古村治彦です。※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
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ドナルド・トランプの登場は、アメリカ国民の「心性(mentalities、フランス語ではMentalité)」、「時代精神spirit of the age、ドイツ語ではZeitgeist」を象徴するものだ。アメリカ国民は自国アメリカの設立原理である民主政治体制と既存の政治、政治家たちに対する不満と不信を募らせている。アメリカ人の多くは、既存の政治家たち、エスタブリッシュメントたちが民主政治体制を歪めている、国民の希望や考えを無視していると考えるようになっている。これはもう確信に近い。現在のアメリカの民主政治体制は変革されるか、消え去ってしまうかということになる。
この点で、アメリカは2000年前のローマに擬せられる。そして、ドナルド・トランプは、ローマ共和制の終焉を導いたユリウス・カエサルに擬せられることになる。共和制のローマの最終盤の状況と現在のアメリカはよく似ている。人々は既存のエスタブリッシュメントの政治家たちを信頼していない。そして、彼らが選出された既存の民主政治体制を信頼していない。そして、力強い指導者、ストロングマンの出現を求めている。民主政治体制が堅固に、永続的に続くということはない。世界的な潮流で見れば、民主政体の数が増減する。サミュエル・ハンティントンの『第三の波:20世紀後半の民主化(The Third Wave: Democratization
in the Late Twentieth Century)』は、民主化(democratization、非民主的な制度から民主的な制度への移行)の波と反対の波(reverse wave)が繰り返すと主張している。ソ連の崩壊後の世界は、民主政治体制国家が増大したことで「民主化の第三の波」ということになったが、民主政治体制への不満や不信が高まることで、「反対の波」が起きることが考えられる。そして、それが、西洋先進諸国で起きるということが考えられる。
以下の論稿は2020年に書かれたものだが、アメリカの現状をよく表している。ポピュリズムという言葉は日本ではマイナスの要素を含んだ言葉として使われるが、アメリカでは、「一般の人々の、ワシントン政治に対する怒りが沸き起こり、自分たちの真の代表をワシントンに送り込む」という運動を示す言葉だ。トランプはポピュリスト政治家である。トランプは多くのアメリカ国民の代表である。彼らはアメリカの既存の民主政治体制をスクラップ・アンド・ビルドするために、トランプを大統領に選んだ。トランプの登場は、洒落や冗談ではない。アメリカの心性、時代精神を象徴するものであり、大きな歴史の流れに位置付けられる。それは、アメリカの衰退と民主政治体制の崩壊だ。事態はここまで来ている。
(貼り付けはじめ)
アメリカはローマの崩壊の足跡を不気味にたどりつつある。手遅れになる前に方向転換できるだろうか?(America Is Eerily Retracing Rome’s Steps to a Fall. Will It Turn
Around Before It’s Too Late?)
-2000年前、有名な共和国には危険なポピュリストを拒否するチャンスがあった。それは失敗し、それからどうなかったかは歴史が証明している。
ティム・エリオット筆
By Tim Elliott
11/03/2020 02:30 PM EST
https://www.politico.com/news/magazine/2020/11/03/donald-trump-julius-caesar-433956
今日、アメリカ人は根本的に異なる2つの道から1つを選択することになる。それは、国自体の価値観を変えるポピュリストのイデオロギー(a populist ideology transforming the values of the country itself)とそれを拒絶しようとする試み(an attempt to reject it)だ。
しかしながら、この時代が前例のないことに思えるかもしれない。それは民主政治体制そのものと同じくらい古い決断だ。2000年以上前、アメリカのモデルとなった共和国も同じ選択に直面した(the Republic on which America was modeled faced the same choice)。ドナルド・トランプの時代のジュリアス・シーザー(Julius Caesar)は、ローマを想像上の古代の栄光に戻す(to return
Rome to an imagined ancient glory)と約束したが、代わりに自ら王座を築き、民主政治体制の規範を強引に解体し、彼の権力の抑制を無視し、政治的議論を衰えさせた。ローマはシーザーに従うことを選び、有名な共和国を破滅への滑走路に乗せた(putting the famed Republic on a glide path to destruction)。
トランプ自身は間違いなくアメリカのシーザーとしてどんな特徴づけも喜ぶだろうが、その比較は彼が望む以上に非難に値する。
トランプと同様に、ジュリアス・シーザーはローマの最高職に就いたとき、既に有名人であり、支配階級の多くから軽蔑されていた。指導者としての彼の適格性については、常に疑問が投げかけられた。単に型破りなだけでなく、彼はまったく新しい一連の規則に従って行動し、都合が良ければいつでも手順を覆し、法律を曲げた。シーザーは個人的な欠点に関して頻繁に嘲笑された。数々の衝撃的なセックススキャンダルに巻き込まれた彼は、若い頃にニコメデス4世と不倫関係にあったという噂を振り払うことはなく、「ビテュニアの女王(the
Queen of Bithynia)」という嘲笑的なあだ名がつけられた。
シーザーもまた、自分のイメージを宣伝するために派手な祭りや剣闘士の試合を催そうとしたために、多額の借金を抱えていた。外見に非常にこだわっていた彼は、贅沢な富の誇示を行い、できるだけ多くの金を誇示する傾向を示し、目が飛び出るほどの額の借金を負うことでそれを実現した。反対派は、薄毛を隠すために樫の冠をかぶって禿げ頭を隠そうとする彼のやり方を嘲笑した。
しかし、批判者たちにとって最も不快だったのは、国家の構造を崩壊させる恐れのある彼のメッセージの爆発的な形だった。トランプのように、シーザーは国民に直接語りかけ、伝統的なエリートを非難し、外国人が仕事を奪い、暴力を奨励していることに不満を述べた。ローマ人は、自分たちの共和国が因習破壊的なポピュリズムの脅威(the threat of iconoclastic populism)に耐えられると信じていた。自分たちの規範は神聖で、自分たちの制度は倒されないと信じていた。しかし、ユリウス・カエサルの執政官(the consulship)就任により、この幻想は打ち砕かれた。トランプとトランプ主義(Trumpism)が現代のアメリカ政治における容認範囲を根本的に再編し、権威主義(authoritarianism)の侵食に耐える制度の能力に亀裂が生じたのと同じだ。
共和国が下した選択により、最終的に共和国はカエサルの執政官の座を生き延びることはできなかった。むしろ、彼の在任期間中、国家は致命的に分裂し、残忍な街頭暴力(brutal street violence)によって麻痺し、内戦(civil war)へと進みつつあった。この内戦は、カエサル自身が最終的に内部の敵と戦い、今度は終身で世界において最も権力のある人物となるために指揮することになる。彼が最終的に解任されたとき、それは投票箱での法的拒否ではなく、永久独裁者の残忍な暗殺であり、被害は既に出ていた。再び内戦に突入した後、カエサルの後継者が唯一の生存者となって絶対君主制(an absolute monarchy)を確立し、共和国の最後の痕跡(the last
vestiges of the Republic)は消滅した。
共和制のローマ(the Roman Republic)は、トガを着てヤマネを食べる寡頭政治家たち(toga-wearing, dormouse-eating oligarchs)が元老院(the Senate house)という閉鎖的な場で権力を争うという一般的なイメージから多くの人が想像するよりもはるかに民主的だった。元老院が通常の場合は議題を決めたが、「人民(the People)」、つまり男性の自由な市民権保持者たち(the male,
free, citizenry)が、ほとんど全ての法律について自ら投票し、戦争を宣言し、政府の支出を決定し、行政官たち(magistrates)を選出した。
共和制のローマの民主政治体制の中心には、世論(public opinion)とイデオロギー(ideology)の戦場、コンティオ(the contio)、つまりローマの最も神聖なモニュメントの影にあるフォーラムで開かれる公開集会(the public meeting held in the forum in the shadow of Rome’s most
sacred monuments)があった。
この騒々しい直接民主政体の機関は共和制の中心だった。立法と公的情報(legislation
and public information)が国民に提示され、議論される公式の手段として、それは気の弱い者のための場所ではなかった。コンティオにおける叫び声があまりに大きくて空の鳥を吹き飛ばしたという話があり、暴動やリンチの危険さえ常に存在した。しかし、何世紀にもわたって、コンティオは、国民の主権と国家の権威のバランスを取る(balanced the sovereignty of the people with the authority of the
state)、モス・マイオルム(mos maiorum)、つまり「祖先のやり方(ways of the ancestors)」として知られる一連の規範によって制約されていた。
共和制の行政において強力で不可欠なものであったにもかかわらず、コンティオの権力は政府の他の部門の権力によって制限されていた。コンティオは、上院が世論を測定し、同意とコンセンサス(consent and consensus.)を構築するための手段として、上院と連携して機能した。最も重要なことは、会議を司る行政官たちが、認可された種類の政治的コミュニケイションからあまり逸脱することはめったになかったことだ。法律、慣習、憲法上の正当性(laws, conventions and a sense of constitutional propriety)という感覚に従うことは、永遠の国家自体への信仰(a faith in the eternal state itself)、つまりローマの「原文主義(originalism)」の一種を表していた。
しかし、この憲法への信仰、つまり政治は最終的には常に「正しい方法(the right
way)」で行われるという主張、そしてシステムへの脅威を是正するメカニズムが常に存在するという主張は、国家内の深刻な構造的脆弱性(the deep structural vulnerabilities within the state)を覆い隠す強力な幻想だった。
呪いが解けたのは、ユリウス・カエサルが執政官として初めて演壇に立ったときだった。カエサルは、コンティオを激しい多面的な議論の場(an arena of fierce, multisided debate)から集会(a
rally)へと変え、エリート層の腐敗(the corruption of the elites)に対する抵抗を訴えて信者の群衆に語りかけた。これは「ドレイン・ザ・スワンプ(drain the swamp)」というメッセージで、不満を抱く平民たち(disaffected
plebeians)の間で大きな支持を育んだ。
カエサルは通常の権力経路を迂回した。通常、執政官は、国家のもう一つの大きな機関である元老院と密接に連携していたが、彼の急進的な法案を批准しない反対派の抵抗に遭遇すると、カエサルはあっさりと立ち去った。彼はその代わりに、フォーラムで自分のイデオロギー的なメッセージを直接人々に伝えることを選んだ。このようにして、カエサルは、何世紀にもわたって施行されてきた執政官の権力に対する抑制と均衡(the checks and balances)を回避し、同時に人々からの支持を固めた。彼は、元老院の承認なしに法案の採決を行うと発表した。これは、厳密に言えば違法な政治的動きだったが、民意として正当化された(one justified as the Will of the People)。
この「ツイッター民主主義(Twitter democracy)」の初期形態は、過激で力強いものだったに違いない。しかし、それは危険でもあった。真の討論や議論が消えるにつれ、市民団体は対立するイデオロギー陣営にますます過激化していった。プルタルコスが語るように、カエサルの著名な反対者たちは、保護なしで公の場に出るのを恐れるようになり、政治的暴力は避けられなくなっていた。
転機(tipping point)は重要な投票の前夜に訪れた。カエサルが画期的な土地改革法案(land reform legislation)を可決するための集会を開いていたとき、その年のカエサルの共同執政官マルクス・ビブラスを含む数人の著名な行政官たちが、法的拒否権を行使するために投票所に到着した。突然、カエサルの支持者が攻撃を仕掛けた。考えられないことだが、人民護民官(Tribunes of the People)2人 (神聖法によりその身体は神聖視されていた) とビブラスが襲撃され、攻撃中にビブラスのファスケス (fasces、国家権力の象徴[the symbolic totem of state authority]) が折られ、更に、文字通りの負傷に加え、最もひどい侮辱として、バケツの排泄物が彼の上に投げつけられた。傷つき屈辱を受けた行政官たちは元老院に退き、法律は反対なく可決された。
カエサルは、敵対者と政治的に関わっても何も得るものはないと宣言し、忠実な支持者に直接語りかけたことで、ローマを一世代にわたって蝕む内紛の戦線を引いた政治的軍拡競争(a political arms race)に乗り出した。同じことが今日のアメリカでも起こっている。トランプがソーシャルメディア上でコミュニケイションを取るとき、議論はなく、合意や協力を求めることもなく、単に「腐敗したエリート(corrupt elite)」を攻撃し、トランプ主義というブランドを宣伝するツイートが次々と投稿されるだけだ。今年の重要な選挙が近づくにつれて、トランプのレトリックはより扇動的になり、敵対者を腐敗または悪意(corrupt or malign)のあるものとして描き、Qアノンのような陰謀論を煽り、アメリカの政治を善と悪の戦い(a war between good and evil)として描いている。ブラック・ライヴズ・マターに対する自警行為(the vigilantism)からミシガン州知事グレッチェン・ホイットマーの誘拐計画まで、それに伴う暴力の増加は憂慮すべきものだ。
同時に、アメリカはローマ同様、権威主義(authoritarianism)の受容へと大きくシフトしつつある。襲撃を受けた後、元老院に戻ったビブラスは、明らかに違法な行為についてカエサルを糾弾しようとした。フォーラムの混乱にもかかわらず、拒否権(veto)はまだ宣言されていたとビブラスは抗議した。カエサルを否認する機会があったにもかかわらず、決定的な瞬間に彼は無罪となった。カエサルは、恩恵と物質的利益(favors and the promise of material gain)の約束を通じて、国家機構の中に支持者たちを潜り込ませていた。彼らは、カエサルに代わって妨害、策略、誤報を行うことができ、法の支配を守ることよりも権力に関心を持つ弁護者たちだった。カエサルに対する支持が強かったため、彼を解任すれば武装した民衆によるクーデター(an armed, popular coup)の可能性があった。カエサルは、前例のない3つの属州(the provinces)の知事職、軍隊、訴追免除という保証と莫大な個人的利益だけを手にして執行官を退任した。今日、カエサルとローマ元老院の場合と同様に、共和党は4年前の選挙勝利後にトランプへの反対から全面的な支持へと方向転換し、大統領に対抗することを全く望まない機関へと変貌を遂げた。
同時に、トランプとカエサルの反対派は両者の魅力をひどく誤解している。トランプと同様に、カエサルのイメージは反対派が常に彼の没落の原因になると考えていたものに染み付いていた。それらは、彼の自慢話(braggadocio)、政治上の反対者たちに対する敵意(his hostility
toward political opponents)、金銭的、政治的、性的不正行為の履歴(a history
of financial, political and sexual irregularities)だ。しかし、彼の振る舞いがとんでもないほど、彼の信奉者はより熱狂的になった(the more outrageously he behaved, the more devoted his followers
became)。カエサルとトランプの時代の政治家たちは、そのイメージを根底にあるメッセージの一部だと理解できなかった。彼らは自分たちの利益のために国家の慣習(the conventions)を粉砕するという綱領(a platform)を掲げて改革運動を行っていたが、その慣習は彼らの熱烈な支持者にとってはほとんど意味がなかった。
トランプの反対派もまた、しばしば、カエサルの反対派と同じような反応を示してきた。最初は彼の「大統領らしからぬ(unpresidential)」イメージに驚愕し、一方で彼のメッセージの力に全く対処できず、続いてトランプ流の、カエサル流の「私たち対彼ら(us vs. them)」のコミュニケイションを自ら採用する傾向が続いた。最初の大統領選討論会ではこの変化が裏付けられ、バイデンはトランプの絶え間ない攻撃に対し、痛烈な個人的反論で応じた。多くの民主党員は和解(reconciliation)による「正常(normalcy)」への回帰を主張しているのではなく、むしろバイデンが勝利した場合の清算(a reckoning)、つまり、最高裁判所の拡大と増員、州としての選挙権の拡大、トランプ政権の確信確保に向けて準備を進めている。
これらの類似点は、今日のアメリカにとって警告となる。2000年前、多くのローマのエスタブリッシュメントたちは、カエサルが国家の政治文化と制度に与えている損害を誤解しており、神経質な自己満足感(a nervously asserted sense of complacency)が一部の界隈で続いていた。史上最も有名な弁論家キケロは、この自己満足、つまり「一人の悪い執政官」の損害はいつでも取り消せるという信念(the belief that the damage of “one bad consul” could always be
undone)を非難した。ローマでは、それはまったく当てはまらなかった。カエサルは、その職を正当とされ、勇気づけられ、不在の間も共和制ローマの政治情勢において常に存在感のある勢力として公職の座から去った。カエサルが属州へ去った時、既に権威主義的ポピュリズムの腐敗(the rot of authoritarian populism)が始まっていた。カエサル派のイデオロギーを掲げる新しい指導者たちが権力を争うようになると、ローマはすぐに市民暴動(civic violence)に陥った。国家内の合意という考え(the idea of
consensus within the state)に基づいて政治哲学を構築したキケロでさえ、社会が「2つに分断されている(divided in two)」と語り始めた。エスタブリッシュメント側は、カエサルの勢力を抑制できず、一般の支持者をカエサルの支持に駆り立てた、深刻な社会的、構造的不平等(the deep social and structural inequalities)に対処できなかったので、コンティオでカエサルが唱えた部族的レトリック(the tribal rhetoric)が破壊的で蔓延する権威主義的イデオロギー(authoritarian
ideology)に変換されることを確実にした。
暴力が今や正当な政治的表現の形態となったため、カエサルがローマに戻ったとき、彼は軍隊を率いていた。彼が作り出したストロングマンによる強権的な政治の環境(the environment of strongman politics)は、内戦と暴力を政治的変革の唯一の有効な手段とし、最終的に彼自身の運命を決定づけた。彼自身が「終身独裁官(Dictator for Life)」に任命された後、彼を解任する正当な政治的手段はもはや存在しなかった。その結果は、よく知られているように、元老院自体での血みどろの暴君殺害(a bloody tyrannicide)が起きた。しかし、彼が死んでも、ローマの政治文化が強者の支配へと変貌したことは覆すことができず、新たな候補者が現れてまたもや残忍な内戦が起こり、最終的に共和制は完全に消滅した。
紀元前59年のローマ人は、自分たちが現在「後期ローマ共和制(Late Roman
Republic)」として知られている時代に生きていることに気づいていなかった。未来の歴史家が「後期アメリカ共和国(Late American Republic)」と呼ぶ時代でも同じことが言えるだろう。その時代を回避するには、過去の教訓を学ばなければならない。ローマの例は、民主政治体制が機能するためには議論する能力が必要であることを教えてくれる。ソーシャルメディアによる支配と議論する能力の崩壊により、各メッセージがそれぞれのバブルに合わせて調整され、同じ意見が真の信者の間で繰り返し語られるようになると、根深い相互が敵対する諸国家が生まれるだけだ。
ローマ人が発見したように、アメリカの政治構造は多くの人が考えていたほど強固ではない。民主政体の合意の原則(the conditions for enabling real debate based on democratic
principles of consensus)に基づく真の議論を可能にする条件は、慣習(conventions)だけで支えるのではなく、システム自体に組み込まれる、または書き込まれる必要がある。今日、分裂した政治環境を修正するためのいくつかの措置が講じられている。ソーシャルメディア企業による直接的な誤情報に対処するための象徴的な取り組み、前回の大統領討論会での待望の「ミュートボタン(mute-button)」の追加などだが、それはごくわずかで、あまりにも遅すぎる。Qアノンとコロナ陰謀論の時代に公共の議論を修正するという課題は、特に今週、トランプ主義を正当に拒否する圧倒的な結果が出ない限り、克服できないかもしれない。それにもかかわらず、誰が勝っても、ローマ共和制の運命を回避するには、社会全体の大きな変化と、18世紀の多元的な政治システムの弱さの率直な再評価(a frank reappraisal of the weaknesses of an 18th-century pluralistic
political system)が必要になるだろう。本当の民主政治体制は多様な意見(a range of
voices)を奨励する。ツイッター民主政体、つまり、コンティオの民主政体は、最も声の大きい意見を優先する。アメリカがこの新しい時代を生き残るには、話し方と聞き方を再学習しなければならない。
(貼り付け終わり)
(終わり)

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』
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