古村治彦です。
※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になりました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。
第2次ドナルド・トランプ政権は、発足後100日を過ぎて、イーロン・マスクが政権を離れるという報道が出るなど、ひと段落を突けるという状況になっている。政権内部の影響力争いもあり(特に高関税政策において)、マスクが外れ、誰がトランプ大統領に対して影響力を持つかが分からない状況になっている。当初の怒涛の勢いはさすがに続かない。しかし、連邦政府の縮小と関税交渉はこれからなお続く。
下記論稿の著者スティーヴン・M・ウォルトは、ジェイムズ・スコットの傑作『国家のように見る:人間の状態を改善するための特定の計画はいかにして失敗したか(Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human
Condition Have Failed)』を敷衍して、トランプ政権が政策に失敗するであろうと予測している。スコットは著書の中で、重大な政策の失敗の原因を 「抑制されない権力(unchecked power)」と「強力な「ハイモダニズム」イデオロギー(“high
modernist” ideologies)、つまり合理的かつ準科学的な基盤に基づいているとされる世界観に導かれていたこと」に求めており、結果として、「これら2つの要素が組み合わさると、自信過剰で、細部に頓着せず、地域の状況に無関心で、反対圧力にも動じない指導者が生まれる。このような状況下では、政府は自らの自覚すらなく、甚大かつ永続的な損害を与える可能性がある」としている。ウォルトは、トランプが抑制されない権力を求めているが、ハイモダニズム・イデオロギーには基づかないとしている。そして、以下のように書いている。「白人キリスト教ナショナリズム(ピート・ヘグゼスなど)の宗教的過激主義(the religious extremism)と、シリコンバレーのテクノ・リバタリアン的未来主義[Silicon Valley techno-libertarian futurism](イーロン・マスクなど)が融合しているからである。前者は多様性への攻撃、女性や少数派の権利を後退させようとする動きの原動力であり、後者は政府の制度や政策に対する軽率な破壊工作の背後にいる。この運動のどちらの勢力も、自分たちが神の意志を実行していると信じているか、あるいは自らを、テクノロジーを駆使して未来を操れる魔法使いだと信じているかのどちらかで、自らが正しいと確信している。彼らは大統領が全権を握ることに満足している。それは、彼らのユートピア的な(そして場合によっては利己的な)計画を実行するための手段だからだ」
このウォルトの分析は需要だ。それは、トランプ政権内部の大きなグループ分けを示しているからだ。白人ナショナリズムとテクノリバータリアニズムの同居ということになる。これら2つのグループが呉越同舟である時は良いが、問題は、トランプ政権の施策が人々の支持を失う時だ。トランプ政権の施策はアメリカ国民を甘やかすものではない。「製造業の雇用を作れと言うからそのようにしている。実際にあなたたちはきちんと働いて、諸外国の労働者と競争しなくてはいけない(あなたたちは自分たちが世界一の労働者だと言っているのだからできるだろう)」ということになる。しかし、アメリカを外から眺める目で見てみれば、アメリカの労働者が世界一の質であるなどと考える人は少数だろう。
状況が悪化していけばおそらく仲間割れを起こして、政権内は混乱するだろう。そうなったときに、トランプがどのような選択をするかである。トランプが3期目を目指すという話も出ているが、彼はそこまでは自分の仕事ではないと思っているはずだ。泥船のアメリカを劇的に救うことなど神様でもない限りできないだろう。そんな仕事を後7年もやるなんて、そんなバカげたことはない。トランプは何とか条件を整えるだけで精一杯だろう。そして、アメリカ国民は失敗してしまうだろう。そして、アメリカは世界覇権国の座から退いていく。それが国家の繁栄と衰退のサイクルということになるだろう。
(貼り付けはじめ)
アメリカは自らの最大の敵だ(America Is Its Own Worst
Enemy)
-強大な国家が自らの足を撃つことは前例のないことではない。
スティーヴン・M・ウォルト筆
2025年2月12日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2025/02/12/trump-democracy-america-own-worst-enemy/
外交政策や国際安全保障を取り扱っている私たちは、主に外部からの脅威と、それを最小化し、抑止し、打ち負かすために何ができるかに焦点を当てがちである。しかし最近、私は奇妙な理由から、指導者が自ら愚かな行動(a foolish course of action)を選択し、手遅れになるまで軌道修正することができないか、あるいはしようとしない場合に、国が自らに与える甚大な損害について考えている。
もちろん、国家には外敵を心配する十分な理由がある。外敵の危険を真剣に受け止め、それらに知的に対応することを怠れば、痛ましい結果を招きかねない。自己満足も危険の1つだが、不必要な戦争を仕掛けて外的危険に過剰反応する国も、第二次世界大戦でドイツや日本が、イラクでアメリカが、そしてウクライナでロシアがしたように、大きな代償を払うことになる。したがって、私のような人間が国際的な問題を評価し、それに対処する様々な方法を提案することに多くの注意を払うのは当然のことである。
しかし、誤った外交政策や国家安全保障政策だけが国家が問題に陥る原因ではない。毛沢東が率いた、気まぐれで強引な中国共産党指導部は、40年近く経済発展を阻害し、1958年の大躍進政策(the Great Leap Forward)や1960年代の文化大革命(the
Cultural Revolution)といった愚かな運動は何百万人もの不必要な死をもたらし、中国を本来よりもはるかに貧しく弱体化させた。ヨシフ・スターリンによる集団農業の強制(collectivized agriculture)はソ連でも同様の影響を及ぼし、ニキータ・フルシチョフによる、1950年代の考えなしの「処女地」計画(“Virgin Lands” program)も同様の影響を及ぼした。アルゼンチンは20世紀初頭には1人当たりの所得が世界第12位を誇り繁栄していたが、数十年にわたる政治の機能不全と度重なる政策ミスが発展を阻み、度重なる経済危機を引き起こした。ヴェネズエラはかつて南米で最も豊かな国だったが、ウゴ・チャベスとニコラス・マドゥロ政権の無能な指導力によって経済は破壊され、数百万人が国外に逃れる事態となった。これらの惨事の主たる責任は外国の敵ではなく、ほぼ全てが権力者たちが負うべきだ。
同様に、いかなる外国の敵がアメリカに対して、アメリカが自らに与えたほどの損害を与えたとは言い難い。死傷者数で言えば、南北戦争は依然としてアメリカ史上最も犠牲の大きい紛争である。アルカイダは2001年9月11日に約3000人を殺害し、数十億ドルの物的損害を引き起こしたが、世界的な対テロ戦争は、はるかに多くのアメリカ人の命と莫大な費用を費やす結果となった。1990年以降、100万人以上のアメリカ人が銃による暴力で亡くなっている。これは他のどの先進国よりも人口に占める割合がはるかに高い。そして、この悲惨な統計は、もっぱら国内政策の決定によるものだ。少なくとも50万人の死者を出したオピオイド危機は、主に製薬会社の強欲の結果であり、現在のフェンタニルの危険性は、薬物乱用を公衆衛生問題ではなく、外国の犯罪者に対する戦争として扱うという長年の傾向に大きく起因している。アメリカが中国の世界貿易機関(WTO)加盟を時期尚早に支持したり、金融業界の規制緩和を強制して金融危機を不可避にするような事態を招いたりした外国人は誰もいない。また、外国の敵が次の危機の引き金となり得る仮想通貨やミームコインの熱狂を煽っている訳でもない。
この状況はそれほど驚くべきものではない。アメリカは豊かで強力であり、地理的にも有利なため、いかなる外国勢力もアメリカに、アメリカが自らに与えるほどの損害を与えることは難しい。そこで当然の疑問が浮かぶ。アメリカの指導者が自国に打撃を与える可能性を高める条件とは一体何なのか?
以前にも述べたように、この問題を最もよく理解するための手引きの1つは、故ジェイムズ・スコットの傑作『国家のように見る:人間の状態を改善するための特定の計画はいかにして失敗したか(Seeing Like a State: How Certain Schemes to Improve the Human
Condition Have Failed)』である。本書は、各国が自らの判断で、これらの政策が劇的で好ましい結果をもたらすと確信し、破滅的な政策を実行した一連の事例を検証している。
ジェイムズ・スコットは、これらの重大な政策の失敗は主に2つの要因に起因すると主張する。1つ目は、抑制されない権力(unchecked power)である。これらの国の指導者たちは、やりたいことを何でも自由に行うことができ、彼らに誤りを正すよう強制できる強力な機関は存在しなかった。2つ目は、これらの指導者たちは、強力な「ハイモダニズム」イデオロギー(“high modernist”
ideologies)、つまり合理的かつ準科学的な基盤に基づいているとされる世界観に導かれていたことである。スターリンと毛沢東の両方を導いたマルクス・レーニン主義は、社会問題に対する唯一の真の答えを提供すると主張した点で、まさにその好例である。これら2つの要素が組み合わさると、自信過剰で、細部に頓着せず、地域の状況に無関心で、反対圧力にも動じない指導者が生まれる。このような状況下では、政府は自らの自覚すらなく、甚大かつ永続的な損害を与える可能性がある。
さて、話を今日のアメリカ合衆国に戻そう。スコットの洞察は、私たちの目の前で展開している出来事について何を示唆しているのだろうか?
良いことは何もない。
ドナルド・トランプ大統領が抑制されない行政権を望んでいることは今や明白であり、連邦下院も連邦上院も、合衆国憲法が連邦議会に与えている権限を奪取しようとする政権の試みに抵抗する意志も能力も持ち合わせていないようだ。資格のない閣僚任命を承認すること自体が懸念材料だが、政府支出に関する権限を放棄することはさらに深刻だ。
裁判所はこの権力掌握を阻止するだろうか? おそらくそうするだろう。しかし、最高裁判事の過半数が行政府の権限拡大を支持しており、連邦最高裁判所がトランプの行動を阻止するほどの力を発揮するとは思えない。それでは、もし阻止しようとしたらどうなるだろうか?
重要な訴訟で最高裁が政権に不利な判決を下し、トランプが任命した職員に判決を無視して命令を実行するよう命じたとしよう。一部のキャリア官僚は従わないかもしれないが、休職処分や解雇の対象になる可能性がある。FBI、司法省、シークレットサーヴィス、連邦保安官、軍が最高司令官の命令に従うのであれば、ジョン・ロバーツやエレナ・ケーガン、その他の判事たちは、特に任命された職員が、後に法的トラブルに巻き込まれたとしても大統領が恩赦を与えてくれると知っていたとしたら、行政府の行動を阻止するために何をするだろうか?
第二に、政権の指針となっているのは、知識の限界、予期せぬ結果の必然性、現代社会の複雑さ、あるいは地域事情を考慮する必要性(スコットなら助言しただろう)といった認識ではなく、共産主義者やファシスト、その他の狂信者たちと同様に、自分たちがあらゆる問題に対する唯一の真の答えを持っているという信念である。これはスコットが用いた意味でのハイモダニズム(high modernism)とは全く異なる。白人キリスト教ナショナリズム(ピート・ヘグゼスなど)の宗教的過激主義(the religious extremism)と、シリコンバレーのテクノ・リバタリアン的未来主義[Silicon Valley techno-libertarian futurism](イーロン・マスクなど)が融合しているからである。前者は多様性への攻撃、女性や少数派の権利を後退させようとする動きの原動力であり、後者は政府の制度や政策に対する軽率な破壊工作の背後にいる。この運動のどちらの勢力も、自分たちが神の意志を実行していると信じているか、あるいは自らを、テクノロジーを駆使して未来を操れる魔法使いだと信じているかのどちらかで、自らが正しいと確信している。彼らは大統領が全権を握ることに満足している。それは、彼らのユートピア的な(そして場合によっては利己的な)計画を実行するための手段だからだ。
数週間前、私は「トランプのピーク」が既に到来しつつあると述べ、政権が当初立て続けに打ち出した大統領令や突飛な提案は、最終的には裁判所、連邦議会、そして日々の統治の現場で行き詰まるだろうと予測した。しかしながら、連邦議会がトランプの行動に承認を与えることに甘んじ、裁判所の動きは鈍く、第四権力は分裂して無知であり、大学や有力な専門家団体は身を守ろうとしているように見えることから、既存のアメリカの諸機関がその任務を果たせるかどうかについては、ますます自信を失っている。高校の社会科の授業で習った抑制と均衡(the checks and balances)の仕組みは、今のところあまりうまく機能していないようだ。
この取り組みを崩壊させる可能性が高いのは、組織的かつ非暴力的な市民の抵抗とともに、現実世界での出来事だろう。白人のキリスト教ナショナリストとテック・ブラザーズとの間の便宜的な結婚(the marriage of convenience between the white Christian nationalists
and the tech bros)は長続きしないかもしれない。特に、国内情勢が膠着し始め、トランプ大統領が非難するスケープゴートを必要とした場合(あなたのことだよ、イーロン)。もっと重要なのは、政権が現在進めている政策が、何百万人もの人々に深刻な悪影響を及ぼすということだ。連邦政府の予算が枯渇し、庶民は職を失い、病院は削減され、基本的なサーヴィスは脅かされる。中国の大学や研究機関が新たな高みへと急上昇しているように見える今、科学研究は機能不全に陥るだろう。かつては頼もしい親米だった国々も距離を置き始め、新たな市場や、場合によっては新たな友好国を探し始めるだろう。トランプ大統領の関税フェチが完全には実行に移されないとしても、国内外の企業は彼の予測不可能性を警戒し、脆弱性を減らすことに目を向けるだろう。私たちが向かうかもしれない先についての恐ろしい予測は、ノーベル賞受賞者ダロン・アセモグルが『フィナンシャル・タイムズ』紙に寄稿した、あまりにも現実的なエッセイをご覧いただきたい。
スコットや他の著名な学者たちが警告しているように、抑制のきかない権力の危険性は、独裁者が(部下や下僕が言わないために)自分たちの政策が失敗していることに気づかない可能性があること、そして、たとえ言われたとしてもそれを止められる立場にある者が誰もいないことだ。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領が、トルコ経済に甚大なダメージを与える異例の経済政策を追求するのを誰も止めることができなかった。最終的に軌道修正を余儀なくされたのは、高騰するインフレと世界市場の反応だった。
アメリカの民主政治体制、アメリカ経済、そして過去の成功の原動力となった知識生産機関へのダメージが修復不可能になる前に、事態が一刻も早く悪化することを願ってやまない。
※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。Blueskyアカウント: @stephenwalt.bsky.social、Xアカウント:@stephenwalt
(貼り付け終わり)
(終わり)

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』