪化の一途をたどっています。

 

国の借金は今年度末に1100兆円を超え、対国内総生産比232.8%にまで膨らむ見込みです。

 

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日本総合研究所調査部の河村小百合・上席主任研究員は、当時と今では状況が大きく異なるとしたうえで、「国として負った借金というのは国民の借金であり、万が一、うまくまわらなくなれば間違いなく、国民にふりかかってくる。厳しい財政状況を国全体としてきちんと受け止める必要がある」として、悪化し続ける国の財政状況に警鐘を鳴らしています。

 

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ことしは戦後70年にあたります。

 

今回の取材で私は、林さんが「戦争は絶対にするものではない」と話していたことが強く印象に残りました。

 

なぜ日本は借金を重ねてまで戦争を続けたのか?その借金のつけをなぜ国民が負わなければならなかったのか?当時を証言できる人が年々少なくなっていくなか、いち記者として歴史の事実を取材し、伝え続けていかなければならないと深く考えさせられました。

 

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「預金封鎖」と「財産税」は、今では考えがたい措置で、経済大国となった現代の日本と当時とを安易に重ね合わせるわけにはいきません。 しかし、日本の財政が今、先進国で最悪の水準まで悪化していることを考えると、歴史上の出来事だと片づけてはならない問題だともいえます。 政府は、この夏までに今後5年間の財政健全化計画を策定することにしています。 歴史の教訓を肝に銘じ、同じ過ちを2度と繰り返さないよう現実を直視することが、現代を生きる私たちの責務ではないでしょうか。

 

(転載貼り付け終わり)

 

※2分過ぎ頃から番組内容が視聴できます 
 

(終わり)











 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12






野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 古村治彦です。

 

 2015年3月23日、シンガポールの建国の父であるリー・クアンユー元首相が91歳で亡くなりました。謹んでご冥福をお祈りします。


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 今回記事を書いている、パラグ・カンナについてですが、私は『ネクスト・ルネサンス』(講談社、2011年)という本を翻訳しました。若手の国際政治学者です。

 


 リー・クアンユーについて、そしてシンガポールについて、この論文を通じて学んでいきたいと思います。

 

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リー・クアンユーのライオン・シティーよ、永遠なれ(Long Live Lee Kuan Yew’s Lion City

―シンガポールを長年にわたって率いた指導者が亡くなった。しかし、彼の考えは彼が作り上げた国でこれからも生き続けることだろう

 

パラグ・カンナ筆

2015年3月22日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/03/22/long-live-lee-kuan-yew-s-lion-city-singapore/

 

 ヘンリー・キッシンジャーは彼を「歴史上の非対称」と呼んだ。マーガレット・サッチャーは「彼は決して間違わなかった」と言った。バラク・オバマは彼を「アジアにおける伝説的な人物の一人」と呼んだ。トニー・ブレアは「私がこれまで出会った中で最も優秀な指導者」だと語った。サミュエル・ハンチントンは、彼は20世紀の「優秀な建設者」の一人だと述べた。

 

 シンガポールの建国の父リー・クアンユーが2015年3月22日に亡くなった。彼について言えることは単純なことである。それは、21世紀において彼は最も称賛される指導者の一人だということだ。

 

 リーはこの8月に迎えるシンガポール建国50周年まで数カ月を残して亡くなったことを残念に思っていることだろう。しかし、彼が1959年から1990年まで率いた国シンガポールが植民地から独立した国々の中で最も成功を収めた国であることを知りながら安らかに眠りについたかもしれない。ペルシア湾岸地域の諸王国はうわべだけ立派だが、戦争、クーデター、石油価格の低落に苦しんでいる。アフリカは植民地時代の傷を癒すのに半世紀を要している。インドはようやく力を結集して経済成長を始めたばかりだ。更に言えば、シンガポールは経済成長を遂げた。1965年の一人あたりのGDPは516ドルであったが、現在では5万5000ドルにまでなっている。

 

 シンガポールは元植民地の国々と自国を比較することを止めて久しい。シンガポールは、競争力、住みやすさ、義塾革新、その他の指標で世界のトップグループに入っている。シンガポールはサウジアラビアよりもスイスに近い。最近、ある西洋人のジャーナリストがシンガポールに仕事で赴任した。彼はシンガポールの切れ目のない効率性、伝説的な清潔さ、超高層ビルと浜辺の適切な混合に魅了されていった。彼と私がお酒を飲んでいる時、彼は「近代性は今や東から始まり、西に流れている」と呟いた。私も2年前に事実上のアジアの首都シンガポールに居を移したが、同じことを感じている。シンガポールは驚くほど住みやすい都市だ。飛行機で4時間の範囲に40億人が住んでいるのである。(情報公開:私はこれまでいくつかのシンガポール政府の各部署と企業の有給の顧問を務めている)

 

シンガポールは、1963年にイギリスから、1965年にはマレーシアから独立した。独立当時、リーが参考にすべき国家建設モデルはほぼ存在しなかった。1950年代と60年代、リーはスリランカからジャマイカまで各国を訪問し、イギリスの元植民地の国具で真似ることが出来る国を探した。幸運なことに、リーは全く別のモデルを選んだ。彼はオランダの都市計画と埋め立て、石油・天然ガス会社最大手のロイヤル・ダッチ・シェルの経営構造、シナリオを中心とした戦略作成を学ぶ決心をした。「シンガポールは世界で最もうまく経営されている会社だ」とよく冗談のネタにされている。こんな冗談がうまれるのもリー・クアンユーがいたからだ。

 

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 アジア的な方式は借りることと改善することで成り立っていると考えられている。リーはそれをかなりうまくやってのけたのだ。その一つがイスラエルの徴兵制である。しかし、彼はまたシンガポールで生み出し世界で真似られているオリジナルのそして革新的な政策を実行した。交通渋滞を緩和するための電子道路課金システムはロンドンとストックホルムで利用されている。一方、エストニアと韓国では個人特定パスワードであるシングパスの自国版を利用している。これはデジタル身分認証システムで、政府のデータとサーヴィスをインターネットで利用できる。

 

 シンガポールは人口当たりの大富豪の割合が最も高い国の一つである。収入格差は大きいままだ。しかし、シンガポールで最低の収入層で生まれ、トップの収入層にまで上昇する人々の数はアメリカの2倍になる。コロンビア大学経済学教授ジョセフ・スティグリッツは、2013年に有名な記事を発表した。この中で、アメリカはシンガポール様式の効果的な公共住宅と年金システムの必要性を強調した。


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 リーはシンガポールを東京に次いで世界第2位(エコノミスト・インテリジェンス・ユニット調べ)の安全な大都市に作り上げた。「法と秩序」の順番は逆だとリーは主張した。秩序が最初に来て、法は次だというのだ。もちろん、リーにとって秩序は公共の安全と政治の予測性が高いことを意味していた。リーはイギリスのケンブリッジ大学で法律家としての訓練を受けた。リーは政治の世界に入って来て自分のライヴァルになりそうな人物たちを躊躇なく排除した。作家、大学教授、ジャーナリスト、法律家、批評家といった人々が排除された。彼らは破産させられたり、投獄されたりした。もっと酷い場合には破産させられた上に投獄された。西洋諸国のマスコミがチューインガムと落書きに対する厳しい罰則に目を向けている間に、リーは政治的なライヴァル、チー・スウンジュアンとJB・ジェイアレトナムを排除した。

 

リーは頑固であったが、それまでのやり方を変化させることを恐れなかった。社会主義からリバータリアニズムまで、彼は、シンガポールにとって適切なモデルを見つけるまで、実践的に思想の良い部分を取り入れた。このモデルが、自由奔放に動き回る乳母国家(freewheeling nanny state)である。彼はこの複雑な世界において矛盾を恐れてはならないと考えた。彼が残した有名な言葉に「私は常に正しくあろうとしたが、それは政治的な正しさという意味ではない」がある。

 

リーは権力の継承者を探すのに苦労した。まず、1990年から2004年まで首相を務めたゴー・チョクトンに権力を譲った。その次にリーの息子であるリー・シェンロンが首相になった。リー・クアンユーは、彼個人ではなく、シンガポールのシステムに対して世界が注目することを望むだろう。リー・クアンユーが存命中であれば、彼が力強い実力者であるか、目立つ人物であるかについて考えることも良いだろうが、今では、基準となっているのは、個人や個性ではなく、機構なのである。リー・クアンユー主義はリー・クアンユー個人ではない。これこそは、リー・クアンユーが21世紀を象徴する人物である理由であり、西洋民主政治体制の象徴的人物であるトーマス・ジェファーソンやヨーロッパ連合の創設の父ジャン・モネが21世紀を象徴する人物ではないことの理由でもある。

 

 20世紀、超大国がブロック化し、それぞれが争っていた。21世紀は自治都市国家と州(省)が数多く共存する時代である。約150の国々は人口1000万人以下である。こうした国々の指導者たちは、ワシントン(アメリカの首都)、ブリュッセル(EUの中心)、北京(中国の首都)ではなく、シリコンヴァレー、ドバイ、シンガポールに目を向け、インスピレーションを受けている。

 

 当時の中国の最高指導者鄧小平は、1978年、シンガポールを訪問した後に深圳経済特区を創設した。30年に及ぶ前代未聞の中国の近代化がここから始まった。これ以降、シンガポールは、中国全土に工業化された都市を建設し、統治する際に参考となってきた。インドの政府高官たちはインド首相ナレンドラ・モディが選挙期間中に100の「スマート都市」建設を公約に挙げるのを手伝った。21世紀は都市化の世紀であるが、世界第1位、第2位の国家がそれぞれ、シンガポールのような繁栄した都市の集合体として主権国家になろうとしているのだ。

 

 シンガポールには統治がある。シンガポールのスタイルは、西洋諸国の政府が行っているようなひどい行き当たりばったりの対処は言うまでもなく、テクノクラートをうまく使い、現代の民主政治体制の欠点を少なくすることは明らかだ。シンガポールのスタイルが持つ解決法、それは、データ主導の統治であり、実力主義の公務員システムである。

 

シンガポールの公務員システムは螺旋階段のようなものだ。各段階で公務員たちは、全く別の省庁でキャリアを積み、幅広い知識と実戦的な経験を積む。対照的に、アメリカ政治はエレベーターみたいなものだ。ある人がシステムの一番下に入って、そこから一気にトップにまで行くことが可能なのだ。その間で学ぶべきことをスキップすることが出来るのだ。選挙前、選挙期間中、選挙後、国民に対して常に問いかけ、主要な指標で進歩を測定することがシンガポールの特徴なのである。そこにあるのは政策であって、政治ではない。

 

現在、シンガポールの最高指導部は、「情報国家(info state)」と私が呼ぶ適応力の高いモデルを構築中である。このモデルでは、データと民主政治体制を混合した形での統治が行われる。データは、シンガポールの「スマート国家」戦略において具体化されている。この戦略では、全ての国民が年金から納税までをそれぞれの持つモヴァイル装置で行えるようにするというものだ。

 

 民主政治体制の構築は進行中である。2011年、与党人民行動党は得票で過半数を得られなかったが、何とか議会で過半数を維持した。2016年、有権者たちは政治的な多様性をより推し進めていくだろう。政治的な多様性の欠如のために、シンガポール国民の「幸福度」調査の結果はいつも低いものとなっている。本当のところは、シンガポール国民は他の国々の人々同じく位に幸せではあるが、決して満足している訳ではない。建国の父と同じくらいに、若いシンガポール国民は矛盾を抱えている。彼らは不平不満を漏らす完璧主義者でありながら、野心的な怠け者である。リーは、複雑になり続ける世界における創造的な問題快活者である。シンガポール国民の次世代は、リー・クアンユーのようにならねばならない。これからのシンガポールはリー・クアンユーと同じくらいに時代を象徴する存在となっていくのだから。

 

(終わり)














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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 古村治彦です。

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 副島隆彦先生の最新刊『日本に恐ろしい大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社、2015年)を皆様に強くお勧めします。

  


 先日、入手し、さっそく読み始め、読了しました。この本はアメリカ政治情報と分析だけでなく、ヨーロッパ、中東と東アジアの分析まで含まれた広範な内容になっています。2013年から2014年までの世界の動きを概観し、重要な動きを分析し、そこから得た結論がタイトルとなっている「日本に恐ろしい大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る」ということになります。「戦争?そんなアホな」と思っておられる方々は、タイトルを見ただけで「与太話」の本だと思って忌避されるかもしれませんが、俗に言う「騙されたと思って」読んでみてください。目からうろこの情報と分析が満載です。

 

 拙著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)で私が提示した枠組である、共和党の「ネオコン」と民主党の「人道主義的介入派」対「現実主義派」を副島先生も発展させた形で本の中で使っておられたので、私としては、大言壮語をするつもりはありませんが、とても誇らしく思っています。更には、2016年の米大統領選挙の分析でも、私がこのブログでご紹介した「リベラル・リバータリアン連合」を本の中でご紹介いただいています。
 
 


 まだまだ副島先生の足元にも及びませんが、「情報の目利き」だけは少し勘所を掴んだかなと思います。そして、私が重要だと思う情報は、このブログでこれからも適宜皆様にご紹介して参ります。もうすぐしたら、ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」内の「今日のぼやき」コーナーで私のアメリカ大統領選挙の現状分析も掲載されると思いますので、そちらもお読みください。

 

※ウェブサイト「副島隆彦の学問道場」のアドレスは以下の通りです。

http://www.snsi.jp/

 

 私が最近、ご紹介したトム・コットン連邦上院議員(アーカンソー州選出、共和党)の危険性についても、あのイランに対する無礼極まりない公開書簡の前に既に本にして紹介されているところから見ても、この本の網羅している情報の確かさ、分析の確かさは証明されていると思います。

 

 ナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く(上)(下)』(幾島幸子、村上由見子訳、岩波書店、2011年)の重要性もまたこの本の中で指摘されています。自然災害(天災)と戦争(人災)を使って、人々の思考力と判断力を奪って、権力者たちと公務員たちが自分たちの思い通りの政策を実行しようとする、この汚いやり方に対抗するためには、「そういうことがあるのだ」ということを知り、それをしっかり理解するしかありません。
 

 

 世界は、戦争を回避して大きな厄災を避けようとする指導者たちと戦争をして(一般の人々の不幸と悲劇を無視できる)、自分たちの利益を追い求めようとする指導者たちとの分裂を反映し、この分裂によって動いていることが分かります。日本は残念ながら、後者の方のアホな指導者を持っているという点で、とても不幸な状況にあります。興味深かったのは、ヨーロッパ各国で台頭している「民族的、極右政党」と日本の「ネトウヨ」との越えられない大きな違いです。やはり近代と前近代の違いがそれぞれの特徴に大きく反映しているのだなと納得できました。

 

 国際紛争の6つの段階の表は専門家でもなかなかうまく説明できないし、そもそもあまり区別などしてこなかった部分だと思います。国際法や戦争法の専門家であれば区別に注意を払うでしょうが、歴史学者や政治学者にとっては盲点かもしれません。「①議論、対立(argument)→②軍事衝突(military conflagration, armed conflict)→③事変、紛争(military conflict)→④戦争(warfare)→⑤和平交渉(peace talks)→⑥平和条約。講和条約=戦争終結条約(peace treaty)」のそれぞれの要素はしっかり覚えておかねばなりません。これからこの段階を踏んでいく「現実」(約80年前には日本にもあった「現実」です)を私たちは経験することになるのでしょうから。

 

 何か悲劇的な事件が起きて、悲しんだり、憤ったり、復讐心を持ったりすることは自然なことです。しかし、そうした事件が起きた後に、「いや待てよ、これは何か仕組まれているんじゃないのか」と考えること、副島先生の『余剰の時代』(ベスト親書、2015年)にあった「少し臆病に生きる、疑ってみる」ことが、騙されたり、操られたりしないために重要なのだということ、そして、知識と情報を持つことが何よりも自衛になること、それがこの本の大きなテーマなのだと思います。

 

 私の理解では、ネオコンと人道主義的介入派が「利用」している外国勢力がイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相であり、日本の安倍晋三首相です。両者ともに評判が良くないにもかかわらず、総選挙で勝利を収めました。これもまたショック・ドクトリンの成果でもあります。イスラエル国民はイランからの、日本国民は北朝鮮からのミサイルが飛んでくるぞと脅され、「そうならないようにするためには力強いことを言っている指導者を選ぶしかない」ということになってネタニヤフと安倍晋三がそれぞれ指導者に選ばれました。しかし、これが「ショック・ドクトリン」だったらどうでしょう。ネオコンや人道主義的介入派がそれぞれの国の世論を「操った」と考えたらどうでしょう。イスラエルとイラン、日本と北朝鮮をそれぞれ反目させることで誰が利益を得るかを考えるとこのことはすぐに理解できると思います。

 

 世界の不幸と悲劇が私たちの生活に襲い掛かってくることがあっても、慌てず騒がす、粛々と生きていく、この強さを手に入れたい皆様には必読の書だと思います。是非手に取ってお読みいただきたいと思います。

 

(終わり)










 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 2015年3月17日にイスラエルで総選挙が行われ、劣勢が伝えられていたベンヤミン・ネタニヤフ首相率いるリクードが第一党となりました。これでネタニヤフ首相は続投となります。

 

 2014年12月の日本の総選挙でも、自民党が300議席に迫る勢いで勝利を収めましたが、この時の衝撃と似ています。

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選挙前のクネセトの議席数 


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選挙後のクネセトの議席数
 

 日本では北朝鮮、イスラエルではイラン(もしくはイスラム国)が「攻めてくる」という恐怖感を煽って、好戦的な政党と政治家が選挙で勝利を収めています。「人々が右傾化している」というよりも、人々が脅されていると言えるのでしょう。

 

==========

 

金輪際ネタニヤフを信頼するな(Never Trust Netanyahu

―イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの最近の政治的な行動が示しているのは、彼が最悪の種類の機会主義者であるということだ。アメリカは彼がこれ以上最悪の行動を取ることを許してはならない。

 

リサ・ゴールドマン筆

2015年3月19日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/03/19/never-trust-netanyahu-israel-election-obama/

 

 ここ数週間、イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは権力の座に留まるためなら何でもやる人間であることを示し続けてきた。彼が権力に固執することで、イスラエルの最大の同盟国であるアメリカとの関係を弱めることになっても、彼は構わずに権力を握り続けることに拘る。人種差別的な、昔アメリカに存在したジム・クロウ法のような差別的な選挙法を推し進めることになっても、彼は何も気にせずにそれを推し進めるだろう。彼は判断力があって知識もある人々に向かって嘘をつき続けることになっても、嘘をつき続けることだろう。ネタニヤフの人格を理解する上で重要なことは、彼が自己を満足させるために2つのことを気にかけていることを理解することだ。1つは権力の座に留まることであり、もう1つはゴラン高原とパレスチナ占領地域に対するイスラエルの支配を継続することだ。

 

 2015年3月17日、ネタニヤフは総選挙で勝利した。イスラエル国内のリベラル派と外国の専門家たちは選挙結果に衝撃を受けた。選挙戦を通じて、彼らは一般有権者が安全保障問題やネタニヤフが3月3日に行ったアメリカ議会演説よりも、経済問題により大きな関心を持っていると考えていた。更には、ネタニヤフの3月3日のアメリカ連邦議会での演説は賛否両論を巻き起こしたが、これによってネタニヤフは支持率を引き上げることに失敗し、アメリカとの関係を傷つけたことで、反対票が投じられることになると考えていた。ネタニヤフが「人目を引くような行動」をいくらやっても挽回は無理だろうと私の同僚の一人は語っていた。選挙日直前の最終の世論調査では、ネタニヤフ率いるリクードは20議席を獲得し、主なライヴァルであるザイオニスト・ユニオンは24議席を獲得すると見られていた。ネタニヤフは権力の座に長くい過ぎたために、有権者を理解できなくなっているのではないかと思われていた。

 

 実際には、ネタニヤフは誰よりも有権者を理解していたということになった。選挙直前、ネタニヤフは低俗な、人種差別的な大衆煽動ばかりを行ったのだ。彼は有権者の持つ恐怖感と部族(「リクード族」)への所属感を刺激した。彼らは、イギリス人が贔屓のサッカーチームに対するのと同じように、リクードに対して忠実である。

 

 イスラエルのインターネットのニュースサイトであるNRG(アメリカの大富豪シェルドン・アデルソンが所有している)とのインタビューで、ネタニヤフは、「自分の目の黒い内はパレスチナ国家の成立を許さない」と明確に述べた。フェイスブック、ツイッター、SMS,自動ヴォイスメールを通じて、有権者たちに次のように訴えた。「私は皆さんと左翼が率いる政府の間に立っています。左翼政府はエルサレムを分割し、1967年の段階の国境にまで撤退しようとするでしょう。テルアヴィヴとベン・グリオン空港を見下ろすヨルダン川西岸地区を開放することでそこにイスラム国が入り込んでくるでしょう」

 

 選挙日当日、ネタニヤフはフェイスブックに30秒間の酷い内容の動画を掲載した。その中で、彼は中東の地図を背にして立ち、予備役将兵に対して国家安全保障の緊急事態が起きているかのように訴えた。枯れは次のように述べた。「右派の政府は危機に瀕しています。アラブ人たちが町中の投票所に押し寄せています。左派のNGOがバスを使って彼らを投票所に運んでいるのです」。ネタニヤフは、軍隊の緊急時を示す用語である「ツアヴ8」という言葉を使いさえしたのだ。

 

 イスラエルの有名なジャーナリストであるハノク・ダウムがフェイスブックに挙げた文章を多くの人々がシェアした。そこには、超正統派とパレスチナ人の有権者の票を除くと、3人に1人がリクードに投票したことになると書かれていた。そして、クネセトの過半数の議席は、右派とナショナリズム勢力が占めているとも書かれていた。

 

 イスラエル以外の国々で衝撃が走った。しかし、実際にはイスラエルはもはや右派的な社会となり、人種差別的な言辞が普通に使われるようになっている。例えば、「アラブ風」という言葉は、低俗でけばけばしい意味で使われている。イスラエル国会クネセトの右派的な議員たちはここ数年、アラブ系の議員たちに対して、彼らが演説をしている際に、暴力をふるうようになっている。西洋諸国のリベラル派にとっては衝撃的な事例が数多く起きている。しかし、イスラエル国内では無視されている。クネセトの議員たちは、スーダンからの移民たちを「私たちの体に巣食う癌細胞」などと演説の中で言ってしまう始末だ。

 

 同様に、世界中のマスコミは、ネタニヤフのパレスチナ国家の樹立を拒絶発言に関して、ほとんど取り上げてこなかった。昨年7月、イスラエル国防軍が駐留しない限り、パレスチナ国家の樹立を容認しないとネタニヤフは演説の中で述べた。「イスラエル国防軍の駐留」は別の形での軍事占領である。彼の演説は世界中のマスコミが取り上げず、イスラエル国内のマスコミもほとんど報道しなかった。NRGとのインタビューでネタニヤフは、かなり率直な言葉遣いであった。ここがある種の転換点であった。3月3日のアメリカ連邦議会演説でネタニヤフはバラク・オバマ米大統領を大いに侮辱した。このインタビューはそれに続くものであった。

 

 ホワイトハウスは、2国共存を否認することでイスラエルは外交分野において厳しい状況に追い込まれると示唆した。数カ月前、ハアレツは漏えいしたとされるEUの公式文書をすっぱ抜いた。そこには、イスラエルがヨルダン川西岸地区から撤退すること、パレスチナ国家の樹立の交渉を公式に拒絶した場合には、イスラエルに特別な経済制裁を科すと書いてあった。ネタニヤフはやり過ぎだと世界が見ていることを示していた。

 

しかし、ネタニヤフは態度を豹変させた。総選挙の2日後の2015年3月19日(木)、ネタニヤフはMSNBCの記者に対して穏やかな態度で、2国共存の解決法を否認はしなかった。ネタニヤフは「現実が変化したのだ」と述べた。更には、パレスチナのマウムード・アッバス議長は、イスラエルをユダヤ国家として承認することを拒否し、彼はハマスとの間にイスラエルを破壊するための協定を結んだ、とも述べた。

 

 2つの発言は共に実質的には嘘である。2009年にアッバス議長に対してイスラエルをユダヤ国家として承認するという条件を押し付けて状況を変えたのはネタニヤフ自身である。それまでのパレスチナ側との交渉でこうした条件は持ち出されたことはなく、全く新しい条件であった。ハマスとPLOの間に存在すると言われている協定からすれば、この条件は受け入れがたいものであった。ネタニヤフはただ単に嘘をついたのだ。しかし、彼の発言はもっともらしいものである。ネタニヤフはアメリカのマスコミに対応し、簡単な質問に答える時にその準備をしっかりやっている。ネタニヤフが何年もイスラエルのマスコミからの取材を受けつけずに、アメリカのテレビや新聞の取材には積極的に応じてきたのは何の不思議もない。

 

問題は、アメリカがこれからもネタニヤフの行動を許容し続けるかどうかである。ネタニヤフは、ヘブライ語で「自分の目の黒い内はパレスチナ国家の樹立を許容することはない」と明確に言い切った。それから2日後、彼は穏やかな態度でアメリカ人のジャーナリストたちに対して、英語で、そのようなことは言っていないと述べた。彼は流ちょうな英語を話し、英語を母国語としない人にありがちなアクセントもない。

 

 イスラエルはほぼ50年間にわたってヨルダン川西岸地区を占領してきた。ほぼ10年にわたり軍隊を使って、ガザ地区を封鎖してきた。イスラエルはそうした政策を変更する意図を全く見せていない。これは継続可能な状況ではない。イスラエルが支配する地域には約1300万人が暮らしているが、800万人しか投票権を持っていない。「アメリカとイスラエルは価値観を共有している」と主張するアメリカ人はイスラエルに対して、ジム・クロウ法も共有する価値観なのかどうかを尋ねる必要がある。セルマ自由行進50周年の記念式典で、エドマンド・ペタス橋の上で行ったオバマ大統領が行った演説の感動から考えて、ジム・クロウ法はアメリカの価値観でもなんでもない。オバマ政権はもうネタニヤフが自分たちに嘘をついているなどとは考えてないなどと振る舞うことは止めるべきだし、ネタニヤフが信頼できない人物であるかどうかは分からないなどと言う姿勢を取ることも止めるべきだ。オバマ政権がやるべきことはただ一つ、「イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフは歓迎されざる人物(persona non grata)だ」と宣言することだ。

 

(終わり)








 
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