古村治彦です。
イラン戦争は一時的に停戦になっているが(その期間は60日間)、最終的な戦争終結の見通しは立っていない。アメリカ軍とイラン革命防衛隊は相互に攻撃を繰り返したり、攻撃を停止したりしている。ドナルド・トランプ大統領は激しい言葉遣いでイランを非難し、イランへの大規模攻撃を示唆するかと思えば、攻撃を中止すると述べるなど、一貫性に欠ける振る舞いを続けている。「トランプは最後の最後には弱腰になって逃げる(Trump Always Chickens Out、TACO)」という言葉が出てきた所以である。
イラン戦争はアメリカとイスラエルによって開始され、圧倒的な戦力を用いて各戦闘でイランに対して大きな被害を与えた。しかし、イランを屈服させることはできなかった。イランの体制転換や政権転覆を実現することはできなかった。イランからの反撃で湾岸諸国やイスラエルで被害が出た。アメリカが提供する防衛システムも完璧ではないということが明らかになった。
さらに言えば、イランがホルムズ海峡を封鎖し、イエメンの新イラン組織フーシ派が公開の出入り口であるバブ・エル・マンデブ海峡でも武力攻撃が発生することで、世界経済に悪影響を与えている。戦争を開始することでアメリカの影響力や指導力は低下している。「アメリカは戦闘(battle)では勝利しているが、戦争(war)に負けている」ということになる。
ヴェトナム戦争はアメリカの外交再作に大きな影響を与えた。国力が低下し、「アメリカの衰退(decline)」という言葉が囁かれるようになる原因となった。イラン戦争はヴェトナム戦争よりもより深刻な影響をアメリカに与える可能性がある。アメリカがイラン戦争の泥沼に足を取られることで、他の地域への関与が制限される。具体的にはアジアへの関与が減少することになる。アメリカが進めようとしている「中国封じ込め(containment of China)」は厳しい状況となる。世界覇権国アメリカの地位は脅かされることになる。
ドナルド・トランプ大統領はアイソレイショニズム、「アメリカ・ファースト(アメリカ国内問題解決優先主義)」を主張して大統領になった。それにもかかわらず、ヴェネズエラ、キューバ、グリーンランドへの野心をあらわにして批判をした。しかし、これは「西半球(Western Hemisphere)」支配、「ドンロー主義」という観点からすればまだ理解できる。しかし、イラン戦争に関しては全く主義主張と反する。アメリカの国力を削り、アメリカの影響力を減少させる行為である。このような政策の選択を行ったトランプをただ非難することは簡単だ。その裏側にあるものは何かについて、私は佐藤優先生との2冊目の対談『世界は「宗教戦争」に突入した 「神に選ばれた」支配者の使命と論理』で検討した。是非お読みいただきたい。
(貼り付けはじめ)
イランはヴェトナム以上の敗北である(Iran Is a Bigger Defeat
Than Vietnam)
-選択戦争(a war of choice)がワシントンにとって戦略的な大失敗に転換した。
ポウル・マスグレイヴ筆
2026年6月16日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/06/16/iran-vietnam-strategy-defeat/
ドナルド・トランプ米大統領は2期目の就任演説で、「先の大統領選挙が我が国の歴史上、最も偉大で最も重要な選挙として記憶されること」を望むと語った。しかし、彼が起こした「湾岸戦争(Gulf War)」に敗北したことで、トランプはその目標を皮肉な形で達成してしまった。イランに対する軍事行動を起こすという決断は、周囲からの後押しもあったとは言え、あくまで彼自身の意志によるものだった。その結果招かれた事態の逆転は、ヴェトナム戦争におけるアメリカの敗北をはるかに上回る戦略的な大惨事(a strategic calamity)となっている。
イランとの戦争における敗北は、一見したところ、アメリカの過去の軍事的敗北とは全く異なる様相を呈している。戦争の展開の速さと、戦場が遠く離れているという地理的条件が、この一連の出来事全体にどこか現実味の薄い雰囲気を漂わせているからだ。1814年のようにホワイトハウスが焼き払われた訳でもなければ、存在しない徴兵制に対する抗議デモが起きている訳でもない。ドーハに拠点を置く私自身、最初の数週間は頭上を飛び交うミサイルを目にし、その音を耳にしていたにもかかわらず、ここ数週間の状況には戸惑いを覚えている。食料品を買い出し、まだ安価なガソリンを給油し、遠く離れた場所にいる共著者たちとZoomで打ち合わせをする中で、私は何度も自問した。「ここは戦地なのだろうか(Is
this a war zone?)」。
この紛争においてアメリカ軍側に大きな人的被害が出ていないこともまた、アメリカの敗北の規模を覆い隠している。確かに、この戦争は多くの命を奪った。戦闘員や民間人を含め、数千人ものイラン人が犠牲になった。しかし、アメリカ側の死者ははるかに少ない。現時点でアメリカ軍将兵の死者は20人未満であり、その多くは一度の攻撃によるものだった。
それに比べれば、ヴェトナムの人々が「アメリカ戦争(the American War)」と呼ぶあの紛争の規模は、圧倒的かつ衝撃的なものだった。東南アジアの空やジャングルの広範囲を舞台に10年以上続いた戦闘で、数百万人が命を落としたが、そのうちアメリカ人は6万人弱に過ぎなかった。
その経験があまりに痛ましいものだったため、ある世代の人々にとって、「ヴェトナム」という言葉は、その名を冠した現実の国や社会を指すものではなくなっていた。長年にわたる紛争を経てもなお、彼らはその国や社会についてほとんど無知なままだったからだ。アメリカにおける用法として、「ヴェトナム」は主に、アメリカが経験したある種の出来事を表す比喩や象徴として理解されていたのだ。
多くの一般のアメリカ人にとって、それは個人的な悲しみを意味するものだった。一部のエリート層にとって、ヴェトナム戦争は権力の傲慢さ(the hubris of power)に対する教訓となる出来事であり、また別の人々にとっては、現代における適切な戦略的判断を妨げる過ちでもあった。しかし、ヴェトナム戦争が国家の歴史に刻まれた「汚点(a stain)」であるという点では、国民的な合意が存在していた。シカゴ・グローバル・アフェアーズ評議会が2014年に行った世論調査では、アメリカ人の58%がヴェトナム戦争を「暗い時代(dark moment)」と捉えていたのに対し、誇るべきものと答えたのはわずか12%にとどまった。
今日の視点からあの紛争を理解する上で最も難しいのは、ワシントンにとって最終的にはさほど重要ではなかったにもかかわらず、なぜアメリカがあれほど激しく戦ったのかという点かもしれない。当時戦争を遂行したアメリカの政策立案者たちは、現代では到底考えられないほどの犠牲を容認していたが、その戦争におけるアメリカの敗北は、結局のところ、アメリカのより広範な戦略目標にとって大した問題ではなかった。実際、ヴェトナム戦争と結びつけて語られることになる「ドミノ理論(domino theory)」(ある国が共産化すれば近隣諸国もそれに続くという考え方)については、早くも1964年の時点で、アメリカ政府内部の議論において疑問が呈されていた。
この戦争がアメリカ人にとって最終的に無関係なものであったからといって、それが重要ではなかった訳ではない。東南アジアの不安定化は重大な問題であった。カンボジアの集団墓地は、ヴェトナムの国境を越え、和平協定が正式に調印された後もなお波及し続けた紛争の犠牲を、無言のうちに物語っている。戦争の結果はヴェトナムにとって重大な意味を持ったし、その後の数年間に逃亡した難民たちの絶望もまた同様であった。
しかし、そうした事実を踏まえても、アメリカ自身にとっては、多大な犠牲を伴う敗北の結果は、長期的には比較的軽微であり、国内的な問題にとどまるものであったという事実は変わらない。アメリカは、より広範な冷戦において勝利を収めた。今日のヴェトナムは、アメリカに対して驚くほど好意的な国となっている。
この状況を、トランプの戦争の余波と比較してみよう。アメリカは、自ら選択して始めたこの戦争の開戦時と比べて、間違いなく弱い立場に置かれており、アメリカの核心的な戦略目標も損なわれている。
この紛争における軍事的な戦いぶりを、イラクのサダム・フセイン大統領によるクウェート占領を覆すためにアメリカ主導の連合軍が行った戦争と比較してみると、その対照は際立っている。1990年から1991年にかけての紛争では、イラク軍があっけなく壊滅させられたように見えたその様子が、世界に衝撃を与えた。
対照的に、イランとの紛争においてアメリカの兵器が示した技術的に優れた性能は、アメリカの兵器備蓄の不足という問題によって影が薄くなり、イラン・イスラム共和国よりも強力な敵との紛争に対するアメリカの備えに疑問を投げかける結果となった。この紛争におけるハイテク戦闘の記憶として長く残るのは、データベースの誤作動と思われる事態の結果として命を落とした、血にまみれたイランの女子生徒たちの遺体が入った袋の姿だろう。また、アメリカの防衛システムはイランのミサイルや片道攻撃型ドローンに対して良好な性能を発揮したものの、イランはそれらのシステムを突破して大きな打撃を与えることに成功した。このことは、より集中した攻撃を行う敵や、長期にわたる紛争において、それらのシステムがどれほど通用するのかという疑問を抱かせるものとなった。
戦略的な観点から見れば、その結果はさらに深刻である。アメリカはある種の「政権交代(regime
change)」を実現したとはいえ、テヘランを従順的属国(a pliable client)に変えるどころか、戦争によってイランをより強硬な姿勢へと追い込み、事実上、イスラム革命防衛隊に国の主導権を握らせる結果となった。イスラエルとアメリカの兵器は、開戦当初こそ残酷なまでに高い効果を発揮したが、最終的には武力行使による解決の限界を露呈させ、結果としてイランに大きな利益をもたらした。イランの核開発計画は、これまでにイスラエルとアメリカによる2度の共同空爆に耐え抜いてきた。3度目の空爆が行われたとしても、それ以上の成果が得られる可能性は低いと思われる。
国際システムにおけるアメリカの指導力への影響は、さらに甚大なものであった。この軍事行動に反対していたとされる地域の同盟諸国が、戦闘に伴う負担の大部分を負うことになったからだ。何よりも重要なのは、イランがホルムズ海峡を封鎖する能力を行使することで、世界規模での経済的影響力を行使できると学んだことである。
航行の自由(freedom of navigation)は、2世紀以上にわたりアメリカの戦略的な中核的目標(a core U.S. strategic objective)をなしてきた。19世紀初頭には、トマス・ジェファーソン大統領が地中海沿岸諸国への貢納金の支払いを停止させるために海軍を派遣したほどである。ホルムズ海峡の自由な通航が失われる可能性は、貿易ルートが「兵器化(weaponization)」される兆候となり、世界貿易に永続的かつ甚大な被害をもたらす恐れがある。
戦争の終わり方は、その始まり方と同じくらい多くのことを物語るものだ。ヴェトナム戦争後、アメリカはヴェトナムやその近隣諸国から事実上背を向け、より戦略的に重要な地域に注力することができた。世界的なグリーンエネルギーへの移行とアメリカの炭化水素(石油・ガス)生産の拡大という組み合わせにより、ワシントンの一部の人々にとっては、湾岸地域からの同様の撤退が魅力的に映るかもしれない。しかし、ヴェトナム戦争後のような撤退を再現することは困難だろう。
何と言っても、今日の世界経済は1970年代よりもはるかに相互に深く結びついており、経済ネットワークにおいて湾岸地域が果たす役割は、かつてのインドシナが担っていた役割よりもはるかに大きなものとなっている。世界のサプライチェインは、湾岸地域の炭化水素だけでなく、ヘリウム、肥料、アルミニウムにも依存する構造になっている。その結びつきは経済的なものだけにとどまらない。アメリカとイスラエルとの継続的な関係は、中東地域からの完全な撤退を非現実的なものにすると同時に、さらなる、そしておそらくはより激しい紛争の可能性を高めている。イランのミサイル開発や、潜在的な核開発計画の進展は、中東地域のみならず、ヨーロッパや南アジアにとっても、2030年代の展望をはるかに深刻なものにしている。
どのような政権下であれ、アメリカは国内外で自らの力が弱まる中で、こうした事態に直面することになるだろう。同盟諸国はアメリカの能力に対する信頼を失い、国民は有益な関与であってもそのコストを負担しようとはしなくなり、競合国はワシントンの意志に挑戦する可能性を高めることになるだろう。そうした結果は、ヴェトナム戦争におけるアメリカの失敗よりもはるかに長期的かつ深刻なものとなるだろう。
しかし、1つだけ似ている点がある。数十年後、このアメリカの紛争を振り返る学生たちは、私がかつてヴェトナム戦争について抱いたのと同じ疑問を抱くことになるはずだ。「なぜこの戦争が起きたのか?」。学者たちは綿密な調査に基づいた多くの答えを提示するだろう。しかし、最終的に誰もが納得できるような答えは1つとして示されないだろう。
※ポウル・マスグレイヴ:カタール・ジョージタウン大学政治学准教授。
(貼り付け終わり)
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『トランプの電撃作戦』

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