古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 映画

 先日、久しぶりに映画館に行き、公開中の映画「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方(The Apprentice)」(アリ・アッバシ監督)を鑑賞してきた。約2時間の映画だ。この映画は、ドナルド・トランプ(Donnald Trump、1946年-、78歳)が父親の創業したトランプ・オーガナイゼイションで副社長(と言いながら、実際は所有する低所得者向けアパートの住人から家賃を取り立てる仕事)をしていた若い時から、コモドアホテルの跡地をハイアットグランドセントラルに再生する一大プロジェクト、トランプタワーの建設、アトランティック・シティのカジノ経営へと突き進む中年期前期の時期の、トランプの上昇を描いている。トランプの若い時のことが詳しく描かれている。

 トランプにとって大きな転機となったのは、連邦政府から人種差別(所有するアパートにアフリカ系アメリカ人を入居させなかったという疑い)で裁判を仕掛けられ、厳しい状況に追い込まれた中で、有名な敏腕(悪徳)弁護士ロイ・コーン(Roy Cohn、1927-1986年、59歳で没)と知り合ったことだ。ニューヨークでも有名人や富豪が集まるクラブに顔を出した若き日のトランプがロイ・コーンと初めて会うシーンは圧巻だ。ロイ・コーンの秘書兼愛人(同性愛)のラッセル・エルドリッジが、やや不機嫌な顔で、コーンが呼んでいるとトランプを呼びに来て、厨房を通って秘密の部屋に行くと、ジョン・ゴティを始めとするマフィアの親分衆(堅気の商売をしている)が集まるテーブルに案内させる。そこにロイ・コーンがいた。ロイ・コーンは親分衆に自分が税務当局に狙われているということを述べ、「あいつらは復讐しようとしている」と述べた。ここで復讐という意味で、イタリア語の「ヴェンデッタ(Vendetta)」という単語を使っていた。これは、もう命のやり取りをするという深刻な言葉だ。ロイ・コーンはニューヨークのイタリア・マフィアの世界にどっぷりとつかっているということになる。このマフィアたちがニューヨークの立法、司法、行政を牛耳っており、彼らとつながらないと何もできない、そして、トランプはそこに入れてもらったということを示しているシーンということになる。

 ロイ・コーンは、強烈な反共主義者であり、検事時代には、ローゼンバーグ事件(1951年)に関わった。これは、ジュリアス・ローゼンバーグ(Julius Rosenberg、1918-1953年、35歳で没)とエセル・ローゼンバーグ(1915―1953年、37歳で没)夫妻がソ連に核兵器情報を流したというスパイ事件だった。夫ジュリアスの死刑は容易に決定されたが、妻エセルに関しては子供たち(息子2人は後に経済学者と弁護士になった)が小さいということもあり、死刑にはならないという雰囲気であったが、コーンは強引に死刑判決が出るように導いた。このことは映画の中でもコーンの台詞として出ている。

 ロイ・コーンはその後、1950年代の「マッカーシズム(McCarthyism)」「赤狩り(Red Purge)」でも活躍する。赤狩りの主人公となった連邦上院議員ジョセフ・“ジョー”・マッカーシー(Joseph Raymond "Joe" McCarthy、1908―1957年、48歳で没)は、を上院政府活動委員会常設調査小委員会(United States Senate Homeland Security Permanent Subcommittee on Investigations)や下院非米活動委員会(House Committee on Un-American Activities)を舞台にして、リベラル派や共産主義に寛容な政治家や知識人(共産主義のシンパたち)を攻撃した。ロイ・コーンはマッカーシーに次ぐ実力者となり、赤狩りを断行した。マッカーシズムが沈静化してからは失脚したが、実力のある弁護士としてニューヨークを拠点にして活躍した。ロイ・コーンは民主党員でありながら、共和党の政治家たちを支持していた。

 トランプはあの時代はまだ民主党で、そうでなければニューヨークの地場の政治(タマニーホール以来の)に食い込めなかっただろう。民主党や労組が如何に腐敗していたか、ボス政治(bossism)をしていたかということも面白かった。また、保守派だと自認しているロイ・コーンは資本主義とデモクラシーを守ると言いながら、やっていることは酷くて、酒、麻薬、乱交で、若き日のトランプ(まだ普通の人らしさが残っている頃)は混乱していた。

 映画の後半で、新しい恋人なのか、ロジャー・ストーン(Roger Stone、1952年-、72歳)が登場してくる。ロイ・コーンはトランプに対しストーンを紹介するときに、「ニクソンの熱心な支持者であり、政治に詳しい人物」として紹介している。ロジャー・ストーンは選挙参謀として、リチャード・ニクソンやロナルド・レーガンに仕えている。トランプにも近づき、映画の最後では、レーガンの選挙スローガンとして「Let’s Make America Great Again」を紹介しているシーンがある。後にはトランプの選挙参謀も務めている。 

この映画では、1970年代のアメリカの閉塞感が良く出ていた。途中で、日本の存在感が大きくなっていく様子が出ていた。「日本は金を持っている」という趣旨の発言をトランプがしている。そして、トランプは台湾の銀行からお金を借りていたということも分かった。WASPではない、イタリア系、ユダヤ系、アイルランド系がごちゃごちゃと脅迫する、もしくは協力しながらいろいろやっていたのだと改めて勉強になった。

 ハイアットグランドセントラルの落成パーティーのシーンだったか、トランプが親しげに「アキオさん」とアジア系の男性に話しかけるシーンがある。映画館で売っているパンフレットには、アメリカ政治研究の大物学者である村田晃嗣(むらたこうじ)先生(同志社大学法学部教授、同志社大学元学長)が映画評の文章を掲載されている。この中で、村田先生は、トランプが「モリタさん」と呼びかけたと書いているが、私の記憶では「アキオさん」だ。そして、私もこの人物がソニーの盛田昭夫だと思ったが、別の場面(アトランティック・シティのカジノ建設)で、トランプとお金のことで揉めていたことを考えると、「ソニーの盛田がアトランティック・シティのカジノ建設にお金を出していたのだろうか、これはおかしいな、このアキオさんはモリタさんではない」と考えた。

 トランプ関連の日本人で「アキオさん」と言えば、柏木昭男(1937-1992年、54-55歳で没)ということになる。不動産投資で莫大な資産を築いたバブル紳士だ。ギャンブラーとしても有名で、1990年にはアトランティック・シティのカジノでトランプと勝負して、勝利したという逸話が残っている。しかし、最終的には1000万ドルの負けを喫し、その後は各地のカジノで負け続けたということだ。1992年には何者かに殺害され、犯人は検挙されず、事件は時効を迎えている。この柏木昭男とトランプはカジノでのギャンブルでの負けの負債だけではなく、不動産開発をめぐって、色々なことがあったのだろうと推測されるが、何も分からない。

映画にはヤンキースの名物オーナーだったジョージ・スタインブレイナ-や、メディア王ルパード・マードックも出てきた。彼が『ニューヨーク・ポスト』紙を買収してから、トランプを取り上げるようになって、人気が出たということも興味深かった。ロイ・コーンが婚約しながら結婚しなかったバーバラ・ウォルターズの有名なトランプへのインタヴューシーンもあったが、女優ライトみたいなのをあてられているウォルターズというのは監督の嫌味というか面白がりなんだろう。

この映画はアメリカ政治の知識が多少あればまぁ楽しめると思うが、普通の日本人にはちょっと難しいかもしれない。あと、字幕で、killer instinctを「闘争本能」と訳している部分と「勝負勘」と訳している部分があったが、まぁcontextということになるんだろう。英語が分かる人は字幕に頼らずに見た方が映画により面白く迫るだろうと思う。
(終わり)

sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 日本映画と言えば、黒澤明と三船敏郎の名前を外すことはできない。そして、「七人の侍」と「羅生門」は日本だけではなく、全世界で今でも高い評価を受けている。私事で恐縮だが、私が留学した南カリフォルニア大学の映画学科は、ハリウッドに近いという土地柄もあって、全米でも1、2の評価を植えていた。何よりジョージ・ルーカスが卒業生で、スティーヴン・スピルバーグは入学できなかったということも、自慢と笑い話の種だった。そのスピールバーグは後に南カリフォルニア大学に寄付をして、彼の名前の付いた建物がキャンパス内に存在する。その映画学科の壁だったかに、これまでの世界の名作映画のシーンが壁画写真のように貼られていて、その中に、「七人の侍」のシーンもあった。また、留学時代には、複数の教授に「君は『羅生門』を見ましたか?」と言われ、「いいえ」と答えると、「日本の映画でしょう、見なくてはいけませんよ。あれは社会科学を学ぶ人間にとって重要ですから」と異口同音に言われた。後に、1つの出来事について、複数の人がこれが真実だと話す内容に矛盾が生じる現象のことを、「羅生門効果(Rashomon effect)」と呼ぶということを知った。黒澤映画は偉大であり、世界の様々な映画人たちに影響を与え続けている。

kurosawaakiramifunetoshiro011
黒澤明と三船敏郎

 「七人の侍」が公開70周年を迎え、リマスター版が全米で公開されているそうだ。下の論稿は外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌に掲載されたものだ。フォーリン・ポリシーはたまに映画の評論を掲載することがある。このブログでも「ドライブ・マイ・カー」や「ショーグン」についての記事をご紹介したことがある。映画評論家ジョーダン・ホフマンが、如何に「七人の侍」と黒澤明監督が素晴らしいのかということを書いている。なるほど、そういうことだったのか、ということが書いてある。これを読むと、「スター・ウォーズ」は、「七人の侍」のオマージュみたいなものではないか、とさえ思ってしまう。映画に詳しい人たちからすれば当然のことかもしれないが、何かを知る、気づくというのは、各個人のタイミングがあるということで、大きな心で、ご寛恕いただければ幸いだ。

(貼り付けはじめ)

公開70年周年、『七人の侍』は何十年経った今でも鮮明だ(At 70, ‘Seven Samurai’ Is Still Sharp After All These Years

-新たにリマスターされたこの名作が、「マグニフィセント・セブン(The Magnificent Seven)」から「バグズ・ライフ(A Bug’s Life)」までの映画にどのような影響を与えたのか。

ジョーダン・ホフマン筆

2024年7月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/07/07/seven-samurai-remastered-70-kurosawa/?tpcc=recirc_latest062921

sevensamuraiforeignpolicy20240707001

1954年の「七人の侍」で菊千代を演じる三船敏郎

ニューヨーク大学映画学部の新入生として、私と友人数人は珍しい挨拶をした。「私たちは粥で生きている!(We live on rice gruel!)」。キャンパスの周りで会ったら別の言葉を言っていただろう。「キビでなんとかなるよ!(We’ll make do on millet!)」。

これらのやりとりは、黒澤明監督の『七人の侍(Seven Samurai)』(1954年)の初期のシーンから来ている。この映画は、ショット/リバースショット(shot reverse shot 訳者註:人物Aが(多くは画面の外にいる)人物Bを見ているカットに続いて、人物Bが人物Aを見ているカットを繋ぐ映画技法)や第四の壁(the fourth wall 訳者註:舞台と客席を分ける一線)などの映画言語(language of cinema)についての概念を初日に教えるために、やや強制的に見せられた映画だ。現在の学生たちは、歩けるようになる前から iPhone で遊んでいて、既に血の中に組み込まれている習慣となっている。「七人の侍」は文字通りの教室の課題として提示されているが、知ったかぶりの18歳の間で内輪ジョークとして流用されているのは、この世界映画のランドマークを見ることが宿題のように感じられないことの証拠だ。実際、この夏リマスターされて北米全土の映画館で、公開70周年を記念して、「信念を持った善良な男たちが勝てない戦いに直面する(good guys with a code facing an unwinnable battle)」映画を見直して、今も昔も同じように楽しいことを思い出させてくれた。

20世紀半ばに発表された、影響力を持った、いわゆる外国映画のラシュモア山(Mount Rushmore、記念碑)を彫るとしたら、「七人の侍」の三船敏郎の狂気の剣士菊千代の姿が、4つの花崗岩の顔の中に入るに違いない。イングマール・ベルイマン監督の「第七の封印(The Seventh Seal)」(1957年)のマントをまとった死神の像、フェデリコ・フェリーニ監督の自己神話化した「)」(1963年)のフェドラと鞭を持ったマルチェロ・マストロヤンニ、そして、フランソワ・トリュフォー監督の監督デビュー作「大人は判ってくれない(The 400 Blows)」(1959年)のジャン=ピエール・レオーが演じた不登校の若者たちの隣に彫られるだろう。(フランスのヌーヴェルヴァーグとしては、ジャン=リュック・ゴダールの「勝手にしやがれ(Breathless)」も挙げられるが、私が「大人は判ってくれない」を選んだのは、このように全ての映画のタイトルに数字が入っているからだ)

黒澤監督は「羅生門」(1950年)の公開後、既に国際的に有目になっていたが、この時代劇は、複数の人々が暴力事件を自分たちの視点によって異なる形で思い出すという内容だったが、「七人の侍」は国内で成功を収めたと同時に、「剣!アーチェリー!馬!泥!厳しい!」世界の残りの部分を巻き込むのに十分な糸口を引き裂いた。

戦後の日本映画は当初、武士の物語の伝統を掘り下げることに消極的であり、当時、封建領主に対する盲目的な忠誠(blind loyalty to feudal lords)という概念は当然のことながらあまり人気がなかった。「七人の侍」の公開の前と後に公開された最も有名な日本映画2本は、基本的に年長者たちを失望させた現代性(modernity)を示しながら巨大な罪悪感を描いた小津安二郎監督の「東京物語(Tokyo Story)」(1953年)と、国家全体の終末的な悪夢(nation’s collective apocalyptic nightmare)でありながら、現在まで人気のシリーズになっている本多猪四郎監督の「ゴジラ(Godzilla)」(1954年)である。「七人の侍」は、1500年代後半の戦国時代(Sengoku period of civil war)を舞台にしている。この混乱の時代には、多くの武士階級に主君(masters)がいなかった。これらの男性の多くは傭兵(mercenaries)になったが、そのうちの何人か (7人) が、正義の行為のため、不可能な可能性に対して力を合わせることを決意した話を想像してみて欲しい。古典的な日本の英雄主義を再考しながら、当時の感情を認識しつつ、この映画では、お粥を持っていて、それも食べていた

この映画で描かれた波乱万丈の舞台は、当時の日本史上最も高価なものであり、それまで明確だった階級制度の境界線を曖昧にする(blurring the lines of a previously clear class system.)という副次的なテーマと同様に、急速に近代化しつつあった日本の心に響いたことは間違いない。菊の花が咲き乱れる草原で、農家の娘・志乃(津島恵子)と恋に落ちる勝四郎(木村功)や、武士階級の詐称が明らかになりながらも、戦いの中でその実力を証明する三船演じる菊千代は、古典的な映画の登場人物のように感じられるかもしれないが、新しいアイデンティティを模索する戦後の日本にとって、これらの罪はもっと深いレヴェルで響いたのである。

sevensamuraiforeignpolicy20240707002
「七人の侍」の映画の1シーン

「七人の侍」のストーリーは非常にシンプルで、いくつかのエネルギーに満ちたセットに分かれている。207分のこの大作 (侍1人あたり約29分) は、小さな村を略奪し、収穫物を枯渇させ、女性を誘拐する山賊によって田舎が恐怖に晒されている時代に設定されている。既に残虐な扱いを受けている村人たちは、すぐに再び標的にされることを認識しており、外部の力を借りて自分たちを守ることを決意する。しかし、彼らはどうやってお金を払うことができるのか(上記参照:「私たちはお粥で暮らしています!」)? 不思議に思うかもしれない。絶え間なく戦争のような音を響かせる水車のある水車小屋の中に住んでいる賢明な長老は、その答えを知っている。その答えとは、ただ侍を見つけるだけではなく、「腹を空かせた侍を探せ(find hungry samurai)」だった。

気弱な村の代表たちは町へ向かい、勘兵衛(志村喬)の勇気と創造的な思考を目の当たりにする。村人たちは、勘兵衛に仕事に参加するよう説得し、それから勘兵衛は仲間を集める。その中には氷のように冷たい剣士・久蔵(宮口精二)も含まれる。また、天才軍師の五郎兵衛(稲葉良雄)、熱心な、裕福な郷士出身で見習いの勝四郎、そして、やがてショーの真のスターとして浮上する、ゆるい大砲の菊千代がいた。他に2人の男がいる。1人は士気を上げる将校で、もう1人はただの勘兵衛の仲間だ)とにかく、このプロットに見覚えがあると思われるなら、それはそうだ。これは何度か西部映画に使われており、最も注目に値するのはガンマンのシーンだ。「荒野の七人(The Magnificent Seven)」「マグニフィセント セブン(The Magnificent Seven)」 (1960年と2016年)SF冒険活劇「宇宙の7人(Battle Beyond the Stars)」(1980年)、そして更に範囲を広げるならば、間抜けなコメディ「サボテン・ブラザース(Three Amigos!)」(1986年)と、ピクサーの漫画「バグズ・ライフ」(1988年)もお勧めだ。これらを超えて、非常に多くの標準的な映画の比喩がこの映画にルーツを持っている。

最も明白なのは、勘兵衛がチームを強化する映画の第一幕です。過度に知的化する(intellectualize)必要などない。彼が潜在的な仲間を見極め、テストし、アピールするのを見るのはただ楽しい。また、新たな仲間が加わったと思われる素晴らしい瞬間もあるが、当の侍は、この仕事には金も名声もないと聞いて、そのアプローチを無視する。ディズニーが東宝スタジオを買収した場合、あの男に何が起こったのかを解明する限定ストリーミングシリーズが期待できるかもしれない。とにかく、「特攻大作戦(The Dirty Dozen)」から「ブルース・ブラザーズ(The Blues Brothers)」、『ライトスタッフ(The Right Stuff)』、『オーシャンズ11(Ocean’s Eleven)』、「スクール・オブ・ロック(School of Rock)」に至るまで、全ての映画は『七人の侍』に大きく負っている。

もう一つの影響力のある展開は、村人たち(そして観客である私たち)が最初に勘兵衛に出会う様子だ。町では泥棒が子供を誘拐して建物に立てこもり、大騒ぎになっている。勘兵衛は髪を切り(武士にとっては大変なことだ)、僧侶の格好をして、一連の格闘の末にスローモーションで子供を救出して悪役を倒す。本当のミッションに到達する前に、ミニミッションを通じてヒーローを紹介することは、今では非常に一般的になっており(全てのジェームズ・ボンド映画を思い浮かべて欲しい)、それがどこかで始まったと考えるのは面白いことだ。

ニューハリウッドのいわゆる映画小僧(movie brats of New Hollywood)の多くは、黒澤監督を尊敬しているが、後にその影響力を利用して黒澤監督が大規模なプロジェクト「影武者」の資金を獲得するのを手助けしたジョージ・ルーカスほど尊敬している人はいない。他の黒澤映画とスター・ウォーズの間には、より一対一の対応関係が存在するが (最も有名なのは、1958年の「隠し砦の三悪人(The Hidden Fortress)」がオリジナルとなった R2-D2 C-3POで、コミック・リリーフ(two comic-relief)の2人の農民が王女を救う冒険に協力するというもの)、「七人の侍」には、はるか彼方の銀河に到達したものがまだたくさんある。

まず、シーン間のワイプ技術(wipe transitions)がそうだ。そして、暗闇の中で身をかがめ、切り詰められた知恵を話す賢明な長老は、「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」版のヨーダではないとしたら誰なのだろうか? 勝四郎と志乃のロマンスは、ハン・ソロとレイア姫の関係を逆転させたようなものだ。しかし、技術的なレヴェルでは、最終決戦のアクションの高まりを指摘することができる。爆発するデス・スターは存在しないが、複数のカメラを配置して同時に撮影した黒澤監督は、同じ戦いを様々な角度から撮影するだけでなく、いくつかの小競り合いの間もカットし、最終的にスリリングではあるが痛ましい勝利に至るまで全てを構築している。

sevensamuraiforeignpolicy20240707003
 
「七人の侍」のポスター

当時最も印象的であり、そして今でも熱いのは、「七人の侍」の最も印象的な要素である三船だ。当時の日本映画に見られた典型的な寡黙なスタイルは言うに及ばず、どの基準から見ても爆発力のある演技者である三船は、スタンリー・コワルスキーとウディ・ウッドペッカーを掛け合わせたような存在だ。ある瞬間は筋肉質で、次の瞬間は派手でルーキーでガチョウのようだ。「欲望という名の電車(A Streetcar Named Desire)」のマーロン・ブランドのように、三船は予測不可能な磁力であらゆるシーンを支配する。(そのように明言されたことはないが、『サタデー・ナイト・ライブ』でジョン・ベルーシが演じた有名なサムライのキャラクターは、基本的に三船の誇張されたヴァージョンである。)菊千代は大酒飲みで野蛮だが愚かでもあり、必要な時には、傷つきやすい人物でもある。燃え盛る建物から幼児を救出する彼のシーンは、おそらく映画全体の中で最高のものだろう。他の俳優ならこの役を単に騒々しくて迷惑な役を演じただろうが、三船はその役を官能的で魅惑的で普遍的なもの(sensuous, mesmerizing, and sui generis)に変えてしまう。 70年経った今でもこの映画について語り継がれる理由はたくさんあるが、最大の理由は彼にある。

この映画の記念日は、初の4Kへのリマスタリングと北米での重要なリリースを意味する。 (ニューヨークとロサンゼルスだけでなく、オハイオ州アクロン、ケンタッキー州パデューカ、オンタリオ州キッチナーなどの場所でも公開される。) 15分の休憩とポップコーンを買うための少しの時間を加えて、私たちは映画館での拘束時間は4時間だ。今日の集中力の持続時間は限られており、多忙なスケジュールを考えると、この映画のプログラミングは不可能な挑戦のように思えるかもしれない。たとえコストがかかっても、その呼びかけに耳を傾け、正しいことを行う準備ができている人がまだ十分にアメリカに存在していることを願っている。

※ジョーダン・ホフマン:ニューヨーク市クィーンズ在住の映画評論家・エンターテインメントジャーナリスト。

(貼り付け終わり)

(終わり)

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

ドライブ・マイ・カー』は米アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した。日本映画13年ぶりの快挙だった。私自身は映画をほぼ見ない人間で、このように一般的なニューズになって初めて、そのような素晴らしいと評価される映画があったのかと知るくらいのことだが、『フォーリン・ポリシー』誌に『ドライブ・マイ・カー』を紹介する論稿が掲載されていたのでご紹介する。
drivemycar511
『ドライブ・マイ・カー』

 この映画の濱口竜介監督はこの映画を韓国で撮影しようとしたが、新型コロナウイルス感染拡大もあって、日本の広島を舞台に設定して撮影したということだ(韓国では釜山を舞台にする予定だったそうだ)。

 下記の論稿では、日本と韓国の映画やエンターテインメント業界の比較を行い、日本の問題点を指摘しながらも、日本の映画業界が多くの情熱と才能に溢れた人々の努力によって前進しているということが述べられている。私は個人的に岡本喜八監督の映画が好きで、1950年代から60年代にかけて、日本映画は全盛期だったということは知っている。著名な映画監督(スティーヴン・スピルバーグやジョージ・ルーカス、クゥエンティン・タランティーノなど)が日本映画、黒澤明や溝口健二の影響を受けていることは知られている。

それ以降、映画業界全体がテレビに押され、元気を失ってしまった時代に生まれ育った。1990年代後半に大学生だったが、映画が好きだという知人と話をしていて、「自分は洋画ばかり見ている。邦画はつまらない」と言っていたことを思い出す。

 濱口監督が韓国映画の撮影手法やインフラに魅かれて、韓国で撮影しようとしていたという話は興味深い。日本映画の隆盛で「日本で撮影をしたい」「日本映画に学びたい」となることを望む。映画のような文化やエンターテインメントで自国の魅力を発信することは、軍事力や経済力とは異なるが、それはそれで「パワー」である。ジョセフ・ナイが述べた「ソフト・パワー」ということになる。もちろん、国策映画やプロパガンダではよくないが。

 文化を守り育てるためには、何よりも人々の余裕がなければ難しい。現在の日本ではそれは難しいことである。しかし、たとえ衰退国家であっても文化は必要だ。人間は楽しみや遊びがなければ生きていけない。遊びをせんとや生まれけむ、だ。

(貼り付けはじめ)

『ドライブ・マイ・カー』は日本映画を永久に変化させた(‘Drive My Car’ Could Change Japanese Cinema Forever

-今年のアカデミー賞ではこの日本映画が最優秀作品賞の候補に挙がっている。

エリック・マルゴリス筆

2022年3月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/03/27/oscars-2022-drive-my-car-best-picture-nominee-japan/?tpcc=recirc_trending062921

2年前、韓国の『パラサイト 半地下の家族(Parasite)』が、外国語映画として初めてアカデミー賞最優秀作品賞を受賞し、世界に衝撃を与え、映画を一変させた。今年は、日本の芸術的で瞑想的なドラマである『ドライブ・マイ・カー(Drive My Car)』が最優秀作品賞の候補に挙がっている。オッズは不利だが、日本映画の受賞は革命的と言えるだろう。

1950年代から1960年代にかけて日本映画は黄金時代の中にあった。その後、日本の映画界は浮き沈みを繰り返しながら苦闘してきた。『乱』(1985年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『君の名は』(2016年)などの映画が世界の注目を集め、活況を呈した時期もあった。しかし、批評家のお気に入りでも、人気を集められない映画が多くなっている。一方、日本の映画製作者たちは、国内市場という狭い視野に立ち、海外にアピールすることを考えずにいる。

日本映画として初めて作品賞にノミネートされた、伝説的な黒澤明監督の作品集以来、アカデミー賞で最も成功した日本映画として、『ドライブ・マイ・カー』は歴史、芸術性、ソフトパワー、そして幸運の特別な組み合わせによってこの位置に到達した。

一方では、主要なストリーミング・パートナーを持たない静かなトーンの3時間の中程度の予算の外国映画である『ドライブ・マイ・カー』は2022年にビジネスとしては成功する可能性が低い映画である。しかし、批評家や専門家は、『ドライブ・マイ・カー』は傑作だと絶賛している。

濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』は、俳優で演出家の家福悠介が、妻の死の直前に浮気が発覚し、その喪失感に悩む姿を描いたフィクションである。東京から広島に移り、アントン・チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を多言語化した作品を演出するが、主演に妻の元交際相手を起用するなど、抑制的だが時に力強い作品となっている。

村上春樹の同名の短編小説を原作とする『ドライブ・マイ・カー』は、濱口監督のこれまでの作品に比べると実験的な要素は少なく、説得力のある人間ドラマと大胆な芸術的意思決定の境界線を見事に行き来している。「RogerEbert.com」の映画評論家であるカルロス・アギラは、『フォーリン・ポリシー』誌に「これは絶対にベスト・ピクチャーに値する」と述べている。アギラは「この作品は、悲しみに対処する方法と、人と人とのつながり、特に痛みを分かち合うことが、重荷を一人で背負うことからいかに解放してくれるかという、微妙に強力なドラマだ」と語っている。

家福のつながりの源は、寡黙な若い女性、渡利みさきだ。彼女は家福の広島滞在中の運転手である。最初は、渡利のような若い女性を、愛車のサーブ900ターボの運転手として雇うことに抵抗があったが、彼女はすぐに自分自身の力を証明する。2人は毎日の長い通勤の中で心を通わせ、やがて辛い過去を癒す手助けをするようになる。

数人の大スターとそれなりの予算、そしてインディーズ的なメンタリティのバランスをとることで、『ドライブ・マイ・カー』は日本国内でもユニークな映画になっている。東京在住の日本映画・アニメ記者マット・シュリーは『フォーリン・ポリシー』誌の取材に対し、最近の日本映画のほとんどは、安価なインディーズ映画か、大予算のドラマやアニメの映画化であると語った。シュリーは、「中間が空洞化したようなものだ」と指摘する。シュリーは「『ドライブ・マイ・カー』は、90年代に日本映画が海外の映画祭でとても良い成績を収めていた頃を思い起こさせる作品だ」と語った。

『ドライブ・マイ・カー』は、その制作、輝き、そして有名なストリーミング・パートナーがいないため、綿密な配給が特徴的だ。しかし、ハリウッドの状況や視点の変化も、このノミネートを可能にする重要な役割を担っている。現在、作品賞の候補作品は5ではなく10作品であり、昨年はクロエ・ザオが監督賞を受賞し、ユン・ユジョンが演技賞を受賞するなど、アジア人受賞者の先駆者が何人も誕生しており、アカデミー賞でアジア人やアジア系アメリカ人が投票に参加し、受賞する前例ができた。2015年と2016年、2年連続で主要演技部門のノミネート20人全員が白人だったことで批判にさらされたアカデミーは、より多様なメンバーに向けて拡大を図ってきた。

『ジャパメリカ:日本のポップ文化がいかにしてアメリカに侵攻したか(Japanamerica: How Japanese Pop Culture has Invaded the U.S.)』の著者であるローランド・ケルツは、「イカゲームはNetflixの最大のヒットの一つで、もちろん全てのストリーミング大手がアニメ資産のライセンスを取得しようと躍起になっている」と述べた。

日本国内では、ほとんどのコメンテーターがこのノミネートを驚きとともに歓迎し、同時にこの可能性が何年も前から着実に積み重ねられてきたことを指摘している。テレビプロデューサーの佐久間宣行はニッポン放送の番組で、今回の受賞は日本のインディーズ映画界が10年間、着実に向上してきたことの積み重ねであると語った。また、日本の映画界における労働や男女の不平等などの問題を研究・提言しているNPO法人「日本映画プロジェクト」のメンバーでジャーナリストの伊藤えりなは、濱口監督の才能と、彼の作品を可能にした日本映画の偉大な歴史の両方によって、今回のノミネートがもたらされたと述べた。

しかし、ほんの2年前でも、日本のコメンテーターたちは、日本が『パラサイト』のような国際的なヒット作を生み出す可能性について、どこまでも悲観的だった。韓国は日本と違い、過去数十年間、映画やエンターテイメント産業に積極的に投資してきた。確かに、日本の芸術や文化は、マンガやアニメの人気の急拡大や新型コロナウイルス感染拡大以前の観光ブームを通じて、その影響力を増大させている。しかし、韓国の映画やドラマの隆盛に比べれば、日本の実写映画やテレビは海外で成功するような構造にはなっていない。実際、『ドライブ・マイ・カー』は、労働力を正当に補償せず、国境を越えることに失敗した日本の映画産業の中では、多くの意味で異端児的存在だ。

伊藤はEメールを通じて次のように述べている。「日本の映画界にいるほとんどの人はフリーランスだ。彼らは映画が好きで、良い映画を作りたいと思っている人たちだが、労働契約もなく、労働基準法も守られていない酷い環境下で働かされている(具体例としては、長時間労働、低賃金、パワハラ、セクハラ)」。

日本の映画界には、ハリウッドのように労働者を保護する労働組合がないことが特徴である。その結果、過酷なスケジュールと低賃金で、常に優秀な人材を業界から追い出している。また、日本の製作委員会制度も大きな問題で、5から10社がそれぞれ資金を出し合って映画を製作する。

シュリーは「映画が失敗しても、1社も倒産しないので、財政面では理にかなっている。しかし、多くの監督は、別々の利害関係者が全て異なるクレームが入ることで、創造性が破壊されると文句を言っている」と述べた。

しかし、濱口監督は大手映画製作コングロマリットに頼ることもなく、日本映画の標準的な世界を代表しているわけでもない。また、濱口監督は長いリハーサルのスケジュールで、役者たちに素材を消化し、記憶する時間を与えることで、異端児であることを証明した。日本映画の多くはリハーサルなしで撮影される。

実は、濱口は当初、韓国の優れた映画製作のインフラに頼って、自分のヴィジョンを実現するつもりだった。広島ではなく、韓国の釜山を舞台にする予定だったが、新型コロナウイルス感染拡大でそれが頓挫した。この歴史の一致は驚くべきアクシデントである。『ドライブ・マイ・カー』は、日本映画の成功のために、韓国の優れた映画制作の才能に依存する予定であった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、『ドライブ・マイ・カー』は国産映画となった。

濱口監督は釜山国際映画祭の記者会見で「韓国映画の隆盛と影響力に注目した。そして、韓国の映画人の仕事ぶり、映画制作のやり方から多くを学べると思った」と語った。

『ドライブ・マイ・カー』は、今年の最優秀作品賞を受賞しない可能性が高い。『パラサイト』のような人々へのアピールもなければ、ハリウッドで受賞者が通常行うようなPRもできないからだ。これほど長時間の映画かこの部門を受賞するのは約20年ぶりのことで、より大きなスタジオと競争することになる。アカデミー賞の準備期間中、作品賞にノミネートされた作品の広告がロサンゼルスに溢れ、今年のノミネート10作品のうち、ロサンゼルスで積極的な受賞キャンペーンを行っていない作品は『ドライブ・マイ・カー』だけだ。

アギラは「『ザ・パウア・オブ・ザ・ドッグ』にはNetflixとその全てのリソースがあり、つまり彼らはより多くの宣伝費を払い、より目につくようにすることができる』と語った。ラスベガスでアカデミー賞の結果に賭けている人の間では、『ザ・パワー・オブ・ザ・ドッグ』が-155(勝つ確率50パーセント以上)、『ドライブ・マイ・カー』が324日の時点で+10000(勝つ確率1パーセント)になっている。

それでも、『ドライブ・マイ・カー』のノミネートは、既に日本だけでなく海外でも成果を上げている。国際的なノミネートを通過するたびに、アメリカ映画以外の作品への注目度が高まり、勢いを増す。日本の映画業界関係者たちは、このノミネートをきっかけに、日本の配給会社やスポンサーが、才能ある映画制作者により良い予算と芸術的な自由を与え、賃金や労働条件を改善することを望んでいる。しかし、製作委員会が濱口監督のような才能ある監督に、彼らの芸術的なヴィジョンを実現する力を与えることができればの話ではあるが。

日本映画界の関係者の大多数にとって、『パラサイト』は実現不可能な理想を示していた。批評家や観客に愛され、国内映画を世界の舞台へと押し上げる国際的ヒット作となった。日本の映画監督たちは常に韓国の映画製作のインフラや労働条件に感銘を受けており、濱口監督も新型コロナウイルス感染拡大がなければ韓国で『ドライブ・マイ・カー』を撮影していたかもしれない。しかし、この歴史の偶然によって、日本国内で楽観主義が拡大している。

近年、日本の大衆文化に対する韓国の大衆音楽や映画の優位性が叫ばれている。しかし、日本文化を海外に発信し、日本文化を支えるインフラとしての『ドライブ・マイ・カー』の成功は、『パラサイト』なくしてはあり得なかったと言えるだろう。『パラサイト』のような大ヒットがあったからこそ、『ドライブ・マイ・カー』のような芸術的なドラマが生まれたのだ。アジア文化と世界のポップカルチャーは、多くの人が主張する以上に相乗効果があり、濱口監督の場合は文字通りコラボレーションしている。

『パラサイト』、村上春樹、米アカデミーによって称賛されなかった何世代もの日本の映画監督たちが整備してくれた道のおかげで、『ドライブ・マイ・カー』は歴史を切り拓く機会を得ている。また、今回のノミネートは日本映画界が成長しようと決心すれば、日本映画を永遠に変える機会でもある。映画製作者たちにとってはまだあまり大きな変化はないが、3月27日のアカデミー賞で何が起こるかにかかわらず、日本映画の未来はこれまでと同じくらい明るいことは間違いないところだ。

※訂正(2022年3月28日):佐久間宣行の発言の誤った翻訳を削除した。

※エリック・マーゴリス:作家・翻訳家

(貼り付け終わり)
(終わり)
※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 

 今回は映画『ダイナマイトどんどん』をご紹介したいと思います。

dynamitedondon009
ダイナマイトどんどん [DVD]

 

 『ダイナマイトどんどん』は1978年に制作された映画です。監督は岡本喜八、主演は菅原文太です。舞台は昭和25年ごろの北九州小倉で、伝統的な任侠道を追求する岡源組と新興勢力の橋伝組が激しく抗争を繰り返しています。この映画ではユーモラスに流血の場面は描かれていませんが、実際には相当激しい抗争があったのだろうと思います。現在でも、小倉を拠点にしている工藤会は武闘派として、手榴弾を使うなど荒っぽいことでも知られています。


 

 抗争に業を煮やした警察署長は小倉の親分衆を警察署に集め、脅したり宥めたりしながら抗争の鎮静化を要請します。そして、抗争は暴力ではなく、野球の試合で決着をつけろ、とういうことになります。どの組も組員内の野球経験者を探したり、新たに身を持ち崩した元野球選手たちをスカウトしたりしますが、橋伝組は特に札ビラ攻勢で、有力選手を次々と獲得します。一時期のプロ野球のようです。プロ野球のスカウト合戦については、『あなた買います』という映画(同名小説が原作)があります。南海ホークスに外野手と入団し、後に監督となった穴吹義雄(高松高―中大)のスカウト合戦の実話が小説化され、映画化されています。

 

 菅原文太演じる主人公の加助は、岡源組の組員で野球経験もありますが、野球の試合をやることなどに気が進まずに、ティームに参加しませんし、野球なんかできるかと毒づきますが、最後には参加することになります。橋伝組には、北小路欣也演じるハンサムな元中学野球(現在の高校野球)のエース(身を持ち崩している)・橘銀次が参加し、加助とは恋のライヴァルということになり、勝負は白熱します。最後はやっぱりドタバタの暴力沙汰となります。タイトルは、岡源組のティーム岡源ダイナマイツの掛け声「ダイナマイトー、どんどん」から来ています。

 

 「ヤクザ(暴力団)が野球ティームを作り、何かを賭けて試合をする」というプロットで思い出したのは、漫画の『じゃりン子チエ』に出てくるエピソードです。主人公チエの住宅兼店舗(ホルモン焼きと酒の店)をヤクザが取り上げようとして、野球の試合をするというもので、ヤクザのティームに昔甲子園で活躍した名投手がおり、最後に打たれ、店は守られるという内容でした。

 

『じゃりン子チエ』の作者はるき悦巳は、映画のプロットをそのまま使ってしまう癖があるようで、『じゃりン子チエ』に出てくる猫・小鉄が主人公の外伝『どらン猫小鉄』では、映画『用心棒』(黒澤明監督)そのままのエピソードがあり、これは現在は絶版になっています。この外伝は、舞台は九州北部で、猫たちがダイナマイトを投げ合うという内容になっていて、これは、『ダイナマイトどんどん』から着想を得ているのではないかと思います。『用心棒』と『ダイナマイトどんどん』を混ぜてオマージュしたというところでしょう。


jarinkochie005

 

 『ダイナマイトどんどん』は野球がメインなのでどうしても野球のシーンが長くなって、ちょっと冗長かなと思いますが、大変面白く見ることが出来る映画です。「民主主義の世の中になったのだから抗争(出入り)も民主的に」「それなら、アメリカから教えてもらった民主主義、最も民主的な野球だろう」「市民に愛されるヤクザになろう」という馬鹿馬鹿しい発想から野球大会となる、というのはぶっ飛んでいる感じがして面白い。

 

日本人は本当に野球が好きだった(今はだいぶ人気が落ちている)のだなと思わされます。そして、ヤクザという世界も怖いもの見たさもあって興味がある、好きなのだということです。『ダイナマイトどんどん』それらが一緒になって痛快な映画となっています。

 

そして、うわべだけの民主化を皮肉たっぷりに馬鹿にしている、形だけ真似をして本質を理解しない日本人の姿を描いているようにも思います。結局最後は暴力に戻ってしまうところも日本らしいところです。

 

監督役の元プロ野球の有名選手で、徴兵され戦争で負傷して(左手と足に重傷を負った)野球を続けられなくなった人物・五味徳右衛門(フランキー堺が演じています)が出てきます。この人は平安高校(現在は龍谷大学付属平安高校)を率いて全国制覇を果たした西村進一氏がモデルになっていると思われます。西村氏は旧制平安中学から立命館大学に進み、その後、名古屋軍でプロ野球選手として活躍します。


nishimurashinichi001
西村進一 

その後、徴兵され、フィリピンで戦い、右手首を失うという重傷を負い、野球選手としては再起不能となります。復員後は、指導者として平安中学野球部を率い、右手の義手にボールを乗せ、左手でバットを操りノックを行うなど熱血指導で、平安高校を全国制覇に導きました。元名選手が不遇な状態になり、指導者となるというのは漫画『タッチ』でもこのようなプロットがあったように記憶しています。

 

 ヤクザを使って世の中を風刺するという意味では、小林信彦の『唐獅子株式会社』という小説と通底するところがあります。この小説も後に映画化されます。小林信彦の『オヨヨ大統領』シリーズと『唐獅子株式会社』を読むと、1970年代の日本の雰囲気を味わうことが出来ます。真面目に茶化すという点で、岡本喜八監督とは表現方法は違いますが、共通しているとことがあると思います。

kobayashinobuhiko001
小林信彦

 
okamotokihachi001
岡本喜八

 この『ダイナマイトどんどん』は、以前にご紹介した『ブルークリスマス』と同じ1978年に公開されています。同一監督が同じ年に2回も映画を公開するというのは、映画全盛期だと珍しくないのでしょうが、現在では聞いたことがないように思います。岡本監督の気力や体力が充実していたのだろうと思いますが、方向性の違う2つの作品を共にうまく仕上げるというのは凄いことだと思います。

 

(終わり)

アメリカ政治の秘密日本人が知らない世界支配の構造【電子書籍】[ 古村治彦 ]

価格:1,400円
(2018/3/9 10:43時点)
感想(0件)

ハーヴァード大学の秘密 日本人が知らない世界一の名門の裏側[本/雑誌] (単行本・ムック) / 古村治彦/著

価格:1,836円
(2018/4/13 10:12時点)
感想(0件)





このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 


 舞台は1980年の東北地方の寂れた廃村。この村は満洲引揚者が戦後に入植してできただ。無償提供された土地は農耕に適していなかったために、入植後約30年が経ち、村に残ったのは、主人公のユミエ(大竹しのぶ)と娘のエミコ(伊藤歩)だけだった。夫は東京に出稼ぎに行き、そのまま蒸発してしまった。他の家族は、村を捨てて出て行ったり、一家心中をしたりした。

 

 2人は誰からも見捨てられ、生活は困窮し、餓死寸前にまで追い込まれる。そこで、二人は身なりを整え、「客」を取ることにした。それから次々と男たちがやってくる。最初は山の向こうのダム建設現場で働く、東京からの出稼ぎ者(木場勝己)であった。彼は2万円払い、ユミエと寝る。そのアフターサービスに出されたのが、猛毒入りの焼酎。一気飲みした彼はそのまま泡を吹いて死亡する。母娘は死体を一輪車に乗せて外に運び出す。喜納昌吉&チャンプルーズが1980年に発表した『花〜すべての人の心に花を〜』を歌いながら。

 

 2人目は、電気代を支払ったので、電気再開のためにやってきた技師(六平直政)。電気を復活させた後、ユミエの客となる。3人目はこちらも代金を払ったために確認にやってきた水道職員(田口トモロヲ)。4人目は1人目の客となったダム工事の現場監督の助手(柄本明)。彼は行方不明になった男を探しにやってきた。5人目は、電気技師の上司(魁三太郎)、6人目は、ダム工事の監督(原田大二郎)。前半部は「語り→セックス→死(殺害)」の繰り返しであった。それをずっと見ていたのは、森に棲むふくろうであった。

 

後半部になると、とたんにシリアスな話になっていく。前半部は「語り→セックス→死(殺害)」の繰り返しであったが、警察官、県の職員である引揚者援護課の男、エミコの幼馴染が出てきてからは、大変シリアスな話になる。彼らもまた死を迎える。ユミエとエミコは全てを片付けて、朗らかに村を出る。

 

 私がまず思ったのは、1980年の日本でこのような困窮者が存在するんだろうか、警察が月に1度巡回して、その生活の困窮ぶりを見ている訳だから、生活保護なり、他の手段なり、行政が何らかの手段を講じるのではないか、という点が疑問に残った。野暮なことは言いっこなし、あくまで芸術だからと言われてしまえばそうなのだが。電気を止められ、水道まで止められてしまって、木の根を食べるというのはどうかと思うが、この村が戦後の入植地であり、本村から七曲りの峠を登ってこなければならないということになると、親戚はいないだろうし、地元の人たちからすればヨソモノであって、心配をしてやる必要なんかあるものかということもあったかもしれない。

 

 映画の中で「リストラ」という言葉を使っていたが、この言葉が1980年に人口に膾炙し、寂れた寒村に住むような主婦や少女に理解できたとは思えない。1980年と言えば、私は6歳であったが、そのような言葉が「会社からの解雇」の意味で使われていたという記憶はない。「レイオフ」とか「解雇」という言葉ならあったように思う。

 

 前半部の登場人物たちは、ほとんどがセックスをして、その余韻の中で死んでいくのだが、それぞれのスケッチでは、登場人物たちの人生と日本の戦後史が語られていく。この点が重要なのではないかと思う。

 

 後半部は、停滞した物語を終わりに向かわせるために、急に動きが早くなる。それは物語を終わりまで運ぶために取ってつけたような感じになりかけるが、最後にユミエとエミコが朗らかに村を出る決心をするところで、それもまたよしだなぁと思わされた。主人公のユミエ役の大竹しのぶは怪演と言ってよいくらいに様々な表現をしていた。その他のキャストも十分に素晴らしい演技であった。監督の要求に応えているのだろうと思う。

 

 私は映画をほとんど見ない。詳しくない。だから、映像がどうとか、俳優がどうとかということは分からない。難しいことは分からない。しかし、この映画は面白かった。こんな話はあり得ないよ、だって連続殺人で出てくる主要な男性キャストはほとんど殺害されるんだよ、しかも、殺害した母娘が捕まらないんだし、と思った。しかし、そんな無粋なつっこみを跳ね飛ばすだけの力があった。

 

 この映画が公開されてヒットしなかっただろうし、興行収入も低かったんじゃないかと思う。舞台はほぼ家の中だけだし、俳優陣は豪華だったけど、そんなにお金がかかっていなかったことは素人でも分かるから、赤字になることはなかっただろう。

 

 このような不思議な映画が出てくるところに、日本映画全体が持っている力があるのではないかと思う。日本映画はつまらない、面白くないと言われていて、映画に疎いので、「そんなものなのかな」と思っていた。しかし、面白い作品があるではないかという気持ちにさせられた。こうした映画を生み出せるのだから、全体として日本映画は調子は悪いのかもしれないが、死んでいる訳ではないと思う。

 


(終わり)





 
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ