古村治彦です。
先日の米中首脳会談については、このブログでも私の考えを書いた。その記事を是非読んでいただきたい。アメリカの有識者は米中首脳会談についてどのような感想を持ったのかが分かる記事を以下にご紹介したい。その内容を簡単に言えば、「習近平国家主席はドナルド・トランプ大統領のふるまいを身近で観察し、アメリカが進むべき方向を見失っていると感じ取ったのではないか」ということである。
以下の論考の著者ハワード・W・フレンチは憶測であるとしながらも、トランプの「滑稽な姿」や国内政治と外交の区別をつけることができない様子を見て、「アメリカ自体が自信を失い、進むべき方向性を見失っている」と感じ取っただろうと書いている。この観察と感想は非常に重要である。フレンチが具体例として出しているのは、ホワイトハウスの壁に飾られた歴代大統領の肖像画(肖像写真)をトランプが習近平に紹介しているシーンだ。トランプは、ジョー・バイデンの肖像写真をオートペン(署名が自動できる装置で歴代大統領も使用)の写真に変更して飾らせている。そして、紹介する際に、必ずバイデンを笑いものにする。習近平は周りにつられて笑いはしたが、駄々っ子のトランプをあやすかのようだ。国内政治で対立し、激しく非難し合っていても、他国に対してはそのようなことをしないというのは不文律である。しかし、トランプがバイデンを嘲笑する姿を見て、習近平は哀れを感じたことであろう。
私たちがもっと悲しむべきは、日本の高市早苗首相がこの署名の紹介のところで、トランプに媚びて、下卑た馬鹿笑いをしているところだ。フレンチのような有識者、外交について長年見てきた人物から見て、トランプの姿は滑稽であり、哀れを誘うということになる。それならば、そのような哀れを誘うトランプに対して、下卑たお追従をする日本の高市早苗首相にはどのような感想を持つだろうか。もはや独立国の指導者とすら思われないだろう。それが日本の真の姿であるということを私たちは認識しなければならない。
こんな無能な思考力の欠如した指導者しか選べない日本とはなんと哀れな国だろう。自信を失った、哀れな国家に付き従う属国の悲哀ということについて、私たちはよくよく考えねばならない。現実から目を背けて、「日本の●●は世界一!」「二歩人は世界で最も●●な民族!」と言わねば、精神が保てないということは分かるが、私たちは冷静になって、現実を見る目を養わねば、悲惨な歴史を繰り返すことになる。もしくは、アメリカの作家マーク・トウェインが述べた、「歴史は繰り返さないが、歴史は韻を踏む(History doesn't repeat itself, but it rhymes)」という言葉を拳拳服膺しなければならない。私は歴史が繰り返すにしても、韻を踏むにしても、非常な器具を持っている。それは、今から81年前と同様の結果が起きるのではないかと考えているからだ。
(貼り付けはじめ)
習近平は実際にトランプについてどう考えているのか(What Xi Actually
Thinks of Trump)
-習近平中国国家主席はドナルド・トランプ政権下のアメリカは進むべき道を見失ったと結論づけた可能性が高い。
ハワード・W・フレンチ筆
2026年9月28日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/09/28/xi-trump-summit-washington-us-china/
ワシントンのホワイトハウスにあるローズ・ガーデンに姿を見せたドナルド・トランプ米大統領と中国の習近平国家主席(9月24日)
ワシントンで行われたドナルド・トランプ米大統領と中国の習近平国家主席との首脳会談における最も重要な成果の1つは私たちがすぐに、そしてこれからもずっと見ることができないものであろう。
それは、米中両国が共同声明を発表できなかったことや、会談内容に関する双方の発表に大きな食い違いがあることとは関係ない。むしろそれは、習金平が訪米を終えるにあたり、2つの関連する問いについて持ったであろう、個人的な見立てに関わるものである。すなわち、「トランプとは本質的にどのような人物なのか?」、そして「彼の政権は、世界の現行超大国としてのアメリカの現状について何を物語っているのか?」という問いについてである。
こうしたコラムは必然的に推測の域を出ないものだが、あえて私の見解を述べてみたい。第一の点は単純明快だ。トランプ大統領が習主席をレッドカーペットで厚遇し、事あるごとに持ち上げたあの極端なへつらい(extraordinary unctuousness)は、トランプ自身がしばしば信じているような、2人の間に真の友情を芽生えさせることなど到底あり得ないものだった。
他の国々と同様、中国も過去数十年にわたり多くの過ちや誤算を犯してきた。しかし、毛沢東時代以降の中国では、規律あるプロセスを経て政策が策定されている。その目的は、中国の、少なくとも中国共産党の、利益を冷静かつ合理的に評価することだ。一般的な意味での個人的な友情など、このプロセスとは何の関係も持たない。この原則は、習主席とロシアのウラジーミル・プーティン大統領(モスクワは北京にとって状況に応じた同盟相手である)との間で見られる、あの親密さを演出するパフォーマンスにさえ当てはまるだろう。
やや推測が進んでしまうことになるが、習主席は、トランプ大統領が「権威主義的なリーダーシップとはこうあるべきだ」と解釈して見せる振る舞いを、非常に滑稽なものとして見ていたかもしれない。トランプが国王のような権力を夢見ているというのは、アメリカの政治評論においてよく語られる話だ。そうでなければ、彼が金(ゴールド)を多用することや、記念碑的な建造物、とりわけ後世に自分の名を残すようなものを熱望することをどう説明できるだろうか?
しかし、トランプが習主席をホワイトハウス内で案内し、ヘリポートや建設中の舞踏室を誇らしげに紹介する様子を見ていた習主席は、トランプを「馬鹿者(a fool)」だと見なしたに違いないと私は考えずにはいられない。習主席が過去13年余りにわたり自らの手中に強大な権力を集中させてきた一方で、彼が個人的な誇示や自己顕示のために費やした労力は、ほとんど皆無に等しい。
トランプが習主席をあるパヴィリオンへと案内した際、習主席は相手に対して悪い印象を抱いたに違いない。そこは金箔を施した壁に歴代米大統領の肖像画が掲げられた場所で、肖像画は昇順に並べられ、トランプのものが一番高い位置に飾られていたからだ。それだけでも悪趣味極まりないが、さらにトランプは、自身の前任者であるジョー・バイデン氏の肖像画が飾られた額縁の前で立ち止まった。そこにはバイデンの肖像画の代わりに、オートペン(署名代行機)の写真が収められていた。これはバイデンが(歴代大統領と同様に)公的な文書に署名する際によく使用していた機器である。
トランプ大統領が認識していなかったと思われるのは、国内政治と最高レヴェルの国際関係は、日常的に慎重に区別されるべきものだという点だ。「政治は水際で終わる(politics stops at the water’s edge)」という、外交に関するアメリカの古くから尊重されてきた格言が示す通りである。習主席自身、2022年10月に中国共産党の最高幹部が集まる党大会の場で、前任者の胡錦濤を退席させたことで波紋を呼んだことがある。これは、内部の不和が公の場に表れることが稀な中国において、異例の出来事であった。しかし、習主席が海外で前任者の誰かを公然と悪く言うなど、到底考えられないことだ。なぜなら、国家運営の心得を十分に備えた多くの国の指導者と同様に、習主席もまた、海外での重要な責務の1つは、自国とその体制の結束した姿をアピールすることだと理解しているからだ。
少なくとも習主席は、トランプが自身の前で米メディアをこき下ろし、中国メディアが北京の意向通りに報道することに対して隠しきれない羨望を口にした際、トランプが事態を根本的に取り違えていると感じたはずだ。トランプは、政府寄りの報道とは、自身の気に障る批判を行う報道機関を排除することによって実現するものだと考えているようだ。だが、習主席はそうではないことを知っている。アメリカと中国の報道体制の違いは、民主政治体制と独裁制という根本的な相違に根ざしているからだ。
しかし、そこにはさらなる要素がある。アメリカ憲法によって保障された報道の自由は、単なる法的な規定にとどまらず、自らを批判する者を恐れない体制が持つ、より深い国家としての自信を長年にわたって反映してきた。こうした状況を目の当たりにし、私は次のような疑問を持つに至った。習近平は、単に1人の大統領が漫画のような滑稽な姿(cartoonishness)を晒しているのを見ていたのではなく、中国の指導者たちが長年敬意を抱き、時には羨望の眼差しさえ向けてきたあの自信(the self-confidence)を含め、進むべき道を見失いつつある国家の兆候をそこに見て取ったのではないか?
比較のために、それぞれが全く異なる体制の頂点でどのように振る舞ってきたかを見てみよう。習近平の統治は、戦略的かつ極めて強い意志を持って、ほぼ絶対的な権力(near-absolute power)を掌握しようとする動きとして捉えるべきだ。一部の人々にとっては、その動きは彼が2012年後半に中国の指導者に就任する前から始まっていた。2012年9月、彼は約2週間にわたって公の場から姿を消したことがある。多くの説によれば、彼はこの空白期間を利用して古参幹部たちに迫り、毛沢東時代以降に就任した他の指導者たちよりもはるかに大きな権限を自分に与えるよう確約させたという。
それ以来、習近平は徹底した反腐敗キャンペーンを巧みに利用してきた。単に汚職を取り締まるだけでなく、自身の忠誠心が疑わしい党幹部を排除するためである。中国人民解放軍の上層部に対しても同様の手法をとり、主要な将官クラスの有力者たちを次々と投獄したり、退役させたりしてきた。こうした一連の動きにより、習近平は毛沢東時代から続いてきた「5年任期を2期まで(two five-year mandates)」とする慣例を回避し、無期限に統治する権力を手中に収めた。彼の権力掌握の手法は、大蛇(a boa constrictor)が獲物を仕留める様子に例えられるかもしれない。つまり、徐々に、しかし容赦なく締め付けを強めていく方法である。
だからと言って、習近平が国を正しい方向に導いているとか、中国の台頭が不可避であるとか、あるいは中国内部に深刻な矛盾がないなどと考えるべきではない。しかし、トランプ率いるアメリカについても、同じことが言える訳ではない。
トランプの行動、とりわけ2期目における行動がアメリカの利益につながると結論付けるのは難しい。私が悲観的になる理由の多くは、彼のリーダーシップのスタイルにある。習近平と比べると、トランプは全くの素人のように見える。好奇心に欠け、知識も乏しく、直感や気まぐれで動く即興的な人物だ。自制心に乏しく衝動的で、自らの偉大さや機知、知恵を誇示することに喜びを見出すような人物だ。
これを厳しい評価だと感じるなら、共和党への近年の最大級の献金者の1人である億万長者、ピーター・ティールによる、トランプのリーダーシップに対する最近の批判を考えてみてほしい。ティールは、トランプの第2次政権が第1次政権時の内部対立を是正しようとするあまり、行き過ぎた対応をとったと指摘している。具体的には、忠誠心テスト(loyalty tests)を課した結果、彼の言葉を借りれば「頭はそれほど良くないが忠実な人々で構成された政権」が生まれた。そうした選択がもたらす戦略的な帰結は今、イランや中東全域からウクライナ、さらには東アジアに至るまで、世界の舞台で現実のものとなりつつある。
その結果、トランプは、習主席が陥りかねない最も危険な誤算の1つを、現実のものとする可能性を著しく高めてしまった。習主席は今後、自らの能力や中国の力を過大評価する(例えば、台湾や日本をめぐる力関係において)一方で、トランプ政権下の自滅的な失態からアメリカが立ち直る可能性を過小評価するようになるかもしれない。言うまでもなく、その回復は決して容易なことではないことは明らかだ。
※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授、長年にわたり海外特派員を務めた。最新作に『第二の解放:高潮期のンクルマ、汎アフリカ主義、そしてグローバル・ブラックネス(The Second Emancipation: Nkrumah, Pan-Africanism, and Global
Blackness at High Tide)』がある。ブルースカイ・アカウント:
@hofrenchbluesky.social、 Xアカウント:@hofrench
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