古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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カテゴリ: 日常

 古村治彦です。

 私は映画については全くの門外漢である。しかし、私が毎日目を通している『フォーリン・ポリシー』誌のウェブサイトには、映画評論や文化評論が掲載される。先日は映画「国宝」の評論が掲載されておりそのことを紹介した。映画や文化は人間社会の重要な一要素であり、映画や演劇、小説、絵画などから歴史や社会について学ぶことが出来る。これらは人間社会にとって必要不可欠な要素である。

 1950年代から1960年代にかけて、フランスで「ヌーヴェルヴァーグ」と呼ばれる、一連の新しい手法を取り入れた映画が多く出てきたことは知識として知っており、写真や映像でそのスタイリッシュな様子は見たことがある。しかし、昨年、「ヌーヴェルヴァーグ」をテーマにした映画「ヌーヴェルヴァーグ」がNetflixで公開されたことは知らなかった。

 今回ご紹介する映画評論でヌーヴェルヴァーグについて少しだけ分かったような気がする。第二次世界大戦後の混乱が収まり、社会に安定がもたらされる中で、若者たちの既存の価値への反逆ということがあったのだろうと月並に考えている。これから様々な映画にも興味関心をもって接していきたいと思えるようになった。是非これからヌーヴェルヴァーグの映画を見ていきたい。

(貼り付けはじめ)

フレンチ・ヌーヴェルヴァーグは今でも新しい(The French New Wave Is Still New

-リチャード・リンクレイター監督の映画「ヌーヴェルヴァーグ(Nouvelle Vague)」は、私たちがまだ「勝手にしやがれ(Breathless)」の余韻から立ち直れていないことを示している。

ジョーダン・ホフマン筆

2025年11月21日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/11/21/nouvelle-vague-linklater-review-french-new-wave/

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オーブリー・デュリンがジャン=ポール・ベルモンド役、ゾーイ・ドゥイッチがジーン・セバーグ役、そしてギヨーム・マルベックが監督のジャン=リュック・ゴダール役で出演する映画「ヌーヴェルヴァーグ」の1シーン

Netflixで配信中のリチャード・リンクレイター監督の最新作「ヌーヴェルヴァーグ」の、特に活気に満ちた場面で、パリの街角でカメラの前で準備をしている2人の俳優を通りすがりの人が見かけ、何を撮影しているのか尋ねる。「ドキュメンタリーなんだ」とジャン=リュック・ゴダール役のギヨーム・マルベックは言い放つ。「ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグがフィクションを演じているドキュメンタリーなんだけどね」。

ゴダールの画期的な長編映画「勝手にしやがれ」の制作過程を再現した、「ヌーヴェルヴァーグ」は、自らが神話を弄んでいることを十分に承知している。このやり取りが実際にあったかどうかは問題ではない。映画界に最も大きな衝撃を与えたムーヴメントの1つに対するリンクレイターのこの大胆な賛辞は、いわゆるヌーヴェルヴァーグの何がそんなに新しかったのか、そしてリンクレイター自身を含め、あらゆる革新的な映画監督がいかにその影響を受け続けているのかを的確に捉えている。

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パリの『カイエ・デュ・シネマ』編集部で新聞を読むジャン=リュック・ゴダールとクロード・シャブロル(1959年)

ヌーヴェルヴァーグ(このムーヴメントのフランス語名)とは、1950年代末から1960年代にかけて、主に型破りな『カイエ・デュ・シネマ』誌で批評家として地位を確立した後、映画製作に乗り出した、意欲的な映画監督たちのグループを指す言葉だ。会員証は発行されず、彼らの作風は多種多様であったが、彼ら(全員ではなかった)が若い(全員ではなかった)男性監督たちに共通していたのは、古臭く、陳腐で、確立されたフランス映画を打破したいという強い思いだった。彼らはまた、映画監督の作品には繰り返し現れるテーマや作風の特徴があるという、現在では定説となっている「作家主義」理論(the auteur theory)の普及にも貢献した。さらに、このグループの多くは、他の多くの真面目な批評家が低俗な芸術として切り捨てたものの中に芸術的価値を見出す先駆者であった。例えば、アルフレッド・ヒッチコックは興行的に大きな成功を収め(アカデミー作品賞も受賞した)、多くのエリート層は彼を研究対象としてふさわしくないと考えていた。フランスの批評家たちは、彼を偉大な芸術家として最初に称賛した人々であった。

しかし、ヌーヴェルヴァーグに明確な最終目標があったとすれば、それは革命的なリアリズムの実現だった。フランソワ・トリュフォーにとってそれは、たまたま犯罪者であったとしても共感を呼ぶ登場人物(sympathetic characters who may just happen to be lawbreakers)を描いた、重厚な人間ドラマを意味した。アラン・レネにとっては、現代の観客が「雰囲気だけで成り立っている(today’s audiences would say were entirely powered by vibes)」と評するような、夢のような映像交響曲だった。2022年に91歳で亡くなったフランス系スイス人監督ジャン=リュック・ゴダールにとって、それは映画の慣習を無視するだけでなく、むしろ嫌悪感を抱くことを意味した。彼の代表作「勝手にしやがれ(Breathless)」は、ごく基本的なあらすじを基に、ほぼ即興で制作された。

具体的な例を挙げると、映画「ヌーヴェルヴァーグ」で描かれているように、「勝手にしやがれ」の架空の制作現場で、あるスタッフが基本的な映画製作のガイドラインが無視されていることに懸念を表明する。「彼女は以前、別のストライプのセーターを着ていた」「視線がおかしい」 「君は何度も一線を越えている。編集の時、みんな同じように見ているだろう」。

「分かっている」とマルベック演じるゴダールは言う。「だが、気にしない。」

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「ヌーヴェルヴァーグ」の1シーンでゴダールを演じるマルベック

この(架空の)口論の最中にゴダールが撮影しているシーンは、「勝手にしやがれ」の中で最も長く、最も影響力のあるシーンだ。そこでは、警察から逃亡中のチンピラであるミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)と、彼の新しいアメリカ人の恋人パトリシア(ジーン・セバーグ)が、彼女の切手ほどの広さのアパートで、のんびりとした午後を過ごし、軽妙な会話を交わし、本を引用し、音楽を聴き、そして愛を交わす。私はこのシーンを人生で10回以上観たが、一度たりとも映像の矛盾を気にしたことはない。

これにはいくつかの理由がある。まず、この時点で私たちはすでにゴダールの世界に浸っており、そこでは「正しい」編集とされるものがしばしば無視され、ジャンプカットによるコラージュ効果が用いられている。今日ではこのような手法に驚くことはほとんどないが、「勝手にしやがれ」が公開された1960年当時は、映写室の故障でもない限り、このような映像を見ることはなかった。ゴダールは意図的にこの手法を用いた最初の映画監督ではないが、その使用は最も大きな影響力を持ったと言えるだろう。

ジャンプカットを用いた最も有名なシーンは、ミシェルとパトリシアがオープンカーで疾走する場面で、彼らの旅路を軽快に駆け抜けていくように編集している。これは現実の再現よりも、出来事のよりリアルな記憶を優先している。このシーンには、映画全体に流れるジャズのスコアが使われており、ゴダールがメロディーから予測可能なフレーズを削ぎ落とし、即興演奏を行うジャズ的な姿勢を反映している。

ゴダールの手法がこれほど好評を博したもう1つの重要な理由(これは「ヌーヴェルヴァーグ」でもはっきりと述べられている)は、1959年の「勝手にしやがれ」の撮影当時、ジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグほど写真映えする人物は他にいないということだ。ファッションの流行は移り変わるが、映画公開から数十年経った今でも、セバーグの短く刈り込んだブロンドの髪型とストライプのシャツ、そしてベルモンドのタバコとフェドーラ帽(それ自体がハンフリー・ボガートへの直接的なオマージュである)が似合わなくなった瞬間はない。「勝手にしやがれ」は時代を超越した作品なのだ。さらに、『パリ・マッチ』誌や『ルック』誌で活躍した戦場カメラマンを経験したラウル・クタールが撮影監督を務めたことも、成功の要因の1つだった。

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左:ゴダールの「勝手にしやがれ」の1シーンのベルモンドとシーバーグ。右:「ヌーヴェルヴァーグ」の1シーンのベルモンド役のデュランとセバーグ役のドイッチュ。

映画「勝手にしやがれ」が長年にわたり人を保っていることの理由として面白いのは、ストーリーがほとんどないことだ。ミシェルは自動車泥棒で、マルセイユからパリへ向かう途中、警官を追い越し、そのうちの一人を撃ってしまう。警官がミシェルのことを知っていたのかどうかも定かではない。ともあれ、彼は指名手配犯となるが、パリに戻ってからの彼の主な関心事は、少なくとも2人いる恋人のうちの1人、パトリシアを口説くことだった。(彼は短い滞在中に別の恋人から盗みを働く。)パトリシアは両親の金でパリに滞在し、ソルボンヌ大学で授業を受けながら、『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』紙で中身の良く分からない仕事をしている。空港での記者会見に派遣されることもあるが、ブランドTシャツを着て路上で新聞を売っている姿も目撃されている。

とにかく、ミシェルとパトリシアは愛や運命、幸福について語り合い、映画を見に行き、フォークナーの言葉を引用し合う。そしてついに、警察がミシェルを逮捕する。フランソワ・トリュフォーは、新聞で読んだ同様の事件の記事を基に短い脚本を書き、カイエ・デュ・シネマの仲間で、初の長編映画製作を熱望していたゴダールは、トリュフォーの脚本に忠実に従うことで、ほぼ資金を確保することができた。(トリュフォーの「大人は判ってくれない(the 400 Blows)」は既にヒットしていた。)しかし、いざ撮影が始まると、ゴダールは毎日即興で撮影を進めた。新しいアイデアが浮かばないと撮影を中断したり、街中でこっそり撮影したり、カフェテリアを駆け回ったり、カメラの後ろから俳優にセリフを指示したりする

ドリー撮影用機材を用意する資金がなかったため、撮影監督クタールは手持ちカメラで撮影し、車椅子に乗って移動した。街中で撮影する際に通行人の視線を避けるため、カメラレンズ用の穴を開けた郵便配達車にクタールを隠した。(映画「ヌーヴェルヴァーグ」はこのちょっとした仕掛けを再現しているが、ファンの中には、ベートーヴェンが交響曲第5番の冒頭の音符を夢想する様子を見ているような気分になる人もいるだろう。)

こうした逸話は、長年にわたり映画制作の教授陣と1年生の間で多くの論争を引き起こしてきた。どの学生も、カメラを手に取り、気ままに動き回れば、何の準備もなしに「勝手にしやがれ」のような映画が作れると思っている。しかし、ベルモンドやセバーグのようなカリスマ性を持つ俳優や、クタールのような撮影監督の技術を持つ俳優は滅多に見つからない。ましてや、最終的にスクリーンに映し出された時に何がダイナミックに見えるかを直感的に理解できる人はなおさらだ。

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映画「ヌーヴェルヴァーグ』撮影現場でのマルベックとリチャード・リンクレイター監督

ジャン=リュック・ゴダールの途方もないエゴを証言する文章やドキュメンタリーは数えきれないほど存在する。特筆すべきは、映画「ヌーヴェルヴァーグ」がゴダールを貶めるような描写を一切していないことだ。(最近のゴダールの伝記映画であるミシェル・アザナヴィシウス監督の映画「グッバイ・ゴダール!」にはもう少し辛辣な描写がある。)リチャード・リンクレイターは、「ぶらぶらする」映画(“hanging out” film)というジャンルに回帰した最も偉大な監督の一人である。オースティンを拠点とするこの映画監督の経歴には、「バッド・チューニング(Dazed and Confused)」(1993年)、「6才のボクが、大人になるまで(Boyhood)」、(2014年)そして「ビフォア(Before)」三部作(1995年、2004年、2013年)といった、人間味あふれる作品が含まれている。これらの作品はどれもストーリー展開は極めてシンプルだが、魅力的で立体的な登場人物描写で観客を魅了する。リンクレイター監督は、パトリシアの寝室でのあの長く「不適切な」シーンから生まれたかのような映画をいくつも作っている。

映画「ヌーヴェルヴァーグ」は「勝手にしやがれ」の編集スタイルを模倣している訳ではないが、リンクレイターはゴダールが使用したのと同様のモノクロフィルムで撮影し、長年のキャリアで初めてフランス語で作品を制作した。さらに重要なのは、オリジナル作品に見られたジャジーなクールさと若々しい活力をそのまま維持している点だ。彼の描くゴダールは相変わらず少し風変わりだが、脅威というよりはグルーチョ・マルクスのようなキャラクターに近い。彼が考えをまとめるためにその日の撮影を中断すると、キャストとスタッフは苛立ちを隠せないが、その後、皆で飲みに行って語り合う。

リンクレイターが、映画史における激動の時代の1つである「勝手にしやがれ」の伝説的な瞬間を、臆することなく再現できるのは当然のことだろう。彼自身のデビュー作である「スラッカー」は1990年に公開された、筋書きのない独白を繰り広げる奇人たちの連続を描いた作品だが、「勝手にしやがれ」に匹敵するほどの影響力を持っていると言えるだろう。これはアメリカのインディペンデント映画運動における最初期かつ最も影響力のある作品の1つであり、ケヴィン・スミスやクエンティン・タランティーノの同様に会話の多い作品に先駆けて作られた。全ての道はシャンゼリゼ通りに通じており、そこでジーン・セバーグは「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン!」と叫ぶ。

■「勝手にしやがれ」を超えて:フランス・ニューウェーブのおすすめ作品5選(Beyond Breathless: 5 Additional French New Wave Recommendations

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映画「気狂いピエロ」の撮影現場(フランス)でのゴダール、アンナ・カリーナ、ベルモンド(1965年)

(1)「大人は判ってくれない()」(1959年)、監督:フランソワ・トリュフォー。多くの人がこれをヌーヴェルヴァーグ最初の作品と位置づけている。ジャン=ピエール・レオは、14歳のトリュフォーをモデルにした架空の人物を演じ、学校をサボってパリの無法地帯で危険な目に遭う。監督と主演俳優はその後20年以上にわたり、このキャラクターを何度も演じることになる。

(2)「気狂いピエロ(Pierrot le Fou )」(1965年)、監督:ジャン=リュック・ゴダール。この映画を最も簡潔に表現するなら、「勝手にしやがれ」をさらに過激に、より多くのルールを破り、カラーで描かれた作品と言えるだろう。

(3)「5時から7時までのクレオ(Cléo From 5 to 7)」(1962年)、監督:アニエス・ヴァルダ。20世紀の多くの芸術運動と同様に、フランスのヌーヴェルヴァーグも少々男性中心の傾向があったが、アニエス・ヴァルダはその中でも際立った女性の声を示す存在であった。彼女の2作目の長編映画は、リアルタイムで撮影され、生検の結果から癌の診断を受けるかどうか、医師からの連絡を待つパリの歌手を描いている。

(4)『コレクションする女』(1967年)、監督:エリック・ロメール。監督の道徳物語シリーズの4作目となるこのゆったりとしたペースの海辺の物語は、フランス人がどれほど休暇を取るかという神話を払拭するには至らない。

『去年マリエンバートで』(1961年)、監督:アラン・レネ:映画界に『フィネガンズ・ウェイク』があるとすれば、それはこの作品だろう。謎めいた、しかし精緻な構図で描かれた、不気味なシャトーを舞台にした豪華なミステリーである。当時のレネの作品は、ヌーヴェルヴァーグのスピード感あふれる同僚たちとは対照的だったが、フランス映画界の常識を覆すものだった。

(5)「去年マリエンバートで」(1961年)、監督:アラン・レネ。映画界に小説『フィネガンズ・ウェイク』があるとすれば、それはこの作品だろう。謎めいた、しかし精緻な構図で描かれた、不気味なシャトーを舞台にした豪華なミステリーである。当時のレネの作品は、ヌーヴェルヴァーグのスピード感あふれる同僚たちとは対照的だったが、フランス映画界の常識を覆すものだった。

※ジョーダン・ホフマン:ニューヨーク市クイーンズ在住の映画評論家兼エンターテインメント・ジャーナリスト。Xアカウント:@jhoffman

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。
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 2026年元旦に初春のお慶びを申し上げます。旧年中は大変お世話になりました。本年も倍旧のお引き立て、ご指導、ご鞭撻を賜りますよう、お願い申し上げます。

 昨年、2025年は単著を2冊出すことができました。本年も対談を含め、複数の著作を出すことができればと考えております。出版業界が厳しい状況の中、何とか著作を出し続けることができますよう、精進してまいります。読者の皆様には、ご支援を賜りますよう、衷心よりお願い申し上げます。

 2025年、アメリカではドナルド・トランプ政権が誕生し、次々と施策を発表し、世界を大いに振り回しました。その後、姿勢や言動を変えるということもありました。トランプという人物は融通無碍であり、原理原則にこだわりませんので、その行動を予想することは非常に困難です。ウクライナ戦争も停戦の兆しが見えず(これはロシアのウラジーミル・プーティン大統領とウクライナのヴォロディミール・ゼレンスキー大統領の意向も大きいですが)、戦争が続いていきます。ウクライナ国民がゼレンスキー大統領を引きずりおろし、停戦に向けた人物に変えるしかありません。ウクライナ政府高官たちの汚職や戦争出られる個人的な利益が巨額なために戦争は継続していくという側面もあります。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相も個人的な利益と国益を混同し、中東に不安定を持ち込んでいます。更に言えば、日本で2025年に誕生した高市早苗政権は、東アジアの不安定要因となっています。高市早苗という政治家が日本を対中戦争に追い込むということは十分にあり得ます。「日本が戦争するなんてまさかそんな」と気楽に考えていられない状況です。

 日本の経済力は成長のないままに30年を過ごしました。一時期は世界で第2位の経済力、一人当たりのGDPも上位であったものが、現在は衰退し続けています。ドイツに抜かれ、インドに抜かれ、また、2030年代には、イギリスにも抜かれ、世界第6位に転落するという予測も出ています。新生児出生数と死亡者数の単純な計算をすれば、1年に100万人ずつ、いやそれ以上に120万人近く人口が減少していく未来はすぐそこまで来ています。ここから経済成長を再現することは不可能であり、既に手遅れです。今は如何にして厳しい撤退戦を戦い、少しでも衰退のスピードを遅らせていくかしかできません。

 厳しい状況を生きていく中での情報源として、このブログが多くの皆様にご活用いただけることをこれから目指してまいります。書籍執筆中の期間などは更新頻度が落ちてしまうと思いますが、ご理解とご協力を賜れれば幸いです。

 本年が皆様にとりまして、実り多い1年となりますよう、ご祈念申し上げます。

(以上)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 古村治彦です。

 2024年元旦にあたり、本ブログをお読みいただいている皆様にご挨拶を申し上げます。新年あけましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

 個人としましては、昨年、新型コロナウイルス感染で体調を崩しましたが、同時期に書籍出版のお話をいただき、無事、2023年12月27日に4冊目となる単著『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行することができました。私が代表を務めています、「副島隆彦の学問道場」のホームページの全面リニューアルも同時期でありましたので、昨年後半は色々と大変なことがありましたが、皆さまのお力添えをいただき、何とか乗り越えることができました。ありがとうございます。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 日本国内と世界に目を向けますと、大変化が起きる予兆が起きていると感じています。最新刊でも書きましたが、西洋支配の終焉と非西洋世界の勃興、西洋支配が成立前の状態に戻るということが起きつつあります。そうした中で、様々な出来事や事件が起きました。それらを大きく見て指し示す方向性は、簡単に言えば、戦後のアメリカ支配体制の終わりと中国の勃興から世界覇権国への変化です。

 日本国内ですが、既に衰退に向けて進んでおり、その速度が上がっています。日本は先進諸国の中で、衰退への道の先頭を走っています。日本は30年間も成長がなかった国であり、世界から取り残された国です。私が昨年読んだ論稿の中で「中国は刑務所、ヨーロッパは美術館、日本は老人ホーム」というフレーズが言いえて妙で、今でも忘れられません。日本は、これから人類史上初の「超高齢社会」となり、人口減少と産業の衰退を経験します。

 そうした中で、戦後社会も終わり、格差社会と貧困、道徳の崩壊といったことを経験することになるでしょう。小室直樹博士が紹介した、エミール・デュルケームの提唱した概念「急性アノミー(acute anomie)」が重要な分析概念となるでしょう。価値観や規範の崩壊によって、社会が不安定になり、暴力や殺人、自殺が増加すると考えられます。人口減少もあり、量的には犯罪件数自体が減るでしょう。しかし、質として、低程度の暴力、肩がぶつかっても謝らない、暴言を吐くと言ったものが拡散し、警察の統計に入らない暴力が社会の後半に拡散し、それによって常に「不機嫌な社会」となります。結果として、ブレーキや歯止めがきかずに些細なことからの事件も増えていくでしょう。私たちはこれから生きづらい生活を生き抜いていくこと、まずは生きていくこと、これが基準となると考えます。

 この生きづらい世の中で、自分を保つことが難しい中で、私たちはそれでも生きていく。よりむき出しの生を生きていくことになるでしょう。

 元旦にこのような挨拶になりましたが、本年もお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 古村治彦です。

 

 ブログがおよそ1カ月ぶりの更新となります。6月中は昨日開催されました「副島隆彦の学問道場」の定例会の運営準備と共に私の講演の準備を進めながら、別の仕事のための準備、更に体調不良もあり、ブログを更新することが出来ませんでした。

 

 昨日の講演は反省点が多く、更に改善と綿密な準備を高いレヴェルで行わねばならないということを痛感しました。このブログをお読みいただいている方でご出席いただきました皆様には御礼を申し上げます。ありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

 

 昨日は定例会開催中にアメリカのドナルド・トランプ大統領が朝鮮半島の非武装地帯を訪問し、アメリカ大統領で初めて北朝鮮領域内に入った大統領になりました。「ツイッターの記事を読んで驚いた」と言いながら、北朝鮮の金正恩委員長も姿を見せたことで、本当の意味で世界の注目を集めました。大阪で開催され、安倍晋三首相が議長役を務めたG20のことなどどこかに吹き飛んでしまいました。

 

 トランプ大統領は、米中貿易戦争の深刻化を防ぐために、とりあえずこれ以上の攻撃と報復を取り止めようということで中国の習近平国家主席と合意をし、米朝関係ではとりあえず良い関係は続いているという姿を見せるために、北朝鮮の金正恩委員長と良好な関係をアピールしようということで合意をしていたということになります。部下たちがやり過ぎてしまったことを引き戻す、状況をこれ以上悪化させないということを、行ったものと思います。

 

 そのために手足となったのは、ホワイトハウスの中、ジャレッド・クシュナーとイヴァンカ・トランプ両上級補佐官だったと思います。思い返してみれば、ジャレッド・クシュナーがまずヘンリー・キッシンジャーと関係を結び、そこからトランプ大統領に紹介し、大統領選挙期間中にトランプ候補(当時)とキッシンジャーが極秘に会談を持ちました。そう考えると、今回はホワイトハウスのこのラインが働いて、キッシンジャーの助演を受けながら、状況を悪化させないということが実現したものと思います。

 

 目を日本に転じれば、日本政府は、安倍晋三首相が韓国に経済制裁を科す、そして文在寅大統領と少しの時間でも話をするということを行いませんでした。徴用工問題での報復だそうですが、相手との交渉を行わず、すぐに懲罰的な処置を行うというのは、戦前の日本と何ら変わりません。近衛文麿首相は日中戦争不拡大を希望しながら、周囲に引きずられ、最後には「暴戻支那を膺懲す(暴支膺懲)」とばかりに過酷な和平条件提案を行い(とても和平案とは言えない内容)、中華民国政府側の態度を硬化させましたし、「爾後国民政府を対手にせず」という声明まで出しました。この時の近衛首相の誤った判断が最終的に日本を亡国に導きました。安倍首相の行動様式はこの時のそっくりです。

 

 「世界が注目する大阪でのG20」「議長国日本の存在感」「議長役である安倍首相のかじ取り」などという国内向けプロパガンダ報道から脱してみれば、日本は、国際政治を舞台や映画にたとえてみれば、道化役、脇役、端役であって、中心的な役割を演じる俳優ではありません。

 

 6月30日の講演で私はアメリカ大統領選挙についてお話をしました。アメリカ大統領選挙の状況は大きく見れば、共和党はドナルド・トランプ大統領への一本化、民主党は予備選挙に向けての討論会と選挙運動が進行中だがジョー・バイデン前副大統領が独走、という状況で安定しています。バーニー・サンダースの人気が下降気味、エリザベス・ウォーレンとカマラ・ハリスが持ち直す、ピート・ブティジェッジは横ばいということで、これら以外の候補者たちは人気とお金がない順番でどんどん撤退していくことになります。

 

 先週、民主党の候補者たちによる1回目の討論会が2夜連続、2時間ずつ実施されました。24名の立候補者中、20名が討論会への参加資格をクリアし、10名ずつが登壇しました。参加資格は2019年1月以降に実施された世論調査の中で、1パーセントの支持率を3回獲得すること、もしくは6万50000名以上の人に政治献金をしてもらうこと、これ以外には1つの州で200名以上の献金者を獲得し、それが20州以上にわたること、というものがありました。

 

 出席者たちの中で、人気上位の人たちは揚げ足を取られないようにしながら、的確に発言する(発言時間はやはり人気上位の人たちの方が長かったようです)というアウトボクシング的な戦い方でした。人気がない候補者たちは割り込んで発言をしたり、自分の言いたいことを言ったり、与えられた時間を1秒でもオーバーして話をしようとどん欲な姿勢を見せましたが、それがかえって焦っているという印象を与えました。

 

 私が注目していたトゥルシー・ギャバ―ド連邦下院議員は1回目の討論会に出席し、クリティカルヒットを当てました。アフガニスタンへの米軍の駐留問題で、ティム・ライアン連邦下院議員の支持論に真っ向から堂々と反論し、ギャバ―ドはイラクとアフガニスタンで従軍した経験を持っているので、説得力の発言を行いました。ライアンは顔を真っ赤にして慌てて反論しましたが、その姿が見苦しく、ライアンの浮上はなくなったと言えます。

 

 ピート・ブティジェッジも無難にこなしました。現在、彼が抱えている大きな問題は、市長を務めているサウスベンド市で白人の警察官が盗難事件を起こした黒人男性を射殺した事件です。サウスベンド市警察における黒人警察官の割合が6%と低いこと、以前、ブティジェッジが警察本部長を務めていた黒人警察官を更迭したこと、もあって、これが攻撃材料とされました。数人の無名候補者たちがこの機会だとばかりに嫌味たらしく話しかけていましたが、ブティジェッジは毅然とした態度で反省の弁を述べていました。

 

 今回の大統領選挙民主党予備選挙で人気上位10位内に入るような政治家たちはそれぞれ素晴らしい特徴を持っていて、人気が出るべくして出た人たちなのだと改めて認識ました。同じ連邦上院議員や連邦下院議員を務めていても人気が出ないのは、魅力がない、話し方が下手、頭の回転が悪いということになるのだということも良く分かりました。それでも、日本の政治家たちに比べれば、魅力があり、話が上手、頭の回転は格段に速いということになります。

 

 7月に入って落ち着きましたので、これからブログの更新を再開したいと思います。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

(終わり)

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 古村治彦です。

 新年あけましておめでとうございます。

 旧年中はお世話になりました。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 2017年が皆様にとりまして素晴らしい一年となりますように祈念申し上げます。 

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