古村治彦です。
日本国内には「日本は核武装すべきだ」という考えを持つ人々が数百万人単位でいる。彼らは自分たちこそが「大人の態度」を取っており、「日本は戦争被爆国であり、その惨禍を経験している以上、核兵器の存在自体に反対し、また、日本の核武装に反対する」という主張に対して、「お花畑」「平和ボケ」という悪罵を投げつける。日本の核武装が実現する時は、世界が第三次世界大戦に近づくときである可能性が高い。もっとも、日本が核武装をするということは国民世論の反対が大きいので可能性が高くはないと考えられる。
このブログで頻繁にご紹介しているスティーヴン・M・ウォルトの論考をここでご紹介したい。その内容は「核の優位性を追求することは大いなる無駄だ」という内容だ。アメリカは世界最大の国防予算を誇る。第2位から第10位の国の国防予算を足し合わせても、アメリカ一国には及ばないほどだ。その中にはどうしても無駄や浪費が出てくるが、その改善策は無駄なプログラムへの支出を削減、もしくは停止することだとウォルトは指摘している。
ウォルトは、核兵器の拡大や近代化は無駄だと述べている。それは、核兵器の本質は「相互確証破壊(Mutually Assured Destruction、MAD)」による威嚇・抑止にあり、すでに十分な第二次打撃能力(報復能力)を備えている場合、それ以上に核弾頭や送達兵器を増やしても、安全保障上の優位性はほとんど高まらないからだ。「相互確証破壊(MAD)」とは、核兵器で攻撃を受けても、残った核攻撃能力で相手国を完全に破壊できるという状態のことで、MADによって、相手国は先制攻撃を思いとどまるという論理構成になる。アメリカ、ロシア(ソ連)、中国はお互いにそのような状態にある。これ以上、いくら改善や増大を進めても抑止効果は高まらないということになる。必要最低限の核兵器保有で十分であるのに、「相手を上回って屈服させる」という方向で、増大を進めた結果が地球を難渋会も破壊しても足りないほどの核弾頭保有ということになった。ウォルトの議論は簡単に言えば、「最低限の核武装で良い」ということになる。
それならば、「日本も最低限の核武装をすべきじゃないか」という主張が出てくるだろう。日本の防衛に核兵器が必要であろうかというそもそものところから考えてみたい。日本を攻撃する合理性を持つ国は存在しない。日本の通常兵器と自衛隊の実力を考えると、日本を攻撃することはかなりの困難を伴う。その困難さを超える利益ということを考えると、今の日本を攻撃して得られるものはない。そんなことをするくらいなら、円安で安くなった日本を金で買いあさる方がずっと安上がりで、しかも感謝される。日本を軍事的に攻撃する国は国際社会から大きな制裁を受けることになる。ましてや核攻撃をするような国はその存立自体が危ぶまれる。現在の国際社会で核兵器を使用するということはそれだけで実質的に犯罪行為である。日本人を奴隷化すると言っても、これだけ少子高齢化が進んだ国の国民を奴隷にして何の意味があるのか。膝が痛い、腰が痛いという高齢者たちばかりの国だ。
日本は核武装をする方がかえって危険である。日本が核武装することで、周辺諸国との関係では緊張感が高まる。「日本が再びアジア侵略の野望を持つようになっているのではないか」という懸念を持たれて、警戒感を持たれ、世界の成長エンジンである東アジア、東南アジアとの関係が悪化することも考えられる。日本は国際協調の途を堅持しなければならない。そして、アメリカとの関係を維持しながらも、多角的な外交関係も志向すべきである。そのために最も邪魔となるのが核武装論である。
(貼り付けはじめ)
核の優位性を追求することは意味を持たない(The Quest for Nuclear
Superiority Makes No Sense)
-政府にとって最善の節約策は完全に不要な兵器に資金を浪費するのを止めることだ。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2026年6月25日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/06/25/nuclear-arsenal-modernization-weapons-no-sense/
世界各国は毎年、国防に数十億ドルを費やしているが、その資金の一部はどうしても浪費されてしまう。「無駄、詐欺、乱用(waste, fraud, and abuse)」を好む人はいないが、多岐にわたる軍事計画に巨額の資金を投じる以上、それらを完全に排除することは不可能だ。この問題に対処するためのより効果的な取り組み(例えば、米国防総省がたまには会計監査に合格できるようになることなど)が望まれるが、国防費を節約する最も明白な方法は、単に、不必要な能力や実現不可能な目標の追求に資金を浪費しないこと(to simply not waste money pursuing unnecessary capabilities and
impossible goals)だ。
具体例を挙げる。主要な軍備管理条約(the major arms control
treaties)の多くが失効または破棄された今、アメリカ、ロシア、中国は、核戦力の近代化と拡大に数千億ドルを費やそうとしている。他の核保有諸国も、規模はより控えめとはいえ、戦力の強化を進めている。
しかしながら、この場合、「近代化(modernizing)」とは単に老朽化したり時代遅れになったりしたシステムをより信頼性の高いものに置き換えることだけを意味する訳ではない。それは、戦力の致死性、精度、ステルス性、標的変更の迅速性(lethal, accurate, stealthy, rapidly retargetable)などを高め、保有する核弾頭の数を大幅に増やすことも意味する。そして、こうした支出の背後にある根本的な目標は、単に各国の「第二次攻撃能力(second-strike capability)」を維持することではない。なぜなら、主要諸国にとってその能力を維持することは比較的容易だからだ。むしろアメリカ(そしておそらく他のいくつかの国)は、容認しがたい被害を受けることなく核戦争を遂行できる「信頼できる能力(a credible ability)」を獲得しようとして、多額の資金を費やすことになる。
ここで問題となるのは次の点だ。核時代の当初から明らかだったことではあるが、核兵器の性質上、ある程度の能力を持つ敵対国に対して「完全な無敵性(攻撃を一切受けない状態)」(genuine invulnerability against any reasonably capable adversary)を確保することは極めて困難ということだ。現代の核兵器は小型・軽量で隠しやすく、かつ甚大な破壊力を持っている。どの国であれ、主要都市に5発や10発の原爆や水爆が着弾すれば、政治的に得られるいかなる利益をもはるかに上回る、恐ろしい規模の惨事となるだろう。ニューヨーク、ボストン、ロサンゼルス、シアトル、あるいはワシントンDCを失うこと、あるいは中国が上海、北京、香港、広州を失うことと引き換えに、どのような利益が得られるのか想像してみて欲しい。
敵方の「セカンド・ストライク(second strike、報復攻撃)」を完全に回避できるという確信がない限り、一国の指導者が核のボタンを押すことはないだろう。例外があるとすれば、無人の地域への示威攻撃によって自らの決意を示そうとする場合か、あるいは戦争が不可避だと確信し、先制攻撃を仕掛けようとする場合くらいである。しかし、何十年にもわたって批判者が警鐘を鳴らしてきたように、より破壊力の高い先制攻撃能力を保有することは、後者の危険性を高め、危機の安定性を損なうことになる。
ライヴァル諸国による攻撃や独立への脅威を抑止するために必要なのが比較的少数の兵器による報復能力(to retaliate with a relatively small number of weapons)という「もっともらしい能力(a plausible capacity)」だけであれば、潜在的な敵国の戦力を完全に無力化する能力を得るために巨額の資金を投じることはほとんど意味がない。
この考え方の論理―かつて国家安全保障問題担当米大統領補佐官のマクジョージ・バンディが「存立抑止(existential deterrence)」と呼んで有名になったもの―は、これまで説得力を持って反論されたことはない。しかし、アメリカも旧ソ連も、これを政策の基本として受け入れることはなかった。それどころか冷戦中、双方は巨額の資金を投じて、より精度の高いミサイル、優れた偵察・対潜水艦戦能力、ミサイル防衛システムなどを開発した。その理由は、「相互確証破壊(mutually assured destruction、MAD、訳者註:敵から核攻撃を受けても生き残った核戦力で報復し、相手国を完全に破壊できる状態にすることで先制攻撃ができないようにすること)」という論理から脱却できると信じていたからか、あるいは敵の攻撃を抑止するには核による全面的な壊滅という脅しが必要だと考えていたからか、あるいは防衛関連企業が大きな政治的影響力を持っていたからか、あるいはこれら全てが複合的に絡み合っていたからだった。
こうした取り組みは長らく、「核の優位性(nuclear superiority)」の必要性や想定される利点に関する、専門的で難解な議論によって正当化されてきた。まず、専門家の多くは、「拡大抑止(extended deterrence)」に信憑性を持たせるためには、核を用いた戦闘において優位な能力が必要だと考えている。非核保有国の同盟諸国を防衛するためにアメリカが核兵器を使用する可能性があると敵国に確信を持たせるには、アメリカが敵国に与える損害が、敵国からアメリカに与えられる損害を上回る能力をアメリカが持っている必要がある、とされた。もしアメリカが「エスカレーション・ドミナンス(escalation dominance、紛争激化の段階において優位に立つ能力)」を有していれば、敵国は、紛争をどの段階までエスカレートさせたとしても最終的には自国が相対的に不利な立場に置かれることを理解し、武力行使を思いとどまるだろうという論理構成だ。
しかし、この議論は説得力に欠けるものであった。なぜなら、相手がより大きな被害を受けると分かっていれば、事態をエスカレートさせ、自らも甚大な損害を被ることを厭わないだろうと想定しており、しかも、同盟諸国も敵対国もそのように信じていると仮定していたからである。
しかし、アメリカの経済学者トマス・シェリングや他の学者たちが何十年も前に指摘したように、危機における「決意(resolve)」は、単に戦力の均衡やどちらがより大きな被害を受けるかによって決まるものでない。特に、双方が破滅的な結果に直面するような状況ではなおさらだ。本当に重要なのは、どちらがその争点となっている問題をより重視し、最大のリスクを冒したり最大のコストを負担したりする覚悟があるかという点だ。
国家は通常、他者から何かを奪うことよりも、自国がすでに持っているものを守ることを重視する。そのため、核抑止の論理(the logic of nuclear deterrence)は、たとえ戦力が相手より多少劣っていたとしても、現状維持(the status quo)を図る側に圧倒的に有利に働く。
ここ最近、学者の中には、優れた核戦力を持つ国家の方が危機において優位に立つ可能性が高いと主張する人たちもいるが、そうした研究には概念的・方法論的に深刻な問題があり、政策の根拠とすべきではない。そもそも、もし核の優位性がそれほど強力な威圧の手段であるならば、なぜロシアは核兵器を誇示してウクライナにドンバス地方を放棄させることができないのか、また、なぜアメリカは核使用の脅しを使ってイランに自国の意思を押し付けることができないのか?
「最小限の抑止(minimum deterrence、ミニマム・ディターランス)」や「存立のための抑止(existential deterrence、エグジステンシャル・ディターランス)」がいかに強力なものであるかは、アメリカが他国による少数の原始的な核兵器の保有さえも阻止しようとどれほど尽力してきたかを考えれば明らかだ(アメリカ自身は何千発もの核兵器を保有しているにもかかわらず)。それはなぜか?
それは、たとえ小規模な核戦力しか持たない核保有国であっても、対峙するのは危険だとアメリカの指導者たちが理解しているからだ。また、アメリカはリビア、イラク、イランといった非核保有国への攻撃を思いとどまることはなかったが、北朝鮮に対しては武力行使を行っていないという事実も考慮すべきだろう。北朝鮮が保有する核兵器は数十発程度であり、運搬手段も(向上しつつあるとはいえ)限定的なものだ。アメリカは平壌に対して圧倒的な「核の優位性(nuclear superiority)」を誇っているが、それが金正恩の決断に対して大きな(あるいは何らかの)影響力を与えているようには見えないし、米大統領に彼との戦争を始めようという気にさせている訳ではない。アメリカの核兵器は、金正恩がアメリカの死活的利益(vital interests)を脅かすのを抑止してはいないが、その効果はせいぜいその程度にとどまっている。
アメリカの核戦力増強を支持する論拠は、技術の進歩によって既存の核戦力の多くが生存の危機に直面し、アメリカが(将来的には他国もそうなるかもしれないが)長年追い求めてきた「第一撃能力(first strike capability、先制攻撃能力)」の獲得に近づいていると主張する学者たちによっても補強されてきた。彼らの主張によれば、ミサイルの精度、監視能力、標的変更能力、弾道ミサイル防衛、対潜水艦戦能力の向上により、アメリカは強力に武装した敵対国であっても第一撃で武装解除させることが可能になり、敵に残されるのはごく少数の兵器だけとなるため、それらはアメリカのミサイル防衛システムによって迎撃できるということだ。
「核の優位性」は莫大な戦略的利益をもたらすものであり、かつその獲得は手の届くところにあるという2つの主張を合わせると、多額の費用を投じた核戦力の近代化や、ロシアと中国を相手に同時に核戦争を戦い「勝利(win)」できるだけの戦力増強を行うことへの説得力ある根拠が形成されるように見える。
しかし残念なことに、アメリカが確実な第一撃能力をすでに保有している、あるいはその獲得が目前にあるという主張は疑わしい、さらには危険な前提に基づいている。例えば、他国の核戦力に対する大規模攻撃(ロシアの場合、数百もの標的をほぼ同時に攻撃する必要がある)を、事前の十分な演習や敵への察知なしに、現実の状況下で最初の一回目にして成功させられると仮定している点だ。複雑な軍事作戦に精通している人なら誰でも、そのようなことが起こる可能性がいかに低いかを知っている。歴史上最も成功した奇襲攻撃でさえ、少なからぬ手違いや標的の取りこぼし、その他の不具合を伴っていた。
さらに言えば、アメリカが平時に何の警告もなしに、数百から数千発の核兵器を用いた「青天の霹靂(へきれき)」のような攻撃(a bolt-from-the-blue attack)を仕掛けると想定しない限り、議論の対象となるのは、双方がすでに厳戒態勢にあり、攻撃の兆候を察知すれば即座に警告下攻撃(launch on warning)を行う可能性が高い危機的状況だ。理論上のモデルやウォーゲーム(war game、机上演習)とは異なり、現実的な核シナリオにおいては、人的ミスや過度に楽観的な計画の前提が1つあるごとに、アメリカ本土に向けて飛来する核弾頭の数が増えることを意味する。
さらに、第一撃攻撃を受けることを懸念する敵対勢力が、ある程度の数の兵器をうまく隠匿し、それらを運搬するための非従来型の手段を周到に検討していないという前提に立っている。北朝鮮やロシア、中国、あるいはその他の国々が、漁船やプレジャーボートを装ってボストン港に爆弾を送り込み、報復攻撃を行うのを何が阻止できるだろうか?
密輸業者が毎月何トンもの違法薬物をアメリカに持ち込めるのであれば、外国の敵対勢力もまた、必要だと判断したり、単なる報復を望んだりした場合、同様の手法を考案してアメリカ本土に爆弾を持ち込む可能性があると考えられる。実際、分別ある米大統領であれば、そうした可能性を否定するようなことはしないはずだ。
まとめると、アメリカが今後数年間で費やすと見込まれる数兆ドルもの資金の一部は不必要なものであり、実質的には兵器研究所や航空宇宙関連企業のための「完全雇用政策(a full-employment policy)」に過ぎない。もちろん、これは既存の兵器の老朽化に伴う核戦力の近代化を行うべきではないとか、アメリカの抑止力の生存性を脅かすような動向を監視すべきではないと言っているのではない。当然ながら、アメリカはその双方を行うべきだ。
真の問題は、ロシアや中国の核抑止力を明確に脅かすような形で攻撃戦力やミサイル防衛を増強すべきかどうかという点にある。そのような増強を行えば、必然的に相手側もそれに対抗して戦力を増強することになるでしょう。これこそまさに「軍拡競争(arms race)」と言える事態ではないか?
あるいは、アメリカは妥協を受け入れ、相手国を交渉による何らかの自制へと導き、より低いコストとリスクで自国の抑止力を維持しようとするだろうか?
もし、アメリカにその意思がなければ、アメリカ人、ロシア人、中国人、そしてその他の国の人々は皆、経済的に困窮することになり、国家の力をより有益な分野に充てるべき資源が浪費され、核戦争のリスクも高まることになるだろう。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。彼は、現代世界を理解・展望する上で不可欠な主要概念を解説する5部構成のニューズレター・シリーズ『新しい地政学(The New Geopolitics)』著者。Blueskyアカウント:@stephenwalt.bsky.social Xアカウント:@stephenwalt
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(終わり)

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