古村治彦です。
本日は、2014年5月23日に発売になりました、『野望の中国近現代史 帝国は復活する』(オーヴィル・シェル、ジョン・デルリー著、古村治彦訳、ビジネス社、2014年)を皆様にご紹介します。
私にとって初めての中国の歴史に関する本の翻訳となりました。第一次アヘン戦争から現在までの中国近現代史を網羅した一冊となっています。ページ数が多く、値段も高くなってしまい、皆様にはご迷惑をおかけします。しかし、これを1冊持っていれば、中国の近現代史に関しては大丈夫という一冊になっております。下には本書の原著の書評を掲載しております。参考にしていただければ幸いです。
どうぞお手にとってご覧ください。お値段以上の価値があると確信しております。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
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サウスチャイナ・モーニングポスト紙 2013年8月11日
http://www.scmp.com/lifestyle/books/article/1295492/book-review-wealth-and-power
「書評:『野望の中国近現代史 帝国は復活する』」
アレックス・ロー(Alex Lo)筆
中国語の「中国(zhongguo)」を皆さんはどのように理解し、訳しているだろうか?この疑問の答えで、貴方が中国についてどう考えているか、そしてどのような前提条件やバイアスを中国に対して持っているかが分かる。極めて単純に言えば、中国は「中国(China)」ということになる。しかし、中国という言葉を構成する2つの漢字である「中」と「国」を分析すると、「中国(Chinese nation)」と「世界の真ん中にある王国(the
middle kingdom)」という2つの解釈ができる。
「中国(Chinese nation)」という訳語は、イギリス、日本、アメリカといった近代的な、そして政治的に中立なただの国名である。しかし、「世界の真ん中にある王国(the middle kingdom)」という訳語は、西洋諸国のメディアが中国の排外主義と孤立主義を示唆する際に頻繁に使う言葉である。
『野望の中国近現代史』の中で、中国は「中心の王国(the central
kingdom)」と訳されている。「中(zhong)」という言葉を「真ん中の(middle)」ではなく、「中心の(cetnral)」と訳す方がより正確だ。それは、「中」という漢字は、地理的な中心性ではなく、政治的、文明的な中心性を示すからだ。そして、中国の支配者たちが数世紀にわたり中華帝国が占めてきた国際社会における地位を取り戻したいとして奮闘してきたことを理解する上で、「中」という漢字を理解することは重要なのだ。
第一次アヘン戦争に敗北して、中国は世界の中心から引きずりおろされた。第一次アヘン戦争の敗北の結果、中国人は心理的に大きな傷を受けた。この傷は、中国の支配エリート層と知識人たちの間に世代を超えて受け継がれていった。これこそが本書の大きなテーマである。西洋列強と日本によって恥辱が与えられ、それを雪ぐために、富強を通じて国家を復興(rejuvenation)させるために中国は奮闘してきた。
こうした物語は良く知られたものだ。本書『野望の中国近現代史』の著者オーヴィル・シェルとジョン・デルリーが行った、他の本との違いは、清朝から現代までの「改革者(reformers)」として知られる11名を取り上げ、中国の崩壊と復活の物語を紡ぎ出したことである。
『野望の中国近現代史』は、西太后を中国の改革者の中に含んでいるがこれは驚きであった。彼らの取り上げた人物たちは改革者であるが、とても現実的なリストである。本書の半分以上を孫文、蒋介石、毛沢東、鄧小平、朱鎔基が占めている。しかし、本書は、彼らよりもあまり知られていいない清朝の官僚たちである、魏源と馮桂芬、そして、更に読者を脅かせるのは、西太后を取り上げていることである。
私にとって本書の前半部が最も興味深い部分だ。著者たちは細心の学問研究の成果を利用して、西太后の歴史上の悪名に関して見直しを行っている。西太后は儒教特有の女性蔑視と西洋の幻想に基づいたオリエンタリズムによって、頑迷な保守派であり、中国の崩壊に大きな責任を負っていると言われてきた。
実際、西太后は地方レベルでの改革を進め、李鴻章のような改革志向の有能な官僚たちを周囲に置いた。1895年、日清戦争に敗れた清は、李鴻章を日本に派遣し、日本との間で屈辱的な下関条約を締結した。この条約で、清国は朝鮮と台湾を日本の勢力下に引き渡し、条約港のいくつかを開港した。この条約の締結前に、李鴻章は、流ちょうな英語を話す、日本の明治維新の立役者、伊藤博文と議論を行った。その様子は、シェークスピアの悲劇に出てきそうな場面である。
本書『野望の中国近現代史』は、梁啓超と陳独秀に関して章を立てて取り上げている。こうした人物たちは、五四運動(May Fourth Movement)と中国共産党に関して研究している人たちにはなじみ深い人物であるが、一般にはあまり知られていない。
本書で最後に取り上げた重要人物は、現在投獄中の反体制知識人でノーベル平和賞受賞者の劉暁波である。著者のシェルとデルリーは劉暁波について活き活きとした、そして詳細な描写を行っている。著者たちは、劉暁波がキャリア書記で中国の文学界においてどれほど恐れられた人物として登場し、影響力を増していったか、そして文学上の論争を数多く行ったかを描写している。そして、1989年6月4日の六四(第二次)天安門事件を経験して、現在、西洋諸国で賞賛を受けるような、人道主義者へと変貌した様子を詳細に描いている。
劉暁波は西洋流の人権と民主政体を普遍的なものだと主張しているので、中国本土には支持者はあまりいないが、海外には多くの支援者がいる。
『野望の中国近現代史』は学者たちの書いた素晴らしい内容の本である。私は本書を読む際に、一緒にパンカジ・ミシュラ(Pankaj Mishra)の『帝国の残滓:アジアを作り直した知識人たち』を読むことを提案したい。この本もまた梁啓超と孫文を取り上げている。ミシュラの『帝国の残滓』を併せて読むことで、中国の改革者たちが、西洋の支配に抵抗しながらも西洋の科学、技術、イデオロギーから学んだアジアの人々の中の大きな部分を占めていることをより理解できるだろう。
(終わり)
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フィナンシャル・タイムズ紙 2013年7月14日
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/deae9dec-ea41-11e2-b2f4-00144feabdc0.html#axzz2hRKlRYDF
「中国の現実政治の誕生と再生」
デイヴィッド・ピリング(David Pilling)筆
アジアの大国の過去と現在を理解する手助けとなる研究
孔子は「礼儀作法と公正さ(propriety and righteousness)」こそが国家の基礎であり、「力と利(power and profit)」は国家の敵であると教えた。鄧小平によって進められた、富の創造を目的とした諸改革は、孔子の教えが間違っていることを証明することに貢献した。
本書『野望の中国近現代史』は素晴らしい本である。著者であるオーヴィル・シェルとジョン・デルリーは中国を専門とする学者である。彼らは、中国近現代を彩った偉大な思想家たちの知的な苦闘を描いている。著者たちは「中国近現代史の偉大な思想家たちの業績に共通する目的は次のようなものだ」と結論づけている。それは、外国の侵略と国内の機能不全の下で19世紀において崩壊した中国をどのように強く、豊かにするかというものであった。
「富強(富と力、wealth and power)」という概念は、紀元前221年に秦の始皇帝の下で中国が統一される前から存在するものである。法家(Legalists)として知られる学者たちのグループは孔子に対する批判者として登場した。彼らは調和の取れた社会という孔子の考えを否定し、現実政治(realpolitik)と私たちが呼ぶものを主張した。法家思想の韓非子は極めて簡潔に現実政治に就いて次のように書いている。「賢い支配者が富と力の術を手に入れたら、彼は望むものを何でも手に入れることができる」
19世紀、「富国強兵(rich nation, strong military)」という概念の実現に邁進したのは中国ではなく、日本であった。明治新政府の指導者たちは、外国からの侵略に抵抗するためには、日本の国富と技術力を増進させねばならないと決断した。そうすることでのみ、外国人(野蛮人)を排除できるのだと確信していた。
中国では、法家思想の伝統(Legalist tradition)は孝行と忠誠という儒教の概念によって制限をかけられてきた。『野望の中国近現代史(原題はWealth and Power)』の著者たちは、中国の再生は現実的な法家思想のルーツの再発見が基礎になっていると主張している。本書は外国の優越と機能不全に陥った国内システムをどのように克服するかという問題と格闘した知識人たちの人生を描くことで、中国の近代化のプロセスを追っている。著者たちは、20世紀初期の思想家たちの考えを丁寧に追いかけている。彼らは梁啓超から孫文、蒋介石、毛沢東、鄧小平を取り上げている。
本書の前半部は特に興味深い。それはこれまで私たちにとって馴染みの少ない人物たちが取り上げられているからだ。魏源(1794~1857年)は中国の軍事面での立ち遅れと劣勢に関して多くの書物を書き残した学者であった。そして、長い間無視されていた法家思想に注目し、蘇らせた人物である。魏源は、「賢王」と言えども、臣民たちを豊かにし、国家を強くしなければならないと書いている。
中国は第一次アヘン戦争(1839―1842年)によって、イギリスから恥辱が与えられた。その後、魏源は日本の明治維新の元勲たちと同じ結論に達した。それは、中国は外国に目を向け、その偉大さを回復させるべきだ、というものだった。魏源はまた、中国が恥辱を被ることが中国に変化をもたらすための強力な誘因となるとも主張した。魏源は、「恥辱を感じることは勇気を生み出す」と書いている。この感情は、毛沢東の1949年の建国宣言の中にある有名な一節である「中国は立ち上がった」につながるものだ。この屈辱感は現在の中国の若者たちの中にも燃え上がっており、著者たちは「過剰な愛国主義(hypersensitive patriotism)」と呼んでいる。
本書『野望の中国近現代史』は、中国の哲学と革命におけるドラマの中で活躍した主役たちの人生を、いきいきとそしてしっかりした構成で書いている。私たちは本を読むことで、鄧小平が登場するまで、無秩序のひんぱんに流れが変わるので分かりにくい中国史を全体として理解でき、納得できるようになる。この本で取り上げられている快苦者たちは全て恥辱を乗り越え、国家の富強(富と力)を確保することを目標としていた。
鄧小平は働きながら学ぶためにヨーロッパに旅立つ前に、父親に向かって「中国は弱い。私たちは中国を強くしたい。中国は貧しい。私たちは中国を豊かにしたい」と語った。現在、習近平国家主席は「中国夢(チャイニーズ・ドリーム)」という概念を提唱しているが、これは、2つの目的を含んでいる。それは中国を繁栄させ、「中国の国家としての復興(rejuvenation of the Chinese nation)」を保証するというものである。
『野望の中国近現代史』は、この伝統の中に、毛沢東が支配した狂気と野蛮の時代を位置づけている。1912年に書いた初期のエッセイの1つの中で、毛沢東は、本書の著者たちが「法家たちが強調する、強い指導力、厳格な権威主義的コントロール、中央集権主義、司法と刑罰の妥協の余地のないシステム」と呼ぶものを賞賛した。毛沢東は、多くの犠牲者を出した集産化闘争を通じて封建制度を破壊した。その結果、鄧小平は全く白紙から経済改革を進めることができたと著者たちは書いている。鄧小平が継承した中国は、「4000年の伝統から脱する」ことができていたのである。
しかし、それが現在の中国に深刻な問題を残してしまっている。もし中国の台頭が法家思想の「効果のあるものは何でも使えアプローチ」の勝利だとするならば、儒教の道徳観は、現在の中国においてどこに存在できるだろうか?本書の最後に取り上げられている人物は劉暁波である。彼は現在投獄中であるが、ノーベル平和賞の受賞者である。彼はこれまで一貫して中国共産党の中心的な役割をことごとく批判してきた。彼は、国の誇りを取り戻すとして中国共産党がやっていることは、非人道的な統治であり、世界に対して、「中国は野蛮な方法で富強の追求を行っている」と印象付けているだけに過ぎない、と考えている。
本書で取り上げられた思想家たちの多くは彼らが生きている時代には主流から外れた存在となった。中国共産党創設者である陳独秀は世の中から忘れ去られたまま亡くなった。しかし、彼らの考えは現在の中国のプロジェクトの中に息づいている。本書の著者たちは、劉暁波が唱える人気のない主張でさえも現在の中国で重要な役割を果たしていると主張している。
(終わり)
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