古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ブラジル

 古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)を刊行しました。世界構造の大きな転換について詳述しました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 2023年1月15日に「名目GDPで日本がドイツに抜かれて世界4位に転落」という報道がなされて話題になった。1968年に当時の西ドイツを抜いて世界第2位に躍進したが、2010年に中国に抜かれて第3位となり、今回ドイツに抜かれて4位に転落となった。このことは昨年から既に言われていたことだ。何故なら、最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)にこのことを書いたからだ。「日本は経済成長がない国であり、ドイツは高々2%の経済成長率なのに日本を抜く」ということを書いた。そのことを今更声高に叫ぶ必要もない。5位のイギリスに抜かれることはないだろうが、現在6位のインドにも抜かれて、5位に転落するのはここ10年から20年以内の出来事となるだろう。日本は残念なことだが衰退の道を着実に歩んでいる。
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(貼り付けはじめ)

●「日本のGDP4位転落、ほぼ確実に ドイツに抜かれる見通し」

朝日新聞 1/15() 18:13配信

https://news.yahoo.co.jp/articles/3477c4492a7de21be7d26064cb879c2c9606c716

 2023年の名目国内総生産(GDP)で日本がドイツに抜かれ、世界4位に転落することがほぼ確実になった。米ドル換算で比べるため、日本のGDPが円安で目減りする一方、ドイツは大幅な物価高でかさ上げされることが要因だ。ただ、長期的にドイツの経済成長率が日本を上回ってきた積み重ねの結果という面もある。

 名目GDPはその国が生み出すモノやサービスなどの付加価値の総額。経済規模を比べる時に使う代表的な指標で、1位は米国、2位は中国だ。

 ドイツが15日発表した23年の名目GDPは、前年比63%増の41211億ユーロ。日本銀行が公表している同年の平均為替レートでドル換算すると、約45千億ドルとなる。

 大幅に伸びた要因は、ロシアのウクライナ侵攻に伴うエネルギー価格の高騰などで、日本以上に激しい物価上昇に見舞われたことだ。物価の影響を除いた実質成長率は03%減と、3年ぶりのマイナス成長になった。

 一方、日本の23年の名目GDPは来月発表されるが、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの試算では591兆円(約42千億ドル)とドイツを下回る。円ベースでは前年比で57%増えるが、円安が進んだことでドル換算では12%減ると予測されている。

 日本はすでに19月期の実績で、ドイツに約2千億ドル(約28兆円)の差をつけられている。追いつくには1012月期に約190兆円を積み上げる必要があるが、前年同期が約147兆円だったことを踏まえると、実現はほぼ不可能だ。

 長期的にみるとドイツの成長率は日本を上回っており、経済規模の差は縮まってきていた。国際通貨基金(IMF)のデータから0022年の実質成長率を単純平均すると、ドイツの12%に対し、日本は07%にとどまる。

 各国の経済規模をめぐっては、日本は1968年に西ドイツ(当時)を国民総生産(GNP)で上回り、世界2位の経済大国となった。だが2010年にGDPで中国に抜かれて3位になっていた。(寺西和男=ダボス、米谷陽一)

(貼り付け終わり)

 日本はこれから貧しくなっていく。二極化が進むが、外国から見れば、いくら日本で勝ち組だ何だと威張ってみても、「負け組の船に乗るかわいそうな人たち」というひとくくりの評価だ。私の母方の曽祖父は戦前、アメリカのロサンゼルスに出稼ぎに行って、仕送りをして、子供たちを育て学校に行かせた。ガーデナーといわれる庭師、肉体労働をしていたそうだ。ハリウッドの映画スターの家で働きぶりが良いということで、お菓子をもらったり、子供たちの洋服のおさがりをもらったりして、それを日本に送ってもらって、それを皆で食べた、お古とは言えきれいな洋服を着て目立ってしまったという話を祖母から聞かされた。

そういうことがまた起きるだろう。しかし、今の日本人に何ができるだろう。外国語(英語や中国語など)ができなければ、デスクワークなどはできない。それなら肉体労働はどうだろうか。今の日本人に肉体労働ができるだろうか。はなはだ心もとない。そうなれば、使えない人間ということになる。元先進国の国民で体が動かないというのは、江戸幕府瓦解後の武士階級みたいなものだ。

 各国の経済力や経済成長を見てみると、やはり、非西側諸国(the Rest、ザ・レスト)の勢いが凄まじい。その中核であるBRICSのさらに中核BRIC(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、名目GDPで見てみると世界トップ20位以内に入っている。更に、ジョコ・ウィドド大統領の下で進境著しいインドネシアも躍進している。

 名目GDP以外に、購買力平価(purchase power parity)によるGDPという指標もある。購買力平価とは「一つの物品の価格は一つ(一物一価)」という考えから、例えば、ハンバーガーがアメリカでは1ドルで買えて、日本では120円で買えるとすると、1ドル=120円という為替価値が妥当だとする考えだ。購買力平価は短期的な為替ではなく、長期的な動きを示すということになる。そして、この購買力平価によるGDPの評価ということもなされている。こちらの方が実態に近いという説もあるが、名目GDPの方がまだよく使われる指標になっている。購買力平価GDPで見てみると、名目GDPよりもより驚くべき順位が出る。中国がアメリカを抜いて世界第1位であること、インドが既に世界第3位で、日本は4位であること、7位にインドネシアが入っていること、トップ10にBRICが全ては言っていることなど、下記の順位を見て驚く人も多いだろう。これがある側面で見た世界の現実である。
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 ここで重要なのは、インドネシアである。インドネシアは、世界第4位の2億7000万の人口を誇り、名目GDPは世界16位、購買力平価GDPは世界7位となっている。名目GDPが1兆ドル(約143兆円)を突破し、「1兆ドルクラブ」入りを果たした。インドネシア国民の平均年齢は約31歳(日本は約48歳)、これから消費者、生産者として活発に活動していく人々が多く存在する。これを「人口ボーナス」と呼ぶ。一方日本は「老人ホーム」となっていく。日本はこれから旺盛な経済活動を行う、西側以外の国々に抜かされていくだろう。ドイツに抜かされたくらいで悲観的になっていては身が持たない、これからこのようなニューズに何度も何度も接することになるのだから。
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(終わり)


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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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古村治彦です。

 2023年12月27日に最新刊『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』が発売になります。年末年始で宣伝が打てないのですが、自力で皆さんにご紹介しております。このブログで、内容の一部をご紹介しております。参考にしていただいて、お読みいただければ幸いです。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 「モンロー・ドクトリン、モンロー主義(Monroe Doctrine)」とは、1823年にアメリカ第五代大統領ジェイムズ・モンローが連邦議会での演説で発表した外交政策の原理だ。教科書的な書き方をすれば、「アメリカ合衆国がヨーロッパ諸国に対して、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を提唱したこと」となるが、簡単に言えば、「ヨーロッパ諸国に対して南北アメリカ大陸に再び手を出すことは許さないと宣言したこと」である。このモンロー・ドクトリンの考え方を「アメリカの“孤立主義”」とする解釈もあるが、そうではない。

 モンロー・ドクトリンは、「南北アメリカ大陸を含む西半球のことはアメリカが決める、ヨーロッパ諸国に手出しをさせない。その代わり、他の地域のことにアメリカが何か介入することはしない」というものだ。アメリカが西半球の決定者になるということで、「地球の半分の王になる」という宣言であった。しかし、何かきれいごとのように、モンロー・ドクトリンは、「アメリカは海外のことに手を出さない」「アメリカは植民地を求めない」という解釈の根拠にされてきた。

 南米諸国にしてみれば、アメリカがヨーロッパ諸国に対して、南米に手を出すなよと言ってくれた、ということは守ってくれるんだということになって、モンロー・ドクトリンは、歓迎された。しかし、実際には、旧宗主国(colonial master、コロニアル・マスター)であるヨーロッパ諸国に代わって、アメリカが影響力を行使するということであることが分かり、南米諸国を失望させた。アメリカも結局、ヨーロッパ諸国と同じ穴の狢であった。

 アメリカは世界帝国の座から滑り落ちようとしている。アメリカは19世紀にそうであったように、「地球の半分(西半球)の王」へと縮小しようとしている。しかし、南米では中国の影響が増大している。それを何とか解決したい。これこそが「21世紀のモンロー・ドクトリン」である。南米に注力しようにも、人的資源、予算の面で、南米へ注げる力は限られている。そうしている間に中国が影響力を高めている。BRICS(ブリックス)に、南米地域の大国であるブラジルとアルゼンチンが加盟している。アメリカが南米大陸での影響力を回復することはかなり難しい。アメリカの凋落を止めることはかなり難しい。

(貼り付けはじめ)

モンロー・ドクトリンへの回帰(The Return of the Monroe Doctrine

-ラテンアメリカで存在感を増す中国へのアメリカの対応は家父長主義的な、古いパターンに陥る危険性がある。

トム・ヤング、カーステン=アンドレス・シュルツ筆

2023年12月16日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/12/16/monroe-doctrine-united-states-latin-america-foreign-policy-interventionism-china-gop/

モンロー主義が復活しつつある。今月建国200周年を迎えるにあたり、この古くから神聖化された外交政策原則、「ワシントンが西半球の外に存在する諸大国による、西半球への政治的・軍事的侵略に反対することを宣言する」が再びアメリカの政治議論の最前線にある。

ヴィベック・ラマスワミやロン・デサンティスといった共和党の大統領候補たちは、ラテンアメリカで存在感を増す中国を狙い撃ちするために、このドクトリンの再活性化を求めており、メキシコの犯罪組織に対するアメリカの軍事攻撃の可能性を正当化するものとして、このドクトリンを提示している。彼らは、国連総会でモンローを称賛したドナルド・トランプ前米大統領や、ジョン・ボルトンやレックス・ティラーソン前国務長官などのトランプのアドヴァイザーたちに従っている。

バイデン政権はこの原則を明示的に発動することを控えているが(モンロー大統領について言えば中南米諸国の人々を強く刺激することを認識しているのだろう)、西半球における中国の拡大する足跡に対するホワイトハウスの警告には、明らかにモンロー主義的な色合いが含まれている。

10年前でさえ、21世紀におけるモンローの重要性は薄れていると思われていたかもしれない。イェール大学教授でマチュピチュ探検家のハイラム・ビンガムは、モンロー・ドクトリンの100周年に「時代遅れの禁句(obsolete shibboleth)」というレッテルを貼った。ドクトリンの2世紀目には、アメリカ大陸におけるアメリカの冷戦介入(U.S. Cold War interventions)や単独行動主義(unilateralism)と密接に関連するようになっていた。ジョン・ケリー米国務長官(当時)が2013年に「モンロー・ドクトリンの時代は終わった」と宣言した時、この原則は時代錯誤になっていた。

しかし、最近の復活が示唆するように、モンロー・ドクトリンは長い間、聴衆によって異なる意味を持たれてきた。「モンロー・ドクトリン」という言葉は広く有害であると考えられているが、ワシントンの政治家たちはその遺産継承を断ち切ろうと苦闘してきた。そして、ラテンアメリカにおけるアメリカの言動は、いまだにモンローのレンズを通して認識されている。

死後、モンロー・ドクトリンとして知られることになるその教義(ドクトリン)は、1823年12月2日、当時のジェームズ・モンロー米大統領が連邦議会への年次メッセージの中で初めて発表したものだが、問題となる、一節の大部分は当時のジョン・クインシー・アダムズ国務長官によって書かれたものだった。モンローとアダムスの外交政策には2つの主要原則があった。1つは、ヨーロッパとアメリカ大陸の間に「分離領域()separate spheres”」と呼ばれるものを確立することで、もう1つは、ラテンアメリカと太平洋岸北西部におけるヨーロッパの再征服(reconquest)の試みと領土的野心に対するアメリカの反対であった。

当初、この考えはドクトリンではなかったし、設立されたばかりの共和政体のアメリカがそのドクトリンを武力で裏付けることもできなかった。モンローの言説は当初、かなり高圧的なものではあったものの、ヨーロッパ征服の脅威に対する団結の宣言として受け止められた。旧スペイン系アメリカ植民地の独立指導者たちは、自分たちの大義(cause)に対する暗黙の支持の表明としてモンローの演説に熱心に注目した。

しかし、1846年から1848年まで続いた征服戦争でアメリカがメキシコの北半分を併合すると、アメリカの政策は不吉な色合いを帯び始めた。

数十年にわたって、モンロー・ドクトリンはアメリカの競合する政治派閥の間でより顕著になり、モンローの本来の文脈とのつながりは弱まった。歴代のアメリカ政府は、イギリス、ドイツ帝国、第二次世界大戦の枢軸諸国、そしてその後のソ連など、世界中の他の敵を撃退するためにモンロー・ドクトリンを発動した。ラテンアメリカでは、この原則は各国に(要請の有無にかかわらず)アメリカの保護を提供する一方、どのような行為が脅威とみなされるかを定義するアメリカの権利と、それにどのように対応するかを決定する権利を留保した。この地域に対する固有の家父長主義(パターナリズム)はすぐに、完全な一極主義と介入主義によって補完された。

それにもかかわらず、1860年代後半には、ラテンアメリカのリベラル派やアメリカの奴隷廃止論者(U.S. abolitionists)の一部が、モンロー・ドクトリンを、王朝の利益や大国の共謀ではなく、法の支配(rule of law)と連帯(solidarity)に基づく地域秩序(regional order)を創造する好機と捉えた。

19世紀半ばのリベラル派は、モンローを膨張主義(expansionism)のライセンスと見なす代わりに、旧世界の戦争や共謀から脱却した西半球共通の運命を構想した。このドクトリンは、メキシコのベニート・フアレス大統領やセバスティアン・レルド・デ・テハダ大統領といったラテンアメリカのリベラル派指導者たちの呼びかけを含め、アメリカ大陸におけるフランスやスペインの侵略に対してアメリカが行動することを求めるものとして再び登場した。

リベラル派の指導者たちは、アメリカの規模と力が西半球におけるその地位を際立たせることを認識していたが、国家間の相違は共和党の団結、多国間外交、国際法によって埋められるべきだと主張した。平和は小国を犠牲にして秘密協定を結ぶのではなく、仲裁と協議によって実現されるだろう。

ラテンアメリカ諸国はこの文脈でモンロー・ドクトリンを援用し、今や悪名高い1884年から1885年のベルリン会議へのアメリカの参加を批判した。そこではヨーロッパ列強が西洋文明を広めるべきだという義務(duty)の意識のもとにアフリカの領土を分配した。ラテンアメリカ諸国は、この認可された帝国の拡大が自分たちにも及ぶのではないかと恐れた。

数年後、ヴェネズエラはモンローの遺産を再び訴え、ヴェネズエラとガイアナの国境をめぐるイギリスとの紛争でアメリカの支援を求めた。100年前に行われた仲裁手続きに対するヴェネズエラの不満が、最近の戦争の脅威の舞台となった。アメリカでは、このドクトリンは、国内問題優先主義者たちがヨーロッパの同盟政治にアメリカが関与していることへの批判を進めるためにも役立った。

しかし今世紀に入り、セオドア・ルーズヴェルト大統領は、モンロー・ドクトリンとアメリカの単独介入との結びつきを深めた。最も悪名高いのは、ルーズヴェルト大統領がこの原則の「推論(corollary)」として、新たに強大になったアメリカが近隣諸国を統制する権利と義務を主張したことである。ウッドロー・ウィルソン大統領もまた、多くの外交問題でセオドア・ルーズヴェルトと敵対していたが、モンロー・ドクトリンに対するこの見解をほぼ共有していた。ウィルソンは国際連盟憲章にモンロー・ドクトリンを明記し、アメリカの一方的な特権を明記するよう主張した。

この時点で、ラテンアメリカの好意的な人々でさえもモンロー・ドクトリンに嫌悪感を抱いており、モンローはこの地域の民族主義者や反帝国主義者にとってのスローガンとなった。セオドア・ルーズヴェルトのドクトリン解釈は、連帯と自制を強調するドクトリンの解釈を大きく転換させた。この時代には、アメリカにはラテンアメリカ人を指導し、教育する権利と義務があるという人種的、文明的な驕りが蔓延していた。

しかし、学者フアン・パブロ・スカルフィが示したように、セオドア・ルーズヴェルトの考えが覆され、モンロー・ドクトリンを多国間主義と両立するものとして解釈し直そうという希望が消えた訳ではない。ラテンアメリカ社会の一部では、アメリカは依然として近代性のモデルとして支持されていた。

フランクリン・ルーズヴェルト大統領の、いわゆる善隣政策(Good Neighbor Policy)、西半球不干渉宣言に対するラテンアメリカの主張にアメリカが同意した、この暖かい雰囲気の時代に、モンロー・ドクトリンはこの地域である程度の救済を経験した。1930年代後半までにヨーロッパは戦争状態に入り、独立した平和な領域という考えはアメリカ大陸全体に大きな魅力をもたらした。

そのような期待に反して、アメリカは第二次世界大戦に引き込まれ、当時のヘンリー・スティムソン陸軍長官は1945年5月の日記で、国際連合(United Nations)設立の提案とフランクリン・ルーズヴェルトの不介入の約束が相まって、モンロー・ドクトリンは希薄になったと内々に不満を漏らし、スティムソンは大いに落胆した。

モンロー・ドクトリンに関する明確な言及は減少したが、冷戦の期間中、アメリカの対ラテンアメリカ外交政策は、より介入主義的な熱意を帯びるようになった。ソ連の影響力を排除するという正当な理由によって、アメリカ政府はラテンアメリカ各地で改革主義的な民主化計画を覆し、アメリカに友好的な独裁政権を樹立する手助けをした。1970年、故ヘンリー・キッシンジャー米国務長官はチリについて、「ラテンアメリカの有権者が自分たちの判断に委ねるには、問題はあまりにも重要だ」と述べた。

アメリカがラテンアメリカに露骨に介入することはまれとなった30年後の現在、モンロー・ドクトリンに関する議論が復活しつつあるようだ。

今度は中国との大国間競争が再燃することを予期し、アメリカは西半球以外の地域からの挑戦者、そして西半球内からの挑戦者に対する首尾一貫したアプローチを模索している。モンロー・ドクトリンは、一見シンプルで持続性があるため、アメリカ国内で支持者を増やしている。しかし、最近の共和党内におけるモンロー・ドクトリン礼賛は、ラテンアメリカにおけるモンロー・ドクトリンとその意味を表面的にしか理解していないことを示唆している。

このような使い方はアメリカ国内向けかもしれないが、ラテンアメリカの耳に届くと、常識はずれ(out of touch)、あるいはそれ以上に思われる。モンロー・ドクトリンを褒め称えたところで、ラテンアメリカの人々が、自分たちの利益は西半球地域以外のライヴァルではなく、アメリカとの協力にあるのだと納得することはない。モンロー・ドクトリンを呼び起こすことは、モンロー・ドクトリンが回避しようとする結果そのものを早めることになる。

ラテンアメリカで「モンロー・ドクトリン」という言葉を受け入れる人はほとんどいないだろうが、ブラジルのジャイル・ボルソナロ前大統領、エクアドルのギジェルモ・ラッソ前大統領、アルゼンチンのハビエル・ミレイ新大統領など、この地域の右派の指導者の多くは独自の反中国的気質を持っている。これらの指導者たちは、中国の経済的・政治的比重の高まりを相殺するためにアメリカを頼っている。近年、この地域のいくつかの国々は、台湾から中国に外交関係を切り替え、北京との貿易・投資取引を拡大している。

ジョー・バイデン米大統領が、国連で公然とモンロー・ドクトリンを称賛するトランプ大統領に追随することはないだろう。しかし、バイデン政権のイニシアティヴの多くは、ラテンアメリカでも同じように受け止められている。複数のアメリカ政府高官は、移民や麻薬取引に関連する問題以外にラテンアメリカのために時間を割くことはほとんどなく、アメリカがこの地域に提供する経済支援は、他の地域への関与に比べるとわずかなものと見られている。バイデン政権の高官たちがラテンアメリカの人々に中国との経済的な関わり合いの危険性を説く時、その警告は「アメリカが一番よく知っている(the United States knows best)」というモンローの常套句の現代版として聞かれる。

モンロー・ドクトリンは、最近の復活によって、さらに多くの意味を持つようになった。しかし、モンロー主義(Monroeism)は名目であれ、暗黙の政策パラダイムであれ、失敗する運命にある。用語としての「モンロー・ドクトリン」は、贖罪するにはあまりにも汚染されている。今日の南北アメリカ関係においてこの言葉を持ち出すことは逆効果である。モンロー・ドクトリンは、一極主義、家父長主義(パターナリズム)、介入主義(interventionism)との2世紀にわたるつながりを拭い去ることはできない。

モンロー・ドクトリンを別の名前で呼んでも、その胡散臭さは隠せない。モンロー・ドクトリンの核心原理(core principles)は、現在の国際関係や南北アメリカ関係と衝突している。モンロー・ドクトリンは分離領域の考え方を前提としており、より多国間的なモンロー・ドクトリンの解釈は、独特の「西半球の考え方(Western Hemisphere idea)」の基礎としてこの側面を強調する傾向があった。

しかし、冷戦下の世界規模の対立と普遍的な核の脅威は、分離領域の実現可能性に疑問を投げかけた。グローバルな気候変動とヴァリューチェーンの時代となった今、この主張はさらにありえないものに見える。アメリカはヨーロッパ、アジア、そして世界情勢と切っても切れない関係にあるだけでなく、ラテンアメリカも同様である。

多国間のドクトリンの概念でさえ、家父長的な前提に陥っていた。より多国間的で平等主義的な地域秩序を求める声は、誰が西半球の脅威となるかを決めるのはアメリカであるというモンロー・ドクトリンの基本的な前提とは相容れない。

同様に、当初のモンロー・ドクトリンにあったヨーロッパ諸国による再征服の禁止は、時代とともに他の活動、たとえば数十年前のソ連との外交・通商関係や今日の中国の「債務の罠(debt traps)」にも適用されるようになった。モンローから出発するということは、アメリカがどのような外交関係が不穏当であるかを定義することを前提としている。

そしてここに問題がある。政策立案者たちがモンロー・ドクトリンの意味をどう考えようと、モンロー・ドクトリンの核心は、ラテンアメリカ諸国が世界の中で独自の道を切り開くことができるということを疑っているのだ。アメリカの外交政策がそのような考えを払拭しない限り、モンローの呪縛から抜け出せないだろう。

※トム・ロング:ワーウィック大学国際関係論講師、メキシコシティにある経済学研究教育センターの非常勤教授を務めている。ツイッターアカウント:@tomlongphd

※カーステン=アンドレス・シュルツ:ケンブリッジ大学国際関係学助教授を務めている。ツイッターアカウント:@schulz_c_a
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 最近の中国をめぐる動きとして重要なのは、フランスのエマニュエル・マクロン大統領の訪中とブラジルのルイス・イグナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ大統領の訪中が続けて実施されたことだ。日本のメディアではフランスのマクロン大統領訪中が大きく取り上げられたが、より重要なのはブラジルのルラ大統領の訪中だ。フランスの世界経済に占める割合もそして外交における存在感も衰退し続けている。

マクロン大統領は訪中して中国の習近平国家主席と会談を持ち、何かしらの発言を行ったが、何の影響力もない。フランス国内の年金制度改悪問題でダメージを受けている。ウクライナ戦争に関して、フランスが独自の立場で動いているということはない。NATOの東方拡大(eastward expansion)の一環で、のこのこと間抜け面を晒して、アジア太平洋地域におっとり刀で出てこようとしているが、全てアメリカの「属国」としての動きでしかない。フランスは戦後、シャルル・ドゴール時代には独自路線を展開し、NATO(1948年結成)から脱退(1966年)したほどだったが、2009年のニコラ・サルコジ政権下で復帰している。

 ブラジルはBRICs、G20の一員として、経済、外交の面で存在感を増している。南米、南半球の主要国、リーダー国として、ブラジルは、独自の外交路線を展開している。欧米中心主義の国際体制の中で独自の動きを行おうと模索している。具体的には中国(そしてロシア)との関係強化とアフリカ諸国との連携である。アフリカ諸国との関係強化は南半球のネットワークの強化ということでもあり、かつ、旧宗主国としての西側諸国から自立した地域を目指すということだ。

このような動きが既に始まっている。それを象徴する言葉が「グローバル・サウス」である。また、学問においては、欧米中心の「世界史(world history)」に対抗する「グローバル・ヒストリー(global history)」が勃興している。欧米中心の政治学や経済学、社会学ではこの大きな転換(欧米近代体制500年からの転換)を分析し、理解することはどんどん難しくなっている。

 ウクライナ戦争は世界が既に第三次世界大戦状態に入っていることを示している。第二次世界大戦の際には、世界は連合諸国(Allied Powers、後にUnited Nations)と枢軸国(the Axis)に分かれた。この第三次世界大戦では、世界は大きく、西側諸国(the West)とそれ以外の国々(the Rest)に分かれている。グローバル・サウスはそれ以外の国々の側だ。この戦いでは、それ以外の国々が優勢となっている。これは日本のテレビや新聞といった主流メディアを見ていても分からないことだ。

(貼り付けはじめ)

ルラ大統領の北京訪問は何故マクロン大統領の訪問よりも重要なのか(Why Lula’s Visit to Beijing Matters More Than Macron’s

-世界の経済の大きな動き、ダイナミズムはグローバル・サウス(global south)に移りつつある。

ハワード・W・フレンチ筆

2023年4月24日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/04/24/lula-brazil-china-xi-jinping-meeting-ukraine-france-macron-vassal/

今月初め、フランスのエマニュエル・マクロン大統領が中国を訪問し、中国の習近平国家主席の世界観に同調し、アメリカに対して故意に控えめな姿勢をとり、台湾をめぐる大国の衝突の可能性について、フランスひいては欧州にとって限られた関心事であると発言した。マクロンに対して、ヨーロッパ大陸とアメリカにおいて、批判の声が一斉に上がった。また軽蔑するという声も上がった。

その数日後、ブラジルのルイス・イグナシオ・ルラ・ダ・シルヴァ大統領が北京を訪れ、マクロンと同様に中国の長年の立場を支持し、ブラジリアがワシントンから政治的に距離を置くことを公にするような発言をした。世界のマスコミは注目したが、それほど大きく取り上げなかった。

それぞれの訪問を個別に考えると、どちらの大統領の中国訪問も、過去との劇的な決別を示すものとは見なされることはないだろう。しかし、5年後、もしくは10年後に、どちらが記憶に残るかということになれば、それは南米の指導者の外交であり、はるかに若いフランスの指導者の外交ではないだろう。

今月、マクロン大統領の訪中がより注目を集めたのは、世界がどのように変化しているかという新鮮で冷静な考えよりも、国際メディアの根強い北大西洋バイアスを反映している。一見したところ、それぞれの国の外交には、他国よりも注目されるだけの根拠がある。GDPが約3兆ドルのフランスは、EUの中ではドイツに次ぐ第2位の経済大国であり、ブラジルGDPの約2倍である。

一方、ブラジルの人口は2億1400万人で、フランスの3倍以上、それだけで南米の人口の3分の1を占めている。人口が全てということはないが、将来を左右する可能性があるという点で、ブラジルに有利な議論はここから始まる。しかし、その前に、マクロンとフランスが、世界の中での重みを増し、アメリカとの距離を縮めようとする、一見、恒常的な試みに対して、懐疑的な理由を更に探る価値があると言えるだろう。

「永続的な(perennial)」という言葉の使用が示すように、世界の主要国に対するマクロンの外交には、本当に独創的なものはほとんど存在しない。歴史家の故トニー・ジャットが書いたように、フランスは1940年春、マース川を越えて押し寄せるドイツの戦車師団の前に軍隊が崩壊し、世界の主要国のクラブから追い出され、それ以来、その地位を回復することはなかった。しかし、そのために、この地位を失ったことに対するノスタルジーと悔しさに基づく外交政策が採用されてきたということもない。

第二次世界大戦がフランスに与えた精神的ショックは計り知れないものだ。伝統的に東ヨーロッパ地域に大きな影響力を持っていたフランスはその力を失った。フランス語は、もはや外交における固定の共通言語ではなくなった。戦勝国である連合諸国に対して、ドイツを解体するほどの懲罰を与えるよう説得することはできなかった。そして、経済的な生存と防衛から、国連安全保障理事会(the United Nations Security Council)という世界外交のトップテーブルへの座を含む、多くの事柄において、フランスが反射的に不信感を抱く「人種(race)」、すなわちアメリカとイギリスのアングロサクソン(the Anglo Saxons of the United States and Britain)の支持と寛容に依存してきた。

左右問わず、フランスの指導者たちはかつての高貴な地位を取り戻そうとして、世界に対して2つの時代遅れのアプローチに固執してきた。第一は、帝国の名残をできるだけ長くとどめることだった。その結果、パリはアルジェリアやインドシナで相次いで植民地支配が生み出す苦難に見舞われ、西洋諸国が帝国を支配することはもはや許されないという新しい時代の到来を受け入れる結果となった。それ以来、アフリカにおいて、フランスは、数年ごとに、軍事的関与と深い経済浸透による支配と干渉の古いパターンは過去のものであると宣言しているにもかかわらず、一連の新植民地関係を放棄することに苦労している。中国を訪問したマクロンは、フランスはアメリカの「属国」にはならないと強く宣言した。結果として、マクロンにとっては何とも厳しい皮肉が出現することになった。

もう一つのフランスの伝統的な戦術は、かつて「旧大陸(Old Continent)」を支配した現実政治(realpolitik)への関与である。これは、その時々の支配的な国に対して、完全に対抗しないまでも、常に緊張関係を保ちながらバランスをとること(balancing in tension with, if not completely against, the dominant power of the day)を意味する。この点で、フランスのアプローチが最も特徴的なのは、戦後、フランスがこのゲームを行った主役は、名目上の同盟国であるアメリカであるということだ。シャルル・ドゴールからフランソワ・ミッテラン、そして現在のマクロンに至るまで、そしてその間にフランスを率いたほとんどの人物を含めて、パリはまるで固定観念に従うかのように、ワシントンの最大のライヴァルと個別の理解や和解を得ようとしてきた。時が経つにつれ、これらにはソヴィエト連邦、毛沢東主席が率いた中国、そして今では経済とますます軍事的超大国である習主席の非常に異なる中国が含まれるようになった。

フランスが自国の問題に関して自律性と独立(autonomy and independence)を望むことを非難するのは間違いだ。しかし、パリはこれまで、その姿勢を持続的に評価させるのに必要な手段をほとんど持たず、ほとんど無能な妨害者として、時には単なる驕りや皮肉屋としてしか映らなかった。

中国に媚びることで、マクロンはエアバスのジェット機の大量発注に関する北京の承認を得るなど、予想通り多くの商業取引を実現したが、他に本当に達成したことはあるのだろうか? ロシアのウクライナ侵攻がヨーロッパの平和と安全への願望に対してどのように脅威を与えているのかを考えるよう習近平主席に求めたマクロン大統領は、北京が台湾への領有権を行使するために武器を使用する可能性に対する緊張が強く高まっている時に、台湾をバスに乗せようとしているように思われた。ヨーロッパでは、台湾をめぐる戦争のリスクが高まることへの懸念だけでなく、民主政体世界に対するシステム的な脅威としての中国への懸念も高まっている。恥ずかしいことに、先週、中国の駐仏大使が、かつてソ連に併合されていたEU加盟国であるバルト三国の主権を疑うような発言をしたのは、マクロンの訪中から1カ月も経っていない中で行われた。

更に言えば、アメリカからのヨーロッパの安全保障の独立を求めるマクロン大統領の新たな主張についてどう考えるべきだろうか? これも立派な考えではある。しかし、ワシントンがキエフに軍事的、外交的支援を提供する際に果たした指導的役割がなければ、ウクライナがロシアのウラジミール・プーティン大統領の侵略をなんとか持ちこたえられたことに疑いの余地はない。

ヨーロッパが自分たちの地域を守れるようになることは望ましいことかもしれない。だが、そのために必要な投資をする現実的な見込みは、当分の間、ほとんどないだろう。西ヨーロッパは、より高度な兵器はともかく、ウクライナが必要とする通常の砲弾を維持することさえできない。マクロンは、防衛と自決(defense and self-determination)に関するヨーロッパの良心(conscience of Europe)として真剣に受け止めるべきなのか、それとも彼の発言は、フランス人の貧しさと失われた関連性への郷愁の最新の表現に過ぎないのか、疑問が出てくる。

こうした背景の中で、ブラジルの最近の外交はもっと注目されるべきものである。確かに、南米のブラジルは、アメリカの外交政策から独立した実質的な行動できる余地を確保しようとする姿勢も以前から持っていた。国際基軸通貨(international reserve currency)としてのドルの存続を批判し、アルゼンチンとの通貨統合を模索し、さらにはウクライナ戦争をめぐって欧米諸国を批判するルラの取り組みは、単に象徴的な進歩主義者(iconoclastic progressive)の気まぐれと見るのではなく、最も重要な国家の1つから台頭しつつあるグローバル・サウスの1国として、その欲求を反映したものとして捉える必要がある。

何よりも、ブラジルの重要性が存在するのがこのグローバル・サウスという舞台だ。散らばっているように見えることもあるが、グローバル サウスは、世界の経済ダイナミズムの大部分が変化している場所だ。これは、世界の豊かな国のほとんど、および中国の悲惨な人口統計と、インド、インドネシア、ブラジル、メキシコなどの国々が世界のGDPランキングで力強く上昇するように設定されている世界経済生産のパターンの変化の中にみられる。そして、アメリカとイギリスを含む伝統的な西側の先進諸国は、現在から2050年の間に緩やかに衰退していくことになる。

ルラの発言は、欧米諸国にとって懸念を掻き立てるもの、更には脅威となると考えるのは間違いだ。マクロン大統領の言葉を借りれば、ブラジルは中国の属国になろうとは思っていない。ブラジルの可能性の多くは、自国の道を切り開くことにある。ドゴールはかつて、ブラジルを評して「未来の国(country of future)だ、これからもそうだ」と言ったという。しかし、多様な経済と豊富なソフトパワーを持つ多民族国家でありながら、対外侵略(extraterritorial conquest)の歴史もなく、他国を支配する野心もないブラジルに関しては、ようやくその時代が到来したということかもしれない。

アルゼンチンとの経済関係の強化が示すように、ブラジルは近隣諸国から恐れられてはいない。しかし、南半球のリーダーとしてのブラジルの将来の鍵を握っているのは、アフリカかもしれない。アフリカ大陸は、世界で最も人口が増加している地域であり、近年は堅調な経済成長を遂げているが、急増する若者たちが必要とする雇用の創出やインフラ整備を支援する新しいパートナーシップを切望している。中国は、これまでアフリカとの貿易や投資を独占してきた欧米諸国を抜き、アフリカにおける欧米諸国の代替的存在として急成長している。

ブラジルは、ルラ大統領の就任後、南大西洋の経済・外交パートナーシップを強化するための投資を開始したことは、別の記事で紹介した通りだ。ブラジルとアフリカは、大西洋横断奴隷貿易の悲劇的な歴史によって深く結ばれている。新しい強力な南北関係を率先して構築することで、ブラジルとアフリカは共に、より良い未来への扉を開くことができるだろう。

※ハワード・W・フレンチ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。コロンビア大学ジャーナリズム専門大学院教授。長年にわたり海外特派員を務めた。最新作には『黒人として生まれて:アフリカ、アフリカの人々、そして近代世界の形成、1471年から第二次世界大戦まで(Born in Blackness: Africa, Africans and the Making of the Modern World, 1471 to the Second World War.)』がある。ツイッターアカウント:@hofrench
(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 

 ブラジルでは、「ブラジル版トランプ」と呼ばれる、ジャイル・ボルソナーロが大統領選挙に勝利しました。ボルソナーロがどのような人物かについて、少し古い記事をご紹介します。以下の記事は、ジャイル・ボルソナーロがナチスのやり方を踏襲している、というものです。

jairbolsonaro001

 

 ボルソナーロは「ブラジル版トランプ」と呼ばれていますが、トランプ大統領よりも表現がより過激で、かつ、民主政治体制については恐らく否定的な考えを持っているでしょう(トランプ大統領はさすがに否定しないでしょう)。

 

 今回ご紹介する記事で、著者のフィンチェルスタインは、ボルソナーロこそがナチス式のやり方を踏襲しているが、ボルソナーロはそれを否定している、それどころか反対している左派の方がナチス的だと非難しているが、こうしたやり方こそがナチス式のやり方だという少し複雑な主張を行っています。

 

 南米諸国の政治は、いろいろと変転をしてきました。ポピュリズムという大衆迎合主義の要素が入った政治、クーデターによって軍部が政権を掌握した軍部独裁、軍部が実権を官僚にゆだねた官僚的権威主義といった様々な形態を経験しています。民主的な機構が制度化され、それが定着して間もないという点で、民主政治体制がまだまだ脆弱ということが言えると思います。

 

 そうした中で、ボルソナーロが大統領に当選したということと、アメリカでトランプ大統領が当選したということを一緒くたにしてしまうことは実態を見えにくくしてしまうのではないかと思います。最も大きな違いは民主政治体制を肯定するか、否定するか、民主政治体制の定着の度合いということになります。

 

 現在のブラジルの状況はアメリカと似ている部分もあります。それは、近代的な政治思想の諸原理、自由、平等、寛容といったものに対する「疲れ」と言うべきものです。この疲労感から、人種差別や性的差別、宗教差別のような敵対的な言辞や行動が増えているのではないかと思います。

 

 しかし、民主政治体制が制度化され、定着しているかどうか(英語では、オンリー・ゲーム・イン・タウンと表現します)、という点ではアメリカとブラジルでは大きく異なります。ブラジルのような経済発展も著しい南米地域の大国で、いきなり民主政治体制が廃絶されることはないでしょうが、実態として毀損されるということはあり得ます。

 

 ボルソナーロの大統領当選はそうした点で、人々に心配を生じさせているということになります。

 

(貼り付けはじめ)

 

ジャイル・ボルソナーロのモデルはムッソリーニではない。それはゲッベルスだ(Jair Bolsonaro’s Model Isn’t Berlusconi. It’s Goebbels.

―ブラジルの極右指導者はただの保守的ポピュリストではない。彼のプロパガンダキャンペーンはナチスのやり方をそのまま真似ている。

 

フェデリコ・フィンチェルスタイン筆

2018年10月5日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2018/10/05/bolsonaros-model-its-goebbels-fascism-nazism-brazil-latin-america-populism-argentina-venezuela/

 

10月7日、ブラジル国民は大統領選挙の一次選挙に投票を行う。現在のところ、極右の候補者ジャイル・ボルソナーロが勝利すると予測されている。ボルソナーロはブラジル版のトランプとも言われている。最近は、スティーヴ・バノンが選挙運動で助言を行っている。数週間前に起きた暗殺未遂事件のために現在も入院中であるが、ブラジルのポピュリストは暴力と厳格な方策を混合し発信している。ボルソナーロの選挙運動は人種差別、女性差別、厳格な法と秩序優先主義が入り混じったものだ。

 

ボルソナーロは、犯罪者は裁判にかけるよりも射殺すべきと主張している。彼は先住民族を「寄生虫」と呼び、差別的で優生学的な産児制限を主張している。ボルソナーロはハイチ、アフリカ、中東からの避難民がもたらす危険について警告を発し、彼らを「人間の屑」と呼び、軍隊に対処させるべきだと主張した。

 

ボルソナーロは恒常的に人種差別的、女性差別的発言を行っている。例えば、アフリカ系ブラジル人は肥満になりやすく怠惰だと発言し、子供たちが同性愛者にならないように肉体的に刑罰を与えるべきだと述べた。ボルソナーロは同性愛者を児童性愛者と同じだと述べ、ブラジル国家のある議員に対して、「お前をレイプすることはないだろう、お前にはその価値すらない」と言い放った。

 

一連の発言において、ボルソナーロの言葉遣いは、ナチスが主導した迫害と虐待の政策の裏にある言葉を思い出させる。しかし、ナチスのように聞こえることが彼をナチスにするだろうか?彼が選挙に参加し、選挙を行うことに信念を持っている以上、彼はナチスではない。しかし、ボルソナーロが大統領に選ばれたら、物事は急速に変化する可能性が高い。最近、ボルソナーロは選挙で負けても敗北を受け入れないだろうと発言し、軍隊も彼の考えを同意するだろうと示唆している。これは民主政治体制に対する明確な脅威である。

 

ボルソナーロはクーデターの可能性を示唆している。彼は南米諸国の独裁政治と汚い戦争の伝統を支持し、チリのアウグスト・ピノチェトやそのほかの独裁者たちを称賛している。

 

1970年代のアルゼンチンの「汚い戦争」に関与した将軍たちやアドルフ・ヒトラーと同様、ボルソナーロは、反対勢力には正当性(正統性)はないと考える。これは暴政をもたらす権力を求めるものだ。先月、ボルソナーロは政治的反対者である労働党のメンバーたちを処刑すべきだと発言した。

 

ボルソナーロは、左派は民主政治体制のアンチテーゼを示すものだと主張している。左派の躍進について、ボルソナーロは政治の「ヴェネズエラ化」だと述べている。しかし、実際のところ、南米諸国の様々な左派ポピュリズムは、ヴェネズエラでもそうだが、独裁的な方向に進んでも、人種差別や外国人排斥には関与していない。

 

左派のポピュリストの多くは、より伝統的な右派ポピュリストと同様、民主政治体制を破壊しない。彼らは民主政治体制の制度を軽視し、腐敗に手を染め、民主政治体制を縮小させてしまうが、彼らは選挙に負けたら選挙の結果を受け入れる。

 

左派ポピュリストは民主政治体制を受け入れている。例えば、アルゼンチンのネストル・フェルナンデス・デ・キルチネル政権とクリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル政権、エクアドルのラファエル・コリア政権がそうであった。右派には伝統的なポピュリストが多くいる。その中にはアルゼンチンのカルロス・メネムとイタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニが含まれる。彼らは民主政治に反対していない。

 

ボルソナーロは民主政治体制を支持していない。民主政治体制を支持し、暴力と人種差別を拒絶してきたこれまでの左派、右派ポピュリズムとは異なり、ボルソナーロのポピュリズムはヒトラーの時代にルーツを遡ることが出来る。

 

先月、ブラジルのドイツ大使館のウェブサイトには、ナチズムは社会主義だと主張する書き込みが殺到したのは偶然の出来事ではない。批判者たちは、極右のナショナリスト傾向のためにボルソナーロをナチスだと批判している。一方、ドイツ大使館のウェブサイトに殺到した怒れる人々は、元軍人ボルソナーロの支持だった。

 

右派ポピュリスト、ジャイル・ボルソナーロが負った肉体的傷は癒されるだろうが、ブラジルの政治はそのようにはいかない。

 

ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ元大統領は、2018年4月7日にサンパウロのサンベルナルド・ド・カンポ地区にある金属労働組合本部で、支持者の前に姿を現した。この時、裁判所はルーラに対する逮捕状を発行していた。元大統領は群衆に向かって、「私は逮捕状に従うつもりだ」と述べた。ルーラは敗れたが、ブラジルの民主政治体制は勝利した。刑務所に収監されるまで、前大統領は法の支配への敬意を発し続けた。

 

ブラジルをはじめ世界各地において、右派ポピュリストはナチスが行ったような行動を取っている。同時に、彼らは受け継いだナチスの伝統を否定し、左派こそがナチスの伝統を受け継いでいると非難している。オルトライト派のファシストのメンバーは、ナチスのように行動しながら、敵対者こそがナチスのようだ、と非難しているが、それは何の矛盾もないことだ。実際、左派ナチズムという考えは政治における神話に過ぎず、この神話こそがナチス式のプロパガンダの方法から生み出されたものだ。

 

ブラジル国内の右翼とホロコースト否定派は、ナチズムの復活に脅威を与えているのは左翼だと主張している。もちろん、このような主張は、ナチス式の思考方法から生み出された誤ったものだ。ファシストは常に彼ら自身がファシストであることを否定し、彼らの特徴と全体主義的政治的志向こそが彼らの反対者の特徴だと決めつける。

 

ヒトラーはユダヤ教がアメリカとロシアの裏にある力だと非難し、ユダヤ人は戦争を始め、ドイツを消滅させたいと考えていると述べた。しかし、実際に第二次世界大戦を開始したのはヒトラーであり、ヨーロッパのユダヤ人を消滅させようとし大量虐殺した。ファシストはいつも現実をイデオロギーから生まれたファンタジーに置き換えている。ボルソナーロが左派の指導者たちをヒトラーの現代版だと非難している理由はまさにここにある。実際のところ、ボルソナーロこそがスタイルと実質がヒトラー総統に近い候補者なのである。

 

現在、ドイツでもそうであるが、極右のデモ参加者たちはデモの中でナチス式の敬礼を行う。

ドイツで2番目に支持を集めている「ドイツのための選択肢」の指導者たちはナチズムを否定している。同時に、彼らは独立系メディアを利用するために、ヒトラーの悪名高き侮辱を使い、プロパガンダを行う戦略を採用している。ナチスの指導者ヒトラーが行ったように、彼らもまたメディアを「嘘つきマスコミ」と呼んでいる。

 

アメリカにおいては、2017年にドナルド・トランプ大統領がネオナチと白人優越主義者の中には「大変に素晴らしい人たち」がいると発言したことはよく知られている。トランプ大統領は大統領就任後に、CIAがナチスのように行動していると批判したことがあった。原題の極右の多く(その多くは白人優越主義者とネオナチ)は、ナチスのプロパガンダの諸原理に従い、イデオロギー上の先達との関係を否定し、自分たちに反対する人間たちこそが本物のナチスだと主張している。南米諸国の新たに出現している右派ポピュリストたちもその流れに沿っている。

 

ボルソナーロの対抗馬の候補者が彼を「熱帯のヒトラー」と非難した時、ボルソナーロは、ナチスの指導者の称賛したのは自分ではなく、対抗馬の方だと返した。2011年、ボルソナーロは、同性愛者になるくらいなら、批判者たちからヒトラーのようだと言われる方がましだと述べたことがあった。フェイクニュースとあからさまな虚偽という新しいポピュリストの時代に入り、ナチズムについてのこの種の虚偽は目立つようになっている。ナチズムとファシズムは左派に見られる現象だというねじ曲がった考えが目立つようになっている。

 

現代の極右とポピュリストの指導者たちは、人種差別を主張しているが、彼らの言動はこれまでになくナチズムに近いものとなっている。このような時代の中で、極右とポピュリストの指導者たちの多くは、社会主義的左派こそがナチズムなのだと非難するための単純な主張を行うことで、自分たちはヒトラーの伝統に連なるものではないと印象付けようとしている。これは、以前のファシストによる運動によく似た忌むべきプロパガンダ戦術である。

 

ヒトラーが台頭しつつあった時期、ナチスのプロパガンダ担当者たちは常に、ヒトラーは平和を愛し、反ユダヤ主義、人種差別、国家と国民の擬人化に対して、過激ではなく、穏健な考えを持っていると主張していた。簡潔に述べると、ヒトラーは寛大さに欠けた政治からかけ離れた指導者、ということになる。歴史家であればよく知っているように、こうした印象付けは、酷い虚偽であり、こうした虚偽によって長年にわたるナチズムの支持者が生み出されることになった。実際にはヒトラーは全く反対の人物だった。最も過激な戦争愛好者であり、歴史上屈指の人種差別主義者だった。ヒトラーの発言や行動と同じように見える現代の指導者たちは、ヒトラーと同じことをしているのだ。

 

ナチスの隆盛期、説明は言葉の繰り返しに取って代わられた。ナチズムの歴史的な遺産の無視(もしくは意図的な見落とし)によって、現代のプロパガンダに長けた人々は、右翼ナショナリストの特徴を左派の特徴にすり替えることが可能となる。ナチス党は、「国家社会主義」という混同しやすい名称を使い、意図的に労働者を混乱させ、ファシストに投票させるように誘導した。その後、ナチス党はすぐに社会主義的側面を放棄した。

 

「ファシズムと社会主義はイコールだ」と主張するために歴史を単純化する人たちは、意図的にファシズムが社会主義(と憲法体制上の自由主義)と戦っていたことを意図的に忘れる。ファシズムは人々の社会正義と階級闘争への関心をナショナリスト的、帝国主義的侵略にすり替えたのだ。歴史家ルース・ベン= ギアットは、ファシストの暴力の歴史を捻じ曲げられていることは、「右派の歴史を浄化する」ことを目的としていると述べている。

 

南米諸国ではファシズムにヒントを得た政治が行われたことがある。その典型例が1970年代のアルゼンチンに存在した汚い戦争と呼ばれたものだ。この時期、アルゼンチン政府は数千人の一般市民を虐殺した。よく知られているように、ボルソナーロは1999年に、ブラジルで独裁政治が確立されたら、国会議員からフェルナンド・ヘンリケ・カルドソ大統領を含む3万人を殺さねばならないと発言した。彼以前のファシストと同様、ボルソナーロはこの種の独裁政治こそが真の民主政治体制だと主張している。ただこの体制には選挙は存在しない。ボルソナーロの新しい点は、それまでの軍事独裁主義者と異なり、彼は市場ファシズムを民主政治体制だとしている点だ。

 

ボルソナーロは、自分が大統領に当選しても民主政治体制にとっては「ゼロリスク」だと主張しているが、多くのブラジル国民は彼の主張に同意していない。先週末に行われたボルソナーロに反対するデモの後、世論調査におけるボルソナーロの支持率は上昇している。ブラジル政治の専門家の中には、女性や少数民族からの激しい反対が彼の支持率を上昇させてしまっていると分析している人たちがいる。これと同じことが1930年代のドイツでも起きている。

 

ナチスの過激さがより既存の体制に反対し、暴力的になるにつれて、ヒトラーに対する人々の支持は大きくなっていった。権威主義に対する支持が上昇し、最近の世論調査で53%の国民が警察を「秩序を強制することを任務とする神の遣わした戦士」と見なすようになっているブラジルでは、ボルソナーロの主張は人気を博している。

 

ボルソナーロのような政治家はドイツのファシズム独裁者ヒトラーとの親和性を否定し、彼らの敵となる左派を本物のナチスだと非難する。しかし、歴史が私たちに教えているように、世界規模で新たに出現している右派ポピュリストを理解するための道筋にとって、彼らの政治手腕とプロパガンダのルーツがファシズムにあることを無視することはできない。

 

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