古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 世界政治

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。

 日本でも一部の極端な主張する右派の人々が核武装論を振りかざしている。その馬鹿さ加減は救いようがないが、ある意味では、彼らは「平和ボケ」の「幸せな」人々である。実際に核兵器を持ち、自国の国民を危険に晒すことになるかしれないということを死ぬほどの苦しみで悩み、考え抜く、超大国の最高指導者や最高指導層の苦しみに思いが至らない、なんとも単純で、幸せな頭の構造をしていて、何よりも想像力と思考力が圧倒的に欠如している。私はここまで書きたくはないのだが、書かざるを得ないほどの惨状を呈している。

 下に掲載した論稿を読めば、核兵器は使用できない平気であり、核戦争を戦ってはいけない戦争であることがよく分かる。「核戦争は決して戦ってはいけない」という言葉を残したのは、タカ派で知られるロナルド・レーガン大統領だ。ソ連を悪の帝国として、冷戦に勝つために、軍拡競争で仕掛けた、レーガン大統領でさえも、核戦争は勝利できない、相手を殺すために、自分を殺すことになる、自分を殺さねば相手を殺せないということがよく分かっていた。

 ウクライナ戦争は既に3年以上が経過ししている。この間に、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領は核兵器使用を示唆する、脅迫的な言動を行った。それに対して、アメリカのジョー・バイデン政権は抑制的な態度を取った。ウクライナを使って「火遊び」をしていたアメリカにしても、核兵器使用、核戦争だけは絶対に避けねばならないということはコンセンサスとして持っていた。それで、ウクライナに戦闘機支援などを行わらず、しかし、多額の軍事援助を行うという最悪の選択を行い、戦争が長引き、ウクライナの人々と国土が大きく傷つくことになった。

 ドナルド・トランプ政権はウクライナ戦争の停戦に向かって動いている。考えてみれば、ロシア側はバイデン政権下では停戦のための交渉に乗ってこなかった。トランプになって、大きく動き始めた。これだけでもトランプ政権発足の意義は大きい。このように書く人は日本では多くないだろうが。

 核兵器が登場し、日本の広島と長崎で実際に使用されて以降、核兵器が自国への攻撃や戦争を抑止する効果を持たず、自国の国民を危険に晒す「無用の長物」となっている。日本は核武装等するべきではない。全く意味を持たない。日本が核武装をする、正確にはアメリカによって核兵器を持たされる時には、中国との直接衝突、日本への核攻撃をさせたいという意図がある時だ。アメリカに中国からの核攻撃を受けないために、弾よけにするためだ。中国に対する核攻撃は日本がやったことで、日本が被害を受けるという形にしたいとアメリカが考えれば、日本に核兵器を持たせることになるだろう。だから、私たちは何があっても、核兵器を持ってはいけない。日本が核兵器を持てば、日本の存亡の危機が高まる。用心して慎重に動かねばならない。

(貼り付けはじめ)

プーティンが終末をもたらすという脅威(Putin’s Doomsday Threat

-ウクライナでキューバ・ミサイル危機の再発を防ぐにはどうすべきか

グレアム・アリソン筆

2022年4月5日

『フォーリン・アフェアーズ』誌

https://www.foreignaffairs.com/articles/ukraine/2022-04-05/putins-doomsday-threat

ロシアのウクライナ侵攻が頓挫し、その勢力が東部の戦場に軸足を移したことで、戦争は新たな、より暗く、より危険な局面を迎えつつある。マリウポリはその未来を予見させる。ロシアの都市グロズヌイを「解放する(liberate)」ために爆撃して瓦礫と化し、シリアの独裁者バシャール・アル=アサドとともにアレッポを破壊したウラジーミル・プーティンは、大量破壊に対して道徳的な遠慮がないことは確かだ。更に、ウクライナでの戦争は今や紛れもなくプーティンの戦争であり、ロシアの指導者プーティンは、自分の政権や命さえ危険に晒すことなく負ける訳にはいかないことを知っている。そのため、戦闘が続く中で、彼が不名誉な撤退(an ignominious retreat)をするか、暴力のレヴェルをエスカレートさせるかの選択を迫られた場合、私たちは最悪の事態に備える必要がある。極端な話、その事態には核兵器も含まれるかもしれない。

ロシア軍が罪のない一般市民を凄惨な方法で殺害しているという証拠が増加していくにつれて、アメリカとヨーロッパの同盟諸国は、戦争を拡大させる危険性のある方法で介入するよう、高まる圧力に直面している。ジョー・バイデン米大統領は、世界的な連合(a global coalition)を動員し、世界がかつて経験したことのないほど包括的で痛みを伴う制裁措置をロシアに科している。バイデン大統領は、プーティンとその支持者たちを事実上追放し、西側世界の多くで彼らを「社会的に排除された人々(pariahs)」にした。アメリカはNATO加盟の同盟諸国と一緒に、勇気をもって自由のために戦っているウクライナ人に大量の武器を供給している。しかし、多くのアメリカ人は、地球上で最も強力な国家の国民として、バイデン政権にこれ以上何ができるのかと問いかけていることだろう。既に識者や政治家たちの間では、ウクライナの上空に飛行禁止区域を設定したり、ポーランドのMiG29をキエフに譲渡したりするようバイデンに求める声が上がっている。

しかしながら、これらの要求が考慮していないのは、冷戦の中心的な教訓である。核保有超大国の軍隊(military forces of nuclear superpowers)が、互いに相手を数百、数千人殺したり、殺す可能性のある選択肢を真剣に検討したりする熱い戦争(a hot war)に巻き込まれた場合、そこから核戦争がもたらす究極の世界的大惨事(the ultimate global catastrophe of nuclear war)に至るまでのエスカレーションは驚くほど短い可能性がある。教科書的な事例は、1962年のキューバ・ミサイル危機である。

アメリカの偵察機が、ソヴィエト連邦が核弾頭ミサイルをキューバに密かに持ち込もうとしているのを捕捉したとき、ジョン・F・ケネディ米大統領は即座に、この行動は許されないと判断した。彼は、ディーン・ラスク国務長官が「目をそらさずににらみ合う(eyeball-to-eyeball)」と評したソ連のニキータ・フルシチョフ首相と対決した。これは米海軍による、キューバの海上封鎖(a naval blockade of Cuba)から始まり、ミサイル基地への空爆という脅迫の最後通牒(an ultimatum threatening air strikes on the missile sites)で終わった。歴史家たちは、これが歴史上最も危険な瞬間であったことに同意している。 13日間の終わりに近づいた静かなひととき、ジョン・F・ケネディは弟のボビー(ロバート)・ケネディに個人的に、この対立が核戦争に終わる可能性は「3分の1」だと考えていると打ち明けた。その後数十年間に歴史家が発見したものは、その可能性を少しでも高めるものではなかった。もし戦争が起こっていたら、1億人のアメリカ人とそれ以上のロシア人の死を意味していたかもしれない。

この危機で学んだ教訓は、それ以降の数十年間、核兵器に関する国家運営(nuclear statecraft)に活かされてきた。60年もの間、同じような対立がなかったため、核戦争が起こるということは、専門家たちの多くにとってほとんど考えられないことであった。幸いなことに、バイデンと政権の主要メンバーたちはよく分かっている。プーティンの挑戦に対応するための戦略を分析検討する中で、ロシアの国家安全保障戦略には、相手が核兵器を使用していない、あるいは使用すると脅していない場合でも、特定の状況下では核兵器を使用することが含まれていることをバイデン政権の主要メンバーたちは知っている。彼らは、ロシア軍がドクトリンとして「エスカレートからデスカレートへ(escalate to deescalate)」と呼ぶ、ロシアとその同盟諸国に対する大規模な通常の脅威に対抗するために戦術核兵器を使用することを予見したドクトリンを実践しているロシアの軍事演習を調査研究している。

従って、専門家のほとんどがプーティンの「あなた方の歴史上経験したことのない結末(consequences you have never experienced in your history)」という暗い脅しや、ロシアの核戦力を「特別戦闘準備態勢(special combat readiness)」に置くことを単なる妨害行為と見なしているのに対し、バイデンのティームはそうではない。例えば、プーティンが通常戦場で自軍が大敗を喫したと判断した場合、ウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領を降伏させるために、ウクライナの小都市の1つに戦術核兵器(低収量の爆弾だが、それでも壊滅的な結果をもたらす)を使用する可能性は否定できない。もしアメリカがこれにある種の対応をすれば、キューバをめぐる対立以上に危険な核のチキンゲーム(chicken game)が展開されることになる。

●対立が如何にして核戦争にまで深刻化するか(How Confrontations Go Nuclear

1962年の力学はどのようにして核戦争にまで結びつくものとなったのだろうか? この危機を分析したアナリストたちは、アメリカの都市を焼却することになった可能性のある、もっともらしい道筋(plausible paths)を10以上挙げている。最速の1つは、当時ケネディでさえ知らなかった事実から始まる。ケネディと側近たちにとって核心的な問題は、ソ連がアメリカ大陸を攻撃できる中・超中距離核ミサイル(medium- and intermediate-range nuclear missiles)をキューバに設置するのを阻止することだった。しかし彼らは、ソ連が既に100発以上の戦術核兵器をキューバに配備していることを知らなかった。更に言えば、そこに配備された4万人のソ連軍は、攻撃された場合にそれらの兵器を使用する技術的能力と認可の両方を持っていた。

例えば、あの致命的な危機の12日目に、フルシチョフがケネディの最後の解決策の提案をきっぱりと拒否したと想像してみて欲しい。ケネディは、ソ連がミサイルを撤退すればアメリカはキューバに決して侵攻しないと誓うという取引を提案し、それにフルシチョフが拒否すれば24から48時間以内にキューバを攻撃するとの非公式の最後通牒(a private ultimatum)を与えていた。ケネディは否定的な反応を予想して、その時点で、キューバ島のミサイルを全て破壊する爆撃作戦を承認していた。また、この直後に侵攻し、攻撃を逃れた兵器を確実に除去することになっていた。しかし、アメリカ軍が島に上陸してソ連軍と交戦したとき、アメリカ軍司令官たちは存在を知らなかった戦術核兵器の標的になっていた可能性が高い。これらの兵器は、彼らを島に輸送したアメリカの船を沈没させただろうし、おそらく侵略者が来たフロリダの港にも打撃を与えただろう。

その時点で、フルシチョフは、アメリカ本土に弾頭を運ぶ能力を持つソ連の20基のICBMに燃料を補給し、発射準備を整えるよう命じていただろう。ケネディは、その時、とんでもないディレンマに直面していただろう。ソ連の核兵器に対する先制攻撃を命じることもできただろう。その攻撃では、ソ連は数千万人のアメリカ人を殺害するのに十分な核兵器をまだ残している可能性が高い。あるいは、ソ連の完全な核兵器による攻撃に対してアメリカが脆弱な状態になり、1億人以上のアメリカ人の死を招く可能性があると知りながら、攻撃しないこともできただろう。

幸いなことに、ロシアのウクライナに対する戦争がいかに恐ろしいものになったとしても、核爆弾でアメリカの都市が破壊されるという結末を迎えるリスクは、ジョン・F・ケネディ(JFK)が3分の1には遠く及ばない。実際、私の判断では、100分の1未満であり、おそらく1000分の1に近いだろう。プーティンのウクライナ侵攻が1962年のミサイル危機の続編になっていない主な理由は2つある。第一に、プーティンは、NATO加盟諸国の領土への侵入や攻撃などのレッドラインを超えることを避けるなど、アメリカの重要な国益を脅かさないよう細心の注意を払っている。第二に、バイデンは最初から、ウクライナで起きていることがより大きな戦争の引き金になることを許さないと決意していたからだ。

●先制的な抑制(Preemptive Restraint

プーティンの挑戦に対するバイデンの対応は、アメリカの国益に関する揺るぎない戦略的明確さ(unblinking strategic clarity about American national interests)を示している。彼は、ウクライナの力学が、もし誤った対応をすれば核戦争につながるという真のリスクを理解している。また、アメリカはウクライナに重大な利益を持っていないことも知っている。ウクライナはNATO加盟国ではなく、したがって、ウクライナに対する攻撃をアメリカに対する攻撃であるかのように防御するというワシントンからの第5条の保証はない。よって、バイデンがウクライナをめぐってロシアとの戦争に突入することは、アメリカの外交政策における最悪の、そしておそらく最後の大きな誤りとなる可能性がある。

それを防ぐための決定的な努力として、ロシア軍がウクライナを包囲する中、バイデンはアメリカ軍をウクライナでの戦闘に派遣することは「選択肢にない(not on the table)」と明言した。12月8日の記者会見で、彼は「アメリカがロシアに対抗するためにアメリカ一国で武力を行使するという考えは、今のところあり得ない(The idea that the United States is going to unilaterally use force to confront Russia [to prevent it from] invading Ukraine is not in the cards right now)」と宣言した。それ以降、バイデン陣営は繰り返しその点を強調してきた。プーティンの犯罪がいかに悲痛なものであろうと、ウクライナを守るためにアメリカ軍を派遣することはロシアとの戦争を意味する(No matter how heart-rending Putin’s crimes, sending U.S. troops to defend Ukrainians would mean war with Russia)。その戦争は核戦争へとエスカレートする可能性があり、ウクライナだけでなく、ヨーロッパ、ロシア、アメリカの国民も犠牲者となるだろう。要するに、バイデンが述べたように、アメリカは「ウクライナで第三次世界大戦を戦うつもりはない(the United States “will not fight the third world war in Ukraine”)」のだ。

連邦議会におけるバイデンの批判者たちは、現在、彼の慎重さがプーティンの侵攻を招いたと主張している。共和党のトム・コットン連邦上院議員は、「バイデンの弱腰な宥和政策(weak-kneed appeasement)がプーティンを刺激した」と発言している。アメリカにジョージ・W・ブッシュのような強い大統領がいたら、侵攻は決して起こらなかっただろうとコットンと彼の同調者たちは主張する。反事実は複雑だ(Counterfactuals are complicated)。しかし、この場合、少し歴史を応用すれば大いに役立つ。

2008年のプーティンによるグルジア侵攻について考えてみよう。ブッシュ大統領の当時、グルジアの展開はロシアの侵攻前のウクライナの展開と概ね似ていた。当時、ロシアの支援を受けた分離主義者たち(Russian-backed separatists)と対峙するグルジアの取り組みは、プーティンにとって容認できない脅威とみなされていた。その年のNATOサミットでブッシュ政権はグルジアとウクライナをNATOに急遽加盟させようとしたが失敗した後、勇気づけられたグルジアのミヘイル・サアカシュヴィリ大統領は、離脱した南オセチア州を厳しく取り締まった。プーティン大統領がロシア軍にグルジア侵攻を命令してこれに応じたとき、彼はブッシュ大統領がアメリカ軍を戦争に派遣する用意があることに疑いを持っていなかったことは確かだ。何しろ、彼はブッシュ大統領が2003年にイラク侵攻に13万人の兵士を派遣し、さらにアフガニスタンに数万人の兵士を派遣するのを見ていた。こうした証拠は、ブッシュ大統領の強気な態度(Bush’s bravado)がプーティン大統領を抑止するどころか、主にサアカシュヴィリ大統領の無謀さ(Saakashvili’s recklessness)を助長し、それが今度はプーティン大統領の侵攻の口実となったことを示唆している。

ロシアの侵略者がグルジアの首都に近づくと、ブッシュ政権は更なる選択に直面した。予想通り、政権の一部のメンバー、特にディック・チェイニー副大統領の補佐官たちは、ロシアによるグルジア占領を阻止するためにアメリカ軍を派遣するよう求めた。大統領が議長を務めた国家安全保障会議の特別会議(a special National Security Council meeting)で、国家安全保障問題担当大統領補佐官のスティーヴン・ハドリーは、「グルジアをめぐってロシアと戦争する用意はあるか」という質問を直接投げかけた。大統領は会議の参加者全員に、各自の答えを出すよう求めた。ハドリーは後に「私は、軍事的対応の可能性について、全員にカードを見せてほしかった」と述べた。そうしなければ、後に、グルジアのために戦う用意はあると主張したものの却下されるかもしれないと分かっていたからだ。テーブルを囲んで議論すると、チェイニー、コンドリーザ・ライス国務長官、ボブ・ゲイツ国防長官を含め、誰も賛成票を投じる意向を持っていなかった。アメリカはグルジアの援助に向かうことはなく、戦争は2週間以内に終わった。

●多くの大統領が示す1つの前例(A Precedent with Many Presidents

示唆に富むこととして、バイデン政権とブッシュ政権が採った選択は、同様のディレンマに直面した他の全ての米政権が採った選択と一致している。1948年にソ連がベルリンへの高速道路を封鎖したとき、ハリー・トルーマン大統領はアメリカ軍に戦わせるという軍司令官の提案を拒否した。ドワイト・アイゼンハワー大統領は、1956年のハンガリー動乱(1956 Hungarian uprising)を防衛するために米軍を派遣しないことを選んだが、これは1968年の「プラハの春(1968 Prague Spring)」の際、リンドン・ジョンソン大統領がチェコスロバキアで繰り返した決断である。ケネディはベルリンの壁を建設するソ連軍を攻撃することを拒否した。そして1984年、ソ連領空に誤って侵入した民間旅客機をソ連が撃墜し、現職連邦下院議員を含む52人のアメリカ人が死亡したときも、ロナルド・レーガン大統領は同様にエスカレートを拒否した。どのケースでも、国家の存亡に関わるような重大な国益が明確でなければ、そのリスクを冒す覚悟はなかった。

前任者たちと同様に、バイデン大統領、マーク・ミルリー統合参謀本部議長、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官、そして政権の他の人々は、キューバ・ミサイル危機で起こったことについて読んだだけでなく、核の危険を身をもって体験できるように設計された模擬戦争ゲーム(simulated war games)にも参加していた。彼らは、ジョン・F・ケネディ大統領とテーブルを囲み、自分たちの家族を殺すかもしれない核攻撃を引き起こす可能性があることを知っている選択について議論した人々の役を演じた。「単一統合作戦計画(Single Integrated Operational PlanSIOP)」とは、1960年代初頭に考案されたアメリカの核戦争に関する一般的な計画で、アメリカの核兵器が必要となった場合の発射手順や標的の選択肢を示したものだ。バイデンと彼の上級顧問たちは、アメリカの戦略核戦力はロシアを地図上から消し去ることができるが、そのような対立の最後にはアメリカも消滅してしまうという事実を把握している。こうして彼らは、ロナルド・レーガンが有名な短い言葉で捉えた深遠な真実を理解している。「核戦争に勝つことはできないし、決して戦ってはならない(“A nuclear war cannot be won and must never be fought”)」。

 

 

レーガンの2つの命題は、暗唱するのは簡単だが、戦略的思考に組み込むのは難しい。アメリカが世界最強の軍隊を持ち、ロシアを墓場にできるほどの核戦力を有しているにもかかわらず、レーガンの最初の指摘は、その戦争の終わりにはロシアもアメリカを完全に破壊していたであろうことを思い起こさせる。誰もそれを勝利とは呼べない。この状態は、冷戦時代の戦略家たちによって相互確証破壊(mutually assured destructionMAD)と呼ばれ、強力な核兵器を持つ敵同士の総力戦(all-out war)は核兵器による狂気の沙汰ということになった。テクノロジーは事実上、アメリカとロシアを切っても切れない双子のような関係にした。どちらか一方が他方を殺すことはできても、同時に自分が殺されることなしに殺すことはできない。

レーガンの警告の後半部分は更に理解しにくい。核戦争は「決して戦ってはならない(must never be fought)」ということだ。プーティンのロシアが今日どれほど邪悪で危険であろうとも、アメリカは戦争をせずにロシアを倒す方法を見つけなければならない。冷戦中、ソ連との戦争を避けるということは、そうでなければ全く受け入れられないであろう、ソ連と戦うためのアメリカの取り組みに対する制約を受け入れることを意味した。これには、ソ連が東ヨーロッパの捕虜となった国々を占領し続けることを誰もが目にできる限り続ける一方で、アメリカはそれらの共産主義政権への支持を弱めるためにできる限りのことをすることや、誤算や事故(miscalculations or accidents)による戦争につながるリスクを高める可能性のある特定の兵器システム(例えば中距離核戦力)を配備しないことで米ソ両国が合意する妥協点に達することなどが含まれていた。

特に今日のワシントンの熱気の中では、レーガンが中距離核戦力全廃条約に署名した際、『ワシントン・ポスト』紙のコラムニストだったジョージ・ウィルが「道徳的な軍縮を加速させているだけで、実際の軍縮はその後に続く(accelerating moral disarmament—actual disarmament will follow)」と非難したことを思い出すと役に立つかもしれない。当時の指導的保守派知識人ウィリアム・バックリーは、レーガンのINF合意を「自殺協定(suicide pact)」と呼んだ。そのような批判について、レーガンは次のように書いている。「私のより急進的な保守派の支持者の中には、私がロシアとの交渉で我が国の将来の安全保障を犠牲にしようとしていると抗議する者もいた。私は彼らに、自分たちが不利になるような協定には署名しないと保証したが、それでも彼らから多くの非難を受けた。彼らの多くは、核戦争は『避けられない(inevitable)』ので、それに備えなければならないと考えていたと私は確信していた」。

●他の手段による戦争(War by Other Means

キューバ・ミサイル危機から得た数多くの教訓の中で、バイデン政権にとって今後数週間のうちに特に重要となりそうなものがある。キューバ・ミサイル危機のわずか数カ月後、ジョン・F・ケネディ大統領が最も重要な外交演説で述べたように、「何よりも、核保有国は、自国の重要な利益を守りつつ、敵国に屈辱的な撤退か核戦争かの選択を迫るような対立を回避しなければならない(Above all, while defending our own vital interests, nuclear powers must avert those confrontations which bring an adversary to a choice of either a humiliating retreat or a nuclear war)」。もしプーティンがこの2つの選択肢しか選べないとしたら、前者を選ぶ保証はない。バイデンはプーティンにそのような選択を迫ることを慎重に避けてきたが、事態は今、ロシアの指導者プーティンがそのような岐路に立たされたと見なしうる方向に向かっている。現地での戦争の事実が、この戦争に負けるか、戦術核攻撃でウクライナ人と世界に衝撃を与える以外に選択肢を残さないのであれば、彼が後者を選択することに賭けるのは愚かなことだ。

これを防ぐために、バイデンと彼のティームは、事態が急速に行き詰まりに向かっているのを受けてJFKがしたことを見直すべきだ。アメリカによる海上封鎖は、ソ連がキューバにミサイルを持ち込むのを阻止することには成功したものの、ソ連が既にキューバで対米ミサイル発射の準備をしているのを阻止することはできなかった。こうして危機の最後の土曜日、ケネディのアドバイザーたちは、攻撃するか、キューバのソ連ミサイル基地を既成事実として受け入れるか、2つの選択肢しかないと彼に告げた。ケネディはその両方を拒否した。代わりに、彼は次の3つの要素から成る想像力豊かな代替案を考案した。それらは、ソ連がミサイルを撤去すればキューバを侵略しないと約束する公式な取引、フルシチョフがその申し出を受け入れなければ24時間から48時間以内にキューバを攻撃すると脅す非公式な最後通牒、そして危機が解決した後の6カ月以内にトルコからアメリカのミサイルを撤去することを約束する秘密の魅力的な追加要素(sweetener)である。

ウクライナでプーティンに同様の出口(off-ramp)を設けるために必要となる複雑な多層的交渉と外交では、アメリカと同盟諸国は、1962年のケネディとその助言者たち以上の想像力を必要とするだろう。しかし、バイデンと彼のティームがこの難題に立ち向かうとき、彼らはJFKの最も素晴らしい時間にインスピレーションを見出すことができるだろう。

※グレアム・アリソン:ハーヴァード大学ケネディ記念行政大学院ダグラス・ディロン記念政治学教授。著書に『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ(Destined for War: Can America and China Escape Thucydides’s Trap?)』がある。

(貼り付け終わり)
(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

古村治彦です。※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。世界の民主政治体制国家が不安定になっている。それもこれまで世界の模範とされてきた、西側諸国の民主政治体制が動揺している。民主政治体制として歴史の浅い国や、非民主的な国の方が政治的に安定しているというのが現状だ。民主政治体制の「危機」という主張も聞かれるが、それを招いたのは選挙で選ばれた権力者たちによる独走と失敗である。多くの先進諸国で既存の政治に対する失望が広がっているのは、既存の政治家たちが国民を見ていない、国民の意向を無視しているということが原因だ。

 下に掲載した論考では、ナショナリズムと民主政治の不安定な関係を取り上げている。特に、国家がメンバーをどう定義するか、歴史的記憶をどう扱うか、そしてグローバライゼーションにどう対抗するかが問題となっている。ナショナリズムはリベラリズムと緊張関係にあり、一部の国ではその影響が強まっている。

国家のメンバーシップの基準に関しては、各国が民族的要因や共通の憲法上の価値の忠誠を重視している。アメリカでは移民政策が政治問題として浮上し、トランプ政権下では新たな差別の恐れが生じた。ヨーロッパの難民危機やインドでの国籍法改正も、メンバーシップに対する懸念を強化している。これらの動きは、リベラリズムの基盤に影響を与えており、閉鎖的な政策が多くの国で台頭している。

歴史的記憶もその重要な側面であり、国家の集団的アイデンティティにとって欠かせない要素となっている。インドにおけるヒンドゥー教のナショナリズムは、この点で特に顕著であり、宗教的シンボルが政治的課題に利用されている。南アフリカでは、経済的正義を犠牲にした妥協の是非が議論されている。

国民ポピュリズムの台頭により、国家的アイデンティティに異議を唱える意見は反国家的とされることが多く、異論は犯罪化される事例が増えている。ナショナリズムとグローバライゼーションの関係も、選挙において重要な課題となり、自国の利益を優先する傾向が強まっている。グローバライゼーションの否定的な側面が明らかになり、国家の自給自足を求める動きが加速している。

ナショナリズムの特徴は、民主政治体制の誕生とも深く関連しており、経済とナショナリズムの交わりが各国に影響を与えている。ナショナリズムはアイデンティティ政治に強く、リベラリズムとの対立が顕著になる可能性がある。2024年の選挙は、このような闘争を反映しており、リベラルな価値観への脅威が増すか、またはその逆となるかが焦点となる。 この課題に関して、過去の歴史家が述べたように、ナショナリズムに人道的側面を与えることが、未来の歴史についての重要な鍵である。

 リベラルな価値観とは、西洋諸国の推進する価値観であり、これまではそれを受け入れることが進歩であり、文明的な動きであった。しかし、それらに対する異議申し立てや疑問が出ている現状で、それらは揺らいでいる。そして、民主政治体制についても揺らいでいる。そうした中でナショナリズムが影響力を増している。こうした現状はアメリカでも見られる。世界は大きく変わりつつある。

(貼り付けはじめ)

ナショナリズムの亡霊(The Specter of Nationalism

-アイデンティティ政治は選挙に常に影響を与えてきた。2024年、アイデンティティ政治はリベラリズムと、民主政治体制自体に対しての深刻な脅威となるだろう。

プラタップ・バーヌ・メサ筆

2024年1月3日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/01/03/nationalism-elections-2024-democracy-liberalism/?tpcc=recirc_trending062921

世界は民主政治体制(democracy)の未来にとって重要な年が始まろうとしている。インド、インドネシア、南アフリカ、アメリカなど、2024年に投票が行われる主要国のほんの数例を挙げると、これらの国での選挙は通常通りの行事である。しかし、これらの民主政治体制国家の多くは転換点(inflection point)を迎えている。分極化(polarization)、制度の劣化(institutional degradation)、権威主義(authoritarianism)の強まる潮流は逆転できるのだろうか? それとも、民主政治体制は限界点(breaking point)に達するのだろうか?

民主政治体制国家にはそれぞれ独自の特徴が存在する。今年選挙が行われる各国では、有権者はインフレ、雇用、個人の安全、将来の見通しに対する自信など、おなじみの問題で現政権を判断することになる。しかし、2024年の世界選挙に伴う不吉な予感は、1つの事実に起因している。それは、ナショナリズム(nationalism)と民主政治体制の間の不安定な妥協(uneasy accommodation)が深刻なストレスに晒されているということだ。

民主政体の危機は、部分的にはナショナリズムの危機でもあり、現在では4つの問題を中心に展開しているようだ。国家がメンバーシップ(国民、有権者)をどう定義するか、歴史的記憶(historical memory)のあり方をどう普及させるか、主権者としてのアイデンティティをどう位置付けるか、そして、グローバリゼーション勢力とどう戦うかである。これらのそれぞれにおいて、ナショナリズムとリベラリズムはしばしば緊張関係にある。民主政治体制は、この緊張関係を解決するのではなく、うまく切り抜けようとする傾向がある。しかし、世界中で、ナショナリズムがゆっくりとリベラリズムを窒息させつつあり、この傾向は今年、有害な形で加速する可能性がある。2024年には世界史上どの年よりも多くの国民が投票するが、彼らは特定の指導者や政党だけでなく、市民的自由の未来(very future of their civil liberties)そのものに投票することになる。

まず、社会がメンバーシップの基準をどのように設定するかについて議論しよう。政治共同体が主権を持つ場合、誰をメンバーから除外するか、またはメンバーに含めるかを決定する権利がある。自由主義的民主政治体制国家は歴史的に、メンバーの基準として様々なものを選択してきた。民族的および文化的要因を優先する国もあれば、共通の憲法上の価値観への忠誠を要求するだけの市民基準を選択する国もある。

実際には、自由主義的民主政体国家の移民政策は、移民の経済的利点、特定の人々の集団との歴史的つながり、人道的配慮など、様々な考慮事項に基づいて行われてきた。ほとんどの自由主義社会は、メンバーシップの問題を原則的にではなく、様々な取り決めを通じて扱ってきた。その中には、よりオープンなものもあればそうでないものもある。

加盟の問題は政治的に重要性を増している。その原因は様々だ。アメリカでは、南部国境での移民の急増により、この問題が政治的に前面に押し出され、バイデン政権でさえも、約束したリベラル政策の一部を撤回せざるを得なくなった。確かに、移民はアメリカでは常に重要な政治問題であった。しかし、ドナルド・トランプが政治的に登場して以来、移民は新たな側面を獲得した。トランプのいわゆるイスラム教徒入国禁止令は、最終的には撤回されたが、アメリカの将来の移民制度の基礎となる可能性のある、新たな形の明白または隠れた差別の恐怖(the specter of new forms of overt or covert discrimination)を引き起こした。

世界的な紛争や経済および気候の苦境によって引き起こされたヨーロッパの難民危機(Europe’s refugee crisis)は、全ての国の政治に影響を与えている。スウェーデンは、移民を統合するモデルについて深い懸念を強め、2022年に右派政権を誕生させる。イギリスでは、移民に対する懸念がブレグジット(Brexit)に一部影響した。またインドでは、ナレンドラ・モディ首相率いる政府が2019に年国籍改正法を施行し、近隣諸国からのイスラム教徒難民を国籍取得の道から除外することになった。インド政府にとって、加盟を巡る懸念は、多数の民族を優先する必要性から生じている。同様に、南アフリカでは移民の地位をめぐる論争がますます激しくなっている。

メンバーシップの重要性が増していることは、リベラリズムの将来にとって懸念事項だ。リベラルな価値観は歴史的に様々な移民制度やメンバーシップ制度と両立してきたため、リベラルなメンバーシップ制度はリベラルな社会を作るための必要条件ではないかもしれない。よく管理されたメンバーシップ政策がないと、リベラリズムが依拠する社会的結束(the social cohesion)が乱れ、リベラリズムが損なわれる可能性が高いと主張する人もいるだろう。しかし、ハンガリーのヴィクトル・オルバンからオランダのヘルト・ウィルダースまで、閉鎖的または差別的なメンバーシップ制度を支持する世界の政治指導者の多くが、リベラルな価値観にも反対しているというのは注目すべき事実である。そのため、反移民と反リベラルを区別することが難しくなっている。

記憶は、保持し、前進させるべき、集団的アイデンティティに関する永遠の真実の一種(a kind of eternal truth)である。

ナショナリズムの2つ目の側面は、歴史的記憶(historical memory)をめぐる争いである。全ての国家には、集団のアイデンティティと自尊心(self-esteem)の基盤となることができる、使える過去(a usable past)、つまり国民を結びつける物語(a story that binds its peoples together)が必要だ。歴史と記憶の区別(the distinction between history and memory)は誇張されがちだが重要だ。フランスの歴史家ピエール・ノラが述べたように、記憶は事実、特に思い出す主な対象への崇拝にふさわしい事実を探す。記憶には感情的な性質がある。それはあなたを動かし、あなたのアイデンティティを構成するはずだ。それはコミュニティの境界を設定する。歴史はより距離を置いている。事実は常にアイデンティティと共同体の両方を複雑にする。

歴史は道徳に関する物語(a morality tale)というよりは、苦労して得た知識の非常に難しい形態であり、常に選択可能性(selectivity)を意識している。

記憶(memory)は道徳に関する物語として保持するのが最も簡単だ。それは単に過去に関するものではない。記憶は、保持し、前進させるべき、ある個人の集団的アイデンティティに関する一種の永遠の真実だ。

様々な記憶は政治の場でますます強調されている。インドについて、最も明白な例を挙げると、歴史的記憶はヒンドゥー教のナショナリズムの強化の中心だ。2024年1月に、モディ首相はアヨーディヤーでラーマ神を祀る寺院を建立した。この寺院は、1992年にヒンドゥー教のナショナリストがモスクを破壊した場所に建てられている。ラーマ神寺院は重要な宗教的シンボルだ。しかし、インド人にとって最も顕著な歴史的記憶はイギリスによる植民地支配ではなく、イスラム教による千年にわたる征服の歴史であるべきだという与党インド人民党(the ruling Bharatiya Janata Party)の主張の中心でもある。モディ首相は、2020年に寺院の礎石が据えられた8月5日を、1947年にインドがイギリスから独立した8月15日と同じくらい重要な国家の節目であると宣言した。

南アフリカでは、記憶の問題はそれほど顕著ではないように思えるかもしれない。しかし、ネルソン・マンデラ時代の妥協(compromise)は、社会的連帯(social solidarity)のために経済的正義(economic justice)を犠牲にしたと今では一部の人が見ているが、ますます問われている。不平等の継続、経済不安、社会的流動性の低下に直面して、南アフリカ人の多くはマンデラの遺産と、国内の黒人に力を与えるために彼が十分なことをしたかどうかを疑問視している。これは、与党のアフリカ民族会議(the ruling African National Congress)に対する幻滅(disillusionment)を反映している。しかし、この再考は、現代の南アフリカが自らを理解してきた観点から、記憶を再定義する可能性もある。

アメリカでは、国家の物語をどう語るかをめぐる争いは建国の父たち(the Founding Fathers)にまで遡る。ドナルド・トランプからフロリダ州知事ロン・デサンティスまで、政治家たちはアメリカ人であることの意味や「アメリカを再び偉大な国にする(make America great again)」方法に基づいて立候補している。たとえばフロリダ州では、黒人の歴史を教えるための怪しげな基準を設け、生徒が人種や奴隷制度について学ぶ内容を規制しようとしている。これは単なる教育方法の政治的論争ではなく、その背後には、アメリカが過去をどのように記憶し、それゆえに未来をどのように築いていくのかという、より大きな、不安な政治的論争がある。

ナショナリズムの高揚における3つ目の次元は、人民主権(popular sovereignty)、すなわち人々の意思(the will of the people)をめぐる争いである。人民主権とナショナリズムの間には常に密接な関係があり、前者には明確なアイデンティティと互いに特別な連帯感を持つ国民という概念の形成が必要だったからである。フランス革命の時代、ジャン=ジャック・ルソーの思想に触発され、人民主権者は唯一無二の意思を持つとされた(the popular sovereign was supposed to have a singular will)。しかし、もし人民の意志が単一(unitarity)であるならば、差異(differences)をどう説明するのだろうか? 更に言えば、当然のように人々の間に違いがあるのなら、どうやって民意を確かめればいいのだろうか? このパズルを解く1つの方法は、誰が有能な人々の意志を効果的に代表していることができるか、そしてそうすることで、相手側を、単にその意志の代替的な解釈を持っているのではなく、その意志を裏切っているものとして表現できるかということである。このようなパフォーマンスが行われるためには、代替的な視点を代弁する者を民衆の敵(an enemy of the people)として厳しく非難しなければならない。その意味で、「人民(the people)」、一元的な存在として理解される、という修辞的な呼びかけは、常に反多元主義的である危険性(the risk of being anti-pluralist)をはらんでいる。世界中の民主政治体制国家が民主政治体制の多元主義的で代表的な概念を受け入れているときでさえ、国家に転嫁される単一性の痕跡が残っている。国家は団結していなければ国家ではないし、意志を持つこともできない。

政治スタイルとしての国民ポピュリズムは、人民の敵(enemies of the people)ではなく国民の敵(enemies of the nation)を見つけることで繁栄する。

人々は、自分たちの国のアイデンティティを基準にすることで、統一された意志のもとに結集する。つまり、時には、このようなアイデンティティの評価は非常に生産的である。しかし、ナショナリズムの特徴の1つは、ナショナリズム自身が異議を唱える余地を作ろうともがくことだ。反対派が委縮したり汚名を着せられたりするのは、政策的な問題に関して異なる見解を持っているからではなく、その見解が反国家的なものとして表象されるからである。国民ポピュリストのレトリックが、自分たちの国民的アイデンティティやナショナリズムの基準に異議を唱える勢力に向けられることが多いのは偶然ではない。国民のアイデンティティがより争われるようになるにつれ、押し付けられることによってのみ統一が達成される可能性が高まっている。

政治スタイルとしての国民ポピュリズムは、人民の敵ではなく国民の敵を見つけることによって繁栄し、その敵はしばしば特定の複数のタブーによって評価される。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアンからモディ、オルバン、トランプに至るまで、現代のポピュリストのほぼ全員が、人民とエリートを階級ではなく、誰が国家を真に代表するかという観点から区別している。真のナショナリストとして評価されるのは誰なのか? エリートに対する文化的軽蔑(the cultural contempt for the elite)は、彼らがエリートであるという事実だけでなく、いわばもはや国民の一部ではないエリートとして代表されることができるという事実から強まっている。この種のレトリックは、違いを単なる意見の相違ではなく、扇動的であると見なす傾向がますます強まっている。たとえばインドでは、カシミールに対する政府の姿勢に疑問を呈する学生たちに対して国家安全保障関連の罪が問われている。これは、単なる異議申し立て(a contestation)、あるいはおそらく誤った見解としてではなく、犯罪化される必要がある反国家行為(anti-national act)と見なされている。

ナショナリズムの危機の第4の側面は、グローバライゼーションに関するものだ。ハイパー・グローバライゼーションの時代になっても、国益が色褪せることはなかった。各国がグローバライゼーションや世界経済への統合を受け入れたのは、それが自国の利益につながると考えたからだ。しかし、全ての民主政治体制国家において、今年の選挙で重要なのは、国際システムに関与する条件の再考である。

グローバライゼーションは勝者を生み出したが、同時に敗者も生み出した。アメリカにおける製造業の雇用喪失やインドにおける早すぎる脱工業化(premature de-industrialization)は、グローバライゼーションの再考を促すに違いない。こうしたことは全て、グローバル・サプライチェインへの依存に対する恐怖を際立たせた新型コロナウイルス感染拡大(パンデミック)以前から起こっていたことだ。

世界各国は、経済に対する政治的コントロールの主張、つまり合法的な社会契約(social contract)を結ぶ能力が、グローバライゼーションの条件を再考する必要があると確信するようになっている。傾向としては、グローバライゼーションに懐疑的になり、国家安全保障や経済的な理由から、より大きな自給自足を求めるようになっている。「アメリカ・ファースト」や「インド・ファースト」は、特に中国が権威主義的な競争相手(an authoritarian competitor)として台頭してきた状況では、ある程度理解できる。

しかし、現在のこの瞬間はナショナリズムの政治における大きな転換期のようだ。グローバライゼーションは国益の推進を目指す一方で、ナショナリズムを緩和した。グローバライゼーションは、統合の拡大によって全ての国が相互に利益を得ることができるゼロサムゲーム以外の世界秩序を提示した。国際的な連帯を疑うことはなかった。民主政治体制国家はますますこの前提を放棄しつつあり、世界に重大な影響を及ぼしている。グローバライゼーションが減り保護主義が強まると、必然的にナショナリズムが強まる。この傾向は世界貿易にも悪影響を及ぼし、特に国境開放と商業の高まりを必要とする小国にとっては打撃となる。

ここで説明したナショナリズムの4つの特徴(メンバーシップ、記憶、主権的アイデンティティ、世界への開放性)はそれぞれ、民主政治体制の誕生以来、その影を落としてきた。アメリカでは格差と賃金の低迷、インドでは雇用の危機、南アフリカでは汚職など、どの民主政治体制国家もそれぞれ深刻な経済的課題に直面している。経済問題とナショナリズム政治の間に必要な二項対立(binary)はない。モディのような成功したナショナリストの政治家は、経済的成功をナショナリズムのヴィジョンを強固なものにする手段と考えている。そして、ストレスの多い時代には、ナショナリズムは不満を明確にするための言語となる。ナショナリズムは、政治家が人民に帰属意識と参加意識を与える手段だ(It is the means by which politicians give a sense of belonging and participation to the people)。

ナショナリズムはアイデンティティ政治(identity politics)の最も強力な形態だ。ナショナリズムは、個人とその権利を、ナショナリズムが個人を束縛する強制的なアイデンティティのプリズムを通して見ている。ナショナリズムとリベラリズムは長い間、対立する勢力だった。ナショナリズムをめぐる利害関係が高まらず低まれば、ナショナリズムとリベラリズムと両者の間の緊張関係をうまく乗り越えやすくなる。しかし、2024年の多くの選挙では、これらの国の国民的アイデンティティの性質が、上記の4つの側面に沿って危機に晒される可能性が高まっている。これらの争いは民主政治体制を活性化させる可能性がある。しかし、最近の例を参考にすると、政治におけるナショナリズムの優越性は、リベラルな価値観に対する脅威となる可能性が高い。

ナショナリズムの前進する形態が、その意味を争うことを許さず、あるいは特定のグループの特権を維持しようとすると、一般的に、より分裂的で分極化した社会(a more divisive and polarized society)が生み出される。インド、イスラエル、フランス、そしてアメリカは、それぞれこの課題に直面している。記憶とメンバーシップの問題は、単純な政策審議によって解決される可能性が最も低い。彼らが取引する真実は、共通基盤の基礎となりうる事実に関するものではない。たとえば、私たちがしばしば歴史を選択するのは、その逆ではなく、むしろ私たちのアイデンティティのためであることはよく知られている。

おそらく、最も重要なことは、ナショナリズムの名の下に、リベラルな自由に対する攻撃が正当化されることが多いということだ。例えば、表現の自由(freedom of expression)は、深く大切にされている国家神話(national myth)を標的にすると見なされれば、その限界を知る可能性が最も高い。市民の自由を狭めたり、制度の完全性を軽んじたりすることを厭わないポピュリストや権威主義的な指導者は皆、ナショナリズムのマントをまとっている。そのような指導者は、「反国家的(anti-national)」という言葉を用いて反対意見を取り締まることができる。多くの意味で、今年の選挙は、民主政治体制がナショナリズムのディレンマとうまく折り合いをつけられるか、あるいはナショナリズムを衰退させるか、打ち砕くかを決めるかもしれない。

20世紀のファシズム史の偉大な歴史家であるジョージ・L・モスは、1979年にイェルサレムのヘブライ大学で行われた教授就任講演で、この課題について次のように述べている。「もし私たちがナショナリズムに人間的な側面を与えることに成功しなければ、将来の歴史家たちは、私たちの文明について、エドワード・ギボンがローマ帝国の崩壊について書いたことと同じことを書くかもしれない。つまり、最盛期には穏健主義が卓越し、国民はお互いの信念を尊重していたが、不寛容な熱意と軍事的専制によって崩壊したということだ(that at its height moderation prevailed and citizens had respect for each other’s beliefs, but that it fell through intolerant zeal and military despotism)」。

※プラタップ・バーヌ・メサ:プリンストン大学ロウレンス・S・ロックフェラー記念卓越訪問教授、ニューデリーにあるセンター・フォ・ポリシー・リサーチ上級研究員。

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。

  国際秩序(international order)は変化しつつある。覇権国アメリカによる一極支配は衰退しつつある。それに伴って世界は新しい秩序作りに向かうことになる。それは、これまでの西洋近代支配600年の終焉を意味する。非西洋世界の勃興により、これまでの規範も変改していく。西洋的な価値観が普遍的な価値観であるという世界は終わっていく。そうした状況の中で、以下の論稿は非常に重要な内容である。簡単に言えば、フランシス・フクヤマの唱えた「歴史の終わり(End of History)」対サミュエル・ハンティントンの唱えた「文明間の衝突(Clash of Civilizations)」ということだ。冷戦に西洋が勝利して、晴雨用的な価値観が世界の普遍的な価値観になるというフクヤマの考えは、今や、結局、諸文明間の争いが続くとしたハンティントンの考えに取って代わられつつある。

 以下の論稿を要約すると次の通りになる。私たちは現在、重要な国際関係の再編成の瞬間に直面している。これまでのリベラルな国際秩序の終焉を迎えている。過去の変曲点(変化する時点)では、旧秩序が徐々に崩壊し、成功する新しい秩序は長い間考案されてきていた。例えば、1919年には戦争の違法化や諸国家による議会設立(国際連盟)が検討され、1945年には国際連盟の改編(国際連合)が計画されていた。1990年代の冷戦終結後における新たな覇権は、国際社会の国境は武力で変更できないことや、国家主権の原則、自由で公正な貿易の重要性、多国間機関による紛争解決といった基盤に依存していた。これらは主にアメリカが擁護していた規範の柱だった。

近年、特にロシアと中国からのこの規範に対する挑戦を受けている。特に、アメリカがこれらの原則を拒否していることが、問題の核心となる。新たに誕生しようとしている国際秩序の性質は、ゼロサムの交流主義や強者・弱者の権力政治、アイデンティティ政治の力強い主張を特徴としていると考えられる。この特徴は、「ベルリンの壁」崩壊後の国際競争とは異なり、より平等な競争環境を形成する。冷戦終結時、フクヤマの「歴史の終わり」とハンティントンの「文明の衝突」の論争は非常に注目を集め、特に後者は批判的な評価を受けた。

フクヤマは、冷戦の終結を自由主義的民主主義の普及と見なしたのに対し、ハンティントンは文明間の紛争が続くと予測した。冷戦後の国際秩序はフクヤマの規範的枠組みの下で機能していたが、最近ではその原則が挑戦を受けている。特にロシアのクリミア併合は、リベラルな国際秩序の明確な否定と見做される。

2014年を境に、新興勢力が自国の価値観を持ち込むようになり、フクヤマの理想が崩れつつあることが明白になっている。これまでの楽観的なリベラル国際主義は失われつつあり、様々な国で文明間の衝突の現象が顕著になっている。新しい国際秩序では、力強い自己主張を行う者に運命が向かい、冷酷さが報われる状況が続くだろう。つまり、ハンティントンの予見が現実になり、変化が進行する中で、私たちはますます不安定な国際関係の中で生きることになる。

 私たちは頭の中を大きく変化させなければならない。これまでの常識が通じない世界が出現しようとしている。このような時代を目撃できるということは、この時代に生まれて、生きて、幸運だったということになるだろう。

(貼り付けはじめ)

サミュエル・ハンティントンが復讐する(Samuel Huntington Is Getting His Revenge

-世界的な「文明の衝突」という考えは間違っていなかった。ただ時期尚早だっただけだ。

ニルス・ジルマン筆

2025年2月21日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/02/21/samuel-huntington-fukuyama-clash-of-civilizations/?tpcc=recirc062921

samuelhuntington2002001
サミュエル・ハンティントン(2002年)

私たちは今、1989年、1945年、あるいは1919年に匹敵するほど重大な、世代を超えた国際関係の再編成の瞬間に立っている。これらの過去のエピソードと同様、1990年代に形成されたリベラルな国際秩序(liberal international order)が終焉を迎える瞬間は、希望と恐怖(hope and fear)が同じ程度に交錯する瞬間である。このような重要な局面では、有能な実行者(competent operators)よりもむしろカリスマ的な日和見主義者(charismatic opportunists)が輝くものである。

これまでの変曲点(inflection points)では、旧秩序はゆっくりと破綻し、その後に一気に崩壊した(collapsing all at once)。それぞれの時代に生きた人々にとってはこれらの大変化は必ずしも明確ではなかったが、振り返ってみると、それぞれのケースで成功する新しい秩序は、長い間構想されていたことが分かる。例えば、1919年には、戦争の違法化(outlawing of war)と諸国家による議会設立(establishment of a parliament of nations)が何十年も前から検討されていた。1918年には、ウッドロー・ウィルソン米大統領が国家の資格要件の基礎(basis of qualification for a state)として「民族自決(national self-determination)」を提案していた(ただし白人主導の国家に限られた[(albeit only for white-led nations])。1945年には、国際連盟(League of Nations)を改革し、実効力のある安全保障理事会(effective security council)を設置するという構想が1942年から計画が出ていた。しかし、大戦末期の核兵器の出現によって計算は変更され、冷戦(Cold War)が生み出された。そして、1989年以前には、東西・南北の権力闘争(East/West and North/South power struggles)に代わる普遍的な「リベラル(liberal)」あるいは「ルールに基づく(rule- based)」国際秩序の構想が、1970年代にはすでに提案されていた。

1990年代に出現した冷戦後の新たな覇権(hegemony)は、いくつかの規範の柱に基づいていた。すなわち、(a) 国際社会における国境(international borders)は力で書き換えられないこと(この戦後規範を守ることが、1991年の湾岸戦争(Gulf War)の表向きの開戦理由であった)、(b) 甚だしい人権侵害が行われていない限り、国家主権の原則は依然として適用されること(この例外は、最終的には「保護する責任(the responsibility to protect)」という名目で正式に規定される)、(c) 自由で公正な貿易は全ての当事者に利益をもたらすため、世界的な経済・金融統合(global economic and financial integration)は全ての国が受け入れるべきであること、(d) 国家間の紛争は多国間機関における法的交渉を通じて解決されること、1995年の関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and TradeGATT)から世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)への格上げは、この原則を制度的に具体化した象徴的な例である。

確かに、これらの柱のどれもが反対のない状態進んだ訳ではない。覇権はコンセンサス(consensus)と同じではない。過去15年間、それぞれの柱は、特にウラジミール・プーティンのロシアと習近平の中国によって、ますます直接的な形で挑戦されてきた。決定的だったのは、1990年代と2000年代にこれらの原則の最大の擁護者であると主張したアメリカが、現在ではその全てを拒否していることだ。ネイサン・ガーデルズが数週間前に主張したように、再任されたドナルド・トランプが主導して、アメリカは今や世界有数の修正主義国家(revisionist state)であり、この主張は最近ハワード・フレンチによって繰り返された。

francisfukuyama2017001
アテネを訪問するフランシス・フクヤマ(2017年1月27日)

旧秩序が死につつある中、今日の国際関係を悩ませている中心的な問題は、誕生しようと苦闘している新秩序(new order)の性質である。この新秩序に最終的にどのようなラヴェルが付けられるにせよ、その定義的な特徴には、国際経済におけるゼロサム交流主義(zero-sum transactionalism)、「強者はできることをし、弱者は我慢しなければならないことをする」というトゥキュディデス流の権力政治(Thucydidean power politics)、そして「文明国家(civilizational states)」を中心としたアイデンティティ政治の力強い主張が含まれるだろう。これらの特徴は、チャールズ・クラウトハマーが「一極化の瞬間(unipolar moment)」とよく表現した「ベルリンの壁」崩壊後の国際競争の場よりもはるかに平等な国際競争の場で形作られるだろう。このベルリンの壁崩壊は、かつてフランスの外務大臣を務めたユベール・ヴェドリーヌの言葉を借りれば、アメリカが唯一の「極超大国(hyperpower)」として登場した時期であった。

この最後の大きな再編の際、国際関係における最も顕著な論争は、フランシス・フクヤマの「歴史の終わり(End of History)」(予言的にベルリンの壁崩壊のわずか数ヶ月前に発表された)と、その4年後に出版されたサミュエル・ハンティントンの「文明の衝突(Clash of Civilizations)」との間で行われた。フクヤマ自身も、「歴史の終わり」は「世界の経験的状況に関する発言ではなく、自由主義的民主政治体制の政治制度の正当性または妥当性に関する規範的な議論である(not a statement about the empirical condition of the world, but a normative argument concerning the justice or adequacy of liberal democratic political institutions)」と認めていた。しかし、当時のリベラル派は、フクヤマの規範的なヴィジョン(normative vision)は支持に値すると感じていた。そして世紀の変わり目までに、リベラル派はボリス・エリツィンのロシアと江沢民の中国の改革をじっと見つめ、フクヤマが論点だけでなく文体でも議論に勝ったと確信することができた。

ハンティントンは合意しなかった。フクヤマ同様、『フォーリン・ポリシー』誌の共同創刊者であるハンティントンは、共産主義の東側(the communist East)と民主政治体制の西側(the democratic West)、豊かなグローバルノース(the rich global north)と貧しいグローバルサウス(the poor global south)の間の冷戦の分裂は「もはや意味をなさない(no longer relevant)」と主張した。しかし、自由主義的国際主義者(liberal internationalist)のフクヤマが、冷戦の終結は、選挙民主政治体制と管理された資本主義(フクヤマが「人類の統治の最終形態(the final form of human government)」と呼んだもの)の一般原則に沿っている国々の間での永続的な平和の前兆であると予想したのに対し、リアリスト(realist)のハンティントンは、全く異なる軸に沿ってではあるが、継続的な紛争が特徴的な世界(a world marked by continued conflict)を予見した。

ハンティントンにとって、重要な地政学的アクターたち(critical geopolitical actors)は、英国の歴史家アーノルド・J・トインビーが1934年から1961年にかけて12巻で出版した『歴史の研究(A Study of History)』で定義した用語で理解される「文明(civilizations)」となった。ハンティントンにとって、文明間の「断層線(fault lines)」(不吉な地殻変動の比喩に注目[notice the ominously tectonic metaphor])は、冷戦後の秩序の断裂点(sites of rupture)となるだろう。

文明のアイデンティティは今後ますます重要になり、世界は7つか、8つの主要な文明の相互作用(interactions)によって大きく形作られるだろう。これには西洋、儒教、日本、イスラム、ヒンズー、スラブ正教、ラテンアメリカ、そしておそらくアフリカの文明が含まれる。将来最も重要な紛争は、これらの文明を互いに隔てる文化的断層線(cultural fault lines)に沿って起こるだろう。

ハンティントンの新秩序のヴィジョンは明らかにフクヤマのものより暗いものだった。両者のヴィジョンは曖昧ではあったが。フクヤマは、永続的な平和の代償(the price of perpetual peace)はテクノクラートの退屈さであり、イデオロギー闘争の「大胆さ、勇気、想像力、理想主義」は単なる「経済的計算、技術的問題の果てしない解決、環境問題、洗練された消費者の要求の満足」に取って代わられるだろうと論じて、有名な論稿を締めくくった。フクヤマにとって、これからの「退屈の世紀(centuries of boredom)」は、政治的栄光の機会を失った世界で社会的認知を求める人々にとって実存的危機(existential crisis)を生み出すだろう。

対照的に、ハンティントンは、不公平な文化的差異(invidious cultural distinctions)に基づく集団アイデンティティ(group identities)は永続的であり、冷戦の普遍化イデオロギー(the universalizing ideologies of the Cold War)が衰退するにつれて、より明白になるだけだと主張した。ハンティントンは、オリジナルの論文の議論を拡張した1996年の著書で、「中核国家(core states)」が自らの文明の「勢力圏(spheres of influence)」内で支配を強めるという曖昧な均衡(equivocal equilibrium)を予見した。一方では、「文明の衝突は世界平和に対する最大の脅威(clashes of civilizations are the greatest threat to world peace)」であり、避けられない文化の違いを強調することが終わりのない敵意(never-ending hostility)の基盤を形成する。(ハンティントンはまた、文明の衝突[the clash of civilizations]によって定義される世界秩序において、移民に対する敵意(hostility to immigrants)が国内政治の決定的な特徴となることを予見した)

一方、新秩序にいる全員が「異質な」文明(“alien” civilizations)に自らの文化体系を押し付けようとする愚かさを認識している限り、「文明に基づく国際秩序は世界大戦に対する最も確実な防御策である(an international order based on civilizations is the surest safeguard against world war)」。諸文明間の文化的敵意(Cultural hostility between civilizations)は避けられないかもしれないが、幸運にも「衝突(clash)」は暴力的な衝突ではなく、単に騒々しい破裂音で終わるかもしれない。

フクヤマと比較すると、ハンティントンの論稿とそれに続く著作は、どちらかといえば、より多くの注目を集めた。その多くはより批判的な調子で書かれていた。歴史家や人類学者は文明というカテゴリーの一貫性のなさを批判した(ハンティントン自身も文明は流動的であると認めていた)。一方、国際関係学者たちは、当時の最も激しい紛争の多く(スンニ派とシーア派のイスラム教徒間の残忍な戦争やアフリカ全土での戦争など)は、文明間(between them)ではなく、文明内(within civilizations)で起こっていたと指摘した。コスモポリタン、グローバリスト、リベラルたちは、この本が政治的力学の分析をしているというよりも、むしろそのあからさまな非道徳主義(amoralism)を嫌っていた。

genocidesinsomaliaandbosnia001
左:ルワンダの元軍司令官アナトール・ンセンギユンバが、ルワンダ国際戦犯法廷が大量虐殺の罪で判決を下すのを待つため法廷に座っている(2008年12月18日)。

右:ボスニアの大量虐殺の犠牲者の親族たちが、国連判事がボスニアのセルビア人元司令官ラトコ・ムラディッチに終身刑を宣告した、スレブレニツァ近郊の旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷からの生中継中に反応している(2017年11月22日)。

冷戦終結後の最初の数十年間、国際秩序(international order)は主にフクヤマの述べた規範的枠組み(normative frame)の範囲内で機能していた。1990年代半ばから2010年代半ばにかけて、世界のほとんどの国の政治指導者たちは、嫌々ながらも「リベラルな国際」ルール(“liberal international” rules)に従って行動した。ヨーロッパは、ヨーロッパ連合の行政機構への統合を推進した。貿易紛争はWTOに持ち込まれ、その裁定は概ね尊重された。戦争犯罪者たちの追及は不平等だったが、逮捕されると、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(1993年設立)、ルワンダ国際刑事裁判所(1994年設立)、国際刑事裁判所(2002年設立)など、公式の国際法廷に引きずり出された。

アメリカが戦争を決意したとき、1990年代のバルカン半島、2003年のイラク、2011年のリビアのように、国連やNATOなどのいくつかの国際機関の法的承認(legal approbation of some international entity)を求めた(ただし、反対票で戦争を阻止することはできない)。実際、ジョージ・W・ブッシュは、世界的な対テロ戦争とイラクの政権交代はハンティントン流ではなくフクヤマ流に遂行されていると何度も主張した。ブッシュは、「男女の共通の権利とニーズに関して言えば、文明の衝突などは存在しない」と強く主張した。ブッシュは次のように述べた。「自由の必要条件は、アフリカ、ラテンアメリカ、そしてイスラム世界全体に完全に当てはまる。イスラム諸国の人々は、あらゆる国の国民と同じ自由と機会を望み、それ等を持つに値する。そして、彼らの政府は彼らの希望に耳を傾けるべきだ」。

冷戦後の和解の結果として、最大の地政学的敗者となり、当然のことながら最も強力な反対をする大国であるロシアでさえ、新秩序への敬意を示し、切り離した隣国(1992年以降はトランスニストリアをモルドバから、2008年以降はアブハジアと南オセチアをグルジアから)の様々な部分の併合を事実上(法律上ではなく)試みた。これらの事例はいずれも、悪徳が美徳に捧げる賛辞(the tribute that vice pays to virtue)だったかもしれないが、それでも賛辞であることに変わりはない。

cremiarussianflags2014001
ロシア国会が、クリミア半島はウクライナの一部であるという国際社会の主張を無視してクリミア併合に投票した後、クリミア半島のセバストポリ市の中心部でロシア国旗を振る男性(2014年3月21日)。

フクヤマ的(つまりヘーゲル的)な言い方をすれば、全ての時代はその後継者の種を含んでいる。2010年代の初めには、ポスト歴史的な規範構造に亀裂が入り始めていた。20年前にハンティントンが述べていたような、文明論的観点から自国を認識する新興勢力が、国際秩序を支える普遍的価値観に公然と異を唱え始めたのである。1990年代には、シンガポールやマレーシアのような小国の指導者たちが(西欧の価値観とは異なる)「アジアの価値観(Asian values)」という考えを推進していたが、2014年までには、プーティンも習近平もロシアと中国を、西欧民主政治体制国家の価値観とは異なる(そして彼らの視点からは、西欧民主政体国家の価値観よりも優れた)明確な価値観を持つ「文明(civilizations)」と公然と表現するようになっていた。

10年後の今となっては、2014年はリベラルな国際秩序の腐敗が壊疽し始めた、極めて重要な年であったと考えられる。その年のロシアによるクリミア半島の事実上の併合(Russia’s de jure annexation of the Crimean peninsula)は、リベラルな国際秩序の重要な柱の1つである「国境は武力で書き換えてはならない(borders are not to be rewritten by force.)」という明確な断絶であり、顔面からの拒絶であった。プーティンは、クリミアは常に「ロシア世界(the Russian world)」の一部であったと主張し、明白に「文明的」根拠(explicitly “civilizational” grounds)に基づいて自らの動きを正当化した。同様に、2014年にナレンドラ・モディとBJP(インド人民党)が多元主義的なインド国民会議を追い落としたのは、ヒンドゥー教のイデオロギーに基づくもので、インドをヒンドゥー教に基づく文明国家として提示した(数億人のヒンドゥー教徒以外のインド人のことは念頭にない)。そして、習近平は、中国の自由化に関する戦略的な曖昧さに関心を示さず、イデオロギー的な直接対決にますます関心を寄せるトップリーダーとして登場し、フクヤマのユートピア的ヴィジョンの終焉を告げた。2020年代半ばには、民主化の「第三の波」(democratization’s “third wave”)は、未来の繁栄(the flourish of the future)というよりも、偽旗(a false flag)のように見えた。

この観点からすると、過去25年間はハンティントン流の予測(Huntingtonian prediction)が長期間にわたり孵化(long incubation)していた期間ということになる。ハンティントンが冷戦後の新たな秩序の輪郭について間違っていたというよりは、彼の直感が早すぎたということが今では明らかになっている。彼は、その秩序の中に潜む反律法主義的要素(antinomian element)を的確に捉え、次の秩序、つまり過去10年間に本格的に出現してきた秩序の基礎として出現する瞬間を待ち望んでいた。

1990年代後半のリベラルな国際主義の楽観主義(liberal internationalist optimism)の頂点から見ると、現在の状況は「ハンティントンの復讐(the revenge of Huntington)」と捉えるのが最善である。自由主義的民主政治体制とテクノクラート的に管理されるグローバル資本主義(global capitalism)を支持する普遍的な合意(universal consensus)という夢は死に、モスクワや北京からデリーやイスタンブール、そしてもちろん今やワシントンDCに至るまで、文明の衝突者たちがほぼあらゆる場所で台頭している。この新しい秩序の中で、運命は礼儀正しく秩序ある者よりも、大胆で自己主張の強い者に向けられる (しかし、好まれるとは限らない)。歴史後期の官僚主義的ルールの無菌的な退屈に苦しむ代わりに、私たちは歯と爪が赤く染まった国際システムの血なまぐさい興奮を楽しむことになる。冷酷さは報われ、無力さは利用される。ハンティントンは墓場で微笑んでいることだろう。

※ニルス・ジルマン:歴史家で、ベルグルーエン研究所の執行副会長兼最高執行責任者。

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。

 一般にはあまり知られていないが、アナキズム研究の分野で知られた政治学者で人類学者のジェイムズ・C・スコットの追悼記事をご紹介する。
jamescscott001

スコットは政治学の分野で大きな業績を残した。スコットについて、以下の記事を使って紹介していく。スコットの著作は1979年の『モーラル・エコノミー』に始まり、多岐にわたるテーマを扱いながらも、中央集権的な支配形態への関心で統一されている。スコットは学問の枠には収まらず、監視と統制に対抗する姿勢を持ち続けた。

彼はマレーシアでのフィールドワークを通じて、弱者の視点を重視し、政治的現象を市民の視点から探求した。スコットの著作は、限界に位置する人々や地域への焦点を当て、特に「ゾミア(Zomia)」という用語を通じて独自の視点を持っていた。ゾミアとは、中央集権的な政府が支配することが困難な山岳地帯を示す言葉で、スコットはゾミアの人々は、近代的な価値観から意図的に離れて、同化されないことを選択したという主張を行った。

スコットの業績は詳細へのこだわりと、彼が描いた地理的・文化的背景の深さがファンに強い印象を与えている。彼は単なる社会科学者ではなく、市民の視点を持つ思想家であり、特に『弱者たちの武器』や『ゾミア』は、文化の重要性を強調するものであった。スコットは政治現象を考察し、統治と抵抗の多様な様式を政治的なものとして捉え直したことが特徴的である。

彼の主な著作『国家のように見る(Seeing Like a State)』では、国家が活動する地域を客観的に観察するのではなく、支配の目的に沿った見方をすることを告げていた。彼は国家による「読みやすさ」の追求が、集団を識別・分類することで公私両面の制度を変容させる様子を述べ、国家の手段が市民の福祉にも必要であると主張した。

スコットはモダニズムの成功例と失敗例の区別について明確にしていないが、近代国家に対する懐疑的ながらも必要性を認めていた。また、彼は近代的介入の影響を農業や社会に遡って考察するなど、漠然とした懐疑を抱いた。彼の著作には緊張感が存在し、時には理論の一貫性が欠けているようにも見えるが、その批判に耐えるだけの価値があった。

スコットの心理に迫る自己主張には、計画された都市や社会に対する本能的な抵抗感が見受けられる。彼の研究は、従来の枠を超えて多様な歴史的詳細を整理する功績があった。 スコットの思想は、異なる学問領域に多大な影響を与え、彼の著作は時間を超えて評価されることだろう。彼の功績は、現代の政治と社会研究において独自の地位を確保するものとなった。

 国民国家という枠組み、近代西洋の価値観、民主政治体制全てが揺らいでいる。そうした中で、スコットの研究を見直すということはこれから重要になっていくだろう。

(貼り付けはじめ)

ジェイムズ・C・スコットは世界を説明するために国境を手荒く厚かった(James C. Scott Trampled Across Borders to Explain the World

-政治学者にして、人類学者、アナーキストであるスコットは世界の周縁(margins)を愛した。

デイヴィッド・ポランスキー筆

2024年7月31日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/07/31/james-c-scott-trampled-across-borders-to-explain-the-world/

今月のワシントンの政治的興奮は、より静かではあるが、やはり重要な出来事を見えにくくしている。それは、過去半世紀で最も影響力のある知識人の一人であった、政治学者で人類学者のジェイムズ・C・スコットが7月19日に亡くなったというものだ。これは、従来の権力の中枢から注意を逸らすか、権力の理解を複雑にしようと執拗に努めた著述家にとって適切なエピローグとなった。

1979年の『モーラル・エコノミー――東南アジアの農民叛乱と生存維持(The Moral Economy of the Peasant)』に始まり、2017年の『反穀物の人類史(Against the Grain、アゲインスト・ザ・グレイン)』まで、スコットのテーマは、ドイツの林業からマレーシアの村落まで多岐にわたるが、中央集権的な支配形態がどのように行使され、またどのように抵抗されるかというテーマ的関心によって統一されている。

厳密に言えば、スコットは幸いにも学問分野の境界に束縛されず、監視と統制(surveillance and control)に反対を主張した著述家にふさわしい人物だった。そして彼は、自身の主要分野である政治学の慣習を健全に軽視し続けた。 42歳の時にマレーシアで新たな人類学のフィールドワークを始める準備ができていた学者は他にはほとんどいなかっただろう。その2年間の調査には、彼の初期の主要著作の1つである『弱者たちの武器(Weapons of the Weak)』につながる、1つの村での14カ月の生活が含まれていた。

1960年代と70年代の東南アジア研究が、スコットだけでなく、クリフォード・ギアツ、アンナ・ツィン、ベネディクト・アンダーソンなど、その時期に影響力を持った学際的な一連の印象的な研究の基礎となった人物が出たのは何故かという問題は未解決の疑問である。おそらくそれは、アイデンティティと統治(identity and governance)の問題に取り組んでいる比較的歴史が浅い国家の激動の性質だったのかもしれないし、あるいはスコットが『武器(Weapons)』で書いたように、「今や消えつつある左翼の民族解放戦争との学術的なロマンス(the now fading left-wing, academic romance with wars of national liberation)」だったのかもしれない。

スコットの仕事は、最も基本的な意味で地政学的であった。彼は政治社会が発展する自然環境に執拗に焦点を当て、それらの社会がどのように環境をコントロールしようと試みるのか(そしてしばしば失敗するのか)に特に注意を払った。生前、彼は河川に関する著作を執筆中で、そのなかには、スコットが魅力的だと感じた、湿地帯やその他の地形がその性質上、中央集権的な支配に抵抗しているように見える地域での無法者たちの物語である、中国の古典『水滸伝(The Water Margin)』の考察も含まれていた。

限界性(marginality)が彼の著作の中心だった。彼は諸大国の辺境(the edge of the great powers)にある人々や場所について書き、遠く離れた政府がほとんど影響力を持たなかった東南アジアの高地地域である「ゾミア(Zomia)」という用語を広めた。また、風景に対する彼の興味は理論的なものに限定されなかった。彼はイェール大学で林業と農業の研究において兼任の職を歴任し、コネチカット州で自身の農場を保有した。

おそらくスコットの最大の貢献は、彼の物語を埋めるための目もくらむような詳細の付加であろう。監視と管理について聞くのと、近世ヨーロッパの地籍図を見るのは別のことだ。また、科学的な林業について聞くのと、原生林のもつれた多様性に代わって、画一的な畝を見るのとでは、また別のことである。このような例は他にもたくさんあるが、現在、何世代もの読者の心に彼の説明を印象づけるのに役立っている。

彼はまた、非常に政治的な著述家でもあった。これは、デモ行進やソーシャルメディア上で党派的な主張をすることを政治的と呼ぶ学者のような、うんざりするような意味ではない。つまり、単なる社会科学者としてではなく、一市民の視点から政治現象を見つめた思想家だったということだ。『弱者たちの武器』や『ゾミア――脱国家の世界史(The Art of Not Being Governed)』のような著作は、外国の社会組織様式に対する感性や集団的自由の重要性に対する彼の評価において、ヘロドトスを思い起こさせる。実際的には、ヘロドトスは建設的なアナーキストであり、組織化された共同体の権利を尊重する人であった。

スコットは意識的に、政治生活に伴うものについての理解を拡大し、農民社会が採用する様々な統治と抵抗の様式(the various modes of rule and resistance)を意味のある政治的なものとして扱うことに努めた。彼はエキゾチック化(exoticization)に抵抗し、これらのアイデアが歴史的および文化的隔たりを越えてどのように翻訳され得るかを実証し、たとえば産業化以前の社会の活動を先進社会の階級対立と結び付けたり、ゾラやエリオットと文学的な類似点を描いたりした。これはある意味、大きな問題であり、私たちが本当に「政治(politics)」を意味するものについて継続的に検討する必要がある。しかし少なくとも、これらの慣行は近代国家そのものの慣行と比べて政治的であるわけではないとスコットは説得力を持って主張している。

近代国家(modern state)は、彼の最も重要かつ永続的な作品の主題であった。哲学者ジョン・グレイが20世紀に関する「最も深遠で示唆に富む研究の1つ」と呼んだ『国家のように見る(Seeing Like a State)』である。ニーチェは『道徳の系譜(Genealogy of Morality)』の中で、何も考えず、ただ観察し記録するだけの目、つまり、何を見るか、見たものをどう解釈するかを選択する心を持たない目という考えを嘲笑している。スコットは、国家が活動する地域を客観的に 「見る(see)」のではなく、統制と支配という自らの目的のために 「見る」のだということを教えてくれる。

近世ザクセンにおける科学的林業の発展から、チャンディーガルやブラジリアのような近代都市の計画、東アフリカにおける村落化まで、幅広く、しばしば予想外の様々なケーススタディを用いながら、彼は「読みやすさ(legibility)」、すなわち国家官僚機構が管理する集団を識別し分類する能力(the ability of state bureaucracies to identify and categorize the populations they administer)が、公的・私的制度の双方を、しばしば不利益を被る形で、いかに大きく変容させるかを実証している。苗字、標準化された度量衡、財産権、その他もろもろは全てこのプロセスの産物である。しかし、彼が 「ハイ・モダニズム(high modernism)」と呼ぶこのアプローチは、より伝統的な地域知の形態と対立し(必ずしも優れている訳ではない)、根本的には市民よりもむしろ国家の欲望に奉仕するものである。

しかし、国家権力に懐疑的なリバータリアンやアナーキストに受け入れられる一方で、スコットはその役割について、彼のファンの多くよりもはるかに曖昧であった。彼は、近代国家の持つ各種の手段は、「現代の専制君主になろうとする者の企てと同様に、私たちの福祉と自由の維持に不可欠である。市民権(citizenship)の概念や社会福祉の提供を支えるものであり、望ましくない少数派を一網打尽にする政策を支えるものでもある(are as vital to the maintenance of our welfare and freedom as they are to the designs of the would-be modern despot. They undergird the concept of citizenship and the provision of social welfare just as they might undergird a policy of rounding up undesirable minorities)」。読みやすさは現代の福祉国家に必要な要素である。誰が誰で、誰が何を持っているのかが分からなければ、金持ちに課税し、貧乏人を助けることはできない。

驚くべきことに、スコットは決して大それた考えから逃げることなく、後の著作『反穀物の人類史』(社会科学史上最も適切な名前を持つ著作の1つ)において、その考えを倍加させた。さて、この問題はハイ・モダニズムに限ったことではなく、階層社会の起源と、社会的・経済的統制の一形態としての農業の利用まで5000年前に遡る。とりわけこの試みは、ルソー的な社会懐疑論[skepticism of society](人間の自然な幸福は社会生活に取り込まれることによって破壊される)を、近代的な歴史学的手法と融合させるという、最も野心的な試みの1つであった。定住した政治社会(settled political societies)の良し悪しなど、長い間閉ざされてきたと考えられてきた問題を再び掘り起こすこのような試みは、まさに優れた歴史学や優れた政治思想がなすべきことである。

もちろん、スコットの仕事には常に緊張感があった(彼が尊ぶ傾向のある種類の社会は、終身在職権付与制度を支持する傾向にはなかった)。より広く言えば、スコットの規範的主張と記述的主張は時に対立しているように見えた。『国家のように見る』の副題は次のようなものだった。「人間の状態を改善するためのある計画がいかに失敗してきたか(How certain schemes to improve the human condition have failed)」である。しかし、タンザニアにおけるニエレレの集団化計画のように、そのような失敗の明確な例が数多くある一方で、多くの近代主義的計画は計り知れない成功を収めている。

実際、モダニズムそのものを、人間の状態を改善するための包括的で中央集権的な計画だと考えることもできる。その成功を認めるのに、スティーヴン・ピンカーを全面的に援用する必要はない。しかし、近代科学の前提の1つは、物質的な利益を確保するにはローカルな知識では不十分だということだ。スコットの例の1つを挙げれば、マレーシアの木からアリを取り除く方法を知ることがいかに有用であろうとも、ワクチン、グリーン革命、そして「自然を支配する(master nature)」ための様々な方策は、寿命を延ばし、概して人類の健康と快適さを向上させることにはるかに成功していることが証明されている。

他の人々が指摘しているように、スコットが近代的介入(modern intervention.)の成功例と失敗例をどこでどのように区別しているのかは必ずしも明確ではない。ル・コルビュジエの醜悪で非人間的な建築物のような失敗の多くは、そのようなモダニズムのアプローチが満足させることができない、人間の繁栄(human flourishing)という非物質的な考えに照らして理解するのが最善である。ノルウェー・トウヒのような単一の樹種が、樹上レヴィットタウンのように自然の多様な緑に取って代わるのを見るのは、何か不気味な感じがする。ブリュージュの曲がりくねった迷路は、ブラジリアの広大な計画空間よりもはるかに私たちを惹きつける。

スコットは哲学者ではなかったが、彼の作品は人間の本質に関するある種の暗黙の主張に迫っている。私たちの中には、計画された都市を好まない何かがあり、それは外国による支配に抵抗する(あるいは抵抗すべき!)何かがあるのと同じである。彼は保守派とは距離を置いているが、彼が最も似ている哲学者はマイケル・オークショットであり、彼もまた現代政治を象徴的に批判している。オークショットと同様、彼は退屈な日常化への強烈な不満を紹介し、オークショットと同様、読者は真の代替案がどのようなものなのか、いささか不確かなままで置かれている。

スコットの学術研究は、政治社会の物語によって形成された。全ての物語がそうであるように、それは必然的に不完全で過剰なものであったが、そのおかげで彼は、異なる研究分野にまたがる膨大な数の歴史的詳細を、彼の著作を発見する人間に強力な影響を及ぼす方法で整理することができた。結局のところ、彼の著作は、それ自身の欠点と他人の批評の両方に耐えている。この時代に、いや、どの時代にも、そう言える著述家が何人いるだろうか?

※デイヴィッド・ポランスキー:政治理論研究者で、地政学と政治思想史に関する論稿を数多く発表。平和・外交研究所研究員を務めている。

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001

※2024年10月29日に佐藤優先生との対談『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』(←この部分をクリックするとアマゾンのページに飛びます)が発売になりました。よろしくお願いいたします。

 アメリカでは11月末の感謝祭(Thanksgiving Day)のあたりから、ホリデーシーズンに入るという感じで、一年を振り返るということも行われる。世界での大きな出来事から個人的な出来事まで、色々なことがあった。私で言えば、昨年末ギリギリに『』を刊行し、それがご縁になって、佐藤優先生との共著『』を出すことができた。来年も著書が出せるように、それが皆様のお役に立つ者であるように精進したい。より個人的なことは差し控えるが、大病もせず(慢性的な病気はあるがその状態が悪化せず)、大きな怪我もせずというのはありがたいことだったと思う。

 2024年は世界各国で国政レヴェルの選挙が実施された。思い出せるだけでも、台湾、インドネシア、インド、フランス、イギリス、日本、アメリカといった国々で選挙が実施され、指導者が交代することになった国もある。なんと言っても、アメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが当選し、『』の内容から「トランプ当選を当てましたね」と言われたのは大きかった。また、共和党がホワイトハウス、連邦上下両院、連邦最高裁、アメリカの行政、立法、司法の三権を握ることになった(クアドルプル・レッド状態)。2025年からの第二次ドナルド・トランプ政権がどのようになるか、注目される。

 世界での戦争は2024年中に終わる可能性はない。ウクライナ戦争と中東での戦争は、小休止という状態であるが、正式な停戦には至っていない。この状態で2025年を迎えることになりそうだ。

 私は以下のスティーヴン・M・ウォルトの論稿で、世界で核兵器が使用されなかったことは最低限のことであるが、良かったということに同意する。それは多くの人もそうだと思う。ロシアにしても、イスラエルにしても、核兵器を使うということは、ハードルがとても高いことであるが、可能である。それでも、状況が深刻化しても、核兵器使用はなかった。核兵器を使用すればよいという主張がなかった訳ではない。地域紛争においては核兵器を使用しないという前例の積み重ねも重要だ。それがモラル面でのハードルになり、抑止力になる。もっとも、非常に脆弱なものではあるが。

 このブログは2025年も続くか、なんとなく日本のホリデーシーズンに入った感もあるので、このような文章を書いた。

(貼り付けはじめ)

2024年で感謝すべき10の理由(10 Reasons to Be Thankful in 2024

-何はともあれ、今年、世の中には感謝すべきことがいくつかある。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2024年11月28日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/11/28/thanksgiving-10-reasons-thankful-geopolitics-governance-human-rights/

joebidenthanksgivingday20241125001
ワシントンのホワイトハウスで感謝祭の七面鳥「ピーチ」に恩赦を与えるジョー・バイデン米大統領(11月25日)

今日はアメリカでは感謝祭(Thanksgiving)であり、この時期には感謝の気持ちをリストアップするのが私の習慣となっている。残念なことに、今回はその作業にもう少し努力が必要だ。

中東での紛争は、何千人もの罪のない人々の命を犠牲にし、アメリカの評判を落とし、将来のトラブルの種をまき続けている。ウクライナにおけるロシアの戦争は期待外れの結末に向かいそうだ。多くの国でポピュリストが台頭し、現代社会が直面する困難な課題に対する解決策をほとんど示さないまま、分裂と疑念(division and suspicion)をまき散らしている。地球は熱くなり続け、気候危機への対策は停滞している。

アメリカの有権者は、犯罪者を次期大統領に選んだばかりだ。彼は今、国民から金をむしり取り、自分たちを富ませようとする忠誠者、蓄財家、変わり者で構成される政府をせっせと任命している。いい時代ではないか?

それでも私は、ほろ苦いものもあるが、今年感謝すべき10の理由を見つけた。

(1)アメリカの選挙は異議を唱えられなかった(1. The U.S. Election Was Not Challenged

11月5日に行われた米大統領選挙の結果は、私が望んだものではなかったが、結果をめぐる長期にわたる揉め事や、選挙を盗もうとする別の努力に終始しなかったことに感謝している。もしドナルド・トランプ次期大統領が敗北していたら、彼と共和党は結果を覆そうとあらゆる手を尽くしたに違いない。しかし、民主党は、悲しい心で、しかし見事な潔さで結果を受け入れることで、その気品と合衆国憲法への関与を示した。トランプ2期目は国にとって良いことではないかもしれないが、秩序ある平和的な権力移譲(orderly and peaceful transfer of power)は行われた。

(2)(非常な) 老兵の退場(2. Out With the (Very) Old Guard

民主党について言えば、何十年もの間、民主党を支配してきた老人支配政治(gerontocracy)がついにその舞台を譲ることになり、私は感謝している。ジョー・バイデン大統領、ナンシー・ペロシ連邦下院議員、チャック・シューマー連邦上院議員、ステニー・ホイヤー連邦下院議員、クリントン夫妻、その他何人かが、理想よりも数年遅れて日没へと向かうのを見るのは残念でならない。これらの人々は、政治家としてのキャリアの中で良いこともしたし、それは私たちも感謝すべきことだが、アメリカ国民との関係が希薄になる中で権力にしがみついたことも事実だ。新しい血と新しいアイデアが必要な時だ。

新鮮な思考がアメリカの外交政策にも及ぶことを願っている。アントニー・ブリンケン国務長官やジェイク・サリバン国家安全保障問題担当大統領補佐官を含むバイデンチームは、リベラルな覇権(libera hegemony)という失敗した戦略を少し手直しして復活させようとした。時代遅れの信念や政策にしがみついた結果、ウクライナやガザ地区で悲惨な結果を招いた。こうした考え方が今後のアメリカの外交政策に与える影響は少ない方がいい。

(3)有権者が見逃したソフトランディング(3. The Soft Landing That U.S. Voters Missed

バイデン政権の外交政策ティームの全員がひどいパフォーマンスだったわけではない。ジャネット・イエレン財務長官、ジャレド・バーンスタイン経済諮問委員会委員長、ジェローム・パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長が新型コロナウイルス不況後のアメリカ経済を管理していたことに感謝している。彼らは多くの識者があり得ないと想定していた「ソフトランディング(soft landing)」を成し遂げた。もちろん彼らの実績は完璧ではなかったが、もっと悪くなる可能性もあった。

有権者がバイデンの功績を高く評価しなかったのは残念だが、その理由の1つは、バイデンが高齢のため、一般市民に説明することができなかったことだ。不平等と住宅費の上昇に対処するためのより大きな努力は助けになっただろうが、これらの問題を解決するための真剣な対策が連邦議会を通過したり、地方の障壁を乗り越えたりすることはなかった。アメリカの有権者は11月5日に感謝の念を抱かなかったのは明らかだが、私は感謝している。

(4)生殖の自由の反撃(4. Reproductive Freedom Battles Back

トランプ陣営の明らかな女性差別、安全な妊娠中絶を事実上不可能にするプロジェクト2025の計画、女性の身体以外のあらゆるものを規制緩和しようと急ぐ連邦最高裁の判例を無視する姿勢を考えれば、今年の選挙がリプロダクティブ・フリーダム、女性の健康、そして、ジェンダーの権利にとってより広範に何を意味するのか、多くの人々が落胆したのは当然である。

しかし、選挙戦の様相はまったく暗澹たるものではなかった。女性の健康と権利を守るための投票イニシアティヴは、それが検討されていた10州のうち7州で可決され、中絶の権利を支持する候補者が、トランプ大統領を支持した州を含む重要なレースで勝利した。ささやかな慰めかもしれないが、今年はもらえるものは何でももらうつもりだ。

(5)大量破壊兵器のタブーは守られてきた(5. The WMD Taboo Held Up

核兵器を保有する国々が関与する暴力的な紛争が継続・拡大しているにもかかわらず、大量破壊兵器(weapons of mass destructionWMD)が使用されることなく今年も1年が過ぎたことに、私たちは感謝しなければならない。しかし、私たちの感謝は、核兵器、そしておそらく他の大量破壊兵器の敷居が低くなっているという知識によって和らげられるべきである。アメリカを含むいくつかの国の強硬なタカ派は、核兵器の使用について公然と語り始めている。来年の感謝祭のリストにこの項目を入れられればいいのだが、年々その可能性が低くなっているのが心配だ。

(6)国際刑事裁判所の逮捕令状(6. The ICC Arrest Warrants

国際刑事裁判所(International Criminal CourtICC)が政治的圧力に屈することなく、ハマス軍最高責任者のモハメド・デイフ(彼はもう生きていないかもしれない)、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相、ヨアヴ・ギャラント元イスラエル国防相に逮捕状を発行したことに感謝したい。この逮捕令状は、戦争犯罪や人道に対する犯罪を命じたり犯したりした人間が、国際社会から特別扱いされ、制裁を受ける可能性があることを示す希望的な兆候である。

私は、リアリストとして、このような措置が一部の指導者の悪行を止めるものではないことを認識している。しかし、執行メカニズムが弱いか存在しない、食うか食われるか(dog-eat-dog)の国際政治においても、国家は政府が罪のない市民に故意に過度の残虐行為を加えることを阻止しようとすることはできる。今回の逮捕状によって、ハマスやイスラエルの指導者たちが選んだと思われる暗い道に向かわないよう、将来の指導者たちが何人かでも説得されるのであれば、私たちはそれにも感謝しなければならない。

(7)公務員(7. Civil Servants

政治家や専門家たちは、お役所仕事で社会を窒息させ、私たちに自分たちの好みを押し付けていると思われる政府関係者を批判するのが大好きだ。彼らは格好の標的だが、多くの場合、不十分なリソースを使いながら、私たち全員の状況をより良くするために毎日働いている、ほとんど献身的でほとんど政治に無関心で組織的に低賃金の何千人もの公務員なしでは社会は機能しない。

アメリカは、このような人々が、イデオローグや日和見主義者から指示を受ける忠誠者やハッカーに取って代わられるとどうなるかを発見しようとしているのかもしれない。この戦略は他の国ではあまりうまくいっておらず、今後数年で公共サーヴィスが劇的に低下すれば、アメリカ人は満足しないだろう。私が間違っていればいいと思う。今のところは、トップに任命された人たちの気まぐれや愚行にもかかわらず、公的機関の運営を維持してきた専門知識と献身に感謝することにしよう。

また、ジョシュ・ポール、アネル・シェリーン、ハリソン・マンといった政府関係者にも特別な感謝の意を表する。彼らは出世主義(careerism)よりも道徳と原則を優先し、バイデン政権によるイスラエルの虐殺に対する非良心的かつおそらく違法な支援に抗議して辞任した。もし彼らの上司の何人かが彼らの例に倣っていれば、アメリカの政策はより建設的な方向に舵を切ったかもしれない。

(8)著述家たち(8. Authors

幸運なことに、私は仕事上、たくさんの本を読む必要があり、私を教育し、挑戦し、インスピレーションを与え、楽しませてくれた多くの著述家に毎年感謝している。全員に言及することはできないが、ステイシー・E・ゴダード、エリン・ジェン、シーピン・タン、スティーヴ・コル、カルダー・ウォルトン、アダム・シャッツ、ジェイムズ・ゴールドガイアー、ダニエル・チャーデル、ヴィクトリア・ティンボア・フイ、ノーム・チョムスキー、ネイサン・ロビンソンに簡単に感謝の意を表したい。私は彼らが書いた全てに同意する訳ではないが、その全てに多くの価値があると感じた。

そして、ナターシャ・ウィートリーに特別な応援を送りたい。著書『国家の生と死(The Life and Death of States)』は、オーストリア=ハンガリー帝国の終焉と近代国家制度の創設のめくるめく歴史であり、法制史、哲学、法学などの多くの学問分野の並外れた組み合わせとなっている。決して軽い読み物ではないが、非常に読み応えがあり、深く考えさせられる内容だった。

軽めの作品としては、故ポール・オースター、ジュリアーノ・ダ・エンポリ、バリー・アイスラー、ボニー・ガーマス、そして特にジョージ・スマイリーを完全に満足のいく形で甦らせるという不可能に近い偉業を成し遂げたニック・ハーカウェイの作品に喜びを見出したことに感謝している。私の読書人生を豊かにしてくれた上記の全ての人々に感謝する。

(9)希望の光か?(9. A Silver Lining?

これは時期尚早かもしれないが、第二次トランプ政権が、敵対者たちが警告していた無能で執念深い、そして過度の傲慢さを示しているという初期の兆候に対して、暫定的に感謝の意を表したいと思う。はっきり言っておくが、私はアメリカに悪いことが起こることを望んでいる訳ではない。私の心配は、いずれにせよそれらが起こるのではないかということだ。

これが引き起こすであろう問題や、多くのアメリカ人が耐えることになる苦しみを私は喜ばないが、トランプ、イーロン・マスク、ロバート・F・ケネディ・ジュニア、そしてその他の人々が最終的に多大な損害を与えるのであれば、むしろそうするほうが良いと思う。それは迅速かつ誰の目にも明白だ。そうなれば、他の非自由主義的な独裁者たちがやったように、トランプとその手下たちが権力を維持するために選挙制度を再配線する前に反発が始まるかもしれない。興味がある方のために付け加えておくが、私は間違いであると証明されることを嬉しく思うし、物事がそのように進むのであれば喜んでそれを認めるつもりだ。

(10)個人的な幸せ(10. Personal Blessings

私は幸運にも今学期をウィーンの人間科学研究所 (IWM) のゲストとして過ごすことができた。考えたり書いたりするのにこれ以上良い環境はない。とても良いホストをしてくれたミーシャ・グレニー、イワン・クラステフ、そしてIWMのスタッフに感謝する。最後に、たとえあなたがコメントで私に課題を与えてくれた読者の一人であっても、このコラムを読むことを選択した全ての人に、私は深く感謝し続ける。

そして、以前はトゥイッターとして知られていた地獄のサイトに代わるサイトがあることに特に感謝している。今後は、@stephenwalt.bsky.social で私をフォローして欲しい。素晴らしい感謝祭になりますように!

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。「Bluesky」アカウント:@stephenwalt.bsky、「X」アカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ