古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 世界政治

 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 電気自動車分野の動きに関して、ここ数回、このブログでもご紹介している。アメリカは中国製の電気自動車に対して、関税100%を課す決定を下した。この措置は、アメリカの国内市場で、中国製の電気自動車がシェアを広げており、アメリカ政府としては、経済問題と安全保障上の問題として、懸念を持っていることを示している。世界最大の電気自動車メーカーであるテスラにしてれば、ありがた迷惑な措置であることは前回の記事で書いた。

 アメリカは、電気自動車に必要不可欠なバッテリー分野で重要な存在となっているインドネシアとの間での自由貿易協定を結ぶことを躊躇している。インドネシア政府が、精錬されていないニッケル(バッテリーにとって必要な鉱物資源)の輸出を禁止したことで、インドネシアにニッケル精錬工場や、バッテリー製造工場を建設するために、各国が投資を行っているが、その中心は中国である。中国が関連しているニッケル精錬工場からのニッケルや、バッテリー製造工場からのバッテリーを、アメリカ国内に入れることに、バイデン政権は躊躇しているようだ。「インドネシアはいつまでもはアメリカを待っていられないよ」とルフット・ビンサル・パンジャイタン海洋・投資調整担当大臣名で『フォーリン・ポリシー』誌に掲載した論稿についてもこのブログで既にご紹介している。

そうした中で、イーロン・マスクがインドネシアを訪問し、ジョコ大統領とルフット大臣と会談を持ったということ、インドネシア国内にバッテリー製造工場を作ると発言したことは重要だ。イーロン・マスクはアメリカ政府の意向に反するような動きをしているが、これはマスクからすれば当然の動きだ。テスラは、中国市場が最大の得意先であり、中国の上海で製造している。中国が既に進出しているインドネシアに進出して、バッテリー工場を作るというのは、これもまた当然のことだ(中国資本の精錬工場からのニッケルを使うだろう)。アメリカが中国とインドネシアを排除している中で、テスラが入って、電気自動車分野に関して、三角形を形成している。そこにアメリカが入れないというのは、アメリカにとって大きな痛手である。

 インドネシア政府の海洋・投資調整府(Coordinating Ministry for Maritime and Investment Affairs)が、インドネシアにおける電気自動車関連、最終的な電気自動車の生産と輸出を担当している重要な部署となっている。ジョコ・ウィドド大統領就任直後の2014年10月27日に設置された(ジョコ大統領就任は10月20日)。ジョコ政権下、海洋・投資調整大臣はルフット・ビンサル・パンジャイタンが一貫して務めてきた。大統領交代のため、ルフット大臣が退任し、エリック・トヒル国有企業大臣が後任大臣に就任するという予測が出ている。大きな政策変更はないということのようだ。以下に紹介している論稿では、東南アジア地域では、タイが最大の電気自動車市場になっており、輸出量も地域で最大になっているということだ。これは世界の巨大自動車メーカーがタイに進出しているということもあるだろうが、インドネシアにとっては手強い競争相手になる。また、ヴェトナムもヴィンファスト社という会社があって、既に電気自動車を輸出しているとのことだ。これは、おそらく、中国からの支援や協力があってのことだろう。こうやって、アメリカの影響力を削いでいる。

 電気自動車分野は、国際政治の最前線ということになる。ここでも、米中対立が起きているが、アメリカは中国に対して、既に劣勢に立っている。最先端分野でのアメリカの衰退は、アメリカの世界帝国としての終わりを告げている。

(貼り付けはじめ)

マスク氏、インドネシア大統領と会談 EV電池工場の建設検討へ

By Stefanno Sulaiman

ロイター通信 2024520日午後 3:04 GMT+92時間前更新

インドネシアのルフット海洋・投資担当調整大臣は20日、ジョコ大統領とこの日面会した米電気自動車(EV)大手テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)が同国にEV電池工場を建設する案を検討すると明らかにした。

[デンパサール(インドネシア 20日 ロイター] - インドネシアのルフット海洋・投資担当調整大臣は20日、ジョコ大統領とこの日面会した米電気自動車(EV)大手テスラ(TSLA.O), opens new tabのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)が同国にEV電池工場を建設する案を検討すると明らかにした。

マスク氏からコメントは得られていない。

同氏とジョコ大統領は20日にインドネシアのバリ島で開催された世界水フォーラムに出席後、会談を開いた。

また、ジョコ大統領はマスク氏にインドネシアの人工知能(AI)センターへの投資を検討するよう求めたほか、マスク氏の宇宙開発企業スペースXがパプア州ビアク島にロケット発射場を建設することを改めて提案した。

インドネシア政府は同国の豊富なニッケル資源を活用してEV産業を振興しようとしており、何年もテスラの工場誘致に力を入れてきた。

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インドネシアは電気自動車に大きく賭けている(Indonesia Bets Big on Electric Vehicles

-ジャカルタの最新の開発ギャンブルはグリーン転換にかかっている。

ジョセフ・ラックマン筆

2024年5月8日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/05/08/indonesia-electric-vehicle-green-transition-china-tariffs/

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ジャカルタで開催されたインドネシア国際モーターショーで、ヴェトナムの電気自動車ブランド「ヴィンファスト(VinFast)」が電気自動車VF7を展示(2024年2月24日)。

インドネシアの投資・海事担当調整担当(coordinating minister for investment and maritime affairs)副大臣ラフマト・カイムディンは、「中国は工業化するには40年から50年かかった。私たちはもっと速くする必要があるかもしれない」と述べた。インドネシア政府は、2045年までに先進国になるという野心的な目標を設定している。その一環として、電気自動車生産の世界的なハブ(global hub)となるという大きな賭けが行われている。

ジャカルタは、世界的なグリーン転換の中で、国内に埋蔵している莫大なニッケルとコバルトを成長の原動力にするチャンスに目をつけた。これらの鉱物はバッテリー生産に不可欠であり、鉱山から自動車ユーザーまでの国内サプライチェーン構築の基盤として利用できる。

今のところ、この賭けはうまくいっているようだ。インドネシアは現在、世界のニッケル生産の51%を占めており、コスト競争を圧倒し、コンゴ民主共和国に次ぐ世界第2位のコバルト生産国となっている。韓国のヒュンダイ、日本の三菱自動車、中国の五菱、奇瑞、DFSKの5社がインドネシア国内で既に、少数ではあるが、電気自動車を生産しており、今後更に多くの電気自動車が生産することが期待されている。大手電池メーカーや電池材料メーカーもこれらの企業と一緒にインドネシアに進出している。

この電気自動車という新興産業分野は、国内問題、地政学的保護主義、環境問題、技術革新など、無数の仕掛け線(tripwire)に直面しているが、楽観できる理由もある。ビジネス情報会社「ベンチマーク・ミネラル・インテリジェンス」のバッテリー・電気自動車担当主任アナリストのルーク・ギアは、「控えめに見積もっても、インドネシアは2030年までに年間50万台の電気自動車を生産できるようになるだろう」と述べている。

インドネシアの開発アジェンダ全体が電気自動車に懸かっており、その前途は険しいからだ。2045年までに政府の開発目標を達成するためには、インドネシアの成長率を平均5%前後から6~7%に引き上げる必要がある。最も基本的なレヴェルでは、インドネシアが望ましい商品を生産し、労働者が生産性の高い仕事に従事できるような産業からこれらの商品が生まれるようにし、これらの産業を構築するために必要な大規模な海外直接投資(foreign direct investmentFDI)を誘致できるようにする必要がある。もしそれができなければ、若い労働者と消費者からなるインドネシアの現在の人口ボーナスは、足かせに変わるだろう。希望は、今垣間見えるチャンスの窓がいつ閉じるのかという静かな不安と混ざり合っている。

電気自動車産業は、これらの条件を全て満たしているように見える。電気自動車市場は今後、猛烈な勢いで拡大すると予想されている。国際エネルギー機関(International Energy AgencyIEA)は、2035年までに販売される全ての自動車が電気自動車になると予測している。生産の大幅な増加によって生み出される雇用の多くは工場での仕事であり、工業化は労働者を農業や小規模サーヴィスなどの生産性の低い部門から生産性の高い部門に移動させる典型的な方法となる。これがインドネシアで起きることになる。

インドネシアは、莫大な重要鉱物資源を活用することで、海外企業にインドネシアへの投資を促し、鉱業に必要な直接投資を確保することを惜しまない。ニッケル鉱石の輸出禁止により、多くの中国企業がインドネシアでの精錬を開始した。2023年、中国企業はインドネシアの金属・鉱業プロジェクトに42億ドルを投じた。

現在、焦点はバッテリーと電気自動車生産の詳細を構築することに移っている。ここでインドネシア政府はムチよりもアメを投入している。補助金の対象となるには、インドネシアで製造された電気自動車が一定レヴェルの現地コンテンツ要件を満たす必要があり、この要件は時間の経過とともに増加している。しかし、その代わりに、これらの 電気自動車に対する付加価値税はわずか1% だ。この分野の主要投資家たちも10年間の納税猶予を受けている。インドネシアで生産を展開する際に、出荷する電気自動車には輸入税や奢侈税が課されない。

アメリカやヨーロッパの大手メーカーの多くはまだ参入を表明していないが、これは必ずしも問題になる訳ではない。その多くは世界的な電気自動車移行を呆然と見つめるだけで(caught flat-footed)、中国や新たな生産拠点の新興企業がチャンスを得ている。

しかし、この移行の裏返しとして、象徴的(totemic)な国家産業を保護したいという願望が、インドネシアの輸出への期待を台無しにする可能性のある先進国の保護主義を生み出しているということだ。ジョー・バイデン政権の電気自動車補助金には多くの条件が付けられており、インドネシアで組み立てられた電気自動車は排除されている。ヨーロッパ連合もまた、安価な中国製電気自動車が市場に流入することにパニックを起こし、ますます保護主義的な方向に進んでいる。インドネシアでは大量の石炭が燃焼されているため、同国の電気自動車は比較的炭素集約的である。

問題の1つは、グリーン・サプライチェーンにおける中国の支配に対する恐れである。しかし、これはほとんどの西側諸国の自動車メーカーが技術シフトについていけなかったことと表裏一体の関係にある。ステランティスはそれなりの業績を上げている。しかし、GM、フォード、フォルクスワーゲンは後塵を拝している。

競争力はないが政治的に重要な産業に対する保護主義について、長年にわたり発展途上国に説教してきた、西側諸国は、逆の立場になるとその姿勢を変えようとしている。保護主義や西側メーカーが採算の取れない電気自動車の撤退を遅らせていること、加えて、世界経済が不安定であることが、電気自動車の販売台数は伸び続けているものの、その伸び率は鈍化しており、下方修正されているとUBSの電気自動車バッテリー調査担当エグゼクティブ・ディレクターのティモシー・ブッシュは指摘する。

インドネシアの計画に対するもう一つの脅威は、更なる技術革新である。インドネシアの魅力の多くは、NCM電池に必要なニッケルとコバルトの豊富さにかかっている。しかし、過去5年間で、ニッケルもコバルトも使用しないLFP電池は、ニッチな製品から、電気自動車電池市場の40%以上を供給するまでになった。皮肉なことに、高価だが航続距離が長いNCM電池は、消費者が豊かで、世界的に見ても大変長距離を走る米国市場に最適かもしれない。しかし、インドネシアはその市場から締め出されている。

インドネシアはまた、電気自動車製造ブームに乗ろうとする他の国々との厳しい競争にも直面する可能性がある。ブルームバーグNEFのアナリスト、コマル・カレールは、「電気自動車に対する強い国内需要の欠如は、より多くの現地生産を誘致するためのハードルとなり得る。通常、バッテリーメーカーや自動車メーカーは、エンドユーザー層が厚い市場を好むものだ」と言う。実際、インドネシアは既にタイとの競争に直面している。タイは東南アジア諸国連合(ASEAN)最大の自動車輸出国であり、この地域最大の電気自動車市場を持っている。

この文脈では、インドネシアが長い間苦労してきた電気自動車分野に特化しない問題が特に重要になる。最近の改革は、外国人投資家の生活をより容易にしようとしている。しかし、非関税障壁は依然として大きな問題である。また、多くの企業にとって、この国の不透明な規制をナビゲートするための権力ブローカーとの関係が必要なのは、まさに生活の現実である。ニッケル部門における中国の主要投資は、海事・投資担当調整大臣であるルフート・ビンサール・パンジャイタン(インドネシアの便利屋[Mr. Fix It.])が指導している。

また、インドネシアの教育制度にはまだ多くの課題が残っており、競争相手の国々と比較しても一貫して悪い成績が続いている。電気自動車企業にとって、有能な労働者を見つけることは難題かもしれない。この問題をより深刻にしているのは、技術開発によって製造業の技能や資本集約度が高まり、労働吸収力が低下するという明らかな傾向である。電気自動車製造が熟練度の低い労働者の雇用を生み出す代わりに、インドネシアは少数の専門職のために適切な訓練を受けた労働力を提供するのに苦労することになるかもしれない。

それでも、こうした潜在的な問題が死刑宣告となる必然性はない。電気自動車の販売台数の伸び率が鈍化しているにもかかわらず、アナリストの多くは依然として強気で、世界市場は依然として力強く拡大していると指摘している。前述のベンチマーク社のギアは、インドネシアが魅力的なのは、その鉱物資源だけでなく、ASEAN最大の巨大な国内自動車市場があるからだ、と述べている。現在、国内の電気自動車普及率は低いが、需要は急速に伸びると予想される。強力な国内市場は、輸出に移行する企業をサポートするのに役立つだろう。

自動車メーカーが代替拠点としてインドネシアに目を向ければ、反中の保護主義がインドネシアに有利に働く可能性さえある。メイバンク・インベストメント・バンキング・グループの持続可能性調査責任者であるジガー・シャーは、「このような状況では、中国の自動車メーカーが採用する可能性のある最善の政策は、多くの拠点で現地に根ざした事業を立ち上げることだ」と語る。

有力な有力者たちとの関係が必要なため、物事が厄介になることもあるが、適切なコネクションを築いた企業にはレッドカーペットが敷かれる可能性がある。電気自動車メーカーに対する様々な優遇措置は、メーカーとの協議の上で決定されたものであり、投資を行う企業は、インドネシア政府が直面する問題を解決しようとしていることを期待できるだろう。また、プラヴウォ新大統領が誕生する一方で、ジョコ・ウィドド政権の主要人物が新政権で活躍することが期待されている。その中には、ルフット海洋・投資調整相の後任として一部で期待されている、大富豪のエリック・トヒル国有企業相も含まれている。

技術面では、LFPバッテリーの台頭が問題となる可能性があるが、対処可能な問題である。BMIの自動車アナリスト、コケッツォ・ツォアイは「LFPバッテリーはかなり大きなリスクだ」と述べている。しかし、ニッケルリッチ電池の市場シェアは、一時的な縮小の後、2026年に向けて回復すると予想している。エネルギー密度に関して、ニッケル電池の優位性は、様々な用途でニッケル電池が存在し続けることを保証するはずだ。また、先駆的なLFPブレード・バッテリーをほぼ独占的に使用するBYDによるインドネシアへの大規模な投資計画も、インドネシアがニッケル資源だけではない魅力を持っていることを示唆している。

また、製造における技術的な方向性も明確に定められたものではない。最近の研究では、電気自動車の労働集約性が低いかどうかが再評価され、ほぼ同じであるか、実際にはより多くの労働者が必要である可能性が示唆されている。特に市場シェアを拡大させている、BYDは労働集約的な生産モデルを開発しており、創業者は実際に自動車の製造には特に複雑な技術の習得が必要であることをきっぱりと否定している。

技術、市場、地政学がますます急速に変化する中、インドネシアが行う政策的な賭けは確実なものではない。ラフマット副調整相は次のように述べている。「私たちは成功するだろうか? その答えは時間が出してくれるだろう。私たちが知っているのは、立ち止まってはいられないということだ」。

※ジョセフ・ラックマン:インドネシアと東南アジアをカヴァーするフリーランス・ジャーナリスト。ツイッターアカウント:@rachman_joseph

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(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 ウクライナ戦争が始まり、2年以上経過している。アメリカ連邦議会が最近、ウクライナ支援のための9兆円の予算を承認可決し、ジョー・バイデン大統領が署名して法律となった。ここまで、ウクライナは西側諸国の支援を受けながら戦争を継続しているが、苦戦を続けている。ロシアは最近になって、ウクライナ東部での攻勢を強めている。ウクライナへの支援が強化される前に、要衝を押さえておくという考えであろう。

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ウクライナ戦争の戦況

 国際社会の動きで言えば、西側諸国(the West、ザ・ウエスト)がウクライナを支援する一方で、西側以外の国々(the Rest、ザ・レスト)はウクライナへの支援に消極的である。国連の場でも、国連総会におけるロシアに対する非難決議でも、西側以外の国々から反対、棄権が多く出た。西側諸国としては、西側以外の国々にウクライナ支援に賛成、積極的に参加してもらいたいところだ。しかし、グローバル・サウス諸国は、「自分たちには自分たちの問題があって、そちらの方の優先順位が高いのは当然だ」ということになる。インドを例に取ると、インドは経済成長著しい状態にあるが、そこで問題になるのは、資源高、特に石油価格の高騰である。インドは、アメリカとも同盟関係にあるが、ロシアからの安い石油を輸入している。インドにしてみれば、「他人の不幸を喜ぶ」ということになるが、これは、国際関係においては当然のことだ。

 西側諸国が西側以外の国々からの支援を受けようと思えば、手厚く支援をしなければならない。日本のODA外交はその一環である。西側以外の国々は、自分たちの有利な立場を利用して、より多くの支援を引き出そうとする。そのような動きをする。「狡猾、ズルい」という感覚を持つかもしれないが、繰り返すが、これは国際関係の実態である。そのような中を私たちは生きていかねばならないが、何よりも重要なのは、最悪の事態、戦争にならないようにすることだ。

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グローバル・サウスにとってウクライナが優先課題ではない理由(Why Ukraine Is Not a Priority for the Global South

-貧困諸国は徐々に、「私たちの優先事項があなた方にとってより大きな意味を持つようになるまで、あなた方の優先事項が私たちにとってより大きな意味を持つことはないだろう」と言い続けている。

ハワード・W・フレンチ筆

2023年9月19日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/09/19/unga-ukraine-zelensky-speech-russia-global-south-support/

 

ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領がニューヨークでの国連総会で演説を行うために国連ビルに到着(2023年9月19日)

今週、世界の指導者たちが年次国連総会のためにニューヨークに集まる中、彼らの演説のテーマの多くは非常に予測可能なものであるため、儀式化された国際的な議論の一部として理解される可能性がある。

気候変動と地球温暖化を防止する必要性についての議論が交わされ、その中には、海面上昇によって近い将来消滅する危険性のある小規模な島嶼諸国の指導者たちの感情的な訴えも含まれる。前時代のグローバリゼーションが後退しているように見える今、国際貿易に対する開放性を維持することが求められるだろう。権威主義的国家は、不干渉と強者による弱者の主権の尊重を求める常套句を繰り返すだろう。そしてもちろん、特定の地域であれ世界規模のものであれ、平和の促進を求める、真剣な声も上がるだろう。

一方、豊かな西側諸国からすれば、ロシアのウクライナ戦争ほど重要で大きな話題はないだろう。今年、ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領は、ウクライナの領土を吸収しようとする2年来のロシアの動きを食い止めようとする自国の努力に対する、アメリカや国際的な支援を強化する目的で、アメリカを訪問した

ウクライナの指導者ゼレンスキーの、国連への出席、そして今週後半にはワシントンでジョー・バイデン米大統領と会談する予定であることは、キエフとロシアの対立の国際的側面をまれなほど明確に浮き彫りにしている。それは、しばしばグローバル・サウスと呼ばれる地域の指導者多数が国連に到着した時期と一致するからである。

これまでの数カ月間、アメリカとヨーロッパの政治家や外交官たちは、グローバル・サウス諸国の政治家や外交官たちに対し、ロシアの侵略を非難する上で、原則として西側に肩を並べるよう懇請してきた。そしてほぼ同じ期間、西側諸国の当局者たちは、彼らの訴えに対する反応が弱かったことに困惑、落胆、悔しさを表明してきた。

このため、世界の貧困国や中所得国がなぜ明らかな大国の侵略事件にこれほど無関心なのかという問題は、魅力的かつ重要な問題であるにもかかわらず、これまで貴重なほとんど明確な思考の対象になってこなかった問題となっている。

一般的な見方では、グローバル・サウスの国々がロシアを批判することに消極的であるのは、弱者が長年採用してきた古くて論理的な戦略によるものだと思われている。つまり、いくつかの国々、例えば西側諸国に支配されているのであれば、より自由に動ける場所を手に入れるため、支配されている国々のライヴァル諸国を応援するというものだ。これは典型的なバランシング(balancing)であり、貧しい国々はロシアに対してだけでなく、過去数十年間の目覚ましい台頭の中で、中国に対しても同様のことを行ってきた。自分が弱ければ、パートナーを望むものだ。一般的に言えば、パートナーは多ければ多いほど喜ばしい。彼らがあなたの好意と支持を求めて競い合えば、猶更のことだ。彼らがいなかったら、何十年にもわたって国際システム、つまり、アメリカと西ヨーロッパを支配してきた勢力と手を組むことになるだろう。

この説明には真実が存在しているが、十分とは言えない。問題の核心に近づくためには、国際関係をめぐる標準的な言葉のいくつかを探らなければならない。グローバル・サウス(global south)はその1つであり、少しの精査にも耐えられない。他の人々が指摘しているように、このレッテルの下に日常的にまとめられている国々の多くは、特に南というわけではなく、イデオロギー的、経済的、民族的、言語的、あるいは人種的なものであれ、他の一貫した特質をほとんど共有していない。私は毎年春に大学でグローバル・サウスをテーマにした授業を担当しているが、毎年この命名法の問題に悩まされている。

ところで、西側諸国(the West)も、それ自体、あいまいで不正確な造語であり、注意深い思考にはあまり耐えられない。報道では、西側とはアメリカと東に拡大しつつある西ヨーロッパだけでなく、オーストラリア、ニュージーランド、そしてしばしば日本、イスラエル、韓国、アパルトヘイトの時代には白人支配の南アフリカも含むと日常的に理解されてきた。

しかし、西側として知られるこの便宜的な用語の下にひとまとめにされている国々の苦境と同様に、広く使われているもう一つの用語がある。それは「発展途上世界(developing world)」です。ここでの問題は、不正確さ(imprecision)と言うよりも、婉曲表現(euphemism)だ。私たちが発展途上国に属する国について話すとき、それは実際に発展していることを前提としているが、多くの人にとっては実際にはまったくそうではない。西側諸国はロシアのウクライナ侵攻に反対する支持を集めようとする一方で、発展途上諸国の無理解や西側諸国に対する信頼の欠如を嘆くこともある。

しかし、その理由の1つ、そしておそらく最も重要な理由は、チラチラと見えている。この軽率な言葉の使用は、「発展途上(developing)」諸国の多くが経済的静止状態、もっとひどい場合は停滞と経済後退に陥っているという現実を見えなくしている。ここで、作為的な国の集まりとは対照的な、ある真の地理的地域が明らかに際立っている。それはアフリカである。

世界の多くの国が、一人当たり GDP だけでなく、人間開発、長寿、環境福祉、社会福祉などの指標を含む他の多くの点でも、「先進(developed)」諸国にますます後れをとっているのは事実だ。しかし、アフリカは明らかに人間の緊急事態(human emergency)であるにもかかわらず、それ以外のものとして扱われてきた。ブルームバーグ・ニューズによる最近の報道では、アフリカ大陸の相対的な窮状が印象的に記録されており、この報道ではアフリカが過去10年間にどのように地位を失ったかが数多く記録されている。

西側諸国は、主に短期的な、利己的な目的のために、アフリカに対して選択的ではあるが弱めの注意を払っている。その中で最も明白なのは、人口の点で、世界で最も急速に成長している大陸からの大規模な移民のスピードの減速と、イスラム過激派との戦いである。これらの目的はどちらも、西アフリカにおけるフランスの崩壊しつつある立場の中心となっている。西アフリカではつい最近まで、フランスはサヘル地域の旧植民地に対して並外れた影響力を保っていたが、元植民地で属国であった国々が、怒りをもって、古い形のパートナーシップを放棄するのを目にするだけのこととなった。

これは長い間、フランスが「協力(cooperation)」と呼んでいたもので、実際にはアフリカ諸国政府への財政、外交、安全保障上の支援を意味し、移民を食い止め、宗教的反乱勢力と戦うことを優先していた。もちろん、世界基準で極端に貧しい人々の生活水準も含め、これらの国々の経済を向上させるための持続的で公的な説明責任を果たす努力は、ほとんど道端に置き去りにされてきた。

これは本末転倒の措置ではなかったか、と問われる時期が来ている。移民と原理主義者のテロと反乱を引き起こし続けているのは、貧困(poverty)と持続的な低開発(persistent underdevelopment)が原因ではないか? これがフランスとアフリカの旧植民地だけに関係する状況だと考えるのは怠慢ということになるだろう。以前にも書いたように、ガーナは西アフリカ「協力」の成功例として何度も取り上げられてきたが、同様に繰り返し壊滅的な債務危機(crushing debt)に見舞われてきた。ガーナが、安定の防波堤(bulwark of stability)であり、しばしば西洋型の民主政治体制(Western-style democracy)として想像されているものの模範とされてきた、この地域において、現在、状況が再び悪化しているのだ。

ガーナの問題(低・低中所得国の他の経済不振諸国の問題と同様)の責任の一部は、間違いなく自国の政府と、公務員の汚職や肥大化した国家(bloated state)に関連した問題にある。しかし、同様に、私たちの国際システムには、貧しい人々や弱い人々の足を引っ張り、軽視し、彼らの発展の努力を妨げる長年の構造的な問題が存在するのは間違いない。しかし、世界の富裕層はむしろ他のことについて話したがるだけだ。

この現実に正面から向き合う代わりに、ヨーロッパ諸国とアメリカ(西側諸国)は最近、世界の貧しい人々の同情と協力を求める外交政策の優先事項をもう1つ付け加えた。それは、ロシアに奪われた領土を取り戻すためのウクライナの戦いである。ウクライナがロシアに奪われた領土の支配権を取り戻す戦いである。しかし今、アフリカだけでなく、グローバル・サウス(成長していない国々を意味する)でも、私たちは曲がり角に来ているようだ。貧困層が富裕層に対して、「私たちの優先事項があなた方にとってより大きな意味を持つまで、あなた方の優先事項が私たちにとってより大きな意味を持つことはない」と言うケースが増えているのだ。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授。長年にわたり海外特派員を務めた。最新作に黒人として生まれて:アフリカ、アフリカの人々、そして近代世界の形成、1471年から第二次世界大戦まで(Born in Blackness: Africa, Africans and the Making of the Modern World, 1471 to the Second World War.)』がある。ツイッターアカウント:@hofrench

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 グローバル・ノース(global north)とグローバル・サウス(global south)、先進諸国(developed countries)と発展途上国(developing countries)というグループ分けが説得力を持っている。私は、「ザ・ウエスト(西側諸国、the West)対ザ・レスト(西側以外の二国々、the Rest)」という世界の大きな構造変化が起きていると考えている。

 これに対して、グローバル・サウスという言葉でひとまとめにすると、多種多様な国々の、多種多様な特徴や諸問題を把握することはできないという批判もある。下の論稿は、その代表例であるが、著者はインド系の人物である。インド系の人物が、グローバル・サウスという言葉を批判することには、何らかの意図、ヴェクトルがある。

 BRICSの中でも、インドは他の国々とは少し違う動きをしている。昨年、BRICS首脳会談の後に発表されるとされていた、ブリックス通貨について、ブラジルが賛成であったのに対して、インドが最後まで反対したために、発表がなされなかったということだ。インドは、インド太平洋安全保障のための、アメリカ主導の枠組みであるQUAD(日米豪印戦略対話、Quadrilateral Security Dialogue)に参加している。インドは、西側諸国と西側以外の国々の間に立とうとしている。それは、インドは、経済面や技術面で、まだまだ西側諸国との関係を必要としているからだ。更に言えば、ブリックス、グローバル・サウスの旗頭となっている中国に対するライヴァル心、反感がある。インドは経済力を上げており、名目GDPの面で、来年には日本を抜くという予測が出ている。購買力平価GDPでは、インドは既に日本を抜いている。インドはIT関係で成長しており、人口構成で見れば、国内市場において、「人口ボーナス」がある。巨大な国内市場での、旺盛な消費はインド経済を益々けん引していく。そうした中で、非同盟運動以来の、第三世界の大国、指導者であるインドという地位を改めて確固としたものにしたいところだろう。

 グローバル・サウスという言葉自体は昔からある言葉で、世界銀行総裁ロバート・マクナマラ(ヴェトナム戦争当時の米国防長官でもある)が1977年に設置した独立委員会が1980年に発表した報告書の中に出てくる。この当時は南北問題が大きくなりつつあり、その現実を分析している。独立委員会の委員長は、西ドイツ(当時)のヴィリー・ブラント元首相だった。ブラントは首相自体に旧ソ連との関係改善を進める「東方外交(OstpolitikNew Eastern Policy)」を展開した。ブラントが主導した報告書で使われている地図の上で、先進諸国と発展途上諸国の間に引かれた線を「ブラント・ライン」と呼ぶ。この線は、グローバル・ノースとグローバル・サウスを分ける線であり、現在も有効性を持っている。

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ブラント・ライン

 グローバル・サウスという100カ国以上を一まとめにする言葉の有効性について疑問を持つというのは当然だ。しかし、世界の大きな歴史上の構造変化を理解する上では、有効性を持つものである。

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グローバル・サウスなるものは存在するのだろうか?(Is There Such a Thing as a Global South?

-このカテゴリー分けは感情面では強力であるが、根本的に欠陥が存在する。

The category is emotionally powerful but fundamentally flawed.

ラジャ・モハン筆

2023年12月9日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/12/09/global-south-definition-meaning-countries-development/

私たちはグローバル・サウスについて語る必要がある。通常、グローバル・サウスに分類される120以上の国々についてではなく、グローバル・サウスという考え方そのものについて、そして、それが近年国際的な言説を掌握している方法についてである。そこで、根本的な問いを立ててみよう。グローバル・サウスなるものは存在するのだろうか?

人類の半分以上を1つのバケツに放り込むことには、分析上の大きな欠陥があるだけではない。また、この言葉を使う識者、政治家、政策立案者の善意にかかわらず、非西洋世界との真剣な関わりを阻害するものでもある。非西洋世界の集合体という幻想を維持することは、西洋にとっても、それ以外の国々にとっても、あまりにも大きな賭けである。

広大で多様性に富み、広範囲に分散している非西洋世界を、同じような関心を持つとして、単一のカテゴリーに集約することは、気候政策から新型コロナウイルスパンデミックへの対応、ロシアのウクライナ戦争に至るまで、様々な問題をめぐる議論において便利な用語使用となっている。国連総会で多くの非西洋諸国がイスラエルと対立する中、グローバル・サウス(global south)とグローバル・ノース(global north)が対立するという考え方は、より支持を集めている。

しかし、グローバル・サウスをカテゴリーや参照の枠組みとして使うことは、多種多様な国や地域の複雑な現実を理解することを難しくしている。グローバル・サウスという言葉が使われるようになったにもかかわらず、そのカテゴリーが持つ客観的な分析上の欠点は、少しでも引っ掻き回せば、すぐに浮き彫りになる。中国とペルーの共通点は何か? カタールとハイチについては? タイとシエラレオネはどうだろう? このような国々を1つのカテゴリーにまとめ、そのカテゴリーをグローバル・ノースとは本質的に異なるものとして定義することは、複雑な世界を理解する上での障害となる。

グローバル・サウスは、知的にはとらえどころのない(elusive)、しかし感情的に豊かな用語であり、政治的、経済的により公平な世界への多くの希望、そして一部では不安を表現している。それは、先進国と発展途上国、富裕層と貧困層、力を持つ強者と力のない弱者という複数の軸に沿った、西側諸国(the West)とその他の国々(the rest)の間のポストコロニアルの争いから生じた。ヴィリー・ブラント元ドイツ首相が委員長となった委員会は、1980年に発表した報告書の中で、この分断を成文化し、文字通り世界地図上に太い黒い線を引いた。いわゆるブラント・ライン(Brandt Line)は、西側諸国とそれ以外の国々との関係についての考え方として生き残った。1990年代から2000年代初頭のグローバリゼーションの全盛期に学界が休眠していた時期を経て、グローバル・サウスの考え方は近年、国際的な議論の主流に再び浮上してきた。

よって、グローバル・サウスの概念は、新しいボトルに入った古いワイン(old wine in a new bottle)であり、5世紀前に本格的に始まったヨーロッパと世界との出会いから成長したアイデアや主義の長い列の中に立っている。20世紀には、この出会いにより、汎アジア主義(pan-Asianism)、汎アラブ主義(pan-Arabism)、汎アフリカ主義(pan-Africanism)、汎イスラム主義(pan-Islamism)、非同盟運動(Non-Aligned Movement)、第三世界主義(Third Worldism)、G-77(G-77)など、いくつかの国境を越えた運動、グループ、イデオロギーが生み出された。これらの中には古くからの単純な考えもあれば、第三世界主義のような西洋の学術エリートの産物もあった。現実世界との深刻な遭遇を生き延びた者は誰もいなかった。

こうした超越的、反西洋的、ポストコロニアル的なイデオロギーは、必然的にナショナリズムの力とぶつかり、その支持者たちが西側諸国に立ち向かおうとして作り上げようとした超国家的アイデンティティの多くを否定した。地域レヴェルでさえ、宗教や民族のアイデンティティを共有しても、さまざまなナショナリズムの対立を覆すことはできなかった。1956年のスエズ危機の際、パキスタンのフセイン・スフラワルディ首相(当時)はアラブの統一を「ゼロ+ゼロ+ゼロ(zero plus zero plus zero)」と断じた。アラブの統一を築くという問題は、今日まで続いている。

経済的利益、発展の道筋、資源保有量、政治的伝統が大きく異なっていることも、グローバル・サウスという同類集団の考えを裏付けている。実際、今日の世界の紛争の多くは、発展途上国同士、あるいは発展途上国内部で起きている。南北対立(north-south antagonism)という知的毛布の下に押し込めようとする努力が繰り返されているにもかかわらず、こうした国家間・国家内の紛争は、非西洋世界の政治を支配し続けている。

経済と安全保障の目標を追求する上で、非西側諸国のエリートたちが西側諸国と手を組むことに問題があったことはほとんどない。パキスタンはインドを懸念し、アメリカ主導の冷戦同盟(U.S.-led Cold War alliances)に加わった。インドは中国の覇権主義(Chinese hegemony)を懸念し、今日ではアメリカと手を結んでいる。共産主義イデオロギーが中国と似ているヴェトナムは、アメリカと戦略的パートナーシップ(strategic partnership)を築き、この地域における中国の行動に対する自国の自主性を高めている。

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左:ケニア・カジアド郡のゴン丘陵にある発電所の風力タービンの前を蛇行する田舎道(2021年5月9日)

右: ブラジルのアングラ・ドス・レイスのペトロブラスの海洋石油プラットフォーム建設現場で従業員たちが退勤している(2008年8月21日)

経済面で、いわゆるグローバル・サウスが西側諸国に対抗する連合を構築するのは決して容易ではない。グローバル・サウス内部の違いはあまりにも顕著だ。50年前、アラブの石油禁輸とOPECの結成は、第三世界(当時のグローバル・サウスという言葉に相当する)が西側諸国に対して、より良い商品価格を得るための一撃と見なされた。しかし、非西洋世界における商品生産者と消費者の矛盾した利害を調整することは、当時も困難であったが、現在もより困難になっている。炭化水素に恵まれない発展途上国の人々にとって、価格の高騰ほど生活を苦しくするものはない。

同様に、インドや中国と、たとえばコンゴ民主共和国との経済関係は、ヨーロッパや日本と根本的に異なるものではない。製造各社は銅、コバルト、その他の産出物を必要としている。気候政策についても、世界には深い分断がある。一部の国家は、化石燃料の段階的廃止について、アメリカやヨーロッパの側に立っている。発展途上国の多くは、国民を貧困から救うためにより多くのエネルギーを必要としており、インドのように石炭やその他の化石燃料を使い続けたいと考えている国も多い。一方、中東、アフリカ、ラテンアメリカの産油国は、自分たちの主な富の源泉を捨てる準備ができていない。

いわゆるグローバル・サウスと呼ばれるグループ内でも、発展の道筋が異なるため、富裕国との関係も大きく異なっている。東アジアは、国民の生活水準を急速に引き上げるために、西側諸国資本と共通の基盤を見出すことで繁栄した。韓国は富裕国の仲間入りを果たし、中国は経済的にも技術的にも西側諸国の同類と見なされるようになっている。

実際、中国が世界第2位の経済大国にまで成長してきたことは際立っている。中国と西側諸国との間の紛争の性質が何であれ、中国の台頭が西側諸国によって積極的に可能になったことに異論の余地はない。中国が西側諸国と争う中、インドは中国が示している教科書から、1ページを取り上げ、急速な成長に活用することを期待して西側諸国の資本や技術に熱心に求めている。

このことは、グローバル・サウスの流動的な境界と包含のための曖昧な基準という、別の分析的欠陥に私たちを導く。20世紀にはソ連のジュニアパートナーだった中国は、現在ではロシアのシニアパートナーとなっており、依然として発展途上国であるという中国政府の主張は、よく言っても疑わしいものだ。中国がロシアのウクライナ戦争を支持し、NATOがアジアに手を広げている中、ヨーロッパとアジアの安全保障領域の統合が進行しており、多くの場合、アジア諸国が積極的に推進しているが、グローバル・ノースの受動的な付属物としての非西洋世界という考えは更に小さくなっている。新たなミニラテラルな安全保障パートナーシップ(minilateral security partnerships)は、想定される南北の分断を容易に乗り越える。専門家が割り当てたカテゴリーに留まるのではなく、羅針盤の様々な地点で台頭する勢力が、従来の安全保障関係者間の力の均衡にますます貢献している。

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世界一の超高層ビルであるブルジュ・ハリファから見たドバイのスカイライン(2021年5月5日)

グローバル・サウスの概念が最初に定着して以来、発展途上諸国の中での差別化(differentiation)はより先鋭化している。湾岸諸国は巨万の富を手に入れた。ドバイは現在、ニューヨーク、ロンドン、上海、香港、シンガポールと並ぶ主要な金融センターとしてランクされている。湾岸諸国の資本は中東とアフリカ全体の経済成長を推進している。また、湾岸諸国に対し、イエメンなどの様々な国内紛争や地域紛争に積極的に介入する自信を与えている。いわゆるグローバル・サウスが行う、介入主義(interventionism)が西側諸国の習慣にすぎないと誰が主張できるだろうか?

西側諸国における非倫理的な恐怖政治(unethical fearmongering)は、グローバル・サウスという言葉が生み出す分析上の混乱を悪化させている。門前の蛮族に対する不合理な恐怖が、西側諸国の多くを、非西側世界を一まとめする新たなヴァージョンへと駆り立てている。2018年、ドナルド・トランプ米大統領(当時)は、アフリカやハイチからの移民について議論しているときに、「糞溜めのような国々(shithole countries)」に言及し、より粗野な言葉遣いをした。また、ヨーロッパ委員会のジョゼップ・ボレルが、繁栄と秩序のヨーロッパの庭に侵入する非西洋のジャングルについて憂慮していたことを思い出して欲しい。不快なことに、野蛮なグローバル・サウスという保守的な構図と、被害者意識と西洋の罪悪感を強調する進歩的な構図は、広大で多様な人類を、一つの精神的カテゴリーにひとくくりにする、同じコインの裏表である。

西側諸国のリベラル派にとって、グローバル・サウスの構築は、非西側世界への共感を示す簡単な手段である。しかし、その共感には常に少なからず見下しが含まれている。それは、各国を1つのブロックとして扱うことで個々の国に対する主体性を否定し、通常、そのようにレッテルを貼られた国々が実際にそれを信奉しているかどうかにかかわらず、このブロックが気候変動政策から社会正義のヴィジョンに至るまで、一連の西側諸国のリベラル的大義を前進させることを前提としている。帝国は消滅したが、西側諸国の傾向は、左派でも右派でも、グローバル・サウスに対して、依然として説教し、裁き、罰する傾向にある。

非西側諸国のエリートたちには、世界的なグローバル・サウス主義(global southism)を支持する独自の理由が存在する。西側諸国を非難することは、常に彼らの失敗に対する良い言い訳であり、西側諸国に敵対する姿勢は常に良い政治とされた。どちらの戦略も、ポストコロニアル的な被害者意識の物語に根ざしたものであり、この数十年の間に非西洋世界の多くの地域でなされた驚異的な進歩を無視している。彼らは、西側諸国との関与条件を変更する非西側諸国の能力が増大していることを否定している。過去30年間にわたる中国の台頭は、その劇的な例として際立っている。インドは、グローバル・サウスを推進する新たなレトリックにもかかわらず、西側諸国と協力の条件について交渉を続けている。

グローバル・サウスをめぐるレトリックの多くは、中国、インド、湾岸諸国、アジアの虎、そして地域的・世界的秩序に大きな影響力を持つようになった、非西洋的大国の台頭を説明しようとするあまり、崖っぷちに立たされている。では、なぜ北京やニューデリーはグローバル・サウスという考え方を支持するのだろうか? グローバルな影響力争いの一環であることは明らかだ。中国にとって、グローバル・サウスに関するレトリックは、アメリカとの戦略的競争において非西洋世界を動員するためのものである。一方、インドは、中国が自国周辺に押し寄せてきていることを警戒し、非西洋世界における伝統的な政治的地位を取り戻そうとしている。

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中国・アモイでのBRICS首脳会議に合わせて、新興市場・途上国対話に出席するロシアのウラジーミル・プーチン大統領、中国の習近平国家主席、インドのナレンドラ・モディ首相(2017年9月5日)

しかし、西側諸国が持つ認識とは逆に、かつて非同盟運動の推進力であったインドは、昔のシナリオに戻るつもりはない。インドのスブラマニヤム・ジャイシャンカール外務大臣が述べたように、西側諸国が悪者であるという従来のシナリオは、現地の複雑な現実を反映していない。ジャイシャンカール外相は、世界の製造業が中国に集中していることと、北京が経済的優位性を武器にしていることを指摘した。アジア、アフリカ、その他の地域での影響力をめぐるニューデリーの競争相手は、ワシントンではなく北京である。こうした状況は、世界的な南北分断(global north-south divide)の構築を破壊している。

無力なグローバル・サウスというイメージとは対照的に、非西側世界の最も小さな国でさえ、現在存在する、行動の自由に関して、新たな余地が出てきていることを認識している。非西側諸国のエリートたちが主にイデオロギーによって動かされていた20世紀半ばとは異なり、今日では、行動の余地は実践的である。彼らは、政治的または財政的に自分たちに都合のよい、グローバル・サウスの集合的な大義概念(notion of a collective southern cause)を支持しながらも、西側諸国のパートナーと二国間協定を結ぶ用意をしている。

私はグローバル・サウスのようなポピュラーな言葉を否定している。これは、おそらく風車と戦っている(fighting windmills.)ようなものであろう。私や他の人々がグローバル・サウスというカテゴリーを退けようと呼びかけているにもかかわらず、この言葉が国際関係の擁護から即座に消えることはないだろう。グローバル・サウスという言葉は、西側諸国の多くの人々にとって、自分たち以外の国々を他者視する手段(a way of othering the rest)であり、西側諸国以外の国々の声高な人々にとっては、西側諸国の支配が続くことに対する深い憤りの蓄積を表現している。中国やインドといった新興大国にとって、いわゆるグローバル・サウスを支持することは、世界的な影響力を拡大する手段である。しかし、間違えてはいけない。このような広範で無定形な、一般化しすぎのカテゴリーを使うことは、物事を明らかにする以上に、多くのことを見えにくくしている。グローバル・サウスという言葉を使うことは、私たちの世界を理解する上で、説明にもそして予測も、何の役にも立たないのである。

※ラジャ・モハン:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。シンガポール国立大学南アジア研究所客員教授。アジア・ソサエティ政策研究所非常勤高級研究員。インド国家安全保障諮問会議メンバーを務めた経験を持つ。ツイッターアカウント:@MohanCRaja

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生の書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 アメリカのケーブルテレビ局であるHBOが制作した「ザ・レジーム」というドラマの批評が出ていた。アカデミー賞主演女優賞を受賞した経歴を持つ、有名女優ケイト・ウィンスレットが主演のドラマで、その他に、有名俳優のヒュー・グラントも脇役で出ているそうだ。ドラマの内容は、東ヨーロッパにある架空の国で、独裁的な権力を持つ女性大統領エレナ(ウィンスレット)が、護衛の1人であるヘルベルトと奇妙な恋愛関係に陥るというもので、ドラマの中では、暗殺、独裁者の生活、アメリカとの資源をめぐる利害関係などが描かれているそうだ。下に紹介する批評では、ドラマとしての出来は良くないようだ。独裁者の生活の取材が甘く、視聴者の共感が得られなかったようだ。ドラマ制作者は、風刺を入れていないようで、それがドラマに重厚さが欠けるという評価につながったようだ。

 このような政治絡みのドラマ、そして映画は欧米諸国でよくつくられる。風刺ということは、エンターテインメントでは確立されている。日本では、このような政治的な内容の映画やドラマを作ること、風刺を入れることに対して、「エンターテインメントと政治を結びつけるな」という陳腐な批判が起きる。現在放映中のNHKの朝の連続ドラマ「虎に翼」に関して、そのような批判が出ている。結局、日本のドラマは底の浅い恋愛ものばかり、手を変え品を変え、若くて見栄えの良い男女の恋物語か、サスペンスばかりということになる。「虎に翼」への批判は、「女が生意気なのが気に入らない」ということになるだろう。それを「エンターテインメントと政治を結びつけるな」という言葉に置き換えているだけのことで、「政治的中立」を装っているだけのことだ。

 話が逸れてしまったが、「エンターテインメントと政治を結びつけるな」という「政治的中立」を装った的外れの批判は、日本のエンターテインメントをつまらなくしている元凶だ。エンターテインメントこそ政治を取り上げるべきで、それこそが健全な民主社会の姿であると思う。封建時代の江戸時代を考えても、手鎖や所払いなどの厳しい罰がありながら、権力者の姿を風刺した戯作や著作が多くあった。そう考えると、現在の委縮した日本社会は、退化が進んでいると言わざるを得ない。

(貼り付けはじめ)

「ザ・レジーム」は独裁政治を誤解している(‘The Regime’ Misunderstands Autocracy
HBOのミニシリーズは権力に対する紛れもないアメリカ的な冷淡さを示している。

アナスタシア・イーデル筆

2024年4月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/04/14/regime-hbo-review-kate-winslet-autocracy/

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HBOの「ザ・レジーム」でエレーナ・ヴァーンハム演じるケイト・ウィンスレット

ソヴィエト連邦出身者として、私は独裁政治に対する世界規模での新たな憧れに困惑している。フリーダム・ハウスによれば、今や10人中8人が、部分的に自由な国、あるいは自由でない国に住んでいるということだ。アメリカでは、かなりの数の人々が権威主義的支配を支持し、民主政治体制制度の衰退を致命的な脅威とは考えていないことが調査で明らかになっている。中国やロシアなどでは、変化の風は間違った方向に吹いているようだ。

この変化を考えると、4月7日に最終回を迎えたHBOのミニシリーズ「ザ・レジーム(The Regime)」は、これ以上ないタイミングだった。エミー賞を受賞したケイト・ウィンスレットと「サクセション」のウィル・トレーシーが指揮を執り、豪華なテレビ番組に付き物の、あらゆる装飾を備えた「ザ・レジーム」は、21世紀の最も重い政治的問題のいくつかを探求する態勢が整っていた。

その代わり、「ザ・レジーム」は、真剣な批評や分析のレヴェルに達することができない世界の実力者たち(strongmen)の傾向に漠然とした目配せをするだけで、明らかにアメリカ的だと感じられる素朴さで展開されている。

主演のケイト・ウィンスレットが演じるエレナ・ヴァーナムは、中央ヨーロッパにある架空の国の中年首相で、黒カビに首相宮殿が侵食されているという考えに取り憑かれている。彼女は黒カビと戦うため、テンサイを栽培する地方出身のハンサムな陸軍伍長ヘルベルト・ズバク(マティアス・ショーナールツ)を召集する。宮殿に到着する前、ヘルベルト・ズバクは国のコバルト鉱山で12人のデモ参加者を銃殺し、「虐殺者(The Butcher)」という恐ろしいあだ名をつけられた。

エレナとヘルベルトは、「美女と野獣(Beauty and the Beast)」のような魅力をすぐに身につける(もちろん、ポストモダン的で、誰が野獣なのか、気まぐれで妄想癖のあるエレナなのか、自己嫌悪でいじめられっ子のヘルベルトなのか、はっきりしない)。ヘルベルトが暗殺者からエレナを救うことで解決した短い仲違いの後、2人はヒステリックとネイティビズム(hysterics and nativism)を組み合わせたラスプーチン流(Rasputin-style)のやり方で宮殿を支配し始める。

続く5つのエピソードでは、歩く湿度モニターから信頼できる政治アドバイザー、そして恋人へと、エレナのぐらつく領域をヘルベルトがジグザグに登っていく様子が描かれる。番組の説明によれば、ヘルベルトは、「崩壊する現代の権威主義体制(modern authoritarian regime as it unravels)」を描く様々なおふざけに立ち会ったり、関与したり、指示したりする。エレナが氷で満たされた浴槽に入りながら行う閣議や、宮殿の地下にあるガラスの棺に保存されている死んだ父親との奇妙な会話などのシーンがある。農村出身のヘルベルトは、茹でたジャガイモの蒸気(私のソヴィエト時代にはポピュラーだった民間療法)で宮殿の有毒と思われる空気を浄化することで、エレナの偏執症状(パラノイア、paranoia)に応える。

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HBOの「ザ・レジーム」の中でのマティアス・ショーナールツ演じるヘルベルト・ズバックとケイト・ウィンスレット演じるエレナ

もちろん、どんな指導者も地政学から逃れることはできない。この国の豊富なコバルト埋蔵量は国際的な関心を集め、アメリカに安価で採掘権を与えるはずだった取引を一方的に廃棄した後、エレナは中国と癒着し、自由貿易協定と採掘利益の分配を約束する。そしてエレナとヘルベルトは、宗主国である隣国の違法な領土併合、国有化と土地改革という中途半端な気の迷いによる政策、欧米諸国からの経済制裁という苛烈な試練を共に乗り越えていく。

この混沌とし​​た、政治的駆け引き(politicking)は、エレナが常に愛を与えたり、人々に要求したりする愛について無為に語るのに対して展開される。常に洞察力のある経済学者であるエレナは、「アメリカの野獣とその属国は私たちを絞め殺そうとしているが、些細な制裁など必ず失敗する。なぜなら私たちの愛は制裁できないからだ(The American beast and its client states try to strangle us, but petty sanctions will always fail because our love cannot be sanctioned)」と宣言する。従順で詩を愛するフランス人の夫ニッキー(ギョーム・ガリエンヌ)をスイスに亡命させた後、性欲を取り戻したエレナは、ヘルベルトとの失われた時間を情熱的に埋め合わせようとするが、国の経済低迷と抗議活動への粗雑な対応によって、国民の間に不安が広がっていることに気づいていない。

最終話では、エレナの支配モデルは革命には敵わなかった。彼女は宮殿を追われ、その土地の人々との「特別なつながり(special connection)」をしばしば主張するにもかかわらず、何も知らないことが明らかな土地を命からがら逃げなければならない。今回ばかりは、この世界でヘルベルト以外の誰かが彼女の妄想を出し抜くことに成功した。しかし、やがてエレナは、かつて彼女が中傷したオリガルヒに屈服する。クーデターが起ころうとしたとき、アメリカの後ろ盾が指を鳴らした。

ドラマの終わりにエレナの夫ニッキーは、「あれは一体何だったんだ?」と妻エレナに質問した。彼には決定的な答えは提示されないが、視聴者にも同様だ。

このドラマを創作したトレイシーは、「ザ・レジーム」を暗いおとぎ話に例えているが、それはエレナのルックス、つまり老いた眠れる森の美女とマドンナが主演したエビータを掛け合わせたようなルックスとガラスの棺を説明できるかもしれない。また、傷ついた2人が、作り物の現実の中で互いを苦しめることで、ある種の幸福を見出すというラブストーリーという見方もできる。面白いジョークが1つもないコメディであり、HBOが述べているように、ダークコメディとさえ言えるかもしれない。エレナ(ケイト・ウィンスレット)の閣僚の「彼の利益は春のロバのようにめちゃくちゃだ」という口癖は確かに無礼だが、無礼が必ずしも面白いとは限らない)。

この番組にないことの1つは風刺(satire)だ。そうであるためには、実際に何かを風刺しなければならない。ジョナサン・スウィフトの『ガリバー旅行記』は、18世紀のイギリスの厳格な風俗を揶揄した。アルマンド・イアヌッチの『スターリンの死』は、戦後のソヴィエト連邦におけるヨシフ・スターリンの側近たちの残忍さと偽善を揶揄した。エレナの政権を独裁国家のパスティーシュにしたのは、致命的な選択だった。この番組はあらゆるものを少しずつなぞるがゆえに、何も狙っていない。

実在の人物の代わりに、「ザ・レジーム」が提供するのは、ホットフラッシュ症状と父親の問題を抱えた妄想癖のある女性、腰の引けた腐敗した閣僚、他国の資源に憧れる貪欲なアメリカ人、前世紀の映画のセットからリサイクルされた小道具のような、冴えないカーキ色の大衆といった、陳腐なものだ。私たちが悪人に配慮できない訳ではない。「サクセション」のロイ家は、悲劇的でありながら滑稽でもあり、筋書きを動かす明確な意図を持った、ニュアンスのあるキャラクターだったからだ。しかし、「ザ・レジーム」の登場人物たちは一般的で、単にセットの中に放り込まれただけで、同情的であろうとなかろうと、見る者の感情をかき立てない。明確な利害関係を持つ登場人物は、国のコバルトが欲しいだけのアメリカ連邦上院議員ジュディス・ホルト(マーサ・プリンプトン)だけだ。それ以外の登場人物は、まるで演技に適したシーンを探し求めるが空振りに終わるかのように、ただエピソードの中を漂うだけである。

このドラマは才能に欠ける俳優が出ていないないだけにこれは残念だ。ウィンスレットは与えられた素材にベストを尽くしているが、ヘルベルトの「スパイシー」な夢にちなんで、「スパイスっていいわ。スパイスは素晴らしい」といったセリフを話していてもうまくいっていない。彼女には真の敵もいなければ、明確な願望もなく、感情もない。観客はスクリーンをまばたきしながら、彼女の衣装に見とれ、何か本質的なことが起こるのを待つだけだ。

ヘルベルトを演じるショナエルツは、愛のためなら殺しも死も厭わない拷問を受けた戦士という、決まりきった役柄ではあるが、より説得力がある。宮殿支配人のアグネスを演じるアンドレア・ライズボローは、このドラマではあまり恵まれていない。「スターリンの死」でスターリンの娘として輝きを放った彼女は、ここでは、エレナと原因不明の共同親権を持ち、エレナが要求した瞬間に母権を譲り渡す、もろくてピーコートを着た忠実な人物に成り下がっている。彼女のてんかん持ちの息子は、新しいおもちゃさえ手に入れば気にしていないようだ。投獄中の野党指導者エドワード・ケプリンガー役のヒュー・グラントは魅力的だが、彼のカメオ出演はセレブキャストリストのチェックマークみたいなものだ。カーペット敷きの独房、ソーセージの安定的な供給、刑務所の鍵へのアクセスなど、グラントの演技には、ロシアの野党指導者アレクセイ・ナヴァルニー(故人)を含む、実際に投獄された政治家の苦しみにふさわしい重厚さが欠けている。

そして、エレナのセキュリティ・サービスの責任者であるミスター・ラスキン(ダニー・ウェブ)がいる。実際の独裁国家では、この仕事の要件はぞっとするようなもので、かなり怪物的な人物がそれに当たる。ソヴィエト連邦のラヴレンチー・ベリヤやナチス・ドイツのハインリヒ・ヒムラーを思い浮かべて欲しい。しかし、「ザ・レジーム」の中で、ミスター・ラスキンは、祖国への義務について丁寧に語り、「権力の合法的移行という原則を信じている(believes in a principle, the legal transition of power)」と語っている。実際の独裁政権とは異なり、彼の手に血はついていない。視聴者が喜んで受け入れる一時的な不信の停止と、常にあり得ないことを受け入れるよう求められることの間には違いがある。

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HBOの「ザ・レジーム」の一場面で、登場人物たちが大きなテーブルの周りに座っている

ここに、「ザ・レジーム」の根本的な問題がある。それは、このドラマの主要なポイントであると思われる点、つまり独裁政治の描写を手探りで行っているという点だ。独裁者の問題は、エレナができる限りあらゆる宴会や祝賀会でそうしているように、自分たちの調子の外れた歌を他人に聞かせるナルシストではなく、自分たちの妄想のために何百万人もの人々を犠牲にする用意があるということだ。独裁者の政府と法執行機関が武器化されており、いつでも敵に回される可能性があるため、側近を含む彼らの国民たちは常に恐怖の中で暮らしている。

しかし、エレナの王国に恐怖はない。栄光を失ったオリガルヒは収監されることもなく、記者会見で椅子を片付けるよう命じられるだけだ。大臣たちは階下のバーで彼女の失脚を画策し、最後の最後では救出ヘリの座席を彼女に与えない。反乱軍はわずかなエピソードで宮殿を奪う。本物の独裁者がこんなに簡単に倒されるなら苦労はしない! ドラマではエレナを愚かで哀れな人物に描いている。私たちはエレナから恐怖のあまり逃げ出すのではなく、肩透かしを食らってしまう。

彼女のヨーロッパ的な美学にもかかわらず、支配者としてのエレナの描写は、独裁政治に対する紛れもなくアメリカ的な態度を反映している。ドナルド・トランプが大統領から退任して、ほぼ4年経った今でも、多くのアメリカ人は彼の脅しを真剣に受け止めていない。トランプの漫画のような性格と無能さが、自分たちの民主的権利と自由に対する真の攻撃につながるとは信じられないのだ。第二次世界大戦の記憶が薄れつつある今、自由な社会で暮らすことと専制政治の下で暮らすことの違いを過小評価しているだけの人もいるかもしれない。

あるレヴェルでは、アメリカ人の多くが、強権的な大統領に憧れるかもしれない。それは、強権的な大統領が複雑な問題に対して、単純な解決策を提示するからであり、エレナのように、公共の奉仕ではなく、自分自身の虚栄心、富、生存、そして時には取り巻きの生存のために動いているという事実に気づいていないからだ。

創造的なプロジェクトとして、「ザ・レジーム」 は、おとぎ話、ダークコメディ、人間の悪徳の物語など、なんでも望み通りだ。しかし、本格的な芸術作品は、何か、人間存在の差し迫った側面に関するものでなければならないし、それらの条件で評価されるべきだ。それでは、「ザ・レジーム」のメッセージとは何だろうか? 愛は倒錯の交換だろうか? アメリカは彼らの資産が欲しいから独裁政権を支えている植民地者だということだろうか? 何も変わらないのに、私たちはナルシシストの最高責任者の無限の必然的な繰り返しに身を任せるべきだと考えるか?

シニシズムは戦いには勝てないし、優れたテレビを生み出すこともできない。おそらくHBOの権威主義に関する次の瞑想は、ウィンクではなく、このトピックに関する実質的なものを与えてくれるだろう。

※アナスタシア・イーデル:ロシア生まれのアメリカ人作家・社会史研究者。著書に、ロシアの歴史、政治、文化に関する簡潔なガイドブックである『ロシア:プーティンの遊び場(Russia: Putin’s Playground)』の著者。『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌、『ニューヨーク・タイムズ』紙、『ロサンゼルス・タイムズ』紙、『プロジェクト・シンジケート』誌、『クオーツ、ワールド・リテラチャー・トゥデイ』誌などに寄稿している。カリフォルニア大学バークレー校のオッシャー生涯学習研究所で歴史を教えている。ツイッターアカウント:@AEdelWriter

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 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 電気自動車(electric vehicles)分野は米中の競争になっている。アメリカのテスラモータース(Tesla Motors)と中国のBYD(比亜迪)の争いになっている。電気自動車はこれから伸びていく分野だと考えられている。アメリカはこの分野で世界シェアの拡大を図り、中国は国内市場をまずは固めるという状況になっている。
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 電気自動車にとって重要なバッテリーに欠かせないのが、ニッケルだ。ニッケルの産出量、埋蔵量共に世界のトップとなっているのは、インドネシアである。インドネシアでは、未加工、未精錬のニッケルの輸出をジョコ・ウィドド政権下の2020年に禁止した。その結果、中国企業や韓国企業がニッケル加工に進出している。インドネシアとしては、更なる技術移転を求めており、将来的にはバッテリーの自国内の生産(国産化)を推進している。
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 下に紹介する論稿は、インドネシア海洋・投資担当調整大臣のルフット・ビンサル・パンジャイタン(Luhut Binsar Pandjaitan)の名前で出されたものだ。その内容は、一言で言えば、「アメリカもインドネシアのニッケルに投資しないと、電気自動車分野での未来はない。私たちはいつまでも気長にアメリカが投資してくるのを待つつもりはない」というものだ。ルフット大臣は、インドネシア軍の将官の出身であり、現役時代には、アメリカ軍特殊部隊での教育、トレーニングを複数回にわたって受けてきた人物だ。また、ワシントンDCにあるジョージワシントン大学で修士号を取得している。スハルト時代のエリート軍人であり、現在もスハルト体制時代の与党だったゴルカルに属している。アメリカとは不快コネクションがある人物だ。その人物がアメリカに半分脅しをかけるような、半分誘いをかけるような内容の論稿を発表した。

 アメリカ連邦議会は、ニッケルの分野でインドネシアの競争相手である、オーストラリアの働きかけを受けて、インドネシアからのニッケル輸入を制限している。その理由に、インドネシアでのニッケル精錬に石炭が使われており、炭素排出を行っていること、既に中国企業が多数進出していることを挙げている。これに対して、ルフット大臣は、「そんなことを言っていて大丈夫?」というような内容の論稿を出している。

インドネシアは、「西側以外の国々(the Rest)」の中で存在感を高めている。東南アジアの地域大国となっている。ジョコ大統領の下で、経済発展を進めている。2050年には、GDPの面で、日本を抜いて、世界第4位になるという予測も出ている(日本は第8位と予測されている)。そのスタートとなるのが、自国から算出する資源の有効活用だ。日本はインドネシアと良好な関係をこれまで継続して築いてきた。中国も歴史上、様々なことがあったが、現在はやはりインドネシアとの友好関係を保っている。アメリカがインドネシアとの関係を重視しないとなれば、それは、アメリカの衰退のスピードが加速するだけのことだ。

(貼り付けはじめ)

インドネシアのニッケルなしでは、EVにアメリカの未来はない(Without Indonesia’s Nickel, EVs Have No Future in America

-ジャカルタとの自由貿易協定に反対するIRAと連邦上院は、アメリカのグリーン転換を台無しにしている。

ルフット・ビンサル・パンジャイタン筆

2024年5月1日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/05/01/indonesia-nickel-green-energy-ev-fta-congress/

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インドネシア南東スラウェシの採掘現場で、ニッケル鉱石を積んだダンプトラックの様子(2023年8月3日)

インドネシア産ニッケルがなければ、アメリカの電気自動車(Electric VehiclesEV)市場は低迷するだろう。我が国は、電気自動車用バッテリーの中核的金属であるニッケルの世界最大の埋蔵量を誇っている。2023年、インドネシアは世界のニッケル加工品の半分以上を輸出した。今後数年間で、このシェアは拡大すると予測されている。

しかし、米連邦議会議員の中には、インドネシアの海外の競争相手と協力して、我が国からの精製ニッケル(refined nickel)の輸入を阻止することを決意している。これまでのところ、彼らは成功している。しかし、企業にガソリン車の販売からの転換を強制する、3月に可決された措置と併せて導入するということになると、最終的に損をするのはアメリカの自動車労働者たちということになる。

ジョー・バイデン米大統領のインフレ削減法(Inflation Reduction ActIRA)は、競争条件を根本的に変えてしまった。アメリカの製造業者たちは、アメリカが自由貿易協定を結んでいる国(インドネシアは結んでいない)からのインプットでない限り、その補助金を利用することができない。

アメリカの自動車メーカーに必要なニッケルの供給を確保するため、昨年(2023年)、私が大臣を務める政府は、重要鉱物を対象とした限定的な貿易協定をアメリカ側に提案した。しかし、超党派の米連邦上院議員グループとオーストラリアなどニッケル生産国の企業による頓挫を狙ったキャンペーンが展開され、今のところ合意には至っていない。

連邦上院議員たちの反対は、環境への懸念に集中する傾向がある。インドネシアのニッケル製錬所の多くは石炭を燃料としている。一部の人々にとっては、内燃機関を道路から撤去すること(ガソリン自動車を減少させること)が炭素削減につながるにもかかわらず、その精製されたニッケルを含むバッテリーが信用されていないことを意味する。このような気候の純粋性は惰性を生み、結局は自滅する。環境とのトレードオフは、ニッケルがその動力源となるバッテリーにとって重要であるのと同様に、グリーン転換にとっても重要である。

アメリカが炭素の排出量を大幅に削減するためには、より多くの電気自動車が道路を走る必要がある。運輸部門は、アメリカ最大の排出源であるにもかかわらず、電気自動車の割合は1%にも満たない。電気自動車の普及は、購入しやすい価格に左右される。投入資源が安くなれば、バッテリーも安くなる。人為的な貿易障壁のないインドネシア産の精製ニッケルは、石炭が豊富にあるため競争力がある。

それは理想的ではないかもしれない。しかし、再生可能エネルギーは、インドネシアの製錬所の電力を賄う費用対効果の高い選択肢をまだ提供していない。技術が進歩するのを待つよりも、私たちは今、重要な金属を精製するために自由に使える資源を使わなければならない。

インドネシアのニッケルは、より環境に優しいものになるだろう。しかし、そのためには経済発展が不可欠である。輸出収入や海外からの直接投資があって初めて、エネルギーシステムの再構築を始めることが可能となる。例えば、インドネシア最大のニッケル生産者であるハリタ・ニッケル(Harita Nickel,)は、その経済的成功の上に立って初めて、自社施設に自然エネルギーを導入することができる。

当然のことながら、政府のイニシアティブも助けになる。今年導入される予定の炭素排出量規制と税制は、石炭からの脱却を促進するのに役立つだろうし、石炭発電所の新設は禁止されている。しかし、インドネシアにおける真のグリーン転換は、最終的には資本次第ということになる

途上国を化石燃料から引き離すための、気候変動資金調達メカニズムであるジャスト・トランジション・パートナーシップの下で約束された、西側諸国からの資金だけでは、約束が実際に履行されるかどうかにかかわらず、十分ではない。これは何の見返りもなく、ただ金を出せと言っているのではなく、事実を言っているだけのことだ。

大幅な資金不足を補うためには、途上諸国が既存の天然資源で繁栄し、世界のグリーン転換に積極的な役割を果たせるようにしなければならない。私たちは、慈悲深い諸大国からの施しに頼るだけの傍観者に成り下がることはできないし、そうなる意図もない。

一方、インドネシア国内でグリーン転換が国民の支持を維持するためには、国民の雇用と繁栄を実現しなければならない。2020年、インドネシア政府は、ヴァリューチェーンをより拡大するため、未加工のニッケル原鉱石の輸出を禁止した。それ以来、インドネシアには投資が殺到している。

インドネシアからのニッケル加工品の輸出額は飛躍的に増加し、年間300億ドル(約46500億円)に達している。今年、インドネシア初のバッテリー発電所が、韓国メーカーとの合弁でオープンする。この工場はインドネシア人に何千もの高生産性雇用を創出し、技術移転を促進し、インドネシアの輸出を更に押し上げることになるだろう。

同様に、インフレ削減法は、アメリカの雇用を促進し、グリーンエネルギーのコストを削減し、重要鉱物のサプライチェーンを確保することを目的としていた。それどころか、移行が依存する商品やインフラを提供するために、アメリカの製造業者が必要とする重要物資の参入を事実上妨げている。

考えられる最悪のシナリオは、アメリカのインフレ削減法は、アメリカを世界の電気自動車市場から完全に締め出す可能性がある。S&Pグローバル社は、2035年までに世界のニッケル供給の90%が、アメリカの自由貿易協定によってカヴァーされなくなると予想している。今後数十年の経済関係を形成するサプライチェーンが現在構築されつつあるのに、これではアメリカを拠点とするメーカーが需要を満たすことが不可能になりかねない。簡単な解決策は、重要鉱物を対象とするアメリカとインドネシアの限定協定(limited agreement)にある。

提案されている自由貿易協定に対するアメリカの連邦議員たちの環境問題への懸念は、北京とワシントン間の緊張によっても裏付けられている。インドネシアのニッケル精錬には中国企業が進出している。しかし、韓国企業やアメリカ企業も同様に進出している。アメリカの製造業者は、米財務省の指導に反しない企業から重要な鉱物を調達することができる。実際、自由貿易協定が結ばれれば、アメリカのインドネシアへの投資が促進され、サプライチェーンの安全が確保されるだろう。

しかしながら、アメリカのサプライチェーンの確保には、他国がニッケル産業に参入しているという理由だけで、アメリカがインドネシア産ニッケルの実質的な全面禁止を決定しない限り、という条件が付く。しかし、そのような動きは、アメリカのインド太平洋地域の同盟諸国が中国かアメリカかの二者択一を迫られるべきではないというイエレン米財務長官の再保証と矛盾することになる。結局のところ、インドネシアのニッケルはどこかに輸出されることになる。

インドネシアは全ての国との提携に手を差し伸べている。その手を握ってより環境に優しい未来を創造するかどうかは、ワシントン次第である。しかし、我が国はいつまでも気長に待つつもりなどない。

※ルフット・ビンサル・パンジャイタン:インドネシア海洋・投資担当調整大臣

(貼り付け終わり)

(終わり)
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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