古村治彦です。
今年に入り、ミャンマーで国軍がクーデターを起こし、軍事政権の力が強化された。一時は民主化が進むと思われていたが、これではまた昔に逆戻りではないかという失望感が広がった。「せっかく民主化ができたはずなのに」というところだ。
民主化とは難しいプロセスだ。民主化(democratization)にとって恐らく一番難しい作業は、民主的な制度の確立・強化(consolidation)だ。人々が選挙などの民主的な制度だけが正当性のある制度であると認めること(only game in town)ということにならねばならない。ここがなかなか難しい。特に外国からの介入で行われた民主化は人々の支持を集めにくいために難しくなる。民主化については、拙著『アメリカ政治の秘密 日本人が知らない世界支配の構造』を読んでいただきたい。
ミャンマーの民主化にとっての最大最高の象徴はアウンサンスーチー女史だ。アウンサンスーチーがまとうイメージは最高のものであり、ノーベル平和賞まで受賞した。更には、2011年にはヒラリー・クリントン国務長官がミャンマーを訪問し、アウンサンスーチーと会談を持ち、2012年にはバラク・オバマ大統領がミャンマーを訪問し、同じくアウンサンスーチーと会談を持った。この頃が彼女にとっての最高の時期であっただろう。
その後は、ミャンマーの少数民族ロヒンギャ族に対する弾圧で、ミャンマー国軍を擁護したことで、アウンサンスーチーの評価はがた落ちとなった。彼女また、薄汚れた政治家でしかなかったことが明らかにされた。それと共に、アウンサンスーチーは忘れられた存在となってしまった。
今年初めのミャンマー国軍によるクーデターは米中の影響権争いの一環であり、ミャンマー国軍は中国側についたということになるだろう。以下に最近の報道記事を貼り付ける。
(貼り付けはじめ)
●「中国、先月ミャンマーに特使派遣
軍トップらと会談」
2021年9月1日 14:15
https://www.afpbb.com/articles/-/3364250
【9月1日 AFP】中国政府は8月31日、孫国祥(Sun Guoxiang)アジア問題担当特使が1週間の日程でミャンマーを訪問していたと発表した。同氏の訪問はこれまで公表されておらず、訪問中には軍事政権トップのミン・アウン・フライン(Min Aung Hlaing)国軍総司令官ら幹部たちと協議を行った。
ミャンマーは今年2月、国軍がクーデターでアウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)国家顧問を拘束し、同氏が率いる国民民主連盟(NLD)から政権を奪取して以来、武力行使による反体制派弾圧が行われるなど政治的混乱に陥っている。
弾圧を阻止するための国際社会の取り組みは実を結んでいない。欧州連合(EU)は、ミャンマー軍部と同盟関係にあるロシアと中国が、国連安全保障理事会(UN Security Council)でのミャンマーに対する武器禁輸決議の可決を阻止していると非難している。
在ミャンマー中国大使館の発表によると、孫氏は先月21日から28日までミャンマーを訪問。ミン・アウン・フライン国軍総司令官と会談し、ミャンマーの政治情勢について「意見交換した」。
孫氏は以前、ミャンマー軍と多数の民族集団間で行われた和平交渉の調整役となった経験がある。中国は、一部の民族集団と同盟関係を築いているとアナリストは指摘している。
中国は発表で、「社会的安定を回復し、早期に民主的変革を再開しようとするミャンマーの取り組みを支持する」としている。ただし、追放後も自らの政権の正当性を主張するNLDの元閣僚らとの会談については一切触れなかった。
ミャンマーに多大な影響力を持つ中国は、軍部の行動をクーデターとみなしていない。また、ミャンマーは、中国の巨大経済圏構想「一帯一路(Belt and Road)」の重要な構成国の一つとなっている。
中国の習近平(Xi Jinping)国家主席は昨年ミャンマーを訪問した際、「ミャンマーの国情に合った」発展の道を歩めるよう支援すると約束した。
中国国営メディアは先月31日、中国南西部からミャンマー経由でインド洋に至る新たな海運・道路・鉄道ルートの貨物の試験輸送が成功したと報じた。(c)AFP
(貼り付け終わり)
ミャンマーは一帯一路計画でインド洋に向かうために重要な位置にある。一帯一路計画については、米中関係の最前線としての分析は、拙著『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』で説明している。是非読んでいただきたい。
ミャンマーのクーデターから分かることは、アメリカの影響圏の衰退と中国の影響圏の拡大、一帯一路計画の足固めが進んでいるということだ。これからは、アメリカの衰退ということを頭に入れて物事を見るようにしなければならない。
(貼り付けはじめ)
誰がミャンマーを失ったのか?(Who Lost Myanmar?)
-政権発足後初めての大きな危機に直面し、バイデン政権は10年前とほぼ同じメンバーが集まってアメリカ外交の失敗に対峙しなければならない。
マイケル・ハーシュ筆
2021年2月2日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2021/02/02/myanmar-coup-us-failure-biden/
ヒラリー・クリントンにとって、2011年のアウンサンスーチーとの会談は国務長官としての職業上の大勝利と個人としての喜びの最高潮の瞬間だった。
当時、米国務長官だったヒラリー・クリントンはミャンマーの首都ヤンゴンを訪問し、ヒラリー自身が「鼓舞してくれる存在」と呼んだ女性の隣に座った。この訪問は、長く孤立状態にあったミャンマーをはじめとする中国の周辺諸国と中国との間を分裂させようとするアメリカのより広範な戦略の一部であった。この戦略はオバマ政権のアジアへの「ピヴォット」の一環であった。国務長官在任中、ヒラリー・クリントンは厳しい調子の演説や「ソフト」な外交以上の成果を上げられなかったが、ミャンマーとの関係改善は珍しく外交上の勝利となった。それから1年後、バラク・オバマは現職のアメリカ大統領として初めてミャンマーを訪問した。その表向きの目的は民主政治を促進することであったが、実際には、ミャンマーをアメリカの影響圏(sphere of influence)に置くというものだった。
10年後、この戦略は消え去った。ノーベル平和賞を受賞した民主活動家アウンサンスーチーはヒラリーを迎え、その後は国家の運営にも参画したが、現在は囚われの身に再び戻ってしまった。それは月曜日にミャンマーの軍部が再びクーデターを起こしたからだ。ミャンマーでは民主政治体制が確立していない。外交面でも進捗はほとんど見られない。アウンサンスーチーとアメリカ政府はすっかり疎遠になってしまっていた。アウンサンスーチーの逮捕の1週間前、バイデン政権は彼女が逮捕されてしまうのではないかという懸念から、アウンサンスーチーに連絡を取ろうとして失敗してしまった。
アメリカの戦略が失敗すれば、アウンサンスーチーの評価も下がってしまうのは当然だ。西側諸国の多くの人々は彼女の釈放を求めているが、アウンサンスーチーはかつてのようなヒロインでもないし、人権保護にとってのスターでもない。アウンサンスーチーは、マイノリティのロヒンギャ族のイスラム教に対するミャンマー国軍の虐殺について、冷血な態度で同意を与えた。これによって世界中で持たれていた彼女のイメージは悪化した。民主化運動家の中からはノルウェー政府に対して彼女へ授与されたノーベル平和賞のはく奪を求める嘆願書が届けられたほどだった。かつては海外からミャンマーへの人権保護の圧力の力を一身に集めていたアウンサンスーチーも、国際的に孤立している状況となった。
今回のクーデターによってミャンマーは30年前に戻ってしまったようだ。今回のクーデターによってもたらされた、21世紀における苦い教訓は、民主政治体制確立の難しさと権威主義(authoritarianism)の権力掌握、そしてこれら2つの間を橋渡しする外交の限界ということであった。
アメリカを含む西洋諸国のほとんどはミャンマーの軍事行動を非難した。中国をはじめとする権威主義体制国家のほとんどは非難しなかった。中国政府は長年にわたり、東南アジアにおける従属国(client states)づくりを進めるアメリカの政策に抵抗してきた。中国政府はクーデターを「内閣改造(cabinet reshuffle)」と呼んだ。先月、中国政府の外交官トップである王毅外交部長はミャンマーを訪問し、アウンサンスーチーの難敵である軍最高司令官ミン・アウン・フライン(Min Aung Hlaing)と会談を持った。ミン・アウン・フラインは今週、ミャンマーの支配者となった。
ジョー・バイデン米大統領の外交政策ティームはミャンマーの挑戦についてよく知っている。なぜならティームのメンバーの多くはミャンマーの挑戦が始まった時点で政府に入っていたからだ。国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めるジェイク・サリヴァンは2011年当時、ヒラリー・クリントン国務長官の次席補佐官を務めた。また、国務省政策企画本部長を務めた。バイデン政権で国家安全保障会議のメンバーに入ったカート・キャンベルはヒラリー・クリントン国務長官の下で、国務省のアジア政策担当のトップを務めた。そして、新しい戦略を統合する重要な役割を果たした。
しかし、10年前の状況とは異なり、バイデン政権の外交政策ティームは、トランプがバイデンの大統領選挙での大勝利を貶めようと試みたことについての奇妙な反響に対応しなければならなくなっている。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(National League for Democracy、NLD)は、2020年の選挙で、2015年の選挙よりも、より多くの議席を獲得した。その後、ミャンマー軍部はトランプと同様、証拠を提示することなく、選挙不正を宣言した。そして、ミャンマー軍部はアウンサンスーチーを逮捕した。
善かれ悪しかれ、2011年とは異なり、現在のアメリカにアウンサンスーチーが持つアピール力に匹敵する力はない。ミャンマーが民主政治体制への移行を始めた時、ミャンマー国内でのアウンサンスーチーの高い人気は軍事政権(military junta)にとって長期的な脅威であった。アメリカの外交官たちはこのことに気付いており、経済制裁の解除には、自由で公正な選挙の実施を条件に入れようとした。アウンサンスーチーもそうであったと報道されているが、ヒラリー・クリントンも軍事政権側と良好な関係を築こうという熱意を持っており、国連主導の戦争犯罪捜査の要求を取り下げ、即座に援助を提供し、軍事政権による選挙管理を容認した。
アメリカのミャンマーへの関与のペースと範囲はアウンサンスーチーによって動かされてきたということになる。2011年のBBCとのインタヴューの中で、ヒラリー・クリントンは、譲歩し過ぎではないかと質問された。それに対して、ヒラリーは、アメリカ政府はアウンサンスーチーの同意に依存していると答え、「アウンサンスーチーの観点からすると、政治プロセスを検証することが重要だということになる」と述べた。
オバマ政権内で経済制裁緩和について白熱した議論が数度にわたり行われたが、制裁は継続した。2016年にオバマはミャンマーに対する制裁の終了を約束した、また、「ビルマの人々がビジネスの方法と統治の方法を新しくすることで褒章を得ることができるのだと確信するように行動することは正しいことなのだ」と宣言した。アウンサンスーチーは制裁解除を認めた。アウンサンスーチーは
「私たちを経済面で苦しめてきた制裁全てを解除する時期が来たと私たちは考えている」と述べ、これによって、ミャンマーがアメリカの示す民主政治体制に向けたロードマップ通りに進まないにしても、外国企業はミャンマーに投資が可能となるとした。2015年に彼女が率いる国民民主連盟が総選挙で勝利を収めた後(それでも国会の議席の4分の1は軍部のために確保されていたが)、大統領就任は拒絶された。その理由は彼女が外国人と結婚し、子供たちが外国籍だったことだ。
バイデン政権はサイクル全体を再びスタートさせる準備ができているようになっている。ホワイトハウス報道官ジェン・サキは制裁の緩和を「元に戻す」と発言している。これはつまり、新しい制裁が実施されることを示唆している。しかし、バイデン政権は最初に、軍部による政権掌握をクーデターと呼ぶことについて一時しのぎを行った、と報道された。
また、以前の方法が実行された実績があるからと言って、その古い方法が再び効果を発揮するかどうかは明確ではない。アメリカと複数の西洋諸国は数十年にわたりミャンマーに制裁を科してきたが、民主政治体制に向けてほとんど進んでいないのが現状だ。オバマ政権のアプローチを擁護している人々は次のように主張している。バイデン政権の外交ティームの中にはがオバマ政権の外交ティームに参加した人物たちがいるのは事実だが、トランプ政権下の4年間で、世界中野独裁者の力が強まり、外交がより困難になっているのが現状であり、アウンサンスーチーが権力を民主的な方法で獲得しようとする努力がより見えにくくなっている。
しかし、アウンサンスーチーが過去そうであったように、解決策になるのかどうか明確ではない。ミャンマーの専門家の中には、彼女のミャンマー国内での人気は確かであるが、彼女自身が自分の政治的な強さを過大評価し、軍事政権、特に新しい支配者ミン・アウン・フラインに対して過大な要求をしているようだと考えている人々がいる。
ジョージ・ワシントン大学のミャンマー専門家クリスティナ・フィンクは「アウンサンスーチーが軍事政権とある程度の妥協をしていればクーデターを避けることができただろうと私は考えている」と語っている。ミン・アウン・フラインを軍最高司令官、もしくは名目上の大統領に留まることを認めていれば、クーデターは起きなかっただろうということだ。フィンクは「しかし、NLDは交渉をしたいとは考えなかった」と述べている。
他の専門家たちは、アウンサンスーチーは良い結果を得られない無謀な戦いを挑んだと述べている。ロバート・リーバーマンはコーネル大学物理学教授で、映画監督、2011年に「人々はそれをミャンマーと呼ぶ:カーテンを開ける」という映画を撮影した。また、NLDの指導者たちに幅広くインタヴューを行った。リーバーマンは次のように語った。「人々はアウンサンスーチーについて実際の彼女とは違う、あるイメージを常に持っている。彼女はいつも“私は政治家で、それ以上のものではない”と語っている。彼女には選択肢がない。常に細い綱を綱渡りで渡っている。軍部と世界との間でバランスを保っているのだ」。
アウンサンスーチーが2019年に国連国際司法裁判所の証人喚問でロヒンギャ族に対するミャンマー国軍の残虐行為を隠蔽しようとした後、世界中がアウンサンスーチーを玉座に据えておくことを止めてしまったのだ。
新しい軍事政権(junta)は現在、かつては祭り上げられていた反対運動の支援者だった人々からの批判が少ないことと、トランプ政権下で4年間にわたり世界の権威主義的政府が力をつけることを奨励されてきたという居心地の良さに期待をかけている。バイデン政権の外交ティームはかつて、ミャンマーの頭の固い将軍たちを懐柔しようとした。しかし、かつてに比べて、ミャンマーに変革をもたらすための道具の数は少なくなっている。
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(終わり)
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