古村治彦です。
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日本でも一部の極端な主張する右派の人々が核武装論を振りかざしている。その馬鹿さ加減は救いようがないが、ある意味では、彼らは「平和ボケ」の「幸せな」人々である。実際に核兵器を持ち、自国の国民を危険に晒すことになるかしれないということを死ぬほどの苦しみで悩み、考え抜く、超大国の最高指導者や最高指導層の苦しみに思いが至らない、なんとも単純で、幸せな頭の構造をしていて、何よりも想像力と思考力が圧倒的に欠如している。私はここまで書きたくはないのだが、書かざるを得ないほどの惨状を呈している。
下に掲載した論稿を読めば、核兵器は使用できない平気であり、核戦争を戦ってはいけない戦争であることがよく分かる。「核戦争は決して戦ってはいけない」という言葉を残したのは、タカ派で知られるロナルド・レーガン大統領だ。ソ連を悪の帝国として、冷戦に勝つために、軍拡競争で仕掛けた、レーガン大統領でさえも、核戦争は勝利できない、相手を殺すために、自分を殺すことになる、自分を殺さねば相手を殺せないということがよく分かっていた。
ウクライナ戦争は既に3年以上が経過ししている。この間に、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領は核兵器使用を示唆する、脅迫的な言動を行った。それに対して、アメリカのジョー・バイデン政権は抑制的な態度を取った。ウクライナを使って「火遊び」をしていたアメリカにしても、核兵器使用、核戦争だけは絶対に避けねばならないということはコンセンサスとして持っていた。それで、ウクライナに戦闘機支援などを行わらず、しかし、多額の軍事援助を行うという最悪の選択を行い、戦争が長引き、ウクライナの人々と国土が大きく傷つくことになった。
ドナルド・トランプ政権はウクライナ戦争の停戦に向かって動いている。考えてみれば、ロシア側はバイデン政権下では停戦のための交渉に乗ってこなかった。トランプになって、大きく動き始めた。これだけでもトランプ政権発足の意義は大きい。このように書く人は日本では多くないだろうが。
核兵器が登場し、日本の広島と長崎で実際に使用されて以降、核兵器が自国への攻撃や戦争を抑止する効果を持たず、自国の国民を危険に晒す「無用の長物」となっている。日本は核武装等するべきではない。全く意味を持たない。日本が核武装をする、正確にはアメリカによって核兵器を持たされる時には、中国との直接衝突、日本への核攻撃をさせたいという意図がある時だ。アメリカに中国からの核攻撃を受けないために、弾よけにするためだ。中国に対する核攻撃は日本がやったことで、日本が被害を受けるという形にしたいとアメリカが考えれば、日本に核兵器を持たせることになるだろう。だから、私たちは何があっても、核兵器を持ってはいけない。日本が核兵器を持てば、日本の存亡の危機が高まる。用心して慎重に動かねばならない。
(貼り付けはじめ)
プーティンが終末をもたらすという脅威(Putin’s Doomsday Threat)
-ウクライナでキューバ・ミサイル危機の再発を防ぐにはどうすべきか
グレアム・アリソン筆
2022年4月5日
『フォーリン・アフェアーズ』誌
https://www.foreignaffairs.com/articles/ukraine/2022-04-05/putins-doomsday-threat
ロシアのウクライナ侵攻が頓挫し、その勢力が東部の戦場に軸足を移したことで、戦争は新たな、より暗く、より危険な局面を迎えつつある。マリウポリはその未来を予見させる。ロシアの都市グロズヌイを「解放する(liberate)」ために爆撃して瓦礫と化し、シリアの独裁者バシャール・アル=アサドとともにアレッポを破壊したウラジーミル・プーティンは、大量破壊に対して道徳的な遠慮がないことは確かだ。更に、ウクライナでの戦争は今や紛れもなくプーティンの戦争であり、ロシアの指導者プーティンは、自分の政権や命さえ危険に晒すことなく負ける訳にはいかないことを知っている。そのため、戦闘が続く中で、彼が不名誉な撤退(an ignominious retreat)をするか、暴力のレヴェルをエスカレートさせるかの選択を迫られた場合、私たちは最悪の事態に備える必要がある。極端な話、その事態には核兵器も含まれるかもしれない。
ロシア軍が罪のない一般市民を凄惨な方法で殺害しているという証拠が増加していくにつれて、アメリカとヨーロッパの同盟諸国は、戦争を拡大させる危険性のある方法で介入するよう、高まる圧力に直面している。ジョー・バイデン米大統領は、世界的な連合(a global coalition)を動員し、世界がかつて経験したことのないほど包括的で痛みを伴う制裁措置をロシアに科している。バイデン大統領は、プーティンとその支持者たちを事実上追放し、西側世界の多くで彼らを「社会的に排除された人々(pariahs)」にした。アメリカはNATO加盟の同盟諸国と一緒に、勇気をもって自由のために戦っているウクライナ人に大量の武器を供給している。しかし、多くのアメリカ人は、地球上で最も強力な国家の国民として、バイデン政権にこれ以上何ができるのかと問いかけていることだろう。既に識者や政治家たちの間では、ウクライナの上空に飛行禁止区域を設定したり、ポーランドのMiG29をキエフに譲渡したりするようバイデンに求める声が上がっている。
しかしながら、これらの要求が考慮していないのは、冷戦の中心的な教訓である。核保有超大国の軍隊(military forces of nuclear superpowers)が、互いに相手を数百、数千人殺したり、殺す可能性のある選択肢を真剣に検討したりする熱い戦争(a hot war)に巻き込まれた場合、そこから核戦争がもたらす究極の世界的大惨事(the
ultimate global catastrophe of nuclear war)に至るまでのエスカレーションは驚くほど短い可能性がある。教科書的な事例は、1962年のキューバ・ミサイル危機である。
アメリカの偵察機が、ソヴィエト連邦が核弾頭ミサイルをキューバに密かに持ち込もうとしているのを捕捉したとき、ジョン・F・ケネディ米大統領は即座に、この行動は許されないと判断した。彼は、ディーン・ラスク国務長官が「目をそらさずににらみ合う(eyeball-to-eyeball)」と評したソ連のニキータ・フルシチョフ首相と対決した。これは米海軍による、キューバの海上封鎖(a naval blockade of Cuba)から始まり、ミサイル基地への空爆という脅迫の最後通牒(an ultimatum threatening air strikes on the missile sites)で終わった。歴史家たちは、これが歴史上最も危険な瞬間であったことに同意している。
13日間の終わりに近づいた静かなひととき、ジョン・F・ケネディは弟のボビー(ロバート)・ケネディに個人的に、この対立が核戦争に終わる可能性は「3分の1」だと考えていると打ち明けた。その後数十年間に歴史家が発見したものは、その可能性を少しでも高めるものではなかった。もし戦争が起こっていたら、1億人のアメリカ人とそれ以上のロシア人の死を意味していたかもしれない。
この危機で学んだ教訓は、それ以降の数十年間、核兵器に関する国家運営(nuclear
statecraft)に活かされてきた。60年もの間、同じような対立がなかったため、核戦争が起こるということは、専門家たちの多くにとってほとんど考えられないことであった。幸いなことに、バイデンと政権の主要メンバーたちはよく分かっている。プーティンの挑戦に対応するための戦略を分析検討する中で、ロシアの国家安全保障戦略には、相手が核兵器を使用していない、あるいは使用すると脅していない場合でも、特定の状況下では核兵器を使用することが含まれていることをバイデン政権の主要メンバーたちは知っている。彼らは、ロシア軍がドクトリンとして「エスカレートからデスカレートへ(escalate to deescalate)」と呼ぶ、ロシアとその同盟諸国に対する大規模な通常の脅威に対抗するために戦術核兵器を使用することを予見したドクトリンを実践しているロシアの軍事演習を調査研究している。
従って、専門家のほとんどがプーティンの「あなた方の歴史上経験したことのない結末(consequences
you have never experienced in your history)」という暗い脅しや、ロシアの核戦力を「特別戦闘準備態勢(special combat readiness)」に置くことを単なる妨害行為と見なしているのに対し、バイデンのティームはそうではない。例えば、プーティンが通常戦場で自軍が大敗を喫したと判断した場合、ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領を降伏させるために、ウクライナの小都市の1つに戦術核兵器(低収量の爆弾だが、それでも壊滅的な結果をもたらす)を使用する可能性は否定できない。もしアメリカがこれにある種の対応をすれば、キューバをめぐる対立以上に危険な核のチキンゲーム(chicken game)が展開されることになる。
●対立が如何にして核戦争にまで深刻化するか(How Confrontations Go
Nuclear)
1962年の力学はどのようにして核戦争にまで結びつくものとなったのだろうか? この危機を分析したアナリストたちは、アメリカの都市を焼却することになった可能性のある、もっともらしい道筋(plausible paths)を10以上挙げている。最速の1つは、当時ケネディでさえ知らなかった事実から始まる。ケネディと側近たちにとって核心的な問題は、ソ連がアメリカ大陸を攻撃できる中・超中距離核ミサイル(medium- and intermediate-range nuclear missiles)をキューバに設置するのを阻止することだった。しかし彼らは、ソ連が既に100発以上の戦術核兵器をキューバに配備していることを知らなかった。更に言えば、そこに配備された4万人のソ連軍は、攻撃された場合にそれらの兵器を使用する技術的能力と認可の両方を持っていた。
例えば、あの致命的な危機の12日目に、フルシチョフがケネディの最後の解決策の提案をきっぱりと拒否したと想像してみて欲しい。ケネディは、ソ連がミサイルを撤退すればアメリカはキューバに決して侵攻しないと誓うという取引を提案し、それにフルシチョフが拒否すれば24から48時間以内にキューバを攻撃するとの非公式の最後通牒(a private ultimatum)を与えていた。ケネディは否定的な反応を予想して、その時点で、キューバ島のミサイルを全て破壊する爆撃作戦を承認していた。また、この直後に侵攻し、攻撃を逃れた兵器を確実に除去することになっていた。しかし、アメリカ軍が島に上陸してソ連軍と交戦したとき、アメリカ軍司令官たちは存在を知らなかった戦術核兵器の標的になっていた可能性が高い。これらの兵器は、彼らを島に輸送したアメリカの船を沈没させただろうし、おそらく侵略者が来たフロリダの港にも打撃を与えただろう。
その時点で、フルシチョフは、アメリカ本土に弾頭を運ぶ能力を持つソ連の20基のICBMに燃料を補給し、発射準備を整えるよう命じていただろう。ケネディは、その時、とんでもないディレンマに直面していただろう。ソ連の核兵器に対する先制攻撃を命じることもできただろう。その攻撃では、ソ連は数千万人のアメリカ人を殺害するのに十分な核兵器をまだ残している可能性が高い。あるいは、ソ連の完全な核兵器による攻撃に対してアメリカが脆弱な状態になり、1億人以上のアメリカ人の死を招く可能性があると知りながら、攻撃しないこともできただろう。
幸いなことに、ロシアのウクライナに対する戦争がいかに恐ろしいものになったとしても、核爆弾でアメリカの都市が破壊されるという結末を迎えるリスクは、ジョン・F・ケネディ(JFK)が3分の1には遠く及ばない。実際、私の判断では、100分の1未満であり、おそらく1000分の1に近いだろう。プーティンのウクライナ侵攻が1962年のミサイル危機の続編になっていない主な理由は2つある。第一に、プーティンは、NATO加盟諸国の領土への侵入や攻撃などのレッドラインを超えることを避けるなど、アメリカの重要な国益を脅かさないよう細心の注意を払っている。第二に、バイデンは最初から、ウクライナで起きていることがより大きな戦争の引き金になることを許さないと決意していたからだ。
●先制的な抑制(Preemptive Restraint)
プーティンの挑戦に対するバイデンの対応は、アメリカの国益に関する揺るぎない戦略的明確さ(unblinking strategic clarity about American national interests)を示している。彼は、ウクライナの力学が、もし誤った対応をすれば核戦争につながるという真のリスクを理解している。また、アメリカはウクライナに重大な利益を持っていないことも知っている。ウクライナはNATO加盟国ではなく、したがって、ウクライナに対する攻撃をアメリカに対する攻撃であるかのように防御するというワシントンからの第5条の保証はない。よって、バイデンがウクライナをめぐってロシアとの戦争に突入することは、アメリカの外交政策における最悪の、そしておそらく最後の大きな誤りとなる可能性がある。
それを防ぐための決定的な努力として、ロシア軍がウクライナを包囲する中、バイデンはアメリカ軍をウクライナでの戦闘に派遣することは「選択肢にない(not on the table)」と明言した。12月8日の記者会見で、彼は「アメリカがロシアに対抗するためにアメリカ一国で武力を行使するという考えは、今のところあり得ない(The idea that the United States is going to unilaterally use force
to confront Russia [to prevent it from] invading Ukraine is not in the cards
right now)」と宣言した。それ以降、バイデン陣営は繰り返しその点を強調してきた。プーティンの犯罪がいかに悲痛なものであろうと、ウクライナを守るためにアメリカ軍を派遣することはロシアとの戦争を意味する(No matter how heart-rending Putin’s crimes, sending U.S. troops to
defend Ukrainians would mean war with Russia)。その戦争は核戦争へとエスカレートする可能性があり、ウクライナだけでなく、ヨーロッパ、ロシア、アメリカの国民も犠牲者となるだろう。要するに、バイデンが述べたように、アメリカは「ウクライナで第三次世界大戦を戦うつもりはない(the United States “will not fight the third world war in Ukraine”)」のだ。
連邦議会におけるバイデンの批判者たちは、現在、彼の慎重さがプーティンの侵攻を招いたと主張している。共和党のトム・コットン連邦上院議員は、「バイデンの弱腰な宥和政策(weak-kneed appeasement)がプーティンを刺激した」と発言している。アメリカにジョージ・W・ブッシュのような強い大統領がいたら、侵攻は決して起こらなかっただろうとコットンと彼の同調者たちは主張する。反事実は複雑だ(Counterfactuals are complicated)。しかし、この場合、少し歴史を応用すれば大いに役立つ。
2008年のプーティンによるグルジア侵攻について考えてみよう。ブッシュ大統領の当時、グルジアの展開はロシアの侵攻前のウクライナの展開と概ね似ていた。当時、ロシアの支援を受けた分離主義者たち(Russian-backed separatists)と対峙するグルジアの取り組みは、プーティンにとって容認できない脅威とみなされていた。その年のNATOサミットでブッシュ政権はグルジアとウクライナをNATOに急遽加盟させようとしたが失敗した後、勇気づけられたグルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は、離脱した南オセチア州を厳しく取り締まった。プーティン大統領がロシア軍にグルジア侵攻を命令してこれに応じたとき、彼はブッシュ大統領がアメリカ軍を戦争に派遣する用意があることに疑いを持っていなかったことは確かだ。何しろ、彼はブッシュ大統領が2003年にイラク侵攻に13万人の兵士を派遣し、さらにアフガニスタンに数万人の兵士を派遣するのを見ていた。こうした証拠は、ブッシュ大統領の強気な態度(Bush’s bravado)がプーティン大統領を抑止するどころか、主にサアカシュヴィリ大統領の無謀さ(Saakashvili’s recklessness)を助長し、それが今度はプーティン大統領の侵攻の口実となったことを示唆している。
ロシアの侵略者がグルジアの首都に近づくと、ブッシュ政権は更なる選択に直面した。予想通り、政権の一部のメンバー、特にディック・チェイニー副大統領の補佐官たちは、ロシアによるグルジア占領を阻止するためにアメリカ軍を派遣するよう求めた。大統領が議長を務めた国家安全保障会議の特別会議(a special National Security Council meeting)で、国家安全保障問題担当大統領補佐官のスティーヴン・ハドリーは、「グルジアをめぐってロシアと戦争する用意はあるか」という質問を直接投げかけた。大統領は会議の参加者全員に、各自の答えを出すよう求めた。ハドリーは後に「私は、軍事的対応の可能性について、全員にカードを見せてほしかった」と述べた。そうしなければ、後に、グルジアのために戦う用意はあると主張したものの却下されるかもしれないと分かっていたからだ。テーブルを囲んで議論すると、チェイニー、コンドリーザ・ライス国務長官、ボブ・ゲイツ国防長官を含め、誰も賛成票を投じる意向を持っていなかった。アメリカはグルジアの援助に向かうことはなく、戦争は2週間以内に終わった。
●多くの大統領が示す1つの前例(A Precedent with Many
Presidents)
示唆に富むこととして、バイデン政権とブッシュ政権が採った選択は、同様のディレンマに直面した他の全ての米政権が採った選択と一致している。1948年にソ連がベルリンへの高速道路を封鎖したとき、ハリー・トルーマン大統領はアメリカ軍に戦わせるという軍司令官の提案を拒否した。ドワイト・アイゼンハワー大統領は、1956年のハンガリー動乱(1956 Hungarian uprising)を防衛するために米軍を派遣しないことを選んだが、これは1968年の「プラハの春(1968 Prague Spring)」の際、リンドン・ジョンソン大統領がチェコスロバキアで繰り返した決断である。ケネディはベルリンの壁を建設するソ連軍を攻撃することを拒否した。そして1984年、ソ連領空に誤って侵入した民間旅客機をソ連が撃墜し、現職連邦下院議員を含む52人のアメリカ人が死亡したときも、ロナルド・レーガン大統領は同様にエスカレートを拒否した。どのケースでも、国家の存亡に関わるような重大な国益が明確でなければ、そのリスクを冒す覚悟はなかった。
前任者たちと同様に、バイデン大統領、マーク・ミルリー統合参謀本部議長、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官、そして政権の他の人々は、キューバ・ミサイル危機で起こったことについて読んだだけでなく、核の危険を身をもって体験できるように設計された模擬戦争ゲーム(simulated war games)にも参加していた。彼らは、ジョン・F・ケネディ大統領とテーブルを囲み、自分たちの家族を殺すかもしれない核攻撃を引き起こす可能性があることを知っている選択について議論した人々の役を演じた。「単一統合作戦計画(Single Integrated Operational Plan、SIOP)」とは、1960年代初頭に考案されたアメリカの核戦争に関する一般的な計画で、アメリカの核兵器が必要となった場合の発射手順や標的の選択肢を示したものだ。バイデンと彼の上級顧問たちは、アメリカの戦略核戦力はロシアを地図上から消し去ることができるが、そのような対立の最後にはアメリカも消滅してしまうという事実を把握している。こうして彼らは、ロナルド・レーガンが有名な短い言葉で捉えた深遠な真実を理解している。「核戦争に勝つことはできないし、決して戦ってはならない(“A nuclear war cannot be won and must never be fought”)」。
レーガンの2つの命題は、暗唱するのは簡単だが、戦略的思考に組み込むのは難しい。アメリカが世界最強の軍隊を持ち、ロシアを墓場にできるほどの核戦力を有しているにもかかわらず、レーガンの最初の指摘は、その戦争の終わりにはロシアもアメリカを完全に破壊していたであろうことを思い起こさせる。誰もそれを勝利とは呼べない。この状態は、冷戦時代の戦略家たちによって相互確証破壊(mutually assured destruction、MAD)と呼ばれ、強力な核兵器を持つ敵同士の総力戦(all-out war)は核兵器による狂気の沙汰ということになった。テクノロジーは事実上、アメリカとロシアを切っても切れない双子のような関係にした。どちらか一方が他方を殺すことはできても、同時に自分が殺されることなしに殺すことはできない。
レーガンの警告の後半部分は更に理解しにくい。核戦争は「決して戦ってはならない(must
never be fought)」ということだ。プーティンのロシアが今日どれほど邪悪で危険であろうとも、アメリカは戦争をせずにロシアを倒す方法を見つけなければならない。冷戦中、ソ連との戦争を避けるということは、そうでなければ全く受け入れられないであろう、ソ連と戦うためのアメリカの取り組みに対する制約を受け入れることを意味した。これには、ソ連が東ヨーロッパの捕虜となった国々を占領し続けることを誰もが目にできる限り続ける一方で、アメリカはそれらの共産主義政権への支持を弱めるためにできる限りのことをすることや、誤算や事故(miscalculations or accidents)による戦争につながるリスクを高める可能性のある特定の兵器システム(例えば中距離核戦力)を配備しないことで米ソ両国が合意する妥協点に達することなどが含まれていた。
特に今日のワシントンの熱気の中では、レーガンが中距離核戦力全廃条約に署名した際、『ワシントン・ポスト』紙のコラムニストだったジョージ・ウィルが「道徳的な軍縮を加速させているだけで、実際の軍縮はその後に続く(accelerating moral disarmament—actual disarmament will follow)」と非難したことを思い出すと役に立つかもしれない。当時の指導的保守派知識人ウィリアム・バックリーは、レーガンのINF合意を「自殺協定(suicide pact)」と呼んだ。そのような批判について、レーガンは次のように書いている。「私のより急進的な保守派の支持者の中には、私がロシアとの交渉で我が国の将来の安全保障を犠牲にしようとしていると抗議する者もいた。私は彼らに、自分たちが不利になるような協定には署名しないと保証したが、それでも彼らから多くの非難を受けた。彼らの多くは、核戦争は『避けられない(inevitable)』ので、それに備えなければならないと考えていたと私は確信していた」。
●他の手段による戦争(War by Other Means)
キューバ・ミサイル危機から得た数多くの教訓の中で、バイデン政権にとって今後数週間のうちに特に重要となりそうなものがある。キューバ・ミサイル危機のわずか数カ月後、ジョン・F・ケネディ大統領が最も重要な外交演説で述べたように、「何よりも、核保有国は、自国の重要な利益を守りつつ、敵国に屈辱的な撤退か核戦争かの選択を迫るような対立を回避しなければならない(Above all, while defending our own vital interests, nuclear powers
must avert those confrontations which bring an adversary to a choice of either
a humiliating retreat or a nuclear war)」。もしプーティンがこの2つの選択肢しか選べないとしたら、前者を選ぶ保証はない。バイデンはプーティンにそのような選択を迫ることを慎重に避けてきたが、事態は今、ロシアの指導者プーティンがそのような岐路に立たされたと見なしうる方向に向かっている。現地での戦争の事実が、この戦争に負けるか、戦術核攻撃でウクライナ人と世界に衝撃を与える以外に選択肢を残さないのであれば、彼が後者を選択することに賭けるのは愚かなことだ。
これを防ぐために、バイデンと彼のティームは、事態が急速に行き詰まりに向かっているのを受けてJFKがしたことを見直すべきだ。アメリカによる海上封鎖は、ソ連がキューバにミサイルを持ち込むのを阻止することには成功したものの、ソ連が既にキューバで対米ミサイル発射の準備をしているのを阻止することはできなかった。こうして危機の最後の土曜日、ケネディのアドバイザーたちは、攻撃するか、キューバのソ連ミサイル基地を既成事実として受け入れるか、2つの選択肢しかないと彼に告げた。ケネディはその両方を拒否した。代わりに、彼は次の3つの要素から成る想像力豊かな代替案を考案した。それらは、ソ連がミサイルを撤去すればキューバを侵略しないと約束する公式な取引、フルシチョフがその申し出を受け入れなければ24時間から48時間以内にキューバを攻撃すると脅す非公式な最後通牒、そして危機が解決した後の6カ月以内にトルコからアメリカのミサイルを撤去することを約束する秘密の魅力的な追加要素(sweetener)である。
ウクライナでプーティンに同様の出口(off-ramp)を設けるために必要となる複雑な多層的交渉と外交では、アメリカと同盟諸国は、1962年のケネディとその助言者たち以上の想像力を必要とするだろう。しかし、バイデンと彼のティームがこの難題に立ち向かうとき、彼らはJFKの最も素晴らしい時間にインスピレーションを見出すことができるだろう。
※グレアム・アリソン:ハーヴァード大学ケネディ記念行政大学院ダグラス・ディロン記念政治学教授。著書に『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ(Destined for War: Can America and China Escape Thucydides’s Trap?)』がある。
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(終わり)

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』
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