古村治彦です。
イラン戦争は、アメリカの脆弱さと共に、イランの強靭さを明確に示した。長年にわたる経済制裁によって厳しい状況にありながら、アメリカとイスラエルによる大規模攻撃に寄ってもイランは崩れなかった。もちろん、国内の締め付け、弾圧があることは承知している。そのために国民が声を上げられない、行動できないということはあるだろう。しかし、アメリカとイスラエルが事前に期待していた、イラン国内での反政府運動の発生や民衆蜂起は起きなかった。イラン国民は、もちろんイラン政府に対して不満を持っているだろうが、それよりもアメリカとイスラエルへの反撃と政府への支持のためにまとまってしまったようだ。アメリカとイスラエル、特にイスラエルの事前の期待は大きく外れることになった。
それは、イランが、イスラム体制であると同時に、ペルシア帝国以来の「誇り」を保持して言うことを示している。紀元前550年のアケメネス朝ペルシアが成立した。アケメネス朝ペルシアは世界初の帝国(広大な領土と他民族を支配する中央集権的な政治体制)である。イランでは、イスラム体制になって、それまでの歴史、特にイスラム前の歴史について否定的な評価をして、そのように教育していた時代もあったが、今では、肯定的な評価となっている。イラン国内にはナショナリズムが残っている。その後の歴史では、モンゴルやトルコなどの侵略を受けながらも、独自の言語や文化を守ってきたという誇りがある。
「ペルシア以来の歴史」と「イスラム体制」の2つがイランのアイデンティティとなっており、それに対する外部からの攻撃はイラン国民を団結させることになる。そして、どんなに苦しくても、外部勢力に対抗するということになる。それは命がけの行為となる。今回のイラン戦争で亡くなった人々は犠牲者(victims)であるにとどまらず、殉教者(martyr)である。イスラム今日の側面と殉教者であると同時に、ペルシア帝国以来の歴史の殉教者ということになる。こういった分析を『世界は「宗教戦争」に突入した 「神に選ばれた」支配者の使命と論理』で行っている。是非お読みいただきたい。
イランは誇り高く、独立を守るということに最上の価値を置いている。そのための犠牲は殉教ということになる。これでは安易に手を出して、攻撃をしてしまうと、大変なことになる。容易に戦争は終わらない。アメリカとイスラエルが敗北を認め、謝罪し、イラン側の条件をのまない限り、戦争は終わらない。そんなことはできないので、ズルズルとなってしまう。アメリカとしては泥沼に引きずり込まれ、ホルムズ海峡とバブ・エル・マンデブ海峡封鎖の責任を取らされるということになる。イラン側もあまり条件を吊り上げると、アメリカとイスラエルが嫌気をさして大規模攻撃を行う可能性があるので、出方を注意しなければならない。そのためには中国とロシアと連携し、ドナルド・トランプ政権の意向をうまくくみ取る必要がある。
(貼り付けはじめ)
世界はイランに間違った質問を投げかけ続けている(The World Keeps
Asking Iran the Wrong Question)
-イスラム共和国が成立する以前からこの国は常に同じことを望んできた。
アリ・ハシェム筆
2026年5月19日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/05/19/iran-politics-strategy-war-sanctions-hormuz/?tpcc=recirc_featured_horizontal051524
過去半世紀にわたり、イランに関する本格的な分析の多くを方向づけてきた問いは、「イスラム共和国は何を求めているのか」というものだった。これは合理的な疑問だが、正しい疑問ではない。イスラム共和国の歴史は47年だが、現代のまとまりある政治的実体としてのイランの歴史は5世紀続いている。この2つを混同したことが、半世紀近くにわたるアメリカの政策の失敗、合意の崩壊、そして現在の形で予測した者がほとんどいなかった戦争を招く結果となった。
より有益な問いは、「イランは何を求めているのか」というものだ。ここで言うイランとは、現在の政府や最高指導者のことではなく、革命よりはるか以前にその戦略的本能が形成され、それ以降のあらゆる体制の変化を生き抜いてきた国家そのもののことだ。サファヴィー朝、ガージャール朝、パラヴィー朝、そしてイスラム共和国は、いずれも同じ地理的・歴史的遺産を基盤として活動してきた。政府は変わっても、その論理は変わらなかった。
イラン高原は西をザグロス山脈、北をアルボルズ山脈に囲まれ、世界でも有数の過酷な砂漠によって分断されており、中央アジア、南アジア、中東の結節点に位置している。主要な陸上帝国は全て、この土地に関与しなければならなかった。インド洋への野心を抱く海洋勢力も全て、その南端にある海峡を考慮に入れざるを得なかった。
こうした地理的条件は、歴代の王朝に一貫した教訓をもたらした。それは「内陸部を守るだけでは内陸部を確保できない」ということだ。高原内部に戦略を限定した支配者は、やがてその一部を失うことになった。一方、外へと勢力を広げ、高原を単なる標的(a target)からハブ(hub、拠点)へと変えた支配者こそが、最も長く存続した。
現代において、この論理が最も明確に表れているのがホルムズ海峡だ。世界の石油供給の約5分の1がこの海峡を通過している。2026年のイラン戦争の初期段階でイランが通航制限の動きを見せた際、実際にタンカーが停止させられる前に、エネルギー市場は反応を示した。核兵器を持たず、アメリカに対抗しうる通常戦力も持たない国であっても、その地理的位置ゆえに世界の市場を動かすことができる。これこそが地理的遺産(a geographical inheritance)であり、政府の交代によって崩れ去るものではない。
誰が権力を握ろうとも、イランの戦略的行動を貫く3つの確信がある。
第一の確信は、弱さは他国からの介入を招くという認識である。1813年のグリスタン条約と1828年のトルクメンチャーイ条約により、イランはコーカサス地方の領土を奪われた。1907年の英露協約では、イラン側の意向を無視して勢力圏に分割された。それ以降の歴代政権は、これらの出来事を構造的な警告として捉えてきた。すなわち、抑止力(deterrence)を発揮できない国家は、その主権(sovereignty)を外部から管理されることになるという教訓である。核開発計画、地域的なネットワーク、そしてミサイル戦力といった要素は、ある側面において、いずれもこの警告に対する対応策なのである。
第二の確信は、主権は決して譲歩の対象にはなり得ないという点だ。1890年代初頭のタバコ・ボイコット運動や1951年のアングロ・イラニアン石油会社の国有化は、単発的な出来事ではない。それらは時代を超えて繰り返された、同一の反射的反応であった。1976年、リチャード・ヘルムズ駐イラン米大使がヘンリー・キッシンジャー国務長官に行った報告の中で、この点が的確に表現されている。「核をめぐる緊張が存在するのは、イランが、自国の主権を損ないかねない外部からの干渉を一切容認しようとしないからである」。この一文は、2015年、2021年、そして、2026年に行われた核交渉に関するあらゆる報告書においても、そのまま当てはまるものであった。
そして第三の確信であり、最も一貫して過小評価されてきたのが、イランは自らを単なる「地域大国(a regional power)」とは見なしていないという点である。1979年の革命は、一般的に地域的な文脈―シーア派政治勢力の台頭、湾岸地域の安全保障体制の再編、統治勢力としての政治的イスラムの出現―で語られることが多い。
しかし、その革命がもたらした最も直接的かつ重大な影響は、世界規模のものだった。わずか1年の間に、イランはワシントンにとっての極めて重要な戦略的パートナーという立場から、超大国とは異なる「第三の道(a third path)」を追求する国家へと変貌を遂げた。人質事件は、その後一世代にわたってアメリカの国内政治のあり方を変えた。イラン・イラク戦争には、米ソ超大国やヨーロッパ諸国の大部分の諜報機関や兵器産業が巻き込まれた。イラン製の無人機「シャヘド(Shahed)」は、ヨーロッパでの戦争にまで投入されるに至った。2026年の紛争は世界のエネルギー市場を動かし、複数の海上ルートにおける海運保険に混乱を招き、湾岸地域の石油に依存するあらゆる経済―すなわち世界の大多数の経済―に、戦略の再考を迫ることとなった。最高指導者であったルーホッラー・ホメイニ師は、革命を世界の隅々にまで輸出すると語った。彼は本気だった。
半世紀の隔たりがある2つの発言が、その継続性を如実に物語っている。1つ目は1960年代、イラン秘密警察の中東担当局長モジタバ・パシャイ大佐によるものだ。彼は、シャー(shah、国王)がレバノンの諸政党を支援していた理由をこう説明した。「イラン国内での流血を防ぐためには、地中海東岸において(ナセル主義[Nasserism]という)脅威と戦い、これを封じ込めなければならない」。2つ目は2016年1月、最高指導者アリ・ハメネイ師がシリアやイラクで戦死した兵士の遺族に向けて語った言葉である。「もし彼らが現地へ赴き敵と戦っていなかったら、敵は国内に侵入していただろう。私たちはケルマンシャーやハマダーンで敵と戦わなければならなくなっていただろう」。2つの発言の論理は、両政権の性質は異なっていたとしても、同一である。
外部から見れば、シャーの親欧米的な姿勢はこのパターンから逸脱しているように見えたかもしれない。だが、実際はそうではなかった。彼もまた、イスラム共和国と同様の論理に基づいて核能力の獲得を追求していた。シャーはイスラエルとの軍事提携も模索した。ワシントンが外部の監視を伴う核の安全保障措置を求めた際、彼がそれに抵抗したのはイデオロギー上の理由からではない。そのような監視を受け入れることは、過去どの時代のイランの統治者も決して容認できなかった「従属的な地位(a subordinate status)」を認めることになってしまうからだった。
同じパターンは現在も見られる。パキスタンでの協議において、最高指導者モジタバ・ハメネイ師は、他者が設定した条件でイランが交渉に応じることはないと同席した当局者たちに明言した。ワシントンとテルアビブは、核開発計画、ミサイル、地域的なネットワークへの圧力といった形で事態を「封じ込める(contained)」ことを意図して2026年の戦争に臨んだ。しかし、イランはその枠組みを拡大させた。軍事的圧力が一定の閾値に達すると、テヘランはホルムズ海峡を封鎖し、対立を世界的な経済危機へと変貌させたのである。ワシントンが「ゲームのルール(the rules of the game)」を定めようとするたびに、テヘランは「競技の場(the playing field)」そのものを変えてしまうのだ。
包括的な制裁、特定の対象を狙った制裁、暗殺作戦、サイバー戦、代理勢力への支援、直接的な軍事行動―これら全てが試みられてきた。しかし、いずれも当初期待されたような戦略的変革をもたらすことはなかった。それどころか、それらは一貫して(この一貫性自体が重要なデータとして扱われるべきだが)事態を加速させる結果を招いた。すなわち、核開発の加速、地域ネットワークの深化、そして政治体制のさらなる強固化である。
2002年の「悪の枢軸」演説(“axis of evil” speech)は、最も明確なケーススタディとなる。911同時多発テロ後の数ヶ月間、テヘラン(イラン政府)はアフガニスタン問題で協力し、アフガニスタンの政治的将来を議論するボン会議に参加し、ワシントンとの間接的な対話ルートを開設した。モハンマド・ハタミ大統領を中心とする改革派陣営は、こうした行動を取ることで、国内政治における現実的なリスクを負った。イラン当局者は、自らが歩み寄りの姿勢を示した以上、相手からの応酬(互恵性[reciprocity])も期待できると考えていた。ロイヤル・ホロウェイ(ロンドン大学)で行った私自身のこの時期に関する研究でも、ジョージ・W・ブッシュ米大統領の演説について、ジャック・ストロー元英外相の表現と同様の証言が一貫して得られた。それは「彼らが冒したリスクに対する裏切り(a kick in the teeth for the risks they had taken)」というものだ。イランのモハンマド・ジャヴァド・ザリフ元外相は後に、わずか数日のうちに「協力の政策(policy of cooperation)」が「対立の政策(policy of
confrontation)」に変貌した経緯を語っている。
その後に続いた事態は、構造的に予測可能なものでした。ワシントンの目的は共存ではなく体制転換(regime change)にあるというハメネイ師の確信は、この出来事によって揺らぐどころか、むしろ裏付けられる結果となった。核開発計画は加速し、地域的なネットワークは深化し、抑止の枠組みは拡大した。これは強硬派がその局面を操作したからではなく、協力の申し出が無視された瞬間に、根底にある論理が再び支配的になったからである。
圧力をかけられているイランの行動は、主にイデオロギーに基づくものではなく、戦略的なものだ。イランに対し抑止の枠組みを解体するよう要求することは、イスラム共和国に穏健化(to moderate)を求めている訳ではない。それは、過去5世紀の歴史が「破局を招く条件(the condition from which catastrophe comes)」であると示してきた状況を、イランに受け入れるように迫ることに等しい。いかなるイラン政府もそれを受け入れることはできない。なぜなら、それを受け入れることは、「弱さは介入を招く(Weakness invites intervention)」という根本的な教訓を認めることになるからだ。譲歩(concession)を引き出すための圧力が、かえって阻止しようとしていた行動を誘発している。
キッシンジャーはヴェトナム問題の処理に長年携わった末に、北ヴェトナムが彼自身の想定とは全く異なるもの―すなわち時間、忍耐、そして米国の政治的意志の漸進的な摩耗―のために戦っているのだと結論付けた。テヘランも同じ論理で動いている。イランはこの局面での勝利を目指しているのではない。アメリカが「出口(exit)」を必要とする時が来た際に、存続可能な状態を維持しようとしている。ヴェトナムにおけるキッシンジャーの過ちは、紛争を拡大させたことではなく、相手も自分と同じ「勝利(victory)」の定義を共有していると思い込んだことにあった。ドナルド・トランプ政権も今、同様のディレンマに直面している。国内で正当化できる条件で戦争を終わらせることもできなければ、テヘランが拒否し続けている枠組みなしに撤退することもできない。対立が長引けば長引くほど、その痛みはイランや石油市場、海運、サプライチェイン、そして湾岸地域の安定に依存する経済圏の枠を超えて広がっていく。ホルムズをめぐる問題で打撃を受けるのは、イランだけではない。
核拡散のリスクは現実のものだ。その地域的ネットワークは、実際に暴力を引き起こしてきた。分析上の見解を修正したからといって、こうした懸念が消え去る訳ではない。修正によって変わるのは、それらの懸念に対処するための条件だ。
真の安全保障を保証し、イランを単なる「管理すべき問題(a problem to be
managed)」ではなく「正当な抑止の利益を持つ当事者(a party with legitimate
deterrence)」として扱い、さらに、歴史的経緯から構造的に受け入れがたい「従属的な地位(subordinate
status)」をイランに強いないような取り決めであれば、それは維持される可能性がある。一方、イランが近代史を通じてあらゆる時代に拒絶してきた条件を強いるような取り決めは、どの政府が担当しようともうまくいかないだろう。自国の戦略的論理が禁じていることを実行できるイランの政府など存在しないからだ。
ワシントンが現在直面している困難は、テヘランに対話の相手がいないことではない。依然として、間違った問いを立てていることにある。
※アリ・ハシェム:中東地域における戦争、外交、政治の変革を取材するジャーナリスト・研究者。アルジャジーラの特派員、ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ・イスラム教・西アジア研究センター研究員。Xアカウント:@alihashem
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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』



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