古村治彦です。
ドナルド・トランプ大統領が共和党のビル・キャシディ連邦上院議員(ルイジアナ州選出)と激しい言い争いになったことについてこのブログで昨日書いた。キャシディ議員は、イラン戦争停戦決議に共和党から賛成に回った4名の上院議員のうちの1人だ。キャシディ議員はトランプ大統領に対して長年にわたり批判的であり、2021年の弾劾裁判で、有罪に賛成票を投じており、トランプとは「犬猿の仲」だった。
キャシディ議員は今年11月の中間選挙で改選となるということで、共和党予備選挙に立候補していた。トランプ大統領はルイジアナ州選出のジュリア・レットロー連邦下院議員に上院議員選挙への立候補を促し、支持を表明した。これは同時に現職のキャシディ議員を支持しないということになった。そして、ルイジアナ州選出連邦所運議員選挙の共和党予備選挙が実施され、レットロー議員が45%、ジョン・フレミング州財務長官が28%、キャシディ議員が25%の得票率となり、現職のキャシディ議員は惨敗した。共和党優勢州でのトランプ大統領の影響力のすさまじさを改めて見せつける結果となった。
トランプ大統領はイラン戦争の失敗もあり、現在、支持率が低迷している。そのあおりを受けて、11月の中間選挙での共和党の苦戦が伝えられている。共和党の候補者になるためにはトランプ大統領の支持が必要であるが、本選挙(民主党の候補者と戦う)では、トランプの支持が足枷になる可能性もある。それでも最初から共和党が勝利を確実にしている共和党優勢州ではトランプ支持が絶大な効果を発揮する。
下記論考では、大統領の影響力について、トランプ大統領と、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領を比較している。ルーズヴェルト大統領は社会主義に近い、リベラルな政策を実施したことで知られているが、そのために、いわゆるニューディール連合を形成しようとした。リベラルな議員たちを多く当選させようとした。しかし、民主党の地盤は南部である。南部には強固な保守イデオロギーを持つ議員たちが多くいた。ルーズヴェルト大統領は彼らをリベラル派に取り換えようと、トランプと同じような動きをしたが、ルーズヴェルト大統領はトランプ大統領ほどにはうまくいかなかった。有権者が地方政治への介入を嫌ったということが理由に挙げられているようだ。トランプ大統領は、「党内粛清力」だけならば、歴代トップ3の評価になるルーズヴェルト大統領を上回るということになる。
ルーズヴェルト大統領の考えはその後、民主党に引き継がれ、良い評価、悪い評価それぞれあるが、リベラル政党となった。2016年にドナルド・トランプが大統領に当選し、共和党は金持ちのための政党から変質しつつある。これまで民主党を組合関連で応援していた白人労働者たちが支持するようになった。また、特に共和党優勢州で強固な支持基盤もある。これからトランプの「遺産」がどのようになるかということが検証され、評価されていくことになるだろう。
(貼り付けはじめ)
ドナルド・トランプはフランクリン・D・ルーズヴェルトができなかったことをやっている(Trump Is Doing What FDR Could Not)
-しかし、トランプ大統領による党内粛清の成功は長期的には共和党にとって大きな代償となる可能性がある。
ジュリアン・E・ゼリザー筆
2026年6月8日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2026/06/08/trump-republican-party-purge-fdr/
ドナルド・トランプ大統領は苦闘している。支持率は過去最低を記録し、2024年の大統領選挙で支持基盤を構築した主要有権者層、特にラテン系有権者からの支持も急激に低下している。彼は、生活費の高騰や人工知能が中流階級の雇用に及ぼす脅威など、勤労しているアメリカ人にとって最も重要な問題に目を向けようとしない、あるいは向けることができないでいる。あらゆる指標において、トランプ政権は、来る中間選挙で共和党が連邦上院を含む連邦議会の過半数を維持できる見込みを著しく低下させている。共和党にとって、大統領以上に大きな問題となっているものはない。彼らを救う唯一の道は、選挙区の再編成、投票制限、そして都市部への連邦軍の駐留といった手段が、民主的な意思の自然な流れを覆すことだろう。
しかし、トランプは依然として極めて強力な党指導者である。彼は共和党内で確固たる支持基盤を維持し、政敵に閥を与える能力を繰り返し示してきた。近年の予備選挙では、彼に反抗したと彼が考える複数の共和党現職連邦議員を落選させることで、その強さを改めて示した。
インディアナ州では、トランプの州議会選挙への介入が、選挙区再編要求に応じなかった共和党現職議員の落選につながった。ケンタッキー州では、トランプは反対運動を組織し、トーマス・マッシー連邦下院議員の予備選敗北を確実にした。ルイジアナ州では、ビル・キャシディ連邦上院議員も敗北した。キャシディは医師であり、ロバート・F・ケネディ・ジュニアが医療承認済みのワクチンを執拗に攻撃していたにもかかわらず、ケネディを保健福祉長官の承認に賛成した。
テキサス州の共和党連邦上院予備選挙では、トランプの支持が、スキャンダルにまみれたケン・パクストン州司法長官の勝利を確実なものにした。多くの共和党員は、民主党のジェイムズ・タラリコに勝つ可能性はコーニンの方がはるかに高いと考えていたにもかかわらず、このような結果になった。
言い換えるならば、トランプは党内粛清(a primary purge)を敢行し、成功した。彼は党をしっかりと掌握しており、政治的リスクを顧みず、党を思いのままに操れることを証明した。共和党にとってのパラドックスは、党の利益を顧みず、党の政治的イメージを自らも引きずり下ろしている党の指導者に、依然として依存せざるを得ないという点にある。
トランプが党をいかに支配しているかを理解するには、1938年の中間選挙を振り返ることが有効だ。当時、アメリカ史上最も影響力のある大統領の1人であるフランクリン・D・ルーズヴェルトは、民主党の方向性を統一することに失敗した。ルーズヴェルトは、ニューディール政策を阻害する保守的な南部出身議員たち(conservative Southern legislators)を民主党から排除しようとしたが、結果的に敗北を喫し、まさに阻止しようとしていた勢力を勢いづかせてしまった。
ルーズヴェルトが、自身の政策を妨害する党内の南部出身連邦議員たちに立ち向かうことを決意した時、2期目の任期中だった。1936年以降、ルーズヴェルトは勢いに乗っていた。共和党のアルフ・ランドンを圧倒的な勝利で破り(連邦下院で334対88、上院で77対16の多数派)、ニューディール連合(New Deal coalition)を確固たるものにし、連邦政府を大幅に拡大する一連の革新的な法案を連邦議会と協力して可決させた。
しかし、こうした立法実績を築くにあたり、ルーズヴェルトは民主党内の深い分裂に常に対処しなければならなかった。民主党は扱いにくい連合体(an unwieldy coalition)だった。社会保障ネットの整備、産業別労働組合との連携、経済の行き過ぎた行為の規制を政府に求める北部リベラル派(Northern Liberals)、人種関係への干渉を防ぐためにこれらのプログラムの運営を自分たちで管理できる限り連邦政府の支援を受け入れる南部民主党員(Southern Democrats)、20世紀初頭に北部の大都市に移住してきた労働者階級や少数派移民、知識人や進歩主義者、そしてリンカーンの党から離れ始めていた黒人有権者など、様々な勢力が入り混じっていた。
南部民主党員は、1936年の勝利においてこれらの派閥が果たした影響力に動揺したものの、連邦下院と連邦上院の主要委員会を多数支配していたため、党内で不均衡な権力を握っていた。彼らはニューディール政策の多くを支持していた。貧しい白人農業コミュニティは、連邦政府の支援を最も必要とする地域の1つだったからだ。しかし、連邦政府が労働力を管理することや、地域における労働組合の結成を容認するような政策には断固として反対した。例えば、家事労働者や農業労働者が当初社会保障制度から除外されたのは、これが大きな理由の1つだった。
南部の白人民主党員は、大統領とその政策に対してますます反対の姿勢を強めていった。1937年、彼らはルーズヴェルト大統領がニューディール政策に比較的寛容な判事を最高裁判事に加えることで最高裁判所を拡大しようとする、いわゆる「裁判所詰め込み計画(court-packing plan)」に最も強く反対したグループの1つだった。産業別組合会議(the Congress of Industrial Organizations、CIO)が南部労働者の組織化に本格的に取り組み、民主党指導部が南部の有力候補であるミシシッピ州のパット・ハリソンではなく、ケンタッキー州のアルベン・バークリーを連邦上院多数党(民主党)院内総務に選出したことで、緊張はさらに高まった。ホワイトハウスがバークリー支持を議員たちに圧力をかけた結果、ハリソンはわずか1票差で敗れた。「私たちはアメリカを巡る大いなる戦いに身を投じている。境界線は引かれた」とノースカロライナ州選出のジョサイア・ベイリー連邦上院議員は警告した。「アメリカの社会主義勢力は社会党だけに留まらない」。ルーズヴェルト大統領はヘンリー・モーゲンソー財務長官に対し、南部派が「保守民主党(Conservative Democratic Party)」の結成を目指していると伝えた。モーゲンソー長官もこれに同意し、「戦いと粛清が必要だ(There has got to be a fight and there has got to be a purge)」と述べた。
ルーズヴェルト大統領は自ら事態の解決に乗り出すことを決意した。大統領は通常、党の予備選挙には介入しないものだが、ルーズヴェルトは党が右傾化するのを防ぐために必要だと考え、介入を選んだ。1938年6月の炉辺談話(a fireside chat)で、彼はアメリカ国民に対し、多くの民主党予備選挙は「一般的にリベラルと保守に分類される2つの思想潮流(between two schools of thought, generally classified as liberal and
conservative)」の衝突を中心に展開されるだろうと語った。「民主党の党首(head of the
Democratic Party)」として、ルーズヴェルトは「1936年の民主党綱領に示された、明確にリベラルな原則宣言」を擁護することが自分の責任だと説明した。
ルーズヴェルトは、ジョージア州のウォルター・ジョージ、サウスカロライナ州のエリソン・“コットン・エド”・スミス、メリーランド州のミラード・タイディングス、アイオワ州のガイ・ジレットなどの民主党連邦議員に加え、連邦下院規則委員長を務めていたニューヨーク州のジョン・オコナーという、問題のある北部民主党議員を破るために選挙運動を展開した。彼は全ての保守派を攻撃した訳ではないが、数人の保守派に勝利することで、党内の保守派に対し、彼にもっと従わなければならないという強いメッセージを送ることができた。これは、彼が最高裁判事の増員をちらつかせた後、最高裁がより彼に同情的な判決を下すようになったのと同様の効果を狙ったものだった。
大統領は遠慮なく行動した。ジョージア州バーンズビルで行われた、新たな農村電化計画の開始を祝う式典で、FDRはジョージの実績を公然と批判し、もし可能であればジョージの対立候補に投票すると述べた。この式典には、5万人以上がゴードン・インスティテュート・スタジアムに詰めかけた。ジョージが怒りを隠そうと前を見つめる中、ルーズヴェルトはこう言い放った。「私の旧友であり、この州選出の連邦上院議員である彼は、私の判断では、リベラルな思想の持ち主とは到底言えない。したがって、彼が長年連邦上院議員を務めてきたという主張は、全く説得力に欠ける。」
彼は他のいくつかの州でも同様の発言をした。サウスカロライナ州への列車旅行の途中、ルーズヴェルトは「1日50セントで生活できる家族や人はいないと思う」と述べた。これは、ルーズヴェルトの最低賃金法案に反対し、その立場を説明する際に「サウスカロライナ州では1日50セントで生活できる」と述べていたスミスへの暗黙の批判だった。
ミシガン州選出の共和党連邦上院議員アーサー・ヴァンデンバーグは、「アメリカに起こったこの『粛清(purge)』は、極めて不吉な意味合いを持つ」と警告した。「政治指導者が同情的な支持者を求めるのはよくあることだが、このいまだ自由な共和国の大統領が、立憲政府の立法府と司法府を支配しようとするのは全く別の問題となる」。
スーザン・ダン著『ルーズヴェルトの粛清(Roosevelt’s Purge)』によれば、この一連の取り組みは全体的に拙劣だった。ルーズヴェルトは一貫性のない計画で場当たり的な戦いを展開し、この取り組みを監督した「粛清委員会(elimination committee)」も機能不全に陥った。さらにダンは、アメリカ国民は地方選挙への大統領の介入を望んでいなかったと指摘している。
この取り組みはルーズヴェルトにとって良い結果にはならず、彼は大統領権限の限界を痛感することになった。ルーズヴェルトが選挙戦で対抗した候補者のうち4人が当選した。大統領が唯一成功を収めたのは、ニューヨーク州のオコーナーに対する選挙戦だけだった。
オコーナーの失脚は、ルーズヴェルトが大敗したというメディアの報道を覆すには至らなかった。南部民主党は中間選挙で非常に好成績を収め、共和党も連邦下院(81議席)と連邦上院(8議席)の両方で議席を大幅に増やした。その後、保守派連合が出現した。南部民主党員と共和党員によるこの同盟は、ルーズヴェルトの国内政策への野望、そしてより広範なリベラルに対する防波堤として、1960年代を通じて機能することになる。
ルーズヴェルトは自身の決断を擁護し続けた。1941年の『コリアーズ』誌のインタヴューで、ルーズヴェルトは「私が最も関心を寄せていたのは、民主党と共和党が互いに単なるつまらない政党にならないようにすることだった。私は、民主党がアメリカ合衆国において、自由主義的で、未来志向的で、進歩的な政党であり続けることを何よりも望んでいた」と述べている。
トランプは党指導者として、はるかに手強い手腕を発揮してきた。もちろん、彼の成功の多くは、1970年代以降、民主、共和両党が内部的に均質化してきたという事実に基づいている。ルーズヴェルトにとって厄介な存在だった南部民主党員は、1990年代以降、大部分が共和党員となった。今日、両党には1930年代のような内部分裂は存在しない。さらに、大統領が予備選挙に影響を与えるために利用できる手段、例えば政治活動委員会(PAC)、ソーシャルメディア、高度なコンピューターデータ分析などは、88年前には存在しなかった。
しかし皮肉なことに、1938年の敗北にもかかわらず、ルーズヴェルトは最終的に、より強固な民主党連合の構築に貢献したのである。時が経つにつれ、党内のリベラル派は勢力を増し、1960年代には、投票権法の成立や1965年のメディケア創設など、いくつかの主要な問題において南部の抵抗を打ち破ることに成功した。ルーズヴェルトはアメリカ政治において深く尊敬される人物であり続けたため、民主党は彼とその遺産との結びつきによって、数十年にわたり党の地位を高めてきた。
一方、トランプは、極めて不人気な指導者と政策に党を縛り付けてしまった。共和党は今や、個々の連邦議員がトランプ大統領の支配から容易に抜け出すことができない状況に陥っている。もし抜け出そうとすれば、次の選挙での敗北はほぼ確実となる(ワイオミング州のリズ・チェイニーの例を見て欲しい)。トランプは共和党の長期的な将来をほとんど顧みず、短期的にも長期的にも党に害を及ぼすような行動を厭わない。
今日に至るまで多くの民主党員がルーズヴェルトの遺産を誇り高く主張しているのに対し、共和党員が数十年後もトランプを同じように称えることができるかどうかは全く不透明である。むしろ、彼らは、党内での地位を利用して意思決定を行い、内部抗争に巻き込まれた、並外れた影響力を持つ人物を振り返ることになるのかもしれない。その人物は、共和党が長期的なヴィジョンを持ち、広範な共和党連合の構築を目指し、永続的な足跡を残す法案に注力する指導者に運命を委ねていれば築けたであろう潜在的な優位性を損なった。ルーズヴェルトの直感は、今なお絶大な人気を誇る政策を生み出し、民主党が支持基盤を頼りにできる理由の1つとなっている。数年後、共和党も同じことをするだろうか?
※ジュリアン・E・ゼリザー:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。プリンストン大学歴史学・公共問題担当教授。ニュースを多角的に捉えるニュースレター「ザ・ロング・ヴュー」の著者。彼が編集した新刊『ジョセフ・R・バイデン・ジュニア大統領:初の歴史的評価(The Presidency of
Joseph R. Biden Jr.: A First Historical Assessment)』は、プリンストン大学出版局から4月7日に刊行された。Xアカウント:@julianzelizer
(貼り付け終わり)
(終わり)

シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』


