古村治彦です。
2025年11月21日に『シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体』 (ビジネス社)を刊行します。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体
最新刊の刊行に連動して、最新刊で取り上げた記事を中心にお伝えしている。各記事の一番下に、いくつかの単語が「タグ」として表示されている。「新・軍産複合体」や新刊のタイトルである「シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体」を押すと、関連する記事が出てくる。活用いただければ幸いだ。
高市早苗首相の台湾をめぐる発言で日中関係は悪化している。日本政府としては、「高市首相の発言と、これまでの姿勢は別で、日本側に変更はない」という何とも苦しい言い訳をすることになる。高市首相が国会の場で早めに発言を撤回・修正していればここまでの深刻な状況にならずに済んだ。「高市首相から失言を引き出した野党が悪い」という、なんとも考えの足りない、思考力と知恵を持つようにお勧めしたい人たちの擁護論がむなしく響く。一般国民が言うならまだしも、政治のプロの世界やマスコミに出ている人たちもそのようなことを述べているというのは滑稽さを通り越して、日本の将来への不安が増大するばかりである。
世界屈指の大都市ニューヨーク市長にゾーラン・マムダニが当選した。マムダニがアンドリュー・クオモ元ニューヨーク州知事(2011-2021年)・住宅都市開発長官(ビル・クリントン第二期政権)を民主党予備選挙で破った時点で、マムダニについてはこのブログでご紹介した。本選挙で再び、アンドリュー・クオモと戦うことになり、勝利した。
※古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ
2025年7月15日付記事「ニューヨーク市長選挙の民主党候補者予備選挙でゾーラン・マムダニが勝利した」
https://suinikki.blog.jp/archives/89819926.html
マムダニ当選に驚く人々はアメリカ政治についてあまり知識がない人たちなのだろうと思う。一般の日本人ならそれは当然であるが、論壇で驚いたと言っているような人は、論壇から退いた方が良い。アメリカでは2010年代から、民主党左派に分類される民主社会主義勢力が伸長している。生活の苦しさ、アメリカの衰退は資本主義に対する疑念を人々の間に引き起こしている。特に若者たちの間では資本主義への疑念と社会主義への支持が拡大している。以下の記事をお読みいただきたい。
(貼り付けはじめ)
資本主義と大企業に肯定的なアメリカ人が減っている…最新の意識調査で明らかに
Bryan Metzger[原文](翻訳:Ito Yasuko、編集:井上俊彦)
Business Insider Japan
Sep 19, 2025, 7:30 AM
https://www.businessinsider.jp/article/2509-big-business-capitalism-15-year-low-popularity-americans/
・アメリカで大企業を肯定的に見ている人は37%しかいない。
・アメリカでは、資本主義や大企業を好意的に見る人が、ますます少なくなっている。
資本主義を好意的に見ている人は54%だ。過半数ではあるが、それでも4年前に比べると大幅に減少している。
・18歳から34歳に限れば、資本主義を肯定的に見ている人は43%しかいない。
アメリカ人はますます、大企業と資本主義への嫌悪感を増しつつある。だが、社会主義へと傾いているというわけでもない。
ギャラップ(Gallup)による最新の世論調査によると、大企業を肯定的に評価しているアメリカ人はわずか37%で、2021年の46%から大きく減少した。
2019年には、52%の人が大企業を肯定的に見ていた。10年足らずで驚くべき転換と言えるだろう。
この調査では、資本主義を肯定的に評価している人は54%で、2021年から6ポイント減となっていることも分かった。ギャラップが2010年にこの質問を始めて以来、最低だ。
同時に、アメリカ人は資本主義の別の側面を、依然として肯定的に捉えている。81%が自由企業体制を、95%が中小企業を肯定的に見ている。
資本主義に対する否定的な見方は、特に18歳から34歳の若年層で顕著で、肯定的は43%で54%が否定的だ。
実際、若年層の49%が社会主義を肯定的に見ており、否定的なのは46%だ。
この結果は、民主社会主義者の州議会議員、ゾーラン・マムダニ(Zohran
Mamdani)が若者の支持を得てニューヨーク市長選挙の民主党予備選で勝利したことの説明になるかもしれない。
また、バーモント州選出の上院議員、バーニー・サンダース(Bernie Sanders)や、ニューヨーク州選出の下院議員、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス(Alexandria Ocasio-Cortez)といった資本主義に批判的な政治家が2016年以来、アメリカの政界で頭角を現している。
とはいえ、社会主義の一般大衆の支持率は概ね横ばいの状態が続いている。今年、肯定的に見ていると述べたアメリカ人は39%だったが、2021年は38%だ。一方、今年、社会主義を否定的に見ているをしたのは57%だった。
社会主義と資本主義の見方には、党派間でも大きな違いがある。
共和党では、74%が資本主義を肯定的に評価している一方、社会主義を肯定的に見ているのはわずか14%。民主党では、資本主義を肯定的に評価しているのは42%、66%が社会主義を肯定的に見ている。
この調査は、アメリカの成人1094人を対象に、8月1日~5日に実施された。誤差の範囲は4ポイントだ。
(貼り付け終わり)
アメリカには社会主義の伝統が存在する。その代表的な人物がユージン・デブスだ。以下の論稿はデブスについて紹介している。そして、社会主義とはアメリカの理想の実現だということを述べている。民主政治体制は識字率の上昇によって発展していくが、高学歴化が進むにつれて、格差を求める声が強くなり、民主政治体制が揺らいでしまう。現在のアメリカはアメリカの理想からほど遠い。資本主義は格差を助長する。更には社会階層、階級を固定し、社会流動性を弱める。アメリカの若者たちはこれに加えて、アメリカの国力の低下にも直面している。社会主義は彼らにとって望ましいものとなりつつある。
(貼り付けはじめ)
ゾーラン・マムダニはアメリカの社会主義の伝統をどう活用するか(How Mamdani
Taps Into an American Socialist Tradition)
-この運動の創始者たちはカール・マルクスよりもトマス・ペインとエイブラハム・リンカーンの言葉を多く引用した。
ジュリアン・E・ゼリザー筆
2025年11月17日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2025/11/17/mamdani-eugene-debs-american-socialist-tradition/?tpcc=recirc_latest062921
オハイオ州カントンで反戦演説を行うユージン・デブス(1918年)
11月4日の勝利演説で、ニューヨーク市長に選出されたゾーラン・マムダニは大統領選挙に5回出馬したある人物の言葉を引用した。ブルックリンに集まった熱狂的な支持者たちにマムダニは次のように語りかけた。「今夜、私たちの街の太陽は沈んだかもしれない。しかし、ユージン・デブスがかつて言ったように、『私には人類にとってより良い日の夜明けが見える(I can see the dawn of a better day for humanity)』の心境だ」。
出席者の多くはデブスが誰なのか分からなかったかもしれないが、この言及は完全に理にかなったものだ。結局のところ、デブスはアメリカ社会主義の歴史において変革をもたらした人物だった。多くの評論家たちは社会主義をアメリカという国土に馴染みのない、つまり外国から輸入されたものとして扱うが、アメリカには長きにわたる社会主義の伝統があり、それは政府のヴィジョンと、働くアメリカ人の擁護、そして個人主義、自由、そして市民共和主義(civic republicanism)といった価値観の尊重を融合させてきた。
そして、アメリカ政治における社会主義の歴史を考えると、マムダニの権力掌握は、一部の人が考えるほど驚くべきことではない。
デブスはアメリカ生まれの人物だ。インディアナ州テレホートに移民の息子として生まれ、公立高校を中退して鉄道員の職を得た。しかし、彼の真の情熱は、働くアメリカ人を組織することだった。1875年、彼は「機関車機関士同胞団(the Brotherhood of Locomotive Firemen)」に入団し、2年後の1877年の鉄道ストライキ後に「ストライキは、正義を求める平和的努力が失敗し、絶望に追い込まれた人々が頼る最後の手段である(Strikes are the last means which are resorted to by men driven to
desperation after peaceful efforts to obtain justice have failed)」という劇的な演説を行って全国的な注目を集めた。
機関車機関士同胞団での地位向上に伴い、デブスは地方政治にも積極的に参加するようになり、最初は市政、そして、1884年に有権者たちに選出されてインディアナ州議会議員に選出されると、州全体の政治にも積極的に関わるようになった。
デブスは常に、労働者階級のアメリカ人の経済的・身体的安全、そして市民としての権利を重視していた。既存の労働組合が特定の職種を中心に組織されていた時代にキャリアをスタートさせたデブスは、企業が国家を席巻し始めた時代に、産業別に労働者を組織する必要性を信じていた新しい世代に属していた。1893年、彼は機関車機関士同胞団を離れ、シカゴで「アメリカ鉄道組合(the American Railway Union)」を設立した。この産業モデルのもとで、鉄道で働く人なら誰でも加入できた。組合は1894年の夏、グレイト・ノーザン鉄道に対して18日間のストライキを成功させた。
アメリカ鉄道労働組合がプルマン社に対するストライキを組織し、労働組合の承認を要求した後、デブスはプルマンの車両を牽引する列車に対する全国的なボイコットに参加した。このボイコットは鉄道業界全体に深刻な混乱をもたらしたが、グローヴァー・クリーブランド大統領が差し止め命令を獲得し、連邦軍を派遣してストライキを鎮圧した。デブスが裁判所命令に従うことを拒否したため、デブスは逮捕され、法廷侮辱罪で6カ月間投獄された。収監中、デブスは社会主義に関する書籍を広く読んだ。1897年、民主党のウィリアム・ジェニングス・ブライアン大統領選挙運動に携わった翌年、デブスは支持対象を変更し、1901年に「アメリカ社会党(the Socialist Party of America)」の設立を支援した。また、1905年には「世界産業労働者組合(the Industrial Workers of the World、IWW)」創設に関わった労働運動指導者の1人でもあった。
アメリカには「労働者党(the Workingmen’s Party)」や「社会主義労働党(the Socialist Labor Party)」といった社会主義組織が以前から存在していたが、デブスのような運動を全国的に注目させる人物はいなかった。デブスは演説台の上で拳を振り上げ、身を乗り出して熱意を込めて語るカリスマ性で知られていた。1904年には「民主社会主義党(the Socialist Democratic Party)」の大統領候補として出馬し、40万票を獲得した。(彼は1900年に初めて立候補し、9万票以下しか獲得できなかった。)その後、彼はさらに3回立候補することになる。1912年、共和党のウィリアム・ハワード・タフト大統領、民主党のウッドロウ・ウィルソン、進歩党のセオドア・ルーズベルトと対峙したデブスは、90万票以上、約6%の得票を獲得した。彼はある演説で次のように語った。「私は理論家であり夢想家かもしれないが、私は壁に書かれた文字を見ることができると思い。世界は不満の波に覆われており、変化が差し迫っている」と語った。
デブスが実践した社会主義は、ヨーロッパで台頭しつつあった社会主義とは異なっていた。彼は、働くアメリカ人を保護することに尽力しつつも、個人の市民権における権利と義務を強調する共和主義的価値観に確固として根差した、強固な政府を構想した。歴史家ニック・サルヴァトーレがデブスの古典的伝記で指摘したように、デブスは社会主義を伝統的なアメリカの理想の否定ではなく、その実現と見なしていた。彼の信念は共和主義(republicanism)、福音主義プロテスタンティズム(evangelical
Protestantism)、機会均等の原則(the principle of equality of
opportunity)に由来していた。デブスの急進主義(radicalism)は、カール・マルクスよりもトマス・ペインやエイブラハム・リンカーンの思想に共鳴していた。サルヴァトーレは「デブスは共和主義の伝統を真摯に受け止め、市民権の概念に内在する個人の尊厳と力を強調した」と記している。デブスの核心的な課題の多く——労働者の失業保険と老齢保険(unemployment and old age insurance for workers)、公民権と女性参政権(civil rights and women’s suffrage)、無償教育(free
education)、公益事業の集団所有または強力な規制(collective ownership or
stronger regulation of utilities)——は、20世紀のリベラルの間で広く支持を得るようになる。彼の究極の目標は、労働者の権利を尊重し保護する民主的な形態の企業資本主義(a democratic form of corporate capitalism that respected and
protected the rights of workers)であった。
キリスト教は一貫してデブスの公共の利益に対する理解を形成した。「社会主義とは何か?」デブスはニュージャージー州の聴衆に問いかけた。そして、「単なるキリスト教の実践に過ぎない。それは人間の平等を認めるものだ」と述べた。1912年の選挙集会で、デブスは星条旗の前で演説した。その両側には赤い横断幕が掲げられ、一方には「社会主義、世界の希望(Socialism, the Hope of the World)」と、もう一方には「私たちは多数、彼らは少数(We Are Many, They Are Few)」と書かれていた。
社会主義運動内部には緊張関係があり、特に女性参政権と人種的正義(racial
justice)にどれだけの注意を払うべきかをめぐって緊張が高まっていました。デブスは人種別に隔離された(segregated)聴衆への演説を拒否することで、自らの立場を明確にしました。
しかし、デブスの思想、特に戦争への反対は、ウィルソン大統領にとって容認できなかった。第一次世界大戦中の第一次赤狩り(the first Red Scare)の際、司法長官A・ミッチェル・パーマーは戦時中の反対意見に対する強硬な弾圧を開始し、市民の自由を踏みにじり、国家権力を用いて言論の自由を抑圧した。パーマーは、オハイオ州カントンでデブスがウォール街の金融家たちが主導するヨーロッパ戦争を非難し、貧しいアメリカ人が戦わされていると非難する演説を行った後、デブスを標的にした。その後まもなく、政府は1917年のスパイ活動法(the Espionage Act of 1917)と1918年の治安維持法(the
Sedition Act of 1918)に基づきデブスを起訴した。1918年9月、デブスは有罪判決を受け、懲役10年の刑を宣告された。
彼は有罪判決を受けた際に反抗的に次のように宣言した。「何年も前、私は全ての生き物との繋がりを認識し、自分はこの世で最も卑しい者たちより少しも優れている訳ではないと考えている。その時も今も、私はこう言っている。下層階級が存在する限り、私はその中にいる。犯罪者が存在する限り、私はその中にいる。獄中の魂が存在する限り、私は自由ではない」。
アトランタの連邦刑務所の独房に収監されていたにもかかわらず、デブスは屈服しなかった。1920年、社会党は彼を大統領候補に指名した。これは彼にとって5度目の、そして最後の大統領選挙の選挙戦となった。獄中から出馬し、90万票以上を獲得した。1921年のクリスマス、ウォーレン・G・ハーディング大統領は彼の刑期を減刑し、釈放した。デブスは5年後、イリノイ州で亡くなった。
この時代に選挙で成功を収めた社会主義者はデブスだけではなかった。社会主義者は連邦下院にも議席を獲得した。その中には、デブスに影響を与えたミルウォーキー出身のヴィクター・バーガーもおり、バーガーは1910年に連邦下院議員に当選した。ニューヨーク出身の社会主義者で、国際婦人服労働組合の元弁護士であるマイヤー・ロンドンは、1915年から2期(非連続)、連邦下院議員を務めた。
多くの社会主義者が地方自治体レヴェルで成功を収め、公共料金や公共サーヴィスといった現実的な問題に集団の利益という理念を効果的に結び付けた。
第一次世界大戦中の弾圧とロシア革命後の分裂の結果、1920年代には社会主義は政治勢力として弱体化した。デブスの死は、彼の指導の下で大きく成長した運動をより衰退させることになった。
1930年代の大恐慌期、経済崩壊によって労働者が指導力と救済を切望する中で、社会主義は再び勢いを取り戻した。オハイオ州出身の長老派教会の牧師ノーマン・トーマスは、社会主義の灯を守る存在として台頭した。1932年の大統領選挙では、彼は90万票近くの票を獲得した。社会主義者は共産主義者と同様に、公民権運動の重要な同盟者でもあった。当時、アメリカの大部分はジム・クロウ法の南部の永続性(the permanence of the Jim Crow South)を受け入れていた。
しかし、1950年代の第二次赤狩り(the second Red Scare)の時代、フランクリン・D・ルーズヴェルト政権下で、この運動の思想の多くが主流政治に吸収されたにもかかわらず、アメリカの社会主義は再び周縁(the margins)へと退いてしまった。作家マイケル・ハリントンなどのアメリカの社会主義者たちは、影響力のある作品を組織し出版し続けた(1962年に発表されたハリントンの『もう一つのアメリカ』は、リンドン・B・ジョンソンの貧困との戦いに影響を与えたと言われている)が、彼らはリベラルな民主党員によって大部分無視され、周辺的な勢力(a peripheral force)にとどまった。
1980年代、ロナルド・レーガンが保守運動を権力の座に押し上げたことで、アメリカにおける社会主義はついに終焉を迎えたかに見えた。『ニューヨーク・タイムズ』紙によると、1984年後半、プリンストン大学で開催された会議に、歴史家たちがノーマン・トーマスの功績を称えるために集まった。出席者の中で、自分たちが記念すべき出来事の将来性に希望を抱いていた人はほとんどいなかったが、これは特にレーガンが民主党のウォルター・モンデールに圧勝した後だったからだ。出席者の多くは「アメリカ民主社会主義党(the Democratic Socialists of America)」の党員たちだった。
この会議で表明された懸念は杞憂に終わったが、社会主義が再び勢いを取り戻すまでには数十年を要した。ニューヨーク市長のデイヴィッド・ディンキンス(1990-1993年)のように、かつて民主社会主義者だった人物が権力を握った者もいたが、その数は依然として少なかった。
時が経つにつれ、経済格差の拡大と、中道へと傾いた民主党への不満(rising
economic inequality and frustration with a Democratic Party that shifted to the
center)が、新たな世代を運動に引き寄せた。2011年のウォール街占拠運動(Occupy Wall
Street in 2011)は、ニューヨークの街頭に抗議者たちが集結し、上位1%の権力に挑むという、重要な転換点となった。民主社会主義者を自認するヴァーモント州選出の無所属上院議員バーニー・サンダースは、民主社会主義党(DSA)のメンバーではなかったが、2016年と2020年の民主党候補指名選挙で、アレクサンドリア・オカシオ=コルテス連邦下院議員(民主党)やマムダニを含む新世代の活動家を鼓舞した。サンダースのメッセージは、国民健康保険や労働組合の権利強化といった、この伝統に基づく理念を前面に押し出したものだった。民主社会主義党の会員数は着実に増加し、2025年には8万人を超えた。イスラエル問題などをめぐって民主社会主義党内に亀裂が生じたものの、民主社会主義者は現在、主流派に返り咲いている。
リベラル派と中道派は民主党内、特に指導部において依然として強力な勢力を維持しているが、長年にわたり民主社会主義者との対話を続けてきた。両派閥間の駆け引きは党の政策課題を広げ、1990年代の新自由主義全盛期には議題から外れていた政策について真剣な議論を巻き起こしてきた。
デブスが20世紀初頭に築き上げた伝統は今もなお強く残っている。歴史家マイケル・カジンが主張するように、社会主義は依然として大きな魅力を放っている。「彼らの先人たちの多くと同様に、彼らははるかに平等な社会を夢見ているが、国民皆保険制度(Medicare for All)や再生可能エネルギーで動く経済(an economy
that would run on renewable sources of energy)といった現実的な目標のために闘っている」とカジンは指摘した。
ニューヨーク市長に選出されたマムダニは中道左派寄りかもしれないが、国内政治に関する彼の核となる考え方、すなわち政府の支援を通じて勤勉なアメリカ人の生活を手頃で安全なものにする必要(the need to make life affordable and secure for hardworking
Americans through government assistance)性は、アップルパイのようにアメリカ的である。マムダニの提案である「ユニバーサルチャイルドケア(universal child care)」などは他の民主党員よりも大胆かもしれないが、彼の主張は明らかに広く共感を呼んでいる。民主社会主義の思想(democratic socialist ideas)は20世紀初頭から主流政治に深く根付いており、彼のメッセージは幅広い支持を得るだろう。
※ジュリアン・E・ゼリザー:『』誌コラムニスト。プリンストン大学歴史学・公共問題教授。ニューズレター『ロング・ビュー』の著者で、このニューズレターはニュースを客観的に捉えるものである。Xアカウント:@julianzelizer
(貼り付け終わり)
(終わり)
シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『人類を不幸にした諸悪の根源 ローマ・カトリックと悪の帝国イギリス』

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』




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