古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
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  国際秩序(international order)は変化しつつある。覇権国アメリカによる一極支配は衰退しつつある。それに伴って世界は新しい秩序作りに向かうことになる。それは、これまでの西洋近代支配600年の終焉を意味する。非西洋世界の勃興により、これまでの規範も変改していく。西洋的な価値観が普遍的な価値観であるという世界は終わっていく。そうした状況の中で、以下の論稿は非常に重要な内容である。簡単に言えば、フランシス・フクヤマの唱えた「歴史の終わり(End of History)」対サミュエル・ハンティントンの唱えた「文明間の衝突(Clash of Civilizations)」ということだ。冷戦に西洋が勝利して、晴雨用的な価値観が世界の普遍的な価値観になるというフクヤマの考えは、今や、結局、諸文明間の争いが続くとしたハンティントンの考えに取って代わられつつある。

 以下の論稿を要約すると次の通りになる。私たちは現在、重要な国際関係の再編成の瞬間に直面している。これまでのリベラルな国際秩序の終焉を迎えている。過去の変曲点(変化する時点)では、旧秩序が徐々に崩壊し、成功する新しい秩序は長い間考案されてきていた。例えば、1919年には戦争の違法化や諸国家による議会設立(国際連盟)が検討され、1945年には国際連盟の改編(国際連合)が計画されていた。1990年代の冷戦終結後における新たな覇権は、国際社会の国境は武力で変更できないことや、国家主権の原則、自由で公正な貿易の重要性、多国間機関による紛争解決といった基盤に依存していた。これらは主にアメリカが擁護していた規範の柱だった。

近年、特にロシアと中国からのこの規範に対する挑戦を受けている。特に、アメリカがこれらの原則を拒否していることが、問題の核心となる。新たに誕生しようとしている国際秩序の性質は、ゼロサムの交流主義や強者・弱者の権力政治、アイデンティティ政治の力強い主張を特徴としていると考えられる。この特徴は、「ベルリンの壁」崩壊後の国際競争とは異なり、より平等な競争環境を形成する。冷戦終結時、フクヤマの「歴史の終わり」とハンティントンの「文明の衝突」の論争は非常に注目を集め、特に後者は批判的な評価を受けた。

フクヤマは、冷戦の終結を自由主義的民主主義の普及と見なしたのに対し、ハンティントンは文明間の紛争が続くと予測した。冷戦後の国際秩序はフクヤマの規範的枠組みの下で機能していたが、最近ではその原則が挑戦を受けている。特にロシアのクリミア併合は、リベラルな国際秩序の明確な否定と見做される。

2014年を境に、新興勢力が自国の価値観を持ち込むようになり、フクヤマの理想が崩れつつあることが明白になっている。これまでの楽観的なリベラル国際主義は失われつつあり、様々な国で文明間の衝突の現象が顕著になっている。新しい国際秩序では、力強い自己主張を行う者に運命が向かい、冷酷さが報われる状況が続くだろう。つまり、ハンティントンの予見が現実になり、変化が進行する中で、私たちはますます不安定な国際関係の中で生きることになる。

 私たちは頭の中を大きく変化させなければならない。これまでの常識が通じない世界が出現しようとしている。このような時代を目撃できるということは、この時代に生まれて、生きて、幸運だったということになるだろう。

(貼り付けはじめ)

サミュエル・ハンティントンが復讐する(Samuel Huntington Is Getting His Revenge

-世界的な「文明の衝突」という考えは間違っていなかった。ただ時期尚早だっただけだ。

ニルス・ジルマン筆

2025年2月21日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/02/21/samuel-huntington-fukuyama-clash-of-civilizations/?tpcc=recirc062921

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サミュエル・ハンティントン(2002年)

私たちは今、1989年、1945年、あるいは1919年に匹敵するほど重大な、世代を超えた国際関係の再編成の瞬間に立っている。これらの過去のエピソードと同様、1990年代に形成されたリベラルな国際秩序(liberal international order)が終焉を迎える瞬間は、希望と恐怖(hope and fear)が同じ程度に交錯する瞬間である。このような重要な局面では、有能な実行者(competent operators)よりもむしろカリスマ的な日和見主義者(charismatic opportunists)が輝くものである。

これまでの変曲点(inflection points)では、旧秩序はゆっくりと破綻し、その後に一気に崩壊した(collapsing all at once)。それぞれの時代に生きた人々にとってはこれらの大変化は必ずしも明確ではなかったが、振り返ってみると、それぞれのケースで成功する新しい秩序は、長い間構想されていたことが分かる。例えば、1919年には、戦争の違法化(outlawing of war)と諸国家による議会設立(establishment of a parliament of nations)が何十年も前から検討されていた。1918年には、ウッドロー・ウィルソン米大統領が国家の資格要件の基礎(basis of qualification for a state)として「民族自決(national self-determination)」を提案していた(ただし白人主導の国家に限られた[(albeit only for white-led nations])。1945年には、国際連盟(League of Nations)を改革し、実効力のある安全保障理事会(effective security council)を設置するという構想が1942年から計画が出ていた。しかし、大戦末期の核兵器の出現によって計算は変更され、冷戦(Cold War)が生み出された。そして、1989年以前には、東西・南北の権力闘争(East/West and North/South power struggles)に代わる普遍的な「リベラル(liberal)」あるいは「ルールに基づく(rule- based)」国際秩序の構想が、1970年代にはすでに提案されていた。

1990年代に出現した冷戦後の新たな覇権(hegemony)は、いくつかの規範の柱に基づいていた。すなわち、(a) 国際社会における国境(international borders)は力で書き換えられないこと(この戦後規範を守ることが、1991年の湾岸戦争(Gulf War)の表向きの開戦理由であった)、(b) 甚だしい人権侵害が行われていない限り、国家主権の原則は依然として適用されること(この例外は、最終的には「保護する責任(the responsibility to protect)」という名目で正式に規定される)、(c) 自由で公正な貿易は全ての当事者に利益をもたらすため、世界的な経済・金融統合(global economic and financial integration)は全ての国が受け入れるべきであること、(d) 国家間の紛争は多国間機関における法的交渉を通じて解決されること、1995年の関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and TradeGATT)から世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)への格上げは、この原則を制度的に具体化した象徴的な例である。

確かに、これらの柱のどれもが反対のない状態進んだ訳ではない。覇権はコンセンサス(consensus)と同じではない。過去15年間、それぞれの柱は、特にウラジミール・プーティンのロシアと習近平の中国によって、ますます直接的な形で挑戦されてきた。決定的だったのは、1990年代と2000年代にこれらの原則の最大の擁護者であると主張したアメリカが、現在ではその全てを拒否していることだ。ネイサン・ガーデルズが数週間前に主張したように、再任されたドナルド・トランプが主導して、アメリカは今や世界有数の修正主義国家(revisionist state)であり、この主張は最近ハワード・フレンチによって繰り返された。

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アテネを訪問するフランシス・フクヤマ(2017年1月27日)

旧秩序が死につつある中、今日の国際関係を悩ませている中心的な問題は、誕生しようと苦闘している新秩序(new order)の性質である。この新秩序に最終的にどのようなラヴェルが付けられるにせよ、その定義的な特徴には、国際経済におけるゼロサム交流主義(zero-sum transactionalism)、「強者はできることをし、弱者は我慢しなければならないことをする」というトゥキュディデス流の権力政治(Thucydidean power politics)、そして「文明国家(civilizational states)」を中心としたアイデンティティ政治の力強い主張が含まれるだろう。これらの特徴は、チャールズ・クラウトハマーが「一極化の瞬間(unipolar moment)」とよく表現した「ベルリンの壁」崩壊後の国際競争の場よりもはるかに平等な国際競争の場で形作られるだろう。このベルリンの壁崩壊は、かつてフランスの外務大臣を務めたユベール・ヴェドリーヌの言葉を借りれば、アメリカが唯一の「極超大国(hyperpower)」として登場した時期であった。

この最後の大きな再編の際、国際関係における最も顕著な論争は、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり(End of History)」(予言的にベルリンの壁崩壊のわずか数ヶ月前に発表された)と、その4年後に出版されたサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突(Clash of Civilizations)」との間で行われた。フクヤマ自身も、「歴史の終わり」は「世界の経験的状況に関する発言ではなく、自由主義的民主政治体制の政治制度の正当性または妥当性に関する規範的な議論である(not a statement about the empirical condition of the world, but a normative argument concerning the justice or adequacy of liberal democratic political institutions)」と認めていた。しかし、当時のリベラル派は、フクヤマの規範的なヴィジョン(normative vision)は支持に値すると感じていた。そして世紀の変わり目までに、リベラル派はボリス・エリツィンのロシアと江沢民の中国の改革をじっと見つめ、フクヤマが論点だけでなく文体でも議論に勝ったと確信することができた。

ハンティントンは合意しなかった。フクヤマ同様、『フォーリン・ポリシー』誌の共同創刊者であるハンティントンは、共産主義の東側(the communist East)と民主政治体制の西側(the democratic West)、豊かなグローバルノース(the rich global north)と貧しいグローバルサウス(the poor global south)の間の冷戦の分裂は「もはや意味をなさない(no longer relevant)」と主張した。しかし、自由主義的国際主義者(liberal internationalist)のフクヤマが、冷戦の終結は、選挙民主政治体制と管理された資本主義(フクヤマが「人類の統治の最終形態(the final form of human government)」と呼んだもの)の一般原則に沿っている国々の間での永続的な平和の前兆であると予想したのに対し、リアリスト(realist)のハンティントンは、全く異なる軸に沿ってではあるが、継続的な紛争が特徴的な世界(a world marked by continued conflict)を予見した。

ハンティントンにとって、重要な地政学的アクターたち(critical geopolitical actors)は、英国の歴史家アーノルド・J・トインビーが1934年から1961年にかけて12巻で出版した『歴史の研究(A Study of History)』で定義した用語で理解される「文明(civilizations)」となった。ハンティントンにとって、文明間の「断層線(fault lines)」(不吉な地殻変動の比喩に注目[notice the ominously tectonic metaphor])は、冷戦後の秩序の断裂点(sites of rupture)となるだろう。

文明のアイデンティティは今後ますます重要になり、世界は7つか、8つの主要な文明の相互作用(interactions)によって大きく形作られるだろう。これには西洋、儒教、日本、イスラム、ヒンズー、スラブ正教、ラテンアメリカ、そしておそらくアフリカの文明が含まれる。将来最も重要な紛争は、これらの文明を互いに隔てる文化的断層線(cultural fault lines)に沿って起こるだろう。

ハンティントンの新秩序のヴィジョンは明らかにフクヤマのものより暗いものだった。両者のヴィジョンは曖昧ではあったが。フクヤマは、永続的な平和の代償(the price of perpetual peace)はテクノクラートの退屈さであり、イデオロギー闘争の「大胆さ、勇気、想像力、理想主義」は単なる「経済的計算、技術的問題の果てしない解決、環境問題、洗練された消費者の要求の満足」に取って代わられるだろうと論じて、有名な論稿を締めくくった。フクヤマにとって、これからの「退屈の世紀(centuries of boredom)」は、政治的栄光の機会を失った世界で社会的認知を求める人々にとって実存的危機(existential crisis)を生み出すだろう。

対照的に、ハンティントンは、不公平な文化的差異(invidious cultural distinctions)に基づく集団アイデンティティ(group identities)は永続的であり、冷戦の普遍化イデオロギー(the universalizing ideologies of the Cold War)が衰退するにつれて、より明白になるだけだと主張した。ハンティントンは、オリジナルの論文の議論を拡張した1996年の著書で、「中核国家(core states)」が自らの文明の「勢力圏(spheres of influence)」内で支配を強めるという曖昧な均衡(equivocal equilibrium)を予見した。一方では、「文明の衝突は世界平和に対する最大の脅威(clashes of civilizations are the greatest threat to world peace)」であり、避けられない文化の違いを強調することが終わりのない敵意(never-ending hostility)の基盤を形成する。(ハンティントンはまた、文明の衝突[the clash of civilizations]によって定義される世界秩序において、移民に対する敵意(hostility to immigrants)が国内政治の決定的な特徴となることを予見した)

一方、新秩序にいる全員が「異質な」文明(“alien” civilizations)に自らの文化体系を押し付けようとする愚かさを認識している限り、「文明に基づく国際秩序は世界大戦に対する最も確実な防御策である(an international order based on civilizations is the surest safeguard against world war)」。諸文明間の文化的敵意(Cultural hostility between civilizations)は避けられないかもしれないが、幸運にも「衝突(clash)」は暴力的な衝突ではなく、単に騒々しい破裂音で終わるかもしれない。

フクヤマと比較すると、ハンティントンの論稿とそれに続く著作は、どちらかといえば、より多くの注目を集めた。その多くはより批判的な調子で書かれていた。歴史家や人類学者は文明というカテゴリーの一貫性のなさを批判した(ハンティントン自身も文明は流動的であると認めていた)。一方、国際関係学者たちは、当時の最も激しい紛争の多く(スンニ派とシーア派のイスラム教徒間の残忍な戦争やアフリカ全土での戦争など)は、文明間(between them)ではなく、文明内(within civilizations)で起こっていたと指摘した。コスモポリタン、グローバリスト、リベラルたちは、この本が政治的力学の分析をしているというよりも、むしろそのあからさまな非道徳主義(amoralism)を嫌っていた。

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左:ルワンダの元軍司令官アナトール・ンセンギユンバが、ルワンダ国際戦犯法廷が大量虐殺の罪で判決を下すのを待つため法廷に座っている(2008年12月18日)。

右:ボスニアの大量虐殺の犠牲者の親族たちが、国連判事がボスニアのセルビア人元司令官ラトコ・ムラディッチに終身刑を宣告した、スレブレニツァ近郊の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷からの生中継中に反応している(2017年11月22日)。

冷戦終結後の最初の数十年間、国際秩序(international order)は主にフクヤマの述べた規範的枠組み(normative frame)の範囲内で機能していた。1990年代半ばから2010年代半ばにかけて、世界のほとんどの国の政治指導者たちは、嫌々ながらも「リベラルな国際」ルール(“liberal international” rules)に従って行動した。ヨーロッパは、ヨーロッパ連合の行政機構への統合を推進した。貿易紛争はWTOに持ち込まれ、その裁定は概ね尊重された。戦争犯罪者たちの追及は不平等だったが、逮捕されると、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(1993年設立)、ルワンダ国際刑事裁判所(1994年設立)、国際刑事裁判所(2002年設立)など、公式の国際法廷に引きずり出された。

アメリカが戦争を決意したとき、1990年代のバルカン半島、2003年のイラク、2011年のリビアのように、国連やNATOなどのいくつかの国際機関の法的承認(legal approbation of some international entity)を求めた(ただし、反対票で戦争を阻止することはできない)。実際、ジョージ・W・ブッシュは、世界的な対テロ戦争とイラクの政権交代はハンティントン流ではなくフクヤマ流に遂行されていると何度も主張した。ブッシュは、「男女の共通の権利とニーズに関して言えば、文明の衝突などは存在しない」と強く主張した。ブッシュは次のように述べた。「自由の必要条件は、アフリカ、ラテンアメリカ、そしてイスラム世界全体に完全に当てはまる。イスラム諸国の人々は、あらゆる国の国民と同じ自由と機会を望み、それ等を持つに値する。そして、彼らの政府は彼らの希望に耳を傾けるべきだ」。

冷戦後の和解の結果として、最大の地政学的敗者となり、当然のことながら最も強力な反対をする大国であるロシアでさえ、新秩序への敬意を示し、切り離した隣国(1992年以降はトランスニストリアをモルドバから、2008年以降はアブハジアと南オセチアをグルジアから)の様々な部分の併合を事実上(法律上ではなく)試みた。これらの事例はいずれも、悪徳が美徳に捧げる賛辞(the tribute that vice pays to virtue)だったかもしれないが、それでも賛辞であることに変わりはない。

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ロシア国会が、クリミア半島はウクライナの一部であるという国際社会の主張を無視してクリミア併合に投票した後、クリミア半島のセバストポリ市の中心部でロシア国旗を振る男性(2014年3月21日)。

フクヤマ的(つまりヘーゲル的)な言い方をすれば、全ての時代はその後継者の種を含んでいる。2010年代の初めには、ポスト歴史的な規範構造に亀裂が入り始めていた。20年前にハンティントンが述べていたような、文明論的観点から自国を認識する新興勢力が、国際秩序を支える普遍的価値観に公然と異を唱え始めたのである。1990年代には、シンガポールやマレーシアのような小国の指導者たちが(西欧の価値観とは異なる)「アジアの価値観(Asian values)」という考えを推進していたが、2014年までには、プーティンも習近平もロシアと中国を、西欧民主政治体制国家の価値観とは異なる(そして彼らの視点からは、西欧民主政体国家の価値観よりも優れた)明確な価値観を持つ「文明(civilizations)」と公然と表現するようになっていた。

10年後の今となっては、2014年はリベラルな国際秩序の腐敗が壊疽し始めた、極めて重要な年であったと考えられる。その年のロシアによるクリミア半島の事実上の併合(Russia’s de jure annexation of the Crimean peninsula)は、リベラルな国際秩序の重要な柱の1つである「国境は武力で書き換えてはならない(borders are not to be rewritten by force.)」という明確な断絶であり、顔面からの拒絶であった。プーティンは、クリミアは常に「ロシア世界(the Russian world)」の一部であったと主張し、明白に「文明的」根拠(explicitly “civilizational” grounds)に基づいて自らの動きを正当化した。同様に、2014年にナレンドラ・モディとBJP(インド人民党)が多元主義的なインド国民会議を追い落としたのは、ヒンドゥー教のイデオロギーに基づくもので、インドをヒンドゥー教に基づく文明国家として提示した(数億人のヒンドゥー教徒以外のインド人のことは念頭にない)。そして、習近平は、中国の自由化に関する戦略的な曖昧さに関心を示さず、イデオロギー的な直接対決にますます関心を寄せるトップリーダーとして登場し、フクヤマのユートピア的ヴィジョンの終焉を告げた。2020年代半ばには、民主化の「第三の波」(democratization’s “third wave”)は、未来の繁栄(the flourish of the future)というよりも、偽旗(a false flag)のように見えた。

この観点からすると、過去25年間はハンティントン流の予測(Huntingtonian prediction)が長期間にわたり孵化(long incubation)していた期間ということになる。ハンティントンが冷戦後の新たな秩序の輪郭について間違っていたというよりは、彼の直感が早すぎたということが今では明らかになっている。彼は、その秩序の中に潜む反律法主義的要素(antinomian element)を的確に捉え、次の秩序、つまり過去10年間に本格的に出現してきた秩序の基礎として出現する瞬間を待ち望んでいた。

1990年代後半のリベラルな国際主義の楽観主義(liberal internationalist optimism)の頂点から見ると、現在の状況は「ハンティントンの復讐(the revenge of Huntington)」と捉えるのが最善である。自由主義的民主政治体制とテクノクラート的に管理されるグローバル資本主義(global capitalism)を支持する普遍的な合意(universal consensus)という夢は死に、モスクワや北京からデリーやイスタンブール、そしてもちろん今やワシントンDCに至るまで、文明の衝突者たちがほぼあらゆる場所で台頭している。この新しい秩序の中で、運命は礼儀正しく秩序ある者よりも、大胆で自己主張の強い者に向けられる (しかし、好まれるとは限らない)。歴史後期の官僚主義的ルールの無菌的な退屈に苦しむ代わりに、私たちは歯と爪が赤く染まった国際システムの血なまぐさい興奮を楽しむことになる。冷酷さは報われ、無力さは利用される。ハンティントンは墓場で微笑んでいることだろう。

※ニルス・ジルマン:歴史家で、ベルグルーエン研究所の執行副会長兼最高執行責任者。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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『トランプの電撃作戦』
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