古村治彦です。

 米中関係は以前に比べて悪化している。「米中戦争は起きるのか?」という疑問ではなく、「米中戦争はいつ起きるのか?」という煽動も入った疑問が出てくるようになった。米中戦争が話題になるというのはここ最近のことだ。米中関係の悪化を反映している。

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 米中関係(アメリカと中華人民共和国との関係)は1972年2月のリチャード・ニクソン米大統領の訪中によって始まった。ハイライトは毛沢東中国共産党中央委員会主席との会談だった。そのお膳立てをしたのがヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官と周恩来国務院総理だった。中ソ対立が常態化する中で、「敵の敵は味方」で、米中は関係を改善し、1979年に正式に国交が樹立された。1973年には北京に米中連絡事務所(U.S. liaison office to the People's Republic of China)が開設され、事務所長(director、特命全権公使)が派遣された。歴代の事務所長の中には、後に大統領となったジョージ・HW・ブッシュ(父)がいる(1974-1975年)。

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 国交正常化後、米中両国は基本的に良好な関係を保った。鄧小平の改革開放路線(1978年から)もあり、1980年代の中国は「自由化」「民主化」に進んでいるように見えた。アメリカ側は「中国を国際社会に参加させ、国際経済に参加させることで、更なる国内変革を促し、最終的には中国共産党による一党独裁体制を終わらせることができる」と楽観視していた。アメリカが中国に「関与(engagement)」することで、中国の体制転覆(regime change)を行えると考えていた。ソ連が崩壊し、共産主義の魅力もがた落ちとなった。中国はこのまま一党独裁体制から転換すると考えていたところに起きた(中国側から見たら起こされた、アメリカが起こした)のが1989年6月4日の天安門事件だ。これで米中関係は冷え込むことになり、「中国は経済面では改革開放を進め、社会主義市場経済を推進するが、政治体制は維持し、思想を強化する」ということが明らかになった。

 同時期、中国は高度経済成長の道を進み始めた。政治や思想面での党勢は強化されたが、経済に関しては、鄧小平の「先に豊かになれるものから豊かになる」という「先富論」に基づいて、「世界の工場」として中国は世界の製造業の基地となった。GDPはまさに倍々ゲームで拡大していった。30年余りで、中国は世界第2位の経済大国へと変貌した。

 中国が力をつけるにつれて、アメリカは危機感を持つようになった。アメリカの世界覇権が脅かされる事態が発生した。ソ連に勝ち、1980年代の日本の経済成長も押しつぶすことに成功したアメリカであったが、中国は難敵だ。中国はソ連と日本の成功と失敗を学んでいる。更に言えば、米ソ関係で言えば、アメリカとソ連の間には大きな経済関係がなく、アメリカは経済面を気にせずに、軍事面や政治面でソ連と闘い勝利することができた。日米関係で言えば、日本はアメリカの属国であり、日本を叩き潰すことは造作のないことだった。アメリカは中国との間に重要な経済関係を持つが、中国を自分たちの言いなりに動かすことはできない。

こうした中で、アメリカ国内で「中国脅威論」が台頭し、「中国をここまで育ててモンスターにしてしまった責任はキッシンジャーにある」という主張が叫ばれるようになった。米中関係は「関与」から「対立」に変化している。アメリカ国内には「中国脅威論」が蔓延しているが、これは恐怖感の裏返しだ。

「アメリカは世界覇権国の地位から脱落するかもしれない、次の覇権は中国になる」「米ドルが世界の基軸通貨の地位を失い、豊かな生活が享受できなくなるかもしれない」という恐怖感がアメリカ国民に真実味を持って迫ってきているのだ。そのために中国を叩き潰したいと思いながらも、その方策はない。戦争をするというオプションは選べない。そんなことをすれば、アメリカや世界の経済は甚大な損害を受けることになるからだ。世界は大きな転換期を迎え、世界は分裂に向かっている。米中は2つの陣営(西洋[the West]対それ以外の世界[the Rest])の旗頭として対立を深めていく。しかし、キッシンジャーが両者の間をつないでいるうちはまだ大丈夫だろう。彼が死んだあとはどうなるか分からないが。

(貼り付けはじめ)

ワシントンの対中タカ派勢力が勢いを得ている(Washington’s China Hawks Take Flight

-数十年にわたるアメリカの対中関与の物語が離別の物語に道を譲った。

ロビー・グラマー、クリスティナ・ルー筆

2023年2月15日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/02/15/china-us-relations-hawks-engagement-cold-war-taiwan/

バラク・オバマと習近平は、カリフォルニア州パームスプリングス近郊の高級保養地サニーランズを気軽に散策し、温かく友好的な米中関係を笑顔でアピールしていた。2013年夏、超大国と新興大国の間では物事が順調に進んでいるように見えた。

オバマは2期目の大統領としてかなり経験を積んでいた。中国の新指導者である習近平は胡錦濤から引き継いだばかりで、ワシントンではほぼ全員が習近平を米中関係における新しい、より希望のあるチャプター(章)の体現者だと見ていた。オバマ大統領は、中国との「新しい協力モデル(new model of cooperation)」について語り、アメリカは「世界の大国としての中国の継続的な平和的台頭(continuing peaceful rise of China as a world power)」を歓迎すると述べた。それは米中関係の新時代の幕開けだった。

実際にはその通りにはならなかった。

10年後、オバマと習近平がサニーランズで築いたと思われる友好関係は、完全に消滅した。中国国内では、習近平が中国を統治している中国共産党に対する、彼自身の権威主義的な権力を強固なものにしている。アメリカが大量虐殺とみなしている、新疆ウイグル自治区のウイグル族やその他の少数民族に対する徹底的な弾圧を行い、第二次世界大戦後最も野心的な軍拡を主導してきた。ワシントンでは、中国との関わりを長く支持してきたいわゆるハト派は、完全に脇に追いやられている。政治的スペクトラムがますます広くなっている中で、政策立案者や連邦議員たちは、あるコンセンサスでまとまっている。それは、「中国に対して厳しく接するべき時だ」というものだ。

ワシントンは、北京が自国の領土とみなしている台湾への軍事支援を強化した。米軍トップの司令官は最近、2025年までに台湾をめぐって中国と戦うことになるかもしれないと、各部隊に警告するメモを発表した。2月上旬には、中国のスパイ気球とされる飛行体がアメリカ大陸を横断し、ワシントンで政治的な大炎上、大きな非難を引き起こしたため、両国の緊張を緩和する目的の、ジョー・バイデン米大統領のトップ外交官(アントニー・ブリンケン米国務長官)による北京への訪問は中止された。ブリンケン国務長官訪中は大きな注目を集めていた。

連邦上院外交委員会の民主党議員であるクリス・マーフィー連邦上院議員は、「私が恐れているのは、中国との軍事衝突が避けられないかのように振る舞うことで、最終的にその考えが現実のものとなってしまうことだ」と述べている。マーフィー議員は「中国は台湾を侵略する決断をしていないが、アメリカが中国政策の全てを台湾政策に変えてしまえば、それが彼らの意思決定に影響を与える可能性がある」とも述べた。

リチャード・ニクソン大統領の対中関係開放に始まり、オバマ大統領の時代まで続いた数十年にわたるアメリカの関与の努力は、単に成果を上げることができなかったのだろうか? それとも、習近平の登場と、世界における中国の位置づけに対する彼の積極的で修正主義的なアプローチが、それを無意味なものにしてしまったのだろうか?

欧米諸国の議員や政策立案者、中国アナリストの多くは、関係悪化の責任を習近平の足元だけに押し付けている。

アジア・ソサエティの米中関係センター部長であるオーヴィル・シェルは、「私は、関与について言えば、瀕死の状態だと思う(deader than a doornail)。習近平の統治の大きな悲劇の1つは、事実上、習近平がそれを破壊し、実行不可能にしたことだと思う」と述べた。

しかし、対中タカ派が誕生したのは、ワシントンの政策立案マシーンにおいてである。そこでは、人気のあるアイデアはすぐに法律(canon)となり、議論の余地はほとんどない。

ジョージタウン大学教授で、オバマ大統領の国家安全保障会議(National Security CouncilNSC)で中国、台湾、モンゴル担当ディレクターを務めたエヴァン・メディロスは、「このようなコンセンサスを得る度に、政権を支援し、長期的な競争に必要なツールを与えるのとは対照的に、政権を囲い込む反響室現象(echo chamber 訳者註:自分と似た意見や思想を持った人々が集まる場[電子掲示板やSNSなど]にて、自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする現象)に発展する危険がある」と述べた。

対中タカ派が隆盛する中、危機へのゆっくりとしたしかし着実な進展から逃れる術はあるのだろうか?

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1994年、北京にて、朱敦法・中国人民解放軍上昇と会見するウィリアム・ペリー米国防長官

1994年夏、ペリー米国防長官は、米中関係の将来について、米軍の最高幹部たちにメモを送った。そのメモの中で、ペリーは、中国について「急速に世界最大の経済大国になりつつあり、国連安保理常任理事国の常任理事国の地位、政治的影響力、核兵器、近代化する軍隊と相まって、中国はアメリカが協力しなければならない相手である」と書いている。

ビル・クリントン政権が北京とより緊密な関係を築こうとしていた頃、ペリーはその秋以降に中国を訪問する準備をしていた。1989年の天安門事件に端を発した中国政府による抗議活動への残忍な弾圧の後、関係は凍結されていた。ペリーは1994年のメモで、「中国との軍事関係は、米国防総省にとって大きな利益となりうる」と指摘し、中国側との会談を開始するよう各米軍幹部たちに指示した。

ペリーのメモは、その後数十年にわたってワシントンで主流となる、楽観的な関与(optimistic engagement)という視点を示したものである。慎重な外交と継続的な経済協力(careful diplomacy and continued economic cooperation)によって、アメリカは中国を新興のグローバル・パワーとしての役割に導き、第二次世界大戦後の国際システムに統合することができる、という考え方であった。冷戦は終結し、ソヴィエト連邦は崩壊していた。アメリカの政策立案者たちは、熊(ソ連)を倒すように龍(中国)を飼いならすことができると確信していた。

クリントン政権は、特に貿易においてアウトリーチ活動を開始した。これらはジョージ・W・ブッシュ大統領の下で頂点に達し、中国はついに世界貿易機関に加盟し、20年に及ぶ行進を開始し、いくつかの手段を用いて、世界最大の経済大国になった。

この発展によって、数億人の中国人が貧困から救い出され、歴史上最も目覚ましい経済変革の1つとなった。しかし、豊かな国の人々、特にアメリカの人々にとっては犠牲が伴った。彼らは、低コストの中国との競争によって世界貿易と製造業におけるシェアが徐々に食い尽くされるのを目の当たりにした。世界の GDP に占める中国のシェアは1990年の 1.6% から2017年には16% に急上昇し、アメリカの対中貿易赤字は3750億ドル以上に急増した。

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1998年、ビル・クリントン米大統領が楽団を指揮している間、妻のヒラリー・クリントンは江沢民国務院総理と会談

ペリーのメモの内容は、今日のワシントンでは異端となっている。連邦下院共和党は民主党の幅広い支持を得て、アメリカ政府の対北京戦略転換を監督する中国に関する特別委員会を設置し、国務省は中南米、アフリカ、中東などで経済的・政治的に拡大する北京の足跡を監視して鈍らせるための「中国専門部門(China House)」の構築に奔走している。バイデン政権は、ドナルド・トランプ前大統領の下で制定された貿易関税を維持するだけでなく、中国の技術に対する攻勢をエスカレートさせている。
(つづく)
(貼り付け終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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