古村治彦です。
政治学分野における、近代以降の古典的名作の1つとされるのがニコロ・マキャベリの『君主論』だ。現在の緻密な研究書とは異なるが、古典的名著として読み継がれている。ニコロ・マキャベリの主張の柱は、「愛されるよりも恐れられる方がよい」ということがある。政治指導者は被支配者から愛されることに越したことはないが、「恐れられる」(公正に悪いことは罰する)ということの方が重要で、その方が被支配者を支配しやすいということになる。「恐れられる」ためには、首尾一貫した判断や行動が必要となる。気まぐれや気分でその時度の行動を変えるということは許されない。そうなれば、人々は「恐れる」というよりも「何をしてよいのか分からない」ということになり、反発を覚えるようになる。これは、個人生活でもよくあることだが、「同じことをしてもあの人は怒られないのに、私ばかり怒られる」という不満が大きくなるということはよくあることだ。
良い君主とは良い判断をして失策をしない、失策をしてもすぐにリカヴァリーをするということも大切だ。そのためには首尾一貫した戦略が重要になってくる。現代のような複雑で動きが早い状況だとそれも難しいが、首尾一貫した戦略があれば、大きな失敗はしなくて済むだろう。マキャベリは国益のためならば信義を破る(簡単に言えば嘘をつく)ことも容認した。
これらのことから考えると、トランプはあまり良い評価に張らないということになる。首尾一貫した戦略がないために、失策を重ねている。イラン戦争がその最たる例だが、トランプは海外では戦争を起こさないという公約で選挙に当選している。それなのに、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相に騙されたということはあるが、イラン戦争を始めてしまった。首尾一貫した考え、戦略があれば、戦争を始めることはなかっただろう。物価高が続き、格差拡大は酷いという中で、支持率が低下し、逆転を狙ってのことだっただろうが、逆転を狙うような状況になってしまっているのはそれだけでもう負けである。また、発言や考えをころころと変えて、「狂人理論」で相手を翻弄するということでもあったが、最近では、「どうせ最後には尻尾を巻いて逃げる」ということを見透かされて、強気に出られてうまくいかないということが続いている。
トランプの第1期目は「恐れられて」いた。しかし、現在は「呆れられて」いる。アメリカが偉大ではなくなりつつあるのは、トランプだけの責任ではないし、大きな流れは止められない。それならば、その流れを緩やかにするために戦略を練るということもできるだろうが、それもしないとなると、流れは止められないどころか、加速していきそうである。トランプの2期目はこれから中間選挙を迎える。これは中間試験の意味合いもあるが、あまり良い成績は取れそうにない。
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マキャベリがドナルド・トランプについて何を言うだろうか(What
Machiavelli Would Say About Trump)
-米大統領は「極めて悪い君主(a very bad prince)」になるための手本を示している。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2026年9月23日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/09/23/trump-machiavelli-leadership-military-iran-war-power-principles/
ニコロ・マキャベリの肖像画
ポール・クルーグマンは先週、自身のニューズレター・プラットフォーム「サブスタック」に興味深い記事を投稿した。そこでクルーグマンは、諸外国がドナルド・トランプ米大統領に対する恐れを急速に失いつつあり、トランプの気まぐれで略奪的な外交姿勢に対抗するために結束し始めていると指摘している。クルーグマンの指摘はもっともだが、私が特に注目したのは、クルーグマンがニコロ・マキャヴェッリの成功する君主についての格言である「君主は愛されるよりも恐れられる方がよい(it is better to be feared than loved)」を引用した点だ。理想を言えば、君主は愛されることと恐れられることの両方を目指すべきだが、マキャヴェッリはそれを成し遂げるのは困難だと説いている。したがって、どちらかを選ばなければならないなら、恐れられる方が望ましい。なぜなら、人間は気まぐれで、その愛情は当てにならない(men are fickle and their affections are unreliable)からだ。しかしながら、恐れ(fear)というものは「決して逃れられない罰への恐怖(by a dread of
punishment that never fails)」によって維持されるものだ。
クルーグマンが指摘するように、トランプが他者を脅し威圧する力は、彼自身の失策(イランとの戦争など)や、政権全体の無能さや一貫性のなさによって損なわれてきた。私が言いたいのは次のことだ。数カ月後には気が変わって合意を破棄しかねない相手と交渉したり、合意に達したりすることに、一体何の意味があるのか?
そして、トランプがマキャヴェッリの助言に反した行動を取っているのはこれだけではない。実際、『君主論』の重要な箇所を注意深く読めば(数週間前、私のリアリズムの授業の学生たちがそうしたように)、トランプが多くの点で「いかにして極めて悪い君主になるか」の典型例であることが明らかだ。
まず、マキャヴェッリは「愛されるより恐れられる方がよい」と論じた後、それ以上に悪い事態があることを指摘している。それは、憎まれたり軽蔑されたりすることだ(hated or despised)。そうした事態を避けるため、マキャベリは君主に対し、臣民の財産や女性に手を出さないよう戒めている。トランプは間違いなく前者のルールを破っている。公費を使って私腹を肥やし、誤った経済政策によって多くのアメリカ人の生活を脅かしてきたからだ。さらに、彼自身の不品行な私生活やジェフリー・エプスタインとの親密な関係は、女性に対する極めて略奪的な態度を露呈させている。こうした態度は、テイト兄弟のような女性嫌悪主義者には受けるかもしれないが、同時にかなりの数のアメリカ人が抱く深い憎悪の一因ともなっている。
軽蔑されることについてはどうだろうか? マキャベリは、君主が「気まぐれ、軽薄、女々しい、臆病、優柔不断」と見なされると軽蔑の対象となる(rendered despicable by being thought changeable, frivolous,
effeminate, timid, and irresolute)」と警告している。トランプを「女々しい(effeminate)」と評する人はいないだろうが、他の形容詞は彼に十二分に当てはまる。マッチョな虚勢を張ってはいるものの、トランプの態度の揺れや一貫性のなさは今や周知の事実となっており、より強固な意志を持つ指導者たち(例えば中国の習近平国家主席など)はそれを見抜き、巧みに利用してきた。第2期政権の初期にトランプに屈服した企業トップ、大学学長、法律事務所などは、臆病かつ愚かに見える一方で、彼に立ち向かった人々は勇敢かつ先見の明があるように映る。トランプはかつてほど恐れられなくなっただけでなく、今や憎悪と軽蔑の対象になりつつある。
マキャベリはまた、君主は過度に「リベラル(liberal)[漢代を意味する]」であってはならず、「ケチだという評判を気にしてはならない(must care little for the reputation of being a miser)」とも論じている。この助言は直感に反するように聞こえるかもしれない。なぜケチであることが権力の維持に役立つのか。しかし、『君主論』の第16章を注意深く読めば、彼の主張の核心は、賢明な君主は財政を慎重に管理すべきであり、浪費によって臣民の忠誠を買おうとしてはならないという点にあることが分かる。もし浪費に走れば、やがて資源を使い果たし、「重税を課したり、強引な手段で金銭を搾取したり、あらゆる手段を講じて資金を調達したりせざるを得なくなる(be forced to impose heavy taxes, become exortionate, and do
everything possible to obtain money)」だろう。そして、そうした行為こそが、臣民から憎まれる原因となるのだ。
トランプは私生活において債権者への支払いを踏み倒すようなケチ(a cheapskate
who many have alleged liked to stiff creditors in his private life)だったと言われているかもしれないが、大統領としては常習的な浪費家(as president, he’s a chronic spendthrift)である。公平を期すために言えば、巨額の財政赤字を出し、富裕層への減税を行い、軍事費を過剰に支出して国家債務を増大させた大統領は彼が初めてではないし、連邦上下両院の共和党議員たちの積極的な協力なしには、こうした政策のいずれも実行できなかったはずである。
しかし、これまでのどの歴代大統領も、自身の個人的な娯楽(ゴルフなど)にこれほど多額の公金を費やしたことはない。また、5000ドルの小切手を支給すると約束することで、自党への投票と引き換えに国民に金銭を支払おうとした最初の大統領でもある。はっきり言えば、これは違法であるだけでなく、実質的には国民自身の税金を使って国民を買収するに等しい行為であり、財政赤字をさらに拡大させることになる。債券市場の見解もマキャベリの教えも一致している。トランプの財政規律の欠如(Trump’s lack of fiscal discipline)は極めて賢明ではない。
マキャベリは『君主論』の中で一章を丸ごと軍事問題に割き、君主を志す者に対して軍事の術を熟知するよう説いている。彼がこの問題にこれほど注力したのは、もちろん戦乱の絶えないルネサンス期のイタリアにおいて軍事力が中心的な役割を果たしていたからだ。現代では求められる能力も異なると言えるだろう。現代の政治指導者に、軍隊全体はおろか、部隊や艦船の指揮の仕方まで知っていることなど誰も期待していない。もっとも、軍事的な「評判(street cred)」をつけようとして滑稽な振る舞いをするようでは逆効果である。
しかし、軍事力の役割と限界、そして戦争の成否を分ける条件について確かな理解を持つことは、現代の政治家にとっても依然として不可欠だ。軍事面での対応を誤り、重大な戦略的失策を犯した結果、そのキャリアを終えることになった、世界の指導者(数人の米大統領を含む)の例は枚挙にいとまがない。中には命を落とした人物さえもいる。
トランプによるイランとの破滅的な対立は、マキャベリの助言がいかに賢明であったかを裏付けている。兵役を逃れた大統領が、無能な国防長官を任命し、従順な指揮官を要職に据え、さらに外交の重要ポストを、経験が不足している義理の息子や国際情勢の知識が皆無の不動産専門弁護士に任せた。
彼は自身の誕生日にワシントンで軍事パレードを行うことに固執する一方で、イランとの開戦に伴う利害得失の慎重な検討を怠った。その結果、今や勝利の見込みのない紛争の泥沼(quagmire)にはまり込んでいる。この紛争は世界経済に甚大な被害を及ぼし、中東地域をはじめとする地域でのアメリカの立場を弱め、さらには次の中間選挙での民主党の勝利を後押しする可能性さえある。大統領に軍事の専門家であることを求めるべきではないかもしれないが、マキャベリであれば、トランプのように軍事の術に対してあまりに無知で能天気な指導者を、冷ややかな目(askance)で見ることだろう。
さらに、正義の問題もある。マキャベリは、君主は断固たる態度で統治すべきであり、相応の理由があるならば(命を奪うことを含め)罰を与えることを躊躇してはならないと確信していた。しかし彼は、君主がそうするのはあくまで「適切な正当化の理由と明白な根拠がある場合(there is a proper justification and manifest reason for it)」に限られると強調している。言い換えれば、正義の執行は正当なものでなければならない。君主は時に残酷な振る舞いを強いられることもあるだろうが、それは恣意的、利己的、あるいは個人的な理由によるものであってはならない。さもなければ、再び民衆の憎悪を招くことになりかねないからだ。
言うまでもなく、司法省を武器化し、自分が個人的な敵とみなす人々(自分の第一次政権の元メンバーの一部を含む)への報復に利用しようとするトランプの動きは、リチャード・ニクソン元大統領やJ・エドガー・フーバー元FBI長官による同様に疑わしい行為の域をはるかに超えている。ジャック・スミス元特別検察官、ジェームズ・コミー元FBI長官、アンソニー・ファウチ元国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)所長などに対して彼が仕掛けた報復の数々は、正義(そして必要に応じて罰)は適切かつ正当な方法で行使されるべきだというマキャベリの警告に反するものだ。マキャベリは、指導者が時に非情な振る舞いをせざるを得ないことを理解していたが、恣意的な残酷さについては、危険かつ誤ったものとして反対していた。
ワシントンでホワイトハウス勤務のスタッフにささやきかけるドナルド・トランプ米大統領(2020年9月26日)
しかし、話はそれだけではない。マキャベリは欺瞞(deception)の必要性を認め、君主は時に約束を破る必要があるかもしれないと主張している。彼の言葉を借りれば、「賢明な君主は、約束を守ることが自らの利益に反する場合には、それを守るべきではない(a prudent ruler ought not to keep faith when by so doing it would be
against his interest)」のである。それは何故か? 他者も同様に行動するからだ。つまり、彼らにとって別の場所に利益があるならば、あなたとの約束を守ろうとはしないだろう。
詐欺や虚偽、約束破りを繰り返してきたトランプのこれまでの経緯を見れば、彼がその助言を深く心に刻んでいるように思えるかもしれない。しかし、マキャベリの助言はもっと微妙なニュアンスを含んでいる。マキャベリは、時に欺瞞が必要であることや、君主が道徳的原則に反するように見える行為を避けるべきではないことを認めつつも、指導者はそうした性質を徹底して隠すべきだと強調している。彼の言葉は次の通りだ。
「したがって、君主が前述の(徳のある)資質を全て備えている必要はないが、それらを備えているように見せかけることは極めて重要である。・・・君主は、前述の・・・資質に満ちていない言葉を口にしないよう細心の注意を払わねばならず、その言動において、慈悲、誠実、高潔、人間味、そして信心深さを体現しているように見せかけるべきである」。
言い換えれば、成功する君主とは、「巧みに装い、本心を隠す達人(a great
feigner and dissembler)」でなければならない。つまり、約束を破ったり、不誠実あるいは残酷な振る舞いを繰り返したりすることはできないということだ。そうすれば、あなたが危険で信用できない人物であることが、すぐに周囲に露呈してしまうからだ。
公平を期して言えば、トランプの政治的成功の大部分は、実際とは全く自分(トランプ)を人々に信じ込ませるという驚くべき能力によるものだ。トゥルース・ソーシャルに投稿される、彼を軍の英雄や宗教的指導者などに見立てた数々の奇妙な投稿も、「アメリカを再び偉大に(Make America Great Again)」を信奉する支持者たちの間で、そうした神話を維持し続けるためのものだと言えるだろう。
しかしながら、彼が今直面している問題は、その「お決まりの芸風」が飽きられ、彼がこれまで装ってきたような人物とは程遠いことが明らかになってきた点だ。トランプが記者団に対し、生活費の負担(affordability)など気にしないと話したり、「アメリカ国民の経済状況など考えもしない。誰のことも考えていない」と発言したりした際など、公の場での「仮面」が剥がれ落ちる場面が何度もあった。これほど真実を突いた言葉もないだろう。
マキャベリが説いた「成功するリーダーシップの指針」は、しばしば政治の「闇の術策」を記した非道徳的(不道徳的ではなく)な手引きだと誤解されがちだ。そのため、特に狡猾で道徳的節操に欠ける政治家を「マキャベリ的(Machiavellian)」と呼ぶ傾向がある。しかし、マキャベリが「目的は手段を正当化する(the end justifies the means)」と記した際、彼が念頭に置いていたのは、極めて具体的かつ道徳的に正当化しうる目的だった。彼が君主に成功を求めたのは、秩序と安定をもたらし、内乱や外部からの干渉から国家を守るためにそれが必要だと信じていたからだ。君主が「善ならざる者となる術を学ばなくてはならない(learn how not to be good)」の、自身の楽しみや利益、あるいは放縦のためではなく、あくまで国家を存続させるためなのだ。
それゆえ、賢明な君主は、必要な場合にのみ悪事を行う。「善ならざる者となる術を学び、事態の必要性に応じてその知識を行使したり、あるいは行使しなかったりすることを学ばねばならない(One must learn how not to be good, and to use this knowledge and not
use it, according to the necessity of the case)」とマキャベリは書いている。目的が手段を正当化することはあっても、どんな目的でも良いということではなく、ましてやリーダーの個人的な気まぐれが正当化されることなど決してない。
在任期間が5年を超えた今、トランプはその原則を繰り返し踏みにじってきた。彼の大統領職はアメリカを「より偉大な国」にはしなかった。それどころか、国内の分断は深まり、腐敗が進み、信用は低下し、海外からの尊敬も大きく失われた。トランプが数多くの国際的なパートナーシップや、かつて世界をリードしていたアメリカの科学・学術機関を破壊し尽くそうとしていることで、国の長期的な未来さえも危うくなっている。
その代わりに彼が残したものとは何か? 自身と家族の個人資産を20億ドル以上増やしたことに加え、ホワイトハウスに新しい舞踏室を建設したり、可能な限り多くの公共施設に自分の名前を冠しようとしたりしている。
マキャベリは君主による統治を支持していなかった。その逆に、共和制という統治形態を強く支持していた。それでも、彼は、「王の自由と安全を支える数多くの優れた制度」を備えた「秩序ある(well-ordered)」フランス王国の美点さえも称賛していたほどだ。したがって、彼の著作の中で『君主論』はある種の異色作と言える。その理由の1つは、『君主論』がある意味で「失敗に終わった就職活動」の一環として書かれたものだからだ。マキャベリはフィレンツェの新たなメディチ家政権の覚えをめでたくしようと(そしてかつての公職に復帰しようと)してこの本を執筆した。それゆえ、『君主論』はロレンツォ・デ・メディチ(おそらく彼自身は一度もこの本を読まなかっただろう)へのへつらいに満ちた献辞から始まっている。
しかし、もしマキャベリが現代に生きていたとしたら、気まぐれで自己中心的な権力者による支配よりも秩序ある共和制の方が望ましいことの好例として、ドナルド・トランプを挙げるのではないだろうか。それどころか、彼は自身の名著の改訂版にトランプを登場させ、「君主がなすべきではないこと」を示す典型的な事例として取り上げるかもしれない。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。彼は、現代世界を理解・展望する上で不可欠な主要概念を解説する5部構成のニューズレター・シリーズ『新しい地政学(The New Geopolitics)』著者。Blueskyアカウント:@stephenwalt.bsky.social Xアカウント:@stephenwalt
(貼り付け終わり)
(終わり)

『世界は「宗教戦争」に突入した 「神に選ばれた」支配者の使命と論理』

シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』













