古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。X accountは、@Harryfurumura です。ブログ維持のために、著作のお買い上げもよろしくお願いします。

2015年12月







アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12

 

古村治彦です。

 

 2015年も大晦日になりました。本年は9月末に突発性難聴を患い、現在も人の声は判別できない状態が続いております。改めて、健康が大切だと実感させられました。来年は健康に気を付けつつ、仕事を頑張ってまいりたいと存じます。どうぞよろしくお願い申し上げます。


 今回は、私が翻訳しました『アメリカの真の支配者コーク一族』(ダニエル・シュルマン著、古村治彦訳、講談社、2015年12月)に関連して、この本のテーマである、コーク家という現代アメリカを代表する大富豪でしかも現実政治に影響を与えている一族の物語を皆様にご紹介したいと思います。皆様には是非本を買って読んでいただきたいと思いますが、大部になり、細かい点に言及しているところもありますので、この論稿を読んでいただいて、大づかみなところを知っていただいて、お読みいただければ、より理解しやすく、楽しんで読んでいただけるものと思います。


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日本ではまだあまり知られていませんが、コーク兄弟のお金がアメリカ政界に大きな影響を与えています。昨年の話になりますが、当時連邦上院で過半数を占めていた民主党のハリー・リード(Harry Reid、1939年―、75歳)院内総務(ネヴァダ州選出)は、「共和党の政治家たちはコーク中毒の状態にある」と発言しました(2014年3月4日付『ワシントン・ポスト』紙、“Harry Reid: ‘Republicans are addicted to Koch’”)。コーク兄弟は共和党の大口献金者であり、彼らから政治資金の寄付を受ければ、その意向を無視することはできません。そのことをリードは告発した訳です。コーク家が「現代版のロックフェラー家」と呼ばれている理由はここに集約していると思います。

 

※ワシントン・ポスト紙の記事のアドレスは以下の通りです。→

http://www.washingtonpost.com/blogs/post-politics/wp/2014/03/04/harry-reid-republicans-are-addicted-to-koch/

 

「コーク(Koch)」という発音は、清涼飲料水の「コーク(Coke)」と同じですが、この「コーク」は麻薬「コカイン」の俗称でもあります。現職の連邦議員が1つの言葉にいくつもの意味をかけて、コーク兄弟の資金にアメリカ政界が「汚染されている」と訴えたことの意味は重大です。加えて、このエピソードは、コーク兄弟のアメリカ政界における存在感の大きさを示しています。「ロックフェラー家やケネディ家と同様、コーク家は現代のアメリカにおいて最も影響力を持つ“王朝”だ」と言われています。しかし、日本ではこのコーク兄弟についてあまり知られていません。

 

コーク兄弟のお気に入りは、ニュージャージ州知事のクリス・クリスティ(Chris Christie、1962年―)とウィスコンシン知事のスコット・ウォーカー(Scott Walker、1967年―)です。コーク兄弟は自分たちが主催する集まりに2人を招待し、彼らのために資金集めの場を提供してきました。この集まりのことは「コーク・プライマリー(Koch Primary)」と呼ばれています。この会合に呼ばれると、参加者たちから多額の寄付が期待できます。今年の2月に行われたコーク・プライマリーには、マルコ・ルビオ、テッド・クルーズ、ランド・ポールが招待されたということです。2012年の米大統領選挙では、コーク兄弟は、「現職のオバマ大統領に勝利できる唯一の候補者」としてクリス・クリスティを応援していました。

 

クリスティとウォーカーに共通しているのは、州知事として強力な州公務員組合と対決し、保守派の喝采を浴びたことです。2016年のアメリカ大統領選挙については、「今日のぼやき」の別稿に書きましたので、そちらをお読みいただきたいと思います。現在、共和党の大統領候補として有力視されているのが、元のフロリダ州知事で父と兄が米大統領を務めたジェブ・ブッシュ(Jeb Bush、1953年―)、スコット・ウォーカー(2016年大統領選挙からの撤退を表明)、クリス・クリスティ、それぞれ連邦上院議員のマルコ・ルビオ(Marco Rubio、1971年―)、テッド・クルーズ(Ted Cruz、1970年―)、ランド・ポール(Rand Paul、1963年―)です。彼らのうち、ジェブ・ブッシュを除いた全員が、コーク兄弟の「世話」になっているということになります。ここからも、コーク兄弟のアメリカ政界、特に共和党に対する影響力の大きさが分かります。

 

 それでは、コーク兄弟について簡単に説明します。彼らは、非上場の大企業「コーク・インダストリーズ」を経営しています。石油、化学、日用品の総合企業コーク・インダストリーズの企業規模は、非上場企業では全米第2位(第1位は農薬・肥料メーカーのカーギル社)です。2013年の売り上げがグループ全体で1150億ドル(約13兆8000億円)、従業員数は約10万人を誇ります。コーク・インダストリーズは、兄弟の父フレッドが始めた石油精製事業と牧場経営からスタートし、そこから規模を急速に拡大してきました。それを主導したのが二代目で次男のチャールズ、三男のデイヴィッドです。

 

コーク・インダストリーズという名前は、アメリカでも一般的にはあまり知られていません。それでも、ジョージア=パシフィック社という老舗名門の製紙会社を所有しており、アメリカ人にとっては身近なブランドであるンジェルソフト・トイレットペーパーやディクシー紙コップを作っています。こうした複合大企業コーク・インダストリーズの株式の過半数を握っているのが、チャールズ・コークとデイヴィッド・コークでそれぞれが42%ずつ株式を保有し、それ以外も親族が株式を保有しています。コーク・インダストリーズは、株式を市場公開していない非上場企業(private company)ですので、株主に遠慮することなく、兄弟の思うままの経営ができるのです。

 

 コーク・インダストリーズは、コーク兄弟の父フレッド・コーク(Fred Koch、1900―1967年)によって、カンザス州ウィチタで設立されました。父フレッドは、オランダ系移民の子孫としてテキサス生まれで、マサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of TechnologyMIT)で石油化学を学んだエンジニアでした。フレッド・コークは、石油の熱分解技術を開発し、それを売り込むことで彼の会社は成長していきました。しかし、「出る杭は打たれる」で、既存のロックフェラー系の石油会社から嫌われ、狙われることになりました。フレッドは、熱分解技術をめぐり、裁判を起こされ、厳しい時期もありました。この時期、フレッド・コークはソ連に招聘されて、バクーなどで石油プラント建設の仕事をしました。この時にソ連の悲惨な現実に触れて、反共産主義を信条とするようになりました。また、既得権益を持つエスタブリッシュメントと巨大企業に対する反感を募らせていきました。フレッドは、「自分の息子たちをカントリークラブにたむろして遊んでばかりいる、金持ちのバカ息子にはしない」と決心し、息子たちには子供のころには厳しく接し、どんどんきつい肉体労働をさせました。

 

1958年、フレッドは、反共産主義の極右団体「ジョン・バーチ協会(John Birch Society)」の創設に参加しました。フレッドは「ドワイト・アイゼンハワー(Dwight Eisenhower、1890―1969年)大統領は共産主義者だ」とか「国際連合は共産主義者による陰謀によってできたものだから、アメリカはすぐに脱退せよ」といった主張を展開しました。ジョン・バーチ協会は1960年代から70年代にかけて勢力を拡大させましたが、冷戦終了後の1990年代以降、勢力を縮小させています。

 

 フレッドには4人の息子たちがいます。長男のフレッド(Fred、1933年―、81歳)は、同性愛者で芸術を愛し、政治にも会社の経営にも全く関心を持ちませんでした。フレッドはハーヴァード大学を卒業後、米海軍に入隊し、その後、イェール大学演劇学部で修士号を取得しました。華やかな学歴ですが、その後、定職に就かず、美術品収集と歴史的建造物の修復を趣味として生きています。マスコミが「コーク兄弟」と呼ぶ場合、長男フレッドの存在は省かれる場合が多いのですが、これは彼が会社経営にも政治活動にも参加していないからです。また、弟たちからも孤立しているようです。ニューヨークに住んでいるので、同じニューヨーク在住のデイヴィッドとパーティーであってもほとんど話もしないそうです。

 

共和党や政治的保守派に大きな影響を与える「コーク兄弟」と呼ばれ、マスコミで騒がれるのは、次男チャールズ(Charles、1935年―、79歳)、双子のデイヴィッド(David、三男、1940年―、74歳)とビル(Bill、四男、1940年―、74歳)の中で、チャールズとデイヴィッドです。彼ら3名は皆、父と同じマサチューセッツ工科大学で学士号を取得し、チャールズは機械工学(原子力)と化学工学でそれぞれ修士号、デイヴィッドは化学工学で修士号、ビルは化学工学で修士号と博士号を取得した後に、エンジニアとなり、父の会社であるコーク・インダストリーズの経営に携わることになりました。

 

次男チャールズは家長として、またコーク・インダストリーズの総帥(会長)として、父フレッドの影響を最も受けた人物です。チャールズは父の作ったジョン・バーチ協会に入会し、その後、ヴェトナム戦争に対する対応(ジョン・バーチ協会はヴェトナム戦争に賛成の立場を取りました)を巡り、退会しました。彼は父フレッドが始めたジョン・バーチ協会のメンバーであった。チャールズにとっての興味深いエピソードとしては、彼の友人が遊びに来た時、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway、1899―1961年)の『陽はまた昇る』を持っていたのですが、チャールズは、「ヘミングウェイは共産主義者だから」と言って、友人の持っていた本をドアの外に置かせてそれから家に招き入れたということです。

 

チャールズは表舞台に立つことを好まず、コーク・インダストリーズの本社があるカンザス州ウィチタにずっと住んでいます。そうしたところから、「神秘的な人物」だと考えられています。ちなみにウィチタは20世紀になって航空産業が盛んになり、「世界の空の都(The Air Capital of the World)」と呼ばれるようになりました。また、農業や牧畜業も盛んで、油井があることから石油関連産業も発展しました。コーク・インダストリーズの創始者であるフレッドはテキサス生まれですが、大学時代の友人の父親がカンザス州で石油ビジネスを展開しており、大学卒業後に誘われたので、生まれ故郷のすぐ北側にあるカンザス州に向かい、拠点としました。1920年代のカンザス州はまだまだビジネスチャンスが多く、野心的な若者にとっては魅力的な場所でもありました。

 

 デイヴィッドは、兄を助けてコーク・インダストリーズの急成長に貢献しました。いつもはニューヨークにあるニューヨーク支社におり、コーク・インダストリーズの化学部門の責任者を務めています。デイヴィッドはニューヨークで暮らしており、兄チャールズに比べて社会活動の場面に積極的に姿を現しています。また、慈善事業や社会貢献にも特に熱心で、母校MITに癌研究センターを寄付したり、ニューヨークのメトロポリタン美術館やアメリカン・バレエ・シアターの後援をしたりしています。その額は数百憶円に上っています。頑固な兄チャールズと我儘で自由奔放な双子の弟ビルとの間を何とか取り持とうとして尽力してきた人物です。

 

 末っ子ですが、三男デイヴィッドとは双子となるビルは、常に兄たちに対して負けん気を持って成長しました。彼もまたMITを卒業し、博士号を取得し、コーク・インダストリーズに入社しました。その手腕を発揮し、会社の売り上げを伸ばしましたが、後に会社経営の実権を握ろうとして、兄たちと対立関係に陥り、やがて会社を離れました。ビルは自分の会社であるエネルギー関連企業オックスボウ社(Oxbow)を起業し成功を収めました。趣味にも熱心で、それが嵩じて、世界最高峰のヨットレースであるアメリカズ・カップのアメリカ代表になり、1992年に優勝カップを勝ち取りました(彼がヨットチームに投じたお金は総額で6500万ドル)。その他にも多くの女性たちと浮名を流し、ワイン収集家としても知られています。

 

ビルは若い時からミット・ロムニー(Mitt Romney、1947年―)と交流があり、2011年には、ロムニーの当選を目指すスーパーPAC「レストア・アワ・フューチャー(Restore Our Future)」に750万ドルの寄付をしたり、母方の親族で民主党から立候補した人物の応援を行ったりして、兄たちに比べて政治的な主張やイデオロギーに関してはそこまでこだわりを持ってはいません。

 

 ビルは、コーク・インダストリーズの実権を握ろうとして失敗し、会社を離れました。そして、自分の会社であるオックスボウ(Oxbow)を立ち上げ、成功しました。しかし兄たちに対する恨みが消えることはなく、復讐を果たそうとして、訴訟を起こしました。ビルは兄たちが会社を恣意的に経営して会社に損害を与えていること、株式を上場していないことによって、自分の持つ株式の値段が本当の価値よりも低く抑えられていることを理由にして兄たちを裁判所に訴えました。ビルの側には、長兄であるフレデリックがつきました。彼は会社の経営などには全く関心がなかったのですが、自分が遺産としてもらったコーク・インダストリーズの株式の価格が高い方が良いという理由もあって、末弟ビルの味方をすることになりました。裁判は20年以上も続きましたが、2001年になって兄弟たちはしこりを残しつつも、和解しました。

 

 コーク兄弟の信奉するイデオロギーはリバータリアニズム(Libertarianism)です。リバータリアニズムについて詳しく知りたい方は、副島隆彦先生の『リバータリアニズム入門』や『世界覇権国アメリカを動かす政治家と知識人たち』といった著作を是非お読みください。リバータリアニズムは、徹底的に個人の自由を尊重する考えです。

 

チャールズ・コークは1978年に発表した論稿の中で、既成政党である共和党を批判しています。「共和党は“ビジネス”のための党だと宣伝しているが、彼らの言う“ビジネス”のための党とは、補助金と政府とのつながりを意味するのである」と彼は書いています。彼ら(チャールズとデイヴィッド)は政府が規制をかけることや補助金を出すなど民間の経済活動に絡んでくることに徹底的に反対します。リバータリアンである彼らからすると、既成政党である共和党もそうした点で不十分であり、不満を持っているのです。それでも、コーク兄弟は民主党から攻撃を受けているので、共和党からすれば「敵の敵は味方」ということになります。

 

1977年、チャールズ・コークは、リバータリアニズム系のシンクタンクであるケイトー研究所(Cato Institute)を設立しました。また、チャールズは、弟デイヴィッドを説得し、更には資金を提供して、リバータリアン党(Libertarian Party)の副大統領候補として出馬させました。彼らは当選を目指したのではなく、リバータリアニズム思想の浸透を目指しました。しかし、彼らの強引さはリバータリアン党内部で嫌われてしまいました。そして生まれた言葉が「コクトパス(Kochtopas)」です。この言葉は、コークと「タコ(octopus)」を合わせた言葉です。この言葉は現在でもコーク兄弟を批判する時に使われています。

 

 1990年代にクリントン政権からコーク・インダストリーズが、環境問題で狙い撃ちにされて連邦政府から訴えられたり、罰金を科されたりした経験から、より現実的な選択として、共和党を応援するという選択をすることになりました。それでも2000年代は共和党のジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush、1946年―)政権でしたから、コーク兄弟にとっては「平穏な」時代でした。しかし、2008年の大統領選挙で民主党のバラク・オバマ(Barack Obama、1961年―)が大統領に当選したことで、彼らは危機感を募らせました。その危機感から生まれたのが、ティーパーティー運動(Tea Party Movement)でした。

 

ティーパーティー運動の組織化と資金提供に関して言うと、コーク兄弟と深いつながりがあり、資金提供を受けていますが、そのことを進んで公表しない政治活動団体アメリカンズ・フォ・プロスペリティ(Americans for Prosperity)がティーパーティー運動の全国組織化の最前線に立ち、運動を牽引しました。兄弟の政治アドヴァイザーであるリチャード・フィンク(Richard Fink)は、コーク兄弟が資金援助したジョージ・メイソン大学で教鞭を執ったことで、兄弟の知己を得て、コーク・インダストリーズに入社しました。現在はコーク・インダストリーズの副会長を務めています。彼が現在のコーク兄弟の政治面での活動の最高責任者となっています。

 

 コーク兄弟の知名度を上げたのは、皮肉にもオバマ大統領でした。2012年の米大統領選挙で、現職大統領であるオバマ陣営は、選挙コマーシャルでコーク兄弟は「秘密主義の石油で財を成した秘密主義の大金持ち」と攻撃し、話題となりました。オバマ政権はティーパーティー運動とオバマ大統領に対する攻撃に対して、反撃を行った訳ですが、その標的が共和党ではなく、その「資金源」のコーク兄弟になりました。このことで、逆にコーク兄弟のアメリカでの知名度は一気に上がりました。共和党の主流派とはうまくいっていなかったのですが、共和党支持者たちの間で、兄弟の評価は上がりました。その結果、コーク兄弟の現実政治への影響力が増大することになりました。

 

 ここまでだいぶ長くなりましたが、コーク家、コーク兄弟について簡単にご紹介しました。『』の中にはたくさんのエピソードが収められています。兄弟同士の争いや裁判、彼らの結婚や女性関係に関する記述もあります。この本は、アメリカのお金持ちのプライヴェートな部分とアメリカの保守思想史を網羅した稀有な本となっています。これから2016年の大統領選挙本番に向けて、アメリカ政治は盛り上がっていきます。一種のお祭り状態になる訳ですが、このアメリカメリ化政治を遠く日本から眺めるにあたり、もっと面白く見るための知識がこの本には詰まっています。是非、お手に取ってお読みください。

 

(終わり)

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野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23
 
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野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23




 

 古村治彦です。

 

 今回は、私の先輩・友人であるSNSI・副島隆彦を囲む会の研究員である、中田安彦(なかたやすひこ)氏と吉田祐二(よしだゆうじ)氏の本をご紹介します。


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『暗殺の近現代史』



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『天皇家の経済学』


 

 お手に取ってお読みいただけましたら幸いです。よろしくお願い申し上げます。

(終わり)














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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

古村治彦です。

 

 今回は、2016年1月22日に発売となります、『BIS(ビーアイエス)国際決済銀行 隠された歴史』(アダム・レボー著、副島隆彦監訳・解説、古村治彦訳、成甲書房、2016年)を皆様にご紹介いたします。

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 以下に海外のメディアで紹介された書評を掲載します。参考にしていただき、ご購入いただけましたら幸いです。

 

 宜しくお願い申し上げます。

 

=====

 

ブルームバーグ電子版 2013年6月10日

  

http://www.bloomberg.com/news/2013-06-09/shadowy-bank-in-basel-funded-nazis-pushed-euro-books.html

 

「バーゼルにある秘密銀行がナチスに資金提供をし、ユーロ導入を推進した」

 

ダニエル・アクスト(Daniel Akst)筆

 

もしあなたが国際決済銀行(BIS)をただの地味な国際機関だと考えておられるなら、アダム・レボーの新刊はあなたのそのような考えが間違いであることを気づかせてくれるものになる。

 

『バーゼルの塔』はスイスに本部を置くBISを全面的に攻撃する内容である。しかし、BIS側から著者に対して何の抗議も回答も寄せられてはいない。

 

レボーは、ナチス・ドイツの侵略にBISが資金を提供した様子を克明に描いている。これはBISの歴史における汚点として良く知られている。レボーは更に、テクノクラートたちが主導する戦後ヨーロッパの復興にもBISが関わったと批判的に書いている。BISは現在危機的状況を呈しているユーロの産婆役を務めたといことである。レボーは、BISの閉鎖、もしそれが不可能ならより透明性を高めることを求めている。

 

レボーはきちんとした調査を行っている。しかし、それはあくまでもきちんとしているだけのことだ。BISは1930年に創設された。それには二人の伝説的な中央銀行総裁が中心的な役割を果たした。イングランド銀行総裁のモンタギュー・ノーマンとドイツ帝国銀行総裁のヒャルマー・シャハトである。BISはドイツの第一次世界大戦に関する賠償金支払いを管理するために創設された。ケインズやその他の有識者たちは、国家経済を傾けるような過度の賠償金支払いを課すことは間違った考えだと主張した。そして、BISが創設されてすぐに、ドイツは賠償金支払いを停止してしまった。

 

しかし、BISはその後も存続し続けた。各国間の同意に基づいて大きな自律性も認められている。スイスに存在する安全な避難所となっている。中央銀行間の取引を仲介することで得られる手数料で大きな収入を得ている。それだけではなく、国際金融における取引と中央銀行関係者たちの協調を促進する役割を果たしている。ナチスにとって、国際金融で大きな存在感を持つBISはとても使い勝手の良い機関となった。

 

●ナチスが略奪した金

 

第二次世界大戦中、BIS総裁はアメリカ人であった。それにもかかわらず、BISは厳格なまでに中立にこだわった。戦争当事諸国全てとの取引を継続できるように、政治的な側面には全く関わらないようにし、技術的な側面にこだわった。しかし、これが不幸にして、ナチの恐るべき行為を助長する結果となってしまった。

 

BISはナチスが略奪した金を受け入れた。この金を元にしてドイツは必要な戦時物資を購入し続けた。ドイツはチェコスロヴァキアに侵攻後、チェコスロヴァキアの保有する金を横取りしようとした際、BISはそれに許可を与えた。

 

第二次世界大戦中、BISは恥ずべき行為を行った。そのため、BISはアメリカやその他の国々の中にいたBISに対する敵対者たちによって「解散すべきだ」という攻撃を受けた。しかし、BISはこうした攻撃に負けず、戦後世界で新たな役割を果たすことになった。アメリカはヨーロッパ再建に力を注ぐことになったが、BISはそれを金融面で支えることになった。また、ヨーロッパ統合プロジェクトを促進するという役割を果たすことになった。

 

●現代ヨーロッパ

 

ユーロの実現に至るまでの過程もまたレボーの批判の対象となっている。レボーは、現代ヨーロッパの国家を超える統合というアイディアはブリュッセルとバーゼルにいる官僚たちによって主導されたものだと主張している。そして彼らのヨーロッパ統合というアイディアは、ナチスのヨーロッパ統合というアイディアとほぼ同じであり、各国の有権者たちの承認を得たものではないとも書いている。

 

BISは世界各国の中央銀行によって所有され、運営されている。そして、現在のBISは 2カ月に1度、中央銀行の総裁たちはBISに集まり、高級な食事を楽しみ、完全に秘密が守られた状態で、議論を行っている。BISはまた、国際金融に関して精度の高い調査・研究も行っている。

 

これがそこまで悪いことなのだろうか?レボーは悪いことだと考えている。そして、「BISは秘密主義、エリート主義、反民主的な機関であって、二十一世紀という時代には全くふさわしくない存在だ」と非難している。

 

たぶん彼が正しいのだろう。しかし、本書の副題にあるような「世界を動かす秘密銀行」という、BISに対するレボーの非難はいささか誇張が過ぎていると私は思う。レボーがBISの業務についてもっと詳しく調べていれば、そこまでの非難はできなかったのではないかと思う。BISの業務が重要かどうか、彼らの仕事を他の機関が簡単に肩代わりできるかどうかを判断するのは彼にとってもたやすいことであったであろう。

 

不幸なことに、レボーはBISの機能をぞんざいにしか扱っていない。BISが秘密主義であるのは議論の余地がない。しかし、BISの融資がどのようなものであるかはレボーも書いているし、BISの資本と利益がどのようにして生み出されているかについても書いている。BISは2011年から2012年にかけての年度だけで10億ドル以上の税金のかからない売り上げを上げている。

 

BISは廃止されないようにするために、改革を行う必要がある。レボーはいくつかの改革案を示し、その中には透明性を高めることと利益の一部を社会慈善事業に回すことというものがある。しかし、このような改革を行う前に、バーゼルの塔(BISの本部がある円形のタワービル)にいる人々は、最善の行動を取るようにすべきなのだ。

 

(終わり)

 

=====

 

フィナンシャル・アンド・ディヴェロップメント誌(IMFが発行している雑誌) 第50号第2巻2013年6月

 

http://www.imf.org/external/pubs/ft/fandd/2013/06/books.htm

 

「書評:BISの歴史を網羅した書」

 

ペーター・アコス・ボッド(Peter Akos Bod、ブダペスト・コルヴィヌス大学教授)筆

 

●過ちを隠蔽し続けた歴史

 

BISは銀行関係者以外にとっては曖昧な存在でしかない。BISが何の省略形なのか分からない人も多い。しかし、新聞の金融面を読むような人にとってはスイスにある都市バーゼルはお馴染みの名前である。それは、銀行業監視に関するバーゼル委員会が定める銀行の自己資本比率とその他の勧告が良く報道されるからだ。そして、このバーゼル委員会の実務を取り仕切っているのが国際決済銀行(Bank for International Settlements)、略称BISなのである。現代ヨーロッパの様々な問題をテーマにしているジャーナリストであり作家のアダム・レボーは、BISという、バーゼルにある近代的なタワービルに本部を置く、一般にあまりよく知られていない国際銀行についての300ページを超える著作を発表した。彼の調査は行き届いたものである。

 

この本の背表紙には「世界で最も秘密主義の国際機関の歴史についての初めて調査の結果を記した本」と記載されている。私は、本書は示唆に富んでおり、数多くの情報も含まれている。しかし、著者レボーの感情が色濃く反映した内容の本となっている。レボーは多くの書籍を読み込み、多くの人々に話を聞き、多くの文書を渉猟してこの本を完成させた。

 

しかし、これは退屈な歴史書などではない。本書の言いたいことは題名に表現されている。それは、「世界を動かす秘密銀行の隠された歴史」ということである。

 

レボーは調査をする価値のある問題を見つける能力を持っている。今回、彼が取り組んだBISはまさにそのようなテーマである。1930年の創設以来、BISの歴史は波乱万丈であった。このBISという興味をそそる機関について徹底的な調査がなされ、その結果を広く知らしめるために本にして発表されることは長年待ち望まれてきた。BISの存在意義と現在の機能を平易な言葉で書くことさえ難しいのである。BISは第一次世界大戦後、実行が困難な使命を実行するために創設された。その使命とは、ヴェルサイユ条約によって決定された敗戦国ドイツに対する賠償金支払いを円滑に進めるということであった。資金調達、事務手続き、実際の支払いといった技術的なことを円滑に進めるには専門の金融機関が必要であった。

 

従って、BIS(ドイツ語ではBIZ)は、第一次世界大戦の戦勝国(ベルギー、フランス、イタリア、そしてイギリス)の中央銀行だけでなく、ドイツ、日本、連邦準備制度に代わってアメリカを代表した三つの銀行代表団が創設した。その後すぐにオーストリア、チェコスロヴァキア、ハンガリーやその他のヨーロッパの小国がBISに加盟した。それは、中央銀行間、もしくは民間銀行との金融取引における隙間を埋めることを目的としていた。しかし、歴史はすぐに大きな転換点を迎えた。ドイツの賠償金支払いは停止されたのだ。しかし、BISは活動を継続した。BISの株主たちには交戦国同士の中央銀行が存在したが、戦時中においてもその機能を停止させることはなかった。

 

レボーは、BISが第二次世界大戦前、そして戦時中において中立ではなかったと確信している。レボーは、BISの総裁や主要な地位の人々がドイツ人ではなかったにもかかわらず、実質的にドイツにコントロールされる銀行になっていたと考えている。レボーは、BISに関わる主要な人々の人生やその活動について詳しく書いている。その主要な人々とは、ドイツ帝国銀行総裁ヒャルマー・シャハト、イングランド銀行総裁モンタギュー・ノーマン、戦時中のBIS総裁でアメリカ人のトーマス・マッキトリックだ。レボーは、ノーマンとマッキトリックが裏切り行為を拡大させたとして非難している。レボーは、第二次世界大戦中に重要な役割を果たした人々の人生を描くことで、第二次世界大戦が外交面、金融経済面、そして政治面で複雑に錯綜していることを読者に示している。

 

彼が取り上げている人物には米国戦時情報局(OSS)スイス支部長アレン・ダレス、米財務長官ヘンリー・モーゲンソー、米財務次官ハリー・デクスター・ホワイト、西ドイツの「経済的奇跡」の設計者と言われているルードビッヒ・エアハルトがいる。それぞれの人生が生き生きとしたエッセイ風の文体で描かれている。そしてそれらには説得力がある。しかし、私は、これらの短いエッセイでは主要な人々に対して十分に正当な評価を加えることはできないと考えている。また、本書は、BISが第二次世界大戦後から現在のような成功を収めるに至った理由とその原動力について全く書いていない。1990年代はじめ、私はハンガリー中央銀行総裁を務めていた。私は毎月BISで開催される総裁会議に出席していた。私の個人的な経験から言えば、BISの役割は重要だし、その存在は必要不可欠である。レボーが「BISは曖昧な存在であるが、エリート主義で、反民主的な存在でもある。そして21世紀にふさわしくない機関である」と結論付けているが、私はこれは厳しすぎるし、正当化できない主張だと思う。

 

BISは、激しく変化を続ける国際環境において新たな役割を見つけねばならない国際機関である。BISが行っている銀行業に関するデータの収集、高度な調査・研究、有効な助言の提供は、現代の金融が正しく機能する上で重要な貢献となっているのだ。ヨーロッパ統一通貨ユーロの導入と欧州中央銀行の創設は、BISに対する新たな挑戦となった。現在、いわゆるBRICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)やその他の新興諸国はその重要性を増し、各国の中央銀行はBISに対して意見が反映され、考慮されることを望むようになっている。BISは、国際金融の要求に対して、その全存在を賭けて革新的に、かつ効果的に対応ができる限り、存続し、繁栄し続けることができるだろう。

 

(終わり)

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野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





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第11回 副島隆彦の“予言者”金融セミナー

『再発する世界連鎖暴落』発刊記念~講演会~

カバー
 
 

開催日:2016年3月20日(日)

開演:12時(開場・受付11時)途中、休憩あり

終了:17時00分(予定)

受講料:15,000円(税込)/指定席

会場:東京証券会館

   東京都中央区日本橋茅場町1-5-8

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アクセス:東京メトロ東西線・東京メトロ日比谷線 茅場町駅8番出口直結

企画・運営:ブレイントラスト企画

主催:(有)アールシステム

 

お問い合わせ

(有)アールシステム ブレイントラスト企画

101-0051 東京都千代田区神田神保町3-2-1 サンライトビル601

電話:03-6261-5465(平日10~18時)[2015年12月26日~2016年1月5日は冬期休業]

ファックス:050-3153-2488

Eメール:bt-soejima@nifty.com



(終わり) 







野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23
 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





 古村治彦です。

 

 今回は、ヘリテージ財団のウェブサイトに掲載された文章をご紹介します。この文章によると、2015年10月にヘリテージ財団の研究員たちが訪日し、早稲田大学でのパネルディスカッションに参加し、防衛省を訪問したそうです。

 

 こうした機会にどういう話があったのかは分かりませんが、「東アジアにおける安全保障環境は悪化している。従って、日本はより大きな負担と責任を負うようにすべきだ」というこの文章の内容から、何となくどういう話があったのかは推測できます。

 

 より厳しい2016年になっていきそうです。

 

==========

 

日本におけるエネルギーと安全保障(Energy and Security in Japan

 

ライリー・ウォルターズ(Riley Walters)筆

2015年11月23日

ヘリテージ財団ウェブサイト

http://dailysignal.com/2015/11/23/energy-and-security-in-japan/

 

 今年の10月、ヘリテージ財団所属の研究者たちの代表団は日本を1週間にわたって訪問する機会を得た。同時期、日本はエネルギーの多様性を高めることとアジア地域における安全保障環境の変化と挑戦について専門家たちが知識を得ることが国益の増進につながることが明白な状況であった。

 

日本国際協力センターを通じて、研究者たちは「カケハシ・プロジェクト:ザ・ブリッジ・フォ・トモロー」に参加した。このプロジェクトに参加することで、ヘリテージ財団の研究員たちは多くの官僚や学者たちと会う機会を得た。

 

 東京にある早稲田大学で一連のパネルセッションが開催された。学者と官僚は、日本の安保法制に関する反対の考え、批判を発表した。日本政府は地域と国際的な安全保障におけるより積極的な役割を果たすことが出来るようになり、集団的自衛権を認める法律を成立させた。日本国民の中には、日本を国際的な紛争に巻き込ませてしまう立法における変化について懸念を持っている人々がいる。早稲田でのセッションでも多く表明された考えがこうした懸念を反映していた。

 

 代表団は日本の防衛省を訪問する機会を得た。この時、代表団はアジア地域における安全保障に関して日本が直面する真の懸念を知ることが出来た。中国、ロシア、北朝鮮それぞれによる軍備増強、軍事予算の拡大、戦略的な軍備配置がそうした懸念を引き起こしている。南シナ海における安全保障環境を一例として挙げたい。日本が輸入する石油と天然ガスの3分の2は南シナ海を通っている。この地域は日本の国益にとって重要である。特に2011年以降、エネルギー輸入量が増加している状況でその重要性は増している。

 

2014年、日本の航空自衛隊は東シナ海と北方領域における中国とロシアの航空機の侵犯に対応するために900回以上のスクランブル発進を行った。

 

 アメリカの政府関係者たちは、日本の安全保障政策の変化を長年待ち望み、その変化を歓迎している。そして、この変化のおかげで日米二国関係が強化されるだろうと述べている。「2016年版インデックス・オブ・USミリタリー・ストレングス」に書かれているように、アジア地域の環境は「好ましい」状況にコントロールされてはいるが、アジア地域に駐留するアメリカ軍の装備は時代遅れになりつつあり、厳しい状況になっている。中国とロシアはアメリカの国益にとってのリスクであり続ける。一方で、北朝鮮の脅威は深刻な状況だ。北朝鮮政府は核開発プログラムを継続している。こうした事態に対応して、東アジア地域のアメリカの同盟諸国は、地域の安全保障に対してより大きな責任を共有することが重要になっている。

 

 アメリカと日本は60年以上にわたり同盟関係を堅持している。そして、これからも同盟関係が堅持され続けることは疑いないところだ。アジア・太平洋地域において古くからの、そして新しい脅威が存続している状況で、脅威に対応するためにアメリカと日本がアジア地域にある他の同盟諸国と緊密に協調することが何よりも重要だ。

 

ライリー・ウォルターズ:ヘリテージ財団付属デイヴィス記念国家安全保障・外交政策研究所研究アシスタント

 

(終わり)







 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




 古村治彦です。

 今回は、2015年12月17日に発売になります、 副島隆彦著『信長はイエズス会に爆殺され、家康は摩り替えられた』(PHP研究所)をご紹介します。日本の歴史において人気のある分野である戦国時代の織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に関して、歴史の定説を覆す、副島隆彦の歴史論となっています。年末年始の読書に最適の1冊です。宜しくお願い申し上げます。

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 はじめに

 

 日本の戦国時代について、これがより大きな見方からの真実だろう、と自分が確信したことをこの本に書く。

 

 信長、秀吉、家康の3人が主従(親分と子分)として生きた時代は、合わせて50年間である。わずか50年なのだ。

 

 ・桶狭間の闘い(1560年5月)、・本能寺の変(1582年6月)、・関ヶ原の戦い(1600年9月)で、合計50年間だ。日本の戦国時代(の後半)のハイライトは、この3つだ。日本人にとって長年そういうことになっている。この共通理解(土台)に私も乗る。桶狭間の奇襲(1560年5月19日)の時、信長は26歳だった。秀吉は2歳下だから24歳だった。家康(松平元康、世良田元信)は、信長より8歳下で18歳だった。

 

 私は今62歳だから、もう50年間(半世紀)を自覚的に生きた。日本の戦国時代を代表する軍事権力者3人が輝いていたのは、今から約500年前のたった50年間のことだ。日本の戦国時代がどんなに激しい動乱の時代だったと言っても、僅か50年間のことだ。

 

 私は、これまで、きっとこれが真実だ、と自分で吟味(審査)して、こっちが真実だろうと判定したことしか本に書かない、という態度で生きてきた。

 

 私は虚偽の言論が世の中に平気でまかり通っていると、我慢できなくなる。どうしても“真実の暴き言論”の爆弾投下を行いたくなる。

 

 日本の戦国時代の歴史の定説、通説にも多くのウソ(虚偽)がある。最近また「戦国もの」の真実への関心が起きている。この論戦に私が参加しないわけにはゆかない。自分が持っている“真実暴き刀”を持ち出して、このケンカの中に私は飛び込んでゆく。

 

副島隆彦

 

 

=====

 

はじめに

 

第1章 現代に伝わる「徳川家康像」はウソの塊

 

清洲会議に仕組まれた戦国武将たちの野望 14

三大事件を一つに繋いでこそ真実が浮かび上がる 18

バテレン以外に信長を殺せる者はいなかった 22

なぜ「明智本」はあと一押しの真実に踏み込まないのか 28

摩り替わり説を決して認めない史実捏造派 34

戦国時代の真実を塗り替える決定的文章 37

もはや禁圧するしかなかったキリスト教の恐怖 42

 

第2章 山崎の合戦で明智光秀はなぜ敗北したのか

 

「明智本」から発見できる戦国時代の真実 48

光秀の書状が書き換えられた理由 52

なぜ「キリスト教の日本侵略」のテーマがタブーだったのか 55

 

第3章 信長を爆殺した本能寺の変の真相 

 

フロイスの信長への好意的な人物評 64

大男の黒坊主・彌助とはどんな人物か? 68

不倶戴天の本当の意味を考えない知識人 71

「不寝の番」の侍たちが油断した隙に爆殺を実行 73

「明智本」が取り逃がしている巨大な敵 77

秀吉が本能寺を移したのはなぜか 80

証拠隠滅のために光秀の殺害を命令 83

「変」の命令者に気づいた秀吉がとった行動 88

あまりにも不自然な信長の最期の言葉 92

南蛮寺から放たれた大砲を見抜いた八切止夫 96

なぜ光秀は真犯人に仕立てられて殺されたのか 100

 

第4章 信長が見抜いたキリスト教の虚偽とは          

 

わずか二年しか布教しなかったザビエル 106

裏で動く特別な才能を持つ細川藤孝の真骨頂 109

義昭をあっさり見捨てて信長に付く 112

僧侶の腐敗と堕落に怒り心頭に発した信長 115

 

5章 信長暗殺計画を秀吉と家康は知っていた

 

光秀を生きたまま連れ帰った忍者・水野忠重 120

やはり明智憲三郎説には無理がある 124

犯行を隠すために捏造情報を広めたバテレン 128

秀吉の隠れ子分だった“毛利の外交僧” 132

信長と同じ危険に気づいてバテレン弾圧を始める 135

光秀の句をもとにした定説のバカらしさ 138

「四国攻め阻止説」も事実隠蔽のためだった 142

裏付ける根拠がない「唐入り阻止説」 145

 

6章 地球儀から日本征服を見抜いた信長の眼力

 

地球儀を献上したことで失敗したバテレンの征服計画 148

気づかれたからには信長を殺すしかない 152

兼見日記の改作、削除は何を意味するのか 156

次第に孤立する光秀の周りで何が起こっていたのか 161

 

7章 秀吉、家康、藤孝の「三人の密約説」は成立しない

 

家康のおかげで処罰を免れた細川ガラシャ 166

どうしても三人密約による共同犯罪にしたいわけとは 168

秀吉の“股肱の臣”の筆頭だった加藤清正 173

 

8章 呪われた江戸城の家康重臣たちのその後

 

家光の生母が春日局であるという事実 180

尊王勢力を打ち破って綱吉を継嗣にした力とは 182

「三ざる」は家康摩り替えの緘口令だった 189

 

9章 信長の「天下人」が始動する桶狭間の戦い

 

今川義元の本陣の横っ腹を突いた信長軍 196

両軍が衝突した場所は今も判然としていない 202

「天下人」の天下とは何を指すのか? 204

 

10章 戦の天才武将たちを破っていく信長の力

 

新家康は伊賀者だという事実 212

川中島の合戦で歴史に名高い大激突 216

 

11章 洋式大砲が勝負を決めた関ヶ原の戦い

 

家康はなぜ自信を持って進撃できたのか 222

一五万人の合戦でも、実際に戦ったのは一〇分の一 230

命がけで戦う兵は一大名当たり二〇〇〇人くらい 234

三成は三キロ先の小早川の陣まで見渡せたはず 237

家康を強気かつ大胆にさせた秘密とは何か 241

本陣を移した最大の理由は、アダムズの洋式大砲の存在 246

確固たる集団指導体制は秘密の共有にあった 250

『史疑』に連綿と書かれた徳川家康の新実話 255

 

12章 新時代のまさに嚆矢となった洋式の巨砲

 

実際に関ヶ原の現地を確認して分かったこと 262

三成挙兵の報が届いても態度を変えなかった家康 265

ウイリアム・アダムズから得た重大な知識 268

アダムズの世界最新鋭の大砲が天下を分けた 272

キャノン砲の威力に驚き寝返った小早川 277

戦国時代の終わりを告げたもの 280

 

おわりに

 

 

=====

 

 おわりに

 

 これで私の「真実の信長、家康」を書き上げた。

 

 日本の戦国時代(西暦で1500年代)についての私なりの歴史の全体概観がこれで出来た。鬼才・八切止夫の業績の復権、復活を誓いながら。

 

 私はいつも、ものごとを大きく全体像で捉まえる、という考え方をする。そのために評論家業をやっている。

 

 知識や学問や思考の過程がたどる道というのは、常にそのようなより大きな広々とした高みに至る、ということを目指す。これができない者は相当に頭のいい人とは、どうせ言われない。かつ、この作業は自分勝手な偏った考えであってはならない。証拠(史料、文献、証言、諸事実)を提示しなければいけない。

 

 Truth  is  mightier  than  power.  (トルース・イズ・マイティアー・ザン・パウア)

「真実は権力よりも強い」 はずなのである。しかし隠され、押し潰され、闇に葬むられたままの真実も多い。その理由は、事件から450年も経った今の今でも、真実が明らかにされることが不都合な人々がいるからだ。それらの真実は、ごく少数の堅い決意と志を持った者たちによって、無念に満ちた地底から掘り起こし救い出されるべきものである。恨みを呑んで死んでいった者達の怨霊が私たちのまわりの中空を今も舞っている。

 

 この本を書くために、私は桶狭間、京都の真実の本能寺跡、松平郷、上州(群馬県)世良田村、清州城、岐阜城、関ヶ原、駿府城などに行った。現地に行って事件の現場を歩き回って考える必要がどうしてもある。現地に行くと多くの収穫が有る。眼に見えないはずのものが見えてくる。調査旅行の幾つかに同行してくれて、この本が完成するのを辛抱強く待ってくれたPHP研究所の大久保龍也氏に感謝申し上げる。

 

平成二十七年十二月

副島隆彦

 

(終わり)









野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




 

 古村治彦です。

 

 今回は、ドナルド・トランプの「イスラム教嫌悪症(Islamophobia)」に関する反応についての記事をご紹介します。今回の記事ではヒラリーの側近であるフーマ・アベディンの反応を記事にしています。

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フーマ・アベディン 

 

 2016年米大統領選挙の共和党予備選挙ではドナルド・トランプが独走状態になっています。しかし、今回の発言でその勢いが止まってしまう可能性があります。トランプのような人物は遅かれ早かれ、「失言」をしてしまうことは確実でした。

 

 これに対して、民主党だけでなく共和党からも批判が出るのもまた当然のことで、エスタブリッシュメントからすればトランプは小うるさい感じの存在でしかありません。

 

 ただ、彼の発言を支持する有権者は南部を中心に多くいます。しかし、そうした人々に焦点を絞ってみても大統領選挙の本選挙で勝利することはおぼつかないのです。

 

 来年1月から民主、共和両党で予備選挙や党員集会がスタートします。その直前になってのこうした発言はトランプの勢いを止めるだけではなく、エスタブリッシュメント側の大攻勢が始まるきっかけになるように思われます。

 

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フーマ・アベディンがトランプの「イスラム教嫌悪症」を非難(Huma Abedin blasts Trump's 'Islamophobia'

 

ベン・カミサー筆

2015年12月8日

『ザ・ヒル』誌

http://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/news/262417-huma-abedin-i-am-a-proud-muslim

 

 フーマ・アベディンはドナルド・トランプがイスラム教徒のアメリカ入国を阻止すべきだと主張したことにして、「イスラム教嫌悪症(Islamophobia)」だと批判している。

 

 アベディンはヒラリー・クリントンの補佐官を長年務め、現在はヒラリーの選挙対策本部の副委員長を務めている。アベディンは月曜日の夜に支持者たちに向けてEメールでメッセージを発表した。彼女はその中で、「トランプ氏は我が国の法律の中に人種差別的な条項を導入したいと望んでいるのです」と書いた。

 

アベディンは続けて次のように書いた。「彼のイスラム教嫌悪症は私たちの国アメリカの価値観を反映したものではありません。彼の主張は私たちの国の名声を傷つけるものであり、アメリカの国家安全保障に脅威を与えるものですらあります」。

 

 イスラム教徒であるアベディンはEメールのメッセージの最後で、行動を起こすことを求め、読者たちに「スタンド・ウィズ・ヒラリー」の署名ページと献金ページに飛べるようにそれらを紹介している。

 

 アベディンは次のように書いた。「残念なことに、トランプ氏はある種の恐怖感の増大によってアメリカ大統領選挙の共和党予備選挙でトップに立っています。私たちは彼の勢いを止めねばなりません」。

 

 アベディンは10年以上にわたりヒラリーの側近中の側近として仕えてきた。ヒラリーが国務長官在任中や2008年の米大統領選挙においても補佐官や補佐役として重要な役割を果たした。

 

 トランプはイスラム教徒の移民を禁止することを求める声明の中で、センター・フォ・セキュリティー・ポリシー(Center for Security Policy)による世論調査の数字を引用している。

 

 サザン・プーヴァティ・ラー・センターの所長J・リチャード・コーエンは、センター・フォ・セキュリティー・ポリシーについて、「反イスラム的な共同謀議論(陰謀論)を信奉するある人物によって主導される過激な考えを主張するシンクタンク」だと述べている。

 

 センター・フォ・セキュリティー・ポリシーによる世論調査に対しては、ジョージタウン大学ブリッジ・イニシアティヴも批判している。ジョージタウン大学ブリッジ・イニシアティヴはイスラム教嫌悪症を追跡し、イスラム教嫌悪症は「大きな誤りだ」と主張している団体だ。

 

 センター・フォ・セキュリティー・ポリシーはこれまでにもたびたびアベディンと保守の論客・活動家のグローヴァー・ノーキストをムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)の秘密エージェントだと非難してきた。

 

(終わり)









 
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アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2015-12-09




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




 古村治彦です

 

 今回は、私が翻訳を致しました、ダニエル・シュルマン著『アメリカの真の支配者コーク一族』(講談社、2015年)を皆様にご紹介いたします。

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デイヴィッド・コーク(左)とチャールズ・コーク

 この本は、アメリカ政界において、その資金力で大きな影響力を持っている、チャールズ・コーク、デイヴィッド・コーク兄弟を中心としたコーク一族を日本で初めて紹介する内容となっています。

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チャールズ、デイヴィッド・コークが形成する政治ネットワーク

 

 以下に、欧米メディアに掲載された書評記事や紹介記事を掲載します。これらを参考にして、手に取っていただければ幸いです。宜しくお願い申し上げます。

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コーク兄弟はいかにしてアメリカの政治の風景を変えたか(How The Koch Brothers Remade America's Political Landscape

 

2014年5月21日

全米公共ラジオ(NPR National Public Radio

http://www.npr.org/2014/05/21/314574217/how-the-koch-brothers-remade-americas-political-landscape

 

チャールズ・コーク、デイヴィッド・コークの兄弟は、新刊『ウィチタの息子たち:コーク兄弟はいかにしてアメリカで最も強力なそして一族の王朝を作り上げたか』のテーマになっている。著者のダニエル・シュルマンは、コーク兄弟がアメリカの政治の風景を変えるために莫大なお金を投入してきた様子を描いている。彼らはリバータリにアニズムをアメリカの主流に押し上げようと努力してきた。

 

 コーク兄弟は自分たちの考えを支持する個々の候補者たちを支援するだけでなく、リバータリアン党でおいて重要な役割を果たし、ティーパーティー運動の立ち上げにも深く関わった。コーク・インダストリーズの創設者である彼らの父フレッド・コークは、極右団体ジョン・バーチ協会の創設メンバーであった。

 

 コーク・インダストリーズは全米で第二位の規模を誇る非上場企業である。年間1150億ドルの売り上げを誇り、全世界60カ国に展開している。チャールズとデイヴィッドは全世界で第6位にそれぞれランクされている大富豪である。

 

 ダニエル・シュルマンは左翼誌『マザー・ジョーンズ』のワシントン支局の上級編集者であり、同誌の調査報道ティームの創設メンバーである。シュルマンは全米公共ラジオの番組「フレッシュ・エアー」の司会者テリー・グロスに、コーク兄弟が現在の政治風景に如何に影響を与えているかを語っている。

 

●コーク兄弟の政治スタンスについて

 

 コーク兄弟の信奉するイデオロギーはリバータリアニズムである。彼らは現在、共和党におけるキングメイカーであると考えられているが、しかし、彼らの哲学は共和党の主流派と合わない部分が多い。例えば、コーク兄弟は戦争に反対している。彼らは市民生活においてはリバータリアンである。彼らは社会的に保守派ではない。デイヴィッド・コークは、同性愛結婚に賛成している。彼らは女性の性と生殖に関する権利(中絶など)に反対していない。コーク兄弟と現在の共和党で一致する点は経済問題についてである。彼らは経済的には保守派である。おそらく共和党主流派よりもより強硬な考えを持っているであろう。チャールズは過去に、政府の役割について、私的な所有権を守り、需要と供給の法則を維持するためだけに存在する、夜警国家であるべきだと発言している。

 

●コーク兄弟の政治的影響について

 

 オバマ政権下、コーク兄弟は政治的ネットワークを急速に拡大させていった。この拡大の理由の一つはオバマ大統領に対する保守派からの大規模な反撃が起きたことであった。コーク兄弟はこれをうまく利用したのだ。またもう一つの理由は、民主党はコーク兄弟を悪しざまに批判したことであった。これによって、多くの共和党の政治家たちがコーク兄弟の許に走ることになった。

 

 コーク兄弟と共和党との関係は良好なものではない。また、伝統的にそうであった。それは、コーク兄弟の政治スタンスは共和党と一緒ではないからだ。コーク兄弟はリバータリアンであり、共和党の政策に関しては少ししか同意できるものがない。しかし、民主党がコーク兄弟を悪しざまに罵ることで、彼らは保守派の中で知名度を上げていったのである。

 

●コーク・インダストリーズの規模について

 

 コーク・インダストリーズは巨大企業である。元々石油と肉牛牧場帝国からスタートした。しかし、そこから規模を急速に拡大していった。コーク・インダストリーズは石油化学企業である。世界第3位の実物資源の取引業者である。ジョージア=パシフィック社を所有しており、身近なブランドであるバラウニー、アンジェルソフトトイレットペーパー、ディクシー紙コップはコーク・インダストリーズの子会社が作っていることになる。ほとんどのアメリカ人はコーク・インダストリーズの名前を知らないであろう。アメリカ人のほぼ全ては毎日、彼らの作った製品に接していることもまた知らないのである。

 

●コーク兄弟の気候変動に対する立場について

 

 コーク兄弟はどんな規制にも全面的に反対している。彼らはこれまで規制というものを全く好まないでここまで来た。気候変動に対する政策について、彼らはその存在に疑義を呈するグループや組織に資金を提供してきている。彼らは気候変動とそれに関する規制について、彼らのビジネスモデルに対する大きな脅威である考えている。彼らは石油と石油化学の分野でビジネスを行っており、そうした規制は彼らのビジネスに大きく関わっているのである。彼らは気候変動の存在に疑義を呈しようとするグループに資金を出しているのである。

 

 デイヴィッドは科学的な人物である。私は、チャールズもそうだと考える。チャールズはMITで2つの修士号を所得した。1つは原子量工学の修士号だ。彼らは反科学的ではない。それでも、彼らは気候変動の存在を否定するために多額の資金を投入している。気候変動については化学的なコンセンサスが既に存在しているのであり、それに反対するために資金を投入することは間違っていると私は感じている。

 

●ティーパーティー運動創設におけるコーク兄弟の役割について

 

 彼らの思想の系譜を遡るとジョン・バーチ協会に行き着く。兄弟の父フレッドはジョン・バーチ協会の創設メンバーであり、チャールズも会員だったことがある。ジョン・バーチ協会は政府の全ての活動が社会主義につながるものだと考えた。そして、この思想の系譜はオバマ政権下でも姿を現した。これは何も突然にしかも偶然に起きたものではない。コーク兄弟は様々なシンクタンクに資金援助をすることで、知的な面での社会資本を長年にわたり整備してきた。そして、ティーパーティー運動の組織化と資金提供に関して言うと、コーク兄弟と深いつながりがある政治活動団体アメリカンズ・フォ・プロスペリティがティーパーティー運動組織化の最前線に立ち、運動を牽引したのである。従って、私はコーク兄弟がティーパーティー運動について重要な役割を果たしたと主張する。彼らが自分たちの関与を否定することは分かっている。

 

●チャールズ・コークがリバータリアニズム運動の創設者の一人であることについて

 

 私たちがリバータリアニズムについて語っている理由、そしてリバータリアニズムが人々の間で人気のあるイデオロギーになっている理由に、チャールズ・コークの存在が挙げられる。彼がリバータリアニズムに対してお金を使いだしたのは1960年代からで、その時から機関や組織を建設するという方法を継続してきた。

 

 1977年、チャールズ・コーク財団はケイトー研究所に代わった。ケイトー研究所は現在のリバータリアニズム運動における重要なシンクタンクとなっている。しかし、ケイトー研究所は、デイヴィッド・コークが兄チャールズのイデオロギー上のプロジェクトに参加するまではそうではなかった。本書執筆のために調査をして分かったことは、デイヴィッドとチャールズの慈善事業活動には大きな違いがあるということだ。デイヴィッドは文字通りの慈善事業家なのである。彼は医学研究や科学に資金を提供しているし、芸術分野でも多額の寄付を行っている。チャールズの人生をかけた目標はアメリカの政治文化を変え、リバータリアニズムを主流の思想にすることであり、そのために50年以上も活動を続けてきたのである。

 

●シュルマンがこの本を書こうと思った理由について

 

 2010年、コーク兄弟に対して公然と激しい批判が巻き起こった。私は彼らの出自、彼らの育てられ方、会社の起源、彼らの信奉するイデオロギーの起源を知りたいと思った。コーク家の物語を深く掘り下げていくにつれて、壮大な物語を、時には悲劇も含まれるが、発見した。そして、コーク家は多くの人々が考えているよりも重要な存在であること、彼らの影響力は将来にわたって続いていくであろうことを書きたいと思った。

 

(終わり)

 

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コーク兄弟に関する伝記、ダニエル・シュルマン著『ウィチタの息子たち』の書評

 

マティア・ゴールド(Matea Gold)筆

2014年5月24日

ワシントン・ポスト紙

http://www.washingtonpost.com/opinions/book-review-sons-of-wichita-by-daniel-schulman/2014/05/23/4bdbd3d4-e1e1-11e3-810f-764fe508b82d_story.html

 

 ダニエル・シュルマンは、コーク家に関する興味深い伝記を書き上げた。その書き出しは暴力に関する描写からである。1950年代のウィチタで、十代の少年である双子デイヴィッドとビルは田舎道の側で怒りにまかせてパンチの応酬を行った。

 

 このような家族間の暴力は『ウィチタの息子たち:コーク兄弟はいかにしてアメリカ国内最大の家族所有の大企業を作り上げ、有力な一族となったか』の中に繰り返し出てくる。このサブタイトルにもかかわらず、本書『ウィチタの息子たち』はコーク兄弟の企業複合体と政治ネットワークの分析よりも、四兄弟の間で起きた醜い争いに焦点を当てている。この争いのせいで、コーク家は20年にわたり分裂し続けた。

 

 シュルマンはリベラル系の雑誌『マザー・ジョーンズ』で働いている。彼は同誌のワシントン支局の上級編集者である。左派の多くの人々はコーク兄弟について悪意に満ちた人形使いだと漫画のキャラクターのように描き出している。しかし、シュルマンはコーク兄弟をそのようには描いていない。その代り、彼はコーク兄弟について深く調査し、洞察に溢れる描写を行っている。そして、彼らを形作っている個人的、政治的な力を明らかにしている。

 

 シュルマンは、コーク兄弟に最も大きな影響を与えているのは彼らの父親フレッド・コークだと書いている。フレッドは反共産主義を標榜しているジョン・バーチ協会の初期の指導者であった。フレッドは子供たちに厳しく接し、感情的なつながりなど持たなかった。フレッドは、スターリン時代のソ連でビジネスを行った経験から、熱心な反共主義者となった。フレッドのイデオロギーは子供たちにも伝わった。それがリバータリアニズムである。

 

 シュルマンは単刀直入な文体で、コーク帝国の起源について素晴らしい物語を紡いでいる。彼は、テキサス州クワナ生まれの若きフレッド・コークが、石油資源が豊かなカンザス州でエンジニアとして働き始めたところから物語を始めている。オランダ移民の子フレッドはある会社の株式を300ドルで購入し、その会社を石油精製企業に育てた。彼は賢い投資を行ったことで、莫大な富を作り上げた。フレッドはウィチタの上流階級の令嬢であったメアリー・ロビンソンと結婚したことで社会的地位を上昇させた。彼は新妻メアリーを7カ月に及ぶ世界一周の新婚旅行に連れ出した。

 

 フレッド・コークは健康問題を抱えていた。それでも彼は「カントリークラブにたむろする道楽息子たち」にしないと固く決心していた。

 

 シュルマンは次のように書いている。「彼は息子たちに乳牛の乳搾り、糞の掃除、溝の清掃、草刈りなどありとあらゆる仕事をさせた。この終わりのない仕事の連続は夏の時期には拷問のようであった。ウィチタの上流階級の子供たちは午後になればカントリークラブに行って遊んでいた。彼らの歓声が13番街の通りを隔ててコーク家の屋敷まで聞こえてきた」

 

 子供のころから、四兄弟は競争をさせられ、父フレッドに対しては全く違った対応をした。長男フレデリックは母と同じく芸術を愛好し、父からはすぐに疎まれ、後月の地位からは早々に脱落した。二番目の息子チャールズは10代の頃は悪ガキであったが、最終的には落ち着き、家族のビジネスを継いだ。双子であるデイヴィッドとチャールズは、父からけしかけられて子供のころから争い続けてきた。彼らは子供の時からボクシングのグローヴを着けて殴り合いをしていた。

 

 『ウィチタの息子たち』ではそのかなりの部分を使って、兄弟間のコーク・インダストリーズの支配権を巡る20年に渡る法廷闘争について丹念に描き出している。チャールズとデイヴィッド対ビル、時にフレデリックという構図であった。両方の争いは余りにも醜くなり果て、ある時には兄弟たちは私立探偵を調査員として雇い、お互いの生活についてほじくり合った。ビルが雇った調査員たちは「掃除人とごみ収集車の人たちにお金を渡して、チャールズ、デイヴィッド、そして彼らの雇った3名の弁護士たちの事務所と自宅のごみ箱を漁った」とシュルマンは書いている。

 

 家族はカンザス州トピーカの裁判所で陪審員たちの前で争った。それは1998年のコーク対コーク・インダストリーズ裁判でのことであった。裁判中、証言台に立ったデイヴィッドは双子の弟ビルが会社の実権を握ろうとして裁判まで起こしたことを残念に思い、涙を流した。チャールズとデイヴィッドが裁判に勝利したのだが、ビルは集まった記者たちに対して控訴すると宣言し、「彼らは詐欺師だ」と怒りをぶちまけた。

 

 兄弟たちは2001年に和解した。兄弟たちはビルが所有するパームビーチの邸宅で夕食を共にし、父親の遺した財産の分割について最終的な合意書に署名した。彼らが夕食を共にしたのは20年ぶりのことであった。

 

 コーク兄弟と彼らの政治活動について関心を持つ人々にとって、本書『ウィチタの息子たち』には、彼らがどのように政治に関与しているかについて大きな発見がないと思うことだろう。しかし、シュルマンはチャールズ・コークの政治的な立場の変遷について丹念に描き出している。彼は父フレッドが始めたジョン・バーチ協会のメンバーであった。彼の友人が家を訪ねた時、アーネスト・ヘミングウェイの『陽はまた昇る』を持っていた。チャールズは、「ヘミングウェイは共産主義者だから」と言って、友人の持っていた本をドアの外に置かせてそれから家に招き入れた。

 

 フレッド・コークは1967年に死去した。その後、チャールズはジョン・バーチ協会とヴェトナム戦争に対する支持を巡って争うようになり、絶縁した。彼はリバータリアニズムを信奉し、リバータリアニズム運動に対して資金援助を始め、1977年には新しいシンクタンクであるケイトー研究所を設立した。ケイトー研究所の設立は、後にコーク兄弟が完成させたシンクタンクと政治家の非営利組織のネットワーク作りの第一歩となった。

「コクトパス」という言葉は、リバータリアン党のある人物が、チャールズが党をカネで動かそうとしていると批判した時に使った言葉である。

 

 チャールズは政治への関与を深めた時、共和党を軽蔑していた。1978年8月に出された『リバータリアン・レヴュー』に掲載された4ページの論稿の中で次のように書いている。「共和党が私たちにとっての唯一の希望と言うことなら、私の未来はない。共和党は“ビジネス”の党であると標榜しているが、それは最悪の意味でのことである。彼らの言う“ビジネス”の党とは、補助金と政府とのつながりを意味するのである」

 

 チャールズは、正統リバータリアニズム思想を1990年代に入り、ますます信奉するようになった。それはこの時期、コーク・インダストリーズは数々の裁判で負け続けたからだ。コーク・インダストリーズの所有するパイプラインからガスが漏れたためにそれに引火して大事故となり、十代の若者が2名亡くなった事件の裁判では記録となる2億9600万ドルの賠償金の支払いが命じられた。

 

 シュルマンは「彼が実際に生きていた世界は彼が望むようなリバータリアニズムの楽園ではなかった」と書いている。それから突然、チャールズはコーク・インダストリーズは「全ての法と規制を1万パーセント守る」という方向に転換した。コーク・インダストリーズは、ロビー活動を活発化させ、ワシントンDCで行われる国政に関与し始めた。

 

 しかし、大きな転換点となったのは2008年の大統領選挙でバラク・オバマが当選したことであった。チャールズ、デイヴィッド、彼らのアドヴァイザーであるリチャード・フィンクは、新大統領が現代版のニューディール政策を推進することに恐怖感を持った。彼らは、オバマと同じ民主党のビル・クリントンがホワイトハウスの主であった時に行われた、コーク・インダストリーズに対する厳しい捜査が再び行われることがないようにしようと躍起になった。

 

 コーク兄弟は、彼らの旗艦とも言うべき政治団体であるアメリカンズ・フォ・プロスペリティを通じて政治への関与の度合いを高めた。アメリカンズ・フォ・プロスペリティはティーパーティー運動を組織し、発展させることに貢献した組織である。

 

 シュルマンはコーク兄弟は最初のうちアメリカンズ・フォ・プロスペリティの活動とは距離を取ろうとしていたと指摘している。コーク兄弟がスポットライトを浴びることになったのは、環境保護団体グリーンピースがコーク兄弟についてのレポートを出したからだ。シュルマンはこのレポートについて、「効果的ではあったが、誤解を招きかねない」ものであったと書いている。このレポートで、グリーンピースはコーク兄弟が右派の組織やシンクタンクに多額の資金を提供し、気候変動の存在そのものについて否定的な立場から議論させようとしていると主張した。

 

 2010年の中間選挙の間、コーク兄弟の名前はマスコミを賑わせた。コークという名前は忌み嫌われ、家族は表舞台に顔を出さないようになった。シュルマンは「コーク兄弟はオバマ大統領が主人公の人形劇の敵役と同じ存在になってしまった」と書いている。

 

 それから4年後、この構図は変わらずに続き、コーク兄弟の存在はアメリカ政治に関する議論の一つのテーマとなっている。

 

 シュルマンは2年以上をかけて「ウィチタの息子たち」について報道し、調査を行ってきた。そして、文書庫に遺されていた数千ページの文書を丹念に調べ上げ、コーク家に近い多くの人々に対してインタヴューを行った。しかし、チャールズとデイヴィッドは彼のインタヴューに答えることはなかった。

 

 本書は372ページの大部で、コーク家に関して細かい点まで言及している。シュルマンは、フレデリックは1959年に同性愛者組織に対して、ヨーロッパにある同性愛者たちが集まるバートレストランのリストを送ってくれるように依頼する手紙を発掘した。コーク家の友人たちはシュルマンに対してフレデリックは同性愛者であると語っているが、彼自身は否定している。シュルマンは、1つの章でメアリー・コークがある美学教授と、夫フレッドの死後の人生の後半生において深い関係になったことを詳細に描き出している。そして、彼はビルがたくさんの女性たちとの恋愛遍歴を細かく書いている。また、あるガールフレンドとの激しいファックスのやり取りをしていたことを具体的に書いている。

 

 しかし、『ウィチタの息子たち』の全体的なトーンは公平で豊富な内容となっている。シュルマンは、注意深く取材され分析された内容を私たちに提供することで、彼らの莫大な資金がアメリカ政治を劇的に作り変えた男たちについての私たちのイメージを刷新させることに成功した。彼は、コーク兄弟たちの目的と行動の理由、更に彼らに付きまとう欲望について明確に描き出している。

 

※マティア・ゴールド:ワシントン・ポスト紙で経済と政治を担当している。

 



(終わり)







野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

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アメリカの真の支配者 コーク一族
ダニエル・シュルマン
講談社
2015-12-09




アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 先日の大阪のW選挙(大阪府知事選挙、大阪市長選挙)では大阪維新の会が勝利を収めました。この時のW選挙では、大阪維新の会対自民・民主・共産(公明党は自主投票)という奇妙な構図になりました。自民党は連日、大臣クラスを選挙応援に派遣していたのですが、一枚岩の感じはなく、官邸は大阪維新の会を間接的に支援しているかのように見えました。また、連立与党のパートナーである公明党が自主投票に回るということもあって、自公が一枚岩で大阪維新の会に対峙するという感じはありませんでした。

 

 下に貼りつけた毎日新聞の記事は、官邸(菅義偉官房長官)と自民党(谷垣禎一幹事長)との間の分裂が起きているようです。この記事では、軽減税率のことが焦点になっているようです。公明党は軽減税率を導入したい、連立を組んでいる安倍政権はそれを何とかしてあげたい、しかし、財務大臣の経験もある谷垣氏は財務省の意向もあって反対している、ということだそうです。

 

 私はこの分裂はもっと大きな問題にまで波及すると考えます。それは憲法改正問題です。安保法制も成立した今、安倍政権が目指すものは憲法改正です。公明党は平和の党とは言いながら、その実態は既に自民党に従属するだけの政党になってしまっており、憲法改正、具体的には憲法第九条改正に関しても理屈をこねて見ないふりをして、彼らの考える実利を取るという方向に行くと思われます。

 

 そして、大阪維新の会がW選挙で勝ったことで、来年の参議院議員選挙とそれ以降の動きが激しくなりそうです。具体的には、橋下徹氏が国政に進出、ということで大阪維新の会が大阪や関西を中心に票を伸ばしつつ、公明党の現職は通すという方向になるでしょう。衆議院との同日選挙ということも言われているようですが、同日選挙では与党が強いですから、自民党、公明党、そして大阪維新の会と、自民党にすり寄るいくつかの野党が衆参でそれぞれ3分の2の議席を獲得するというシナリオが描かれているでしょう。

 

私は、憲法改正に向けた動きを「2016年問題」と名付けて2014年の段階で重大な問題であると書きました。

 

※2014年1月7日付 「【再掲】2016年問題と言ったほうがよいかもしれない」

http://suinikki.blog.jp/archives/1328800.html

 

 この時はまだ、「憲法改正には時間がかかる」と考えていました。しかし、どうも事態はかなり急激に動いているようです。来年の参議院選挙、憲法改正まで進めさせるかどうかの大変重大な選挙となります。野党の結集もままならない状況で、改憲勢力が衆参3分の2の議席を占めてしまう危険性が高まっています。その中で、自民党からいくらなんでもこうした動きに反対するという人々が出てくれば良いのですが、それも期待薄です。日本は益々危険な方向に進みそうです。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

自民党:菅官房長官と谷垣幹事長、関係ぎくしゃく

 

毎日新聞 20151126日 2139分(最終更新 1127日 0002分)

http://mainichi.jp/select/news/20151127k0000m010119000c.html

 

 自民党の谷垣禎一幹事長と菅義偉官房長官の関係がぎくしゃくしている。軽減税率に関する与党協議では、安倍晋三首相が24日に行った指示を巡り、谷垣氏が財源規模への言及があったとにおわせる一方、菅氏は明確に否定した。2人は安倍政権を支える「両輪」だが、大阪ダブル選でもすきま風が吹いたばかりで、与党幹部は政局への影響を注視している。【高本耕太、野原大輔】

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 「具体的な数字は言っていない。首相に確認した」。菅氏は25日の記者会見で首相指示の内容を問われ、こう言い切った。自民党が想定する4000億円の枠にこだわらないとの意思表示だ。官邸関係者によると、首相は「ない袖は振れない」としつつ、財源や対象品目は与党協議に任せる意向という。

 

 ただ、軽減税率に慎重な自民党側には、頭越しの菅氏の言動に反発が少なくない。24日の首相指示は谷垣氏と宮沢洋一税調会長に直接出され、両氏は4000億円を前提とした指示との認識を示している。税調幹部は「宮沢氏は会見前に発言内容を首相とすりあわせた」と強調する。

 

 菅氏の念頭にあるのは来夏の参院選だ。勝利して長期政権を築くには、公明党の支持母体・創価学会の支援が不可欠だ。学会側と独自の人脈がある菅氏は、周囲に「自民党の主張で押し切れるものではない」と発言。公明幹部も「菅さんはすぐれた勘を持っている」と持ち上げる。

 

 元財務相の谷垣氏らにとって、1兆円規模の財源が必要な公明党の主張はのめない内容だ。ただ、安倍政権では昨年の消費再増税の延期判断など、既定路線が覆されてきた経緯がある。首相指示を盾に公明党に譲歩を迫る谷垣氏の思惑は崩れ去り、自公両党の対立が激しくなるほど、官邸の求心力が増す構図になっている。

 

 菅氏の強気の背景には、政局の主導権を首相官邸で握り続ける思惑がありそうだ。大阪ダブル選で自民党と対立する大阪維新の会に秋波を送ったのも、首相に近い橋下徹大阪市長との「連携カード」を手に、与党をけん制するためだ。

 

 それでも軽減税率協議は難航しており、公明党内では「2017年4月の消費再増税の見送りもあり得る」との声が漏れ始めた。与党内では「伊勢志摩サミット(主要国首脳会議)の成功の余勢を駆って衆院解散を狙うのでは」との見方があり、来年の通常国会会期末の衆院解散と衆参同日選を予想する声も出ている。

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)





野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23


 

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