古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:カザフスタン

ダニエル・シュルマン
講談社
2015-10-28



アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

 古村治彦です。

 

 2022年の冬季オリンピック・パラリンピックが北京で開催されることになりました。北京と最後まで争ったアルマトイとカザフスタンに関する記事を皆様にご紹介します。カザフスタンはこれから「来る」国であると私は考えます。2000年代中盤からそのことを書き続けている副島先生はやはり凄いと思います。

 

==========

 

カザフスタンは尊敬を集める(Kazakhstan Can’t Get No Respect

―しかし、2022年のオリンピック開催を認められるか?

 

リイド・スタンディッシュ筆

2015年7月30日

『フォーリン・ポリシー』誌

http://foreignpolicy.com/2015/07/30/kazakhstan-cant-get-no-respect-olympics-2022-nazarbayev/

 

 中央アジアにある産油国カザフスタンにある都市アルマトイを初めて見た人は、世界最大のスポーツ・イヴェントを開催できるなんて思えないだろう。

 

 アルマトイは旧ソ連の国の都市にありがちな、無味乾燥した巨大なアパート群と道幅の広い大通りを持つ灰色の都市である。アルマトイは地震がよく起こるという弱点もある。更には人権状況が芳しくない。また、カザフスタンの首都でもない。1997年にもっと栄えていたアスタナに首都の座を奪われた。アルマトイは、古代のシルクロードの中継地の一つであった。そして、変化にとんだ歴史を持っている。ロシアによって植民地とされ要塞が築かれ、後にはソ連に属するカザフスタンの首都となった。しかし、それ以降、アルマトイはカザフスタンの金融の中心地として栄え、繁栄はこれからも続いていくだろう。

 

 7月31日、静まり返ったアルマトイ、そしてカザフスタン全体は、政府関係者たちが「伸るか反るか、勝つか負けるか」の大勝負に臨むことになる。

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アルマトイ
 

 カザフスタンは、ユーラシア大陸内陸部に位置し、世界の多くの人々がどの国がどこにあるのか分からない中で、旧ソヴィエト連邦に属した中央アジアの「スタンの付く国々」とひとまとめにされる国だ。カザフスタンは独立して24年経過したが、これまで国際的な舞台で勝利を得る機会をほぼ手にしたことがなかった。しかし、カザフスタンは2022年の冬季オリンピックの開催地として中国と共に最後の2か国まで残ることが出来た。しかも今回は西洋諸国のお気に入りで強力な経済を持つことが条件の招致レースでただの負け犬ではなく、ひょっとしたら勝利を得られるかもしれない候補となっているのだ。

 

 カザフスタンは北京と争うことになったオリンピック開催への長い道筋においてこれまでないような経験をしてきた。アルマトイの競争相手は次々と自滅していった。まずウクライナ東部の紛争のせいでリヴィヴが脱落した。次にスウェーデン政府が予算的に援助できないと声明を出したことでストックホルムが立候補を辞退した。ポーランドのカラコウの場合は世論調査で70%の市民が2週間にわたるイヴェント開催に興味を持っていないことが明らかにされ、脱落した。そして、2014年10月1日、ノルウェーの首都オスロは、豊富な石油資金と国際的にクリーンなイメージがあることから有力候補であったのに、国際オリンピック委員会に対して「興味を失った」として丁寧に立候補辞退を申し出た。その結果、最終的には事実上2つの立候補地が残ることになった。それが北京とアルマトイだった。このシナリオを「人権問題に関して言うと悪夢のような選択」と呼ぶ人々もいた。国際オリンピック委員会はどうしようかと頭を抱えることになった。

 

 北京は最初、このアルマトイとの競争でかなり有利な立場に立っていると見られていた。しかし、カザフスタン側からの強力なプレゼンが行われた結果、差は詰まってきていた。カザフ側は、アルマトイは冬季になれば確実に雪が降るという有利な条件を押し出した。北京の場合、雪は人工のものに頼らざるを得ない。人手が入らなかったことで、アルマトイは素晴らしい自然に囲まれている。雪を山頂にいただいた山々やその麓には深い森が広がっている。6月に85名の国際オリンピック委員会の委員たちを前に行ったプレゼンで、アルマトイの関係者たちは市が環境の持続可能性を維持するために努力していること、腰まで埋まってしまう程にたくさんの雪が降ることをアピールし、委員たちの評価を得ることに成功したとメディアでは報じられた。

 

 カザフスタンは過去四半世紀にわたり、ソ連崩壊の灰燼から国を建設しようと奮闘してきた。オリンピック開催が決まればそうしたイメージが大きく変えられ、イメージを良くしようと躍起になっているカザフスタン政府にとっては大きなチャンスとなる。カザフスタンのアーラン・イドリソフ外務大臣は、本誌の取材に対して「独立してわずか24年の若い国がこれまでに成し遂げたことを世界にお見せしたいと思っています」と答えた。カザフスタン政府の掲げる目標は2050年までにカザフスタンを世界のトップ30の経済大国にすることだ。カザフスタンの現在の位置は46位である。この目標の達成のためには、世界中からの投資が必要となる。イドリソフ外相はオリピック開催が投資を集める手助けになると語っている。彼は次のように述べている。「様々な国際イヴェントを招致すること、その中には2022年の冬季オリンピックも含まれていますが、これはそうした戦略の一部なのです」。

 

 オリンピックは今やある国が経済的に力を付けて世界の舞台にデビューするための舞踏会のようになっている。2008年の北京オリンピックは中国の経済力と組織運営能力を見せる意図をもって開催された。2014年のソチオリンピックはロシアが偉大さを回復していることをアピールするものになった。そして、ブラジルは2016年のサンパウロオリンピックで経済大国であることを世界にアピールするつもりである。2022年は、カザフスタンにとってこうした目的とそれ以上のものを手にするために重要な年となるであろう。投資と観光客の誘致にとっての新たな機会となり、自国民に対しては、24年に渡る厳しい政治的コントロールによって経済発展と国際的な威光を手に入れることが出来たのだということをアピールすることになる。

 

 300年に渡る外界からのコントロールの後に独立を果たしたことはカザフスタンにとって大きな試練となった。1991年に主権国家として独立した時、カザフスタンは国家としてのアイデンティティを欠いていた。元鉄鋼労働者で共産党の指導者だったナルスルタン・ナザルバエフ大統領は、ソ連時代の党幹部から新しい国家指導者にうまく転身し、カザフスタンの国家建設プロジェクトを始めた。カザフ語の重要性を訴え、70年に及ぶソ連による支配から脱して、モンゴルとチンギスハンの遠征にまで遡る国の歴史物語を強調するようになった。ナザルバエフが行った最も野心的なプロジェクトはカザフスタンの新しい、未来型の首都アスタナの建設であった。これにはロシア人が多く住むカザフスタン北部を固めるという戦略上の意味があった。グラスゴー大学の中央アジア専門家ルカ・アンセッチは「カザフスタンの過去24年間の対外、国内政策は全て国家の独立を守るためのものであった」と述べている。

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ナザルバエフ 

 

 ナザルバエフの努力の甲斐もなく、カザフスタンの世界的な評判は低いままだ。石油のお蔭で経済的には僥倖に恵まれているが停滞している、というのが多くの人々の考えだ。カザフスタンは世界でも厳しい地域で頭角を現そうとし、中国、ロシア、そしてアメリカの戦略的な同盟国となっている。しかし、これらの国々との同盟国であるという役割がそこまでアピールできていない。しかし、近隣諸国が機能不全であるために、相対的にうまくやっているようには見えている。ナザルバエフは独裁者であるかもしれないが、トルクメニスタンのグルバングリー・ベルディムハメドフのような全体主義者ではないし、ウズベキスタンのイスラム・カリモフの野蛮な支配者ではない。カリモフ政権は、反対者たちを生きたまま釜茹でにしたことで知られている。カザフスタンは、キルギスタンやタジキスタンのような不安定な国ではない。キルギスタンはここ10年で2回の革命を経験し、タジキスタンは1990年代に内戦を経験し、現在はイスラム武装勢力との戦いに足を取られている。

 

 オリンピック招致活動はカザフスタンの名声と尊敬を求める道筋の最新のステージである。カザフスタンは2010年にヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)の議長国になろうと奮闘した。しかし、OSCEの実施した自由で公正な選挙の結果、議長国になることはできなかった。過去10年、カザフスタンは国連安全保障理事会の非常任理事国の座を求め続けてきた。ナザルバエフは、ウクライナ紛争やシリア内戦のような国際問題に対して、平和をもたらす仲介者の役割を演じようとしてきた。ナザルバエフは2013年にイランとアメリカとの間の核開発を巡る交渉でも数回にわたり交渉の場を設定した。カザフスタン政府は、イメージアップを図るために国名につく「スタン」を外すことを検討している。また、2010年にナザルバエフが訪米する際には、広告会社と契約し、ワシントン市内の全てのバス停にナザルバエフが地域の非核化のために働いたことをアピールするポスターを貼るということも行った。

 

 まだソ連の一部であった1989年からカザフスタンを統治しているナザルバエフにとって、今回にオリンピック招致は重要だ。オリピック招致成功によって、カザフスタンの発展を示し、経済的に力を持つエリート諸国に受け入れてもらえるだけでなく、年老いた支配者にとっての最高の遺産となる。ナザルバエフはカザフスタンの「国父」であり、「パパ」と呼ばれているが、彼の支配も終盤に差し掛かっている。

 

 しかし、正統性を求めることは逆風を招く可能性もある。ソチオリンピックの場合、安全保障問題とLGBTの権利侵害がクローズアップされた。更にはロシアによるクリミアの併合にも影響を受けた。同様に、北京オリンピックの場合は、中国における環境汚染に国際的な注目が集まった。一方、2000年のシドニー五輪ではオーストラリアの先住民族の苦難にスポットライトが当たった。灌漑によるアラル海が干上がりつつあること、政府高官の汚職、政府が抑圧的であることといったカザフスタンの醜い部分がオリンピック開催によって広く報道されることになる。2011年にはカザフスタン政府は自国民に対して武力を行使した。石油施設があるシャナウゼンという町と近郊の村で給料と待遇の改善を要求するストライキが行われていたのだが、それが過激化し暴動になってしまい、少なくとも15名の人々が殺害されてしまった。この暴動と鎮圧に関する詳細は今でも明らかにされていない。しかし、このストライキの後、ナザルバエフを批判していたある人物が、政府転覆を目指して石油労働者たちを煽動したとして7年の実刑を受けて服役している。

 

 ナザルバエフ政権は、オリンピック開催に伴って行われる精査がもたらすリスクがあるにしても、オリンピック開催に向けての動きを維持している。「国内におけるナザルバエフの権力基盤は、カザフスタンは正統な国家であり、世界に受け入れられているということを国民に示すことである。無視できないほどの大きな国だということを示すことなのだ」とアンセッチは語っている。世界に存在をアピールするという希望によって動いている国カザフスタンにとって、「無視できないほどの存在感」こそが本当に手に入れたいものである。

 

(終わり)





メルトダウン 金融溶解
トーマス・ウッズ
成甲書房
2009-07-31

野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23

 
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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12





 つまり、カザフスタンがロシアの作った大きな池の中の小さな魚になるのではなく、自分で作った池の中の大きな魚になることを夢見ていたとしたらどうだろうか?その池とは、旧ソ連だけではなく、自国よりも南にある、国名に「スタン」が付く国々全て構成されるとしたら、この池はまず小さいということはないであろう。この勢力ブロックは少なく見積もっても、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタンの7カ国で構成されることになる。総面積は約210万平方マイル(約544万平方キロ)で、アメリカの約半分の広さとなる。これだと世界で7番目に広い国に相当する。オーストラリア(約3万平方マイル)よりは少し小さいが、インド(約130万平方マイル)よりは大きい。これらが1つになると、中央アジア地域の重要な塊ということになり、更には相互につながる旧世界大陸であるアジア、アフリカ、ヨーロッパで構成される「世界島(
world island)」の中心地となる。


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 カザフスタンが中心となる超国家は、世界において重要な戦略的地位を占めることになる。この超国家によって、ヨーロッパとインド亜大陸がつながるのである。そう、カザフスタンは巨大な国家であり、ヨーロッパの一部と言ってもよいほどである。また、中東と極東という地政学的に懸隔した地域をつなぐ橋梁ともなり得る。アフガニスタンはワハーン回廊(Wakhan Corridor)を持っており、これによって既に橋梁としての役割を果たしているという主張もある。これによって中国をリンクさせているというのである。しかし、ワハーン回廊はその地域と安全性を考えると、理想的なものとは言えない。超国家の主な強みとなるのは、アラビア海を経由する海洋への出口である。これが北部アジアに開発の可能性を与えることになる。パイプライン、鉄道、その他の現在はまだ建設されていない輸送手段を使って、カラチやその他パキスタン国内の港湾へのリンクが形成される。これによって最短距離で、カザフスタンに眠る石油、石炭、天然ガスを市場に送ることができるようになる。

 

 超国家は2013年の年間GDPは合計で6000億ドルに迫る規模となる。これはスイスとスウェーデンの間に入る規模だ。一人あたりのGDP(約5000ドル)となると、世界の下半分に入ってしまうが。カザフスタンの一人あたりのGDPは1万2000ドルで、ハンガリーよりも少し下である。アフガニスタンは5000ドルの7分の1である、700ドルで、これはルワンダより少し高い数字である。その経済力に加えて、超国家は人種と言語の多様性を有する。スラブ、トルコ、ペルシアの影響力が大きいものとなるであろう。しかし、超国家には統一を保つのに重要ないくつかの特性が存在することになるだろう。超国家の国民の圧倒的多数はイスラム教徒となる。そして、シルク・ロードの記憶、チンギス・ハーンの遺産、イラン歴の正月ノウルーズ(Nowruz)といった歴史的、文化的な共通点を持つことになる。「スタン」はペルシア語で「土地」や「国」を意味するが、それぞれの国名に「スタン」が付くのはなにも偶然の産物などではないのである。

 

 超国家の人口は約2億8000万人ということになる。これは、中国、インド、アメリカに次いで世界で4番目ということになる。そして、軍事力の面から言えば、現役将兵の数は約100万ということになり、中国、アメリカ、インド、北朝鮮に次いで世界で5番目ということになり、ロシアを凌駕することになる。超国家における最大都市はパキスタン沿岸の巨大都市カラチで、人口は900万である。しかし、戦略的な見地から首都は別の都市を選ぶことも可能である。1つの可能性としては、タジキスタンの首都ドゥシャンベ(人口75万人)が考えられる。

 

 しかし、新国家の首都の場所探しなどは大した問題ではない。最も緊急の問題は戦争である。西側諸国の軍隊がアフガニスタンから撤退している中、カブールにある中央政府は独力でタリバンと対峙しなくてはならなくなっている。これは、暴力はより深刻に、悪い方向に向かっていることを意味している。デュアランド・ラインを超えたパキスタンでは、中央政府は、タリバンの反政府勢力と対峙しているだけでなく、バルチスタンの分離独立運動、そして、インドとの冷戦といった問題を抱えている。民族間の争いと宗教の原理主義は、旧ソ連のスタンが国名に付く国々に不安定をもたらす要素となっている。特に、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギスタンが分割しているフェルガナ盆地(Fergana Valley)はそうした不安な要素が存在する地域である。また、貧困も大きな問題である。カザフスタンを除くと、全てのスタンが国名に付く国々の、2013年の一人あたりのGDPは1万ドルを割り込んでいる。

 

 マイナスの指標のリストは長く、その内容は想像通りのものとなっている。①汚職:高い。スタンと付く克明に国々はどこもトランスペレンシー・インターナショナルが毎年実施している汚職認識インデックスで高いスコアを叩きだしている。アフガニスタンは、北朝鮮とソマリアに次いで第3位を記録している。②識字率:低い。人口1億8600万人を誇るパキスタンの識字率は驚くべきことに55%に留まっている。アフガニスタンは28%で世界でも最低の方である。公平を期すために述べておくと、旧ソ連に属していたスタンと付く国々の識字率はこれらの国々に比べて大変高く、ほぼ100%を達成している。③民主政治体制:あやふや。アフガニスタンは失敗ばかりしているが、現在行われている大統領選挙の過程は、国内では戦争状態にありながら、何とか進行している。しかし、ステップ地帯の統治はよく言ってパントマイムのようなものである。「トルクメニスタンの父(Father of the TurkmenTurkmenbashi)」サパルムラト・ニヤゾフ(Saparmurat Niyazov 1940~2006年)大統領の奇妙な個人崇拝と統治を思い出して欲しい。彼は4月という月の名前を自分の母の名前に変えたのである。

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ニヤゾフ 

 

 それでは、最後に、この新国家の国名はどうなるだろうか?もちろん、「中央アジア連邦(Central Asian Federation)」のような誰にでも思いつく、退屈な名前なら私でも書ける。しかし、全ての国が共有する「スタン」を使った国名「スタニスタン(Stanistan)」は、奇妙ではあるが、印象的な国名となることだろう。これは、英語では「国家の中の国家(Country of Countries)」となり、総称的に聞こえるが、ペルシア語だと、簡潔で、一度聞いたら忘れられない美しさがある。

 

(終わり)



野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23



 

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アメリカ政治の秘密
古村 治彦
PHP研究所
2012-05-12



 

古村治彦です。

 

 今回から2回に分けて、中央アジアに関する面白い論稿を皆様にご紹介します。このようなやや空想的ですが、柔軟な思考は国際政治を見ていく上で大変重要だと思います。

 

=====

 

スタニスタンにようこそ:括目せよ!中央アジアの新しい超国家の力を

 

フランク・ジェイコブス(Frank Jacobs)筆

2014年7月1日

フォーリン・ポリシー(Foreign Policy)誌

http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/07/01/welcome_to_stanistan?utm_content=buffer4a676&utm_medium=social&utm_source=facebook.com&utm_campaign=buffer

 

 2014年5月29日、カザフスタンの首都アスタナにロシア、ベラルーシ、カザフスタン各国の大統領が集まり、ユーラシア経済連合(Eurasian Economic UnionEEU)の発足調印式が挙行された。ユーラシア経済連合はヨーロッパ連合をモデルとし、初めてその結成を主張したのは、カザフスタン大統領でヌルスルタン・ナザルバエフ(Nursultan Nazarbayev 1940年~)で、1994年のことであった。しかし、本格的に実現に向けて動き出したのは、ロシアのウラジミール・プーチン(Vladimir Putin 1952年~)大統領が、EEUがモスクワを中心とし、アジア志向の組織として、EUに匹敵する組織となり得る可能性を持つという考えを持つようになってからだ。その基本的な枠組みは2010年に3カ国で結成された関税同盟(customs union)である。

 
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ナザルバエフ
 
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プーチン
 

2014年6月、アルメニアはユーラシア経済連合への加盟の意思を明らかにした。キルギスタンとタジキスタンンも参加への手続きを急速に進めている。カザフスタン、ベラルーシ、ロシアの3か国がユーラシア経済連合の加盟国であるが、これらの国々だけで人口は1億7000万人、GDPは27億ドルに達する。この統合(integration)は初期段階においては純粋に経済的なものであるが、プーチンが時間をかけてより政治的な組織へと進めていけば、EUのようになるであろう。

 

 しかし、EEUが成長し、初期加盟諸国が新しい世界帝国の種を植えているのかどうか、これは注意深く観察し続ける必要がある。プーチンはロシアの栄光を復活させることを夢見ているが、これがEEUの抱える矛盾や短所を増幅させることがあるかもしれない。EEUの抱える矛盾と短所とは、加盟諸国は加盟諸国同士での貿易よりも、ヨーロッパと中国との貿易を希望していること、そして、加盟諸国を全部合わせてみても、経済力はEUやアメリカの5分の1ほどにしかならないことである。

 

 プーチンの構想する新しいユーラシアは、ロシアの中央アジア地域における影響力の限界を再定義する以上のものとなるとすると、ロシアは東西両翼の国々を少しずつでも惹きつける必要がある。それは例えば、中国とウクライナである。公式には、EU加盟の許可を待ち続けているトルコも惹きつける必要がある。これら3カ国はEEUに加盟する意志は今のところなさそうである。しかし、トルコはカザフスタンから招請を受けている。従って、現在のところ、EEUはロシアと旧ソ連に属した共和国、つまり国境を接し、親露的な2カ国によって形成されているのである。

 

 ベラルーシは、ロシアの自己強化(self-aggrandizement)の試みにおいて最も有効的なパートナーとなるであろう。1994年に就任したアレクサンドル・ルカシェンコ(Aleksandr Lukashenko 1954年~)大統領の下、ベラルーシは、ヨーロッパにおける最後の独裁国家として西側から孤立し、ロシアの石油と天然ガスに依存しているが、国力は減退を続けている。そして、エネルギー資源をロシアに依存しているので、親露的である以外に地政学的な選択肢を持っていないのである。ベラルーシと同じく、カザフスタンも海に面しておらず、実質的には民主政体ではない。ナザルバエフが選挙で選ばれたのは1989年で、1991年のソ連崩壊よりも前のことであった。


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ルカシェンコ

 しかし、ベラルーシとは異なり、カザフスタンの主要な輸出品は天然資源である。ベラルーシの主要輸出品はトラクターや食肉である。カザフスタン国内の原油埋蔵量は300億バレルであり、これは世界で11番目の原油埋蔵量である。天然ガス、石炭、ウランもまた大量に埋蔵されている。カザフスタンは国家的目標として、豊富な天然資源を利用して世界の先進国30カ国の仲間入りをし、「ステップ地帯のシンガポール(Singapore of the steppes)」になることを表明している。

 

 カザフスタンは貧しくもなく、不安定でもない。他の旧ソ連衛星諸国がEEUにカザフスタンが参加することを望む理由はこの2つのようである。実際、議定書に署名はしているが、カザフスタン政府はロシアの意図に懸念を持っているようであるし、自国を中心とする帝国建設のために脱退することもできる。カザフスタンが西側に近づき保険を掛けるのではなく、南に向かい、諸国家を糾合するという場合にのみ、帝国が作られることになるだろう。しかし、そうした動きは現在の指導者層の本能とは全く反対の動きということになる。

 

 2013年2月、ナザルバエフは国名をカザフスタンからカザフ・エリに変更することを提案した。これは、国名から「スタン」を取り、南で国境を接するウズベキスタンとの差異を闡明するにすることを目的としたものであった。この変更(まだ実行されていないし、恐らく実行されることもないであろう)が示しているのは、新興富裕層たちの共通した心理であり、それが個人、国家のレベルで示されているのだ。その心理とは、貧しくて、後進的、そして暴力的な近隣諸国と自分たちを切り離したいというものだ。

 

しかし、カザフスタンがこれとは正反対のことをやっていたらどうだったであろうか?

(続く)



野望の中国近現代史
オーヴィル・シェル
ビジネス社
2014-05-23




 

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