古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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2016年04月

 古村治彦です。

 

 2016年米大統領選挙の共和党予備選挙はドナルド・トランプが大きくリードしています。先日行われた出身州である大票田ニューヨーク州でも大勝を収めました。また、2016年4月26日にコネティカット、デラウェア、メリーランド、ペンシルヴァニア、ロードアイランド各州で行われた予備選挙でもトランプは圧勝し、代議員を109名獲得しました。2番手につけているテッド・クルーズは代議員を3名しか獲得できず、ジョン・ケーシックも5名の獲得に留まりました。ニューヨーク・タイムズ紙によると、これまでの獲得代議員数はそれぞれ、トランプが954名、クルーズが562名、ケーシックが153名となっています。

 

 代議員の残りは502名となっています。代議員数の過半数は1237名ですから、クルーズはこれから全部を取っても過半数には届きません。トランプは約56%の代議員を獲得すれば過半数に届きます。反トランプ派としては、メリーランドとペンシルヴァニアでトランプの勢いを止めて、まずトランプの得票率を50パーセント以下に抑え、クルーズの得票率を20%以上にして、代議員の獲得を目指しましたが、これに失敗しました。

 

 クルーズとケーシックは、「大同団結」して、トランプ阻止のために協力すると発表しましたが、これについて、トランプは「共謀・馴れ合い(collusion)」だと批判しています。「株式の世界では共謀は許されないのに、政治の世界では許される。そして、既得権益を持つ政治家たちが共謀しているのだ」とトランプは勢いよく主張しています。

 

 4月26日の東部5州での予備選挙ではトランプの優勢が伝えられていましたが、ここまでの圧勝は予想外であったと言えます。3月末から4月上旬にかけてのユタ州とワイオミングの予備選挙でクルーズが勝ったことで、反トランプが勢いづき、トランプ旋風も一頓挫という感じになりましたが、出身のニューヨーク、そして東部5州の結果で息を吹き返しました。

 

 それには、トランプの「変身」という理由もあったようです。日本でも「トランプの言動が大人しくなった」という報道がなされましたが、過激な物言いが少なくなりました。『ワシントン・ポスト』紙のクリス・シリザ記者は、これを「トランプ2.0」と呼んでいます(いつまで続くか分からないという留保はつけていますが)。

 

 「トランプ2.0」党大会担当のポール・マナフォート、全国選挙運動責任者リック・ワイリーの功績であるとシリザ記者は分析しています。トランプ陣営は、11月の本選挙に向けて、少しずつ穏健モードにシフトしているようです。ロケットの打ち上げのように、まず過激な物言いで、既存の政治に不満を持っている人たちの支持を集め、それをブースターにし、そのブースターを切り離して、安定飛行に入るという戦略が見事に当たっていると思います。

 

 こうしたトランプの戦略に共和党の主流派の人々は翻弄されてしまっていると言えるでしょう。

 

(新聞記事転載貼り付けはじめ)

 

The Fix

The new Donald Trump should scare the hell out of the GOP establishment

 

By Chris Cillizza April 20 at 9:32 AM

Washington Post

https://www.washingtonpost.com/news/the-fix/wp/2016/04/20/the-kinder-more-disciplined-donald-trump-should-scare-the-hell-out-of-the-gop-establishment/

 

Gone was “Lyin’ Ted.” In its place was “Senator Cruz.” Gone was the long-winded speech that went nowhere. In its place was a succinct recitation of states and delegates won. Gone was the two-day vacation as a reward for winning. In its place was an early morning trip to Indiana followed by another planned stop in Maryland.

 

Donald Trump 2.0 made his official debut Tuesday night following his sweeping victory in New York, a win that looks to net him 90 delegates and reestablishes him as the man to beat in the Republican presidential race.

 

After winning the New York GOP presidential primary April 19, Republican front-runner Donald Trump told a crowd at Trump Tower in Manhattan that he planned to celebrate for a night, then "go back to work" the next day. (Associated Press)

That version of Trump was markedly more disciplined, gentler and more appealing than the version of Trump we've seen for much of the last year. And, that fact should scare the hell out of establishment Republicans who believed that their efforts to keep Trump from the 1,237 delegates he needs to formally capture the GOP nomination was beginning to catch on.

 

Why? Because it’s clear, at least for now, that Trump is listening to his new political advisers — chief among them convention manager Paul Manafort and national field director Rick Wiley. Trump’s change in tone on Tuesday night was absolutely unmistakable to anyone who has paid even passing attention to his campaign to date.  The man who had built his front-running campaign on a willingness to always and without fail take the race to its lowest common denominator — was suddenly full of respect for the men he beat and full of facts about the state of the race.

 

 We have won millions of more votes than Senator Cruz, millions and millions of more votes than Governor Kasich,” Trump said. “We’ve won, and now especially after tonight, close to 300 delegates more than Senator Cruz.”

 

The change in tone is absolutely necessary if Trump wants not only to find a way to 1,237 delegates but also unite the party behind him in any meaningful way heading into the general election campaign this fall. The truth is that Trump has to play an outsider and an insider game from here on out. The outsider game is to keep winning primaries by convincing margins like he did in New York. The insider game is to show unbound delegates as well as party leaders and influencers that he can be magnanimous, that he can be a uniting force within the party.

 

Calling Cruz “Lyin’ Ted” is a great laugh line at a Trump rally but accusing the Texas senator of holding up the Bible and then putting it down and lying isn’t exactly the sort of rhetoric you need or want from a candidate who needs to bring the party together behind a common enemy in Hillary Clinton. It’s the difference between being voted “class clown” and being elected student body president. The former delights in taking the low road for cheap laughs. (I speak from experience.) The latter takes the high road even if it’s against his or her own natural instincts.

 

Can Trump keep it up?  Discipline on a single night or even a single week is one thing. Discipline over several months amid what will be continued attacks from both Cruz and the “stop Trump” movement is something else. And, listening to your new advisers when they are, well, new is easier than listening to them when it’s been a few months of biting your tongue and fighting back some of your natural attack instincts.

 

But, Trump has shown — both on Tuesday night and over the past week or so — an ability to rein himself in that suggests he understands that this new and improved version of himself is the one that can actually win the Republican presidential nomination.  Be scared, anti-Trump forces. Be very scared.

 

(新聞記事転載貼り付け終わり)

 

(終わり)



 

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 古村治彦です。

 

 昨日、2016年4月24日に北海道第5区と京都第3区で衆議院議員補欠選挙が行われました。北海道では自民党の 京都では民進党の がそれぞれ当選しました。

 

 今年は夏に参議院議員の通常選挙が行われます。また、政界では、安倍晋三首相がそれに合わせて衆議院を解散して、いわゆる「ダブル選挙」を行うのではないかという話も出ています。ダブル選挙で勝利を収めた場合、政権基盤はますます強固になります。ですが、ダブル選挙となると与野党ともに準備が大変ですし、与党が敗北した場合には安倍首相の退陣にまで話が及ぶという危険もあり、大きな賭けとなります。

 

 1986年の衆参ダブル選挙では、公職選挙法改正もあって、「衆議院の解散はない」と当時の中曽根康弘内閣の後藤田正晴官房長官が「煙幕」を張っていたこともあり、「抜き打ち」解散によるダブル選挙が成功し、野党側は準備をしていなかった(民社党の春日一幸最高顧問は見抜いていたが執行部が油断していたという話もあります)ために、与党が圧勝し、派閥の規模が小さく、田中派の影響下にあった(田中曽根内閣と呼ばれた)、中曽根政権の基盤強化につながりました。

 

 話が飛んでしまいました。私は、選挙の結果と共に、両選挙区での投票率を見ていたのですが、北海道で約57%、京都で約30%いう結果になりました。北海道の結果を先に見て、「かなり注目された選挙だったけど、ちょっと低かったな」と思ったのですが、京都の結果を見て、大変驚きました。確かに補選が行われる理由が理由でしたし、自民党は候補者を出せないという状況ではありましたが、それでも30%そこそこ、あやうく30%を切ってしまうという数字でした。「プロ野球の打者だってもっと高い打率を残す選手がたくさんいるのに」と、野球好きなもので、思ったほどでした。

 

 この低投票率については、何も今回のことだけではなく、また、北海道や京都に限った話ではありません。これまでも多く目にしてきたことです。政治に参加することは、これまで人類の歴史において、多くの血が流された結果、獲得された権利ですから、それを行使すべきだということを声高に叫んでみても、それで投票率が上がるということは残念ながらありません。それは、私たちの中に「政治に参加する権利を人々が多大な犠牲を払いながら獲得したもの」という意識や、「自分が当事者である」という意識が欠如しているからだと思われます。

 

 このことについて、思い出されるのは、戦後日本政治学の泰斗であった丸山眞男(1914~1996年)です。丸山は、1944年に『国家学会雑誌』第58巻3・4号に「国民主義理論の形成」という論文を掲載しました。この時、東京帝国大学法学部助教授であった丸山は応召し、再び帰って来られないという気持ちを抱きながら、この論文を発表したといわれています。この論文は後に、「国民主義の『前期的』形成」と改題され、『日本政治思想史研究』(東京大学出版会、1952年/新装版:1983年)に収められました。また、法政大学教授・杉田敦編『丸山眞男コレクション』(平凡社ライブラリー、2010年)にも入っています。

 

 この論文で丸山は大略次のようなことを主張しています。かなり乱暴ですが、大まかにまとめます。

 

ある集団が国民となるには、国民意識が必要である。日本の場合は、西洋列強の来航によって、国民意識が醸成された。それまでは、日本国内に住む人々は、支配階級(侍)と被支配階級(侍以外)に分けられ、地域的にもそれぞれの藩が大きな権利を持っていたために、国内で統一的な意識が無かった。この分裂状態を江戸幕府は支配のために利用した。江戸時代、被支配階級は政治に参加することは許されず、その権利は与えられなかった。

 

 幕末には海外列強の来航により、危機感が醸成され、国防のための統一的な国家が必要だという主張がなされるようになったが、江戸幕府は自分たちの支配の前提が崩れることを恐れてこれを弾圧した。しかし、こうした集権的な国家論が拡大していく。そして、尊王攘夷論に結びついていくが、上層武士は体制変更を望まない形、下級武士は体制変更、つまり討幕まで主張するようになった。そして、倒幕が実現した。

 

 統一的な国家、つまり明治新政府が誕生したが、その過程で、政治の中央集権化と国民意識の拡大という2つの動きがあったが、政治の中央集権化は成功し、国民意識の拡大は中途半端に終わった。資本主義の発展段階になぞらえて、これを国民主義(ナショナリズム)の「前期的』形成と呼ぶ。

 

 私たちが政治をどこか他人事としてとらえるのは、丸山の唱えた「国民主義の『前期的』形成」段階から、進歩していないからではないかと思います。ここで言う「国民主義」とか「国民意識」について簡単に定義するならば、「自身も国民として政治に参加する権利と責任を持つ」ということだと思います。この点で、私たちは、まだまだ進歩、発展、展開する余地を多く残しているものと思われます。

 

 TwitterFacebookなどのSNSの発達に伴って、かなり詳細な情報や個人の率直な感想や行動を目にすることが出来るようになりました。今回の補選を見ていて思ったことは、政治に関係する場合に、当事者と傍観者に大きく分かれるが、その分かれ方やその程度のために、政治に参加することが億劫に感じられてしまうことが出てくるということです。

 

 話は大きく飛びますが、戦国時代、合戦や戦があると、近隣の住民たちは、山の上などに避難し、そしてお弁当を持って見物に出かけていたという話を聞いたことがあります。戦の展開によってはとばっちりで巻き込まれることもあったでしょうが、スポーツ観戦のような感覚だったんだろうと思います。しかし、当事者たちは現在のスポーツとは大きく違って、命のやり取りをするわけですから、目が血走っていったり、極度に興奮したりしていたことでしょう。私は現在の日本の政治も同じだなと思います。

 

 選挙となった場合、立候補者と選挙の手伝いをする人々や応援をする人々は必死です。戦国時代の戦のように物理的に生命を取られることはありませんが、色々な思いや背景があって、当選しようと必死です。そして、その周囲には、遠巻きに見ている人たちがいます。彼らは選挙の結果にも影響を与える有権者ですが、傍観者であり、だれが勝つか負けるか(生き残るか)を冷ややかにかつ面白そうに見ています。当事者と傍観者の間に大きな溝があり、分裂があります。

 

 当事者たちは傍観者たちに投票を訴えるわけですが、その表情はこわばり、その訴える声はとても大きくなります。そうなると、傍観者たちは、恐怖感を感じます。自分たちは、何も被害が無いところで、面白いゲームを見せてもらいたいだけのことなのに、時に叱咤されるようなことまで言われて、不愉快だということになります。当事者たちは、自分たちの訴えは正しいのにどうして届かないのかということになって、途中で脱落する人やもっと力みあがってしまう人まで出てくることになります。

 

 そうなると、当事者と傍観者の間に溝はもっと大きくなり、政治に参加すること、つまり当事者になることは、ちょっとおかしくなることだ、普通ではなくなることだという間違った意識が出てきて、政治は怖い、ということになり、傍観者たちは本当に傍観するだけ、最低限の投票にすらいかないということになります。

 

 良く考えてみれば、当事者も傍観者にも政治に参加する権利は保障されており、かつその責任もあります。しかし、政治はとても特別な行為ということになってしまいます。

 

 そして、私たちの中に「政治は自分たちは関係ない」「空中戦を見ているようなものだ」という意識がある、「国民主義の『前期的』形成」段階から抜け出していないという状況となると、ますます、政治から足が遠のく人たちが出てくるのは当然です。

 

 それならどうしたらよいのかということになると、即効性のある妙案は浮かびません。「投票に行かなければ罰則」ということがデモクラシーに合った方式とも言えません。何かに強制されて投票するという行為は人々の自発的な行為を制限するということになります。

 

 これに近道は無いように思われますが、まずは政治にかかわることは怖いことであるとか、政治は玄人のものという意識を弱めることが必要ではないかと思います。そのためには、当事者の人たちは忍耐強くかつ穏やかに行動すべきでしょうし、傍観者の方もまた、ちょっとした勇気を出してみることではないかと思います。こんなことは当たり前で、もうやっているという方も多いと思いますが、投票率の低さということを考えると、こうしたことがもっと広がっていくべきではないかと思います。

 

(終わり)





 

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 古村治彦です。

 

2016年4月28日に副島隆彦先生の最新刊『マイナス金利「税」で凍りつく日本経済』(徳間書店)が発売になります。連休中の読書計画に是非お加え下さい。宜しくお願い申し上げます。

 

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『マイナス金利「税」で凍りつく日本経済』


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まえがき

 

 2016年に入って急にマイナス金利「税」の時代になった。

 

 マイナス金利とは新種の特殊な税金のことなのである。

 

 一体これからの世界は、そして日本はどういうことになるのか。

 

 この3月末までは日経平均株式相場は何とか1万7000円台を保っていた。為替(円ドル相場)も114円ぐらいで踏ん張っていた。大企業の決算の数字をよくするために、(とくに400社の輸出大企業の期末の決算を)どうしても株価を上げておかなければいけなかった。それが終わったので、4月に入ってから崩れ出した。もう1万5000円台(4月5日)に落ちた。これを5月末の伊勢志摩サミット(G7)まで引きずって、そのあと安倍首相が、「景気対策として消費税の上げ(増税。8%から10%へ)はやりません」と発表するだろう。それを合図にまたスルスルと株価の吊り上げをやる。そして1万8000円台ぐらいまで上げて、それで7月中旬の「衆参同日選挙」を自民党の勝ち、で乗り切るつもりだ。筋書きが透けて見える。

 

 国民生活は疲弊しきって、ヒドい景気の悪さ(デフレ不況)のまま続いている。日本はますます貧乏国家だ。立派そうなのは東京の都心に建ち続ける高層のタワー・レジデンス群だけで、それ以外は全国どこに行っても駅前さえシャッター通りで20年前、いや40年前のボロビルが建ったままである。

 

 私たち日本国民は怒らなければいけない。だが、その怒り方が分からない。「仕方がないなあ」で今日も過ぎてゆく。

 

 黒田日銀総裁が打ち出した(1月29日)、新手の金融緩和策であるマイナス金利政策(negativeinterestratepolicy)とは一体何なのか。

 

 それは、「もう景気回復(インフレ経済)なんかなくていい」だ。「もっともっと金利を下げて(え? ゼロより下)、日本を氷漬けの冷凍状態にする。日本国債さえ守れればいい」という政策である。黒田日銀と財務省官僚と自民党は、国民生活を犠牲にして、マイナス金利という焦土作戦で自分たち(国家)さえ生き残れればいいという肚なのである。自国を焼け野原にすることでそれ以上、敵に攻め込まれなくする焦土作戦 scorchedearthpolicy を決断したのだ。

 

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マイナス金利「税」で凍りつく日本経済──目次

 

まえがき─3

 

1    フリーフォール(底なしの下降)に陥った金融市場

世界の株式市場はフリーフォールに陥った─14

日銀のマイナス金利導入が逆噴射した─18

もう日本政府には株を吊り上げる資金がない─28

円安・株高のはずがなぜ円高・株安になったのか─29

世界中から日本国債買いに集中している─38

2    ユーロから金融崩れが起きそうだ

ドイツ銀行株価下落でユーロの銀行問題が浮き彫りになった─46

世界的な連鎖暴落はまだまだ起きる─60

マイナス金利とは新税のことである─62

いますぐ金のインゴットを買いに走りなさい─75

金の反撃がこれから始まる─84

産金コストが下がっている─86

3    マイナス金利の正体は新種の税金である

マイナス金利の黒田サプライズの波紋─90

マイナス金利で日銀は国債だけを守る─92

10年物国債までがマイナス金利に落ち込んだ─95

北欧を見ればマイナス金利が分かる─99

マイナス金利とは日本国債と抱きつき心中をしますということだ─105

元日銀副総裁の岩田一政が「マイナス金利」を推奨した─109

黒田の本当の狙いはフィナンシャル・リプレッション(金融抑圧)だ─121

日銀の出口戦略など不可能になった─127

黒田日銀総裁は山本五十六だ─130

「ゼウス・エクス・マキーナ」が世界で起きている─132

4    緩和マネーの罠に堕ちた世界

米FRBの利上げから緩和マネーの爆縮が起こった─136

イエレンFRB議長が「追い込まれ利上げ」をやった─146

利上げしたら世界の株式市場は暴落する─152

「緩和の罠」に嵌まった世界─153

緩和バブルが終われば世界はリーマン・ショックに戻される─155

これはマネタリストと合理的予測派の大敗北である─157

リーマン・ショックの何倍もの悲劇がこの世界で起きる─165

5    今の金融市場で何が起きているか

黒田日銀はついにマイナス金利という禁じ手まで動員した─168

地銀がマイナス金利の影響を一番受けている─171

GPIFがマイナス金利でふらふらになっている─175

MMFはなくなり、銀行が預金を取らなくなった─177

マイナス金利とは政府による税金徴収だ─179

日銀黒田のマイナス金利が逆噴射した─180

金融市場から流動性が蒸発している─184

金融相場でありながら金融相場的な上昇はもう起きない─186

GPIFの損失はどうやって消されているのか─189

国債がなくなってしまう─191

ネイキッド・ショート・セリングをしたくても資金が出てこない─193

ヨーロッパが撤退して中国系が日本に入ってくる─197

一番危ないのは国債─200

国債暴落のシナリオはどうなる─202

黒田総裁が恐れているのは国債のデフォールト─205

6    中国のIMF体制(アメリカ支配)への挑戦が始まった

イギリスが中国と組むと決めた─234

中国とアメリカの殴り合いが始まった─210

中国主導のAIIBがアメリカを怒らせた─214

ヨーロッパはアメリカを見限った─218

人民元のIMFのSDR(特別引出権)通貨入り─219

人民元による国際決済システムが始まった。CIPSの衝撃─222

7章 アメリカ大統領選はどうなる

どうやらヒラリーを大統領にするとロックフェラーが決めた─258

トランプの人気が沸騰しているが、最後に引導を渡されるだろう─247

北朝鮮の核実験(4回目)は何を意味するのか─253

ヒラリー「戦争の軸足をアジアへ移す」─256

ヒラリーのアジア・ピボットが意味するもの─258

迫り来る世界恐慌をアメリカは軍事力でコントロール下において覇権を握る─259

 

あとがき─277

 

巻末付録 地獄から這い上がる株38銘柄─263

 

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あとがき

 

 この本は、今年の1月、2月の異様な株崩れ、金融市場の混乱をずっと追いかけて、一体、この間に世界で何が起きていたのか、を謎解きした本である。それは、これから先どうなるか、の予測のための貴重な知恵となる。

 

 去年の8月に続く世界連鎖暴落の第2ラウンドは、ジョージ・ソロスと中国(習近平)の〝金融殴り合い〟であった。1月21日に、ダボス会議で中国株と人民元の暴落宣言を出したソロス(アメリカ)に対して、中国とサウジアラビアが組んで、ニューヨークで株と米国債売りの逆襲に出た。

 

 このあと2月8日に、ドイツ銀行のCoCo債という金融デリバティブが暴落した。これがヨーロッパの全銀行の信用不安につながった。その4日後の2月12日に世界連鎖暴落が起きた。日本株も1200円の暴落を起こした。そして日経平均は1万4000円台に突っ込んだ。この時、「ノックイン債」というデリバティブ(劣後債、CBO)がノックインして破裂して、銀行の顧客たち(金持ち、富裕層)に大損をさせた。こういうことをこの本で詳しく種明しした。

 

「ミネルバの梟は夜飛び立つ」というヘーゲルの有名な言葉がある。1806年10月、ナポレオンはイエナ会戦で、全ドイツ人の連合軍を打ち破った。そのイエナの町の郊外のまだ死体が散乱している戦場で、焼け残った木にとまっていた梟は夕闇の中に飛び立った。

 

 戦いが終わったあと、悲惨な戦争の目撃者は冷酷に事件を書き遺す、己れの運命を知る、という意味である。

 

 この本も苦労した。ずっと付き合ってくれた徳間書店の力石幸一編集委員に感謝します。

 

  2016年4月

 

副島隆彦

 


(終わり)



 

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 古村治彦です。

 

 今月に入って、パナマの法律事務所から、租税回避地(タックス・ヘイブン、tax haven  ×heaven[天国])にペイパーカンパニーを設立していた人々や会社の名前が大量に流出する事件(「パナマ・ペイパーズ」事件)が起きました。ロシアや中国、ヨーロッパ各国の指導者たちの親族や関係者たちの名前が出てきて、大騒ぎになっています。日本からも多くの個人や会社の名前が出ています。

 

 今回の流出事件では「海外に資産を逃がして、税金の支払いから逃れるのは卑怯でずるい」という声が起きています。そして、各国、特に先進諸国では、資産の海外逃避を制限するための動きが既に出始めています。

 

 この事件で、「金持ちたちはずるい」「賃金労働者である自分たちは賃金をしっかり把握されて節税をすることすらできないで税金をしっかり取られているのに、払う余裕がありそうな金持ちたちが税金の支払いを逃れるとはけしからん」という、人々の劣情に訴えるような主張がなされています。しかし、この劣情に訴えるような主張に関しても注意深く見ておかねばなりません。

 

 今回の「パナマ・ペイパーズ事件」を最も喜んでいるのは、各国の財務官僚たちです。それは、「これで税金として取り立てるために、金持ちたちの資産の海外逃避を抑えることが出来る」ことになるからです。本来であれば、個人が自分の資産をどのように扱おうが国家は介入できないはずです。自分が国籍を持っている国で保有しようが、外国で保有しようが個人の自由のはずです。しかし、今回の事件を契機にして、この個人の自由を制限、もしくは完全に奪ってしまおうという動きになるでしょう。

 

 自分たちの劣情を満足させるために、個人の自由の制限なり奪取なりを受け入れてしまうと、それだけ個人の自由という現代社会の基礎となる前提が狭められてしまうことになります。そして、それだけ国家が個人の生活に介入するということになります。ですから、確かに「金持ちたちはずるい」という気持ちになるのですが、もう少し冷静に対応しなくてはならないと思います。

 

 今回の「パナマ・ペイパーズ事件」に関して、私はもう1つのことを申し上げたいと思います。それは、今回の事件が、今年の11月の米大統領選挙本線で勝利を収め、次の米大統領となる、ヒラリー・クリントンの「やりたいこと」を今回の事件は明確に示しているということです。

 

 下に貼りつけた、『ロシア・トゥデイ』紙の報道を読んでピンときました。以下の報道は、ウィキリークスがツイッター上に流した情報が基になっています。ウィキリークスは、「今回のパナマ・ペイパーズの流出事件を画策したのは、OCCRPOrganized Crime and Corruption Reporting Project、組織犯罪・汚職レポートプロジェクト)という機関であって、OCCRPを創設したのは、投資家ジョージ・ソロス率いるオープン・ソサエティ財団(Open Society Institute)だ。そして、アメリカの政府機関USAIDUnited States Agency for International Development、米国国際開発庁)がOCCRPに資金援助を行っている」という情報を流しました。

 

 ジョージ・ソロスはハンガリー出身の投資家ですが、10代でソ連の侵攻と占領を受けた母国を脱出し、ロンドンのLSE(London School of Economics、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)で高等教育を受けました。大学院時代の指導教官は、科学哲学者として有名なカール・ポパーです。カール・ポパーは、『開かれた社会とその敵(The Open Society and Its Enemies)』という本を書いて、共産主義を批判しました。ソロスの財団であるオープン・ソサエティ財団の名前はこのポパーの本のタイトルに由来しています。ソロスは、反共、そして反ロシアの立場から、東欧で様々な活動(大学を開設したり、民主化におカネを出したり)を展開してきました。ですから、オープン・ソサエティ財団が創設したOCCRPが「パナマ・ペイパーズ事件」を主導したということは、その背景には、ソロスの意向であるロシア、特にプーティン攻撃があることは明らかです。

 

 更に、OCCRPにアメリカの政府機関USAIDが資金援助をしているということが重要です。拙著『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)でも書きましたが、USAIDは、アメリカの「対外介入政策」の実施機関です。2011年の「アラブの春」に、USAIDと米国務省が絡んでいることは証拠が既に出ています。今回の「パナマ・ペイパーズ事件」にUSAIDが絡んでいるということは、米国務省とUSAIDにいるヒラリー派がロシアと中国に対する攻勢を強めているということを示しています。ヒラリーと彼女の支持者たちが考えていることは、「人道的介入主義(Humanitarian Interventionism)」というもので、これは、世界中の人々の人権を守り、非民主的な政府に対しては軍事介入をしてそれを転覆させても構わないというものです。この考え方は、ジョージ・W・ブッシュ政権時代に対外政策を牛耳ったネオコン派(Neoconservatives)と同じです。現在、アメリカ大統領選挙で旋風を巻き起こしているドナルド・トランプに対して、共和党内のネオコン派は危機感を覚え、「ヒラリーに投票する」ということを表明している人たちが続出していますが、これは、ネオコンと人道主義的介入派が同じであることをいみじくも暴露している動きです。

 

 ヒラリーが米大統領になると、何が起きるか、彼女は何をしたいのかということがここから分かります。彼女は、対ロシア、対中国で対決姿勢を強め、「民主化をしてあげて、それらの国々の国民を救ってあげたい」と考えています。そして、このためには強硬な手段(軍事衝突など)も辞さないと考えています。そして、国内的には金持ちたちの資産に対する課税を強化して、福祉の拡充などリベラルな政策を推進しようとしているのです。

 

 このように考えると、今回の「パナマ・ペイパーズ事件」には、ただの金持ちたちの汚い動きの暴露ということ以上の意味があることが分かります。

 

(新聞記事貼り付けはじめ)

 

US government, Soros funded Panama Papers to attack Putin – WikiLeaks

 

Russia Today

Published time: 6 Apr, 2016 17:02

Edited time: 11 Apr, 2016 19:51

https://www.rt.com/news/338683-wikileaks-usaid-putin-attack/

 

Washington is behind the recently released offshore revelations known as the Panama Papers, WikiLeaks has claimed, saying that the attack was “produced” to target Russia and President Putin.

 

On Wednesday, the international whistleblowing organization said on Twitter that the Panama Papers data leak was produced by the Organized Crime and Corruption Reporting Project (OCCRP), "which targets Russia and [the] former USSR." The "Putin attack" was funded by the US Agency for International Development (USAID) and American hedge fund billionaire George Soros, WikiLeaks added, saying that the US government's funding of such an attack is a serious blow to its integrity.

 

In a later tweet, WikiLeaks said that that the idea that the whole Panama Papers ordeal was aimed against Russia would be “nonsense,” but still blamed the US for titling media coverage in a way that would put Moscow in the line of fire.

 

Organizations belonging to Soros have been proclaimed to be "undesirable" in Russia. Last year, the Russian Prosecutor General’s Office recognized Soros’s Open Society Foundations and the Open Society Institute Assistance Foundation as undesirable groups, banning Russian citizens and organizations from participation in any of their projects.

 

Prosecutors then said the activities of the institute and its assistance foundation were a threat to the basis of Russia’s constitutional order and national security. Earlier this year, the billionaire US investor alleged that Putin is "no ally" to US and EU leaders, and that he aims "to gain considerable economic benefits from dividing Europe."

 

The American government is pursuing a policy of destabilization all over the world, and this [leak] also serves this purpose of destabilization. They are causing a lot of people all over the world and also a lot of money to find its way into the [new] tax havens in America. The US is preparing for a super big financial crisis, and they want all that money in their own vaults and not in the vaults of other countries,” German journalist and author Ernst Wolff told RT.

 

Earlier this week, the head of the International Consortium of Investigative Journalists (ICIJ), which worked on the Panama Papers, said that Putin is not the target of the leak, but rather that the revelations aimed to shed light on murky offshore practices internationally. "It wasn’t a story about Russia. It was a story about the offshore world," ICIJ head Gerard Ryle told TASS.

 

His statement came in stark contrast to international media coverage of the "largest leak in offshore history." Although neither Vladimir Putin nor any members of his family are directly mentioned in the papers, many mainstream media outlets chose the Russian president’s photo when breaking the story.

 

We have innuendo, we have a complete lack of standards on the part of the western media, and the major mistake made by the leaker was to give these documents to the corporate media,” former CIA officer Ray McGovern told RT. “This would be humorous if it weren’t so serious,” he added.

 

"The degree of Putinophobia has reached a point where to speak well about Russia, or about some of its actions and successes, is impossible. One needs to speak [about Russia] in negative terms, the more the better, and when there's nothing to say, you need to make things up," Kremlin spokesman Dmitry Peskov has said, commenting on anti-Russian sentiment triggered by the publications.

 

Panama Papers not 'responsible journalism,' should be released in full

WikiLeaks spokesman and Icelandic investigative journalist Kristinn Hrafnsson has called for the leaked data to be put online so that everybody could search through the papers. He said withholding of the documents could hardly be viewed as "responsible journalism."

 

"When they are saying that this is responsible journalism, I totally disagree with the overall tone of that," the co-founder of the Icelandic Center for Investigative Journalism told RT's Afshin Rattansi in Going Underground, when asked about his reaction to the ICIJ head saying that the consortium is not WikiLeaks, and is trying to show that journalism can be done responsibly by not releasing the papers in full.

 

"They should be available to the general public in such a manner so everybody, not just the group of journalists working directly on the data, can search it," Hrafnsson said.

 

The WikiLeaks spokesman also told RT he's not surprised that there have been no big American names in the leaked 11.5 million documents of the Panamanian law company.

 

"It seems to be skewed at least a way from American interest. There's always a possibility that it's not a journalistic bias but simply a bias in the documents themselves," Hrafnsson said, adding that Mossack Fonseca "is simply one law firm in Panama servicing and providing tax haven companies mostly out of the BVI [British Virgin Islands]."

 

"It doesn't even give the entire picture," he concluded.

 

(新聞記事貼り付け終わり)

 

(終わり)



 
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 古村治彦です。

 

 今回は、中国の国際的な動きを分析した記事をご紹介します。タイトルに付けた通り、「既存の秩序をより良くする協力者となるか、新たな秩序を構築しようとする競争者となるか」が最大の関心ということになります。筆者自身は答えを出していませんが、私は、単純な二分法ではなく、この2つはそれぞれに当てはまると考えます。そして、前の記事でも書きましたが、中国が覇権国となる動きは止められないだろうと考えます。

 

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中国はどのようなタイプの大国になりたいのか?(What Type of Great Power Does China Want to Be?

 

ロバート・A・マニング筆

2016年1月5日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2016/01/05/what-type-of-great-power-does-china-want-to-be/

 

 アメリカ、日本、その他の同盟諸国である世界の諸大国にとって、中国の台頭に対する懸念は1つの流れとなっている。中国は世界経済と既存の国際機関に積極的に参加している。しかし、既存の地域的、世界的秩序に挑戦することになる代替の組織を創設することで大国としての役割を果たそうとしている。ここ数カ月の一連の動き、その中でも特に気になる中東において中国が始めた積極的な外交姿勢は、中国の世界戦略を判断を下す際に、それを複雑なものとしている。

 

 ここ最近の数カ月、世界は、中国外交の興味深い、そして少なくとも戦術的な動きを目撃している。2008年以降、中国は「喧嘩腰」の攻撃的な外交姿勢を取ってきた。それが、より穏やかで友好的な関与へと変わってきている。その一例が昨年の9月に開かれた中国の習近平国家主席とアメリカのバラク・オバマ大統領との間で行われた首脳会談である。この会談で、習近平は、米中間の間で争いの種となっていたインターネット上の安全保障に関してアメリカと協力することを表明した。また、アジア地域に対してはこれまでの姿勢とは全く逆の姿勢を取るようになった。習近平は日本の安倍晋三首相と2度にわたって会談した。また、日中韓の三国メカニズムを復活させた。そして、ヴェトナム、フィリピンとの間の関係を正常化させた。習近平の行動の中で最も創造的で、前例のないものとなったのが、シンガポールでの馬英九台湾総統との会見であった。

 

 ヴェトナム政府とフィリピン政府は南シナ海の南沙諸島をめぐり中国と激しく争っている。中国は友好的な姿勢を打ち出す魅力攻勢を行っているが、これは、攻撃的な姿勢は意図とは逆の結果しか生み出さないこと、そして、アジア地域全体、日本やインドといった国々がアメリカとの同盟やそれぞれとの間の同盟を強化する動きを見せるという、アメリカに対して思いがけない利益を与えてしまっていることに中国が気付いたということを示している。習近平の外交攻勢策の中核をなすのは恐らく、彼のアメリカのアジアにおける「勢力均衡の再構築」に対応するためのユーラシア大陸を西に進むという「軸足の転換」ということである。: 「一帯一路」計画によって、中国は近隣諸国に対して気前の良い援助を行うようになっている。

 

 ここで大きな疑問がわいてくる。それは、中国の気前の良い外交は戦術的な転換に過ぎないのか、それとも中国中心の秩序作りという自分の能力を超えた課題を行うことは困難でありそこから方向転換した方が良いということに気付いたのだろうか、というものだ。

 

 例えば、中国が初めてアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設を提案した時に起きた懸念は、世界銀行、IMF、アジア開発銀行のようなブレトンウッズ体制を構成する諸機関に取って代わることを意図したものではないのか、というものであった。中国は、AIIBは、基準を共有できる世界銀行とアジア開発銀行のパートナーとなり、競争者にはならないと主張した。AIIBが正式に発足してから、しかし現在までのところ、答えは出ていない。

 

しかし、AIIB、BRICS銀行、上海協力機構、習近平が進める「アジア人のためのアジア」という新しい安全保障の枠組み、世界の準備通貨としての人民元、ボアオ・フォーラム(ダボス世界経済フォーラムの代替になる)の存在は、既存の世界秩序と競合するものである。これらは中国が恥辱の世紀を過ごした後に世界においてふさわしい地位を得ようとする努力を示すものである。

 

 それともこうした中国の動きは危険分散戦略に基づいたものなのだろうか?最近の一連の動きは別の流れを示しているとも言える。それは、改革された国際システムの中江中国は、経済的、地政学的な地位にふさわしいより重要な役割を果たそうとしているというものだ。その一例が、IMFにおける中国の役割の拡大である。IMFは最近、特別引出権(SDR)と呼ばれる様々な貨幣のバスケットに人民元を加えることを決定した。その割合は、アメリカ・ドルに次いで第二位(10.9%)となり、イギリス・ポンド、日本・円、ユーロを超えるものとなった。加えて、アメリカ連邦議会が最終的に2010年のIMF改革案を承認したことで、中国はIMFにおける投票権の割合を7.9%にまで拡大させた。

 

 中国は気候変動分野でアメリカと緊密に協力してきている。最近、パリで締結されたCOP21気候変動に関する協定においても重要な役割を果たした。中国は、アメリカとその他のG7諸国が受け入れられる合意内容を認めるように発展途上諸国に対して様々な働きかけを行った。気候変動に関するアメリカの交渉責任者トッド・スターンは後に、「中国以上に我々と協力した国は存在しない」と述べた。

 

 より興味深い動きは、中国が新たに中東全域でより積極的な外交を展開していることである。中国は、アメリカ主導の国際システムの中で、アメリカに対してタダ乗りをすることを中核的な外交指針として正当化してきた。ASEAN加盟諸国がそうしているように、他国の国内問題には不介入という原理を堅持してきている。しかし、2015年12月26日、北京でシリア政府関係者とシリアの反体制の各グループの代表者たちが一堂に会した。この時、中国はシリアの内戦の解決に貢献するという決意を内外に示した。シリア内戦では30万人以上が死亡し、数百万の難民がシリアから避難している状況だ。

 

 国連安全保障理事会は昨年12月に、シリアの和平プロセスの道筋を示すロードマップとなる決議を可決した。その直後、中国はシリア政府関係者を中国に読んで、和平プロセスについて協議した。この動きは、習近平が国家の最高指導者に就任して以降の、中国の積極的な外交姿勢の一環と言える。習近平は、中国の偉大な指導者であった鄧小平の遺した指導方針である「韜光養晦(低姿勢で長時間耐えて力を蓄える)」を明確に否定した。

 

 同様に、アメリカがアフガニスタンからの撤兵を進めている中、中国は、タリバンとアフガニスタン政府との間を仲介しようとしている。中国はより積極的な役割を果たそうとしている。10年前、アメリカと同盟諸国はアフガニスタンで戦った。この時、中国は傍観者としての立場を崩さなかった。そして、アフガニスタンの鉱物生産分野に数十億ドル規模の投資を行い、目立たないようにして利益を得ていた。

 

 中国が中東で果たす役割は大きくなっているが、これは国際社会における地位を高めたいという希望だけではなく、中東における経済的利害が大きくなっていることを反映している。中国は国内で消費する石油の60%を輸入に頼っている。そのほとんどは中東から輸入している。中国の国有石油企業は各社とも中東、特にイラクとイランにおいて油田やガス田に対して積極的に投資を行っている。

 

 中東における中国の新たな積極的外交姿勢は良い結果を生み出すかと言うと、それは難しいと言わざるを得ない。シリアで始まっているが、中東での政治プロセスは大変に難しく、骨の折れるものとなるであろう。そして、イラン、ロシア、サウジアラビアといった内戦に介入している諸大国がそれぞれ受け入れることが出来る結果となるものが生み出されるまで、中国が主導しての内戦終結は難しい。同様に、アフガニスタンにおける内戦状態も終結の気配を見せていない。実際のところ、状況はより複雑化している。それは、イスラミック・ステイト勢力が争いに加わっているからだ。更に言うと、争いが絶えないこれらの地域における中国の影響力は現在のところ限定的なものにとどまっている。

 

 しかし、重要な点は、シリアとアフガニスタンでの中国外交は、アメリカの外交政策に沿ったものとなっているということだ。中東では、複雑に入り組んだ形で民族と宗教を基にした争いがこれからの10年も続くであろうと考えられている。そして、中国がこれからも新しい外交姿勢を堅持すると仮定する。そうするとその結果は、アメリカ外交にとって悩ましいものを中国が肩代わりしてくれるということになり、望ましいということになる。

 

 より大きな疑問は、中国の中東におけるより積極的な動きから、中国の世界システムに対する意図を読み取ることが出来るか、何か結論めいたものを導き出せるのか、というものである。それ以外にも様々な疑問がわいてくる。中国は、既存のシステムの中で更なる力を自国に与えてくれる現在の流れをそのまま受け入れるだろうか?それもと、中国の積極的な外交姿勢は、見直された、中国主導の秩序構築に向けた踏み石なのであろうか?AIIBは世界銀行とアジア開発銀行のパートナーとなるのか、それともその懸念は解消されていない競争者となるのか、どちらだろうか? 南シナ海における争いにおいて中国は妥協の方向に進むのだろうか?中国政府は、アメリカとの間で二国間の投資協定を結び、国内最優先の政策からアメリカ企業が中国市場に参加しやすくするだろうか?また、その中でも特に気になる疑問は、中国は争いが起きやすい分野である、インターネット、航空、宇宙、海上において、国際的な規範を受け入れるだろうか、というものである。

 

 アメリカと日本にとって、何が中国の意図を示す重要な指標となるのかを決定することは重要だ。これまで述べてきた諸問題は、そうした指標策定の手始めとなる。中国の動きのいくつかは、アメリカが推奨している、国際システムにおける「責任ある利害保持者」としての動きとしてはふさわしくないものであるように見える。中国の積極的な動きは、既存の秩序の見直しを求めていることを明確に示している。しかし、現在の時点で、何か結論を出すということは困難である。それは、状況は複雑であることを示しているからだ。この複雑な状況はこれからの20年の間にはっきりと理解しやすいものになっていくだろう。

 

(終わり)

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 古村治彦です。

 

 今回は1970年代以降の「民主化」の動きを時系列的にまとめた記事をご紹介します。この記事で書かれている「第三の波」とは、政治学者の故サミュエル・ハンティントンが唱えた考え方で、世界の民主化の流れは、第一の波、第一の逆の波、第二の波、第二の逆の波と来て、1970年代から第三の波が起きて世界各地で民主化が進んだというものです。

 

 この記事の著者のラリー・ダイアモンドは、民主政治体制や民主化を専門に研究している政治学者で、スタンフォード大学フーヴァー研究所の上席研究員を務めています。そして、アメリカ政府が行っている世界各地の民主化プログラムにも参加している人物で、私の予想では、ヒラリー・クリントンが大統領になった場合には、政府内である程度の高い職分に招聘されるのではないかと思われます。

 

 ここに挙げた民主化の事例の多くに実はアメリカが大きく関わっている、もしくは介入しているという事実を考えると、ダイアモンドがシナリオを書いた「舞台」がこの中に含まれているということも考えられます。

 

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時間の流れ:民主政治体制の退潮(Timeline: Democracy in Recession

 

ラリー・ダイアモンド筆

2015年9月15日

『ニューヨーク・タイムズ』紙

http://www.nytimes.com/interactive/2015/09/13/opinion/larry-diamond-democracy-in-recession-timeline.html?_r=0

 

1974年、ポルトガルでカーネーション革命が起き、ほぼ半世紀にわたった独裁政治が転覆させられた。これが世界的な民主化の動きである「第三の波」の始まりとなった。

 

 民主化の「第一の波」はアメリカ独立革命とフランス革命によって始まり、1922年までに29カ国が民主政治体制国家(democracy、デモクラシー)となった。この数字は共産主義、ファシズム、ナチズムの台頭によって12にまで減った。

 

 民主化の「第二の波」は第二次世界大戦の終焉とともに始まった。植民地からの独立によって、インドやスリランカといった国々が民主政体国家となった。しかし、1964年のボリヴィアとブラジル、1966年のアルゼンチンで起きた軍事クーデターのような事件が象徴しているように、民主化の波はその後退潮した。

 

 カーネーション革命からの30年間、民主政治体制はこれまでにないほどの規模で世界中に拡大した。しかし、2006年あたりを境にしてその動きが止まってしまった。民主政体国家の数は著しく減少している訳ではないが、市民社会の活動範囲は狭まりつつある。自由と民主政治体制は減退しつつある。この時系列表は、過去40年間に渡る民主政治体制の拡大、減退、時には崩壊を示しているものである。

 

●1974年4月25日:カーネーション革命と「第三の波」の発生

 

 1974年4月、国軍運動(MFA)に属していた左翼の将校たちがポルトガルで48年間続いたナショナリストの独裁政治を軍事クーデターで打ち倒した。この事件は、世界規模の民主化における「第三の波」の最初の民主化となった。

 

 それから2年間、政治工作、度重なる労働者のストライク、クーデター計画と対クーデター計画が次々と起きる緊張感のある、不確実な時期が続いた。そして、1976年4月、議会選挙が行われ、マリオ・ソアレスと彼が率いる社会党が連立政権を樹立した。ソアレスは、独裁体制下に12回も投獄されても節を曲げなかった不屈の闘士であった。ソアレスは、ポルトガル語で「起き上がりこぼし」というあだ名で呼ばれていた。このおもちゃは、叩かれてもすぐに起き上がるもので、彼の不屈の闘士ぶりにこのあだ名が奉られた。

 

●1974年11月17日:ギリシア、民主政治体制に復帰

 

1974年7月、ギリシアの軍事政権は崩壊した。それまで7年にわたり政権を維持していた。ギリシアの軍事政権は、キプロスのギリシア系住民たちがクーデターで政権を掌握することを支持した。しかし、クーデターの発生後に、トルコ軍がキプロスに進攻する結果になった。

 

ニューヨーク・タイムズ紙は、7月24日付で、「多くの人々が憲法広場に集まり、“今夜、ファシズムは死ぬんだ!”“これ以上の流血はいらない!”と叫んだ」と報じた。

 

 コンスタンティノス・カラマニリスと保守派の新民主党は、11月に議会選挙で「圧勝」した。

 

●1977年6月:スペイン、民主政体への移行

 

スペインで、1975年に長期にわたり独裁制を敷いたフランシスコ・フランコが死去した。1977年に選挙が実施され、民主的政治体制への移行が終了した。

 

●1980年8月4日:自主管理労働組合「連帯」はポーランドに改革をもたらす

 

「職業学校で教育を受け、大衆政治を熟知した」電気技師レス・ワレサは、共産圏で初めて独立した労働組合を設立した。ポーランドのグダニスク造船所で自主管理労働組合「連帯」が結成された。「連帯」は規模を拡大し、900万以上の組合員を獲得するまでになった。そして、「連帯」は、ポーランドの共産党政権に対する、多くの人々が参加する非暴力の抵抗運動の先駆的なそしてシンボル的な存在となっていった。ポーランドの共産党政権は、「連帯」を潰すために1981年に戒厳令を発令した。

 

 しかし、長年にわたる政治的な抑圧を持ってしても、拡大し続ける人々の抵抗を鎮圧することはできなかった。ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ将軍率いる政府は、社会全体を巻き込む抗議を受けて、1989年2月6日に「連帯」との交渉を行う円卓会議を開催した。

 

 1989年1月21日付のニューヨーク・タイムズ紙の論説記事には、「ポーランドの共産党政権は、自分たちのことを自分たちで決める労働者たちの参加なしに改革を進めることはできないということを認める準備が整ったようだ」と書かれた。

 

 話し合いの結果、1989年6月に民主的な議会選挙を開催することが合意された。これは1947年以降で最も自由な選挙となった。選挙の結果、連帯は連立政権を樹立し、1990年、ワレサは大統領選挙に勝利し、大統領に就任した。

 

●1983年10月30日:アルゼンチンの軍事政権が終焉

 

1980年、ニューヨーク・タイムズ紙は、「現代アルゼンチンの悲しいパラドックスについて考えてみよう」というタイトルの論説を掲載した。その中に次のようないい説があった。「食糧とエネルギーを含む豊富な天然資源と先進性と教育水準の高さは南米諸国の羨望の的となり、繁栄する社会は構築可能だという夢を与えている。アルゼンチンはそれだけの影響力を持っているが、野蛮な政治がその夢をぶち壊している」。

 

 アルゼンチンの軍事独裁政権は1983年に崩壊した。それは前年のフォークランド諸島を巡るイギリスとの間の短期間の戦争に敗北したことが引き金となった。急進的市民連合の指導者ラウル・アルフォンシンは1983年に行われた大統領選挙に勝利し、1976年以来となる民主的な政権を樹立した。これによって7年続いた抑圧は終焉を迎えた。この7年の間に1万人以上(一説には3万人)の人々が軍事政権によって「行方知れず」とされ、より多くの人々が亡命を余儀なくされた。

 

●1985年1月15日:ブラジルの「開放」

 

 長年にわたり民主化運動の指導者であったタンクレード・ネーヴェスは、間接選挙に勝利して、民主政治体制が復活して以降の初の大統領になった。これによって20年にわたる軍事政権は最終的に終焉を迎え、ポルトガル語で「開設」と呼ばれる更なる政治的な民主化プロセスが進むことになった。

 

●1986年2月22-25日:フィリピンの「ピープルズ・パワー」

 

 1983年8月にカリスマ民主化指導者ベニグノ・アキノが暗殺された。アキノはアメリカでの3年に渡る亡命生活からの帰国し、マニラ空港に到着した直後に殺害された。その後、フィリピンでは抗議運動と衝突が起こり、混乱状況になった。1986年2月、故アキノの妻コラソン・アキノが大統領選挙に勝利したが、その結果を守るために多くの人々が非暴力の抵抗運動に参加した。この運動は四日間続いた。そして、20年以上にわたり政権の座にいたフェルディナンド・マルコス大統領は亡命した。コラソン・アキノはその後、大統領に就任した。

 

●1987年6月10―29日:韓国における民主反乱

 

 大学生と拡大していた市民社会の主導する大規模な抗議運動の発生から19日後、軍事政権は、独裁者・全斗煥大統領の後継者を決定するための大統領直接選挙の開催を渋々ながら受け入れた。

 

韓国は第三の波で民主化した国々の中の成功例となり、今日に至っている。

 

●1988年10月5日:チリ国民は、ピノチェトに更なる8年間を与えることを拒否

 

 1988年、15年にわたり抑圧的な軍事支配を続けたアウグスト・ピノチェット将軍は、民主的な指導者としてチリを統治できるかどうか賭けてみようとして、選挙を実施することにした。国民に対して、これから8年間、自分を大統領として選んでくれるかどうかを決めてもらおうとした。

 

 広範な野党勢力が結集し、ピノチェトに対抗して選挙戦を行い、そして55%の得票率を得た。翌年、民主的な選挙が次々と行われ、連立政権が成立した。チリは南米において、最も成功した自由主義的民主国家に変貌を遂げた。

 

●1989年6月4日:北京の天安門広場で民主化運動が破壊される

 

 この日、数千の人民解放軍兵士と数百台の武装した軍車両が学生たちの民主化運動を破壊した。弾圧による死者数は今でも明らかにされていない。しかし、その日だけで数百、恐らく数千の人々が殺害さ、それから数週間の間に数千の人々が拘束され、拷問を受け、処刑されたと考えられている。これ以降、中国における政治改革の大義は姿を消し、1989年の天安門での民主化運動と弾圧について人々が議論することは法律で禁止されている。

 

●1989年秋:ベルリンの壁崩壊

 

 1989年、ハンガリーはオーストリア国境の防衛線を取り払い始めた。その後、数千の東ドイツ国民がハンガリーを経由してオーストリアに脱出した。11月までに東ドイツ国民の脱出は洪水のようになり、11月9日、両ドイツ国民はベルリンの壁を排し始めた。

 

 翌年、東ドイツは、ドイツの再統一を交渉するための移行的な臨時政府を樹立するための民主的な選挙を実施した。

 

 中央ヨーロッパと東ヨーロッパで共産党支配が崩壊した。そして、ポーランド、ハンガリー、チェコスロヴァキア(後に2つの国に分離)をはじめとするほとんどの国が民主政治体制に移行した。

 

●1990年2月11日:南アフリカ初の複数の人種が参加した民主的な選挙が実施

 

 1990年、F・W・デクラーク大統領はネルソン・マンデラ率いるアフリカ国民会議やその他に野党に対する活動禁止を解除した。それから1週間後、マンデラは27年に渡る投獄が釈放された。

 

 1994年4月、アフリカ国民会議は、南アフリカ初の複数の人種が参加した民主的な選挙で圧勝し、ネルソン・マンデラが任期5年の大統領に就任し、民主化移行を進める政府の実権を掌握した。

 

●1991年12月25日:ソヴィエト連邦解体

 

 1991年12月25日、それまで6年半にわたりソヴィエト共産党の書記長として自由化を進めてきたミハエル・ゴルバチョフがソヴィエト社会主義共和国連邦の大統領職を辞任し、ソ連の平和的な解体を宣言した。1990年5月に選挙によってソヴィエト・ロシアの大統領に選ばれたボリス・エリツィンはロシア連邦初の自由な選挙で選ばれた指導者となった。

 

●1996年3月23日:台湾の選挙

 

台湾、中華民国は10年に渡る漸進的な民主化プロセスを終了し、初めての総統選出の為の民主的な直接選挙を実施した。与党・国民党の李登輝総統が、中国の台湾海峡におけるミサイル試射という妨害にもかかわらず、選挙に勝利した。中国はミサイル試射を行うことで、台湾の有権者威嚇し、選挙結果に影響を与えようとしたと見られている。

 

●1999年10月12日:パキスタンでクーデターが発生し、軍事政権が誕生

 

パキスタン軍は、ナワーズ・シャリーフ首相率いる政府を転覆させた。このクーデターは52年のパキスタンの歴史で3度目のクーデターとなった。クーデターは、シャリーフ首相が参謀総長であったパルヴェーズ・ムシャラフ将軍を更迭し四つとして発生した。無血クーデターによって、ムシャラフ将軍が政権に就き、それ以降、長期にわたって軍事政権が続いている。

 

 2008年の選挙で文民による憲法に基づいた統治が復活した。しかし、文民統制に対して軍部の優越は続いている。2007年12月27日には、ベーナズィール・ブット元首相が、議会議員選挙運動中に暗殺されるという事件が起きた。

 

●1999年12月15日:ウーゴー・チャヴェスがヴェネズエラで政権掌握の度合いを強化

 

 1998年、ヴェネズエラの有権者たちはウーゴー・チャヴェスに対して、大統領の権限を強化した内容の憲法を与えた。チャヴェスはそれから遡ること6年前に、クーデターで政権を獲得しようとして失敗した人物であった。新憲法では、大統領の任期は長くなり、再選が認められ、議会の力は弱められ、既存の議会と最高裁判所は廃止されることになった。

 

 2000年7月、チャヴェスが大統領に再選された。議会はチャヴェスに対して、1年間限定で布告のみで支配ができる権限を与えた。そして、チャヴェスは権威主義的な統治体制を強化し、確立していった。

 

●2000年3月26日:プーティンの下、ロシアにおける民主化はストップした

 

 深刻なそして多くの異常な出来事が続いた後、ウラジミール・プーティンは大統領選挙に勝利した。その後、エリティンが指名した後継者プーティンはクレムリンへの権力の集中を進め、ロシア国内に残っていた分裂した自由主義的な反対勢力を抑圧した。

 

 2000年3月26日付ニューヨーク・タイムズ紙は論説で次のように書いた。「プーティン氏は民主的で効果的な統治を行うための機会を手にしている。もし彼がKGBの手法をそのまま踏襲し、クレムリンを要塞とするならば、それはロシアと世界にとって大きな損失になる。」。

 

 2000年以降、プーティンは、連邦システムの権力と説明責任の基礎となる全ての要素である議会、メディア、実業界、そして市民社会を破壊した。そして、盗賊政治を行う、抑圧的な権威主義的政治体制を確立した。

 

●2003~2011年:イラク戦争によって、「民主政治体制の促進」に対してアメリカ国民の世論は硬化した。

 

 アメリカと同盟諸国は、「イラクを非武装化し、人々を解放し、世界を脅威から守るために」イラクに侵攻した。

 

 サダム・フセインの独裁体制はあっけなく崩壊した。しかし、連合国軍はイラク国内に大量破壊兵器が存在する証拠を見つけることが出来なかった。アメリカはイラクにおける民主政治体制の促進戦略へと転換した。戦争とその後の占領によってイラクは分裂した。暴力を伴う宗派対立のためにイラクの状況は不安定のままだ。

 

 汚職、無法状態、不安定さによって現在までイラク国内の統治は機能不全に陥っており、軍事力を行使しての「自由」の達成という考え方に対して多くの人々が疑問を持つようになっている。

 

●2004年11月:ウクライナのオレンジ革命

 

 2004年11月の大統領選挙での大規模な不正を受けて、多くのウクライナ国民はキエフの独立広場に集まり、ソ連崩壊後の支配階級を代表する候補者ヴィクトル・ヤヌコイッチによる選挙結果に対する不正行為への激しい抗議活動を開始した。

 

 野党側の候補者ヴィクトル・ユスチェンコとユリア・ティモシェンコは一緒になって、選挙結果を尊重するように求める運動をウクライナ全土で展開した。抗議をする人々は厳しい寒さの中で座り込みとストライキに敢然と参加した。2004年12月3日、ウクライナの最高裁判所は、選挙結果の無効を決定した。そしてやり直し選挙の結果、ユスチェンコが得票率52%で勝利し、2005年1月23日に大統領に就任した。

 

ウクライナの民主化は、ユスチェンコとティモシェンコが反目し合い、2010年の大統領選挙でヤヌコヴィッチが勝利したことで止まってしまった。ヤヌコヴィッチはウクライナを権威主義体制に引き戻し、ヨーロッパから離れることを選択した。これに対して、二度目の人々の抗議運動が発生した。これが2014年2月に起きたウクライナ政変だ。そして、ウクライナで民主政治体制が機能するための機会が再び生まれたのである。

 

●2011年1月14日、チュニジアでベン・アリが追い落とされ、楽観主義が拡大したがそれは急速にしぼんでしまった

 

チュニジアの独裁者ザイン・ベン・アリ大統領は23年にわたり独裁政治を行った。それが1か月間にわたる草の根の抗議活動を受けて亡命する結果となった。権威主義政治体制に対する人々の抗議活動はエジプトに拡大した。2011年2月11日、29年間政権を維持したホスニ・ムバラク大統領は、人々の抗議活動を受けて、辞任した。

 

 同様の抗議運動がバーレーン、リビア、シリア、イエメンでも発生した。「アラブの春」によって独裁政治が倒され、地域を民主化されるという初期の楽天主義は、革命が宗派争いと抑圧を生み出していく中で消えていった。

 

(終わり)

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