古村治彦です。

 エプスタイン・ファイルで注目を集めているギレーヌ・マクスウェルの父親のロバート・マクスウェルについて、改めて学ぶ。伝記と伝記作家のジョン・プレストンのインタヴューを基にした記事をご紹介する。ロバート・マクスウェルは1991年に「ヨットからの転落事故」で亡くなった。マクスウェルは、イギリスだけでなく、アメリカでもいくつも新聞を所有していたこともあり、世界のメディア王と呼ばれていた。また、イギリス、イスラエル、旧ソ連のトリプルスパイだったという話もあり、死亡後には日本語で本が出ている。

 マクスウェルはチェコスロヴァキア出身のユダヤ人で極貧の中で生まれ育った。十代で、ナチスの侵攻によって故郷を追われ、イギリスに逃げることが出来た。彼の家族は全員がアウシュビッツで亡くなっている。イギリス軍で活躍し、その後は出版社経営をスタートさせて巨万の富を得て、新聞社をいくつも買収して、メディア帝国を築き上げた。同時期に活躍していたルパート・マードックとの争いは語り草になっている。また、政界進出を目指して、下院議員にもなったが、こちらの方はうまくいかなかった。熱心なイスラエル支援者、投資家で、死後はイェサレムにあるオリーヴ山に埋葬されている。その後、彼のメディア帝国は巨額の負債のために崩壊したが、娘ギレーヌのことがなければ、「冷戦期のスパイの大立者の都市伝説」の主人公として語られる人物だっただろう。

 ギレーヌが関係した二人の男性、父ロバート・マクスウェルと恋人ジェフリー・エプスタインは共に、イスラエルとの深い関係を持つユダヤ人で、謎に包まれた死を遂げた。マクスウェルは上流階級から拒絶されたが、エプスタインは卑劣な性的搾取を通じて、上流階級に浸透し、緊密なネットワークを形成した。そのことが暴露されつつある。全容が完全に明らかになることはないだろうが、様々な事実が出てくるだろう。エプスタイン・ファイルは西洋近代600年の築いてきた価値観や制度の陰の部分を象徴するものとなるだろう。光が明るければ明るいほど、陰は暗くなるという。エプスタイン・ファイルはまさに西洋近代の陰と言うことが出来るだろう。

(貼り付けはじめ)

粗末な丸太小屋から世界的なメディア王へ:ロバート・マクスウェルの台頭と転落(From wooden shack to global media magnate: The rise and fall of Robert Maxwell

-30年前の彼の死は未だ謎に包まれているが、イギリス作家ジョン・プレストンの新著が、この英国の新聞社の帝王の驚くべき人生を解き明かす。

ロバート・フィルポット筆

2021年2月23日

『タイムズ・オブ・イスラエル』紙

https://www.timesofisrael.com/from-wooden-shack-to-global-media-magnate-the-rise-and-fall-of-robert-maxwell/

ロンドン発。1991年3月初旬、ロバート・マクスウェルの4階建てヨットがニューヨークに到着した時、彼は権力と影響力の頂点にいたように見えた。推定10億~20億ドルの資産を持つこのイギリス人出版王は、アメリカ最古のタブロイド紙である『ニューヨーク・デイリー・ニューズ』紙の買収を完了させ、世界のメディア市場で宿敵ルパート・マードックに並ぶという夢を実現するためにニューヨークを訪れていた。

その後数日間、数週間にわたり、自称「ボブ・ザ・マックス(Bob the Max)」は勝利の瞬間を存分に味わった。レディ・ギレーヌ号でニューヨークのセレブリティたちをもてなし、毎年恒例のグリディロン・ディナーでワシントンのエリート層と歓談し、湾岸戦争での勝利後、アメリカ軍の帰国を歓迎するティッカーテープ・パレードでコリン・パウエル将軍の隣に立った。

しかし、数ヶ月後、マクスウェルはミステリアスな状況でヨットのデッキから転落した。彼のメディア帝国は莫大な負債の重みであっという間に崩壊し、銀行家たちを寄せ付けまいと必死になって会社の年金基金から何百万ドルも横領していたことが発覚し、彼の評判は永遠に傷ついた。

イギリス人作家ジョン・プレストンによる明確で説得力のある新著『転落:ロバート・マクスウェルのミステリー』の主題であるマクスウェルの成功と転落の物語はシェイクスピアの悲劇を彷彿とさせる。

プレストンは『タイムズ・オブ・イスラエル』紙のインタヴューで、「20世紀において、マクスウェルほど自らのルーツから遠く離れた人物を思い浮かべることはほぼ不可能だ」と語っている。マクスウェルのルーツは、ルテニア(Ruthenia 訳者註:ウクライナ、ベラルーシ、ポーランド東部を含めた地域)地方(当時はチェコスロヴァキアの一部)のソロトヴィノという小さな町にあり、1923年6月、マクスウェルはそこでメーヘルとチャンカ・ホッホ夫妻の9人の子供の長男として生まれた。反ユダヤ主義が蔓延し、一家は極貧生活を送っていた。家は土間と裏手に汲み取り式トイレを備えた2部屋の丸太小屋で、冬には2人の子供が1足の靴を共有していた。

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「レディ・ギレーヌ」として知られた「ダンシング ヘア」(2020年1月)

●数々の嘘、半分の真実、誇張(Lies, half-truths and exaggeration

当時ヤン・ホッホとして知られていた彼は、スロヴァキアのブラティスラヴァにあるイェシヴァ(yeshiva、ユダヤ教神学校)で学んでいた。1939年3月、ナチス・ドイツがチェコスロヴァキアに侵攻し、ルテニアをハンガリーの同盟者たちに引き渡した。ホッホは自分の横鬢(sidelocks、サイドロック 訳者註:正統派ユダヤ人が伸ばしている髪の毛)を切り落とした。これはユダヤ教との象徴的な断絶であり、この断絶は40年以上も癒えることはなかった。そして3カ月後、ウクライナのソロトヴィノを去った。彼は母、父、祖父、3人の姉妹、そして弟に二度と会うことはなかった。兄弟姉妹は一人を除いて全員アウシュビッツで亡くなった。伝記を書いたプレストンは、彼の脱出と彼らの運命が、マクスウェルの生涯を永遠に苦しめたと考えている。

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『転落:ロバート・マクスウェルのミステリー(Fall: The Mystery of Robert Maxwell)』の著者ジョン・プレストン

マクスウェルの初期の人生の多くは謎に包まれている。放送キャスターのマイケル・パーキンソンは、ほぼ半世紀後、この出来事は「真実はしばしばフィクションよりもエキゾティックであるという理論を裏付けるものだ」と述べた。

実際のところ、伝記作家プレストンが詳述するように、このエキゾティックさは、マクスウェルの嘘、半分の真実、そして誇張を好む傾向に大きく起因していた。例えば、ソロトヴィノを去った後、この少年は反ナチス抵抗運動に参加したが、スパイ容疑で捕らえられ、死刑判決を受けた。マクスウェルは後に、裁判に出廷する途中、片腕の看守を制圧し「比較的容易に(relatively easily)」脱出できたと主張している。後に彼が語り直したある回想録では、橋の下に隠れていたところ、「あるジプシーの女性(a gypsy lady)」に助けられ、手錠を外してもらったと語っている。

「この物語は興味深いものだが、多くの疑問を抱かせる」とプレストンは書いている。「当時のハンガリーの刑務所がどれほど逼迫していたとしても、両腕を備えている看守を一人も集められなかったというのは奇妙に思える」。謎めいた「あるジプシーの女婿」は、マクスウェルの初期の記述にも登場しない。「なぜ彼はこれまで彼女のことを言及する価値があると考えなかったのだろうか? 単に忘れ去ってしまったのだろうか?」とプレストンは問いかける。あるいは、彼女は「マクスウェルの想像力のどこか色鮮やかな片隅から、こっそりと舞台に現れたのだろうか?」と疑問を投げかける。

プレストンは「マクスウェルは彼自身の神話(myth)を創造した。そして、彼が自身の神話を創造した理由の一つは、隠れるための一種の煙幕(smokescreen)だったのだ」と述べている。

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ジョン・プレストン著『転落:ロバート・マクスウェルのミステリー』

しかし、これはマクスウェルの真の戦時中の英雄的行為を損なうものではない。「片腕の看守」から逃れた後、彼はベオグラード、ベイルート、マルセイユを経由してイギリスにたどり着いた。Dデイ(ノルマンディー上陸作戦)の3週間後、彼はフランスに向けて出航し、初めての戦闘を経験した後、士官に昇進した。

ウィンストン・チャーチルの演説を聞いて完璧にマスターしたイギリス訛りを身につけ、レスリー・スミス伍長という典型的なイギリス人名を名乗っていたマクスウェルは、後に包囲された連合軍小隊を救出した功績で軍事十字章を授与された。勇敢さと残酷さは混在していた。ある時、彼はドイツの町の町長を冷酷にも射殺し、抵抗を封じ込めた。またある時、彼は既に降伏していたドイツ兵にサブマシンガンを向けた。

それでもなお、プレストンが「生まれながらの策略の才能(natural flair for subterfuge)」と呼ぶマクスウェルの才能23歳までに4回も名前を変えていたは、上司から高く評価されていたことは明らかだった。フランス語、ドイツ語、英語、チェコ語、ルーマニア語、イディッシュ語に堪能な彼は、1944年10月、共産主義蜂起の脅威に関する情報を収集するためパリに派遣された。終戦後、彼はドイツに派遣され、廃墟となったベルリンで英情報部のためにスパイ活動を行った。また、チェコスロヴァキアへの潜入捜査も開始し、これは1940年代から1950年代にかけて続いた。

●メディア帝国の建設(Constructing a media empire

ベルリンと英諜報機関との関係は、後にマクスウェルがメディア帝国を築き上げた二つの基盤を証明することになる。占領下のイギリス軍のために働く中で、マクスウェルはシュプリンガー出版社のオーナーだったフェルディナント・シュプリンガーと出会った。世界最大の科学書籍・学術雑誌出版社であったシュプリンガー出版社は、膨大な量の資料を抱え、戦時中入手できなかった世界中の学者を熱心な読者として抱えていた。

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イギリスの新聞王ロバート・マクスウェルの写真(日付不明)

シュプリンガーにとっての問題―ドイツ国民は海外への大量輸送を禁じられていた―は、マクスウェルにとっては好機だった。膨大な資料の世界的な流通権を確保した24歳のマクスウェルは、大規模な鉄道とトラックを使ってロンドンへ輸送する手配をした。この大規模な物流作戦の資金の大部分は、英諜報機関から提供されたようだ。マクスウェルの死後、ある元諜報員が回想したところによると、MI6が誰かのために事業を買収したのはこれが唯一のケースだったという。これは、マクスウェルの諜報機関とのつながりが利用価値があり、かつ有益であることが証明された最後の機会ではなかった。

1950年代を通して、マクスウェルの事業ネットワークとその旗艦であるペルガモン・プレス(Pergamon Press)は繁栄し、成長を遂げた。

プレストンは「多くの点で、マクスウェルは優れたビジネスマンだった。彼は1950年代に世界最大かつ最も成功した科学雑誌の出版人となりましたが、それは偶然ではなかった」と述べている。

しかし、プレストンが「卑劣で汚い(low and dirty)」戦い方をする傾向と表現するマクスウェルの性癖はすでに明らかだった。例えば1955年、彼が主要事業の一つの資産を剥奪していたことが発覚した。つまり、彼がその事業のために借り入れた融資を、彼の新興帝国の他の事業を強化するために流用していた。これに怒った債権者たちは、英国破産庁に連絡した。これが、マクスウェルが生涯にわたってイギリスの国家体制への恐怖と憎悪、そして彼らが自分を狙っているという感覚を抱くきっかけとなった。

●政治的な役立たず(A political dud

とはいえ、1960年までにマクスウェルはオックスフォード郊外にあるイタリア風の邸宅、ヘディントン・ヒル・ホールに住み、1945年に結婚したフランス人プロテスタントの妻ベティも間もなく9人目の末っ子ギレーヌを出産することになる。マクスウェルはまた、政界進出の準備も進めており、友人たちに「私は首相になることを決めた(I’ve decided to become prime minister)」と高らかに宣言した。

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ヘディントン・ヒル・ホールの外観

しかし、1991年の出来事が示すように、マクスウェルにとって勝利と破滅(triumph and disaster)は常に隣り合わせだった。

マクスウェルの議会でのキャリア―1964年にバッキンガムの接戦区で労働党所属の下院議員に当選―は短命に終わり、輝かしいものもほとんどなかった。ウェストミンスター(イギリスの政治の中心)の社交的で伝統に縛られた世界は、自己アピールばかりで派手な一匹狼マクスウェルには不向きであり、メディアは彼の議会でのパフォーマンスを嘲笑した。1966年の労働党の圧勝で再選されたマクスウェルは、4年後に議席を失い、1974年に議席を取り戻そうとしたが失敗した。

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ロバート・マクスウェル(右)がアムステルダムで開催された世界経済フォーラムでヘンリー・キッシンジャー(中央)とオランダの政府関係者たちと歩いている(1989年4月11日)

●悲劇が何度も何度も襲う(Tragedy strikes again, and again

しかし、マクスウェルにとってさらに悲惨だったのは、より身近なところで起きた二つの悲劇だった。1957年、マクスウェル一家は3歳の娘を白血病で亡くした。4年後、長男マイケルが交通事故で重傷を負い、昏睡状態に陥り、1968年初頭に亡くなった。伝記作家のプレストンが「家族の上に垂れ込め、決して消えることのない恐ろしい暗雲」と表現するこの事故により、マクスウェルは妻や生き残った子供たちとの間に感情的な距離を置くようになった。ギレーヌは3歳になったばかりで、「ママ、私はここにいるの」と母親に告げざるを得ない、そんな状況になった。

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故ロバート・マクスウェルの娘ギレーヌ・マクスウェルがサンタ・クルス・デ・テネリフェ島に停泊中のクルーズ船「レディ・ギレーヌ」上でスペイン当局に対し家族からの感謝を表明するスペイン語の声明文を読み上げている(1991年11月7日)

マクスウェル自身は娘を甘やかし、明らかにお気に入りとして扱うようになったが、妻や他の子供たちは、彼の激しい怒りの矛先を次第に感じ、軽蔑や非難を浴びせるようになっていった。

196910月、マクスウェルはさらなる打撃を受けることになる。アメリカ最年少の億万長者ソール・スタインバーグとの有利な取引が大失敗に終わり、ペルガモン・プレスの取締役会からあっさりと解任されたのだ。マクスウェルは誰のせいにもできなかった。スタインバーグは、新しいビジネスパートナーであるマクスウェルが様々な粉飾会計処理によって利益を水増ししていたことを発見したのだ。

プレストンは、「再び、彼は自らの帝国の一部を別の部分で支えようとしていたのだ」と書いている。

そして、これが最後ではなかった。18カ月後、この失態に関する政府の報告書は、マクスウェルは「上場企業の適切な経営を任せられる人物」ではないと断言した。マクスウェルは、「いわゆるシティのエスタブリッシュメント(so-called City establishment)」による「魔女狩り(witch hunt)」の犠牲者だと反論したが、説得力があると考える人間はほとんどいなかった。

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当時世界一の大富豪だった笹川良一(右)の伝記を出版したペルガモン・プレス会長ロバート・マクスウェル(1980年10月29日)

マクスウェルは失脚したが、まだ終わってはいなかった。追放から5年も経たないうちに、マクスウェルはペルガモン・プレスの経営権を奪還した。

プレストンは「彼は驚くほど早く巻き返した」と語っている。しかし、彼の復帰は策略によって早まった。スタインバーグは、1969年の当初の取引において、マクスウェルがペルガモン・プレスの高収益な米子会社の経営権を維持していたことに気付いていなかった。マスコミが「跳ね回るチェコ人(the Bouncing Czech)」と渾名したマクスウェルは、その後、親会社から資金を事実上枯渇させ、最終的にスタインバーグを屈辱的で多額の費用を伴う撤退へと追い込んだ。

●ノー・マードック(No Murdoch

10年後、サッカークラブとヨーロッパ最大の印刷会社のオーナーとなったマクスウェルは、ついに過去15年間叶わなかった目標である全国紙の買収を達成した。努力が足りなかった訳ではない。1968年にはイギリス最大の日曜タブロイド紙『ニューズ・オブ・ザ・ワールド』紙、1969年には『ザ・サン』紙、そして1981年には『ザ・タイムズ』紙の買収を試みた。しかし、いずれの場合でもマードックを相手にして敗北した。

タブロイド紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドをめぐる争いは特に醜いものだった。ニューズ・オブ・ザ・ワールドの社説欄は「マクスウェル(旧姓ヤン・ルートヴィヒ・ホッホ)がこの新聞の経営権を握るのは得策ではない・・・これはイギリス人が運営するイギリスの新聞だ。このまま維持しよう」と宣言していた。プレストンが今回の本のためにインタヴューしたマードックはこう回想している。「エスタブリッシュメント側が彼を入れないだろうと感じていた(I could smell that the establishment would not let him in)」。

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1989年にアムステルダムで開催された国際経済会議でのロバート・マクスウェル

プレストンも、より広い意味で、マクスウェルがエスタブリッシュメントから軽蔑され、妨害されていると感じていたのは「純粋なパラノイア(purely paranoia)」ではなかったと同意する。

プレストンは次のように述べている。「反ユダヤ主義が蔓延しており、マクスウェルはユダヤ人であることを否定していたものの、誰もが彼がユダヤ人であることを知っていた。彼はアウトサイダーであり、傲慢な成り上がり者とみなされており、人々はそれを非常に嫌っていた」。

1984年、マクスウェルが『デイリー・ミラー』紙(当時、発行部数は『ザ・サン』紙に次ぐ2位)を買収したことが、マードックとの壮絶な闘いの始まりとなり、彼は次第にその闘いに囚われていった。

「かつては、世界で同じ空気を吸っているのは父とマードック氏だけだったような時代もあった」と、マクスウェルの息子イアンはプレストンに語った。

マクスウェルの新聞運営は悲惨なものだった。彼は紙面制作のあらゆる側面に介入し、買収後の最初の6カ月間で自分の写真が100回以上紙面に掲載されるようにした。彼がコストを削減し利益を増やした一方で、ミラー紙とその2つの系列紙は歴史上最も速いペースで読者を失った。

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ロンドンのミラー・グループ・ニューズ・ペーパーズ印刷工場で、名前の分からない印刷工がイギリスの全国紙デイリー・ミラーの第一刷をチェックしている(1991年11月5日)

●「M」の文字と共にあるマクスウェル(Maxwell with an ‘M’

同時に、マクスウェルの富、権力、そして誇大妄想は増大し続けた。ミラー・ビルの隣にある彼の豪邸は、彼が「マクスウェル・ハウス」と名付け、カーペットには「M」の文字が飾られていた。この邸宅は、ロンドンでわずか3軒しかない専用ヘリポートを持つ邸宅の1軒だった。

「狂気じみた自己顕示欲(crazed self-aggrandizement)という点では、マクスウェルは[元アメリカ大統領ドナルド・]トランプの先駆者と言えるだろう」とプレストンは語っている。 1988年に行われたマクスウェルの65歳の誕生日パーティーでは、ロスチャイルド銀行の専務取締役から「10年間で最高のパーティー」と称賛され、3000人のゲストが出席した。ロナルド・レーガンとマーガレット・サッチャーからの祝電が送られ、花火が打ち上げられ、「ハッピー・バースデー・ボブ」という言葉がオックスフォードのスカイラインを照らした。

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妻と共にモロッコのタンジールにあるマンドゥーブ宮殿でマルコム・フォーブスと共にいる、モロッコの伝統衣装を身にまとっている新聞王ロバート・マクスウェル(1989年8月20日土曜日)

プレストンは、マクスウェルは「畏敬の念、恐怖、嘲笑が絶えず入り混じった、人々を魅了する人物」となっていたと書いている。

当時、チャールズ王太子は当時のデイリー・ミラー紙編集長に、「実に非凡な人物だ。彼の仕事ぶりはどうだ? 彼は一体どうやって金を儲けているのか?」と質問した。実際、マクスウェルの下で働くのは恐ろしいことだった。彼は執拗に部下をいじめ、辱め、ある土曜日の午前4時に「首席補佐官」という滑稽な肩書きを持つ人物に電話をかけて時間を尋ね、不信感と対立の文化を植え付けた。彼は部下を執拗に追い回し、不忠の証拠を探すために何時間も一人で録音を聞き、さらには尾行までさせた。

イアン・マクスウェルは、ある時、些細な失敗を理由に父親に解雇された時のことを思い出し、その時の感情について、「ありがたい、やっと狂った場所から脱出できる」と思ったと述べている。3カ月後、マクスウェルは息子を以前の半分のサラリーで再雇用した。

●再発見されたルーツ(Rediscovered roots

しかし、富と成功を重ねても、マクスウェルの旺盛な欲望は満たされなかったようだ。不幸の源の一つは40年間ユダヤ教を否定し続けてきたことへの罪悪感だった。

1984年、マクスウェルの友人で率直な実業家ジェラルド・ロンソンは、「どうして突然、あなたはユダヤ人じゃなくなったのか?」と質問した。その後まもなく、ロンソンはマクスウェルとベティをイスラエル訪問に同行するよう誘った。ロンソンのプライヴェートジェットがテルアヴィヴに近づくと、マクスウェルの頬を一瞥すると、彼の頬に涙が流れていた。「何年も前にここに来るべきだったのに(I should have come here years ago)」とマクスウェルは何度も繰り返した。

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産業担当大臣を辞任した直後の当時のアリエル・シャロン国会(クネセト)議員(右)はイェルサレムでイギリス人富豪ロバート・マクスウェル(左)と会談した(1990年2月20日火曜日)

マクスウェルのイスラエルへの新たな熱意は、翌日のイツハク・シャミル首相との会談で、ユダヤ国家であるイスラエルに「少なくとも2億5000万ドル」を投資したいという意向を表明するほどに高まったようだった。プレストンによると、マクスウェルは珍しく、この誓約を守ることを選んだという。

その後4年間、ミラー・グループの利益のおかげで、マクスウェルはイスラエルに数百万ドルを注ぎ込み、新聞社を買収し、ハイテク企業や製薬会社に投資した。そして、その過程でイスラエル経済における最大の個人の投資家となった。マクスウェルはまた、モサドに有益な情報を提供するようになった。ベティにとっても、この訪問は決定的な出来事となった。ホロコーストへの関心が芽生え、やがて彼女はホロコースト研究家として高く評価されるようになる。

「イスラエルはマクスウェルに、他の場所では決して得られなかった、ある種の感情的な帰郷の感覚を与えた」とプレストンは語っている。しかし、マクスウェルのユダヤ教への回帰は「非常に重要だった」とプレストンは述べている。しかし、大富豪の彼はますます過去に悩まされ、家族の運命に対する罪悪感に苛まれていった。

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イギリス・ロンドンにあるミラー・グループ・ニューズ・ペーパーズの本社前でケヴィン・マクスウェル(32歳、左)と兄のイアン・マクスウェル(35歳)が報道陣に対応している。兄弟の父ロバート・マクスウェルは海上において遺体で発見されていた(1991年11月5日火曜日)

ベティは回想録の中で、「ロバート(・マクスウェル)は、もし家にいたら両親と弟妹の命を救えたはずだと確信していた。人生で成し遂げたどんなことでも、家族を救うという、成し遂げられなかったことの代償にはならなかっただろう」と書いている。

マクスウェルの人生の終わり頃、イアンは父親の寝室に入り、父親がかがみ込んでアウシュビッツに到着するユダヤ人たちのドキュメンタリーニューズ映像を熱心に見ていたのを発見した。何をしているのかと質問されると、マクスウェルは「両親を見つけられるか探しているんだ」と答えた。プレストンは「これは本当に胸が締め付けられる話だ」と述べた。

「年齢を重ねるにつれて、過去の出来事が彼の足元をかすめ、彼の功績を嘲笑っているような感覚が湧いてくる」とプレストンは語った。

●財政的な破綻(Financial ruin

過去がマクスウェルに追いつきつつあったのと同様に、銀行家や監査人も彼に迫っていた。彼の財政的破綻への道は1988年に始まった。当時、マクスウェルはアメリカの出版社マクミランを26億ドルで買収したが、これはマクミランの取締役でさえ想定していた価値を約10億ドルも上回る金額だった。買収資金を調達するため、マクスウェルは44の異なる銀行や金融シンジケートから融資を受けた。アメリカでの知名度向上を目論んだ『ニューヨーク・デイリー・ニューズ』紙の買収も同様に誤った判断だった。ニューヨーク・デイリー・ニューズの財政状態は極めて深刻で、オーナーはマクスウェルに6000万ドルを支払って手放したほどだった。

このメディア王の一見常軌を逸した支出の原動力となったものは、ほとんど謎めいていない。プレストンは、「マクスウェルは必死になって、自分がマードックと同じリングに立つ存在であり、同等の実力者であることを証明したかったのだ。しかし、それがやがて、このような恐ろしい勢いを生み出してしまったのだ」と語っている。

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ロンドンのミラー・グループ・ニューズペーパーズのオフィス前にカメラクルーが集まり、ミラー紙の社員がデイリー・ミラーの発行人でオーナーのロバート・マクスウェルが海上で行方不明になったことを伝える声明を読み上げている(1991年11月5日)

マクスウェルはマードックを打ち負かし、尊敬を得たいと願っていたが、どちらも叶わなかった。「マクスウェルは相手のボクサーとリングに上がったと思っていたが、そうではなかった。実際は、同じくハイヒールを履いた柔術家とリングに上がったのだ」とマードックが経営するタイムズ紙の元編集者ハリー・エヴァンスは指摘する。マードックはプレストンに対し、マクスウェルを「詐欺師(crook)」で「全くの道化者(total buffoon)」としか考えていなかったと語った。

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出版王ロバート・マクスウェルの息子ケヴィン(左)とイアン・マクスウェルは1996年9月19日にロンドンの高等法院に出廷した。判事はケヴィン・マクスウェルに対し、この不名誉な大物実業家のメディア帝国崩壊に関連する容疑で二度目の裁判は行わないと判決を下した

マクスウェル自身、彼の家族、そして何よりも彼の従業員にとって、その代償は最終的に悲惨なものとなった。1980年代のバブル崩壊と金利の急騰の中、マクスウェルは負債を抱えた帝国を支え、下落する株価を支えるために、必死に数百万ドルを運用した。資産は売却され、1991年3月には彼の最高傑作であるペルガモン・プレスも売却された。そして、彼は会社の年金基金に段々と手を付けていった。

1991年秋、負債が10億ドルを超え、銀行から返済を迫られると、マクスウェルは心身ともに崩壊寸前の状態になった。不眠症、鬱病、そして体調不良に悩まされ、夜な夜なロンドンのカジノでギャンブルに明け暮れたり、家に閉じこもってジェームズ・ボンド映画を見ながら中華料理のテイクアウトをひたすら貪り食ったりしていた。

プレストンは次のように語っている。「マクスウェルのような大物ギャンブラーにとってさえ、そのストレスは計り知れないものだったに違いない。面目を失う恐怖は非常に強かっただろうし、もちろん、この頃には相談相手もいなかった。家族全員を遠ざけ、妻ともほとんど会話をしていなかった。彼は極めて孤独な男だった」。

●最後の転落(The final plunge

1991年11月1日、レディ・ギレーヌ号で出航した頃には、マクスウェルは窃盗と詐欺が発覚間近であることを悟っていた。年金基金の大きな穴が議題に上がっていたデイリー・ミラー紙の監査委員会と、彼の会社の支払い能力を厳しく追及するであろうイングランド銀行総裁との会合が、5日後に予定されていた。一方、事件の公開という脅しをしていたスイス銀行から「法律違反の疑い(suspected breaches of the law)」の通報を受け、ロンドン市警は出動を控えていた。

そして、マクスウェルに向かって突き進んでいた災難は、ほんの一瞬で収束した。ロンドンで処罰を受けるはずだったまさにその日の午前5時頃、彼はグラン・カナリア島を通過し、テネリフェ島へ向かう途中、ヨットの船尾から転落した。約12時間後、膨れ上がったマクスウェルの遺体はスペイン国家救助隊のヘリコプターによって発見された。

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カナリア諸島サンタクルス島のレディ・ギレーヌ号のデッキに立つ名前を発表していない乗組員たち。英国の実業家ロバート・マクスウェルが全長150フィートのヨットから転落した数日後のことだ(1991年11月7日)

マクスウェルは死亡してから5日後、オリーヴ山の墓地で自ら購入した一区画に埋葬された。ベティは後にこう記している。「英雄の送別式(send-off)であり、国葬(a state funeral)とも言うべきものだった」。シャミール、当時のイスラエル大統領ハイム・ヘルツォク、シモン・ペレスなどが参列した。「国王や男爵たちが彼の玄関口を囲んだ。彼はほとんど神話的な存在だった」とヘルツォク大統領は挨拶した。

しかし、こうした神話はあっという間に打ち砕かれた。死後数週間のうちに、彼の略奪行為の真相―彼の会社から7億6300万ポンドが横領され、その中には年金基金からの4億ポンド以上も含まれていた―が明らかになり、負債も露呈した。「世紀の詐欺師(the Crook of the Century)」という言葉がニューズウィーク誌の表紙に踊った。

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故ロバート・マクスウェルの遺体はイェルサレムのオリーヴ山にあるユダヤ人墓地に埋葬された(1991年11月10日)

これらの暴露は、マクスウェルの死が発表されて以来、メディアを賑わせていた疑問をめぐる憶測を一層煽った。彼は事故で転落したのか、突き落とされたのか、それとも飛び降りたのか? ベティの最初の反応は明白だった。「彼は絶対に自殺しない(He would never kill himself)」とグラン・カナリア島行きの飛行機に乗りながら彼女は断言した。30年経った今も、マードックはマクスウェルが自殺したと確信している。「彼は銀行が迫っていることを知っていて、自分が何をしたのか分かっていた。そして飛び降りたのだ」とマードックは語っている。

マクスウェルが殺害されたという説を否定する一方で(当然のことながら、その責任はモサドに向けられることが多い)、プレストンは、彼が滑って転落したのか、飛び降りたのかについては決定的な証拠がないと示唆する。プレストンは、ある一つの点が明確だという確信を持っている。

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故ロバート・マクスウェルのロンドンのアパートにあった家財道具(1992年1月20日撮影)。1992年2月14日にサザビーズでオークションにかけられた。バスローブから美術品まであらゆる品が出品された。

伝記作家のプレストンは「もし事故だったとしても、驚くほど幸運な事故だったと言えるだろう。彼は生きてイギリスに戻れば、警察、年金受給者、そして銀行家たちから銃殺隊3隊分の刑罰を受けることになると分かっていたのだから」と語った。

マクスウェルが家族と従業員に遺した経済的荒地(wasteland)もまた疑いようがない。4億600万ポンドの負債を抱えた息子のケヴィンは史上最大規模の破産者という不名誉なレッテルを貼られた(ケヴィンとイアンは後に複数の詐欺共謀罪に関して無罪となった)。彼の豪邸とヘディントン・ヒル・ホールの蔵書は競売にかけられた。そして「マクスウェルの年金受給者」の大半は、本来受け取るべき金額の半分しか受け取れなかった。

マクスウェルがデイリー・ミラー紙を買収した直後、デイリー・ミラーの編集者は精神科医である友人と新しいオーナーについて議論した。友人の精神科医は、「マクスウェルは最終的に帝国全体を崩壊させるだろう。何も残らないだろう。・・・ただ灰だけが残るだろう」と予言した。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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