古村治彦です。

 「人間は完璧ではない、間違う」ということが国際政治の大前提である。国際関係論という学問分野の一大学派、潮流であるリアリズムはそのように考える。これを前提にして、国際関係、世界政治を分析する。リアリズムを信奉する学者がどのようにウクライナ戦争を分析するかという内容の記事をご紹介する。分析者はリアリズムの大家スティーヴン・M・ウォルト教授である。

 まず、関わる各国の指導者たちは「計算間違い(miscalculation)」をしたということである。プーティンはウクライナに対して早期に目標を達成できると考えていた。キエフを占領して、ウクライナの体制を変更し、NATO加盟阻止、中立化できると考えていた。しかし、それはうまくいかなかった。それでもウクライナ東部保守という再設定された目標は達成されつつある。一方、西側諸国はウクライナとNATOを玩(もてあそ)び、ロシアを挑発し、刺激し続けた。「これくらいなら大丈夫だろう」という西側の甘い分析評価が今回の事態を招いたということになるだろう。そういう点で、計算間違いが引き起こした悲劇ということになる。

 人間は一度思い込んだらそれを変えることは難しい。そして、自制が利かずに過激な主張が幅を利かせることになる。ウクライナ戦争が始まって、私は2月中には「早期停戦」を主張した。しかし、多くの人々は、勇ましい言葉でロシアを非難し、ロシアの体制崩壊までやるんだということを叫び続けた。そうした人々は今でもウクライナをできる限り支援しているのだろうか。口だけでお前ら頑張れと言うのではあまりに無責任だ。

簡単に戦うとか戦争だという人たちこそ「平和ボケ」だと私は考える。本当に真剣に考えていたら、戦争だの戦うだという言葉を簡単に口に出すことはできない。戦場の苛烈さ、過酷さは、リアルな戦争映画なんかで見るよりも、更に厳しいものだということは想像できる。平和な日本にいて、想像力も働かない中で、安易に戦争だという言葉を口にすることこそは平和ボケである。勇ましい言葉が出てくることこそ警戒しなければならない。そのような言葉を口にする人間ほど、最前線には行かないし、自分を危険に晒すことはない。特に政治家でそのような人物は要注意である。

 世界政治は人間がやることだから間違いがあっても仕方がないが、間違いによって人々が受けてしまう被害は大きなものとなってしまう。従って、常に慎重にかつ間違ったと思ったらすぐに修正できるように動くべきである。自分たちの理想や価値観だけで暴走してしまうとそのような柔軟な動きはできない。こうしたことは私たち自身の生活にも適用できる教訓だ。

(貼り付けはじめ)

ウクライナ戦争1年から得られる5つの教訓(The Top 5 Lessons From Year One of Ukraine’s War

-ヨーロッパにおける野蛮な戦いは厳しいが、教訓を与えてくれる教師である

スティーヴン・M・ウォルト筆
2023年2月9日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/02/09/the-top-five-lessons-from-year-one-of-ukraines-war/

2022年2月24日にロシアがウクライナに侵攻して以来、両軍はそれぞれ10万人以上の死傷者を出し、戦車などの装甲車も数千台失われた。ウクライナの経済はおよそ30%縮小し、人口の30%以上が避難を余儀なくされている。インフラは破壊され、発電能力の40%が損なわれている。どちらかといえば、モスクワ、キエフ、そしてウクライナの西側支援者たちは、妥協(compromise)を許さず、停戦(cease-fire)を検討する気さえないようである。

戦争は、厳しいが教訓を与えてくれる教師だ。ここでは、ウクライナにおける1年間の戦争から、世界中の指導者と国民が学ぶべき5つの教訓を紹介する。

教訓その1:指導者たちは簡単に計算間違いする(It is very easy for leaders to miscalculate

私が昨年末に書いた通りになっている。ウラジミール・プーティン大統領は、「ウクライナに本格的な抵抗はできないし、抵抗しても無駄だ」と考えていたことは今や明らかである。ロシアの軍事力、ウクライナの粘り強さ(tenacity)、そしてロシアに代替するエネルギー源を見つける西ヨーロッパの能力を見誤っていた。しかし、西側諸国にも間違いがあった。何年も戦争の可能性を軽視し、経済制裁(economic sanctions)の威力を誇張し、ウクライナを自国の軌道に乗せようとする西側の努力に対するロシアの反発の深さを過小評価した。この事例では(他の多くの事例と同様)、実際の戦闘が始まるずっと前から、戦場の霧(fog of war、訳者註戦争における不確定要素)が私たちの視界を覆い隠していた。

教訓その2:国家は侵略に対して団結する(States unite to counter aggression

ウクライナ戦争はまた、国際システムの中で国家は通常、明白な侵略行為に反対するために団結することを思い起こさせる。これもプーティンが見落とした教訓である。それは、プーティンは、ウクライナがすぐに陥落すると考えていたことに加え、NATOがこれほど強力に反応することはないと考えていたようだ。ロシアは、弱い相手と1対1で戦うのではなく、GDPがロシアの約20倍もある国家連合に支えられた国を相手に戦争を仕掛けている。その国家連合は、世界で最も洗練された兵器を生産し、ロシアのエネルギー供給から自らを切り離し始めている。後述するように、外部からの支援によってウクライナの勝利が約束される訳ではない。しかし、プーティンが楽勝(cakewalk)だと考えていたことが、長引く不確実な苦難に変わってしまった。この戦争が最終的にどのような結末を迎えるにせよ、ロシアは将来的に大いに弱体化することになる。

国家が侵略者に対してバランスを取って対峙するのは、征服に成功した者がさらなる挑戦をすることを心配するからだ。このような懸念は時に誤りだ。つまり、修正主義的な国家は、自分たちが満足するように現状を変化させれば、満足することができる。しかし、他の国家は、少なくとも当初はこのことを確信できないので、さらなる問題を抑止するために、あるいは抑止が失敗した場合にそれを打ち負かすために、力を合わせる。この傾向は、スウェーデンとフィンランドが数十年(スウェーデンの場合は数百年)の中立を捨ててNATO加盟を目指したことほど明確なものはないだろう。現在支配していない領土の奪取を望む世界の指導者たちは、注意を払う必要がある。露骨な侵略行為は、他の強力な国家を敵に回すことになりかねない。もしそうなれば、軍事作戦が成功しても、侵略者は以前より安全でなくなる可能性がある。

教訓その3:終わりが来るまでは終わりではない[諦めればそれで終わり]It ain’t over till it’s over

アメリカ人は、戦争とは衝撃と畏怖(shock and awe)に満ちた短期間の発作(brief spasm)であり、戦争終了後、勲章が授与され、勝利のパレードが行われるものだと考えたがる。アメリカの最近の対戦相手が三流国であり、それぞれの戦争の初期軍事段階が短くて一方的であったことを考えれば、この傾向は驚くにはあたらない。イラクとアフガニスタンの戦争は結局何年も続いたが、それはアメリカがそれぞれの国を占領し、広範囲に及ぶ政治・社会改革を行うことを選んだからに他ならない。その結果、強力な反乱軍が発生し、許容できるコストで相手を倒すことができなくなった。

ウクライナの戦争は違う。ロシアの最初の攻撃は阻止され、キエフでの迅速な政権交代という目標も達成できなかった。12カ月を経た今も、2つの主権国家の通常戦力が戦場でしのぎを削り、相手側に圧力をかける新しい方法を模索している。何度か運命を変えながらも、両者ともノックアウトの一撃を与えることはできていない。

プーティンは、戦争が短時間で安く済むと誤解していた。ロシアによるキエフへの最初の攻撃が失敗し、ロシア軍が大きな損害を被ったとき、ウクライナとその支援者は、外部からの寛大な援助、ウクライナの決意、大規模な経済制裁によってロシアに決定的な敗北を与え、大国の仲間入りをさせることもできると考えた。昨年夏から始まった反撃の成功は、クリミアを含む全ての領土を取り戻すというキエフの希望を強くした。モスクワでの政権交代を夢見る専門家たちもいる。

しかし、ロシアはウクライナの3倍以上の人口、大規模な軍需産業、軍備を有する大国である。その指導者たちは、この戦争をロシアが勝たなければならない存立危機事態戦争(an existential conflict)と見なしている。ウクライナの都市やインフラに対するミサイルやドローンによる攻撃は、かなりの損害を与えている。消耗戦(grinding war of attrition)はウクライナに有利ではない。それゆえ、最近、ウクライナは戦車を含むより多くの武器と訓練を受けることを急いでいる。外部からの支援により、春にはキエフが戦線を維持し、限定的な利益を得ることができるかもしれないが、現在支配している全ての領域からロシアを追い出すことは、いくら支援を送っても不可能かもしれない。また、核兵器の使用を含むエスカレーションの可能性もあり、この危険性を否定する識者もいるが、完全に排除することはできない。

教訓その4:戦争は過激主義者たちを力づけ妥協が難しくなる(War empowers extremists and makes compromise harder

戦争は利害関係の度合いが大きいため、冷静な理性と慎重な計算(cool reasoning and careful calculation)が特に重視されるべき時である。しかし、残念ながら、その代わりに、威勢のいい言葉(bluster)、希望的観測(wishful thinking)、道徳的な姿勢(moral posturing)、愛国的な大見得(patriotic chest-thumping)、集団思考(groupthink)が支配し、強硬な意見がより冷静な声をかき消してしまうことがしばしばある。その結果、たとえどちらの側にも勝利への明確な道筋がない場合でも、あらゆる種類の妥協(compromise)について議論することが難しくなる。戦争がなかなか終わらない理由はこれだけではないが、重要な理由の1つとなる。

数カ月前に詳述したように、ウクライナをめぐる一般市民の議論は、非常に激しいものとなっている。タカ派の専門家たちは、キエフへの支持を表明することで互いにしのぎを削り、別の視点については、甘さ、不道徳、親ロシア、あるいはそれ以上のものと中傷する。(反対側(ロシア側)でも同じようなことが起きているのかもしれない。つまり、戦争に関するロシアのコメントから信頼できる推論を導くのは難しいが、プーティンの最も声高なロシア人批判者は、プーティンが十分な勢いと冷酷さをもって戦争を遂行しなかったと非難する強硬派が多いようである。

ウクライナの熱烈な支持者が正しく、キエフの全領土解放のために西側諸国は「必要なことは何でもする(whatever it takes)」べきだということはあり得る。しかし、政治外交雑誌『アトランティック』誌やア大西洋評議会に属するタカ派の人々(東ヨーロッパの率直な政治家は言うに及ばず)は、自分たちが間違っているかもしれないと自問したことがあるのだろうかと私は考えてしまう。戦争を長引かせることが、ウクライナにとってより悪い結果をもたらす可能性はないのだろうか。この点については、かなり気になる歴史がある。ヴェトナム、イラク、アフガニスタンでは、現地軍に対する外部からの手厚い支援が戦争を継続させたが、アメリカが最終的に勝利は不可能と判断して帰国した時に、これらの国がより良い状態になることはなかった。確かに、アメリカとNATOの軍隊はウクライナで戦ってはいないが、私たちはこのゲームに多くの利害関係を持っている。平和(peace)や停戦(cease-fire)はまだ先のことかもしれないが、それをどうやって止めるかを考えることは、全ての人にとって、特にウクライナにとって利益となる。

教訓その5:自制の戦略は、戦争のリスクを減らすことができただろう(A strategy of restraint would have reduced the risk of war

最後の教訓は、間違いなく最も重要なことだが、アメリカが外交政策上の自制戦略(strategy of foreign-policy restraint)を採用していれば、この戦争の可能性ははるかに低くなっていたであろうということだ。もしアメリカや西側の政策立案者たちが、ウクライナを西側の安全保障や経済制度に取り込もうとするのではなく、無制限のNATO拡大がもたらす結果についての度重なる警告(ジョージ・F・ケナン、超党派の経験豊富な専門家からなる幅広いグループ、同様の著名外交官や防衛当局者からなるこのグループ、元駐露大使でもあるCIA長官ウィリアム・バーンズの助言など)に従っていれば、ロシアの侵略意欲は大きく減じたはずだ。残虐で違法な戦争を始めた第一の責任はプーティンにあるが、バイデン政権とその前任者たちにも罪はないわけではない。ウクライナの人々は、プーティンの冷酷さだけでなく、欧米諸国の当局者たちの傲慢さ(hubris)と甘さ(naivete)にも苦しんでいる。

ボーナスの教訓:指導者が問題だ(当たり前のことだが)(Leaders matter (duh)

大きな構造的な力(structural forces)を重要視するリアリストたちでも、個々のリーダーが重要な場合もあると認識している。それもかなり重要だと認識している。NATOの拡大(特にウクライナへの拡大の可能性)に反対する声はロシアのエリートの間で広まっていたが、ロシアの指導者がプーティン以外の人物であれば、1年前に「戦争に賭ける(roll the iron dice of war)」ことを選ばなかったかもしれない。また、より想像力に富み、独断的でない米大統領であれば、迫り来る危機を沸点に達する前に和らげるために、もっと多くのことを行ったかもしれない。次に、もしウクライナの大統領がヴォロディミール・ゼレンスキーではなく、ペトロ・ポロシェンコだったら、この戦争はどうなっていたかを考えてみよう。ポロシェンコは、ゼレンスキーのように国民をまとめ、外部からの支持を得ることができただろうか? そうは思えない。あるいは、ジョー・バイデンの代わりにドナルド・トランプがホワイトハウスにいたとしたらどうだろう?

構造的な力は、国家ができることを制約するが、それだけで結果が決まる訳ではない。国家指導者は、直面する状況をどのように乗り切るか、できる限り自由に決定できる限り、主体性をもっている。そして、その選択には最終的な責任がある。この事実を踏まえ、モスクワ、キエフ、ワシントン、ブリュッセル、ベルリンなどで現在指揮を執っている人々は、教訓その3(「終わるまで終わらない(It ain’t over till it’s over」」)、とりわけジョージ・W・ブッシュ(「任務完了(Mission Accomplished)」)の運命に特に注意を払うべきである。この戦争はまだ終わっていない。今日、大胆で効果的なリーダーシップ(あるいは無能な不正行為)として見られるものも、銃声が静まり、最終的な費用が集計されれば、多少違って見えるかもしれない。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

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