古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

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 古村治彦です。

 2025年11月21日に『シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体』 (ビジネス社)を刊行します。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体 
 最新刊の刊行に連動して、最新刊で取り上げた記事を中心にお伝えしている。各記事の一番下に、いくつかの単語が「タグ」として表示されている。「新・軍産複合体」や新刊のタイトルである「シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体」を押すと、関連する記事が出てくる。活用いただければ幸いだ。

 911テロ事件(2001年)が発生した当時のジョージ・W・ブッシュ政権(2001~2009年)の副大統領を務めたディック・チェイニーが今年2025年に死去した。ジョージ・W・ブッシュ(子)政権の副大統領、実質的には大統領として、「影の大統領」として、911テロ事件後のアフガニスタン戦争、イラク戦争を主導し、アメリカを泥沼(quagmire)に引きずり込んだ。毀誉褒貶の多い政治家だった。

 チェイニーはイェール大学に入学したが、勉学に身が入らず、中退する羽目になった。故郷のワイオミング州に戻り、建設業に従事したが、生活は乱れ、酒におぼれ、飲酒運転で逮捕されるということもあった。高校時代からの恋人リンがチェイニーの生活を立て直し、チェイニーはワイオミング大学に編入学し卒業できた。リンと一緒にウィスコンシン大学大学院に進学した(リンは文学専攻、チェイニーは政治学専攻)。大学院在学中にウィスコンシン州のウォーレン・ノールス州知事のスタッフとなり、そこから政治の世界に入った。

連邦議会フェローシップでワシントンに行き、そこで当時若手の連邦下院議員だったドナルド・ラムズフェルドと知り合い、ラムズフェルドがリチャード・ニクソン大統領の辞任後に大統領に昇格したジェラルド・フォード大統領によって大統領首席補佐官に任命された際、チェイニーはラムズフェルドの首席補佐官となり、ホワイトハウス入りした。そして、ラムズフェルドが1年で大統領首席補佐官から国防長官に転身すると、大統領首席補佐官となった。当時34歳、史上最年少の大統領首席補佐官就任だった。フォード政権終了後は1979年から1989年までワイオミング州選出の連邦下院議員(5回当選)を務め、連邦下院共和党内で地歩を固め、政策委員長、共和党連邦下院議員会長(序列第3位)、連邦下院少数党(共和党)院内幹事(序列第2位)を務めた。院内総務、連邦下院議長を狙える位置にいたが、1989年、ジョージ・HW・ブッシュ(父)政権の国防長官に就任した。1991年の湾岸戦争を主導したことで知られる。

ビル・クリントン政権時代は、ハリバートンでCEOを務めた。チェイニーはリバートンの最大の個人株主であった。ハリバートンは、世界最大の石油掘削機の販売会社であり、イラク戦争後のイラクの復興支援事業やアメリカ軍関連の各種サービスも提供したことでも知られている。湾岸戦争と後のイラク戦争で巨額の利益を得た。

 2001年からのジョージ・W・ブッシュ(子)政権では副大統領を務めた。前述した通り、911テロ事件後のアフガニスタン戦争とイラク戦争を主導し、アメリカを泥沼に引きずり込んだ。チェイニーの基本的な考えは、「アメリカ大統領への徹底的な献身」であり、「大統領権限の強化」である。このことを1970年代から半世紀近くにわたって矜持として持っていた。「強い大統領」が多くのことを決定するという考えである。これは、現在で言えば、単一執行権理論(Unitary Executive Theory)と呼ばれる考えであり、その先駆けであった。ジョージ・W・ブッシュ政権下でのアフガニスタン戦争とイラク戦争の遂行で、大統領の権限強化が進められたが、このことを説明する理論が単一執行権理論である。現在のトランプ政権の動きもこの理論で説明できる。もちろん、三権分立(separation of power)を弱めるという批判もある。アメリカの民主政治体制への信頼が揺らぐ中で、賢人王(哲人王)への希求が高まっている。チェイニーはその先駆けとなった人物と言えるだろう。

(貼り付けはじめ)

対テロ戦争の設計者ディック・チェイニーが死去(Dick Cheney, Architect of the War on Terrorism, Dies

-元アメリカ副大統領は大統領と国家の権力強化を目指したが、最終的には両者を弱体化させた。

ジェフリー・A・エンゲル筆

2025年11月4日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/11/04/dick-cheney-obituary-legacy-iraq-war-bush-torture-9-11/?tpcc=recirc_latest062921

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2005年12月18日、イラク西部のアル・アサド空軍基地で海兵隊員たちに演説を行うディック・チェイニー米副大統領

1941年、アメリカ合衆国が第二次世界大戦に参戦し、世界との関係を根本的に変革した年に生まれたリチャード・ブルース・「ディック」・チェイニーは、人脈と強い信念を武器に、30代半ばを迎える頃にはアメリカ政界の中心へと華々しく上り詰め、40年近くその地位に留まった。11月3日、肺炎と心血管疾患の合併症により84歳で逝去した。

物腰柔らかで、自らの判断力に極めて自信を持っていたチェイニーのキャリアは、世界におけるアメリカの役割が絶えず変化していく中で、変革をもたらす可能性と、同時に、人々を不安にさせる不安を象徴するものとなった。チェイニーはヴェトナム戦争後に海外でのアメリカ軍の展開に課された制約に難色を示し、1990年代初頭には当初アメリカの冷戦と湾岸戦争での勝利に疑問を呈しながら、その後はアメリカの勝ち誇った態度(triumphalism)を共有し、911テロ攻撃に対するワシントンの恐怖と攻撃的な反応を体現し、そして最終的には混沌とした世界における完璧な安全を求めて、アメリカ史上最悪の戦略的決定の1つに数えられる2003年のイラク侵攻と占領の指揮に協力した。

2009年に正式に公職を退く頃には、彼の助言はほぼ無視され、アメリカは就任時よりも貧しく、弱体化し、分断が進み、国際的な人気も低下していた。また、アメリカ本土で911同時多発テロのような別のテロ攻撃に見舞われることもなかった。

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1975年4月18日、当時大統領次席補佐官だったチェイニー氏は、ワシントンのホワイトハウス閣議室で話を聞いている

ネブラスカ州とワイオミング州で育ったチェイニーは、若い頃から公職で成功するために必要な知性(the intelligence)は備えていたものの、規律(the discipline)は身につけていなかった。「ビールこそが人生に欠かせないものだという信念を共有していた(shared my belief that beer was one of the essentials of life)」同級生たちと過ごす時間が長すぎたため、イェール大学を2度にわたって退学処分された後、故郷に戻り建設業に就き、将来は不透明だった。「イェール大学を退学処分になった後、私は悪い道を歩み始めた。22歳の時、飲酒運転で2度逮捕されてしまった」とチェイニーは2015年に当時を振り返ってこのように語った。「刑務所にも行った。・・・それが私にとっての目覚めの音(a wake-up call)となった」。高校時代の恋人リン・ヴィンセントからの最後通牒(an ultimatum)も同様に彼を突き動かした。リン・チェイニーは後に「最終的には、田舎の電線作業員とは結婚する気はないとはっきりと言った」と述べている。

同時に、チェイニーはヴェトナムにおけるアメリカ軍の泥沼に自ら関与する気はなかった。家族や学業上の理由で5回も徴兵猶予(draft deferments)を受けた。「1960年代は兵役よりも優先すべきことがあった」と彼は数十年後に語っている。そのなかにはウィスコンシン大学大学院での勉学も含まれていた。リンはそこで文学を学び、チェイニー自身も政治学の博士号を取得することを目指していたが、結局は取得しなかった。兵役義務の年齢制限に達すると、チェイニーは連邦議会フェローシップを熱心に受け入れた。このフェローシップは、政治を単に学ぶだけでなく、実際に政治に関わる機会を与えてくれた。

チェイニーは、当時イリノイ州選出の若手連邦下院議員だったドナルド・ラムズフェルドとの最初の面談について「面接で落とされた」と語った。フェローシップは連邦議会のスポンサーを見つける必要があり、ラムズフェルドに十分な印象を与えることができず、彼のスタッフに加わることができなかった。チェイニーは、当初ウィスコンシン州選出のウィリアム・スタイガー連邦下院議員の事務所に入ることができた。それでもラムズフェルドは後にチェイニーをリチャード・ニクソン大統領の経済機会局the Office of Economic OpportunityOEO)に入れた。ラムズフェルドとチェイニーはその後数十年にわたり、政治的にも個人的にも深い結びつきを持ち続けた。1974年、ジェラルド・フォード大統領がラムズフェルドにホワイトハウススタッフのリーダーを任命すると、チェイニーは33歳にしてラムズフェルドの主席補佐官となった。

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1974年11月16日、ホワイトハウスのウエストウイングのオフィスで、ベティ・フォード大統領夫人と話す大統領首席補佐官ドナルド・ラムズフェルド(左)と大統領次席補佐官ディック・チェイニー

チェイニーがわずか5年で連邦議会の一スタッフから大統領補佐官へと驚異的な出世を遂げたことは、近接性と人脈(proximity and personal connections)の力だけでなく、粘り強さ(perseverance)の証明でもあった。チェイニーはラムズフェルドに対する最初の悪い印象を、自ら進んで経済機会局の再編案を提出することで覆し、ラムズフェルドが国家において存在感を増すにつれ、忠実で信頼でき、いつでも対応できる人物であることを示した。ラムズフェルトは「ディックに何かを任せると、それは実現した。必ず実行された」と述べている。

フォードはチェイニーに注目した。1975年に大規模な閣僚の変更でラムズフェルドが国防長官に就任すると、大統領はチェイニーを大統領首席補佐官に昇格させた。34歳という史上最年少の大統領首席補佐官となり、フォード政権が抱える問題に対応できる実務家としての役割を果たした。フォードは後に、「ディックは素晴らしかった。彼は入ってきて、10項目の議題を処理し、処理し終えて去っていった」と語った。

チェイニーはまた、効果的な「嫌な仕事ができる人間(hatchet-man)」としての手腕も示した。「私の方法は直接的だった」とチェイニーは後に、他人を解雇する手腕と評判が高まったことについて説明している。「ほのめかしも、冷たい態度も、苦痛に満ちた長期の退職手続きもなかった。それらは誰にとっても良くない——大統領にとっても、解雇される側にとっても」と述べた。大統領首席補佐官としての彼の支持基盤はただ1つ、最終的に気にかけた意見もただ1つだった。「大統領の利益に反する行動を取る者は——意図的であれそうでなくとも——ただ去るべきだった」とチェイニーは語った。

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1976年8月7日、メリーランド州キャンプ・デイヴィッドへの週末旅行中にアスペン・ロッジのリビングルームで書類に目を通すホワイトハウス首席補佐官チェイニーとジェラルド・フォード大統領

チェイニーが上司の政策を露骨に優先させたことで、政治的傾向は見えにくくなりながらも、職の安定性は確保された。これは意図的なものだった。彼の唯一の政策は、ウォーターゲート事件とニクソン大統領の辞任を受けて昇格した、選挙で選ばれていない大統領フォードの政策だけだった。政治的に穏健派だったフォードは、チェイニーについて「私に絶対的に忠実だ」と結論付けた。しかし、別の側近はチェイニーを「フォード、ラムズフェルド、いや、チンギス・ハーンよりもやや右派」と考えていた。

チェイニーのホワイトハウス初期の経験は、彼の官僚政治(bureaucratic politics)へのアプローチを形作り、大統領権力への制約に対する生来の嫌悪感を強めた。その点で、彼は20世紀における絶え間ない安全保障危機の中で、大統領が外交においてあまりにも全能になりすぎたという通説に反論した。歴史家アーサー・シュレジンジャーが1973年に主張したように、大統領はあまりにも「帝国主義的(imperial)」だった。東南アジアにおける泥沼の混乱と敗北は、統制されない行政権というより大きな問題の兆候であり、憲法の再構築が必要だという論理が展開された。

チェイニーはこれに反対した。大統領による制約はアメリカの力、特に軍事力の有効性を弱めるだけだと彼は主張した。外交政策はしばしば厳しい選択を迫られ、必ずしも公の場で精査されることが最善とは限らない。時には、有能な参謀総長(an effective chief of staff)と同様に、軍最高司令官(the commander in chief)でさえ国家の優先事項を追求するために、真の戦略や動機を隠さなければならない。「ウォーターゲート事件やヴェトナム戦争をめぐる多くの出来事が・・・(大統領の)権威を弱めることになった」と彼は数年後に説明した。

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1976年10月9日、フォードと共にダラスで選挙運動をしていたチェイニーがバンパーカーを運転している

チェイニーは、真の憲法上の問題は、現代世界が、アメリカ合衆国憲法の起草者たちが想像していたよりもはるかに速く、相互に結びついていることだと主張した。「特に私たちが生きているこの時代においてはそうなっている」とチェイニーは2005年に述べた。もっとも、チェイニーの政治活動のどの年代にも同様の感情が見受けられるが、「私たちが直面する脅威の性質を考えると・・・合衆国大統領は憲法上の権限を損なわれてはならない」。ヴェトナム戦争の真の教訓は、卓越した武力が機能しなかったということではなく、武力が過度に抑制されていたということだとチェイニーは結論づけた。

チェイニーは1980年代初頭、アメリカン・エンタープライズ研究所のフォーラムで次のように語った。「ウォーターゲート事件とヴェトナム戦争のトラウマに苛まれ、私たちは行政機関と連邦議会の関係を改変してきた。その主目的は、過去に起きたとされるような権力乱用を将来にわたり回避することにある」チェイニーは「アメリカは1980年代のどこかで、世界のどこかで武力行使に訴えざるを得ない状況に直面するだろう」と警告した。その避けられない決着の日へ備えるため、「ここ数年の傾向を抑制しなければ、大統領の権威を損なうことになる」とも述べた。

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1984年度予算の行き詰まりを協議するため、当時ワイオミング州選出の連邦下院議員だったチェイニーなど共和党指導部と会談するロナルド・レーガン大統領(1983年517日)

フォードは1976年の大統領選挙で敗北し、チェイニーは束縛から解放された。独立性を貫く彼は、1978年のワイオミング州選出の連邦下院議員選挙に出馬し圧勝した。しかし彼には暗い影が差していた。選挙運動中、チェイニーは恐ろしい心臓発作を起こした。これは今後数年間で彼が経験する一連の心臓疾患の始まりであった。この経験に戒められ、彼は1日に3箱も吸っていた喫煙の習慣を止め、コーヒーの摂取も制限した。しかし、家族や友人の助言にもかかわらず、政治から離れることはなかった。チェイニーは近しい人々の考えを次のように説明した。「賢明な人間なら、自分が送っているこの狂った生活を辞めるのが賢明だ。心臓発作を起こしたのだ。もう諦めて家に帰り、ゆっくり休むべきだ。家族への責任を果たしながら、こんな生活を続けて生き延びられると思うか?」

チェイニーは政界に復帰し、共和党内で急速に地位を固めた。共和党政策委員会の委員長に選出された最年少の連邦下院議員となった彼は、選挙区の支持基盤に沿って、議会で最も一貫して保守的な投票記録の1つを積み重ねてきたにもかかわらず、イデオロギー的な硬直性よりも和解(reconciliation)を重視する姿勢で評判を築いた。ある時、深夜の電話で、彼を「穏健派(moderate)」と呼んだ記者を激しく非難したことがある。しかし、その後、連邦議会での交渉のプロであり、約束を守る人物として知られるようになった。

しかし、大統領の権威に対する揺るぎない信念は変わらなかった。ロナルド・レーガン大統領の最初の任期末にチェイニーは次のように書いている。「大統領の外交政策にさらなる制約が必要だと考える人々には、基本的に同意できない。さらなる制約は必要ない。・・・必要なのは、自らの指揮下にある手段を自由に使いこなせる大統領だ」。そして、無知な連邦議員に詮索される恐怖から解放された大統領だ。特にこの時代においては、連邦議員としては異例なことに、チェイニーは行政権を促進し、その効率性、柔軟性、そして他の連邦議員たちが躊躇するだけだった一方で、力強く問題を解決する能力を称賛した。チェイニーは1983年に、「もし大統領が過ちを犯したら、当然その代償を払うことになる。しかし、特定の決定を下す際には、大統領を信頼しなければならない。軍事力が行使される可能性のあるあらゆる状況において、協議と法的議論が可能であるという考えに常に立ち返るのは良いことだが、世の中はそうはいかないのだ」と述べた。

レーガン大統領のホワイトハウスが連邦議会の意見を度々無視したことは、チェイニーの立場を不利に働かせた。レーガン政権第2期には、無許可かつ違法な外交政策の発覚が相次ぎ、イラン・コントラ事件へと発展した。しかし、チェイニーは批判に動じることはなかった。レーガン政権の不正行為に関する正式調査に関する反対意見書(minority report)を主導した際、大統領にも守護者が必要だと考えた。チェイニーは、「連邦下院共和党幹部として、レーガンの選択を支持し擁護するためにできる限りのことをするのが私の責任だ」と述べた。たとえそれが間違っていたとしても、賢明な人物たちが国家の安全保障を念頭に置いて行った選択であり、事後には寛大に評価されるべきであり、あるいは、むしろ全く評価されるべきではないとチェイニーは主張した。

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西ドイツのキルヒ=ゴンスでブラッドレー戦闘車両の能力について説明を受けるチェイニー国防長官(1989年10月26日)

1989年初頭、連邦下院共和党序列第2位だったチェイニーは、連邦下院議長就任を視野に入れつつも、ホワイトハウス復帰への関心を失っていなかった。そして運命と人脈が再び彼を取り巻く。ジョージ・HW・ブッシュ大統領が国防長官に最初に指名した、ブッシュと同じテキサス州出身のジョン・タワーは、その年に連邦上院で否決された。ブッシュ大統領は、主にジェイムズ・ベイカー国務長官とブレント・スコウクロフト国家安全保障問題担当大統領補佐官の助言を受け、チェイニーに目を向けた。2人はフォード大統領時代にチェイニーと仕事をした経験があり、彼の能力を高く評価し、判断力を信頼していた。そしておそらくこの時、最も重要なのは、チェイニーがすぐに承認されるだろうと確信していたことだった。2人はまた、チェイニーが大統領権限にどれほど熱心であるかを身をもって知っていた。 1980年、レーガン政権の首席補佐官に任命された後、ベイカーがチェイニーに助言を求めた際、ワイオミング州唯一の連邦下院議員が最初に助言したのは「行政府の権力と権限を回復すること(restore power and authority to the executive branch)」だった。

国防長官を務めるには、まさに目まぐるしくも気が遠くなるような時代だった。冷戦終結が近づく中、超大国間の関係は流動的であり、その波紋は世界中に広がっていた。そうした波紋の1つが中東で生じた。チェイニーは、1990年から1991年にかけてイラクが隣国クウェートへの征服を試みた動きを阻止するため、アメリカが主導し国連が承認した戦争の主要な立案者だった。しかしチェイニーは戦争の初期段階では支持派ではなかった。チェイニーは、イラクのサダム・フセイン大統領による侵攻後の最初の緊急会議で大統領と国家安全保障会議に「世界は石油を切実に必要としている」と訴えた。チェイニーは、イラクのサダム・フセイン大統領による侵攻後の最初の緊急会議で大統領と国家安全保障会議に「貧しいクウェートにはほとんど関心がない」と述べた。チェイニーは、米国もそうであると主張した。クウェートの石油こそが真に重要なものだった。

チェイニーはソ連の改革や超大国関係における新たな平和的時代の展望に対しても、同様の冷徹な計算を適用した。他の人々がソ連指導者ミハイル・ゴルバチョフの民主化への約束を称賛する中、チェイニーはブッシュ(父)政権最高幹部の中でも、ゴルバチョフが提案した改革の誠実さやその妥当性さえも疑う懐疑派(skeptics)の1人であり続けた。チェイニーは1989年に国防長官に就任して間もなく公の場で次のように主張した。「冷戦の終結を宣言したい人間たちがいる。彼らは脅威が大幅に減ったと認識し、警戒レヴェルをそれに応じて下げられると信じたいのだ。しかし私は慎重さが求められると考える」。この発言はゴルバチョフを不安にさせ、ゴルバチョフはイギリスのマーガレット・サッチャー首相に電話し、ブッシュ大統領がチェイニーのような人物の影響を強く受けており、「我々のペレストロイカの成功、ソ連の新たなイメージの構築が西側にとって有益ではない」と信じていると不満を訴えた。

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ジョージ・HW・ブッシュ大統領とチェイニー国防長官がホワイトハウスのローズガーデン付近を歩きながら、砂漠の嵐作戦の準備について話し合っている(1991年頃)

ゴルバチョフが、チェイニーの真意を聞いていたら、さらに不安になっただろう。「独裁政権に服従している人々に自由の息吹が与えられることを、私たちは十分に期待できる」と、ペンタゴンでの最初の夏にチェイニー副大統領は記している。彼は続けて「しかし、希望だけで国防政策を決定づけることはできない。グラスノスチ(glasnost)とペレストロイカ(perestroika)の結果がどうなるかは確かではないし、ソ連経済がより近代化されたからといって、ソ連軍の脅威が軽減されるとも断言できない」と書いている。したがって、チェイニー副大統領は「(ソ連の力を封じ込めて、対抗するために)効果的な政策を、希望があるという理由によって放棄すべきだと考えるのは危険だ。極めて危険だ」と結論付けた。

ゴルバチョフが嘘をついている可能性、あるいは彼の成功がソ連の強気派の台頭につながるといった可能性は、チェイニーがアメリカの防衛体制強化を勧告するのに十分な理由だった。しかし、チェイニーは大統領の権威を重んじており、上司への揺るぎない忠誠心もその一因となった。自分の見解がブッシュの考えと合致しないと告げられても、チェイニーはソ連問題でもクウェート問題でも、直ちに政権の方針に従った。彼の考えでは、大統領の下で働く者には真の顧客であり支持者となる存在はただ1人しかおらず、その人物こそがたまたま世界で最も権力のある人物、アメリカ合衆国大統領であった。

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1991年、サウジアラビアの某所にある秘密のF-11基地の格納庫で、チェイニーと統合参​​謀本部議長コリン・パウエル将軍がアメリカ軍兵士たちに演説している

クウェートに対する戦争計画を策定し、実行するのはチェイニーと当時統合参謀本部議長だったコリン・パウエルの責務であり、2人はためらうことなく、持てる限りの軍事力の行使を求めた。これはヴェトナム戦争の二の舞ではない。今回は「軍関係者が、文民の支持を得ていないなどと言い訳することは不可能だ」とチェイニーは回想している。

ブッシュ大統領はチェイニーとパウエルの要請を受け、テーブルから立ち上がり部屋を出て行った。その時に「君たちの言うことはよく分かった。アメリカ軍がもっと必要であれば言って欲しい」と述べた。チェイニーは驚きつつも、同時に喜びも覚えていた。「大統領は自分が今承認したことを理解しているのか?」と声に出して自問した。信じられないというよりは、むしろ確認の意味でそのような行動を取った。ブッシュ大統領は戦争担当者たちに、アメリカの力を最大限に活用する自由を与えた。これはヴェトナム戦争時代の前任者たちには与えられなかった裁量権だった。

一世代の中で最大規模のアメリカの海外軍事遠征(the largest U.S. overseas military expedition in a generation)が実施され、それは成功を収めた。しかしチェイニーとパウエルは、クウェートの解放が確実になればブッシュ大統領は戦闘を終結させ、イラクの長期占領につながるようないかなる措置も避けるべきだと助言した。ブッシュ大統領は、彼らの勝利のスピードに驚き、わずか100時間の地上戦で本当に戦争を終わらせるべき時なのかと自問した。チェイニーは後に「そこにいた私たち、軍民の全員の意見はイエスだった。私たちの目的はクウェートの解放だった」と述べた。

その目的が達成され、勝利を宣言し、感謝する同盟国からの称賛を受けると同時に、アメリカの軍事力の鮮明な示威に震え上がった世界中の人々の尊敬を集める時が来た。「この全てを通して、アメリカは明らかに世界唯一の真の超大国(the one real superpower in the world)として出現した」とチェイニーは誇らしげに語った。ヴェトナムの亡霊はついに払拭されたのだ。チェイニーは更に「アメリカのリーダーシップ能力は改めて実証された」と述べた。地球上のどの国も、アメリカのスピード、富、そして殺傷力に匹敵しないものとなった。

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1991年6月10日、ニューヨークで行われた湾岸戦争勝利記念パレードに出席したチェイニー、パウエル、そしてノーマン・シュワルツコフ将軍

この成功の鍵は、アメリカが新たな泥沼、特に自国の軍事力と技術的優位性(military and technological advantages)にそぐわない泥沼に陥らなかったことだった。アメリカ軍は空、夜、そして広大な砂漠地帯を掌握していた。しかし、都市や民間人の統制については同じことが言えなかった。チェイニーはこの点を、耳を傾ける人全員に、特に大統領に強調した。もしアメリカがフセインを捕らえ、その政権を転覆させていたら、「問題は、その代わりに何を置くかだ」とチェイニーは1992年に説明した。彼は次のように述べた。「その時、イラク統治の責任を引き受けることになる。さらに私の頭に浮かぶ疑問は、サダムがどれだけのアメリカ人の犠牲者を生むに値するのかということだ。・・・そして、その答えは、それほど多くはないということになる」。チェイニーは2000年になっても同じ考えだった。「私たちは今でも正しい決断をしたと思っている」と、副大統領退任後に初めて公開された口述記録の中で語っている。「1991年にバグダッドに行くべきではなかったと思う」。

アメリカの歴史がどれだけ長く研究され、教えられても、この言葉の皮肉は薄れることはないだろう。チェイニーは10年後、まさにそのような占領を主張し、彼の当初の評価が正しかったことを証明するために、一世代のアメリカ軍と同盟諸国軍、そして何百万人ものイラク人が血を流した。この10年間で変化したのは、フセインが驚くべきことに生き延びたことだ。これは長引く傷となった。冷戦後の多くの勝利主義者と同様に、チェイニーは、アメリカの指導力に対する危険な非難であり、ひいてはアメリカの覇権にとっての障害だと考えた。

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共和党大統領候補のジョージ・W・ブッシュと副大統領候補のチェイニーはワイオミング州キャスパーでの最初の訪問中に群衆を見渡している(2000年7月26日)

フセイン大統領は1991年の湾岸戦争を辛うじて生き延びたが、その後の10年間は​​国際制裁やアメリカの圧力を無視し続けた。2000年の大統領選挙で共和党が僅差で勝利し、副大統領として権力の座に返り咲いたチェイニーは、この任務を完遂しようと決意していた。「この男(サダム・フセイン)を始末するつもりか、それともしないのか?」と、2003年のイラク侵攻を前に、ブッシュ大統領が新たな外交措置を議論していた際、チェイニーは挑発的に問いかけた。外交ではアメリカの力、そして大統領が持つ強大な力を十分に発揮することはできないとチェイニーは考えていた。

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左:2001年9月11日のテロ攻撃後、ホワイトハウスを出発するチェイニーと妻のリン・チェイニー。右:キャンプ・デイヴィッドへ向かう途中、マリーン・ツーに搭乗するチェイニー

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2001年9月11日のテロ攻撃について話し合うチェイニーとブッシュ

恐怖が変化を促した。キャリアを通じて一貫して大統領権限を擁護してきたチェイニーが、イラク問題、占領の責任を負うことになってもフセイン打倒が必要だという考え(the need to topple Hussein even given the responsibility of occupation)、について心変わりしたのは、2001年9月11日のテロ攻撃が生み出した恐怖によるものだった。ハイジャックされた飛行機がワシントンに急降下する中、地中深くのホワイトハウス地下壕に身を潜めたチェイニーは、初めて暴力と権力の標的となる感覚を味わった(Cheney for the first time felt what it was like to be on the receiving end of violence and power)。それはトラウマ的でありながら、同時に物事を明快にした。あの忘れがたい日の終わりに、煙を上げる国防総省上空を飛行しながら、彼は後に次のように回想している。「私たちはどのように対応すべきか、アメリカの力と影響力をいかに発揮すべきかを考え始めた」。

チェイニーは前年2000年に共和党の副大統領候補に指名された(彼は選考プロセスも主導した)。外交経験の乏しい大統領選挙候補者ブッシュ(子)に重みと経験をもたらすためだった。彼は今や新たなテロ脅威への最大限の攻撃的対応の触媒(a catalyst for a maximally aggressive response to the new terrorist threat)となった。国防長官として復帰した旧友ラムズフェルドと協力し、チェイニーはアメリカの対応を国務省ではなく国防総省と中央情報局(CIA)に集中させることに貢献した。彼は、影響力や威信といったソフトな資源ではなく、アメリカのハードな軍事力を使うことに注力した。アメリカが主導する相互接続性(interconnectivity)、民主的平和(democratic peace)、グローバリズム(globalism)の称賛は、アメリカの国土に死と破壊をもたらした。武力こそがより良く国土を守ることができるということになった。

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2001106日、アメリカがタリバン支配下のアフガニスタン攻撃を開始する前日、ワシントンで会談するチェイニー副大統領とラムズフェルド国防長官(当時)

チェイニーは、国務省の文化的に根付いた行動前の交渉重視の姿勢について、「私の考えでは、国務省は逆のことをしていた」と書いている。外交は時間がかかるものであり、チェイニーの考えでは、外交推進派は、9月の朝に世界がどれほど変化したかを理解していなかった。チェイニーは、「他国を怒らせることを懸念して国益にかなう政策を妥協するのではなく、同盟諸国やパートナー諸国を説得するための外交努力を行いつつ、自国の安全保障に最も役立つ政策を行うべきだ」と主張した。

当時のチェイニーのメッセージは明確で、率直で、そして警告に満ちていた。「テロリストたちに避難所(sanctuary)を与えれば、アメリカ合衆国の激しい怒りに直面することになる」と、911同時多発テロの数日後に公に警告し、これは映画館で歓声をあげるようなクリーンな紛争ではないと付け加えた。チェイニーは「目的を達成するためには、基本的にあらゆる手段を使うことが不可欠になる。外の世界は卑劣で、下劣で、危険で、汚いビジネスであり、私たちはその中で活動しなければならない」と述べた。アメリカ人は「いわばダークサイドで働かなければならない(work sort of the dark side)」とチェイニーは言った。数日のうちに、チェイニーのオフィスは新たな種類の戦争のガイドライン策定を支援した。それは敵という概念だけでなく、概念に対しても戦うものであり、拷問を含むこれまで考えられなかった手段や戦術が新たな影響力を持つものだった。

全員が同意した訳ではない。当時のFBI長官ロバート・モラーはブッシュ大統領に次のように警告した。「もし私たちがこれらの措置のいくつかを実行すれば、テロ実行犯を訴追する能力を損なう可能性がある」。当時国務長官を務めていたコリン・パウエルもまた、世界が過度に好戦的な対応を取れば、世界貿易センターとペンタゴンの煙と瓦礫の中から生まれた国際的な善意が最終的に損なわれることを懸念していた。『ル・モンド』紙の見出しは「私たちは皆アメリカ人だ(We are all Americans)」(フランス語で「私たちは皆アメリカ人だ(Nous sommes tous Américains)」)と宣言した。「もし私たちが単独で行動し、何が最善かを知っていると主張し、世界の支持を失うならば、私たちは戦略的に誤りを犯すことになるだろう」とパウエルは記者団に語った。

チェイニーは、新たなテロ攻撃から国土を守るという点において、国際世論(world opinion)は有益ではあるものの必ずしも必要ではないと考えていた。そして、1970年代における大統領の行動に対する連邦議会の監視と同様に、国際世論は潜在的に制約となると考えていた。チェイニーは同僚たちに次のように語った。「私たちの任務を他者に決めさせてはならない。私たちはアメリカを守るためにあらゆる手段を講じる義務があり、そのために賛同してくれる連合パートナーが必要だった」。しかし、そのような連合はワシントンの行動能力を決して阻害してはならない。そして、国土安全保障の「任務(the mission)」が「連合を定義づけるべきであり、その逆ではない」と彼は述べた。

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2006年4月18日、カンザス州フォート・ライリーで行われた部隊集会でアメリカ軍兵士たちに手を振るチェイニー

チェイニーはブッシュ政権の対応、特によりデリケートな(つまり違法となる可能性のある)側面を主導した。具体的には、アフガニスタンおよび世界各地でアルカイダのテロリスト容疑者たちを逮捕または排除する権限の付与、捕獲された戦闘員とその支持者の無期限拘留、そして彼らが提供する可能性のあるあらゆる有用な情報の積極的な追及(拷問を含む)などが挙げられる。ブッシュ政権とチェイニーの顧問弁護士たちは、自らの新たな政策を「超法規的移送(extraordinary rendition)」および「強化尋問(enhanced interrogation)」と呼んだ。これらの政策は、新立法というよりも、既存の法律の強引な解釈と期限の定めのない権限付与によって正当化されていた。「連邦議会に訴えれば、望むだけの法改正を実現できたはずだ」と新政策の実施に関わった連邦判事は説明した。この判事は続けて「しかし、このホワイトハウスは、大統領の権力が最高であることを示すことを望んでいた」と述べた。

ブッシュ政権による国際法・国際規範の違反は、グアンタナモ湾アメリカ軍施設などにおける公然の場で無期限拘束されるカフカ的な状況(the Kafkaesque quality of indeterminate detention in public view at places like the U.S. military compound at Guantanamo Bay)、そしてイラクのアブグレイブ刑務所施設などで生み出された暴力的な画像によって露呈し、最終的にアメリカの評判を傷つけた。国際社会におけるアメリカの対テロ戦争への支持は減退し、特に長年の同盟諸国において、アメリカの指導力に対するより根本的な信頼も失われた。2000年に実施された世論調査では、ドイツ人の78%がアメリカに好意的な見解を持っていたが、2007年までにその割合は30%にまで低下した。イギリスではブッシュ政権発足時83%だった支持率が退陣時には53%に。フランス国民の支持はほぼ半減となった。トルコでは2007年までに、アメリカを好意的に見る回答者は10人に1人以下になった。世界の大国の中で、ブッシュ政権終了時点で2001年よりアメリカを高く評価していたのはロシアのみだった。

チェイニーは再び動じなかった。世論は政策を決定しない(public opinion didn’t make policy)——外国人がアメリカの選挙で投票する訳でもない——厳格な合法性は、アメリカ国民を守るために必要な行動を取る勇気のない者、あるいは実際の責任から遠く離れて意見が無意味な者たちが提起する哲学的問題に過ぎない。「名誉を守りたいがために、多くの人の命を犠牲にするつもりか?」と彼は修辞的に問いかけた。「それとも、第一に求められる職務を果たすのか? アメリカ合衆国とその国民の命を守るという、お前の責任を果たすのか?」

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2004年5月8日、アブグレイブ刑務所でアメリカ当局に拘束されているイラク人囚人の親族が収容所内でアメリカ兵がイラク人囚人を虐待している写真を見て反応を示している

連邦議会調査官を含む事後批判者たちは、政権のやり方を「拷問(torture)」と呼んだ。チェイニーは「強化尋問技術」を好み、「大統領が承認した全ての技術は、事実上、司法省によって承認されていた」と主張した。さらに、チェイニーは言葉や定義をめぐる論争は、国民の安全を守るというアメリカの政策の本質を見失っているとさらに激しく主張した。 「私たちがやったことと同じことをするか、それとも引き下がって『アメリカに対するテロ攻撃があることは皆さんご存知でしょうが、私たちに悪いイメージを与える可能性があるため、内容を伝えるよう強制はしません』と言うか、どちらかを選ぶとしたら、それは私にとっては難しい選択ではない」とチェイニーは続けた。

チェイニーの拷問に対する信念は、明白な強制下で得られた情報に疑問を呈し、軽視し、あるいは完全に無視する、圧倒的多数の専門家によって誤った、あるいは少なくとも異論を唱えられた。苦痛に苦しむ人々は、拷問を止めさせるために何でも言うだろう。しかし、チェイニーはそうではないと信じていた。拷問は効果的であり、対テロ戦争においてブッシュ政権は国際的な配慮よりも必要性を優先せざるを得なかったと彼は主張した。911事件は酷い出来事だった。もっと酷い事態になっていた可能性もあった。次のテロ攻撃――そしてまた確実に起こると思われた――は、計り知れないものになるかもしれない。

チェイニーは、歴史家ロン・サスキンドが「1%ドクトリン(the one percent doctrine)」と名付けた理論を展開した。これは、ある出来事の発生確率とその潜在的な結果をプロットすることでリスク評価を計算する最も基本的な方法を指している。次の攻撃は核兵器や生物兵器によるものになる可能性があり、その結果は計り知れないほど恐ろしいものになる可能性があるため、わずかなリスクでさえ許容できないとされた。チェイニーはブッシュの国家安全保障ティームに対し、「脅威が現実となる可能性が1%でもあれば、対応においてはそれを確実なものとして扱わなければならない」と繰り返し警告した。

その根拠に基づき、アメリカは軍事連合を率いてフセインを権力の座から引きずり下ろし、実際には数年前に停止されていたとされる大量破壊兵器計画を根絶させた。チェイニーは政権の応援団長として、情報機関や国家安全保障関係者が入手可能な証拠から結論づけられなかったことを明言した。「端的に言えば、フセインが現在、大量破壊兵器を保有していることに疑いの余地はない」と、2002年初頭、アフガニスタンで911テロ攻撃を企て支援した者たちとの戦闘が依然として激化していたにもかかわらず、チェイニーは公に警告した。「[フセインが]それらの兵器を蓄積し、友好国、同盟国、そして私たち自身に対して使用しようとしていることは疑いようがない」とチェイニーは述べた。

チェイニーは、長年彼のトレードマークとなってきた冷静な確信をもって、中東、そして実に世界全体がイラクの独裁者なしでより良い場所になるだろうと断言した。「イラク国民の立場から見れば、イラク国内の状況は非常に悪化している」と、かつては反対を唱えていたアメリカ主導の占領開始の数日前にチェイニーは次のように説明した。「実際、私たちは解放者(liberators)として迎え入れられるだろうと私は確信している」。

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2008年3月18日、イラクのバグダッド北部にあるバラド空軍基地に駐留するアメリカ軍兵士と話すチェイニー

イラク戦争も、世界的な対テロ戦争も、チェイニーが予言した通りには進まなかった。チェイニーとその直属の部下たちは、フセインに不利な証拠と論拠を無謀に集めたと当時の専門やや後の学者たちは認めている。民主党からこのような批判が出るのは当然かもしれないが、ブッシュ政権、特にチェイニーが、情報の質に関わらずイラク戦争に突入することに固執していたという見方は、従来の党派の垣根を越えたものとなっている。

例えばスコウクロフトやローレンス・イーグルバーガー国務長官といった共和党の重鎮たちは、戦闘開始前にイラク侵攻の是非を疑問視していた。彼らには経験が味方していたが、ブッシュ元大統領の元報道官が持つ内部の視点はなかった。この人物は2008年、ホワイトハウスが「戦争の正当性を主張する上で率直さと誠実さを欠いていた」と指摘している。他にも批判は数多くある。当時、影響力のある人物で懐疑的な見解を公に表明する者はほとんどいなかったが、戦争開始から一世代が経過した今、侵攻を称賛する政策立案者や有識者はごくわずかである。大統領の弟であり大統領候補でもあるジェブ・ブッシュは2016年に、「今知っていることを当時知っていたなら、私はイラクに侵攻するという決断はしないだろう」と認めている。

より強い非難が続いた。「彼らは嘘をついた」と大統領候補のドナルド・トランプは2016年に断言した。チェイニーとブッシュは共に「大量破壊兵器があると発言したが、実際には存在しなかった」と述べた。さらに重要なのは、トランプがさらに「彼らは大量破壊兵器が存在しないことを知っていた」と付け加えたことだ。トランプは、いかなる基準で見ても、真実性や歴史的正確さを測る指標としては信頼できない。しかし、ブッシュ、チェイニー、そしてその他の侵略推タカ派(pro-invasion hawks)に、単に無能さだけでなく不正行為をも押し付けることで、この問題に関するアメリカ有権者の不満と不信感を煽った。2004年初頭の世論調査では、半数強が、ブッシュ(子)政権が「戦前の情報に関して誇張したり嘘をついたりした」と考えていた。それから15年が経ち、世論調査では、回答者の3分の2、その中にはアメリカ軍退役軍人の64%も含まれ、911事件後に始まり、2003年のイラク侵攻によって促進された軍事作戦は「戦う価値がない(not worth fighting)」と考えた。

将来の歴史家たちは、チェイニーがフセインについて、大量破壊兵器計画を進行中だと信じたことが誤りだったのか、あるいは意図的に断片的なデータを選び出してそう見せかけたのか、疑問を抱き、議論するのは間違いないだろう。その議論は間違いなく、キャリアや評判、終身在職権の決定に影響を与えるだろう。既に疑いの余地のない事実もある。チェイニーは戦争を主張した。フセインが当時大量破壊兵器を保有し、さらに増強を望んでいるだけでなく、テロリストに密かに渡してアメリカに対して使用する可能性があると公の場で自信満々に述べた。チェイニーは、アメリカ主導のイラク占領が歓迎され、比較的容易に進むと確信を持って約束した。そして結局、チェイニーの助言はブッシュが承認した決定に重大な影響を与えた。この決定は、アメリカ外交・軍事史上おそらく最悪の戦略的判断として歴史に刻まれるだろう。

イラクでの敗北は、一世代前のウォーターゲート事件やヴェトナム戦争と同様に、アメリカ国民の政府への信頼を崩壊させた。この敗北が直接的な原因ではないにせよ、党派対立が激化し、2021年1月6日の連邦議会議事堂乱入事件の記憶がまだ生々しい現在、南北戦争以来の最も深刻な政治危機と一部で評される状況を生み出した。しかし敗北は亀裂を深刻化させた。数兆ドルの支出、数万人の戦死・負傷兵、国際社会における米国の地位低下、そしてアメリカ国民による自国制度への信頼喪失は、チェイニーが2009年に退任してから何年も経った今も、アメリカ社会に傷跡を残し続けている。

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2011年9月9日、ワシントンのアメリカン・エンタープライズ研究所で、911同時多発テロに関する議論に参加するチェイニー

チェイニーは、任期の最後まで、現実の世界では政治指導者は不完全な情報に基づいて難しい選択を迫られると主張し自分自身を弁護してきた。「ホワイトハウスの地下バンカーから、我が国への組織的かつ壊滅的な攻撃を目の当たりにすると、自らの責任に対する考え方が変わることは認める」と発言した。こうした見方は、不作為(inaction)を無効化した。2018年にも、イラク侵攻と占領は「正しい行動(the right thing to do)」だったと主張し、同じ情報があれば、再びそう助言するだろうと述べた。「私たちは(情報諜報)を47通りの方法で検証し、最終的に、必要な正しい行動をとったと確信している」と述べた。結果が重要だとチェイニーは主張した。「サダムがいなくなったことで世界はより良い場所になったと思う。ブッシュ大統領は2003年当時、必要な正当性を全て持っていたと思う」と彼は述べた。最終的に、イラク、アフガニスタン、そして911後のより広範な対テロ戦争において、「私たちは必要なことをした」と語った。

チェイニーは注目すべき人生を送った。しかし、ワシントンでの輝かしい経歴と長年にわたる功績は、信念を貫く保守派としての実績と同様に、いずれは姿を消していくことになるだろう。彼の最大の遺産は、むしろ、執拗に、そして最終的には有害な形で行使してきた行政権(executive authority)である。

チェイニーの遺産を考える上で、イラクでの泥沼、チェイニーが未完で残したアフガニスタン戦争、あるいはアメリカの国際的地位の毀損と空っぽの財政にどれほどの重みを与えるべきかを評価する際には、1983年の彼の言葉を思い出すべきである。「現実の世界は確実性を求め、大多数の魂を震撼させるような決断を下す覚悟のある男女を必要とする。大統領が、側近の補佐官たちの支援を受けて、『過ちを犯したなら、当然その代償を払うことになる』が、『大統領が特定の決断を下す際には、私たちは大統領を信頼しなければならない』」。

チェイニーとブッシュは、記録的な低支持率で政権を去った。経済は大恐慌以来最悪の不況に直面し、イラクとアフガニスタンでは終息の見通しが立たないまま戦争が続き、ワシントンの国際的な評判は深く傷ついた。しかし、チェイニーは、911同時多発テロ後に祖国への2度目の大規模テロ攻撃がなかったことを何よりも強調し、持ち前の自信を見せ、自らの功績を認められていると感じていた。自身が策定に関わった包括的国家安全保障戦略について、2009年には「機能した」と語った。「もし私が決断するとなれば、もう一度やるだろう」と述べた。

任期を2期務めた大統領ブッシュを含め、他の人々はとっくの昔にチェイニーの言うことに耳を傾けなくなっていた。チェイニーの不安な脅威予測に早くから賛同し、それを広めたブッシュは、2期目の終わりには彼の助言をほとんど無視していた。2007年、チェイニーからイランがスタートさせつつあった核開発計画への攻撃を迫られたブッシュ大統領は、チェイニーが退任前にイランの大量破壊兵器の可能性に「対処する(take care of)」必要があると繰り返し主張したことに憤慨し、その助言を拒否した。「副大統領の意見に賛同する人は他にいるか?」とチェイニー副大統領が即時軍事攻撃(an immediate military strike)を主張した後、ブッシュ大統領は主要な補佐官たちに質問した。チェイニーが後に回想しているように、「部屋の中で誰も手を挙げなかった」ということだ。

※ジェフリー・A・エンゲル:サザンメソジスト大学米大統領歴史研究センターの創設担当部長。

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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体 

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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。
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 アメリカの外交政策において、学識経験者や専門家が重責を担ってきた。その代表例がヘンリー・キッシンジャーだ。彼はハーヴァード大学教授から、国務長官と国家安全保障問題担当大統領補佐官に転身した。その他に、コロンビア大学教授だったズビグニュー・ブレジンスキーやスタンフォード大学教授だったコンドリーザ・ライスといった人々が国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。
 国家安全保障問題担当大統領補佐官は戦後の1952年にドワイト・アイゼンハワー大統領時代に設置された。今ではホワイトハウスにおける外交政策の指揮官として、国家安全保障会議を主宰するなど最重要のポストになっている。国家安全保障会議のスタッフとして、学識経験者が入ることも多い。

 下記論稿の著者ジェレミ・スリは、トランプ大統領が国家安全保障の専門家を排除し、政治家を重視したため、国家安全保障の能力が低下していると批判している。スリは、トランプの政権では、熟練した専門家が解任され、意思決定の質が著しく低下した。これに伴い、無知や不適切な判断がもたらされたとして不安が広がっていると批判している。

 アメリカの外交政策の大きな流れには、リアリズム(現実主義)とアイディアリズム(理想主義)とう2つの潮流がある。このことは、このブログでも何度も書いているし、拙著でも何度も触れている。アメリカの外交政策が失敗するのは多くの場合、アイディアリズムが採用されている時だ。アイディアリズムで世界を変えるということで、外国に介入して多くの場合に失敗している。最近の例で言えば、ジョージ・W・ブッシュ政権時代にネオコンが主導したアフタにスタンとイラクへの侵攻が挙げられる。

 このような失敗と専門家の学識が結びつけられ、専門家たちへの信頼が揺らいでいる。そのことに、下記論稿の著者スリのような専門家たちが気付くべきだ。学問上の理論であれば、何でも言える。しかし、問題はその理論を実践に使って失敗してしまう時だ。それで大きな傷や負担を追うのは国民である。それに対して、専門家たちは何か責任を取るとか、謝罪をするとか、反省するとかそういう姿勢を見せてきただろうか。この点は学術界全体として大いに反省すべきだと私は考える。専門家たちがアメリカの外交政策に対して大いなる貢献をしたことは間違いないが、専門家たちが増上慢となり、過度なエリート主義を持ってしまえば、大きな失敗をして、民意と乖離する結果となってしまう。その大きな動揺が現状であると言えるだろう。

(貼り付けはじめ)

何世代にもわたる専門家がいかにしてアメリカの力を築き上げてきたか(How Generations of Experts Built U.S. Power

-そして今、トランプはそれを全て捨て去ろうとしている。

ジェレミ・スリ

2025年4月17日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2025/04/17/trump-national-security-experts-loyalists-intelligence-community-purge-history-geopolitics/

プロイセンの軍事理論家カール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦争は「政策を別の手段で継続するに過ぎない(mere continuation of policy by other means)」という有名な言葉を残しているが、戦争が単なる政治である(war is merely politics)とは考えていない。1832年に発表されたクラウゼヴィッツの影響力ある論文『戦争論(On War)』は、複雑な国防を管理する上で、訓練(training)、専門性(expertise)、そして卓越した才能(exceptional talent)が果たす重要な役割について深く考察している。戦争には、技術的技能(technical skill)、組織力(organizational acumen)、歴史的知識(historical knowledge)、そして戦略的洞察力(strategic insights)が必要だ。勇気と強靭さは必要不可欠だが、これらの資質は学問の代わりにはならないとクラウゼヴィッツは述べている。戦争はあまりにも危険であり、素人や偽善者に任せておくべきものではない。

大陸軍(the Continental Army)の創設以来、アメリカ人は常に防衛管理において専門知識を求めてきた。ジョージ・ワシントンが革命軍(the revolutionary military)の指揮官に選ばれたのは、イギリス陸軍での豊富な経験があったからだ。彼の兵士たちは未熟な戦士だったが、彼はそのリーダーシップに知識をもたらした。彼が兵士たちに高く評価された主な理由の1つは、戦闘での波乱に満ちた記録ではなく、知識をもたらす能力だった。

トーマス・ジェファーソン大統領は軍国主義(militarism)を嫌悪していたにもかかわらず、1802年にエリート陸軍士官学校であるウェストポイント陸軍士官学校を設立した。これは、建国間もない国家の防衛を担う最高レヴェルの指導者を育成するためのものだった。ウェストポイントの初代校長ジョナサン・ウィリアムズ陸軍少佐は、軍の指導者にとっての学問の重要性を強調した。ウィリアムズは「私たちの軍の士官は科学者であり、その学識によって学術界から注目されるに値する者でなければならないことを、私たちは常に心に留めなければならない」と述べた。

1884年、アメリカ海軍はさらに一歩進み、「戦争に関するあらゆる問題、そして戦争にまつわる政治手腕、あるいは戦争の予防に関する独創的な研究」を行う大学院機関であるアメリカ海軍戦争大学を設立した。この新設機関の初代学長スティーブン・ルース海軍中佐は、成功する軍の指導者にとって教育がいかに重要であるかを強調した。彼は、経験豊富な海軍司令官がより「完全な存在(complete creature)」となることを望んだ。そうでなければ、「私たちの教育を受けていない船員は、イギリスとフランスの訓練された砲兵に対抗するチャンスはないだろう」とルースは警告を発した。

ウェストポイントと海軍戦争大学は、第二次世界大戦後、アメリカが半球の強国(a hemispheric power)から卓越した世界覇権国(the preeminent global hegemon)へと成長を遂げた際、アメリカ外交政策の画期的な転換の不可欠な基盤となった。1945年、アメリカ陸軍将兵は各大陸の軍事拠点を占領し、アメリカ海軍将兵は世界の主要な海域を哨戒し、アメリカ空軍将兵は世界中の空を制覇し、アメリカの科学者たちは「絶対兵器(absolute weapon)」である原子爆弾を投下した。

アメリカの力は、最高指導者の訓練や専門知識をはるかに凌駕していた。ハリー・トルーマン大統領は大学の学位を持っておらず、第一次世界大戦での軍事経験も浅く、物理学を学んだこともなかった。彼の最初の陸軍長官であったヘンリー・スティムソンは、アメリカが国際的野心も能力も限られていた1890年代初頭にキャリアをスタートさせていた。ヨーロッパでの連合国軍の勝利を指揮したドワイト・アイゼンハワー大将は、アメリカ軍はすぐにでも大陸から撤退しなければならないと予想していた。1945年当時でさえ、アメリカはグローバルなリーダーシップを発揮した経験がなかった。

トルーマン、スティムソン、アイゼンハワー、そして同世代の多くの人々にとって最大の功績は、国家安全保障に関する新たな機関の創設に資金を投じたことだろう。これらの機関は、国家が新たに獲得した力と責任を担う上で、訓練を受けた専門家で満たされていた。「国家安全保障(national security)」は、近代戦争への軍事、外交、そして技術的準備、そして戦争を阻止するための様々な取り組みが交差する領域を指す新しい専門用語となった。

新たな国家安全保障専門家の育成と配置には、ウェストポイントと海軍戦争大学の経験が活かされた。アメリカの指導者たちは、戦争から帰還した優秀な陸軍兵、水兵、空軍兵を募集し、1947年の国家安全保障法に基づいて設立された新たな機関の一員とした。政府の資金援助を受けて高等教育を受ける機会を得た退役軍人たちは、新設された国防総省、秘密主義のCIA、そして初期の原子爆弾を管理した原子力委員会といった官僚組織に多数参加した。

陸軍や海軍の前任者たちと同様に、第二次世界大戦後の国家安全保障専門家たちは、それぞれの戦争関連分野における最高レヴェルの知見を政府に持ち込み、脅威、機会、そして戦略について政治指導者に助言する任務を負っていた。連邦議会は、大統領、副大統領、そして内閣に政府の最高の専門知識を提供するために、ホワイトハウスに国家安全保障会議(National Security CouncilNSC)を設置した。政策決定は政治家に委ねられたが、それは彼らが核時代の戦争と安全保障に関する最も深い知識に触れた後にのみ行われた。

1952年、アイゼンハワーはロバート・カトラーを国家安全保障問題担当大統領特別補佐官[special assistant to the president for national security affairs](後に「国家安全保障問題担当大統領補佐官(national security advisor)」と呼ばれる)に任命した。ワシントン以外でカトラーの名を知る人はほとんどいなかったが、彼は専大統領と内閣への専門家から情報の流れを管理していた。カトラーとアイゼンハワーにとって、国家安全保障プロセスの目的は、アメリカの力と財源を国益の促進に活用するための最善の選択肢をホワイトハウスに持ち込むことだった。大統領が兵器の配備、援助の分配、同盟の形成、共産主義の進出の阻止について情報に基づいた決定を下すには、技術的な正確さ、問題に関する専門知識、政策経験が不可欠だった。

NSCはワシントンの冷戦政策立案の重要な中心となった。NSCで議論されるブリーフィングやオプションペーパーに情報を提供する専門家は、政府官僚、大学、ランド研究所、ブルッキングス研究所などのシンクタンクに多くいた。アメリカの外交政策は、ヨーロッパや日本の復興、軍備管理の追求、国際的な経済開発など、その最盛期には、最も鋭敏な頭脳の知識を意思決定に反映させていた。アメリカの外交政策において最も影響力のある選挙を経ていない専門家の中には、マクジョージ・バンディ、ヘンリー・キッシンジャー、ズビグニュー・ブレジンスキー、ブレント・スコウクロフト、コンドリーザ・ライスなど、国家安全保障問題担当大統領補佐官として働いていた者もいる。

もちろん、国家安全保障の専門家たちは、特にヴェトナム戦争やイラク戦争を支持したことで、重大な過ちを犯した。しかし、彼らは70年以上にわたって、比較的安定した国際秩序を管理するのに貢献した。アメリカの国家安全保障システムは、軍事力、経済力、ソフト・パワーを駆使して世界に影響を与え、おおむねアメリカの利益に資するような形で、大統領に適切な選択肢を与えた。アメリカは安全保障を維持し、あらゆる大陸で同盟関係を管理し、経済成長の恩恵を受け、ついに主要な敵対国であったソ連が崩壊するのを見た。専門家は、核戦争やその他の世界的大災害を防ぐのに役立った。アメリカの国家安全保障の専門家たちは、海外の専門家たちと協力しながら、国際法や人権を擁護し、外交政策の文明化に貢献したと主張する学者もいる。

ドナルド・トランプ大統領は、アメリカの外交政策から国家安全保障の専門家を排除し、政権の国益追求能力を低下させている。彼は国家安全保障のトップに政策の専門家ではなく、忠実な政治家を据えた。マイク・ウォルツは、選挙で選ばれた政治家として初めて安全保障問題担当大統領補佐官に就任した。マルコ・ルビオ国務長官も選挙で選ばれた政治家であり、ジョン・ラトクリフCIA長官やトゥルシ・ギャバード国家情報長官も選挙で選ばれた政治家だった。ピート・ヘグセス国防長官は二流のTVニューズキャスターだった。これらの人物はいずれも、国家安全保障問題に関して本格的な専門知識を持っている訳でもなく、専門家のコミュニティと深いつながりがある訳でもない。どちらかといえば、彼らは専門家を敵視しているからこそ、トランプに選ばれたのだ。

知識と能力の欠如は、3月にトランプ大統領の国家安全保障の最高責任者が、安全でない、「シグナル」のメッセージング・チャンネルを通じて、アメリカ軍のイエメンに対する攻撃計画に関する詳細な情報を『アトランティック』誌編集者のジェフリー・ゴールドバーグと不注意にも共有したことで、憂慮すべき低水準に達した。彼らが漏らした情報は、敵国が攻撃を妨害し、アメリカ軍関係者の安全を脅かすために使われる可能性があった。この災難に責任のある明らかに無能な役人は、誰も解雇されず、辞任もしていない。

トランプ大統領が4月初旬に行ったのは、国家安全保障システムの最高幹部に近い、最も有能な専門家数名を解雇することだった。極右の911陰謀論者ローラ・ルーマーの助言を受けたとみられるが、トランプ大統領はティモシー・ハウ大将を解任した。ハウ大将は、通信諜報を担当する国家安全保障局(National Security AgencyNSA)と、外国のハッキングやサイバーテロからアメリカを守る任務を担う米サイバー軍の両方を率い、世界的に尊敬されている四つ星将軍だった。ハウ大将の文民副官ウェンディ・ノーブルも解任された。国家安全保障会議(NSC)では、技術と諜報の分野で高く評価されている専門家たちも解任された。トランプ大統領はこれに先立ち、統合参謀本部議長と海軍作戦部長という、更に2人の尊敬される軍指導者を解任している。

その理由は、トランプ大統領への忠誠心が足りなかったからだという。しかし、これらの専門家や解雇された他の数百人の専門家が、研究対象の証拠と論理に従う以外のことをしたという証拠はない。彼らは効果的な政策を行うために必要な知識を追求し、その知識が導く先を大統領とその政治的支持者が好まなかったために職を失った。これはワクチンが効くことを否定することに等しいが、国家安全保障の場合は、サイバー防衛、核兵器、そして中国、イラン、北朝鮮との戦争の見通しなど、賭け金は更に高くなる。

アメリカの最も強力な外交政策手段が、無知で経験が浅く、適切な意思決定に必要な知識から切り離された人々によって管理されていることを、私たちは今認識しなければならない。今後数カ月以内に深刻な軍事衝突が起きれば、トランプ政権は無能さを露呈し、有害な間違いを犯すだろう。最近のウクライナ支援の放棄、明らかに嘘のクレムリンのトーキングポイントを採用するトランプ大統領の奇妙な行動、そして悲惨な関税発表は、国家安全保障に関する行き当たりばったりで無秩序な意思決定の兆候であり、世界はこれから4年近くこのような状況を見ることになるだろう。

反専門家のリーダーシップ(ani-expert leadership)は、第二次世界大戦後のほとんどの時代を特徴づけていた、思慮深く慎重な政策決定を覆すものだ。専門知識は、アメリカの安全保障(security)、安定(stability)、そして繁栄(prosperity)を守る上で役立ってきた。専門知識の欠如は、さらなる不確実性と軽率な行動をもたらすだろう。国家安全保障の専門家がいなければ、アメリカの外交政策は、国家と国民を守るための十分な準備が整わないだろう。

クラウゼヴィッツは私たちに、戦争は政治の問題であるということを思い出させるが、同時に、その問題に対する知的な真剣さも必要だ。テレビやソーシャルメディアで大統領、国防長官、あるいは将軍を演じている者たちは、現代の戦場の複雑さに対応できていない。クラウゼヴィッツが軽蔑した自信過剰なヨーロッパ貴族たちのように、彼らは誇り高き社会を驚くべき敗北へと導くだろう。

※ジェレミ・スリ:テキサス大学オースティン校のマック・ブラウン記念国際問題リーダーシップ特別教授、テキサス大学歴史学部、リンドン・B・ジョンソン公共政策大学院の教授。

(貼り付け終わり)

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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。是非手に取ってお読みください。

 アメリカの外交政策思想には大きく2つの流れがある。それがリアリズム(Realism)と介入主義(Interventionism)だ。アメリカの二大政党である民主党、共和党にそれぞれ、リアリズムを信奉するグループが存在する。介入主義は、民主党では、人道的介入主義(Humanitarian Interventionism)を信奉する人道的介入主義派となり、共和党ではネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)を信奉するネオコン派となる。ネオコン派は、ジョージ・W・ブッシュ(子)大統領時代に日本でも知られるようになった。
 介入主義とは、外国に積極的に介入して、外国の体制を全く別のものに転換しようというものだ。ネオコン派の考えは、「アメリカの価値観である、自由主義や人権、民主政治体制(デモクラシー)、資本主義を世界に広めて、世界中の国々を民主体制の自由主義的資本主義国ばかりにすれば、世界は平和になる」というものだ。そのために、アメリカは自身の卓越した力を利用しなければならないし、これに反対する勢力は打ち破るということになる。民主党の人道的介入主義派は、「世界の非民主的な国々では、マイノリティの女性や少数民族、政敵少数者たちが迫害され、命の危険に晒されている。そうした人々を助けるために、アメリカは人道的に外国に介入しなければならない」というものだ。結果として、ネオコン派と同じく、非民主的な国の体制転換(regime change)がなされねばならないということになる。

 リアリズムは、アメリカの力には限界があり、アメリカの力で世界の全ての国を民主体制の国家にすることはできない。ある国の問題はそこの国の国民の解決すべき問題である(災害などの人道支援は行うのは当然だが)。そして、アメリカの重大な国益が侵害されそうな場合を除いて、外国に対して積極的に介入すべきではない、ということになる。下の論文でスティーヴン・M・ウォルトが「抑制(restraint)」と書いているのはまさにこれである。これらのことについては最初の著作『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所、2012年)に詳しく書いているので是非お読みいただきたい。

 アメリカはこれまで介入主義的な外交政策を実施し、その多くが失敗してきた。結果として、「アメリカ国内問題解決を優先していこう」という公約を掲げた、ドナルド・トランプが大統領に当選した。こうした考えを「アイソレイショニズム(Isolationism)」という。アメリカは超大国であることに疲れ、超大国であり続けるための国力を失っている。そのために、これからは「抑制的」、つまり、リアリズム外交に転換していくことになる。そして、次の世界覇権国は中国である。中国は、覇権交代の歴史を研究し、覇権国は永続的な存在ではなく、いつか、ボロボロになってその座から滑り落ちていくということを分かっているだろう。しかし、中国が覇権国にならねば世界は治まらないということになる。そうした時代の転換点に差し掛かっている。

(貼り付けはじめ)

抑制的なアメリカ外交政策に転換するのに遅すぎることはない(It’s Not Too Late for Restrained U.S. Foreign Policy

-アメリカのグローバル・リーダーシップの復活を求める声が大きくなっている。しかし、それはこれまでと同様に、大きな間違いである。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2024年3月14日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/03/14/united-states-realism-restraint-great-power-strategy/

冷戦期間中、アメリカがより控えめな、あるいは抑制的な外交政策を採用するように求める提案は、外交政策エスタブリッシュメント内部で大きな支持を集めることはなかった。確かに、ハンス・モーゲンソー、ジョージ・ケナン、ケネス・ウォルツ、ウォルター・リップマンなどの著名なリアリストたち(Realists)は、アメリカの外交政策における最悪の行き過ぎを厳しく批判していた。連邦政府を縮小しようとしてきたリバータリアンたちもまた、アメリカの海外関与を減少させようとしたが、ソヴィエト共産主義を打ち負かしたいという超党派の願望から、そうした提案は外交政策の外交政策に関する言説の片隅にとどまった。抑制(restraint)や縮小(retrenchment)を求める声は、その後の「一極集中の時代(unipolar moment)」においても同様に歓迎されなかった。アメリカのエリートたちは、歴史の潮流が自分たちの方に流れていると信じ、アメリカの比類ないパワーの慈悲深い腕の下で、全世界を平和で豊かな自由主義秩序(peaceful and prosperous liberal order)に導こうとしたのである。

しかし、この傲慢さが増大した時期がもたらした失敗が積み重なるにつれ、より現実的で賢明な外交政策を求める声が無視できないほどに大きくなった。2014年にマサチューセッツ工科大学(MIT)教授バリー・ポーゼンが『抑制:アメリカの大戦略にとっての新たな基盤(Restraint: A New Foundation for U.S. Grand Strategy)』を出版した。この著作は、他の学者(私自身を含む)による関連著作とともに、重要なマイルストーンとなった。2016年のドナルド・トランプの当選も現実的な外交政策を求める声の高まりに貢献した。トランプの大統領としての行動は、抑制派の提言とはかけ離れたものであったが、アメリカの外交政策を形成する中心的な正統派の多くに対する彼の修辞的な攻撃と、外交政策エスタブリッシュメントに対する明らかな軽蔑は、これらの問題についてよりオープンな議論を行うための空間を作り出した。2019年に「クインシー国家戦略研究所」が創設され、クインシー研究所、「ディフェンス・プライオリティズ」、スティムソンセンターのアメリカ大戦略研究プログラム、カーネギー財団のアメリカ政治研究プログラムでの関連イニシアティヴも、抑制を目指す動きが勢いを増していることを示す追加的な兆候であった。(完全情報公開:私はクインシー研究所の設立以来、非常勤研究員を務めており、昨年から理事会のメンバーに加わった)。

抑制を目指す動きが軌道に乗りつつあることを示す兆候の1つに、アメリカのグローバル・リーダーシップに対する拡大的な考え方や、ほころびつつある自由主義秩序を守りたいという願望に固執する批判者たちからの攻撃があった。こうした攻撃は通常、抑制派が提言していることを誤って伝え、しばしば彼らを「アイソレイショニスト(isolationists)」と誤って描いていた。こうした批評の中には自分たちの立場を有利にしようと誘導的なものもあった。それは、抑制派が提唱する考え方が大きな支持を集め、やがてはアメリカの対外アプローチに大きな変化をもたらすのではないかと、主流派が懸念し始めていることを示唆していた。

それは昔のことで、今は今である。イラク戦争やアフガニスタン戦争の後で、抑制という考え方は否定できない魅力を持っていたが、現在では大国間の対立が最重要課題となっている。中国のパワーは経済的苦境にもかかわらずなお拡大を続けており、アジアの現状を変えたいという欲望は衰えていない。ロシアはウクライナに侵攻し、現在ウクライナを支配している。中国、ロシア、イラン、北朝鮮、その他数カ国による協力体制が強化され、ヨーロッパの防衛力再構築に向けた取り組みは、多くの人が期待していたよりもゆっくりと進んでいる。ガザでは残忍な殺戮が進行中であり、戦争が拡大するリスクは依然として受け入れがたいほどに高い。スーダン、リビア、エチオピア、その他のアフリカ諸国では、内戦とジハード運動が人々の生活を破壊し続けている。1990年代の傲慢さは消え去ったかもしれないが、大国間の紛争は考えられないという信念も同時に消え去った。

これらの状況全てを踏まえても、リアリズムと抑制に基づく外交政策には意味があるのだろうか? アメリカ人は今こそ、深く掘り下げ、再びグローバル・リーダーシップの外套を手に取り、「地政学的ハードランディング」を回避するために奔走すべき時なのだろうか? 抑制の時期は過ぎ去ったのか?

その答えは「ノー」だ。

まずは抑制を目指す動きが何を望んでいるのかを明確にすることから始めよう。何よりも抑制派は、アメリカの極めて重要な利益が関与しない、不必要な「選択の戦争(wars of choice)」を戦うことに反対している。彼らは平和主義者でもアイソレイショニストでもない。彼らは強力な国防を信じている。そして彼らは、状況によってはアメリカが海外で武力行使を厭うことがないようにすべきだと認識している。抑制派は、アメリカは世界から撤退する代わりに、他国で貿易や投資を行うべきであり、他国にも同様の行動を奨励し、排外主義(xenophobia)に駆られて壁を築くのではなく移民を管理された形で受け入れるべきだと考えている。実際、抑制派はアメリカが今よりも積極的かつ効果的に外国に関与すべきであり、外交を第一に考え、武力行使をワシントンの最初の衝動(first impulse)ではなく最後の手段(last resort)とするべきだと考えている。それは何故か? なぜなら、抑制派は軍事力の限界を理解しているからだ。軍事力は場合によっては必要かもしれないが、それは常に多くの予期せぬ結果を生み出す粗雑な手段である。また、重要な利益が関与せず、成功を定義するのが難しい場合、戦争に対する国民の支持を維持することは困難である。特に抑制派は、体制転換(regime change)や軍事占領(military occupation)を行って、自由主義的な価値観を広めようとすることに反対している。なぜなら、そのような取り組みは通常、代償として、深刻な事態の泥沼化(quagmires)や破綻国家(failed states)の出現を招くのが通常からである。

現実的に考えると、抑制派のほとんどは、アメリカは中東から軍事的に手を引き、その地域の全ての国々と通常の関係を持つべきだと考えている。彼らは、NATOの同盟諸国が自国の防衛により大きな責任を負うよう、ワシントンが奨励すべきだと考えている。しかし、共和党のJD・ヴァンス連邦上院議員のようなトランプ大統領気取りとは異なり、抑制派の多くは、外交的解決に向けた献身的かつ柔軟な努力と組み合わせたウクライナへの援助継続を支持している。中国に対する最善の対応策については、抑制派にも賛否両論があり、より強力な封じ込め(containment)の努力を支持する者もいれば、緊張を緩和し、互恵的な妥協点を追求する必要性を強調する者もいる。しかし、アメリカは依然として海外に過剰に関与しており、根本的な政治問題を解決できない軍事的解決策に過度に依存しがちであるという点ではこれらの人々の意見は一致している。

この見解は、10年以上前と同様に、今日でも当てはまる。思い出してみて欲しい。アメリカが現在取り組んでいる問題の多くは、以前の抑制派の警告に耳を傾けていれば、完全に回避できたかもしれないものばかりだ。アメリカが開放的なNATO拡大を強く推し進め、ウクライナを西側の軌道に乗せ、最終的にはNATOに加盟させなければ、ロシアによる2014年のクリミア併合と2022年2月の不法侵攻はおそらく起こらなかっただろう。実際、バイデン政権がロシアの攻撃に先立つ数カ月間にもっと柔軟性を示していれば、2022年春にトルコとイスラエルの調停努力(mediation efforts)をもっと支持していれば、あるいはその秋にウクライナが優勢だった時期に停戦を推進していれば、ロシアとウクライナはまったく戦争をしていなかったかもしれないし、ウクライナがこれほどの損害を被る前に戦争は終結していたかもしれない。もちろん、確かなことを知ることは不可能だが、アメリカ政府関係者たちは、ウクライナが現在負けている戦争を回避するためにできたかもしれないことを全てやった訳ではないことは明らかだ。

中東での出来事も同様の教訓を与えてくれる。ドナルド・トランプ政権もジョー・バイデン政権も、イスラエルとアラブ近隣諸国との関係を正常化しようとすることに重点を置きながら、右傾化するイスラエル政府から圧力を受けつつあったパレスチナを完全に無視した。抑制派が警告したように、この近視眼的なアプローチは暴発の引き金となり、2023年10月7日の悲劇的な結果を招いたのは間違いない。

ガザにおけるイスラエルの猛攻撃によって、3万人以上のパレスチナ人が殺害され、ガザにある建物の50%から60%を破壊または損害を与え、イスラエルの世界的イメージを(アメリカとともに)大きく損なわせる結果となった。イスラエルは大規模な軍事的優位性を持ち、それを全面的に行使しているが、力だけでは、パレスチナとの対立を継続させている政治的な相違を解決することはできない。ハマスが軍事行動で壊滅することはないだろうし、イスラエルのユダヤ人とパレスチナのアラブ人の正当な願望を受け入れ、両者が安全な生活を送れるようにするにはどうすればいいのかという根本的な問題は、解決されないままである。同じことが、紅海の海運に対するフーシ派による攻撃を、爆弾を落としたりミサイルを撃ったりして止めようとするアメリカの努力にも言える。ガザ地区での停戦を実毛するために影響力を行使するということよりもまずは爆弾を落とすということを英米は選択した。これらの例は、複雑な政治問題は何かを爆破すれば解決できると考える反射的な傾向を示している。このような傾向に対して、抑制派は長年にわたり反対してきている。

抑制派はまた、アメリカのパワーは相当に大きいものデルが、無尽蔵ではないことも認識している。大国間競争(great-power competition)の時代には、明確な優先順位を設定し、主目的が互いに矛盾しないようにすることがこれまで以上に重要である。今日、アメリカはウクライナでロシアを打ち負かすウクライナを支援し、人的被害が出ているが、ハマス一掃を目指すイスラエルの努力を支援し、世界トップクラスの半導体技術やその他のデジタル技術を開発しようとする中国の努力を永久に無力化しようとしている。これは抑制されたアジェンダとは言い難く、その矛盾は自明であると同時に自滅的である。ユーラシアの二大国(中国とロシア)を互いに翻弄する代わりに、私たちは数十年かけて彼らに協力する理由を与えてきた。ロシアを孤立させ、グローバル・サウス(Global South)における中国の影響力を制限する代わりに、イスラエルのガザでの作戦を支援したことで、「ルールに基づく秩序(rule-based order)」の偽善が浮き彫りになり、中国に安っぽいプロパガンダの勝利をもたらした。ジョー・バイデン米大統領が包括的共同行動計画に再参加しなかったことは、イランに核開発を再開させ、さまざまな地域の代理人への支援を強化させ、更にはウクライナにおけるロシアの取り組みを積極的に軍事支援させたという点で、誤ったアジェンダに含まれることになるだろう。

最後に、抑制の擁護者たちは、過剰な軍事的関与と「永遠の戦争(forever wars)」がアメリカ本国を衰弱させる効果を持つことについて長い間警告してきた。過度に野心的な外交政策への支持を維持するため、アメリカの指導者たちは、志願兵だけで構成される軍隊に頼るようになり、それによって有権者の大半をその決定の結果から隔離するようになった。アメリカ陸軍士官学校附属現代戦争研究所によれば、その理由の1つは、アメリカ人が「一世代の軍人が、際限のない戦争に何度も何度も派兵されるのを目の当たりにしたから」だという。アメリカの歴代大統領たちは、増税の代わりに借金をしたり、脅威を膨らませたり、アメリカ国民に何をしているのか一部隠したりすることで、こうした活動のコストを隠してきた。しかし、こうした秘密の活動の一部がやがて明らかになると、公的機関への信頼はさらに損なわれている。建国の父たちが理解していたように、常に戦争状態にある共和国は、その共和国としての性格を危険に晒すことになる。今日のアメリカの民主政治体制が脆弱な状態にあるのは、非現実的でうまくいっていない外交政策が一因であり、それを是正しようと抑制派は努力している。

いかなる外交政策ドクトリンも完璧ではない。抑制という考え方も例外ではなく、その擁護者たちは、新たな情報の出現や新たな出来事の発生に応じて、自らの立場を見直す姿勢を持ち続けるべきである。しかし、今のところ、抑制を支持する意見は、特にワシントン中枢でいまだに支配的な代替案と比較すれば、大いに説得力を持っている。そして、現在の状況をもたらした政策をさらに推進することは、まったく意味をなさないし、効果もないのである。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。今回取り上げるヴィクトリア・ヌーランドについても詳しく書いています。是非手に取ってお読みください。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 アメリカの強硬な対ロシア政策とウクライナ政策をけん引してきた、ヴィクトリア・ヌーランド政治問題担当国務次官(省内序列第3位)が退任することが、上司であるアントニー・ブリンケン米国務長官によって発表された。ロシア政府関係者は「ヌーランドの退任はアメリカの対ロシア政策失敗の象徴」と発言している。まさにその通りだ。ウクライナ戦争に向けて散々火をつけて回って、火がコントロールできなくなったら、責任ある職から逃げ出すというあまりにも無様な恰好だ。ヌーランドは職業外交官としては高位である国務次官にまで昇進した。しかし、その最後はあまりにもあっけないものとなった。

 アメリカ政治や国際関係に詳しい人ならば、ヌーランドが2010年代から、ウクライナ政治に介入し、対ロシア強硬政策を実施してきたことは詳しい。私も第3作『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』(秀和システム)、最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)で詳しく書いてきた。ヌーランドは家族ぐるみでネオコンであり、まさにアメリカの対外介入政策を推進してきた人物である。
 ウクライナ戦争はその仕上げになるはずだった。アメリカがロシアを屈服させるために、ウクライナに誘い込んで思い切り叩く、それに加えて経済制裁も行って、ロシアをぼろぼろにするということであった。しかし、目論見はものの見事に外れた。現在、ウクライナ戦争はウクライナの劣勢であり、アメリカが主導する西側諸国の支援もなく、情勢はロシア有利になっている。ヌーランドはまずこの政策の大失敗の詰め腹を切らされた形になる。

 そして、バイデン政権としては、ウクライナ問題で消耗をして、泥沼に足を取られている状態を何とかしたい(逃げ出したい)ということもあり、アジア重視に方針を転換しようとしている。対中宥和派であったウェンディ・シャーマン国務副長官が昨年退任し、国務次官ヌーランドが代理を務めていた。彼女としては、このまま国務副長官になるというやぼうがあったはずだ。しかし、バイデン政権は、ホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)でインド太平洋調整官(アジア政策担当トップ)を務めていたカート・キャンベルを国務副長官に持ってきた。先月には連邦上院で人事承認も行われた。ヌーランドは地位をめぐる政治的な争いに負けたということになる。また、アジア重視ということで、ヌーランドの重要性は失われて、居場所がなくなったということになる。

 ヌーランドは7月からコロンビア大学国際公共政策大学院で教鞭を執ることも発表された。ヌーランドが国務省j報道官時代に直接仕えた、ヒラリー・クリントン元国務長官がこの大学院の付属の国際政治研究所教職員諮問委員会委員長を務めており、ヌーランドは客員教員を務めることになっている。この大学院の大学院長であるカリン・ヤーヒ・ミロはイスラエルで生まれ育った人物で、国際関係論の学者であるが、アメリカに留学する前はイスラエル軍で情報将校を務めていたという経歴を持っている。ネオコンは、強固なイスラエル支持派でもあるということもあり、非常に露骨な人事である。

 ヌーランドがバイデン政権からいなくなるということは、ウクライナ戦争の停戦に向けての動きが出るということだ。アメリカは実質的にウクライナを助けることが難しくなっている。ウクライナ支援を強硬に訴えてきた人物がいなくなるということは、方針転換がしやすくなるということだ。これからのアメリカとウクライナ戦争の行方は注目される。

(貼り付けはじめ)

長年の対ロシアタカ派であるヴィクトリア・ヌーランドが国務省から退任(Victoria Nuland, Veteran Russia Hawk, to Leave the State Department

-仕事熱心な外交官であり、ウクライナ支持を断固として主張してきたヌーランドは、国務省のナンバー4のポストから辞任する。

マイケル・クロウリー筆

2024年3月5日(改訂:3月7日)

『ニューヨーク・タイムズ』紙

https://www.nytimes.com/2024/03/05/us/politics/victoria-nuland-state-department.html

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2021年に連邦上院外交委員会で証言する政治問題担当国務次官ヴィクトリア・ヌーランド

国務省で序列4位の高官であり、ウラジーミル・V・プーティン政権のロシアに対する強硬政策を断固として主張してきたヴィクトリア・J・ヌーランドが、30年以上の政府勤務を終えて今月退職する。

アントニー・J・ブリンケン国務長官は火曜日、自由、民主政治体制、人権、そしてアメリカによるこれらの大義の海外での推進に対するヌーランドの「激しい情熱(fierce passion)」を指摘する声明の中で、ヌーランドの国務次官職からの辞任を発表した。

ブリンケンは、ウクライナに関するヌーランドの取り組みを指摘し、それは「プーティン大統領の全面的な侵略に対抗するために不可欠(indispensable to confronting Putin’s full-scale invasion)」であると述べた。

ヌーランドは報道官など国務省の役職を数多く歴任し、ディック・チェイニー副大統領の国家安全保障問題担当副大統領次席補佐官を務めたこともある。しかし、ヌーランドは、プーティンの領土的野心と外国の政治的影響力に対して強い抵抗を組織することを長年主張し、ロシアの専門家として名を残した。

オバマ政権時代には国務省のロシア担当高官として、ウクライナ軍の対戦車ミサイル武装を主張したが失敗したが、バイデン政権ではより多く、より優れたアメリカ製兵器をウクライナに送ることを最も支持してきた。

熟練した官僚的実務家であるヌーランドは、鋭い機知と率直な態度で自分の主張を展開し、同僚から賞賛と恐怖が入り混じった反応を引き出した。ブリンケン国務長官は声明の中で、「彼女はいつも自分の考えを話す」と穏やかな表現を使った。

ヌーランドは2014年、ウクライナ政治に関する電話での通話で、ヨーロッパ連合(European UnionEU)を罵倒するような発言をしたことがきっかけとして、多くの人々に知られるようになったが、その通話は録音され、その録音が流出した。アメリカ政府当局者たちはこの流出をロシアの仕業だという確信を持っている。

バイデン政権下、ヌーランドはアメリカのウクライナ支援に懐疑的な人々の避雷針(lightning rod)となった。テスラの共同創設者イーロン・マスク氏は昨年2月、ソーシャルメディアサイトXに、「ヌーランドほどこの戦争を推進している人はいない」と書いた。

ヌーランドはロシアを弱体化させ、更にはプーティンを打倒しようという共同謀議を企てていると見なされている、ワシントン・エスタブリッシュメントの代理人(化身)としてモスクワで非難された。ロシア政府当局者や露メディアは、2014年初頭にキエフの中央広場で、最終的にクレムリンが支援するウクライナ指導者を打倒した、当時欧州・ユーラシア問題担当米国次官補だったヌーランドがデモ参加者たちに食料を配った様子を常に回想している。

ロシアのセルゲイ・V・ラブロフ外相は昨年、「2014年にウクライナでヴィクトリア・ヌーランド国務次官がテロリストにクッキーを配った後、政府に対するクーデターが起きた」と述べた。ヌーランドさんはクッキーではなくサンドイッチを配ったと語っている。

ヌーランドの辞任は、クレムリン支援の英語ニュースサイトRTによって重大ニューズとして扱われ、トップページに赤いバナーと「ヌーランド辞任」という見出しが掲げられた。

RTはロシア外務省報道官マリア・ザハロワの発言を引用し、ヌーランドの辞任は「バイデン政権の反ロシア路線の失敗」によるものだと述べた。ザハロワは、「ヴィクトリア・ヌーランドがアメリカの主要な外交政策概念として提案したロシア恐怖症(Russophobia)が、民主党を石のようにどん底に引きずり込んでいる」と非難した。

ヌーランドは、バイデン政権の最初の2年半の間、国務次官を務めた。その間、国務副長官を務めたウェンディ・シャーマンの退任に伴い、国務副長官代理を兼務して過去1年の大半を費やした。

ヌーランドはシャーマンの後任としてフルタイムで当然の候補者と見なされていた。しかし、ブリンケン長官は、国家安全保障会議(National Security CouncilNSC)アジア担当トップのカート・キャンベルを国務副長官に抜擢した。キャンベルの国務副長官就任は2月6日に連邦上院で承認された。

ブリンケン長官は、後任が決まるまで国務省のジョン・バス管理担当国務次官が代理としてヌーランドの職務を引き継ぐと述べた。

アナリストの一部は、ロシアのウクライナ侵略がバイデンの外交政策の多くを消耗させたにもかかわらず、キャンベルの選択を、バイデン大統領とブリンケン国務長官がアメリカと中国との関係の管理を最優先事項と考えていることの表れと解釈した。

ヌーランドは先月、人生の何百時間も費やしてきたウクライナの将来について公に語った。

ヌーランドは、ワシントンの戦略国際問題研究所(Center for Strategic and International StudiesCSIS)での講演で、「プーティ大統領がウクライナで勝利すれば、そこで止まることはないだろうし、世界中の独裁者たちは力ずくで現状を変えようと大胆になるだろう」と警告した。

ヌーランドは、「プーティンは私たち全員を待っていられると考えている。私たちは彼が間違っていることを証明する必要がある」と述べた。

2024年3月7日に訂正:この記事の以前の版ではヴィクトリア・ヌーランドの国務省での序列について誤って記述した。ヌーランドは序列第4位の役職であり、序列3位の外交官である。

※マイケル・クロウリー:『ニューヨーク・タイムズ』紙で国務省とアメリカの外交政策を取材している。これまで30カ国以上から記事を送り、国務長官の外遊に同行している。

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国務省の主要なリーダーであるヴィクトリア・ヌーランドがバイデン政権から離脱(Victoria Nuland, key State Dept. leader, to exit Biden administration

-長年外交官を務めてきたヌーランドはロシアに対する厳しい姿勢で知られていた。クレムリンはヌーランドの反ロシア姿勢を悪者扱いしてきた。

マイケル・バーンバウム筆

2024年3月5日

『ワシントン・ポスト』紙

https://www.washingtonpost.com/national-security/2024/03/05/victoria-nuland-retires/

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2022年、キプロス。記者会見でメディアに対して話すヴィクトリア・ヌーランド

アントニー・ブリンケン国務長官は火曜日、ジョー・バイデン政権の最も強硬なロシア強硬派の1人で国務省序列第3位のヴィクトリア・ヌーランドが数週間以内に退任する予定であり、中東の危機を受けてアメリカ外交のトップに穴が開くと述べた。そしてウクライナでは大規模な大火災が発生する恐れがある。

ヌーランド政治問題国務次官は、以前はバラク・オバマ政権時代に国務省のヨーロッパ担当外交官のトップを務め、国務省の職員たちの間で広く人気があった。時には当たり障りのない態度や用心深さが報われる厳格な官僚制の中で、彼女はありのままの意見とクレムリンに対する厳しいアプローチで際立っており、クレムリンは彼女を悪者扱いした。

ヌーランドはウェンディ・シャーマンの退任後、昨年から7カ月間、国務省序列第2位の役職である国務副長官代理を務めていた。しかし彼女は、先月承認された元ホワイトハウスアジア戦略官トップのカート・キャンベルの国務副長官正式就任を巡る政権内争いに敗れた。バイデン大統領の決定は彼女の辞任の要因の1つであった。今回の人事異動により、国務省の最上級指導者トリオの中に女性は1人も残らないことになる。

ブリンケンは火曜日の声明で、ヌーランドが国務省内の「ほとんどの職」を歴任し、「幅広い問題や地域に関する百科全書的な知識と、私たちの利益と価値観を前進させるためのアメリカ外交の完全なツールセットを駆使する比類のない能力」を備えていたと述べた。

ヌーランドは1990年代にモスクワに勤務し、その後、ヒラリー・クリントン国務長官の下で国務省報道官になるまで、NATO常任委員代表を務めた。2013年末にキエフでクレムリン寄りの指導者に対する抗議活動が発生し、ロシアの不満の焦点となった際、彼女はヨーロッパ問題を担当するアメリカのトップ外交官として、キエフでのアメリカ外交で積極的な役割を果たした。記憶に残るのは、当時の大統領が打倒される前に、彼女がキエフ中心部マイダンでキャンプを張っていた抗議活動参加者たちにクッキーとパンを配ったことだ。

ヌーランドは、ドナルド・トランプが大統領に就任した後の2017年初頭に国務省を離れ、2021年に序列第3位の政治問題担当国務次官として復帰した。

ブリンケンは、ヌーランドの「ウクライナに関する指導層について、外交官や外交政策の学生が今後何年も研究することになる」と述べ、ロシアが2022年2月の侵攻に先立って軍を集結させる中、キエフを支援するヨーロッパ諸国との連合構築の取り組みをヌーランドが主導したと指摘した。

ロシア外務省はヌーランドの退職の機会を利用し、これはアメリカの対ロシア政策が間違っていたことを示す兆候だと宣言した。

ロシア外務省報道官マリア・ザハロワはテレグラムに「彼らは皆さんに理由を教えてくれないだろう。しかし、それは単純だ。バイデン政権の反ロシア路線の失敗だ。ヴィクトリア・ヌーランドがアメリカの主要な外交政策概念として提案したロシア恐怖症は、民主党を石のようにどん底に引きずり込んでいる。」と書いた。

職業外交官で管理担当国務次官を務めるジョン・バスが一時的にヌーランドの代理を務めることになる。

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反ロシア主張で知られる米幹部外交官であるヴィクトリア・ヌーランドが近く退職(High-ranking US diplomat Victoria Nuland, known for anti-Russia views, will retire soon

ブラッド・ドレス筆

2024年3月5日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/policy/international/4509471-victoria-nuland-anti-russia-retire-ukraine/
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2023年1月26日、連邦議事堂にて。連邦上院外交委員会でロシアの侵攻について証言する政治問題担当国務次官ヴィクトリア・ヌーランド(中央)、国際安全保障問題担当国防次官補セレステ・ワーランダー(左)、米国際開発庁(U.S. Agency for International Development)ヨーロッパ・ユーラシア担当副長官エリン・マッキー。

ウクライナへの熱烈な支持と反ロシアで、タカ派の主張で知られるヴィクトリア・ヌーランド政治問題担当国務次官が数週間以内に退任する

アントニー・ブリンケン国務長官は火曜日にこのニューズを発表し、ヌーランドが「私たちの国と世界にとって重要な時期に外交を外交政策の中心に戻し、アメリカの世界的リーダーシップを活性化させた」と称賛した。

ブリンケンは声明の中で、「トリア(ヴィクトリア)を本当に並外れた存在にしているのは、彼女が堅く信じている価値、つまり自由、民主政治体制、人権、そしてそれらの価値観を世界中に鼓舞し推進する、アメリカの永続的な能力のために戦うことへの激しい情熱だ」と述べた。

ヌーランドは30年以上国務省に勤務し、6人の大統領と10人の国務長官の下で様々な役職を務めた。ヌーランドはキャリアの初期に、モスクワの米大使館で働き、モンゴル初の米国大使館の開設に貢献した。

ヌーランドは国務省の東アジア太平洋局にも勤務し、中国の広州に外交官として赴任した。 2003年から2005年まで副大統領(ディック・チェイニー)の国家安全保障問題担当補佐官を務め、その後、NATO常任委員代表を務めた。ヨーロッパ・・ユーラシア問題担当国務次官補を務め、2021年にジョー・バイデン大統領の下で国務次官に就任した。

ヌーランドはおそらく、2014年の事件で最もよく知られている。この事件では、彼女が駐ウクライナ米大使との通話中に「ファックEU」と発言した録音が漏洩し、世界中のメディアの注目を集めた。

ヌーランドのロシアに対する強い主張とウクライナへの支持は、彼女のその後のキャリアを決定付け、その間、キエフで親ロシア派の大統領が追放された後、モスクワがクリミア半島を不法併合した際の紛争で中心的な役割を果たした。

ヌーランドはロシアに対するタカ派的主張を理由に、アメリカの一部の右派から標的にされていた。彼女のコメントは、昨年クレムリンが非武装化されたクリミアに関する彼女のコメントを非難したことも含め、ロシア国内でも厳しい非難を集めた。

それでも、ブリンケンは、自分とバイデン大統領はヌーランドに感謝していると語った。ブリンケンは、彼女が「常にアメリカの外交官を擁護し、彼らに投資し、彼らを指導し、高揚させ、彼らとその家族が彼らにふさわしいもの、そして私たちの使命が求めるものを確実に得られるようにしている」と語った。

ブリンケンは火曜日、声明の中で次のように発表した。「ヌーランドは最も暗い瞬間に光を見出し、最も必要なときにあなたを笑わせ、いつもあなたの背中を押してくれる。彼女の努力は、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領の全面的なウクライナ侵略に対抗し、プーティン大統領の戦略的失敗を確実にするために世界的な連合を組織し、ウクライナが自らの足で力強く立つことができる日に向けて努力するのを助けるために必要不可欠だった」。

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ヴィクトリア・ヌーランド大使がコロンビア大学国際公共政策大学院の教員に加わる(Ambassador Victoria Nuland Will Join SIPA Faculty

2024年3月6日

https://www.sipa.columbia.edu/news/ambassador-victoria-nuland-will-join-sipa-faculty

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ヴィクトリア・ヌーランド大使は30年以上にわたりアメリカの外交官を務め、最後の3年間は政治問題担当国務次官を務めた。更には2023年7月から2024年2月まで国務副長官代理を務めた。ヌーランドは7月1日付で、コロンビア大学国際公共政策大学院(School of International and Public AffairsSIPA)国際外交実践担当キャスリン・アンド・シェルビー・カロム・デイヴィス記念教授に就任することが決定した。

ヌーランドはまた、国際公共政策大学院国際フェロープログラムの指揮を執る。このプログラムは、国際問題を研究するコロンビア大学の大学院生たちのための学際的なフォーラムを提供するものだ。更には、国際政治研究所(Institute of Global PoliticsIGP)客員教員に加わる。国際政治研究所は、国際政治研究所の使命を推進するための研究プロジェクトを実行する選ばれた学者と実務形で構成されている。

国務次官として、ヌーランドは地域および二国間政策全般を管理し、とりわけ世界中のアメリカ外交使節団を指導する国務省の複数の地域部門を監督した。

2021年に国務次官に就任する前、ヌーランドは民間のコンサルタント会社であるオルブライト・ストーンブリッジ・グループの上級顧問を務めていた。彼女はまた、ブルッキングス研究所、イェール大学、民主政治体制のための全米基金(National Endowment for DemocracyNED)でも役職を務めた。

国際公共政策大学院長カリン・ヤーヒ・ミロは次のように述べている。「ヴィクトリア・ヌーランド大使を私たちの教員として迎えられることを大変光栄に思う。ワシントンおよび海外での経験を反映した彼女の、苦心して獲得した多様な専門知識は、私たちの教室の教員として、また政策活動のリーダーとしての彼女の貢献をさらに高めることになるだろう。民主党と共和党の両政権の下で勤務した高官として、トリア(ヴィクトリア)は党派間の隔たりを乗り越える能力を実証しており、あまりに分断されている現在の社会を考えると、彼女は生徒たちのモデルとなるだろう。私は国際公共政策大学院コミュニティ全体を代表して、彼女を迎えることができて本当に嬉しく思う」。

ヌーランドの国務省からの退職は、3月5日にアントニー・J・ブリンケン米国務長官によって発表された。ヌーランドはオバマ政権下、国務省報道官(2011年5月-2013年4月)、ヨーロッパ・ユーラシア担当国務次官補(2013年9月-2017年1月)を務めた。国務省報道官時代は、当時のヒラリー・クリントン国務長官に直接仕えた。ヒラリー・クリントンは現在、国際公共政策大学院付属の国際政治研究所教職員諮問委員会委員長を務めている。

ヌーランドは、2005年6月から2008年5月まで、ジョージ・W・ブッシュ(息子)大統領の下で、アメリカ合衆国NATO常任委員代表を務めた。

ヌーランドは、ロシア語とフランス語に堪能であり、ブラウン大学で学士号を取得した。

(貼り付け終わり)

(終わり)
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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『』(徳間書店)を発刊しました。2024年の世界で注目を集める、ウクライナ戦争、パレスティナ紛争、米中関係、アメリカ大統領選挙とアメリカ政治について網羅的にまとめました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 ジョー・バイデン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官ジェイク・サリヴァンが、シカゴ大学教授ジョン・ミアシャイマーとハーヴァード大学教授スティーヴン・ウォルトを批判している論稿をご紹介する。ジョン・ミアシャイマーについては、最新刊『』でも詳しくご紹介している。スティーヴン・ウォルトは、このブログでもよくご紹介している。両教授は、国際関係論(International Relations)という学問分野の大物であり、リアリズムという学派に属している。また、アメリカとイスラエルとの関係、アメリカ国内の親イスラエル勢力を分析した『イスラエル・ロビー』の著者としても知られている。サリヴァンは、民主党系の外交政策専門家であり、私は1作目の著書『アメリカ政治の秘密』(PHP研究所)でいち早く注目した。
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ジェイク・サリヴァン
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スティーヴン・ウォルト(左)とジョン・ミアシャイマー

 サリヴァンは、両教授それぞれの著作の内容や主張について、反対論を展開している。その反対論の内容は、アメリカが世界の警察官を辞めてしまうのは駄目だ、世界各国の民主化を合法・非合法の手段で推進すべきだ、中国とロシアに対しては厳しい態度で、その権威主義的な政治スタイルの転換を求めるべきだ、アメリカが外交的な力を維持するために、アメリカ軍の規模や世界転換を維持すべきだという内容だ。これらの主張は、民主党のヒラリークリントン系の「人道的介入主義派(Humanitarian Interventionism)」の主張そのものである。著書『アメリカ政治の秘密』で私は、あメリカ外交の潮流を「リアリズム(民主・共和)対共和党系のネオコンサヴァティヴィズム(Neoconservatism)・民主党系の人道的介入主義」の対立と分析した。この論稿の構造も、「ミアシャイマーとウォルト(リアリズム)対サリヴァン(人道的介入主義)」である。

 アメリカの国力や影響力が落ちており、世界の警察官としての役割を維持することはできない。バラク・オバマは大統領在任中にそのことをはっきりと述べている。しかし、民主党系の外交政策コミュニティは、今でも世界中を民主化し、非民主的な体制の国々の体制転換(regime change)を行おうと必死だ。しかし、そのような彼らの目的は既にばれている。そして、彼らの願いと実際の国力や影響力との間の乖離は大きくなるばかりで、その乖離はやがてアメリカに大きな災厄をもたらすことになる。アメリカの力を維持しようとあがけばあがくほどに、アメリカは苦しむことになる。

(貼り付けはじめ)

より多くかより少なくか、あるいは違うことをするか?(More, Less, or Different?

-アメリカの外交政策はどこへ向かうべきか、そしてどこへ向かうべきでないか

ジェイク・サリヴァン筆

2019年1・2月号(発行日:2018年12月11日)

『フォーリン・アフェアーズ』誌

https://www.foreignaffairs.com/reviews/review-essay/2018-12-11/more-less-or-different

2016年11月以来、アメリカの外交政策コミュニティ(foreign policy community)は自己探求の長期的な旅に乗り出し、リベラルな国際秩序の過去、現在、未来、そしてアメリカがどこに向かうのかという関連問題に関する論稿でこのような出版物のページを埋め尽くしている。大戦略(grand strategy)はここから始まる。一般的な感情は、同じことだけを求めるものではない。大きな問題は、ここ何年もなかった形で議論の対象となっている。アメリカの外交政策の目的は何だろうか? 対応するアプローチの変更を必要とする根本的な変化が世界に起きているだろうか?

この真剣で思慮深い会話に、スティーヴン・ウォルトとジョン・ミアシャイマーがそれぞれ新しい本を携えて登場し、それぞれがアメリカ外交政策の失敗についての長年の議論を新たな激しさで展開している。ウォルトの著書は『善意の地獄:アメリカの外交政策エリートと米国の優位性の衰退(The Hell of Good Intentions: America’s Foreign Policy Elite and the Decline of U.S. Primacy)』というタイトルであり、ミアシャイマーの著書は『大いなる妄想:リベラルな夢と国際的な現実(The Great Delusion: Liberal Dreams and International Realities)』というタイトルだ。タイトルは、民主政治体制の促進(democracy promotion)、人道的介入(humanitarian intervention)、国家建設(nation building)、NATOの拡大(NATO expansion)に反対するという、彼らが展開する主張についての明確なヒントを与えている。彼らの主張とは制限とオフショア・バランシング(restraint and offshore balancing)である。

2冊の本はそれぞれ、何か新しいことが含まれている。ウォルトの著書には、外交政策コミュニティに対する広範な攻撃が含まれており、様々な病理に囚われて国を迷わせている聖職者たちの暗い絵が複数の章にわたって描かれている。一方、ミアシャイマーは政治理論に目を向け、リベラリズム、ナショナリズム、リアリズムの関係を探求する。リベラリズムはナショナリズムとリアリズムに変更を加えたり、廃止したりすることはできず、この3つが交わる場合には、後者の2つが前者よりも優先される、と彼は主張している。ミアシャイマーは、アメリカ政治で理解されているようなリベラリズムではなく、古典的な意味でのリベラリズムについて語っていることをわざわざ強調しているが、「ソーシャルエンジニアリング(social engineering)」に対する彼の繰り返しの攻撃は、彼がそれを両方の意味で使っている可能性があることを明らかにしている。ミアシャイマーにとって、 3つの主義(isms)は最終的に、リベラルな覇権戦略(strategy of liberal hegemony)は必ず失敗する、そして実際にアメリカに失敗をもたらしているという結論に達するための代替ルートを提供する。

著者2人は多くの正当な指摘を行っている。しかし、彼らの本には、イラク戦争のような明らかな間違い(clear mistakes)と、外交政策のような面倒なビジネスではよくある不完全な選択肢から生じる欠陥のある結果(flawed outcomes)とを区別できないという問題もある。彼らはまた、あまりにも頻繁に風刺画の誘惑に負けて介入について揶揄し、制度構築(institution building)を軽視するが、これは冷戦後のアメリカのアプローチのより永続的かつ広範な特徴であった。しかし、最大の失望は、どちらの著者も、現在外交政策コミュニティを巻き込んでいる新たな議論や、アメリカの今後の戦略に関するやっかいな疑問に実際には取り組んでいないことだ。

●悪意と集団(BAD FAITH AND THE BLOB

ウォルトとミアシャイマーは、長い間、外交政策論議の中心的存在であった。2007年に単行本として出版されたアメリカ・イスラエル関係に関する2人の共同論争はさておき、2人は言論に不可欠な偶像打破(因習破壊、iconoclasm)を提供し、前向きな外交政策を支持する人々に、議論を研ぎ澄ませ、間違いについて考えさせ、彼らが避けて通りたいような難しい問題に直面させてきた。ミアシャイマーは、この新著を含め、あまりに多くのリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)が、ナショナリズムとアイデンティティの永続的な力と闘うことに失敗してきたことを指摘するのに、とりわけ力を発揮してきた。最近の歴史は、ミアシャイマーがより正しく、アメリカ外交がより間違っていることを証明している。この点や他の多くの点に関して、実務家たちはこれらの学者(そして学界全般)に対して、たとえ最終的に同意することにならなくても、より多くの意見を聞き、より徹底的に検討する義務がある。同じ意味で、これらの学者たち(そして学界全般)は、政策立案者たちに対して、立案者たちがたとえ決定において多くの失敗するにしても、誠意と誠実な奉仕を行う義務がある。

これが、ウォルトの議論の新たな側面を非常に厄介なものにしている理由だ。ウォルトは、彼の軽蔑の対象である「外交政策コミュニティ」を「定期的に国際問題に積極的に関与する個人および組織」と定義している。それより広い定義を思いつくのは難しい。しかしその後、ウォルトは多くの名前を挙げる。彼はシンクタンク、擁護団体、財団、そして「ブロブ(集団、blob)」を構成する特定の個人のリストでページを埋め尽くしているが、この用語はもともとオバマ政権で国家安全保障問題担当大統領次席補佐官だったベン・ローズが作った用語だが、ウォルトは繰り返し受け入れ、引用している。そして、彼の本のタイトルには「善意(good faith)」というフレーズが出てくるが、彼はそれ以外のものを考えている。「外交政策の専門家のほとんどは真の愛国者である」という必須の条件を付けた上で、ウォルトは彼らの意思決定の重要な動機と考えられるものに焦点を当てている。ウォルトは次のように書いている。

「アメリカ政府が海外で忙しくなればなるほど、外交政策の専門家の仕事は増え、世界的な問題への対処に充てられる国富の割合も増え、彼らの潜在的な影響力も大きくなる。外交政策がより抑制的になれば、外交政策コミュニティ全体の仕事は減り、その地位や存在感は低下し、著名な慈善団体の中には、こうしたテーマへの資金提供を減らすところも出てくるかもしれない。この意味で、リベラルな覇権主義と絶え間ないグローバルな活動は、外交政策コミュニティ全体にとっての完全雇用戦略を構成している」。

完全な開示を行う。ウォルトは間違いなく私にこのグループに分類しているようだ。したがって、私は彼の非人道的な主張を完全に客観的に評価することはできない。しかし、経験と常識から、それはまったく間違っていることが分かる。ウォルトは、国防総省や国務省やシチュエーション・ルームで、積極的な外交政策が国益と国際平和と進歩に関する世界大義にかなうと心から信じている外交官や公務員(もちろん政治任命者たち)と並んで働いたことはない。もしそうなら、彼は何がこれらの当局者を駆り立てているかについての見解を修正するだろうと私は確信している。

政府の行動に偏りがあるのは事実だ。しかし、ウォルトは、実務家たちが直面する決断にどれだけ苦悩しているか、そして何かを増やすか減らすか、あるいは違うことをすることのメリットについてどれほど熱心に議論するかを学ぶことになるだろう。自分の主張に反して、中東からの撤退に関するウォルト自身の考えを含め、非正統的な考えが実際にワシントンで審議されること、そして彼の提案が政策にならないのは、考慮されないからではないということに彼は驚くだろう。ウォルトは、因果関係の連鎖が、彼が想定しているものとは逆の方向に走っているという証拠を見つけるだろう。政策立案者たちは、外交政策が彼らの職業であるため、より野心的なアプローチを主張しない。彼らは、外交政策が野心的なことを達成できると信じているため、外交政策を自分の仕事にする傾向がある。実務家たちが学界にいる批評家たちを風刺することは、何の利益にもならない。逆も同様だ。

ウォルトは、外交政策の専門家たちの意図や動機が、彼らの見解が不変であることを意味し、彼らが学び、適応し、成長することができないという主張は間違いである。

ウォルトは、集団(ブロブ、blob)に悪意があると決めつけることで、2016年以降の外交政策コミュニティの変化を見逃している。彼は、ワシントンの外交政策協議があまりにもしばしば集団思考(groupthink)にとらわれてきたこと、従来の常識がいかに硬化し、そこから逸脱することがいかに困難であるか、地政学的傾向や民主政治体制の生来の魅力に関する多くの基本的前提があまりにも長い間当然のものとされてきたことなどについて、合理的な指摘をしている。しかし、外交政策の専門家たちの意図や動機が、彼らの見解が不変であることを意味し、彼らが学び、適応し、成長することができないというのは間違いである。

ウォルトもミアシャイマーも、ワシントン外交政策のコンセンサスにおける最近の重心の変化を無視している。2018年の討論会の内容は2002年の討論会の内容と同じではない。例えば、アメリカのイラク侵攻に対する彼らの情熱的な主張は、時間が経ったように凍結されているように見える。外交政策コミュニティのほとんどは、中東で再び選択の余地がある紛争が起こることに反対するだろう。現在の議論は、直接的な軍事力への依存を減らし、効果的な対テロ戦略をどのように追求するかについて争われている。国内への投資を重視する必要があるという彼らの主張にも同じことが当てはまる。2016年以来、リベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)は外交政策と国内政策の関係についてより明確に考察するようになった。

●火星出身の政策立案者たち(POLICYMAKERS ARE FROM MARS

政策立案者たちにとって、ウォルトとミアシャイマーをどう扱えばいいのかが分からないことが多い。彼らは、ヨーロッパからの軍事的撤退のような思い切った行動によるバラ色の結果を含め、そのアプローチについて、彼らが描くリベラルな国際主義者(liberal internationalists)の誇張された肖像に似た確信をもって約束する。そして、彼らの議論のスタイルは、現在の問題を煽ることだ。彼らは、あらゆる問題、悲劇、予期せぬ副作用の責任をアメリカの意思決定者たち(U.S. decision-makers)になすりつける一方で、到達した成果や回避された災難はすべて当然だと考える。そのため、意図しない結果につながる行動は、意図しない結果につながる不作為とは異なる扱いを受ける。リビアへの介入は、ヨーロッパにおける難民危機に予期せぬ形で貢献したが、シリアへの介入の欠如もそうだったかもしれない。

これらの断絶が核心的な課題の一因となっている。学者たちの批評に対して政策立案者たちが行う議論は、全て反事実に寄りかからざるを得ない。もしワシントンがNATOを拡大していなかったら、現在ウクライナで起きていることはバルト海沿岸やポーランドで起きていただろうか? もし1990年代に日本から撤退していたら、今中国に対してどのような対応を取ることができていただろうか? 「もっと悪いことが起きていただろう!」というのは、議論の場では決して楽しい主張ではない。戦後のドイツと日本のケースを考えてみよう。ミアシャイマーは彼の著作の中盤でほんの少し言及しただけで、それを軽視している。もしアメリカが1945年にウォルトとミアシャイマーの処方箋に従ってアメリカ軍を撤退させ、ヨーロッパとアジアに自国の問題を自力で解決させていた場合の20世紀後半を想像してみて欲しい。そうであれば、この地域は現在とははるかに違った様相を呈していただろうし、おそらくははるかに暗い様相を呈していただろう。

ウォルトとミアシャイマーの基本的な戦略的前提は、アメリカの撤退はおそらく世界をより危険なものにするだろうが、その地理的条件とパワーを考えれば、アメリカは結果として生じるリスクを回避することも、有利になるように操作することもできる、ということのようだ。この論理の厳しさはさておき、それが正しいかどうかは全く分からない。ウォルトは、20世紀前半のオフショア・バランシング[offshore balancing](ウォルトが好む地域安全保障への手をかけないアプローチ)には「安心できる歴史(reassuring history)」があることの証明として、20世紀前半の例を挙げている。しかし、アメリカを巻き込むことが必至となった2つの破滅的な世界大戦以上に心強いものがあるだろうか。1930年代を成功とするアプローチを受け入れるのは難しい。

政策立案者たちとこの2人の学者の会話が火星と金星のような関係にある理由は他にもある。ウォルトとミアシャイマーは、世界各地からアメリカ軍をアメリカ本国に帰還させ、トラブルが発生したときに再びアメリカ軍を派遣するためにかかる費用をごまかすことができる。ウォルトとミアシャイマーは、イランのような国が核兵器を保有することで生じる不安定性を軽視することができる。一方、政策立案者たちは、地域の軍拡競争やテロリストの手に爆弾が渡る可能性など、最悪のシナリオを考える。アメリカの外交政策からリベラリズム(liberalism)を排除することを主張することはできるが、政策立案者たちは、アメリカの戦略だけでなく、アメリカのシステムがリベラリズムを指し示しているという事実に対処しなければならない。例えば、ニューヨーク・タイムズ紙は中国共産党の汚職調査を止めようとはしないし、パナマ文書の公開はNATOの拡張と同様にロシアのプーティン大統領の怒りを買った。最後に、ウォルトがジョージ・W・ブッシュ大統領、バラク・オバマ大統領、ドナルド・トランプ大統領は外交政策へのアプローチにおいて基本的に見分けがつかないと書くとき、彼は極端な一般性のレヴェルで行動しており、その分析は意味を失っている。

しかし、ある意味、そんなことは気晴らしのようなものだ。現実主義者たち(realists)とリベラルな国際主義者たち(liberal internationalists)の間の戦線(battle lines)は、あまりにもよく描かれており、議論もよくリハーサルされているので、今さら多くを付け加えることは難しい。過去25年間、ワシントンがウォルトとミアシャイマーのアプローチを採用していたら、現在の状況はどうなっていたかをめぐって争うことは、今後25年間、ワシントンが何をすべきかを議論することほど生産的ではない。また、政策立案者たちがいくつかの単純なルールに従いさえすれば、物事を正しく進めるのは簡単だと主張する一方で、ミアシャイマーとウォルト両著者は今日のアメリカ外交の中心的な議論、つまり、集団(ブロブ、blob)が2016年以来格闘している厄介な問題については驚くほど何も語っていない。

第一は、悪化する米中関係をどのように形成し、対立に転じることなく、アメリカの利益を増進させるかである。中国をアメリカ主導の秩序に統合することを前提とした、アメリカの戦略コミュニティにおける「責任ある利害関係者(responsible stakeholder)」たちのコンセンサスは崩壊した。新たなテーマは、ワシントンは中国を見誤ったということであり、今日の合言葉は「戦略的競争(strategic competition)」である(ただし、中国がソ連と違って失敗する運命にある訳ではないと仮定するならば、何のための競争なのかは明確でない)。中国に対する好意的な見方から暗い見方へと、振り子(pendulum)がこれほど速く揺れ動くのを見るのは幻惑的である。このような新しい状況下でどのように行動すべきか、という指針は、驚くほど不足している。

ウォルトは基本的に両手を上げて、「アジアはアメリカのリーダーシップが本当に「不可欠な(indispensable)」唯一の場所かもしれない」と書いている。("indispensable " "leadership "という言葉が大嫌いなウォルトにとって、これは極めて重要な発言である)。もしウォルトが、現代最大の国家安全保障問題に例外を設けなければならないのであれば、彼のアプローチ全体を見直す必要があることを示唆している。流行する前から中国タカ派だったミアシャイマーは、中国に関してはリアリズムと自制は乖離せざるを得ないと主張してきた。しかし、この最新刊では、「リベラルな覇権(liberal hegemony)」を破壊することに固執するあまり、中国の台頭の継続を応援している。国際システムから見た議論としては正しいかもしれないし、そうでないかもしれないが、国益を考えるアメリカの政策立案者たちにとっては特に有益ではない。また、どちらの著者も、政策立案者たちが伝統的な安全保障上の考慮事項と同様、経済、テクノロジー、アイデアに関する新たな分野での競争に備える助けにもなっていない。地政学(geopolitics)がサイバースペース、宇宙、経済、エネルギーなど、拡大する領域にわたって展開される中で、これは彼らの分析における深刻なギャップである。

この欠陥は、第一の問題と表裏一体となった第二の難問につながる。それは、 アメリカの主要な競争相手は、どの程度組織的に非自由主義(illiberalism)を輸出しているのか、そしてアメリカの戦略にとってどのような意味があるのか。アメリカ進歩センター(Center for American Progress)のケリー・マグザメンと共著者たちのような専門家たちは、中国とロシアがともに権威主義モデル(authoritarian models)を維持するという最優先の目的を持っていることをより強調している。ブルッキングス研究所のトーマス・ライトが言うように、中国とロシアは「権威主義にとって世界をより安全な場所にするために、自由で開かれた社会(free and open societies)を標的にするという目的を共有している」のであり、したがって、アメリカの外交政策は、大国間競争(great-power competition)の中で、民主政治体制の擁護を最重要視する必要がある。

ウォルトもミアシャイマーも、アメリカの主要な競争相手は主として現実主義的な考えに従って行動しており、国内政治は主要な要因ではないと仮定している。その結果、ミアシャイマーが言うように、アメリカの「民主政治体制を広めようとする衝動」に対して後ろ向きとなる批判を展開し、ますます野心的で、組織化され、効果的になっていく独裁政権から民主政治体制を守るという課題にはあまり触れていない。外交政策コミュニティの新たな診断は間違っているかもしれないし、誇張されているかもしれないが、もしそうなのであれば、この2人の著者はどちらもその理由を説明していない。アメリカの競争相手がアメリカの経済・政治システムに圧力をかけるために行っている、直接的な選挙干渉(direct election interference)から、影響力を高めるための手段として汚職(corruption)や国家資本主義(state capitalism)を戦略的に利用することまで、さまざまな慣行を扱っていない。そして、現在流行しつつある診断が正しいとすれば、NATOを解体し、ヨーロッパから撤退し、志を同じくする同盟諸国にアメリカからの恩寵を獲得するよう指示するという彼らの望ましい戦略は、本当に論理的な次のステップとなるのだろうか?

ミアシャイマーは、「海外でのリベラリズムの追求は、国内でのリベラリズムを弱体化させる」と主張している。しかし、国内での影響(盗聴、政府機密、「ディープ・ステート」)に関する彼が提示する現代の例は、テロとの戦いに関するものであり、リベラルなプロジェクトとは言い難い。このことは、3つ目の難しい問題を提起している。テロリズムがもたらす客観的な脅威と、アメリカ国民が感じる主観的な脅威とのギャップに、意思決定者はどのように対処すべきなのか? ウォルトもミアシャイマーも、より平和主義的な国民を対外的な軍事的冒険に引きずり込む、血に飢えた外交政策共同体の精巧な風刺画を描いている。しかし、海外でのテロとの戦いとなると、リベラルな国際主義(liberal internationalism)に懐疑的な政治家たちに後押しされた国民は、テロリズムを軍事力の行使を必要とする緊急の、さらには存亡にかかわる優先事項であると考える。外交政策コミュニティは、そのような要求を推進するというよりも、むしろそれに応えつつある。

オバマのイラクでの経験について考えてみよう。2011年、オバマはウォルトとミアシャイマーの脚本を参考に、アメリカ軍を残らず撤退させた。そして2014年夏、ISIS(イスラム国)がモスルに押し寄せ、アメリカ国民の意識の中心に躍り出た。オバマ大統領の国家安全保障ティームにいた私たちは、アメリカ軍の武力で対応すべきかどうか、どのように対応すべきかについて活発な議論を交わした。2人のアメリカ人ジャーナリストが斬首された後、国民はISISを封じ込めるためではなく、ISISを打ち負かすための迅速かつ決定的な行動を求めた。ISISを封じ込めるためではなく、ISISを打ち負かすための、迅速かつ決定的な行動を求めた。しかし、テロ問題の政治的側面と、扇動者に影響されやすいという性質は、政策立案者がテロを他の国家安全保障上の課題とは異なるカテゴリーに位置づけなければならないことを意味し、脅威の客観的尺度には限界があるということである。今後数年間の戦略や資源に関する議論では、このダイナミズムをいかに管理するかが重要になる。ウォルトにとってもミアシャイマーにとっても、これは盲点(blind spot)である。

もう1つの盲点は、政策立案者たちが現在取り組んでいる4つ目の問題だ。それは、国家間の地政学的な競争が激化し、各国から力が拡散していく中で、政策立案者たちは、全ての国家が共有する主要な脅威に対処するための効果的なメカニズムをどのように設計すればよいのだろうか? 気候変動、疫病の流行、大量破壊兵器の拡散、そして再び世界的な経済危機が起こるリスクに対処するためには、協力が必要である。少なくとも、このような集団行動を動員するという文脈においては、ミアシャイマーは、外交政策コミュニティの多くの人々の動機となる理論が、古典的自由主義よりも、制度(institutions)、相互依存(interdependence)、法の支配(rule of law)を重視する古典的共和主義(classical liberalism)に近いかもしれないことを見逃している。また、ウォルトもミアシャイマーも、アメリカのリーダーシップなしには、あるいは健全な制度に根ざした健全なルールなしには、あるいは非国家主体や準国家主体の役割を考慮することなしには、このような協力がどのように実現するかについて説得力のある説明をしていない。

ウォルトとミアシャイマーは共に、効果的な外交に敬意を表しているが、どちらもアメリカの大幅な縮小がアメリカの外交遂行能力を損なうことはなく、どのように強化するのかについて、信頼できる説明を与えていない。例えば、ウォルトはイラン核開発に関する合意を気に入っているようだが、壊滅的な制裁と軍事力による確かな脅威が合意の実現に果たした役割についてはほとんど評価していない。外交における安心感と決意を示すことは、アメリカ軍を世界規模に展開することの重要な利点であり、それがウォルトにとって、リビアのような間違いを犯しにくくすることと、成功した外交に従事しやすくすることのどちらをより重視するのかという疑問を生む。イランとの交渉のような外交の成功とは何を意味するのか?

ウォルトとミアシャイマーが指針を示さなかった最後の分野は、人道的介入(humanitarian intervention)の将来についてである。これは驚くべきことだ。過去25年間を経て、ワシントンは、人道的な理由によるアメリカの軍事介入に必要な条件があるとすれば、それは何なのかという問いに取り組んでいる。過去の介入を批判することは、リベラルな国際主義に反対する両学者にとって中心的な柱となっている。しかし、両者ともそのような介入は決して試みるべきではないと言い切ってはいない。ミアシャイマーのリビア作戦に対する批判は、大虐殺を止めるためにアメリカが介入すべきではなかったというものではない。それどころか、虐殺の脅威は「偽りの口実(false pretext)」、つまり全てでっち上げだったと断じている。これは彼にとって、本当の問題を避けるための都合のいい方法である。

ウォルトに関しては、「戦争を防止し、大量虐殺を食い止め、他国を説得して人権パフォーマンスを向上させる」ためにアメリカの力を行使することには、驚くほど肯定的である。実際、彼は「(1)危険が差し迫っており、(2)アメリカに予想されるコストが控えめで、(3)アメリカの人命に対する外国の人命の重要度が高く、(4)介入が事態を悪化させたり、無制限の関与につながったりしないことが明らかな場合には、大量殺戮を阻止するために武力を行使することを容認する」という。これらは、過去四半世紀にわたってアメリカが追求してきた人道的介入のそれぞれに、政策立案者たちが適用してきたのと同じ基準である。(イラクは人道的理由による戦争ではなかったので別のカテゴリーに属する)。冷戦後の様々な介入は、主として最初の3つの基準を満たすものであった。ウォルトは4つ目の基準について、これ以上の指針を示していない。この基準は、行動すべきか(リビア)、行動すべきでないか(シリア)をめぐる議論の大半を占め、困難なトレイドオフの大半はここにある。人道的介入にも戦略的動機がありうることを、どちらの学者も考慮していないという問題もある。シリアを焼け野原にすることは、大量の人命を失う危険性があるだけでなく、ウォルトとミアシャイマーが重要と考えている1つだけでなく2つの地域(ヨーロッパとペルシャ湾)を不安定化させる危険性もある。

●新たな収束(THE NEW CONVERGENCE

これら難問のリストは、全てを網羅しているとは言い難い。トランプ時代は、より広範な国際環境の変化とともに、多くの仮定を再び議論の対象としている。特にウォルトは、進歩主義者、自由主義者、そしてアカデミックな現実主義者が、リベラルな国際主義者を打ち負かすために力を合わせる絶好の機会だと考えている。実際の潮流は別の方向に進んでいるようだ。ヴァーモント州選出のバーニー・サンダース連邦上院議員やマサチューセッツ州選出のエリザベス・ウォーレン連邦上院議員による外交政策論評をはじめ、最近の多くの論考は、左派と中道の一種の収束への道を指し示している。この収束は完全なものとは言い難いが、いくつかの共通の優先事項が明らかになりつつある。国際経済政策の分配効果に対する関心の高まり、汚職や泥棒政治(クレプトクラシー、kleptocracy)、ネオファシズムとの闘いへの集中、軍事力行使よりも外交の重視、民主的同盟国への永続的な関与などである。おそらく最も重要なことは、左派と中道が、リベラル・プロジェクトの多くの成功が、世界的な貧困と疾病に対する進歩や、フランスとドイツの間の永続的な平和のように、競争する運命にあるのではなく、ヨーロッパ連合(EU)を形成するという、深遠なものであったという事実に対する認識と、この認識を共有しつつあることである。

このことは、ウォルトとミアシャイマーが今後の議論において果たすべき役割を否定するものではない。第一原則を重視する彼らの姿勢は、多くのことが争点となっている現在、特に重要である。異なる考え方をするようにという彼らの忠告は、変化の激しい時代には有益である。政策立案者たちはこれらの本を読み、彼らの主張を慎重に検討すべきである。そして、ウォルトとミアシャイマーは、誠意と好意を持って、この先数十年にどのように取り組むべきかについて、政策立案者たちと難問に取り組む機会を歓迎すべきだ。

※ジェイク・サリヴァン:カーネギー国際平和財団上級研究員。2011年から2013年まで国務省政策企画本部長、2013年から2014年まで国家安全保障問題担当米副大統領補佐官を務めた。

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