古村治彦です。
2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号の、佐藤優先生の書評コーナー「名著、再び」にてご高評いただきました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
現在、ディズニー+で配信されているドラマシリーズ「ショーグン(将軍)」の評判が良い。映像に迫力があり、物語もシリアスな展開であるということだ。戦国末期、関羽柄の前の歴史を基にしているということで、日本人視聴者にはお馴染みの話だ。
1980年には、NBCが「ショーグン」のドラマシリーズを制作した。この当時、日米貿易摩擦が起き、日本の経済力が高まる中で、「日本の経済侵略」という言葉も出てきて、アメリカでは日本脅威論が出ていた。エズラ・ヴォ―ゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』も同じくらいの時期に出ていた。「日本を知りたい(どれくらい気尿なのか)」という欲求がアメリカ側にあったと思う。
1980年当時、私は6歳だった。小学校に入ったばかりの頃だ。NBCの作ったテレビシリーズ「ショーグン」のことはうっすらと覚えている。おそらく再放送で見たのだと思う。大人たちは戸田鞠子を演じる島田陽子の入浴シーン、ヌードシーンに大きな関心を持っていたと記憶している。大人たちは、島田陽子は「国際女優」になると噂していた。作家・評論家の小林信彦は「ショーグン」のパロディを書いていたと思う。「黙ってかしずいて男に尽くすきれいな日本人女性」「野蛮な日本対文明化された西洋」というステレオタイプ、オリエンタリズムが満ちていたと思う。今回知ったのだが、アメリカで放送されたNBC版では、日本語はそのまま放映されて、吹替も字幕もなかったのだという。「主人公のブラックソーンと同じく言葉が分からない中での不安」を視聴者にも感じさせるという狙いがあったということだ。日本で放映された時には、おそらく英語の部分に字幕を付けたのだろうと思う。
1980年の「ショーグン」での島田陽子の入浴シーン
2024年の「ショーグン」は1980年のものとだいぶ変わっているそうだ。1つには、主人公が徳川家康がモデルとなっている吉井虎永(真田広之)であり、ドラマの大部分が日本語で進んでいく中で、英語字幕が付けられているということだ(欧米の視聴者は字幕を読みながらの映像視聴は苦手と言われて避けられてきた)。また、女性たちのキャラクターや役割もより積極的なものとなっているということだ。エキゾティックな風味は残しながら、現代的な要素が入っているもののようだ。更には、西洋中心主義的なドラマ制作ではなくなっているということも大きい。現在、配信されている「三体問題(三体)」は内容の難解さもあるだろうが、舞台をロンドンに移し、原作の小説から内容を大きく変更している。そのために評価が芳しくないということがあるようだ。
西洋中心主義で見た非西洋は、非西洋に住む人々から見れば、それこそかなり「奇妙」な姿となる。日本人である私たちは、西洋の映画やドラマで描かれている日本やアジアの姿についてかなり奇妙に感じる。それが今回の「ショーグン」ではだいぶなくなっているようだ。それは西洋中心主義の減退を示す兆候であると思われる。
1980年の「ショーグン」から数年後に、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」が公開されて話題となった。「戦場のメリークリスマス」はローレンス・ヴァン・デル・ポストの短編「影さす牢格子」と「種子と蒔く者」を原作にして、大島渚がメガホンを取った。あの映画の中にある「不自然さ」は何なのかということを私は考えていたが、今回、あれは、大島渚の西洋中心主義やオリエンタリズムから見た日本と日本人という姿を、「あなたたちにはこのように見えているのだろう」という形で描いたことで、二重に屈折したものとなっているのではないかと考えるに至った。大島渚からの西洋中心主義やオリエンタリズムに対する、痛烈な批判とパロディと反撃だったのだろうと思う。
最後の最後で脱線してしまったが、2024年の「ショーグン」
(貼り付けはじめ)
テレビの新しい「ゲーム・オブ・スローンズ」は17世紀の日本が舞台(TV’s New
‘Game of Thrones’ Is Set in 17th-Century Japan)
-「ショーグン(Shogun)」は、44年前のシリーズを現代の好みにぴったりと合わせてアップデートしたものとなっている。
ジョーダン・ホフマン筆
2024年3月30日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2024/03/30/shogun-game-of-thrones-hulu-japan/
「ショーグン(Shogun)」の中で吉井虎永役を演じる真田広之。
●「冬がやってくる」を日本語ではどのように言うか?(How do you say
“Winter is coming” in Japanese?)
FXプロダクションが制作し、現在、アメリカではHulu、その他の地域ではディズニー+でストリーミング配信されている新シリーズ「ショーグン」は、視聴者に「ゲーム・オブ・スローンズ」を思い出させるかもしれないと言っても、ほとんど批判とはならない。ジョージ・R・R・マーティンの小説を基にしたHBOのスペクタクル「ゲーム・オブ・スローンズ」は、私たちの時代の最も変革的なテレビイヴェントの1つであり、似ているが模倣ではないシリーズを生み出した何人かの製作者にインスピレーションを与えた。Netflixには「ザ・ウィッチャー」があり、Amazonには法外に高価な「ロード・オブ・ザ・リング: 力の指輪」があり、HBOにはゲーム・オブ・スローンズの前編「ハウス・オブ・ザ・ドラゴン」があり、どれも魅力的だが、「ゲーム・オブ・スローンズ」を超えるまではいかなかった。
しかし、ついに後継者が誕生したことを報告できることを大変嬉しく思う。私たちの集団的な情熱に火をつけたのは、魔法使いや翼のある獣ではなかったことを後継者は証明した。私たちの想像力を征服したのは、さまざまな目的を持った複雑なキャラクターのパレット、厄介な同盟、そして不可解な計画だった。「ショーグン」は、ジェームス・クラベルの1975年のベストセラー(doorstopper)の『ショーグン』(1980年にはテレビドラマ化もされた)を原作としたもので、17世紀初頭の日本の権力闘争(power struggle)をフィクション化したもので、権力闘争を維持してきた指導者の死後、5人の地方領主が主導権を争うというものである。安定しているが、息子が統治するには若すぎる。この物語にスパイスを加えているのは、ポルトガルのイエズス会(黒船がマカオに秘密基地[secret base]を建設中)と、この地域におけるポルトガルの足場を不安定にする秘密の使命を帯びてオランダ国旗を掲げて航行している狡猾なイギリス人水先案内人(pilot)の到着である。 しかし、彼らの役割は小さいものとなるだろう。とにかく、私がここまで書いた紹介は非常に短いものであるが、読者である皆さんの関心を引くことができればと考えている。
「ショーグン」は、特別な精神的努力が要求されるが、その努力が報われる、珍しいテレビシリーズである。(幸いなことに、FXプロダクションは登場人物全てを把握できるよう、徹底した学習ガイド[study guide]を作成している)。加えて、歴史と本物の習慣に根ざした描写がなされていることが、この作品に大きな重みを与えている。知っての通り、真実はしばしば小説よりも奇なりである(Truth is often stranger than fiction)。
しかし、「奇妙さ(strangeness)」という言葉は、特に他国の歴史を題材にしたハリウッドを拠点とする作品にとって、昨今は、多くの批判を招くような、定まらない言葉となっている。2018年8月にこの「ショーグン」シリーズの制作が発表されるとすぐに、プロデューサーたちは、それ以前のNBCテレビのシリーズは大きく異なるものになるとを明言した。リチャード・チェンバレン、伝説となっている三船敏郎、ウェールズ出身の性格俳優ジョン・リース=デイヴィスが屈強なスペイン人を演じ、オーソン・ウェルズがナレーションを担当した1980年の「ショーグン」は、「ルーツ」、「ナザレのイエス」、「戦火の風」、「ノース・アンド・サウス」などを含む大予算のミニシリーズの流行の頂点であり、日本のあらゆるものに対するアメリカの関心の高まりに完璧にタイミングを合わせた、高い視聴率を獲得した大作となった。そしてこの作品は、西洋人の主人公の視点から語られ、古典的な、「白人が救世主となる」型(classic white savior trope)が使われた。
「ショーグン」のストーリーは、日本に最初に航海したイギリス人となったウィリアム・アダムス(William Adams)の実人生に大まかに基づいており、「ショーグン」の中核をなすものだが、ジャスティン・マークスとレイチェル・コンドウの夫婦のタッグによって開発された新シリーズは、クラヴェルが書いた小説の内容を取り入れつつ、その幅を広げている。コスモ・ジャーヴィス演じるアダムスのキャラクター、ジョン・ブラックソーンは、今や吉井寅永(真田広之)や戸田鞠子(アンナ・サワイ)を含む、同じく重要な3人の主人公の1人となっている。実際、オープニング・クレジットでトップを飾るのは真田広之だ。
新しい物語の1つの指標はこれだ。1980年版では、登場人物が日本語を話しても翻訳されなかった。「視聴者はブラックソーンと同じ状況に置かれ、彼と同じように何が起こっているのかを知ることになる」とプロデューサーは当時、この創造的な選択について自慢していた。現在のヴァージョンでは、話し言葉の日本語には字幕があり、それは文字であって装飾ではない。しかも、ストップウォッチを使って正確に測定した訳ではないが、ドラマの約4分の3は日本語だ。
プロデューサーの何人かは日本人だが、脚本家はそうではない(もっとも、一部は日本の血を引いているが)。そのため、会話は英語で書かれ、それから厳格に日本語に翻訳され、英語は話せないが専門知識を持った日本人劇作家に引き渡された。そしてこうして作成された日本語の台詞を字幕用に翻訳し返した。シーンの多くには、言葉を通訳し、選択するための緊張感のある会議がなされた。こうした努力は、アンナ・サワイのような優れたパフォーマーにとって、声ではあることを言いながら、表情では別のことを意味するという、信じられないほど肥沃な基礎となった。 (あまり複雑にしないように注意するが、物語の中では誰も英語を話していない。ただし、一部の登場人物はポルトガル語を話すが、それが英語のように聞こえる。信じて欲しい。ドラマを見てもらえば、私が言っていることが分かってもらえるだろう)。
これが「ショーグン」が何か別のことをしながらの視聴(passive viewing)に向かない理由の1つだ。インスタグラムを片目で見ながらテレビを見ている人は、この作品に問題を感じるだろう。(そして、するべきことは、スマホを置くことだ!)様々に移り変わる立場を持つキャラクターが次々と登場するだけでなく、中心的なテーマの1つは、欺瞞と発覚の遅れである。この物語は、誰が一体何を考えているのかが分からないことが成功の鍵を握っている。これは「八方塞がり(eightfold fence)」に象徴される。日本の鎖国哲学(Japanese
philosophy of isolation)は長年にわたって政治的な駆け引きに役立ってきたが、「ショーグン」のような濃厚なドラマでは、女性が夫への永遠の愛を公言しているとき、内心では死んでしまいたいと願っているかもしれないということを意味する。
「ショーグン」で戸田鞠子を演じるアンナ・サワイ
新シリーズが視点を広げる(そして女性の役割も強化する)という決断を下したことで、17世紀の日本文化がちょっと、いや、強烈に奇妙に見えるような題材が削ぎ落とされるのではないかと心配する人たちもいただろう。率直に言おう。
私たちが現在生きている、過敏な時代に、囚人の苦悶の叫び声を聞きながらボーッとするために、囚人を生きたまま茹でるような描写が必要だろうか? 答えはイエスだ。そして、そのサディスティックなキャラクターは決して善人ではないが、最後には少し好感が持てるようになる。
さらに極端な(そして早速第1話で出てくる)のは、自分を擁護する発言をしたにもかかわらず、儀礼に反した方法でそれを行った部下が、儀礼に則った自殺をするだけでなく、自分の幼児を殺さなければならないことをキャラクターが受け入れる時だ。それは、彼の家系を確実に絶つためだった。しかもそれを承認するのは我らが主人公である真田広之演じる虎長である。
実際のところ、頻繁に行われる切腹という行為は、ブラックソーンの西洋人の目には不可解な日本の風習の1つに過ぎず、彼のキャラクターはその点では視聴者の代弁者であり続けている。(苔を踏むのは無礼であるという信念ははるかに良心的である。)
しかし、チェンバレンのブラックソーンからの重要な変化は、ジャーヴィス演じるブラックソーンは頻繁に泣き言を言う嫌なやつだということだ。ジャーヴィスの演技は、トム・ハーディの最もエネルギッシュな時の演技に少し似ているが、短気で唾を吐き、罵倒ばかりしている、吹けば飛ぶような嫌な奴で、おそらく最初から冷静になればもっと楽に物事を進められるだろう。(それは時に笑いを誘うものであり、実際その通りだ。)日本人は彼のことを「あの野蛮人[The Barbarian]」と呼ぶが、当時のイギリス人の入浴に対する態度を見れば、片付け上手な日本人と比べて、その理由が分かるだろう。私が「ショーグン」に対して与える最高の褒め言葉の1つは、定期的に、「待てよ、なぜ私はこの中の誰かを応援しているんだ!」と思いながらも、ドラマの中で多くのことが危機に晒されていると感じられることだ、ということだ。
このシリーズには凄惨な流血の描写(gore)も多いが(CGで作られた馬が大砲の弾に当たるとどんなふうに見えるか、今ならよく分かる)、圧倒的な美しさがある。着物にかけた予算は屋根を突き抜けていたに違いない。明らかにグリーンスクリーンが追加されているシーンでさえ、丁寧にライトアップされている。これは、ショッキングな暴力描写があるにもかかわらず、秩序と気品を重んじる文化にとって重要なことだ。1時間のエピソードが10もあるので、お茶の正しい出し方、酒の注ぎ方、あるいは自分の商売に誇りを持つ芸者がいかにしてそれを芸術にまで高めることができるのかについて、じっくりと考える時間がある。
「ショーグン」の1シーン。樫木藪重を演じる浅野忠信とヴェスコ・ロドリゲスを演じるネスター・カーボネル
しかし、ストーリーに説得力がなければ、そんな細かいことはどうでもいいことで、クラヴェルが何かを掴んでいなければ、2100万部も本を売ることはできなかっただろう。おそらく『ショーグン』が彼の最も有名な作品だろうが、X世代の子供だった私は、あちこちの表紙で彼の名前を目にしたのを覚えている。私の母は、ハードカヴァ―で2巻に分かれた巨大な『ノーブル・ハウス』を何カ月も持って読んでいた。彼の作品のほとんどは、より大きな「アジアン・サーガ(Asian Saga)」シリーズの中に収まっているが、1980年代初頭には、ディストピア短編小説(『ザ・チルドレンズ・ストーリー』)を基にしたテレビスペシャルを監督し、人気テレビ番組『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』でパロディにされるほどの影響力を持っていた。
しかしながら、異国情緒(exoticism)や複雑な歴史がある分、登場人物たちの内なる希望や欲望が後を引く。「花は散るからこそ花なのだ(Flowers are only flowers because they fall)」という台詞は、文脈からすれば陳腐なものに思えるかもしれないが、「ショーグン」の繊細な世界では、この特別なシリーズにいくつもある名台詞の1つであり、完璧な瞬間なのだ。
※ジョーダン・ホフマン:ニューヨーク市クィーンズ在住の映画評論家・エンターテインメント・ジャーナリスト。
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