古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:イギリス

古村治彦です。

 今回は、副島隆彦・佐藤優著『人類を不幸にした諸悪の根源 ローマ・カトリックと悪の帝国イギリス』(ビジネス社)をご紹介します。発売日は2025年11月21日です。

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『人類を不幸にした諸悪の根源 ローマ・カトリックと悪の帝国イギリス』

 副島先生と佐藤先生の対談は9冊目で、10年以上にわたって続いている。今回の肝となる部分は、宗教のところで、2人が切り結ぶところだ。宗教全体を否定する副島先生と、キリスト教者である佐藤先生がどのような結論を導くか、読んでのお楽しみだ。個人的には、私の提唱している「新・軍産複合体」についても言及していただいており、ありがたい限りだ。

以下に、佐藤先生によるまえがき、目次、副島先生によるあとがきを掲載します。参考にして、是非手に取ってお読みください。

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対談の様子

(貼り付けはじめ)

まえがき 佐藤 優(さとうまさる)

副島隆彦氏との対談は、いつも知的刺激に富んでいる。

私の場合、もともと小心なのに加えて、外務省の小役人だった過去もあるので、どうしても思考のスケールに限界がある。歴史に関しても、高校の教科書に書かれている通説から極端に乖離(かいり)することができない。この点、副島氏は自由だ。自らの認識(それには副島氏なりの根拠がある)に基づいて、大胆に語る。その語りに私は「ハッ」とさせられて、事柄の本質に気づくのだ。読者も、副島氏の言説に触れて、今までに見えなかったことが見えるようになったと感じたことが必ずあるはずだ。

 私は、今回、副島氏と話していて、この人は19世紀ドイツの哲学者フリードリヒ・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日1854年8月20日)に似ていると思った。一昔前の哲学史の教科書を開くと、ドイツ観念論の系譜として、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルという順番で記述されていた。そして、ドイツ観念論を集大成した大哲学者としてヘーゲルが位置付けられていた。しかし、最近の哲学史の教科書だと、少し記述に変更が加えられている。まず、カントがドイツ観念論の枠組みから外れている教科書がでてきた(含めているものもある)。その後、フィヒテ、前期シェリング、ヘーゲル、後期シェリングという流れで、記述されている哲学史教科書が増えてきた。

後期シェリングは、カント、フィヒテ、ヘーゲルらの言説をわかる事柄だけを選んで説明している消極哲学であると批判した。そして、自らが展開するのは、わからない部分にまで踏み込んだ積極哲学であると主張した。人間の心の中にある暗黒、光と闇が別れる前に存在した世界、神が生まれる前に存在した善と悪が渾然(こんぜん)一体としていた状態にまで、踏み込んで理解しようとした。日本語に訳されているものでは、西谷啓治訳の『人間的自由の本質』(岩波文庫、1951年)を読むと、後期シェリングの考えがわかる。

 ロシア・ウクライナ戦争で、西側連合がロシアに対して敗北しつつあるという現実、イスラエルが民間人の犠牲者が何万人出ようとも、国際的孤立を恐れずにハマスの掃討作戦を継続している現実、今年(2025年)1月に再びアメリカ合衆国大統領の座についたドナルド・トランプ氏がグローバリゼーションに歯止めを掛けて、アメリカ国内優先主義をとっている現実は、従来の常識にとらわれている消極哲学で読み解くことはできないのである。

 いまこそ私たちは、「副島積極哲学」を真剣に学ぶべきと考えている。

ちなみに、以前の副島氏は、宗教や神学について、詳しい知識を持っているが、超越的な信仰については、距離を置いていた。今回の対談で、この姿勢が変化したように私には思える。そのきっかけとなったのが、本書の末尾で言及されている副島氏と女神たちの出会いだ。この出来事がとても重要だ。

(引用はじめ)

副島 私は去年と今年で熱海の仕事場と近くの土地に「ギリシア彫刻の美術庭園」を作りました。今、200体ぐらいの純白の大理石の女神像をズラリと並べています。このギリシア彫刻の女神像は、丸源ビルで有名なバブル不動産王のひとりの川本源司郎(げんしろう)氏(19322024)が所有していたものです。私は、生前の川本源四郎氏から熱海の亡霊洋館にあった最初の3体を買いました。それから銀座の丸源ビルにひっそりと安置されていた大量の女神像を譲り受けました。

佐藤 女神様を助け出したのですね。

副島 そうです。助け出しました。私は女神様たちの霊魂(れいこん)に導かれました。確かに、女神たちが、「私をここから救(たす)け出しなさい」と言うお告げを聞きました。「その代わり、お前に、大きな幸運を与える」と言われました。私は、ですから死ぬまで大運(たいうん)が続くそうです。熱海に廃墟になっているお城のような豪邸があります。私は、その亡霊洋館で、狼藉者によって首を落とされ、無残な姿になっている数百体の女神像と出会いました。「助け出しなさい、私たちを」という命令が私に下りて来た。2年かかりました。ようやく必死で美術庭園に移しました。海を崖下(がいか)に臨む高台の地です。いろいろと不思議なことが起きました。金(きん)の値段が上がり続けたのも女神さまの計(はか)らいです。金(きん)を売って費用に充(あ)てました。今の私はギリシア彫刻の女神さまに導かれて生きています。(本書264-265頁)

(引用終わり)

 現代神学の父と呼ばれるスイスのプロテスタント神学者カール・バルト( Karl Barth 、1886年5月10日1968年12月10日)は、神は「死んだ犬」(ヘーゲルのこと)を通しても、ロシアの共産主義を通しても自らを啓示することができると強調した。私が信じるキリスト教の神が、女神像を通じて、副島氏に啓示を与えたのだと思う。

現代の危機から抜け出すために、読者が本書を最大限に活用していただけると私としては嬉しい。

本書を上梓するにあたっては、ビジネス社の小笠原豊樹氏、フリーランスの編集者水波康氏にたいへんにお世話になりました。どうもありがとうございます。

2025年10月15日、曙橋(東京都新宿区)の自宅にて、

佐藤 優(さとうまさる)

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『人類を不幸にした 諸悪の根源 ──ローマ・カトリックと悪の帝国イギリス』目次

まえがき(佐藤 優) 2

第1章 世界覇権国アメリカの〝暴走〟―― トランプとイーロン・マスクの正体 13

■世界を変容させたトランプ 14

トランプは貧乏白人のために戦っている 14

トランプの思想はカルヴァン派そのもの 19

過渡期のエリートとしての役割 25

ヨーロッパ近代思想からの解放 28

■イーロン・マスクの正体 35

イーロン・マスクは国家偵察局の長官 35

叩き落とされたフチーノタワー 44

政府効率化省はディープステイトへの突撃隊 48

イーロン・マスクが狙った金融支配 54

■トランプ関税とドル覇権の崩壊 62

トランプ関税の読み解き方 62 アメリカはすでに国家破産している 68

迫りくるドル覇権の崩壊 73

第2章 人類を不幸にした諸悪の根源―― ローマ・カトリックと悪の帝国イギリス 79

■ローマ・カトリックの大罪 80

人類にとっての諸悪の根源問題 80

新教皇レオ14世はなぜ選出されたのか 84

宗教改革の本質は「金儲けと女と寝ること」 90

ローマ教会と戦ったニーチェ 99

プロテスタントとカトリックは殺し合い 105

■日本を操った悪の帝国イギリス 111

大英帝国は裏切りを許さない 111

太平洋戦争もイギリスの策謀 117

イギリスが日本の天皇制を作った 124

一番のワルはオールコックだった 128

第3章  救済は本当にあるのか ―― 宗教と思想で語る善と悪 137

■救済はなかった ── 宗教改革と鎌倉仏教 138

善は民衆を救済しようとする意志 138

日蓮の「立正安国論」とカルヴァンの『キリスト教綱要』 143

カルヴァン派から外れていった会衆派がユニテリアンになった 149

人間に自由意志はあるのか 156

■戦後左翼と思想転向の善悪 163

思考の転向で噓はつくな 163

講座派と労農派の資本主義論争 165

世界保守に転じた川端康成 170

最大のスパイだった野坂参三 183

副島隆彦の新左翼内ゲバ抗争論 191

原水爆禁止運動の欺瞞 201

第4章  世界秩序の行方を読み解く ―― 新(しん)帝国主義の時代 209

■ヨーロッパの敗北と新世界秩序 210

世界はトランプの頭の中でできている 210

ヨーロッパの敗北 ── ロシア・ウクライナ戦争とイギリス 218

自力経済で潤うロシアの底力 224

価値観戦争が世界を破滅させる 229

キレイごとを言わない反リベラルの世界的潮流 236

■日本は新時代を生き延びる 244

日本のインテリジェンス能力は高い 244

日本外交の基本はアメリカと戦争しないこと 249

日本メディアが担う欧米のプロパガンダ 254

天才を生む日本という国 260

あとがき(副島隆彦) 268

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あとがき 副島隆彦(そえじまたかひこ)

この本は佐藤優氏と私の9冊目の対談本である。

前の本は、ウクライナ戦争が始まって、欧米の策(さく)にまんまと嵌(は)められて悶(もだ)え苦しんでいたロシアを冷静に見つめながら2人で議論した『欧米の謀略を打ち破り よみがえるロシア帝国』(ビジネス社、2022年10月刊)であった。あれからまた3年が経(た)った。

今回は、私は息せき切って、佐藤氏に自分の思いの丈(たけ)(考え詰めていたこと)を無遠慮にぶちまけるように話した。おそらく対談時間の8割ぐらいを私が延々(えんえん)とひとり占めして話した。佐藤氏は聞く一方(いっぽう)に徹して我慢強く私の話につき合ってくれました。それで出来上がったのがこの本だ。

私は「佐藤さん以外には、私の言うことをそのまま理解してくれる人はいない。だから話

します。これが私の人生の結論です。72年生きて来て、自分で到達した結論です。この考えを私はもう死ぬまで変えません」と話し始めた。

私がいつも言って(書いて)いることの繰り返し(重複[ちょうふく])も入っている。しかしおそらく、対談でなければ咄嗟(とっさ)の吐露(とろ)である新たな思考は出て来ない。私は佐藤優氏と話すことで自分が大きく前進できた、と感じた。この本の中には、自分で言うのも何だが、大量の新発見が書かれている。

たった一冊の本にこれほどの量の新(しん)知識と新(しん)情報を載せていいのか、と私が心配になる。読者諸氏が消化不良を起こさないことを祈ります。

この本を編(あ)むために、水波ブックスの水波康氏と、担当編集者の小笠原豊樹氏に懇切丁寧な下拵(したごしら)えをしてもらった。記して感謝します。

2025年10月

副島隆彦(そえじまたかひこ)

(貼り付け終わり)

(終わり)

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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体


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『人類を不幸にした諸悪の根源 ローマ・カトリックと悪の帝国イギリス』
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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 チャールズ3世の弟であり、先ごろ亡くなったエリザベス2世の次男であるアンドルー王子(ヨーク公)が全ての称号を返上し、勲章を使用しないと発表した。兄チャールズ3世と協議を持ったということだが、王室から最後通告を受けてのことだろう。2019年からは公務からも退いており、「死ぬまで表に出てくるな」ということになった。
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アンドルー王子(左)とエプスタイン
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(左から)トランプ、メラニア、アンドルー王子、エプスタイン

 アンドルー王子は、アメリカで起きたジェフリー・エプスタイン事件において、重要人物として関与したことが明らかになった。詳しくは、このブログでも以前に紹介した。そちらをお読みいただきたい。
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※古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

2025年9月26日付記事「エプスタイン事件問題はドナルド・トランプ大統領だけではなくイギリス王室にとっても時限爆弾だ」↓


https://suinikki.blog.jp/archives/90002310.html

 イギリス王室は様々な問題やスキャンダルを抱えている。このような状態では、イギリス国民の支持を受けることは難しく、王室廃止論やスコットランド離脱論を勢いづかせることになる。アンドルー王子の閉門蟄居(へいもんちっきょ)措置はイギリス王室の持つ深刻な危機感を示している。

(貼り付けはじめ)

●「英王子、称号返上を表明 性的虐待疑惑の批判受け」

共同通信 10/18() 6:58配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/0b8b0f5ae8959f372cc84c8ef1640e975539cc91

 【ロンドン共同】チャールズ英国王の弟アンドルー王子は17日、国王と協議した上で英王室の全ての称号を返上するとの声明を発表した。性的虐待疑惑を巡り自身への批判がやまず、国王や王室メンバーの公務を阻害していると判断したと説明した。既に公務から退いていたが「さらに一歩前進しなければならない」と強調した。

 王子は親交があった米富豪の故エプスタイン氏による性的虐待事件に関与した疑惑が指摘されているが、否定している。

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●「アンドルー英王子「今後は称号使わず」 性的虐待疑惑、収拾つかず」

朝日新聞 10/18() 7:00配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/4b3cd09d17c5db4553c6bfc0ee400c860651492e

 英国のアンドルー王子(65)が17日夜、「今後は称号や勲章を使わない」とする声明を発表した。児童への性的虐待事件への関与をめぐる疑惑が続くなか、兄であるチャールズ国王ら英王室メンバーと協議し、「私に対する継続的な非難が、国王や王室の任務を妨げているとの結論に至った」という。

 アンドルー王子はエリザベス前女王の次男で、「ヨーク公」の称号を持つ。称号を剝奪(はくだつ)されたわけではなく、法的には財産などの権利が残るが、王室との結びつきが希薄になる。

 王子は、児童への性的虐待などの罪で起訴された米資産家ジェフリー・エプスタイン氏(20198月に死亡)と交流があり、自らも米国人女性から「性的虐待に加担した」と訴えられた。

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●「アンドルー英王子、17歳少女との性行為が「生得権」であるかのように振る舞う 告発者の回顧録」

AFP=時事 10/17() 14:07配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/d8ab8c1c29f191cfb709bac05f93fc788bfb1a44

AFP=時事】英国のアンドルー王子(65)は、当時17歳だったバージニア・ジュフリーさんと性行為をすることが「生得権」であるかのように振る舞っていたと、ジュフリーさんの死後に出版された回顧録に記されている。

少女らへの性的人身取引の罪で起訴され勾留中に自殺した米富豪ジェフリー・エプスタイン元被告をめぐるスキャンダルの中心人物であるジュフリーさんは、回顧録「Nobody's Girl: A Memoir of Surviving Abuse and Fighting for Justice」の中で、18歳未満だった時も含め、アンドルー王子と3回性行為をさせられたと述べている。

ジュフリーさんは、悪名高いエプスタイン元被告に性奴隷として利用され、アンドルー王子に性的虐待を受けたと告発し、世間の注目を集めた。

アンドルー王子は、ジュフリーさんの告発を繰り返し否定し、数百万ドルの和解金を支払って裁判を回避した。

英紙ガーディアンに掲載された回顧録の抜粋の中で、ジュフリー氏さんは、20013月にロンドンでチャールズ国王の弟であるアンドルー王子と会った時のことを記している。

アンドルー王子はジュフリーさんの年齢を当てるゲームで正解し、補足説明として「私の娘たちは君より少し年下だ」と付け加えたとされる。

ジュフリーさんとアンドルー王子はその後、ロンドン中心部にあるトランプ・ナイトクラブに行った。そこでアンドルー王子が「ダンスが下手で、大量に汗をかいていたのを覚えている」とジュフリーさんは回想した。

それからエプスタイン元被告の側近で元恋人のギレーヌ・マクスウェル受刑者のロンドンにある自宅に戻り、そこで性行為をされたという。

「彼は十分フレンドリーだったが、それでも特権意識を持っていた。私と性行為をすることが生得権だとでも言わんばかりだった」とジュフリーさんは記している。

翌朝、マクスウェル受刑者はジュフリーさんに「よくやった。王子は楽しんだようだ」と述べたとされる。

ジュフリーさんは、「タブロイド紙がランディ・アンディと呼ぶ男性にサービスを提供した対価」としてエプスタイン元被告から15000ドル(226万円)を受け取ったという。

米国とオーストラリアの国籍を持つジュフリーさんは425日、オーストラリアのウエスタンオーストラリア州の自宅で死去した。

回顧録は1021日発売予定となっている。【翻訳編集】 AFPBB News

(貼り付け終わり)

(終わり)

※2025年11月に新刊発売予定です。新刊の仮タイトルは、『「新・軍産複合体」が導く米中友好の衝撃!(仮)』となっています。よろしくお願いいたします。
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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

1945年2月4日から11日にかけて行われた、アメリカのフランクリン・D・ルーズヴェルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、ソヴィエト連邦のヨシフ・スターリン書記長が参加して、戦争の結末と戦後世界の行方について話し合いが行われた。戦後世界の構造が決定された重要な首脳会談であった。

日本関係で言えば、ソ連が対日参戦し、千島列島を含む地域をソ連が獲得するということが決定された。ヨーロッパ関係で言えば、ポーランドの国境線が西寄りに設定され、東ヨーロッパ諸国をソ連が実質的に支配すること、共産ブロックに含まれるということが決定された。ソ連は東ヨーロッパを緩衝地帯とすることで、西欧列強からの侵略を防ぐことができるという安心感を得ることができた。

 重要なことは、これらの重要な事項をアメリカ、イギリス、ソ連で決めたということだ。そこにはフランスは入っていない。フランスはドイツに敗れた時点で、列強の地位から脱落しているということになる。これこそが大国間政治(great-power politics)ということである。これらの大国が世界の運命を決め、一国の行く末を決める。決められる弱小国には何の相談もなく、小国の国民の意思など全く考慮されない。これが国際政治の真骨頂だ。

 今回の論稿で重要なのは、指導者個人レヴェルの分析がなされていることだ。国際政治では、個人レヴェル、国内政治レヴェル、国際関係レヴェルの3つの分析のレヴェル(levels of analysis)がある。今回の論稿や個人レヴェル、具体的には、ヤルタ会談に参加したルーズヴェルト、チャーチル、スターリンの考えや行動を分析の中心に据えている。何よりも重要なのは、ルーズヴェルトが瀕死の状態であったということだ。実際に階段から2か月後の4月にルーズヴェルトは死亡した。その状態で世界の運命を決める会談に臨んでいたということは世界にとって大きな不幸であった。そして、ルーズヴェルトは副大統領ハリー・トルーマンを信頼しておらず、彼の抗争を全く伝えていなかった。そのため、トルーマンは何も知らない状態で大統領に昇格することになった。ルーズヴェルトは自身の死後のことまで考えていなかった。チャーチルはイギリスの国力が減退している中で、大国としての矜持を保とうとして、得意の弁舌を駆使し、ソ連のスターリンと対峙したが、気力が充実し、自身の要求貫徹にこだわったスターリンの主張を覆すには至らなかった。チャーチルとスターリンは、自国の利益を第一に考えていたということになる。その点で彼らは交渉しやすかったと言えるだろう。ルーズヴェルトは国際連合や世界の秩序維持について話したが、チャーチルとスターリンも、それぞれの国が何を得られるのかということにしか関心がなかった。それがイギリスの帝国(植民地)の維持であり、東ヨーロッパのソ連の勢力圏入りであった。両国は、戦後ポーランドの体制について対立したが、最終的には米英側が譲歩した。しかし、スターリンの要求も全てが実現するには至らなかった。スターリンとソ連に対する米英両国の信頼は失われていた。

 ルーズヴェルトがより健康であったならば、ヤルタ会談の結果はどうだっただろうかということは今でも話さされることである。歴史に「If」はないというのは常套文句であるが、たとえルーズヴェルトの健康状態がより良かったところで、どこまで結果が変わっていたかというとそれには疑問が残る。

(貼り付けはじめ)

ルーズヴェルト、ヤルタ、そして冷戦の起源(Roosevelt, Yalta, and the Origins of the Cold War

-末期病状のアメリカ大統領がヨーロッパの半分をソ連が支配すると決定した協定についていかに交渉したか。

フィリップ・パイソン・オブライエン筆

2024年9月1日

『フォーリン・ポリシー』

https://foreignpolicy.com/2024/09/01/roosevelt-stalin-yalta-europe-division-soviet-world-war/

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「ヨーロッパのごった煮」と題された漫画で、ヤルタ会談でのルーズヴェルト、スターリン、チャーチルが描かれている。

フランクリン・D・ルーズヴェルト米大統領が1943年末にワシントンに戻ったとき、彼はほとんど働くことができなかった。ルーズヴェルトは、元々が病弱であり、そして運動不足で、酒もタバコも止められず、特にタバコが大好きだった。血圧は危険なレヴェルまで上昇し、冠状動脈疾患も進行していた。彼は、彼の参謀であり、いつも一緒にいたウィリアム・リーヒに、この仕事を続ける体力が自分にあるかどうか分からないと打ち明けたほどだった。

しかし、それから間もなく、ルーズヴェルトは他に選択肢がないと判断した。権力を手放し、戦後の新たな世界秩序の構築において尊敬はされるものの、二の次的な人物になるという見通しは、彼にとってあまりにも恐ろしかった。そして1944年、ルーズヴェルトは国際関係史上最も利己的な選択をすることになるが、これは非常に自己中心的であり、歴史家たちは未だにこの問題に言及することを避けている。

ルーズヴェルトは、死にかけながら大統領選に出馬することを決めただけでなく、副大統領候補を、自分が好きでもなく、打ち解けることもなく、自分の後を継いで大統領になる準備も一切していない人物に変更することに決めたのだ。ルーズヴェルトは、現職のヘンリー・ウォレス副大統領が左翼的すぎると見られていることを懸念し、より穏健なハリー・トルーマンを副大統領候補に選んだ。政治的には賢明な選択だった。トルーマンは、ミズーリ州出身で、ルーズヴェルトの貴族的な存在感をうまく引き立てる政治的庶民感覚を持っていた。トルーマンは、急進的なウォレスに特に魅力を感じなかった中西部と南部で、ルーズヴェルトを助けることができた。

トルーマンは、彼自身の評価では、国際関係の経験がほとんどなかったが、ルーズヴェルトは、トルーマンが何も得られないようにするつもりだった。1944年11月の選挙から1945年4月にルーズヴェルトが死去するまでの間、彼の業務日誌には2人の会談が6回しか記録されていない。ルーズヴェルトは、1945年2月の重要なヤルタ会談などの計画にトルーマンを加えることを積極的に避けていたようだ。ルーズヴェルトは基本的に、この危機において、アメリカと世界を率いることができるのは自分だけであり、だから自分は生きなければならない、と語っていた。もし彼が死んだら、そう、「我が亡き後に洪水よ来たれ(Après moi, le déluge)」だ。

その理由は、ルーズヴェルトが戦後世界についての具体的なヴィジョンを書き記すことも、議論することもほとんどなかったからだ。ルーズヴェルトは通常、「4人の警察官(four policemen)」-イギリス、中国、ソ連、アメリカを通じて秩序を保つという広範で不定形な概念で人々を幻惑し、国際連合(United States)の創設について希望的観測を語ったが、難しい質問に答えることは避けた。

戦争終結後、アメリカ軍はヨーロッパに永久に駐留するのか? ドイツは永久に分割されるべきなのか? ソ連との軍事同盟は継続されるのか、もしそうなら、アメリカは、ソ連の東欧支配を受け入れるのか? アジアと太平洋における戦後処理はどうなるのか? オランダやフランスのようなヨーロッパ帝国は再建を許されるのか? アメリカ軍はかつて日本が占領していた地域に入るだろうか? 混沌とした政治状況にある中国は、どのようにして世界の警察官の一人となるのだろうか?

もしルーズヴェルトが、これらの質問に対する明確な答えを持っていたとしても、ルーズヴェルトはそれを自分の胸に秘めていた。リーヒが回顧録で認めているように、「もしルーズヴェルト以外に、アメリカが何を望んでいるのかを知っている人物を見つけられたら、それは驚くべき発見だろうと感じたこともあった」ということであった。

ルーズヴェルトは、アメリカ政府に具体的な戦争の目的と目標を提示することを拒否することで、プロイセンの軍事戦略家カール・フォン・クラウゼヴィッツが提唱した「戦略とは目的、方法、手段を結びつけることである(strategy is the connection between ends, ways, and means)」という公理を嘲笑していた。ルーズヴェルトは、どの戦争指導者よりも、方法と手段については明確な考えを持っていた。それは、兵士ではなく、空と海の力と多くの機械で戦争を戦うことであった。しかし、それらは目的から切り離されているように見えた。目的とは、彼がその時々に望むものだった。

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1944年のモスクワ訪問で、英首相ウィンストン・チャーチル(左)がヨシフ・スターリンと歩く

ルーズヴェルトが戦後、アメリカにとって何を望むかについて、いろいろな意味で秘密主義を強めていたとすれば、ソ連の指導者ヨシフ・スターリンは直接的であることを厭わなかった。ルーズヴェルトは安全保障と強靭さを求めており、無定形な国際保証や国際理解よりも直接的な支配を好んだ。スターリンは、優雅(airy-fairy)に見えるルーズヴェルトの考えから離れ、ソ連の独裁者は直接支配への希望を明確にした。

スターリンが最も明晰になったのは、おそらく1944年10月、モスクワでウィンストン・チャーチル英首相と二人きりで会談したときだろう。チャーチルとスターリンは、しばしばアヴェレル・ハリマン駐ソ連大使も同席した公式会談では、ルーズヴェルト的概念に基づく和平を模索しているふりをしようとしていた。しかし、二人きりになると、二人の態度は違った。

ある晩、二人きりの会話の中で、二人は未来に目を向け、アメリカの影響力のないヨーロッパについて語った。その結果、有名な「パーセンテージ協定(Percentages Agreement)」が結ばれ、チャーチルとスターリンはこの地域を利益圏(spheres of interest)に分割した。

この合意は、スターリンとチャーチルがどのように交渉を進めたかったかを、おそらく最も忠実に表している。ルーズヴェルトと比べれば、彼らには戦争に対するより具体的な目的があったことは確かだ。チャーチルにとっては、大国としてのイギリスとその帝国の維持であった。スターリンにとっては、東欧、中欧、南欧におけるソ連の最大限の拡大だった。どちらも、ルーズヴェルトの国際親善と協力(international goodwill and cooperation)という概念にあまり時間を割いていなかった。

パーセンテージ協定もまた、政治的かつ個人的な夢物語だった。ルーズヴェルトは政治的な理由からこのような協定に同意するはずもなく、3人は戦後のヨーロッパと世界にとってより実行可能な枠組みを考案するために集まる必要があった。チャーチルとスターリンの極めて具体的な戦略目標と、ルーズヴェルトの無定形な戦略目標を調和させる必要があった。

この違いの結果は、1945年2月4日から2月11日までクリミアで開催された、戦争中の全ての大戦略会議(grand-strategic meetings)の中で最も物議を醸したヤルタ会議、コードネーム「アルゴナウト(Argonaut)」となった。

今日に至るまで、ヤルタ会談は、何が合意されたのか、より正確に言えば、3人の主役が何に合意したと考えていたのかについて、激しい議論を巻き起こしている。ある意味、問題は会議そのものではなく、その結論は当時ビッグスリーの誰にとっても「決定的(definitive)」なものではなかった。

本当の問題は、ルーズヴェルトがほどなく死去したことであり、ルーズヴェルトは自分が行った取引の真意を極秘にしていたため、トルーマンは結局、ルーズヴェルトの意図を推測するしかなかった。

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左から:チャーチル、ルーズヴェルト、そしてヨシフ・スターリン(1945年2月のヤルタ会談での交渉の後)

ヤルタ会談開催の頃までには、アメリカ大統領は終わりに近づいていた。1944年の再選を目指し、わずかなエネルギーも使い果たしていた。選挙運動には比較的わずかしか顔を出さなかったが、選挙が終わると、持続的な仕事はできなくなっていた。ルーズヴェルト大統領の本当の状態はアメリカ国民には知らされていなかった。1945年1月20日の大統領就任式など、公の場に姿を見せなければならないときは、ホワイトハウスに担ぎ込まれる前に数分間だけ話をした。

ルーズヴェルトがヤルタに到着する頃には、彼の体調は更に悪化していた。体重はさらに減り、目の下には大きく膨らんだ黒いクマができており、常に休息を必要としていた。1944年8月のケベック会議で最後にルーズヴェルトを見た、イギリス代表団の何人かは、この短期間でのルーズヴェルトの衰えにショックを受けた。チャーチルの秘書の1人は、ルーズヴェルトを見て「この世の人とは思えない(was hardly in this world at all)」と言った。

スターリンは元気だった。首脳会談までに、ロシア軍はベルリンから100マイルも離れていないオーデル川に到達していた。いったん再編成し、次の攻撃のために休息を取れば、ドイツの首都は陥落することは確実だった。ヤルタ会談前にポーランドの大部分を征服したことは、スターリンにとって今後の会談で非常に有利に働いた。彼は、どのようなポーランドを建設したいかの構想を持っており、妥協する気はなかった。

ヤルタ会談の主役はルーズヴェルトとスターリンだった。この頃、イギリスには、アメリカやソ連に自国の要求を呑ませるだけの軍事力も財政力もなかった。スターリンはまだ武器貸与プログラム(lend-lease program)によるアメリカの支援を必要としており、ドイツが敗北した後の太平洋戦争への参加を熱望していた。ルーズヴェルトは、世界平和の保証として、戦後も何らかの形で米ソ戦時同盟(U.S.–Soviet wartime alliance)の継続を画策していた。

首脳たちと最側近のアドヴァイザーたちによる最初の全体会議では、戦争に勝利しようとしているという事実が祝われた。それは、ヨーロッパにおける戦争の軍事的概観であり、アドルフ・ヒトラーのドイツが必然的に粉砕されたことを物語るものだった。指導者それぞれが互いの軍のパフォーマンスを称賛し、戦争の最終段階における緊密な連携について語った。

軍事的な概要が明らかになると、指導者たちは戦後の世界に目を向けた。スターリンは、大国政治(great-power politics)について、未来を決めるのはこの3人であり、小国の意見に耳を傾けることに時間を費やすべきではないという見解を述べた。ルーズヴェルトはスターリンを支持し、「大国はより大きな責任を負っており、和平はこのテーブルについた三大国によって書かれるべきだ(the Great Powers bore the greater responsibility and that the peace should be written by the Three Powers represented at this table)」という意見に同意した。

しかし、チャーチルには居心地が悪かった。スターリンと対立して、真っ向から反論するつもりはなく、代わりに、大英帝国に対するチャーチルのヴィジョンが、この見解にどのように適合するかは決して明確にしなかったが、小国の意見に耳を傾け、ある程度の謙虚さを示すことが大国の義務であると主張した。スターリンはそれを面白がったようで、次の選挙で負けるかもしれないと言ってチャーチルをからかい始めた。

会議の残りの時間は、ビッグスリーが世界の他の国々の運命を決定し、その大部分は友好的に行われた。ドイツについては、主にドイツを解体すべきかどうかで意見が分かれた。反対していたスターリンは、そのような決定を将来まで先送りすることを望んだ。実際、そのような決定を先延ばしにするのは簡単だった。重要な第一歩であるドイツの明確な占領区域への分割は既に行われていたからだ。

この話し合いで最も興味深かったのは、ルーズヴェルトがアメリカ軍は、2年以上はヨーロッパに駐留しないと主張したことだろう。それを聞いたチャーチルは、今こそフランスに強力な軍隊を増強すべきだと答えた。スターリンは、それは構わないが、フランスにはドイツの支配について大きな発言権を与えるべきではないと主張した。

ヤルタ会談で決着したもう1つの大きな問題は、ソ連の対日参戦(Soviet entry into the war against Japan)だった。春にはドイツに勝利することが決まっていたため、スターリンは崩壊する日本からできるだけ多くの戦利品(spoils)を奪おうと躍起になっていた。この時点で、アメリカは日本を倒すためにロシアの助けなど必要ないことを十分承知していたが、スターリンはそれを、以前の誓約を果たすためという枠にはめた。

自縄自縛に陥ったルーズヴェルトは、スターリンの援助をありがたく受け入れるしかなかった。もちろん、スターリンには代償が用意されていた。最終合意では、ソ連は南サハリン、千島列島、中国の大連港の支配権(ソ連から大連港までの鉄道を含む)を手に入れることになる。

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ロックフェラーセンターに掲揚されている連合国の各国の国旗が半旗になっている(1945年4月13日)

翌日は、新しい国際連合についての議論から始まった。スターリンもチャーチルも、自分たちにはそれほど関心がなかったとしても、ルーズヴェルトにとってそれがいかに重要であるかを理解していたようだ。スターリンは、前年8月から10月にかけてワシントンのダンバートン・オークス邸宅で開催された会議で作成された国連機構の概要を読んでいなかったことを認めた。

そして、ポーランドの運命が持ち出され、会場の緊張は高まった。ポーランドの問題は、ある意味では単純であり、ある意味では基本的に難解であった。ポーランドは戦後、国家として再興されるが、その国境はずっと西にあるという合意があった。ルーズヴェルトとチャーチルは、ヒトラーとの汚い取引で確保したポーランドの東半分をスターリンが保持し、その代わりに新生ポーランドがドイツ東部の大部分を与えられることを受け入れた。

ポーランドの将来の政治構造は全く別の問題だった。アメリカとイギリスは戦前のポーランド亡命政府をロンドンに認めていた。スターリンは、戦前のポーランドの手によるソ連軍の敗北を思い出し、直ちにルブリン委員会(Lublin Committee)と呼ばれる新しい共産主義政府の樹立に動いた。

ロンドンか、ルブリンか、どちらのポーランド政府が統治するかという問題は、ヤルタの大きな対立点(confrontation)となった。この問題が最初に持ち上がったとき、ルーズヴェルトは会議全体を通じて最も長い演説を行った。持てる力を振り絞り、普段の理性的で魅力的な自分を演出しようとしたルーズヴェルトは、強い親ソ派を含む5つの異なる政党の代表からなる複数政党による暫定大統領評議会の設立を提案した。この組織が、新しい選挙が行われるまでポーランドを統治することになる。チャーチルは、いつものように雄弁に、自由で独立したポーランドをさらに力強く訴えた。「チャーチルは、「ポーランドが自分の家の主人となり、自分の魂の支配者となることが、英政府の切なる願いである」と述べた。

スターリンは、ルーズヴェルトの魅力やチャーチルの雄弁など気にも留めなかっただろう。この時点でスターリンは、東ヨーロッパにおける自らの優越(supremacy)が米英両国に認められたと計算していた。彼は、ポーランドの運命が「戦略的安全保障(strategic security)」の問題であり、ポーランドがソ連と国境を接する国であるからというだけでなく、歴史を通じてポーランドがロシアへの攻撃の通路であった」と述べた。

そして、スターリンはナイフを深く突き刺した。彼もまた、民主的なポーランドを望んでいた。彼の見る限り、ルブリン・ポーランド政府は自由で効率的な統治を行っており、しかも赤軍の後方地域の安全確保とパトロールに貢献していた。ところが、ロンドン・ポーランド政府は、この調和を終わらせ、ソ連戦線の背後で反乱を起こす恐れがあった。要するに、彼らはヒトラーの仕事を代わりにしていたということになる。

スターリンは「ルブリン政府の工作員がやったこととロンドン政府の工作員がやったことを比較すると、前者は良くて、後者は悪いことが分かる。私たちは後方に平和を与えてくれる政府を支持するつもりであり、軍人としてそれ以外のことはできなかった」と述べスターリンは鉄槌(gauntlet)を下し、議論は何日も続いたが、変わることはなかった。赤軍はポーランドに進駐し、スターリンは赤軍を指揮し、ルブリン政府に権力を握らせ、戦前のポーランド国家からのいかなる影響も容認しなかった。ルーズヴェルトとチャーチルは、スターリンの条件を受け入れるか、あるいは同盟を破棄するかという、ほとんど不可能な窮地に立たされた。首脳3人全員が分かっていたように、スターリンにポーランド政府の構成を変更させることは不可能だった。

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ヤルタ会談で会談するスターリンとルーズヴェルト(1945年2月)

しかし、ルーズヴェルトは試してみることを決心した。翌日、彼らがこの問題に戻ると、彼はスターリンをなだめるためにロンドン政府をすべて切り捨てることから始めた。ルーズヴェルトは、ルブリン政府は何があっても力を持つだろうと理解し、新しい臨時政府の樹立を協議するために、ルブリン政府と他の政党からなる委員会を半分ずつ設置し、バランスをとることだけを提案した。

スターリンは失速し、それが延々と続いた。ルーズヴェルトはスターリンに私信を送り、ポーランドには多党制の民主的な政府が誕生することをアメリカ国民に伝えてもらえれば国内にとって大きな助けになると懇願した。

たとえルーズヴェルトが、スターリンが自らの選択と条件で政権を樹立しようとしていることを理解していたとしても、ルーズヴェルトが国内でそのような政治的ニーズを抱いていることをスターリンが理解できなかったことは、彼の戦略家としての進化がそこまでしか進んでいなかったことを示している。スターリンは、ルーズヴェルトが本当にアメリカ連邦議会や有権者、その他の権威に答える必要があるとは思えなかった。

これはスターリンがいかに全てを台無しにしようとしていたかを示すものだった。ドイツ軍の侵攻以来、彼が機転を利かせて行動してきたのは、生き残るために現実的な面が偏執的な面を抑えてきたからだとすれば、戦争が終結し勝利が確実となったとき、昔の偏執的なスターリンが姿を現したということになる。スターリンには、ルーズヴェルトが融通を利かせるというサインを本当に望んでいることが理解できなかった。

ルーズヴェルトは会議の残りの時間についてスターリンに圧力をかけたが、最終的にスターリンはほんのわずかな譲歩しかしなかった。スターリンは、資本主義政府は実際には民主的ではないという暗黙の指摘とともに、ルブリン政府は真の民主政治体制を代表していると既に述べていたため、これにはほとんど何の意味もなかった。

ポーランドに関するこの合意は、ソ連の東欧支配の基本的枠組みを確立した歴史的なものだった。赤軍が支配するところでは、スターリンは自分の利益に合う政府を樹立するためにやりたい放題だった。

ルーズヴェルトは、この侮辱を個人的に受け止めたが、他にどうすればいいのか分からなかった。ルーズヴェルトは、病気がちで、闘い続けるには疲れきっていた。彼が真実を認めた相手は、会議のほとんど全ての時間をルーズヴェルトと過ごしたリーヒだった。ポーランドで合意された文言は基本的にスターリンのやりたい放題を許すものだとリーヒがコメントしたとき、ルーズヴェルトにできたのは譲歩することだけだった。

彼には他のことをする力がなかった。ルーズヴェルトは「それは分かっている、ビル、でももう戦うには疲れたんだ」と述べた。
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1944年8月、ワシントンのホワイトハウスで会食をするハリー・トルーマンとルーズヴェルト

ヤルタ会談が終わるまでには、スターリンは満足せざるを得なかった。わずか4年足らずの間に、彼の国際的立場は一変し、その変化の多くは彼自身の行動に責任があった。ヒトラーを助けることで、結果としてソ連を攻撃されるという自分が作り出した災難から、米英両国に東欧支配を受け入れさせるまで押し戻したのだ。スターリンは今や、帝政ロシアがかつて支配していた以上の領土の領主であり支配者であった。その過程で、彼は米英両国の援助を使って力をつけ、世界最大の軍隊を作り上げた。第二次世界大戦の初期、スターリンは、最悪の大戦略家(the worst of the grand strategists)だったが、ヤルタ会談の頃には間違いなく最高の戦略家になっていた。

その後、スターリンは自分が成し遂げたことを全て破壊すると脅した。ヤルタ以後、スターリンは米英両国との協力関係を装うことからさえも遠ざかり始めた。彼の以前の戦略的成功は、同盟国、特にルーズヴェルトのニーズに合わせて行動を調整することで、ダイナミックな状況に実質的に対応する能力から生まれたものだった。しかし今、彼は公然と東ヨーロッパを従属させ始め、ルーズヴェルトやチャーチルの必要性にはリップサービスすら行わなくなった。

スターリンは、ルーズヴェルトに対して、常に示していた配慮と機転をもって接することさえ止めた。彼は、ドイツの収容所から解放されたアメリカ人捕虜の世話をするためにポーランドにアメリカ人将校を入国させることを拒否し、アメリカ大統領を深く侮辱した。間もなく、スターリンはさらに踏み込むことになる。スターリンは、ルーズヴェルトがヒトラーと土壇場で取引をすることで自分を裏切ろうとしていると、奇妙な言葉で非難したのだ。

これは、スターリンがルーズヴェルトに対して行ったのと同じくらい侮辱的な告発だった。スターリンの頭の中では、ルーズヴェルトはスターリンに歩み寄ろうとしていたのであり、スターリンがルーズヴェルトを極悪非道な裏切り者として非難したことは、ルーズヴェルトの心に深く突き刺さった。ルーズヴェルトはついに我慢の限界に達したようで、1945年3月、スターリンに対する彼の態度は大きく変化した。ルーズヴェルトのスターリンに対する最後の電報は、戦争期間において、もっとも厳しく、率直なものだった。

ポーランドに関する長い電報の中で、ルーズヴェルトは基本的に、ヤルタでスターリンが自分に嘘をつき、ルブリン委員会に他の要素を入れることを拒否したと非難した。「私は、このことが私たちの合意にも、私たちの話し合いにも合致しない」と述べている。

チャーチルは、ルーズヴェルトの強い口調を喜んだ。イギリスの指導者チャーチルは、ヤルタ会談について嫌悪感を抱き、ルーズヴェルトにスターリンに対する「断固とした、露骨な態度(firm and blunt stand)」をとるよう迫った。事態は対決(confrontation)の様相を呈していた。

そして4月12日、ルーズヴェルトはジョージア州ウォームスプリングスの屋敷で再び休暇を取っていた。

アメリカの政策は、トルーマンの手に委ねられたが、トルーマンはルーズヴェルトが本当は何を達成したかったのか、どのように達成するつもりだったのか、まったく知らなかった。その後の3年間、トルーマンは、無知(ignorance)であったために、スターリンの戦略的な行き過ぎと失策(Stalin’s strategic overreach and blundering)と相まって、ルーズヴェルトが常に避けたいと望んでいた冷戦を生み出すことになる。

※フィリップ・パイソン・オブライエン:セントアンドリュース大学戦略学教授。最新刊に『戦略家たち:チャーチル、スターリン、ルーズヴェルト、ムッソリーニ、そして、ヒトラー-いかにして戦争が彼らを形作り、いかにして彼らが戦争を形作ったか(The Strategists: Churchill, Stalin, Roosevelt, Mussolini, and Hitler—How War Made Them and How They Made War)』がある。ツイッターアカウント:@PhillipsPOBrien

(貼り付け終わり)

(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 2024年7月4日のイギリスの総選挙で、労働党が地滑り的な勝利を収め、キア・スターマー党首が首相となった。イギリスの総選挙は、労働党の勝利というよりも、保守党の自滅という面が強い。度重なるスキャンダルにインフレ対策の失敗といった面で国民から愛想をつかされた。また、保革二大政党制であったイギリスでも第三党が存在感を増しており、そのために、二大政党の得票率が大きく下がっている。全体で見れば、労働党は前回選挙と得票率は変わらなかったが、保守党はほぼ半減となり、自由民主党、スコットランド国民党、リフォームUKといった諸政党が存在感を増す結果となった。

 イギリスの労働党の勝利を、進歩主義派・左派・リベラル勢力(社会民主勢力)と位置づけ、世界各国のこうした勢力にとっての勝利のモデルとなるというのが下の論稿の著者の主張である。私は、労働党が勝利したというよりも、保守党が勝手に躓いたという考えであるので、世界的に通じるモデルケースになるとは考えていない。論稿の著者は各国の左派勢力に対する教訓を次のように述べている。

(貼り付けはじめ)

「まず、文化戦争の問題は、ほとんどの有権者にとって中心的な動機ではない。あらゆる主要な文化戦争問題に関して、労働党は保守党ほど人気のない立場にある。しかし、住宅ローン金利が2%から5%に上昇すると、「問題は経済なんだよ、愚か者」ということになる。進歩主義者はポピュリスト右派の非難を恐れる必要はない。有権者はより賢明な答えを必要としている。

第二に、ルール違反や汚職とみなされる行為は有権者にとって強力な動機となり、世界各国での世論調査がこれを証明している。進歩主義派は、利益相反、企業ロビー活動、世界の世界都市の最高級不動産の海外の国富を横領している政治家たちによる買い占め、そして政治的支配によって存在する新興独占企業への対処に対して、より強力な路線を必要としている。そうすることでポピュリスト右翼に真っ向から対抗することになる。

第三に、左翼のオンライン空間におけるアイデンティティ政治の優位性は、この形態の政治に対する国民の理解や関心と一致していない。階級は理解されるが、交差性は理解されない。階級は、様々な場所の進歩主義者にとって最も重要な境界線である場合もあれば、そうでない場合もある。しかし、進歩主義者が勝つためには、上流・中産階級以外の出身で、幻滅し取り残されたと感じている人々の心に響く、生きた経験を持つメッセンジャーが必要だ。つまり、アメリカの民主党にはアンジェラ・レイナーが必要なのである」

(貼り付け終わり)

 教訓としては、経済問題を重視すること(特に人々の生活に関連する)、腐敗やルール違反に対する断固とした態度、中流階級より下の階級出身者へのアピールができる個人的体験を持つ政治家の出現ということになる。日本で考えれば、立憲民主党に対する教区員ということになるが、物価高や国民負担率の増大への対処のための効果的な政策を訴えること、自民党の裏金問題に端を発する現在の与党への不信感の受け皿になることということは考えられやすい。立憲民主党の執行部や幹部の政治家たちに若い人は少なく、また、キア・スターマーやアンジェラ・レイナーのようなタイプはいない。頭が良くて人生の苦労をあまりしていないようなエリートタイプが揃っている。この点が、立憲民主党にとって、これから改善し、アピールしていくポイントということになるだろう。しかし、イギリス労働党の勝利がそのまま世界的な左派リベラル派の躍進の流れにつながるということはないだろうと私は考えている。

(貼り付けはじめ)

世界の左派にとってイギリス労働党の勝利が意味すること(What a U.K. Labour Win Means for the Global Left

-キア・スターマーの勝利はイギリスのイメージを大きく返るだろう。そして、世界中の社会民主主義者を元気づける可能性がある。

マイク・ハリス筆

2024年7月2日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/07/02/uk-election-labour-keir-starmer-sunak-class-supermajority-social-democracy-global-left/
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2022年9月24日、リヴァプールでの遊説の後に支持者たちを写真を撮るキア・スターマー労働党党首

私は世間話が苦手なので、大きな話をしたい。2022年後半、私はキア・スターマーと数人のアドバイザーたちとの個人的な会合の際に次のように言った。「あなたはおそらく、地球上のあらゆる議会の中で、最大多数を占める社会民主主義の指導者になるだろう。どんな感じか?」

スターマー氏の側近たちは苛立ちの表情を浮かべた。一方、イギリスの次期首相になる可能性が高かったスターマーは一瞬話を止めて、話題を逸らそうとした。そして、「何事も当然だと思ってはいけない(We can’t take anything for granted)」と語った。労働党の総選挙キャンペーンの非公式のモットーとなっていた。

しかし、スターマーは選挙での大成功に戸惑っているにもかかわらず(彼は本当に謙虚な人物だ)、75日の朝にはスターマーが世界の社会民主主義のスーパーヒーローとして目覚める可能性が高い。議会を持つ主要経済国の唯一の中道左派指導者となる。超多数派(supermajority)を獲得し、世界中の進歩主義者たちにとって大きな希望だ。

歴史的に間違いなく地球上で最も成功した政党である与党保守党は、現在選挙で忘却に直面している。2019年、ボリス・ジョンソンは労働党の中心地、いわゆる赤い壁(red wall)を破壊した。当時の指導者ジェレミー・コービンが政治的過激主義(political extremism)のサイレン音を受け入れた後、労働党はその基盤から切り離され、脱産業化の中心地で崩壊した。コービンは、バトル・オブ・ブリテンの記念式典での国歌斉唱を拒否し、党を財政逼迫の状況に追い込み、金融資産を持つ者たちを怖がらせた。

労働党は赤い壁を取り戻すだけでなく、ロンドンを取り囲む裕福なロンドン通勤者地区や、昔から保守に投票してきた田舎の選挙区など、青い壁(blue wall)で守られてきた、保守の堅固な議席を獲得し、進歩主義者の夢を実現しようとしている。例えば、イースト・ワーシング・アンド・ショアハムは、1780年に初めて保守党が議席を獲得し、それ以来一貫して保守党が支持を受ける選挙区の1つである。世論調査では、労働党がこの議席を獲得する勢いだ。

イギリスで起きていることは、控えめに言っても中道左派政党にとっては異例な現象だ。労働党はイギリス下院の全議席の70%を獲得する可能性があり、この勝利は1997年のトニー・ブレア元労働党党首・首相の選挙での勝利をも上回る可能性があり、あらゆる国の進歩主義派に教訓を与えることになる。政治的に支配的なスターマーは、高い不支持率に直面し統治課題の追求に苦戦しているフランスとドイツのエマニュエル・マクロンとオラフ・ショルツとは対照的に、完全な政治支配を行うリーダーとしてG7に出席することになるだろう。

イギリスでの労働党の勝利は、3つの主要な点で重要となるだろう。それは、進歩主義派が国政選挙でどのように勝利できるかを再検討し、社会民主党が達成できる最高水準を設定することになる。それは、勝利そのものよりも重要になる可能性のある、新しく予想外の方法でイギリスの政治を再構築するだろう。そしてそれは、イギリスに対する外部の認識を一変させ、イギリスとその将来に対する国際的な見方をリセットするだろう。

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ロンドンのダウニング街でボリス・ジョンソン首相の辞任を求めるプラカードを掲げるデモ参加者(2022年4月13日)

イギリスの政治階級がアメリカの政治階級に対して、病的なほどに執着を抱いているにもかかわらず、アメリカの民主党は池の向こう側を見て、労働党の成功から教訓を得るべき時なのかもしれない。

スターマーの成功の一部は、オーストラリア労働党がそうであったように、文化戦争問題(culture war issues)でオメルタ(omertà、神聖なる誓い)を立てたことである。それらの諸問題には、トランスジェンダーの権利、イギリスの植民地支配の過去、移民などが含まれ、イギリスの右派が利用しようとしてきた問題だ。元人権派弁護士であるスターマーは、論争の的となったルワンダからの強制送還計画を廃止することを約束したが、それはより広範な道徳的声明としてではなく、現実的な理由によるものだった。より広い移民問題に関しても、党は非常に慎重な姿勢で臨んでいる。これは確かに勇敢ではないが、うまくいっている。今回の選挙で文化戦争に火をつけようとしたあらゆる試みがあったが、労働党はそれらの争点について、焦点を絞ったままでうまく対応した。

保守党は文化戦争を引き起こそうとしてきているが、イギリスの有権者たちにとってより顕著なのは、力を持った保守党の汚職と規則違反の認識であり、選挙日を賭けるために、インサイダー情報を利用したという、選挙によって選出された政府職員たちが関与する現在のスキャンダルで人々の怒りは頂点に達した。

新型コロナウイルス感染症のパンデミック中に国民保健サーヴィス(National Health ServiceNHS)向けの保護用具の優先契約を含むスキャンダルや、そこでは驚くべき40億ポンド(50億ドル)相当の欠陥のある機器が調達された(一部は与党とつながりのある企業からのものとされている)スキャンダルなどが起きた。その後、ジョンソンとリシ・スナック現首相が新型コロナウイルス時代の法律違反で警察から罰金を科せられた「パーティーゲート(Partygate)」が登場した。同じく元首相デイヴィッド・キャメロンが関与したロビー活動スキャンダルも国民の大きな怒りを引き起こした。エリートのルール破りは、終わりのない文化戦争とは異なり、有権者の怒りに火をつけた。

並行して、労働党はコービン党首下のアイデンティティ政治の一形態(a form of identity politics)から、階級について非常に積極的な立場(a very proactive position on class)へと方向転換した。スターマーは自身の貧しい生い立ちをイギリスの選挙戦の表舞台に据え、イギリス社会の「階級の天井(class ceiling)」について誠実に語った。スターマーが純資産8億2200万ドルで、民主政治体制国家の指導者の中で最も裕福な指導者となっているスナクと争っていることから、これは特に有権者の共鳴を得ている。

スター魔の定番の演説は次のようなものだ。

「父は工場で工具製造者として働き、母は看護師だった。私たちが育った頃は何もなかった。現在の何百万もの労働者階級の子供たちと同じように、私も生活費の危機(cost-of-living crisis)の中で育った。カーペットがボロボロで窓がひび割れていて、友人たちを家に連れて帰るのが恥ずかしい気持ち、私にはよく分かる。実際のところは、私がサッカーボールを室内で蹴ったのでそのようなことになったので、責任は私にあるのだが」。

このように階級を重視するのは、現代イギリス政治においては異例なことだ。実際、最近の労働党指導者たち、ブレアからゴードン・ブラウン、エド・ミリバンド、コービンに至るまで、様々な点でイギリス労働者階級の部外者だった。ブレアとコービンは比較的裕福な(そして私立学校教育を受けた)生い立ちで、ブラウンとミリバンドは中産階級出身だった。 -階級的背景、そして部分的には、ミリバンドの父親はこの国で最も著名なマルクス主義学者の一人だった。保守党にとって、食料品店の娘だった首相の時代はとうの昔に過ぎ去った。キャメロンとジョンソンは、2年違いで同じエリート私立学校 (イートン校) に通っていた。それだけではない。彼らは同じ大学(オックスフォード大学)に通い、同じプライベート・ダイニング・クラブ [private dining club](最も特権的な人々のための)のメンバーだった。

スターマーは階級政治(class politics)を重視しており、それがうまく機能している。ほとんどの商品やサーヴィス(20%)に適用されるのと同じ付加価値税を私立学校の授業料に課すという約束は、子供を私立学校に通わせている、イギリスの親の6%である非常に裕福な人々からの怒りの爆発につながった。 スターマーにとって有利なことは、私立学校で教育を受けた人たちは保守派に投票する傾向があることが多い。一方、私立学校の税収を州立学校の94%の子供たちの教育に投資するという労働党の公約は、一般の有権者からの支持を集めている。

この階級重視の取り組みにより、他国では右派や極右に囚われてしまった有権者のグループを取り戻した。労働党は現在、得票率の38~42%で労働者階級の有権者の間でリードしており、保守党の22~24%とは対照的である。学歴が最も低い層については、50歳以上を除く全ての年齢カテゴリーで労働党がリードしている。

労働党とイギリス労働者階級との再関与を推進した立役者の1人が、副首相就任を目前に控えているアンジェラ・レイナーだ。レイナーは労働者階級出身であり、16歳で母親になり、37歳で祖母になった。自分の意見にとらわれず、強いお酒を好んで悪びれることのない喫煙者である彼女は、労働組合運動を通じて急速に手腕を発揮し、名前を上げていった。労働党の下院議員選挙候補者になるまで介護施設で働いていた。ライナーの物語は、優れた人々を議会政治に昇格させる方法についての教訓だ。彼女の成功は彼女自身のものだが、組合が彼女を育て、組合員は彼女を副リーダーとして支持した。彼女には真のスターとしての力があり、アメリカの民主党支配層の上層部には彼女のような人は事実上存在しない。

驚くべきことに、階級の側面はイングランドの中間階級を疎外していないように見える。幻滅した郊外派(surbubanites)や中道リベラル派(centrist liberals)は、ますます急進的で機能不全に陥っているように見える保守党によって切り捨てられてきた。スターマーの元首席検察官としての経歴と、正式には「サー・キアー」と呼ばれるナイト爵位は、保守党がポピュリスト右派の主張を悪びれることなく受け入れ、その支持を高めているのと同じように、スターマーに幅広い魅力を与えている。

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2022年10月24日、保守党党首選の勝者として発表され、レベッカ・パウ議員と同僚たちに迎えられるリシ・スナック(中央、右)

労働党の成功の一部は、保守党政権のここ数年間に起こった組織的な集団的混乱によるものである。保守党は2010年以来、5人の首相を国民に推挙してきたが、そのうち4人は国民全体ではなく、白人が大半を占める約17万人の男性党員によって選出された。経済成長は貧弱だ。イギリスだけでもNHSの待機リストには800万人近くの人がいる(この国では民間医療の利用は一般的ではない)。そして、刑務所や地方自治体を含む不可欠な公共サーヴィスはシステム失敗の危機に瀕している。

しかし、より根本的な変化が起こっている可能性を示す兆候は存在する。 65歳以上を除く全ての年齢層で労働党がリードしている。就労していれば、労働党に投票する可能性が高くなる。45歳未満の有権者の45%は労働党に投票する可能性が高いが、保守党を支持しているのは10人のうち1人に過ぎない。今回の選挙ではミレニアル世代がイギリス最大の投票層となる。彼らの主要な問題には、壊滅的な気候変動を防ぐ政策(イギリスの政治的スペクトル全体でよく支持されている)、住宅の建設、交通網の改善(特に自家用車を所有していない都市部のミレニアル世代の多く)、および家族寄りの政策が含まれる。これら全てが今回の選挙に影響を及ぼした。

西側諸国の高齢の住宅所有者たちは、ミレニアル世代向けの新築住宅の建設に反対することで、潜在的には世界最大のカルテル(the world’s largest cartel)を運営することに成功している。労働党は、現在持続可能な開発を妨げている計画規制を大幅に緩和することで、イギリスにおけるこうした状況に終止符を打つことに尽力している。

労働は勤労者への課税を排除しているが、不労所得(unearned income)についてはそのような公約はなされていないため、キャピタルゲイン税(capital gains taxes)の引き上げと、地主層を含む大富豪向けの抜け穴を減らすことで税制のバランスを再調整するのではないかという憶測が広がっている。農地は世代間で、非課税で引き継がれる。労働者には地主に対する愛情も無い。ロンドンの不動産市場が世界中の、国富を横領する政治家たち(kleptocrats)による投機的投資によって膨張してきた約20年を経て、外国人による不動産所有に対する新たな制限や新たな税金を求める国民の欲求が高まっている。

労働党はまた、テクノクラート的な実証主義者のエリート(technocratic positivist elite)で囲まれている。このグループには、スターマーの側近と緊密に連携する野心的な知的シンクタンクである「レイバー・トゥゲザー(Labour Together)」と、生命科学と人工知能における国の比較優位に沿ったテクノ未来主義を受け入れているトニー・ブレア研究所(Tony Blair Institute)が含まれる。スターマー政権の下での公共部門改革は、例えばNHSのデータの宝庫(7000万人分)を医療分野の革新を推進するために利用する可能性を想像すれば、重要なものとなる可能性がある。

労働党が未来に焦点を当てているのとはまったく対照的に、高齢化する右派有権者層は現在、保守党と、民間企業、政党、そしてナイジェル・ファラージの個人的なプラットフォームを組み合わせたような手段である、リフォームUKに二分されている。ファラージは、ドナルド・トランプがイギリスの高級な舞台小道具小道具として持ち出した、EU離脱支持(pro-Brexit、プロ・ブレグジット)の政治家とし闊歩している。イギリス議会保守党は既に右傾化している。保守党の議員たちはヨーロッパ人権条約を非難する複数の声明を出しているが、この中の1つの文書は、保守党議員でニュルンベルクのナチス検察官を務めた、デイヴィッド・マクスウェル=ファイフが共同起草した文書だ。この文書は、ウィンストン・チャーチル首相の戦後ヨーロッパに対するヴィジョンに触発された内容となっている。

一方、保守党議員の一部は既に、このほぼ確実な敗北を、党がポピュリスト的右派に十分に軸足を移していなかった証拠としようとしている。右派が分裂したことで、物議を醸すファラージの保守党入りが現実味を帯びてきており、労働党はこの見通しに歓喜している。言うまでもなく、保守党の次期党首が穏健派になる可能性は低い。党が右傾化すれば、ファラージ主義の器(essel for Faragism)となり、トランプ運動の弱いイギリス版となる日も近いかもしれない。

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2022年8月17日、党首選に先立ち、北アイルランドのベルファストで、保守党の候補者スナク(左)とリズ・トラス(右)を描いた壁画の仕上げを行うアーティストのキアラン・ギャラガー

最後に、大きな動き(vibes)がある。英国政治の進歩主義的な描き直しは、イギリスをめぐる物語を変えるだろう。国民の物語は一瞬にして反転する可能性がある。バラク・オバマからドナルド・トランプに至るまで、あるいは中国経済の優位性の思い込みが、習近平国家主席の下での縮小と衰退の感覚に至るまでの、外国人のアメリカに対する認識を考えてみよう。最近の記憶では、イギリスは大西洋中部のどこかに停泊している、かなり安定した政治的に鈍い島だと思われていた。EU離脱、ボリス・ジョンソン、そしてリズ・トラスがそれに終止符を打った。認識されている実際の混乱と反乱を引き起こす右派から進歩主義的な超多数派への移行により、態度は再び変化する可能性がある。

この大きな変化は、英国経済にとって特に重要だ。イギリスは伝統的な大国ではなくなったかもしれないが、依然として国際的にその地位を大きく上回る文化的地位を保っている。イギリスの GDPの6%は、イギリス音楽の成功からプレミアリーグ、急成長する映画やテレビ産業、ファッション、芸術に至るまで、クリエイティブ産業によるものだ。これはドイツの水準の2倍であり、ドイツの自動車生産のドイツ経済全体の貢献(4.5%)よりも大きい。雰囲気(vibes)を売りにし、創造性の輸出に依存しているこの国にとって、ブレグジット(Brexit)と孤立(isolation)は大きなダメージとなっている。

今では忘れ去られて久しいが、1997年から2008年の金融危機までの最後の労働党政権の間、英国はG7の中で最も急速に成長し、クリントンやブッシュ時代のアメリカを上回る経済成長を遂げた。現在停滞している国の経済を考慮すると、次の議会は更に困難になるだろうが、高度にオープンな社会においては、消費者の信頼感と投資家の信頼感の役割を過小評価することはできない。

2019年の総選挙で労働党が歴史的な敗北を喫した後、本誌に掲載した記事の中で、私は次のように書いた。「急進左翼主義(radical leftism)は、政党として服用すれば、翌朝には元に戻るような薬ではない」。私は選挙については正しかったが、翌朝については間違っていた。

労働党がわずか5年で歴史的敗北を歴史的勝利に変えるとは誰も予想していなかった。保守党が直面した状況は異常だったが、スターマーは厳格な党運営、イデオロギーではなく有権者重視、階級に基づく政治の散りばめが社会民主主義政治を活性化できることを示した。

これは他の中道左派政党にとってどのような教訓となるだろうか?

まず、文化戦争の問題は、ほとんどの有権者にとって中心的な動機ではない。あらゆる主要な文化戦争問題に関して、労働党は保守党ほど人気のない立場にある。しかし、住宅ローン金利が2%から5%に上昇すると、「問題は経済なんだよ、愚か者」ということになる。進歩主義者はポピュリスト右派の非難を恐れる必要はない。有権者はより賢明な答えを必要としている。

第二に、ルール違反や汚職とみなされる行為は有権者にとって強力な動機となり、世界各国での世論調査がこれを証明している。進歩主義派は、利益相反、企業ロビー活動、世界の世界都市の最高級不動産の海外の国富を横領している政治家たちによる買い占め、そして政治的支配によって存在する新興独占企業への対処に対して、より強力な路線を必要としている。そうすることでポピュリスト右翼に真っ向から対抗することになる。

第三に、左翼のオンライン空間におけるアイデンティティ政治の優位性は、この形態の政治に対する国民の理解や関心と一致していない。階級は理解されるが、交差性は理解されない。階級は、様々な場所の進歩主義者にとって最も重要な境界線である場合もあれば、そうでない場合もある。しかし、進歩主義者が勝つためには、上流中産階級以外の出身で、幻滅し取り残されたと感じている人々の心に響く、生きた経験を持つメッセンジャーが必要だ。つまり、アメリカの民主党にはアンジェラ・レイナーが必要なのである。

最も重要なことは、社会民主勢力には一度政権を握ると時間的余裕がないということだ。インフラの崩壊、公共サーヴィスの機能不全、生活水準の低下、住宅不足は全て、1960年代後半のアメリカの偉大なる社会プログラム(Great Society programs)や、イギリスの同時代の同様の政策以来見られない規模で国家が直接介入することを示している。しかし、勢いを増しているポピュリズム右派によって、更なる挑戦を受けることになるだろう。

ジョー・バイデン米大統領のインフレ抑制法は、ロンドンとブリュッセルで進歩主義派の話題となっており、バイデンの大胆さはもっと評価されるべきだ。超過半数を獲得したスターマーには、より大胆な計画を立てる余地がある。進歩主義的なイギリス政府は、この国に対するヨーロッパ人の見方をリセットするだけでなく、成功すれば、緊縮財政(austerity)と財政化(fiscalization 訳者註:税務上の金融取引を電子的に登録するプロセス)は、経済成長や社会の安定を生み出さないという欧州内の進歩的な議論を助けることができる。

スターマーの勝利は、世界の社会民主勢力にとって、裕福な民主政体国家における選挙での成功への最高水準となるだろう。スターマーにとっての課題は、スターマーにとっての挑戦は、多くの危機的状況が同時に起きている(polycrisis)時代における信じられないほどの希望の重さである。労働党が成長を実現し、住宅を建設し、賃金を引き上げることに成功すれば、他の国でも真似できる、そして真似すべき青写真を提供することになる。

※マイク・ハリス:世界的な通信機関である「89up」 の最高経営責任者であり、元労働党議員 3人の議会顧問を務めていた。ロンドンのルイシャム地区評議会の労働党副委員長でもあった。ツイッターアカウント:@mjrharris

(貼り付け終わり)

(終わり)

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 イギリスの総選挙の投開票が実施され、労働党が圧倒的な議席を獲得し、14年ぶりに政権交代となった。保守党は歴史的な惨敗を喫した。中道派の自由民主党や右派のリフォームUKは議席を増やした。議席数は労働党が412議席(214議席増)、保守党が121議席(252議席減)、自由民主党が71議席(63議席増)、スコットランド国民党が9議席(37議席減)、リフォームUKが5議席(5議席増)、緑の党が4議席(3議席増)などとなっている。興味深いのは得票率で、労働党は前回とほぼ同じ、保守党は19.9%減、自由民主党も横ばい、リフォームUKは12.3%増となった。得票率が横ばいでも獲得議席数が激増した労働党と自由民主党、得票率は半減だったのに議席減が壊滅的となった保守党、得票率が激増したが議席数には反映されなかったリフォームUKという構図になる。
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 今回の選挙について、労働党が獲得議席数では大勝利ながら、得票率では前回とほぼ同じで、横ばいだったことを考えると、「保守党が自滅した、しかも大規模に」ということになる。このようなことが起きるのは、単純小選挙区制(first-past-the-post voting system)であるからだ。単記非移譲式投票(single non-transferable voteSNTV)と呼ぶこともある。各選挙区の定数は1で、最多得票者が当選者となる。非常にシンプルだ。炭塵小選挙区制では、死票(wasted vote)が多く出るのが特徴で、それが欠点とされる。日本では衆議院選挙で小選挙区制が導入されたが、この時に比例代表での復活も可能な制度が導入された。日本の制度では死票が減少するが、「小選挙区で落選した候補者が復活するのはおかしい」という批判がなされる。完全な比例代表制度(proportional representationPR)を採用している国もあるが、少数政党が乱立し、過半数を握る単一政党が出にくいために、連立政権となり、政治が安定しないという批判もある。完璧な選挙制度は今のところ考え出されていない。
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死票が多く出る

 今回のイギリスの総選挙では、保守党への大きな批判があったのは確かで、それをうまく利用したのが労働党であり、選挙戦術として、勝利の可能性の高い選挙区に集中した自由民主党が勝利を収めたということになる。そして、保守党への不満・批判票はリフォームUKに流れたと推察される。リフォームUKは得票率だけならば、第3位になった。労働党、保守党とリフォームUKの合計得票率は3割超えというところで、拮抗している。リフォームUKが出ていなければ保守党の議席減、労働党の議席増はそこまで大きくなかったと考えられる。私が子供の頃は、アメリカとイギリスは二大政党制と習った。小選挙区制では二大政党以外は勝ち抜くのがなかなか大変だと言われているし、実際そうである。

政治学では、デュヴェルジェの法則(Duverger's law)というものがあり、フランスの政治学者モーリス・デュヴェルジェが主張したものだが、選挙区でM人が選出される場合には、候補者はM+1人になるというものだ。小選挙区制度ではM=1なので、2人が候補者となる。この考えは最初、候補者ではなく、政党数が収れんしていくと主張するもので、小選挙区制度の国では政党数は2つになる、ということになる。昔の日本では中選挙区制(multi-member district)を採用しており、一番大きな選挙区では5人が選出されるとなっていたので、6つの政党が存在できるということになる。55年体制下の日本で考えると、自民党、社会党、公明党、民社党、共産党、社民連が国政政党として存在した。

 イギリスでは第三党、中道の第三勢力を求める動きがあり、自由民主党が一定の勢力を持つことにつながっているようであるが、リフォームUKの出現がどこまで影響を与えるかが注目される。今回の投票率は約60%であり、これはこれまでと比べての低い数字となった。有権者の関心が低かったということもあるだろうが、政治に関する無関心が拡大しているということも考えられる。
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 労働党は大きな議席を得たが、国民生活の改善、物価高の抑制と移民対策、外交政策で成果を出すことが必要で、それがなければ、次の選挙では大敗を喫するということは十分に考えられる。

●イギリスのここ最近の選挙の概略的な結果表示●

■2010年

・保守党306議席(96議席増)36.1%

・労働党258議席(91議席減)29.0%

・自由民主党57議席(議席減)23.0%

■2015年

・保守党330議席(24議席増)36.9%

・労働党232議席(26議席減)30.4%

・スコットランド国民党56議席(50議席増)4.7%

・自由民主党8議席(49議席減)7.9%

■2017年

・保守党317議席(13議席減)42.3%

・労働党262議席(30議席増)40.0%

・スコットランド国民党35議席(21議席減)3.0%

・自由民主党12議席(4議席増)7.4%

■2019年

・保守党365議席(48議席増)43.6%

・労働党202議席(60議席減)32.1%

・スコットランド国民党48議席(13議席増)3.9%

・自由民主党11議席(1議席減)11.6%

■2024年

・保守党121議席(251議席減)23.7%

・労働党411議席(211議席増)32.1パーセント

・自由民主党72議席(64議席増)12.2%

・スコットランド国民党9議席(38議席減)2.5%

・リフォームUK5議席(5議席増)14.3%

(貼り付けはじめ)

イギリス労働党は全国総投票数のわずか34%で選挙において大勝利を収めた(Britain’s Labour pulled off a thumping election victory with just 34% of the national vote

ヴィッキー・マッキ―ヴァー筆

CNBC

2024年7月5日

https://www.cnbc.com/2024/07/05/uk-election-2024-britains-labour-pulled-off-a-thumping-election-victory.html

・イギリス労働党は全国総投票数のわずか34%を獲得し、一方で保守党は約24%を獲得した。

・中道派の自由民主党、右派のリフォームUK、緑の党は一般投票の約43%を獲得したが、確保した議席は総議席数の18%弱にとどまった。

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キア・スターマー英首相と妻ヴィクトリア・スターマーが選挙の結果を受けてダウニング街10番地で労働党の選挙活動参加者や活動家たちに挨拶(イギリスロンドン、2024年7月5日)

ロンドン発。イギリスの労働党が総選挙でイギリス議会の議席で巨大な過半数を勝ち取った。しかし、独特なイギリスの選挙制度では、わずか総投票数の34%で大勝が実現した。

選挙結果によると、野党労働堂は全650議席中412議席を獲得した。残り2議席はまだ結果が判明していない。この議席数は全議席数の約63%を占めることを意味している。しかし、労働党は全「一般」投票(“popular vote”)の僅か34%を獲得しただけだ。一方の保守党は総投票数の約24%を獲得した。

他方、中道派の自由民主党、右派のリフォームUK、緑の党を含む少数政党は合計で約43%の得票となったが、獲得議席は全議席の18%にとどまった。

これは、有権者が国内650の各選挙区の地元リストから候補者を1人だけ選ぶという英国の単純小選挙区制度、「先取り」制度(first past the post” system)が手助けをしているものだ。各選挙区で最も多くの票を獲得した人物が、イギリスの下院である庶民院(the House of Commons)議員に選出される。通常、下院で最も多くの議席を獲得した政党が新政府を樹立し、その党首が首相になる。

他の投票システムとは異なり、第2ラウンドや、第1候補者と第2候補者の順位付けはない。これは、小規模政党が一般投票の増加したシェアを議席につなげることが難しいことを意味する

アクサ・インベストメント・マネージャーズのG7担当エコノミストのガブリエラ・ディケンズは金曜日に発表したメモの中で、今回の選挙は「一般投票の3分の1強で過半数を大きく超える議席が得られたため、政治制度に対する警告サインとなった」と述べた。

彼女は、今回の選挙の投票率は60%にとどまったことを指摘している。これは、投票率が59.4%に低下した2001年に次いで、1918年以降、2番目に低い投票率だ。2019年の投票率から7.6%低下した。これは「広範な政治的断絶(broader political disconnect)」を示しているとディケンズは述べた。

ディケンズは「労働党の過半数を大きく超えての大勝は、労働党の人気復活によるものというよりも、私たちの投票システムの持つ特殊性と、票の分散とスコットランド国民党(Scottish National PartySNP)の崩壊の相互作用の結果である」と述べた。

そうは言っても、ディケンズは「投票はより一般的に左にシフトした」と付け加えた。

「労働党政権が今後5年間統治し、経済成長、投資、個人の実質所得を回復させることができれば、彼らは、将来的に真の改善が見られる立場に立つだろう」とディケンズは語った。

一方、パンテオン・マルコ・エコノミクスのイギリス担当首席エコノミストのロブ・ウッドは、投資家たちは「投票シェア、右派リフォームUKの結果、政治的忠誠を転換しようとする有権者の意欲がどのように政策に反映されるのかをよく吟味する必要がある」と述べた。

ナイジェル・ファラージ率いるリフォームUK党は一般投票の14%を獲得したが、確保した議席はわずか4議席だった。

ウッドは「通常、今回の労働党が獲得した過半数よりも大幅な議席数があれば、複数期の政権を保証することになるだろう。しかし、投票動向を考慮すると、スターマーの過半数は通常ほど安全であるとは言えない」と述べた。

ウッドは、労働党は「約束した変化を実現できることを証明するために、政策変更に迅速に取り組む必要があるだろう」と述べている。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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