古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:ヘンリー・キッシンジャー

 古村治彦です。

 2023年12月15日に、副島隆彦先生の最新刊『中国は嫌々(いやいや)ながら世界覇権を握る』が発売になります。

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中国は嫌々ながら世界覇権を握る

 以下にまえがき、目次、あとがきを掲載します。是非手に取ってお読みください。

(貼り付けはじめ)

まえがき 中国人がいま本気で考えていること  副島隆彦(そえじまたかひこ)

この本の書名は「中国は嫌々(イヤイヤ)ながら世界覇権を握る」である。なぜ中国が「嫌々ながら世界覇権を握る」のか。そのことを説明することから始める。
大きく言うと、ウクライナ戦争はロシアが勝つ。今のような戦争状態はもう続かない。何らかの形の停戦がある。停戦が破られてもどうせ膠着(こうちゃく)状態になる。
世界が第3次世界大戦に入り、核戦争の可能性もある。この問題については、後ろのほうで書く。

ヘンリー・キッシンジャー博士がちょうど100歳で死んだ(11月29日)。この人が世界皇帝であったデイヴィッド・ロックフェラーの代理だった。
キッシンジャーは、2023年7月19日に北京へ向かい、このあと更迭された李尚福(りしょうふく)国防部長と会っている。

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(新聞記事貼り付けはじめ)

「100歳キッシンジャー氏、軍同士の対話復活探る 中国国防相と会談」

 米国のキッシンジャー元国務長官が中国を訪問し、7月19日に北京で李尚福国務委員兼国防相と会談した。李氏が米国の制裁対象となっていることが、米中が国防分野での対話を再開できない大きな要因となっているが、中国側は米国の対応次第で再開の意図があることを改めて示した。

 キッシンジャー氏はニクソン米政権の大統領補佐官として極秘訪中し、米中の国交正常化に道筋を付けた立役者。100歳となったキッシンジャー氏は現在の米中関係の緊張に危機感を持っており、2019年に習近平国家主席とも会談するなどいまでも中国側からの信頼は厚い。(朝日新聞 2023年7月18日)

 (新聞記事貼り付け終わり)

キッシンジャー博士が死んでも、当分の間(あいだ)は核戦争は起きない。なぜなら、核戦争を食いとめるためにヘンリー・キッシンジャーという大御所が存在したからだ。この構造はすぐには変わらない。だから大丈夫である。

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『中国は嫌々(いやいや)ながら世界覇権を握る』 目次

まえがき 中国人がいま本気で考えていること ──3

第1章  中国が嫌々ながら世界覇権を握る理由

目の前に迫るアメリカの没落 ──16
アメリカはもはや核ミサイルを打てない ──21
世界覇権が「棚からぼたもち」で中国のものになる ──26
「賃労働(ちんろうどう)と資本の非和解的(ひわかいてき)対立」という中国の大問題 ──30
人権は平等だが、個人の能力は平等ではない ──36
李克強の死 ──44
アメリカに通じた大物たちの〝落馬〟 ──48
中国の不動産価格は落ち着いていく ──49
民衆にものすごく遠慮している中国共産党 ──53
統一教会に対して空とぼけている連中 ──57

第2章  中国はマルクス主義と資本主義を乗り越える

中国は自分たち自身の過去の大失敗を恥じている ──68
鄧小平と Y=C+I ──78
ジャック・マーを潰すな ──85
中国が気づいた有能な資本家の大切さ ──90
中国版のオリガルヒを絶対に潰さない ──97
中国は他国に攻め入るどころではない ──100
イデアとロゴス ──102
賃労働と資本 ──107
「賃労働と資本の非和解的対立」について ──111

第3章  中国と中東、グローバルサウスの動き

ハマスを作ったのはCIAである ──120
パレスチナの若者はハマスに騙されて死んだ ──126
中国が成し遂げたイランとサウジの歴史的仲直り ──128
もうこれ以上アメリカに騙されない中東諸国 ──134
追い詰められているのはディープステイト ──136
一帯一路、発足10年で強まるヨーロッパとの関係 ──138
グローバルサウスの結集 ──154
進むアメリカの国家分裂 ──159

第4章  台湾は静かに中国の一部となっていく

ムーニーの勢力にヘイコラする日本 ──164
何よりも台湾人は中国人である ──170
台湾軍幹部の9割は退役後、中国に渡る ──175
基地の島、金門島の知られざる現実 ──182
ラーム・エマニュエルという戦争の火付け役 ──184

第5章  中国経済が崩壊するという大ウソ

ファーウェイ Mate60pro の衝撃 ──190
中国の勝利に終わった半導体戦争 ──195
半導体製造にまで進出するSBI ──202
アメリカが80年代に叩き潰した日本の半導体産業の真実 ──205
日本人が作った革新的な技術 ──208
量子コンピュータは東アジア人しか作れない ──212
アメリカが敗れ去った量子暗号通信技術戦争 ──213
EVという幻想 ── 218
TSMCの奪い合いこそが「台湾有事」の本態 ──221
世界を牛耳る通信屋たちの最大の弱点 ──225

あとがき ──228

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あとがき

 私が、この本で描きたかったことは。中国がもうすぐ次の世界支配国になる。アメリカ帝国は早晩(そうばん)崩(くず)れ落ちる。そのとき中国人は、どういう新(しん)思想で世界経営(けいえい)をするか、という課題だ。

 今の中国人は、総体としてもの凄(すご)く頭がいい。文化大革命の大破壊のあとの44年間を、ずっと苦労して這(は)い上がって来た。このことが私は分かる。中国(人)は、もうイギリス(大英帝国。ナポレオンを打ち倒した1815年からの100年間)と、アメリカ帝国(1914年からの100年間)の2つの世界覇権国(ヘジェモニック・ステイト)がやった、ヨーロッパ白人文明(ぶんめい)(実は帝国が文明も作るのである)の救済(サルベーション)と博愛思想[フラターニティ](代表キリスト教) の偽善(ぎぜん)と騙(だま)しによる世界管理はやらない。棚(たな)からぼた餅(もち)が落ちてくる。嫌々(いやいや)ながらの世界覇権国だ。

 中国は、カール・マルクスが発見した「賃労働(者)[ウエイジレイバラー]と資本(家)[カピタリスト]の非和解的対立」を何とか、180年ぶりに部分的に乗り越える新(しん)思想(イデー)で、世界を良導(りょうどう)しようと思っている。それを見つけることができるか。全てはここに掛(かか)っている。私自身の1973年(大学入学、20歳)以来の丁度50年間のマルクス思想との浮沈(ふちん)、泥濘(でいねい)でもある。

 中国は、もう核戦争と第3次世界大戦の脅威さえも乗り越えた。そんなものは怖くない、という段階まで一気に到達した。私は誰よりも早くこのことに気づいた。

 何という大ボラ吹きの大言壮語(たいげんそうご)を、と思われることはすでに計算のうちだ。先へ先へ、未来へ未来へと、予言(プレディクション)で突き進まなければ、知識・思想・言論を職業(生業[なりわい]) としてやっていることの意味がない。すでに私には、村はずれの気違い(village idiot、ヴィレッジ・イデオット)の評価がある。私だけは他のどんな知識人たちよりも、大きな言論の自由(フリーダム・オブ・エクスプレッション) を、この国で保障されている。しかも、出版ビジネス(商業出版物) としての信用の枠にもきちんと収まっている。

 この本を急速に書き上げるために、ビジネス社編集部の大森勇輝氏の優れた時代感覚に

大いに助けられた。記して感謝します。

2023年11月

副島隆彦

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 ヘンリー・キッシンジャー逝去のニューズは日本のテレビニューズでも報じられた。視聴者の多くは「そんな人もいたね」というよりは、「この人は偉い人なの?誰なの?」という疑問を持ったに違いない。キッシンジャーとはどのような人物であったのか、ということにつちえ、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌に掲載された追悼記事(obituary)をご紹介したい。

 キッシンジャーは学問の世界、現実政治の世界の両方で成功を収めた人物である。彼の行動指針は「リアリズム(realism)」「現実政治(realpolitik)」だった。リアリズムは、理想、道徳、価値観にとらわれない。キッシンジャー自身はリアリズムについて、「国際システムは不安定の中に生きている。あらゆる "世界秩序 (world order"は永続性への願望(aspiration to permanence)を表現している。しかし、それを構成する要素は常に流動的(constant flux)である。実際、世紀が進むごとに、国際システムの持続期間(duration)は縮まっている」と定義している。

 キッシンジャーのリアリズムは、私たちが日本の将来について、外交政策について考える際にも参考になるものだ。そして、キッシンジャーのいない世界は、これから更に不安定さを増していく。そして、最悪の事態まで突き進む可能性も高まる。核兵器を使用する、第三次世界大戦を私たちは目撃するかもしれない。

(貼り付けはじめ)

追悼記事(Obituary

ヘンリー・キッシンジャー、世界の舞台に屹立した大巨人(Henry Kissinger, Colossus on the World Stage

-この故人となった政治家はリアルポリティックス(realpolitik)の達人だった。ある人々は彼を戦争犯罪人(war criminal.)だと考えた

マイケル・ハーシュ筆

2023年11月29日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/11/29/henry-kissinger-obituary-cambodia-war-crimes-secretary-of-state/

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インタヴューを受けているキッシンジャー(1980年8月にワシントンにて)

アメリカ史上最も影響力を持つ政治家(statesmen)の一人であるヘンリー・アルフレッド・キッシンジャーが11月29日に100歳で亡くなった。アメリカ外交の偉大な勝利と悲劇的な失敗のいくつかに貢献した長く波乱に満ちたキャリアの末の逝去となった。

ドイツ生まれで、ナチズムからの難民として15歳でアメリカに渡ったキッシンジャーは、第二次世界大戦後、最も画期的な(epoch-making、エポックメイキング)な外交成果をいくつも残したと言われている。冷戦期の平和を維持するためにソヴィエト連邦との緊張緩和(détente、デタント)を開始し、上司であるリチャード・ニクソン(Richard Nixon)大統領とともに、1972年に共産主義中国との関係を開くことによって、この40年にわたる対立の条件を劇的に変化させたことなどがその例だった。

ニクソン大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官、そして国務長官という2つの役割を兼任したキッシンジャーは、おそらく中東交渉で最も成功した人物であり、4つのアラブ・イスラエル合意を生み出した「シャトル外交(shuttle diplomacy)」の技術を生み出した。そうすることで、彼は「世界において激動する地域にアメリカ主導の新しい秩序を確立し、アラブ・イスラエル和平の基礎を築いた(established a new American-led order in that turbulent part of the world and laid the foundations for Arab-Israeli peace)」と、『ゲームの達人:ヘンリー・キッシンジャーと中東外交術(Master of the Game: Henry Kissinger and the Art of Middle East Diplomacy)』の著者である、ヴェテランの中東交渉官のマーティン・アインディクは書いている。

一部の伝記作家の見解では、キッシンジャーは、アメリカの冷戦の封じ込め戦略の主要な設計者として成功させた(he principal author of America’s successful Cold War containment strategy)ジョージ・ケナン(George Kennan)や、その他の、第二次世界大戦後の世界システムの神聖な立役者たちと並ぶ地位にある。「キッシンジャーが設計した平和の構造は、ヘンリー・スティムソン、ジョージ・マーシャル、ディーン・アチソンとともに、近代アメリカの政治家の頂点に位置する(The structure of peace that Kissinger designed places him with Henry Stimson, George Marshall, and Dean Acheson atop the pantheon of modern American statesmen)」と、ウォルター・アイザックソンは1992年のキッシンジャーの伝記に書いている。アイザックソンはまた、「加えて、彼は今世紀最高のアメリカ人交渉官であり、ジョージ・ケナンと並んで最も影響力のある外交知識人であった」とも書いている。

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キッシンジャーが見ている前で、ジョージ・シュルツ元米国務長官(右)が、「戦争犯罪でヘンリー・キッシンジャーを逮捕せよ」と叫ぶ抗議者たちを押し返している。2015年1月29日の連邦上院軍事委員会での公聴会の前(ワシントンにて)

しかし、キッシンジャーはまた、特にリベラル派から、無数の死者を出した冷血なアメリカ権力の象徴と見なされ、非難されるようになった。ニクソンの側で、彼はクメール・ルージュ(Khmer Rouge)の台頭と100万人以上の虐殺を引き起こした、悲惨なカンボジア空爆を支持した。アメリカのカンボジア侵攻後、キッシンジャーはヴェトナムとの和平交渉をまとめ上げ、ノーベル平和賞を受賞したが、最終的にはわずか2年後に屈辱的な北ヴェトナムの南ヴェトナム占領を招き、それまでの戦争でアメリカは最悪の敗北を喫することになった。

キッシンジャーはまた、共産主義に友好的とされたチリのサルヴァドール・アジェンデ(Salvador Allende)大統領に対する1973年のクーデターを支持し、1971年のバングラデシュでの大量虐殺にはむか新だった。ニクソンとキッシンジャーは、東パキスタン(後のバングラデシュ)の独立を阻止しようとするパキスタン軍を支持し、ベンガル人の大量虐殺とレイプを監督するために、米国の法律に違反して彼らを武装させた。プリンストン大学の政治学者ゲイリー・バスは、後にこのエピソードを「冷戦における最も暗い章のひとつ」と評した。バスが引用した機密解除されたホワイトハウスのテープや文書によれば、当時の内部会議でキッシンジャーは、「死にゆくベンガル人(dying Bengalis)」のために「血を流す(bled)」人々を軽蔑していた。

故クリストファー・ヒッチェンズは、2001年の著書『ヘンリー・キッシンジャーの裁判(The Trial of Henry Kissinger)』の中で、キッシンジャーは「民間人の殺害、都合の悪い政治家の暗殺、邪魔な兵士やジャーナリスト、聖職者の誘拐と失踪を命じ、承認した」として、国際法の下で訴追されるべきだと主張した。

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1969年ホワイトハウスのシチュエイションルームで肖像写真のためにポーズを取るキッシンジャー。当時はリチャード・ニクソン大統領の国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めていた。

1923年5月27日、ドイツのフュルトで、ハインツ・キッシンジャーとして生まれたキッシンジャーは、ワイマール・ドイツの秩序崩壊とナチスの台頭に永遠に悩まされ、家族の多くを殺された。アメリカに亡命したキッシンジャーは、熱烈な情熱(passionate zeal)をもって新天地を受け入れたが、バイエルン訛りが抜けなかったのと同様、ヨーロッパ流の現実政治(European-style realpolitik)への憧れを捨て去ることはなかった。

キッシンジャーの国際問題における英雄は、後に彼が書いているように、「外交政策は情緒ではなく、強さの評価に基づいていなければならない(foreign policy had to be based not on sentiment but on an assessment of strength)」と主張した、伝説的な「鉄血宰相(iron chancellor)」オットー・フォン・ビスマルク(Otto von Bismarck)であった。アイザックソンは、「それがキッシンジャーにとっての指針(Kissinger’s guiding principles)のひとつにもなった」と述べている。

ハーヴァード大学に在職し、学術界のスターであったキッシンジャーは、ジョン・ケネディ(John Kennedy)に始まり、ネルソン・ロックフェラー(Nelson Rockefeller)、そして最後はニクソンと、アメリカの新進の指導者たちの信頼を得て、その才能と野心で知られるようになった。キッシンジャーはしばしば舞台裏で人々を鼓舞するようなな気性を見せ、ニクソン政権の最初の国務長官ウィリアム・ロジャースなどのライヴァルを蹴落とそうと常に動いていた。

キッシンジャーはまた、ニクソンや政府内の多くのライヴァルを失望させたが、国際的な有名人となり、映画の試写会や高級レストランのオープニングセレモニーにハリウッド女優たちを引き連れて出席した。「権力は究極の媚薬である(Power is the ultimate aphrodisiac)」とキッシンジャーが言ったのは良く知られている。1972年、『ゴッドファーザー』の主演俳優マーロン・ブランドが同映画のプレミアへの出席を辞退したとき、プロデューサーのロバート・エヴァンスは、キッシンジャーがブランドの代わりに出席するよう説得した。

しかし、キッシンジャーが最も永続的な足跡を残したのは、卓越した(par excellence)学者としてであり、説得者としてであった。ハーヴァード大学で、クレメンス・フォン・メッテルニヒ(Klemens von Metternich)やカースルレー卿(Lord Castlereagh)が成功した19世紀のリアリズムを論じた博士論文を完成させた後、キッシンジャーはまず、『核兵器と外交政策(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』という本で名を知られるようになった。この本は限定核戦争(limited nuclear war)を支持したが、キッシンジャーは後にこの考えを否定した。

バリー・ゲーウェンという学者によれば、キッシンジャーは1965年の時点で、ヴェトナムを訪問した後、ヴェトナム戦争は無益であるという結論に達していたにもかかわらず、ヴェトナム戦争を支持した。こうして彼は、多くの保守派を怒らせながら、ソヴィエトとの緊張緩和(détente、デタント)と核兵器削減交渉の時代をスタートさせた。

しかし同時に、キッシンジャーは1972年、ソ連が対立していた共産主義中国との前例のない和解(unprecedented rapprochement with communist China)を打ち出し、モスクワの意表を突いた。一部の学者によれば、これは、ワシントンが国内の混乱に気を取られ分裂していた時期に、ソヴィエトとの開戦を防ぐのに役立った可能性があるという。

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中国を公式訪問中の1972年2月23日、ニクソンとキッシンジャーは中国の周恩来首相と共に北京のスポーツイヴェントに出席した。

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1973年の北京の人民大会堂での公式晩餐会で中国の周恩来首相から食べ物を取り分けてもらうキッシンジャー。

それは、キッシンジャーと、同じくリアリスト志向の上司であったニクソンにとって、歴史上もっともふさわしい瞬間であった。二人とも、1960年代の「共産主義諸国は一枚岩だ(monolithic communism)」という概念や、ドミノ理論(domino theory)が不健全であることにいち早く気づいていた。ゲーウェンが2020年の著書『悲劇の必然性-ヘンリー・キッシンジャーとその世界(The Inevitability of Tragedy: Henry Kissinger and His World)』で「共産主義は一枚岩という考え方が捨て去られれば、二人の現実政治家にとって、反目する共産主義者同士を戦わせること以上に健全な政策があるだろうか?」と書いている。

ジョージタウン大学の国際問題研究者であるチャールズ・カプチャンは次のように書いている。「緊張緩和(デタント)は結局のところ、ヴェトナム戦争と、過剰拡大(overreach)という考えに突き動かされていた。キッシンジャーとニクソンは、冷戦について、後退させ、温度を下げる必要があると考えた。特に中国を敵の列から引き離すことに成功した。キッシンジャーは、他の重要人物にはない戦略的な考え方をした。アメリカの国家運営(U.S. statecraft)に関して、私(カプチャン)は政策が多すぎて戦略が足りないという問題が存在すると考えている。キッシンジャーはそれを逆転させた人物だ」。

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1975年にエジプトのアレキサンドリアで、エジプト大統領アンワール・サダトと、シナイⅡ交渉で、会談を持つヘンリー・キッシンジャー。交渉の結果、エジプトに領土が返還された。

キッシンジャーはまた、その魅力とユーモア、そして歴史の達人ぶり(mastery of history)で外国の指導者や外交官を虜にし、その人間的な魅力でも有名になった。もちろん、彼が交渉相手の独裁者たちの虐待をひどく気にしているようには見えなかったことも助けになった。

アイザックソンによれば、キッシンジャーが最も尊敬する二人の外国指導者は、中国の周恩来首相とエジプトのアンワール・サダト大統領だ。キッシンジャーは、サダト大統領がイスラエルとの交渉に積極的に参加する姿勢を取っていることを「預言者(prophet)」と評価した。1974年にキッシンジャーが初めてシャトル外交を試みた際、サダトはキッシンジャーを大統領邸宅の近くにある熱帯植物園に連れて行き、「マンゴーの木の下でキスした」とアイザックソンは書いている。驚くキッシンジャー国務長官に対し、サダトは「あなたは私の友人だけではない。あなたは私の弟でもある」と語った。キッシンジャーは後に記者団に対し、「イスラエル人がより良い待遇を受けられないのは、彼らが私にキスをしないからだ」と冗談を飛ばした。

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2001年9月11日の同時多発テロ攻撃の後、破壊の程度をニューヨーク市長ルディ・ジュリアーニから説明を受けるヘンリー・キッシンジャー

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連邦上院外交委員会でのイラクに関する公聴会を前にして、連邦上院外交委員会委員長ジョー・バイデンと話をするヘンリー・キッシンジャー(2007年1月31日)。

彼を取り巻く論争が激しかったにもかかわらず、キッシンジャーはアメリカの卓越した外交政策専門家としての名声を失うことはなかった。彼が亡くなるまでの数十年間、共和党と民主党の両方が、また多くの世界の指導者たちが彼の助言を求めた。キッシンジャーは、回想録、書籍、記事、著作を勢力に発表してきた。これらの業績は、一部の学者たちは、アメリカの専門家による外交政策の最も徹底的で深遠な解明である、と評価している。キッシンジャーはこうした業績を通じて、名声の復活を強化した。

アメリカ最高のリアリストとされるキッシンジャーは、世界を変えるウィルソン流の理想主義(world-changing Wilsonian idealism)、基本的にはワシントンがアメリカのイメージ通りに世界を再編成できるという考え方に対する懐疑主義においても、先見の明を証明した。彼は、ウィルソン主義がアメリカ外交の「基盤(bedrock)」であることを認めながらも、ウィルソン主義の落とし穴を誰よりもはっきりと見抜いていた。

冷戦後、民主政治体制の拡散(spread of democracy)が万能薬(panacea)になるという考えに対する、キッシンジャーの懐疑論ほど、彼の正当性が証明されたものはない。ゲーウェンが指摘したように、キッシンジャーは冷戦の終結がアメリカ型の自由民主体制資本主義(American-style liberal democratic capitalism)の大勝利につながるのではなく、むしろ「輝かしい夕日のようなもの(in the nature of a brilliant sunset)」であることを予見していた。

過去10年ほどの進展が示しているように、これはキッシンジャーが最もよく知るようになった中国に特に当てはまることが判明した。ビル・クリントンからの歴代米政権は、キッシンジャーがかつて「敵対者の回心によって平和が達成されるという古くからのアメリカの夢(the age-old American dream of a peace achieved by the conversion of the adversary)」と呼んだものを、冷戦後の世界市場と新興民主主義国家のシステム(post-Cold War system of global markets and emerging democracies)に中国を取り込もうとした。しかし、中国はソ連崩壊後のロシアとともに、独裁(autocracy)と人権抑圧の新時代の原動力となっている。

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2018年11月8日、北京の人民大会堂で中国の習近平国家主席と会談を持つキッシンジャー

キッシンジャーは長い間、中国やその他の大国に対する唯一の合理的なアプローチとして、理想主義的な方法で世界の問題を解決しようとするのではなく、むしろ刻々と変化する勢力均衡(バランス・オブ・パウア)を注意深く調整することによって問題を管理する(manage)という現実政治(realpolitik)を主張してきた。ゲーウェンは、「キッシンジャーの考えは、政策決定者に課せられた任務は控えめで、本質的に消極的なものであるというものだ。世界を普遍的な正義へと導くのではなく、力と力を競わせ、人間の様々な攻撃性(assorted aggressions of human beings)を抑制し、できる限り災難を避けようとするのである」と書いている。

キッシンジャーのアプローチの鍵は、恒久的な解決策ではなく、達成可能な目標を特定することだった。アインディクの言葉を借りれば、「キッシンジャーにとって、平和創造外交(peacemaking diplomacy)とは、対立する大国間の対立を解決するために設計されたプロセスではなく、対立を緩和するためのプロセスであった」ということになる。

キッシンジャー自身、1994年に刊行した代表作『外交』の中で、このリアリズム哲学を次のように定義している。「国際システムは不安定の中に生きている。あらゆる "世界秩序 (world order"は永続性への願望(aspiration to permanence)を表現している。しかし、それを構成する要素は常に流動的(constant flux)である。実際、世紀が進むごとに、国際システムの持続期間(duration)は縮まっている」。

この考えは、特に21世紀は当てはまるだろう。キッシンジャーは、「世界秩序を構成する要素、相互作用する能力、そしてその目標が、これほど急速に、これほど深く、これほどグローバルに変化したことはかつてなかった」と書いている。

キッシンジャーは次のように結論づけた。「次の世紀(21世紀)には、アメリカの指導者たちは国民のために国益(national interest)の概念を明確にし、ヨーロッパとアジアにおいてその国益が勢力均衡の維持によってどのように果たされるのかを説明しなければならないだろう。アメリカは世界のいくつかの地域で均衡(equilibrium)を維持するためのパートナーを必要とするが、これらのパートナーは道徳的考慮を基にするだけで選ぶことはできない」。

キッシンジャーは晩年に差し掛かり、ワシントンが道徳的あるいはイデオロギー的な理由で中国とロシアの両方に対立的なアプローチを採用することで、自らを孤立させ、北京とモスクワの古い同盟関係を復活させる危険性があることを恐れていた。2018年、キッシンジャーは、ドナルド・トランプ大統領(当時)に、中国に対抗するためにロシアともっと緊密に協力するよう助言したと伝えられている。

同時にキッシンジャーは、中国に対して新たな冷戦を仕掛けることで、ワシントンはソ連に対して直面したよりも更に大きな危険を作り出しているかもしれないとも警告した。ソ連は2021年5月、キッシンジャーは、マケイン・インスティテュートのセドナ・フォーラムで、「ソ連は中国のような発展的な技術力を持っていなかった。中国は巨大な経済大国であり、軍事大国でもある」と述べた。

アメリカがアフガニスタンから屈辱的な撤退をした後、『エコノミスト』誌に寄稿した最後のエッセイの一つの中で、キッシンジャーは世界をより良い方向に変えようとする過剰な理想主義的熱意(excess of idealistic zeal)に再び警告を発した。キッシンジャーは、ヴェトナムでの対反乱作戦の失敗を思い起こし、ワシントンの失敗を、彼の外交政策に対する生涯のアプローチにふさわしい言葉で次のように診断した。

キッシンジャーは次のように書いている。「アメリカは、達成可能な目標を定義することができず、アメリカの政治プロセスによって持続可能な方法でそれを結びつけることができないために、対反乱活動において自らを引き裂いてきた。軍事的目標はあまりに絶対的で達成不可能であり、政治的目標はあまりに抽象的でとらえどころがない。軍事的な目標はあまりにも絶対的で達成不可能であり、政治的な目標はあまりにも抽象的でとらえどころがなかった」。

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ニューヨークのパークアヴェニューにある事務所でのキッシンジャー(2011年5月10日)

キッシンジャーは最後まで、世界を解明しようと懸命に努力した。2021年にグーグル元最高経営責任者(CEO)エリック・シュミット(Eric Schmidt)、マサチューセッツ工科大学コンピューターサイエンス学部長ダニエル・ハッテンローチャー(Daniel Huttenlocher)と共著で出版した『AIの時代(The Age of AI)』を代表とする一連の著作の中で、彼は物事が間違った方向に進んでいるという深刻な懸念を表明した。

キャリアの大半で道徳的配慮を無視していると非難されてきたキッシンジャーにとって皮肉なことに、彼の主な心配は人間的要素(human element)の喪失だった。彼は、啓蒙主義(the Enlightenment)以来支配的になったパラダイム、つまり人間理性(human reason)の優位性が覆されつつあり、『アトランティック』誌での論説の中で述べたように、現在ではあまりにも多くの決定が「データとアルゴリズム(algorism)によって動かされ、倫理的または哲学的な規範によって制御されていない機械に依存している」ことを懸念していた。

重厚な物腰とドイツ訛りのキッシンジャーは、しばしば飄々(aloof)とした印象を与える。しかし、彼は広義でも狭義でも人間性をよく研究する人物であり、そのキャリアを通じて、交渉相手の指導者の性格をよく研究していた。死の間際、彼はこれらの経験をまとめた最後の本を執筆中だった。

シリアの独裁者、ハーフィズ・アサド(Hafez Assad)の死後、2000年の私とのインタヴューで、キッシンジャーはその独裁者の血塗られた歴史には口をつぐみがちだったが、それ以外はアサドの長所と短所を率直に評価した。キッシンジャーは次のように述べた。「アサドの成功は30年間も権力の座に居座り続けたことだが、それは何か大きな業績を残したということはなかった。彼は生き残りと小さな努力を積み重ねた人だった。彼は超越した人物ではなかった。彼に欠けていたのは、彼が育った環境を超越することだった」。

キッシンジャー自身が超越した人物であることは証明されたが、アサドに対する彼の評価は、少なくとも彼が生まれ育った環境を本当に超越したかどうかという点では、ある意味で彼にも当てはめることができるだろう。キッシンジャーは生涯を通じてヨーロッパの亡命者(refugee)であり続け、ビスマルクやメッテルニヒの弟子であり、アメリカを熱烈に支持しながらも、良くも悪くも、自分を受け入れてくれた国家の道徳に基づいた権力政治(morality-based power politics)を巧みに操った。

キッシンジャーの教え子であり、後にハーヴァード大学で政治的ライヴァルとなった外交官で政治学者のジョセフ・ナイは次のように述べている。「キッシンジャーは、外交政策における道徳について、評価されている以上に意識していた。彼は、秩序(order)が勢力均衡(balance of power)と同時に正統性(legitimacy)の上に成り立っていることを知っていた。彼は粗雑な現実政治(crude realpolitik)ではなかった。洗練された現実政治(sophisticated realpolitik)だった。

この複雑な遺産こそが、アメリカと世界にとって、キッシンジャーが遺したものだ。

※マイケル・ハーシュ:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。『資本攻勢:ワシントンの賢人たちはいかにしてアメリカの未来をウォール街に委ねたか(Capital Offense: How Washington’s Wise Men Turned America’s Future Over to Wall Street)』と『私たちとの戦争:アメリカがより良い世界を築くチャンスを無駄にする理由(At War With Ourselves: Why America Is Squandering Its Chance to Build a Better World)』がある。ツイッターアカウント:@michaelphirsh

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(終わり)

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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古村治彦です。

ヘンリー・キッシンジャー元国務長官・元国家安全保障問題担当大統領補佐官が100歳で亡くなった。彼が創設したコンサルティング会社キッシンジャー・アソシエイツが発表した。キッシンジャーについては、このブログでも特に多くご紹介してきた。このページの右側にある、「記事検索」の欄に「キッシンジャー」と入れてもらうと、キッシンジャーに関する記事がたくさん表示される。一番下まで行くと、「次の5件」という表示が出るので、それを押すと、次々と表示されるので、是非お試しいただきたい。

 私は2023年5月に長文の「キッシンジャー論」を翻訳し、このブログでご紹介した。以下にそのリンクを貼るので、「記事検索」と併せてご覧いただきたい。

(1)「同意しないことに同意する」というところから始めるキッシンジャーのリアリズム的な外交政策の真髄(第1回・全3回) 20230501

http://suinikki.blog.jp/archives/87343779.html

(2)「同意しないことに同意する」というところから始めるキッシンジャーのリアリズム的な外交政策の真髄(第2回・全3回) 20230502

http://suinikki.blog.jp/archives/87343787.html

(3)「同意しないことに同意する」というところから始めるキッシンジャーのリアリズム的な外交政策の真髄(第3回・全3回) 20230503

http://suinikki.blog.jp/archives/87343791.html  
 キッシンジャーについては1960年代からアメリカの安全保障。外交政策に関わり、様々な業績を残したので、それを簡単にまとめることは難しい。上記記事のようにどうしても長くなる。キッシンジャーについては近年であれば、中国の習近平国家主席、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領と頻繁に会談を持っていた。両首脳はキッシンジャーを厚遇した。キッシンジャーは非西洋諸国の中心的な2人の首脳に対して、様々な指南を行い、その最大のものはアメリカとは戦争してくれるな、ということだった。
 キッシンジャーはドナルド・トランプ大統領に対しても外交的な指南を行った。大統領選挙期間中、トランプは、娘イヴァンカの夫ジャレッド・クシュナーを介して、キッシンジャーとコンタクトを取り、キッシンジャーのニューヨークの私邸を訪問した。大統領当選後も、キッシンジャーはホワイトハウスを訪問している。トランプ政権下では、アメリカは大きな戦争を起こさず、巻き込まれることもなかった。バイデン政権下では、ウクライナ戦争とパレスティナ紛争が起きた。
 キッシンジャーについては毀誉褒貶がつきまとい、厳しい批判がある。しかし、彼の業績を今一度振り返り、リアリズムに基づいた外交政策とは何かについて、私たちはよくよく考える必要がある。
 キッシンジャー亡き世界とは、日本の戦前に例えるならば、最後の元老西園寺公望が亡くなった後の日本のようなことになるかもしれない。アメリカ、そして世界において、ブレーキ役がいなくなり、世論を含めて、強硬論が更に強くなり、戦争の可能性が高まるということも考えられる。しかし、少なくとも、習近平とプーティンがいる限りは、アメリカ、中国、ロシアが直接戦うということは起きないだろう。そのことはキッシンジャーの置き土産、遺産ということになるだろう。
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アメリカの外交官ヘンリー・キッシンジャーが100歳で死去(American diplomat Henry Kissinger dies at 100

ミランダ・ナッザリオ筆

2023年11月29日

『ザ・ヒル』誌

https://thehill.com/blogs/blog-briefing-room/4334541-american-diplomat-henry-kissinger-dies-at-100/

元外交官・元大統領補佐官のヘンリー・キッシンジャーが水曜日、100歳で死去した。彼のコンサルティング会社が水曜日夜に発表した。

キッシンジャー・アソシエイツの声明によると、キッシンジャーはコネティカット州にある自宅で死去した。

キッシンジャーは、国家安全保障分野と外交政策分野で幅広いキャリアで知られた。1969年から1975年にかけて、リチャード・ニクソン大統領の下で、国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。補佐官在任中に、ニクソンはキッシンジャーを第56代国務長官に指名し、国務長官と国家安全保障問題担当大統領補佐官の両方を同時に務めた最初の人物となった。

ジェラルド・フォード大統領の下で、国務長官に留任したが、フォード大統領は国家安全保障問題担当大統領補佐官からは退任させた。

キッシンジャーは1923年生まれ、当時はハインツ・アルフレード・キッシンジャーという名前だった。彼は人生の初期をドイツで過ごした。彼の家族はユダヤ系で、ナチスが権力を掌握した後、アメリカに移民した。アメリカに移民後、キッシンジャーは名前をヘンリーに改めた。

第二次世界大戦中、ドイツ語通訳としてアメリカ陸軍に入隊した。戦後、キッシンジャーはハーヴァード大学に入学し、1950年に学士号を取得し、1954年に博士号を取得した。その後は、アイヴィーリーグに残り、ハーヴァード大学政治学部教授、国際問題研究センター副所長を歴任した。

彼のキャリアは1960年代までに政府の仕事に移行し、ニクソンに国家安全保障問題担当大統領補佐官に任命されるまで、いくつかの政府機関でコンサルタントを務めた。

国務省に入ったのは、エジプトがイスラエルに奇襲攻撃を仕掛けて、1973年に起きたアラブ・イスラエル戦争が勃発する数週間前のことだった。キッシンジャーは国務省で指揮を執り、イスラエルが米国からの物資を確実に受け取れるよう支援し、その後、イスラエルとエジプト、後にシリアとイスラエル間の交渉を仲介するため、中東地域を行き来する「シャトル外交(shuttle diplomacy)」を開始し、何度も中東を訪問した。

国務長官を退任した後も、キッシンジャーは外交問題に関するアドヴァイザーを務め、後に「中央アメリカに関する全米超党派委員会(National Bipartisan Commission on Central America)」の委員長を務めた。その後、ロナルド・レーガン元大統領とジョージ・HW・ブッシュ(父)元大統領の下で大統領対外情報・諜報諮問委員会(President’s Foreign Intelligence Advisory Board)の委員を務めた。

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●「キッシンジャー元米国務長官が100歳で死去、米中国交樹立の立役者」

11/30() 10:49配信 ブルームバーグ

https://news.yahoo.co.jp/articles/53d6bd8d43b33168aecaa2d6d2eec8952d74fd42

(ブルームバーグ): ニクソン、フォード米政権で国務長官を務め、1970年代の米外交政策決定で重要な役割を果たしたキッシンジャー元米国務長官が、米コネティカット州の自宅で死去した。100歳だった。元国務長官の関係者が明らかにした。

キッシンジャー氏は大統領補佐官として、72年のニクソン大統領による電撃的な中国訪問を実現させ、79年の米中の国交樹立につながる土台を築いた。

冷戦下での旧ソ連とのデタント(緊張緩和)や戦略兵器制限条約の実現に貢献したことで歴史に名を残す一方、ベトナムとカンボジアに対する大規模な空爆を支持したことなどで批判も受けた。

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 古村治彦です。

 ヘンリー・キッシンジャーは今年初めから、「ウクライナのNATO加盟を容認」という主張を行っている。キッシンジャーをはじめ、リアリスト系の人々はウクライナのNATO加盟に長く反対してきたので、キッシンジャーの容認姿勢は驚きをもって迎えられた。しかし、キッシンジャーの主張をよくよく吟味してみると、リアリストの原理原則から導き出された内容であることが良く分かる。
henrykissinger101

 キッシンジャーがウクライナのNATO加盟に反対していたのは、ウクライナがNATOに加盟すると、NATOの後ろ盾を受けて、ロシアと事を構える、ロシアと戦争を起こす危険があった、ロシア側からすれば、脅威が一気に増大する、ロシア側もウクライナを自陣営に「取り戻す」ために事を構えるという事態が考えられたからだ。
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 実際には、ウクライナをNATO(特にアメリカ)が手厚く支援し、急激に武力を増強した。結果として、ロシア側は危機感を強め、ウクライナに対して侵攻するということになった。ウクライナはNATO加盟を悲願として、10年以上にわたり、加盟申請を行いながら、NATOはウクライナの加盟を認めてこなかった。しかし、ウクライナに対する支援を強め、「正式にメンバーにしている訳ではありませんよ」という建前を主張しながら、対ロシア姿勢を強硬なものとし、実質的にウクライナをメンバーとして扱っていた。

 戦争が起きてしまった以上、前提は変わった。そのため、キッシンジャーは、一転して、ウクライナのNATO加盟を容認することになった。その理由は、「軍事力を高めたウクライナを単独で行動させないために、枠にはめる、タガをはめるためにウクライナをNATOの中に入れる」ということだ。ウクライナは現在、西側諸国(the West)の手厚い支援を受けて、ロシア軍と交戦中だ。今回の戦争の前、ウクライナ軍は脆弱で、ロシア軍はすぐにキエフを奪えると見られていた。しかし、ウクライナ軍は西側の武器と最新テクノロジーによる情報奪取に成功し、ロシア軍を退かせた。ロシア軍はウクライナ東部を奪取し、現在、それら地域を守っている。ウクライナ軍は大攻勢をかけていると報道されているが、大きな戦果は挙げていない。しかし、シリア内線にも参加し、精強なロシア軍に対して、西側の支援はありながらも1年以上、戦争を継続できているウクライナ軍は周辺国の軍隊よりも確実に強化されている。ウクライナは精強な軍隊を持つ大国ということになる。そのような「変な自信」を持つと、何をしでかすか分からない。そのために、ウクライナにタガをはめるということが必要なのだ。

 また、東ヨーロッパ、中央ヨーロッパに軍事力を持つ大国が出てくることは、地域のこれまでの均衡(equilibrium)、バランス(balance)を崩すことになる。ここで問題になるのは、ポーランドである。ポーランドは歴史上、2度亡国の憂き目にあっているが、保湿的に拡大志向、大国志向国家であり、ポーランドの蠢動はヨーロッパを不安定化させる。ポーランドはリトアニアと共和国を形成していた時代にウクライナの大部分を支配していた時代もある。ウクライナ西部にはユニエイトと呼ばれるローマ法王を崇めるカトリック系の宗教グループがあり。ポーランドのとの親和性が高く、ポーランドがウクライナ西部を併合するという話もあった。ポーランドがウクライナと組んで、ロシアに対して攻撃を仕掛けるという可能性もある。このような状況から、ウクライナをNATOに入れて、ポーランドと共に、しっかり監視して軽挙妄動をさせないということが重要だ。そして、ヨーロッパにおけるパワーバランス、力の均衡を構築し、紛争を未然に防ぐというリアリズムの原理に基づいた戦後処理が必要ということになる。キッシンジャーの慧眼には恐れ入るばかりだ。

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再びの世界大戦を避ける方法(How to avoid another world war

ヘンリー・キッシンジャー筆

2022年12月17日

『スペクテイター』誌

https://www.spectator.co.uk/article/the-push-for-peace/

第一次世界大戦は、ヨーロッパの名声を失墜させた一種の文化的自殺(cultural suicide)であった。ヨーロッパの指導者たちは、歴史家クリストファー・クラークの言葉を借りれば、夢遊病(sleepwalk)のように、1918年の終戦時の世界を予見していたならば、誰も参戦しなかったであろう紛争に突入した。それまでの数十年間、ヨーロッパ諸国は2つの同盟を形成して対立し、その戦略はそれぞれの動員スケジュールによって結びついていた。その結果、1914年、ボスニアのサラエヴォでオーストリア皇太子がセルビア人の民族主義者によって殺害された事件は、ドイツがヨーロッパの反対側にある中立国ベルギーを攻撃してフランスを敗北させるという全目的に適う計画(all-purpose plan)を実行したことから始まった戦争へとエスカレートしていった。

ヨーロッパの国々は、テクノロジーがそれぞれの軍事力をいかに強化したかを十分に理解していなかったため、互いに前例のない壊滅的な打撃を与え合った。1916年8月、2年間の戦争と数百万人の死傷者を出した後、西側の主要戦闘参加国(イギリス、フランス、ドイツ)は、殺戮を終わらせるための展望を探り始めた。東側では、ライヴァルのオーストリアとロシアが同等の働きかけを行っていた(feelers)。既に被った犠牲を正当化できるような妥協案はなく、また誰も弱気な印象を与えたくなかったため、各指導者は正式な和平プロセスを開始することを躊躇した。そこで彼らはアメリカの仲介(mediation)を求めた。ウッドロウ・ウィルソン大統領の個人的な使者であったエドワード・ハウス大佐の尽力によって、修正された現状維持に基づく和平(a peace based on the modified status quo ante)が手の届くところにあることが明らかになった。しかし、ウィルソンは調停に乗り出し、最終的には熱望したものの、11月の大統領選挙が終わるまで延期した。その頃には、イギリスのソンム攻勢とドイツのヴェルダン攻勢によって、更に200万人の死傷者が出ていた。

フィリップ・ゼリコウによるこのテーマに関する本の言葉を借りれば、あまり踏み固められていない道(the road less travelled)となったのである。第一次世界大戦は更に2年続き、何百万人もの犠牲者を出し、ヨーロッパの既存均衡(Europe’s established equilibrium)は取り返しのつかないほど損なわれた。ドイツとロシアは革命によって引き裂かれ、オーストリア・ハンガリー帝国は地図上から姿を消した。フランスは白骨化(bled white)した。イギリスは勝利のために、若い世代と経済力のかなりの部分を犠牲にした。戦争を終結させた懲罰的なヴェルサイユ条約は、それが取って代わった構造よりもはるかに脆いものであることが証明された。

冬が大規模な軍事作戦の一時停止を迫る中で、世界は今日、ウクライナにおける転換点を迎えているのだろうか? 私は、ウクライナにおけるロシアの侵略を阻止するための同盟諸国の軍事的努力に対する支持を繰り返し表明してきた。しかし、既に達成された戦略的変化を土台とし、交渉による和平の実現に向けた新たな構造へと統合する時が近づいている。

ウクライナは、近代史上初めて中央ヨーロッパにおける主要国(major state)となった。同盟諸国に助けられ、ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領に鼓舞されたウクライナは、第二次世界大戦以来ヨーロッパを覆ってきたロシアの通常戦力(conventional forces)を阻止した。中国を含む国際システムは、ロシアの脅威や核兵器使用に対峙している。

このプロセスは、ウクライナのナNATO加盟に関する当初の問題を根底から覆した。ウクライナは、アメリカとその同盟諸国によって装備された、ヨーロッパで最大かつ最も効果的な陸軍の一つを保持している。和平プロセスは、ウクライナとNATOをつなげるべきである。特にフィンランドとスウェーデンがNATOに加盟した後では、中立(neutrality)という選択肢はもはや意味がない。だからこそ私は2022年5月、2022年2月24日に戦争が始まった国境線に沿って停戦ライン(ceasefire line)を設定することを提案した。ロシアはそこから征服を放棄するが、クリミアを含む10年近く前に占領した領土は放棄しない。その領土は停戦後の交渉の対象となりうる。

戦前のウクライナとロシアの分断線(dividing line)が、戦闘によっても交渉によっても達成できない場合は、自決の原則(principle of self-determination)に頼ることも考えられる。自決に関する国際的な監督下にある住民投票(referendums)は、何世紀にもわたって何度も政権が交代してきた特に分裂の多い地域に適用される可能性がある。

和平プロセスの目的は2つある。ウクライナの自由を確認することと、新しい国際構造、特に中央・東ヨーロッパの構造を定義することである。最終的にロシアは、そのような秩序の中に居場所を見つけることになる。

戦争によって無力になったロシアが望ましいと考える人もいる。私はそうは思わない。ロシアはその暴力的な傾向の割には、半世紀以上にわたって世界の均衡(global equilibrium)とパワーバランス(balance of power)に決定的な貢献をしてきた。その歴史的役割を低下させてはならない。ロシアの軍事的後退は、ウクライナでのエスカレーションを脅かすことができる世界的な核兵器の存在を消去するものではない。たとえ核兵器能力が低下したとしても、ロシアが解体したり、戦略的な政策能力が失われたりすれば、11の時間帯にまたがる領土が争いの絶えない空白地帯と化す可能性がある。競合する社会が暴力によって紛争を解決することになるかもしれない。他国が武力で領有権を拡大しようとするかもしれない。これら全ての危険は、ロシアを世界2大核保有国の地位に押し上げている、数千発の核兵器の存在によって、更に深刻化するだろう。

世界の指導者たちは、2つの核保有国が通常兵器で武装した国と争う戦争を終わらせるために努力する一方で、この紛争や長期的な戦略に影響を与えつつあるハイテクや人工知能の影響についても考えるべきである。自動自律兵器(auto-nomous weapons)は既に存在し、脅威を定義し、評価し、標的とすることができる。

この領域への一線を越え、ハイテクが標準的な兵器となり、コンピュータが戦略の主要な実行者となれば、世界はまだ確立された概念(established concept)のない状態に陥るだろう。コンピュータが、人間の意見を本質的に制限し、脅かすような規模や方法で戦略的指示を出す時、指導者はどのように統制することができるだろうか? このような相反する情報、認識、破壊的能力の渦の中で、文明はどのようにして維持可能となるだろうか?

この緊迫しつつある世界についての理論はまだ存在せず、この問題に関する協議の取り組みはまだ発展していない。おそらく、有意義な交渉によって新たな発見が明らかになる可能性があるが、その開示自体が将来のリスクとなるためだろう。先進技術とそれを制御するための戦略の概念との間の乖離を克服すること、あるいはその影響を完全に理解することは、気候変動と同じくらい今日重要な問題であり、テクノロジーと歴史の両方を把握できる指導者が必要である。

平和と秩序の追求は、時に矛盾するように扱われる2つの要素を持つ。安全保障の要素の追求と和解(reconciliation)行為の要求である。その両方を達成できなければ、どちらにも到達することはできない。外交の道は複雑で苛立たしく見えるかもしれない。しかし、その道を進むには、ヴィジョンと勇気の両方が必要なのである。

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キッシンジャー:ウクライナに単独で勝手な行動をさせないためにウクライナをNATOに加盟させる(Kissinger: Bring Ukraine into NATO to stop them from acting alone

デイヴィッド・P・ゴールドマン筆
2023年5月25日

『アジア・タイムズ』紙

https://asiatimes.com/2023/05/kissinger-bring-ukraine-into-nato-to-stop-them-from-acting-alone/

西洋のメディアの報道は、キッシンジャーがウクライナのNATO加盟を支持したことを見逃している。以下は、彼が『エコノミスト』誌に語った内容である。

ヘンリー・キッシンジャー:ウラジーミル・プーティンにとって、ウクライナのNATO加盟は強迫観念(obsession)だった。だから今、私は人々が「彼は考えを変えた、今はウクライナのNATOへの完全加盟に賛成している」という奇妙な立場にいる。一つは、ロシアはもはやかつてのような、通常の脅威となる存在ではない。だから、ロシアの挑戦は別の文脈で考えるべきだ。そして二つ目には、ウクライナがヨーロッパで最も武装した国であり、加えてヨーロッパで最も戦略的経験の乏しい指導者が率いている状態で、私たちはウクライナを武装してしまったということだ。おそらくそうなるであろうが、戦争が終結し、ロシアが多くの利益を失いながらもセヴァストポリは保持することということになっても、ロシアに不満が出るかもしれない。しかし同時にウクライナにも不満が出るかもしれない。

つまり、ヨーロッパの安全のためには、ウクライナをNATOに参加させ、領土問題について国家的な決定を下せないようにした方がよいということになる。

『エコノミスト』誌:つまり、ウクライナをNATOに加盟させるというあなたの主張は、ウクライナの防衛に関する主張というよりも、ウクライナがヨーロッパにもたらすリスクを減らすための主張ということか?

ヘンリー・キッシンジャー:私たちはウクライナを防衛する能力を証明した。ヨーロッパ諸国が今言っていることは、私から見れば、非常に危険なことだ。なぜなら、ヨーロッパ諸国はこう言っているからだ。「私たちは彼らをNATOに入れることを望まない。何故なら彼らの加盟はリスクが高すぎるからだ。従って、私たちは彼らを武装させ、最新鋭の武器を与えるようにする」。このようなやり方を機能させるにはどうしたらよいだろうか? 間違った方法で戦争を終わらせるべきではない。その結果があり得るものだと仮定すれば、それは2022年2月24日以前に存在した現状維持の線上のどこかということになるだろう。ウクライナがヨーロッパに保護され続け、自国のことだけを考える孤独な(単独行動を行う)国家にならないような結果であるべきだ。

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キッシンジャーがウクライナのNATO加盟を支持(Kissinger Backs Ukraine's NATO Bid

ブレット・フォーレスト筆

『ウォールストリート・ジャーナル』紙

2023年1月20日

https://www.wsj.com/livecoverage/davos2023/card/kissinger-backs-ukraine-s-nato-bid-TEbEBq5ulGr0dBS9sPTZ

ヘンリー・キッシンジャー元国務長官は、ウクライナの北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty OrganizationNATO)加盟を主張した。

キッシンジャーはスイスのダヴォスで開催中の世界経済フォーラム(World Economic ForumWEF)の会議にリモートで出演し次のように述べた。「この戦争が起こる前、私はウクライナのNATO加盟に反対していた。なぜなら、ウクライナのNATO加盟によって、まさに今私たちが目にしているようなプロセスが始まることを恐れていたからだ。現状のような状況下で中立のウクライナ(neutral Ukraine)という考えはもはや意味がない。私は、ウクライナのNATO加盟が適切な結果(appropriate outcome)になると信じている」。

ウクライナは2022年9月にNATO加盟申請を行った。

キッシンジャーの発言は、先月『スペクテイター』誌に寄稿した記事の中で、侵攻前の接触線に沿ってロシア・ウクライナ戦争の停戦を確立するよう主張した内容と重なる。

キッシンジャーは火曜日、戦争を終結させる計画について、このような戦闘の停止は「軍事行動の合理的な結果であり、後の和平交渉の結果とは限らない」と述べた。

ロシアもウクライナも交渉開始について特に熱意を示していない。モスクワは、ウクライナがロシアの領土獲得を承認することを交渉の前提条件としているが、キエフは、意味のある交渉を始める前に、ロシア軍がクリミア半島と他の全てのウクライナの土地を放棄することを要求している。

キッシンジャーは、短期的な交渉が「戦争がロシアそのものに対する戦争にならないようにするだろう」と述べた。ロシアが大量の核兵器を保有していることを踏まえ、ロシア国内の不安定を引き起こすようなことがないように警告を発した。「交渉はモスクワに“国際システムに復帰する機会”を与えるだろう」とも述べた。

99歳のキッシンジャーは、1970年代に米国務長官としてソ連との冷戦の緊張緩和(Cold War détente)の確立に尽力した。

キッシンジャーは次のように述べた。「私は、戦争が続いている間もロシアと対話し、戦前の路線に達すれば戦闘は終結すると信じている。戦前の線で停戦することは、開戦時に存在した問題を超えて新たに深刻な問題を提起し、軍事衝突の継続の対象とすることで、戦争がエスカレートするのを防ぐ方法だと信じている」。

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ヘンリー・キッシンジャー、ウクライナのNATO加盟反対を撤回(Henry Kissinger Reverses Opposition to Ukraine’s NATO-Membership Bid

ジミー・クイン筆

2023年1月18日

『ナショナル・レヴュー』誌

https://www.nationalreview.com/corner/henry-kissinger-reverses-opposition-to-ukraines-nato-membership-bid/

今週スイスで開催された世界経済フォーラムの聴衆を前にして、ヘンリー・キッシンジャーは、ウクライナのNATO加盟はロシア侵攻の「適切な結果(appropriate outcome)」になる可能性があると述べた。

リモートでパネルディスカッションに出席した99歳のキッシンジャーは、ロシアは内部崩壊(internal collapse)による危機を回避するために、紛争後に国際社会への復帰を認められなければならないと説明した。CNBCによると、キッシンジャーは「独自の政策を追求できる国家としてのロシアを破壊することは、その領土に1万5000発以上の核兵器が存在する今、11の時間帯からなる広大な地域を内部紛争や外部からの介入の機会を開放することになる」と発言した。

キッシンジャーは以前、ウクライナがロシア軍に攻撃され、占領された領土を割譲することを条件とする、交渉による戦争解決を求めていた。キッシンジャーがその姿勢を翻したという兆候はないが、ウクライナのNATO加盟に関する彼のコメントは、重要な撤回を意味する。

キッシンジャーは次のように述べた「戦前、私はウクライナのNATO加盟に反対していた。NATO加盟は、まさに今私たちが目にしているようなプロセスを始めることになると危惧していたからだ。現状のような状況下で中立的なウクライナという考えはもはや意味がない。私は、ウクライナのNATO加盟が適切な結果になると信じている」。

NATOは10年以上にわたり、ウクライナはいずれ集団安全保障同盟(collective-security alliance)であるNATOに加盟する可能性があると述べてきたが、加盟を早めるための具体的な措置をとることは拒否してきた。

ロシアが侵攻を開始する3カ月前、ウクライナ政府高官ロマン・マショベツは、加盟を認めて欲しいというキエフの長年の要望を繰り返した。マショベツは2021年11月にナショナル・レヴュー誌のインタヴューに対して次のように語った。「プーティンはウクライナのNATO加盟にショックを受けるだろう。ウクライナがNATOに加盟すれば、彼はウクライナに対して、ハイブリッド、非通常的、通常型、非対称など、あらゆる戦争の形態を私たちに仕掛けることはできないだろう」。

フィンランドのサナ・マリン首相もダヴォス会議で同様の発言をし、ウクライナがNATOに加盟していればロシアは攻撃しなかっただろうと聴衆に語った。また、フィンランドとスウェーデンはNATO加盟国の承認を求め続けており、同盟に参加する「準備は十分にできている」とも述べた。

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 古村治彦です。

 ヘンリー・キッシンジャーは100歳となった。キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官、米国務長官を務めてから半世紀ほどが経つ。この50年ほどはコンサルタントというか、ネットワーカーとして活躍し、世界各国の最高首脳たちに具体的な指針を与えている。現在も移動は車椅子であるが、世界各地を飛び回っている。最近では日本を訪問し、岸田文雄首相とも会談している。
henrykissinger101

 「キッシンジャーなんてまだ生きているの?」「過去の人でしょ?」「もうそんなに影響力なんてないでしょ」ということを言う人は多い。そして、下の論稿の著者であるスティーヴン・M・ウォルトも「どうしてそんなに評価されるのだろうか」という疑問を持っているようだ。ウォルトに言わせれば、キッシンジャーのキャリアには、学者、政府高官、コンサルタントの3つの場面があるが、学者としての業績(新しい考えや理論の提示)は中途半端で終わり、国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官としての業績は確かにあるが、失敗もある。政府を離れてからのコンサルタント(キッシンジャー・アソシエイツ創設)からの方が50年ほどと最も長いキャリアであるが、政策提言など敗退したことはない、という評価になる。

 キッシンジャーの業績は「裏側(behind the scene)」でこそ発揮される。だから、表に出てくる内容だけで判断するのは、正確な判断ではない。彼の一挙一投足が報道されることはないが、漏れ伝わる動きは世界政治の勘所を抑えている。肝心な場所(ツボ、経絡)に適宜鍼を打つ鍼灸医のようなものだ。東洋医学のように、じんわりと効果が出てくる。それが現在の世界の状況だ。米中関係、米露関係が危険をはらみつつも、最終的な手切れまで進まないのはキッシンジャーの手当てがあるからだ。彼の米国内、海外に張り巡らせた人脈のおかげだ。

 キッシンジャーの抱える弱点は、彼の同程度の力を持つ後任者がいないことだ。キッシンジャーも人間であり、いつかは亡くなる。彼亡き後に誰がキッシンジャーと同じ役割を果たせるだろうか。管見ながら、私には彼の後任となり得る人物は思いつかない。そうなれば、大きく言えば、リアリズム側の力が弱まり、ネオコン(共和党)と人道的介入主義派(民主党)の力が大きくなる。目の上のたんこぶがいなくなり、これら2つの勢力が伸長することで、世界は大規模戦争の危機に直面する。その準備は進められている。NATOのアジアへの伸長はその一例だ。

 キッシンジャーをただの学者やコンサルタントと侮るのは間違いだ。また、「キッシンジャーは日本が嫌いなんでしょ」と訳知り顔に言うのも浅薄な態度である。キッシンジャーはそのような低次元の存在ではない。そもそも日本など世界から相手にされていないのだ。老人ばかりになって、金がなくなっていく日本にどれだけの価値があるのか。せいぜい中国の沿岸にべたっと張り付く空母、基地といったところだ。国際ゲームのプレイヤーではなく、コマ程度の存在だ。そういう認識を持って世界を眺めて、初めてキッシンジャーの凄さが少し分かるようになる。

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ヘンリー・キッシンジャーの評判の不思議に関する問題を解決(Solving the Mystery of Henry Kissinger’s Reputation

-元米国務長官は天才だ、しかしそれは読者の皆さん方が考えるような形ではない。

スティーヴン・M・ウォルト筆
2023年6月9日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/06/09/henry-kissinger-birthday-reputation-foreign-policy/

ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官に関して、この1ヵ月間、ニューヨーク経済クラブやニューヨーク公共図書館でのプライヴェートイヴェントなど、何度も100歳の誕生日のお祝いが開かれ、多くのVIPが出席している。この光景は、キッシンジャー独自のステータスを雄弁に物語るものだ。外交官のディーン・アチソン、ジョージ・ケナン、ジョージ・シュルツはもちろん、生きている間にこれほどの扱いを受けた政治家はほとんどいない。歴代大統領もそうだ。

キッシンジャーについて考える際、誰でも認めることであるが、彼は驚くべき人生を歩んできた。ナチス・ドイツからの難民でありながら、やがてアメリカで権力の頂点に立ち、70年近くもアメリカの外交政策に大きな影響を与え続けてきた。1世紀の時を経て、キッシンジャーはアメリカが生んだ最も偉大な戦略的思想家であると称賛されるようになった。彼の名前は、外交問題評議会や議会図書館のフェローシップ、いくつかの大学の寄付講座や研究センター、そして彼の名を冠したコンサルティング会社にも刻まれている。101歳を迎えてなお、これほどまでに世間の注目を集める人物は他にいない。

しかし、キッシンジャーの素晴らしい人生の中心には、難問がある。 キッシンジャーは、現在、独特の深みと知恵と洞察力を備えた外交政策思想家として常に賞賛されているが、その長いキャリアは、彼の崇拝者たちが考えているほど印象的なものではないように見える。キッシンジャーが恐るべき知性と卓越した業績を持つ人物であることは、彼の最も厳しい批判者たちでさえ認めるところであるが、問題は、1世紀を経て得た評価が十分に正当化されるかどうかである。

これが「キッシンジャーの難問(Kissinger conundrum)」である。なぜ、キッシンジャーは畏敬の念を持たれ、彼自身が世界情勢を掌握し、他の誰よりも優れているかのように扱われるのだろうか?

この謎を理解するためには、キッシンジャーの職業上のキャリアを3つのセクションに分けることが有効である。第1段階は、ハーヴァード大学で1954年から1969年まで教鞭を執った研究者としてのキャリアである。第2段階は、リチャード・ニクソン大統領(当時)の国家安全保障問題担当大統領特別補佐官、ニクソンとニクソンの後継者ジェラルド・フォードの国務長官と国家安全保障問題担当大統領補佐官として、政府で活躍したキャリアである。第3段階は、著者、評論家、有識者としてのキャリアであり、その多くは、政府を離れた後に設立したコンサルティング会社キッシンジャー・アソシエイツの代表として行われたものである。

キッシンジャーは、ハーヴァード大学の学者として、数冊の本と多くの論文を発表し、ネルソン・ロックフェラーや外交問題評議会(CFR)との長いつきあいを開始した。いくつかの著書は広く注目されたが、結局、この時期の彼の学問への貢献は大きなものではなかった。彼の初期の著作はどれも古典という評価に値するものではなく、今日、学者たちに広く読まれ、議論されているものもほとんどない。ハンス・モーゲンソーやケネス・ウォルツのようなリアリストの著作は、国際関係の学術的研究に今なお長い影響を与えているが、キッシンジャーの学術的著作(最初の主著『回復された世界平和(A World Restored)』を含む)は、そうではない。キッシンジャーは核兵器についても多くの著作を残したが(1957年にベストセラーとなった『核兵器と外交政策(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』を含む)、グレン・スナイダー、バーナード・ブロディ、アルバート・ウオルシュテッター、トーマス・シェリングの著作は、キッシンジャーの著作よりも核戦略の進化にはるかに大きな影響を与えた。キッシンジャーが後に出版した『選択の必要性(The Necessity for Choice)』(1961年)は評判が良くなく、ナイオール・ファーガソンのようにキッシンジャーに同情的な伝記作家でさえ、NATOに関する後の本『二国間の歪んだ関係――大西洋同盟の諸問題(The Troubled Partnership)』(1965年)は急いで書いたもので、すぐに時代遅れになったと認めている。

確かに、キッシンジャーが学問の世界に力を注いでいれば、もっと大きな影響を与えることができたかもしれない。キッシンジャーは、ウィーン会議でのヨーロッパ秩序の再構築を考察した『回復された世界平和』から続く、世界秩序に関する三部作を書くつもりであったことが現在分かっている。しかし、キッシンジャーは現実の政策課題に取り組むようになり、三部作の完成には至らなかった。そして、アメリカのヴェトナム政策を深く掘り下げるなど、こうした活動が、やがて1968年の政権発足につながった。しかし、事実は変わらない。 学者としてだけ見れば、キッシンジャーは学術界の神殿の一員ではない。

キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として残した記録は、常に論争の的となっている。中国への開放(国交回復)、ソ連との重要な軍備管理協定の交渉、繰り返されるアラブ・イスラエル紛争への対応など、注目すべき業績もある。しかし、これらの成果は、ヴェトナム戦争への支持と、戦争に勝てないという認識にもかかわらず、その長期化に直接関与したこととのバランスを取る必要がある。ニクソンとキッシンジャーはまた、戦争をカンボジアに拡大することを選択し、知らず知らずのうちにクメール・ルージュの大量虐殺支配への扉を開いてしまった。キッシンジャーがチリで起こしたピノチェトの軍事クーデターを支援したことや、1971年のインド・パキスタン戦争への対応についても、厳しい評価を下す価値がある。

これらの出来事(およびその他多くの出来事)をどのように評価するかについては、合理的な人々の間で意見が分かれるところであろう。しかし、キッシンジャーの政治家としての功績が、ディーン・アチソン(第51代国務長官)やジョージ・シュルツ(第60代国務長官)、あるいはハワード・ベイカー(第61代国務長官)の功績をはるかに凌ぐものであると評価することは難しい。これは、キッシンジャーの業績を否定するものではない。就任後の行動が彼を卓越した政治家という評価を得させるものではないことを認めているに過ぎない。

ここからは第3段階についてだ。キッシンジャーは、企業や政府、そして一般市民に対して戦略的な助言を提供するというキャリアで長い経験を持ち、重厚な書籍や新聞コラム、その他様々な形で、めまぐるしい活動をしてきた。キッシンジャーの長いキャリアを振り返って、その実績はどうだろうか?

悪くはないが、あなたが思っているほどでもない。まず、キッシンジャーは政府を去ってから多くの本を出版しているが、3冊の回顧録(邦題は『キッシンジャー秘録1-5』。『ホワイトハウス時代』『激動の時代』『再生の時代』)を除けば、どれも画期的なものではなく、学問への貢献度が特に高いものではない。最も野心的な『外交』(1995年)と『世界秩序』(2014年)は、それぞれのテーマについて長大かつ博識に考察しているが、いずれも斬新な理論的見方や挑発的で新しい歴史解釈は示していない。これに対して、キッシンジャーの回顧録は、アメリカの上級政治家が書いた個人的な記述としては最高のものであり、重要な業績であると私は考えている。アチソンの『アチソン回顧録』(『天地創造[Present at the Creation]』)だけが、それに近い。他の回顧録と同様、著者が在任中に行ったことを強力に擁護しているため、懐疑的な目で読まなければならない。しかし、世界最強の国の外交官であり戦略家である著者が、膨大な不確実性の中で、矛盾する圧力と優先順位をリアルタイムで調整しながら、どのような仕事をしていたかを、間近で見ることができるのである。また、巧みな人物描写と力強いドラマ性に満ちた、魅力的な作品となっている。

キッシンジャーの他の活動についてはどうだろうか? マット・ダスが最近指摘したように、キッシンジャーは、政府機関での勤務を、政府機関から退任後に有利なキャリアに転換させる技術を、発明し、確かに完成させたのである。 キッシンジャー・アソシエイツは、コーエン・グループ、オルブライト・ストーンブリッジ・グループ、ライス、ハドレー、ゲイツ&マニュエル、ウエストエグゼック・アドバイザーズなど、元政府高官の名前、見識、コネを多種多様な(通常は正体不明の)クライアントに提供する会社の家内工業(cottage industry)の手本となったのである。ジョージ・マーシャルのような公僕が、公の奉仕(および他者の犠牲)から利益を得ることは不適切だと考え、自分のキャリアを現金化するための儲け話を断ったが、そんな時代はとっくに終わっており、キッシンジャーはその倫理観を損なうようなことを誰よりもした。特に、これらの元高官が外交政策に関する公的な議論に積極的に参加し続け、場合によっては再び政府に戻る場合、利益相反の可能性は明らかである。問題は、彼らの公的な立場が、私的な収入を強化する(あるいは少なくとも保護する)ことを意図していたかどうかを知ることができないことである。

更に言えば、キッシンジャーは、彼が政府の職から退任して以来、私たちが直面している最大の戦略的問題のいくつかについて、ひどく間違っていた。例えば、彼はNATOの拡大を早くから支持していたが、この決定は、他のオブザーヴァーが、ヨーロッパの永続的な平和ではなく、ロシアとの直接的な衝突をもたらすと正しく予見したものである。また、キッシンジャーは2003年のイラク侵攻を支持したが、これはアメリカ史上最大の戦略的失敗の1つであることは間違いなく、2015年のイランとの核合意には反対した。そして、キッシンジャーは、関与政策によって中国の台頭を助けると、強力なライヴァルの出現を早めることになることを予見できなかった。この盲点が、2011年に出版された『中国――キッシンジャー回想録』が、明らかに両極端な結論に達した理由の一因かもしれない。

キッシンジャーが全てにおいて間違っていたと言っているのではない。現代の出来事を分析するのは難しいことであり、全てを正しく理解する人はいない。私が言いたいのは、評論家としての彼の実績は、日常的に世界情勢を論じる他の人々よりも明らかに優れている訳ではないのに、なぜ多くの人々が彼をアメリカの偉大な戦略家として称賛するのかが理解しがたい、ということだ。

従って、謎は次のようになる。誇大宣伝を無視すると、キッシンジャーは生産的で有名であり続けてきたが、最終的にはそれほど影響力のある学者ではなかった。実際の成功と憂慮すべき失敗の両方を経験した政策立案者である。そして、現代の政策問題のアナリストでもあるが、その実績は他の人よりも際立ったものではない。それでは、彼が今日享受している高い評判についてどのように説明されるだろうか?

その答えの一つは、もちろん、彼が長寿であることだ。もしキッシンジャーが70歳代後半、あるいは80歳代半ばでこの世を去っていたら、その死は多くの人々の注目を集め、アメリカ外交史における彼の地位は揺るぎないものになっただろう。しかし、現在のような象徴的な地位は得られなかっただろう。最後の1人ということは、批評家やライヴァルがほとんどいなくなり、時間の経過によって過去の罪の記憶が曖昧になり、信奉者たちが彼の評判を高める時間が長くなることを意味する。

100点満点の答えには、この説明は間違いなく役に立つが、謎に答えるには、それ以上のことが必要となる。

私は本当の理由は極めて単純だと考えている。キッシンジャーほど、影響力と名声を獲得し、維持するために、これまで、そしてこれからも、より長く努力した人はいないだろう。私はこれまで、驚くほど意欲的で野心的な人物を数多く知っているし、他の人物についてもたくさん本を読んできた。キッシンジャーはそのどれにも当てはまらない。キッシンジャーに関する多くの伝記を何気なく読んだだけでも、その野心が桁外れであること、集中力が抜群で仕事の邪魔をするような趣味がないこと、そしておそらく現代世界がこれまでに見たことのないような偉大なネットワーカーであったことが分かる。彼は、自分の役に立つかもしれない人との間にある橋を焼き切ることはしなかったし、明らかにコンセンサスから外れた立場を取ることもなく、新しい人脈を築く機会を逃すこともなく、侮辱を忘れることもなく、十分にやったと結論づけることもなかった。分かりやすく言えば、キッシンジャーは、他の誰よりも働き、魅力的で、巧みで、人々を出し抜いてきたのだ。そして、何よりも驚くべきことに、彼は今なおその歩みを止めない。

キッシンジャーはまた、影響力が自己強化されることも理解していた。あなたが十分に有名であれば、他の人々は、批判的であるよりも、支持的であり、融和的である方が、より多くの利益を得られると結論付けるだろう。キッシンジャーを追いかけることは、ジャーナリストや大学教授など、広い視野を持たない人であれば、まったく問題ないかもしれないが、外交政策の中枢で大成したいのであれば、賢い戦略とはいえない。彼は既に多くの友人やコネクションを持っていた。彼が大きくなればなるほど、野心的な政策担当者は彼の知恵を疑うよりも、彼の寵愛を求めることを選ぶだろう。

このような大きな野望は計画を狂わせることもあるだろうし、少し怖い気もするが、賞賛に値するものもある。そして、巨大な野望を持つ人々全員がキッシンジャーのようにやれる訳ではない。しかし、キッシンジャーが今受けている賞賛を額面通りに受け取る、もしくは判断に迷った瞬間に目を向けないということをしてはいけない。彼が死ぬなどと言うことは考え難いことだが、完全に無謬であるとは言い難い。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

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