古村治彦です。

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 現代思想は私の最も苦手とする分野の1つである(得意な分野などほぼないではないかと言われると黙ってしまうしかないが)。何度か、入門編とされる本にも挑戦してみたが、全く歯が立たなかった。分かりやすく伝えるということは専門家には難事業なのかもしれない。それは「何が分からないかも分からない」という一般的な人たちとの間に大きな隔絶があるからだ。

 今回は現代思想に関する論稿をご紹介する。英語から訳すことはできたがそれはそれでよく意味が分からない。戦後ドイツの思想を発展させたメルヴェ社という出版社があり、そこから多くの著作が出されたが(いわゆる左派思想の本)、理論と実践の隔絶を乗り越えることはできなかったという話である。

 たまには難解な文章に挑戦するのも良いものだ。開き直っていて申し訳ないが、難解な文章をひーひー言いながら読み、自分なりの理解をすることは頭を鍛えるために必要なことだと思う。

(貼り付けはじめ)

左派理論はいかにして意味をなさなくなったか(How Leftist Theory Stopped Making Sense

-進歩主義的な思想家たちは、世界についてこれまで以上に説明しようとしたが、全く何も説明していないことに気づいた。

ジョン=バプティテ・オドゥオー筆

2021年12月21日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2021/12/21/leftist-theory-postmodernism-germany-france-europe-adorno-foucault/

19世紀のゲオルク・ヘーゲルから20世紀初頭のマックス・ウェーバー、戦後のユルゲン ハーバーマスに至るまで、近代の特徴は人間の知識の形態の分化(differentiation of forms of human knowledge)であると主張する社会思想の連鎖が存在する。文化の洗練は、科学、道徳、芸術が宗教から独立していること、およびそれらの相互が共約不可能(mutual incommensurability)であることによって部分的に定義されている。これらの思想家によれば、この発展を元に戻すことは、より洗練されていない文化形態への退行を意味するという。

それでは、前世紀(20世紀)後半に英語圏の知識人の間で流行した「理論(theory)」という言葉をどう考えればいいのだろうか? 生物学や社会学といった特定の研究領域に焦点を当てるのではなく、様々な思考形態に適用可能な概念を生み出すことに関与することで定義された理論は、1960年代後半以降、(主にフランスの)哲学や文化批評の全体的な広がりを表す、あらゆる状況に対応できる言葉となった。しかし、このジャンルにはいくつかの統一的な特徴があった。たとえば、最も有名な実践者であるジャック・デリダ、ミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズたちは、正統的なマルクス主義の枠を打ち破ることに尽力し、しばしば、自由市場を無批判に擁護する者たちが提出する批判を反映するような方法を採用した。

遊び心の存在と一般的な深刻さの欠如は、理論のもう1つの特徴となった。フランスの哲学者ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、おそらくこのジャンルで最も悪名高い革新者たちだが、彼らの反精神分析的小冊子『アンチ・オイディプス』は、伝統的な意味での哲学作品ではないと主張した。つまり、統一された世界観を生み出そうとはしていないし、自由の実在や国家の正当な権威に関する古くからの疑問に答えようともしていない。その代わりに、哲学の仕事は、問題を創造することであると2人は『哲学とは何か』で主張した。この再定義で失われたのは、特定の人類学的あるいは歴史的制約によって制限された人間の生を理解しようとする試みとしての哲学のヴィジョンであった。理論としての哲学は、理想的には 「現在7歳から15歳の人々に向けたもの」だとガタリは主張した。明らかに不誠実ではあるが、ガタリのコメントは、哲学からと同様に地質学や数学からも多くを学び、子供のような遊び心にコミットした共著者たちの姿勢を物語っていた。

20世紀初頭の社会主義政治経済や哲学とは異なり、戦後理論はいかなる実践的な関与によっても推進されたのではなく、完全に断片化した戦後の政治情勢に対応するために必要な革新と新しさへの絶え間ない要求によって推進された。理論が理解しようとした社会変革、共産主義への幻滅、反植民地運動、女性解放、下級階層の存在、資本主義の存続は、政治的スペクトル全体にわたって保持されていた世界についての多くの前提を根底から揺るがした。包括的なアイデアがどのようにしてそれらを統合することができるのか、あるいは理論家たちがそれを行うことができないことが失敗とみなされるべきなのかどうかを理解するのは困難だ。

その結果、フィリップ・フェルシュが『理論の夏:反乱の歴史、1960-1990年』で描いた肖像は、理論の価値と有用性についての決定的な評決ではなく、終わりのない旅の肖像となっている。フェルシュの説明は主に、ドイツ語圏で理論の普及者として名を馳せた急進的な出版社メルヴェに焦点を当てている。1970年に設立されたメルヴェ社は、第二次世界大戦の記憶がまだ強く残っている世代によって設立された。親と子の間の溝は、彼らの多くが、年長者をファシズムの傍観者であると認識しており、多くの戦後ドイツ人が現在においてリベラルな公共圏(public sphere)を創設するという政治的課題に取り組む動機となった。この公共圏の重要な特徴は、礼儀正しさ(civility)を促進し、権威主義(authoritarianism)への解毒剤(antidote)として議論を重視することだった。この期間を通じて、この国の主要な知識人たちは、ファシズムとドイツ文化の関係について激しい公開討論を行った。

フェルシュの説明では、ドイツの哲学者テオドール・アドルノが『ミニマ・モラリア』で書いているように、「ブルジョワが『文化』として労働時間以外に追いやるもの」を真剣に受け止めようとする試みから理論が生まれる。芸術、文学、音楽は、出版社のカタログの中で、アドルノが示した例に倣い、以前は政治に留保されていたのと同じ批判的精査を受けることになる。

メルヴェ社の共同設立者であるペーター・ジェンテのような若い世代のドイツ人にとって、アドルノの著書「傷ついた人生についての省察」という副題のついた本は道標となった。このような新しい読者たちは、社会の変革のスピードについていけない伝統に、まだ正当性を求めようとしていた。フェルシュは、成長する公共圏の様々なメンバーが、性的疎外からうつ病に至るまで、あらゆることについてアドルノに助言を求めたエピソードを語ることで、過去と現在の間のこの新たな不調和を端的に示している。これらの手紙に対するアドルノの返事は、アドルノ自身と読者との間の隔たりと、この隔たりを理解しようとするアドルノの誠実さを物語っている。ある文通相手は、アドルノに直接会った後、自分が求めていたのは、「希望ではなく、絶望における連帯(looking for hope, but for solidarity in my hopelessness)」であったことに気づいたと述べている。

共同体への欲望は、アドルノの仕事を中心に発展したカルト性(cultishness)の中に既に存在しており、理論の物語とは切っても切れない関係にある。これが、フェルシュが彼の物語を通して格闘している両義性(ambivalence)の源泉である。理論は、戦後ドイツの状況において、多くの左翼が抱いていた、同じ志を持つ者たちの共同体の一員でありたいという願望に応えたものである。1959年に社会民主党が社会主義を放棄し、1977年の 「ドイツの秋(German Autumn)」(訳者註:1977年後半に発生した一連のテロ事件)に左翼テロが絶望的な状況に陥ったことで、その欲求はより高まった。しかしそれは、共同体の一員になろうとする者たちに、共同体が生み出す知的価値や政治的価値に対して抱く疑念を無視させるほど強力なものだったのだろうか? 理論は社会に対する真の批評を前進させたのだろうか、それとも、ますます自己言及的な言葉の使い方によって統一されたサブカルチャーを生み出しただけなのだろうか?

単なるファッションとしての理論の亡霊は、否定的な模範として、既にメルヴェ社に迫っていた。メルヴェ社の編集者たちは最後まで、自分たちを「専門家(professionals)」ではなく「本の虫(bookworms)」と表現することにこだわっていた。フェルシュの言葉を借りれば、「ドイツ・マルクス主義を、イタリアとフランスの後押しを受けて、独断的な行き詰まりから脱却させる(jump-start German Marxism out of its dogmatic standstill with boosts from Italy and France)」ことが、メルヴェ社の自らに課した使命であった。抽象的な理論化に満足することなく、メルヴェ社は手紙を通じて革命的な政治を追求することを理解していた。メルヴェ社が推進しようとした政治的プロジェクトは、理論的議論に特別な特権を与えるものであった。

社会が健全に機能するためには公共圏が必要だというブルジョア的な考えを捨てようとしなかった彼らは、急進的な政治に突き動かされ、戦後ドイツの産業資本主義(postwar German industrial capitalism)を支えてきた移民労働者たちの中に対話者(interlocutors)を求めた。北部の都市ヴォルフスブルクで、メルヴェ社の編集者たちは、地元のフォルクスワーゲン工場で働く6000人余りのイタリア人出稼ぎ労働者を訪ねた。彼らの目的は、プロレタリアパブで最新のマルクス主義理論について議論することだった。彼らの望みは、17世紀のヨーロッパのコーヒーショップに存在したような、政治的騒動のための肥沃な土壌をそこに見出すことだった。この革命支援プロジェクトは惨めに失敗しただけでなく、この滞在中に出稼ぎ労働者に近づいたことで、メルヴェ社のメンバー間の考え方の違いが露呈した。衝撃的だったのは、集団が床に敷かれた共用のマットレスの上に横になっていたとき、メンバーの1人が、家族、子供、庭を持つという密かな夢を認めていたことだ。ブルジョア社会は明らかに超越されていなかった。

私的領域内の亀裂は、公共領域の構築プロジェクトに影響を及ぼし続けた。1970年代半ば、ジェンテは若い学生ハイディ・パリスと恋愛関係になり、同僚編集者として彼女と共同作業を行った。当時の妻で、出版社に名前を貸したメルヴェ・ローウィエンは、メルヴェ社のジェンダー・ダイナミクスが意外なことではないことを『女性の生産力-もう一つの経済は存在するのか? 左翼プロジェクトの経験』で記録している。

市場の要請により、メルヴェ社は新しい理論を模索せざるを得なくなったが、その模索は、伝統的に考えられていたマルクス主義政治の制約とは相容れないことが判明した。当然のことながら、メルヴェ社の編集者たちは気質的に既に新しい傾向を模索する傾向があった。1970年代、麻薬中毒者たち(drug addicts)、社会から排除された人々(social rejects)、そして、精神異常とみなされた人々(those deemed insane)がメルヴェ者の本と急進的な理論の焦点となった。『ポストモダンの条件』の著者ジャン=フランソワ・リオタールは、この時期に労働者階級、人間、市民などの普遍的な主題に関する全ての思考は「時代遅れ(obsolete)」であると宣言することができた。アドルノの読者たちが求める指導に対する敵意が現れ始め、教育に存在する規律に対する一般的な懐疑主義(a general skepticism)が、この初期の指導への欲求に取って代わった。その後、賢者としての作家は、参加者としての読者に取って代わられた。ここでの変化は、新しいテキストの生産ペースが、唯一固定されたままのものは読者層であることを意味していたということである。後者は文化的コンテンツの消費者として活躍していたが、作家は最新のトレンドについていくのに苦労しなければならなかった。

固定された制度や政治的世界観からも解放された理論は、第二次世界大戦のトラウマへの反応として始まったため、これまで取り組むことができなかった分野に自由に目を向けることができた。1970年代後半までに、メルヴェ社は保守派哲学者エルンスト・ユンガーとナチスの法哲学者カール・シュミットを名誉回復する本を出版していた。シュミットの反自由主義的な決断主義(anti-liberal decisionism)は、メルヴェ社の初期の議論中心の政治観と衝突しただろう。しかし、理論が熱狂的だった時代に、この極右思想家が味方と敵の対立という観点から政治を概念化(conceptualization)したことは、1980年代の偶像破壊(iconoclasm)に完全に適合することがわかった。

『理論の夏』の最後の部分で、フェルシュは、実際の支持者から完全に切り離された知的世界の肖像を描いている。ベルリンのバーやディスコで、芸術の終焉について思索する急進的な理論家たちと親しくしているアメリカの芸術家や音楽家たちだ。フェルシュの説明では、この乖離を可能にした社会的勢力は前面に押し出されていない。代わりに、私たちが目にするのは、水面上に現れる一連の波としての理論のイメージであり、その下では政治と日常文化の日常的な現実が激しく衝突している。文化と政治の区別をなくすという目標は、皮肉なことに、理論が両方から距離を置く結果となる。その結果、フェルシュの物語の流れは、理論と政治および文化との関係について、読者に明らかに悲観的な見方を残す。理論は、最良の場合、政治によって引き起こされた絶望を癒すための慰めであるように思われるが、最悪の場合、ますます方向感覚を失う世界への適応である。

当然のことながら、思想と政治の関係を真剣に考える世界観であるマルクス主義から理論が分離したため、理論は自らの変化の原因を理解する準備が不十分になった。教室の概念を導入することで、根深い偏見や不平等(sedimented prejudice and inequality)を覆そうとする現代の進歩主義者たちの試みにも同じことが当てはまる。マルクス主義は、社会構造や制度が私たちの考え方を制約するのであって、その逆ではないと常に主張してきた。理論と実践のギャップを埋めようとするなら、この洞察を真剣に受け止めるのが賢明だろう。

訂正:2022年2月14日:この記事の前のヴァージョンではテオドール・アドルノによる引用を誤って掲載した。このヴァージョンで訂正した。

※ジョン=バプティテ・オドゥオー:『ジャコバン・マガジン』誌編集長。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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『トランプの電撃作戦』
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