古村治彦です。
「ストロングマン(Strongman)」と呼ばれるタイプの政治指導者が世界各国で生まれている。これは「強権的指導者」と訳すことができる。こうした指導者たちは、権力やカリスマ性、時には暴力を行使して、統治を行う。ストロングマンの中には、決断力や指導力に長けており、生活に不安や不満を持つ人々の支持を集めることができる。既存の政治に対する異議申し立て、ポピュリズムがストロングマンを生み出すことがある。アメリカのドナルド・トランプ大統領はその代表例ということになる。下記論考の著者スティーヴン・M・ウォルトは以下の通りに書いている。
「強権政治の魅力は、過去数十年にわたって主流派民主政体指導者たちが犯してきた様々な過ちに対する、ある意味当然の反応だった。アメリカは幾度となく愚かな戦争を戦い、敗北し、金融危機に見舞われたが、責任のある当事者を誰も追及せず、権力を新世代に譲ろうとしない高齢政治家たちに支配され続けた」。
現在、世界各地でストロングマン指導者たちが出現している。ストロングマン指導者の出現には2種類のタイプがあると考えられる。発展途上諸国で見れば、経済運営や社会運営にかけた有能な政治指導者たちが出現している傾向がある。人々の支持を背景にして、強権的な手腕で、効率的な経済政策を実施し、経済発展に導き、人々の生活を向上させ、改善することでさらに支持を得るという形になっている。西側先進諸国で見れば、人々の不平不満、不安をうまく煽り、救い上げ、自身の救世主のように見せることに長けた人物たちが祭り上げられる。残念なことだが、西我が先進諸国全体で衰退の流れは大きく、逆転させる方策はない。しかし、ストロングマン指導者(に見える人々)は自身が問題を解決し、人々の生活が改善しているということを宣伝し、熱狂的な支持者たちが支持をするという形になっている。日本の高市早苗首相は完全に先進国タイプのストロングマン指導者、力を持っている、有能だと見せかけることに長けている政治家である。
こうしたストロングマン指導者の出現には批判も大きい。それは、独裁的な政治手法が取られ、反対派に対する攻撃や弾圧が起きることがあるからだ。しかし、多くの場合、こうした政治指導者たちは人々の絶大な支持受けて誕生する。そして、既存の政治が解決できなかった諸問題を解決し、人々の不平不満に対処することで支持を拡大することになる。しかし、政治をはじめとする人間社会は振り子のように揺れ動く。ストロングマン指導者の下でもやはり様々な問題が発生する。そうした問題のために人々は不平不満を持ち、指導者たちを支持しなくなり、引きずり下ろす。こうして歴史は動いていく。「生者必滅会者定離」こそは人類の共通の真理となるだろう。
(貼り付けはじめ)
強権的指導者の時代はピークに達しつつある(The Strongman Era Has
Peaked)
-世界規模での権威主義的統治の時代はぜ終焉を迎えつつあるのか。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2026年4月21日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/04/21/strongman-era-trump-orban-putin-xi-peaked/
つい最近まで、独裁的な指導者、いわゆる「ストロングマン(strongman)」支配者たちが隆盛を極めていた。ウラジーミル・プーティン、ヴィクトル・オルバン、レジェップ・タイイップ・エルドアン、習近平、ムハンマド・ビン・サルマン、ジャイル・ボルソナーロといった指導者たちは、その存在感と権力を増し、ドナルド・トランプ米大統領のような野心的な独裁者志望者たちの羨望の的となっていた。世界中で民主政治体制と自由は後退しつつあった。アメリカでさえ、憲法に明記された権力分立の原則は時代遅れに見え、いわゆる保守派は「一体的な行政部(unitary executive)」の美徳を声高に主張していた。批評家や学者たちは、『ストロングマンの時代(The Age of the Strongman)』や『ストロングマン:ムッソリーニから現代まで(Strongmen: Mussolini to the Present)』といった書籍を執筆し、民主政治体制の死因を解説し、「黒幕たちの協奏曲(concert of kingpins)」の可能性について考察していた。
強権政治の魅力は、過去数十年にわたって主流派民主政体指導者たちが犯してきた様々な過ちに対する、ある意味当然の反応だった。アメリカは幾度となく愚かな戦争を戦い、敗北し、金融危機に見舞われたが、責任のある当事者を誰も追及せず、権力を新世代に譲ろうとしない高齢政治家たちに支配され続けた。イギリスは、コメディアンや風刺作家の格好のネタを提供すること以外に何の功績もない無能な首相が次々と交代する混乱に苦しんだ。フランスはニコラ・サルコジ大統領の時代を耐え忍び、イタリアはシルヴィオ・ベルルスコーニ首相のオペラ・ブッフのような時代を生き延びなければならず、ドイツのアンゲラ・メルケル首相のような有能な指導者でさえ、最終的にはつまずいた。経済停滞、難民や移民の増加、テロへの過剰な懸念、その他の不安が渦巻く時代において、不確かな未来から一般市民を守ると約束する「強力な指導者(strong leader)」に頼る誘惑は、多くの人々にとって抗いがたいものだった。
しかし、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相の衝撃的な選挙敗北は、「独裁的な強権指導者の需要はピークに達したのか?」という疑問を投げかける。ハンガリーは人口がニューヨーク市よりわずかに多い程度の小国であり、どの国にも独自の政治力学があるため、この出来事を孤立した事例と捉えることもできるだろう。しかし、オルバンの敗北は、彼の統治の結果に対する深い不満から生じたものであり、今日の強権指導者たち(そう、彼らは皆男性である)も、ほぼ同じ理由で、より困難な未来に直面していると考える理由がある。彼らのほとんどは統治能力に乏しく、その理由は、一人の強力な指導者に国家政策を委ねることの限界を浮き彫りにしている。
オルバンから見ていこう。彼は明らかに非常に有能な政治家で、ハンガリーの諸制度を巧みに操り、権力を維持しながら、自分自身と側近の私腹を肥やすことに長けていた。しかし、オルバンが得意としていなかった、あるいはあまり関心がなかったのは、一般のハンガリー国民の生活向上だった。そして、この失敗が最終的に彼に跳ね返ってきた。低迷する経済実績、隠しきれないほどの汚職、そして国民の感覚からかけ離れたおべっか使いの側近たちへの依存の高まりが、彼の失脚への道を開いた。もし彼が(自己利益追求ではなく)より優れた統治を行っていたら、おそらく今も首相の座に留まっていた。
それでは、ロシアのプーティン大統領について考えてみよう。オルバンと同様、プーティンは権力を維持し、莫大な富を蓄積し、潜在的な挑戦者を排除することに非常に長けていることが証明されている。それは、故アレクセイ・ナワリヌイのような改革派政治家であろうと、プーティンと対立し、不審な飛行機事故で亡くなる前にワグネル・グループを率いていたエフゲニー・プリゴジンのような反抗的な内部関係者であろうと関係ない。そして数年前まで、プーティンは弱い外交政策をうまく乗り切ってきた。西側の多くの観察者とは異なり、私は彼がNATOの拡大やその他の西側政策を深刻かつ増大する脅威と見なす正当な理由を持っていたと考えている。しかし、この状況に対する彼の対応、特に2022年2月のウクライナ侵攻という運命的な決定は、ロシア国民が今後何十年にもわたって後悔することになるだろう失策だった。ロシアにとっての代償は莫大であり、より豊かでよりダイナミックなパートナーである中国への依存度は急速に高まり、将来の権力の基盤となる科学技術分野で世界の他の国々にますます遅れるようになっている。スウェーデンとフィンランドはNATOに加盟し、ヨーロッパは再軍備(rearmament)を進めている。ウクライナに対する決定的な勝利(これは既定路線ではない)があったとしても、ロシアの列強における地位低下を覆すことはできないだろう。プーティン大統領はおそらく生涯権力を維持するだろうが、ロシアは別の指導者の下で築かれたであろう繁栄と安全保障よりも劣るだろうし、彼の残忍な統治スタイルは多くの模倣者を引きつける可能性は低い。
トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領はどうだろうか? 他の強権的な指導者たちと同様に、彼は度重なる失策にもかかわらず、権力の強化と維持において卓越した手腕と冷酷さを兼ね備えている。また、トルコの地政学的な立場を巧みに利用し、トルコとの協力を望む他国から利益や譲歩を引き出すことにも長けている。とはいえ、20年以上にわたる彼の政権を成功物語と捉えるのは難しいだろう。トルコの経済実績は、汚職とエルドアン大統領の軽率な介入が主な原因で期待外れに終わり、かつて「近隣諸国との問題ゼロ(zero problems with neighbors)」を目指した外交政策は、多くの国との対立を招く結果となった。こうした実績を踏まえれば、エルドアン大統領が権力維持のためにますます強硬な手段に訴えざるを得ないのも当然と言えるだろう。
そして、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン王太子も忘れてはならない。国内における彼の権威は揺るぎないように見えるが、サウジアラビアの事実上の指導者としての年月は、彼にとって謙虚さを強いるものとなっている。はっきり言って、王国の経済を近代化し、石油と天然ガスへの依存を減らし、宗教警察の権力を打破し、スポーツウォッシングやその他の注目度の高いイヴェントを通じて国の国際的なイメージを高めようとする試みは、理にかなっていた。しかし、この壮大なビジョンの実現は、不手際が多く、衝動的だった。イエメンへの高額な軍事介入や、レバノンの内政を支配しようとする誤った試みなど、彼の初期の外交政策は大きく裏目に出て、反体制派ジャーナリストだったジャマル・カショギの残忍な暗殺は事態をさらに悪化させた。ムハンマド・ビン・サルマンの「ビジョン2030」プロジェクトの壮大な野望―何もないところから巨大な未来都市を建設することなど―は、現実的かつ経済的な現実によって頓挫し、これらの取り組みに資金を提供していた政府系ファンドは最近、計画の大幅な縮小を発表した。これはまさに、指導者の判断に誰も疑問を呈したり、彼らの考えに現実味を持たせたりできない体制において予想されるような大失敗である。
次に、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相について考えてみよう。彼は公正な選挙で民主的に選出され、国内の制約(例えば、分裂しがちな連立政権の運営)に直面しているため、真の独裁者とは言える。それでも、彼は逃げ道分野の素晴らしい芸術家(a brilliant escape artist)であり、幾度となく権力の座にしがみついてきた。その一因は、アメリカが彼の行動の結果からイスラエルを守ろうとする姿勢にある。しかし、彼の長期政権の結果、イスラエルはかつてないほど深く分裂し、国際社会ではますます孤立し、アメリカ国内での支持率は急落し、度重なる残忍な爆撃作戦にもかかわらず、様々な敵対勢力を排除できていない。自国を戦争状態に維持することによってのみ権力を維持できるとしたら、それは決して指導者としての資質を示すものではない。
あるいは、中国の習近平国家主席を取り上げよう。習近平は、中国共産党が独裁体制を阻むために様々な障害を設けようとしたにもかかわらず、権力の集中化に非常に長けており、グリーンテクノロジーの急速な発展など、大きな成果を上げ、将来さらに価値を高めることになる賢明な賭けもいくつか行ってきた。また、無益な戦争に何兆ドルもの資金を浪費したり、長年のパートナー国に対して略奪的な覇権主義的な振る舞いをしたりといった、アメリカの指導者たちの過ちからも恩恵を受けてきた。しかし、習近平は中国経済の均衡を取り戻し、深刻な人口問題に対処し、台湾を支配下に置き、慢性的な若年失業の問題を解決できていない。そして、軍の最高司令官を含む高官の粛清が際限なく続いているように見えることは、強さの表れであると同時に弱さの表れでもあるかもしれない。彼は他の強権的な指導者たちよりはより良い成果を上げているが、独裁的指導力の優位性を証明するほどではない。
ここからトランプの話に移る。彼は本物の独裁者ではないが、そうなりたいと思っていることは疑う余地がないほどだ。考えてみて欲しい。彼は「自分だけが重要だ(only one that matters)」と考えている大統領であり、ワシントンのあらゆる建物に自分の名前を掲げたがり、側近や閣僚、外国の指導者から恥ずべき忠誠心を示すことを期待し、そして、読者の皆さんも想像できる通り、自分自身を称える巨大な凱旋門(a giant triumphal arch)を建てたがっている。民主政体の中で暮らすことを好む私たちにとって朗報なのは、トランプの2期目の業績が惨憺たるもので、世論調査の結果がそれを示していることだ。彼の経済政策は製造業を助けるどころか害を与え、インフレを煽り、連邦財政赤字を増大させた。彼の外交政策は、何の益にもならずにアメリカの伝統的な同盟諸国を疎外し、2カ月前のイラン攻撃の決定は戦略的に大失敗だった。MAGA(Make America Great Again)の基盤に亀裂が生じ始めている。トランプがオルバン首相を支持したこと(副大統領のJ・D・ヴァンスをオルバンの応援演説に送り込んだことを含む)は、ピーター・マジャールがオルバンに勝利する一因となった可能性が高い。また、イギリスのナイジェル・ファラージやイタリアのジョルジア・メローニ首相など、トランプの他の海外の友人たちも距離を置き始めている。トランプ一人で、何千もの法律論文よりもはるかに多くの、単一行政権の危険性を浮き彫りにしたと言えるだろう。
一方で、一部の民主政治体制と指導者たちは、希望の兆しを見せている。カナダのマーク・カーニー首相は議会で圧倒的多数を獲得し、トランプ主義に代わる、明らかに理性的で、今のところ成功を収めている選択肢として地位を確立した。ニューヨーク市長ゾーラン・マムダニは、強い信念、ユーモアのセンス、ソーシャルメディアの巧みな活用、そして相手側との対話を惜しまない姿勢が、選挙で報われることを証明した。韓国とブラジルはクーデター未遂を乗り越え、責任者を迅速に追及した。これは、トランプが2020年の大統領選挙結果を覆そうとした後、アメリカができなかったことである。そしてハンガリーの有権者はオルバンの縁故主義(cronyism)と脅迫戦術(scare tactics)を断固として拒否し、次期首相に指名されたマジャールは、オルバンが築き上げた非自由主義的な政治機構を解体する計画を立てている。
この傾向を過大評価したり、楽観的すぎる見方をしたりなどしたくない。多くの国は今後も独裁的な指導者によって率いられ続けるだろうし、上で述べた強権的な指導者の中には、自ら辞任したり、他者によって排除されたりするよりも、終身権力を握る可能性の方が高い者もいるだろう。トランプやエルドアン(あるいはインドのナレンドラ・モディ)のような非自由主義的な「民主政体支持者(democrats)」が世界の舞台から消え去ることはないだろう。そして、世界有数の民主政体国家、特にアメリカ合衆国は、分極化(polarization)、膠着状態(gridlock)、過度の不平等(excess inequality)、民主的規範の衰退(the erosion of
democratic norms)といった根深い問題に直面している。しかし、数年前に強権的な指導者たちが享受していた威勢の良さは薄れつつあり、彼らの政策の失敗は、一人の人間の判断に頼ることの限界を示している。彼らの失敗がより明らかになるにつれ、ウィンストン・チャーチルの有名な皮肉の言葉である「民主政体は最悪の政治形態である。過去の他の全ての政治形態を除いては(democracy is the worst form of government, except for all the others)」という言葉が改めて思い起こされる。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。Blueskyアカウント:@stephenwalt.bsky.social、Xアカウント:@stephenwalt
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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』



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