古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ドイツ

 古村治彦です。
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
※2024年10月29日に佐藤優先生との対談『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』(←この部分をクリックするとアマゾンのページに飛びます)が発売になります。予約受付中です。よろしくお願いいたします。  アメリカでも、西側先進諸国でも、移民をバックグラウンドにした人々に対する攻撃が増加している。ヨーロッパ諸国では、白人による非白人への攻撃が起きている。また、アメリカでも同様の事象が起きている。アメリカの場合はネイティヴアメリカンの人々以外は、全員が元を辿れば別の国や地域からやって来た人々であり、移民や移民の子孫同士で嫌い合って、攻撃をしているという滑稽なことになっている。

 このような状況に対して、人種差別は良くない、外国人を嫌うことは良くない、それぞれ悪いことだというのが社会の前提になっている。それは全くその通りだ。これに異論を挟むことはできないし、物理的な攻撃を加えることは誰にしても犯罪行為であって、きちんとした裁判を行い、判決を確定させた上で、刑を執行しなければならない。法の下に差別があってはならない。

 下記論稿は、ドイツ国内での移民や移民のバックグラウンドを持つ人々への物理的な攻撃を行った過激派に関する書籍の内容を紹介する内容となっている。ドイツでは2000年代から、反移民思想を掲げる「国家社会主義地下組織」が組織され、実際に物理的な攻撃を実施し、複数の人々が殺害されるということが起きた。ドイツ警察の対処が遅かったために、このような考えが広がり、それが「ドイツのための選択肢(AfD)」の台頭を許したということになっている。
 私は、このような人種差別や外国人排斥に反対する。しかし、同時に、このような考えを持つ人々が生まれながらにそのようになったとは思わない。こうした考えを持つ人々はドイツ東部に多いとされている。ドイツは1989年に統一を果たしたが、旧東ドイツの人々は体制の大変化に戸惑い、ついていけず、置いてけぼりにされた。西側の人々から蔑まれ、待遇の良い職にありつくこともできず、結局、外国人や移民と低報酬の仕事を争うことになった。結果として、彼らには不満が鬱積し、それの向く先が移民や移民のバックグラウンドを持つ人々ということになった。彼らとて、安定した生活ができていれば、そのような考えを持つことはなかっただろう。「衣食足りて礼節を知る」という言葉もあるが、「衣食」が満足いくものであれば、そのようなことはなかった。

 また、資本主義の行き過ぎによる、優勝劣敗があまりにもきつく効きすぎてしまったのも問題だ。資本側は労働者を安くでこき使いたい。そのためには、国内で安く使える人々の大きなグループ、層を作らねばならない。貧乏人の大きな集団を作らねばならない。国内に「発展途上国」「貧乏国」を作る必要がある。ドイツであれば、ドイツ東部がそうだ。そして、そうした人々の不満は移民や外国人、移民のバックグラウンドを持つ人々に向けさせる。そうして、人種差別や排外主義が台頭してくるのである。一部政治家たちは自分たちの票を獲得し、政治家としての生活を守るために、このような劣情を利用する。日本でも全く同じことが起きている。

 犯罪行為をした者たちをただ罰するだけでは犯罪を抑止することはできない。大きな視点で、構造的に見ていく必要がある。「人種差別は駄目」「排外主義は駄目」とお題目のように唱えるだけでは何の意味もない。それを解決するためには現状を把握し、分析しなければならない。

(貼り付けはじめ)

ドイツの極右の台頭は新しい現象ではない(Germany’s Far-Right Surge Isn’t New

-2000年代初頭にドイツが致命的な過激派に立ち向かうことができなかったことは、警告となるはずだ。

エミリー・シュルテイス筆

2024年6月1日
『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/06/15/germany-far-right-neo-nazi-terrorism-europe-nsu-murders-white-nationalism/

germanfarright001
ドイツのミュンヘンで国家社会主義地下組織の犠牲者たちの写真を掲げる抗議者たち(2018年7月11日)

2011年11月のある朝、ドイツ東部の都市アイゼナハの銀行に2人組の男が押し入り、銀行の窓口職員をピストルで殴り、約99000ドルを盗んだ。地元警察が男たちを近くの道路脇のキャンピングカーまで追跡した後、銃声が鳴り響き、車は炎上した。警察官は車内で2人の男の死体を発見した。1人がもう1人を撃ち、銃を自分に向けたのだった。その日のうちに、アイゼナハで起こったことを聞いた約100マイル離れた女性が、自分のアパートにガソリンをまいて火をつけ、逃走した。

ウーヴェ・ベンハルトとウーヴェ・ムンドロスという2人の男は、典型的な銀行強盗ではなかった。ベアテ・ツェーペという女性とともに、彼らはドイツから移民を排除し、この国の白人としてのアイデンティティを脅かすと思われる人物を排除しようとするネオナチ・テロリストのトリオを形成していた。そして警察の捜査は、一連の銀行強盗以上のものを発見した。ベーンハルトとムンドロスは、彼らが率いる地下テロ集団である「国家社会主義地下組織(the National Socialist UndergroundNSU)」の資金源として金を盗み、当局の目を逃れながらドイツ全土で連続殺人を計画、実行していた。

NSUに関する暴露が初めて明らかになったとき、ドイツを根底から揺るがしたが、この話は国外では比較的知られていない。ジャーナリストのジェイコブ・クシュナーの新著『目を背ける:殺人、爆弾テロ、そしてドイツから移民を排除しようとする極右キャンペーンの物語(A True Story of Murders, Bombings, and a Far-Right Campaign to Rid Germany of Immigrants)』は、その状況を変えようとしている。

クシュナーは次のように書いている。「人種差別的な過去を償ったと思いたがっていた国は、暴力的な偏見が現在のものであることを認めざるを得なくなる。アドルフ・ヒトラー率いるナチスがホロコーストでユダヤ人やその他の少数民族を死に追いやってから60年、ドイツの警察はバイアスに目がくらみ、周囲で繰り広げられている人種差別的暴力に気づくことができなかった。この事件は、ドイツ人に、テロリズムは必ずしもイスラム教徒や外国人によるものではないことを認めさせるだろう。多くの場合、テロリズムは自国の白人によるものだ。そして、他に類を見ない大移動の時代において、白人テロの標的はますます移民になっている」。

『目を背ける』は主に被害者の家族や、右翼過激派テロの根絶に積極的に努めた人々の視点を通して語られており、3部構成になっている。クシュナーはまず、1990年代後半にベーンハルト、ムンドロス、ズシャペがドイツ東部の都市イエナでどのように過激化したかを説明する。彼らだけで自分たちの意見を過激化させた訳ではない。ベルリンの壁崩壊後、ドイツに入国する亡命希望者の数が急増した。これらの新たな到着者たちは、少数の注目を集める暴動や難民住宅への攻撃を含む、抗議活動や暴力にしばしば遭遇した。当時イエナでは右翼過激派の活動が盛んであった。それは、一種の二重スパイ(double agent)であるティノ・ブラントによって率いられていた。ブラントはネオナチの活動を報告することになっていた政府の情報提供者を務めながら、極右イデオロギーを推進する自分のグループに資金を提供していた。

germanfarright002
ドイツ・ツヴィッカウのウーヴェ・ベンハルト、ウーヴェ・ムンドロス、ベアテ・ツェーペの住居だったアパートの焼け跡(2011年11月13日)

本書の第2部では、3人の過激派が13年間にわたり、ドイツ当局の目をかいくぐって、ドイツ全土で10人の移民を殺害する計画を立て、実行に移した経緯が描かれている。2011年に銀行強盗事件が起きてから、この殺人事件は解決に至った。クシュナーは、NSUが10年間も殺人を繰り返した責任の多くは当局ン位あると主張している。当局の捜査は、移民が麻薬や組織犯罪に関与しているという、ドイツのメディアに後押しされた有害な風説(tropes)に誘導されていた。

被害者家族の直接の証言は、警察官の被害者に対する思い込みがどれほど被害者を迷わせたかを力強く物語っている。たとえば、2006年にドルトムント市内のキオスクで父メフメト・クバシクを殺害されたガムゼ・クバシクは、メフメトの違法行為について母親とともに何時間も尋問されたと説明した。ガムゼ・クバシクは「もう聞いていられなかった。私たちはまるで犯罪者のようだった」と証言した。

捜査のいくつかの側面は馬鹿馬鹿しいものに近づいている。たとえば、2005年にベーンハルトとムンドロスがニュルンベルクのケバブスタンドでイスマイル・ヤサールを射殺した後、ドイツ警察はヤサールがスタンドで麻薬を密売していたという説を執拗に追及した。警察は自分たちの仮説を裏付けるために、スナック・バーを開いて、ケバブとソーダを秘密裏に売り、1年間と約3万6000ドルの税金を費やし、誰かがやって来て麻薬の購入について尋ねてくるのを待った。しかし、誰も来なかった。「なぜなら、ヤサールが麻薬売人ではなかった」とクシュナーは書いている。ヤサールの息子ケレムは、「もし父親が生粋のドイツ人だったら、彼の殺人はすぐに解決されただろうと感じずにはいられなかった」と述べている。

しかし、クシュナーはまた、ドイツ社会全体が第二次世界大戦後の反移民、白人ナショナリズムの範囲を認めることに満足してきたと主張する。クシュナーは次のように書いている。「白人ナショナリズムは決して消えてはいなかった。ホロコーストを引き起こしたのと似たような出来事、つまり、ポグロム(pogroms 訳者註:ユダヤ人大虐殺)、ユダヤ人経営の企業に対する攻撃、ユダヤ人の家屋からの追放が、いまや移民に対しても起こっている。特にドイツ東部では、1990年代にネオナチや右翼過激派が急増し、東部全域で暴力行為を行ったスキンヘッドを指して、その時期は 『野球のバットの時代(baseball bat years)』と呼ばれることもあるほどだった」。

この本の第3部では、NSU裁判について取り上げており、この裁判は2018年に 10件の殺人罪とトリオの共犯者数名に対するズシェペの有罪判決で最高潮に達した。この判決は、殺害された人々の家族に冷たい慰めだけをもたらした。「NSUは私の父を殺害した。しかし、捜査当局は父の名誉を傷つけた。警察は父を二度目に殺害した」とガムゼ・クバシクは語った。

germanfarright003
2015年12月9日、ミュンヘンで殺人罪の裁判を受けるツェーペ

ドイツがNSU事件から十分に教訓を学んだと誰も信じないように、クシュナーはそれを、ドイツの移民コミュニティのメンバーに対する憎悪と暴力のより最近の事例と結びつけている。NSU スキャンダルは、ドイツの公の場から完全に消え去った訳ではないが、裁判が終わった後は新聞の見出しから外れ、他の右翼過激派暴力事件をきっかけに言及されることが最も多くなった。2020年2月、ドイツ中部の都市ハーナウで右翼過激派が人種差別的な暴挙で2軒のシーシャバーをターゲットに移民のバックグラウンドを持つ9人を殺害した。2022年11月、54歳の男が政治家、ジャーナリスト、その他の公人らに脅迫文を送った罪で約6年の懲役刑を言い渡された。その中にはフランクフルトのトルコ出身弁護士で、数人のNSU犠牲者の遺族の代理人を務めたセダ・バサイ=ユルディスも含まれていた。脅迫状には「NSU 2.0」と署名されていた。

ドイツにおける白色テロリズム(white terrorism 訳者註:右派が左派を攻撃するテロ)撲滅の問題点の1つは、反移民感情が国政でも健在であることだ。ドイツの調査報道機関コレクティブは1月、右翼過激派が昨年末に秘密裏に会合し、ドイツ国民を含む数百万人の移民のバックグラウンドを持つ人々を国外追放する計画について話し合っていたことを明らかにする暴露報告を発表した。ベルリン郊外のポツダムでの会合に出席した者の中には、ドイツ議会で77議席を占め、当時全国での投票率が22%だった極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」の幹部政治家も含まれていた。コレクティブ報告書とその発表以来、無関係なスキャンダルが相次ぎ、同党の支持率は現在16%に低下したが、最近のヨーロッパ議会選挙では2019年よりも5%ポイント近く良い成績を収めた。

移民のバックグラウンドを持つ人々の「再移住(remigration)」に関するこれらの過激派の計画は、誰がドイツに帰属し、誰が属さないのか、そして最終的には誰が決定するのかをめぐる戦線に光を当てている。多くの人にとって、これらはまた、ナチスの歴史をどのように処理してきたかを誇りに思っている国において、ドイツ当局が極右イデオロギーによってもたらされる脅威を過小評価していたことを思い出させるものでもあった。コレクティブの報告書はドイツ国民の間で広範な反発を引き起こし、数百万人が街頭に出て「二度と起こさない」と宣言した。

それでもAfDは、ベーンハルト、ムンドロス、ズシャペが育ったチューリンゲン州と、彼らが本拠地を置いていたザクセン州を含む、今秋のドイツ東部3州の選挙で勝利を収める見通しだ。AfDの政治家たちは引き続き、ドイツから移民を排除したいと考える人々の、議会における代弁者だ。「これらの新たなネオナチたちは、ドイツが過去の恐怖を思い出すことに執着しすぎていると信じる政党のレトリックに勇気づけられていると感じている」とクシュナーはAfDについて書いている。

germanfarright004

2013年56日、ミュンヘンでのNSU殺人裁判の初日、オーバーランデスゲリヒト・ミュンヘン裁判所の法廷入口の外で機動隊と格闘するデモ参加者たち。

『目を逸らす』はドイツ国内の物語だが、クシュナーは関連性を引き出して、反移民右翼過激派の暴力に立ち向かうことができていないことが、西側民主政治体制諸国全体の問題であることを例示している。具体例は無数にある。サウスカロライナ州チャールストンの教会での黒人信者たちの虐殺、ニュージーランドのクライストチャーチにある2つのモスクの礼拝者たちの虐殺、あるいはテキサス州エルパソのウォルマートでメキシコ系アメリカ人やその他の買い物客たちの虐殺などが挙げられる。NSUトリオの原動力となった核心的なイデオロギー、つまり白人至上主義(white supremacy)は国境を越えている。

このため、NSUの記事は、白色テロリズムという自国の問題に取り組むアメリカへの警告となっている。右翼過激派によるテロ攻撃は近年増加傾向にあり、名誉毀損防止連盟(Anti-Defamation LeagueADL)によると、主に白人至上主義者らによって行われたこのような攻撃により、2017年から2022年の間に、アメリカで58人が死亡した。「私たちが目を背け続ければ、ドイツの危機や大虐殺から逃れることはできないだろう」とクシュナーは結論付けている。

※エミリー・シュルテイス:ロサンゼルスを拠点とするジャーナリストで、ヨーロッパ諸国の選挙と極右勢力の台頭を取材している。ツイッターアカウント:@emilyrs

(貼り付け終わり)

(終わり)

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 民主政治体制にとって重要なのは、公共圏(public sphere)という考え方だ。これは、市民が政治や経済から離れて、「共通の関心事について話し合う場所」を意味するもので、市民社会(civil society)の基本となる。ドイツの学者ユルゲン・ハーバーマスは公共圏の重要性を私たちが再認識することが重要だと主張している。近代ヨーロッパであれば、町々のコーヒーハウス(coffee house)に人々が集まり、商談をしたり、文学や政治について喧々諤々議論をしたりということがあった。また、金持ちや貴族の邸宅で定期的に開かれたサロン(salon)でも同様のことが行われた。
jurgenhabermas101
ユルゲン・ハーバーマス

 このような人々の集まり、つながりはどんどん希薄になっている。そのことに警鐘を鳴らしているのが、アメリカの学者ロバート・パットナムだ。ロバート・パットナムは、社会関係資本(social capital)という考えを提唱している。これは、「個人間のつながり、すなわち社会的ネットワーク、およびそこから生じる互酬性と信頼性の規範」と定義されているが、社会関係資本があることで、民主政治体制がうまく機能するということになる。

今日のドイツでは、テレビのトーク番組や新聞による議論が活発で、公共圏の役割が強調されているが、ハーバーマスは誤った情報を濾過する機能を持つ場の重要性を指摘している。彼は自由民主政治体制を擁護した。

冷戦後、ハーバーマスはドイツ民族主義の復活に懸念を示し、ヨーロッパ憲法の制定を訴えたが失敗に終わった。彼はヨーロッパのアイデンティティを国際法への関与に求め、アメリカの非合理的な政策に対抗する姿勢を強調している。平和主義への関与も彼の思想の中心であり、彼は過去にドイツ連邦軍の再軍備に反対していた。

ハーバーマスはドイツ統一後の外交政策を正当化したが、ウクライナ戦争に対する彼の見解は変化を見せている。彼はショルツ首相の慎重な姿勢を支持するが、彼の呼びかけは批判を受けている。ドイツでは歴史の大きな転換点が訪れており、ハーバーマスの平和と相互理解の主張は時代にそぐわないとされる。彼の思想が変化したのではなく、周囲の世界が変わったことが示唆されている。

批判者はハーバーマスが急進的な民主主義を放棄したと主張し、彼を政治的エスタブリッシュメントの支持者として非難する。しかし、フェルシュは彼の変化は世界の変化によるものであると述べ、極右の台頭や歴史修正主義が彼の懸念を強めていることを指摘している。ハーバーマスの思想は、現在の政治的、道徳的な取り組みにおいて依然として重要であり、彼は新たな政治的要請に適応することを求めている。

 ハーバーマスに関しては、穏健派に転向したという批判がなされているようであるが、彼が変化したと言うよりも、時代が大きく変化して、思想の位置づけもそれによって変化したことで評価が変わったということが言えるかもしれない。

(貼り付けはじめ)

世界はまだハーバーマスを必要としている(The World Still Needs Habermas

-ドイツの哲学者は、彼の自由主義の遺産よりも長生きし始めている。

ジャン=ワーナー・ミューラー筆

2024年6月30日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/06/30/revisiting-habermas-book-review-germany/

ドイツ国外の人々に、ユルゲン・ハーバーマスがドイツで果たした並外れた役割を伝えるのは難しい。確かに、彼の名前は、世界で最も影響力のある哲学者の、多かれ少なかれ馬鹿げたリストに必ず掲載される。しかし、60年以上にわたり、あらゆる主要な議論で重要な役割を担い、実際、多くの場合にそのような議論を始めた公的な知識人の例は他にはない。

ベルリンを拠点とする文化史家フィリップ・フェルシュによる新著は、ドイツ語から『哲学者(The Philosopher)』と簡単に翻訳され、「ハーバーマスと私たち」という巧みな副題が付けられているが、ハーバーマスは常に戦後ドイツの政治文化のさまざまな時代と完全に同調していたと主張している。これは、ハーバーマスほど長生きした人物としては驚くべき業績である。ハーバーマスは今年95歳になる。フェルシュが指摘するように、ミシェル・フーコーが、ハーバーマスほど長生きしていたなら、ドナルド・トランプ前大統領についてコメントしていたかもしれないし、ハンナ・アーレントがその年齢に達していたなら、テロリズムに関する考察を911事件まで含めていたかもしれない。

また、この本の最後にある哲学者の告白は、更に注目に値する。フェルシュは、ロシア・ウクライナ戦争に関する自身の記事に対する否定的な反応を受けて、ハーバーマスは初めて、もはやドイツの世論を理解していないように感じたと報告している。ハーバーマスは変わったのか、それとも国(ドイツ)が変わり、この哲学者が何十年も擁護してきた平和主義(pacificism)や「ポストナショナリズム(post-nationalism)」から背を向けているのか?

ハーバーマスは長い間、賛否両論、分かれる人物だった。英語圏の多くの人々にとって、これはいくぶん不可解なことだ。なぜなら、彼らはハーバーマスを、コミュニケーションを成功させ、さらには合意を導く哲学者として知っていると思っているからだ。また、おそらくハーバーマスを、長々とした理解しにくい理論書の著者としても考えているだろう。

皮肉なことに、作家としてのハーバーマスの才能が、彼の考えを翻訳することをしばしば困難にしている。ハーバーマスは学者になる前は、フリーランスのジャーナリストで、彼の公的な発言は、テレビやラジオではなく常に文章で行われ、比喩に富んだ文体で見事な論争となっている。示唆に富んだ比喩は哲学的な働きもするため、学術書の翻訳は難しい。

そのなかには、1962年に出版され、今日に至るまでハーバーマスの著作のなかで最も多くの部数を売り上げている本がある。『公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究(The Structural Transformation of the Public Sphere)』という扱いにくいタイトルだが、その主要なテーゼは単純明快だ。民主政治体制とは、自由で公正な選挙だけでなく、世論形成の開かれたプロセスをも決定的に必要とする。ハーバーマスが様式化した説明によれば、18世紀には、サロンやコーヒーハウスで、小説について自由に語り合うブルジョワの読者が増えていた。やがて議論は政治問題にまで及んだ。君主(monarchs)が民衆(people)の前に姿を現していたのに対し、市民[citizens](少なくとも男性で裕福な市民)は、国家が自分たちの意見を代弁し、自分たちのために行動することを期待するようになった。

ハーバーマスの著作が、衰退と没落(decline and fall)の物語を語っていることは忘れられがちだ。巧妙な広告手法への依存度が高まった資本主義と、複雑な行政国家の台頭が、自由でオープンな公共圏を破壊した。しかし、振り返ってみると、1960年代は、マスメディアの黄金時代だったようだ。ハーバーマスは2022年の『公共性の構造転換』に関するエッセイでその点を認めている。その中で彼は、いわゆる「フィルターバブル(filter bubbles)」と「ポスト真実(post-truth)」の時代と、広く尊敬され経済的に成功した新聞やテレビニューズが特徴で、毎晩国全体が集まる世界とを対比した。

フェルシュが指摘するように、この著作とその後のハーバーマスのコミュニケーションに関するより哲学的な著作は、ナチスの独裁と国家権力への服従という古い伝統から脱却した西ドイツ人が自由に議論する方法を学び始めた戦後の時代に、まさにふさわしいメッセージを含んでいた。左派の多くと同様、ハーバーマスも初期の連邦共和国の雰囲気を茫洋としたものと感じていた。熱狂的な反共主義者であったコンラート・アデナウアー首相は、「実験の禁止(no experiments)」を約束し、旧ナチスを新国家に変化させ、批判的な知識人たちはおろか、批判的な報道機関もほとんど許容しなかった。

今日、ドイツの特徴は、夕方のテレビで異常に多くのトーク番組が放送され、翌朝には新聞が大々的に論評することであり、しばしば国から補助金を受ける公開討論会が実施され、新聞が多くのコラムを割いて教授たちの数週間にわたる討論を掲載することである。ハーバーマスは、議会をセミナールームにすることを理想とする合理主義的熟議哲学者(rationalist philosopher of deliberation)の決まり文句(cliche)とは裏腹に、「荒々しく(wild)」であらゆる意見が発言できる公共圏を明確に求めている。同時に、そのような場は「汚水処理場(sewage treatment plants)」のように機能し、誤った情報や明らかに反民主的な意見を濾過することを意図している。

ハーバーマスは、マルクス主義者から「形式的民主政治体制(formal democracy)」にすぎないとしばしば嘲笑される自由民主政治体制(liberal democracy)の手順を支持したが、それは彼がフランスの戦後の知的潮流に敵対的であった理由であり、それが非合理主義(irrationalism)と規範的基準をまったく欠いた美化された政治(aestheticized politics that lacked all normative standards)を促進していると疑っていた。フェルシュは、1980年代初頭に、ハーバーマスとフーコーがパリで「冷たい雰囲気(icy atmosphere)」の中で食事を共にした時のことを回想している。どうやら、唯一の共通の話題は、ドイツ映画だったようだ。フェルシュによると、ハーバーマスはドイツの過去を確かな教育的手法で扱ったアレクサンダー・クルーゲの映画を好むと公言していたが、フーコーは明らかに非合理的なクラウス・キンスキーを主演に迎えたヴェルナー・ヘルツォークのアフリカとラテンアメリカ探訪における「恍惚とした真実(ecstatic truth)」の称賛を好んでいたという。

ハーバーマスが、伝統的なドイツの天才崇拝(Geniekultcult of the towering genius)、つまり高尚な天才への崇拝のようなものを育てないよう常に注意を払ってきたのは偶然ではない。また、フリードリヒ・ニーチェやマルティン・ハイデッガーと比べると、現代のドイツ哲学は完全に退屈になり、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが「純粋理性の官僚(bureaucrats of pure reason)」と呼んだものに支配されていると主張するフランスの観察者にとって、ハーバーマスが時折、証拠AExhibit A)となるのも偶然ではない。

しかし、バイエルンにある彼の近代的なバンガローで、この哲学者に2度インタヴューしたフェルシュは、ハーバーマスに驚くべき事実を話してもらうことができた。ハーバーマスの主張によれば、彼の新聞記事は全て怒りから書かれたものだった。実際、啓蒙主義の遺産を衒学的に管理する純粋理性の官僚(bureaucrat of pure reason pedantically administering legacies of the Enlightenment)というよりは、ハーバーマスは完全に政治的な動物、つまり多少衝動的な人間ではあるが、信頼できる左派リベラルの政治的本能を持つ人物として理解するのが一番である。対話と協力(dialogue and cooperation)への一般的な取り組みを超えて、彼の政治的ヴィジョンは、受け継がれてきた民族ナショナリズムの考えを超えて、コスモポリタンな国際法秩序へと進化することを伴う。これらの国際法秩序のそれぞれの側面は、現在ますます脅威に直面している。

1980年代初頭、ハーバーマスの政治的衝動は、それまで「理論化できる(capable of theory)」とは考えていなかった主題、つまり歴史へと彼を導いた。1986年、戦後ドイツで最も重要な議論の1つを引き起こした論争的な記事の中で、彼は4人の歴史家がドイツの過去、そしてドイツの現在を「正常化(normalize)」しようとしていると非難した。彼は、保守派がホロコーストを相対化しようとしても、連邦共和国は「正常な(normal)」ナショナリズムのようなものを採用すべきだと考えているとされるのに抵抗することが極めて重要だと書いた。その代わりに、ハーバーマスが「憲法上の愛国心(constitutional patriotism)」と呼んだものを採用することで、ドイツ人は自分たちの特有の問題を抱えた過去から何か特別なことを学んだかもしれないと彼は示唆した。ドイツ人は、文化的伝統(cultural traditions)や偉大な国民的英雄の英雄的行為(heroic deeds by great national heroes)を誇りに思うのではなく、自由主義民主的な憲法に定められた普遍的原則の観点から、歴史に対して批判的な立場を取ることを学んでいた。

この愛国心は、セミナールームでしか語れない、あまりに抽象的で、特に不適切な比喩で言えば、「無血の(bloodless)」ものだとして保守派からしばしば退けられた。しかし、後にヒストリカーストライト(Historikerstreit、歴史家論争)として知られるようになった論争でハーバーマスが勝利者となり、彼の「国家を超えた政治文化(post-national political culture)」という提案が、名ばかりでなくとも、事実上ますます多くのドイツの政治家に採用されたことは疑いようがない。最終的に、ハーバーマスとアデナウアーは同じ目標に収束した。西側にしっかりと根付いたドイツである。ただし、ハーバーマスは、よりコスモポリタンな未来に向かう動きの中で、ドイツを前衛的な(avant-garde)ものとして捉え始めた。

その功績は、ロシアのウクライナへの本格的な侵攻以前にハーバーマスの政治の世界で起きた最大の衝撃によって疑問視された。それは、訓練を受けた歴史学者ヘルムート・コールが監督した、まったく予想外の東西ドイツの統一であり、ハーバーマスによれば、コールは過去を「正常化(normalizing)」する試みの中心人物だった。ハーバーマスは、社会民主党が冷戦の分断を克服しようとした、1950年代から、統一に懐疑的だった。1989年、ドイツ国民国家の再構築を求める動きは、憲法上の愛国心(constitutional patriotism)という苦労して勝ち取った成果を民族ナショナリズム(ethnic nationalism)に置き換える可能性が高いと思われた。

ベルリンの壁が崩壊したとき、ハーバーマスは東側との「関係(relationship)」をまったく感じていないと告白した。多くの人が見下した態度と見なしたように、彼は中央ヨーロッパの革命は新しい政治思想を生み出したのではなく、単に西側に「追いつく(catching up)」ことだったと主張した。彼はまた、新たに回復した主権(sovereignty)に対する過敏さを増した中央ヨーロッパ諸国が、国際秩序(cosmopolitan order)を深める必要性を弱めるかもしれないと懸念した。

その後、ハーバーマスはヨーロッパ統合の熱烈な支持者となった。1970年代後半、彼は「ヨーロッパのファンではない」と語っていた。当時、ヨーロッパ経済共同体と呼ばれていたものは、アデナウアーなどのキリスト教民主党によって始められ、ほとんどが共通市場として機能していたからだ。しかし、ヨーロッパ連合は、冷戦後のドイツ民族主義の復活(post-Cold War resurgence of German nationalism)を懸念する人々にとって、一種の政治的生命保険(a kind of political life insurance policy)となった。ヨーロッパが政治体制になる限り、多様な国民文化を持つこの共同体は、抽象的な政治原則、つまりヨーロッパ憲法上の愛国心のようなものによってまとめられなければならないと考えるのは合理的に思えた。2000年代初頭、ハーバーマスは、当時のドイツ緑の党の外務大臣ヨシュカ・フィッシャーとともに、ヨーロッパ憲法の制定を訴えたが、その試みは失敗に終わった。

ハーバーマスはまた、ヨーロッパのアイデンティティは国際法への関与(commitment to international law)によって定義できると考えるようになった。そして、911事件以降、規範的な方向性を失ったように見えるアメリカに対するカウンターウェイトとして。2003年、彼はジャック・デリダと共著で、ヨーロッパの統一を求める熱烈な訴えを書いた。デリダはかつて哲学上の敵対者だったが、ハーバーマスは多くのフランスの理論家と同様に、デリダにも非合理主義と保守的な傾向があると疑っていた。ヨーロッパは福祉国家(welfare state)を理由に、法を遵守し人道的であると自らを定義することになっていた。国際法の束縛を破ったジョージ・W・ブッシュのアメリカとは対照的だ。アメリカのネオコンの傲慢さ(hubris of U.S. neoconservatives)は、アレントにニューヨークで歓迎されて以来、アメリカで形成期を過ごしてきた知識人にとっては個人的に失望だった。

ハーバーマスが提案したヨーロッパのアイデンティティのもう一つの中心的な部分は、平和主義への関与だった。フェルシュは、ハーバーマスが1950年代にドイツ連邦軍の再軍備に反対し、1960年代にヴェトナム戦争を批判し、1980年代初頭に核兵器搭載可能なミサイルが配備されていた場所の封鎖を主張するなど、その平和主義的本能において驚くほど一貫していると説得力を持って主張している。ハーバーマスは、道徳的原則の名の下に、違法行為を行うことが極めて疑わしいと思われていた国で、市民的不服従(civil disobedience)を正当化した最初の著名な理論家であった。

同時に、フェルシュは、ハーバーマスがドイツ統一後の重要な外交政策決定の全てを正当化したことを私たちに思い出させる。湾岸戦争への支持、コソボ介入への参加、2002年のアメリカの「有志連合(coalition of the willing)」への社会民主党・緑の党連立政権の参加拒否などだ。ハーバーマスにとって、戦争は、解釈の余地が十分に残された国際的な法秩序を予兆する限り正当化可能だった。少なくとも、国連が承認した軍事行動については、ある程度もっともらしい説明に思えたが、1999年のNATOによるベオグラード爆撃については、はるかに難しいケースだった。

しかし、ハーバーマスの枠組みにおける解釈の余地は、ウクライナ戦争が現在ドイツとヨーロッパの政治文化を変えている方法に対応できないようだ。2022年にロシアがウクライナに侵攻した後、ハーバーマスは中道左派の南ドイツ新聞に、軍事援助に対するドイツのオラフ・ショルツ首相の慎重な姿勢を支持する記事を寄稿した。ハーバーマスは常にショルツの社会民主党と親しい関係にあった。歴代の党首たちは彼に助言を求めたが、時にはヨーロッパ債務危機の際の緊縮政策など、彼が誤った政策と見なすものを再考するよう圧力をかけることもあった。また、党内の特定の派閥とこの哲学者の間には、反軍国主義(anti-militarism)への共通の親和性という点で長い間つながりがあった。

しかし、2023年に、モスクワと交渉すべきというハーバーマスの呼びかけは、左派の一部も含めて広く攻撃された。ウクライナのアンドリー・メルニク外務副大臣は、彼の介入は 「ドイツ哲学の恥(disgrace for German philosophy)」だとツイートした。ドイツはヨーロッパの多くの国々と同様、ツァイテンヴェンデ(Zeitenwende)、ショルツ首相が使った「軍事的自衛への回帰によって示される歴史の大きな転換点(the major turning point in history marked by a recommitment to military self-defense)」という言葉によって、新たな政治的要請に到達したのである。政治は、平和と相互理解(peace and mutual understanding)を模索する側に立つべきだと常に主張してきたハーバーマスにとって、この方向転換を支持することは不可能であった。本書の最後で、ハーバーマスはフェルシュに、ドイツ国民の反応はもはや理解できないと告白している。

ハーバーマスに対する批判者たちは、彼が長年続けてきた急進的な民主政治体制と社会主義の政策への取り組みを放棄したと激しく主張する。彼は単にヨーロッパ連合の応援団として行​​動していたと見られ、マルクス主義の遺産を放棄し、経済の民主化(democratizing the economy)を諦め、そしておそらく最も非難されるべきことに、ドイツ人が「国家の柱(staatstragend)」と呼ぶもの、つまり政治的エスタブリッシュメントの柱(a pillar of the political establishment)になりつつあった。2001年に彼がドイツで最も権威のある文化賞の1つを受賞したとき、連邦内閣の閣僚の大半が出席した。

しかしフェルシュは、ハーバーマスの遺産が本当に失われつつあるとすれば、それはハーバーマスの変化によるものではなく、彼を取り巻く世界の変化によるものだと示唆する。より国家主義的なドイツに対するハーバーマスの懸念は、ヒストリカーストリート(歴史家論争)以降は想像もできないような形で歴史修正主義(historical revisionism)を誇示する極右(far right)の台頭によって裏付けられているようだ。ヨーロッパ連合は、ポストナショナリズムの典型とは程遠く、世界的な「規範的勢力(normative power)」になるというその野望は崩壊し、ハンガリーのビクトル・オルバーンのような極右指導者が自由主義的民主政治体制を弱体化させるのを阻止することさえできない。コスモポリタンな法秩序への希望は、大国間の競争(great-power rivalries)という新しい時代に打ち砕かれた。確かに、ハーバーマスは「歴史の終わり」論(end-of-history thesis)に少しでも似たことを主張したことはなかったが、友好的な共存の世界が現実的なユートピアであるという彼の基本的な衝動は、確かに疑問視されてきた。

しかし、ハーバーマスの思想がかつての西ドイツの「安全な場所(safe space)」でのみ意味を成したと結論付けるのは間違いだろう。憲法上の愛国心のようなものを支持することは、むしろ、極右の復活に直面してより緊急である。ヨーロッパ諸国は、様々な点で失敗しているが、その構造は政治的、道徳的にもっと野心的な取り組みにまだ利用できる。ハーバーマスは、ドイツの指導者たちに、フランスのエマニュエル・マクロン大統領の主権国家ヨーロッパ構築の誘いに応じるよう説得できなかった。ハーバーマスは、アメリカに幻滅しているが(アメリカは長い間彼の世界観の暗黙の保証人[tacit guarantor of his worldview]だったと言いたくなる)、その普遍主義的な建国理念の最良の部分は、ほとんど無効になっていない。

ハーバーマスは、1990年代のナイーブなリベラル派とは決して似ていなかった。歴史は単にアイデアが正しいか間違っているかを証明するものではない。むしろ、歴史は公共圏の荒野での継続的な戦いである。知識人の課題は、ドイツの旧式の反近代主義思想家たち(anti-modern thinkers in Germany)が深みを証明する方法であった楽観的でも悲観的でもない。むしろ、それは苛立たしいものであり続けることだ。

※ジャン=ワーナー・ミューラー:プリンストン大学政治学教授。最新刊に『民主政治体制が支配する(Democracy Rules)』がある。

(貼り付け終わり)

(終わり)

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 ドイツのオラフ・ショルツ首相が訪中を行った。昨年にもショルツ首相は訪中を行っており、ドイツの対中重視の姿勢が見て取れる。ウクライナ戦争が続く中、また、最先端技術分野での西側と中国の競争が続く中で、ショルツ首相訪中は西側を中心として批判を浴びている。「対中弱腰」「自国の経済的利益のみを追求」「必要なことは何も言わないで媚中的な態度」といった批判を浴びている。対中姿勢については、ショルツ政権内でも意見が割れている。

現在のドイツの内閣は、ショルツ首相が所属する社会民主党(SPDSozialdemokratische Partei DeutschlandsSocial Democratic Party of Germany)、同盟90・緑の党(Bündnis 90/Die GrünenAlliance 90/The Greens)、自由民主党(FDPFreie Demokratische ParteiFree Democratic Party)の連立政権になっている。ドイツ連邦議会で3番目の議席を有する緑の党は対中強硬姿勢を取っている。人権問題や経済問題、中国のロシア支援などについて、厳しい批判を行っている。ショルツ政権には、重要閣僚である副首相並びに経済・環境保護相(ロベルト・ハーベック)と外相(アンナレーナ・ベアボック)に緑の党から入閣している。これらの人物たちは、中国に対する強硬姿勢を崩していない。閣内不一致と言える状態だ。ちなみに、ドイツの緑の党や環境保護運動には戦後、多くの元ナチス党員やナチ支持者たちが参加しており、ファシズムとの共鳴性があることが指摘されている。

 しかし、ドイツのようなアメリカの属国の立場ではこれは賢いやり方だ。アメリカにあくまで追従して、中国に敵対するという姿勢を見せながら、実利的に、特に経済面において、中国と良い関係を保っておくということを行うことは重要だ。ドイツの産業界は、日本の産業界と同様に、中国との緊密な関係を望んでいる。政治は政治として、経済は別という立場で、経済成長が鈍化したとは言え、まだまだ経済成長を続ける中国と中国市場から排除されることは大きな損失である。また、成長を続ける中国企業の海外投資もまた魅力的である。「ドイツの外交政策は大企業の役員室で決められている(だから対中弱腰なのだ)」という悪口がある。それで、平和が保たれ、経済的利益が生み出されるならば、何よりも結構なことではないか。政治家が、自分たちは安全地帯にいて、排外的、好戦的な、強硬姿勢を見せるのは、あくまで政治の方便としてならともかく、本気でそのようなことをしているのは馬鹿げたことであり、何よりもそれが平和に慣れ切って、平和の大切さを忘れて、平和をいじくろうとする、想像力の欠如した、「平和ボケ」ということになる。ショルツ首相の舵取りを日本も見習うべきだ。いや、水面下では既に中国とうまくやっているのだとは思うが。

(貼り付けはじめ)

オラフ・ショルツの戦略的不真面目さ(The Strategic Unseriousness of Olaf Scholz

-彼の最新の訪中は、ドイツの対中国政策は大企業の役員室で作られていることを示すものだ。

ジェイムズ・クラブトゥリー筆

2024年4月22日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/04/22/olaf-scholz-germany-china-policy-companies-mercedes-vw-xi-jinping/

 

4月16日、釣魚台国賓館でのドイツのオラフ・ショルツ首相と中国の習近平国家主席

中国への最善の対応を巡るヨーロッパとアメリカの間に存在する、深く長期間続く分裂が再び全面的に露呈した。アントニー・ブリンケン米国務長官は4月24日に中国を訪問する予定だ。訪中前、ブリンケン国務長官は、中国がクレムリンへの兵器関連技術の提供を通じて、対ウクライナ戦争におけるロシアの支援をやめない限り、厳しい措置を講じると警告を発した。対照的に、ドイツのオラフ・ショルツ首相は、口調も内容もはるかに融和的な中国訪問を終えたばかりだが、このアプローチはドイツ、ひいてはヨーロッパを、驚くほど甘い態度のために、経済と安全保障を前にして、危険に晒している。経済と安全保障をめぐる諸問題は中国が提起する課題となっている。

ブリンケンの訪中は、米中関係の改善が進めようとする試みに続くものだ。ジョー・バイデン米大統領と習近平国家主席は、2023年11月にカリフォルニア州ウッドサイドで生産的な会談を行い、今月はそれに続く電話会談を行った。ジャネット・イエレン米財務長官も4月初めに北京を訪問した。新たな閣僚レヴェルのコミュニケーション・チャンネルは、昨年、制御不能(out of control)に陥る危険性があると思われた関係を安定させた。イエレンは現在、中国の何立峰副首相と経済問題に対処し、ジェイク・サリヴァン国家安全保障問題担当大統領補佐官は中国の王毅外相と交渉している。

ホワイトハウスはサリヴァンと王毅のチャネルが特に成功していると見ているが、その理由の1つは、王が現在、政府と中国共産党の外交政策責任者という2つの役割を兼ね備えているからだ。これにより、これらの役割が2つに分割されていたときと比較して、より効率的なコミュニケーションが可能になる。

それにも関わらず、アメリカのアプローチは基本的に競争力を維持している。今週到着するブリンケン国務長官がウクライナについて警告を発したのと同じように、イエレン財務長官もまた、中国の不公平な工業生産慣行(China’s unfair manufacturing practices)と彼女が表現したものについて厳しいコメントを訪問中何度か行った。

ショルツのアプローチは著しく異なっており、良い内容ではなかった。このことは、彼の代表団の詳細が明らかになった瞬間から明らかだった。ドイツには、ロベルト・ハーベック副首相やアンナレーナ・ベアボック外相を筆頭に、中国に対して強硬で戦略的な見方をする閣僚がいる。しかし、どちらも北京にはいなかった。代わりにショルツは、北京との緊密な協力を好む農業などの分野の閣僚や、中独貿易・投資を推進する産業界の重鎮たちを連れて行った。

ショルツはまたお膳立てされた厳しい内容の演説を拒絶した。実際、ショルツ首相は、中国のロシア支援から産業の過剰生産能力の増大するリスクに至るまで、ヨーロッパの経済と安全保障の重要な利益に打撃を与える問題について、公の場において、驚くほどほとんど発言しなかった。ショルツのこうした態度について、中国メディアが大喜びしたのは当然だ。ロディウム・グループの中国アドヴァイザーであるノア・バーキンはショルツの訪中後に、「報道は熱狂的だったと言えるだろう。中国が弾丸を避けたという感覚があるのは明らかだ」と書いている。

ショルツのアプローチは、ドイツの経済的利益に対する認識を基盤にしている。ドイツの対中経済的利益は昨年、著しく悪化した。3月上旬の全国人民代表大会(National People’s Congress、全人代)で習近平は、中国が「新たな質の高い生産力(new quality productive forces)」を発揮することを要求した。これは、電気自動車(electric vehiclesEVs)やバッテリーを含む先進的な製造業に巨額の資金を投入し、中国の経済モデルの失速を補うことを意味する。国内需要が限られている以上、その成果は必然的に輸出されることになり、中国はヨーロッパや北アメリカの先進製造業経済と衝突することになる。

ヨーロッパ連合(European UnionEU)は、中国政府からの補助金(subsidies)が自動車やソーラーパネルを含む産業の企業に競争上の優位性を与えているかどうかを調査しており、ショルツが指摘したように、中国の電気自動車に対する関税を検討し始めている。しかし、中国が国家補助金を削減するという、極めてあり得ないシナリオがあったとしても、その膨大な生産量と低コストのために、ヨーロッパ各国が対抗するのは極めて困難である。電気自動車からエネルギー転換技術、よりシンプルなタイプの半導体まで、ヨーロッパは現在、中国製の工業製品に支配される未来が明らかに近づいている。

ベルリンは、ドイツが誇る製造業の中で最も重要な自動車部門において、特別な課題に直面している。BMW、メルセデス・ベンツ、フォルクスワーゲンといった企業にとって、中国は何十年もの間、最も重要で最も収益性の高い市場だった。しかし、その時代は終わった。中国のBYD(比亜迪)は現在、テスラ(Tesla)と、世界最大の電気自動車メーカーの座を争っている。BYDは、アメリカのライヴァルであるテスラとほぼ同等の性能を持ち、それよりもはるかに安価な自動車を生産している。北京や上海の通りには、他の中国電気自動車ブランドで作られた車でごった返しているが、そのほとんどは西側職の人々には知られていない。伝統的な内燃エンジン(traditional combustion engines)の需要は崩壊しつつある。

クライスラーの中国における元責任者で、現在はコンサルタント・グループであるオートモビリティの責任者であるビル・ルッソは、こうした状況の変化に伴い、中国国内の自動車市場における外国ブランドの総シェアは、2020年以降の短期間で、64%から過半数を割る40%に急落したと述べている。現在、フォルクスワーゲンは、まだ中国で多くの自動車を販売しているが、それも長くは続かないだろう。「これらの企業に未来があるとは思えない」とルッソは述べている。

ドイツには二つ目の懸念がある。それは、自国市場へのリスクだ。中国製のバッテリーやその他の部品を対象とした規制のため、現在アメリカでは中国製電気自動車はほとんど販売されていない。中国からの電気自動車輸入の波に直面し、ヨーロッパは関税をアメリカとほぼ同じ水準に引き上げる可能性が高い。

しかしながら、ショルツは自国ドイツの自動車メーカーからは正反対の要求を突きつけられている。電気自動車への移行に多額の投資を行ってきたメルセデス・ベンツのオラ・ケレニウスCEOは、ブリュッセルに電気自動車関税の引き上げではなく引き下げを求め、競争がヨーロッパの自動車メーカーの改善に拍車をかけると主張した。中国をヨーロッパ市場から締め出すだけでは、ドイツが電気自動車で競争力を取り戻すことはできないだろう、という意見には真実味がある。ドイツが電気自動車分野で競争力を取り戻すためには、ドイツ企業は少なくとも自国での製造方法を確立するまでの間、バッテリーなどの分野で中国の技術を利用する必要がある。ドイツはまた、ヨーロッパの関税が中国のドイツ自動車メーカーを標的にした相互措置につながることを恐れている。

したがって、好意的に見れば、ドイツのアプローチは、2008年の世界金融危機を前にした当時のシティグループCEOチャック・プリンスの有名な格言の変形である。その格言とは「音楽が流れている限り、立ち上がって踊るしかない」である。2007年、プリンスは、災難が近づいている兆候が明らかになる中で、なぜ自分の銀行がリスクの高い金融取引を続けたのかを説明しようとしてこの言葉を使った。これと同じように、ショルツはドイツ企業がかつての国際競争力を取り戻そうとする一方で、中国市場の残りのシェアで稼ぎ続けられることを願っている。

もちろん、中国の工業力が高まっていることを考えれば、これがうまくいく確率は低い。しかし、たとえうまくいったとしても、この戦略はドイツ企業にとっての利益と、ドイツやヨーロッパ全体にとっての利益を混同するという、昔からの過ちを犯していることに変わりはない。

このアプローチが甘く見える理由は2つある。1つは、中国の進路が決まってしまったことだ。ショルツは上海で学生たちを前にして、中国に節度ある行動を求めた。「競争は公正でなければならない」とショルツ首相は述べ、北京がダンピング(dumping)や過剰生産(overproduction)を避けるよう求めた。しかし、中国のシステムは現在、この道を十分に進んでおり、北京がショルツの言葉に耳を傾けたとしても、そのような要求の実現は実際には不可能だ。

それどころか、中国は自国の経済モデルを復活させるために製造業を強化しようとしている。ドイツの自動車メーカーが自国(中国)の市場で成功することなどまったく考えておらず、電気自動車やその他の産業で世界的なリーダーになることに全力を注いでいる。ドイツの自動車メーカーは、中国での地位が救われると誤解しているかもしれないが、ドイツの政治指導者たちが同じ作り話を信じる必要はない。ショルツのソフト・ソフト・アプローチ(softly-softly approach)もまた、中国との競争によってもたらされる自国の経済モデルへの巨大な挑戦に対して、ドイツの国民や企業を準備させることはほとんどない。

ドイツのアプローチには、ヨーロッパと西側の団結に対する地政学的な二つ目のコストが伴う。中国の熱烈な報道が示すように、ショルツの訪独は、ヨーロッパ内、そしてアメリカとの分断を狙う北京の長年のアプローチへの贈り物であった。この分断は、貿易をめぐっても明らかだった。しかし、それはウクライナ問題でも同様だった。ショルツ首相の官邸は、ショルツ首相が習近平との個人的な会談でウクライナを取り上げ、ロシアの「再軍備(rearmament)」は「ヨーロッパの安全保障に重大な悪影響(significant negative effects on security in Europe)」を及ぼし、ヨーロッパの「核心的利益(core interests)」に直接影響すると主張したと述べている。しかし、中国にロシアへの支援を止めるよう求める私的なメッセージは、同様の公的なメッセージが既に失敗している以上、効果があるとは考えにくい。

ドイツのアプローチはまた、近年中国への依存を減らすために真剣に取り組んでいるインドや日本を含む、より広いインド太平洋地域の新たなパートナーとの信頼できる関係を構築することを、ヨーロッパにとって難しくしている。インドと日本の指導者もまた、中国がもたらす経済的・安全保障的脅威を率直に公言している。ニューデリーや東京から見れば、ショルツの今回の訪中は、単にヨーロッパの信頼性のなさ(unreliability)と戦略的真剣さの欠如(strategic unseriousness)の証拠としか受け取られないだろう。

もっと良いテンプレートがあることを考えると、ドイツのアプローチは特に奇妙に見える。ブリンケンとイエレンの訪中は、厳しいメッセージを発信しながらも北京でのビジネスが可能であることを示している。ヨーロッパ委員会のアーシュラ・フォン・デア・ライエン委員長は、昨年(2023年)12月に北京で開催された直近のEU・中国首脳会議で、リスク回避に関して同様のバランスを取った。オランダのマーク・ルッテ首相も2024年3月に同様のことを行い、中国のサイバースパイ戦術とウクライナでのロシア支援を公然と批判した。 

ショルツ首相がヨーロッパのパートナーやワシントンと調整し、最も有能な閣僚とともに北京に到着し、明確な飴と鞭を携えて公の場でしっかりと共同方針を表明するような、これまでとは異なるドイツの姿勢を見せると想像することは可能だ。その代わり、ドイツのアプローチは長期的な戦略的洞察に欠けているように見えた。ドイツの政策立案者たちは、ドイツの経済政策や外交政策がベルリンの首相府や省庁ではなく、企業の役員室で決定されるという考え方に歯がゆさを感じている。しかし、ショルツの訪中を、そして気の遠くなるようなことだが、ドイツの中国政策の多くを、それ以外の方法で説明するのは難しい。

※ジェイムズ・クラブトゥリー:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。アジア国際戦略研究所元上級部長。著書に『億万長者による支配:インドの新しい黄金時代を通じての旅路(The Billionaire Raj: A Journey Through India’s New Gilded Age)』がある。ツイッターアカウント:@jamescrabtree

=====
オラフ・ショルツは本音を隠せないままに中国訪問に向かう(Olaf Scholz Is on a Telltale China Trip
-ヨーロッパは中国に対して強硬な姿勢を取っているが、ドイツが本当にそれに協力しているかどうかはすぐに分かるかもしれない。

ノア・バーキン筆

2024年4月13日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/04/13/scholz-germany-china-trip-europe-derisk-decouple/

 

2022年11月3日、中国に向かうためにベルリンで飛行機に乗り込むオラフ・ショルツ

ヨーロッパ連合(European UnionEU)は、これまで何年も小さな棒を持ち、やわらかく話してきたが、安価な中国製品の流入が自国産業を衰退させることを懸念し、中国に対して経済的な力を行使し始めた。大きな問題は、EU圏最大の経済大国であるドイツが、より積極的なアプローチに全面的に賛同するかどうかだ。

これが、ドイツのオラフ・ショルツ首相の来週の中国訪問を特に興味深いものにしている。ベルリンの対中国政策は近年、硬化している。昨年(2023年)7月、ショルツ政権は厳しい文言の対中戦略を発表し、焦点をリスク回避(de-risking)、多様化(diversification)、対中依存度の削減(reduction of dependencies on China)に移行した。

しかし、もしショルツ1人だけが戦略を立案していたら、そもそもこの戦略は発表されなかったかもしれない。新たな批判的アプローチの原動力となったのは、ショルツの連立パートナーの1つである緑の党(the Greens)だ。ショルツ自身は慎重な姿勢を崩しておらず、中国市場を将来と結びつけている一握りのドイツ大企業に対して北京が報復するのではないかという懸念もあって、中国をあまり強くプッシュしたがらない。

2021年の首相就任以来、最長となる二国間訪問の1つであるショルツ首相訪中は、4月14日から16日まで3日間フルに中国を滞在し、重慶と上海のドイツ企業を訪問した後、習近平国家主席および李強首相と会談するために北京へ向かう予定となっている。中独両国は様々な協力分野が存在することの強調について熱心である。

ショルツは、ドイツ経済の弱体化と、タカ派もハト派も満足させられないウクライナ政策によって、国内ではプレッシャーにさらされている。ドナルド・トランプの再選によって大西洋を越えた関係に衝撃が走るかもしれない今年、北京と新たな戦線を開くことを避けたいとショルツは考えている。習近平は、中国経済が不動産危機、新型コロナウイルス規制解除後の経済不振、そしてアメリカの技術規制によって大きな圧力にさらされているときに、中国とドイツが互いに協力することを約束し続けるというシグナルを送りたいと考えているだろう。

しかし、水面下には、両首脳が封じ込めるのが難しい、様々な対立問題(a range of divisive issues)が潜んでいる。

ウクライナ戦争におけるロシアの戦争継続に対する中国の支援は、ドイツにとって重要なアジェンダとなるだろう。北京が西側のレッドラインを越え、軍事作戦に不可欠な物資や技術援助をモスクワに提供しているという懸念が高まっているからだ。

ジャネット・イエレン米財務長官は先週中国を訪問した際、ロシアの戦争に物質的支援を提供した中国企業は制裁という形で「重大な結果(significant consequences)」に直面するだろうと警告した。ショルツが同様のメッセージをより穏やかな口調で伝えることを期待したい。

しかし、おそらく最重要のアジェンダは、ヨーロッパ連合と中国の貿易関係の悪化だろう。ブリュッセルでは、中国が安価な補助金付き商品(cheap, subsidized goods)をヨーロッパ市場に膨大に流入させることで、経済の停滞から脱出しようと考えて、対ヨーロッパ輸出を試みるのではないかという懸念が高まっている。同時にヨーロッパ諸国は、ワシントンからの圧力が強まる中、中国への機密技術の輸出(export of sensitive technologies to China)をどこまで制限するかについて議論している。

昨年(2023年)6月、ヨーロッパ委員会のウルスラ・フォン・デア・ライエン委員長は、中国との技術協力のレッドラインを定めることを目的とした経済安全保障戦略(economic security strategy)を発表した。その数カ月後、ヨーロッパ委員会は中国からの電気自動車(electric vehicles)輸入に関する調査を開始した。そしてここ数週間は、風力タービン(wind turbines)、ソーラーパネル(solar panels)、鉄道に関連する補助金についての調査結果を発表し、中国企業が自国で受けている手厚い国家支援のおかげでヨーロッパ市場で不当な優位性を得ていると非難している。

これらを総合すると、これは、これまで私たちが目にすることがなかった、ヨーロッパからの最も強力な中国に対する反発に相当するが、それはほんの始まりにすぎない。

今週、プリンストン大学で行われた重要な講演で、競争問題ヨーロッパ委員のマルグレーテ・ヴェステアーは、新たな措置を強調したが、ヨーロッパの「モグラたたき(whack-a-mole)」戦術では不十分かもしれないと認めた。

「ケース・バイ・ケース以上のアプローチが必要だ。系統だったアプローチが必要だ。そして、手遅れになる前にそれが必要である。ソーラーパネルで起きたことが、電気自動車や風力発電、あるいは必要不可欠なチップで再び起きるような事態は避けたいと考えている」。

ヴェステアーは、重要なクリーン技術に対する「信頼性(trustworthiness)」基準の策定を提案した。これは、ファーウェイのような「ハイリスク」の5Gサプライヤーに対するアプローチと同じものだ。サイバーセキュリティ、データセキュリティ、労働者の権利、環境基準などの分野でヨーロッパの基準を満たさない国は、自国の企業が制限を受けるか、市場から排除されることになる。これは、ヨーロッパと中国との経済関係の重大な変化を意味する。

しかし、その戦術が機能するためには、ドイツからの支援が不可欠である。そしてショルツが、中国との特権的な経済関係を、たとえそれがますます緊張状態にあるとしても、危険に晒す覚悟があるかどうかは不明である。ショルツは、近年中国市場への進出を倍増させている三大自動車メーカー(BMW、メルセデス、フォルクスワーゲン)のCEOを含むドイツ産業界のリーダーを集めた代表団とともに中国を訪問する予定だ。ロディウム・グループの統計数字によれば、ドイツの対中直接投資額は2022年に71億ユーロを記録し、驚くべきことに、EU全体の79%を占めた。

2022年11月に首相として初めて中国を訪問する数週間前、ショルツは中国の海運大手コスコにドイツ最大のハンブルク港のターミナルの株式を与えるという取引を強行した。ショルツはまた、ファーウェイをドイツの通信ネットワークから段階的に排除する決定を下すよう、連立パートナーから受けている圧力に抵抗している。ファーウェイはドイツの5Gネットワークにおいて、59%のシェアを持っており、これはヨーロッパで最も高いレヴェルに達している。

このような背景から、ヨーロッパ委員会の担当者たちは、ショルツ首相が中国で発するメッセージを注視している。貿易関係に対するヨーロッパの懸念が深刻であることを中国側に説明し、EUが対応するという意思表示をするのだろうか? そうすれば、中国経済が苦境に立たされ、北京の指導者たちがヨーロッパからの投資を誘致し、欧州市場へのアクセスを維持しようと必死になっているときに、ドイツとそのパートナーが経済的な影響力を行使する用意があることを示すことができる。

それとも、ドイツ産業界がショルツに強く求めているように、貿易摩擦(trade tensions)を軽視し、その過程において、ブリュッセルを弱体化させるのだろうか?

その答えは、11月のアメリカ大統領選挙を頂点とする重要な年に、ヨーロッパが中国に対してどれだけ団結しているかを多く物語ることになるだろう。ショルツ首相訪問の数週間後、習近平は5年ぶりにヨーロッパを訪問し、フランス、ハンガリー、セルビアをそれぞれ訪問する。ショルツとフランスのエマニュエル・マクロン大統領が習近平に同じメッセージを伝えれば、それは強力なシグナルとなるだろう。それができなければ、致命的である。

※ノア・バーキン:ロディアム・グループ上級アドヴァイザー、アメリカのジャーマン・マーシャル基金非常勤上級研究員。

(貼り付け終わり)

(終わり)
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行いたしました。前半はアメリカ政治、後半は世界政治の分析となっています。2024年にアメリカはどうなるか、世界はどうなるかを考える際の手引きになります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 今回は地政学の大きな流れをまとめた優れた論稿をご紹介する。著者のハル・ブランズはジョンズ・ホプキンズ大学教授で、『フォーリン・ポリシー』誌や『フォーリン・アフェアーズ』誌に多くの論稿を発表し、著書『デンジャー・ゾーン 迫る中国との衝突』(飛鳥新社)もある。ハルフォード・マッキンダー、アルフレッド・セイヤー・マハン、ニコラス・スパイクマン、カール・ハウスホーファーといった、地政学の大立者の思想を簡潔にまとめている。また、現代にまで引き付けて、分析を加えている。

 地政学の有名な理論としては、「ランドパワー・シーパワー」「ハートランド・リムランド」「生存権(レーベンスラウム)」といったものがあるが、簡潔に述べるならば、「イギリス、後にはアメリカが、世界を支配するためには、ユーラシア大陸から有力な挑戦者が出てこないようにする」ということである。地政学がドイツに渡れば、「ドイツが生き残るためには拡大していかねばならない」ということになった。
geopoliticsmap001

 現在に引き付けて考えてみると、「ロシアと中国を抑え込むために、アメリカは、ヨーロッパ(とイギリス)、日本を使う」ということであり、「インド太平洋」という概念を用いるということになる。これは逆を返して考えれば「ユーラシアでロシアと中国が団結して強固な結びつきで一大勢力となって、アメリカやイギリス、日本を“辺境化”する」ということになる。今、私たちは世界の中心がアメリカやイギリスであると考えるが、ユーラシアに世界の中心が移れば、アメリカもイギリスも世界の外れということになる。世界は大きな構造変化を起こしつつある。これからはユーラシア大陸の時代ということになるだろう。

 世界を大きく、俯瞰で見るために地政学は有効である。地政学的な素養は学者だけではなく、多くの人々にとっても必要である。現在の世界を説明するために、そして、新たな状況の出現を予測したり、考えたりすることは有意義なことだ。そして、新たな時代には新が地政学の思想が出てくることだろう。それが今から楽しみだ。

(貼り付けはじめ)

地政学は期待と危機の両方をもたらす(The Field of Geopolitics Offers Both Promise and Peril

-世界で最も悲惨な学問(science)は、ユーラシア大陸を非自由主義や略奪にとって安全なものにするかもしれないし、そうした力から守るかもしれない。

ハル・ブランズ筆

2023年12月28日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/12/28/geopolitics-strategy-eurasia-autocracies-democracies-china-russia-us-putin-xi/

アレクサンドル・ドゥーギン(Aleksandr Dugin、1962年-、62歳)はちょっとした狂人だ。このロシアの知識人は2022年、ドゥーギン自身を狙ったと思われる、ウクライナの工作員が仕掛けたモスクワの自動車爆弾テロで、彼の娘が殺害され、西側で大きな話題となった。ドゥーギンが標的にされたのは、ウクライナでの大量虐殺を伴う征服戦争(genocidal war of conquest in Ukraine)を何年も前から堂々と提唱していたからだろう。「殺せ! 殺せ! 殺せ!」。2014年、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領が初めてウクライナに侵攻した後、彼はこう叫んだ。更に、「これは教授としての私の意見だ」と述べた。娘の葬儀でも、ドゥーギンはメッセージに忠実だった。幼児だった娘の最初の言葉の中に、「私たちの帝国(our empire)」という言葉があったと彼は主張した。

本当かどうかは別として、このコメントはプーティン大統領の外交政策を形作る熱狂的なナショナリズムを知る窓となった。それはまた、よく誤解されている伝統である、地政学(geopolitics)への窓でもある。単に力の政治(power politics)の同義語として使われることも多い地政学は、実際には19世紀後半から20世紀初頭にかけて現れた、国際関係に対する独特の知的アプローチであり、その洞察(insights)と倒錯(perversions)が現代を深く形作ってきた。

ドゥーギンは1990年代、アメリカに対抗するためにユーラシア帝国を再建することで、落ちぶれた(down-and-out)ロシアがその偉大さを取り戻すことができると主張し、一躍有名になった。これは、1904年にイギリスの地理学者ハルフォード・マッキンダー(Halford John Mackinder、1861-1947年、86歳で没)が提唱した「これからの時代はユーラシアに依拠する侵略者とオフショアのバランサーとの衝突(clashes between Eurasian aggressors and offshore balancers)によって定義される」という論文の奇妙な世界への応用であった。マッキンダーの論文は、地政学という学問分野の確立に貢献した。ドゥーギンの暴言やプーティンの犯罪が示すように、地政学は今日でも知識人や指導者に影響を与えている。

地政学は、地理学が、テクノロジーと相互作用するかを研究する学問であり、グローバルパワーをめぐる絶え間ない争いに関して研究する学問である。地政学が注目されるようになったのは、ユーラシア大陸という中心的な舞台を支配することで、現代世界を支配しようとする巨人同士の衝突の時代が始まってからだ。そして、冷戦後の時代に地政学が時代遅れのものに思えたとしても、酷い戦略的対立関係が再登場している今、その重要性は急劇に高まっている。しかし、20世紀の歴史と現代の戦略的要請を理解するには、地政学の伝統は1つではなく、2つあることを理解する必要がある。

マッキンダーと彼の知的継承者たちに代表される、地政学の民主的な伝統が存在する。これは恐ろしいが悪とは​​言い難い。それは、猛烈な無政府状態の世界で自由主義社会がどのように繁栄できるかを理解することを目的としているからだ。そして、ドゥーギンに象徴される独裁的な地政学学派があり、それはしばしば純粋かつ単純な毒である。この独裁学派地政学はプーティン大統領と中国の習近平国家主席の政策によく表れている。民主諸国家の政策立案者たちが新たな時代を形作るには、自らの地政学の伝統を再発見する必要がある。

経済学が陰鬱な学問だとすると、地政学はそれほど明るい科学ではない。地政学は1890年代から1900年代にかけて出現した。この時代は、帝国間の競争が激化し、交通と通信の革命により世界が1つの戦場となり、戦略家たちが危険で相互につながりのある世界で生き残るための絶対条件を見極めようとしていた時代だった。地政学の研究は常に、世界中の自由の運命の中心となりつつある超大陸であるユーラシアに特別な焦点を当ててきた。

マッキンダーが論文「歴史の地理的軸(The Geographical Pivot of History)」で説明しているように、テクノロジーはユーラシア大陸の地理を紛争の温室(hothouse of conflict)にしてきた。鉄道の普及は軍隊の移動時間を大幅に短縮し、野心的な国家、特に急速に近代化する独裁国家が陸地の端から端まで覇権を求める時代を予見していた。それらの国家が資源豊富な超大陸を征服した後は、比類なき海軍の建設に目を向けることになる。

マッキンダーの厳しい予測は、大陸の諸大国がユーラシア大陸を支配することを目指し、やがて世界を支配するというものだった。マッキンダーは、やがてロシアが世界を支配すると懸念していた。マッキンダーの言う、リベラルな超大国は、ユーラシア大陸の分断を維持することで、この世界的専制主義(global despotism)を阻止しなければならない。マッキンダーにとって、そのリベラルな超大国はイギリスだった。イギリスは、陸と海で覇権を狙う国々をけん制しながら、その周辺では、危険に晒されている「橋頭堡(bridge heads)」を保持しなければならないとマッキンダーは考えた。

アルフレッド・セイヤー・マハン(Alfred Thayer Mahan、1840-1914年、74歳で没)は、アメリカに出現したマッキンダーの分身のような存在であった。シーパワー(sea power)の伝道師であるマハンは、中米地峡に運河を建設し、戦艦軍団を編成し、難攻不落の海洋強国を築き上げるようアメリカに働きかけ、知的キャリアを積んだ。しかし、マッキンダーのように、マハンも超大陸を神経質に見つめていた。彼は次のように見ていた。蒸気の時代(age of steam)には、ユーラシア大陸の統合は海を隔てた国々を脅かすかもしれない。もしかしたら、ロシア皇帝が中東や南アジアを突破して、より温暖な海域とより広い地平線を目指すかもしれない。あるいは、日本やドイツが自国内の支配を確立した後、海を越えてさらに遠くを見据えるかもしれない。

マッキンダーが卓越した陸の力が卓越した海の力につながると考えたとすると、マハンはユーラシア大陸内の危険をコントロールするには、その周辺の海域を支配する必要があると考えた。そこでマハンは、米英の海洋同盟(maritime alliance between the United States and Britain)に狙いを定め、2つの海洋民主政治体制国家が海を取り締まり、それぞれの自由の伝統にふさわしい世界システムを維持することを目指した。マハンは1897年、「英語を話す民族の心情の統一(unity of heart among the English-speaking races)」こそが、「この先の疑わしい時代における人類の最良の希望となる(lies the best hope of humanity in the doubtful days ahead)」と書いている。

地政学の闘技場で重要な3人目の人物は、第二次世界大戦の世界的混乱の中で頭角を現したオランダ系アメリカ人の戦略家であるニコラス・スパイクマン(Nicholas J. Spykman、1893-1943年、49歳で没)だ。スパイクマンはマッキンダーの主張や考えを次のように改造した。最も鋭い挑戦は、荒涼としたロシアの「ハートランド(heartland)」ではなく、ユーラシア大陸に深く切り込みながら、隣接する海を越えて攻撃することができるダイナミックで工業化された、「リムランド(rimland)」の国々、すなわちドイツと日本だ。鉄道がマッキンダーを魅了し、戦艦がマハンを夢中にさせたとすれば、スパイクマンを悩ませたのは爆撃機(bomber)であった。ひとたび全体主義国家がヨーロッパとアジアを制圧すれば、彼らの長距離航空戦力(long-range airpower)が新世界(西半球)の海洋進入路を支配し、その一方で封鎖と政治戦争がアメリカを弱体化させ、殺戮に向かうとスパイクマンは考えた。ユーラシア大陸内のパワーバランスを冷酷に調整することによってのみ、ワシントンは致命的となりかねない孤立を避けることができると主張した。

現在、これらの思想家たちを分析することは憂鬱であり、逆行的でさえある。マハンは誇らしげに自らを「帝国主義者(imperialist)」と呼び、マッキンダーは中国に「黄禍(yellow peril)」のレッテルを貼った。地政学が拠り所とする二重の決定論(dual determinism)、すなわち地理が世界の相互作用を強力に形成し、世界は過酷で容赦のない場所であるということを、全員が受け入れていた。スパイクマンは1942年に「国家が生き残れるのは、絶えずパワーポリティックスに献身することによってのみである」と書いている。

それは正しくなかった。マッキンダー、マハン、そしてスパイクマンは、新しいテクノロジーと、より凶暴な暴政の夜明けによって、より恐ろしくなった世界規模での対立の時代を乗り切ろうとしていた。マハンが言うところの「個人の自由と権利(the freedom and rights of the individual)」を尊重する民主的な社会が、「個人の国家への従属(the subordination of the individual to the state)」を実践する社会からの挑戦を生き残ることができるかどうか、3人とも最終的にはそれを懸念していた。つまり3人とも、どのような戦略、マッキンダーの言葉を借りれば「権力の組み合わせ(combinations of power)」が、許容可能な世界秩序を支え、ユーラシア大陸の統合が新たな暗黒時代の到来を告げるのを防ぐことができるかを見極めようとしていた。

この民主学派地政学(democratic school of geopolitics)は、非自由主義的な諸大国によって運営される超大陸を、避けるべき悪夢とみなした。権威主義学派地政学(authoritarian school)は、それを実現すべき夢と考えた。

自由主義の伝統に彩られた地政学が英米の創造物であるとすれば、より厳しく独裁的な倫理観を持つ地政学はヨーロッパ大陸で生まれたものだ。後者の伝統は、19世紀後半にスウェーデンの学者ルドルフ・チェーレン(Rudolf Kjellen、1864-1922年、58歳で没)とドイツの地理学者フリードリヒ・ラッツェル(Friedrich Ratzel、1844-1904年、59歳で没)が始まりである。これらの思想家たちは、ヨーロッパの窮屈で熾烈な地理学の産物であり、当時の最も有害なアイデアのいくつかを生み出した。

チェーレンとラッツェルは社会ダーウィニズム(social Darwinism)の影響を受けていた。彼らは、国家を拡大しなければ滅びる生命体とみなし、国民性を人種的な用語で定義した。彼らの一派は、1901年にラッツェルが作り出した「生存圏(Lebensraum)」、生活空間(living space)の探求を優先した。この伝統は、大陸の征服と開拓に成功したアメリカからインスピレーションを得ることもあったが、帝国ドイツのように、拡張主義的なヴィジョンと非自由主義的、軍国主義的な価値観が両立していた国々で最も開花した。そしてその後の数十年の歴史が示すように、この反動的でゼロサムの傾向を持つ地政学は、前例のない侵略と残虐行為の青写真(blueprint)となった。

このアプローチの典型は、カール・ハウスホーファー(Karl Haushofer、1869-1946年、76歳で没)である。彼は第一次世界大戦時には砲兵司令官を務め、1918年の敗戦後、ドイツ復活(German resurrection)の大義を掲げた。ハウスホーファーにとって、地政学は拡大と同義だった。第一次世界大戦後、ドイツは連合国によって切り刻まれた。ドイツが取るべき唯一の対応は、「現在の生活空間の狭さから世界の自由へと爆発することだ(out of the narrowness of her present living space into the freedom of the world)」と彼は書いている。ドイツは、ヨーロッパとアフリカにまたがる資源豊富な自国の帝国を主張しなければならない。抑圧され、持たざる国、すなわち日本とソヴィエト連邦が、ユーラシア大陸と太平洋の他の地域でも同様のことをすると、彼は信じていた。

ハウストホーファーが「汎地域(pan-regions)」と呼ぶものを統合することによってのみ、修正主義諸国は敵に打ち勝つことができた。また、協力することによってのみ、敵、すなわちイギリスによる分割統治(divide-and-conquer)を阻止することができた。この地政学の目標は、独裁的な軸によって支配されるユーラシアであった。マッキンダーが警告していたことを、ハウシュホーファーは彼の著作から惜しみなく借用し、実現する決意を固めた。

騒乱や殺人なしにこれが達成できるという気取りはなかった。ハウスホーファーは「世界は、政治的な整理整頓(political clearing up)、権力の再分配を必要としていた。小国はもはや存在する権利がない」と書いている。ハウストホーファーは、1930年代後半から1940年代初頭にかけてドイツが行った「生存圏」の獲得という殺人行為を支持することになった。

ハウスホーファーは、アドルフ・ヒトラーが1920年代に収監されている間、アドルフ・ヒトラーの相談役を務めていた。ヨーロッパのライヴァルを排除することの重要性、東方における資源と空間の必要性など、ヒトラーの『我が闘争(Mein Kampf)』の中心的主張は、純粋なハウスホーファーの主張であったと歴史家のホルガー・ヘルヴィッヒは書いた。ヒトラーが英米のシーパワーへの回答として提唱した広大なユーラシア陸軍帝国も、同様にハウスホーファーの思想に影響を受けたものだった。歴史上最も大胆な土地強奪は、ヒトラーの誇大妄想(megalomania)、病的な人種差別主義、権力への壮大な渇望に起因する。それはまた、悪の地政学(geopolitics of evil)に支えられていた。

国家と国家の衝突は思想の衝突である。20世紀を解釈する1つの方法は、民主学派地政学が独裁主義的な地政学を打ち負かしたということである。

第一次世界大戦、第二次世界大戦、そして冷戦において、根本的に修正主義的な諸国家(radically revisionist states)は、ハウストホーファーの脚本をそのまま実行に移した。ドイツ、日本、ソヴィエト連邦はユーラシア大陸の広大な土地を占領し、近隣の海と争った。支配地域は、時には殺人的な残虐性をもって統治された。しかし、リベラルな超大国が指揮を執り、民主国家が持つ最高の地政学的洞察に導かれた世界連合によって、彼らは最終的に敗北した。

マッキンダーによれば、これらのオフショア(ユーラシア大陸から離れた)諸大国(offshore powers)は、ユーラシア大陸の捕食者たちが超大陸を蹂躙し、彼らの注意が完全に海洋に向くのを防ぐために、陸上に同盟諸国を育成した。マハンが予見したように、米英は大西洋を支配し、ワシントンの圧倒的なパワーを発揮させるために同盟を結んだ。そして、スパイクマンが推奨したように、アメリカは大西洋と太平洋にまたがる同盟関係を構築し、かつての同盟国であったソ連を封じ込めるために、日本とドイツという改心した敵を利用することで、ユーラシア大陸の分断を維持することに最終的に関与することになる。

実際、こうした闘いでは道徳的な妥協が繰り返された。西側民主政体諸国は、第二次世界大戦ではソ連の指導者ヨシフ・スターリンと、冷戦後期では中国の指導者毛沢東と悪魔の取引(devil’s bargains)をした。彼らは、封鎖、爆撃、クーデター、秘密介入といった戦術を用いたが、それはより高い善への貢献によってのみ正当化できるものだった。スパイクマンは、「全ての文明的生活は、最終的にはパワーにかかっている。と書いている。民主政体諸国は、世界最悪の侵略者が最も重要な地域を支配するのを防ぐために、冷酷にパワーを行使した。

1991年のソヴィエト連邦の戦略的敗北と解体によって頂点に達したこれらの勝利の報酬は、繁栄する自由主義秩序と、グローバル化と民主化によって地政学が時代遅れになったという感覚であった。しかし残念なことに、世界は今、独裁的な挑戦者たちが古い地政学的思想を武器とする、新たな対立の時代に突入している。

プーティンの新帝国主義プログラム(neoimperial program)について考えてみよう。1990年代から、ドゥーギンは、ロシアは覇権主義的な「大西洋主義者」連合(“Atlanticist” coalition)によって存在を脅かされていると主張し、ロシアの安全保障エリートたちの間でその名を知られるようになった。ハウホーファーと同様、ドゥーギンはマッキンダーを逆転させることで活路を見出した。ドゥーギンは2012年に、モスクワにとっての最良の戦略は「私たち自身の手でロシアのために偉大な大陸ユーラシアの未来を作ることだ(great-continental Eurasian future for Russia with our own hands)」と書いている。旧ソ連の諸共和国を取り戻し、不満を抱く他の国々と結びつきを強めることで、ロシアはユーラシア修正主義者のブロック(bloc of Eurasian revisionists)を構築することができる。「ロシアの核心地域(The heartland of Russia)」は「新たな反ブルジョア、反米革命の舞台(“staging area of a new anti-bourgeois, anti-American revolution)」だとドゥーギンは1997年に書いた。西側諸国ではプーティンとドゥーギンの結びつきはしばしば誇張されてきたが、後者の著作は前者が何をしたかを知る上で悪くない指針となる。

プーティンのロシアは、その支配から逃れようとした近隣諸国(グルジアとウクライナ)の領土を分割し、一方で毒殺、戦略的腐敗、その他の戦術を駆使して他のポスト・ソヴィエト諸国を従属させ、隷属させてきた。西側諸国の政治的不安定を煽り(これもドゥーギンが提唱した共同体を崩壊させる戦術である)、その一方で、プーティンの言葉を借りれば、「現代世界の両極の1つ(one of the poles of the modern world)」として機能しうるユーラシアの制度を構築しようとしている。その一方で、プーティンはユーラシアを独裁的で反米的な大国の要塞とすることを目指して、中国やイランと擬似的な同盟関係を結んでいる。プーティンはまたもやドゥーギンの言葉を引用し、ロシアは「リスボンからウラジオストクまで」広がる「共通地帯(common zone)」を作らなければならないと述べている。プーティンはまた「ユーラシア超大陸は、ロシアが守るべき“伝統的価値”の避難所(a haven for the “traditional values”)であり、ロシアが利用すべき“大いなる機会”の源泉(a source of “tremendous opportunities”)である」と述べた。

2022年2月のロシアのウクライナ侵攻は、広々としたユーラシア大陸の中心地とダイナミックなヨーロッパ大陸の縁を結ぶウクライナを征服することで、この計画を加速させることを意図していた。ここでプーティンは、ドゥーギンが規定した血なまぐさい倫理観をもって、ロシアの「偉大な大陸ユーラシアの未来(great-continental Eurasian future)」を追求した。拷問、強姦、殺人、去勢、大量拉致、ウクライナの民族的アイデンティティを抹殺する組織的な努力は、専制的な政権の残虐性を帯びたユーラシア拡張の地政学の再来を示している。

中国の国家運営もまた、おなじみの弧を描いている。第二次世界大戦以来最大の海軍増強を行うことで、北京は台湾を奪取し、スパイクマンが西太平洋の「限界海域(marginal seas)」と呼ぶ重要な海域を支配する力を身につけようとしている。この目標を達成すれば、中国はユーラシア大陸で最も活気のある地域の覇者となる。また、世界中に基地を持つブルーウォーター・ネイヴィー(外洋海軍)への投資を自由に行うことで、習近平の言葉を借りれば「海洋大国(great maritime power)」となる。マハンが生きていれば、きっとこの中国の動きに注目していたことだろう。

マッキンダーの思想を応用した考えが中国の戦略にも反映されている。習近平の「一帯一路(the Belt and Road)」構想は、それに続くいくつかのプログラムと同様、東南アジアから南ヨーロッパ、そしてそれより遠方の国々を、経済的、技術的、外交的、そしておそらくは軍事的な影響力で包み込むことを意図している。これがうまくいけば、中国は中国中心の超大陸の周縁部(periphery of a Sino-centric supercontinent)にしがみつこうとしているヨーロッパに対して、圧倒的な地位を占めることになり、おそらくは北京が管理するシステムの中で、アメリカを二流の地位に追いやることさえできるだろう。学者ダニエル・S・マーキーは著書『中国の西方水平線』の中で、「ユーラシア大陸の資源、市場、港湾へのアクセスは、中国を東アジアの大国から世界の超大国へと変貌させる可能性がある」と書いている。習近平の中国は、人民解放軍の劉亜州上将が2004年に提言したように、「世界の中心を掌握する(seize for the center of the world)」ことを決意した。

しかし、中国の国家運営がマハンとマッキンダーの見識を採用しているとすれば、その意味するところは独裁的な伝統に沿ったものということになる。中国の外交官たつは、台湾が中国と統一された後に台湾の住民を「再教育(reeducate)」することを約束しているが、この脅しは20世紀最悪の犯罪の記憶を呼び起こさせる。中国が支配するユーラシア大陸は、ハウスホーファーが誇りに思うような権威主義的な汎地域となるだろう。北京とモスクワは、時には上海協力機構(Shanghai Cooperation Organization)を通じて協力し、中央アジアにおける潜在的なカラー革命(color revolutions)を阻止し、国境を越えて逃亡する反体制派を追い詰めてきた。その一方で、専制政治の近代化は北京の積極的な援助によって続けられている。「中国のデジタル・シルクロード(China’s Digital Silk Road)」は、最先端の監視装置を装備することで、非自由主義的な政府を強化している。

膨張と抑圧がどのように相互作用しているかを示す最も明確な例は、中国国内において見られる。習近平政権は新疆ウイグル自治区を、ウイグル族を強制収容所に押し込め、容赦ないデジタル弾圧を実施することで、人道上のホラーショーと化している。北京は「独裁の器官(organs of dictatorship)」を駆使し、「絶対に容赦しない(absolutely no mercy)」と習近平は2014年に指示した。この政策の根拠は地政学にある。新疆ウイグル自治区は、中国のユーラシア大陸への重要な輸送ルートの上に位置しているため、「新疆ウイグル自治区は特別な戦略的意義を持つ(Xinjiang work possesses a position of special strategic significance)」と習近平は述べている。それは、中国の力によって残虐行為が拡散することを予感させるものだ。

ハウホーファーの後継者たちは、非自由主義と略奪にとって安全なユーラシアを求めている。民主世界はその試練に応えるため、自らの地政学的系譜を復活させる必要がある。

ワシントンは今、マハンが夢見たような艦隊のような戦艦を必要としているわけではない。

技術革新は、その本質ではないにせよ、ライヴァル関係のリズムを変化させる。今日の競争は、新しい能力と新しい戦争領域を特徴としており、かつてないほど長距離の敵を攻撃することが容易になっている。しかし、いくつかの現実は変わらない。グローバル秩序を安定させるには、その中心にある悪意ある覇権主義(hegemony)を回避する必要がある。民主学派地政学は、このように常に変化しながらも、私たちが考えているほど斬新ではない世界をナビゲートするための心象地図(mental map)と一連の原則を提供している。

第一に、地政学とリベラルな価値観は相反するものではない。後者を守るには前者をマスターすることが不可欠だ。自由主義世界は理性、道徳、進歩を称賛するが、地政学的伝統は闘争と争いを強調する。しかし、西側の自由主義秩序の前提条件は、二度の世界大戦と冷戦において、自由の最も恐ろしい敵を打ち砕くか封じ込める力の組み合わせを生み出すことであった。世界が、ほんの数年前に出現した、破滅的な戦争や独裁的な優勢から安全ではなくなっていることを考えると、リベラルな価値観の隆盛には、パワーポリティックスにおいて地政学をスムーズに応用できる能力を国家が持つことが再び必要となるだろう。

地政学を学ぶ者なら、2つ目の洞察も理解できるだろう。スパイクマンは、ユーラシア大陸が枢軸諸国(the Axis)に制圧されそうになっていた1940年代初頭に、彼の代表的な著作を執筆した。リベラル勢力がどん底状態に陥ったことが、ユーラシア大陸の均衡が新たに崩れないようにすることで、次の戦争を防ぐ戦略を求めるスパイクマンの主張につながった。

スパイクマンが着想した戦略の歴史的成果のおかげで、西側諸国は、プーティンがウクライナに強硬に攻撃しないように、重要な援助を提供することで、東ヨーロッパの奥深くでロシアと均衡を保つことができるようになった。ワシントンとその同盟諸国は、中部太平洋ではなく台湾海峡で北京の力を牽制することができる。このような立場を維持するための軍事的・外交的要求は重いが、修正主義者たちが勢いづいた後に、より弱い立場からバランスを取ることに比べれば、その要求が少ないことは確かである。

ポジションを維持するためには、第3の原則を守る必要がある。それは、地政学とは同盟政治(alliance politics)であり、ユーラシア大陸の覇権をめぐる戦いは、同盟の構築と破棄の競争ということだ。スパイクマン、マッキンダー、マハンが把握していたように、海外の大国は、たとえ超大国であっても、最前線の同盟国の助けがあって初めてユーラシア大陸の情勢を調整することができる。逆に、覇権国家を目指す国は、海外からの支援を阻止し、隣国を孤立させることによってのみ、隣国を制圧することができる。

したがって、ユーラシア大陸のバランスは、アメリカが旧世界の周辺地域に介入するために必要な主権的、軍事的優位性を維持できるかどうかにかかっている。しかし、たとえ強制、賄賂、選挙妨害、その他の介入戦術を用いる敵対者に対して、遠く離れた大陸にアクセスし、影響力を与え、追加の能力を与える同盟と安全保障ネットワークをワシントンが適応させて強化すればそれは問題ではない。それらの同盟は全く別のもとして考える必要がある。

マッキンダーが思い起こさせるように、パートナーのタイプや場所も重要である。中国との戦いは主に海洋問題である。しかし、これは4つ目の教訓であるが、ランドパワーとシーパワーは、たとえその相対的なメリットが際限なく議論されるとしても、互いに補完し合うものである。ワシントンが太平洋で孤立無援の敵に直面することを望むならば、ヴェトナムや特にインドなど、中国の脆弱な陸上国境に沿ってディレンマを生み出すような友好諸国の存在が必要になる。

ヴェトナムもインドも理想的なパートナーではないが、これは第5の原則を強調している。アメリカにとって戦略とは、民主的な団結と卑劣な妥協を融合させる技術である(art of blending democratic solidarity with sordid compromises)。ユーラシア大陸の大西洋と太平洋の縁に広がる自由民主諸国は、ワシントンの連合の中核である。しかし、バランスを維持するには、常に非自由主義的なアクターたちと非自由主義的な行為が関与してきた。

この世代の修正主義者たちを封じ込めるには、シンガポールからサウジアラビア、トルコに至るまで、友好的な、あるいは単に二律背反的な権威主義者の弧に対峙する必要がある。ライヴァル関係の激化によって、ワシントンが秘密裏の謀略、経済的妨害工作、代理戦争に手を染めることになっても、ショックを受ける必要はない。覇権をめぐる争いは、比較的立派な民主国家に醜いことをさせるものである。

しかし、第6の教訓を忘れてはならない。ユーラシアの争いは一次元的なものでも、単地域的なものでもない。マハン、マッキンダー、そしてスパイクマンはみな、ユーラシア大陸を巨大で相互に結びついた舞台と見なしていた。最近では、アメリカにとって本当に重要なのは台湾だけであり、軍事力だけが真に重要なパワーの一種であるという、より還元主義的な見方(reductionist view)をする分析者たちもいる。西太平洋で中国に敗戦した場合の結果は、確かに画期的なものとなるだろう。しかし、自由世界が直面している問題はそれだけではない。

今日のウクライナにおける仮定の話ではない戦争の結果は、バルト海から中央アジアまでの戦略的バランスを形成し、ユーラシアの独裁国家とそれに対抗する自由民主政体国家との間の優位のバランスを形成する。だからこそ、ウクライナを切り離せという声は、ワシントンの最も脆弱な西太平洋の同盟諸国からはほとんど聞こえてこないのだ。

更に言えば、マッキンダーが1904年の論文で書いたように、中国は対外的にも対内的にも拡大することができる。ユーラシア大陸に進出すれば、「偉大な大陸の資源に海洋の出入り口を加える(add an oceanic frontage to the resources of the great continent)」ことができる。また、スパイクマンが付け加えるように、政治戦争(貿易、技術、その他の非軍事的手段の利用)は、戦争そのものと同様に敵を軟化させることができる。つまり、これらの思想家たちは、北京の経済的・技術的影響力を封じ込めることは、その軍事力を牽制するのと同じくらい重要であり、ワシントンがユーラシア大陸の一部分に焦点を当て、他の地域を排除するような単純なことはできないということを理解している。

その多くは、将来に対する厳しい見通しを示している。しかし、民主学派地政学が冷徹なパワーに関する計算の専門知識を必要とするのであれば、それだけに限定することはできない。最後の洞察は、世界的な危機は創造の機会であるということだ。

20世紀において、ユーラシア大陸における挑戦諸国の活動は、世界の民主国家に前例のない協力を呼び起こした。ユーラシアの挑戦諸国の活動は、世界の民主国家にかつてない協調を呼び起こし、侵略の計画を退けるとともに、世界の多くの地域にかつてない繁栄と幸福をもたらした自由主義秩序の基礎を築いた。現在の対立関係の中で成功する連合とは、20世紀の時と同様に、地球規模のグループが、かつてないほど軍事的、経済的、技術的、外交的に団結して、この時代の最も差し迫った課題に対処するものである。マッキンダーは、「反感を買う個性(A repellent personality)」には「敵を団結させる(uniting his enemies)」という美点があると書いた。民主学派地政学の目標は、今日また新たな時代の創造を可能にする安全保障を提供することであるべきだ。

ハル・ブランズ:ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ記念高等国際関係大学院(SAIS)ヘンリー・A・キッシンジャー記念特別教授、アメリカン・エンタープライズ研究所上級研究員。ツイッターアカウント:@HalBrands
(貼り付け終わり)

(終わり)
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。世界構造の大きな転換について詳述しました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 2023年1月15日に「名目GDPで日本がドイツに抜かれて世界4位に転落」という報道がなされて話題になった。1968年に当時の西ドイツを抜いて世界第2位に躍進したが、2010年に中国に抜かれて第3位となり、今回ドイツに抜かれて4位に転落となった。このことは昨年から既に言われていたことだ。何故なら、最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)にこのことを書いたからだ。「日本は経済成長がない国であり、ドイツは高々2%の経済成長率なのに日本を抜く」ということを書いた。そのことを今更声高に叫ぶ必要もない。5位のイギリスに抜かれることはないだろうが、現在6位のインドにも抜かれて、5位に転落するのはここ10年から20年以内の出来事となるだろう。日本は残念なことだが衰退の道を着実に歩んでいる。
worldgdpranking2021501

(貼り付けはじめ)

●「日本のGDP4位転落、ほぼ確実に ドイツに抜かれる見通し」

朝日新聞 1/15() 18:13配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/3477c4492a7de21be7d26064cb879c2c9606c716

 2023年の名目国内総生産(GDP)で日本がドイツに抜かれ、世界4位に転落することがほぼ確実になった。米ドル換算で比べるため、日本のGDPが円安で目減りする一方、ドイツは大幅な物価高でかさ上げされることが要因だ。ただ、長期的にドイツの経済成長率が日本を上回ってきた積み重ねの結果という面もある。

 名目GDPはその国が生み出すモノやサービスなどの付加価値の総額。経済規模を比べる時に使う代表的な指標で、1位は米国、2位は中国だ。

 ドイツが15日発表した23年の名目GDPは、前年比63%増の41211億ユーロ。日本銀行が公表している同年の平均為替レートでドル換算すると、約45千億ドルとなる。

 大幅に伸びた要因は、ロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格の高騰などで、日本以上に激しい物価上昇に見舞われたことだ。物価の影響を除いた実質成長率は03%減と、3年ぶりのマイナス成長になった。

 一方、日本の23年の名目GDPは来月発表されるが、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの試算では591兆円(約42千億ドル)とドイツを下回る。円ベースでは前年比で57%増えるが、円安が進んだことでドル換算では12%減ると予測されている。

 日本はすでに19月期の実績で、ドイツに約2千億ドル(約28兆円)の差をつけられている。追いつくには1012月期に約190兆円を積み上げる必要があるが、前年同期が約147兆円だったことを踏まえると、実現はほぼ不可能だ。

 長期的にみるとドイツの成長率は日本を上回っており、経済規模の差は縮まってきていた。国際通貨基金(IMF)のデータから0022年の実質成長率を単純平均すると、ドイツの12%に対し、日本は07%にとどまる。

 各国の経済規模をめぐっては、日本は1968年に西ドイツ(当時)を国民総生産(GNP)で上回り、世界2位の経済大国となった。だが2010年にGDPで中国に抜かれて3位になっていた。(寺西和男=ダボス、米谷陽一)

(貼り付け終わり)

 日本はこれから貧しくなっていく。二極化が進むが、外国から見れば、いくら日本で勝ち組だ何だと威張ってみても、「負け組の船に乗るかわいそうな人たち」というひとくくりの評価だ。私の母方の曽祖父は戦前、アメリカのロサンゼルスに出稼ぎに行って、仕送りをして、子供たちを育て学校に行かせた。ガーデナーといわれる庭師、肉体労働をしていたそうだ。ハリウッドの映画スターの家で働きぶりが良いということで、お菓子をもらったり、子供たちの洋服のおさがりをもらったりして、それを日本に送ってもらって、それを皆で食べた、お古とは言えきれいな洋服を着て目立ってしまったという話を祖母から聞かされた。

そういうことがまた起きるだろう。しかし、今の日本人に何ができるだろう。外国語(英語や中国語など)ができなければ、デスクワークなどはできない。それなら肉体労働はどうだろうか。今の日本人に肉体労働ができるだろうか。はなはだ心もとない。そうなれば、使えない人間ということになる。元先進国の国民で体が動かないというのは、江戸幕府瓦解後の武士階級みたいなものだ。

 各国の経済力や経済成長を見てみると、やはり、非西側諸国(the Rest、ザ・レスト)の勢いが凄まじい。その中核であるBRICSのさらに中核BRIC(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、名目GDPで見てみると世界トップ20位以内に入っている。更に、ジョコ・ウィドド大統領の下で進境著しいインドネシアも躍進している。

 名目GDP以外に、購買力平価(purchase power parity)によるGDPという指標もある。購買力平価とは「一つの物品の価格は一つ(一物一価)」という考えから、例えば、ハンバーガーがアメリカでは1ドルで買えて、日本では120円で買えるとすると、1ドル=120円という為替価値が妥当だとする考えだ。購買力平価は短期的な為替ではなく、長期的な動きを示すということになる。そして、この購買力平価によるGDPの評価ということもなされている。こちらの方が実態に近いという説もあるが、名目GDPの方がまだよく使われる指標になっている。購買力平価GDPで見てみると、名目GDPよりもより驚くべき順位が出る。中国がアメリカを抜いて世界第1位であること、インドが既に世界第3位で、日本は4位であること、7位にインドネシアが入っていること、トップ10にBRICが全ては言っていることなど、下記の順位を見て驚く人も多いだろう。これがある側面で見た世界の現実である。
worldgpdbycountriesppp511
 ここで重要なのは、インドネシアである。インドネシアは、世界第4位の2億7000万の人口を誇り、名目GDPは世界16位、購買力平価GDPは世界7位となっている。名目GDPが1兆ドル(約143兆円)を突破し、「1兆ドルクラブ」入りを果たした。インドネシア国民の平均年齢は約31歳(日本は約48歳)、これから消費者、生産者として活発に活動していく人々が多く存在する。これを「人口ボーナス」と呼ぶ。一方日本は「老人ホーム」となっていく。日本はこれから旺盛な経済活動を行う、西側以外の国々に抜かされていくだろう。ドイツに抜かされたくらいで悲観的になっていては身が持たない、これからこのようなニューズに何度も何度も接することになるのだから。
indonesianeconomicgrowthgdp001
trilliondollarclub001

(終わり)


bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ