古村治彦です。
今回は、少し古くなったヘンリー・キッシンジャーの外交政策に関する長めの論稿を3回に分けてご紹介する。非常に読みごたえがある論稿であり、ウクライナ戦争開戦から1年以上経過し、世界が転換しつつある中で、国際関係や外交政策について考える際の指標となる言葉がふんだんに収められている。
キッシンジャーの外交政策の基盤にあるのはリアリズムという考えだ。国際関係論におけるリアリズムについてはこのブログでの何度もご紹介しているが、道徳とか規範といったものではなく、利益と生き残りを最重視する考え方である。敵対勢力に関しては、改宗や崩壊を求めるのではなく、封じ込めや共存を行うことを重視する。
リアリズムを米中関係に応用してみると、米中双方がまず多くの相違点があることを認め、それらについてどちらかが考える、改宗するということはできないということを認めるというところから始めることになる。相違点がある中で、それをどうしようもない、無理に何とかしようとしてより悪い結果をもたらすことになるという考えを基に、外交政策、対中政策を考えることが基本となる。これがキッシンジャーの外交政策の基本だ。「相手が変わらない(変われない)ことを前提にして外交政策を作っていく」という姿勢は、私たちの人間関係の構築にも応用できる考え方だ。「相手を変えよう」とするのは無理だ、と思えば、それを前提にして対処、対応の仕方が変わってくるということになる。
ウクライナ戦争について、キッシンジャーは昨年夏の段階で(戦争が始まって半年ほど経過した段階で)、停戦を主張していた。ウクライナ東部とクリミア半島に対するロシアの支配権を認め、ウクライナのNATO入りに反対というキッシンジャーの主張に対して、ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領をはじめとするウクライナ側は猛反発した。
しかし、実態は、今年に入って、ゼレンスキーは中国の習近平国家主席に対して、「頼みごとがある」という呼びかけを行い、ウクライナ訪問を要請している。「お願いがあるんだが、来てくれないか」というのは何とも傲慢で無礼な態度である。お願いがある方が出向くのが筋だ。このお願いこそは、ロシアとの停戦交渉の仲介だ。中国は中東における2つの敵対国であった、サウジアラビアとイランの緊張緩和(中東における核戦争の可能性が減少した)、国交正常化の仲立ちをしたという実績を世界に見せつけた。今度はロシアとウクライナの間の仲立ちだ。
そもそも、ロシアに対して制裁を科しているアメリカとイギリスを中心とするG7諸国、西側諸国のいうことをロシアは聞かない。ロシアと話ができなければ仲介はできない。ロシアとウクライナの間をつなげるのは、中国しかいない。その中国が見事にサウジアラビアとイランの緊張緩和を成し遂げた。中国の株が急上昇したのは当然のことだ。
こうしたシナリオの裏にはキッシンジャーあり、というのが私の考えだ。中国にロシアとウクライナの間を仲介をさせる、そのための箔をつけるためにサウジアラビアとイランの緊張緩和を仲介させた、この筋書きを作ったのがキッシンジャーだろう。ウクライナ戦争に伴う、核戦争の可能性を減らすための動きであると私は見ている。
アメリカのネオコン、人道的介入主義派はおそらく、ウクライナ戦争開戦から早い段階で、欧米諸国の制裁によってロシアがギヴアップし、ロシアの国家政治体制を崩壊させることができると目論んでいただろう。その目論見が外れた今となっては、戦争を激化させて、核戦争まで進めて、ロシアを攻撃する大義名分を手にしようとしていただろう。そうした彼らの目論見をことごとくシャットアウトしてきたのがロシアだ。そして、こうした将棋や囲碁のような頭脳戦において、重要な一手を考え、実行させてきたのがキッシンジャーということになると私は考えている。以下の論稿を読めば、私がそのように考えるのもあながち飛び過ぎた空想ではないということが分かってもらえるだろう。
(貼り付けはじめ)
キッシンジャーの世界によくぞ戻ってきてくれました(Welcome Back to
Kissinger’s World)
―ネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)は死んだ。自由主義的国際主義(liberal internationalism)は信頼を失っている。前世紀における偉大なるリアリストの考えに戻る時は恐らく今だ。
マイケル・ハーシュ筆
2020年6月7日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2020/06/07/kissinger-review-gewen-realism-liberal-internationalism/
ヘンリー・キッシンジャー米国務長官は1975年4月15日にワシントンDCにて連邦上院歳出委員会に出席。ジェラルド・フォード大統領による、南ヴェトナムに対する軍事援助と人道援助への予算請求について証言するために出席した
読者の皆さんはヘンリー・キッシンジャーのことが嫌い、もしくは彼のことを悪魔だと考えているかもしれない。それでも皆さんはキッシンジャーを無視することはできない。特に現在はそうである。新刊『悲劇の不可避性:ヘンリー・キッシンジャーと彼の世界(The Inevitability of Tragedy: Henry Kissinger and His World)』で、ヘンリー・キッシンジャーと彼の活躍した時代を包括的にまとめ、知性の歴史について新たに論じたバリー・ギューエンが述べている通りだ。実際、私たちは今年5月で97歳になった年老いた政治家を無視することができないだけでなく、今まで以上に必要としている。より正確に言えば、私たちにはキッシンジャーのアイディアと直感(instincts)が極めて必要なのだ。キッシンジャーのアイディアと直感は、私たちが現在認識している通り、機能不全の世界をどのように生き抜くか、そして世界を何とか機能させていくかについてのものだ。
アメリカ政府の観点からすれば、現在の世界は、キッシンジャー的な世界観の様相を呈している。アメリカの十字軍的な世界改革運動は終わり、失敗に終わった。破棄された土台の上で崩れてしまっている。ウィルソン流の十字軍主義(crusaderism 訳者註:世界改革主義)は冷戦期の賢明な封じ込め(containment)から一枚岩の共産主義という神話に対する、無益で妄想に満ちた戦いへと変化させた。この十字軍主義はヴェトナムで恐ろしい終焉を迎えた。そして、冷戦後の時代に、「悪(evil)」の政権を終わらせるという新レーガン主義の要請として再興し、イラクで悲劇的な結末を迎えたが、もうすっかり出尽くしてしまった感がある。そのため、アメリカ国民は率直な、新たな国内問題解決優先主義者(neo-isolationist)であるドナルド・トランプをホワイトハウスに送り込み、アメリカを世界から切り離すことができるようにした。
コロナウイルス危機はトランプ政権の掲げた政策の実行を促した。そして、「アメリカ・ファースト・アイソレイショニズム(国内問題解決優先主義、”America First” isolationism)」の新しい波を鼓舞している。トランプ政権の米通商代表ロバート・ライトハイザーは最近の論稿の中で、中国の「略奪的な貿易・経済政策(predatory trade and economic policies)」と新型コロナウイルス感染拡大の起源を巡る欺瞞に対して、アメリカ経済の海外依存(offshoring、オフショアリング)を逆転させるよう主張している。トランプ政権は、前時代の世界のブロック化を呼び起こし、中国から切り離した、志を同じくする国々による「経済繁栄ネットワーク(Economic Prosperity Network)」の創設をもくろんでいる。2020年の大統領選が本格化する中、習近平国家主席を時折賞賛するトランプを、民主党の大統領選挙候補者であるジョー・バイデンが叩くなど、対中冷戦の様相を強め、民主党の中国攻撃が激化している。この大きな理由は、中国がWTOのルールを悪用して違反し、アメリカの中産階級から職を奪ってきたという不満が高まっているためである。
アメリカは世界から離れる全く準備ができていない。確かに、アメリカの外交官たちは国際秩序から抜け出す方法を見つけ出してはいない。確かに、4分の3世紀(75年前)前の第二次世界大戦から生まれた自由主義的な国際秩序と同盟のシステムは、ありがたいことにまだ存在しており、私たちはそれらを活用し続けるだろう。しかし、同盟諸国間の不信感は深刻であり、協力は皆無に等しく、各国は自国のナショナリズムに傾倒しているように見える。国連やWTOのような国際的な機関は、ワシントン、北京、モスクワがトップの座を争う一方で、政策の遂行を懇願する、貧乏くじを引いた人物のような、腰の引けた状態になっている。国家間の大きなイデオロギー闘争は終わった、あるいは少なくとも深い冬眠の中にある。過去1世紀あまりの間に、王政(monarchy)、権威主義(authoritarianism)、ファシズム(fascism)、共産主義(communism)、全体主義(totalitarianism)が、それぞれ試行錯誤の末に破滅に向かうのを目撃してきた。そして今、私たちはある程度、民主政治体制(democracy)の失敗も経験している。ワシントンのように、多くの場所で両極化して(polarization)、麻痺しているように見え、誤報の流れに溺れ、ロシアのような悪意のある外部勢力にハッキングされているのである。また、資本主義が、生産手段の所有という点では冷戦時代の共産主義に勝るものの、社会的公正を生み出すという点では著しく劣ることが証明されている。世界で選ばれたこのシステムは、常に崩壊しやすい。
リチャード・ニクソン米大統領とキッシンジャーはブリュッセルでのNATO会議に出席するためにエアフォース・ワンに搭乗(1974年6月26日)
特に、ミネアポリスで警察に拘束されていた黒人が殺害された事件で発生した抗議行動に対するトランプ大統領の残忍なやり方が国際的に非難され、その結果、トランプ大統領の分裂的で偏向的な1期目が頂点に達した。それ以上に、大統領の愚かな排外的愛国主義(ジンゴイズム、jingoism)と手探りの新型コロナウイルス対策は、ジョージ・W・ブッシュ大統領時代に始まった評判の失墜への道を完成させたに過ぎない。イェール大学の歴史学者ポール・ケネディが、この唯一の超大国は経済的・軍事的支配において古代ローマをも凌駕したと述べた、あの冷戦後の一極集中の瞬間(post-Cold War unipolar moment)が、20年も前、つまり2001年9月10日の時点でアメリカの威信がどれほど高かったかを今思い出すのは困難である。おそらくアメリカ史上最悪の戦略的誤誘導(strategic misdirection)であったが、ブッシュと彼のネオコンの教唆者たち(概念的に言えば、彼らは全員隠れている最中だ)は、国際社会に残る犯罪者、イスラム教徒のテロリストに対する世界的に統一された闘争であるべき戦いを、侵略と、もぐらたたきのような、疲労感だけが残る帝国主義的ゲームに変え、その過程で地上と空中におけるアメリカの脆弱性をさらけ出してしまった。そして、ブッシュはアメリカ経済に相応のダメージを与え、ウォール街の大暴落と大不況という結末を迎えた。一方、中国は台頭し、世界中に金融の影響力を広げ、ウラジミール・プーティンは威張りくさりながら陰謀を企て、ヴィクトル・オルバン、ナレンドラ・モディ、ジャイル・ボルソナーロはそれぞれの道を歩き出した。そして、アメリカ人は、自分たちがいかにひどい欺瞞に陥っていたかに嫌気がさし、まず、イラクを「馬鹿げた戦争(dumb war)」と呼んで有名になり、その後8年間もアメリカの海外関与について迷走した新人連邦上院議員(バラク・オバマ)を選出し、最後にアメリカ第一主義のポピュリズムを受け入れる、という反応を示したのである。
こうした状況によって、私たちは、キッシンジャー、偉大なリアリストであるハンス・モーゲンソー(彼はキッシンジャーの先生であった)、そして現在の激しい地政学的緊急事態に直接的に立ち戻ることになる。世界的な無政府状態の中で、大国間の対立が激化し、モーゲンソーが理論的に構想し、キッシンジャーが実践的に習得したような、よく練られた、強硬な戦略外交が求められている。これはギューエンの著書の主要なメッセージであり、特に中国恐怖症(Sinophobia)が急増し、北京が全力で反撃している今、研究する必要があると考えられる。今日の中国は、「部屋の中のアパトサウルス」だとギューエンは書いている。
(貼り付け終わり)
(つづく)

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