古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

2018年05月

 古村治彦です。

 

 日本列島はずっとアジア大陸の東の端という位置にありました。そして、アジア大陸の東端に存在した中華帝国からの影響を受け続けてきました。現在の中国、昔は各王朝の名前、漢、唐、宋などなどと呼ばれていた存在をどのように認識するか、敵か味方か、従うべき上位の存在か、対等な関係か、自分たちよりも弱い存在として見下すか、ということで、対岸の島国の人たちは迷って、様々な反応をしてきました。

 

 現在、中国は日本を抜いて世界第2位の経済大国となりました。世界のGDPに占める割合はアメリカが23%、中国が15%、第3位の日本は5%ほどとなっています。20世紀末の段階ではまだ日本が中国をリードしていたのですから、中国の高度経済成長の凄まじさが分かります。最近でも年6%の経済成長で、だいぶ落ちてきたと言われていますが、世界第2位の規模の経済が6%ずつでも成長するというのは驚異的なことです。日本がこれから中国に追いついていくためには年で18%の成長を毎年続けていかねばなりませんが、そんなことは不可能です。

 

 私自身に引きつけて考えてみれば、1984年、小学生の時に中国の上海を訪問したことがあります。地元新聞社の交流事業の一環で、子供たちばかりでの訪問でした。あの時は中国のあまりの貧しさに驚きました。おんぼろの上海空港、子供たちは日本の終戦直後かと思うほど皆白いランニングシャツに半ズボンばかり、私たちは普通の格好をしていたのですが、物珍し気に遠巻きにされて後ろをついてこられる、なんてことがありました。通訳の方からは子供たちがカメラを持っていることが珍しかったようです。クーラーもなくて大変でした。

 

上海のあるお寺で、壁が乱暴に削られた跡があり、通訳の方に「あれは何ですか?」と質問して、「文化大革命というのがあってね」と言われて、「文化大革命とは何ですか?」と質問したら、「日本に帰ってご両親から教えてもらって」と言われたことを記憶しています。あと興味深かったのは、私の耳は福耳なのですが、中国の人たちに何度か耳たぶを触られたこともありました。バスに乗っていたら、窓を叩かれ、開けてみたら、耳を触られたこともありました。しかし、何か乱暴をされるとか、嫌な目に遭うなんてことはありませんでした。

 

 あの時、ランニングシャツを着て私たちの後をついてきた同い年くらいの子供たち、少年宮で体操競技の練習をしていた子供たちは今どうしているのだろうか、と考えると、上海でお金持ちになっているのかな、共産党の偉い人になっているのかな、と思うと、自分のふがいなさは置いておいて、中国の発展ぶりと日本の停滞ということを対比して考えてしまいます。

 

 個人的な体験。ミクロの体験を基礎にして俯瞰的に、マクロに見るということが重要だと思いますが、これは簡単ではありません。話が逸れて申し訳ありません。

 

 1800年当時、中国(清帝国)は世界のGDPの25%以上を占める世界最大の経済大国でした。割合で言えば現在のアメリカと同じくらいの規模です。そこから40年後のアヘン戦争で凋落して、屈辱の時代に入っていきます。世界覇権国(世界帝国)の歴史を見てみると、一度その座から滑り落ちたら復活したところはありませんが、中国は復活するという世界史において初めての偉業を成し遂げるかもしれません。

 

 こうした大きな変化を目の当たりにして、私たちはどのように中国を認識すべきなのか、中国を認識するにはどうしたらよいのか、ということになります。「木を見て森を見ず」という言葉があります。自分の個人的な、狭い経験だけで判断してしまうことは正しい認識につなげることが出来ません。個人的な経験に政治、経済、社会、文化に関するこれまでの知識の蓄積を加えていくことが重要ですが、言うは易しで、これは大変難しいことです。日本の対中認識、対中姿勢は地理的にかつ文化的に近いために難しいものとなっています。

 

 しかし、先穂との私のささやかな体験をつらつらと書いてしまったように、人間はどうしても個人的な体験を通してより大きなものを見てしまうということはあります。そうした呪縛を逃れるためには幅広い知識を得ることが重要だと思います。

 

 今回は、坂野潤治著『近代日本とアジア』(ちくま学芸文庫、2013年)と戸部良一著『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』(ちくま学芸文庫、2016年)を読みながら考えたことを書きたいと思います。私がこの2冊の良書を読んで感じたことは、外国を総体として「理解」することは不可能であり、「理解」したつもりになっていると痛い目に遭う、ということです。

 

 『近代日本とアジア』では、日本の対アジア認識の近代史をテーマとしています。日本の対アジア(対中)認識は大きく分けると、「アジア主義」対「脱亜論」ということになります。雑駁な言い方になりますが、アジア主義と言えば頭山満が、脱亜論と言えば福沢諭吉がそれぞれ有名です。アジア主義は日本型のアジアの国々と一緒になって欧米諸国に対抗しようとする考えで、脱亜論は欧米諸国に倣ってアジア諸国に対して進出しようという考えです。明治期から大正期にかけて大きく分けてこの2つの考えが様々な形で主張されていきました。

 

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近代日本とアジア: 明治・思想の実像 (ちくま学芸文庫)

 

 「脱亜論」の代表格である福沢諭吉に関して言えば、福沢の主張は「朝鮮の日本による保護国化(ロシアと中国に備える)」というものでした。そして、福沢は「脱亜論」を唱えたのですが、時に「アジア主義」へと変化していきます。この変化は福沢の対中認識の変化に軌を一にしているのだと著者の坂野は主張しています。つまり、福沢が「中国は強い」と思った時には「脱亜論」を唱え、「中国は弱い」と考えた時には「アジア主義」を唱えたのですが、言いたいことは「だから朝鮮半島を日本の勢力下に置かねばならない」ということでした。朝鮮半島を日本の勢力圏に置いて、日本の安全保障を確保するということが明治日本の基本線でした。山縣有朋は朝鮮半島を含む地域を「主権線」、満州地域を「利益線」と呼び、これらを守ることの重要性を訴えました。

 

 日本本土だけではなく、満州までも勢力圏(利益線)として防衛するという考えは、膨張し続けていくという宿命を負っています。満州を守るためにはモンゴルやシベリアの一部も勢力下にしなければならないということになって際限がなくなってしまいます。ですから、国家運営の基本方針がなければなりませんが、それがあったのかどうか、ということは疑問です。石橋湛山は戦前に既に朝鮮半島まで放棄し、独立させよという「小日本主義」を唱えていますが、このような慧眼はなかなか受容されませんでした。

 

 現在、日本の置かれている状況を考えてみると、地理的条件はほぼ変わっていません。しかし、中国と韓国との関係、日本と韓国との関係、日本と中国との関係を考えてみると、中韓関係の緊密さに比べて、日韓、日中関係は疎遠のように見られます。日本は「孤立」し、ますますアメリカ依存を強め、膨張する中国に対抗するという状況にあります。簡単に言うと、日本は戦後70年を過ぎてもなお、アメリカの従属国として生きていかねばならないということです。そして、今世紀中に起きる覇権国交代により、中国がアメリカの次の覇権国になる時には、中国の従属国になるという運命にあるということです。米中どちらの従属国であるのがより良いのかということは分かりませんが、それが日本が置かれた場所から生み出される結論ということになるでしょう。ですから、このような事態に備えて、日韓、日中関係を少しでも改善しておかねばならないのですが、現在はまだアメリカの従属国であるということに徹しておかねばならないという状況です。

 

戸部良一著『日本陸軍と中国 「支那通」にみる夢と蹉跌』(ちくま学芸文庫、2016年)に移ります。

 

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日本陸軍と中国: 「支那通」にみる夢と蹉跌 (ちくま学芸文庫)

 

 この本の主人公的な人物は、佐々木到一(1886―1955年)です。1905年に陸軍士官学校を卒業し、連隊付きの将校となり、1911年に辛亥革命勃発後の中国に初めて入りました。この時から中国を専門とすることを志しました。1914年に陸軍大学に入学しました。陸軍大学では中国関係以外には熱心ではなく、何とか卒業できる成績だったそうです。それでも陸軍大学まで出れば、「閣下」と呼ばれる少将から上まで進級できました。陸大を出ていなければそこまでの出世は難しいものでした。

 

 陸大卒業後は、途中で日本に帰ることもありましたが、長く中国に勤務しました。広東駐在武官、北京公使館付武官補佐官、南京駐在、関東軍、満州国軍政部最高顧問などを務めました。南京事件時には、南京攻略戦に旅団長として参加し、戦闘後には南京の警備司令官を務めました。戦後は戦犯として逮捕され、1955年に中国の戦犯収容所で死亡しました。

 

 佐々木到一は、明治維新以降の中国に駐在した日本陸軍の士官たちである「支那通」の系譜につながる人物です。情報将校として中国の現地情報を収集・分析し、日本に伝える役割を果たしました。また同時に、中国の地方勢力や中央政府に深く食い込むことで、彼らの意向を日本に伝えるという役割も果たしました。

 

 佐々木到一は1922年に広東駐在となり、ここで当時は広東を拠点としていた国民党政権を研究するようになりました。その過程で孫文と親しくなり、国民党による中国の統一と統治を期待するようになりました。孫文は1925年に亡くなりますので、交流期間は短かったのですが、孫文にも信頼されたということです。佐々木は孫文死後も国民党への期待を変えることはありませんでした。腐敗した各地の軍閥とは違い、三民主義を掲げた国民党による中国統一と清廉な統治を佐々木を期待しました。そして佐々木は蒋介石に期待をかけることになりました。

 

 1928年、中国国民党が主導する国民革命軍による北伐が開始されると、佐々木は蒋介石の許可を得て北伐に従軍しました、しかし、1928年5月に済南で国民革命軍と日本軍が衝突する事件が起きました。この時、佐々木は停戦の仲介に向かう途中に国民革命軍の兵士に捕らえられ、厳しいリンチを受けてしまいました。これ以降、佐々木と中国側、国民党側の関係は冷却し、破綻してしまいます。そして、佐々木は国民党への期待から一転して、中国に対して厳しい態度を取ることになりました。それは日中戦争が始まっても続くことになりました。

 

 佐々木到一は辛亥革命で革命の熱気にあてられ、孫文に出会い、その理想に共鳴しました。しかし、孫文の死後、その理想が裏切られる事件に遭遇し、今度は厳しい批判者となりました。佐々木はその生涯の中で、中国の友人から批判者へと大きく変化した訳ですが、これは日本に対中姿勢とその変化を自身の中で経験したということが言えます。

 

 佐々木のようにロマンティシズムと理想主義で中国をとらえてしまうと、それらが裏切られてしまえば、勝手に失望し、幻滅して、中国を批判し、悪口を言い出すということになります。私たちは、このようなある面では子供じみた態度を取るべきではありません。この点で、佐々木到一という人物は私たちに教訓を教え得てくれています。

 

 中国は昔も今も日本に影響を与える国です。敵視してみたり、従ってみたり、友人だと言ってみたり、様々な反応をしてきました。一衣帯水、同文同種とも言ってきました。期待をしたり、裏切られたと言って憤ってみたりということもありました。中国は再び世界帝国への道を進み始めています。その道は直線ではないかもしれませんが、既に日本の3倍のGDPというところまで来ました。この現実を受け止め、どのように行動することが日本にとって最良なのかということを国民全体で考える必要があると思います。ただただ怯えて過剰な反応をするだけでは未来につながりません。

 

(終わり)


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今の巨大中国は日本が作った


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真実の西郷隆盛
 

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迫りくる大暴落と戦争〝刺激〟経済
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 古村治彦です。

 

 今回は副島隆彦先生の最新刊『迫りくる大暴落と戦争〝刺激〟経済』(徳間書店、2018年5月)をご紹介します。

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迫りくる大暴落と戦争〝刺激〟経済

 

 今回の最新刊にも副島隆彦先生による大胆な予測がたくさんなされています。アメリカの北朝鮮爆撃、攻撃が終わって「戦争によって経済を刺激して好景気を作り出す」、戦争刺激経済(war economywar boosts economy)が創出されますが、それも続かずに、大暴落がやってくるということがこの本の最も重要な点になります。これは第一次世界大戦の後の動きと同じだということです。

 

 アメリカは考えてみれば、何年かおきに戦争をして経済を立て直し、また崩れるということを繰り返してきました。軍需産業が一大産業ともなっています。この事実を踏まえて、直近の動きを考えてみると、戦争刺激経済が発動されそうです。

 

 その他にも様々な予測や分析が掲載されています。是非手にとってご覧ください。よろしくお願いいたします。

 

(貼り付けはじめ)

 

まえがき

 

●これからの3年、さらに3年の6年間を予測する

 

 この本では、これからの3年、さらにそのあと3年、計6年を予測(予言)する。

 

 これからの日本及び世界の経済はどうなるか。私の予測、先見(せんけん)は、大きくP7の図のとおりだ。この本が出て近いうちに株式市場で2回ぐらい大きな山が来るだろう。なぜなら、株式の次の暴落に対してアメリカは戦争〝刺激(しげき)〟経済(War boosts Economy. ウォー・ブースト・エコノミー)でなんとかエンジンをブオブオと吹かして景気を上げようとするからだ。

 

 トランプは「北朝鮮の金正恩に会う」と言ったが、この米朝の話し合いは、短時間でだめになるだろう。世の中に不安感が広がる。それで投資家も心配して、NYダウと日経平均はだーっと1回落ちる。1000ドル、2000ドル落ちる。日経平均も1000円、2000円ぐらい平気で落ちる。

 

 トランプは、ここで戦争(せんそう)によって経済を刺激する、押し上げるまさしくWar boosts economy.(ウォー・ブースト・エコノミー)を仕掛ける。戦争刺激経済とは、まさしく、「米軍による北朝鮮への爆撃」のことだ。戦争で経済を刺激する、のである。景気の落ち込みから脱出するためのアメリカの手口だ。これで、北朝鮮爆撃のあと、「アメリカは勝った!」で安心感が広がり急激に株価がハネ上がる。それに連れて日経平均も、どーんとハネ上がる。

 

 ところが、少しすると、また、ドドドと下がってゆく。こういう動きを2回、3回金融市場は繰り返すだろう。私はこのように予言する。

 

 この「ウォー・ブースト・エコノミー」、すなわち、戦争で経済を押し上げる。経済を政治(=軍事)の力でブーストboostする、押し上げる。この“War boosts economy.”という言葉の意味を、私がここまで易(やさ)しく説明しても、それでもまだ分からない人は、それは私、副島隆彦の本のこれまでの熱心な読者では無い。

 

 欧米では、これを簡単に「ウォー・エコノミー」と言う。このコトバの意味を頭のいい高校生でも知っている。ところが、日本(人)では相当の高学歴の金融専門家や、英語ペラペラのトレイダー(ファンド・マネージャー)たちでも、知らない。分からない。日本人は「ウォー(ブースト)エコノミー」と「ウォー・タイム・エコノミー」(戦時()経済。戦争中(ちゅう)の経済)の区別がつかない。その違いが分からない。私は、この10年、自分の本で、ずっとこの「ウォー・エコノミー」、戦争経済のことをあちこちで書いてきた。だが、ほとんど誰も理解してくれなかった。それでわざと間(あいだ)に「ブースト」を入れてより正確な英文にすることで戦争〝刺激〟経済と表記することにした。これで何とか日本人に分かる。分かってもらえるだろう。ヤレヤレだ。戦争を煽ることで景気、経済を押し上げる。それが「戦争(刺激)経済(ウォー・エコノミー)」だ。

 

 ダメ押しをする。欧米白人社会では、頭のいい高校生でも知っている、この war economy 「戦争経済」を、日本では、経済学部を出た市場関係者や、経済学者でも知らない。それどころか、実は政治学の学者や政治評論家たちも知らない。即ち日本ではまだ誰も知らない。

 

 どうしても「2兆円(200億ドル)分ぐらいミサイルや爆弾を使ってくれ」と、アメリカの軍需産業界が要求している。「政府がそうしてくれないと、兵器が売れなくて在庫が溜()まって仕方がない」と軍需(=国防)産業の親分たちが言う。レイセオンとロッキード・マーチン・マリエッタとボーイング社などである。日本で言えば三菱重工や川崎重工である。そうやって国防産業が政府に泣きつくのである。トランプ大統領は、このことを重々分かっている。トランプという人はビジネスマン(商売人)であるから、企業経営者たちの苦労が死ぬほど分かっている人だ。だから北朝鮮はウォー・エコノミーの問題なのだ。北朝鮮問題とは独裁者の国からの核ミサイルの取り除き、廃棄のことだけではない。アメリカの軍需産業(ミリタリー・インダストリー)のために兵器の消費がどうしても必要なのだ。これが戦争経済だ。第2章でさらに説明する。

 

●北朝鮮爆撃で株価の大変動が起きる

 

 株価が上下に動くことを、ボラティリティ(変動率)という。戦争はこの株価のボラティリティを激しく上下に大きく拡大させる。この価格の変動率(ボラティリティ)は、資金運用者と投資家にとっては、たいへん有難い重要な仕掛けだ。投資の基本は、買ったら売り、売ったら買い戻す、である。安値で買って価格が上がったら売って利益を取る。あるいは、下落相場なら、(先(さき)(もの)での売りならば)借りてきた株を先(さき)()で高値で売っておいて、暴落したあと安値で買い戻す。そして利益を取る。これしかない。そのためには、業界全体にある程度のボラティリティがなければいけない。無風状態で値動きなしが何カ月も続くのが、一番イヤなのだ。

 

 だから、ここから先、しばらくの間、株価の急上昇と暴落が何回か繰り返されるだろう。暴落したらその時、サッと買う。そのあと暴騰が来る。ここで迷わずサッと売る。ここで売れないでじっと持っていると、大損する。なぜなら、また暴落するからだ。また安値、底値でサッと買う。秋までに、こういう動きが3回ぐらいあって繰り返すだろう。

 

 第一次世界大戦(1914─1918)の時にも、これとまったく同じ暴騰と暴落があった。その時、日本は日露戦争(1904─1905)に勝利したあとで、世界の5大国入りして帝国(エムパイア)になっていた。日本は第一次大戦の戦争前景気で、1回おおいに盛り上がって、その後、ばたーんと落ちた。このあと戦争が終わったようだ、ということで、またドーッと株(景気)が上がった。ところが、暫(しばら)くしたら、またドーッと落ちた。1920年から〝戦争景気〟のあとの長い不況が来た。これと同じことがまた世界で起きようとしているのである。

 

第一次大戦(WWI)(ザ・ファースト・ワールドウォー)は、1918年12月に終わり、1919年から、講和(平和交渉)(ピーストークス)のためのベルサイユ会議が始まる。このあと1920年に入るとドーッと落ちた。この時、日本の鈴木商店(三井物産の前身)、そして台湾銀行が倒産した。鈴木商店は、今の総合商社の先駆けで、戦争景気で、スエズ運河に、鈴木商店の商船(輸送船)がズラリと並んでいたのである。鈴木商店が日本を代表する大商社だった。

 

 天才経済学者のケインズさえ、この時、投資で大失敗した。大戦後の1920年から後の4、5年は苦戦した。だから迫りくる〝第二次朝鮮戦争〟の前後にも大きな変動が来る。ただし、今回は期間が半年ぐらいなので短い。だからそのあとの数年(3年、さらに3年)の動きを読まなければいけない。

 

=====

 

迫りくる大暴落と戦争(ウォー・)〝刺激(ブースト・)〟経済(エコノミー)──[目次]

 

まえがき─3

これからの3年、さらに3年の6年間を予測する─3

北朝鮮爆撃で株価の大変動が起きる─8

 

第1章 緩和バブルとともに沈みゆくドル

 

パウエル新FRB議長はがむしゃらに利上げする─24

NYダウの暴落で「適温相場」の嘘がバレた─35

VIX指数を買っていたファンドが踏み上げをくらった─44

フラッシュ・クラッシュが暴落を誘発した─45

米長期金利の上昇は国債バブルの崩壊を意味する─54

バーゼルⅢで日本は米国債を買わされる─70

黒田日銀も出口戦略で金利をつけたい─74

パウエルFRB議長は、グリーンスパンの真似をする─79

あと6年で「ドル覇権体制」はめでたく崩壊する─83

巨大IT企業の肥大した株価が調整される─84

 

第2章 戦争(ウォー・)〝刺激(ブースト・)〟経済(エコノミー)しかなくなった

 

〝第二次〟朝鮮戦争が起きる─98

米軍の北朝鮮への爆撃は6月にある─100

金正恩はICBMの完成まで引き延ばし作戦をする─104

北朝鮮問題と中東問題は裏で密接につながっている─106

イランと北朝鮮は直結している─113

3年後から「ドル覇権」は崩壊に向かい、1ドル60円になる─115

だから3年待たないと金価格は上がってこない─119

あと6年でドルの終わりがくるから金を買っておきなさい─123

いよいよ人民元がこれから上がり出す─126

今のうちに人民元預金をするべきだ─130

 

第3章 金融市場で何が起きているのか

 

史上最大の大暴落のきっかけはフラッシュ・クラッシュだった─140

中国がシカゴ・マーカンタイル取引所(CME)の買収に動き始めた─145

ヨーロッパ発の金融規制で証券会社が潰される─149

ファイナンス理論どおりに整然と間違える─154

先物主導で暴落させられた─159

精緻なシステムも最終的には人間に壊される─163

日銀は目標とは逆の政策をやっている─165

アメリカは自分が生き残るためにヨーロッパを潰しにかかっている─168

ロボット・トレーディングを育てたのはシカゴのストライカー証券─170

日本の銀行を中国人が本格的に買い続けている─174

ユニクロ商法のそっくりさんも出てきた─176

次は日立が狙われている─181

お金の行き場がなくなったあと、戦争経済しか選択肢はなくなった─183

日本の生保が米国債30年物の償還でプレッシャーを受けている─184

ビットコイン取引のほとんどが日本からになっている─187

 

第4章 世界経済における巨大なマネーの秘密

 

複利で爆発的にお金が増えるのが資本主義だ!─190

利子こそが資本主義を回転させるエンジンである─191

貨幣乗数という資本主義のマジックが効かなくなった─196

投資の経済効果に注目したケインズの乗数効果─199

土地の値段が100倍にもなる時代があった─201

ジャブジャブ・マネーで麻痺している日本経済─207

マネーサプライが消えてなくなった─210

日本国債の買い取りでマネー・クリエイションしている─212

リチャード・ヴェルナーが日銀によるマネー創造の秘密を暴いた─213

ヴェルナーの本で、この30年の金融経済の全体の謎が解けた─216

グリーンスパンFRB議長はヴェルナーを無視した─221

イングランド銀行の理事がマネー・クリエイションを認め始めた─224

「リーマン・ショックの秘密」が見えてきた─227

 

第5章 経済学は死んでしまった

 

アメリカがヨーロッパ500年に挑戦したのが行動科学─234

株で儲かった喜びよりも、大損する恐怖を重視─238

今目の前にある1万ドルと3カ月後の2万ドル、どちらを取るか─241

経済学は身もふたもない学問に成り下がった─243

人間の能力は持って生まれた天性であり、人間は元々不平等だ─251

Y=C+Iという方程式が示す世界最高度の真実─253

 

あとがき─265

 

【巻末付録】戦争の陣太鼓が聞こえる軍需銘柄21─268

 

=====

 

あとがき

 

 こうやって私は、この本でこれからの世界の動きの「3年、さらに3年(合計6年間)」を予言した。自分が行った近(きん)未来予測(予言)をなんとか当ててみせる。ただしこの本は、金融、経済の本であるから、あまり政治の話は書かないようにした。それでもどうしても政治の話が入ってくる。

 

 政治(外交、軍事=安全保障を含む)と、金融・経済は、〝車の両輪〟であるから、片方だけを見るわけにはゆかない。両方を見てそれを総合する力があるから、私は金融評論業で生き延びているのだろう。

 

 第4章で、リチャード・ヴェルナー氏の『円の支配者』(2001年刊)を高く評価した。なぜならヴェルナー氏(現在、51歳)が、1995年に発見して、以来ずっと唱えている「先進国の中央銀行が、政府を助けるために、やってはいけない、銀行が持つ信用創造(力)(クレジット・クリエイション)を悪用してきた」理論は大きな真実を抉(えぐ)り出している。創造(クリエイテッド)マネーを大量に創(つく)って、それが、世界の金融・経済をおかしくしてきたのだ。彼らセントラル・バンカーたちがバブルを作り出し、破裂させ、そのために資金をショートさせた企業をたくさん倒産させて、世の中に多大な迷惑をかけてきた」理論は、2008年のリーマン・ショックをはっきりと予言していた。

 

 この違法な、創造(クリエイテッド)マネーは、私もまた自分の金融本でこの10年使い続けてきたジャブジャブ・マネー(金融緩(かん)()政策で人工的に作られたマネー。Q(キュー)(イー)=量的緩和)であった。

 

 そして、ヴェルナーと私は、今も共に「次の大きな株の大暴落、金融崩れは、大恐慌へとつながる」と予測、予言する。

 

 それは、1991年(今から27年前)に崩壊したソビエト共産主義(コミュニズム)に続いて起きるであろうアメリカ資本主義(キャピタリズム)の崩壊だ。エ、まさか、そんな。資本主義は、イデオロギーや宗教ではなくて、客観的実在(オブジェクティヴ・イグジステンス)だよ、壊れるわけはないよ、と、必ず起こる反論に対しても、私は明確な答えをそろそろ準備し、提出しなければいけない時代が到来したのである。

 

 資本主義(の社会、国家)が倒れたあと、一体、人類に次に何の制度、体制がやってくるのか? カール・マルクスとジョン・メイナード・ケインズ卿に続く、人類の大天才が現れなければ、その姿は明らかにならない。だが、資本主義までもが滅ぶ、そして全く新しい時代が人類に到来することが強く予想されるのである。ゼロ金利と、マイナス成長と、銀行消滅のコトバにその予兆が見られる。

 

 この本も、またしても徳間書店学芸編集部の力石幸一氏と、延々とおしゃべりしながら出来た。記して感謝する。

 

2018年4月   

副島隆彦 

 

(貼り付け終わり)


※2018年6月17日(日)に副島隆彦の学問道場定例会(講演会)が開催されます。定例会出席のお申し込みは以下のアドレスでお願いいたします↓
http://snsi-j.jp/kouen/kouen.html

 

(終わり)

 

imanokyodaichuugokuwanihonjingatsukutta001
今の巨大中国は日本が作った



 

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(仮)真実の西郷隆盛

 

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(仮)福澤諭吉 フリーメイソン論

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 古村治彦です。

 

 北朝鮮が核実験施設の「破壊」を外国(日本や独仏を除く)の記者団に公開するという発表がありましたが、その後、態度を硬化させ、予定されていた南北の閣僚級会談を中止する、その理由は米韓両空軍の共同訓練が軍事的挑発(military provocation)だからだ、と発表しました。

 

 北朝鮮が外国の記者団を招待して、核実験施設の破壊を取材させるということで、北朝鮮の宣伝攻勢、プロパガンダはかなり進んでいるなという印象を持ちました。しかし、これは、「検証可能な非核化」には程遠いものです。検証とは知識と経験を持つ専門家たちがきちんと手続きを踏んで「確実に破壊され、この実験場は二度と使えません」という確証を報告書にまとめるということで、ただジャーナリストを連れまわすだけでは、ただの宣伝広報活動に過ぎません。

 

 今回、軍事演習を理由にして強硬な発表をしましたが、これまでにもアメリカ軍と韓国軍の軍事演習は多く行われてきましたし、これを軍事的挑発行為とするのは少々無理があります。それならば北朝鮮の核実験の方がより危険度が高い軍事的挑発行為ということになります。

 

 北朝鮮はまた米朝首脳会談の実現の可能性について言及し、中止を仄めかすような表現をしています。

 

 米韓両空軍と北朝鮮空軍や北朝鮮の対空システムとの間では力の差が大きく、米韓両軍が航空戦力で攻撃をすれば北朝鮮は抵抗するでしょうが、敗北は必至ということになります。アメリカ軍単独の攻撃でも結果はあまり変わらないでしょう。北朝鮮は今回の発表通りに、「アメリカ軍による先制攻撃」を何よりも恐れているということになります。

 

 これまで南北関係の改善、米朝首脳会談の下準備などで融和的なムードが出ていました。これまで国を出ることがなかった金正恩労働党委員長が3月末、5月前半に2度も中国を訪問し、習近平国家主席と話をするということもありました。しかし、北朝鮮側からこのような発表が出され、融和ムードに水が差されることになりました。

 

 北朝鮮としては、アメリカ軍による攻撃の可能性がゼロではないと考えており、その可能性を少しでも減らすために、今回のような発表をしたと私は考えます。宥和ムードではありますが、それはあくまで私たち当事者以外の傍観者たちの間だけのことです。北朝鮮としてはぎりぎりの状況にあると自分たちの立ち位置を認識しているようです。それは当然のことで、生きるか死ぬかという駆け引きをやっているのですから、周りが良かった、良かったといっても、まだ何も決まっている訳ではないのですから、それと一緒になって浮かれることはできません。

 

 私は、中国の習近平国家主席と金正恩労働党委員長が2度会談を持ち、その内容が重要ではないのかと考えます。中国としてはアメリカと争ってまで北朝鮮を守るというのは現状ではやりたくありません。ですから、中朝首脳会談の内容もきちんとアメリカ側に伝えています。中国の習近平国家主席は、トランプ大統領の考えや行動を金正恩委員長に伝えているでしょう。その中で、生半可な対応をすれば深刻な結果を招くという警告が習主席から出されていると思います。「朝鮮半島の非核化にはアメリカ軍の撤退も含まれるというのは中国としても歓迎できるが、アメリカ、トランプ大統領はそれでは済まない。まずは北朝鮮による一方的な核放棄、検証受け入れをしてからということになる。それがあなたにできるか」ということを言われたのだろうと思います。

 

 金委員長としてはリビアの指導者だったカダフィの末路についてよく分かっていますから苦悩するでしょう。核兵器を完全放棄しても遅かれ早かれ滅亡、核兵器を完全放棄しなければこちらも滅亡、ということになります。「何とか体制保障、一時的でもいい、その後は最低限財産を持って中国かロシアに亡命させてくれないか」というのが金委員長の希望でしょう。

 

 融和ムードはあくまで周囲だけの話であって、北朝鮮は瀬戸際にまで追い詰めれており、中国も韓国も自国の存亡を賭けてまで北朝鮮を救うという状況でもないということになっており、米朝首脳会談までの道のりは厳しいものとなるでしょう。

 

(貼り付けはじめ)

 

北朝鮮、南北閣僚級会談を中止=「米朝」へ揺さぶり-合同訓練に反発、急きょ通告

 

2018年5月16日 時事通信

https://www.jiji.com/jc/article?k=2018051600238&g=int

 

 【ソウル時事】北朝鮮国営の朝鮮中央通信は16日、米韓空軍が開始した航空戦闘訓練「マックス・サンダー」を「軍事的挑発」だと強く非難、16日に予定していた韓国との閣僚級会談を中止せざるを得なくなったと伝えた。また米国に対して「朝米首脳対面(会談)の運命について熟考しなければならない」と警告。6月12日の米朝首脳会談の取りやめの可能性を示唆し、揺さぶりを掛けた。これに対し、米政府は会談の準備を続ける姿勢を示している。

 

 韓国統一省報道官は16日、北朝鮮の通告について遺憾の意を表明し、「早期に会談に応じるよう求める」と呼び掛けた。

 

 朝鮮中央通信は、米韓訓練について「(北朝鮮への)空中からの先制打撃(攻撃)と制空権掌握を目的としている」と批判。戦略爆撃機B52や最新鋭ステルス戦闘機F22など100機余りが投入されており、4月27日に板門店で開催された文在寅大統領と金正恩朝鮮労働党委員長の南北首脳会談で署名された「板門店宣言」に対する「露骨な挑戦」だと反発した。

 

 その上で、「南朝鮮(韓国)と米国は、板門店宣言のインクが乾く前に大規模な合同訓練を展開し、われわれの平和的な努力と善意に挑発で応えた」と非難した。さらに「米国と南朝鮮が北南関係の改善と朝米対話局面が戦争演習の免罪符になると考えるなら、それより大きな誤算はない」と主張し、「われわれは、米国と南朝鮮当局の今後の態度を鋭意注視する」と述べ、合同訓練の中止を暗に求めた。

 

 韓国統一省によると、北朝鮮は16日午前0時半(日本時間同)ごろ、閣僚級会談の首席代表、祖国平和統一委員会の李善権委員長の名前で通知文を韓国側に送付。合同訓練を理由に閣僚級会談を無期延期すると通告してきた。閣僚級会談では、南北首脳会談を受け、南北離散家族の再会行事や将官級軍事会談の開催などについて協議するとみられていた。

 

 韓国大統領府高官は合同訓練の日程や規模を変更する可能性に関しては「今のところ、そのような計画はないと理解している」と述べた。(2018/05/16-11:06

 

=====

 

北朝鮮は領空を開き、核実験施設の破壊を取材させるためにメディアを招く(North Korea will open air space, invite media to cover dismantlement of nuclear test site

 

ジョシュ・デリック筆

2018年5月12日

『ザ・ヒル』誌

http://thehill.com/policy/international/387406-north-korea-will-open-air-space-invite-media-to-cover-dismantlement-of

 

北朝鮮は航空可能領域制限を緩和し、これまで数十年行っていた海外メディアの北朝鮮国内取材へのアクセスを与える見通しだ。これは外交交渉に先駆けて核実験施設を破壊することを海外に向けて誇示するためだ。

 

北朝鮮の国営通信とロイター通信によると、北朝鮮は土曜日、アメリカ、韓国、その他の国々からの記者たちを招待し、「核実験の非継続の透明性を確保する」ことを認めた、ということだ。

 

外国からの記者たちを入国させるために、北朝鮮は5月23日から25日にかけて、彼らに中国から飛行機で入国してもらう目的で、「領空を開く」ことになる。北朝鮮の海岸沿いの年である元山に到着した後、記者たちは、万塔山近くの「山深い、人も住んでいない地域」にあるとされる核実験施設まで電車で向かうことになる。

 

今回の北朝鮮の発表の前に、ドナルド・トランプ大統領は北朝鮮の指導者金正恩朝鮮労働党委員長との歴史的な会談の日時と場所を正式に発表した。会談は6月12日にシンガポールで開催されることに決まった。

 

金正恩は先月、韓国の文在寅大統領との会談の前に、北朝鮮が核実験を停止すると発表した。金正恩はこれまで繰り返し朝鮮半島の非核化の希望を表明してきた。金正恩の主張する非核化には韓国とアメリカからの譲歩が必要となるだろう。

 

米朝首脳会談の前の下交渉で今週金正恩と会談を持ったマイク・ポンぺオ国務長官は、会談の後で、完全な非核化には、アメリカと他国による「明確な検証」が必要となるだろうと述べた。

 

=====

 

●「北、核実験場23~25日廃棄 現地取材、日本は除外」

 

5/13() 7:55配信 産経新聞

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180513-00000003-san-kr

 

 【ソウル=名村隆寛】北朝鮮外務省は12日、北東部の豊渓里(プンゲリ)の核実験場を廃棄する式典を、今月23~25日の間に行うと発表した。朝鮮中央テレビなど北朝鮮メディアが報じた。

 

 発表によると、式典では核実験場全ての坑道を爆破し、入り口を閉鎖する。その後、地上の観測施設や設備を撤去し、周辺を閉鎖するという。

 

 式典は気象条件を考慮するとし、実験場廃棄の透明性を示すために、外国メディアの現地取材を許可する用意があるとしている。取材の便宜を図るため、北京からのチャーター便の準備もあるという。外国メディアは中国、ロシア、米国、英国、韓国に限定し日本は含まれていない。

 

 核実験場の閉鎖について北朝鮮は「5月中の閉鎖」や、米韓の専門家、メディアへの公開を表明していた。6月12日に予定される米朝首脳会談に向け、核凍結、廃棄の姿勢をアピールするものとみられ、外国メディア受け入れ名目の外貨獲得の狙いもうかがえる。

 

 核実験場は坑道入り口がふさがれても、全体を爆破しない限り、簡単に復元できる。このため、核実験場の廃棄式典は海外に核放棄を示すパフォーマンスの場となる可能性もある。

  

(貼り付け終わり)


(終わり)

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真実の西郷隆盛
 

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 古村治彦です。

 

 今回は『真実の西郷隆盛』(副島隆彦著、コスミック出版[電波社]、2018年5月19日)をご紹介いたします。


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真実の西郷隆盛

 

 本書は副島隆彦先生の西郷隆盛研究の本です。今年2018年は明治維新150周年で、NHK大河ドラマは西郷隆盛を主人公とする「西郷(せご)どん」です。視聴率はあまりよくないようですが(私はテレビを所有していないので視聴していません)、話を聞いていると、結構ディテールにこだわった作りになっているようです。

 

 本書では、これまで光を当てられてこなかった西郷隆盛の持つ意外な一面に光が当てられています。それは「西郷隆盛はキリシタンであった」「西郷隆盛は情報将校であった」ということです。詳しくは是非本を手に取ってお読みいただきたいと思います。

 

 以下にまえがき、目次、あとがきを掲載します。

 

 よろしくお願い申し上げます。

 

(貼り付けはじめ)

 

はじめに

 

西郷隆盛[さいごうたかもり] (1828〜1877)は 50 歳で死んだ。

 

西郷の年齢の表記は諸本によってバラバラになっている。 49 歳という場合もあるし、 51 歳と表示している本もある。この本では年齢は数え年で表記する。また出来事のくわしい日時は旧暦で表示した。西郷の死んだ時の年齢は、満年齢で 49 歳、数え年で 50 歳だ。

 

このように表記がバラバラなのは、西郷が生まれた旧暦の文政 10 12 月7日は、西暦では1828年1月 23 日だからだ。文政 10 年は西暦では1827年であり、1カ月くらいずれる。このずれの狭 はざ 間 ま に西郷隆盛が生まれた。従って、西郷が1877年9月 24 日に鹿児島の城山で死ぬまでの日数を計算したら、満年齢で 49 歳、数え年で 50 歳である。細かいことだが年齢を正確に把握することは重要なことだ。

 

西郷とこの時代の代表的な人物たちとの年齢との兼ね合いを見ると、盟友の大久保利通[おおくぼとしみち] (1830〜1878)より2歳年上である。長州の木戸孝允[きどたかよし](桂小五郎 1833〜1877)より5歳年上。高杉晋作(1839〜1867)より 11 歳上。土佐の坂本龍馬[さかもとりょうま](1836〜1867)より8歳年上。後藤象二郎[ごとうしょうじろう](1838〜1897)より 10 歳年上である。従って、西郷隆盛は年齢で明治維新を成し遂げた維新の元勲たちの中では先輩格ということになる。

 

一方、西郷が仕えた第 11 代薩摩藩主・島津斉彬[しまづなりあきら](1809〜1858)は 19 歳も年上だ。西郷が嫌った斉彬の弟島津久光[しまづひさみる](1817〜1877)も 11 歳年上だ。

 

西郷隆盛の人生は、島津斉彬が嘉永4(1851)年に藩主となって、すぐに登用されるまでの前半生( 27 歳まで)と、それ以降の後半生に分けられる。私たちが普通知っているのは、後半生の時代だ。西郷は安政元(1854)年に斉彬の参勤交代の供 とも 揃 ぞろ えに抜擢され初めて薩摩から江戸に出た。ここから西郷の政治活動が始まった。NHKの大河ドラマ『西郷(せご)どん』で描かれているとおりである。

 

西郷は後半生で2度、島流しにあった。1度目は「安政の大獄」から逃れるために、藩が彼を奄美大島に潜伏させた時だ。奄美大島での生活は安政6(1859)年1月から文久2(1862)年1月までの3年間(、、、)に及んだ。2回目は、斉彬没後に薩摩藩の最高実力者となった斉彬の弟島津久光の逆鱗に触れ、徳之島、続けて沖永良部島に遠島処分なった時だ。この時の遠島処分は文久2(1862)年6月から元治元(1864)年2月の約2年間(、、、)続いた。

 

西郷はこのように後半生 25 年間のうち5年もの間、政治の表舞台から追放された。2度目の遠島(えんとう)処分は、西郷をそのまま殺しても構わないという過酷な処分であった。しかし西郷は生きて戻った。失脚と粛清を生き延びた。沖永良部島から帰還した時、西郷は 37 歳になっていた。そして、慶應3(1867)年から慶応4/明治元(1868)年にかけて、王政復古と明治新政府樹立、江戸幕府打倒を成し遂げた。これらは現在、書店に並んでいる西郷隆盛本に出てくる。

 

西郷はキリシタン(キリスト教徒)であった。そして同時に情報将校(インテリジェンス・オフィサー)として鍛え上げられた人物であった。私はこの事実を証拠付きでこの本で明らかにする。このことは一般的な歴史書では書かれていない。歴史学者たちは口をつぐんで言わない。しかし、西郷の地元鹿児島では人々の間で密かに伝えられてきた。最近、公然と語られるようになった。

 

鹿児島は、その約300年前の1543年に、イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエル ( Francisco de Xavier   1506〜1552)が上陸した土地だ。最近、藩主島津氏の居城で あった鶴丸城(鹿児島城)の本丸跡から、「花 はなじゅうじもん 十字紋」の入った瓦が発見された(『南日本新聞』2018年2月 17 日付)。2009年に二の丸跡からも同様の十字がついた瓦が出土した。花十字紋は、キリスト教の十字架を表現しているもので、キリシタンの墓に使われたり、花十字紋瓦は教会跡から出土したりしている。島津氏もキリスト教の影響を強く受けていたのである。

 

西郷は、「中国化したキリスト教」である陽明学を学び、「敬天愛人(けいてんあいじん)」という思想に行き着いた。西郷は陽明学者佐藤一斎[さとういっさい](1772〜1859)の『言志四録(げんししろく)』を死ぬまで手元から離さなかった。この本を一所懸命に勉強した。そこから生み出された西郷の思想「敬天愛人」に使われている「天(てん )」こそは、キリスト教(天主教)の「神」のことである。西郷は中国で出版された漢訳の聖書を読んでいたという証言が残っている。西郷はどんな人間に対しても礼儀正しく接した、不正を非常に憎んだ、という逸話が残っている。これは西郷隆盛が陽明学、すなわち中国化したキリスト教に忠実だったからだ。

 

西郷隆盛は巨体(日本人の平均身長が150センチ台の時に178センチもあった)で茫洋

とした、細かいことにはこだわらない大人物としてのイメージができ上がっている。しかし、実際にはきめ細かい配慮ができ、数学の計算力のある、頭の回転の速い人物であった。鹿児島は日本本土の最南端に位置し、昔から海外からの情報が真っ先に入ってくる場所であった。薩摩藩は琉球を実効支配し、海外情報を入手しやすい場所にあった。この環境の中で育った西郷は、藩主島津斉彬の下で働いた5年間で、「情報将校」として鍛えられた。2度の島流しの間にも、薩摩藩の情報ネットワークの中におり、それに守られていた。また冷酷な謀略も行える人物であった。

 

西郷隆盛についてはいくつもの大 フォールス 嘘がまかり通っているので、それを「糺(ただす)す」ために私はこの 本を書いた。私は歴史を見る時に、いつも大きな真実とは何か(、、、、、、、、、)を考える。私は西郷隆盛について、これが大きな真実であろうということをこの本で書いた。読者は厳しい真贋(しんがん)判断をしてください。

 

=====

 

『真実の西郷隆盛』

 

目次

  

はじめに

 

第1章 西郷隆盛と陽明学・キリスト教

    

西郷=キリシタン説   

陽明学はキリスト教   

西郷隆盛と陽明学

「敬天愛人」とキリスト教

 西郷はキリスト教の聖書を読んでいた

 キリスト教に寛大だった西郷隆盛

 陽明学の深い学習=キリスト教への信奉

 

第2章 幕末:西郷隆盛をはじめとする情報将校たちの時代

    

情報収集、分析の専門家として育成された西郷

情報将校・西郷の前半5年間:島津斉彬による抜擢・教育

情報将校・西郷の後半5年間:明治維新に向けた動き

アジアとのつながりが深く人、物資、情報が集まってきた薩摩

2度の離島生活で出会った知識人・重野安繹と川口雪篷は情報将校だった

薩摩藩対外情報将校であった寺島宗則と五代友厚    

西郷隆盛とイギリスの情報将校アーネスト・サトウとのかかわり

「情報将校」が活躍した幕末という時代

 

第3章 西郷隆盛の誕生から世に出るまで

    

薩摩藩の青年武士たちのリーダーとして

西郷家の生活

江戸後期の島津家と薩摩藩

青年期の西郷隆盛

島津斉彬と西郷隆盛

西郷隆盛、江戸へ

将軍継嗣における一橋派と南紀派の対立

暗転:斉彬の死、安政の大獄から僧月照との錦江湾入水、そして生還

西郷隆盛、奄美大島へ

 

第4章 遠島処分から政治の表舞台へ、倒幕に向かう

    

島津久光の実像と倒幕、維新への功績

薩摩藩の実力の源泉となった資金力の3本柱

「精忠組」誕生と大久保利通の久光接近

桜田門外の変から公武合体路線へ

久光による率兵上京、西郷隆盛召還と「地ゴロ」発言

西郷、流罪で徳之島、さらに沖永良部島へ

文久の改革から公武合体路線、尊王攘夷

再び召還され、政治の表舞台へ

薩長同盟から王政復古の大号令へ

 

第5章 西郷隆盛と明治維新

 

徳川慶喜容認か、倒幕か

鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争へ

鹿児島への帰還と藩政改革

新政府への出仕と留守政府の筆頭参議

遣韓論争と下野(明治六年の政変)

鹿児島帰還と西南戦争、終焉

  

おわりに

 

=====

 

おわりに

 

今年、2018年は明治維新から150年目の年だ。NHKの大河ドラマは西郷隆盛が主人公の『西郷(せご)どん』で、西郷隆盛に注目が集まっている。大河ドラマ『西郷どん』に便乗して多くの西郷関連本が出ている。しかし、こうした便乗本では西郷の真の姿はわからない。

 

西郷隆盛について大事なことは、西郷隆盛は誰に対しても威張らず、丁寧に接する人物だった、ということだ。これは、西郷隆盛が「中国化したキリスト教」である陽明学を本気になって一生懸命に勉強し、人間を身分別にわけて徹底的に虐(いじ)めるという江戸時代の制度に反感を持っていた、ということを示している。西郷は、このような誰に対しても威張らない人だったということで、人格者として尊敬され、大人物とされた。

 

「西郷はキリシタン(キリスト教徒)だった」という西郷の出身地鹿児島に今でも伝わる話は荒唐無稽なつくり話などではない。真実は庶民の間でヒソヒソと語られ後世に伝えられていく。

 

また、西郷隆盛が「情報将校」であることも今回くわしく書いた。西郷隆盛は薩摩藩主島津

斉彬によって見 みい 出 だ され、斉彬直属の「情報将校」として鍛え上げられ、政治活動を行った。斉彬が死去するまで江戸藩邸の御庭方(御庭番)として斉彬から直接指示を受け、行動していた。各藩の「情報将校たち」とも行き来をし、人脈を形成した。幕末期はまさに江戸幕府や雄藩の情報将校たちが江戸や京都、時には海外を舞台にして活躍した時代であった。

 

西郷はそうした時代を生き抜いた。西郷自身は権謀術数や裏切りなどを最も嫌った人物だ。


しかし、西郷の持つ論理的思考力、的確な判断力、押し出しのよさによって、斉彬に見出され、斉彬直属の情報将校として活躍することができた。

 

生真面目で、誠実な西郷隆盛というイメージは西郷の真実の姿の半分を示しているだけだ。そこに情報将校としての側面を加えることで、西郷隆盛の真実の姿に近づくことができる。逆説的ではあるが、西郷が人格者であったればこそ、情報将校として活躍することができた。人格に歪(ゆが)みがあれば的確な判断は下せない。

 

今回、私の「真実の西郷隆盛論」を書き上げた。これまで無視されてきた西郷の側面を描き出した。西郷隆盛の真の姿に近づけたものと自負している。

 

この本の完成には、私の弟子で鹿児島市出身の古村治彦(ふるむらはるひこ)君の協力があった。電波社の岩谷健一編集長にもお世話になった。記して感謝します。

 

(貼り付け終わり)

※2018年6月17日(日)に副島隆彦の学問道場定例会(講演会)が開催されます。定例会出席のお申し込みは以下のアドレスでお願いいたします↓
http://snsi-j.jp/kouen/kouen.html


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 古村治彦です。

 

 今日から約1か月後の6月12日にシンガポールでアメリカのドナルド・トランプ大統領と北朝鮮の最高指導者金正恩朝鮮労働党委員長の会談が行われることが決まりました。この会談に中国の習近平国家主席が同席する可能性があるという報道が流れました。

 

 この報道はアメリカ側で語られているもののようですが、これは「中国の習近平国家主席が同席しなければ現実的な話は進まない」というアメリカ側の姿勢を示していると思われます。朝鮮戦争の休戦協定に署名をしているのは、中国(彭徳懐中国人民志願軍司令員)と北朝鮮(金日成朝鮮人民軍最高司令官)とアメリカ(マーク・クラーク国連軍総司令官)ですから、これらの国々で話さなければ休戦協定を変更することも出来ません。韓国や日本には残念ながら出番はありません。

 

 アメリカとしては中国と話をして、北朝鮮に対する処分を決める、中国にも非核化に関して「責任」を持たせるということになるのだろうと思います。北朝鮮が非核化すると言うのなら、それを中国が保証せよ、もし非核化の合意内容に違反したら、金正恩が支配する耐性を転換させることを約束せよ、その時にはアメリカと一緒に行動せよ、ということになると思います。

 

 北朝鮮により穏やかな外資も導入出来て、人々の人権をある程度守る政権(最初のうちは独裁でも良い)が出来ることは、中国の一帯一路計画においても重要です。そうなれば、韓国との関係がより深まり、北朝鮮を通じて韓国を一帯一路に組み入れることが出来ます。また、在韓米軍は撤退しているでしょうから、非核化し、米軍の朝鮮半島の実現というのは中国にとって勝利ということになります。台湾との関係をより改善すれば、第一列島線を確保することになります。

 

 北朝鮮は米中を手玉に取るつもりだったかもしれませんが、米中がつながっている場合には、この会談は米中による「北朝鮮処分」決定の話し合いということになります。

 

 私は中朝韓でブロックになっていると書きましたが、どうも米中が朝鮮半島の運命を決めるという構図になっているように思われます。北朝鮮と韓国は中国を引き入れてアメリカと対峙しようと考えたと思いますが、中国はアメリカと対決することは望まないでしょう。そして、アメリカとの話し合いに応じ、北朝鮮問題を片付けることになるのだと思います。

 

(貼り付けはじめ)

 

●「<米朝首脳会談>習主席が現地入りか」

 

5/11() 11:10配信 毎日新聞

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180511-00000019-mai-int

 

 【ワシントン高本耕太】6月12日のシンガポール開催が発表された米朝首脳会談を巡り、ワシントン外交関係者の間で、中国の習近平国家主席が現地入りする可能性が取りざたされている。実現すれば、朝鮮戦争(1950~53年)休戦協定の署名当事者である米国(国連軍代表)、中国、北朝鮮の3カ国首脳そろい踏みとなる。米国家安全保障会議(NSC)のコーツ国際交渉担当上級部長は10日、第三国の首脳の参加について「可能性はある」と記者団に語り、含みを持たせた。

 

 中国は北朝鮮にとって建国以来の最大の支援国。国連安全保障理事会の対北朝鮮制裁の実効性確保でも成否のカギを握ってきた。習氏はここ1カ月余りの間に2回、北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の訪問を受け、金委員長の「後見役」としての存在感を高めてきた。また、トランプ米大統領や安倍晋三首相らとの直接協議を行い「トップ外交」を活発化させている。

 

 トランプ氏はこれまでも、北朝鮮に対する習氏の影響力の大きさをたびたび指摘しており、9日の閣議冒頭では、米朝会談実現にあたって「習氏から具体的な助けを受けた」と述べ、繰り返し謝意を示した。

 

=====

 

●「米朝首脳会談、トランプ氏「大成功を収めるだろう」」

 

5/11() 9:55配信 TBS News i

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180511-00000034-jnn-int

 

 アメリカのトランプ大統領は演説で、6月12日にシンガポールで開催する北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)党委員長との初の首脳会談について、「大成功を収めるだろう」と述べました。

 

 「私は6月12日にシンガポールで世界の平和で安全な未来を追求するため、金正恩党委員長と会談する。大成功を収めるだろう」(アメリカ トランプ大統領)

 

 トランプ大統領は史上初の米朝首脳会談を6月12日にシンガポールで開くと発表してから初めての演説をインディアナ州で行い、首脳会談は「大成功を収めるだろう」と強調しました。

 

 さらに、北朝鮮との関係は「よい」と述べた上で、「何かとてもいいことが起きつつある」「それは日本、韓国、中国、みんなにとってとても重要なことだ」と訴えました。

 

 トランプ氏はイラン核合意からの離脱や、北朝鮮に拘束されていた3人のアメリカ人の解放、そして、米朝首脳会談開催の決定など最近のアメリカの外交を踏まえて「アメリカが再び信頼されるようになってきている」とアピールしました。(1109:27

 

(貼り付け終わり)

 

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