古村治彦です。
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パレスティナの飾築を実効支配しているハマスによって2023年10月7日にイスラエルが攻撃を受け、それに対する報復でガザ地区に大規模な攻撃が実行されている。イスラエルとイランの間でのミサイル攻撃の応酬もあった。その後、一時的な停戦が実現したが、再び状況は悪化している。ガザ地区では生活環境は悪化し、攻撃は続いている。イスラエルはイラン国内を空爆し、核開発関連施設を破壊し、イラン革命防衛隊の司令官と参謀総長などの最高幹部を殺害している。ベンヤミン・ネタニヤフ首相はイスラエルの極右勢力に支えられているが、国民の支持率は低下している。そうした中で、起死回生の策がイランに対する空爆だった。
イスラエルは国際社会を信頼せず、自国の防衛のためにはあらゆる犠牲を強いる。こうした点では北朝鮮に類似している。それは、あまりにも排他的な、選民思想的な原理が国家にあるからだろうと私は考えている。
ガザ地区に関して言えば、私たちは歴史の授業で習ったゲットー(ghetto)を類推することができる。中世以来のヨーロッパの各都市に存在した、ユダヤ人たちが強制的に居住させられた地域である。ナチスドイツの侵略によって、各国のゲットーには厳しい抑圧がなされた。そうした中で、1943年にワルシャワ・ゲットー蜂起(Warsaw Ghetto Uprising)が起きたが、ナチスドイツによって鎮圧されたが、その方法は過酷なものだった。私たちは、ガザ地区の現状からワルシャワのゲットーを思い起こす。ユダヤ人が建国したイスラエルが、ゲットーの惨劇を繰り返す。「歴史は繰り返す(History repeats itself)」という言葉があるが、これはあまりにも皮肉なことである。人権や自由といった価値観を世界に拡大することを標榜するアメリカをはじめとする西側諸国は今回の事態に対してあまりにも無力だ。それどころか、ガザ地区の状況に対する批判を抑圧している。
現在のガザ地区の状況は西側諸国の偽善と国際政治の野蛮さを改めて明らかにしている。そして、人間の愚かさを暴露している。
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ガザ地区がいかにして西洋の神話を打ち砕いたか(How Gaza Shattered the West’s
Mythology)
-この戦争は、第二次世界大戦後の共通の人間性に対する幻想(post-World War
II illusions of a common humanity)を露呈させた。
パンカジ・ミシュラ筆
2025年2月7日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2025/02/07/pankaj-mishra-world-after-gaza-book-israel-war-global-order-history/
1943年4月19日、ワルシャワのゲットー(Ghetto)にいた数百人の若いユダヤ人が、入手できる限りの武器を手にナチスの迫害者たちに反撃した。ゲットーにいたほとんどのユダヤ人は、すでに絶滅収容所(extermination camps)に強制送還されていた。彼らの指導者の1人であったマレク・エデルマンが回想しているように、闘士たちはいくらかの尊厳(dignity)を取り戻そうとしていた。彼は次のように書き残している。「最終的には、私たちの番が来たときに、私たちを虐殺させないということだった。死に方を選ぶだけのことだった」。
絶望的な数週間が過ぎ、抵抗者たちは圧倒され、そのほとんどは殺害された。蜂起の最終日に生き残った者の中には、ナチスがガスを注入した司令部地下壕で自殺した者たちもいた。下水管を通って脱出できたのはほんの数人だけだった。その後、ドイツ兵はゲットーをブロックごとに焼き払い、火炎放射器を使って生存者たちを煙で追い出した。
ポーランドの詩人チェスワフ・ミウォシュは後に、「美しい静かな夜、ワルシャワ郊外の田舎の夜にゲットーから悲鳴が聞こえた」と回想している。
「この悲鳴には鳥肌(goose pimples)が立った。何千人もの人々が殺害される時の悲鳴だった。その悲鳴は、焚き火の赤々とした輝きの中から、無関心な星々の下から、都市の静寂な空間を通り抜け、植物が労を惜しまず酸素を放出し、空気が芳香を放ち、人が生きていてよかったと感じる庭園の慈悲深い静寂の中に入っていった。この夜の平和には特に残酷なものがあり、その美しさと人間の罪が同時に心を打った。私たちは互いの目を見なかった」。
占領下のワルシャワでミロシュが書いた詩「カンポ・デイ・フィオーリ」は、ゲットーの壁の横にあるメリーゴーランドを想起させる。メリーゴーランドに乗る人たちは、遺体の煙の中を空に向かって進み、その陽気な曲が苦悩と絶望の叫びをかき消す。カリフォルニア州バークレーに住んでいたミロシュは、アメリカ軍が何十万人ものヴェトナム人を空爆し、殺害している間、その残虐行為(atrocity)をアドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリンの犯罪と比較していた。「もし私たちが同情することができ、同時に無力であるならば、私たちは絶望的な憤りの中で生きているのだ(If we are capable of compassion and at the same time are powerless, then
we live in a state of desperate exasperation)」とミロシュは書いている。
イスラエルによるガザ地区殲滅(annihilation of Gaza)は、西側民主政体諸国によって提供され、何百万もの人々にこの精神的試練(psychic ordeal)を何カ月も与えた。政治的悪(political evil,)の行為の自発的目撃者である彼らは、時折、生きていることは良いことだと考えることを自分自身に許しながら、イスラエルによって爆撃された別の学校で娘が焼け死ぬのを見る母親の悲鳴を聞いた。
ホロコースト(shoah)は数世代にわたるユダヤ人に傷跡を残した。1948年、ユダヤ系イスラエル人は生死を分ける問題として国民国家の誕生(birth of their nation state)を経験し、その後、1967年と1973年にも、アラブの敵による絶滅論のレトリックの中で再び経験した。ヨーロッパのユダヤ人がユダヤ人であるという理由だけでほぼ完全に消滅したという知識とともに育った多くのユダヤ人にとって、世界は脆弱(fragile)に見えざるを得ない。その中でも、2023年10月7日にイスラエルでハマスや他のパレスティナグループによって行われた虐殺と人質事件は、ホロコースト再来への恐怖を再燃させた。
しかし、歴史上最も狂信的なイスラエルの指導者たちが、蹂躙、死別、恐怖という遍在する感覚(an omnipresent sense of violation, bereavement, and horror)を利用することに躊躇しないことは、最初から明らかだった。イスラエルの指導者たちは、ハマスに対する自衛の権利を主張したが、ホロコーストの主要な歴史家であるオメル・バルトフが2024年8月に認めたように、彼らは最初から「ガザ地区全体を居住不可能にし、その住民を衰弱させて、死に絶えるか、その領土から逃れるためにあらゆる可能な選択肢を模索するようにする(to make the entire Gaza Strip uninhabitable, and to debilitate its
population to such a degree that it would either die out or seek all possible
options to flee the territory)」ことを目指したのである。こうして10月7日以降、何十億もの人々がガザ地区に対する異常な猛攻撃を目の当たりにした。その犠牲者たちは、ハーグの国際司法裁判所(the International Court of Justice in The Hague)で南アフリカを代表して弁論したアイルランドの弁護士ブリネ・ニ・グラレイに言わせれば、「世界が何かしてくれるかもしれないという絶望的な、今のところむなしい希望のために、自分たちの破壊をリアルタイムで放送していた」のである。
世界は、より特定すれば西側は何もしなかった。ワルシャワ・ゲットーの壁の向こうで、マレク・エデルマンは「世界の誰も何も気づかない(nobody in the world would notice a thing)」ことを「大変に恐れて(terribly afraid)」いた。ガザ地区ではそのようなことはなく、犠牲者は処刑される数時間前にデジタルメディアで自分の死を予言し、殺人犯はTikTokで自分たちの行為をさかんに流した。アメリカやイギリスの指導者たちが国際刑事裁判所や国際司法裁判所(he International Criminal Court and the International Court of
Justice)を攻撃したり、『ニューヨーク・タイムズ』紙の編集者が社内メモで、「難民キャンプ(refugee
camps)」、「占領地(occupied territory)」、「民族浄化(ethnic cleansing)」という用語を避けるようスタッフに指示したりと、西側の軍事的・文化的ヘゲモニー(the West’s military and cultural hegemony)の道具によって、ガザ地区のライブストリーミングによる情報発信は日々、見えないように、読めないようにされていった。
毎日が、自分たちが生活している間に、何百人もの普通の人々が殺され、あるいは自分たちの子どもが殺されるのを目撃させられているという意識に毒されるようになった。ガザ地区にいる人々、しばしば有名な作家やジャーナリストからの、自分や自分の愛する人が殺されようとしているという警告や、その後に続く殺害の知らせは、肉体的にも政治的にも無力であるという屈辱をより募らせた。無力な暗示された罪の意識に駆られ、ジョー・バイデン米大統領の顔をスキャンして慈悲の兆し、流血を終わらせる兆しを探そうとした人々は、不気味なほど滑らかな硬さを発見した。あれやこれやの国連決議、人道支援NGOの必死の訴え、ハーグの陪審員たちによる厳罰、そして土壇場でのバイデンの大統領候補交代によって喚起された正義の希望は残酷なまでに打ち砕かれた。
戦争はやがて過去のものとなり、積み重なった恐怖の山は時とともに平らになるかもしれない。だが、ガザ地区では、負傷した身体、孤児となった子供たち、瓦礫の町、家を失った人々、そして、あちこちに漂う大量の死別意識と存在の中に、この惨劇の痕跡が何十年も残るだろう。そして、狭い海岸地帯で何万人もの人々が殺害され、重傷を負うのを遠くから無力に見守り、権力者の拍手喝采や無関心を目撃した人々は、心の傷と、何年も消えないトラウマを抱えて生きていくことになるだろう。
イスラエルの暴力を、正当な自衛なのか、厳しい都市環境での正当な戦争なのか、民族浄化や人道に対する罪なのか、という論争は決して決着がつかないだろう。しかし、イスラエルの一連の道徳的、法的違反行為の中に、究極の残虐行為の兆候を見出すことは難しくない。イスラエルの指導者によるガザ地区撲滅に向けた率直で決まりきった決意、ガザ地区でのイスラエル国防軍(Israel Defense Forces、IDF)による報復が不十分であることを国民が嘆くことで暗黙のうちに容認していること、犠牲者を和解不可能な悪と同一視していること、犠牲者のほとんどが全くの無実で、その多くが女性や子供だったという事実、第二次世界大戦での連合軍によるドイツ爆撃よりも比例して大きい破壊の規模、ガザ地区全体の集団墓地を埋め尽くす殺戮のペース、そしてその方法が不吉なほど非人格的(人工知能アルゴリズムに依存)かつ個人的(狙撃手が子供の頭を2発撃ったという報告が多い)であること。食料や医薬品へのアクセスの拒否、裸の囚人の肛門に熱い金属の棒が挿入されること、学校、大学、博物館、教会、モスク、さらには墓地の破壊、死んだり逃げたりするパレスティナ女性の下着を着て踊るイスラエル国防軍兵士に体現された悪の幼稚さ(puerility of evil)、イスラエルにおけるそのようなTikTokインフォテインメント(訳者註:情報[information]と娯楽[entertainment]の合成語)の人気、そして自国民の絶滅を記録していたガザ地区のジャーナリストの慎重な処刑。
もちろん、産業規模になった虐殺に伴う無慈悲さは前例がないわけではない。ここ数十年、ホロコースト(the Shoah)は人類の悪の基準を定めてきた。人々がそれを悪と認識し、反ユダヤ主義(antisemitism)と戦うために全力を尽くすと約束する程度は、西洋では彼らの文明の尺度となっている。しかし、ヨーロッパのユダヤ人が抹殺された年月の間に、多くの良心が歪められたり、麻痺したりした。非ユダヤ人のヨーロッパの多くは、しばしば熱心に、ナチスのユダヤ人攻撃に加わり、彼らの大量殺戮のニューズでさえ、西洋、特にアメリカでは懐疑的かつ無関心に迎えられた。ジョージ・オーウェルは、1944年2月になっても、ユダヤ人に対する残虐行為の報告は「鉄のヘルメットから豆が落ちるように(like peas off a steel helmet)」人々の意識から跳ね返ったと記録している。西側諸国の指導者たちは、ナチスの犯罪が明らかになってから何年もの間、大量のユダヤ人難民の受け入れを拒否した。その後、ユダヤ人の苦しみは無視され、抑圧された。一方、西ドイツは、ナチス化からほど遠いものの、ソ連共産主義に対する冷戦に加わりながら、西側諸国から安易な赦免(cheap absolution)を受けた。
記憶に残る中で起きたこれらの出来事は、宗教的伝統(religious
traditions)と世俗的な啓蒙主義(the secular Enlightenment)の両方の基本的前提、つまり人間は根本的に「道徳的(moral)」な性質を持っているという前提を揺るがした。人間には道徳的性質がないという、腐った疑念が今や広まっている。冷酷さ、臆病さ、検閲の体制下での死や切断を間近で目撃した人々はさらに多く、あらゆることが起こり得ること、過去の残虐行為を覚えていても現在それが繰り返されない保証はないこと、そして国際法と道徳の基盤がまったく安全ではないことを衝撃とともに認識している。
近年、世界では多くの出来事が起こっている。それらは、自然の大災害、財政破綻、政治的激変、世界的パンデミック、征服と復讐の戦争などである。しかし、ガザ地区に匹敵する災害はない。これほど耐え難い悲しみ、困惑、良心の呵責(grief, perplexity, and bad conscience)を私たちに残したものはない。これほど、私たちの間での、情熱と憤りの欠如、視野の狭さ、思考の弱さ(lack of passion and indignation, narrowness of outlook, and
feebleness of thought)を恥ずべき形で証明したものはない。西洋の若者の世代全体が、政治とジャーナリズムの長老たちの言葉と行動(そして無作為)によって道徳的に大人に成長させられ、世界で最も豊かで最も強力な民主政体国家の支援を受けた残虐行為を、ほぼ独力で認識せざるを得なくなった。
パレスティナ人に対するバイデンの頑固な悪意と残酷さは、西洋の政治家やジャーナリストたちが提示した多くのぞっとするような謎の1つに過ぎない。西側諸国の指導者たちにとって、10月7日の戦争犯罪の犯人を追及し、裁きを受けさせる必要性を認めながらも、イスラエルの過激派政権(an extremist regime in Israel)への無条件の支援を差し控えることは簡単だっただろう。それなのに、なぜバイデンは存在しない残虐行為のヴィデオを見たと繰り返し主張したのか?
元人権弁護士の英首相キール・スターマーは、イスラエルにはパレスティナ人から電力と水を差し控え、停戦(cease-fire)を求める労働党員を処罰する「権利がある(has the right)」と主張したのはなぜか? なぜ、西洋啓蒙主義(the
Western Enlightenment)の雄弁な擁護者であるユルゲン・ハーバーマスは、自称民族浄化主義者たち(avowed ethnic cleansers)の擁護に飛びついたのか?
アメリカで最も古い定期刊行物の1つである『ジ・アトランティック』誌が、ガザ地区で約8000人の子供たちが殺害された後、「子供たちを合法的に殺すことは可能だ(it is possible to kill children legally)」と主張する記事を掲載したのはどうしてか?
イスラエルの残虐行為を報道する際に西側主要メディアが受動態に頼り、誰が誰に、どのような状況下で何を行っているのかが分かりにくくなっているのはなぜか(「ダウン症のガザ地区在住男性が孤独死(The lonely death of Gaza man with Down’s syndrome)」というのが、障害のあるパレスティナ人男性にイスラエル兵が攻撃犬を放ったというBBCの報道の見出しだった)? なぜアメリカの億万長者たちが大学キャンパスでの抗議活動者への容赦ない弾圧を促進するのに協力したのか?
親イスラエルの合意に反抗しているように見えるという理由で、学者やジャーナリストたちが次々と解雇され、芸術家や思想家がプラットフォームを追われ、若者が就職を妨げられたのはなぜか?
なぜ西側諸国は、ウクライナ人を悪意ある攻撃から守り保護しながら、あからさまにパレスティナ人を人間の義務と責任の共同体(the
community of human obligation and responsibility)から排除したのか?
これらの疑問にどう対処するかに関わらず、私たちは直面している現象を正面から見つめざるを得ない。それは、西側の民主政治体制国家が共同で引き起こした大惨事(a catastrophe jointly inflicted by Western democracies)であり、1945年のファシズムの敗北後に生まれた、人権の尊重と最低限の法的・政治的規範に支えられた共通の人間性という必要な幻想(the necessary illusion that emerged after the defeat of fascism in
1945 of a common humanity underpinned by respect
for human rights and a minimum of legal and political norms)を破壊したのだ。
※パンカジ・ミシュラ:インドのエッセイスト、小説家。『怒りの時代: 現在の歴史(Age of Anger: A History of the Present)』、『帝国の廃墟から:アジアを再構築した知識人たち(From the Ruins of Empire: The Intellectuals Who Remade Asia)』など、その他数冊のノンフィクションおよびフィクションの著書がある。
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『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』