古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

SNSI研究員・愛知大学国際問題研究所客員研究員の古村治彦(ふるむらはるひこ)のブログです。翻訳と評論の分野で活動しています。日常、考えたことを文章にして発表していきたいと思います。古村治彦の経歴などについては、お手数ですが、twitter accountかamazonの著者ページをご覧ください 連絡先は、harryfurumura@gmail.com です。twitter accountは、@Harryfurumura です。よろしくお願いします。

タグ:ヘンリー・キッシンジャー

 古村治彦です。

 ヘンリー・キッシンジャーは今年初めから、「ウクライナのNATO加盟を容認」という主張を行っている。キッシンジャーをはじめ、リアリスト系の人々はウクライナのNATO加盟に長く反対してきたので、キッシンジャーの容認姿勢は驚きをもって迎えられた。しかし、キッシンジャーの主張をよくよく吟味してみると、リアリストの原理原則から導き出された内容であることが良く分かる。
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 キッシンジャーがウクライナのNATO加盟に反対していたのは、ウクライナがNATOに加盟すると、NATOの後ろ盾を受けて、ロシアと事を構える、ロシアと戦争を起こす危険があった、ロシア側からすれば、脅威が一気に増大する、ロシア側もウクライナを自陣営に「取り戻す」ために事を構えるという事態が考えられたからだ。
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 実際には、ウクライナをNATO(特にアメリカ)が手厚く支援し、急激に武力を増強した。結果として、ロシア側は危機感を強め、ウクライナに対して侵攻するということになった。ウクライナはNATO加盟を悲願として、10年以上にわたり、加盟申請を行いながら、NATOはウクライナの加盟を認めてこなかった。しかし、ウクライナに対する支援を強め、「正式にメンバーにしている訳ではありませんよ」という建前を主張しながら、対ロシア姿勢を強硬なものとし、実質的にウクライナをメンバーとして扱っていた。

 戦争が起きてしまった以上、前提は変わった。そのため、キッシンジャーは、一転して、ウクライナのNATO加盟を容認することになった。その理由は、「軍事力を高めたウクライナを単独で行動させないために、枠にはめる、タガをはめるためにウクライナをNATOの中に入れる」ということだ。ウクライナは現在、西側諸国(the West)の手厚い支援を受けて、ロシア軍と交戦中だ。今回の戦争の前、ウクライナ軍は脆弱で、ロシア軍はすぐにキエフを奪えると見られていた。しかし、ウクライナ軍は西側の武器と最新テクノロジーによる情報奪取に成功し、ロシア軍を退かせた。ロシア軍はウクライナ東部を奪取し、現在、それら地域を守っている。ウクライナ軍は大攻勢をかけていると報道されているが、大きな戦果は挙げていない。しかし、シリア内線にも参加し、精強なロシア軍に対して、西側の支援はありながらも1年以上、戦争を継続できているウクライナ軍は周辺国の軍隊よりも確実に強化されている。ウクライナは精強な軍隊を持つ大国ということになる。そのような「変な自信」を持つと、何をしでかすか分からない。そのために、ウクライナにタガをはめるということが必要なのだ。

 また、東ヨーロッパ、中央ヨーロッパに軍事力を持つ大国が出てくることは、地域のこれまでの均衡(equilibrium)、バランス(balance)を崩すことになる。ここで問題になるのは、ポーランドである。ポーランドは歴史上、2度亡国の憂き目にあっているが、保湿的に拡大志向、大国志向国家であり、ポーランドの蠢動はヨーロッパを不安定化させる。ポーランドはリトアニアと共和国を形成していた時代にウクライナの大部分を支配していた時代もある。ウクライナ西部にはユニエイトと呼ばれるローマ法王を崇めるカトリック系の宗教グループがあり。ポーランドのとの親和性が高く、ポーランドがウクライナ西部を併合するという話もあった。ポーランドがウクライナと組んで、ロシアに対して攻撃を仕掛けるという可能性もある。このような状況から、ウクライナをNATOに入れて、ポーランドと共に、しっかり監視して軽挙妄動をさせないということが重要だ。そして、ヨーロッパにおけるパワーバランス、力の均衡を構築し、紛争を未然に防ぐというリアリズムの原理に基づいた戦後処理が必要ということになる。キッシンジャーの慧眼には恐れ入るばかりだ。

(貼り付けはじめ)

再びの世界大戦を避ける方法(How to avoid another world war

ヘンリー・キッシンジャー筆

2022年12月17日

『スペクテイター』誌

https://www.spectator.co.uk/article/the-push-for-peace/

第一次世界大戦は、ヨーロッパの名声を失墜させた一種の文化的自殺(cultural suicide)であった。ヨーロッパの指導者たちは、歴史家クリストファー・クラークの言葉を借りれば、夢遊病(sleepwalk)のように、1918年の終戦時の世界を予見していたならば、誰も参戦しなかったであろう紛争に突入した。それまでの数十年間、ヨーロッパ諸国は2つの同盟を形成して対立し、その戦略はそれぞれの動員スケジュールによって結びついていた。その結果、1914年、ボスニアのサラエヴォでオーストリア皇太子がセルビア人の民族主義者によって殺害された事件は、ドイツがヨーロッパの反対側にある中立国ベルギーを攻撃してフランスを敗北させるという全目的に適う計画(all-purpose plan)を実行したことから始まった戦争へとエスカレートしていった。

ヨーロッパの国々は、テクノロジーがそれぞれの軍事力をいかに強化したかを十分に理解していなかったため、互いに前例のない壊滅的な打撃を与え合った。1916年8月、2年間の戦争と数百万人の死傷者を出した後、西側の主要戦闘参加国(イギリス、フランス、ドイツ)は、殺戮を終わらせるための展望を探り始めた。東側では、ライヴァルのオーストリアとロシアが同等の働きかけを行っていた(feelers)。既に被った犠牲を正当化できるような妥協案はなく、また誰も弱気な印象を与えたくなかったため、各指導者は正式な和平プロセスを開始することを躊躇した。そこで彼らはアメリカの仲介(mediation)を求めた。ウッドロウ・ウィルソン大統領の個人的な使者であったエドワード・ハウス大佐の尽力によって、修正された現状維持に基づく和平(a peace based on the modified status quo ante)が手の届くところにあることが明らかになった。しかし、ウィルソンは調停に乗り出し、最終的には熱望したものの、11月の大統領選挙が終わるまで延期した。その頃には、イギリスのソンム攻勢とドイツのヴェルダン攻勢によって、更に200万人の死傷者が出ていた。

フィリップ・ゼリコウによるこのテーマに関する本の言葉を借りれば、あまり踏み固められていない道(the road less travelled)となったのである。第一次世界大戦は更に2年続き、何百万人もの犠牲者を出し、ヨーロッパの既存均衡(Europe’s established equilibrium)は取り返しのつかないほど損なわれた。ドイツとロシアは革命によって引き裂かれ、オーストリア・ハンガリー帝国は地図上から姿を消した。フランスは白骨化(bled white)した。イギリスは勝利のために、若い世代と経済力のかなりの部分を犠牲にした。戦争を終結させた懲罰的なヴェルサイユ条約は、それが取って代わった構造よりもはるかに脆いものであることが証明された。

冬が大規模な軍事作戦の一時停止を迫る中で、世界は今日、ウクライナにおける転換点を迎えているのだろうか? 私は、ウクライナにおけるロシアの侵略を阻止するための同盟諸国の軍事的努力に対する支持を繰り返し表明してきた。しかし、既に達成された戦略的変化を土台とし、交渉による和平の実現に向けた新たな構造へと統合する時が近づいている。

ウクライナは、近代史上初めて中央ヨーロッパにおける主要国(major state)となった。同盟諸国に助けられ、ヴォロディミール・ゼレンスキー大統領に鼓舞されたウクライナは、第二次世界大戦以来ヨーロッパを覆ってきたロシアの通常戦力(conventional forces)を阻止した。中国を含む国際システムは、ロシアの脅威や核兵器使用に対峙している。

このプロセスは、ウクライナのナNATO加盟に関する当初の問題を根底から覆した。ウクライナは、アメリカとその同盟諸国によって装備された、ヨーロッパで最大かつ最も効果的な陸軍の一つを保持している。和平プロセスは、ウクライナとNATOをつなげるべきである。特にフィンランドとスウェーデンがNATOに加盟した後では、中立(neutrality)という選択肢はもはや意味がない。だからこそ私は2022年5月、2022年2月24日に戦争が始まった国境線に沿って停戦ライン(ceasefire line)を設定することを提案した。ロシアはそこから征服を放棄するが、クリミアを含む10年近く前に占領した領土は放棄しない。その領土は停戦後の交渉の対象となりうる。

戦前のウクライナとロシアの分断線(dividing line)が、戦闘によっても交渉によっても達成できない場合は、自決の原則(principle of self-determination)に頼ることも考えられる。自決に関する国際的な監督下にある住民投票(referendums)は、何世紀にもわたって何度も政権が交代してきた特に分裂の多い地域に適用される可能性がある。

和平プロセスの目的は2つある。ウクライナの自由を確認することと、新しい国際構造、特に中央・東ヨーロッパの構造を定義することである。最終的にロシアは、そのような秩序の中に居場所を見つけることになる。

戦争によって無力になったロシアが望ましいと考える人もいる。私はそうは思わない。ロシアはその暴力的な傾向の割には、半世紀以上にわたって世界の均衡(global equilibrium)とパワーバランス(balance of power)に決定的な貢献をしてきた。その歴史的役割を低下させてはならない。ロシアの軍事的後退は、ウクライナでのエスカレーションを脅かすことができる世界的な核兵器の存在を消去するものではない。たとえ核兵器能力が低下したとしても、ロシアが解体したり、戦略的な政策能力が失われたりすれば、11の時間帯にまたがる領土が争いの絶えない空白地帯と化す可能性がある。競合する社会が暴力によって紛争を解決することになるかもしれない。他国が武力で領有権を拡大しようとするかもしれない。これら全ての危険は、ロシアを世界2大核保有国の地位に押し上げている、数千発の核兵器の存在によって、更に深刻化するだろう。

世界の指導者たちは、2つの核保有国が通常兵器で武装した国と争う戦争を終わらせるために努力する一方で、この紛争や長期的な戦略に影響を与えつつあるハイテクや人工知能の影響についても考えるべきである。自動自律兵器(auto-nomous weapons)は既に存在し、脅威を定義し、評価し、標的とすることができる。

この領域への一線を越え、ハイテクが標準的な兵器となり、コンピュータが戦略の主要な実行者となれば、世界はまだ確立された概念(established concept)のない状態に陥るだろう。コンピュータが、人間の意見を本質的に制限し、脅かすような規模や方法で戦略的指示を出す時、指導者はどのように統制することができるだろうか? このような相反する情報、認識、破壊的能力の渦の中で、文明はどのようにして維持可能となるだろうか?

この緊迫しつつある世界についての理論はまだ存在せず、この問題に関する協議の取り組みはまだ発展していない。おそらく、有意義な交渉によって新たな発見が明らかになる可能性があるが、その開示自体が将来のリスクとなるためだろう。先進技術とそれを制御するための戦略の概念との間の乖離を克服すること、あるいはその影響を完全に理解することは、気候変動と同じくらい今日重要な問題であり、テクノロジーと歴史の両方を把握できる指導者が必要である。

平和と秩序の追求は、時に矛盾するように扱われる2つの要素を持つ。安全保障の要素の追求と和解(reconciliation)行為の要求である。その両方を達成できなければ、どちらにも到達することはできない。外交の道は複雑で苛立たしく見えるかもしれない。しかし、その道を進むには、ヴィジョンと勇気の両方が必要なのである。

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キッシンジャー:ウクライナに単独で勝手な行動をさせないためにウクライナをNATOに加盟させる(Kissinger: Bring Ukraine into NATO to stop them from acting alone

デイヴィッド・P・ゴールドマン筆
2023年5月25日

『アジア・タイムズ』紙

https://asiatimes.com/2023/05/kissinger-bring-ukraine-into-nato-to-stop-them-from-acting-alone/

西洋のメディアの報道は、キッシンジャーがウクライナのNATO加盟を支持したことを見逃している。以下は、彼が『エコノミスト』誌に語った内容である。

ヘンリー・キッシンジャー:ウラジーミル・プーティンにとって、ウクライナのNATO加盟は強迫観念(obsession)だった。だから今、私は人々が「彼は考えを変えた、今はウクライナのNATOへの完全加盟に賛成している」という奇妙な立場にいる。一つは、ロシアはもはやかつてのような、通常の脅威となる存在ではない。だから、ロシアの挑戦は別の文脈で考えるべきだ。そして二つ目には、ウクライナがヨーロッパで最も武装した国であり、加えてヨーロッパで最も戦略的経験の乏しい指導者が率いている状態で、私たちはウクライナを武装してしまったということだ。おそらくそうなるであろうが、戦争が終結し、ロシアが多くの利益を失いながらもセヴァストポリは保持することということになっても、ロシアに不満が出るかもしれない。しかし同時にウクライナにも不満が出るかもしれない。

つまり、ヨーロッパの安全のためには、ウクライナをNATOに参加させ、領土問題について国家的な決定を下せないようにした方がよいということになる。

『エコノミスト』誌:つまり、ウクライナをNATOに加盟させるというあなたの主張は、ウクライナの防衛に関する主張というよりも、ウクライナがヨーロッパにもたらすリスクを減らすための主張ということか?

ヘンリー・キッシンジャー:私たちはウクライナを防衛する能力を証明した。ヨーロッパ諸国が今言っていることは、私から見れば、非常に危険なことだ。なぜなら、ヨーロッパ諸国はこう言っているからだ。「私たちは彼らをNATOに入れることを望まない。何故なら彼らの加盟はリスクが高すぎるからだ。従って、私たちは彼らを武装させ、最新鋭の武器を与えるようにする」。このようなやり方を機能させるにはどうしたらよいだろうか? 間違った方法で戦争を終わらせるべきではない。その結果があり得るものだと仮定すれば、それは2022年2月24日以前に存在した現状維持の線上のどこかということになるだろう。ウクライナがヨーロッパに保護され続け、自国のことだけを考える孤独な(単独行動を行う)国家にならないような結果であるべきだ。

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キッシンジャーがウクライナのNATO加盟を支持(Kissinger Backs Ukraine's NATO Bid

ブレット・フォーレスト筆

『ウォールストリート・ジャーナル』紙

2023年1月20日

https://www.wsj.com/livecoverage/davos2023/card/kissinger-backs-ukraine-s-nato-bid-TEbEBq5ulGr0dBS9sPTZ

ヘンリー・キッシンジャー元国務長官は、ウクライナの北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty OrganizationNATO)加盟を主張した。

キッシンジャーはスイスのダヴォスで開催中の世界経済フォーラム(World Economic ForumWEF)の会議にリモートで出演し次のように述べた。「この戦争が起こる前、私はウクライナのNATO加盟に反対していた。なぜなら、ウクライナのNATO加盟によって、まさに今私たちが目にしているようなプロセスが始まることを恐れていたからだ。現状のような状況下で中立のウクライナ(neutral Ukraine)という考えはもはや意味がない。私は、ウクライナのNATO加盟が適切な結果(appropriate outcome)になると信じている」。

ウクライナは2022年9月にNATO加盟申請を行った。

キッシンジャーの発言は、先月『スペクテイター』誌に寄稿した記事の中で、侵攻前の接触線に沿ってロシア・ウクライナ戦争の停戦を確立するよう主張した内容と重なる。

キッシンジャーは火曜日、戦争を終結させる計画について、このような戦闘の停止は「軍事行動の合理的な結果であり、後の和平交渉の結果とは限らない」と述べた。

ロシアもウクライナも交渉開始について特に熱意を示していない。モスクワは、ウクライナがロシアの領土獲得を承認することを交渉の前提条件としているが、キエフは、意味のある交渉を始める前に、ロシア軍がクリミア半島と他の全てのウクライナの土地を放棄することを要求している。

キッシンジャーは、短期的な交渉が「戦争がロシアそのものに対する戦争にならないようにするだろう」と述べた。ロシアが大量の核兵器を保有していることを踏まえ、ロシア国内の不安定を引き起こすようなことがないように警告を発した。「交渉はモスクワに“国際システムに復帰する機会”を与えるだろう」とも述べた。

99歳のキッシンジャーは、1970年代に米国務長官としてソ連との冷戦の緊張緩和(Cold War détente)の確立に尽力した。

キッシンジャーは次のように述べた。「私は、戦争が続いている間もロシアと対話し、戦前の路線に達すれば戦闘は終結すると信じている。戦前の線で停戦することは、開戦時に存在した問題を超えて新たに深刻な問題を提起し、軍事衝突の継続の対象とすることで、戦争がエスカレートするのを防ぐ方法だと信じている」。

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ヘンリー・キッシンジャー、ウクライナのNATO加盟反対を撤回(Henry Kissinger Reverses Opposition to Ukraine’s NATO-Membership Bid

ジミー・クイン筆

2023年1月18日

『ナショナル・レヴュー』誌

https://www.nationalreview.com/corner/henry-kissinger-reverses-opposition-to-ukraines-nato-membership-bid/

今週スイスで開催された世界経済フォーラムの聴衆を前にして、ヘンリー・キッシンジャーは、ウクライナのNATO加盟はロシア侵攻の「適切な結果(appropriate outcome)」になる可能性があると述べた。

リモートでパネルディスカッションに出席した99歳のキッシンジャーは、ロシアは内部崩壊(internal collapse)による危機を回避するために、紛争後に国際社会への復帰を認められなければならないと説明した。CNBCによると、キッシンジャーは「独自の政策を追求できる国家としてのロシアを破壊することは、その領土に1万5000発以上の核兵器が存在する今、11の時間帯からなる広大な地域を内部紛争や外部からの介入の機会を開放することになる」と発言した。

キッシンジャーは以前、ウクライナがロシア軍に攻撃され、占領された領土を割譲することを条件とする、交渉による戦争解決を求めていた。キッシンジャーがその姿勢を翻したという兆候はないが、ウクライナのNATO加盟に関する彼のコメントは、重要な撤回を意味する。

キッシンジャーは次のように述べた「戦前、私はウクライナのNATO加盟に反対していた。NATO加盟は、まさに今私たちが目にしているようなプロセスを始めることになると危惧していたからだ。現状のような状況下で中立的なウクライナという考えはもはや意味がない。私は、ウクライナのNATO加盟が適切な結果になると信じている」。

NATOは10年以上にわたり、ウクライナはいずれ集団安全保障同盟(collective-security alliance)であるNATOに加盟する可能性があると述べてきたが、加盟を早めるための具体的な措置をとることは拒否してきた。

ロシアが侵攻を開始する3カ月前、ウクライナ政府高官ロマン・マショベツは、加盟を認めて欲しいというキエフの長年の要望を繰り返した。マショベツは2021年11月にナショナル・レヴュー誌のインタヴューに対して次のように語った。「プーティンはウクライナのNATO加盟にショックを受けるだろう。ウクライナがNATOに加盟すれば、彼はウクライナに対して、ハイブリッド、非通常的、通常型、非対称など、あらゆる戦争の形態を私たちに仕掛けることはできないだろう」。

フィンランドのサナ・マリン首相もダヴォス会議で同様の発言をし、ウクライナがNATOに加盟していればロシアは攻撃しなかっただろうと聴衆に語った。また、フィンランドとスウェーデンはNATO加盟国の承認を求め続けており、同盟に参加する「準備は十分にできている」とも述べた。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 ヘンリー・キッシンジャーは100歳となった。キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官、米国務長官を務めてから半世紀ほどが経つ。この50年ほどはコンサルタントというか、ネットワーカーとして活躍し、世界各国の最高首脳たちに具体的な指針を与えている。現在も移動は車椅子であるが、世界各地を飛び回っている。最近では日本を訪問し、岸田文雄首相とも会談している。
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 「キッシンジャーなんてまだ生きているの?」「過去の人でしょ?」「もうそんなに影響力なんてないでしょ」ということを言う人は多い。そして、下の論稿の著者であるスティーヴン・M・ウォルトも「どうしてそんなに評価されるのだろうか」という疑問を持っているようだ。ウォルトに言わせれば、キッシンジャーのキャリアには、学者、政府高官、コンサルタントの3つの場面があるが、学者としての業績(新しい考えや理論の提示)は中途半端で終わり、国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官としての業績は確かにあるが、失敗もある。政府を離れてからのコンサルタント(キッシンジャー・アソシエイツ創設)からの方が50年ほどと最も長いキャリアであるが、政策提言など敗退したことはない、という評価になる。

 キッシンジャーの業績は「裏側(behind the scene)」でこそ発揮される。だから、表に出てくる内容だけで判断するのは、正確な判断ではない。彼の一挙一投足が報道されることはないが、漏れ伝わる動きは世界政治の勘所を抑えている。肝心な場所(ツボ、経絡)に適宜鍼を打つ鍼灸医のようなものだ。東洋医学のように、じんわりと効果が出てくる。それが現在の世界の状況だ。米中関係、米露関係が危険をはらみつつも、最終的な手切れまで進まないのはキッシンジャーの手当てがあるからだ。彼の米国内、海外に張り巡らせた人脈のおかげだ。

 キッシンジャーの抱える弱点は、彼の同程度の力を持つ後任者がいないことだ。キッシンジャーも人間であり、いつかは亡くなる。彼亡き後に誰がキッシンジャーと同じ役割を果たせるだろうか。管見ながら、私には彼の後任となり得る人物は思いつかない。そうなれば、大きく言えば、リアリズム側の力が弱まり、ネオコン(共和党)と人道的介入主義派(民主党)の力が大きくなる。目の上のたんこぶがいなくなり、これら2つの勢力が伸長することで、世界は大規模戦争の危機に直面する。その準備は進められている。NATOのアジアへの伸長はその一例だ。

 キッシンジャーをただの学者やコンサルタントと侮るのは間違いだ。また、「キッシンジャーは日本が嫌いなんでしょ」と訳知り顔に言うのも浅薄な態度である。キッシンジャーはそのような低次元の存在ではない。そもそも日本など世界から相手にされていないのだ。老人ばかりになって、金がなくなっていく日本にどれだけの価値があるのか。せいぜい中国の沿岸にべたっと張り付く空母、基地といったところだ。国際ゲームのプレイヤーではなく、コマ程度の存在だ。そういう認識を持って世界を眺めて、初めてキッシンジャーの凄さが少し分かるようになる。

(貼り付けはじめ)

ヘンリー・キッシンジャーの評判の不思議に関する問題を解決(Solving the Mystery of Henry Kissinger’s Reputation

-元米国務長官は天才だ、しかしそれは読者の皆さん方が考えるような形ではない。

スティーヴン・M・ウォルト筆
2023年6月9日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/06/09/henry-kissinger-birthday-reputation-foreign-policy/

ヘンリー・キッシンジャー元米国務長官に関して、この1ヵ月間、ニューヨーク経済クラブやニューヨーク公共図書館でのプライヴェートイヴェントなど、何度も100歳の誕生日のお祝いが開かれ、多くのVIPが出席している。この光景は、キッシンジャー独自のステータスを雄弁に物語るものだ。外交官のディーン・アチソン、ジョージ・ケナン、ジョージ・シュルツはもちろん、生きている間にこれほどの扱いを受けた政治家はほとんどいない。歴代大統領もそうだ。

キッシンジャーについて考える際、誰でも認めることであるが、彼は驚くべき人生を歩んできた。ナチス・ドイツからの難民でありながら、やがてアメリカで権力の頂点に立ち、70年近くもアメリカの外交政策に大きな影響を与え続けてきた。1世紀の時を経て、キッシンジャーはアメリカが生んだ最も偉大な戦略的思想家であると称賛されるようになった。彼の名前は、外交問題評議会や議会図書館のフェローシップ、いくつかの大学の寄付講座や研究センター、そして彼の名を冠したコンサルティング会社にも刻まれている。101歳を迎えてなお、これほどまでに世間の注目を集める人物は他にいない。

しかし、キッシンジャーの素晴らしい人生の中心には、難問がある。 キッシンジャーは、現在、独特の深みと知恵と洞察力を備えた外交政策思想家として常に賞賛されているが、その長いキャリアは、彼の崇拝者たちが考えているほど印象的なものではないように見える。キッシンジャーが恐るべき知性と卓越した業績を持つ人物であることは、彼の最も厳しい批判者たちでさえ認めるところであるが、問題は、1世紀を経て得た評価が十分に正当化されるかどうかである。

これが「キッシンジャーの難問(Kissinger conundrum)」である。なぜ、キッシンジャーは畏敬の念を持たれ、彼自身が世界情勢を掌握し、他の誰よりも優れているかのように扱われるのだろうか?

この謎を理解するためには、キッシンジャーの職業上のキャリアを3つのセクションに分けることが有効である。第1段階は、ハーヴァード大学で1954年から1969年まで教鞭を執った研究者としてのキャリアである。第2段階は、リチャード・ニクソン大統領(当時)の国家安全保障問題担当大統領特別補佐官、ニクソンとニクソンの後継者ジェラルド・フォードの国務長官と国家安全保障問題担当大統領補佐官として、政府で活躍したキャリアである。第3段階は、著者、評論家、有識者としてのキャリアであり、その多くは、政府を離れた後に設立したコンサルティング会社キッシンジャー・アソシエイツの代表として行われたものである。

キッシンジャーは、ハーヴァード大学の学者として、数冊の本と多くの論文を発表し、ネルソン・ロックフェラーや外交問題評議会(CFR)との長いつきあいを開始した。いくつかの著書は広く注目されたが、結局、この時期の彼の学問への貢献は大きなものではなかった。彼の初期の著作はどれも古典という評価に値するものではなく、今日、学者たちに広く読まれ、議論されているものもほとんどない。ハンス・モーゲンソーやケネス・ウォルツのようなリアリストの著作は、国際関係の学術的研究に今なお長い影響を与えているが、キッシンジャーの学術的著作(最初の主著『回復された世界平和(A World Restored)』を含む)は、そうではない。キッシンジャーは核兵器についても多くの著作を残したが(1957年にベストセラーとなった『核兵器と外交政策(Nuclear Weapons and Foreign Policy)』を含む)、グレン・スナイダー、バーナード・ブロディ、アルバート・ウオルシュテッター、トーマス・シェリングの著作は、キッシンジャーの著作よりも核戦略の進化にはるかに大きな影響を与えた。キッシンジャーが後に出版した『選択の必要性(The Necessity for Choice)』(1961年)は評判が良くなく、ナイオール・ファーガソンのようにキッシンジャーに同情的な伝記作家でさえ、NATOに関する後の本『二国間の歪んだ関係――大西洋同盟の諸問題(The Troubled Partnership)』(1965年)は急いで書いたもので、すぐに時代遅れになったと認めている。

確かに、キッシンジャーが学問の世界に力を注いでいれば、もっと大きな影響を与えることができたかもしれない。キッシンジャーは、ウィーン会議でのヨーロッパ秩序の再構築を考察した『回復された世界平和』から続く、世界秩序に関する三部作を書くつもりであったことが現在分かっている。しかし、キッシンジャーは現実の政策課題に取り組むようになり、三部作の完成には至らなかった。そして、アメリカのヴェトナム政策を深く掘り下げるなど、こうした活動が、やがて1968年の政権発足につながった。しかし、事実は変わらない。 学者としてだけ見れば、キッシンジャーは学術界の神殿の一員ではない。

キッシンジャーが国家安全保障問題担当大統領補佐官や国務長官として残した記録は、常に論争の的となっている。中国への開放(国交回復)、ソ連との重要な軍備管理協定の交渉、繰り返されるアラブ・イスラエル紛争への対応など、注目すべき業績もある。しかし、これらの成果は、ヴェトナム戦争への支持と、戦争に勝てないという認識にもかかわらず、その長期化に直接関与したこととのバランスを取る必要がある。ニクソンとキッシンジャーはまた、戦争をカンボジアに拡大することを選択し、知らず知らずのうちにクメール・ルージュの大量虐殺支配への扉を開いてしまった。キッシンジャーがチリで起こしたピノチェトの軍事クーデターを支援したことや、1971年のインド・パキスタン戦争への対応についても、厳しい評価を下す価値がある。

これらの出来事(およびその他多くの出来事)をどのように評価するかについては、合理的な人々の間で意見が分かれるところであろう。しかし、キッシンジャーの政治家としての功績が、ディーン・アチソン(第51代国務長官)やジョージ・シュルツ(第60代国務長官)、あるいはハワード・ベイカー(第61代国務長官)の功績をはるかに凌ぐものであると評価することは難しい。これは、キッシンジャーの業績を否定するものではない。就任後の行動が彼を卓越した政治家という評価を得させるものではないことを認めているに過ぎない。

ここからは第3段階についてだ。キッシンジャーは、企業や政府、そして一般市民に対して戦略的な助言を提供するというキャリアで長い経験を持ち、重厚な書籍や新聞コラム、その他様々な形で、めまぐるしい活動をしてきた。キッシンジャーの長いキャリアを振り返って、その実績はどうだろうか?

悪くはないが、あなたが思っているほどでもない。まず、キッシンジャーは政府を去ってから多くの本を出版しているが、3冊の回顧録(邦題は『キッシンジャー秘録1-5』。『ホワイトハウス時代』『激動の時代』『再生の時代』)を除けば、どれも画期的なものではなく、学問への貢献度が特に高いものではない。最も野心的な『外交』(1995年)と『世界秩序』(2014年)は、それぞれのテーマについて長大かつ博識に考察しているが、いずれも斬新な理論的見方や挑発的で新しい歴史解釈は示していない。これに対して、キッシンジャーの回顧録は、アメリカの上級政治家が書いた個人的な記述としては最高のものであり、重要な業績であると私は考えている。アチソンの『アチソン回顧録』(『天地創造[Present at the Creation]』)だけが、それに近い。他の回顧録と同様、著者が在任中に行ったことを強力に擁護しているため、懐疑的な目で読まなければならない。しかし、世界最強の国の外交官であり戦略家である著者が、膨大な不確実性の中で、矛盾する圧力と優先順位をリアルタイムで調整しながら、どのような仕事をしていたかを、間近で見ることができるのである。また、巧みな人物描写と力強いドラマ性に満ちた、魅力的な作品となっている。

キッシンジャーの他の活動についてはどうだろうか? マット・ダスが最近指摘したように、キッシンジャーは、政府機関での勤務を、政府機関から退任後に有利なキャリアに転換させる技術を、発明し、確かに完成させたのである。 キッシンジャー・アソシエイツは、コーエン・グループ、オルブライト・ストーンブリッジ・グループ、ライス、ハドレー、ゲイツ&マニュエル、ウエストエグゼック・アドバイザーズなど、元政府高官の名前、見識、コネを多種多様な(通常は正体不明の)クライアントに提供する会社の家内工業(cottage industry)の手本となったのである。ジョージ・マーシャルのような公僕が、公の奉仕(および他者の犠牲)から利益を得ることは不適切だと考え、自分のキャリアを現金化するための儲け話を断ったが、そんな時代はとっくに終わっており、キッシンジャーはその倫理観を損なうようなことを誰よりもした。特に、これらの元高官が外交政策に関する公的な議論に積極的に参加し続け、場合によっては再び政府に戻る場合、利益相反の可能性は明らかである。問題は、彼らの公的な立場が、私的な収入を強化する(あるいは少なくとも保護する)ことを意図していたかどうかを知ることができないことである。

更に言えば、キッシンジャーは、彼が政府の職から退任して以来、私たちが直面している最大の戦略的問題のいくつかについて、ひどく間違っていた。例えば、彼はNATOの拡大を早くから支持していたが、この決定は、他のオブザーヴァーが、ヨーロッパの永続的な平和ではなく、ロシアとの直接的な衝突をもたらすと正しく予見したものである。また、キッシンジャーは2003年のイラク侵攻を支持したが、これはアメリカ史上最大の戦略的失敗の1つであることは間違いなく、2015年のイランとの核合意には反対した。そして、キッシンジャーは、関与政策によって中国の台頭を助けると、強力なライヴァルの出現を早めることになることを予見できなかった。この盲点が、2011年に出版された『中国――キッシンジャー回想録』が、明らかに両極端な結論に達した理由の一因かもしれない。

キッシンジャーが全てにおいて間違っていたと言っているのではない。現代の出来事を分析するのは難しいことであり、全てを正しく理解する人はいない。私が言いたいのは、評論家としての彼の実績は、日常的に世界情勢を論じる他の人々よりも明らかに優れている訳ではないのに、なぜ多くの人々が彼をアメリカの偉大な戦略家として称賛するのかが理解しがたい、ということだ。

従って、謎は次のようになる。誇大宣伝を無視すると、キッシンジャーは生産的で有名であり続けてきたが、最終的にはそれほど影響力のある学者ではなかった。実際の成功と憂慮すべき失敗の両方を経験した政策立案者である。そして、現代の政策問題のアナリストでもあるが、その実績は他の人よりも際立ったものではない。それでは、彼が今日享受している高い評判についてどのように説明されるだろうか?

その答えの一つは、もちろん、彼が長寿であることだ。もしキッシンジャーが70歳代後半、あるいは80歳代半ばでこの世を去っていたら、その死は多くの人々の注目を集め、アメリカ外交史における彼の地位は揺るぎないものになっただろう。しかし、現在のような象徴的な地位は得られなかっただろう。最後の1人ということは、批評家やライヴァルがほとんどいなくなり、時間の経過によって過去の罪の記憶が曖昧になり、信奉者たちが彼の評判を高める時間が長くなることを意味する。

100点満点の答えには、この説明は間違いなく役に立つが、謎に答えるには、それ以上のことが必要となる。

私は本当の理由は極めて単純だと考えている。キッシンジャーほど、影響力と名声を獲得し、維持するために、これまで、そしてこれからも、より長く努力した人はいないだろう。私はこれまで、驚くほど意欲的で野心的な人物を数多く知っているし、他の人物についてもたくさん本を読んできた。キッシンジャーはそのどれにも当てはまらない。キッシンジャーに関する多くの伝記を何気なく読んだだけでも、その野心が桁外れであること、集中力が抜群で仕事の邪魔をするような趣味がないこと、そしておそらく現代世界がこれまでに見たことのないような偉大なネットワーカーであったことが分かる。彼は、自分の役に立つかもしれない人との間にある橋を焼き切ることはしなかったし、明らかにコンセンサスから外れた立場を取ることもなく、新しい人脈を築く機会を逃すこともなく、侮辱を忘れることもなく、十分にやったと結論づけることもなかった。分かりやすく言えば、キッシンジャーは、他の誰よりも働き、魅力的で、巧みで、人々を出し抜いてきたのだ。そして、何よりも驚くべきことに、彼は今なおその歩みを止めない。

キッシンジャーはまた、影響力が自己強化されることも理解していた。あなたが十分に有名であれば、他の人々は、批判的であるよりも、支持的であり、融和的である方が、より多くの利益を得られると結論付けるだろう。キッシンジャーを追いかけることは、ジャーナリストや大学教授など、広い視野を持たない人であれば、まったく問題ないかもしれないが、外交政策の中枢で大成したいのであれば、賢い戦略とはいえない。彼は既に多くの友人やコネクションを持っていた。彼が大きくなればなるほど、野心的な政策担当者は彼の知恵を疑うよりも、彼の寵愛を求めることを選ぶだろう。

このような大きな野望は計画を狂わせることもあるだろうし、少し怖い気もするが、賞賛に値するものもある。そして、巨大な野望を持つ人々全員がキッシンジャーのようにやれる訳ではない。しかし、キッシンジャーが今受けている賞賛を額面通りに受け取る、もしくは判断に迷った瞬間に目を向けないということをしてはいけない。彼が死ぬなどと言うことは考え難いことだが、完全に無謬であるとは言い難い。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。

(貼り付け終わり)

(終わり)

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。最終回です。

(貼り付けはじめ)

2020年、新型コロナウイルス感染拡大の到来により、特にトランプがウイルスを「中国ウイルス」と呼ぶことを主張し、感染拡大の起源が地政学的な疑惑の対象となったため、米中関係はさらに崩壊した。中国は、いわゆる「戦狼(wolf worrier)」外交の斬新な新しい形で米中外交関係を更に汚染し、パンデミックの最初の発生の誤った対応を非難し、ウイルスがウクライナのアメリカのバイオラボで発生したという奇妙な陰謀説を広めた。数か月後、北京は香港に対する抜本的な取り締まりを開始し、住民が香港から逃れようと奔走する中、狂乱の大規模な脱出を引き起こし、ワシントンに敵対的な感情を更に根付かせた。

戦略国際問題研究所の上級顧問であるスコット・ケネディは、「2020年は、中国に対して絶え間なく行動を起こした年となった。中国の人々は新型コロナウイルス感染拡大、個々の行動への対応、全体的なトーンのため、非常にタカ派になりやすかった」と述べている。

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2021年3月18日、アラスカ州アンカレッジで行われた米中会談のオープニングセッションで、中央外交委員会弁公室の楊潔篪主任(左)と中国の王毅外相(左から2番目)と向き合いながら発言するアントニー・ブリンケン米国務長官(右)

アラスカ州アンカレッジにあるキャプテンクック・ホテルの会議室で、新任のアントニー・ブリンケン米国務長官と王毅外相(当時)が向かい合って座り、補佐官たちと米中国旗が並んでいた。新型コロナウイルス対策としてフェイスマスクを着用していたが、誰も笑っていないのは明らかだ。

バイデンが大統領に就任して2カ月も経たないうちに、ブリンケン、ジェイク・サリヴァン大統領国家安全保障担当補佐官をはじめとするバイデン側近の一団が、政権として初めて中国当局者と正式に対面するためにアラスカを訪れていた。中国の国営メディアは、この会談を、トランプ時代のページをめくる機会として描いていた。アメリカ側も含め、ほとんどの人が、この会談は慎重に振り付けられた挨拶という典型的な形式を踏むと予想していた。

その代わり、花火が打ち上げられた。中国のトップ外交官である楊潔篪は、アメリカ側がテーブルに持ち込んだ不満に対して激怒し、米中関係を「前例のない困難な時期(period of unprecedented difficulty)」に突入させたとワシントンを非難した。

楊潔篪は「中国の首を絞めるようなことはできない」と述べた。ブリンケンは守りに入り、北京が「世界の安定を維持するルールベースの秩序を脅かす(threaten the rules-based order that maintains global stability)」行動をしていると非難した。

楊潔篪は中国の聴衆を相手にした。バイデンはトランプではないが、アンカレッジでの外交対決は、双方がリセットボタンを取り違えていることを示す最も明確な兆候だった。

バイデンは、トランプの外交政策の残滓を覆すことを誓った。しかし、中国への対応という点では、バイデンの立場は前任者と驚くほど似ている。関税や、新疆ウイグル自治区での北京の犯罪を大量虐殺とするバイデン政権の宣言など、トランプ大統領の遺志を継いだ多くの主要な備品は、依然としてしっかりと存在している。ある面では、バイデンは更に進化している。

国家安全保障会議元部長ポール・ヘーンルは次のように語っている。「多くの人が、バイデン政権が誕生していかにタフであるかに驚いた。バイデン政権は、共和党が民主党よりも中国に対して厳しいと主張することを望んでおらず、超党派のアプローチを維持したいと予測していた」。

バイデンの大統領就任から2年、中国のハイテク部門に対する徹底的なキャンペーンが展開され、中国の半導体産業をターゲットにした懲罰的な新しい輸出規制を発表し、現在はファーウェイのアメリカ国内サプライヤーとの関係遮断を検討している。台湾では、中国が侵攻してきた場合、軍事的に台湾を防衛するとの発言を受けて、共和党と民主党の議員がバイデンの側に結集した。

これらの即席の発言は、何十年にもわたる米国の「戦略的曖昧さ(strategic ambiguity)」のドクトリンに対しての疑問が出るようになった。現在、そのドクトリンは非常に曖昧であるため、中国の台北に対する砲撃が開始された場合にアメリカが何をするかについて混乱しているのは中国人だけではない。

そのため、関係は不安定な状態に陥っている。ブルッキングス研究所ジョン・L・ソーントン中国センター部長であるチェン・リーは次のように語っている。「危険な状況ですが、そうは言っても、中国、台湾、アメリカの3者はみな、その危険性を認識していると考えている。必然性はないが、負のスパイラルに陥っている。それは、相互に強化された恐怖、そして敵意によって引き起こされる」。

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台湾付近で中国の軍事活動が活発化した後、軍事訓練で照明弾が発射され、警備に当たる台湾の兵士たち

連邦議会で超党派の支持を得ているものを見つけるのは難しいが、2022年9月下旬、連邦上院外交委員会の議員たちは台湾政策法でそれを実現した。

この法律は、後に大規模な国防政策法案の一部として形を変えて通過したが、起草当時は米台関係の最も包括的な見直しの一環と考えられており、連邦議会が台湾への支援を倍増させるという北京への警告となった。連邦議員たちは最終的に、台湾政策法の最も論争的な提案の1つである、台湾を非NATOの主要同盟国として正式に指定することには至らなかったが、台湾の武器調達のために最大20億ドルの融資を用意することになった。最初の法案は17対5の賛成多数で連邦上院委員会を通過したが、少数の反対派の中にはバイデンの連邦議会における最も重要な同盟者たちも含まれていた。

バイデンの同盟者でありながら繁多に回った民主党所属のマーフィー連邦上院議員は次のように述べている。「これまでの台湾政策は成功の核心であり、今がそれを破棄する時ではない」と述べた。台湾政策法の支持者たちは、「一つの中国(One China)」政策を廃止するのではなく、明確な安全上の保障を作り出すものでもないと言うだろう。それは技術的には正しいが、実質はそうではない。私たちの多くが必要ないと思っている時に、全く新しい台湾政策を打ち出すことになるだけのことだ」。

誰に聞くかによって、これはハト派の最後のあがきか、あるいは民主党の中国政策における中道派と進歩派の間の亀裂の始まりかのどちらか、という2つの解釈が出てくる。

コーネル大学教授のワイスは、ワシントンにおける中国のコンセンサスの出現が、集団思考(groupthink)を助長していると警告する。ワイスは次のように述べている。「このような一般的なコンセンサスに対して、あまり多くの疑問を投げかけることは政治的に有利ではないし、キャリア的にも賢明とは言えない。そのため、この戦略は私たちをどこへ連れて行くのか? どこに向かっているのか? どうすれば、私たちが進んでいる有害な軌道を曲げることができるのか?」。

連邦下院中国特別委員会は、今後数か月で、中国の影響力とアメリカとの関係を調査するため、この議論を形作る原動力となる予定だ。ギャラガー委員長は、委員会の最優先事項の1つは、「中国共産党率いる中国とのこの新しい冷戦に勝つ(win this new cold war with Communist China)」ために必要な長期投資に焦点を当てることだと述べた。

マーフィー議員は次のように述べている。「ソ連との対立に使った用語を、中国との対立に使うことはできない。ソ連との対立で使った用語を、中国との対立に使うことはできない。ソ連との貿易関係は事実上ゼロだった。しかし、現在のアメリカにとって、最重要の貿易関係は中国とのものだ。だから、冷戦の戦士や冷戦愛好家たちが、ソ連と競争したように中国と競争できると考えていることを心配している。同じことではない」。

それにもかかわらず、この呼び名が定着しているのは、おそらくアメリカ人にとって、他の超大国との緊迫した時代を表す唯一の表現方法だからだろう。

シカゴ国際問題評議会の上級フェローで、情報機関の東アジア担当だったポール・ヒアは、「米中関係の悪化を新たな冷戦に例えることのリスクは、自己成就的予言(self-fulfilling prophecy)になるということだ」と指摘している。ヒアは更に「これを冷戦と呼ぶ時、基本的には『そうだ、私たちは実際的な闘争に従事しており、一方だけが勝つことができる』と言っているようなものだ」と述べた。

しかし、コンセンサスは高まりつつあり、習近平は自らの野心に固執しているように見え、変化の余地をほとんど残していない。習近平の中国共産党総書記としての3期目は2027年に終了する。

アジア・ソサエティのシェルは「足を動かさない相手とは踊れない。中国はまだ踊りたいとは思っていない」と語った。

※ロビー・グラマー:『フォーリン・ポリシー』誌外交・国家安全保障担当記者。ツイッターアカウント:@RobbieGramer

※クリスティアン・ルー:『フォーリン・ポリシー』誌記者。ツイッターアカウント:@christinafei

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。前回の続きです。

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新しく設置された中国委員会の委員長である共和党のマイク・ギャラガー連邦下院議員は「中国への経済的依存度を下げる必要がある。台湾を守るために、日付変更線の西側にある東アジアにおけるハードパワーを急増させる必要がある」と、連邦議会が始まる前の12月に語っている。ギャラガーは「中国共産党は今日の世界における我々の最大の脅威である」とも述べた。

一方、他の米連邦議員たちも台湾に出入りし、北京の当局者を激怒させるような出張を繰り返している。

その1人が共和党のトッド・ヤング連邦上院議員で、2023年1月に台湾を訪れ、蔡英文総統に面会した。「中国共産党が強圧的な態度をとり、更に強圧的な態度をとるという脅威がある以上、私のような者が、そのような事態に直面しても引き下がらないということを示すことは理にかなっている」とヤングは本誌の取材に答えた。

アメリカ軍やバイデン政権のトップは、中国が軍事的手段を使ってでも台湾の奪還を目指していると分析評価しており、今後2年から5年以内に紛争が起こると予測する者もいるが、こうした分析評価はワシントンの全員が共有している訳ではない。

そのため、アメリカは窮地に立たされている。公式には「一つの中国(One China)」政策を堅持しており、正式な外交上の承認は北京に限定し、台北を密かに支援するだけである。しかし、バイデンは様々なインタヴューで、この政策の厳しさを超えて、中国が侵略してきた場合、台湾を軍事的に守ると宣言している。

連邦議会議事堂から同様のシグナルが発信される中、中国ウォッチャーたちは、およそ50年にわたる中国との統合計画から歯車が狂い始めた瞬間を一つだけ挙げることはできない。しかし、それは一連の出来事であり、災難であり、不祥事であった。その一つが、ミシガン州出身の若い大学卒業生と120ドルの現金、そして「アマンダ」と名乗る女性だった。

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砂嵐の中で北京の天安門前広場をパトロールする警察官(2006年4月18日)

2009年12月、ミシガン州出身の28歳、グレン・シュライヴァーは、CIA入局の手続きを開始するため、ワシントンDCに出頭するようにとの知らせを受けた。上海に住み、教師として働いていたシュライヴァーは、過去4年間、アメリカの国家安全保障に関わる仕事を求め、CIAに応募する前にアメリカの外交官試験を繰り返し受験しては失敗していた。

シュライヴァーは、秘密情報機関の職への就職活動を通じて、ある秘密を持っていた。それは、中国情報当局が彼をスパイに仕立て上げていたことである。それは、上海に住んでいたシュライヴァーが、新聞広告に掲載された米中関係のレポートを書くという仕事に応募したことから始まった。「アマンダ」と名乗る女性から120ドルの報酬を得た。そこから、「アマンダ」と中国最高峰の国家情報機関である国家安全企画部の他のエージェントたちが、彼に数万ドルを支払い、国務省やCIAのアメリカ政府の仕事に応募させるようになったことは、アメリカの弁護士が後にこの事件に関する公開文書で詳述している。

シュライヴァーはアメリカで拘束され、最終的には中国のためのスパイ活動を企てたとして有罪を認めた。しかし、シュライヴァーの事件は、アメリカの国家安全保障と情報に関わる諸機関の世界に一石を投じるものとなった。中国がアメリカでのスパイ活動を活発化させていた。シュライヴァーは、2008年から2011年の3年間だけで、中国のためにスパイ活動を試みた容疑で連邦政府に起訴された約60人の被告の1人に過ぎない。情報機関や法執行機関の関係者にとって、シュライヴァー事件は、新たな、ますます攻撃的になる中国を象徴するものだった。しかし、政策立案者たちにとっては、その認識はずっと後のことであった。

シュライヴァーがFBIに逮捕されたとき、バラク・オバマ大統領はまだサニーランズで習近平と会談しておらず、当時のヒラリー・クリントン国務長官は、アメリカのアジアへの「ピボット」(U.S. “pivot” to Asia)を宣言してからまだ1年経っていなかった。

米中関係が破局に向かう運命にないことを示唆する外交的な取り組みもたくさんあった。中国は、オバマ大統領が2015年に締結したイラン核合意を後押しした。気候変動や北朝鮮の核兵器開発の終結に向けた協力を開始し、軍事面でもオリーブの枝を差し出した。2014年、アメリカは中国に対し、太平洋で毎年行われる大規模な多国籍軍事演習、通称リムパックへの参加を要請している。

しかし、ワシントンの対中タカ派勢力は、シュライヴァーの事件や他の有名なスパイ事件が少なくとも一因となって、経済・政治面での政策論争に影響力を持ち始めている。そして、習近平がその火に油を注いだ。

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左:2015年にワシントンのホワイトハウスにおいてバラク・オバマ米大統領が中国の習近平国家主席と握手

右:2012年に訪中期間中に中国の楊潔篪中国外交部長と会談するヒラリー・クリントン米国務長官

中国は2013年、ユーラシア大陸のインフラ整備、中国の過剰な経済力の輸出、新たな世界貿易ルートの接続を目的とした、後に「一帯一路構想(Belt and Road Initiative)」と呼ばれる数百億ドル規模の大規模な世界規模のインフラ投資プログラムを発表した。ワシントンの一部では、北京が地政学的影響力を得るために外国のインフラプロジェクトや公的債務を行使することを可能にする経済面におけるトロイの木馬(Trojan horse)になぞらえた。そして2015年、米人事管理局(U.S. Office of Personnel Management)は、中国のハッカーが2200万人以上のアメリカ連邦政府現職職員、元職員、内定者、そしてその友人や家族の機密データを盗み見たことを明らかにした。

中国はまた、現在争われている南シナ海で人工島を建設するキャンペーンを開始した。それは、この地域の重要な国際シーレーンを脅かす可能性のある軍事能力のある飛行場とインフラを積み上げた。コーネル大学教授で、米国務省の政策計画スタッフの元上級顧問であるジェシカ・チェン・ワイスは、「特にオバマ政権の終わりに向けて、南シナ海での中国の埋め立てについて、懸念が高まり始めた」と述べた。

国際サミットの外交用語が「温かい(warm)」交流から「重要な懸念(significant concerns)」についての「率直な(candid)」議論へと変化し、大国間の緊張の高まりをかろうじて抑えていたため、オバマと習の直接会談は2013年のサニーランズ会談以降、ますます冷え込むようになった。中国では、習近平の指導の下、反米主義やナショナリズムがより積極的に浸透している。リムパックに中国を招待するという親善的なジェスチャーでさえ、気難しい注文を伴っていた。中国はこの演習に4隻の船を派遣したが、招待されていないスパイ船1隻を静かに送り込んで偵察した。

2016年後半、オバマ大統領の任期最後の年になると、中国との一体化というアメリカの戦略の高い期待は、急速に薄れ始めていた。オバマは2016年9月、CNNで「国際的なルールや規範に違反していると見られる場合、私たちは非常に毅然とした態度で臨み、結果が出ることを彼らに示してきた」と語った。

米国防情報局の元中国専門家コール・シェパードは、習金平国家主席の前任者である胡錦涛の下では「経済とおそらく政府のさらなる開放と自由化の希望がまだあった」と述べた。シェパードは続けて「しかし、習近平の2期目の5年間の任期中、習近平が胡錦濤と胡主席の前任者である江沢民の自由主義的または開放の道を歩み続けるつもりがないことが明らかになった時、状況は変わり始めた」とも述べた。

オバマのCNNインタヴューの数日後、中国の杭州で開催されたG20会議では、中国当局は大勢の世界の指導者たちにレッドカーペットを敷いて出迎えた。しかし、中国当局は米大統領専用機(エアフォース・ワン)にローリング階段を送らず、オバマは飛行機の腹にある威厳のない整備用の入り口から飛行機を降りることを余儀なくされ、これは計算された外交的無視と見なされた。

カーネギー国際平和財団の理事長で、ジョージ・W・ブッシュ(息子)、オバマの両政権下で中国、台湾、モンゴル担当の国家安全保障会議(NSC)部長を務めたポール・ヘーンルは次のように述べている。「中国は南シナ海に人工島を建設した。中国は数千億ドル規模の知的財産のインターネット上での窃盗に関与している。中国は、市場や民間セクターを犠牲にし、より国家が主導し、国家が促進する経済に移行した。そのためにアメリカは様々な経済問題の解決に取り組むことができなかった。これらは全て米中間の現実的な課題として浮上したものであり、それはトランプが大統領就任前のことだった」。

次に起きることは事態を悪化させるだけであろう。

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2017年、北京の人民大会堂内でのビジネスリーダー・イヴェントに出席するドナルド・トランプ米大統領と習近平国家主席

デイヴィッド・フィースは、米中関係の大変化を直接目撃した人物だ。2013年から2017年まで、彼は香港の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙支局に勤務し、米中両国が経済関係を深めているにもかかわらず、中国の経済的台頭によって企業スパイが急増し、国家主導の攻撃的な貿易政策が主張されている様子を追跡していた。当時、米中二国間の貿易額は年間6360億ドルで、世界最大の貿易関係であり、アメリカの対中輸出は200万人近いアメリカ人の雇用を支えていた。

フィースはまた、アメリカから遠く離れた場所から、トランプの政治的台頭と、トランプをホワイトハウスに送り込み、ワシントンのエスタブリッシュメント(そして他のほとんどの人々)を唖然とさせた劇的な2016年大統領選を目撃した。トランプは、貿易や知的財産でアメリカを騙している中国を繰り返し非難することで、これまでの大統領とは一線を画していた。2016年の選挙戦では、「われわれは泥棒に盗まれた貯金箱のようなものだ」と言い放った。トランプ派「中国が私たちの国をレイプするのを許し続けることはできない。そして、それが彼らのやっていることだ。世界史上最大の窃盗だ」とも述べた。

トランプの鋭く露骨なスタイルがアメリカ本土の有権者の神経を刺激したのなら、それはワシントンにいた対中タカ派の若手クラスにとっても同じで、彼らはアメリカの対中政策が時代遅れの希望的観測であると見て苛立ちを募らせた。

中国は、その行動によって、「アメリカが主導する自由主義的な世界秩序の責任ある利害関係者(ステイクホルダー)になることを絶対に望んでおらず、事実、その秩序に敵対し、それを修正し破壊しようとしていることを証明した」とフィース氏は述べている。

フェイスはジャーナリズムからゲームに飛び込むことを決意し、2017年初め、トランプ政権に参加した。国務省の政策企画スタッフ(国務省の社内シンクタンクのような存在)の当時の責任者であるブライアン・フックによって国務省に引き入れられ、トランプの選挙運動のプラットフォームをアメリカの外交政策に変えるための作業を開始した。それは、アメリカの対中政策に関する数十年のコンセンサスを根底から覆すものだった。

トランプ政権は、徹底的な貿易戦争(trade war)で経済関係を破壊しようとするだけでなく、中国の通信大手ファーウェイに規制をかけ、台湾への武器販売を強化し、現在は廃止されている「中国イニシアティヴ」を立ち上げた。このプログラムは、知的財産の盗難を取り締まるために作られたが、アジア系アメリカ人の研究者に対する疑念と監視の目を向けるようになった。また、マイク・ポンペオ国務長官(当時)は、任期最後の日に、離任の挨拶の中で、新疆ウイグル自治区における北京の人権侵害は大量虐殺(ジェノサイド、genocide)に相当すると宣言した。

ハドソン研究所の上級研究員で、トランプ政権下で戦略担当の大統領国家安全保障担当次席補佐官を務めたナディア・シャドローは、製造業、防衛、人権の3つの主要分野を取り巻くアメリカ国内の不満や懸念の高まりが、全てトランプ政権下でこうしたシフトに収束したと指摘する。それは「何かが起きていることを知らす冷静な目覚めの音」であったと彼女は述べた。

(つづく)

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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 古村治彦です。

 米中関係は以前に比べて悪化している。「米中戦争は起きるのか?」という疑問ではなく、「米中戦争はいつ起きるのか?」という煽動も入った疑問が出てくるようになった。米中戦争が話題になるというのはここ最近のことだ。米中関係の悪化を反映している。

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 米中関係(アメリカと中華人民共和国との関係)は1972年2月のリチャード・ニクソン米大統領の訪中によって始まった。ハイライトは毛沢東中国共産党中央委員会主席との会談だった。そのお膳立てをしたのがヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官と周恩来国務院総理だった。中ソ対立が常態化する中で、「敵の敵は味方」で、米中は関係を改善し、1979年に正式に国交が樹立された。1973年には北京に米中連絡事務所(U.S. liaison office to the People's Republic of China)が開設され、事務所長(director、特命全権公使)が派遣された。歴代の事務所長の中には、後に大統領となったジョージ・HW・ブッシュ(父)がいる(1974-1975年)。

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 国交正常化後、米中両国は基本的に良好な関係を保った。鄧小平の改革開放路線(1978年から)もあり、1980年代の中国は「自由化」「民主化」に進んでいるように見えた。アメリカ側は「中国を国際社会に参加させ、国際経済に参加させることで、更なる国内変革を促し、最終的には中国共産党による一党独裁体制を終わらせることができる」と楽観視していた。アメリカが中国に「関与(engagement)」することで、中国の体制転覆(regime change)を行えると考えていた。ソ連が崩壊し、共産主義の魅力もがた落ちとなった。中国はこのまま一党独裁体制から転換すると考えていたところに起きた(中国側から見たら起こされた、アメリカが起こした)のが1989年6月4日の天安門事件だ。これで米中関係は冷え込むことになり、「中国は経済面では改革開放を進め、社会主義市場経済を推進するが、政治体制は維持し、思想を強化する」ということが明らかになった。

 同時期、中国は高度経済成長の道を進み始めた。政治や思想面での党勢は強化されたが、経済に関しては、鄧小平の「先に豊かになれるものから豊かになる」という「先富論」に基づいて、「世界の工場」として中国は世界の製造業の基地となった。GDPはまさに倍々ゲームで拡大していった。30年余りで、中国は世界第2位の経済大国へと変貌した。

 中国が力をつけるにつれて、アメリカは危機感を持つようになった。アメリカの世界覇権が脅かされる事態が発生した。ソ連に勝ち、1980年代の日本の経済成長も押しつぶすことに成功したアメリカであったが、中国は難敵だ。中国はソ連と日本の成功と失敗を学んでいる。更に言えば、米ソ関係で言えば、アメリカとソ連の間には大きな経済関係がなく、アメリカは経済面を気にせずに、軍事面や政治面でソ連と闘い勝利することができた。日米関係で言えば、日本はアメリカの属国であり、日本を叩き潰すことは造作のないことだった。アメリカは中国との間に重要な経済関係を持つが、中国を自分たちの言いなりに動かすことはできない。

こうした中で、アメリカ国内で「中国脅威論」が台頭し、「中国をここまで育ててモンスターにしてしまった責任はキッシンジャーにある」という主張が叫ばれるようになった。米中関係は「関与」から「対立」に変化している。アメリカ国内には「中国脅威論」が蔓延しているが、これは恐怖感の裏返しだ。

「アメリカは世界覇権国の地位から脱落するかもしれない、次の覇権は中国になる」「米ドルが世界の基軸通貨の地位を失い、豊かな生活が享受できなくなるかもしれない」という恐怖感がアメリカ国民に真実味を持って迫ってきているのだ。そのために中国を叩き潰したいと思いながらも、その方策はない。戦争をするというオプションは選べない。そんなことをすれば、アメリカや世界の経済は甚大な損害を受けることになるからだ。世界は大きな転換期を迎え、世界は分裂に向かっている。米中は2つの陣営(西洋[the West]対それ以外の世界[the Rest])の旗頭として対立を深めていく。しかし、キッシンジャーが両者の間をつないでいるうちはまだ大丈夫だろう。彼が死んだあとはどうなるか分からないが。

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ワシントンの対中タカ派勢力が勢いを得ている(Washington’s China Hawks Take Flight

-数十年にわたるアメリカの対中関与の物語が離別の物語に道を譲った。

ロビー・グラマー、クリスティナ・ルー筆

2023年2月15日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2023/02/15/china-us-relations-hawks-engagement-cold-war-taiwan/

バラク・オバマと習近平は、カリフォルニア州パームスプリングス近郊の高級保養地サニーランズを気軽に散策し、温かく友好的な米中関係を笑顔でアピールしていた。2013年夏、超大国と新興大国の間では物事が順調に進んでいるように見えた。

オバマは2期目の大統領としてかなり経験を積んでいた。中国の新指導者である習近平は胡錦濤から引き継いだばかりで、ワシントンではほぼ全員が習近平を米中関係における新しい、より希望のあるチャプター(章)の体現者だと見ていた。オバマ大統領は、中国との「新しい協力モデル(new model of cooperation)」について語り、アメリカは「世界の大国としての中国の継続的な平和的台頭(continuing peaceful rise of China as a world power)」を歓迎すると述べた。それは米中関係の新時代の幕開けだった。

実際にはその通りにはならなかった。

10年後、オバマと習近平がサニーランズで築いたと思われる友好関係は、完全に消滅した。中国国内では、習近平が中国を統治している中国共産党に対する、彼自身の権威主義的な権力を強固なものにしている。アメリカが大量虐殺とみなしている、新疆ウイグル自治区のウイグル族やその他の少数民族に対する徹底的な弾圧を行い、第二次世界大戦後最も野心的な軍拡を主導してきた。ワシントンでは、中国との関わりを長く支持してきたいわゆるハト派は、完全に脇に追いやられている。政治的スペクトラムがますます広くなっている中で、政策立案者や連邦議員たちは、あるコンセンサスでまとまっている。それは、「中国に対して厳しく接するべき時だ」というものだ。

ワシントンは、北京が自国の領土とみなしている台湾への軍事支援を強化した。米軍トップの司令官は最近、2025年までに台湾をめぐって中国と戦うことになるかもしれないと、各部隊に警告するメモを発表した。2月上旬には、中国のスパイ気球とされる飛行体がアメリカ大陸を横断し、ワシントンで政治的な大炎上、大きな非難を引き起こしたため、両国の緊張を緩和する目的の、ジョー・バイデン米大統領のトップ外交官(アントニー・ブリンケン米国務長官)による北京への訪問は中止された。ブリンケン国務長官訪中は大きな注目を集めていた。

連邦上院外交委員会の民主党議員であるクリス・マーフィー連邦上院議員は、「私が恐れているのは、中国との軍事衝突が避けられないかのように振る舞うことで、最終的にその考えが現実のものとなってしまうことだ」と述べている。マーフィー議員は「中国は台湾を侵略する決断をしていないが、アメリカが中国政策の全てを台湾政策に変えてしまえば、それが彼らの意思決定に影響を与える可能性がある」とも述べた。

リチャード・ニクソン大統領の対中関係開放に始まり、オバマ大統領の時代まで続いた数十年にわたるアメリカの関与の努力は、単に成果を上げることができなかったのだろうか? それとも、習近平の登場と、世界における中国の位置づけに対する彼の積極的で修正主義的なアプローチが、それを無意味なものにしてしまったのだろうか?

欧米諸国の議員や政策立案者、中国アナリストの多くは、関係悪化の責任を習近平の足元だけに押し付けている。

アジア・ソサエティの米中関係センター部長であるオーヴィル・シェルは、「私は、関与について言えば、瀕死の状態だと思う(deader than a doornail)。習近平の統治の大きな悲劇の1つは、事実上、習近平がそれを破壊し、実行不可能にしたことだと思う」と述べた。

しかし、対中タカ派が誕生したのは、ワシントンの政策立案マシーンにおいてである。そこでは、人気のあるアイデアはすぐに法律(canon)となり、議論の余地はほとんどない。

ジョージタウン大学教授で、オバマ大統領の国家安全保障会議(National Security CouncilNSC)で中国、台湾、モンゴル担当ディレクターを務めたエヴァン・メディロスは、「このようなコンセンサスを得る度に、政権を支援し、長期的な競争に必要なツールを与えるのとは対照的に、政権を囲い込む反響室現象(echo chamber 訳者註:自分と似た意見や思想を持った人々が集まる場[電子掲示板やSNSなど]にて、自分の意見や思想が肯定されることで、それらが正解であるかのごとく勘違いする現象)に発展する危険がある」と述べた。

対中タカ派が隆盛する中、危機へのゆっくりとしたしかし着実な進展から逃れる術はあるのだろうか?

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1994年、北京にて、朱敦法・中国人民解放軍上昇と会見するウィリアム・ペリー米国防長官

1994年夏、ペリー米国防長官は、米中関係の将来について、米軍の最高幹部たちにメモを送った。そのメモの中で、ペリーは、中国について「急速に世界最大の経済大国になりつつあり、国連安保理常任理事国の常任理事国の地位、政治的影響力、核兵器、近代化する軍隊と相まって、中国はアメリカが協力しなければならない相手である」と書いている。

ビル・クリントン政権が北京とより緊密な関係を築こうとしていた頃、ペリーはその秋以降に中国を訪問する準備をしていた。1989年の天安門事件に端を発した中国政府による抗議活動への残忍な弾圧の後、関係は凍結されていた。ペリーは1994年のメモで、「中国との軍事関係は、米国防総省にとって大きな利益となりうる」と指摘し、中国側との会談を開始するよう各米軍幹部たちに指示した。

ペリーのメモは、その後数十年にわたってワシントンで主流となる、楽観的な関与(optimistic engagement)という視点を示したものである。慎重な外交と継続的な経済協力(careful diplomacy and continued economic cooperation)によって、アメリカは中国を新興のグローバル・パワーとしての役割に導き、第二次世界大戦後の国際システムに統合することができる、という考え方であった。冷戦は終結し、ソヴィエト連邦は崩壊していた。アメリカの政策立案者たちは、熊(ソ連)を倒すように龍(中国)を飼いならすことができると確信していた。

クリントン政権は、特に貿易においてアウトリーチ活動を開始した。これらはジョージ・W・ブッシュ大統領の下で頂点に達し、中国はついに世界貿易機関に加盟し、20年に及ぶ行進を開始し、いくつかの手段を用いて、世界最大の経済大国になった。

この発展によって、数億人の中国人が貧困から救い出され、歴史上最も目覚ましい経済変革の1つとなった。しかし、豊かな国の人々、特にアメリカの人々にとっては犠牲が伴った。彼らは、低コストの中国との競争によって世界貿易と製造業におけるシェアが徐々に食い尽くされるのを目の当たりにした。世界の GDP に占める中国のシェアは1990年の 1.6% から2017年には16% に急上昇し、アメリカの対中貿易赤字は3750億ドル以上に急増した。

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1998年、ビル・クリントン米大統領が楽団を指揮している間、妻のヒラリー・クリントンは江沢民国務院総理と会談

ペリーのメモの内容は、今日のワシントンでは異端となっている。連邦下院共和党は民主党の幅広い支持を得て、アメリカ政府の対北京戦略転換を監督する中国に関する特別委員会を設置し、国務省は中南米、アフリカ、中東などで経済的・政治的に拡大する北京の足跡を監視して鈍らせるための「中国専門部門(China House)」の構築に奔走している。バイデン政権は、ドナルド・トランプ前大統領の下で制定された貿易関税を維持するだけでなく、中国の技術に対する攻勢をエスカレートさせている。
(つづく)
(貼り付け終わり)

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ビッグテック5社を解体せよ

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
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