古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

カテゴリ: スポーツ





アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12




野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 

 古村治彦です。

 

 先週の土曜日、神宮球場で行われた早大対東大の試合を観戦してきました。いつもは一般内野席で観戦するのですが、一緒に行った方たちの希望で、学生応援席に入りました。学生応援席は500円と割安ですが、写真撮影と飲酒が禁止となっており、応援部の指示に従った行動が求められます。学生ではなくても入れますので、レベルの高い六大学の応援を楽しみたい方や東京六大学入学を目指し興味がある方はこちらに入るとよろしいかと思います。

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 試合結果は早大11点-東大5点となり、早大が大勝と報じた新聞もありましたが、内容としては五分、早稲田にしてみれば負けに等しいものであったと思います。早稲田は昨年夏の甲子園に熊本代表の濟々黌高校のエースと活躍した1年生大竹投手が先発しました。4年生でドラフトの目玉と言われている有原投手は右肘の違和感で対法政戦は登板なし、明治戦は1試合だけ中継ぎで3イニング登板、無失点はさすがでしたが急速が上がらず、ということで、本調子ではありません。東大の先発は東京の私立・城北高校出身の2年生吉川投手が先発でした。吉川投手はこの試合までシーズン2試合9イニングを投げて無失点、投手ランキング1位となっている投手でしたので、ぜひ見てみたいと思っていました。




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 大竹投手も吉川投手もストレートが130キロ前後、変化球は95キロ前後と軟投派、コントロール重視、打たせて取るタイプの投手です。どちらもランナーがいない時のコントロールはなかなかのものです。吉川投手は、東大に臨時コーチで入った桑田真澄氏の教えである「外角のストレートのコントロール」が絶妙で、そこを軸に早めに追い込んでいく投球ができていました。5回を投げて与四球が1つというのは素晴らしいものでした。

 

 吉川投手は5回を投げて7点を失うのですが、投手の責任で失った点数を示す自責点は3点でした。これはどういうことかと言うと、守備がエラーを連発し、外野守備ももっと前に守っていたらヒットにせずに済んだ当たりが何本もあったということです。公式にはエラーが5つ記録されていますが、目に見えないエラー、守備位置エラーと言われるようなものを含めると10に迫るのではないかと思われました。その後の投手もホームランを打たれたのは仕方がないにしても、全体で自責点5、失点11から引くと、6点のうち何点かは防ぐことができたものと言えると思います。そう考えると、東大側は、投手陣の底上げができている状況で、守備が破綻をきたしているのは何とも残念です。

 

 早稲田は有原投手不在でチーム全体のバランスが崩れていると感じました。前回の明治戦は完膚なきまでにやられ、連敗したのですが、「有原がいないのだから、自分たちがしっかりしないと」という気持ちが強すぎて、体ががちがちでバッティングもタイミングが悪い、守備も駄目という感じになっていました。東大戦は、大変失礼ですが、速球派が出てくるわけでもないし、長打を浴びる訳でもないのだから、攻撃、守備両方ともリラックスしてできるはずでした。しかし、軟投派の吉川投手に抑え込まれながら、相手のエラーにどうにか助けられて得点を重ねることが出来ました。しかし、手応えがあった得点と言うのは7点くらいのものでしょう。

 

 東大の攻撃力は格段に上がっています。早稲田の投手陣、二番手の竹内投手はまあまあとして、三番手高梨投手、四番手黄本投手は散々な出来でした。高梨投手は4年生で、先発の柱としてリーグ戦でも10勝を挙げ、東大戦ではノーヒットノーランを達成した投手ですが、昨年からの不調から復活できていません。久しぶりに見ましたが、球速はあるのですが、コントロールが良くなく、カウントを取りに行くところを痛打されるという感じ、下半身がうまく使えていないのか、ストレートに伸びが感じられませんでした。高梨投手は打者5人に対して被安打3、与四球1、自責点2、1アウトしか取れずに降板となりました。これでは残りの対立教、早慶戦で使えるかどうか分かりません。黄本投手は木更津総合のエースとして甲子園にも出場した投手ですが、高梨投手の後の異様な雰囲気でうまく力を出せなかったという感じでした。

 


 全体としては、東大はチャンスをつかむ前に、自滅してしまった、早稲田は相手のエラーに助けられて安全圏まで逃げ込むことができたのだが、力としては拮抗していたと思います。現在の東大は81連敗、100連敗も可能性として浮上している中、逆に言うと、どこが連敗ストッパーとなるのかということで、「出来るならうち以外で」とどこも思っている状況です。爆発寸前の爆弾を5校の中で回しているという感じです。そこの緊張感を利用すれば、東大にもチャンスがあるのではないかと思います。早稲田戦以外で是非勝利を挙げていただければと思います。

 

(終わり)









 

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 古村治彦です。


 今週は、1月に出版される本の校正にかかりきりになっており、新聞も満足に読めない状況です。今回は趣向を変えまして、いえ、だいぶ変えまして、スポーツの話題を。かなり浮世離れした話題となります。本のことでいっぱいいっぱいになってしまって、ちょっと気分転換的な要素の強い文章となってしまいました。かなり古臭い話になります。ご容赦くださいませ。


 私はスポーツ観戦とスポーツ関係の書籍の読書を趣味にしています。特に野球に関しては子供の頃から好きでした。その度合いは大人になっても衰えるどころか、ますます盛んになっております。師である副島隆彦先生からも「スポーツなんてどこが面白いの?まぁ君には面白いんだろうな。退屈しなくて良いなぁ」と呆れられているほどです。

 私のSNS(ソーシャル・ネットワーク・サーヴィス)のプロフィールのアイコン写真は、今はもう存在しないプロ野球球団である南海ホークスのマークを掲載しています。このことについて、よく質問を受けます。「どうして南海ホークスのマークなんですか?」と。ツイッター上では、民主党所属の某国会議員に質問されました。また、2013年6月に渋谷で開催されました、「副島隆彦を囲む会」主催の会員交流会でも複数の方々にこの質問を受けました。


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南海ホークスのマーク


 私は子供の頃から阪神タイガースファンです。私の生まれ育った鹿児島は、今はどうか分かりませんが、子どもの頃は読売ジャイアンツファンが多かったです。私が高校に入学し、入学式の後、各クラスに分かれて初めて顔合わせをし、自己紹介をした時、「阪神ファンです」と言ったところ、クラスメイトの一人が舌打ちをしたことを覚えています。ですから、私の友人たちもまた「どうして南海ホークスのマークを使っているんだよ?」と不思議がっています。



 前置きが長くなりました。さて、どうして私が南海ホークスのマークを使っているのか、ということですが、それは「カッコいい」からです。「なんじゃそりゃ」と言われそうですが、これは仕方がないことです。昔の球団ユニフォームや球団旗を見てみると、その斬新さと現代性、モダンさを改めて感じることができます。



私が物心ついた時、南海ホークスは人気のないパシフィック・リーグのお荷物球団に成り果てていました。冴えないグリーンのユニフォームや覇気がない選手たち、スポーツニュースのダイジェストでしか見ることができませんでしたが、いつも負けているという印象しかありませんでした。私の中では古臭い昭和を象徴していたのが南海ホークスでした。そして、その南海ホークスが後から振り返ってみれば昭和時代と共に消え去ることになったのは何とも象徴的であったと考えます。



 1988(昭和63)年にホークスが南海からダイエーへの売却されました。鹿児島に住む少年にとって福岡という場所もまた遠い都会でしたが、その都会に球団がやって来る、ライオズンが出て行って以来、球団が帰ってくるというのは嬉しいニュースでしたが、「よりによってホークスか」という気持ちでした。「それだったらブレーブスが来てくれたら良かったのに」というのが、その当時の多くの人々の正直な感想ではなかったかと思います。



 そして、ホークスが九州にやってきました。フランチャイズが変わったからといって、チームが急に強くなるということもなく、相変わらずお荷物という感じでしたが、若田部投手をドラフトで活躍したあたりから、「チームは本格的に強化を図っている」ということが周囲にも伝わってきました。その後、積極的な強化策を取りながらなかなか成績が上昇しませんでしたが、1999年、ホークスはついにパリーグを制しました。



 私は取り立ててホークスのファンではなかったのですが、昔福岡に住んでいて、平和台球場での南海ホークス対西鉄ライオンズがいかに黄金カードであったかという話を聞いていました。そして、「一体どんな感じだったんだろう」という興味を持ち始めたのが大学時代です。そこからいろいろな本を読みながら、自分の中で想像を膨らませてきました。



 球団創設50周年で姿を消した南海ホークス。1940年代から60年代にかけてパリーグの強豪チームでありながら、やがて凋落していく。名門の栄枯盛衰。この南海ホークスという響きに私はフラジャイル(fragile)、はかなさを感じるのです。そして、私の頭の中では、はかない南海ホークスが息づいています。



 私は政治学を専攻し、政治の事象に大きな興味関心を持っています。私は、プロ野球と政治ということも十分に大きなテーマになると考えています。来年はそのテーマについて文章を書いていければと考えています。



(終わり)


南海ホークスの歌

さよなら大阪球場

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