古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: 国際関係論

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になりました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。
 

 米穀の小売価格が4000円台となっている現在、国民の不満は高まっている。そうした中で、江藤拓前農水相(2025年5月21日に辞任)が「米を買ったことがない、売るほどある」などと発言したことで、顰蹙を買い、その後の釈明もとんちんかんな状態が続いたことで、石破茂首相は更迭を決断し、小泉進次郎議員を後任の農水相に抜擢した。
koizumishinjiroetoutaku001
 江藤前農水相の失言については当初、与野党は批判をしながらも、辞任までは必要ない、現状の米の価格の引き下げに尽力せよという考えが大勢を占めていた。それが変わったのが昨日になってからのようだ。以下に下に貼った記事から引用する。

(引用はじめ)

「実は当初、国民民主党の玉木代表は『不適切な発言』としながらも『辞める必要はないと思う』と話していたんです。それだけに、野党第1党の立憲民主党としても国民民主や維新が賛成しなければ、不信任案を出しても否決されるだけ、と様子見だったんですが、国民民主の他の幹部が、『不信任案を出しましょう』と持ちかけたことで、一気に話が進みました」

「ある立憲の幹部は『国民民主がこういう対応をすることはあまりなかった』と話しています。実際、予算や選択的夫婦別姓など、大きな課題で、これまで野党は一致しませんでした。野党が一枚岩になって対応したのは、今の国会では初めてのことです。『野党がまとまれば、大きな力になることが証明できた』と、ある立憲幹部は手応えを感じていました」

(引用終わり)

 今回の江藤前農水相更迭の流れを作ったのは国民民主党であったようだ。これまで愛並みを揃えることができなかった野党は一致結束すれば数では少数与党を上回ることができることをここで示した。他にもっと重要な場面で示すことができたのではないかと批判したくなるが、これが参院選までの政局において重要な要素ということになりそうだ。しかし、国民の批判は大きかったが、江藤前農水相の失言はそこまでのことだったのか、そして、国民民主党はどうして急に「やる気」になったのかということも疑問は残る。そして、今回の極めて政治的な動きは小泉進次郎議員を担ぎ出すための動きではなかったかという考えも出てくる。

小泉進次郎議員の「改革」路線は、国民民主党とは親和性が高い。小泉進次郎議員は昨年の自民党総裁選挙で、大きく支持を落として敗退し、その後、自民党の選挙対策本部長に起用され、衆院選挙に臨み、自公の過半数割れという結果で辞任した経緯がある。小泉進次郎議員が首相になるという話はだいぶ遠のいたが、それでもまだ「将来の総理総裁候補」ではある。ここで米の価格を下げることに成功すれば一気に劣勢を挽回できる。そもそも小泉議員が農水相に就任したくらいで米の価格が下がるなどは考えにくい。政府による施策が効果が出る頃に交代で、成果が出る時の大臣が小泉進次郎であれば、その「手柄」は小泉大臣のものとなる。

 米の価格は急上昇を続けている。その原因は「よく分からない」ということだが、需要に比べて供給が少ないために価格が上がっていると考えるのが自然だ。それでは米は不作かと言えば、ここ数年は「豊作」とは言えないまでも、1993年時のような不作ではなかった。米の流通は複雑だとも言われるが、米を精米して袋詰めして、市場に出すまでには様々な作業が必要であり、現在のコスト高では米の価格が上昇するのは仕方がない面はある。しかし、5キロで3000円台前半が適正という意見もある。
riceprices202401202503graph001

 小泉進次郎議員を農水相に起用するにあたり、菅義偉元首相の後押しがあったという報道も出ている。神奈川売国連合が動いている。小泉議員を総理総裁候補に復活させることで利益を得るのはアメリカである。小泉議員は「米担当大臣のつもりで」で発言しているが、彼が担当しているのは「米穀」ではなく「米国」である。農林中金100兆円(運用額50兆円・外債運用20兆円)をアメリカに差し出すための「改革」を行う。そのためには、「小泉大臣のおかげで米の値段が下がった」という成功物語が必要となり、そして、これに続くのは「米の値段を吊り上げた戦犯は農協とそれにくっつく農林族議員だ」というプロパガンダだ。私たちはこのことによくよく注意しておかねばならない。

(貼り付けはじめ)

●「続投から一転…江藤氏の“更迭”なぜ? 小泉新農水相でコメ価格「3000円台」は」

5/22() 6:11配信 日テレNEWS NNN

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e592a8a8367fdac48b0ff0005b55d16628b82f1

https://news.yahoo.co.jp/articles/6e592a8a8367fdac48b0ff0005b55d16628b82f1?page=2

「コメは買ったことがない」などと失言した江藤農水大臣が事実上、更迭され、後任として小泉進次郎氏が就任しました。なぜ、江藤農水大臣が事実上の更迭となったのか、コメ価格は下がるのか、などについて解説します。

■野党が一枚岩に 今国会で初

藤井貴彦キャスター

「当初、石破総理は続投させる考えでしたが、なぜ一転して事実上の更迭ということに変わったのでしょうか?」

小栗泉・日本テレビ解説委員長

「ある野党のベテラン議員は、江藤大臣に対する不信任決議案の提出に向けて、『野党がまとまった後、自民党が慌てだした』と話しています」

「実は当初、国民民主党の玉木代表は『不適切な発言』としながらも『辞める必要はないと思う』と話していたんです。それだけに、野党第1党の立憲民主党としても国民民主や維新が賛成しなければ、不信任案を出しても否決されるだけ、と様子見だったんですが、国民民主の他の幹部が、『不信任案を出しましょう』と持ちかけたことで、一気に話が進みました」

「ある立憲の幹部は『国民民主がこういう対応をすることはあまりなかった』と話しています。実際、予算や選択的夫婦別姓など、大きな課題で、これまで野党は一致しませんでした。野党が一枚岩になって対応したのは、今の国会では初めてのことです。『野党がまとまれば、大きな力になることが証明できた』と、ある立憲幹部は手応えを感じていました」

■石破内閣への不信任決議案は

藤井キャスター

「そうなると、夏には参院選もありますし、この先の野党の戦略にも今回の動きは影響しそうですね」

小栗委員長

「まさにその通りで、今後、最大の焦点は、石破内閣への不信任決議案を野党が出すのかどうかです。石破総理はこれまで周辺に、内閣不信任案が出された時点で、つまり国会での採決を待たずに衆議院を解散する意向を示していて、ある自民党幹部は『不信任案が出されたら衆参ダブル選挙になるだろう』と話しています」

「こういうことになると、選挙の準備は整っているのか、勝てる見込みはあるのか、など野党各党の思惑にもズレが出てきます。ただ、今回、野党が足並みをそろえて江藤農水大臣を辞任に追い込んだ実績は重く、立憲のある幹部は『野党のほうが数が多いという事実をもう一度、しっかり活用していかないといけない』と、国民民主のある幹部は『内閣不信任案、出すしかないだろう』と話していました」

「最終的にどうするかは、まだまだ不透明ですが、野党の結束が一歩前進するきっかけにはなったと言えそうです」

藤井キャスター

「『コメは買ったことがない』という一言から政界の大きな動きになってきましたね、李光人さん」

板垣李光人さん(俳優・『news zero』水曜パートナー)

「コメの値段が少しずつ上がり始めた時には、ここまで政治が動くことになるとは思っていなかったので、率直に驚きがあります。ただ、自分もごはんは食べますし、皆も毎日食べるよねっていうところが、皆の怒りにつながって、野党が初めてまとまって政治を動かすことになると、食の問題はすごく重大なものだなと思いました」
■「随意契約」で価格下がる? 公平性の問題も

藤井キャスター

「そして、21日に農水大臣に就任した小泉進次郎さんですが、その初日に、総理からコメ5キロの価格を3000円台にというハードルを突きつけられたわけですが、実際にコメの価格は下がるんでしょうか」

小栗委員長

「複数の政府関係者からは『トップがかわって(価格が)下がるならとっくに下がっている』と悲観的な見方も出ています。ただ、石破総理は備蓄米が市場に出回ってないことについて、21日に早速、『随意契約を活用した備蓄米の売り渡しを検討するように』と新たな指示を自ら出しました」

「これまでは競争入札でしたので、どうしても価格が上がりがちでした。これを『随意契約』にするとどうなるのか、コメの流通に詳しい宇都宮大学の松平尚也助教によると、『予定価格を決めて国が事業者と契約を行うので、この価格以下で値段を設定される。そのため、安い価格帯の備蓄米の流通が増えることになる』ということです」

「ただ、『契約する事業者をどう選定するのかという公平性の問題は予想される』と指摘していました」

■小泉氏の「改革に向けた情熱」 “変なことさせない”すでにけん制の声も

藤井キャスター

「その難しい一手を任せる重要なポジションに石破総理が、小泉さんを起用したということになるわけですね」

小栗委員長

「石破総理は、小泉さんの『改革に向けた情熱』を理由の1つにあげています。これまでの農水省の一連の対応に石破総理は『消費者ではなく農家に向きすぎている』と不満を漏らしていて、農政を改革するという点で小泉さんに期待している面もあるようです」

「ただ、小泉さんの過去の農協改革については、自民党内には『結局、改革は進まなかった』という批判的な見方もあります。実際、農水大臣の経験もある自民党のベテラン議員からは『小泉さんには変なことはさせません』と小泉さんの動きをけん制するような声もすでに上がっていて、短期間で結果を出せるのか、小泉さんにとっても石破総理にとっても正念場となりそうです」

藤井キャスター

「コメの価格は、毎週月曜日に発表されます。新大臣の手腕による効果なのか、備蓄米が行き渡り始めた効果なのか、も含めて価格動向に注目したいです」

521日『news zero』より)
=====
●「コメ価格の下落、備蓄米出回る4月以降か…大手スーパー担当者「大幅な値下がりはないだろう」」

2025/03/15 09:20 読売新聞

https://www.yomiuri.co.jp/economy/20250315-OYT1T50014/

 政府がコメ価格安定を狙い初めて実施した備蓄米の入札は、9割以上が落札され、ひとまず順調な滑り出しとなった。今月下旬にもスーパーなどの店頭に並び、4月以降、販売価格も下がり始めるとみられる。昨夏の「令和の米騒動」以来続いてきたコメ価格の高騰に歯止めがかかるのかが注目される。(経済部 佐藤寛之)

■タイムラグ

 江藤農相は14日夕に開いた臨時記者会見で「胃が痛い思いをしていたが、ほっとした」と述べ、流通の停滞解消に期待感を示した。備蓄されている場所に偏りがあることを踏まえ、全国に均等に流通するよう、集荷業者や卸売業者、小売業者に通達した。

 総務省の小売物価統計調査では、東京都区部のコシヒカリ(5キロ・グラム)の価格は昨年5月から10か月連続で上昇し、今年2月には4363円で過去最高値を更新した。今後の価格について、日本国際学園大学の荒幡克己教授は「小売りや外食は既に高い価格で仕入れており、今回の放出で安い米を仕入れたとしてもタイムラグがある。4月半ばから5月の連休明けに価格は下がるのではないか」と指摘する。

 一方、入札に参加した集荷業者は「競争入札なので、安い金額では応札できなかった」と明かした。大手スーパーの担当者も「大幅に価格が下がることはないだろう」と冷ややかだ。

■不足

 これまで高騰が続いた理由は、市場に出回るコメが不足したことだ。農林水産省によると、2024年産米の生産量は前年より18万トン多い679万トン。一方で、大手集荷業者が生産者から買い集めた量(集荷量)は24年12月末時点で前年より21万トン少なく、今年1月末時点では23万トン減と減少幅が拡大した。生産量が伸びたにもかかわらず、集荷量は減ってしまっている。

 その原因の一つに、高値での売却を当て込み、一部の卸売業者や農家らがコメを抱え込んでいる実態もある。江藤氏は13日の参院農林水産委員会で「正直なところ、新しいプレーヤーが入りすぎて(流通状況が)わからない」とこぼした。

 備蓄米の放出により、流通市場でのコメ不足は和らぐとみられる。転売目当てでコメを押さえていた一部業者らも、価格が低下する前に手放さざるを得なくなりそうだ。

 ただ、農水省が計画通り21万トンの備蓄米を放出しても、コメ価格が大幅に下がるほどの影響があるかどうかは見通しにくい。24年産米は「猛暑の影響から中身がスカスカで、精米した後の量が例年より減っている」(荒幡氏)との指摘もある。
=====
●「菅元首相「小泉さんにぴったり」 農相就任の決断を後押しか」

5/21() 17:00配信 カナロコ by 神奈川新聞

 小泉進次郎元環境相(衆院神奈川11区)が21日、石破茂内閣の農相に就任した。コメ価格高騰を巡る失言で前任の江藤拓氏が更迭され、米国との関税協議など難問も山積。野党時代の初当選以来、苦難を共にしてきた菅義偉元首相(同2区)が苦渋の決断を後押しした。自民党内には「総裁選への出馬を阻むための入閣要請か」との臆測も飛び交うが、小泉氏本人は「総裁選は二の次、三の次の話。コメの高騰など目の前の生活の危機を突破しないといけない」とくみする気配は皆無だ。

 「誰もが敬遠する時期で、誰もが敬遠する仕事。党の政治改革事務局長など厳しいことを選んでやってきた小泉さんにぴったりだ」。就任打診を報告した小泉氏を菅氏は励ました。自民幹部は「石破総理は断られないように外堀を埋めていた」と推測する。菅氏は神奈川新聞社の取材で「小泉氏への打診前に官邸などから相談があったのでは」と問われ、「任命権者は総理」とけむに巻いた。一方で「(打診は)テレビとかに出る前には知っていたかな」と自らの関わりに含みを持たせ、党内の「石破降ろし」の動きをけん制した。
=====

●「首相、コメ価格「5キロ3000円台でなければならない」国民民主・玉木氏に 党首討論」

5/22() 7:00配信 産経新聞

https://news.yahoo.co.jp/articles/4d5daeae8b7e711b575271d852edd8370397c0c4

石破茂首相は21日の党首討論で、スーパーなどで販売されているコメ5キロ当たりの価格について、「3000円台でなければならない」と述べた。国民民主党の玉木雄一郎代表に答えた。

玉木氏は「コメの値段は必ず下げるのか。どのようにいつまでに5キロいくらまで下げるか」と具体的に質問した。

首相は「どこに、なぜ、どれだけのものが滞留しているのか把握しないと、おまじないを言っても仕方がない。気合で下がるわけでもないので、下げる方針が分からない」と述べた。さらに「コメの供給が安定的になされれば、こんなに価格が上下するはずがない。安定的なコメの供給を必ず実現する」とした上で、「3000円台でなければならないと思っている。4000円台などということはあってはならない」と強調した。時期については「一日も早く実現する」と述べた。

さらに首相は、実現できなかった場合に「責任を取らなければならない」と述べた。「仮に下がらないとするならば、なぜ下がらないかということをきちんと説明するのは政府の責任だ」とも語った。玉木氏は「コメの高騰が続いて1年ぐらいになるが、いまだにその分析か」と批判した。

玉木氏はコメの増産に向けて政策変更をするよう求め、首相は「増産の方向に舵を切れという主張は同意する」と明言した。

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になりました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。
 

 今回は、ズビグニュー・ブレジンスキー(Zbigniew Brzezinski、1928-2017年、89歳で没)についての論稿を紹介する。ブレジンスキーは、2023年に亡くなったヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger、1923-2023年、100歳で没)と並び称されるほどの著名な大物学者だった。2人の共通点はヨーロッパ生まれ(キッシンジャーはドイツ、ブレジンスキーはポーランド)、ナチズムから逃れた亡命者、ハーヴァード大学で博士号(キッシンジャーは政治学、ブレジンスキーは国際関係論)を取得、大統領国家安全保障問題担当大統領補佐官(キッシンジャーはニクソン政権・フォード政権[フォード政権では国務長官を兼任]、ブレジンスキーはカーター政権)に就任が挙げられる。
zbigniewbrzezinskihenrykissinger001

ヘンリー・キッシンジャー(左)とズビグニュー・ブレジンスキー
 ブレジンスキーはまた、こちらもまた有名な学者だったサミュエル・P・ハンティントン(Samuel P. Huntington、1927-2008年、81歳で没)とは終生の友人だった。ハンティントンは、「諸文明間の衝突(The Clash of Civilizations)」を提唱したことで知られる。2人はほぼ同時期に、ハーヴァード大学大学院を修了した。学生時代から英才の誉れが高く、そのままハーヴァード大学に残っていたが、ハーヴァード大学での終身在職権(テニュア)付のポジションに就けず(リベラルな教授会に忌避された)、2人は揃ってニューヨークにあるコロンビア大学に移籍した。ハンティントンは1963年に懇願され、ハーヴァード大学に復帰したが、ブレジンスキーは復帰を拒否してコロンビア大学にとどまった。ブレジンスキーは、ニューヨークでの生活を気に入っていたという話が残っている。ハンティントンとブレジンスキーは性格こそ大きく違ったが、終生の友人関係を続けた。ブレジンスキーがジミー・カーター政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任した際には、安全保障計画調整担当として国家安全保障会議に招集した。2人は米連邦緊急事態管理庁(Federal Emergency Management AgencyFEMA)創設を行った。
samuelphuntington101
サミュエル・P・ハンティントン

・ヘンリー・キッシンジャー:ハーヴァード大学(1954-1968年)

・サミュエル・ハンティントン:ハーヴァード大学(1950-1958年)、コロンビア大学(1958-1962年)、ハーヴァード大学(1963-2008年)

・ズビグニュー・ブレジンスキー:ハーヴァード大学(1953-1959年)、コロンビア大学(1960-1989年)

 キッシンジャーとブレジンスキーは学者よりも、実務者としての面が強く、ハンティントンは大学人の面が強い。彼らはそれぞれの立場で大きな影響力を持った。ブレジンスキーはジミー・カーター政権で国家安全保障問題担当大統領補佐官としてホワイトハウス入りしたが、サイラス・ヴァンス国務長官と対立し、ヴァンスから外交の実権を奪って活動した。1979年に発生したイラン革命に伴う、在テヘラン米大使館人質事件(1981年まで)では、反対を押し切り、米特殊部隊を起用しての人質救出事件を立案・実行し、失敗している。結果として、カーター政権の命運が尽きた事件となった。

 ブレジンスキーは、出身がポーランドということもあり(貴族であったブレジンスキー家の領地は現在のウクライナにあったそうだ)、ロシア(ソヴィエト連邦)を敵視し、ソ連によるアフガン侵攻では、ムジャヒディン支援を行った。ムジャヒディンにはオサマ・ビン・ラディンも参加していた。コロンビア大学時代の学生にはバラク・オバマがおり、オバマに大統領選挙に出馬するように勧め、陣営の外交顧問に就任したことでも知られる。民主党内のリベラルホーク(liberal hawk、国内問題ではリベラルな立場を取り、対外問題では強硬な姿勢を取る)であり、彼らの仲間の内、共和党に移っていた人々がネオコン派を形成している。リベラルホークは、民主党内の人道的介入派の源流ともなっている。

 しかし、対中国に関しては、ロシアをけん制するという意味もあり宥和的であり(カーター政権では米中国交正常化に取り組んだこともあり)、米中で世界を管理するG2路線に理解を示していた。その点でヘンリー・キッシンジャーと共通する。ブレジンスキーの反ロシア、反ソ連は骨絡みで、子供の頃からの信念、ポーランド貴族出身としての意地ということもあるだろう。冷戦の闘士であったブレジンスキーは現在の状況をどう見ているだろうか。そして、アメリカ外交政策に関して言えば、有名な大物学者が参加する、影響を与えるという時代は終わったと言えるだろう。そして、これはアメリカの世紀の終わりを示す1つの現象ということになるだろう。

(貼り付けはじめ)

地政学戦略家たちはどこへ行ってしまったのか?(Where Have All the Geostrategists Gone?

-ズビグニュー・ブレジンスキーの人生とその意義。

セオドア・バンゼル筆

2025年5月16日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/05/16/zbigniew-brzezinski-zbig-review-edward-luce/

zbigniewbrzezinskiforeignpolicy001
2010年の夏、蒸し暑い北京で会議を行き来しながら、ズビグニュー・ブレジンスキーに外交政策において最も大きな影響を与えたのは誰かと尋ねたことがある。当時、私はこの偉大な人物のリサーチアシスタントをしており、ぎこちなく時間をつぶそうとしていた。彼は少し間を置いて、困惑したような表情を浮かべた。「本当に誰も(Nobody, really)」と彼は答えた

第一印象では、ブレジンスキーの無表情な答えは自慢げだと思った。しかし、今にして思えば、ズビグ(彼の愛称)はただ正直だっただけだった。ポーランド生まれの戦略家であり、ジミー・カーター大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官として最もよく知られた彼は、安易なカテゴライズを逃れた人物だった。彼は民主党の冷戦の賢人(the Democrats’ Cold War sage)で、ロナルド・レーガン大統領の外交政策ティームにも崇拝者がいた。ジョージ・W・ブッシュ政権時代にはネオコンの宿敵(an arch-nemesis)だった根っからの対ロシア強硬派であり、バラク・オバマ米大統領の初期からの支持者でもあった。

ブレジンスキーは、同時代人で、ライヴァルでもあったヘンリー・キッシンジャーとしばしば比較される。2人は共にヨーロッパからの亡命者で、訛りの強いで話し、スター学者から国家安全保障問題担当大統領補佐官へと転身するという共通の経歴を持っていた。しかし、2人はアメリカの戦略に全く異なる視点からアプローチしていた。ドイツ生まれで旧世界のヨーロッパ外交を研究していたキッシンジャーは、アメリカの進路について悲観的な見方をし、ソ連については過大評価しており、デタント(détente、緊張緩和)を通じて米ソ両国の力の均衡(a balance of power)を図ろうとしていた。ソ連のイデオロギー的・政治的弱点を研究していたブレジンスキーは、東ヨーロッパを隷属させたモスクワに恨み(grudge)を抱き、冷戦においてアメリカが勝利すると確信していた。

ブレジンスキーの輝かしい生涯は、『フィナンシャル・タイムズ』紙のコラムニストであるエドワード・ルースによって鮮やかに語り直され、素晴らしい伝記となっている。ルースの著書は、思想家として、そして人間として、ブレジンスキーの真髄を捉えようとする初の試みである。辛辣なウィット、並外れた競争心、滑稽なほどのケチさ(comical tight-fistedness)、そして家族への優しくも揺るぎない献身。ルースは、この重要な新著でこれを見事に描き出し、アメリカ外交政策思想家たちの殿堂におけるブレジンスキーの地位を正当に高めている。

ルースの著書は多くの印象を残したが、中でも最も印象深いのは、アメリカがもはやブレジンスキーやキッシンジャーのような偉大な戦略家を生み出していないということだ。これは、第二次世界大戦の荒廃を経た世代が成熟し、世界秩序の問題に執着する思想家を輩出したという、彼らの世代の特殊性によるところもあるかもしれない。しかし、おそらくそれ以上に、現代のアメリカの外交政策立案における成功の要件に関係しているだろう。現代の巨大な国家安全保障国家、そしてブレジンスキー時代には数十人だった国家安全保障会議(NSC)自体でさえ、戦略的深みと同じくらい多くの運用上の専門知識をますます要求している。世界が大きく変貌を遂げているこの時代に、この地政学戦略家の不足は残念なことだ。キッシンジャーが2017年にライヴァルの訃報を受けた際に書いたように、「ズビグがその洞察力の限界を押し広げなければ、世界はより空虚な場所になる(The world is an emptier place without Zbig pushing the limits of his insights)」のだ。

zbigniewbrzezinskiforeignpolicy002
左:ブレジンスキーとジミー・カーター米大統領が1977年12月にエアフォースワンに搭乗している。右:イスラエルのメナヘム・ベギン首相(左)が、当時ホワイトハウスの国家安全保障問題担当大統領補佐官だったブレジンスキーとチェスの対局に臨む(1978年9月9日、メリーランド州キャンプ・デイヴィッドでの首脳会談にて)。

ブレジンスキーはポーランド人外交官の息子として生まれた。生まれてから10年間は​​断続的にしかポーランドに住んでいなかったが、ポーランドとその悲劇的な歴史はブレジンスキーの人生において大きな影を落とすことになった。1940年代のモントリオールで成人を迎えるまで、幼いズビグはポーランドの騎士や英雄を夢見ていた。高校時代には、国際関係におけるポーランド問題をテーマにした早熟なエッセイを書いた。

鉄のカーテンがポーランドと東ヨーロッパ諸国に降りる中、ブレジンスキーはその類まれな才能を敵国の研究に注ぎ込んだ。彼はロシア語を学び、1953年に当時黎明期にあったソヴィエト学(Sovietology)の分野でハーヴァード大学で博士号を取得した。ズビグが1960年に修士論文に基づいて著した『ソヴィエト圏:統一と対立(The Soviet Bloc: Unity and Conflict)』は、先見の明があり、かつ永続的な内容であった。彼は、ソヴィエト圏の民族分離、更にはソ連自体の民族の寄せ集め(バルト人からウクライナ人まで)が、最終的にソ連を破滅させるアキレス腱となると主張した。冷戦時代には、モスクワが汎ソ連的な市民意識をうまく醸成したという主張が盛んに行われていたが、ブレジンスキーはしばしばこう反論した。「それでは、彼らはソヴィエト語を話しているのか?(So do they speak Soviet?)」

ハーヴァード大学教授、それからコロンビア大学教授となり、ブレジンスキーの関心は次第にワシントンへと向けられていった。リンドン・B・ジョンソン政権時代に国務省に短期間勤務した際には、東ヨーロッパをモスクワから引き離すために平和的な関与(peaceful engagement)を提唱した。しかし、ブレジンスキーが国家安全保障問題担当大統領補佐官に就任したことで、彼はアメリカ外交のコックピットに座ることになった。カーター政権内でズビグの最大のライヴァルであったサイラス・ヴァンス国務長官は、ソ連との関係安定化を支持していたのに対し、ブレジンスキーはデタントを一方的な交渉と見なしていた。内部での影響力争いで、彼はヴァンスを昼食代わりに食べ、カーターの耳目を独占した。ブレジンスキーがホワイトハウスに近かったせいもあるが、ズビグは新しいアイデアと愉快な仲間の宝庫でもあった。あるとき、カーターがソ連の歴史を教えて欲しいと頼んだとき、ブレジンスキーは、レーニンのもとでは「復興集会(a revival meeting)のようだった、スターリンのもとでは監獄(a prison)のようだった、フルシチョフのもとではサーカス(a circus)のようだった、ブレジネフのもとではアメリカ合衆国郵便公社(a United States Post Office)のようだった」と答えた。

ブレジンスキーは影響力を行使して、膠着状態にあったデタントにナイフを突き刺した。ニクソンとキッシンジャーによる対中開放を土台に、カーターは1979年に北京との関係を完全に正常化した。小柄な鄧小平と、モスクワに対する相互の反感に基づく深い信頼関係を築いた。ブレジンスキーがヴァージニア州の自宅で開いた晩餐会では、レオニード・ブレジネフお気に入りのウォッカで米中友好を祝った。キッシンジャーは、対中開放はアメリカをモスクワと北京の両方に近づける優雅な「戦略的三角形(strategic triangle)」を生み出すと主張していた。ブレジンスキーはその代わりに、ソ連に対抗して米中関係を操作した。1979年のクリスマスにソ連が侵攻した際、カーター政権は中国の助けを借りてアフガニスタンの抵抗勢力を支援し、ソ連を永続的な泥沼(an enduring quagmire)に沈め、その崩壊(demise)を加速させた。

ブレジンスキーはまた、ソヴィエトをイデオロギー的に守勢に立たせる方法として、カーターの人権擁護を奨励したが、モスクワとの協力関係を維持したい国務省関係者の反発を招いた。この追求においてブレジンスキーは、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世という偶然のパートナーを見つけた。ルースは、戦略家とローマ法王の感動的な往復書簡を掲載し、この重要な歴史的関係を鮮明に回想している。

しかし、ブレジンスキーの遺産を永久に傷つけたのはイランだった。皮肉なことに、ズビグは1979年のイラン革命の危険性について先見の明があった。彼は1917年のロシアの影を見ていたし、ウィリアム・サリヴァン米大使のように、ホメイニ師を「ガンジーのように」なる可能性を持つ重要人物(a potential “Gandhi-like” figure)と見る人もいた。しかし、ズビグは、彼が提唱し、大失敗に終わり、カーターの選挙の運命を決定づけた、テヘランでのアメリカ人人質救出作戦「イーグル・クロー作戦(Operation Eagle Claw)」と永遠に結びつくことになる。

iranianhostagecrisis1979101
1979年11月9日、人質事件の最中にテヘランの米大使館の屋上に集まったデモ参加者たちがアメリカ国旗に火をつけている。

ブレジンスキーはまた、イラン情勢の背後にソ連の関与があると過度に疑心暗鬼に陥っていた。カイ・バードによるカーター元大統領の伝記『アウトライアー(The Outlier)』では、ブレジンスキーは無謀な超タカ派(a reckless superhawk)として描かれ、「地政学的なゴブルディゴック(geostrategic gobbledygook[難解な、意味不明な言葉])」(ストローブ・タルボットがかつて『タイム』誌で表現したように)に傾倒し、至るところにソ連の影を感じている人物として描かれている。この風刺画には一片の真実も含まれている。ズビグは1980年のカーター・ドクトリン(Carter Doctrine)の立案者であり、このドクトリンはアメリカが「外部勢力(outside force)」(つまりモスクワ)によるペルシャ湾支配の試みを阻止することを約束した。今にして思えば、ソ連が終末的な衰退へと突き進む中で、この地域へのソ連の進出の脅威はあまりにも誇張されていたと言えるだろう。

その9年後、鉄のカーテンが崩壊し、ブレジンスキーの少年時代と職業上の夢が実現した。ブレジンスキーはそのわずか数カ月前に共産主義の崩壊が間近に迫っていることを予言し、1989年の著書『大いなる失敗――20世紀における共産主義の誕生と終焉』の中でミハエル・ゴルバチョフの改革努力は絶望的であると力説した。フランシス・フクヤマは、「ブレジンスキーほど、歴史的な出来事の実際の流れによって正当性が証明された人物はいない」と書いている。そしてソ連は、40年前にズビグが修士論文で予見したように、構成民族に分解した。

ルースは、ブレジンスキーが冷戦時代にはアメリカの能力について楽観的であったにもかかわらず、その後、アメリカがグローバル・リーダーのマントを担う能力については皮肉屋に転じたことを鋭く指摘している。ズビグは、ジョージ・HW・ブッシュがスローガン以上の「新しい世界秩序(new world order)」のヴィジョンを具体化できなかったことを悔やみ、ビル・クリントン政権がイスラエルとパレスチナの恒久和平に失敗したことを批判した。ブレジンスキーは、ジョージ・W・ブッシュのイラク戦争を即座に痛烈に批判し、対テロ世界戦争を「準神学的」な不条理(“quasi-theological” absurdity)だと断じた。

ズビグがよく知るロシアについては、彼は特徴的に予言的であった。ブレジンスキーは、ソヴィエト連邦崩壊後のロシア連邦が間もなく報復主義(revanchism)に取り込まれると予言し、西側の利益を強固にするためにNATOの東方拡大を提唱した。この予言の中で、ブレジンスキーはウクライナの中心性に焦点を当てた。彼は1994年に、「ウクライナがなければロシアは帝国ではなくなるが、ウクライナが従属し、そして従属させられれば、ロシアは自動的に帝国になる(without Ukraine, Russia ceases to be an empire, but with Ukraine suborned and then subordinated, Russia automatically becomes an empire)」と書いている。彼の予測がなんと正しかったことか。

zbigniewbrzezinskiforeignpolicy003
左上から時計回りに:ブレジンスキーとマデレーン・オルブライト元米国務長官(2006年、ワシントンにて)、ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官(2016年、オスロにて)、ドナルド・トゥスク・ポーランド首相(2008年、ワシントンにて)、潘基文国連事務総長(2012年、ワシントンにて)。

何が優れた戦略思考者を作るのか? 歴史的視点、政治的意志を直感的に読み取る能力、そして軍事から人間心理に至るまでの様々な分野の統合だ。ブレジンスキーはこれらの資質を全て見事に体現していた。彼の理論は、政治、イデオロギー、そして社会発展という多様な要素を統合し、鋭くも学術的な文体で表現していた。その典型は、1970年に出版された著書『二つの時代の狭間:テクネトロニック時代におけるアメリカの役割(Between Two Ages: America’s Role in the Technetronic Era)』に象徴されている。

優れた戦略家の特徴としてしばしば過小評価されるのが、独創的な思考力だ。ズビグはそれを自分の中で大事に育んだ。ブレジンスキーは、ワシントンの集団思考(gtoupthink)を助長するようなことは決してしなかった。ブレジンスキーは、望ましくない影響を避けるため、自分が執筆しているテーマに関する意見記事を読んだり、重要なスピーチをしたりすることを意図的に避けていた。私はブレジンスキーのリサーチアシスタントとして、彼が外国の視点をより深く理解できるよう、毎週国際新聞の速報記事をまとめていた。

知的な面で恐れを知らないことも重要であり、それはしばしば鋭い攻撃を伴う。ブレジンスキーはなかなか魅力的で、ジョージタウン(ワシントン)の社交界よりも家族を優先する姿勢で、多くの同僚とは一線を画していた。しかし、タカ派の顔立ちは、彼の使命感と物事への真摯なアプローチを露呈していた。彼は国務省をはじめとするあらゆる部署で、巧妙にライヴァルを出し抜き、更にそれを大いに楽しんでいた。かつて彼は、カーター政権時代に関するある本で、ブレジンスキーの描写が「マキャベリがボーイスカウトのように見えるようにさせた」と自慢げに語ったことがある。

zbigniewbrzezinskiforeignpolicy004
ワシントンの事務所にいるブレジンスキー(1981年12月1日)

しかし、ブレジンスキーの最もマキャベリ的な駆け引きは、権力のために権力(power for power’s sake)を求めるのではなく、理念の追求(the pursuit of idea)に向けられた。ルースによれば、ジョンソン政権下でズビグは、ロバート・F・ケネディがジョンソンの冷戦政策を批判する演説を予定しているという作り話をでっち上げ、大統領がブレジンスキーの東ヨーロッパ戦略を盛り込んだ演説でライヴァルに先手を打つよう仕向けた可能性が高い。ブレジンスキーは当然ながら人気と報道に恵まれていたが、人気は常に二の次であり、自らが正しいと考えることを主張することの方が重要だった。ズビグは初期から二国家共存の解決(a two-state solution)とイラク戦争反対を強く訴え、ワシントンの多くの場所で疎外されたが、それでも決して諦めなかった。

アメリカの外交政策におけるリーダーシップの必要条件は、ブレジンスキーの全盛期とは根本的に変化しており、ズビグのような地政学戦略家はかつてないほど見つけにくくなっている。ブレジンスキーはNSCを大学のゼミのように運営していた。20人ほどのスタッフがそれぞれ異なる地域を担当し、1つのテーブルを囲んで座っていた。しかし、今日の国家安全保障官僚機構はあまりにも巨大で複雑であるため、深い地政学的思考はあっても十分ではない。膨大な資料を処理し、経済と国家安全保障の分野横断的な課題に取り組むには、ブレジンスキーには到底及ばなかったであろうスキルと姿勢が求められる。国際関係論の著名な学者も姿を消した。かつてないほど細分化され専門化された学界は、そのような学者を輩出していない。そして、国民の関心が内向きになるにつれ、彼らも彼らに価値を見出さなくなっている。

ブレジンスキーは晩年、アメリカ人の外交問題に対する無知を一貫して嘆いていた。例えば、アメリカの高校生の3分の1が地図上で太平洋の位置が分からないといったエピソードを、演説に盛り込み、説得力を持たせていた。このようにブレジンスキーは、ジョージ・ケナンのような国際関係論学者の偉大な伝統を受け継いでいた。ケナンは、アメリカの一般国民の唯物主義と浅薄さ(materialism and superficiality)を、時代錯誤に聞こえるほどに嘆いていた。しかし、アメリカが旧来の同盟関係から離脱し、自国中心主義とポピュリズムに囚われつつある今、この点においてブレジンスキーは再来した予言者だったのかもしれない。

※セオドア・バンゼル:ラザード・ジオポリティカル・アドバイザリーのマネージングディレクター兼責任者。以前は駐モスクワ米大使館の政治部と米国財務省に勤務した。2008年から2010年まで、ズビグニュー・ブレジンスキーのリサーチアシスタントを務めた。

(貼り付け終わり)

(終わり)

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になりました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。
 

 20世紀は「アメリカの世紀」と言ってよいだろう。アメリカが世界の中心となって、覇権国となって、世界の政治や経済を動かしてきた。その中心的な考えとなったのは、リベラル国際主義(liberal internationalism)であった。これは第二次世界大戦前までのアイソレイショニズムを放棄して、戦争終結後もアメリカが世界の安定に寄与するために、世界各国と同盟関係を結び、戦後世界秩序を構築した。しかし、ドナルド・トランプ大統領の出現によって、アメリカの外交政策は大きく変化している。リベラル国際主義は戦後の長い間、つまり、アメリカの世紀においては主流となる考え方だったが、トランプが二期目の政権に就くことで大きく変化している。リベラル国際主義への懐疑論は政治的な立場を超えて広がりを見せている。

アメリカの国際的な役割が問われる中、トランプ大統領のもとでの政策の一貫した批判や不安が高まっている。下記論稿では、その背景に、過去の戦争や秘密作戦による国民の信頼の損失があることも指摘されている。戦後世界秩序を守るためには、常に継続的な努力が求められてきたが、トランプ政権の下で、その基盤が特に急速に揺らいでいる現実が浮き彫りになっていると下記論稿では指摘されている。

 戦後世界におけるアメリカの役割が大きかったことを否定する人は少ないだろう。しかし、その負の側面もまた指摘しなければならない。そして、アメリカの国力が低下する中で、アメリカの役割が変化することは自然な流れである。アメリカ国民が内向きになることは自然なことだ。トランプ大統領は、アメリカの国家としての生命力とアメリカ国民の内向き意識を汲み取り、外交政策を大きく転換しようとしている。それは混乱や不信感を生み出しているが、大きくとらえるならば、時代が変化する中で、新しい時代を生み出すための「陣痛」と言えるかもしれない。

(貼り付けはじめ)

第二次世界大戦後の体制は常に脆弱だった(The Post-World War II System Was Always Fragile

-フランクリン・D・ルーズヴェルトは平和な時期においてもアメリカの世界に対する義務は継続すると警告を発した。

ジュリアン・E・ゼリザー筆

2025年5月12日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/05/12/post-world-war-two-international-system-fragile/

第二次世界大戦が終結してから80年が経過した。第二次世界大戦の終結という歴史的な瞬間は、祝賀ムードと高揚感、そして人類全体の安堵をもたらした。壊滅的な戦争はついに終結し、ファシズムは敗北したかに見えた。アメリカの当時の雰囲気を最もよく表しているのは、1945年8月14日、日本降伏のニューズが報じられた後、ニューヨーク市のタイムズスクエアでアメリカ海軍の水兵が女性にキスをしているという象徴的な写真だろう。

しかし、アメリカ人が国際的な脅威がまだ終わっていないことに気づくのに、それほど時間はかからなかった。第二次世界大戦後、ソ連とアメリカ合衆国の間に、冷戦が急速に広がった。核兵器の出現により、全面衝突(full-scale confrontation )を回避することのリスクは劇的に高まった。

これに対し、ハリー・S・トルーマン大統領(民主党)とドワイト・D・アイゼンハワー大統領(共和党)は、リベラル国際主義(liberal internationalism)のヴィジョンを推進した。2人の大統領は連邦議会と協力し、2025年まで存続する一連の制度と政策を構築した。この戦後秩序は、人類が想像しうる最悪の軍事紛争(the worst military conflict)を阻止し、ヨーロッパに一定の安定をもたらした。これはアメリカの国家安全保障と経済力にとって不可欠であることが証明された。

今日、第二次世界大戦後のシステム全体が深刻な脅威に晒されている。ドナルド・トランプ大統領は、トルーマン大統領とアイゼンハワー大統領が築き上げたものに、組織的な攻撃を開始した。アメリカ政治の多くの要素と同様に、トランプ大統領は長年の前提の脆弱性(fragility)を露呈させた。アメリカ大統領による正面攻撃を受けたことで、外交政策の根幹は崩れ始めた。

トランプ大統領はわずか数カ月で主要な国際関係を深刻に緊張させ、あるいは断絶させ、カナダの敵意さえ招いた。イーロン・マスクは米国国際開発庁(U.S. Agency for International DevelopmentUSID)にチェーンソーを振りかざした。トランプ大統領はNATOについて辛辣な批判を繰り返し、同盟への関与の維持に懸念を表明する一方で、ロシアやハンガリーといった独裁国家(autocratic countries)を称賛している。トランプはテレビでウクライナのウォロディミール・ゼレンスキー大統領を侮辱し、ロシアとの戦争におけるウクライナへのアメリカの支援期限が迫っていることを明らかにした。

トランプ大統領は1940年代後半に確立された国家安全保障機構の多くを空洞化させてしまった。ヘンリー・キッシンジャーが1973年と1975年にリチャード・ニクソン大統領とジェラルド・フォード大統領の下で国家安全保障問題担当大統領補佐官と国務長官を務めていた当時、政府機関において1人の人物が絶大な影響力を持つと考えられていた。今月初め、マルコ・ルビオが2つの職を兼任する史上二人目の人物となった際、専門家のほとんどは、ルビオの役割は大統領の望むことを何でも承認することだと合理的に推測した。

第二次世界大戦終結以前から、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領は、アメリカの世界に対する義務は継続すると警告していた。1945年1月の最後の就任演説で、ルーズヴェルトは次のように述べた。「私たちは、恐ろしい代償を払って教訓を学び、そこから利益を得るだろう。私たちは、平和に1人で生きることはできないこと、私たち自身の幸福は遠く離れた他国の幸福にかかっていることを学んだ。私たちは、ダチョウのようにも、飼い葉桶の中の犬のようにもならず、人間として生きなければならないことを学んだ。私たちは、世界市民(citizens of the world)、人類社会のメンバー(members of the human community)となることを学んだ。エマーソンが述べたように、『友人を持つ唯一の方法は、友人になることだ(The only way to have a friend is to be one)』という単純な真実を学んだ。猜疑心や不信感を抱いたり、恐怖心を抱いたりして平和に近づいても、永続的な平和を得ることはできない」。

1945年以来、このヴィジョンはあらゆる困難と挫折に直面してきたが、観察者の多くは、その基本的前提は維持されていると考えていた。ネオ・アイソレイショニズムは終焉を迎えたとみなされ、リベラル国際主義が主流となった。トランプ政権の最初の任期後も、その基盤は生き残ったように見えた。

しかし、トランプが二期目に、数十年にわたりアメリカの外交政策を導いてきた国際システムを解体しようとしている今、その基盤の弱さ(the foundation’s weakness)が際立ってきている。

歴史的に見れば、リスクは常に存在していた。国家安全保障体制が構築され始めた初期の頃、リベラル国際主義者たちは、永続的な国際的関与を主張し、激しい抵抗に直面した。国防総省、国家安全保障会議、中央情報局を創設した1947年の国家安全保障法をめぐる連邦議会審議の際、推進派は「兵営国家(garrison state)」がアメリカが反対すると主張する全体主義そのものを助長するのではないかという懸念を克服しなければならなかった。

歴史家マイケル・ホーガンの著書『鉄の十字架(A Cross of Iron)』は、その抵抗の根深さを詳細に描いている。トルーマンの公約に反対したオハイオ州選出のロバート・タフト連邦上院議員のような保守派共和党員、ソ連との不必要なエスカレーションを懸念したヘンリー・ウォレス副大統領のような進歩主義派、そして連邦政府資金による研究の制約を懸念する大学の科学者たちなど、抵抗の根深さが見て取れる。1945年から1953年の間、トルーマンは中道(middle path)、すなわち新たな制度を制限し、文民の国防長官を軍事担当に任命するなど、安全保障措置を講じる道を模索した。連邦議会は、元将軍または元海軍提督が連邦議会の許可なしに任命される資格を得るには最低10年の勤務期間が必要であると定めた。

トルーマン大統領は、恒久的な戦時体制は予算を膨れ上がらせるという財政保守派の懸念を払拭するため、国内政策の予算削減も受け入れた。トルーマン大統領は、自らが望んでいたより野心的な国民皆兵訓練(universal military trainingUMT)プログラムではなく、戦時における兵員補充のための平時における選抜徴兵制度(Selective Service System)を採用した。国民皆兵訓練は、18歳になると全ての男性に軍事訓練を受けることを義務付けるものだった。アメリカ社会主義労働党から全米教育協会に至るまで、幅広い反対派連合が国民皆兵訓練を建国の理念に反するとして攻撃していた。

北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty OrganizationNATO)に対する懸念も長年続いていた。連邦上院におけるNATOに関する議論の最中、タフト連邦上院議員は次のように宣言した。「非常に遺憾ではあるが、北大西洋条約の批准に賛成票を投じることはできないという結論に至った。なぜなら、この条約には、我が国の費用で西ヨーロッパ諸国の軍備増強を支援する義務が伴うと考えるからだ。この義務は、世界における平和ではなく戦争を促進するものだと私は考えるからだ(with that obligation I believe it will promote war in the world rather than peace)」。

NATO設立に貢献した軍事指導者のアイゼンハワーでさえ、ヨーロッパの同盟諸国に対し、より多くの責任を負うべきだと考え、非公式に不満を表明した。NATOへの批判は、1990年代初頭の冷戦終結後、ますます強まった。ソ連の脅威が後退するにつれ、アメリカの外交政策を他国の利益に縛り付ける根拠を疑問視する声が高まった。

NATOの拡大はロシアを不必要に刺激するのではないかと懸念する人たちもいた。1997年、軍備管理協会(Arms Control Association)は当時のビル・クリントン大統領に対し、「最近のヘルシンキ・サミットとパリ・サミットの焦点となっている、アメリカ主導のNATO拡大への取り組みは、歴史的な規模の政策的誤りである。NATOの拡大は同盟諸国の安全保障を低下させ、ヨーロッパの安定を揺るがすと私たちは考えている」と警告した。

国連もまた、長らくNATOの標的となってきた。1964年、共和党の大統領候補だったバリー・ゴールドウォーター連邦上院議員は、国連は無力だと批判した。ジョン・バーチ協会(the John Birch Society)は1960年代、アメリカの脱退を求めるキャンペーンを展開した。1984年、ロナルド・レーガン大統領は、ユネスコの腐敗と反西側偏向を非難し、アメリカを脱退させた。 2000年の改革党大会で、パット・ブキャナンは当時の国連事務総長コフィ・アナンに言及し、「コフィ氏よ、失礼ながら年末までに出て行かなければ、荷造りを手伝うために数千人の米海兵隊員を派遣する」と述べ、アメリカからの国連の立ち退きを求めた。

リベラル国際主義への懐疑論は、右派に限ったことではない。ジョンソン首相がヴェトナム戦争をエスカレートさせると、多くのリベラル派や進歩主義者は外交政策のコンセンサスに反旗を翻した。この戦争は、デイヴィッド・ハルバースタムの言葉を借りれば、「ベスト・アンド・ブライティスト」の信用を失墜させ、アメリカの指導者たちが帝国ではなく民主政治体制の名の下に(in the name of democracy rather than empire)真に行動しているという信頼を揺るがした。学生運動家や連邦議会の支持者たちは、アイゼンハワー大統領が退任演説で「軍産複合体(military-industrial complex)」と呼んだもの、つまり請負業者、連邦議員、国防当局者による不道徳な同盟が、予算の肥大化と戦略の逸脱を生み出していると非難した。

1973年の徴兵制度の廃止は、ほとんど抗議されることなく可決された。そして、1975年から1976年にかけて、フランク・チャーチ連邦上院議員率いる委員会がCIAFBIによる国内監視や無許可の暗殺を含む秘密作戦を暴露すると、国民の信頼は地に落ちた。最終報告書は次のように結論づけている。「諜報機関は国民の憲法上の権利を侵害してきた。その主な理由は、憲法の起草者が説明責任を果たす(assure accountability)ために設計した抑制と均衡の仕組みが適用されていないためだ」。

政府機関の指導者たちは信頼回復に努めたものの、依然として脆弱な状態が続いていた。911事件以降、監視と拷問(surveillance and torture)に関する暴露は国民の信頼をさらに損なわせた。2004年、CBSのダン・ラザー記者は、黒いマントとフードをかぶった囚人が機械に指を繋がれた状態で小さな段ボール箱の上に立たされている映像が放映された際、厳粛な声で「アメリカ人はイラク人囚人にこのようなことをした(Americans did this to an Iraqi prisoner)」と述べた。ラザー記者によると、囚人は小さな箱から落ちれば感電すると告げられたという。イラクにおける連合軍作戦担当副部長マーク・キミットは「兵士たちを常に誇りに思える日ばかりではない(Some days we’re not always proud of our soldiers)」と認めた。アブグレイブ収容所での暴露が例外的な事態ではなく、政府の戦略の一部であることが明らかになると国民の怒りはより高まった。

共和党の大統領と同様に、民主党も同盟諸国の対応が不十分だと攻撃してきた。熱心な国際主義者だった当時のバラク・オバマ大統領は、2016年に『アトランティック』誌のジェフリー・ゴールドバーグに対し、「フリーライダーは私を苛立たせる()free riders aggravate me」と語った。

厳しい真実は、戦後の国際秩序が確固たる政治的基盤の上に築かれたことは決してなかったということだ。抵抗は当初から存在していた。トルーマンとアイゼンハワーが築き上げたものを守るには、常に継続的な努力が必要だった。批判は、時にはシステムの中核原則(core principles)に向けられ、また時には、破滅的な政策や制度の濫用に端を発した。いずれにせよ、トランプがアメリカの統治の柱であるこの秩序を標的にしたとき、多くの外交政策のヴェテランが予想していたよりも急速に崩壊し始めた。

リベラル国際主義の欠点を明確に理解していたとしても、その貢献については否定することはできない。第二次世界大戦後に生まれた同盟(alliances)、制度(institutions)、そして、関与(commitments)は、核による惨事を防ぎ、世界情勢を安定させ、アメリカの経済力を支え、国家危機の際には経験豊富な助言を提供してきた。

戦後システムの支持者たちは今、途方もない闘いに直面している。反対の声は声高であるだけでなく、深く根付いている。彼らが自分たちのヴィジョンを守り、正当な批判に率直に反応できない限り、彼らが生涯をかけて守ってきた世界秩序が崩壊し、アメリカ・ファーストの深淵に取って代わられるのを、彼らはすぐに目撃することになるかもしれない。

※ジュリアン・E・ゼリザー:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。プリンストン大学歴史学・公共問題教授。独自の視点のニューズレター「ザ・ロング・ヴュー」の著者。Xアカウント:@julianzelizer

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になりました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。
 

 アメリカの外交政策に関する考えについては大きな分類、グループ分け、潮流が存在する。私は、人道的介入主義派・ネオコン対リアリズムの対立があると分類している。これは、「世界各国に介入して各国の体制を変革する」ことを目指す介入主義(Interventionism)と「アメリカのパワーを国益のために使うことを最優先し、外国に介入することには抑制的であるべきだ」と考えるリアリズムの対立である。

 以下の論稿では、昨年の大統領選挙の共和党の立候補者たち(当時は民主党はジョー・バイデン前大統領が現職で2期目を目指すということで民主党には有力候補者はいなかった。栄枯盛衰、会者定離)と歴代の大統領たちの外交政策に関する考えを6つに分類して紹介している。大きくは、「国際主義者(internationalists)」対「非国際主義者(non-internationalirs)」の2つである。国際主義者はアメリカの影響力を行使し、世界に積極的に関わると考えるグループで、非国際主義者は世界に関わるのは抑制的であるべきだと考える。国際主義者の中には、(1)一極主義的国際主義者(Unilateral Internationalists)、(2)民主政体志向国際主義者(Democratic Internationalists)、(3)リアリスト国際主義者(Realist Internationalists)、多極主義的国際主義者(Multilateral Internationalists)の4つのグループがあり、非国際主義者には、(5)後退者(Retractors)と(6)抑制主義者(Restrainers)の2つのグループがある。

(1)の一極主義的国際主義者は、「アメリカの優位性と行動の自由が最も重要であると信じ、同盟(alliances)や国際協定(international agreements)に制約されないアメリカの一極主義的行動を優先し、戦略的利益を推進する」という考えだ。(2)の民主政治体制志向国際主義者は、「民主政治体制の擁護はアメリカと世界の安全保障の維持に不可欠であり、共通の価値観とルールに基づく民主政治体制秩序の推進のため、志を同じくする同盟諸国との協力を優先すると信じている」。(3)のリアリスト国際主義者は、「アメリカの力はより限定的な戦略的利益の防衛に活用されるべきであり、世界と地域の安定を維持するために、全ての国々との実際的な関与を優先すべきだと考えている」。(4)の多極主義的国際主義者は、「他国との平和共存(peaceful coexistence)を主要な目標とすべきであり、国連やその他の多国間機関を通じて地球規模の課題を解決し、国際規範を遵守することを優先するべきだと考えている」。(5の後退者は、「世界がアメリカを利用していると考え、アメリカを国際社会の公約から引き離し、金銭的利益(pecuniary benefits)を最大化することを目指す、より取引中心の外交政策(a more transactional foreign policy)を支持する」。(6)の抑制主義者は、「アメリカが過剰な負担と過剰な関与を強いられていると考え、より抑制的な外交政策を支持し、それによってアメリカの国際的影響力を大幅に縮小する」。

 冷戦期からポスト冷戦期にかけてのアメリカの外交政策の主流は当然のことながら、国際主義者だった。しかし、アメリカの国力の衰退や世界構造の変化によって、国際主義者の中でもリアリズム系が台頭し、また、非国際主義者も勢力を増しつつある。その象徴がトランプ大統領だ。長い論稿ではあるが、是非以下の論稿を読んで一緒に勉強してもらえたらと思う。

(貼り付けはじめ)

アメリカの外交政策思考の混乱したスペクトラム(The Scrambled Spectrum of U.S. Foreign-Policy Thinking

-大統領、政府関係者、候補者は党の方針に従わない6つの陣営に分類される傾向がある。

アシュ・ジェイン筆

2023年9月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/09/27/republican-debate-trump-biden-foreign-policy-ideology/
spectrumofforeignpolicyideologies001
共和党大統領予備討論会では外交政策が大きく取り上げられそうだ。8月の討論会では、候補者たちは、アメリカの対ウクライナ支援継続を支持するかどうかという質問で激しい議論を行った。フロリダ州のロン・デサンティス知事は以前、ロシアのウクライナ戦争はアメリカにとって「重大な(vital)」国益ではないと示唆していたが、実際も懐疑的なようで、代わりにヨーロッパに対して更なる対応を求めた。起業家のヴィヴェク・ラマスワミは、そのような援助にもっと率直に反対し、アメリカが「他国の国境を越えた侵略から守る(protecting against an invasion across somebody else’s border)」ことは「悲惨な(disastrous)」ことだと述べた。一方、マイク・ペンス元副大統領とニッキー・ヘイリー元国連大使は、ウクライナ支援への強い支持を表明し、ロシアの侵略に対抗するジョー・バイデン大統領の取り組みを事実上支持し、アメリカに更なる努力を求めた。

政治のもう一方の側においては、民主党所属の連邦議員の中にはバイデンのウクライナ政策を警戒する人たちもいる。それは、進歩主義的な民主党所属の連邦議員たちが大統領宛に送った、紛争の外交的終結とロシアに対する制裁緩和の可能性を求める書簡(後に撤回された)からも明らかである。

今日の分極化した政治的雰囲気の中では、このような横断的な見解は混乱に見えるかもしれない。たいていの国内政策問題では、政治指導者たちの名前の横にR(共和党)とD(民主党)がついているかどうかが、特定の問題に対する彼らの考え方を示す良い目安になることが多い。しかし、外交政策に関しては、通常の政治ルールは適用されない。むしろ、政治指導者たちが外交政策イデオロギーのスペクトラムのどこに位置するかが、より大きな意味を持つ。
spectrumofforeignpolicyideologies002

このスペクトラムを構成する複数の学派は、世界におけるアメリカの役割について根本的に異なる見解を反映しており、影響力は大きいが、あまり理解されているとは言えない。

外交政策の立場を区別しようとするとき、メディアはしばしば「タカ派対ハト派(hawks versus doves)」といった決まり文句(cliches)や、「アイソレイショニスト(isolationist)」「ネオコンサヴァティヴ(neoconservative)」といった流行語(buzzwords)に頼る。しかし、これらの用語は単純化されすぎたり(oversimplified)、誇張されたりする(exaggerated)傾向があり、有益な情報はほとんど伝わらない。国際関係論(international relations)もそれほど役に立たない。「リアリズム(realism)」は、国家がどのように行動すべきかではなく、どのように行動することが期待されるかを予測する学問的概念と日常的に混同されている。また、「アイデアリズム(idealism)」や「コンストラクティヴィズム(constructivism)」といった他の理論も、現実世界の意思決定を理解する上で役立つことは限られている。

しかし、政策立案者たちが世界をどのように捉え、アメリカの外交政策の方向性に影響を与えようとしているかには、決定的な違いがある。例えば、アメリカの影響力は概ね肯定的であり、アメリカは世界情勢において積極的な役割を果たすべきであると考える人々と、アメリカの傲慢さは往々にして悪い結果をもたらすと考え、アメリカの海外での関与を縮小したいと考える人々との間には、明確な二分法が存在する。

アメリカは民主政治隊の価値観と規範の推進を優先すべきだと考える人々と、より限定的な戦略的利益の擁護を信条とする人々との間にも、大きな隔たりがある。また、アメリカはロシアや中国といった敵対諸国に対して毅然とした態度を取るべきか、それとも共通の基盤を見出すべきなのかについても、見解は大きく分かれている。

私は、アメリカの世界における役割に関する主要な考え方を代表する6つの外交政策陣営を整理した。これらの陣営は、国際的な関与のスペクトラムに沿って位置づけることができる。そのうち4つは、このスペクトルの中でもより積極的な側、「国際主義者(internationalists)」に属し、アメリカは影響力を行使し、国際情勢に積極的に関与すべきだと考えている。そして、残りの2つは「非国際主義者(non-internationalists)」に属し、アメリカは国際社会への関与を縮縮小し、より前向きでない外交政策を採用すべきだと考えている。

●国際主義者(INTERNATIONALISTS

(1)一極主義的国際主義者(1. Unilateral Internationalists)

unilateralinternationalists001
一極主義的国際主義者:ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、ジョン・ボルトン

■定義的な世界観(Defining worldview):一極主義的国際主義者は、アメリカの優位性と行動の自由が最も重要であると信じ、同盟(alliances)や国際協定(international agreements)に制約されないアメリカの一極主義的行動を優先し、戦略的利益を推進する。ジョージ・W・ブッシュ大統領は、特に最初の任期中にこの考え方に近づいたが、この学派を直接的に支持したアメリカ大統領はいない。

■主な特徴(Key attributes):

・中国とロシアを国際システムにおけるアメリカの優位性に対する最大の脅威と見なし、アメリカの敵対勢力に対抗し、アメリカの力を誇示するために最大限の圧力をかけようとする。

・同盟諸国を犠牲にしてもアメリカの国益を優先し、民主政治体制的な価値観や「ルールに基づく秩序(“rules-based order)」よりも戦略的利益を重視する。しかし、同盟諸国の行動意欲には懐疑的ながらも、アメリカの同盟諸国を支持する。

・国連や国際協定に不信感を抱き、米国の力と主権への制約を回避するために、必要に応じて国際機関から米国が脱退することを支持する。

米国の利益を促進するために軍事力を使用することを支持する。

国連や国際協定に不信感を抱いており、アメリカの力と主権への制約を回避するために、必要に応じて国際機関からアメリカが脱退することを支持する。

・アメリカの利益のために軍事力を使用することを支持する。

■著名な発言者たち:ディック・チェイニー、ドナルド・ラムズフェルド、ジョン・ボルトン

■最近の米大統領:いない

■今回の大統領選挙(2024年)の共和党候補者:いない

(2)民主政体志向国際主義者(2. Democratic Internationalists)

democraticinternationalists001
民主政体志向国際主義者:マデリーン・オルブライト、ジョン・マケイン、ミット・ロムニー、クリス・クーンズ、G・ジョン・アイケンベリー、ハル・ブランズ、ハリー・トルーマン、ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、ジョージ・W・ブッシュ、ジョー・バイデン、クリス・クリスティ、ニッキー・ヘイリー、マイク・ペンス

■定義的な世界観(Defining worldview):民主政治体制志向国際主義者は、民主政治体制の擁護はアメリカと世界の安全保障の維持に不可欠であり、共通の価値観とルールに基づく民主政治体制秩序の推進のため、志を同じくする同盟諸国との協力を優先すると信じている。この学派は、ハリー・トルーマン大統領が「自由で独立した国家が自由を維持できるよう支援する」ことがアメリカの政策であると宣言して以来、民主、共和両党を問わず、アメリカの選出指導者の間で主流となっている。

■主な特徴(Key attributes):

・民主政治体制と独裁政治の戦略的競争を国際システムの主要な断層線(the major fault line)と捉え、中国とロシアといった修正主義独裁国家(revisionist autocracies)に対抗するための積極的な措置を支持する。

民主政治体制同盟と連帯(democratic alliances and solidarity)を強く擁護し、「自由世界のリーダー(leader of the free world)」としてのアメリカの役割を維持することに熱心である。

・民主的価値観と人権を推進し、独裁政権の戦争犯罪と暴力的弾圧の責任を問うための強力な取り組みを支持する。

・民主政治体制とルールに基づく秩序を守るために、必要であれば武力行使も検討する用意がある。

■著名な発言者たち:マデリーン・オルブライト、ジョン・マケイン、ミット・ロムニー、クリス・クーンズ、G・ジョン・アイケンベリー、ハル・ブランズ

■最近の米大統領:ハリー・トルーマン、ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン、ジョージ・W・ブッシュ、ジョー・バイデン

■今回の大統領選挙(2024年)の共和党候補者:クリス・クリスティ、ニッキー・ヘイリー、マイク・ペンス

(3)リアリスト国際主義者(3. Realist Internationalists)

realistinternationalists001
リアリスト国際主義者:ヘンリー・キッシンジャー、ブレント・スコウクロフト、ロバート・ゲイツ、リチャード・ハース、スティーヴン・クラズナー、チャールズ・カプチャン、リチャード・ニクソン、ジョージ・HW・ブッシュ、ロン・デサンティス

■定義的な世界観(Defining worldview):リアリスト国際主義者は、アメリカの力はより限定的な戦略的利益の防衛に活用されるべきであり、世界と地域の安定を維持するために、全ての国々との実際的な関与を優先すべきだと考えている。元国家安全保障問題担当大統領補佐官のブレント・スコウクロフトとヘンリー・キッシンジャーは、この学派の典型的な実践者であり、彼らが仕えた大統領たちもこの考え方を支持した。

■主な特徴(Key attributes):

・大国間競争(great-power rivalry)は世界システムにおいて不可避であると認識し、アメリカの同盟関係と、ライヴァル諸国を抑止し世界秩序を維持するための積極的な取り組みを支持する。

・戦略目標の推進のため、政治体制の種類に関わらず、敵対諸国と対峙し、あらゆる国と協力する用意がある。

・安定した勢力均衡(a stable balance of power)を達成するために、ライヴァル諸国と相互に妥協するか、分断を図る用意がある。

・「世界をあるがままに受け入れる(accept the world as it is)」傾向があり、アメリカの介入や民主政治体制促進の取り組みに警戒感を抱いている。

・アメリカの強力な防衛態勢を支持し、重要な国益を守るために必要であれば武力行使も辞積極的に行う。

■著名な発言者たち:ヘンリー・キッシンジャー、ブレント・スコウクロフト、ロバート・ゲイツ、リチャード・ハース、スティーヴン・クラズナー、チャールズ・カプチャン

■最近の米大統領:リチャード・ニクソン、ジョージ・HW・ブッシュ

■今回の大統領選挙(2024年)の共和党候補者:ロン・デサンティス

(4)多極主義的国際主義者(4. Multilateral Internationalists)

multilateralinternationalists001
多極主義的国際主義者:ジョン・ケリー、ブルース・ジョーンズ、バラク・オバマ

■定義的な世界観(Defining worldview):多極主義的国際主義者は、他国との平和共存(peaceful coexistence)を主要な目標とすべきであり、国連やその他の多国間機関を通じて地球規模の課題を解決し、国際規範を遵守することを優先するべきだと考えている。バラク・オバマ大統領の外交政策はこの学派に深く根ざしており、現在、アメリカの気候変動対策首席交渉官を務めるジョン・ケリー元国務長官がその代表を務めている。

■主な特徴(Key attributes):

・大国間の対立や戦略的競争を警戒し、敵対諸国に「手を差し伸べる(extend a hand)」ことで共通点を見出すことに熱心である。

・国際規範、良い統治、人権の推進に向けたアメリカの積極的な関与を支持する。

・国境を越えた課題への対応において、全ての国と協力することを目指し、特に気候変動(climate change)を優先する。

・包摂的な制度を通じた関与を優先するが、ルールに基づく秩序の促進のためにアメリカの同盟諸国と協力することを支持する。

・軍事力の使用には消極的(disinclined)であり、国連安全保障理事会の承認を得た場合にのみ検討する。

■著名な発言者たち:ジョン・ケリー、ブルース・ジョーンズ

■最近の米大統領:バラク・オバマ

■今回の大統領選挙(2024年)の共和党候補者:いない

●非国際主義者(Non-Internationalists

(5)後退者(1. Retractors)

retractors001
後退者・非国際主義者:マイケル・アントン、ドナルド・トランプ、ヴィヴェック・ラマスワミ

■定義的な世界観(Defining worldview):後退者は、世界がアメリカを利用していると考え、アメリカを国際社会の公約から引き離し、金銭的利益(pecuniary benefits)を最大化することを目指す、より取引中心の外交政策(a more transactional foreign policy)を支持する。ドナルド・トランプ大統領の外交政策はまさにこの学派の典型である。しかし、この学派の支持者は、1990年代後半の共和党大統領候補パット・ブキャナンや、アメリカを第二次世界大戦に巻き込ませまいとした1930年代のアメリカ・ファースト運動にまで遡ることができる。

■主な特徴(Key attributes):

・価値観や規範に対して非常に懐疑的で、陰謀論を信奉し、それに陥りやすく、アメリカの政策を操作する「ディープステート(deep state)」の役割を疑っている。

・同盟関係に批判的で、特にヨーロッパにおけるアメリカの同盟諸国を軽蔑し、国際機関を通じた協力の取り組みはナイーブで自滅的だと考えている。

・独裁政権との「取引と合意(make deals)」を求め、民主的な価値観や国際規範を軽視している。

・他国が「アメリカを騙す(ripping America off)」のを防ぐため、経済保護主義(economic protectionism)と国境封鎖を強調している。

・アメリカは軍事的に過剰な関与をしていると確信しているが、「強硬な態度(act tough)」を取り、アメリカの実力を示すために、時折限定的な軍事行動を行うことを支持している。

■著名な発言者たち:マイケル・アントン

■最近の米大統領:ドナルド・トランプ

■今回の大統領選挙(2024年)の共和党候補者:ドナルド・トランプ、ヴィヴェック・ラマスワミ

(6)抑制主義者(2. Restrainers)

restrainers001
抑制主義者・非国際主義者:ランド・ポール、バーニー・サンダース、アンドリュー・ベスヴィッチ、スティーヴン・M・ウォルト、ステファン・ヴェルトヘイム

■定義的な世界観(Defining worldview):抑制主義者は、アメリカが過剰な負担と過剰な関与を強いられていると考え、より抑制的な外交政策を支持し、それによってアメリカの国際的影響力を大幅に縮小する。この学派は依然として周縁的存在ではあるものの、近年、クインシー記念責任国家戦略研究所とその支持者たちの台頭に見られるように、ある程度の存在感を増している。

■主な特徴(Key attributes):

・国際システムにおけるアメリカの力と影響力に不信感を抱いており、欠陥のある民主政治体制、偽善(hypocrisy)、帝国主義(imperialism)を基礎にして考えると、アメリカには民主的価値観やルールに基づく秩序を推進する立場はないと考えている。

・アメリカは敵対諸国と不必要な戦い(unnecessary fights)を仕掛けており、海外における軍事態勢、同盟、制裁政策はしばしば過度に挑発的であると考えている。

・中国とロシアによる脅威を「誇張(inflating)」することを警戒し、敵対諸国と協力し相互妥協に至る外交努力を支持し、国家主義的な外交政策は傲慢で不快だと考えている。

・海外におけるアメリカ軍のプレゼンスの削減、NATOやその他の同盟諸国への関与の縮小を求め、武力行使に強く反対している。

■著名な発言者たち:ランド・ポール、バーニー・サンダース、アンドリュー・ベスヴィッチ、スティーヴン・M・ウォルト、ステファン・ヴェルトヘイム

■最近の米大統領:いない

■今回の大統領選挙(2024年)の共和党候補者:いない

この分析からいくつかの重要な点が導き出される。第一に、確かにこれらの陣営の境界線は曖昧であり、政策立案者たちは、特定の問題においては、これらの陣営のいずれか、あるいは複数の陣営にまたがっている場合が多い。しかしながら、これら6つの学派は十分に明確に区分されており、アメリカが外交政策をいかに進めるべきかという現代の議論に影響を与えている主要な世界観を代表している。

第二に、これらの学派の多くは党派の垣根を越える傾向がある。例えば、民主政治体制志向国際主義は、与野党の政治指導者たちから熱烈に支持されており、国際共和研究所(International Republican Institute)や全米民主研究所(National Democratic Institute)といった民主政治体制志向機関に見られるように、超党派の強力な支持基盤を有している。リアリズムもまた、アメリカの外交政策において長い伝統を持ち、民主、共和両党の国家安全保障担当者の共感を呼んでいる。同様に、抑制者は、左派の進歩主義者と、ワシントンの国際的関与の縮小を求めるリバータリアンの両方から支持を集めている。一方、一極主義的行動主義は主に保守派に支持され、多国主義的国際主義は主にリベラル派の支持を得ている。近年、トランプ支持派の共和党員の間では、こうした姿勢の撤回が主流となっている。

第三に、近年の米大統領がこのスペクトルのどこに位置づけられるかは自明ではない。就任当初は特定の陣営に傾倒するかもしれないが、ほとんどの大統領は純粋主義者(purists)ではなく、政権を担う中で、多くの大統領が、一貫性があり予測可能な外交政策の理念を維持することを困難にする実際的かつ政治的な現実に直面することになるだろう。

例えば、バラク・オバマはリアリスト国際主義に傾倒していたように見え、ロシアとの関係を「リセット(reset)」しようとし、後にシリアのバシャール・アサド大統領による化学兵器使用の責任追及のためのアメリカ軍派遣を拒否した。しかし、オバマがキューバやイランといった敵対諸国への関与や国連を通じた活動を重視していたことを考えると、彼の外交政策の主眼は多極主義的国際主義とより整合しているように見えた。

ジョージ・W・ブッシュもまた、様々な立場に立脚していた。世界的な対テロ戦争の開始に際し、ブッシュはアメリカの優位性を主張しようと決意し、一極主義的国際主義に傾倒しているように見えた。しかし、イラクとアフガニスタンにおける民主政治体制の推進、彼の代名詞である「自由のアジェンダ(Freedom Agenda)」、そして2回目の就任演説における「世界の専制政治の終焉(ending tyranny in our world)」の訴えなど、ブッシュの全体的な世界観はより、民主政治体制志向国際主義に根ざしているように見えた。

バイデンがどの立場を取るかは依然として議論の余地がある。現在、バイデン政権の国家安全保障ティームは、アフガニスタンからの撤退とサウジアラビアのムハンマド・ビン・スルタン王太子との交渉再開を求めるリアリストと、大統領による民主政治体制サミット開催の取り組みを支持する民主政体志向国際主義者に分裂している。しかし、バイデンがNATOと協力して民主的なウクライナを守るという揺るぎない決意と、世界は「民主政治体制と独裁政治の世界規模での闘争()global struggle between democracy and autocracy」に直面しているという確信を踏まえると、これまでのバイデン政権の外交政策の大筋は、民主政治体制志向国際主義とより整合しているように思われる。もっとも、より明確な判断は、バイデンの任期満了まで待たなければならないだろう。

それでは、現在の共和党候補者たちはどうなるのだろうか? ペンス、ヘイリー、そしてニュージャージー州元知事のクリス・クリスティは、ロシアの侵略に立ち向かうよう訴え、中国の人権侵害を非難しており、まさに民主政治体制志向国際主義陣営に属している。ドナルド・トランプには、もちろん独自の路線がある。一方、デサンティスとラマスワミは、アメリカの国際社会への関与に懐疑的な共和党支持者からの支持獲得に苦戦する中で、リアリズムとトランプの撤回との間で板挟みになっているように見える。デサンティスはウクライナから中国への軸足を移すことを支持しており、これはトレードオフについて非常に現実的な考え方と言える。ロシアと中国を分断する戦略を提唱してきたラマスワミは、時折リアリストのようにも聞こえるが、ロシア・ウクライナ戦争へのアメリカのいかなる関与も回避し、台湾を中国に譲渡する可能性、そして「アメリカの利益を最優先する(interests of America first)」という彼の姿勢は、彼が撤回に向かっていることを示唆しているように思われる。

有権者たちは次期大統領を選ぶ際に外交政策を中心的な要素とは考えていないかもしれないが、アメリカの指導者が世界とどのように関わっていくかは、アメリカ国民の安全と繁栄にとって極めて重要である。最も影響力のある外交政策の学説をより明確に理解することで、有権者たち、そして候補者たち自身も、より情報に基づいた選択を行うことができるようになるだろう。

※アッシュ・ジェイン:米国土安全保障省(U.S. Department of Homeland SecurityDHS)職員。最近まで、アトランティック・カウンシル(大西洋評議会)傘下のスコウクロフト戦略安全保障センターで民主秩序担当部長を務めていた。ここで表明された見解は、米国土安全保障省(DHS)、またはアメリカ政府に帰属するものではない。Xアカウント:@ashjain50

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になりました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。
 

 2025年5月までに、「知日派」の二大巨頭と呼ばれた、ハーヴァード大学教授ジョセフ・ナイ(Joseph Nye、1937-2025年、88歳で没)リチャード・アーミテージ(Richard Armitage、1945-2025年、79歳で没)元国務副長官が亡くなった。以下の記事に写真があるので是非じっくり見て欲しい。

知日派という言葉は何とも聞こえの良い言葉であるが、実態は「ジャパン・ハンドラーズ(Japan handlers」「日本操り班」「日本飼い慣らし班」である。ジョセフ・ナイとリチャード・アーミテージはジャパン・ハンドラーズの代表だった。知日派に育てられた日本人の多くはアメリカの手先であり、買弁(compradors)と言うべき存在である。そんな人物たちが与野党問わず永田町に生息し、霞が関でアメリカの利益になる政策を粛々と立案して遂行している。私たち日本人はそのことに気づくべきだ。

 以下の記事は追悼記事であるが、中々厳しい内容だ。ジョセフ・ナイは「ソフトパワー(soft power)」という概念を提唱した。ソフトパワーは、軍事力や経済力ではなく、自国の文化や価値観の魅力で、他国を魅了して、説得して協力させる力のことを言う。アメリカの文化、ポップカルチャー(音楽や映画など)や食文化(ハンバーガーとコーク)、価値観(自由や人権など)を世界の人々の多くが好むことで、アメリカの言うことを聞くということである。

 しかし、現実世界は内の考えるようにはなっていない。アメリカ文化を好むからと言って、アメリカの言うことを聞くかと言えばそのようなことはない。2022年のウクライナ戦争以降の動きを見れば明らかだ。ナイの主張は、戦後の世界構造を補強するものであるが、構造が大きく変化する中で、彼の主張の説得力は大きく失われることになった。

 ジョセフ・ナイが活躍した時代は冷戦期後半からポスト冷戦期、アメリカの一極支配時代だった。彼は、戦後の世界構造の正当性を信じ、その維持と補強を目指した。しかし、最晩年は彼の愛した世界が大きく変化する様子を目撃することになった。リチャード・アーミテージにも言えることだが、これは故人に対して言うべきではないだろうが、「ざまあみろ」ということになる。

(貼り付けはじめ)

ジョセフ・ナイはもはや存在しない世界のチャンピオンだった(Joseph Nye Was the Champion of a World That No Longer Exists

-「ソフトパワー」という言葉を生み出した卓越した学者は50年にわたるアメリカの外交政策を形作った。

スザンヌ・ノセール筆

2025年5月9日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/05/09/joseph-nye-death-us-foreign-policy-soft-power/

josephnye20181015001
ハーヴァード大学でインタヴューを受けるジョセフ・ナイ(2018年10月15日)

著名な国際関係学者ジョセフ・ナイを悼むのは、胸が痛むと同時に、おそらく適切なことだろう。それは、アメリカのリーダーシップとリベラル国際主義を擁護するという彼の生涯にわたる活動が、ドナルド・トランプ米大統領の第二期政権で暗礁に乗り上げてしまったからだ。

「ソフトパワー(soft power)」という言葉を生み出したナイは、火曜日に88歳で亡くなった。彼の知的リーダーシップ、教育、政策指導、そして外交努力は、50年にわたるアメリカの外交政策を形作った。彼の思想はまた、アメリカの外交政策エスタブリッシュメント、すなわち、バラク・オバマ大統領の元顧問ベン・ローズがかつて「ブロブ(Blob)」と揶揄して呼んだ学者、シンクタンク、官僚、そして市民社会のリーダーたちの集合体を形成した。

ナイとその仲間たちは、アメリカがカードを賢く使えば達成できないことはほとんどないという考えを固く信じていた。つまり、堅固な同盟諸国を結集し、説得力のある議論を展開し、道徳的に優位な立場を維持し、ナイが時折「三次元チェス(three-dimensional chess)」のゲームと表現したゲームで敵を側面から攻撃するという考えだった。

第2次トランプ政権の初期の数ヶ月は、数十年にわたる衰退の時代を締めくくるものとして、ナイが体現したアメリカ主導の戦後秩序の終焉を告げるものだった。ナイの知的後継者たちは今、彼と同じように、陳腐な理論を捨て去り、新たな世界秩序と、その中でアメリカをどう位置づけるべきかについて、現実的でありながらも想像力豊かな理解を呼び起こさなければならない。

1937年、ニュージャージー州の小さな農村に生まれたナイは、プリンストン大学で学び、その後、ハーヴァード大学で博士号を取得し、教授職に就いた。1977年に政治学者ロバート・O・コヘインと共著した著書『パワーと相互依存:変遷する世界政治(Power and Interdependence: World Politics in Transition)』は、瞬く間に古典となった。ヘンリー・キッシンジャー時代の支配的なリアリズムに対する一撃として、この本は、ヴェトナム戦争と1973年の石油禁輸におけるアメリカの経験を引き合いに出し、地球規模の相互連結性(global interconnectedness)は、単なる経済力や軍事力だけでは解決できない一連の課題をもたらし、協力と共同の制度構築を要求すると主張した。

後のグローバライゼーションの概念を予見させる初期の著作は、国際的な力関係の層を明らかにし、地政学に大きな影響を与える、ほとんど注目されていない力を暴き出すという、ナイの生涯にわたる傾向を明らかにした。

ナイが、明白な視界に隠れた力関係にスポットライトを当て、分析し、分類する才能は、1990年に『フォーリン・ポリシー』誌に寄稿した論文で「ソフトパワー(soft power)」という概念を提示した際に、鮮やかに示された。この用語は、経済的な強制や軍事力ではなく、模範となる力(the power of example)、文化的影響力(cultural sway)、そして道徳的説得力(moral suasion)を通して、各国が互いの好みや行動を形作る能力を指していた。

ナイは、1990年の著書『不滅の大国アメリカ(Bound to Lead: The Changing Nature of American Power)』でこの概念をさらに発展させ、アメリカ合衆国は、その起源、憲法上の価値観、そして技術革新と芸術的革新への傾倒によって、他国の台頭に伴う相対的な衰退を食い止めるなど、目に見えない力の源泉を活用する独自の立場にあると主張した。(個人的なメモ:私は、2004年の記事で「スマートパワー(smart power)」と名付けた、彼のアイデアをベースにした私の独自の解釈をナイが寛大に広めてくれたことに感謝している。その記事では、ナイのソフトパワーの概念とハードパワーの概念を統合し、2つを協調して使うべきだと主張した。)

ナイはその後、核安全保障や外交政策における倫理などをテーマに20冊近くの著書を執筆・編集し、『パワー・ゲーム(The Power Game)』という小説も執筆した。彼の思想は海と国境を越え、ヨーロッパ連合(EU)、中国、ロシアなどは、文化外交(cultural diplomacy)、伝統的価値観の重視(an emphasis on traditional values)、そして自国の言語と文化を海外に浸透させるための投資(investments in seeding their languages and cultures abroad)を通じて、ソフトパワーを発揮してきた。

しかし、何よりもナイの一連の著作がアメリカの外交政策立案者たちを価値観重視の制度主義者(values-oriented institutionalists)へと育て上げたのは明らかだ。外交楽観主義者(Diplo-optimists)である彼らは、対話と協力の必要性(the imperatives of dialogue and cooperation)を固く信じていた。彼らは、開発援助(development aid,)、民主政治体制支援(democracy assistance)、防衛保証(defense guarantees)、武器(weapons)、そして有利な貿易条件(favorable trade terms)といった形で示される国家の寛大さが、計り知れない善意を返してくれると信じていた。こうした国際関係の学者や実務家たちは、多国間機関、条約、同盟、そして政府が資金提供する平和・開発・メディア組織の集合体を含む、アメリカの力のツールキットについて訓練を受けていた。

ナイ自身は、制度の役割を理論的に擁護するだけでなく、自らのアイデアを行動に移す手腕を備えた実践的な構築者でもあった。カリスマ性と洗練性を兼ね備えたナイは、魅力的な物腰、輝く瞳、そして政策に対する揺るぎない情熱で、同僚たちや外国の専門家たちをも魅了した。カーター政権とクリントン政権下では、国際安全保障担当国防次官補や国家情報会議議長など、国家安全保障分野の要職を歴任した。1995年には、東アジアにおけるアメリカの関与の重要性に関する画期的な報告書を執筆し、約30年後のバイデン政権下で実現することになるいわゆる「アジアへのピボット(pivot to Asia)」を予見した。

josephnye20012003001
左:ナイ(左)、ハーヴァード大学学長(当時)ローレンス・サマーズ、ビル・クリントン元大統領。2001年11月19日のマサチューセッツ州ケンブリッジでのハーヴァード大学の学生を前にしたクリントンの演説会にて。右:ハーヴァード大学ジョン・F・ケネディ記念行政大学院院長(当時)のナイ、マサチューセッツ州知事ミット・ロムニー(左)、アイダホ州知事ダーク・ケンプソーン。2003年5月29日、ケンブリッジにて。

ナイはまた、ハーヴァード大学ジョン・F・ケネディ行政大学院の強化にも尽力し、1995年から2004年まで大学院の院長を務めた。近年では、アスペン戦略グループ(Aspen Strategy Group)を率い、生涯をかけて、他者が混沌としか見ていないところに秩序、意味、そして方向性を見出す探求を続け、その過程で著名人を集めた。

ナイは、アメリカの力の将来性について、尽きることのない希望を抱いていた(彼の著書の多くには「力(power)」という言葉がタイトルに含まれている)。しかし、晩年には、アメリカが衰退期にあるのではないかという問題に真剣に取り組んだ。2024年に出版された回顧録『アメリカ世紀に生きた人生(A Life in the American Century)』では、アメリカの優位性は、今後数十年は続くかもしれないが、彼の生きた時代とは異なる様相を呈するだろうと結論づけている。ナイは先見の明を持って、アメリカの将来に対する懸念の多くは中国に集中しているものの、自身の「より大きな懸念(greater concern)」はアメリカのソフトパワーを損なう可能性のある「国内の変化(domestic change)」だと指摘した。「たとえ対外的な力が依然として優勢であったとしても、アメリカは内なる美徳と他国にとっての魅力を失う可能性がある」とナイは指摘した。

過去8年間、ナイが構築に尽力した信念体系の基盤(the foundations of the belief system)は、修復不可能なほどに蝕まれてきた。トランプ政権は、アメリカの力の誇大で気まぐれ、そして時に冷酷な側面を世界に示した。謙虚になったバイデン政権は、アメリカが「戻ってきた(back)」と宣言したものの、ナイが予測したように、国際情勢はますます分散化(diffuse)と対立(contested)を深めており、新たな謙虚さへの関与と、説得力のある力を発揮する能力との両立に苦慮することになった。

トランプ政権2期目の最初の数ヶ月は、ナイが築き上げてきたソフトパワーへの関与を、ワシントンが驚くべき形で放棄する結果となった。現トランプ政権は、米国国際開発庁(U.S. Agency for International DevelopmentUSAID)を解体し、人道支援・人権活動に従事する市民社会団体への資金提供を削減し、ヴォイス・オブ・アメリカをトランプ支持のワン・アメリカ・ニュース・ネットワークの代弁者として作り変え、移民と外国人ヴィザを制限し、アメリカの大学と研究機関を攻撃した。そしてワシントンの世界的な外交的影響力を縮小した。

一方、トランプ大統領の大西洋同盟への無関心、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領への甘言、カナダ、パナマ、グリーンランドへの脅威、そして反動的な関税政策は、戦後のアメリカのアイデンティティの基盤に亀裂を生じさせている。

ナイはこうした崩壊を目の当たりにした。死のわずか1週間前、CNNのジム・シュートとのインタヴューで次のように語った。「トランプ大統領はソフトパワーを理解していないようだ。権力をムチとアメとハチミツと考えると、彼はハチミツを省いている。しかし、もしこの3つが互いに補強し合うことができれば、はるかに多くのことを成し遂げられる。ハチミツの魅力があれば、アメとムチを節約することもできる。だから、USAIDの人道支援のようなものを中止したり、ヴォイス・オブ・アメリカの声を封じ込めたりすると、権力の主要な手段の1つを失ってしまうのだ」。

アメリカのパワー行使に関するナイの主張は、政策の世界に身を置く私たち世代に根付いているが、現在の国家安全保障担当指導者たちには理解されていない。また、トランプ大統領が長年にわたりアメリカのパワーの象徴として機能してきた手段をほとんど無視して破壊するのを目の当たりにしてきた連邦議会の大多数や国民にとっても、ナイの主張はさほど重要ではないようだ。

josephnyerichardarmitage2007001
ナイ(右)がリチャード・アーミテージ元国務副長官と米連邦下院監視・政府改革委員会の911後の戦略について公聴会で証言している(2007年11月6日、ワシントンにて)

ナイは戦後に育った人だった。日本が真珠湾を攻撃した時、彼はまだ5歳だった。そして、1946年、連合軍の勝利を祝うため1万3000人の兵士がニューヨークの五番街をパレードした時、彼は9歳になる1週間前だった。ナイは、自由を守るために立ち上がり、世界を圧制から救い、自国を地球規模の地位へと押し上げるアメリカの若い世代の姿を見ながら育った。ソ連が理想化されたアメリカ合衆国の引き立て役となり、核による壊滅の恐怖が迫る冷戦の時代に、彼は成人した。栄光(glory)、犠牲(sacrifice)、仲間意識(camaraderie)、恐怖(fear)、そして決意(resolve)といった感情的な力が、ナイが見て、説明し、形作った世界を形作っていた。

こうした象徴的な闘争の記憶が薄れていく中、911事件はアメリカに新たな目的意識を与えたが、同時に終焉の始まりを告げる反射的な行き過ぎをも促した。アフガニスタンとイラクにおける長期にわたる戦争は、侵略の当初の論理や目的をはるかに超えた幻想、インセンティヴ、そして惰性によって煽られた。

この時点で、アメリカで台頭している層は、アメリカの外交政策における大きな勝利を思い出すことができない。ナイが不可避と認識したグローバライゼーションは、アメリカの労働者と地域社会に多大な犠牲を強い、前例のない所得格差を加速させた。安価な商品や相対的な平和と繁栄といったグローバライゼーションの恩恵は、アメリカ人にとってますます当然のものとなっていった。ナイとコヘインが提唱した相互依存(interdependence)の概念は、連帯と運命共同体というヴィジョンから、脱出すべきゼロサムゲーム的な葛藤へと変貌を遂げた。トランプのアメリカはティームプレーヤーではない。長年の同盟諸国をパートナーや友人ではなく、障害、あるいはせいぜい共犯者とみなしている。

今、ナイの知的後継者たちは、ナイが見ていた世界を超えて、ほとんど見違えるほど変貌したアメリカ合衆国を導くという課題に直面している。いつになるかは予測できなかったものの、ナイは自身のキャリアを特徴づけてきたアメリカの世紀が終焉を迎えることを予見していた。ナイは、アメリカに対する潔白さや魅力が失われることはあっても、それがこれほど早く訪れるとは予想していなかった。

ナイの概念では、アメリカのアイデンティティとリベラルな精神は分かちがたく絡み合っていた。この融合により、外交政策に携わる私たち全員が、愛する国と私たちが抱く価値観を、あたかもそれらが一体であるかのように主張することができた。我が国は数え切れない裏切りと道徳の欠如を経験してきたが、私たちはアメリカが表す価値観を見失うことも、そのより良き本質への信念を捨てることもなかった。

トランプ政権下で、この国と、私たちが長きにわたり結び付けてきた一連の原則は、引き裂かれつつある。ナイの弟子たちは今、愛する国家と現政権が残しつつある大切な価値観との間の溝を、どのように切り抜け、そしていつの日か再び埋めていく方法を学ばなければならない。ナイの死を嘆くと同時に、彼が遺してくれた世界が消えゆくことをも悲しまなければならない。

※スザンヌ・ノセール:元政府職員・「ペン・アメリカ」元最高経営責任者。『勇気を持って発言しよう:すべての人の言論の自由を守る(Dare to Speak: Defending Free Speech for All)』の著者。Xアカウント:@SuzanneNossel

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ