古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:イギリス

 古村治彦です。

1945年2月4日から11日にかけて行われた、アメリカのフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、ソヴィエト連邦のヨシフ・スターリン書記長が参加して、戦争の結末と戦後世界の行方について話し合いが行われた。戦後世界の構造が決定された重要な首脳会談であった。

日本関係で言えば、ソ連が対日参戦し、千島列島を含む地域をソ連が獲得するということが決定された。ヨーロッパ関係で言えば、ポーランドの国境線が西寄りに設定され、東ヨーロッパ諸国をソ連が実質的に支配すること、共産ブロックに含まれるということが決定された。ソ連は東ヨーロッパを緩衝地帯とすることで、西欧列強からの侵略を防ぐことができるという安心感を得ることができた。

 重要なことは、これらの重要な事項をアメリカ、イギリス、ソ連で決めたということだ。そこにはフランスは入っていない。フランスはドイツに敗れた時点で、列強の地位から脱落しているということになる。これこそが大国間政治(great-power politics)ということである。これらの大国が世界の運命を決め、一国の行く末を決める。決められる弱小国には何の相談もなく、小国の国民の意思など全く考慮されない。これが国際政治の真骨頂だ。

 今回の論稿で重要なのは、指導者個人レヴェルの分析がなされていることだ。国際政治では、個人レヴェル、国内政治レヴェル、国際関係レヴェルの3つの分析のレヴェル(levels of analysis)がある。今回の論稿や個人レヴェル、具体的には、ヤルタ会談に参加したルーズヴェルト、チャーチル、スターリンの考えや行動を分析の中心に据えている。何よりも重要なのは、ルーズヴェルトが瀕死の状態であったということだ。実際に階段から2か月後の4月にルーズヴェルトは死亡した。その状態で世界の運命を決める会談に臨んでいたということは世界にとって大きな不幸であった。そして、ルーズヴェルトは副大統領ハリー・トルーマンを信頼しておらず、彼の抗争を全く伝えていなかった。そのため、トルーマンは何も知らない状態で大統領に昇格することになった。ルーズヴェルトは自身の死後のことまで考えていなかった。チャーチルはイギリスの国力が減退している中で、大国としての矜持を保とうとして、得意の弁舌を駆使し、ソ連のスターリンと対峙したが、気力が充実し、自身の要求貫徹にこだわったスターリンの主張を覆すには至らなかった。チャーチルとスターリンは、自国の利益を第一に考えていたということになる。その点で彼らは交渉しやすかったと言えるだろう。ルーズヴェルトは国際連合や世界の秩序維持について話したが、チャーチルとスターリンも、それぞれの国が何を得られるのかということにしか関心がなかった。それがイギリスの帝国(植民地)の維持であり、東ヨーロッパのソ連の勢力圏入りであった。両国は、戦後ポーランドの体制について対立したが、最終的には米英側が譲歩した。しかし、スターリンの要求も全てが実現するには至らなかった。スターリンとソ連に対する米英両国の信頼は失われていた。

 ルーズヴェルトがより健康であったならば、ヤルタ会談の結果はどうだっただろうかということは今でも話さされることである。歴史に「If」はないというのは常套文句であるが、たとえルーズヴェルトの健康状態がより良かったところで、どこまで結果が変わっていたかというとそれには疑問が残る。

(貼り付けはじめ)

ルーズヴェルト、ヤルタ、そして冷戦の起源(Roosevelt, Yalta, and the Origins of the Cold War

-末期病状のアメリカ大統領がヨーロッパの半分をソ連が支配すると決定した協定についていかに交渉したか。

フィリップ・パイソン・オブライエン筆

2024年9月1日

『フォーリン・ポリシー』

https://foreignpolicy.com/2024/09/01/roosevelt-stalin-yalta-europe-division-soviet-world-war/

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「ヨーロッパのごった煮」と題された漫画で、ヤルタ会談でのルーズヴェルト、スターリン、チャーチルが描かれている。

フランクリン・D・ルーズヴェルト米大統領が1943年末にワシントンに戻ったとき、彼はほとんど働くことができなかった。ルーズヴェルトは、元々が病弱であり、そして運動不足で、酒もタバコも止められず、特にタバコが大好きだった。血圧は危険なレヴェルまで上昇し、冠状動脈疾患も進行していた。彼は、彼の参謀であり、いつも一緒にいたウィリアム・リーヒに、この仕事を続ける体力が自分にあるかどうか分からないと打ち明けたほどだった。

しかし、それから間もなく、ルーズヴェルトは他に選択肢がないと判断した。権力を手放し、戦後の新たな世界秩序の構築において尊敬はされるものの、二の次的な人物になるという見通しは、彼にとってあまりにも恐ろしかった。そして1944年、ルーズヴェルトは国際関係史上最も利己的な選択をすることになるが、これは非常に自己中心的であり、歴史家たちは未だにこの問題に言及することを避けている。

ルーズヴェルトは、死にかけながら大統領選に出馬することを決めただけでなく、副大統領候補を、自分が好きでもなく、打ち解けることもなく、自分の後を継いで大統領になる準備も一切していない人物に変更することに決めたのだ。ルーズヴェルトは、現職のヘンリー・ウォレス副大統領が左翼的すぎると見られていることを懸念し、より穏健なハリー・トルーマンを副大統領候補に選んだ。政治的には賢明な選択だった。トルーマンは、ミズーリ州出身で、ルーズヴェルトの貴族的な存在感をうまく引き立てる政治的庶民感覚を持っていた。トルーマンは、急進的なウォレスに特に魅力を感じなかった中西部と南部で、ルーズヴェルトを助けることができた。

トルーマンは、彼自身の評価では、国際関係の経験がほとんどなかったが、ルーズヴェルトは、トルーマンが何も得られないようにするつもりだった。1944年11月の選挙から1945年4月にルーズヴェルトが死去するまでの間、彼の業務日誌には2人の会談が6回しか記録されていない。ルーズヴェルトは、1945年2月の重要なヤルタ会談などの計画にトルーマンを加えることを積極的に避けていたようだ。ルーズヴェルトは基本的に、この危機において、アメリカと世界を率いることができるのは自分だけであり、だから自分は生きなければならない、と語っていた。もし彼が死んだら、そう、「我が亡き後に洪水よ来たれ(Après moi, le déluge)」だ。

その理由は、ルーズヴェルトが戦後世界についての具体的なヴィジョンを書き記すことも、議論することもほとんどなかったからだ。ルーズヴェルトは通常、「4人の警察官(four policemen)」-イギリス、中国、ソ連、アメリカを通じて秩序を保つという広範で不定形な概念で人々を幻惑し、国際連合(United States)の創設について希望的観測を語ったが、難しい質問に答えることは避けた。

戦争終結後、アメリカ軍はヨーロッパに永久に駐留するのか? ドイツは永久に分割されるべきなのか? ソ連との軍事同盟は継続されるのか、もしそうなら、アメリカは、ソ連の東欧支配を受け入れるのか? アジアと太平洋における戦後処理はどうなるのか? オランダやフランスのようなヨーロッパ帝国は再建を許されるのか? アメリカ軍はかつて日本が占領していた地域に入るだろうか? 混沌とした政治状況にある中国は、どのようにして世界の警察官の一人となるのだろうか?

もしルーズヴェルトが、これらの質問に対する明確な答えを持っていたとしても、ルーズヴェルトはそれを自分の胸に秘めていた。リーヒが回顧録で認めているように、「もしルーズヴェルト以外に、アメリカが何を望んでいるのかを知っている人物を見つけられたら、それは驚くべき発見だろうと感じたこともあった」ということであった。

ルーズヴェルトは、アメリカ政府に具体的な戦争の目的と目標を提示することを拒否することで、プロイセンの軍事戦略家カール・フォン・クラウゼヴィッツが提唱した「戦略とは目的、方法、手段を結びつけることである(strategy is the connection between ends, ways, and means)」という公理を嘲笑していた。ルーズヴェルトは、どの戦争指導者よりも、方法と手段については明確な考えを持っていた。それは、兵士ではなく、空と海の力と多くの機械で戦争を戦うことであった。しかし、それらは目的から切り離されているように見えた。目的とは、彼がその時々に望むものだった。

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1944年のモスクワ訪問で、英首相ウィンストン・チャーチル(左)がヨシフ・スターリンと歩く

ルーズヴェルトが戦後、アメリカにとって何を望むかについて、いろいろな意味で秘密主義を強めていたとすれば、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは直接的であることを厭わなかった。ルーズヴェルトは安全保障と強靭さを求めており、無定形な国際保証や国際理解よりも直接的な支配を好んだ。スターリンは、優雅(airy-fairy)に見えるルーズヴェルトの考えから離れ、ソ連の独裁者は直接支配への希望を明確にした。

スターリンが最も明晰になったのは、おそらく1944年10月、モスクワでウィンストン・チャーチル英首相と二人きりで会談したときだろう。チャーチルとスターリンは、しばしばアヴェレル・ハリマン駐ソ連大使も同席した公式会談では、ルーズヴェルト的概念に基づく和平を模索しているふりをしようとしていた。しかし、二人きりになると、二人の態度は違った。

ある晩、二人きりの会話の中で、二人は未来に目を向け、アメリカの影響力のないヨーロッパについて語った。その結果、有名な「パーセンテージ協定(Percentages Agreement)」が結ばれ、チャーチルとスターリンはこの地域を利益圏(spheres of interest)に分割した。

この合意は、スターリンとチャーチルがどのように交渉を進めたかったかを、おそらく最も忠実に表している。ルーズヴェルトと比べれば、彼らには戦争に対するより具体的な目的があったことは確かだ。チャーチルにとっては、大国としてのイギリスとその帝国の維持であった。スターリンにとっては、東欧、中欧、南欧におけるソ連の最大限の拡大だった。どちらも、ルーズヴェルトの国際親善と協力(international goodwill and cooperation)という概念にあまり時間を割いていなかった。

パーセンテージ協定もまた、政治的かつ個人的な夢物語だった。ルーズヴェルトは政治的な理由からこのような協定に同意するはずもなく、3人は戦後のヨーロッパと世界にとってより実行可能な枠組みを考案するために集まる必要があった。チャーチルとスターリンの極めて具体的な戦略目標と、ルーズヴェルトの無定形な戦略目標を調和させる必要があった。

この違いの結果は、1945年2月4日から2月11日までクリミアで開催された、戦争中の全ての大戦略会議(grand-strategic meetings)の中で最も物議を醸したヤルタ会議、コードネーム「アルゴナウト(Argonaut)」となった。

今日に至るまで、ヤルタ会談は、何が合意されたのか、より正確に言えば、3人の主役が何に合意したと考えていたのかについて、激しい議論を巻き起こしている。ある意味、問題は会議そのものではなく、その結論は当時ビッグスリーの誰にとっても「決定的(definitive)」なものではなかった。

本当の問題は、ルーズヴェルトがほどなく死去したことであり、ルーズヴェルトは自分が行った取引の真意を極秘にしていたため、トルーマンは結局、ルーズヴェルトの意図を推測するしかなかった。

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左から:チャーチル、ルーズヴェルト、そしてヨシフ・スターリン(1945年2月のヤルタ会談での交渉の後)

ヤルタ会談開催の頃までには、アメリカ大統領は終わりに近づいていた。1944年の再選を目指し、わずかなエネルギーも使い果たしていた。選挙運動には比較的わずかしか顔を出さなかったが、選挙が終わると、持続的な仕事はできなくなっていた。ルーズヴェルト大統領の本当の状態はアメリカ国民には知らされていなかった。1945年1月20日の大統領就任式など、公の場に姿を見せなければならないときは、ホワイトハウスに担ぎ込まれる前に数分間だけ話をした。

ルーズヴェルトがヤルタに到着する頃には、彼の体調は更に悪化していた。体重はさらに減り、目の下には大きく膨らんだ黒いクマができており、常に休息を必要としていた。1944年8月のケベック会議で最後にルーズヴェルトを見た、イギリス代表団の何人かは、この短期間でのルーズヴェルトの衰えにショックを受けた。チャーチルの秘書の1人は、ルーズヴェルトを見て「この世の人とは思えない(was hardly in this world at all)」と言った。

スターリンは元気だった。首脳会談までに、ロシア軍はベルリンから100マイルも離れていないオーデル川に到達していた。いったん再編成し、次の攻撃のために休息を取れば、ドイツの首都は陥落することは確実だった。ヤルタ会談前にポーランドの大部分を征服したことは、スターリンにとって今後の会談で非常に有利に働いた。彼は、どのようなポーランドを建設したいかの構想を持っており、妥協する気はなかった。

ヤルタ会談の主役はルーズヴェルトとスターリンだった。この頃、イギリスには、アメリカやソ連に自国の要求を呑ませるだけの軍事力も財政力もなかった。スターリンはまだ武器貸与プログラム(lend-lease program)によるアメリカの支援を必要としており、ドイツが敗北した後の太平洋戦争への参加を熱望していた。ルーズヴェルトは、世界平和の保証として、戦後も何らかの形で米ソ戦時同盟(U.S.–Soviet wartime alliance)の継続を画策していた。

首脳たちと最側近のアドヴァイザーたちによる最初の全体会議では、戦争に勝利しようとしているという事実が祝われた。それは、ヨーロッパにおける戦争の軍事的概観であり、アドルフ・ヒトラーのドイツが必然的に粉砕されたことを物語るものだった。指導者それぞれが互いの軍のパフォーマンスを称賛し、戦争の最終段階における緊密な連携について語った。

軍事的な概要が明らかになると、指導者たちは戦後の世界に目を向けた。スターリンは、大国政治(great-power politics)について、未来を決めるのはこの3人であり、小国の意見に耳を傾けることに時間を費やすべきではないという見解を述べた。ルーズヴェルトはスターリンを支持し、「大国はより大きな責任を負っており、和平はこのテーブルについた三大国によって書かれるべきだ(the Great Powers bore the greater responsibility and that the peace should be written by the Three Powers represented at this table)」という意見に同意した。

しかし、チャーチルには居心地が悪かった。スターリンと対立して、真っ向から反論するつもりはなく、代わりに、大英帝国に対するチャーチルのヴィジョンが、この見解にどのように適合するかは決して明確にしなかったが、小国の意見に耳を傾け、ある程度の謙虚さを示すことが大国の義務であると主張した。スターリンはそれを面白がったようで、次の選挙で負けるかもしれないと言ってチャーチルをからかい始めた。

会議の残りの時間は、ビッグスリーが世界の他の国々の運命を決定し、その大部分は友好的に行われた。ドイツについては、主にドイツを解体すべきかどうかで意見が分かれた。反対していたスターリンは、そのような決定を将来まで先送りすることを望んだ。実際、そのような決定を先延ばしにするのは簡単だった。重要な第一歩であるドイツの明確な占領区域への分割は既に行われていたからだ。

この話し合いで最も興味深かったのは、ルーズヴェルトがアメリカ軍は、2年以上はヨーロッパに駐留しないと主張したことだろう。それを聞いたチャーチルは、今こそフランスに強力な軍隊を増強すべきだと答えた。スターリンは、それは構わないが、フランスにはドイツの支配について大きな発言権を与えるべきではないと主張した。

ヤルタ会談で決着したもう1つの大きな問題は、ソ連の対日参戦(Soviet entry into the war against Japan)だった。春にはドイツに勝利することが決まっていたため、スターリンは崩壊する日本からできるだけ多くの戦利品(spoils)を奪おうと躍起になっていた。この時点で、アメリカは日本を倒すためにロシアの助けなど必要ないことを十分承知していたが、スターリンはそれを、以前の誓約を果たすためという枠にはめた。

自縄自縛に陥ったルーズヴェルトは、スターリンの援助をありがたく受け入れるしかなかった。もちろん、スターリンには代償が用意されていた。最終合意では、ソ連は南サハリン、千島列島、中国の大連港の支配権(ソ連から大連港までの鉄道を含む)を手に入れることになる。

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ロックフェラーセンターに掲揚されている連合国の各国の国旗が半旗になっている(1945年4月13日)

翌日は、新しい国際連合についての議論から始まった。スターリンもチャーチルも、自分たちにはそれほど関心がなかったとしても、ルーズヴェルトにとってそれがいかに重要であるかを理解していたようだ。スターリンは、前年8月から10月にかけてワシントンのダンバートン・オークス邸宅で開催された会議で作成された国連機構の概要を読んでいなかったことを認めた。

そして、ポーランドの運命が持ち出され、会場の緊張は高まった。ポーランドの問題は、ある意味では単純であり、ある意味では基本的に難解であった。ポーランドは戦後、国家として再興されるが、その国境はずっと西にあるという合意があった。ルーズヴェルトとチャーチルは、ヒトラーとの汚い取引で確保したポーランドの東半分をスターリンが保持し、その代わりに新生ポーランドがドイツ東部の大部分を与えられることを受け入れた。

ポーランドの将来の政治構造は全く別の問題だった。アメリカとイギリスは戦前のポーランド亡命政府をロンドンに認めていた。スターリンは、戦前のポーランドの手によるソ連軍の敗北を思い出し、直ちにルブリン委員会(Lublin Committee)と呼ばれる新しい共産主義政府の樹立に動いた。

ロンドンか、ルブリンか、どちらのポーランド政府が統治するかという問題は、ヤルタの大きな対立点(confrontation)となった。この問題が最初に持ち上がったとき、ルーズヴェルトは会議全体を通じて最も長い演説を行った。持てる力を振り絞り、普段の理性的で魅力的な自分を演出しようとしたルーズヴェルトは、強い親ソ派を含む5つの異なる政党の代表からなる複数政党による暫定大統領評議会の設立を提案した。この組織が、新しい選挙が行われるまでポーランドを統治することになる。チャーチルは、いつものように雄弁に、自由で独立したポーランドをさらに力強く訴えた。「チャーチルは、「ポーランドが自分の家の主人となり、自分の魂の支配者となることが、英政府の切なる願いである」と述べた。

スターリンは、ルーズヴェルトの魅力やチャーチルの雄弁など気にも留めなかっただろう。この時点でスターリンは、東ヨーロッパにおける自らの優越(supremacy)が米英両国に認められたと計算していた。彼は、ポーランドの運命が「戦略的安全保障(strategic security)」の問題であり、ポーランドがソ連と国境を接する国であるからというだけでなく、歴史を通じてポーランドがロシアへの攻撃の通路であった」と述べた。

そして、スターリンはナイフを深く突き刺した。彼もまた、民主的なポーランドを望んでいた。彼の見る限り、ルブリン・ポーランド政府は自由で効率的な統治を行っており、しかも赤軍の後方地域の安全確保とパトロールに貢献していた。ところが、ロンドン・ポーランド政府は、この調和を終わらせ、ソ連戦線の背後で反乱を起こす恐れがあった。要するに、彼らはヒトラーの仕事を代わりにしていたということになる。

スターリンは「ルブリン政府の工作員がやったこととロンドン政府の工作員がやったことを比較すると、前者は良くて、後者は悪いことが分かる。私たちは後方に平和を与えてくれる政府を支持するつもりであり、軍人としてそれ以外のことはできなかった」と述べスターリンは鉄槌(gauntlet)を下し、議論は何日も続いたが、変わることはなかった。赤軍はポーランドに進駐し、スターリンは赤軍を指揮し、ルブリン政府に権力を握らせ、戦前のポーランド国家からのいかなる影響も容認しなかった。ルーズヴェルトとチャーチルは、スターリンの条件を受け入れるか、あるいは同盟を破棄するかという、ほとんど不可能な窮地に立たされた。首脳3人全員が分かっていたように、スターリンにポーランド政府の構成を変更させることは不可能だった。

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ヤルタ会談で会談するスターリンとルーズヴェルト(1945年2月)

しかし、ルーズヴェルトは試してみることを決心した。翌日、彼らがこの問題に戻ると、彼はスターリンをなだめるためにロンドン政府をすべて切り捨てることから始めた。ルーズヴェルトは、ルブリン政府は何があっても力を持つだろうと理解し、新しい臨時政府の樹立を協議するために、ルブリン政府と他の政党からなる委員会を半分ずつ設置し、バランスをとることだけを提案した。

スターリンは失速し、それが延々と続いた。ルーズヴェルトはスターリンに私信を送り、ポーランドには多党制の民主的な政府が誕生することをアメリカ国民に伝えてもらえれば国内にとって大きな助けになると懇願した。

たとえルーズヴェルトが、スターリンが自らの選択と条件で政権を樹立しようとしていることを理解していたとしても、ルーズヴェルトが国内でそのような政治的ニーズを抱いていることをスターリンが理解できなかったことは、彼の戦略家としての進化がそこまでしか進んでいなかったことを示している。スターリンは、ルーズヴェルトが本当にアメリカ連邦議会や有権者、その他の権威に答える必要があるとは思えなかった。

これはスターリンがいかに全てを台無しにしようとしていたかを示すものだった。ドイツ軍の侵攻以来、彼が機転を利かせて行動してきたのは、生き残るために現実的な面が偏執的な面を抑えてきたからだとすれば、戦争が終結し勝利が確実となったとき、昔の偏執的なスターリンが姿を現したということになる。スターリンには、ルーズヴェルトが融通を利かせるというサインを本当に望んでいることが理解できなかった。

ルーズヴェルトは会議の残りの時間についてスターリンに圧力をかけたが、最終的にスターリンはほんのわずかな譲歩しかしなかった。スターリンは、資本主義政府は実際には民主的ではないという暗黙の指摘とともに、ルブリン政府は真の民主政治体制を代表していると既に述べていたため、これにはほとんど何の意味もなかった。

ポーランドに関するこの合意は、ソ連の東欧支配の基本的枠組みを確立した歴史的なものだった。赤軍が支配するところでは、スターリンは自分の利益に合う政府を樹立するためにやりたい放題だった。

ルーズヴェルトは、この侮辱を個人的に受け止めたが、他にどうすればいいのか分からなかった。ルーズヴェルトは、病気がちで、闘い続けるには疲れきっていた。彼が真実を認めた相手は、会議のほとんど全ての時間をルーズヴェルトと過ごしたリーヒだった。ポーランドで合意された文言は基本的にスターリンのやりたい放題を許すものだとリーヒがコメントしたとき、ルーズヴェルトにできたのは譲歩することだけだった。

彼には他のことをする力がなかった。ルーズヴェルトは「それは分かっている、ビル、でももう戦うには疲れたんだ」と述べた。
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1944年8月、ワシントンのホワイトハウスで会食をするハリー・トルーマンとルーズヴェルト

ヤルタ会談が終わるまでには、スターリンは満足せざるを得なかった。わずか4年足らずの間に、彼の国際的立場は一変し、その変化の多くは彼自身の行動に責任があった。ヒトラーを助けることで、結果としてソ連を攻撃されるという自分が作り出した災難から、米英両国に東欧支配を受け入れさせるまで押し戻したのだ。スターリンは今や、帝政ロシアがかつて支配していた以上の領土の領主であり支配者であった。その過程で、彼は米英両国の援助を使って力をつけ、世界最大の軍隊を作り上げた。第二次世界大戦の初期、スターリンは、最悪の大戦略家(the worst of the grand strategists)だったが、ヤルタ会談の頃には間違いなく最高の戦略家になっていた。

その後、スターリンは自分が成し遂げたことを全て破壊すると脅した。ヤルタ以後、スターリンは米英両国との協力関係を装うことからさえも遠ざかり始めた。彼の以前の戦略的成功は、同盟国、特にルーズヴェルトのニーズに合わせて行動を調整することで、ダイナミックな状況に実質的に対応する能力から生まれたものだった。しかし今、彼は公然と東ヨーロッパを従属させ始め、ルーズヴェルトやチャーチルの必要性にはリップサービスすら行わなくなった。

スターリンは、ルーズヴェルトに対して、常に示していた配慮と機転をもって接することさえ止めた。彼は、ドイツの収容所から解放されたアメリカ人捕虜の世話をするためにポーランドにアメリカ人将校を入国させることを拒否し、アメリカ大統領を深く侮辱した。間もなく、スターリンはさらに踏み込むことになる。スターリンは、ルーズヴェルトがヒトラーと土壇場で取引をすることで自分を裏切ろうとしていると、奇妙な言葉で非難したのだ。

これは、スターリンがルーズヴェルトに対して行ったのと同じくらい侮辱的な告発だった。スターリンの頭の中では、ルーズヴェルトはスターリンに歩み寄ろうとしていたのであり、スターリンがルーズヴェルトを極悪非道な裏切り者として非難したことは、ルーズヴェルトの心に深く突き刺さった。ルーズヴェルトはついに我慢の限界に達したようで、1945年3月、スターリンに対する彼の態度は大きく変化した。ルーズヴェルトのスターリンに対する最後の電報は、戦争期間において、もっとも厳しく、率直なものだった。

ポーランドに関する長い電報の中で、ルーズヴェルトは基本的に、ヤルタでスターリンが自分に嘘をつき、ルブリン委員会に他の要素を入れることを拒否したと非難した。「私は、このことが私たちの合意にも、私たちの話し合いにも合致しない」と述べている。

チャーチルは、ルーズヴェルトの強い口調を喜んだ。イギリスの指導者チャーチルは、ヤルタ会談について嫌悪感を抱き、ルーズヴェルトにスターリンに対する「断固とした、露骨な態度(firm and blunt stand)」をとるよう迫った。事態は対決(confrontation)の様相を呈していた。

そして4月12日、ルーズヴェルトはジョージア州ウォームスプリングスの屋敷で再び休暇を取っていた。

アメリカの政策は、トルーマンの手に委ねられたが、トルーマンはルーズヴェルトが本当は何を達成したかったのか、どのように達成するつもりだったのか、まったく知らなかった。その後の3年間、トルーマンは、無知(ignorance)であったために、スターリンの戦略的な行き過ぎと失策(Stalin’s strategic overreach and blundering)と相まって、ルーズヴェルトが常に避けたいと望んでいた冷戦を生み出すことになる。

※フィリップ・パイソン・オブライエン:セントアンドリュース大学戦略学教授。最新刊に『戦略家たち:チャーチル、スターリン、ルーズヴェルト、ムッソリーニ、そして、ヒトラー-いかにして戦争が彼らを形作り、いかにして彼らが戦争を形作ったか(The Strategists: Churchill, Stalin, Roosevelt, Mussolini, and Hitler—How War Made Them and How They Made War)』がある。ツイッターアカウント:@PhillipsPOBrien

(貼り付け終わり)

(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 2024年7月4日のイギリスの総選挙で、労働党が地滑り的な勝利を収め、キア・スターマー党首が首相となった。イギリスの総選挙は、労働党の勝利というよりも、保守党の自滅という面が強い。度重なるスキャンダルにインフレ対策の失敗といった面で国民から愛想をつかされた。また、保革二大政党制であったイギリスでも第三党が存在感を増しており、そのために、二大政党の得票率が大きく下がっている。全体で見れば、労働党は前回選挙と得票率は変わらなかったが、保守党はほぼ半減となり、自由民主党、スコットランド国民党、リフォームUKといった諸政党が存在感を増す結果となった。

 イギリスの労働党の勝利を、進歩主義派・左派・リベラル勢力(社会民主勢力)と位置づけ、世界各国のこうした勢力にとっての勝利のモデルとなるというのが下の論稿の著者の主張である。私は、労働党が勝利したというよりも、保守党が勝手に躓いたという考えであるので、世界的に通じるモデルケースになるとは考えていない。論稿の著者は各国の左派勢力に対する教訓を次のように述べている。

(貼り付けはじめ)

「まず、文化戦争の問題は、ほとんどの有権者にとって中心的な動機ではない。あらゆる主要な文化戦争問題に関して、労働党は保守党ほど人気のない立場にある。しかし、住宅ローン金利が2%から5%に上昇すると、「問題は経済なんだよ、愚か者」ということになる。進歩主義者はポピュリスト右派の非難を恐れる必要はない。有権者はより賢明な答えを必要としている。

第二に、ルール違反や汚職とみなされる行為は有権者にとって強力な動機となり、世界各国での世論調査がこれを証明している。進歩主義派は、利益相反、企業ロビー活動、世界の世界都市の最高級不動産の海外の国富を横領している政治家たちによる買い占め、そして政治的支配によって存在する新興独占企業への対処に対して、より強力な路線を必要としている。そうすることでポピュリスト右翼に真っ向から対抗することになる。

第三に、左翼のオンライン空間におけるアイデンティティ政治の優位性は、この形態の政治に対する国民の理解や関心と一致していない。階級は理解されるが、交差性は理解されない。階級は、様々な場所の進歩主義者にとって最も重要な境界線である場合もあれば、そうでない場合もある。しかし、進歩主義者が勝つためには、上流・中産階級以外の出身で、幻滅し取り残されたと感じている人々の心に響く、生きた経験を持つメッセンジャーが必要だ。つまり、アメリカの民主党にはアンジェラ・レイナーが必要なのである」

(貼り付け終わり)

 教訓としては、経済問題を重視すること(特に人々の生活に関連する)、腐敗やルール違反に対する断固とした態度、中流階級より下の階級出身者へのアピールができる個人的体験を持つ政治家の出現ということになる。日本で考えれば、立憲民主党に対する教区員ということになるが、物価高や国民負担率の増大への対処のための効果的な政策を訴えること、自民党の裏金問題に端を発する現在の与党への不信感の受け皿になることということは考えられやすい。立憲民主党の執行部や幹部の政治家たちに若い人は少なく、また、キア・スターマーやアンジェラ・レイナーのようなタイプはいない。頭が良くて人生の苦労をあまりしていないようなエリートタイプが揃っている。この点が、立憲民主党にとって、これから改善し、アピールしていくポイントということになるだろう。しかし、イギリス労働党の勝利がそのまま世界的な左派リベラル派の躍進の流れにつながるということはないだろうと私は考えている。

(貼り付けはじめ)

世界の左派にとってイギリス労働党の勝利が意味すること(What a U.K. Labour Win Means for the Global Left

-キア・スターマーの勝利はイギリスのイメージを大きく返るだろう。そして、世界中の社会民主主義者を元気づける可能性がある。

マイク・ハリス筆

2024年7月2日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/07/02/uk-election-labour-keir-starmer-sunak-class-supermajority-social-democracy-global-left/
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2022年9月24日、リヴァプールでの遊説の後に支持者たちを写真を撮るキア・スターマー労働党党首

私は世間話が苦手なので、大きな話をしたい。2022年後半、私はキア・スターマーと数人のアドバイザーたちとの個人的な会合の際に次のように言った。「あなたはおそらく、地球上のあらゆる議会の中で、最大多数を占める社会民主主義の指導者になるだろう。どんな感じか?」

スターマー氏の側近たちは苛立ちの表情を浮かべた。一方、イギリスの次期首相になる可能性が高かったスターマーは一瞬話を止めて、話題を逸らそうとした。そして、「何事も当然だと思ってはいけない(We can’t take anything for granted)」と語った。労働党の総選挙キャンペーンの非公式のモットーとなっていた。

しかし、スターマーは選挙での大成功に戸惑っているにもかかわらず(彼は本当に謙虚な人物だ)、75日の朝にはスターマーが世界の社会民主主義のスーパーヒーローとして目覚める可能性が高い。議会を持つ主要経済国の唯一の中道左派指導者となる。超多数派(supermajority)を獲得し、世界中の進歩主義者たちにとって大きな希望だ。

歴史的に間違いなく地球上で最も成功した政党である与党保守党は、現在選挙で忘却に直面している。2019年、ボリス・ジョンソンは労働党の中心地、いわゆる赤い壁(red wall)を破壊した。当時の指導者ジェレミー・コービンが政治的過激主義(political extremism)のサイレン音を受け入れた後、労働党はその基盤から切り離され、脱産業化の中心地で崩壊した。コービンは、バトル・オブ・ブリテンの記念式典での国歌斉唱を拒否し、党を財政逼迫の状況に追い込み、金融資産を持つ者たちを怖がらせた。

労働党は赤い壁を取り戻すだけでなく、ロンドンを取り囲む裕福なロンドン通勤者地区や、昔から保守に投票してきた田舎の選挙区など、青い壁(blue wall)で守られてきた、保守の堅固な議席を獲得し、進歩主義者の夢を実現しようとしている。例えば、イースト・ワーシング・アンド・ショアハムは、1780年に初めて保守党が議席を獲得し、それ以来一貫して保守党が支持を受ける選挙区の1つである。世論調査では、労働党がこの議席を獲得する勢いだ。

イギリスで起きていることは、控えめに言っても中道左派政党にとっては異例な現象だ。労働党はイギリス下院の全議席の70%を獲得する可能性があり、この勝利は1997年のトニー・ブレア元労働党党首・首相の選挙での勝利をも上回る可能性があり、あらゆる国の進歩主義派に教訓を与えることになる。政治的に支配的なスターマーは、高い不支持率に直面し統治課題の追求に苦戦しているフランスとドイツのエマニュエル・マクロンとオラフ・ショルツとは対照的に、完全な政治支配を行うリーダーとしてG7に出席することになるだろう。

イギリスでの労働党の勝利は、3つの主要な点で重要となるだろう。それは、進歩主義派が国政選挙でどのように勝利できるかを再検討し、社会民主党が達成できる最高水準を設定することになる。それは、勝利そのものよりも重要になる可能性のある、新しく予想外の方法でイギリスの政治を再構築するだろう。そしてそれは、イギリスに対する外部の認識を一変させ、イギリスとその将来に対する国際的な見方をリセットするだろう。

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ロンドンのダウニング街でボリス・ジョンソン首相の辞任を求めるプラカードを掲げるデモ参加者(2022年4月13日)

イギリスの政治階級がアメリカの政治階級に対して、病的なほどに執着を抱いているにもかかわらず、アメリカの民主党は池の向こう側を見て、労働党の成功から教訓を得るべき時なのかもしれない。

スターマーの成功の一部は、オーストラリア労働党がそうであったように、文化戦争問題(culture war issues)でオメルタ(omertà、神聖なる誓い)を立てたことである。それらの諸問題には、トランスジェンダーの権利、イギリスの植民地支配の過去、移民などが含まれ、イギリスの右派が利用しようとしてきた問題だ。元人権派弁護士であるスターマーは、論争の的となったルワンダからの強制送還計画を廃止することを約束したが、それはより広範な道徳的声明としてではなく、現実的な理由によるものだった。より広い移民問題に関しても、党は非常に慎重な姿勢で臨んでいる。これは確かに勇敢ではないが、うまくいっている。今回の選挙で文化戦争に火をつけようとしたあらゆる試みがあったが、労働党はそれらの争点について、焦点を絞ったままでうまく対応した。

保守党は文化戦争を引き起こそうとしてきているが、イギリスの有権者たちにとってより顕著なのは、力を持った保守党の汚職と規則違反の認識であり、選挙日を賭けるために、インサイダー情報を利用したという、選挙によって選出された政府職員たちが関与する現在のスキャンダルで人々の怒りは頂点に達した。

新型コロナウイルス感染症のパンデミック中に国民保健サーヴィス(National Health ServiceNHS)向けの保護用具の優先契約を含むスキャンダルや、そこでは驚くべき40億ポンド(50億ドル)相当の欠陥のある機器が調達された(一部は与党とつながりのある企業からのものとされている)スキャンダルなどが起きた。その後、ジョンソンとリシ・スナック現首相が新型コロナウイルス時代の法律違反で警察から罰金を科せられた「パーティーゲート(Partygate)」が登場した。同じく元首相デイヴィッド・キャメロンが関与したロビー活動スキャンダルも国民の大きな怒りを引き起こした。エリートのルール破りは、終わりのない文化戦争とは異なり、有権者の怒りに火をつけた。

並行して、労働党はコービン党首下のアイデンティティ政治の一形態(a form of identity politics)から、階級について非常に積極的な立場(a very proactive position on class)へと方向転換した。スターマーは自身の貧しい生い立ちをイギリスの選挙戦の表舞台に据え、イギリス社会の「階級の天井(class ceiling)」について誠実に語った。スターマーが純資産8億2200万ドルで、民主政治体制国家の指導者の中で最も裕福な指導者となっているスナクと争っていることから、これは特に有権者の共鳴を得ている。

スター魔の定番の演説は次のようなものだ。

「父は工場で工具製造者として働き、母は看護師だった。私たちが育った頃は何もなかった。現在の何百万もの労働者階級の子供たちと同じように、私も生活費の危機(cost-of-living crisis)の中で育った。カーペットがボロボロで窓がひび割れていて、友人たちを家に連れて帰るのが恥ずかしい気持ち、私にはよく分かる。実際のところは、私がサッカーボールを室内で蹴ったのでそのようなことになったので、責任は私にあるのだが」。

このように階級を重視するのは、現代イギリス政治においては異例なことだ。実際、最近の労働党指導者たち、ブレアからゴードン・ブラウン、エド・ミリバンド、コービンに至るまで、様々な点でイギリス労働者階級の部外者だった。ブレアとコービンは比較的裕福な(そして私立学校教育を受けた)生い立ちで、ブラウンとミリバンドは中産階級出身だった。 -階級的背景、そして部分的には、ミリバンドの父親はこの国で最も著名なマルクス主義学者の一人だった。保守党にとって、食料品店の娘だった首相の時代はとうの昔に過ぎ去った。キャメロンとジョンソンは、2年違いで同じエリート私立学校 (イートン校) に通っていた。それだけではない。彼らは同じ大学(オックスフォード大学)に通い、同じプライベート・ダイニング・クラブ [private dining club](最も特権的な人々のための)のメンバーだった。

スターマーは階級政治(class politics)を重視しており、それがうまく機能している。ほとんどの商品やサーヴィス(20%)に適用されるのと同じ付加価値税を私立学校の授業料に課すという約束は、子供を私立学校に通わせている、イギリスの親の6%である非常に裕福な人々からの怒りの爆発につながった。 スターマーにとって有利なことは、私立学校で教育を受けた人たちは保守派に投票する傾向があることが多い。一方、私立学校の税収を州立学校の94%の子供たちの教育に投資するという労働党の公約は、一般の有権者からの支持を集めている。

この階級重視の取り組みにより、他国では右派や極右に囚われてしまった有権者のグループを取り戻した。労働党は現在、得票率の38~42%で労働者階級の有権者の間でリードしており、保守党の22~24%とは対照的である。学歴が最も低い層については、50歳以上を除く全ての年齢カテゴリーで労働党がリードしている。

労働党とイギリス労働者階級との再関与を推進した立役者の1人が、副首相就任を目前に控えているアンジェラ・レイナーだ。レイナーは労働者階級出身であり、16歳で母親になり、37歳で祖母になった。自分の意見にとらわれず、強いお酒を好んで悪びれることのない喫煙者である彼女は、労働組合運動を通じて急速に手腕を発揮し、名前を上げていった。労働党の下院議員選挙候補者になるまで介護施設で働いていた。ライナーの物語は、優れた人々を議会政治に昇格させる方法についての教訓だ。彼女の成功は彼女自身のものだが、組合が彼女を育て、組合員は彼女を副リーダーとして支持した。彼女には真のスターとしての力があり、アメリカの民主党支配層の上層部には彼女のような人は事実上存在しない。

驚くべきことに、階級の側面はイングランドの中間階級を疎外していないように見える。幻滅した郊外派(surbubanites)や中道リベラル派(centrist liberals)は、ますます急進的で機能不全に陥っているように見える保守党によって切り捨てられてきた。スターマーの元首席検察官としての経歴と、正式には「サー・キアー」と呼ばれるナイト爵位は、保守党がポピュリスト右派の主張を悪びれることなく受け入れ、その支持を高めているのと同じように、スターマーに幅広い魅力を与えている。

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2022年10月24日、保守党党首選の勝者として発表され、レベッカ・パウ議員と同僚たちに迎えられるリシ・スナック(中央、右)

労働党の成功の一部は、保守党政権のここ数年間に起こった組織的な集団的混乱によるものである。保守党は2010年以来、5人の首相を国民に推挙してきたが、そのうち4人は国民全体ではなく、白人が大半を占める約17万人の男性党員によって選出された。経済成長は貧弱だ。イギリスだけでもNHSの待機リストには800万人近くの人がいる(この国では民間医療の利用は一般的ではない)。そして、刑務所や地方自治体を含む不可欠な公共サーヴィスはシステム失敗の危機に瀕している。

しかし、より根本的な変化が起こっている可能性を示す兆候は存在する。 65歳以上を除く全ての年齢層で労働党がリードしている。就労していれば、労働党に投票する可能性が高くなる。45歳未満の有権者の45%は労働党に投票する可能性が高いが、保守党を支持しているのは10人のうち1人に過ぎない。今回の選挙ではミレニアル世代がイギリス最大の投票層となる。彼らの主要な問題には、壊滅的な気候変動を防ぐ政策(イギリスの政治的スペクトル全体でよく支持されている)、住宅の建設、交通網の改善(特に自家用車を所有していない都市部のミレニアル世代の多く)、および家族寄りの政策が含まれる。これら全てが今回の選挙に影響を及ぼした。

西側諸国の高齢の住宅所有者たちは、ミレニアル世代向けの新築住宅の建設に反対することで、潜在的には世界最大のカルテル(the world’s largest cartel)を運営することに成功している。労働党は、現在持続可能な開発を妨げている計画規制を大幅に緩和することで、イギリスにおけるこうした状況に終止符を打つことに尽力している。

労働は勤労者への課税を排除しているが、不労所得(unearned income)についてはそのような公約はなされていないため、キャピタルゲイン税(capital gains taxes)の引き上げと、地主層を含む大富豪向けの抜け穴を減らすことで税制のバランスを再調整するのではないかという憶測が広がっている。農地は世代間で、非課税で引き継がれる。労働者には地主に対する愛情も無い。ロンドンの不動産市場が世界中の、国富を横領する政治家たち(kleptocrats)による投機的投資によって膨張してきた約20年を経て、外国人による不動産所有に対する新たな制限や新たな税金を求める国民の欲求が高まっている。

労働党はまた、テクノクラート的な実証主義者のエリート(technocratic positivist elite)で囲まれている。このグループには、スターマーの側近と緊密に連携する野心的な知的シンクタンクである「レイバー・トゥゲザー(Labour Together)」と、生命科学と人工知能における国の比較優位に沿ったテクノ未来主義を受け入れているトニー・ブレア研究所(Tony Blair Institute)が含まれる。スターマー政権の下での公共部門改革は、例えばNHSのデータの宝庫(7000万人分)を医療分野の革新を推進するために利用する可能性を想像すれば、重要なものとなる可能性がある。

労働党が未来に焦点を当てているのとはまったく対照的に、高齢化する右派有権者層は現在、保守党と、民間企業、政党、そしてナイジェル・ファラージの個人的なプラットフォームを組み合わせたような手段である、リフォームUKに二分されている。ファラージは、ドナルド・トランプがイギリスの高級な舞台小道具小道具として持ち出した、EU離脱支持(pro-Brexit、プロ・ブレグジット)の政治家とし闊歩している。イギリス議会保守党は既に右傾化している。保守党の議員たちはヨーロッパ人権条約を非難する複数の声明を出しているが、この中の1つの文書は、保守党議員でニュルンベルクのナチス検察官を務めた、デイヴィッド・マクスウェル=ファイフが共同起草した文書だ。この文書は、ウィンストン・チャーチル首相の戦後ヨーロッパに対するヴィジョンに触発された内容となっている。

一方、保守党議員の一部は既に、このほぼ確実な敗北を、党がポピュリスト的右派に十分に軸足を移していなかった証拠としようとしている。右派が分裂したことで、物議を醸すファラージの保守党入りが現実味を帯びてきており、労働党はこの見通しに歓喜している。言うまでもなく、保守党の次期党首が穏健派になる可能性は低い。党が右傾化すれば、ファラージ主義の器(essel for Faragism)となり、トランプ運動の弱いイギリス版となる日も近いかもしれない。

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2022年8月17日、党首選に先立ち、北アイルランドのベルファストで、保守党の候補者スナク(左)とリズ・トラス(右)を描いた壁画の仕上げを行うアーティストのキアラン・ギャラガー

最後に、大きな動き(vibes)がある。英国政治の進歩主義的な描き直しは、イギリスをめぐる物語を変えるだろう。国民の物語は一瞬にして反転する可能性がある。バラク・オバマからドナルド・トランプに至るまで、あるいは中国経済の優位性の思い込みが、習近平国家主席の下での縮小と衰退の感覚に至るまでの、外国人のアメリカに対する認識を考えてみよう。最近の記憶では、イギリスは大西洋中部のどこかに停泊している、かなり安定した政治的に鈍い島だと思われていた。EU離脱、ボリス・ジョンソン、そしてリズ・トラスがそれに終止符を打った。認識されている実際の混乱と反乱を引き起こす右派から進歩主義的な超多数派への移行により、態度は再び変化する可能性がある。

この大きな変化は、英国経済にとって特に重要だ。イギリスは伝統的な大国ではなくなったかもしれないが、依然として国際的にその地位を大きく上回る文化的地位を保っている。イギリスの GDPの6%は、イギリス音楽の成功からプレミアリーグ、急成長する映画やテレビ産業、ファッション、芸術に至るまで、クリエイティブ産業によるものだ。これはドイツの水準の2倍であり、ドイツの自動車生産のドイツ経済全体の貢献(4.5%)よりも大きい。雰囲気(vibes)を売りにし、創造性の輸出に依存しているこの国にとって、ブレグジット(Brexit)と孤立(isolation)は大きなダメージとなっている。

今では忘れ去られて久しいが、1997年から2008年の金融危機までの最後の労働党政権の間、英国はG7の中で最も急速に成長し、クリントンやブッシュ時代のアメリカを上回る経済成長を遂げた。現在停滞している国の経済を考慮すると、次の議会は更に困難になるだろうが、高度にオープンな社会においては、消費者の信頼感と投資家の信頼感の役割を過小評価することはできない。

2019年の総選挙で労働党が歴史的な敗北を喫した後、本誌に掲載した記事の中で、私は次のように書いた。「急進左翼主義(radical leftism)は、政党として服用すれば、翌朝には元に戻るような薬ではない」。私は選挙については正しかったが、翌朝については間違っていた。

労働党がわずか5年で歴史的敗北を歴史的勝利に変えるとは誰も予想していなかった。保守党が直面した状況は異常だったが、スターマーは厳格な党運営、イデオロギーではなく有権者重視、階級に基づく政治の散りばめが社会民主主義政治を活性化できることを示した。

これは他の中道左派政党にとってどのような教訓となるだろうか?

まず、文化戦争の問題は、ほとんどの有権者にとって中心的な動機ではない。あらゆる主要な文化戦争問題に関して、労働党は保守党ほど人気のない立場にある。しかし、住宅ローン金利が2%から5%に上昇すると、「問題は経済なんだよ、愚か者」ということになる。進歩主義者はポピュリスト右派の非難を恐れる必要はない。有権者はより賢明な答えを必要としている。

第二に、ルール違反や汚職とみなされる行為は有権者にとって強力な動機となり、世界各国での世論調査がこれを証明している。進歩主義派は、利益相反、企業ロビー活動、世界の世界都市の最高級不動産の海外の国富を横領している政治家たちによる買い占め、そして政治的支配によって存在する新興独占企業への対処に対して、より強力な路線を必要としている。そうすることでポピュリスト右翼に真っ向から対抗することになる。

第三に、左翼のオンライン空間におけるアイデンティティ政治の優位性は、この形態の政治に対する国民の理解や関心と一致していない。階級は理解されるが、交差性は理解されない。階級は、様々な場所の進歩主義者にとって最も重要な境界線である場合もあれば、そうでない場合もある。しかし、進歩主義者が勝つためには、上流中産階級以外の出身で、幻滅し取り残されたと感じている人々の心に響く、生きた経験を持つメッセンジャーが必要だ。つまり、アメリカの民主党にはアンジェラ・レイナーが必要なのである。

最も重要なことは、社会民主勢力には一度政権を握ると時間的余裕がないということだ。インフラの崩壊、公共サーヴィスの機能不全、生活水準の低下、住宅不足は全て、1960年代後半のアメリカの偉大なる社会プログラム(Great Society programs)や、イギリスの同時代の同様の政策以来見られない規模で国家が直接介入することを示している。しかし、勢いを増しているポピュリズム右派によって、更なる挑戦を受けることになるだろう。

ジョー・バイデン米大統領のインフレ抑制法は、ロンドンとブリュッセルで進歩主義派の話題となっており、バイデンの大胆さはもっと評価されるべきだ。超過半数を獲得したスターマーには、より大胆な計画を立てる余地がある。進歩主義的なイギリス政府は、この国に対するヨーロッパ人の見方をリセットするだけでなく、成功すれば、緊縮財政(austerity)と財政化(fiscalization 訳者註:税務上の金融取引を電子的に登録するプロセス)は、経済成長や社会の安定を生み出さないという欧州内の進歩的な議論を助けることができる。

スターマーの勝利は、世界の社会民主勢力にとって、裕福な民主政体国家における選挙での成功への最高水準となるだろう。スターマーにとっての課題は、スターマーにとっての挑戦は、多くの危機的状況が同時に起きている(polycrisis)時代における信じられないほどの希望の重さである。労働党が成長を実現し、住宅を建設し、賃金を引き上げることに成功すれば、他の国でも真似できる、そして真似すべき青写真を提供することになる。

※マイク・ハリス:世界的な通信機関である「89up」 の最高経営責任者であり、元労働党議員 3人の議会顧問を務めていた。ロンドンのルイシャム地区評議会の労働党副委員長でもあった。ツイッターアカウント:@mjrharris

(貼り付け終わり)

(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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 古村治彦です。

 イギリスの総選挙の投開票が実施され、労働党が圧倒的な議席を獲得し、14年ぶりに政権交代となった。保守党は歴史的な惨敗を喫した。中道派の自由民主党や右派のリフォームUKは議席を増やした。議席数は労働党が412議席(214議席増)、保守党が121議席(252議席減)、自由民主党が71議席(63議席増)、スコットランド国民党が9議席(37議席減)、リフォームUKが5議席(5議席増)、緑の党が4議席(3議席増)などとなっている。興味深いのは得票率で、労働党は前回とほぼ同じ、保守党は19.9%減、自由民主党も横ばい、リフォームUKは12.3%増となった。得票率が横ばいでも獲得議席数が激増した労働党と自由民主党、得票率は半減だったのに議席減が壊滅的となった保守党、得票率が激増したが議席数には反映されなかったリフォームUKという構図になる。
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 今回の選挙について、労働党が獲得議席数では大勝利ながら、得票率では前回とほぼ同じで、横ばいだったことを考えると、「保守党が自滅した、しかも大規模に」ということになる。このようなことが起きるのは、単純小選挙区制(first-past-the-post voting system)であるからだ。単記非移譲式投票(single non-transferable voteSNTV)と呼ぶこともある。各選挙区の定数は1で、最多得票者が当選者となる。非常にシンプルだ。炭塵小選挙区制では、死票(wasted vote)が多く出るのが特徴で、それが欠点とされる。日本では衆議院選挙で小選挙区制が導入されたが、この時に比例代表での復活も可能な制度が導入された。日本の制度では死票が減少するが、「小選挙区で落選した候補者が復活するのはおかしい」という批判がなされる。完全な比例代表制度(proportional representationPR)を採用している国もあるが、少数政党が乱立し、過半数を握る単一政党が出にくいために、連立政権となり、政治が安定しないという批判もある。完璧な選挙制度は今のところ考え出されていない。
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死票が多く出る

 今回のイギリスの総選挙では、保守党への大きな批判があったのは確かで、それをうまく利用したのが労働党であり、選挙戦術として、勝利の可能性の高い選挙区に集中した自由民主党が勝利を収めたということになる。そして、保守党への不満・批判票はリフォームUKに流れたと推察される。リフォームUKは得票率だけならば、第3位になった。労働党、保守党とリフォームUKの合計得票率は3割超えというところで、拮抗している。リフォームUKが出ていなければ保守党の議席減、労働党の議席増はそこまで大きくなかったと考えられる。私が子供の頃は、アメリカとイギリスは二大政党制と習った。小選挙区制では二大政党以外は勝ち抜くのがなかなか大変だと言われているし、実際そうである。

政治学では、デュヴェルジェの法則(Duverger's law)というものがあり、フランスの政治学者モーリス・デュヴェルジェが主張したものだが、選挙区でM人が選出される場合には、候補者はM+1人になるというものだ。小選挙区制度ではM=1なので、2人が候補者となる。この考えは最初、候補者ではなく、政党数が収れんしていくと主張するもので、小選挙区制度の国では政党数は2つになる、ということになる。昔の日本では中選挙区制(multi-member district)を採用しており、一番大きな選挙区では5人が選出されるとなっていたので、6つの政党が存在できるということになる。55年体制下の日本で考えると、自民党、社会党、公明党、民社党、共産党、社民連が国政政党として存在した。

 イギリスでは第三党、中道の第三勢力を求める動きがあり、自由民主党が一定の勢力を持つことにつながっているようであるが、リフォームUKの出現がどこまで影響を与えるかが注目される。今回の投票率は約60%であり、これはこれまでと比べての低い数字となった。有権者の関心が低かったということもあるだろうが、政治に関する無関心が拡大しているということも考えられる。
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 労働党は大きな議席を得たが、国民生活の改善、物価高の抑制と移民対策、外交政策で成果を出すことが必要で、それがなければ、次の選挙では大敗を喫するということは十分に考えられる。

●イギリスのここ最近の選挙の概略的な結果表示●

■2010年

・保守党306議席(96議席増)36.1%

・労働党258議席(91議席減)29.0%

・自由民主党57議席(議席減)23.0%

■2015年

・保守党330議席(24議席増)36.9%

・労働党232議席(26議席減)30.4%

・スコットランド国民党56議席(50議席増)4.7%

・自由民主党8議席(49議席減)7.9%

■2017年

・保守党317議席(13議席減)42.3%

・労働党262議席(30議席増)40.0%

・スコットランド国民党35議席(21議席減)3.0%

・自由民主党12議席(4議席増)7.4%

■2019年

・保守党365議席(48議席増)43.6%

・労働党202議席(60議席減)32.1%

・スコットランド国民党48議席(13議席増)3.9%

・自由民主党11議席(1議席減)11.6%

■2024年

・保守党121議席(251議席減)23.7%

・労働党411議席(211議席増)32.1パーセント

・自由民主党72議席(64議席増)12.2%

・スコットランド国民党9議席(38議席減)2.5%

・リフォームUK5議席(5議席増)14.3%

(貼り付けはじめ)

イギリス労働党は全国総投票数のわずか34%で選挙において大勝利を収めた(Britain’s Labour pulled off a thumping election victory with just 34% of the national vote

ヴィッキー・マッキ―ヴァー筆

CNBC

2024年7月5日

https://www.cnbc.com/2024/07/05/uk-election-2024-britains-labour-pulled-off-a-thumping-election-victory.html

・イギリス労働党は全国総投票数のわずか34%を獲得し、一方で保守党は約24%を獲得した。

・中道派の自由民主党、右派のリフォームUK、緑の党は一般投票の約43%を獲得したが、確保した議席は総議席数の18%弱にとどまった。

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キア・スターマー英首相と妻ヴィクトリア・スターマーが選挙の結果を受けてダウニング街10番地で労働党の選挙活動参加者や活動家たちに挨拶(イギリスロンドン、2024年7月5日)

ロンドン発。イギリスの労働党が総選挙でイギリス議会の議席で巨大な過半数を勝ち取った。しかし、独特なイギリスの選挙制度では、わずか総投票数の34%で大勝が実現した。

選挙結果によると、野党労働堂は全650議席中412議席を獲得した。残り2議席はまだ結果が判明していない。この議席数は全議席数の約63%を占めることを意味している。しかし、労働党は全「一般」投票(“popular vote”)の僅か34%を獲得しただけだ。一方の保守党は総投票数の約24%を獲得した。

他方、中道派の自由民主党、右派のリフォームUK、緑の党を含む少数政党は合計で約43%の得票となったが、獲得議席は全議席の18%にとどまった。

これは、有権者が国内650の各選挙区の地元リストから候補者を1人だけ選ぶという英国の単純小選挙区制度、「先取り」制度(first past the post” system)が手助けをしているものだ。各選挙区で最も多くの票を獲得した人物が、イギリスの下院である庶民院(the House of Commons)議員に選出される。通常、下院で最も多くの議席を獲得した政党が新政府を樹立し、その党首が首相になる。

他の投票システムとは異なり、第2ラウンドや、第1候補者と第2候補者の順位付けはない。これは、小規模政党が一般投票の増加したシェアを議席につなげることが難しいことを意味する

アクサ・インベストメント・マネージャーズのG7担当エコノミストのガブリエラ・ディケンズは金曜日に発表したメモの中で、今回の選挙は「一般投票の3分の1強で過半数を大きく超える議席が得られたため、政治制度に対する警告サインとなった」と述べた。

彼女は、今回の選挙の投票率は60%にとどまったことを指摘している。これは、投票率が59.4%に低下した2001年に次いで、1918年以降、2番目に低い投票率だ。2019年の投票率から7.6%低下した。これは「広範な政治的断絶(broader political disconnect)」を示しているとディケンズは述べた。

ディケンズは「労働党の過半数を大きく超えての大勝は、労働党の人気復活によるものというよりも、私たちの投票システムの持つ特殊性と、票の分散とスコットランド国民党(Scottish National PartySNP)の崩壊の相互作用の結果である」と述べた。

そうは言っても、ディケンズは「投票はより一般的に左にシフトした」と付け加えた。

「労働党政権が今後5年間統治し、経済成長、投資、個人の実質所得を回復させることができれば、彼らは、将来的に真の改善が見られる立場に立つだろう」とディケンズは語った。

一方、パンテオン・マルコ・エコノミクスのイギリス担当首席エコノミストのロブ・ウッドは、投資家たちは「投票シェア、右派リフォームUKの結果、政治的忠誠を転換しようとする有権者の意欲がどのように政策に反映されるのかをよく吟味する必要がある」と述べた。

ナイジェル・ファラージ率いるリフォームUK党は一般投票の14%を獲得したが、確保した議席はわずか4議席だった。

ウッドは「通常、今回の労働党が獲得した過半数よりも大幅な議席数があれば、複数期の政権を保証することになるだろう。しかし、投票動向を考慮すると、スターマーの過半数は通常ほど安全であるとは言えない」と述べた。

ウッドは、労働党は「約束した変化を実現できることを証明するために、政策変更に迅速に取り組む必要があるだろう」と述べている。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 古村治彦です。

 21世紀に入り、世界の構造は大きく変化しつつある。第二次世界大戦後の20世紀の後半は、アメリカとソ連がそれぞれ、資本主義ブロックと共産主義ブロックを率いて、対立する、冷戦(Cold War)の下で、二極(bipolar)構造となっていた。その後、ソ連が崩壊し、アメリカの一極(unipolar)支配構造となっている。21世紀に入り、中国をはじめとする非西側諸国、BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)の台頭もあり、米中二極構造へと変化しつつある。これを「新冷戦」(New Cold War)と呼ぶ人たちもいる。
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ゴードン・ブラウン

 こうした状況下、アメリカ一国だけでは対処しきれない国際的な問題が多く発生している。アメリカは西側諸国を巻き込んで、問題への対応を行おうとしているが、西側諸国だけでも無理な問題が多い。そこで、中国との関係を再構築すべきだというのが、下記の論稿の著者ゴードン・ブラウン元英首相の主張だ。米中関係が緊張をはらむ中で、それでも国際問題を解決するためには、協力する必要がある。そのための枠組みを構築する必要がある。冷戦期、 米ソ両国は厳しく対立したが、同時に協力できる分野では協力を行った。米中両国間もそのような関係となるべきだ。そうすることで、米中両国間が戦争となることを阻止することもできる。

(貼り付けはじめ)

新しい多極主義(A New Multilateralism

-アメリカは自らが作り上げたグローバルな制度を如何にして再生させることができるか。

ゴードン・ブラウン筆

2023年9月11日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/09/11/us-china-russia-multilateralism-diplomacy-alliances-trade/

「アメリカは戻ってきた」。これは、2021年2月のミュンヘン安全保障会議で、最近のアメリカ大統領の中で最も国際主義者(internationalist)であるジョー・バイデン米大統領が語ったメッセージである。バイデンは、「多国間行動を調整する切実な必要性(dire need to coordinate multilateral action)」があると宣言した。しかし、二国間協定や地域協定に固執し、グローバルな協調行動(globally coordinated action)を犠牲にする、バイデン政権は、国際機関の可能性を過小評価し、安定した管理されたグローバライゼイションの可能性を損なっている。新たな多極主義(multilateralism)が生まれなければ、10年間にわたる世界的な混乱は避けられないだろう。

もちろん、最大の皮肉は、国際通貨基金(International Monetary FundIMF)や世界銀行から国連に至るまで、世界の卓越した多国間機関は全て、第二次世界大戦の直後にアメリカによって創設されたということだ。アメリカのリーダーシップを通じて、これらの機関は平和の実現、貧困の削減、健康状態の改善に貢献してきた。現在、アメリカは孤立しており、世界秩序の亀裂は深い谷になりつつあり、世界的な課題に対する世界的な解決策を策定できていない。

ウクライナ戦争の責任はウラジーミル・プーティン大統領以外にはない。この戦争は、アメリカの名誉のために言っておくと、ヨーロッパ全体を団結させた。しかし、他の地域では、世界は自ら招いた傷に苦しんでいる。増大する債務への対処の失敗、低所得および中所得のアフリカを苦しめる飢餓と貧困、新型コロナウイルス感染拡大への公平な対応の調整能力の欠如、そして最大の存亡の危機である気候変動に対処するための資金の確保の行き詰まりなどだ。これらの危機は、発展途上国を混乱させるだけでなく、主導権を握れなかった西側諸国に怒りを抱かせている。

国際社会が行ったことは、どれも中途半端で、たいていは遅すぎた。ワクチン不足で人々が亡くなり、食糧不足で人々が飢え、気候変動とそれに続く大惨事への無策で人々が苦しむのを放置してきた。国連の人道支援(humanitarian aid)や世界食糧計画を見ればわかるが、どちらも今年必要な資金の半分にも満たない額しか受け取っていない。世界銀行による貧困国への資金援助は今年、来年と削減され、人的資本介入(human capital interventions)に気候変動投資を追加するよう求める声が高まっている。

アメリカの指導者たちは、古いアプローチが機能しないことを認識したことは評価に値する。かつては支配的だった、ワシントン・コンセンサス(Washington Consensus)は、ワシントンをはじめ、現在はほとんど支持されていない。経済学者のラリー・サマーズが「政権の哲学を最も注意深く知的に展開した説明(most carefully intellectually developed exposition of the administration’s philosophy)」と的確に評した4月の演説で、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官は、崩れつつあるパルテノン神殿のような世界構造を非難した。むしろ、持続可能な鉄鋼・アルミニウムに関する世界協定、インド太平洋繁栄経済枠組、米州経済繁栄パートナーシップなど、対象を絞り、精密に誘導された行動のほうが有望だと考えた。サリヴァンは、世界銀行(ジャネット・イエレン米財務長官が演説でこのテーマを取り上げているにもかかわらず)や世界貿易機関(World Trade OrganizationWTO)の改革の必要性については軽く触れただけで、IMF、国連、世界保健機関(World Health OrganizationWHO)についてはまったく触れなかった。そして、2009年にG20と名付けられた国際経済協力の主要なフォーラムは、名前を挙げる価値すら認めなかった。

サリヴァンの総合政策は、アメリカが経済の方向性を決める上で安全保障を決定的な要素にする必要性が高まっていることを認識した、現代の産業政策(industrial policy)に関する声明として、非難の余地はない。しかし、サリヴァンの発言は「国際経済政策(international economic policy)」の声明として事前に宣伝されており、国内産業政策だけに関するものではない。この点で何かが欠けていた。アメリカの国際関係に関するこの包括的な演説は、管理されたグローバル化の計画には至らなかった。国際協力を強化するために設立されてほぼ80年になる世界機関の誰もが認めるリーダーであるアメリカは、その重要性と改革の可能性に関する真剣な議論から姿を消しているようだ。そして、貿易戦争(trade wars)が技術戦争(technology wars)や資本戦争(capital wars)になり、競合する世界システム(competing global systems)を特徴とする新しい種類の経済冷戦にさらに陥る恐れがある中、一般的に一極世界(unipolar world)において、多国間主義的(multilateralist)だったアメリカは、多極世界(multipolar world.)での一国主義(unilateralism)に近づいている。

国際政策を、地域的および二国間関係の単なる合計に還元することはできない。世界的金融危機(global financial crisis)が再び起こったらどうなるか? 世界的伝染病が再び起こったらどうなるか? 干ばつ、洪水、火災により、講じるべき世界的な対策が明らかになった場合はどうなるか? かつて、ロナルド・レーガン米大統領がソ連の指導者ミハイル・ゴルバチョフに語ったように、小惑星が地球に向かって猛スピードで接近してきたらどうなるか?

嵐の海に浮かぶ船には安定した錨が必要だが、今日ではそれが存在しない。かつて、世界はアメリカの覇権(hegemony)によって錨を下ろしていた。そうした一極主義の時代は過ぎ去った。しかし一極主義の時代の後には多極主義の時代がやってきて、多極主義の錨が必要となる。この錨とそれがもたらす安定性は、改革された多国間制度の上に築かれなければならない。実際、グローバルアーキテクチャ(global architecture)のこのような見直しこそが、今やグローバルでもリベラルでも秩序でもないグローバルなリベラル秩序を修復し、統治されていない空間の無人地帯をもたらした地政学的不足を克服する唯一の方法である。

多国間改革アジェンダがなおさら重要なのは、専門家たちが思い描く代替的な世界秩序(alternative world orders)がほとんど包括的でなく、したがって実現不可能だからである。アメリカ主導の自由貿易圏は、そこから排除された人々だけでなく、より保護主義的な米連邦議会からも反対される可能性が高い。民主政治体制諸国の連合は、定義上、ルワンダやバングラデシュからシンガポールやサウジアラビアに至るまでのアメリカの同盟諸国を排除しなければならないが、ワシントンはそれを嫌がるだろう。また、1815年以降のヨーロッパの協調(Concert of Europe)に似た列強の協調(Concert of Great Powers)、あるいはアメリカと中国だけからなるG2も、世界の他の190余りの国のほとんどから怒りの反応を引き起こすだろう。こうした排他的なクラブは、規模の大小を問わず、世界に必要な安定をもたらすことはなく、活力を取り戻した多国間システムの方が、「一つの世界、二つのシステム(one world, two systems)」の未来への傾斜を食い止めるはるかに良い方法となる。

​​中国の習近平国家主席は、地政学的な力の移行(shifts in geopolitical power)から北京が得られる利益をよく理解している。アメリカが多国間主義から二国間主義と地域主義(regionalism)に移行したのと同様に、中国は独自の新しい包括的アイデアを世界の舞台に持ち込んだ。

10年前、中国は、149カ国を誘致することに成功した一帯一路構想(Belt and Road Initiative)や、ヨーロッパの大半、イギリス、カナダを含む106カ国を擁するアジアインフラ投資銀行[Asian Infrastructure Investment Bank](アメリカは参加を拒否しており、自国が主導しないクラブには参加しないという印象を与えている)などの、公然と地域的な構造に焦点を当てていた。

これに勢いづいて、中国の焦点は、新たな開発銀行やブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカのBRICSグループを含む共同国際イニシアチヴ(joint international initiatives)に移った。現在、中国は世界に進出し、大胆な名前の「グローバル安全保障イニシアチヴ(Global Security Initiative)」と「グローバル文明イニシアチヴ(Global Civilization Initiative)」で独自に活動している。犯罪、テロ、国内安全保障に関する共同行動に焦点を当てたこれらのイニシアチヴは、中国が最初の完全に独立したグローバルプログラムであるグローバル開発イニシアチヴ(Global Development InitiativeGDI)の成功例に続くものである。これら3つの介入は、より大きな仕組みで、実際はそうではないとしても、レトリックにおいては、間違いなくより構造化され、野心的である。合計で約60カ国が既に、グローバル開発イニシアチヴのグループに加わっている。ドーン・C・マーフィーの著書『グローバルサウスにおける中国の台頭(China’s Rise in the Global South)』で詳述されているように、中国はこれらのグローバルイニシアチヴを利用して、いつか競合する世界秩序(competing global order)になり得る勢力圏(spheres of influence)を構築している。

そして、この中国の世界規模での関与の急増は、中国からの一時的なプロパガンダではなく、習近平主席の永続的な取り組みであり、政治的野心の意図的な表示であり、中国を国際秩序の真の守護者として示す試みである。サウジアラビアとイランの間で外交関係を回復し、イエメン戦争を終わらせる可能性のある合意を仲介したばかりの習近平主席は、ロシアのウクライナ戦争を終わらせるための和平提案を推進するのに十分な勇気を既に持っており、言うまでもなく、二国家によるイスラエルとパレスチナの和平解決において中国が主導的な役割を果たすという噂も流れている。これらは全て、国連憲章(U.N. Charter)の遵守という傘の下で行われている。

もちろん、細かい点もある。中国は国連憲章の領土保全(territorial integrity)と加盟国の内政不干渉(noninterference)の約束を支持しているが、憲章やその後の国連決議の人権、保護責任、自決(self-determination)の原則に焦点を当てた部分については何も語っておらず、国際司法裁判所や国際刑事裁判所、あるいは例えば国連海洋法条約の判決を支持することもほとんどない。

論理的な反応は明らかだ。アメリカはこれ以上後退するのではなく、新たな多国間主義を擁護することで変化する世界秩序に対応しなければならない。これは、アメリカの揺るぎない覇権を前提とし、同盟諸国やアメリカの同盟国になりたがっている国々(suitors)に指示することで維持できた古いハブ・アンド・スポーク型の多国間主義(hub-and-spoke multilateralism)ではない。命令(dictation)ではなく説得(persuasion)によって力づけられ、世界経済の現実に基づいた新たな多国間主義は、アメリカが再び主導する可能性のある国際機関の改革を通じて人々を団結させるだろう。

ワシントンはまだ、習近平が「1世紀の間でも見られなかった大変革(great changes unseen in a century)」と呼ぶ、パックス・アメリカーナ(Pax Americana)がもはや存在しない、分裂し分断された世界を作り出そうとしている、3つの地政学的シフトの規模とパワーを、十分に理解していない。そして、そのような世界でも、気候変動、パンデミック、金融不安、過度の不平等から生じる混乱と闘うためには、世界的な公共財の提供に依然として注意を払う必要がある。

もちろん、最初の地殻変動は、少なくともホワイトハウスの国内的野心に影響を与える限り、サリバヴァン補佐官も認識している。 30年間支配的だった新自由主義経済は、オープンではあるが十分に包括的ではなかったグローバライゼイションを引き起こした。世界の半数がより高い生活水準を享受していたが、アメリカと西側諸国の多くが停滞していた経済秩序は、国家が安全保障の観点から経済的自己利益を再定義するにつれて、新重商主義経済学に取って代わられつつある。今では回復力が、効率性を求める昔の欲求に勝ります。供給の保証はコストに勝る。そして「万が一に備えて(just in case)」は「間に合わせに(just in time)」よりも重要だ。かつては、経済が政治を動かしていたが、世界中を巻き込んでいる貿易、テクノロジー、投資、データ保護主義が証明しているように、現在は政治が経済を動かしている。

2つ目のシフトは、ワシントンではあまり理解されていない。政策立案者たちは、単極世界(unipolar world)の30年間の確実性が多極世界(multipolar world)の不確実性に取って代わられつつある中、その影響を十分に認識できていない。もちろん、これは、3つ以上の国が同等の力と地位を持っているという狭義の「多極(multipolar)」と表現できる世界ではない。したがって、専門家の一部は、依然として「部分的な一極(partial unipolarity)」が存在すると結論付けている。むしろ、多極化とは、複数の権力の中心地が競合する世界を意味し、将来の世界におけるアメリカの関係に多大な影響を与える。私たちは、このことが、世界の半分、つまりほとんどの非西側諸国(non-Western countries)が、ロシアとの戦争でウクライナを支援することに劇的な形で働いているのを目にしてきた。モスクワへの制裁に参加しているのはわずか30カ国程度だ。アシュリー・J・テリスの著書『非対称性の攻撃(Striking Asymmetries)』で説明されているように、複数プレイヤーグループの成長を反映する多極性のより脅威に関する尺度は、核兵器の拡散の可能性だ。イランが核兵器を確保すれば、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、トルコ、エジプトはいずれも核武装を目指す可能性が高い。そして、中国の核兵器保有量が2035年までに約400発から1500発以上に拡大する中、韓国と日本が自ら核保有国にならないためには、アメリカからのより決定的な保証が必要となるだろう。おそらくもっと憂慮すべきは、中国の力の増大にますます懸念を強めているインドが、インドで最も信頼できる兵器の収量が中国の100分の1であることを考えると、信頼できる熱核兵器設計の取得を目指していることだ。これら全ては、より致死性の高い核兵器を求めるパキスタンと中国との関係の深化という形で、別の種類のドミノ効果を引き起こす危険性がある。

主に新自由主義と一極から、1つの覇権国家と1つの覇権的な世界観からの脱却の結果として、第三の地殻変動が進行中である。過去20年間の大部分を特徴づけたハイパーグローバライゼイション(hyperglobalization)は、新しい種類のグローバライゼイションに取って代わられている。貿易は依然として拡大している(以前のように世界経済拡大は2倍の速度ではないが、それに歩調を合わせている)ため、これは脱グローバル化(deglobalization)ではない。実際、世界の商品貿易は2022年に記録的な水準に達した。デジタルサーヴィスにおける世界のサプライチェーンは、2025年から2022年の間に年間平均8.1%で成長しましたが、これは5.6%であったのに対し、カタツムリのペースで進むグローバル化、「スローバライゼイション」ですらない。商品の場合。デジタルサーヴィスの世界輸出は2022年に3兆8000億ドルに達し、輸出サーヴィス全体の54%を占めた。会計、法律、医学、教育などの専門職が分離されているため、現在世界のどこからでも提供できる技術サーヴィスの多くは、コールセンター業務と同様にオフショアリング(offshoring)されることになる。「グローバライゼイション重視(globalization-heavy)」、つまり貿易によるグローバライゼイションが自国の国民の暮らしを良くするだろうという思い込みは、「グローバライゼイション軽視(globalization-lite)」、つまり、貿易を制限する方が国民の生活水準を守るより良い保証になるかもしれないという考えに取って代わられている。

この3つの激変を底支えしている共通項があり、それがこれらの新たな動きをまとめているように見える。それは、ナショナリズムの復活(resurgent of nationalism)であり、世界的な自国第一主義運動(country-first movements worldwide)に最もよく反映されている。バイデンの「バイ・アメリカ」というラベルでさえ、トランプ政権時代の「アメリカ・ファースト」の水増しヴァージョンであり、アメリカの経済ナショナリズムを薄めることはできないようだ。

それは、国境管理の強化、関税の強化、移民制限の強化だけでなく、関税戦争、テクノロジー戦争、投資戦争、産業補助金戦争、データ戦争によっても特徴付けられるナショナリズムだ。世界的には、内戦(civil wars)が増加し(その数は約55件)、分離主義運動(secessionist movements)が増加し(約60件)、物理的に国を隔てる壁やフェンス(more walls and fences physically separating countries)が増えています(2019年時点で70件、1990年の4倍以上)。

この復活したナショナリズムは更に攻撃的な形で表現されている。ますます多くの政府や国民が、「私たちと彼ら(us and them)」、つまり、内部の人間と外部の人間との間の闘争の観点から考えるようになってきている。この偏狭で啓発されていない自己利益(narrow and not enlightened self-interest)への新たな焦点は、地球規模の課題に対処するために国際協力(international cooperation)が最も必要とされているまさにその時に、国際協力を犠牲にして行われた。

断片化には経済的なコストもある。WTOの研究者たちは、国際貿易が減少し、専門化と規模から得られる利益が減少する「1世界2制度(one world, two systems)」の未来では、長期的には実質所得が少なくとも、5%減少すると試算している。低所得国は所得が12%減少し、更に大きな打撃を受けることになり、中所得国や高所得国との融合という期待は損なわれることになる。IMFも同様の調査を行っており、貿易の細分化による世界的な損失は、GDPの0.2から7%に及ぶ可能性があると示唆している。技術的なデカップリング(decoupling)を考慮すると、コストが高くなる可能性がある。考えてみて欲しい。1970年代と1980年代には、アメリカとソ連間の貿易は両国の貿易総額の約1% にとどまっていたが、現在では、中国との貿易はアメリカの16.5%EUの貿易の約20%を占めている。

これらの地殻変動による地政学的な影響により、世界は流動的、あるいは更に悪いことに、亀裂が生じ、分裂の危機に瀕している。私たちに固定的な忠誠心と揺るぎない同盟関係をもたらした古い世界的構造は、緊張に晒されている。新たな世界的な道筋が敷かれ、古い同盟関係が再評価されているが、特筆すべき例外としては、アメリカが大西洋横断安全保障協力(trans-Atlantic security cooperation)を復活させた拡大NATOexpanded NATO)がある。サリヴァンは現在、G20ではなくG7を「自由世界の運営委員会(steering committee of the free world)」と見なしている。しかし、それでは G180+は感動せず、表現されていないと感じている。そして、他の長期にわたる関係にも緊張がかかり、地政学的な状況には不規則で重なり合い、競合する取り決めが点在している。人々を団結させる新たな計画がなければ、セメントが固まるまでに私たちは10年間の混乱に直面することになる。

既に一極の束縛から解放された国々は、大国との距離を享受し、それを美徳としており、シンガポールを拠点とする学者ダニー・クアが「第三国家機関(Third Nation agency)」と呼ぶものを実践している。多くの場合、一時的な同盟だ。ゴールドマン・サックスのジャレッド・コーエンは、これらの国々を忠誠心が風前の灯火となっている、「スイングステイト(swing sates)」だと表現した。彼らは、インドのオブザーバー研究財団の理事長サミール・サランが「有限責任パートナーシップ(limited liability partnerships)」と名付けたものを形成することを好むが、これは、それ自体、政治学者がミニラテリズム(minilateralism)と呼んでいるものとは異なる形態であり、各国がグループとして集まり、目的を達成することを目的とするものではない。長期的な共通の目標は追求するが、短期的な経済的利益や安全保障上の利益は追求しない。

インドを例に挙げてみよう。インドは現在、ヒンズー教ナショナリズム(Hindu-nationalism)、権威主義(authoritarianism)、宗教的不寛容(religious intolerance)を支持する指導者によって統治されている。しかし、インドとアメリカが共有する価値観、つまり民主政治体制と信教の自由への支持が弱まるにつれ、両国の共有する物質的利益、特に中国との関係は今のところ強くなっている。インドのナレンドラ・モディ首相は、アジアにおける中国の影響力拡大を懸念しながらも、アメリカとロシアを互いに相手にし、武器契約や有利な貿易協定をめぐって両国を争わせている。

次にインドネシアについてだ。ジャカルタが主要な鉱物資源であるニッケルを管理する中、資源ナショナリズム(resource nationalism)が議題となっている。しかし、インドネシアの資源ナショナリズムは、ニッケルだけでなく銅やその他の鉱物の主要購入者同士が対立することも意味する。あるいは、サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などの国々が、アメリカ、中国、ロシアの全く異なる利益を利用して、アメリカのインド太平洋への軸足を利用している中東について考えてみよう。

しかし、一度限りの貿易・安全保障協定や、敵対味方の関係で国家を獲得できるのは今のところ限られている。彼らの経済の将来は、その時々の都合に合わせた場当たり的で日和見的な取引よりも、安定した国際システムに依存している。各国はそれぞれ異なる理由から、古い日和見主義(opportunism)ではなく、新たな多国間主義を必要としている。

アフリカには、鉱物資源だけでなく、未開拓の市場や労働力、そしてアフリカの関与なしには気候危機に対処し克服することはできないという認識からもたらされる新たな交渉力がある。改革された多国間システムの中心に、アフリカを近づけること(G20でのより大きな役割、世界銀行とIMFでの代表強化、新たな気候変動金融の受益者)は、大陸全域に国々を強制するよりも優れた、より永続的な解決策である。中国、ロシア、アメリカのいずれかを選択する。

実際のところ、これらの各ブロックは、ヨーロッパと同様に、国際機関を通じた多国間調整から恩恵を受けるだろう。ヨーロッパ各国には、理由は異なるにせよ、中国との貿易を維持したい理由がある。ドイツは製造業の輸出を維持するため、フランスは戦略的自律性(strategic autonomy)の考えを推進するため、東ヨーロッパは一帯一路構想への依存のため、イベリア諸国はラテンアメリカとのつながりがあるため、最大の貿易相手国との関係を断つことを望んでいないため、ヨーロッパもアメリカと中国の間で圧迫されることを望んでいない。そして、アメリカは中国を穏健にするために、ヨーロッパを必要とし、中国もヨーロッパを使って、アメリカを穏健にする必要があるため、ヨーロッパはおそらく認識しているよりも多国間主義を擁護する強い立場にある。

より安定した多国間主義を促進することは、アフリカ、中東、ヨーロッパだけの利益ではない。世界的により効果的になるためには、アメリカが自ら創設し主導してきた国際機関に対する偏見を失うことから始めなければならない。それはなぜか? それは、古いヴァージョンのパックス・アメリカーナの誘惑は、もはや世界の他の国々をアメリカの力に応じるように誘惑するほど強力ではないからだ。しかし、アメリカを中心とした新たな多国間主義であれば、その可能性はある。それが十分な理由でないとすれば、中国の世界安全保障抗争は、ワシントンにとって警鐘を鳴らすものであり、二国間や地域的な構想にとどまらない手を差し伸べるよう呼びかけるものとなるだろう。

私が長年かけて気づいたことは、例えば、IMFや世界銀行の理事会において新興諸国の経済力の向上を認識し、これらの機関の資本を増強するために改革が緊急に必要とされているときでさえ、アメリカには、「物事を先延ばしにする(dragging its feet)」習慣があるということだ。世界的な制度を刷新し、国連での膠着状態を終わらせるよう求める声が、イギリスなどの最も近い同盟国からも高まっているにもかかわらず、ワシントンが沈黙していることがあまりにも多く、その理由はほぼ確実に、一極世界の考え方が定着してからもずっと存続していることである。時代錯誤的で、素朴ですらある。ほとんどの加盟国が痛感しているように、根本的な改革を先行させなければ、このような制度は発展しない。しかし、今日、アメリカには、そのような改革を進める力を持っていない。

このことについて考えてみて欲しい。アメリカがあまりにもしばしば一極時代の古い考え方に囚われているため、バラク・オバマ政権が中国を封じ込めるために創設した貿易協定そのものである環太平洋経済連携協定(Trans-Pacific PartnershipTPP)から離脱した。アメリカが中国を排除することを構想していたグループが現在、中国を参加させるよう圧力を受けているのは実に皮肉である。太平洋に軸足を移したアメリカが、大陸最大の貿易パートナーシップの一部となるのは理にかなっている。しかし、自らが設立し管理していないクラブには加盟しないという印象を与え続けている。そして、その同じ一国主義的な考え方が、対アフガニスタン連合を形成した同盟諸国との実質的な協議なしに命令されたアフガニスタン撤退の失敗につながった。

アメリカは自らを空売りしている。一極世界を主導した国は、同盟国に属国(vassals)であるかのように命令を下すのではなく、同盟国として説得することで、多極世界でも主導することができる。協力の力によってのみ、アメリカが多国間秩序(multilateral order)を擁護し、各国に多国間秩序の支持を求めるという、不可能なことを企てること(square the circle)ができる。ワシントンは、もはや首尾よく押し付けることができなくなっても、首尾よく提案することができる。そしてもしそうすれば、世界の大半が今もリーダーシップを期待しており、今後もリーダーシップを発揮したいと望んでいる国アメリカは、活性化した多国間主義のもとに世界の大多数を結集できる唯一の国となるだろうし、そうするだろう。グローバルな機関を通じて、グローバルな問題に対するグローバルな解決策を提供する。

2つの結論が導き出される。アメリカは世界中で同盟を構築し、各国を参加させるのに時間がかかる必要がある。慇懃なる無視(benign neglect、訳者註:通貨当局が為替相場の変動を静観すること)は問題の無害な説明である。たとえば、過去100年間に米大統領が訪問したのはアフリカ54カ国中、20カ国に届かない。私たちは彼らにレッテルを貼るのではなく、昔ながらの陳腐なレンズを通して彼らを見るのではなく、対等な立場で彼らの話を聞き、彼らとの共通の原因を見つけなければならない。私たちは、西側諸国が発展途上国に説教するだけではなく、共通の世界的大義のパートナーとしてサインアップしなければならない世界について考える必要がある。

そして第二に、もしアメリカが、自らが創設に大きな役割を果たした国際機関への歴史的な支持を新たにすれば、中国のハッタリは通用しなくなるだろう。そうなれば、習近平は、国連、IMFWTOWHOへの支持を含む国際秩序を守るか、自身の世界安全保障構想が真実ではなくプロパガンダに基づいていることを認めるかのどちらかを迫られることになる。

「新世界秩序(new world orders)」の歴史的な運命は、読んでいて憂鬱になることが多い。

1815年、1918年、1945年の新世界秩序は、世界構造の変化が戦争や崩壊の後にのみ起こる傾向があることを示している。実際、1990年は米大統領ジョージ・HW・ブッシュ大統領によって歓迎された。ブッシュ大統領は、冷戦の終結とともに「新世界秩序(new world order)」の始まりを宣言した。実際には、それは歴史が十分に決定的な方向に転換しなかった転換点だった。ドイツはドイツの統一を望み、ドイツのことだけを考えていたと主張することもできるだろう。フランスはヨーロッパの統一を通じてドイツを封じ込めたいと考えており、フランスのことだけを考えていた。そして、アメリカはNATOとその指導力を維持したいと考えており、アメリカのことだけを考えていると主張した。屈辱を与えられたロシアは決して新世界秩序に組み込まれることはなかった。そして、変化が議題に上っているこの瞬間に、中国、インド、そして発展途上国が将来果たす役割についてはほとんど考慮されていなかった。

気候変動や私たちが経験している地殻変動(seismic shifts)に始まり、私たちが現在直面している存在にかかわる課題は、私たちの足元で岩盤が変化し(bedrock shifts)、国際的な枠組みが再び作り直されなければ衰退してしまうという、まれな世界的瞬間を生み出している。1940年代に組み立てられた国際構造は、より経済的に統合され、より社会的に相互接続され、地政学的に相互依存する(geopolitically interdependent)世界において、世界的な相互依存(global interdependence)によって、全ての国の独立が認められる2020年代のニーズに合わせて再考されなければならない。全く新しいパルテノン神殿を建設することはできないかもしれないが、アクロポリスの廃墟でキャンプをすることを避ける方法を見つけなければならない。それを避けるためには、変化が伴わなければならない。

金融危機の波及(financial contagion)が常にリスクとなり、グローバルサプライチェーンがかつてないほど国や大陸を結びつけている世界では、各国を従来のように、つまり各国が単独で十分な存在として見ることはできない。むしろ、ネットワークと関係の網の一部として見るべきであり、一国からの波及効果が他の国に壊滅的な影響を及ぼす可能性がある。したがって、IMF はもはや、個々の国が国際収支危機に陥ったときに行動を起こすのを待つ機関ではなく、危機の予防と解決に携わらなければならない。そして、将来の不況を未然に防ぐために、IMF のグローバル監視部門は、金融安定理事会および国際決済銀行(Bank for International Settlements)と協力して強化され、世界経済を脅かす全てのリスクの監視と報告を行う必要がある。

世界銀行は、人的資本と環境管理の両方に重点を置くグローバルな公共財銀行にならなければならない。そして、世界銀行がこれらの役割を果たすには、現在の支出の3倍にあたる年間約4500億ドルの資金が必要になるため、活力あふれる、新総裁アジャイ・バンガは改革の過程で、アメリカの支援を必要とするだろう。さらに、株主たちは、銀行の低所得者向け施設と中所得者向け施設の統合、保証、融資、補助金の利用における革新、そして銀行を民間投資を動員するためのプラットフォームとみなすなどの改革に、より多くの資本を割り当てることに同意しなければならない。

1940年代から1990年代にかけて、WTOは合意に基づいて機能し、しばしば苦痛を伴う交渉と不安定な妥協を経てきた。1990年代半ばのWTOの新自由主義的再編以来、そして50年の間で初めて、世界貿易協定は成立していない。そして、広く尊敬されている事務局長のンゴジ・オコンジョ=イウェアラの下では、最も規制の少ない貿易分野、つまりサーヴィス、データ、情報技術全般を扱うには、外交と改革された控訴制度への更なる重点化が不可欠となるだろう。そして、インターネットだけでなく、人工知能における自由奔放(free-for-all)の危険性から生じる規制や倫理的な問題に対処するために、新たな国際的枠組みを構築しなければならないだろう。

新型コロナウイルス感染拡大の余波の中で、アメリカの中規模病院3つに相当する予算を持つWHOを真剣に検討する者なら、今や、拡大し続けるリスクリストに立ち向かうために十分な資金が不可欠であることを過小評価することはできない。G20は他の175カ国をより代表するようになり、年次会合の合間にも存在できる適切な事務局を設立し、世界の最貧地域で相互に関連する危機にもっと注意を払う必要がある。

そして、国連は進化しなければならない。ロシアが、独占的な安全保障理事会内で戦争犯罪、大量虐殺、人道に対する罪を処罰することを含む、全ての問題で拒否権(veto)を握っている限り、国連全体が無力化される(frozen into inaction)可能性がある。拒否権の権限を削減または廃止することで、安全保障理事会を改革できない場合、アメリカは国連総会とその193カ国が、より責任あるリーダーシップを発揮するよう促すべきだ。

少なくとも、アントニオ・グテーレス国連事務総長の熱心なリーダーシップの下、国連の平和維持活動の改革は達成され、世界中で増加する難民や避難民のために年間410億ドル必要でありながら、必要な額の半分以上が支給されることのない人道援助予算をより適切に提供する方法を構築することができる。出発点は、気候変動対策、パンデミックへの備え、人道的取り組みに十分な資金を提供するための負担分担協定をワシントンが提案し、推進することだろう。特に、今年ドバイで開催される国連気候変動会議では、巨額の臨時利益の恩恵を受けている中東の石油産出諸国は、過去および現在の炭素排出諸国に加わり、低・中所得国に必要な緩和と適応に資金提供すべきである。

アメリカのこうした改革アジェンダは、多国間主義を軌道に戻す可能性がある。国際関係論分野の学者たちは、トゥキュディデスの罠(Thucydides trap)についてよく語る。トゥキュディデスの罠は、紀元前5世紀にアテネがスパルタに挑んだのと同じように、台頭する大国が定着した覇権国に挑むというものだ。しかし、スパルタが負けたのはアテネの力によるものではないし、実際の戦争ではスパルタはアテネを破ったということを忘れがちだ。その数年後、アテネより小さな国々がスパルタの覇権を破壊し、スパルタは敗北した。

ますます中国に注意関心を持っているアメリカにとって、ここに教訓がある。しばらくの間、アメリカが最大の競争相手に打ち勝つ能力は計算され、証明される。あまり注目されていないのは、アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、中東におけるアメリカの影響力の喪失による影響である。アメリカは中国との戦いに勝つかもしれないが、そうすることで世界からの支持獲得戦争に負けることになる。

アメリカにとってはるかに良いのは、世界秩序の再構築を主導することであり、この点ではアメリカが最善の策を持っている。ワシントンが世界規模の解決策を必要とする世界規模の問題に十分大胆に立ち向かうことができれば、北京の影響力拡大にそれほど執着する必要はないだろう。その代わりに、中国は決定的な選択に直面することになるだろう。アメリカが望んでいるように、アメリカと協力するか、国際協力や世界機関の重要性について語りながら「中国第一(China first)」政策にしか関心がないことで暴露されるかだ。今日、中国は世界の先導者(global beacon)となるために必要な関心は持っているが、価値観を持っていないように見える。アメリカは価値観を持っているが、現状では十分な関心を持っていない。価値観は一夜にして変わることはないが、利益は変わる。アメリカよ、君たちの番だ。

※ゴードン・ブラウン:イギリス元首相、国連の国際教育特使。ブラウンは、モハメド・A・エラリアン、マイケル・スペンス、リード・リドウと共著で『長期にわたる不安定な状況:破壊された世界の修理計画(Permacrisis: A Plan to Fix a Fractured World)』を執筆した。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。
 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 イランは核兵器保有を目指して、核開発を続けており、それを中東各国は脅威に感じている。特にイスラエル(核兵器を既に保有していると言われている)はその脅威を強く感じている。イスラエルは、1981年にイラクに建設中だった原子力発電所を空爆し、破壊した(オペラ作戦)。イスラエルは自国の核保有を否定も肯定もしない形で、核兵器による優位な立場を堅持してきた。イラン側にすれば、核兵器を持つことで、他国からの攻撃を抑止しようという核抑止力(nuclear deterrence)の獲得を目標にしている。

 国際関係論のネオリアリズムの大家として知らエルケネス・ウォルツ(Kenneth Waltz、1924-2013年、88歳で没)は、最晩年の2000年代に、「核兵器を持つ国が増えれば世界は安定する」という主張をして、論争が起きた。

ウォルツは、核抑止力は安全保障を確保し、他国への攻撃を抑止すると主張した。ウォルツは核抑止が戦争を抑制する要因とし、冷戦時代の成功例を挙げている。ある国が核武装をすると、周辺諸国も追随する可能性があり、そこに核バランスが生まれ、平和的共存を促す可能性もあるとしている。

指導者たちは核兵器を使った際の惨禍については知識があり、そのために核兵器使用は慎重になる。更には、核兵器による反撃があるとなれば、なおさら使用を躊躇する。しかし、人間は完璧ではなく、徹底して合理的な存在でもない。何かの拍子で核兵器発射のボタンを押すことも考えられる。

 こうした考えを敷衍すると、イランが核兵器を持てばイスラエルとの間にバランスが生じて、中東地域は安定するということになる。しかし、同時に核兵器開発競争を中東知己にもたらす可能性もある。核兵器による抑止力がどこまで有効かということを考えると、イスラエルにしても、アメリカにしても、核兵器を保有しているが(保有していると見られる)、通常兵器による攻撃を抑えることはできていない。だからと言って、イスラエルもアメリカも核兵器を使うことはできない。しかし、それは合理的な考えを持っている場合ということになる。どのようなことが起きるか分からない。

 核拡散には「nuclear proliferation」「nuclear spread」の2つの表現がある。どちらも拡散と訳している訳だが、微妙に異なる。「proliferation」は、虫や病原菌が増えることに使う表現であり、「蔓延」と訳した方が実態に即していると思う。「spread」は、ある考えの「拡大」「普及」に使われる。ウォルツは「spread」を使っている。「核不拡散(核拡散防止)条約」は、「Non-Proliferation TreatyNPT」の訳語であるが、これは、「核兵器を持つのは世界政治を動かす諸大国(powers)≒国連安保理常任理事国に限る、それ以外の小国には認めない」という意味も入っている。「合理的に動けない小国に核兵器が蔓延することは危険だ」という考えが基本にある。

 核兵器を所有しても核抑止力が期待できない、そもそも核兵器使用はハードルが高いとなれば、核兵器を所有することのメリットは少ない。あまり意味がない。ケネス・ウォルツも世界中の国々が核兵器を持つべきとは言っていない。これから世界構造が大きく変化していく中で、これまでの核兵器「信仰」は考え直されるべきだろう。

(貼り付けはじめ)

イランが核兵器を保有して以降の時代(The Day After Iran Gets the Bomb

-学者や政策立案者たちは、テヘランが核兵器を獲得した後に何が起こるかを理解しようとして努力している。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2024年5月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/05/14/iran-nuclear-weapon-strategy/

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短・中距離ミサイルの試射中に双眼鏡を覗き込むイランの最高指導者アヤトラ・アリ・ハメネイと当時のイラン軍トップ、ハッサン・フィルーザバディ(2004年9月8日)

イランが核兵器を保有することはあるのか? もしそうなったらどうなるのか? 最初の質問に対する答えは、ますますイエスになりつつあるようだ。しかし、2つ目の疑問の答えは相変わらず不明確である。

イスラム共和国としてのイランは、1979年に国王(シャー、shah)を打倒した革命以来、45年間にわたり、アメリカおよび多くの近隣諸国と対立してきた。アメリカはイラン・イラク戦争中(バグダッドが戦争を始めていたにもかかわらず)サダム・フセインを支援した。紛争)、そして当時のジョージ・W・ブッシュ米大統領はイランを悪名高い「悪の枢軸(axis of evil)」に含めた。バラク・オバマ政権は最終的にイランと核合意を結んだが、イスラエルとも協力して、イランの濃縮インフラに大規模なサイバー攻撃を行った。それに劣らずに、当時のドナルド・トランプ大統領も最終的にはイスラム革命防衛隊コッズ部隊司令官カセム・スレイマニ将軍を殺害する無人機攻撃を承認し、「最大限の圧力(maximum pressure)」プログラムを通じて政権を弱体化させようとした。

イランは、シリアのバシャール・アサド政権を支援し、ロシアや中国に接近し、レバノン、イラク、イエメン、ガザで民兵を武装・訓練することで、こうしたさまざまな活動やその他の活動に対応してきた。また、ラファエル・S・コーエンが最近、『フォーリン・ポリシー』誌で概説したように、イスラエルとイランの秘密戦争は今後も長く続きそうであり、更に悪化する可能性もある。

ここで問題が起こる可能性は明らかだ。1人の著名な国際関係理論家は、それを軽減する明白な方法があると考えた。故ケネス・ウォルツが最後に発表した論文によると、この地域を安定させる最も簡単な方法は、イランが独自の核抑止力(nuclear deterrent)を獲得することだという。うぉるつは、イランが核兵器を保有すれば、イランの安全保障への懸念が軽減され、イランが他国に迷惑をかける理由が減り、地域のライヴァル諸国に対し、不用意に核兵器攻撃につながる可能性のある形でのイランに対する武力行使を自制させることができると主張した。ウィンストン・チャーチルが冷戦初期に述べたように、安定は「恐怖の頑丈な子供」になるだろう(stability would become “the sturdy child of terror.”)。

ウォルツは、基本的な核抑止理論に基づいて、この議論の中心的な論理を説明した。彼の説明がなされた著書は1981年に出版させ、物議を醸した。彼は、無政府状態(anarchy)にある国家は、主に安全保障に関心があるというよく知られた現実主義的な仮定(realist assumption)から説明を始めた。核兵器のない世界では、そのような恐怖はしばしば誤算(miscalculation)、リスクの高い危険な行動(risky behavior)、そして戦争(war)につながる。核兵器は、最も野心的、もしくは攻撃的な指導者でさえも尊重しなければならないレヴェルの破壊力で脅かすことで、この状況を一変させた。ウォルツは核抑止力が究極の安全保障の保証(a nuclear deterrent as the ultimate security guarantee:)となると考えた。賢明な指導者であれば、核武装したライヴァルを征服したり、打倒したりしようとはしないだろう。そうするためには、核攻撃の危険が避けられないからである。自国の複数の都市を失うほどの政治的利益は考えられないし、核兵器による反撃の可能性が低いながらも存在するだけでも、他国の独立に対する直接攻撃を抑止するには十分だろう。核兵器を使った攻撃がどのような影響をもたらすかは、最低限の知性を持った人なら誰でも容易に理解できるため、誤算の可能性は低くなるだろう。したがって、安全な第二攻撃能力(secure second-strike capability)を持つ国家は、自国の生存についてそれほど心配することはなく、国家間の競争は、相互の恐怖(mutual fear)によって(消滅されはしないものの)制約されることになる。

ウォルツは、核抑止力が安全保障競争の全要素を排除するとは示唆しなかった。また、どの国も原爆を持ったほうが良いとか、核兵器の急速な拡散が国際システムにとって良いことになるとも主張しなかった。むしろ、核兵器のゆっくりとした拡散は状況によっては有益である可能性があり、それを阻止するための全面的な努力よりも望ましい可能性さえあると示唆した。ウォルツは、冷戦時代にアメリカとソ連が直接の武力衝突を回避するのに役立ち、インドとパキスタン間の戦争の規模と範囲を縮小させた、エスカレーションに対する相互の恐怖は、戦争を含む他の場所でも同様の抑制効果をもたらすだろうと考えていた。戦争で引き裂かれた中東でも同じだった。

ウォルツの逆張りの立場は多くの批判を呼び、彼のオリジナルの著書は最終的にスタンフォード大学教授のスコット・セーガンとの広範で啓発的な交流につながった。懐疑論者たちは、新たな核保有国は、抑止できない非合理的、あるいは救世主的な指導者によって率いられる可能性があると警告したが、それらが既存の核保有国の指導者たちよりも合理的であったり、用心深かったりするかどうかは決して明らかではない。また、新興核保有国には高度な安全対策や指揮統制手順が欠如しており、そのため兵器が盗難や不正使用に対してより脆弱になるのではないかと懸念する人たちもいた。タカ派の人々は、既存の核保有国で、これまで成功した例がないにもかかわらず、新興核保有国が他国を脅迫したり、侵略の盾(shield for aggression)として核使用をちらつかせて脅迫したりする可能性があると主張した。他の批評家たちは、イランによる核開発により、近隣諸国の一部が追随することになるだろうと予測したが、初期の「拡散カスケード(proliferation cascades)」の証拠はせいぜい複雑だった。

もちろん、アメリカ政府はウォルツの立場を受け入れようと考えたことはなく、もちろんイランのような国に関してもそうではなかった。それどころか、アメリカはほぼ常に他国が自国の核兵器を開発するのを思いとどまらせようとしており、イランがそうするのを阻止するために時間をかけて取り組んできた。民主党所属と共和党所属の歴代大統領は、イランが実際の核爆弾を製造しようとする場合にはあらゆる選択肢がテーブルの上にあると繰り返し述べて、イランに濃縮計画を放棄するよう説得しようとしたが、こうした試みはほぼ失敗に終わり、ますます厳しい経済制裁を課している。バラク・オバマ政権は最終的に、イランの濃縮能力を大幅に縮小し、核物質の備蓄を削減し、イランの残存する核活動の監視を拡大する協定(2015年の包括的共同行動計画[Joint Comprehensive Plan of ActionJCPOA])を交渉した。驚くべき戦略的失敗により、ドナルド・トランプ大統領は2018年に協定を破棄した。その結果はどうなったか? イランはさらに高レヴェルなウラン濃縮を開始し、今では、これまで以上に爆弾の保有に近づいている。

JCPOAとは別に、アメリカ(そしてイスラエル)は、イラン政府に、自国の抑止力なしには安全を確保できないことを説得するために、あらゆることをしてきた。連邦議会はイラン亡命団体への資金提供など、イランを対象とした「民主政治体制促進(democracy promotion)」の取り組みに資金を提供している。アメリカ政府は、関係改善を目指すイランのいくつかの試みを阻止し、ペルシャ湾でイラン海軍と衝突し、イラン政府高官を意図的に暗殺し、イラン国内で一連の秘密活動を行ってきた。アメリカ政府は、この地域における反イラン連合(anti-Iranian coalition)の結成を公然と支持しており、(ロシア、中国、そしてアメリカの同盟諸国のほとんどとは異なり)テヘランとは外交関係を持っていない。イラン政権について誰がどう考えても、そしてイラン政権には嫌な点がたくさんあるが、こうした措置やその他の措置により、イスラエル、パキスタン、北朝鮮を含む他の9カ国が現在享受しているのと同じ抑止力の保護に対するイランの関心が高まっていることは間違いない。

では、なぜイランはまだ核保有の一線を超えていないのか? その答えは誰にも分からない。1つの可能性は、最高指導者アリ・ハメネイ師が核兵器はイスラム教に反しており、一線を越えることは道徳的に間違っていると心から信じているというものだ。私自身はその説明にはあまり興味を持てないが、その可能性を完全に排除することはできない。また、特にイラク、アフガニスタン、リビア、その他数カ所での体制変更(regime change)に向けたアメリカの悲惨な努力について考慮すると、イランの指導者たちは(公の場で何を言おうと)アメリカの直接攻撃や侵略についてそれほど心配していない可能性もある。彼らは、誰がアメリカ大統領になるにしても、そのような経験を追体験したいとは思わないだろうし、特にイラクのほぼ4倍の面積と2倍の人口を有する国イランを相手にしたい訳ではないだろうと認識しているかもしれない。アメリカは危険な敵ではあるが、存在の脅威ではないため、急いで爆弾を使って狙う必要はない。テヘランはまた、実用的な兵器を製造する試みが探知される可能性が高く、イランが多くの犠牲を払って構築した核インフラを、アメリカやイスラエル(あるいはその両方)に容易に攻撃されてしまう可能性がある限り、予防戦争(preemptive war)の脅威によって抑止される可能性がある。緊急の必要がなく、状況が好ましくない場合、イランにとっては核拡散ラインのこちら側に留まる方が理にかなっている。

アメリカやその他の国々が事態をこのまま維持したいのであれば、イランが兵器保有能力を回避し続ければイランは攻撃されないという保証と、ライン突破の試みによって起こり得る結果についての警告を組み合わせる必要がある。イスラエルとイランの間の秘密戦争を鎮圧することも同様に役立つだろうが、ネタニヤフ政権がその道を選択したり、バイデン政権からそうするよう大きな圧力に直面したりすることは想像しにくい。

私の頭を悩ましていることがある。現在の敵意のレヴェルが続くなら、イランが最終的に独自の核抑止力が必要だと決断しないとは信じがたいが、そのとき何が起こるかは誰にも分からない。それは再び中東戦争を引き起こす可能性があり、それは誰にとっても最も避けたいことだ。イランが独自の核爆弾製造に成功すれば、サウジアラビアやトルコなどの国も追随する可能性がある。

そうなれば何が起きるか? それは、ウォルツがずっと正しかったこと、そして中東における核のバランスが荒いことで、絶え間なく争いを続ける国々が最終的には敵意を和らげ、平和的共存(peaceful coexistence)を選択するよう仕向けるであろうということを明らかにするかもしれない。しかし、正直に言うと、これは私がやりたくない社会科学実験(social science experiments)の1つでもある。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

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