古村治彦です。
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2025年5月までに、「知日派」の二大巨頭と呼ばれた、ハーヴァード大学教授ジョセフ・ナイ(Joseph Nye、1937-2025年、88歳で没)リチャード・アーミテージ(Richard
Armitage、1945-2025年、79歳で没)元国務副長官が亡くなった。以下の記事に写真があるので是非じっくり見て欲しい。
知日派という言葉は何とも聞こえの良い言葉であるが、実態は「ジャパン・ハンドラーズ(Japan handlers」「日本操り班」「日本飼い慣らし班」である。ジョセフ・ナイとリチャード・アーミテージはジャパン・ハンドラーズの代表だった。知日派に育てられた日本人の多くはアメリカの手先であり、買弁(compradors)と言うべき存在である。そんな人物たちが与野党問わず永田町に生息し、霞が関でアメリカの利益になる政策を粛々と立案して遂行している。私たち日本人はそのことに気づくべきだ。
以下の記事は追悼記事であるが、中々厳しい内容だ。ジョセフ・ナイは「ソフトパワー(soft
power)」という概念を提唱した。ソフトパワーは、軍事力や経済力ではなく、自国の文化や価値観の魅力で、他国を魅了して、説得して協力させる力のことを言う。アメリカの文化、ポップカルチャー(音楽や映画など)や食文化(ハンバーガーとコーク)、価値観(自由や人権など)を世界の人々の多くが好むことで、アメリカの言うことを聞くということである。
しかし、現実世界は内の考えるようにはなっていない。アメリカ文化を好むからと言って、アメリカの言うことを聞くかと言えばそのようなことはない。2022年のウクライナ戦争以降の動きを見れば明らかだ。ナイの主張は、戦後の世界構造を補強するものであるが、構造が大きく変化する中で、彼の主張の説得力は大きく失われることになった。
ジョセフ・ナイが活躍した時代は冷戦期後半からポスト冷戦期、アメリカの一極支配時代だった。彼は、戦後の世界構造の正当性を信じ、その維持と補強を目指した。しかし、最晩年は彼の愛した世界が大きく変化する様子を目撃することになった。リチャード・アーミテージにも言えることだが、これは故人に対して言うべきではないだろうが、「ざまあみろ」ということになる。
(貼り付けはじめ)
ジョセフ・ナイはもはや存在しない世界のチャンピオンだった(Joseph Nye Was
the Champion of a World That No Longer Exists)
-「ソフトパワー」という言葉を生み出した卓越した学者は50年にわたるアメリカの外交政策を形作った。
スザンヌ・ノセール筆
2025年5月9日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2025/05/09/joseph-nye-death-us-foreign-policy-soft-power/
ハーヴァード大学でインタヴューを受けるジョセフ・ナイ(2018年10月15日)
著名な国際関係学者ジョセフ・ナイを悼むのは、胸が痛むと同時に、おそらく適切なことだろう。それは、アメリカのリーダーシップとリベラル国際主義を擁護するという彼の生涯にわたる活動が、ドナルド・トランプ米大統領の第二期政権で暗礁に乗り上げてしまったからだ。
「ソフトパワー(soft power)」という言葉を生み出したナイは、火曜日に88歳で亡くなった。彼の知的リーダーシップ、教育、政策指導、そして外交努力は、50年にわたるアメリカの外交政策を形作った。彼の思想はまた、アメリカの外交政策エスタブリッシュメント、すなわち、バラク・オバマ大統領の元顧問ベン・ローズがかつて「ブロブ(Blob)」と揶揄して呼んだ学者、シンクタンク、官僚、そして市民社会のリーダーたちの集合体を形成した。
ナイとその仲間たちは、アメリカがカードを賢く使えば達成できないことはほとんどないという考えを固く信じていた。つまり、堅固な同盟諸国を結集し、説得力のある議論を展開し、道徳的に優位な立場を維持し、ナイが時折「三次元チェス(three-dimensional chess)」のゲームと表現したゲームで敵を側面から攻撃するという考えだった。
第2次トランプ政権の初期の数ヶ月は、数十年にわたる衰退の時代を締めくくるものとして、ナイが体現したアメリカ主導の戦後秩序の終焉を告げるものだった。ナイの知的後継者たちは今、彼と同じように、陳腐な理論を捨て去り、新たな世界秩序と、その中でアメリカをどう位置づけるべきかについて、現実的でありながらも想像力豊かな理解を呼び起こさなければならない。
1937年、ニュージャージー州の小さな農村に生まれたナイは、プリンストン大学で学び、その後、ハーヴァード大学で博士号を取得し、教授職に就いた。1977年に政治学者ロバート・O・コヘインと共著した著書『パワーと相互依存:変遷する世界政治(Power and
Interdependence: World Politics in Transition)』は、瞬く間に古典となった。ヘンリー・キッシンジャー時代の支配的なリアリズムに対する一撃として、この本は、ヴェトナム戦争と1973年の石油禁輸におけるアメリカの経験を引き合いに出し、地球規模の相互連結性(global interconnectedness)は、単なる経済力や軍事力だけでは解決できない一連の課題をもたらし、協力と共同の制度構築を要求すると主張した。
後のグローバライゼーションの概念を予見させる初期の著作は、国際的な力関係の層を明らかにし、地政学に大きな影響を与える、ほとんど注目されていない力を暴き出すという、ナイの生涯にわたる傾向を明らかにした。
ナイが、明白な視界に隠れた力関係にスポットライトを当て、分析し、分類する才能は、1990年に『フォーリン・ポリシー』誌に寄稿した論文で「ソフトパワー(soft power)」という概念を提示した際に、鮮やかに示された。この用語は、経済的な強制や軍事力ではなく、模範となる力(the power of example)、文化的影響力(cultural sway)、そして道徳的説得力(moral suasion)を通して、各国が互いの好みや行動を形作る能力を指していた。
ナイは、1990年の著書『不滅の大国アメリカ(Bound to Lead: The Changing
Nature of American Power)』でこの概念をさらに発展させ、アメリカ合衆国は、その起源、憲法上の価値観、そして技術革新と芸術的革新への傾倒によって、他国の台頭に伴う相対的な衰退を食い止めるなど、目に見えない力の源泉を活用する独自の立場にあると主張した。(個人的なメモ:私は、2004年の記事で「スマートパワー(smart power)」と名付けた、彼のアイデアをベースにした私の独自の解釈をナイが寛大に広めてくれたことに感謝している。その記事では、ナイのソフトパワーの概念とハードパワーの概念を統合し、2つを協調して使うべきだと主張した。)
ナイはその後、核安全保障や外交政策における倫理などをテーマに20冊近くの著書を執筆・編集し、『パワー・ゲーム(The Power Game)』という小説も執筆した。彼の思想は海と国境を越え、ヨーロッパ連合(EU)、中国、ロシアなどは、文化外交(cultural diplomacy)、伝統的価値観の重視(an emphasis on traditional values)、そして自国の言語と文化を海外に浸透させるための投資(investments in seeding their languages and cultures abroad)を通じて、ソフトパワーを発揮してきた。
しかし、何よりもナイの一連の著作がアメリカの外交政策立案者たちを価値観重視の制度主義者(values-oriented institutionalists)へと育て上げたのは明らかだ。外交楽観主義者(Diplo-optimists)である彼らは、対話と協力の必要性(the
imperatives of dialogue and cooperation)を固く信じていた。彼らは、開発援助(development aid,)、民主政治体制支援(democracy
assistance)、防衛保証(defense guarantees)、武器(weapons)、そして有利な貿易条件(favorable trade terms)といった形で示される国家の寛大さが、計り知れない善意を返してくれると信じていた。こうした国際関係の学者や実務家たちは、多国間機関、条約、同盟、そして政府が資金提供する平和・開発・メディア組織の集合体を含む、アメリカの力のツールキットについて訓練を受けていた。
ナイ自身は、制度の役割を理論的に擁護するだけでなく、自らのアイデアを行動に移す手腕を備えた実践的な構築者でもあった。カリスマ性と洗練性を兼ね備えたナイは、魅力的な物腰、輝く瞳、そして政策に対する揺るぎない情熱で、同僚たちや外国の専門家たちをも魅了した。カーター政権とクリントン政権下では、国際安全保障担当国防次官補や国家情報会議議長など、国家安全保障分野の要職を歴任した。1995年には、東アジアにおけるアメリカの関与の重要性に関する画期的な報告書を執筆し、約30年後のバイデン政権下で実現することになるいわゆる「アジアへのピボット(pivot to Asia)」を予見した。
左:ナイ(左)、ハーヴァード大学学長(当時)ローレンス・サマーズ、ビル・クリントン元大統領。2001年11月19日のマサチューセッツ州ケンブリッジでのハーヴァード大学の学生を前にしたクリントンの演説会にて。右:ハーヴァード大学ジョン・F・ケネディ記念行政大学院院長(当時)のナイ、マサチューセッツ州知事ミット・ロムニー(左)、アイダホ州知事ダーク・ケンプソーン。2003年5月29日、ケンブリッジにて。
ナイはまた、ハーヴァード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院の強化にも尽力し、1995年から2004年まで大学院の院長を務めた。近年では、アスペン戦略グループ(Aspen Strategy Group)を率い、生涯をかけて、他者が混沌としか見ていないところに秩序、意味、そして方向性を見出す探求を続け、その過程で著名人を集めた。
ナイは、アメリカの力の将来性について、尽きることのない希望を抱いていた(彼の著書の多くには「力(power)」という言葉がタイトルに含まれている)。しかし、晩年には、アメリカが衰退期にあるのではないかという問題に真剣に取り組んだ。2024年に出版された回顧録『アメリカ世紀に生きた人生(A Life in the American Century)』では、アメリカの優位性は、今後数十年は続くかもしれないが、彼の生きた時代とは異なる様相を呈するだろうと結論づけている。ナイは先見の明を持って、アメリカの将来に対する懸念の多くは中国に集中しているものの、自身の「より大きな懸念(greater concern)」はアメリカのソフトパワーを損なう可能性のある「国内の変化(domestic change)」だと指摘した。「たとえ対外的な力が依然として優勢であったとしても、アメリカは内なる美徳と他国にとっての魅力を失う可能性がある」とナイは指摘した。
過去8年間、ナイが構築に尽力した信念体系の基盤(the foundations of
the belief system)は、修復不可能なほどに蝕まれてきた。トランプ政権は、アメリカの力の誇大で気まぐれ、そして時に冷酷な側面を世界に示した。謙虚になったバイデン政権は、アメリカが「戻ってきた(back)」と宣言したものの、ナイが予測したように、国際情勢はますます分散化(diffuse)と対立(contested)を深めており、新たな謙虚さへの関与と、説得力のある力を発揮する能力との両立に苦慮することになった。
トランプ政権2期目の最初の数ヶ月は、ナイが築き上げてきたソフトパワーへの関与を、ワシントンが驚くべき形で放棄する結果となった。現トランプ政権は、米国国際開発庁(U.S. Agency for International Development、USAID)を解体し、人道支援・人権活動に従事する市民社会団体への資金提供を削減し、ヴォイス・オブ・アメリカをトランプ支持のワン・アメリカ・ニュース・ネットワークの代弁者として作り変え、移民と外国人ヴィザを制限し、アメリカの大学と研究機関を攻撃した。そしてワシントンの世界的な外交的影響力を縮小した。
一方、トランプ大統領の大西洋同盟への無関心、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領への甘言、カナダ、パナマ、グリーンランドへの脅威、そして反動的な関税政策は、戦後のアメリカのアイデンティティの基盤に亀裂を生じさせている。
ナイはこうした崩壊を目の当たりにした。死のわずか1週間前、CNNのジム・シュートとのインタヴューで次のように語った。「トランプ大統領はソフトパワーを理解していないようだ。権力をムチとアメとハチミツと考えると、彼はハチミツを省いている。しかし、もしこの3つが互いに補強し合うことができれば、はるかに多くのことを成し遂げられる。ハチミツの魅力があれば、アメとムチを節約することもできる。だから、USAIDの人道支援のようなものを中止したり、ヴォイス・オブ・アメリカの声を封じ込めたりすると、権力の主要な手段の1つを失ってしまうのだ」。
アメリカのパワー行使に関するナイの主張は、政策の世界に身を置く私たち世代に根付いているが、現在の国家安全保障担当指導者たちには理解されていない。また、トランプ大統領が長年にわたりアメリカのパワーの象徴として機能してきた手段をほとんど無視して破壊するのを目の当たりにしてきた連邦議会の大多数や国民にとっても、ナイの主張はさほど重要ではないようだ。
ナイ(右)がリチャード・アーミテージ元国務副長官と米連邦下院監視・政府改革委員会の911後の戦略について公聴会で証言している(2007年11月6日、ワシントンにて)
ナイは戦後に育った人だった。日本が真珠湾を攻撃した時、彼はまだ5歳だった。そして、1946年、連合軍の勝利を祝うため1万3000人の兵士がニューヨークの五番街をパレードした時、彼は9歳になる1週間前だった。ナイは、自由を守るために立ち上がり、世界を圧制から救い、自国を地球規模の地位へと押し上げるアメリカの若い世代の姿を見ながら育った。ソ連が理想化されたアメリカ合衆国の引き立て役となり、核による壊滅の恐怖が迫る冷戦の時代に、彼は成人した。栄光(glory)、犠牲(sacrifice)、仲間意識(camaraderie)、恐怖(fear)、そして決意(resolve)といった感情的な力が、ナイが見て、説明し、形作った世界を形作っていた。
こうした象徴的な闘争の記憶が薄れていく中、911事件はアメリカに新たな目的意識を与えたが、同時に終焉の始まりを告げる反射的な行き過ぎをも促した。アフガニスタンとイラクにおける長期にわたる戦争は、侵略の当初の論理や目的をはるかに超えた幻想、インセンティヴ、そして惰性によって煽られた。
この時点で、アメリカで台頭している層は、アメリカの外交政策における大きな勝利を思い出すことができない。ナイが不可避と認識したグローバライゼーションは、アメリカの労働者と地域社会に多大な犠牲を強い、前例のない所得格差を加速させた。安価な商品や相対的な平和と繁栄といったグローバライゼーションの恩恵は、アメリカ人にとってますます当然のものとなっていった。ナイとコヘインが提唱した相互依存(interdependence)の概念は、連帯と運命共同体というヴィジョンから、脱出すべきゼロサムゲーム的な葛藤へと変貌を遂げた。トランプのアメリカはティームプレーヤーではない。長年の同盟諸国をパートナーや友人ではなく、障害、あるいはせいぜい共犯者とみなしている。
今、ナイの知的後継者たちは、ナイが見ていた世界を超えて、ほとんど見違えるほど変貌したアメリカ合衆国を導くという課題に直面している。いつになるかは予測できなかったものの、ナイは自身のキャリアを特徴づけてきたアメリカの世紀が終焉を迎えることを予見していた。ナイは、アメリカに対する潔白さや魅力が失われることはあっても、それがこれほど早く訪れるとは予想していなかった。
ナイの概念では、アメリカのアイデンティティとリベラルな精神は分かちがたく絡み合っていた。この融合により、外交政策に携わる私たち全員が、愛する国と私たちが抱く価値観を、あたかもそれらが一体であるかのように主張することができた。我が国は数え切れない裏切りと道徳の欠如を経験してきたが、私たちはアメリカが表す価値観を見失うことも、そのより良き本質への信念を捨てることもなかった。
トランプ政権下で、この国と、私たちが長きにわたり結び付けてきた一連の原則は、引き裂かれつつある。ナイの弟子たちは今、愛する国家と現政権が残しつつある大切な価値観との間の溝を、どのように切り抜け、そしていつの日か再び埋めていく方法を学ばなければならない。ナイの死を嘆くと同時に、彼が遺してくれた世界が消えゆくことをも悲しまなければならない。
※スザンヌ・ノセール:元政府職員・「ペン・アメリカ」元最高経営責任者。『勇気を持って発言しよう:すべての人の言論の自由を守る(Dare to Speak: Defending Free Speech for All)』の著者。Xアカウント:@SuzanneNossel
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『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』
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