古村治彦です。

 中国共産党は中国共産党創設(1921年)と中華人民共和国建国(1949年)からの歴史を「革命期」「社会主義建設期」「改革開放期」と3期に分類し、革命期から社会主義建設期は毛沢東、改革期は鄧小平を最重要人物としてきた。現在の習近平国家主席は、この時代区分に「新時代(the New Era)」を加えている。この新時代は2012年、習近平が国家主席に就任してから時代となる。これまでは改革開放期が1978年以来、ずっと続いてきたという認識だったのが、それが2012年に一段落したということになる。簡単に書くと次のようになる。

(1)革命期(1921-1949年)→(2)社会主義建設期(1949-1978年)→(3)改革開放期(1978年-2012年)→(4)新時代(2012年-)

 現在の習近平国家主席も「改革」という言葉を使っているが、下記論考の著者デン・イーウェンはその中身が異なることを指摘している、以下に印欧する。

(引用貼り付けはじめ)

中国政府の精神と気質(the spirit and temperament)が劇的に変化したにもかかわらず、この10年間、中国は改革という言葉を使い続けてきた。「改革時代」が強調したのは、「思考の解放(emancipating the mind)」(訳者註:1978年の鄧小平の有名な演説での言葉)や「踏み石を探って川を渡る(crossing the river by feeling the stones)」(訳者註:鄧小平の政権運営や経済政策実行について表す有名な言葉)といったスローガン、最優先原理としての発展(development as the overriding principle)、「一部の者が先に豊かになること[先富論](allowing some people to get rich first)」、対外開放(opening to the outside world)、西側からの学習(learning from the West)、そして世界との統合(integrating with the world)であった。一方、「新時代」の言葉が語るのは、党による全面的指導(the party’s comprehensive leadership)、安全保障(security)、闘争(struggle)、自立(self-reliance)、共同富裕(common prosperity)、中国式近代化(Chinese modernization)、「東の台頭と西の衰退(the rise of the East and decline of the West)」、そして「百年に一度の大変局[百年未有之大变局](changes unseen in a century)」といった概念である。

(引用貼り付け終わり)

 この段落から習近平国家主席がこれまでの不文律、改革開放の設計者である鄧小平の遺訓に従わず、国家主席を3期目、4期目も続けるという強固な意志を持ち、どうしてそのような意志を持つのかということが透けて見える。鄧小平の改革開放路線は大躍進運動と文化大革命によって経済的に疲弊した中国を転換するという一大路線転換だった。アメリカからの協力もあり、この改革開放路線は大きな成果を挙げた。戦後日本を超える「奇跡の高度経済成長(economic miracle)」を実現した。中国の世界での立ち位置も大きく変化している。非西洋諸国(the Rest)の指導的立場の国家となり、アメリカと対等な、肩を並べる超大国となるという段階に入りつつある。これまで以上に複雑で、緻密な運営が求められる。その舵取りを行うことは並大抵のことではない。「百年に一度の大変局[百年未有之大变局](changes unseen in a century)」はまさにその通りである。アメリカが世界帝国、世界覇権国の地位から転落するという世界構造の大転換を前にして、通常通りの、官僚的な指導部交代をやっているようではこの難局を乗り越えることはできない。中国の新時代はより厳しい時代に向かう備えをする時代になる。

(貼り付けはじめ)

習近平は彼自身の条件で歴史を定義づけしている(Xi Is Defining History on His Own Terms)

-「新時代(new era)」という言葉は真の改革を置き去りにしている。

デン・イーウェン筆

2026年7月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2026/07/07/xi-mao-deng-china-history-new-era/

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北京の中国共産党歴史展覧館にて習近平国家主席の肖像画のそばを走り抜ける少年(2026年7月1日)

習近平の下で中国の改革の時代が終わったことは何も驚くべきことではない。多くの人々にとって意外かもしれないのは、習自身がそのことを繰り返し述べているという点だ。

7月1日、中国共産党(the Chinese Communist Party、CCP)創立105周年を記念する式典において、習近平は、「革命、建設、改革、そして『新時代』という偉大な実践(great practice of revolution, construction, reform, and the New Era)」を通じて、党は数多の困難を乗り越えて国民を導き、「中国の特色ある社会主義(socialism with Chinese characteristics)」の道を切り開き、それを堅持してきたと述べた。この言葉は、中国における「改革の時代(reform era)」が終焉を迎えたという宣言に等しい。

もちろん、習主席がこうした表現を用いたのは今回が初めてではない。習主席は以前から、自らを中国共産党の歴史という壮大な物語の中に位置づけるような表現を使ってきた。実際、2021年の党創立100周年(centenary)記念演説や中国共産党の「第3回歴史決議(the CCP’s third historical resolution)」において、習主席はすでに党の歴史を「革命(revolution)」「建設(construction)」「改革(reform)」「新時代(the New Era)」の4つの段階に区分していた。今回、彼はその物語をより簡潔な言葉で改めて述べ、公式なものとしてさらに強く位置づけた。

習主席の区分によれば、「革命」の段階は1921年の党創立から1949年の中華人民共和国建国までの期間を意味する。「建設」の段階は1949年から1978年の改革開始まで、「改革」の段階は1978年から習主席が権力を掌握した2012年までとされている。そして、その後に続くのが、現在に至る「新時代」だ。

それまでの中国共産党の歴史認識では、党の歴史は一般的に3つの段階に分けられていた。すなわち、権力獲得のために闘った「革命期(the revolutionary period)」、勝利後の「社会主義建設期(the socialist construction period)」、そして鄧小平の下で始まった「改革開放期(the period of reform)」だ。この最後の段階は、公式には継続中、あるいは恒久的なものとされていた。習主席自身も、改革は常に「途上にある(on the road)」と繰り返し述べてきた。その結果、多くの人々は、改革の時代とは極めて長く、事実上終わりのないものだという印象を抱くようになっていた。

しかし、習主席は従来の改革という公式な歴史的区分から独立した期間を切り出し、それを「新時代」と名付けることを主張した。彼の目的は、中国共産党の再構築(remaking the CCP)における自身の功績を際立たせ、前任者である江沢民や胡錦濤、さらにはある程度は鄧小平とも一線を画すことにある。

中国共産党の政治において、歴史的時代の区分や命名は、純粋に歴史的事実のみに基づいて行われるものではない。それらは常に権力政治(the politics of power)と密接に結びついている。ある時代を代表する人物誰であっても、党史において代えがたい地位を占めることになるからだ。

毛沢東が革命と建設の時代を独占的に象徴しているのは、単に彼がその時期に最高権力(supreme power)を握っていたからだけではない。彼がその時代の中心人物として位置づけられているからである。毛沢東は建設の時代に「大躍進(the Great Leap Forward)」や「文化大革命(the Cultural Revolution)」といった壊滅的な過ちを犯したが(これらは公式な歴史記述においても部分的に認められている)、それでもなお、中国共産党の正統な歴史観において、革命と建国の物語は彼の名の下に位置づけられている。

しかしながら、鄧小平は、毛沢東が革命と建設の時代を圧倒的に支配しているのとは異なり、「改革」時代の栄光を完全に独占することはできない。公式には、鄧小平こそが中国の改革の設計者(the architect of China’s reform)である。彼が描いた路線は中国共産党に第二の正統性の材料(second source of legitimacy)をもたらし、彼は中国の改革・開放および近代化(modernization)の「主任設計師(the chief architect)」として称賛された。しかし、改革の時代は鄧小平だけのものではない。江沢民や胡錦濤とも共有されるべきものだ。彼らの統治下で、中国の市場改革とグローバル化はさらに深化し、公式な歴史記述においても、両者とも中国の改革路線に貢献したとされているからだ。したがって、改革の栄光はこれら3者によって共有されている(もっとも、その中で鄧小平が最も高い地位を占めていることは明らかだ)。

対照的に、「新時代」は習近平だけのものだ。

2012年の権力掌握以降の期間を「新時代」と名付けることで、習近平は自身の歴史的功績と地位を高めようと明確に意図している。彼は、将来の歴史家に自分を単なる「改革・開放」の延長線上にある存在、あるいは鄧小平後の単なる指導者の1人、江沢民や胡錦濤に続く単なる総書記の1人として理解されることを望んでいない。彼は、自分自身の名を冠した歴史的時代を求めているのだ。そして、彼が異論を招くことなくそれを実現できたのは、党の再構築を通じて、毛沢東以来最も強力な中国の指導者となったからである。

中国共産党の歴史を4段階に区分することは、権力をめぐる物語でもある。「革命」「建設」「改革」と並んで「新時代」を位置づけることで、習近平は誰とも共有する必要のない歴史的舞台を自ら切り開いた。彼自身の意図は明白だ。中国共産党史において、毛沢東の次、かつ鄧小平の前に位置する存在でありたいと考えているのだ。

今のところ、習近平は毛沢東の歴史的地位にあえて挑もうとはしていない。何しろ毛沢東は、今なお全ての紙幣にその姿が描かれ、天安門広場を見下ろすように肖像画が掲げられている指導者だ。

また、習近平には毛沢東に挑む必要もない。彼にとって真の課題は、鄧小平を超えることだ。

鄧小平は「改革開放(reform and opening up)」を打ち出し、いかにして中国を豊かにするかという課題に取り組んだ。対照的に習近平が取り組もうとしているのは、いかにして中国を強国にするか(how China can become strong)という課題だ。習近平の歴史観において、富(wealth)よりも「強さ」の方が明らかに重要視されている。

習近平が掲げる「新時代」は、党史を第4段階へと進めるためのものだ。「革命の時代」に代わって「建設の時代」が到来し、「建設の時代」に代わって「改革の時代」が到来したのと同様に、「新時代」は「改革の時代」に取って代わるものと位置づけられている。こうして習近平は、自らを「改革の時代」の継承者から、改革時代を終わらせる者、そして「新時代」の創始者へと変貌させる。そうすれば、共産党に対する彼の貢献は、毛沢東に匹敵するレヴェルのものとして位置づけられることになる。

習近平は「改革の時代」の終わりを宣言したが、だからといって「新時代」に改革が一切行われないとか、中国指導部が改革について語らなくなるという意味ではない。むしろその逆で、公式の方針は依然として声高に改革を推進しており、第20期中央委員会第3回全体会議(三中全会)でも、改革をさらに全面的に深化させることに関する決定が採択されている。

しかし、外部の人間は、同じ言葉が今や全く異なる意味を帯びていることを理解する必要がある。今日の公式な「改革」とは、歴史的段階としての改革ではなく、「新時代」の内部における、習主席の価値観に基づいた改革である。それは政治的価値(a political value)としての改革ではなく、手段としての改革(instrumental reform)だ。

かつて「改革」は政治的正統性の核心( the core of political legitimacy)であり、統治路線の名称(the name of a governing line)であり、時代の象徴(the marker of an era)であった。改革そのものが目的意識を伴い、それ自体が価値を持つものであった。対照的に、「新時代」における改革は単なる道具や手段であり、「新時代」の目標に奉仕する政策的テクニックに過ぎない。それは政治権力、国家安全保障、党の指導、そして習氏による「中国式近代化(Chinese modernization)」の定義に従属するものとなっている。

中国政府の精神と気質(the spirit and temperament)が劇的に変化したにもかかわらず、この10年間、中国は改革という言葉を使い続けてきた。「改革時代」が強調したのは、「思考の解放(emancipating the mind)」(訳者註:1978年の鄧小平の有名な演説での言葉)や「踏み石を探って川を渡る(crossing the river by feeling the stones)」(訳者註:鄧小平の政権運営や経済政策実行について表す有名な言葉)といったスローガン、最優先原理としての発展(development as the overriding principle)、「一部の者が先に豊かになること[先富論](allowing some people to get rich first)」、対外開放(opening to the outside world)、西側からの学習(learning from the West)、そして世界との統合(integrating with the world)であった。一方、「新時代」の言葉が語るのは、党による全面的指導(the party’s comprehensive leadership)、安全保障(security)、闘争(struggle)、自立(self-reliance)、共同富裕(common prosperity)、中国式近代化(Chinese modernization)、「東の台頭と西の衰退(the rise of the East and decline of the West)」、そして「百年に一度の大変局[百年未有之大变局](changes unseen in a century)」といった概念である。

一方は中国を閉鎖から開放へ(from closure toward openness)と向かわせた。もう一方は中国を開放から統制(from openness back toward control)へと引き戻そうとしている。一方は市場と社会がそのエネルギーを解き放つことを許容した。もう一方は社会と市場を再び党の秩序(1the party’s order)の下に組み込もうとしている。

鄧小平の改革は、本質的に毛沢東時代からの後退であった。それは、旧体制を継続することは不可能であり、経済的・社会的領域を政治の支配から解放しなければならないという認識に基づくものであった。対照的に、習近平の改革の本質は、鄧小平時代に解放された権力、資源、領域を再び取り戻し、それらを党による中央集権的かつ統一的な指導の下に置くことにある。

つまり、「改革(reform)」という言葉は残っているが、改革の魂(the soul of reform)は変化した。改革時代は習近平によって過去のものとして封印され、中国史の1ページとして書き記された。公式な言説の中で記念され続けることはあっても、もはや中国の現在や未来を規定するものではない。

※デン・イーウェン:中国の作家・学者

(貼り付け終わり)

(終わり)

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