古村治彦です。
今回は、堀幸雄著『戦後の右翼勢力』をご紹介します。本書は太平洋戦争敗戦後の右翼勢力の動きを詳細にまとめた労作です。
本書と一緒に猪野健治著『日本の右翼』(ちくま文庫、2005年)も合わせて読むと理解が深まります。『日本の右翼』は日本の右翼の歴史を概観し、その後、代表的な右翼人を1章ずつ取り上げ、それぞれの右翼活動を簡潔に紹介しています。私は、その中で津久井竜雄と言う人物に興味を持ちました。理論派で、理論に基づいた現状分析は行動右翼とはまた違った輝きを放っていると思います。代表的右翼人それぞれの歴史が分かります。『日本の右翼』も是非お読みください。
本書は、太平洋戦争敗戦後に活動を低下させた右翼勢力が息を吹き返し、60年安保で拡大し、暴力団化しつつ、学生運動の退潮と共に退潮し、自民党や財界の汚れ仕事や防御をして金を稼ぐ集団になっていく姿を詳述しています。一方、1970年代、三島事件に影響を受けた若い人々が「新右翼」として出現し、現状改革を訴え、その新右翼と共に、現在の日本会議につながる勢力が出てきたことも描かれています。
新右翼は、戦後右翼勢力が体制補完勢力となり、右翼が持っていた批判性と現状打破のための主張を取り戻す動きでした。一水会を代表とする新右翼は、「ヤルタ=ポツダム体制打破(YP体制打破)」を訴え、反米を訴えることになりました。この点で左派とも共通する部分があり、戦後右翼勢力からこの点を批判されます。
著者の堀幸雄は、1929年に東京で生まれ、青山学院大学商学部卒業後に毎日新聞社に入社しました。そして、1986年に愛媛大学教授、1989年には東北福祉大学教授、1999年には東北文化学園大学教授を歴任しました。堀は10代で終戦を迎える訳ですが、多感な時期を戦時下で過ごし、右翼勢力が威張り散らし、人々を暴力をもって強圧していたことに反感を感じていたところに、終戦となり、天皇が人間宣言をしたことから、これからこんな人々が威張ることがなくなると思っていたところ、保守政権によって、右翼は復活しました。そのキーワードは「反共」でした。戦後になって右翼や蘇り、政財界におけるフィクサーとなる人物も出てきて、汚れ仕事を通じて多額の資金を受け取り、体制内暴力団化していきました。
現在を生きる私たちにとって重要なのは、本書の第7章「最近の右翼化と右翼の戦略」と第8章「新保守時代の右傾化路線」です。1960年代から1980年代にかけて、右翼運動の新しい主役になったのが、生長の家や神社本庁と言った宗教右翼です。こういった宗教右翼は戦前回帰を目指し、現実政治に参加することになりました。1964年に生長の家は、生長の家政治連盟(生政連)を結成し、選挙活動を展開するようになりました。生政連が支援した組織候補が、玉置和郎、村上正邦でした。
生長の家や神社本庁が最大の目標にしたのが日本国憲法の改定です。改憲についての動きは、菅野完著『日本会議の研究』(扶桑社新書)に分かりやすく書かれていますが、本書『戦後の右翼勢力』が参考文献になっています。改憲勢力は熱心に粘り強く地方議会に働きかけ、地方議会による意見書決議を通じて、「世論」形成を図りました。この時に活躍したのが、衛藤晟一代議士でした。
右翼勢力最大の目標である会見を実現するために、「日本を守る国民会議」(前身が元号法制化実現国民会議)が1981年に結成されました。一方、1974年に神社本庁、生長の家、反共的な宗教団体が結成したのが「日本を守る会」でした。これら2つの組織が採用したのが大衆動員方式で、また、これら2つの組織は構成員が重なっていました。そして、1997年に、日本を守る国民会議と日本を守る会が合同して出来たのが、「日本会議」でした。日本会議を実質的に動かしているのが、椛島有三氏で、生長の家の信者で、長崎大学時代に右派・民族派学生が自治会を掌握すること(「学協方式」と呼ばれる)に成功した人物です。この椛島氏と共に行動したのが、安東巖という人物です。長崎大学の学生自治階から日本会議までの動きは、前述の菅野完著『日本会議の研究』に詳述されています。
『戦後の右翼勢力』で、著者の堀幸雄は、日本人の中に「右翼的なもの」を受け入れる土壌があるのではないかという指摘をしています。右翼勢力が、派手派手しい黒い街宣車で乗り付けて、特攻服を着て、がなり立てている場合、多くの人たちは怖がって、彼らに近づこうともしませんし、彼らの主張を聞こうともしません(音響設備が悪いのか聞き取りづらいこともあります)。しかし、「ソフトな」姿かたちの右翼、となると、耳を傾ける人々が出てきます。その主張は怖い恰好をした右翼と変わらなくても、ソフトな右翼の主張は耳に入ってくるということになります。それは、日本人の中に、右翼を受け入れる土壌があるということになります。
日本会議の人々の主張や行動を見ていると、彼らは戦前社会を理想とし、それに戻そうという考えが前提にあるようです。戦前を理想とし、戦前に回帰することを目標にしています。戦後社会に対する反感から「昔は良かった」というノスタルジーが生まれ、それが前提となって、改憲に向かっていきます。そして、彼らはある意味で地道に活動を続け、自民党内部に浸透していき、改憲寸前のところまできました。こうした日本会議の浸透力はやはり日本人の中にある右翼的なものを受容する土壌であると思います。
「日本が最近右傾化している」という主張が最近よく見られます。しかし、本書『戦後の右翼勢力』を読むと、右傾化しているということではなく、もともと右翼的な土壌があるのだということが理解できます。是非本書をお読みいただきたいと思います。
(終わり)
コメント