古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ナショナリズム

古村治彦です。※2025年3月25日に最新刊『トランプの電撃作戦』(秀和システム)が発売になります。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
trumpnodengekisakusencover001
『トランプの電撃作戦』←青い部分をクリックするとアマゾンのページに行きます。世界の民主政治体制国家が不安定になっている。それもこれまで世界の模範とされてきた、西側諸国の民主政治体制が動揺している。民主政治体制として歴史の浅い国や、非民主的な国の方が政治的に安定しているというのが現状だ。民主政治体制の「危機」という主張も聞かれるが、それを招いたのは選挙で選ばれた権力者たちによる独走と失敗である。多くの先進諸国で既存の政治に対する失望が広がっているのは、既存の政治家たちが国民を見ていない、国民の意向を無視しているということが原因だ。

 下に掲載した論考では、ナショナリズムと民主政治の不安定な関係を取り上げている。特に、国家がメンバーをどう定義するか、歴史的記憶をどう扱うか、そしてグローバライゼーションにどう対抗するかが問題となっている。ナショナリズムはリベラリズムと緊張関係にあり、一部の国ではその影響が強まっている。

国家のメンバーシップの基準に関しては、各国が民族的要因や共通の憲法上の価値の忠誠を重視している。アメリカでは移民政策が政治問題として浮上し、トランプ政権下では新たな差別の恐れが生じた。ヨーロッパの難民危機やインドでの国籍法改正も、メンバーシップに対する懸念を強化している。これらの動きは、リベラリズムの基盤に影響を与えており、閉鎖的な政策が多くの国で台頭している。

歴史的記憶もその重要な側面であり、国家の集団的アイデンティティにとって欠かせない要素となっている。インドにおけるヒンドゥー教のナショナリズムは、この点で特に顕著であり、宗教的シンボルが政治的課題に利用されている。南アフリカでは、経済的正義を犠牲にした妥協の是非が議論されている。

国民ポピュリズムの台頭により、国家的アイデンティティに異議を唱える意見は反国家的とされることが多く、異論は犯罪化される事例が増えている。ナショナリズムとグローバライゼーションの関係も、選挙において重要な課題となり、自国の利益を優先する傾向が強まっている。グローバライゼーションの否定的な側面が明らかになり、国家の自給自足を求める動きが加速している。

ナショナリズムの特徴は、民主政治体制の誕生とも深く関連しており、経済とナショナリズムの交わりが各国に影響を与えている。ナショナリズムはアイデンティティ政治に強く、リベラリズムとの対立が顕著になる可能性がある。2024年の選挙は、このような闘争を反映しており、リベラルな価値観への脅威が増すか、またはその逆となるかが焦点となる。 この課題に関して、過去の歴史家が述べたように、ナショナリズムに人道的側面を与えることが、未来の歴史についての重要な鍵である。

 リベラルな価値観とは、西洋諸国の推進する価値観であり、これまではそれを受け入れることが進歩であり、文明的な動きであった。しかし、それらに対する異議申し立てや疑問が出ている現状で、それらは揺らいでいる。そして、民主政治体制についても揺らいでいる。そうした中でナショナリズムが影響力を増している。こうした現状はアメリカでも見られる。世界は大きく変わりつつある。

(貼り付けはじめ)

ナショナリズムの亡霊(The Specter of Nationalism

-アイデンティティ政治は選挙に常に影響を与えてきた。2024年、アイデンティティ政治はリベラリズムと、民主政治体制自体に対しての深刻な脅威となるだろう。

プラタップ・バーヌ・メサ筆

2024年1月3日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/01/03/nationalism-elections-2024-democracy-liberalism/?tpcc=recirc_trending062921

世界は民主政治体制(democracy)の未来にとって重要な年が始まろうとしている。インド、インドネシア、南アフリカ、アメリカなど、2024年に投票が行われる主要国のほんの数例を挙げると、これらの国での選挙は通常通りの行事である。しかし、これらの民主政治体制国家の多くは転換点(inflection point)を迎えている。分極化(polarization)、制度の劣化(institutional degradation)、権威主義(authoritarianism)の強まる潮流は逆転できるのだろうか? それとも、民主政治体制は限界点(breaking point)に達するのだろうか?

民主政治体制国家にはそれぞれ独自の特徴が存在する。今年選挙が行われる各国では、有権者はインフレ、雇用、個人の安全、将来の見通しに対する自信など、おなじみの問題で現政権を判断することになる。しかし、2024年の世界選挙に伴う不吉な予感は、1つの事実に起因している。それは、ナショナリズム(nationalism)と民主政治体制の間の不安定な妥協(uneasy accommodation)が深刻なストレスに晒されているということだ。

民主政体の危機は、部分的にはナショナリズムの危機でもあり、現在では4つの問題を中心に展開しているようだ。国家がメンバーシップ(国民、有権者)をどう定義するか、歴史的記憶(historical memory)のあり方をどう普及させるか、主権者としてのアイデンティティをどう位置付けるか、そして、グローバリゼーション勢力とどう戦うかである。これらのそれぞれにおいて、ナショナリズムとリベラリズムはしばしば緊張関係にある。民主政治体制は、この緊張関係を解決するのではなく、うまく切り抜けようとする傾向がある。しかし、世界中で、ナショナリズムがゆっくりとリベラリズムを窒息させつつあり、この傾向は今年、有害な形で加速する可能性がある。2024年には世界史上どの年よりも多くの国民が投票するが、彼らは特定の指導者や政党だけでなく、市民的自由の未来(very future of their civil liberties)そのものに投票することになる。

まず、社会がメンバーシップの基準をどのように設定するかについて議論しよう。政治共同体が主権を持つ場合、誰をメンバーから除外するか、またはメンバーに含めるかを決定する権利がある。自由主義的民主政治体制国家は歴史的に、メンバーの基準として様々なものを選択してきた。民族的および文化的要因を優先する国もあれば、共通の憲法上の価値観への忠誠を要求するだけの市民基準を選択する国もある。

実際には、自由主義的民主政体国家の移民政策は、移民の経済的利点、特定の人々の集団との歴史的つながり、人道的配慮など、様々な考慮事項に基づいて行われてきた。ほとんどの自由主義社会は、メンバーシップの問題を原則的にではなく、様々な取り決めを通じて扱ってきた。その中には、よりオープンなものもあればそうでないものもある。

加盟の問題は政治的に重要性を増している。その原因は様々だ。アメリカでは、南部国境での移民の急増により、この問題が政治的に前面に押し出され、バイデン政権でさえも、約束したリベラル政策の一部を撤回せざるを得なくなった。確かに、移民はアメリカでは常に重要な政治問題であった。しかし、ドナルド・トランプが政治的に登場して以来、移民は新たな側面を獲得した。トランプのいわゆるイスラム教徒入国禁止令は、最終的には撤回されたが、アメリカの将来の移民制度の基礎となる可能性のある、新たな形の明白または隠れた差別の恐怖(the specter of new forms of overt or covert discrimination)を引き起こした。

世界的な紛争や経済および気候の苦境によって引き起こされたヨーロッパの難民危機(Europe’s refugee crisis)は、全ての国の政治に影響を与えている。スウェーデンは、移民を統合するモデルについて深い懸念を強め、2022年に右派政権を誕生させる。イギリスでは、移民に対する懸念がブレグジット(Brexit)に一部影響した。またインドでは、ナレンドラ・モディ首相率いる政府が2019に年国籍改正法を施行し、近隣諸国からのイスラム教徒難民を国籍取得の道から除外することになった。インド政府にとって、加盟を巡る懸念は、多数の民族を優先する必要性から生じている。同様に、南アフリカでは移民の地位をめぐる論争がますます激しくなっている。

メンバーシップの重要性が増していることは、リベラリズムの将来にとって懸念事項だ。リベラルな価値観は歴史的に様々な移民制度やメンバーシップ制度と両立してきたため、リベラルなメンバーシップ制度はリベラルな社会を作るための必要条件ではないかもしれない。よく管理されたメンバーシップ政策がないと、リベラリズムが依拠する社会的結束(the social cohesion)が乱れ、リベラリズムが損なわれる可能性が高いと主張する人もいるだろう。しかし、ハンガリーのヴィクトル・オルバンからオランダのヘルト・ウィルダースまで、閉鎖的または差別的なメンバーシップ制度を支持する世界の政治指導者の多くが、リベラルな価値観にも反対しているというのは注目すべき事実である。そのため、反移民と反リベラルを区別することが難しくなっている。

記憶は、保持し、前進させるべき、集団的アイデンティティに関する永遠の真実の一種(a kind of eternal truth)である。

ナショナリズムの2つ目の側面は、歴史的記憶(historical memory)をめぐる争いである。全ての国家には、集団のアイデンティティと自尊心(self-esteem)の基盤となることができる、使える過去(a usable past)、つまり国民を結びつける物語(a story that binds its peoples together)が必要だ。歴史と記憶の区別(the distinction between history and memory)は誇張されがちだが重要だ。フランスの歴史家ピエール・ノラが述べたように、記憶は事実、特に思い出す主な対象への崇拝にふさわしい事実を探す。記憶には感情的な性質がある。それはあなたを動かし、あなたのアイデンティティを構成するはずだ。それはコミュニティの境界を設定する。歴史はより距離を置いている。事実は常にアイデンティティと共同体の両方を複雑にする。

歴史は道徳に関する物語(a morality tale)というよりは、苦労して得た知識の非常に難しい形態であり、常に選択可能性(selectivity)を意識している。

記憶(memory)は道徳に関する物語として保持するのが最も簡単だ。それは単に過去に関するものではない。記憶は、保持し、前進させるべき、ある個人の集団的アイデンティティに関する一種の永遠の真実だ。

様々な記憶は政治の場でますます強調されている。インドについて、最も明白な例を挙げると、歴史的記憶はヒンドゥー教のナショナリズムの強化の中心だ。2024年1月に、モディ首相はアヨーディヤーでラーマ神を祀る寺院を建立した。この寺院は、1992年にヒンドゥー教のナショナリストがモスクを破壊した場所に建てられている。ラーマ神寺院は重要な宗教的シンボルだ。しかし、インド人にとって最も顕著な歴史的記憶はイギリスによる植民地支配ではなく、イスラム教による千年にわたる征服の歴史であるべきだという与党インド人民党(the ruling Bharatiya Janata Party)の主張の中心でもある。モディ首相は、2020年に寺院の礎石が据えられた8月5日を、1947年にインドがイギリスから独立した8月15日と同じくらい重要な国家の節目であると宣言した。

南アフリカでは、記憶の問題はそれほど顕著ではないように思えるかもしれない。しかし、ネルソン・マンデラ時代の妥協(compromise)は、社会的連帯(social solidarity)のために経済的正義(economic justice)を犠牲にしたと今では一部の人が見ているが、ますます問われている。不平等の継続、経済不安、社会的流動性の低下に直面して、南アフリカ人の多くはマンデラの遺産と、国内の黒人に力を与えるために彼が十分なことをしたかどうかを疑問視している。これは、与党のアフリカ民族会議(the ruling African National Congress)に対する幻滅(disillusionment)を反映している。しかし、この再考は、現代の南アフリカが自らを理解してきた観点から、記憶を再定義する可能性もある。

アメリカでは、国家の物語をどう語るかをめぐる争いは建国の父たち(the Founding Fathers)にまで遡る。ドナルド・トランプからフロリダ州知事ロン・デサンティスまで、政治家たちはアメリカ人であることの意味や「アメリカを再び偉大な国にする(make America great again)」方法に基づいて立候補している。たとえばフロリダ州では、黒人の歴史を教えるための怪しげな基準を設け、生徒が人種や奴隷制度について学ぶ内容を規制しようとしている。これは単なる教育方法の政治的論争ではなく、その背後には、アメリカが過去をどのように記憶し、それゆえに未来をどのように築いていくのかという、より大きな、不安な政治的論争がある。

ナショナリズムの高揚における3つ目の次元は、人民主権(popular sovereignty)、すなわち人々の意思(the will of the people)をめぐる争いである。人民主権とナショナリズムの間には常に密接な関係があり、前者には明確なアイデンティティと互いに特別な連帯感を持つ国民という概念の形成が必要だったからである。フランス革命の時代、ジャン=ジャック・ルソーの思想に触発され、人民主権者は唯一無二の意思を持つとされた(the popular sovereign was supposed to have a singular will)。しかし、もし人民の意志が単一(unitarity)であるならば、差異(differences)をどう説明するのだろうか? 更に言えば、当然のように人々の間に違いがあるのなら、どうやって民意を確かめればいいのだろうか? このパズルを解く1つの方法は、誰が有能な人々の意志を効果的に代表していることができるか、そしてそうすることで、相手側を、単にその意志の代替的な解釈を持っているのではなく、その意志を裏切っているものとして表現できるかということである。このようなパフォーマンスが行われるためには、代替的な視点を代弁する者を民衆の敵(an enemy of the people)として厳しく非難しなければならない。その意味で、「人民(the people)」、一元的な存在として理解される、という修辞的な呼びかけは、常に反多元主義的である危険性(the risk of being anti-pluralist)をはらんでいる。世界中の民主政治体制国家が民主政治体制の多元主義的で代表的な概念を受け入れているときでさえ、国家に転嫁される単一性の痕跡が残っている。国家は団結していなければ国家ではないし、意志を持つこともできない。

政治スタイルとしての国民ポピュリズムは、人民の敵(enemies of the people)ではなく国民の敵(enemies of the nation)を見つけることで繁栄する。

人々は、自分たちの国のアイデンティティを基準にすることで、統一された意志のもとに結集する。つまり、時には、このようなアイデンティティの評価は非常に生産的である。しかし、ナショナリズムの特徴の1つは、ナショナリズム自身が異議を唱える余地を作ろうともがくことだ。反対派が委縮したり汚名を着せられたりするのは、政策的な問題に関して異なる見解を持っているからではなく、その見解が反国家的なものとして表象されるからである。国民ポピュリストのレトリックが、自分たちの国民的アイデンティティやナショナリズムの基準に異議を唱える勢力に向けられることが多いのは偶然ではない。国民のアイデンティティがより争われるようになるにつれ、押し付けられることによってのみ統一が達成される可能性が高まっている。

政治スタイルとしての国民ポピュリズムは、人民の敵ではなく国民の敵を見つけることによって繁栄し、その敵はしばしば特定の複数のタブーによって評価される。トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアンからモディ、オルバン、トランプに至るまで、現代のポピュリストのほぼ全員が、人民とエリートを階級ではなく、誰が国家を真に代表するかという観点から区別している。真のナショナリストとして評価されるのは誰なのか? エリートに対する文化的軽蔑(the cultural contempt for the elite)は、彼らがエリートであるという事実だけでなく、いわばもはや国民の一部ではないエリートとして代表されることができるという事実から強まっている。この種のレトリックは、違いを単なる意見の相違ではなく、扇動的であると見なす傾向がますます強まっている。たとえばインドでは、カシミールに対する政府の姿勢に疑問を呈する学生たちに対して国家安全保障関連の罪が問われている。これは、単なる異議申し立て(a contestation)、あるいはおそらく誤った見解としてではなく、犯罪化される必要がある反国家行為(anti-national act)と見なされている。

ナショナリズムの危機の第4の側面は、グローバライゼーションに関するものだ。ハイパー・グローバライゼーションの時代になっても、国益が色褪せることはなかった。各国がグローバライゼーションや世界経済への統合を受け入れたのは、それが自国の利益につながると考えたからだ。しかし、全ての民主政治体制国家において、今年の選挙で重要なのは、国際システムに関与する条件の再考である。

グローバライゼーションは勝者を生み出したが、同時に敗者も生み出した。アメリカにおける製造業の雇用喪失やインドにおける早すぎる脱工業化(premature de-industrialization)は、グローバライゼーションの再考を促すに違いない。こうしたことは全て、グローバル・サプライチェインへの依存に対する恐怖を際立たせた新型コロナウイルス感染拡大(パンデミック)以前から起こっていたことだ。

世界各国は、経済に対する政治的コントロールの主張、つまり合法的な社会契約(social contract)を結ぶ能力が、グローバライゼーションの条件を再考する必要があると確信するようになっている。傾向としては、グローバライゼーションに懐疑的になり、国家安全保障や経済的な理由から、より大きな自給自足を求めるようになっている。「アメリカ・ファースト」や「インド・ファースト」は、特に中国が権威主義的な競争相手(an authoritarian competitor)として台頭してきた状況では、ある程度理解できる。

しかし、現在のこの瞬間はナショナリズムの政治における大きな転換期のようだ。グローバライゼーションは国益の推進を目指す一方で、ナショナリズムを緩和した。グローバライゼーションは、統合の拡大によって全ての国が相互に利益を得ることができるゼロサムゲーム以外の世界秩序を提示した。国際的な連帯を疑うことはなかった。民主政治体制国家はますますこの前提を放棄しつつあり、世界に重大な影響を及ぼしている。グローバライゼーションが減り保護主義が強まると、必然的にナショナリズムが強まる。この傾向は世界貿易にも悪影響を及ぼし、特に国境開放と商業の高まりを必要とする小国にとっては打撃となる。

ここで説明したナショナリズムの4つの特徴(メンバーシップ、記憶、主権的アイデンティティ、世界への開放性)はそれぞれ、民主政治体制の誕生以来、その影を落としてきた。アメリカでは格差と賃金の低迷、インドでは雇用の危機、南アフリカでは汚職など、どの民主政治体制国家もそれぞれ深刻な経済的課題に直面している。経済問題とナショナリズム政治の間に必要な二項対立(binary)はない。モディのような成功したナショナリストの政治家は、経済的成功をナショナリズムのヴィジョンを強固なものにする手段と考えている。そして、ストレスの多い時代には、ナショナリズムは不満を明確にするための言語となる。ナショナリズムは、政治家が人民に帰属意識と参加意識を与える手段だ(It is the means by which politicians give a sense of belonging and participation to the people)。

ナショナリズムはアイデンティティ政治(identity politics)の最も強力な形態だ。ナショナリズムは、個人とその権利を、ナショナリズムが個人を束縛する強制的なアイデンティティのプリズムを通して見ている。ナショナリズムとリベラリズムは長い間、対立する勢力だった。ナショナリズムをめぐる利害関係が高まらず低まれば、ナショナリズムとリベラリズムと両者の間の緊張関係をうまく乗り越えやすくなる。しかし、2024年の多くの選挙では、これらの国の国民的アイデンティティの性質が、上記の4つの側面に沿って危機に晒される可能性が高まっている。これらの争いは民主政治体制を活性化させる可能性がある。しかし、最近の例を参考にすると、政治におけるナショナリズムの優越性は、リベラルな価値観に対する脅威となる可能性が高い。

ナショナリズムの前進する形態が、その意味を争うことを許さず、あるいは特定のグループの特権を維持しようとすると、一般的に、より分裂的で分極化した社会(a more divisive and polarized society)が生み出される。インド、イスラエル、フランス、そしてアメリカは、それぞれこの課題に直面している。記憶とメンバーシップの問題は、単純な政策審議によって解決される可能性が最も低い。彼らが取引する真実は、共通基盤の基礎となりうる事実に関するものではない。たとえば、私たちがしばしば歴史を選択するのは、その逆ではなく、むしろ私たちのアイデンティティのためであることはよく知られている。

おそらく、最も重要なことは、ナショナリズムの名の下に、リベラルな自由に対する攻撃が正当化されることが多いということだ。例えば、表現の自由(freedom of expression)は、深く大切にされている国家神話(national myth)を標的にすると見なされれば、その限界を知る可能性が最も高い。市民の自由を狭めたり、制度の完全性を軽んじたりすることを厭わないポピュリストや権威主義的な指導者は皆、ナショナリズムのマントをまとっている。そのような指導者は、「反国家的(anti-national)」という言葉を用いて反対意見を取り締まることができる。多くの意味で、今年の選挙は、民主政治体制がナショナリズムのディレンマとうまく折り合いをつけられるか、あるいはナショナリズムを衰退させるか、打ち砕くかを決めるかもしれない。

20世紀のファシズム史の偉大な歴史家であるジョージ・L・モスは、1979年にイェルサレムのヘブライ大学で行われた教授就任講演で、この課題について次のように述べている。「もし私たちがナショナリズムに人間的な側面を与えることに成功しなければ、将来の歴史家たちは、私たちの文明について、エドワード・ギボンがローマ帝国の崩壊について書いたことと同じことを書くかもしれない。つまり、最盛期には穏健主義が卓越し、国民はお互いの信念を尊重していたが、不寛容な熱意と軍事的専制によって崩壊したということだ(that at its height moderation prevailed and citizens had respect for each other’s beliefs, but that it fell through intolerant zeal and military despotism)」。

※プラタップ・バーヌ・メサ:プリンストン大学ロウレンス・S・ロックフェラー記念卓越訪問教授、ニューデリーにあるセンター・フォ・ポリシー・リサーチ上級研究員。

(貼り付け終わり)

(終わり)
trumpnodengekisakusencover001

『トランプの電撃作戦』
sekaihakenkokukoutaigekinoshinsouseishiki001
世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 民主政治体制にとって重要なのは、公共圏(public sphere)という考え方だ。これは、市民が政治や経済から離れて、「共通の関心事について話し合う場所」を意味するもので、市民社会(civil society)の基本となる。ドイツの学者ユルゲン・ハーバーマスは公共圏の重要性を私たちが再認識することが重要だと主張している。近代ヨーロッパであれば、町々のコーヒーハウス(coffee house)に人々が集まり、商談をしたり、文学や政治について喧々諤々議論をしたりということがあった。また、金持ちや貴族の邸宅で定期的に開かれたサロン(salon)でも同様のことが行われた。
jurgenhabermas101
ユルゲン・ハーバーマス

 このような人々の集まり、つながりはどんどん希薄になっている。そのことに警鐘を鳴らしているのが、アメリカの学者ロバート・パットナムだ。ロバート・パットナムは、社会関係資本(social capital)という考えを提唱している。これは、「個人間のつながり、すなわち社会的ネットワーク、およびそこから生じる互酬性と信頼性の規範」と定義されているが、社会関係資本があることで、民主政治体制がうまく機能するということになる。

今日のドイツでは、テレビのトーク番組や新聞による議論が活発で、公共圏の役割が強調されているが、ハーバーマスは誤った情報を濾過する機能を持つ場の重要性を指摘している。彼は自由民主政治体制を擁護した。

冷戦後、ハーバーマスはドイツ民族主義の復活に懸念を示し、ヨーロッパ憲法の制定を訴えたが失敗に終わった。彼はヨーロッパのアイデンティティを国際法への関与に求め、アメリカの非合理的な政策に対抗する姿勢を強調している。平和主義への関与も彼の思想の中心であり、彼は過去にドイツ連邦軍の再軍備に反対していた。

ハーバーマスはドイツ統一後の外交政策を正当化したが、ウクライナ戦争に対する彼の見解は変化を見せている。彼はショルツ首相の慎重な姿勢を支持するが、彼の呼びかけは批判を受けている。ドイツでは歴史の大きな転換点が訪れており、ハーバーマスの平和と相互理解の主張は時代にそぐわないとされる。彼の思想が変化したのではなく、周囲の世界が変わったことが示唆されている。

批判者はハーバーマスが急進的な民主主義を放棄したと主張し、彼を政治的エスタブリッシュメントの支持者として非難する。しかし、フェルシュは彼の変化は世界の変化によるものであると述べ、極右の台頭や歴史修正主義が彼の懸念を強めていることを指摘している。ハーバーマスの思想は、現在の政治的、道徳的な取り組みにおいて依然として重要であり、彼は新たな政治的要請に適応することを求めている。

 ハーバーマスに関しては、穏健派に転向したという批判がなされているようであるが、彼が変化したと言うよりも、時代が大きく変化して、思想の位置づけもそれによって変化したことで評価が変わったということが言えるかもしれない。

(貼り付けはじめ)

世界はまだハーバーマスを必要としている(The World Still Needs Habermas

-ドイツの哲学者は、彼の自由主義の遺産よりも長生きし始めている。

ジャン=ワーナー・ミューラー筆

2024年6月30日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/06/30/revisiting-habermas-book-review-germany/

ドイツ国外の人々に、ユルゲン・ハーバーマスがドイツで果たした並外れた役割を伝えるのは難しい。確かに、彼の名前は、世界で最も影響力のある哲学者の、多かれ少なかれ馬鹿げたリストに必ず掲載される。しかし、60年以上にわたり、あらゆる主要な議論で重要な役割を担い、実際、多くの場合にそのような議論を始めた公的な知識人の例は他にはない。

ベルリンを拠点とする文化史家フィリップ・フェルシュによる新著は、ドイツ語から『哲学者(The Philosopher)』と簡単に翻訳され、「ハーバーマスと私たち」という巧みな副題が付けられているが、ハーバーマスは常に戦後ドイツの政治文化のさまざまな時代と完全に同調していたと主張している。これは、ハーバーマスほど長生きした人物としては驚くべき業績である。ハーバーマスは今年95歳になる。フェルシュが指摘するように、ミシェル・フーコーが、ハーバーマスほど長生きしていたなら、ドナルド・トランプ前大統領についてコメントしていたかもしれないし、ハンナ・アーレントがその年齢に達していたなら、テロリズムに関する考察を911事件まで含めていたかもしれない。

また、この本の最後にある哲学者の告白は、更に注目に値する。フェルシュは、ロシア・ウクライナ戦争に関する自身の記事に対する否定的な反応を受けて、ハーバーマスは初めて、もはやドイツの世論を理解していないように感じたと報告している。ハーバーマスは変わったのか、それとも国(ドイツ)が変わり、この哲学者が何十年も擁護してきた平和主義(pacificism)や「ポストナショナリズム(post-nationalism)」から背を向けているのか?

ハーバーマスは長い間、賛否両論、分かれる人物だった。英語圏の多くの人々にとって、これはいくぶん不可解なことだ。なぜなら、彼らはハーバーマスを、コミュニケーションを成功させ、さらには合意を導く哲学者として知っていると思っているからだ。また、おそらくハーバーマスを、長々とした理解しにくい理論書の著者としても考えているだろう。

皮肉なことに、作家としてのハーバーマスの才能が、彼の考えを翻訳することをしばしば困難にしている。ハーバーマスは学者になる前は、フリーランスのジャーナリストで、彼の公的な発言は、テレビやラジオではなく常に文章で行われ、比喩に富んだ文体で見事な論争となっている。示唆に富んだ比喩は哲学的な働きもするため、学術書の翻訳は難しい。

そのなかには、1962年に出版され、今日に至るまでハーバーマスの著作のなかで最も多くの部数を売り上げている本がある。『公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究(The Structural Transformation of the Public Sphere)』という扱いにくいタイトルだが、その主要なテーゼは単純明快だ。民主政治体制とは、自由で公正な選挙だけでなく、世論形成の開かれたプロセスをも決定的に必要とする。ハーバーマスが様式化した説明によれば、18世紀には、サロンやコーヒーハウスで、小説について自由に語り合うブルジョワの読者が増えていた。やがて議論は政治問題にまで及んだ。君主(monarchs)が民衆(people)の前に姿を現していたのに対し、市民[citizens](少なくとも男性で裕福な市民)は、国家が自分たちの意見を代弁し、自分たちのために行動することを期待するようになった。

ハーバーマスの著作が、衰退と没落(decline and fall)の物語を語っていることは忘れられがちだ。巧妙な広告手法への依存度が高まった資本主義と、複雑な行政国家の台頭が、自由でオープンな公共圏を破壊した。しかし、振り返ってみると、1960年代は、マスメディアの黄金時代だったようだ。ハーバーマスは2022年の『公共性の構造転換』に関するエッセイでその点を認めている。その中で彼は、いわゆる「フィルターバブル(filter bubbles)」と「ポスト真実(post-truth)」の時代と、広く尊敬され経済的に成功した新聞やテレビニューズが特徴で、毎晩国全体が集まる世界とを対比した。

フェルシュが指摘するように、この著作とその後のハーバーマスのコミュニケーションに関するより哲学的な著作は、ナチスの独裁と国家権力への服従という古い伝統から脱却した西ドイツ人が自由に議論する方法を学び始めた戦後の時代に、まさにふさわしいメッセージを含んでいた。左派の多くと同様、ハーバーマスも初期の連邦共和国の雰囲気を茫洋としたものと感じていた。熱狂的な反共主義者であったコンラート・アデナウアー首相は、「実験の禁止(no experiments)」を約束し、旧ナチスを新国家に変化させ、批判的な知識人たちはおろか、批判的な報道機関もほとんど許容しなかった。

今日、ドイツの特徴は、夕方のテレビで異常に多くのトーク番組が放送され、翌朝には新聞が大々的に論評することであり、しばしば国から補助金を受ける公開討論会が実施され、新聞が多くのコラムを割いて教授たちの数週間にわたる討論を掲載することである。ハーバーマスは、議会をセミナールームにすることを理想とする合理主義的熟議哲学者(rationalist philosopher of deliberation)の決まり文句(cliche)とは裏腹に、「荒々しく(wild)」であらゆる意見が発言できる公共圏を明確に求めている。同時に、そのような場は「汚水処理場(sewage treatment plants)」のように機能し、誤った情報や明らかに反民主的な意見を濾過することを意図している。

ハーバーマスは、マルクス主義者から「形式的民主政治体制(formal democracy)」にすぎないとしばしば嘲笑される自由民主政治体制(liberal democracy)の手順を支持したが、それは彼がフランスの戦後の知的潮流に敵対的であった理由であり、それが非合理主義(irrationalism)と規範的基準をまったく欠いた美化された政治(aestheticized politics that lacked all normative standards)を促進していると疑っていた。フェルシュは、1980年代初頭に、ハーバーマスとフーコーがパリで「冷たい雰囲気(icy atmosphere)」の中で食事を共にした時のことを回想している。どうやら、唯一の共通の話題は、ドイツ映画だったようだ。フェルシュによると、ハーバーマスはドイツの過去を確かな教育的手法で扱ったアレクサンダー・クルーゲの映画を好むと公言していたが、フーコーは明らかに非合理的なクラウス・キンスキーを主演に迎えたヴェルナー・ヘルツォークのアフリカとラテンアメリカ探訪における「恍惚とした真実(ecstatic truth)」の称賛を好んでいたという。

ハーバーマスが、伝統的なドイツの天才崇拝(Geniekultcult of the towering genius)、つまり高尚な天才への崇拝のようなものを育てないよう常に注意を払ってきたのは偶然ではない。また、フリードリヒ・ニーチェやマルティン・ハイデッガーと比べると、現代のドイツ哲学は完全に退屈になり、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズが「純粋理性の官僚(bureaucrats of pure reason)」と呼んだものに支配されていると主張するフランスの観察者にとって、ハーバーマスが時折、証拠AExhibit A)となるのも偶然ではない。

しかし、バイエルンにある彼の近代的なバンガローで、この哲学者に2度インタヴューしたフェルシュは、ハーバーマスに驚くべき事実を話してもらうことができた。ハーバーマスの主張によれば、彼の新聞記事は全て怒りから書かれたものだった。実際、啓蒙主義の遺産を衒学的に管理する純粋理性の官僚(bureaucrat of pure reason pedantically administering legacies of the Enlightenment)というよりは、ハーバーマスは完全に政治的な動物、つまり多少衝動的な人間ではあるが、信頼できる左派リベラルの政治的本能を持つ人物として理解するのが一番である。対話と協力(dialogue and cooperation)への一般的な取り組みを超えて、彼の政治的ヴィジョンは、受け継がれてきた民族ナショナリズムの考えを超えて、コスモポリタンな国際法秩序へと進化することを伴う。これらの国際法秩序のそれぞれの側面は、現在ますます脅威に直面している。

1980年代初頭、ハーバーマスの政治的衝動は、それまで「理論化できる(capable of theory)」とは考えていなかった主題、つまり歴史へと彼を導いた。1986年、戦後ドイツで最も重要な議論の1つを引き起こした論争的な記事の中で、彼は4人の歴史家がドイツの過去、そしてドイツの現在を「正常化(normalize)」しようとしていると非難した。彼は、保守派がホロコーストを相対化しようとしても、連邦共和国は「正常な(normal)」ナショナリズムのようなものを採用すべきだと考えているとされるのに抵抗することが極めて重要だと書いた。その代わりに、ハーバーマスが「憲法上の愛国心(constitutional patriotism)」と呼んだものを採用することで、ドイツ人は自分たちの特有の問題を抱えた過去から何か特別なことを学んだかもしれないと彼は示唆した。ドイツ人は、文化的伝統(cultural traditions)や偉大な国民的英雄の英雄的行為(heroic deeds by great national heroes)を誇りに思うのではなく、自由主義民主的な憲法に定められた普遍的原則の観点から、歴史に対して批判的な立場を取ることを学んでいた。

この愛国心は、セミナールームでしか語れない、あまりに抽象的で、特に不適切な比喩で言えば、「無血の(bloodless)」ものだとして保守派からしばしば退けられた。しかし、後にヒストリカーストライト(Historikerstreit、歴史家論争)として知られるようになった論争でハーバーマスが勝利者となり、彼の「国家を超えた政治文化(post-national political culture)」という提案が、名ばかりでなくとも、事実上ますます多くのドイツの政治家に採用されたことは疑いようがない。最終的に、ハーバーマスとアデナウアーは同じ目標に収束した。西側にしっかりと根付いたドイツである。ただし、ハーバーマスは、よりコスモポリタンな未来に向かう動きの中で、ドイツを前衛的な(avant-garde)ものとして捉え始めた。

その功績は、ロシアのウクライナへの本格的な侵攻以前にハーバーマスの政治の世界で起きた最大の衝撃によって疑問視された。それは、訓練を受けた歴史学者ヘルムート・コールが監督した、まったく予想外の東西ドイツの統一であり、ハーバーマスによれば、コールは過去を「正常化(normalizing)」する試みの中心人物だった。ハーバーマスは、社会民主党が冷戦の分断を克服しようとした、1950年代から、統一に懐疑的だった。1989年、ドイツ国民国家の再構築を求める動きは、憲法上の愛国心(constitutional patriotism)という苦労して勝ち取った成果を民族ナショナリズム(ethnic nationalism)に置き換える可能性が高いと思われた。

ベルリンの壁が崩壊したとき、ハーバーマスは東側との「関係(relationship)」をまったく感じていないと告白した。多くの人が見下した態度と見なしたように、彼は中央ヨーロッパの革命は新しい政治思想を生み出したのではなく、単に西側に「追いつく(catching up)」ことだったと主張した。彼はまた、新たに回復した主権(sovereignty)に対する過敏さを増した中央ヨーロッパ諸国が、国際秩序(cosmopolitan order)を深める必要性を弱めるかもしれないと懸念した。

その後、ハーバーマスはヨーロッパ統合の熱烈な支持者となった。1970年代後半、彼は「ヨーロッパのファンではない」と語っていた。当時、ヨーロッパ経済共同体と呼ばれていたものは、アデナウアーなどのキリスト教民主党によって始められ、ほとんどが共通市場として機能していたからだ。しかし、ヨーロッパ連合は、冷戦後のドイツ民族主義の復活(post-Cold War resurgence of German nationalism)を懸念する人々にとって、一種の政治的生命保険(a kind of political life insurance policy)となった。ヨーロッパが政治体制になる限り、多様な国民文化を持つこの共同体は、抽象的な政治原則、つまりヨーロッパ憲法上の愛国心のようなものによってまとめられなければならないと考えるのは合理的に思えた。2000年代初頭、ハーバーマスは、当時のドイツ緑の党の外務大臣ヨシュカ・フィッシャーとともに、ヨーロッパ憲法の制定を訴えたが、その試みは失敗に終わった。

ハーバーマスはまた、ヨーロッパのアイデンティティは国際法への関与(commitment to international law)によって定義できると考えるようになった。そして、911事件以降、規範的な方向性を失ったように見えるアメリカに対するカウンターウェイトとして。2003年、彼はジャック・デリダと共著で、ヨーロッパの統一を求める熱烈な訴えを書いた。デリダはかつて哲学上の敵対者だったが、ハーバーマスは多くのフランスの理論家と同様に、デリダにも非合理主義と保守的な傾向があると疑っていた。ヨーロッパは福祉国家(welfare state)を理由に、法を遵守し人道的であると自らを定義することになっていた。国際法の束縛を破ったジョージ・W・ブッシュのアメリカとは対照的だ。アメリカのネオコンの傲慢さ(hubris of U.S. neoconservatives)は、アレントにニューヨークで歓迎されて以来、アメリカで形成期を過ごしてきた知識人にとっては個人的に失望だった。

ハーバーマスが提案したヨーロッパのアイデンティティのもう一つの中心的な部分は、平和主義への関与だった。フェルシュは、ハーバーマスが1950年代にドイツ連邦軍の再軍備に反対し、1960年代にヴェトナム戦争を批判し、1980年代初頭に核兵器搭載可能なミサイルが配備されていた場所の封鎖を主張するなど、その平和主義的本能において驚くほど一貫していると説得力を持って主張している。ハーバーマスは、道徳的原則の名の下に、違法行為を行うことが極めて疑わしいと思われていた国で、市民的不服従(civil disobedience)を正当化した最初の著名な理論家であった。

同時に、フェルシュは、ハーバーマスがドイツ統一後の重要な外交政策決定の全てを正当化したことを私たちに思い出させる。湾岸戦争への支持、コソボ介入への参加、2002年のアメリカの「有志連合(coalition of the willing)」への社会民主党・緑の党連立政権の参加拒否などだ。ハーバーマスにとって、戦争は、解釈の余地が十分に残された国際的な法秩序を予兆する限り正当化可能だった。少なくとも、国連が承認した軍事行動については、ある程度もっともらしい説明に思えたが、1999年のNATOによるベオグラード爆撃については、はるかに難しいケースだった。

しかし、ハーバーマスの枠組みにおける解釈の余地は、ウクライナ戦争が現在ドイツとヨーロッパの政治文化を変えている方法に対応できないようだ。2022年にロシアがウクライナに侵攻した後、ハーバーマスは中道左派の南ドイツ新聞に、軍事援助に対するドイツのオラフ・ショルツ首相の慎重な姿勢を支持する記事を寄稿した。ハーバーマスは常にショルツの社会民主党と親しい関係にあった。歴代の党首たちは彼に助言を求めたが、時にはヨーロッパ債務危機の際の緊縮政策など、彼が誤った政策と見なすものを再考するよう圧力をかけることもあった。また、党内の特定の派閥とこの哲学者の間には、反軍国主義(anti-militarism)への共通の親和性という点で長い間つながりがあった。

しかし、2023年に、モスクワと交渉すべきというハーバーマスの呼びかけは、左派の一部も含めて広く攻撃された。ウクライナのアンドリー・メルニク外務副大臣は、彼の介入は 「ドイツ哲学の恥(disgrace for German philosophy)」だとツイートした。ドイツはヨーロッパの多くの国々と同様、ツァイテンヴェンデ(Zeitenwende)、ショルツ首相が使った「軍事的自衛への回帰によって示される歴史の大きな転換点(the major turning point in history marked by a recommitment to military self-defense)」という言葉によって、新たな政治的要請に到達したのである。政治は、平和と相互理解(peace and mutual understanding)を模索する側に立つべきだと常に主張してきたハーバーマスにとって、この方向転換を支持することは不可能であった。本書の最後で、ハーバーマスはフェルシュに、ドイツ国民の反応はもはや理解できないと告白している。

ハーバーマスに対する批判者たちは、彼が長年続けてきた急進的な民主政治体制と社会主義の政策への取り組みを放棄したと激しく主張する。彼は単にヨーロッパ連合の応援団として行​​動していたと見られ、マルクス主義の遺産を放棄し、経済の民主化(democratizing the economy)を諦め、そしておそらく最も非難されるべきことに、ドイツ人が「国家の柱(staatstragend)」と呼ぶもの、つまり政治的エスタブリッシュメントの柱(a pillar of the political establishment)になりつつあった。2001年に彼がドイツで最も権威のある文化賞の1つを受賞したとき、連邦内閣の閣僚の大半が出席した。

しかしフェルシュは、ハーバーマスの遺産が本当に失われつつあるとすれば、それはハーバーマスの変化によるものではなく、彼を取り巻く世界の変化によるものだと示唆する。より国家主義的なドイツに対するハーバーマスの懸念は、ヒストリカーストリート(歴史家論争)以降は想像もできないような形で歴史修正主義(historical revisionism)を誇示する極右(far right)の台頭によって裏付けられているようだ。ヨーロッパ連合は、ポストナショナリズムの典型とは程遠く、世界的な「規範的勢力(normative power)」になるというその野望は崩壊し、ハンガリーのビクトル・オルバーンのような極右指導者が自由主義的民主政治体制を弱体化させるのを阻止することさえできない。コスモポリタンな法秩序への希望は、大国間の競争(great-power rivalries)という新しい時代に打ち砕かれた。確かに、ハーバーマスは「歴史の終わり」論(end-of-history thesis)に少しでも似たことを主張したことはなかったが、友好的な共存の世界が現実的なユートピアであるという彼の基本的な衝動は、確かに疑問視されてきた。

しかし、ハーバーマスの思想がかつての西ドイツの「安全な場所(safe space)」でのみ意味を成したと結論付けるのは間違いだろう。憲法上の愛国心のようなものを支持することは、むしろ、極右の復活に直面してより緊急である。ヨーロッパ諸国は、様々な点で失敗しているが、その構造は政治的、道徳的にもっと野心的な取り組みにまだ利用できる。ハーバーマスは、ドイツの指導者たちに、フランスのエマニュエル・マクロン大統領の主権国家ヨーロッパ構築の誘いに応じるよう説得できなかった。ハーバーマスは、アメリカに幻滅しているが(アメリカは長い間彼の世界観の暗黙の保証人[tacit guarantor of his worldview]だったと言いたくなる)、その普遍主義的な建国理念の最良の部分は、ほとんど無効になっていない。

ハーバーマスは、1990年代のナイーブなリベラル派とは決して似ていなかった。歴史は単にアイデアが正しいか間違っているかを証明するものではない。むしろ、歴史は公共圏の荒野での継続的な戦いである。知識人の課題は、ドイツの旧式の反近代主義思想家たち(anti-modern thinkers in Germany)が深みを証明する方法であった楽観的でも悲観的でもない。むしろ、それは苛立たしいものであり続けることだ。

※ジャン=ワーナー・ミューラー:プリンストン大学政治学教授。最新刊に『民主政治体制が支配する(Democracy Rules)』がある。

(貼り付け終わり)

(終わり)

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 ナショナリズムは非常に難しい概念だ。人々が自分たちの属する共同体を「国家」と認識することであり、国民や民族の同質性、同一性を喚起するものということになる。定義は学者、専門家の間で多種多様である。簡単に言えば、私たちは外で出会う人たちの名前も知らないし、これきりで二度会わない人たちばかりであるのに、「同じ国民」という感覚を持つ。そして、同じ国民として国家を形成している。その根底にあるのがナショナリズムということになる。

 このナショナリズムの起源はいつからかということは、専門家の間でも議論が続いている。近代になって、資本主義や国民と言ったものと一緒にできたという主張があり、一方で、古代から存在したという主張もある。ローマ帝国拡大に対して、ローマに征服されていった人々、ガリア人などが抵抗する際にナショナリズムによってまとまって、ローマに抵抗したということが起源だという説がある。
souzounokyoudoutaiimaginedcommunnity2007001

定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行

 1648年のウェストファリア条約によって、国民国家が成立したと世界史で習う。現在のヨーロッパ各国家が形成されたということを習う。国民国家とは、「共通の文化、歴史および言語を共有する国民、または単一の民族により構成される独立国家」のことを言う。ナショナリズムは植民地化された地域が独立し、国家を形成する際に、重要な役割を果たした。ベネディクト・アンダーソンは著書『想像の共同体(Imagined Community)』の中で、植民地の現地人エリートたちの間でナショナリズムが醸成され、それが独立運動や独立戦争につながったことを詳述している。彼はナショナリズムの肯定的な面を評価している。

一方で、ナショナリズムは少数民族や外国人に対する排外主義(xenophobia)を醸成するという面から否定的な主張もなされる。人種という身体的特徴(肌や髪の毛の色など)を基盤にしたナショナリズムが生まれているが(白人ナショナリズム[white nationalism]や黒人ナショナリズム[black nationalism])、これは負の面を表していると考えられる。

 ナショナリズムによって国民国家が形成され、ナショナリズムによって国家形成を目指す集団が存在する。それらが衝突する際には、正義とその基盤となる神話の衝突ということになる。イスラエル右派政権とパレスティナ過激派ハマスの衝突を考えると、どちらもナショナリズムを基盤とし、相手に対して譲歩することを拒絶している。イスラエル右派政権はパレスティナ国家を認めないし、パレスティナ過激派ハマスはイスラエルを認めない。ナショナリズムの否定的な面はそこにもある。

 ナショナリズムは私たちの中にも生きている。卑近な例では、オリンピックやワールドカップで日本人選手や日本代表が活躍すれば嬉しい。喜び過ぎて渋谷の交差点で大暴れする人たちも出る。しかし、私たちの99%は活躍した選手たちの知り合いでもなければ、親戚でもない。また、他国との摩擦(領土関係などや法人が拘束される事件など)が起きた際には、相手国に対して悪感情を抱くことがある。しかし、私たちは領土問題になっている土地に行ったこともないし、拘束された法人を個人的に知っているということもない。日ごろは日本という国家を意識することなどないのに、非日常の場面でそうした意識が出てくる。これはある種、危険なことであり、冷静さを欠く場合には、戦争を行っても問題を解決すべきなどと言う考えを誘導されてしまうことにもつながる。そうした際に、国家もナショナリズムも人間が生み出したものと考え、相対化できれば、冷静さを失わずに事態を分析し、対処できるようになる。そのためにも、ナショナリズムの研究は私たちにとって有益である。

(貼り付けはじめ)

誤読され続けているナショナリズムに関する偉大な傑作(The Greatest Book on Nationalism Keeps Being Misread

-『想像の共同体』は、皆さんが記憶しているよりも非常に奇妙な著作である。

デイヴィッド・ポランスキー筆

2024年1月7日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/01/07/israel-palestine-nationalism-imagined/

サム・ライミ監督の傑作ホラー・コメディ『イーヴィル・デッドII』には、主人公がゾンビ化した自分の手(hand)をノコギリで切り落とし、『武器よさらば(A Farewell to Arms)』の下敷きにするシーンがある。これは意図的なジョークだが、似たようなタイトルの誤読は、1980年代の別の名著にもつきまとう。それは、ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson)の『想像の共同体(Imagined Communities)』である。

そのタイトルの辛辣さと、大学のシラバスでの位置づけが確立していることが相まって、社会科学の著作の中でこれほど広く誤解されているものは少ない。『想像の共同体』は、読まれるよりも書かれることの方が多い(正式には「フクヤマ・クラブ(Fukuyama Club)」と呼ばれる)、稀有なジャンルの本である。多くの読者はタイトルを文字通りに受け取り、アンダーソンが国家をフィクション(fiction)として扱っていると思い込んでいるようだ。しかし、彼の実際の主題(thesis)はもっと微妙なものだった。アンダーソンにとって、ナショナリズムとは幻想と言うよりも、想像上のものである(nationalism is imagined rather than imaginary)。しかし、あまりにも多くの読者が著作の最初の部分しか注目していない。

換言すると、アンダーソンは、国家は歴史的に創造されたもの(historical creations)であり、政治以前のアイデンティティを自然に表現したもの(natural expressions of some authentic pre-political identity)ではない、と認識していた。したがって、特に現代に関連する例を挙げれば、シオニズム(Zionism)は19世紀末の発明であると同時に、イスラエル市民にとっての現実でもある。パレスティナのナショナリズムは、より大きな近代アラブ・ナショナリズム運動の派生であると同時に、認識可能な集団的アイデンティティの源泉でもある。ナゴルノ・カラバフは、ソヴィエト時代とソヴィエト崩壊後の時代に、アゼルバイジャン人とアルメニア人の双方にとって新たな(そして相互に排他的な)意義を獲得したが、それによって結果的に重要性が低下した訳ではない。歴史的な主張が都合のいいものであっても、これらとそれ以上のものはすべて現実であり、意味がある。

しかしながら、多くの人々に誤読されていることは、ほとんどの学者が誇ることのできない、大きな遺産である。そして実際、この『想像の共同体』の学術的足跡は大変なものである。発刊後40年経った今でも、社会科学全体で最も引用されている著作の1つであり、更には、「ナショナリズム研究において圧倒的に引用されているテキスト(by far the most cited text in the study of nationalism)」である。これはおそらく、ナショナリズムの発展における印刷資本主義の役割(the role of print capitalism)や「新世界(New World)」に誕生した国家群の役割(the role of New World states)に関するアンダーソンの具体的な主題に対する広範な関与を示すというよりも、彼の著書とそのタイトルが、ナショナリズム研究におけるより大きな知的転換を象徴するようになったことを示すものだろう。

冷戦の終結によって解き放たれたナショナリズムの激流と急上昇を受けて、私たちはおそらく、当時の読者たちよりも『想像の共同体』のテーマをより鋭く認識している。しかし、ナショナリズムの研究が1970年代後半から1980年代初頭にかけてようやく隆盛を見せたが、ナショナリズムの時代が始まって2世紀以上も経ち、脱植民地化(decolonization)の第一波から数十年も経ってから隆盛したのは何故か? アンダーソン自身も、よく引用される発言の中で、「他のほとんどの主義とは異なり、ナショナリズムはホッブズ、トクヴィル、マルクス、ウェーバーなど、独自の壮大な思想家を生み出したことは一度もなかった」と述べている。

この本はナショナリズム研究を形作ったが、それは独自の方法でなされた。この近代社会科学の真髄ともいうべき著作(quintessential work of modern social science)は、実際にはこの学問分野を代表するものではない。文学的な言及から自伝的な詳細に至るまで、全体を通して非常に詩的な脱線に陥りながら、非体系的に進んでいく。実際、ナショナリズムに関するアンダーソンの影響力のある説明は、国家の形成における言語と文学の役割を強調するという意味でも、彼自身の議論自体が詩的な形式(poetic forms)をとっているという意味でも、究極的に詩的(ultimately poetic)である。そのため、他の学者たちの著作の多くと異なり、この本は非常に読みやすく、読者に読まれる期間の長さにも間違いなく貢献している。

『想像の共同体』の際立った個性は、きっと著者に負うところがあるのだろう。興味深い遺稿の中でアンダーソンは、ある日コーネル大学で、アラン・ブルームが古代ギリシア人には私たちが理解するような「力(power)」の概念がなかったと堂々と発言しているのを耳にし、想像力がかき立てられたと述べている。

アンダーソンのいくつかの特質がここで発揮されており、その全てがこの本を形作っている。1つは、領域や文化を超えて、思いがけない知的結びつきを作る能力である。もう1つは、偉大な古典学者ピーター・ブラウンが「歴史化された想像力(historicized imagination)」と呼ぶ、彼の強い歴史感覚である。そしてもう1つは、彼がその生涯の大半を捧げ続けた東南アジアへの強い志向である。スハルト元大統領のクーデターを批判的に分析したために、アンダーソンは何十年もの間インドネシアへの訪問を禁じられていたが、2015年にジャワ島で死去した。

歴史学者、もしくは「地域研究(area studies)」の教授として、このような最期は注目に値しないかもしれないが、近代国家の台頭に関する文献とほぼ並行して、近世ヨーロッパにおけるナショナリズムの発展に焦点を当てる傾向にあったナショナリズム研究者の中では、一時期異彩を放っていた。そのためアンダーソンのアプローチは、ナショナリズム研究に関してより広範な修正主義が台頭していた時代にも際立っていた。

地理的な範囲にとどまらず、カンボジア、ラオス、フィリピンなどにおいて、衰退しつつあった植民地体制(colonial systems)がどのようにエリート意識を形成するナショナリズムへと移行していったかについての彼の実践的な経験は、ナショナリズムが実際にどのように出現していったかを彼の著作を通じてより実感させるものとなった。より分析的な著作とは異なり、アンダーソンの著作は、有名な哲学論文の言葉を借りれば、「ナショナリストとはどのようなものなのか?」を問いかけているように見えた。

ここで、いくつかの背景を説明する必要があるだろう。ナショナリズムを新たに研究しようとするこの動きを後押ししたのは、国家やナショナリズムは実際には近代的な創造物であり、ナショナリズムは単に政治的な国家以前の真の国家の政治的表現というよりは、もっと奇妙で複雑なものであるという懸念であった。「モダニスト(modernist)」とレッテルを貼られたこの見解は、いわゆる伝統主義者たち(ペレニアリスト、perennialists)と対立するものであり、少なくとも彼らの一部は、モダニストの挑戦を受けて独自の理論を展開するために活気づいた(この簡単な説明は、学術的な議論を大幅に単純化しすぎているという通常の注意が適用される)。

しかし、アンダーソンとこのグループとの関係は常に曖昧であった。アンダーソンはモダニズムの見解を受け入れてはいるが、だからと言って、それを侮蔑的に決めつけたり、その正当性を否定したりはしておらず、ナショナリズムの本質的な虚偽性(inherent falseness of nationalism)を強調した、ほぼ同時代のアーネスト・ゲルナーとは明確に一線を画している。

ベネディクト・アンダーソンの非常に印象的な特徴は、彼が反対する人々の規範的立場とさりげなく結びつくということだ。その特徴のほとんどは、より一般的な知的傾向、特に批判的アプローチが、社会的に構築された(socially constructed)とされる、あらゆる現象を否定する許可を与えたことに起因していると私は思う。例えば、社会的に構築されたジェンダーの本質に関する研究は、ジェンダー規範の批判と密接に関連する傾向がある。したがって、国家が社会的に構築されたものであることを認めることは、ジェンダー規範と同様の批判が行われなければならないと暗黙のうちに考えられていた。

アンダーソン自身が次のように述べている。「ナショナリズムを醜いと思っていないのは、ナショナリズムについて書いている私ぐらいだろう。ゲルナーやエリック・ホブズボームといった研究者について考えてみると、彼らはナショナリズムに対してかなり敵対的な態度を取っている。私は、ナショナリズムは魅力的なイデオロギーだと思う。そのユートピア的な要素が好きだ」。

おそらくこのような理由から、アンダーソンは、このような作品に直面したときに読者が抱く暗黙の疑問を(彼の同業者は皆そうではないが)正面から取り上げることができるのだろう。その疑問とは、「なぜナショナリズムに関心を持たなければならないのか?」ということである。彼の正しい答えは、ナショナリズムが歴史上かつてない規模で人々を殺し、更に重要なことに死に至らしめたということである。

しかしながら、アンダーソンがナショナリズムに対して基本的に肯定的である根拠はどこにあるのだろうか? たとえばアレクサンドル・ソルジェニーツィンが有名なノーベル賞受賞講演の中で述べたように、ナショナリズムの多様性を是認している訳ではない。マルクス・レーニン主義(あるいは民主的自由主義)の灰色の同質性よりも、様々な民族や習慣が織り成す色とりどりのパッチワークの世界の方がより好まれる。

実際のところ、アンダーソンに対する評価は伝統とモダンがミックスされた興味深いものだ。伝統主義についてアンダーソンは次のように語っている。

進歩的でコスモポリタンな知識人たちが、特にヨーロッパでは、ナショナリズムの病理学的性格に近いもの、他者への恐怖と憎悪に根ざしたもの、人種差別主義との親和性を主張するのが一般的な時代にあっては、国家は愛、そしてしばしば深い自己犠牲的な愛を鼓舞するものであることを思い起こすことは有益である。

この点で、ベネディクト・アンダーソンはジョージ・オーウェルに近い。ジョージ・オーウェルは、こうした特定の愛国的忠誠心の、まともで称賛に値する要素を救い出そうとした。アンダーソンは、ナショナリストが主に歴史に関心を持つのに対し、人種差別主義者は主に本質に関心を持つと主張し、ナショナリズムを人種差別主義との関連から救おうと努めた。読者の中には、この主張がもっともらしいと思う人もいるだろう。

しかし、アンダーソンの中のモダニスト要素は、脱植民地化の過程においてナショナリズムが重要な役割を果たしたことを称賛するものでもある。ここで、彼の東南アジアとの特別な関わりは、彼の左翼の政治的共感と一致している。実際、今日『想像の共同体』に出会った読者たちにとって、アンダーソンのナショナリズム称賛は、後の改訂版であっても、アンダーソンの考察のどれだけがマルクス主義の文脈の中で展開されているかということの中で最も衝撃的なことかもしれない。

アンダーソンの思想はマルクス主義に踏み込んでいたが、その扱いは決して教条的(dogmatic)ではなかった。そもそも、正直であるがゆえに、アンダーソンはマルクス主義国家間で勃発する国家間の対立を真剣に受け止めざるを得なかった。

この点で、ベネディクト・アンダーソンは、実弟で歴史家、社会評論家であるペリー・アンダーソンに似ている。ベリー・アンダーソンの辛辣な論評は今でも『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』誌を飾っている。歴史の反対側にいる私たちが、当時のマルクス主義思想の圧倒的な存在感を思い起こすのは難しいが(そもそもそこにいたと仮定して)、ベネディクト・アンダーソンが繰り広げるショーの多くは、彼が想定した読者に照らし合わせれば、より理にかなっている(今日、マルクス主義思想が学界に存在しないわけではないが、かつてのように研究分野全体を支配する覇権[hegemony]はもはやない)。今となっては奇異に映るかもしれないが、アンダーソンは当時、国民的アイデンティティが、たとえ最近のものであったとしても、マルクス主義者の最大の関心事であった資本(capital)や物質的生産(material production)の動きよりも現実的でなく、重大でない訳ではないことを示すために、少なからず苦しい戦いを強いられていた。

アンダーソン自身は、このような運動について、その内部で活動する人々の内面的な視点(自分たちは本物の既存の社会的アイデンティティの正式な確立に参加しているのだという視点)を共有することなく、おおむね穏当な見方をしている。それでは、その成功や失敗を私たちはどう判断すべきとアンダーソンは期待しているのだろうか? 特にアンダーソンがマルクス主義に傾倒していることを考えると、その暗黙の答えは、ある国家が代表していると称する現実の人々の物質的な幸福に目を向けることだと思う。アルジェリアやヴェトナムのような場所での血なまぐさい脱植民地化の方法から、ソヴィエト連邦やユーゴスラビアの解体時に旧隣国同士が離合集散するような悪辣な行為まで、その記録はまちまちである。同時に、中国、ヴェトナム、インドネシアなどで何億人もの人々を貧困から救い出した驚異的な経済的成果も、ナショナリズムがもたらす社会的結束と切り離すことはできない。アンダーソン自身、ナショナリズムの遺産を「ヤヌスの頭(Janus-headed)」と呼んでいる。

この原稿を書いている今、レヴァントでは、対立する2つのナショナリズムの間の継続的な対立(enduring conflict)が、再び恐ろしい暴力に発展している。有益なナショナリズムを想像することは、かつてないほど難しくなっているようだ。そのためか、部外者の多くは、主人公たちの実際の嗜好にかかわらず、この紛争に対する二国間解決策、つまり一種のナショナリズムなきナショナリズム(a kind of nationalism without nationalism)をますます受け入れている。ハマスが10月7日に犯した残虐行為や、イスラエル国防軍が現在も続けているガザ地区への砲撃など、ナショナリズムの強硬さを示す目に見える証拠に直面したとき、多くの人がナショナリズムの本質に目を白黒させるのは理解できる。

アルメニアとアゼルバイジャン、インドとパキスタン、1990年代のバルカン半島戦争など、多くの紛争を目の前にして、人々がナショナリズムから何を得るのか、と考えるのも理解できる。なぜ人々は、他の共同体の形ではなく、ナショナリズムを想像するのだろうか? その答えの1つは、現実のレヴェルでは、国家は私たちが享受する普通の自由財の形を提供してくれるからである。現代社会科学のもう1つの古典である『国家のように見る(Seeing Like a State)』の中で、ジェイムズ・スコットは国家を「私たちの自由と不自由の両方の根拠(the ground of both our freedoms and our unfreedoms)」と表現している。ナショナリズムにもこのようなことが言える。ナショナリズムは、その暴力の能力ゆえに、私たちが個人の権利の保護(protections of individual rights)や福祉(welfare)や安全保障(security)を得られるような、境界のある共同体(the bounded community)をも可能にしているのだ。

アンダーソンの国家観は単なる道具的(instrumental)なものではない。そのためか、今日私たちがこのような紛争を表現するのに使っている言葉は、アンダーソンの言葉そのものである。それゆえ、領土主張を正当化するために神話化された歴史(mythologized histories)が使われる。それゆえ、イスラエルとパレスティナの紛争を脱植民地化(decolonization)の枠組みに無理やり当てはめようとする試みもまた、正しい新興ナショナリズムが抑圧的な支配体制に立ち向かうというものである。

しかし、2つの真のナショナリズムが同じ領土をめぐって競い合うとどうなるのか。そして、ナショナリズムが抱く自己犠牲的な愛について語られるかもしれないが、その犠牲を最終的に価値あるものにするものは何なのだろうか? ナショナリズムを扱ったアンダーソンの詩的共鳴(poetic resonances)は広く認められているが、詩にも限界がある。

※デイヴィッド・ポランスキー:地政学と政治思想史について著述を続けてきた政治理論家。現在、平和・外交研究所(Institute for Peace and Diplomacy)の研究員を務めている。
(貼り付け終わり)

(終わり)

bidenwoayatsurumonotachigaamericateikokuwohoukaisaseru001

バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる
bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 安倍晋三元首相とは日本政治にとってどんな存在であったか。憲政史上最長の在任期間を記録した安倍元首相は対米従属の深化と日本の海外での戦争を行う条件づくりに狂奔したと私は考える。国民が安倍政権下での国政選挙で自民党を勝たせ続けたことで、彼に正当性を与える結果になった。アベノミクスによって経済格差は拡大し、国民の平均年収も下がり続けた。日本は貧しくなり続けた。とても「国葬」にふさわしい人物ではないと考える。

 安倍元首相は根本的に大きな矛盾を抱える存在だった。それは、「極めて親米的でありながら、アメリカが嫌がる歴史修正主義に邁進した」ということである。アメリカからすれば、日本の防衛予算の増額やアメリカの軍需産業からの武器購入を進める、在日米軍への思いやり予算を増額する、自衛隊がアメリカ軍の下請けとして海外で戦争ができるように進める、ということは大変に「御意にかなう」ことであった。この点では「愛い奴」ということになる。

しかし、一方で、太平洋戦争に関して、アメリカが正しいとする史観に異議を唱える。アメリカから見れば、「フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領は真珠湾攻撃が実施されることを知っていて放置して日本から先に手を出させる形にした」ということは受け入れられない。安倍元首相が参拝してきた靖国人社の歴史資料館遊就館にはそのように展示されている。「日本はアジア諸国に良いことをした、中国や韓国にいつまでもごちゃごちゃ言われる筋合いはない」ということもアメリカからすれば目障りだ。こうした日本の右翼による主張を受け入れてしまえば、アメリカの正当性は揺らいでしまう。そして、日本の右翼(ネトウヨを含む)にとっての最大は皮肉にも当代きっての親米派安倍元首相ということになった。

 核武装、核シェアリングを言い出したことでアメリカは安倍元首相を見限ったのだろうと私は考える。「こいつはなかなか役に立ったけども、一枚めくればいつアメリカの正当性に挑戦してくるかもしれない、もしくはそうした勢力に担ぎ上げられてしまうかもしれない」「中国との対決ばかりを言う奴らを甘やかし過ぎたな」ということになったのだろう。

 安倍元首相の抱えた矛盾とは戦後日本が抱えた矛盾である。この矛盾を自分の中に抱えながらうまくバランスを取ることが現実的な保守政治家ということになる。安部元首相はそのバランスをうまく取れなくなっていたように思う。彼は親米派として葬られるのか、それとも歴史修正主義者として葬られるのか、後の世の歴史家たちがどう判断するのかが今から楽しみだ。

(貼り付けはじめ)

安倍晋三をめぐる数多くの矛盾(The Many Contradictions of Shinzo Abe

-日本の元首相はアメリカとの関係を緊密にしようとしながらも、日本による征服の正当性への信念に固執していた。

ハワード・W・フレンチ筆

2022年7月18日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/07/18/shinzo-abe-history-japan-diplomacy-contradictions/

最近暗殺された日本の元指導者安倍晋三との最初の緊密な出会いから彼が特別な政治家であることは私にとって明らかだった。批評家による「金属疲労」の患者の診断だけでなく、私のキャリアにおいて私が精通していた世界の舞台の基準でも特別な政治家だった。安倍元首相は、古ぼけた見た目の指導者たちが次々と交代し、批評家たちが「金属疲労(metal fatigue)」に苦しんでいると評価する国の基準からだけではなく、私がキャリアを通じて親しんできた国際舞台の基準からも、特別な政治家であった。

2000年代初頭、官房副長官として初めて見た安倍元首相には、既にダイナミズムと自信、そして野心のオーラが漂っていた。戦後間もない時期に強力な総理大臣を務めた岸信介の孫という、日本の保守政治の世界では最も高貴な血(blue blood)を引く人物だった。しかし、安倍首相を取り巻く権威の力は、継承されたものというより、むしろ彼個人の属性に近いように感じられた。

記者会見で、即興的かつ激しい言葉遣いで、自信たっぷりに話す姿にそれを感じた。また、2002年に北朝鮮の平壌で行われた小泉純一郎首相と金正日総書記の首脳会談では、より身近なところからそれを感じ取ることができた。

1970年代後半から1980年代初頭にかけて北朝鮮に拉致されたとされる日本人たちの運命や、北朝鮮で死亡した拉致被害者の遺骨の回収など、外交分野における最も困難な問題のいくつかを安倍元首相は自ら担当した。官房副長官という立場を考えれば、他の多くの政治家はスポットライトを浴びないように配慮しただろう。しかし、安倍元首相はカメラに映ることを楽しんでいるようで、注目を浴びすぎないようにすることが課題となった。

安倍元首相は、私が初めて取材した、私とほぼ同世代の世界のリーダーの1人である。2006年、戦後最年少の52歳で総理大臣に就任し、その野望を実現する。しかし、その最初の任期は、他の多くの先輩たちと同様、健康上の問題からわずか1年後に終了するという短いものとなってしまった。しかし、5年後の2012年に再び首相に返り咲き、2020年には歴代最長の首相としてその任を終えることができたのは、彼の並々ならぬ意欲の表れであったと言える。

このように、単独の銃撃犯の凶弾に倒れた稀代の政治家が体現することになる多くの深い矛盾を、私たちは既に見ることができる。安倍首相の夢は日本を近代的にすることであり、それは政治の近代化によって実現される。しかし、安倍首相が常に考えていたのは、より根本的かつ避けらないことだった。それは自分が率いる、長年にわたって日本を支配する自民党の立場を強化することだった。自民党(Liberal Democratic PartyLDP)は「リベラルでも民主主義でもない(neither liberal nor democratic)」という古くからの定説ほど、正確なものはない。

安倍首相は自民党の政権をほぼ維持し、更に強化することに成功したが、自民党は決して大胆な改革に熱心ではなかったし、それは安倍首相自身にも当てはまる面がある。例えば、安倍首相は「女性が輝く日本(a place where women shine)」を実現するために「ウーマノミクス(womenomics)」と名付けた公約を掲げた。経済的そして人口的に女性の社会進出は急務であり、賃金や地位の平等、更には国防軍への登用も必要だが、その進展は鈍く、自民党の有力政治家の中にはは公の場でしばしば下品な性差別を口にする人々も出ている。

安倍首相は「~ノミクス(-nomics)」という言葉を好み、「アベノミクス(Abenomics)」として広く知られる自国の競争力強化を目指した一連の政策とさらに深い関わりを持っていた。確かに、長い間低迷していた株式市場は、安倍首相在任中に飛躍的に上昇したが、経済格差は彼の在任中に大幅に拡大した。また、韓国や中国など、産業が活発な近隣諸国に対抗するために、日本がどのような位置づけにあるのか、その判断ははっきりしないものとなっている。

純粋に政治的な観点からすれば、安倍首相の2期目の長期在任によって、首相に就任してはすぐに退陣する刹那的な自民党指導者たちが後を絶たないサイクルと決別できるかもしれないと思われた。しかし、安倍首相が選んだ後継者の菅義偉は、表現力に乏しく、目立たない人物で、2020年9月から翌年9月までしか在職しなかった。安倍元首相は、小泉政権時代の官房長官時代のように、ゴッドファーザーとして、また、常に政治の中心にいる黒幕(éminence grise、エミネンス・グライズ)として、最大限の影響力を培うことによって、日本政治における慢性的な短期交代がもたらす影響を緩和することを明らかに望んでいた。しかし、彼の死によって、その夢も消えた。

1980年代に5年間首相を務め、世界の指導者の中でも特にロナルド・レーガン元米大統領と親密な関係を築いた中曽根康弘以来、外交関係において安倍首相は少なくとも最も活発でダイナミックな日本の政治家であった。安倍元首相は、すぐに飛行機に乗り、精力的に個人として外交を行った。当時、当選したばかりのドナルド・トランプ米大統領とニューヨークのトランプタワーで面会した最初の外国首脳となり、ロシアのウラジミール・プーティン大統領とは他のどの国の首脳よりも多く面会した。

そして、その執念によって、中国の習近平国家主席の仰々しい安倍元首相への蔑視を克服した。2014年、北京で開かれたアジア太平洋経済協力会議首脳会議で、ついに2人は初対面を果たした。この初対面の写真は名作で、いろいろな読み方ができる。私には、安倍首相が疲労困憊の表情とは裏腹に、「隣の巨人の強力な指導者とついに一騎打ちの機会を得た」という満足感に満ちているように見えるのに対し、習近平の顔は、まるで「この人と握手をさせられるなんて」と思っているような、羊のような顔をしているように見える。

しかし、結局のところ、安倍元首相の執念と人柄の強さは、日本に何をもたらしたのだろうか?

安倍元首相の死後、アメリカの外交・安全保障関係者の多くは、安倍元首相を讃えようと躍起になった。アメリカとの防衛同盟を強化し、アジア太平洋地域でより積極的で力強い存在となり、日本国憲法を改正し(戦後の日本占領中にアメリカ人たちによって書かれた)、そして何よりも、これらの各項目に関連するが、中国の台頭に対する防波堤としてより直接的にアメリカを支援しようとする彼の粘り強い努力を称えている。

しかし、外交分野ほど安部元首相が矛盾を残した分野は他にない。日本が安全保障を向上させるためにできる最善のことは、粘り強さと規律をもって韓国との深い和解を実現することであることは間違いない。しかし、安倍首相の家系は、特に戦犯としてかろうじて裁かれることを免れた岸信介の孫であることから、それが不可能であるように思われた。

安部元首相の夢は彼が韓国との「前向きな(forward-looking)」関係と彼の国の過去に対する謝罪のない態度を作り出すことだった。これは、彼と将来の日本の指導者が、日本の戦争での戦死者たちの霊が祀られている東京の靖国神社に参拝することができるという希望を決して捨てることを意味しなかった。靖国神社に祀られている死者の中には、20世紀の日本の帝国主義戦争で重要な役割を果たした戦争犯罪者たちが含まれている。

安倍元首相は、アメリカとの関係を緊密化する一方で、日本の征服の背後にある崇高な意図と正当性についての信念に固執した。したがって、戦後の東京裁判の違法性、ひいてはアメリカによる占領と、日本が攻撃的戦争目的を追求するための軍隊を保有することを永遠に禁止する、アメリカによって書かれた日本国憲法の非合法性についても確信を持っていた。しかし、安倍元首相を長く政権に留まらせた同じ日本国民が、そのような道を歩むことは決してなかった。安倍元首相は、いわゆる平和憲法の改正を推し進めたまま亡くなり、この点では不満の残る死を遂げた。

どの程度までアメリカとの同盟にこだわるかは、後世の日本人が決めることだろう。いずれにせよ、中国は日本にとってより大きな、そして当分の間は経済的にも軍事的にも強力な隣国であることに変わりはない。日本はアメリカよりも中国との貿易が多く、紛争になれば、ウクライナに侵攻したロシアを罰するためにアメリカやヨーロッパ諸国が主導しているような欧米諸国による対中制裁体制によって壊滅的な打撃を受けるだろう。アメリカが中国と撃ち合いになれば、日本は更に恐ろしい選択を迫られることになるだろう。ワシントンとの同盟を結んでいることで、中国のミサイルが日本の領土に降り注ぎ、海上で日本の船舶を沈めるような事態が起きるならば、その同盟には価値があるだろうか?

私たちはこのような事態にならないことを願わなければならないが、希望は戦略ではない。私が2017年に出版した『天の下の全て:過去が中国の世界的権力の推進を形作るのにどのように役立つか(Everything Under the Heavens: How the Past Helps Shape China's Push for Global Power)』で主張したように、東アジアで戦争のリスクが最大になる時期は、今後数十年に及ぶというケースがある。その後、中国の人口動態が大きく変化し、北京はますます多くの富を国内の退職金や社会福祉に充て、近くて遠い海外での野望を後退させるだろう。

このようなシナリオの下では、安倍首相が掲げる日本のヴィジョンは、いくつかの論理のうちの1つに過ぎない。過去と折り合いをつけ、近隣諸国に接近する(アメリカに背を向けるという意味ではない)ことも、同様に明白な代替案であるように思われる。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授。長年にわたり海外特派員を務める。最新刊は『;アフリカ、アフリカ人、そして近代世界の構築、1471年から第二次世界大戦まで』。ツイッターアカウント:@hofrench
(貼り付け終わり)

(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 古村治彦です。

 今回はナショナリズムについての論稿をご紹介する。まず、ナショナリズム(nationalism)という言葉の定義については2つある。論稿の著者スティーヴン・M・ウォルトは次のように定義している。

「まず、世界は重要な文化的特徴(共通の言語、歴史、祖先、地理的起源など)を共有する社会集団で構成されており、時間の経過とともに、これらの集団の一部は、自分たちが国家という独自の実体を構成していると考えるようになったという認識から出発する。国家がその本質的な性格について主張することは、生物学的あるいは歴史的な観点から見て厳密に正確である必要はない。重要なのは、国家の構成員たちが、自分たちは1つの国家であると純粋に信じていることだ」。

第二に、ナショナリズムの教義は、全ての国家は自らを統治する権利があり、部外者によって支配されるべきではないと主張する。この考え方によって、既存の国家が、自分たちの集団に属さない人々、例えば、異文化から自国の領土に入り込んで住もうとする移民や難民に対して警戒心を抱かせる傾向が生まれる。確かに、移民は何千年も前から行われてきたし、多くの国家には複数の民族が存在し、同化も時間の経過とともに起こりうるし、実際に起こっている。それでも、国家の一員と見なされない人々の存在は、しばしば話題となり、紛争の強力な推進力となり得る」。

 大雑把にまとめれば「自分たちは共通の文化を持ち、同じ国民だという感覚を持ち、地理的な枠組みの中において自分たち自身で統治を行う」ということがナショナリズムということになる。ナショナリズムについては、ベネディクト・アンダーソンの名著『想像の共同体』があるが、「自分たちが同じ国民である」というのは確固としたものではなく想像上のものでしかなく、しかも近代の教育と出版によって生み出されたものだということが解明されている。

 人々の幻想であるナショナリズムであるがその力は大きい。ヴェトナム戦争しかり、現在のウクライナ戦争しかり、大国に対する粘り強い戦いの原動力がナショナリズムである。ナショナリズムは世界政治を動かす大きな力である。また、グローバル化している世界とは言え、いざという時には自国と自国民の利益を第一に行動する。グローバル化した世界と言ってもその実態は各国家の競争ということになる。自国の利益を第一に行動するのが自然なことだ。

 日本のナショナリズムについて考えると、歴史修正主義(revisionism)と米国への従属(dependency on the United States)という要素で、歪んだものになっていると私は考えている。「アメリカと一緒に中国をやっつけてやる」という主張がどんなにおかしくて、歪んだものかを反中右派の人々は考えてもらいたい。健全なナショナリズムの醸成ことがこれから重要である。

(貼り付けはじめ)

エリートたちはナショナリズムを誤解している(Elites Are Getting Nationalism All Wrong

-ロシア、アメリカ、ヨーロッパ連合はそれぞれが結果的に災害に見舞われている。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2022年4月27日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2022/04/27/elites-nationalism-wrong-russia-ukraine-europe-trump/

もし、国家元首や外務大臣が私に助言を求めたら(心配しないで欲しい、そんなことはまずない)、私はまず「ナショナリズムの力を尊重せよ」と述べるだろう。それは何故か? なぜなら、過去100年の大半を振り返りながら、現在起きていることを考えると、この現象を理解しなかったために、多くの指導者たち(そしてその国家)が大きな災難に見舞われてきたように思えるからだ。私は以前、2019年、2011年、2021年にもこの点を指摘したが、最近の出来事からは、ナショナリズムに関する教育を再び施すことが必要であると考える。

ナショナリズムとは何か? その答えは2つ存在する。まず、世界は重要な文化的特徴(共通の言語、歴史、祖先、地理的起源など)を共有する社会集団で構成されており、時間の経過とともに、これらの集団の一部は、自分たちが国家という独自の実体を構成していると考えるようになったという認識から出発する。国家がその本質的な性格について主張することは、生物学的あるいは歴史的な観点から見て厳密に正確である必要はない。重要なのは、国家の構成員たちが、自分たちは1つの国家であると純粋に信じていることだ。

第二に、ナショナリズムの教義は、全ての国家は自らを統治する権利があり、部外者によって支配されるべきではないと主張する。この考え方によって、既存の国家が、自分たちの集団に属さない人々、例えば、異文化から自国の領土に入り込んで住もうとする移民や難民に対して警戒心を抱かせる傾向が生まれる。確かに、移民は何千年も前から行われてきたし、多くの国家には複数の民族が存在し、同化も時間の経過とともに起こりうるし、実際に起こっている。それでも、国家の一員と見なされない人々の存在は、しばしば話題となり、紛争の強力な推進力となり得る。

ここで、ナショナリズムの力を理解できなかった指導者たちが、どのように挫折してきたかを考えてみよう。

証拠Aを示す。ロシアのウラジミール・プーティン大統領は、ウクライナのナショナリズムが、迅速かつ成功した軍事作戦によって、ウクライナにおけるロシアの影響力を回復しようとする試みをいかに阻害するかを理解していない。ロシアの戦争努力は当初から誤りが多かったが、ウクライナ人たちの予想外の激しい抵抗がロシアの行く手を阻む最も重要な障害となった。プーティンと側近たちは、外国からの侵略に対抗するために、国家はしばしば巨額の損失を吸収し、虎のように戦うことを忘れており、ウクライナ人が行ったのはまさにこれである。

しかし、このような失態を犯した指導者はプーティンだけではない。20世紀の大半、広大な植民地帝国のヨーロッパの支配者たちは、長く、費用のかかる、そして最終的には失敗するようなキャンペーンを行い、抵抗する国々を帝国の支配下に置いていた。アイルランド、インド、インドシナ、中東の大部分、アフリカの大部分など、ほぼ全域でヨーロッパは失敗し、恐ろしい数の人的犠牲を払っている。1931年以降、日本が中国を征服し、勢力圏を確立しようとした努力も同様に失敗した。

ナショナリズムの意味を理解することに関して、アメリカはあまり上手ではない。外交官ジョージ・ケナンをはじめとする一部のアメリカ政府関係者たちは、ナショナリズムが共産主義よりも強力であり、「共産主義の一枚岩」に対する懸念は誇張されていると認識していたが、ほとんどのアメリカ政府関係者たちは、左翼運動が思想的理由から自国の国益を犠牲にしてもモスクワの言いなりになること選択するのかどうかという点について疑問を持ち続けてきた。ヴェトナム戦争においても、ナショナリズムの力を見抜けなかったアメリカの指導者たちは、北ヴェトナムが祖国統一のために支払う代償を過小評価していた。1979年、ソ連はアフガニスタンに侵攻したが、アフガニスタン人が外国の占領者を撃退するためにどれほど激しく戦うかを理解していなかった。

残念なことに、アメリカの指導者たちは、これらの経験から多くを学ばなかった。2001年9月11日以降、ジョージ・W・ブッシュ政権は、イラクやアフガニスタンの人々が自由になることを熱望し、アメリカ兵を解放者として迎えるだろうと考えたため、既存の政権を倒し、光り輝く新しい民主政体に置き換えることは簡単だと思い込んでいた。代わりにブッシュ政権が手にしたのは、占領軍から命令を受けたくない、西洋の価値観や制度を受け入れたくないという地元住民の頑強な抵抗であり、そうした頑強な抵抗は最終的には成功した。

ナショナリズムの力を理解できないのは、戦争や占領に限ったことではない。EUは、国家的な愛着を超越し、ヨーロッパとしてのアイデンティティを共有し、ヨーロッパで繰り返される破滅的な戦争につながる競争圧力を緩和するために設立された。EUが平和的な効果をもたらしたと言うことも可能だ(他の要因の方がより重要であると私は主張するが)。しかし、国家のアイデンティティは依然としてヨーロッパの政治的構造の不変の部分であり、エリートが持つ期待通りにはいかないものとなっている。

まず、EUの構造自体が、ブリュッセルにあまり権限を渡したくない各国政府を優遇していることがあげられる。そのため、EUは「共通外交・安全保障政策(common foreign and security policy)」の策定を何度も試みているが、ほとんど実現できていない。更に重要なことは、危機が発生した時の各国の最初の対応が、ブリュッセルではなく、自国の選出議員に委ねられることである。2008年のユーロ圏危機の時も、新型コロナウイルス感染拡大の時も、結束は行われず、それどころか、各国は自国の利益のために行動していた。

更に、ナショナリズムの永続的な魅力を理解していないことは、なぜ多くの専門家がイギリスのEU離脱(Brexit)のリスクや強硬なナショナリスト政党の予想外の出現を過小評価したかを理解するのに役立つ。ポーランドの与党「法と正義」やハンガリーのオルバン首相の政党「フィデス」は、何よりもまず、EUの自由主義的価値観とは正反対の方法で、それぞれの国のナショナリズムに訴えかけることによって勝利を収めたのである。

最後に、ドナルド・トランプ前米大統領の政治的キャリアは、熱烈なアメリカのナショナリストとして自らを売り込み、アメリカを売り渡したと非難する、退廃したはずのグローバリスト・エリートたちと自らを対比させる能力に負うところが多い。彼の政治綱領と公的人格は、「アメリカを再び偉大にする」というスローガン、「アメリカ第一主義」のマントラ、あるいは(非白人の)移民に対する公然の敵意など、懐古的なナショナリズムを前面に押し出している。トランプ氏の政治的魅力に戸惑う人は、まず、彼が現代のアメリカ政治において誰よりも効果的にナショナリズムの力を利用したことを認識することから始めなければならない。

ナショナリズムの永続的な重要性を示す多くの証拠があるにもかかわらず、なぜ多くの賢い指導者たちがそれを過小評価するのだろうか? その答えは明確ではないが、ナショナリズムの中心的な特徴の1つが、ソフトウェアのバグに似て、問題の一端を担っているということかもしれない。国家は自らをユニークで特別な存在とみなすだけでなく、他国よりも優れていると考える傾向があり、それゆえ紛争が発生した場合には勝利する運命にあると考える。この盲点が、他国が自分たちと同等(あるいは、神に誓って優位)であるかもしれないことを認識するのを難しくしているのだ。アメリカ人の中には、ヴェトコンやタリバンが自分たちを倒す可能性があることを理解できない人もいた。プーティンにとっても、自分が劣っていると考えているウクライナ人がロシアの侵攻に立ち向かえる、あるいは立ち向かえるということを認識するのは難しいようである。

エリートはまた、自分がトランスナショナルなコスモポリタンバブル(訳者註:隔離された区域)の中で生活していることもあり、ナショナリズムの力を否定するかもしれない。毎年、スイスのダヴォスで開催される世界経済フォーラムに参加し、世界中でビジネスを行い、様々な国の同じ考えを持つ人々と付き合い、母国にいるのと同じように海外でも快適に暮らしていると、自分の交友関係以外の人々がいかに場所や地域の制度、国家への帰属意識に強い愛着を持っているかを見失いがちである。自由主義が個人と個人の権利を強調するのも、多くの集団が個人の自由よりも重要視する社会的絆や集団生存へのコミットメントから目を逸らすという点で、盲点になっている。

だから、ある政治指導者が私のところに助言を求めに来た時、あるいはこの指導者が考えている外交政策について私がどう考えているかを知りたがった時、私はこの指導者にナショナリズムを考慮しているかどうかを尋ね、大国がそれを無視するとどうなるかを思い起こさせるようにする。そして、マルクス主義の革命家、レオン・トロツキーの言葉を借りれば、こう言うだろう。「あなたはナショナリズムに興味がないかもしれないが、ナショナリズムはあなたに興味をもっているのだ」。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト、ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

(貼り付け終わり)

(終わり)※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


bigtech5shawokaitaiseyo501
ビッグテック5社を解体せよ

akumanocybersensouwobidenseikengahajimeru001

 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

このページのトップヘ