古村治彦です。
2015年3月7日に、副島隆彦先生の最新刊『余剰の時代』(ベスト新書、2015年)が発売になります。
以下に「まえがき」と「あとがき」をご紹介します。是非手に取ってお読みくださいませ。宜しくお願い申し上げます。
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まえがき
『余剰の時代』という書名の本を書いてください、と、この本の編集者から球を投げられた時、私はヒドくうろたえた。
「それはあまりにも大きな問題であって、とても私には答えられない。余剰、過剰こそは、人類の最大の問題なんです。
これには簡単には触れてはいけない。
この問題に触ると大変なことになる。火傷をする。「余剰」に関わってはいけない、ここに触ってはいけないと、ずっと私は思っていた。
ですから、もっと別のテーマ(主題)の本にしましょう」
と私は言って、態度をはぐらかした。
それで書名(タイトル)を、もっと別の「(若者が)生き延びる思想」、あるいは「この厳しい時代をどう生き延びるか」にしましょうと、いったんは変更した。しかし、そういうわけにはいかなかった。私は、無自覚で無謀な編集者から初めに投げられた課題(テーマ)から逃げられなくなった。
人類(つまり今の私たち)は、ちょうど百年前から余剰の段階に突入した。このことは、現代世界で最も優秀な人々には気づかれていた。すなわちマルチン・ハイデガーからあと、ジョン・メイナード・ケインズからあとの、20世紀(1900年代)に突入した世界で最も鋭敏な人々によって気づかれていたことだ。
だが、この「余剰」「過剰」の問題に真正面から触ってはいけない。そのように日本でも優れた知識人には分かられていた。危険なのだ。何が一体そんなに危険なのか?
「余剰」のことを英語でsurplus「サープラス」という。ドイツ語では、Überfluss「ユーバーフルス(超 + 河)」と言う。また、ドイツ語では
Mehrwert 「メーアヴェールト」(剰余価値)というコトバで使う。これはマルクス主義経済学の用語だが、日本の今風に言えば、〝ブラック企業〟による従業員への過重労働、超過労働による酷使のことを指す。
余剰・過剰問題は、ものすごく恐ろしい問題なのだ。触ると怪我をする。今の人間世界で解けない最大級の問題だ。
ここで私ははっきり書く。余剰とは、ふつうは余剰生産物(余りもの)あるいは過剰生産(作り過ぎ)による過剰在庫のことだ。だが余剰とは、そんな生ま易しいものではない。余剰とは、ズバリ、余ってしまった人間たちのことだ。失業しそうな者たちのことを指す。だから、今のあなたが余剰そのものなのだ。
あとがき
これで本書を終わる。この208頁の本を書き上げ、私は疲労困憊した。このヴォリュームにして、これほど脳が疲れた仕事は久しぶりだ。
まえがきで書いたとおり、「余剰、過剰」問題は人類最大の解けない問題である。これ以上の難問は人類にとって無い。それほど恐ろしい問題なのだ。
なぜなら人間が余っている、という現実は本当に恐ろしいことだからだ。「あなたは余剰なのだ」と言われた人間は一体どうしたらよいのか。この難問には答えがない。救いがない。だから、この本を書くのはキツかった。
ただし、私にも収穫があった。この「余剰、過剰」問題という解なし(いまだ答えがない)の問題に、大陸西欧の偉大な思想家たちが、どのように向き合ってきたか、を調べあげて、苦労して壮大な見取図を描くことができた。この本で私が示したこの大きな見取図を、この国の読書人階級は、今後50年かけて理解するだろう。だから、この小著は私の死んだあとも残る本である。
この厳しい時代をどう生きたらよいか。難しい政治の話はどうも苦手だ、という読者は、第3章から先に読むことをお薦めする。答えが出ない問題、すなわち「世の中、甘くないんだ」Tout nʼest pas bien. という、ヴォルテールが発見した重要な公理に立ち向かおうとする心構えが、まさに生き延びる思想そのものなのだ、とわかる。
この本は、私を「諸思想の冥界巡り」に連れ出してくれた、ファウストにとってのメフィストフェレスである、KKベストセラーズ、小笠原豊樹編集長のずば抜けた教養なしには出来なかった。私は彼に最大限の敬意を表してこの本を書き終わる。
2015年2月15日
副島隆彦
(終わり)









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