古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

2017年03月

 古村治彦です。

 

 昨日、森友学園理事長・籠池泰典氏の国会衆参両院での証人喚問が行われました。一民間人をいきなり証人喚問する、しかもその理由が総理大臣を侮辱したからという自民党の姿勢には驚くばかりです。

 

 この自民党の姿勢も含めて、現在、森友学園を巡るスキャンダルでは、「忖度(そんたく)」という言葉がよく出てきます。忖度の意味は、「他人の心を推しはかること」と辞書にはあります。しかし、現在、森友学園スキャンダルで使われている忖度は、「自分の上位者や依頼者の気持ちを推しはかり、その気持ちにかなうであろうと思われる行動を、直接的に何も言われなくても先回りして行う」という意味です。

 

 昨日、籠池氏は国会での証人喚問の後、外国人特派員協会での記者会見に臨みました。そこで、外国人記者や日本人記者から様々な質問を受けました。日英両方に長けた方が通訳をされていましたが、この方が困ってしまったのが忖度という言葉の訳でした。この方は、「conjecture」「read between lines」という表現を使っておられました。とっさの場合にどう説明するか、どう訳すか、ですが、忖度という言葉はとても難しいなぁと感じました。しかし、これらの言葉では忖度の持つ豊かな意味早くしきれていないなとも感じました。


 

 私はこの言葉について、英語のメディアではどのように伝えているのか気になって調べてみました。すると、『ニューヨーク・タイムズ』紙東京支局長のマーティン・ファクラー(Martin Fackler)氏が素晴らしい説明をしていることを知りましたので、是非ご紹介したいと思います。

 忖度という言葉の意味の説明は、ファクラー氏が2016年に外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌に発表した論稿の中で行われています。2016年5月27日付の記事でタイトルは、「日本の自由な報道が沈黙している(The Silencing of Japan’s Free Press)」です。記事の内容は、第二次安倍晋三内閣の成立以降、日本の報道機関が政府批判を弱めているというものです。

 

※記事のアドレスは以下の通りです↓

http://foreignpolicy.com/2016/05/27/the-silencing-of-japans-free-press-shinzo-abe-media/

 

 忖度の説明の部分をまず引用したいと思います。

(引用はじめ)

 

According to Torigoe, the result has been a form of self-censorship that Japanese journalists call sontaku, a term with no exact English translation but that refers to a Japanese social strategy of trying to please others, usually superiors, by preemptively acting in accordance with their perceived whims.

 

(引用終わり)

 

 この部分を私なりに訳してみますと次のようになります。「鳥越俊太郎氏は、その結果として、一種の自己検閲、日本のジャーナリストたちが「忖度(sontaku)」と呼ぶ状態が起きている。忖度には正しい英語訳が存在しないが、日本の社会的な戦略で、他の人、たいていの場合は上位者を喜ばせようとするものだ。その方法は、上位者たちの気まぐれな希望を知覚してそれに沿うように先回りして行動するというものだ」。

 

 昨日、この忖度について質問したのは、ニューヨーク・タイムズ紙の記者の方でしたが、ファクラー氏から助言を得れば、忖度についてより理解ができたのではないかと思います。これほど忖度についての完璧な英語での説明はないように思います。

 

 私はアメリカの大学で政治学を学びましたが、少しお手伝いも兼ねて、日本政治の授業にも出席したことがあります。その時にも「天下り」とか「根回し」といった言葉が日本政治の一面を説明するために出てきました。そして、宿題として、日本政治の授業で出てきた単語の意味の説明と重要性をまとめるという課題が出されていました。私も日本人の端くれとしてこの宿題に挑戦してみましたが、なかなか大変でした。それでも何とかやってみました。以下にその時の私なりの説明を掲載します。ご笑覧いただければ幸いです。

 

(貼り付けはじめ)

 

Amakudari (“descend from heaven”)

 

(1)The bureaucrats who are between the ages of 50 and 55 move from government to powerful positions in private enterprise, banking, the political world, and the numerous public corporations. This phenomenon is called as amakudari. This word shows that bureaucrats think themselves as higher position or rank than private sector or political arena.

 

(2)This mechanism shows the increase of bureaucratic influence over Japanese society. For example, in general, the Japanese enterprises do not seek the maximum profit. This is influenced by the former-bureaucrats in them. To bureaucracy, they can receive the compensations and young bureaucrats can get the high positions. To non-governmental sector, they can receive the talented, experienced, and intelligent people.

 

=====

 

Nemawashi (“behind-the-scenes consultation”)

 

(1)The term, Nemawashi originally refers to the process of trimming the roots around a tree before transplanting. Steven Reed uses this term to explain why companies obey the administrative guidance from ministries. In observations of some scholars (Richard Samuels, Daniel Okimoto), the Japanese government is not strong. The companies are in competition. At the same time, companies want to avoid the excess competition. The government plays the mediator role and arranges the numerous informal negotiations with companies. Through the negotiations, the government produces the solution and the companies obey the guidance.

 

(2)Nemawashi is used to explain one character of Japanese culture (harmony, or effort to avoid the disputes). In Japan Inc. model, Nemawashi refers to the cooperative business-government relationship. The government is not strong and can not impose a solution on companies. Companies want to make compromise to avoid the excess competition. As the result, the government and business sector have the relationship and control the competition. There are negotiations and trust between the government and the business sector. It contributes to stability.

 

(貼り付け終わり)

 

 こうした日英文化間の狭間にあるような言葉に出くわすと、故ベネディクト・アンダーソンが「翻訳は大変に重要な作業なのだ」と述べたことが思い出されます。
 
 

(終わり)









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 古村治彦です。

 

 ドナルド・トランプ政権が国家予算を発表し、国務省とUSAIDの予算を大幅に削減し(30%の削減)、国防費を540億ドル増加させました。これについては、批判の声が多く挙がっています。しかし、私はこれを当然のことで、大変喜ばしいことだと考えています。

 

 2011年のアラブの春から始まった中東の不安定な状況は、ムアンマール・カダフィ大佐の殺害、ベンガジ事件へと発展し、シリア内戦、シリアとイラク国内でのISの勃興というところまで悪化しています。また、ウクライナを巡る西欧とロシアの対立ですが、これはウクライナ国内の歴史的に複雑な問題とも相まって、こじれてしまいました。アメリカはロシアを非難し、制裁を課していますが、トランプ大統領は選挙戦期間中から、ロシアのウラジミール・プーティン大統領を賞賛し、ロシアとの関係改善を主張しています。また、中国に対しては厳しい言葉遣いをしていますが、貿易戦争をやる気はなく、また、北朝鮮は中国の問題だとしています。

 

現在の世界の不安定要因が発生した原因は、端的に言って、アメリカの対外政策の失敗が理由です。特に、共和党のネオコン、民主党の人道的介入派がアメリカ外交を牛耳ってきた結果、現在の状況にまでなってしまいました。こうしたことは拙著『アメリカ政治の秘密』で明らかにしましたので、是非お読みください。
 

 古村治彦です。

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唐牛伝 敗者の戦後漂流

 

 今回は、1960年の日米安全保障条約改定時に、全学連委員長として活動した、唐牛健太郎(かろうじけんたろう、1937―1984年)の評伝を皆様にご紹介します。著者の佐野眞一は、ノンフィクションライターとしていくつもの著作を発表していますが、橋下徹氏を巡る評伝で謹慎することになりました。今回の評伝は佐野氏の復帰作です。この復帰作は、素晴らしい出来であると私は考えます。一気に引き込まれ、読み切ってしまいました。それは、主人公である唐牛健太郎の魅力と共に、佐野氏の筆力もあるでしょう。

 

 唐牛健太郎は、1960年の安保改定の時に活動した、全学連(大学の学生自治会の全国組織)の委員長として「活躍」しました。国会前に集まった学生たちの指導者として、演説で学生たちを動かしました。この60年安保では、東大の学生だった樺美智子さんが死亡し、多くの負傷者を出し、また逮捕者も出てしまいました。唐牛もまた逮捕され、大学も卒業できず、その後、南は与論島(沖縄返還前は日本最南端)から北海道の厚岸(あっけし)まで日本全国を渡り歩く、安定しない生活を続けました。一方、60年安保で全学連の指導者であった人々の多くは、唐牛とは対照的に、大学を卒業し、社会的にステータスの高い仕事に就きました。

 

 唐牛健太郎という名前と響きは、50年代後半から60年代にかけて青春時代を過ごした人々にとって、輝かしいものであったそうです。唐牛が晩年、徳洲会病院グループの総帥・徳田虎雄の選挙参謀になったとき、徳洲会の医師たちは、唐牛に会うことに感激し、徳田虎雄が激怒したという話も残っています。

 

 唐牛健太郎は、北海道・函館出身(戦前の武装共産党の指導者でその後転向し、戦後はフィクサーとなった田中清玄と同郷)です。婚外子で、8歳の時に父親は病死し、芸者としてその美貌が有名であった母は郵便局勤務で、生活を支えました。唐牛がハンサムで、「石原裕次郎よりもハンサムだ」として、映画会社からスカウト受けるほどであったというのは、母親の美貌を受け継いだからと言えるでしょう。

 

 中学時代は勉強も出来て、運動(野球)もできるという優等生タイプの少年で、高校は地元の名門・函館西高校に進学。高校時代に文学に耽溺し、煙草を吸うというような不良っぽい学生になっていて、昔を知る同級生たちが驚いたということです。煙草を吸いながら、難しい本を読むというのは高校生のある種のモデルとも言うべきものでしょう。大学入試では英語が不得意だからと1人だけフランス語で受験して、それで北海道大学に入学できるのですから、不良っぽいとは言いながら、勉強もちゃんとできていたということでしょう。いますよね、勉強している感じじゃないのに、勉強ができちゃう人。私の高校時代もいましたが、羨ましかったことを思い出します。

 

 北大入学後はすぐに休学して上京し、アルバイトをしながら、演劇をやろうとしていたようです。ハンサムで人を惹きつける力がある唐牛にとっては、もしかしたら、俳優が向いていたのかもしれません。しかし、東京で砂川闘争に参加し、人生は大きく変わります。翌年に北大に復学し、教養部自治会委員長や全北海道の大学の自治会連合会の委員長になります。これは彼が天性の魅力を持ち、人に指導者として押し上げられるタイプであったことを示しています。

 

 日本の大学学生自治会は共産党の指導の下にありました。しかし、1950年代後半、日本共産党の方針に反発する若い人たちが出てきて、日本共産党から飛び出していきました。1953年に革命的共産主義者同盟(革共同、後に革マル派の指導者となる黒田寛一や作家となる太田竜がいました)が結成されました。また、1958年には共産主義者同盟(共産同、ブント)が結成されました。そして、1960年の日米安保条約改定時の学生たちを率いたのがブントに指導された全学連でした。

 

  このブント(党[partei]に対する同盟[Bund])の中心人物が、東京大学医学部の学生だった島成郎(しましげお)です。そして、その他にも青木昌彦、香山健一、柄谷行人、西部邁 森田実といったそうそうたる人物たちがいました。1960年にブントは解体します。指導部の人々はそれぞれが学業に戻ったり、就職したりしていきました。そして、1966年に第二次ブントが結成されますが、これも後に解体します。

 

 1963年2月26日にTBSラジオでラジオドキュメンタリー番組「ゆがんだ青春/全学連闘士のその後」(取材者・ディレクター:吉永春子)が放送され、ブントが資金面で、田中清玄などから援助を受けていたことが暴露されました。この番組で流された録音は、吉永の取材というよりは、録音をしていることを隠しての盗聴録音であり、それが放送されました。ブントの資金面を担当していた東原吉伸が、早稲田大学の近くにある蕎麦屋「金城庵(現存・三島由紀夫も早稲田での講演の後に訪問したことがある)」で、同窓のよしみで気楽に吉永と会って、裏話をしてしまいました。これで、当時のブントの指導者たちは激しい批判に晒されました。

 

 唐牛はブント解体後に、革共同に参加しましたがすぐに脱退し、その後は、太平洋単独ヨット横断をした堀江健一と会社を設立したり、田中清玄の会社に入ったり、居酒屋を開業したり、漁師をやったり、コンピューター会社のセールスマンをやったり、徳洲会の創設者・徳田虎雄の選挙参謀をやったりと波乱万丈の人生を送りました。彼は有名になってしまい、大学にも戻らず、いわゆる一般的な仕事に就くことが大変でした。ブントの他のメンバーたちが社会的エリートに「復帰」していく中で、自分だけが罪を背負って、自分を罰するかのように生きていったように思います。結局、「学生さんのお遊び」から突き抜けることができず、空理空論を克服できなかった他の人々に比べ、唐牛は、実生活に基づいた意識をずっと持ち続けたのだろうと思います。

 

 ブントが主導する全学連の全国委員長の人選は、島成郎が行いました。彼は、唐牛健太郎に目をつけ、北海道まで説得に行っています。この当時も、「なんで東大、京大、もしくは東京の早稲田の学生が全国委員長ではないんだ」という不満や批判の声があったそうですが、唐牛をスカウトしてきた島の眼力はさすがというしかありません。しかし、それが唐牛の人生にとって果たして良かったのか悪かったのか、分かりません。母一人子一人で育った唐牛は母をとても愛し慕っていましたが、その母を心配させ、悲しませる方向に進んでしまったとも言える訳ですから。しかし、これは全く母と息子の間の愛情の深さを知らない人間の浅薄な考えかもしれません。唐牛のお母さんは最後まで唐牛を信じて、彼の好きなように生きることを望んだのかもしれません。唐牛の口癖は、「何か面白いことはないか」というものだったというのは皆の証言は一致しています。彼のこの精神は母親にも伝わっていたかもしれません。また、自分の決めた道を進み続けるという生き方を貫いた唐牛を育てたお母さんであるならば、彼の生き方を肯定したことでしょう。もちろん、これも浅薄な勝手な妄想かもしれません。

 

 作者の佐野氏は、60年安保に参加した若者たちの心情について、「一方で反米意識に心を吸引されながら、一方でアメリカのような豊かな国になりたいという意識も拭えなかった」と書いています。反米運動でもあった60年安保の指導者たちから学究の道に入り、アメリカ留学をする人物たちが出たのは、上記のような申請があったのだろうと思います。

 

 唐牛がエリートに「戻る」ことを拒否して、47年間の短い生涯を流浪のものとしたのは、こうしたエリートたちに対する無言の批判があったのだろうとも思います。「結局、エリートに戻って、庶民を弾圧する側に与するのか、君たちは」「俺は弾圧される側に残るよ」ということだったかもしれません。

 

 また、私の師である副島隆彦先生は、著書『日本の秘密』の中で、60年安保のブントには、アメリカから資金が流れていたということを指摘しています。この点について、島成郎氏に会った時に直接質問したそうです。島氏からは「今は言えない」という答えをもらったのだそうですが、島氏は何も言わないままに世を去りました。

 

 古村治彦です。

 

 このブログでも書きましたが、「教育勅語は現在の教育現場に出てきてはいけない文書」だと私は主張しています。それは私の勝手な考えではなく、国権の最高機関である国会が、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」、参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」として、教育勅語には何の効力も効果もないということを決議しているからです。日本国憲法が最高法規であり、それに反する法律は日本には存在できません。そして、参議院の決議は、教育現場に関する指導的な法律である教育基本法(日本国憲法に反しない)に反するという理由で教育勅語は失効しているのだと述べています。

 

 今年2月から問題になっている森友学園に対する国有地の格安払下げ、瑞穂の國記念小學院開校認可に関する疑惑の中で、森友学園の教育方針にも注目が集まりました。森友学園が運営する塚本幼稚園では約15年前から教育勅語を園児たちに暗唱させるという教育を行ってきました。教育現場に教育勅語がふさわしいのかどうかについて、松野文科相は、「教育勅語を教育の源泉として扱うことは適切でない」と国会で答えていました。

 

 しかし、今週になって、しれっと次のように語るようになりました。下に貼り付けた記事をまずはお読みください。

 

(貼りつけはじめ)

 

●「教育勅語巡り、松野文科相「教材、配慮あれば問題ない」」

 

水沢健一

朝日新聞

20173141406

http://www.asahi.com/articles/ASK3G3DYFK3GUTIL00L.html

 

 松野博一文部科学相は14日、戦前・戦中の教育勅語について、憲法や教育基本法に反しないような配慮があれば「教材として用いることは問題としない」との見解を示した。配慮が適切かどうかの判断は「(都道府県などの)所轄庁が判断するものだ」とした。

 

 教育勅語は、明治天皇が1890年に教育の根本理念として授けた「教え」。両親への孝行など一般的な道徳を表す項目がある一方、国民は「臣民」とされ、国家の一大事には「皇室国家」のために尽くすと書かれている。

 

 松野文科相は14日の記者会見で、教育勅語が「日本国憲法と教育基本法の制定によって法制上の効力を喪失した」としたうえで、「憲法や教育基本法に反しないように配慮して授業に活用することは一義的にはその学校の教育方針、教育内容に関するものであり、教師に一定の裁量が認められるのは当然」と述べた。(水沢健一)

 

(貼りつけ終わり)

 

 松野文科相は、「憲法や教育基本法に反しないように配慮して」授業に活用することは学校の教育方針に関するもので、教師が決めることだとしています。松野文科相は、法律違反、憲法違反の危険を学校の先生方、特に公立学校の先生方(公務員)に冒させようとしています。また、教育基本法に則りながら運営されるべき学校現場に法律違反の危険を冒させようとしています。

 

 日本史の授業で1890年に教育勅語が制定された、という事実を教えることは問題ないでしょう。また、大学などで教育勅語を研究対象とすることは当然の行為でしょう。しかし、教育勅語を道徳の授業で使うことは教育基本法違反になる可能性があります。そんな危険を冒さなくても、親子や兄弟姉妹、友人や皆が互いを傷つけあわずに仲良くというようなことは別の教材でも十分に教えることは可能です。また、そのような道徳は個人的な良心の問題であって、天皇の言葉だからと身につけることではありません。

 

今回の発言で松野大臣が念頭に置いているのは、森友学園が開校しようとしていた瑞穂の國記念小學院(認可申請取り下げ)のことだと思いますが、この学校のウェブサイトには「道徳(教育勅語)」としてありました。認可申請が取り下げられたので、この学校での道徳の授業は行われませんが、もし道徳として教育勅語が教えられていたら問題になっていたと考えます。ですから、教育勅語についてはっきりと否定ができないと述べることができない松野文科相は問題です。松野博一文科省は、日本会議国会議員懇談会の一員です。ですから、教育勅語についてはっきりと否定できないのだと思いますが、教育勅語について擁護したければ少なくとも文科相を辞任されてからなさるべきでしょう。いや、公務員の憲法遵守義務違反にも該当するかもしれませんから、国会議員も辞めて、擁護活動をなさるべきかもしれません。

 

 「教育勅語には良いことがたくさん書いてある」という主張があります。そのように考えることは構いませんし、教育勅語を復活、つまり教育基本法に代わる日本の脅威の指導原理にしようと訴えることは自由です。しかし、そのためには日本国憲法を全面的に改正しなければなりません。教育勅語の内容と日本国憲法の理念は合わないものだと衆参両院の決議は述べています。そして、日本国憲法に反する法律や勅語は存在できませんし、天皇をはじめ全ての公務員には憲法遵守義務があります。ですから、日本国憲法を全面的に改定、もしくは破棄して大日本帝国憲法を復活させねばなりません。そうなると、主権者は天皇ということになります。現在は国民主権ですが、天皇主権ということになります。教育勅語の中で徳目が続いて最後に「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という一節をどう訳すかが問題です。試訳では、「ひとたび天皇が主権者の大日本帝国にとって重大なことが起きたら、勇ましく奉公し、これまで栄え続けてきた天皇家のますますの発展に貢献せよ」ということになります。この一節は、やはり天皇大権が前提になっていると考えますから、この一節が入っている教育勅語は日本国憲法下の日本では復活できません。また、曲がりなりにも国民主権と基本的人権の尊重、民主政治体制が前進してきた日本が後進してしまうことも許されません。

 戦前の日本ではしかしながら、「天皇主権説」と「天皇機関説」が併存していました。顕教と密教という言葉で表現されていましたが、表向きは天皇が大権を統べるとなっていましたが、裏では主権は国家に属すると考えられてきました。天皇機関説によって議会は重要な役割を果たすことが出来ました。しかし、1935年から天皇機関説排撃が始まり、天皇を絶対視する勢力が軍部と結託し、亡国の道を進みました。ですから、大日本帝国憲法を復活させることは、いつ天皇絶対勢力が出現し、民主的な制度を窒息死させるか分からない危険なものですから、大日本帝国憲法の復活もまた歴史の進歩に反するものと言えます。 

 

 私個人の見解では、「教育勅語」をアホダラ経のように暗唱させたところで効果は薄いと考えています。戦前には「陸海軍軍に賜る勅諭」、通称「軍人勅諭」というものがありました。これは、旧日本帝国陸海軍の上は元帥から下は二等兵、新兵までに与えられた天皇からの「お諭しの言葉」です。陸軍は全員がこれを暗唱することが義務とされ、海軍ではその精神を理解しておくことが必要とされました。昔の陸軍士官学校の様子を収めた映像では、毎朝生徒たちは故郷に向かって遥拝し、その時に軍人勅諭を大声で暗唱していました。軍人勅諭の中身は軍人の心構えとして必要な内容が書かれていましたが、特に「政治にかかわってはいけない」と書かれていました。終戦の時の鈴木貫太郎首相は海軍大将でしたが、首相に推挙された際に、「私は明治大帝から軍人は政治にかかわるなというお教えを受けたので、できない」といったんは断ったところ、侍従長として仕え、大きな信任を受けていた昭和天皇から「頼むから」と言われて、ようやく引き受けました。一方、陸軍は中堅将校たちが政治に関心を持ってしまったがために満州建国や中国侵略を行ってしまいました。勅諭という「ありがたい」言葉をただの言葉にしてしまったのです。言葉をただ唱えているだけでは意味がないと思うのです。

 

 教育勅語が素晴らしいと考えることは自由ですが、それを「復活」させる、つまり教育の指導理念とすることは今のままではできませんし、私はそのような復活には強く反対します。それにつながるような動きにも強く反対します。

 

(終わり)









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 古村治彦です。

 

 2017年2月9日から大きな事件となった、森友学園を巡る疑惑ですが、人々の注目を集めたのは、安倍晋三首相の配偶者、安倍昭恵さんが森友学園の開校予定(認可取り下げ)の瑞穂の國記念小學院(学園側は安倍晋三記念小學院にしたかった)の名誉校長をしていたという事実が明らかになってからです。子供たちが教育勅語を暗唱し、天皇皇后の写真に最敬礼し、運動会で「安倍首相頑張れ」と叫ぶ幼稚園の教育に感銘を受け、「何かお力になりたい」ということで、名誉校長になったという事実には驚かされました。

 

 そして、これ以降、安倍昭恵夫人のこれまでの活動にも関心が集まり、また、昭恵夫人のおつきの人々(常勤が2名、非常勤が3名)が国家公務員であったことも明らかになり、「公人」か「私人」かということで、もし公人ならば、森友学園の小学校の名誉校長になったことは適切ではなかったのではないかという主張も出てきています。

 

 昭恵さんはこれまでの控えめで目立たない存在であった首相夫人という立場を大きく変えました。彼女の行動は多くの人々から好感を持って迎えられました。それは彼女の行動力と好奇心の結果です。そして、安倍首相の支持率の維持にも少なからず貢献しました。

 

 しかし、「首相夫人」については、その立場に法的な根拠もなく、その活動がどこまでが公務で、どこからが私的なものなのかは線引きが難しいということも事実です。そのはざまで、「首相」夫人であることの影響力が少なからず行使されながら、見過されてきたということもあるようです。

 

 アメリカの大統領夫人(First Lady)の場合は、ホワイトハウスのイーストウイングに執務室が与えられ、補佐官やスタッフがつきます。ビル・クリントン大統領の夫人ヒラリー・クリントンは健康保険制度改革では陣頭に立ちましたし、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領の夫人エレノア・ルーズヴェルトは病弱の夫を支え、影響力を発揮しました。しかし、たいていの場合は、ファーストレディは政治的な事にはかかわらず、社会的にコンセンサスのある問題に取り組みます。ジョージ・W・ブッシュ(息子)大統領のローラ夫人は図書館司書の経験を活かして、子供たちの読書啓発、バラク・オバマ大統領のミシェル夫人は、子供たちの肥満対策のために野菜摂取、運動の啓発に取り組みました。テレビ番組でミシェル夫人がおどけた姿でダンスをしている姿を見たことがある人もいると思います。

 

 それでは日本の首相夫人はどうなるべきか、ということはこれから検討されるべきです。その時に必要なことは、個人の資質で活動の範囲が変化してはいけないということであり、もう1つは政治と関わる部分もありますから、公的な活動の範囲は制限されるべきだと考えられます。首相夫人が公的な活動を行う場合には、国民的にコンセンサスを得られる問題に取り組むこと、そして首相や首相官邸の同意を得ることが必要ではないかと考えます。

 また、ビジネスの側面が大きいものも制限される必要があります。 昭恵さんのSNSを見ていますと、宣伝行為と判断されやすいものもありますから、これは排除されねばなりません。見られる数が制限される場合には私的な行為として判断されるかもしれませんが、こういう点では慎重な行動が求められます。

 

 「首相夫人」という肩書が政治的、営利的に利用されない、利用しないということが重要なのだろうと思います。

 

(貼りつけはじめ)

 

首相夫人の支え方「研究する」…菅官房長官

20170316 0950

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20170316-OYT1T50015.html

 

 菅官房長官は15日の記者会見で、安倍昭恵・首相夫人の活動への支援のあり方について「研究していきたい」と述べ、検討を進める考えを明らかにした。

 

 菅氏は、首相夫人の活動が公的行為か、私的行為かを巡って国会で論戦になっていることを踏まえ、「首相夫人の活動をどのように支えていくか、実態を十分に把握した上で国民が『なるほどな』と思えるものにしたい」と強調した。

 

 同日の衆院内閣委員会では、昭恵夫人が名誉会長を務めるスキーイベントに政府職員が同行していたことが新たに明らかになった。政府の説明によると、イベントは2015年2月、16年3月、17年3月の計3回行われ、いずれも政府職員が連絡調整などのために同行。職員の旅費などは昭恵夫人が負担したという。

 

 政府は14日の閣議で「首相夫人は私人」とする答弁書を決定している。

 

(貼りつけ終わり)

 

 

(貼りつけはじめ)

 

日本のファーストレディは酒とフェイスブックを愛す、そして人々はそうした彼女を愛す(Japan’s first lady loves sake and Facebook, and people love her for it

 

アンナ・フィールド筆

『ワシントン・ポスト』紙

2014年9月22日

https://www.washingtonpost.com/world/japans-first-lady-loves-sake-and-facebook-and-people-love-her-for-it/2014/09/21/44ff5159-71ca-49cf-ab23-fc3f6531ce7d_story.html?tid=a_inl&utm_term=.e88a414af27c

 

東京発。一人の安倍さんがおり、その人物は上流階級の出身者でありながら、フレンドリーで、近づきやすく、お酒とソーシャルメディアを愛しており、友達になりたいと思う人だ。

 

ここにもう一人の安倍さんがいる。その名前は安倍晋三。保守的な日本国首相である。安倍首相の支持率は高い。しかし、安倍首相個人は、平均的な日本人が一緒にビールを飲みたいと思うようなタイプの人物ではない。そして、実際のところ、安倍首相はお酒をほとんどたしなまない。

 

安倍首相の妻、安倍昭恵氏は存在感を増し、彼にとって秘密兵器となりつつある。堅物な首相の柔らかい側面を見せることに貢献している。選挙から2年経って、彼の政策の効果について疑問が出ている中で、昭恵夫人の存在は重宝している。

 

フェイスブックのプロフィール写真で、昭恵夫人は麦わら帽子をかぶり、首相夫人らしからぬ服装で、農業者の格好で、彼女の田んぼの中で微笑んでいる。昭恵夫人は、アイスクリームを食べていたり、自動車の後部座席で古い型の折り畳み型携帯電話で話をしたり、微笑んでいたりしている安倍首相の写真を掲載している。世の中に出ている安倍首相の写真のほとんどにはそのような姿はない。

 

フェイスブックで昭恵夫人をフォローしている5万5000以上のフォロワーの中の1人であるリエ・コバヤシは、昭恵夫人が地震からの再建の専門家たちと写っている写真に対して次のように書いている。「昭恵さん、本当に素晴らしいです。あなたの生き方、望むままに生きて、自分の考えを曲げない、本当に憧れます」。

 

妻は夫に従うものという日本のステレオタイプとは異なり、安倍昭恵さんは夫である安倍首相の政策への反対を公にする。安倍首相は、原子力はエネルギーにとって必要だと主張しているが、昭恵夫人は反原発を主張している。昭恵夫人は津波対策の防潮堤計画に反対し、安倍首相が韓国政府と対立しているのに、韓国文化を愛している。首相は夫人を「家庭内野党」と呼んでいる。

 

今年初めに開催されたゲイ・プライド・パレードに昭恵夫人は参加した。日本ではLGBTに関する諸問題について公に議論がなされていない。また、昭恵夫人は不妊治療について公言し、安倍夫妻が養子縁組を検討したことがあると述べた。これもきわめて珍しい行動だ。

 

過去にはラジオDJをしたこともある。現在、彼女は東京の中心部で日本式のパブである居酒屋を経営している。そこでは、安倍首相の選挙区内にある田んぼで彼女自身が育てて収穫した無農薬の「昭恵米」を出している。一般の人々は、米から作られる日本酒好きの昭恵夫人について冗談を言っている。

 

昭恵夫人は首相公邸(安倍夫妻は首相就任後も公邸ではなく、自宅に住んでいる。公邸は会合とレセプションのために使われている)でインタヴューを受け、その中で次のように語っている。「私は枠を少しずつ壊しています。もしそれが女性他の多くが一歩踏み出すことの助けになれば、嬉しいですね」。

 

安倍晋三首相は「ウイメノミクス」を推進している。これは、日本において比較的斬新な考えで、女性たちがもっと働くことで日本経済を成長させようというものだ。安倍首相はウイメノミクス推進のために昭恵夫人を起用している。

 

今月初め、昭恵夫人は政府主催の「女性のための世界会議」(東京)に出席し、講演を行った。また、今週火曜日にはワシントンにあるシンクタンクCSISでウイメノミクスについて講演を行う予定だ。

 

昭恵夫人は次のように語っている。「私は、女性がいかに社会においてより活動的になるべきかについてお話をするつもりです。男性が作り上げた、垂直的な、争いが起きやすいピラミッド構造では社会はもう持たないと思います。これを変えることができるのは、女性の寛容さ、柔軟さ、母性だと考えています」。

 

昭恵夫人のこうした発言を見れば、彼女が急進的なフェミニストではないことが分かる。昭恵夫人は自分たちの部屋をいつもきれいに掃除するだけの時間を取れないと述べ、夫は自分でごみを出したり、洗濯をしたりしているので、「かわいそう」だと述べている。

 

安倍首相は女性が労働市場に参加する数を増加させようとしている。これが日本経済の抱える諸問題の解決策になると考えている。日本の人口は減少しつつあり、また高齢化も進んでいる。これは労働力の減少を意味する。しかし、女性たちの多くは、1日12時間労働が普通のこととされている文化に参加できない、もしくは参加したくないと考えている。

 

昭恵夫人は、女性の進出というメッセージの主導者だ。昭恵夫人は24歳最後の日に結婚した。日本では長い間、女性はクリスマスケーキと同じく、25歳を超えると結婚しにくくなると言われてきた。そして、昭恵夫人は結婚後に勤務していた広告会社を辞めた。

 

東京の上智大学で政治学を教える中野晃一は、「彼女はヒラリー・クリントンではない」と述べている。

 

しかし、メディアに対して昭恵夫人が好意を増しているのは、安倍晋三首相にもう一つの側面を加えるための策略のように見える。安倍晋三首相は有名な政治家一族の御曹司で、彼には思いやりが欠けていると見られてしまうことがある。

 

安倍首相は2012年末に権力の座に復帰した。第一次政権は2007年に短期間で終わった。この時は健康問題で辞任した。安倍首相の支持率は高く、これについて首相自身は経済の再活性化(これには異論はない)と「自衛隊」により行動の自由を与えるための憲法解釈の変更(これには大きな反対がある)に対して信任が与えられているからだと解釈している。

 

安倍首相の支持率は下がり気味だが、それでも50%前後を保っている。

 

昭恵夫人は裕福な家庭に生まれ育った。彼女は彼女自身の行動が戦略であることを否定し、彼女が安倍首相をより人間らしく見せているという意見には笑顔で次のように述べた。

 

昭恵夫人は「私の夫はとても面白くて、人間臭い人ですよ。マスコミには見せない面がたくさんあります」と語った。

 

政治分析を専門にしているアナリストは口を揃えて、昭恵夫人はざっくばらんだが、常識をわきまえている、そして安倍首相にとっては、彼のより柔らかい印象を人々に与え、人々をホッとさせることに役立っている。

 

中野教授は次のように語っている。「昭恵夫人の存在がなければ、安倍首相は上流階級出身で強固な右翼的な考えを持ち、頑固な保守派というだけの人物になってしまう」。

 

昭恵夫人は、夫の進める政策に対して影響力を与えることはないと考えているが、「私の役割は、夫がアドヴァイザーから聞くことがないであろう意見を言うことです。ただ、夫は既にたくさんの反対意見を聞いているんだよ、と私に言いますけどね」と語った。

 

2011年の福島原発事故以降、操業停止となっている原発の再稼働を安倍政権は準備している。これに対して、昭恵夫人は、ワシントン・ポスト紙の取材に対して、日本は原子力エネルギーなしでも「うまくやっていけるだろう」と述べた。

 

安倍内閣はアメリカを含むTPPを推進しているが、昭恵夫人は、障壁を開けると、遺伝子組み換え食品のような望まない製品が洪水のように入ってくると懸念を表明している。

 

日韓関係は良かったことはないが、最近は、歴史問題を巡る論争のために悪化し続けている。昭恵夫人は韓流ドラマを楽しみ、韓国料理を作ることを批判されている。しかし、昭恵夫人は、「夫は韓国の朴槿恵大統領と話をしたいと言っています」と語った。

 

昭恵夫人は「女性として、近隣の国々とは仲良くしたいと思っています。私は常にこれらの国々に愛情を持っています」と語った。

 

こうした言葉は、もう1人の安倍さんの口から出ることは決してないと確信している。

 

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