古村治彦(ふるむらはるひこ)の政治情報紹介・分析ブログ

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タグ:ベニート・ムッソリーニ

 古村治彦です。

 サッカーワールドカップは佳境に入ってきた。決勝トーナメントを勝ち上がるティームはどこも実力者揃いでどこが優勝してもおかしくないという状態で、サッカーファンの人たちは毎日楽しんでいると思う。ほとんど興味がない私でもダイジェストや結果を見て、驚いたり、「勝つだけのことはあるな」と納得したりという毎日である。近々、書籍を発刊する予定で、その加筆修正も行っているが。

 北中米大会ということで、開催国はカナダ、アメリカ、メキシコであったが、これらの国々の代表ティームは残念ながらすでに敗退している。アメリカはベスト8進出をかけて、ベルギーと対戦したが、その際に、前の試合でレッドカードを出されて退場処分となった選手の処遇で大きな批判を浴びることになった。この選手はベルギー戦には出場できないはずであったが、ドナルド・トランプ大統領がFIFA(国際サッカー連盟)のジャンニ・インファンティーノ会長(トランプとは旧知の仲)に電話をかけ、処分について再考を求めた。当該選手は処分が保留となり、ベルギー戦も出場可能となり、先発出場した。これが政治介入や恣意的な処分変更ということで、多くの批判を浴びた。開催国の政治指導者が自国のティームに有利になるように働きかけた(少なくとも外形的には)ということになる。ほかの国の政治家はこのようなことをしないだろうが(独裁者などは別にして)、相手はトランプ大統領である。これくらいのことはするだろう。

 スポーツは政治の道具として使われてきた。古くは古代ローマ時代の剣闘士は庶民の不満を発散させるための格好の見世物であっただろうし、中世の騎士たちの槍試合もそのようなものだっただろう。近代ではオリンピックが始まり、スポーツのグローバル化、商業化が進み、金銭も絡むが、同時に、「国威発揚」「国同士の対決」ということに利用されてきた。冷戦下では共産主義ブロックは体制とイデオロギーの優位性をアピールするためにスポーツを利用した。アスリートたちにはドーピングまで施され、国際大会での優秀な成績獲得が求められた。

 スポーツが政治とビジネスの道具として使われるというのは避けられないことだ。私たちはそれを消費して楽しんでいる。スポーツで国際親善ができるのかと言われると、人類はそれが可能なほどに成熟しているだろうかと疑いたくなる。それでもない、スポーツ好きとしてはスポーツの可能性を信じてみたいという気もする。
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スポーツからみる東アジア史: 分断と連帯の二〇世紀
(貼り付けはじめ)

スポーツ外交は今なお可能なのか?(Is Sports Diplomacy Still Possible?

-今年のワールドカップにはハード・パワーの影響が大いに及んでいる。

J・アレックス・ターキニオ筆

2026年7月2日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2026/07/02/sports-diplomacy-politics-world-cup-sportswashing-immigration-war/

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シアトルのシアトル・スタジアムで行われた年FIFAワールドカップ2026のグループGの試合(エジプト対イラン戦)で「戦争、政治、サッカー」と書かれたTシャツを着たファン(6月26日)

今年ののどかな春の一日、国連の庭園に外交官たちが集まり、サッカーボールを蹴り合った。FIFA男子ワールドカップの開催を控え、また「国連世界サッカーデー」を記念して、彼らは非公式のサッカー大会を企画し、アフリカ、アジア、ヨーロッパ、ラテンアメリカを代表するティームが対戦した。

スーツとネクタイを脱ぎ、ショートパンツとユニフォーム姿になった多くの外交官が、協力関係を促進するスポーツの可能性を称賛した。「スポーツで紛争や戦争が解決する訳ではないが、スポーツ外交は非常に重要だ」と、国連でのこの大会に合わせてビールとブラートヴルスト(ソーセージ)のパーティーを主催したドイツの国連大使リクレフ・ボイティンは語った。「スポーツは人々の心を開き、人々を団結させる」。

6月には、国連がビジネスリーダーや学者を招き、スポーツ外交に関する本格的な会議を開催した。そして今、ワールドカップが盛り上がりを見せる中、外交官たちは国連本部の代表者用ラウンジに集まり、アメリカ代表部が提供したスクリーンで試合を観戦している。

スポーツ外交(sports diplomacy)は今、大きな注目を集めている。現代の文脈では、1970年代の米中関係の緊張緩和のきっかけとなった「ピンポン外交(ping-pong diplomacy)」の後継的な動きと見なされることもあるが、その概念自体は古代オリンピックの時代にまで遡るほど古いものだ。スポーツ外交は通常、「ソフト・パワー(soft power)」の一形態と見なされている。この用語は、ジョセフ・S・ナイ・ジュニアが外交専門誌『フォーリン・ポリシー』誌で提唱したもので、説得を通じて他者に影響を与える能力を指す。

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愛知県の愛知県体育館で開催された第31回世界卓球選手権の期間中に中国選手団のバスから降りたアメリカ代表のグレン・コーワン(右)が中国の荘則棟と握手を交わした(1971年4月4日)

現代のスポーツ外交は、国連の庭園で行われる個人的な外交から、試合の合間に行われる非公開の首脳会談に至るまで多岐にわたる。その一例として、6月13日にロサンゼルスで行われたアメリカ対パラグアイのワールドカップの試合の際、アメリカのマルコ・ルビオ国務長官とパラグアイのサンティアゴ・ペニャ大統領が会談したことが挙げられる。

しかしながら、そうした注目の的となる一方で、カナダ、メキシコ、アメリカが共同開催するこの夏のワールドカップは、「ソフト・パワー」の限界を露呈させた。依然として「ハード・パワー(hard power)」が現場の状況に影響を与えている。ドナルド・トランプ政権による選手、関係者、ファンへの入国ヴィザ発給の厳格な制限であれ、あるいはサッカーの国際統括団体であるFIFA(国際サッカー連盟)による直接的なパブリック・ディプロマシー(対外広報外交、public diplomacy)の試みであれ、その構図は変わらない。

国際スポーツ界における「中立(neutrality)」という建前は、以前から崩れつつある。第二次世界大戦後最多となる武力紛争の激化を受け、表現の自由への制限、ボイコット、出場禁止措置などが場当たり的に行われるようになったためだ。軍事力や権威主義といったハード・パワーが台頭する中、スポーツ外交は行き詰まりに直面しているのではないかと問うのはもっともなことだ。

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ニューヨークの国連本部で行われた「世界サッカーデー」の記念イヴェントの一環としてミニサッカーのトーナメントに参加する国連常駐代表たち(5月19日)

各国は、ワールドカップやオリンピック、あるいは毎年恒例のユーロヴィジョン・ソング・コンテストといったイヴェントの開催に時間と資源を投じる。それは、そうしたイヴェントが自国の評価を高めると信じているからだ。それだけに、ワールドカップに対するドナルド・トランプ米大統領の、一見すると矛盾したような態度は理解しがたいものがある。トランプ大統領は7月19日にニュージャージーで行われる決勝戦でトロフィーを授与する予定だと報じられているが、これまでのところ、アメリカ代表ティームの試合には一度も姿を見せていない。

その一方で、アメリカ対パラグアイの初戦は、アメリカで放送されたサッカーの試合として史上最多の視聴者数を記録し、平均2750万人が視聴した。かつてNFLのクォーターバックであり、後に連邦下院議員も務めたジャック・ケンプは、「アメリカンフットボールは民主的資本主義だが、サッカーはヨーロッパの社会主義的なスポーツだ(football is democratic capitalism, whereas soccer is a European socialist sport)」という名言(あるいは冗談)を1980年代に残した。しかし、今日の多くのアメリカ人は、この見解には同意しないかもしれない。

一方で、2026年ワールドカップは史上最も国際色豊かな大会となる。出場国数は32から48へと拡大し、多くのティームがディアスポラの選手で構成されている。その一方で、移民に対する反発の高まり特にアメリカにおいて顕著だが、アメリカに限ったことではないにより、今大会は最も排他的な大会の1つともなっている。

皮肉なことに、1930年代の全体主義体制の方がこうした点では寛容だった。「スポーツウォッシング(sportswashing)」という言葉が生まれる何十年も前、ファシスト政権下のイタリアが1934年のワールドカップを主催した際、ベニート・ムッソリーニは手厚い歓迎の姿勢を示した。ナチス・ドイツもまた、高まりつつあったボイコット運動を回避する狙いもあって、1936年のベルリン五輪では黒人やユダヤ人の外国人選手の出場を容認し、アメリカの短距離走選手ジェシー・オーウェンスの歴史的快挙への道を開いた。

それから1世紀近くが経った今、ワールドカップのために渡航する多くの人々が、空港での執拗な尋問を受けたり、アメリカへの入国を拒否されたりしている。ソマリア人として初めてワールドカップの審判を務めるはずだったオマール・アルタンは、マイアミの空港で入国を拒否され、引き返すことになった。イラク代表ティームのカメラマンであるタラル・サラーはシカゴで入国を拒否され、ストライカーのアイメン・フセインも7時間近くにわたって尋問のために拘束されたと報じられている。

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ソマリアのモガディシュにて。アメリカから帰国した国際審判員オマール・アブドゥルカディル・アルタンを連帯サッカーの試合を前に旗や横断幕を掲げて出迎える支持者たち(6月10日)

アメリカ独立250周年の祝賀期間中にワールドカップを開催することは、国家の姿を世界にアピールする絶好の機会となり得る。しかし一部のファンにとって、この大会の記憶として強く残るのは、アメリカの「ハード・パワー」、すなわち厳格な入国管理体制の行使という側面だろう。

その一方で、FIFAのジャンニ・インファンティーノ会長は、前回の男子ワールドカップで掲げられた「サッカーは世界を一つにする(Football Unites the World)」というスローガンを頻繁に唱えている。インファンティーノ会長は、トランプ大統領への「FIFA平和賞」初授与が多くの嘲笑を招いたことを承知の上で、アメリカに入国制限の緩和を促すための必要なジェスチャーだと考えていたのかもしれない。もしそれが狙いだったとすれば、結果はまちまちだったと言える。アメリカは、特定の国からの渡航者に対し課していた1万5000ドルの保証金について、ティーム関係者や親しい関係者、特定のチケット保有者に対しては免除措置をとった。しかし、それでもなお多くのファンが入国を拒否された。

インファンティーノ会長は、自らを一種の政治家のような存在として演出することにも努めてきた。4月にカナダのヴァンクーバーで開かれたFIFAの年次総会では、イスラエルとパレスティナのサッカー関係者の和解を演出しようと試みた。彼は写真撮影の好機を狙っていたのかもしれないし、実際、この場を利用して再選を目指す意向を表明してもいる。しかし、パレスティナ側のサッカー協会トップがイスラエル・サッカー協会副会長との握手を拒否したことで、気まずいやり取りが生じる結果となった。その光景は、この対立がいかに根深く、解決が困難なものであるかを浮き彫りにするだけだった。

同様の例として、2018年の平昌冬季五輪の直前、南北朝鮮の当局者たちが非武装地帯(demilitarized zoneDMZ)で会合を開き、南北合同ティームの結成計画を策定したことが挙げられる。その結果、韓国の女子アイスホッケー代表ティームは23名の選手からなる代表ティームに北朝鮮の選手12名を直前で加えるということが決定された。合同ティームは全5試合に敗れ、韓国の若者たちは、これを政治的なパフォーマンスだと感じ、裏切られたような思いを抱いた。

こうした出来事は、現代世界におけるスポーツ外交、ひいては「ソフト・パワー」そのものの無力さを示唆しているように思える。とは言いながら、伝統的な外交であっても、こうした世代を超えて続く対立を解決できてはいないのだ。

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韓国・江陵市のクァンドン・ホッケー・センターで行われた平昌2018冬季オリンピックのアイスホッケー女子予選で統一コリア代表のイ・ジンユ選手が日本に敗れた後、悔しさを露わにしている(2018年2月14日)

国家機関もスポーツリーグも、スポーツは非政治的であるべきだという陳腐な主張を繰り返す。しかし、国際大会はその性質上、極めて政治的な舞台だ。ロシアは特に、ウクライナとの戦争に起因する競技制限に関して、この主張を繰り返し唱えている。そして、ある程度は、その制限を緩和することに成功している。

オリンピックとテニスのグランドスラム大会では、ロシア人選手は依然として中立旗の下で出場することが認められている。国際チェス連盟は、2022年のチェス・オリンピアードからロシアとベラルーシの代表ティームを除外した。両国の選手は今もチェス連盟の旗の下で個人戦に出場している。ロシアはユーロヴィジョン・ソング・コンテストへの出場も禁止されている。(そのため、今年は複数の国がイスラエルの出場禁止を求め、ボイコットにつながったため、主催者は窮地に立たされた。)

ロシアは4年前のウクライナ侵攻後、ワールドカップへの出場を完全に禁止されたが、これは複数のヨーロッパ諸国が、ロシアの出場を認めれば2022年のカタール大会をボイコットするという脅しに似た要求をした後のことだった。

モスクワがスポーツは非政治的であるべきだと主張すると、批判者たちはロシアのウラジーミル・プーティン大統領が古代オリンピックに由来するオリンピック休戦協定を破り、2014年のソチ冬季オリンピックに向けた軍事力増強を利用してクリミアを併合したことを指摘する。同様に、ロシアは2008年の北京夏季オリンピック開会式中にグルジアに侵攻し、同じく北京で開催された2022年冬季オリンピック後にはウクライナへの本格的な侵攻を開始した。

スポーツ団体もまた、一貫して自らを「スポーツの中立性」の守護者と位置づけている。統括団体は、大会開催の有利な条件やスポンサー契約を確保し、より幅広い層のファンを獲得するためには、政治的とみなされる言動を制限することが必要だと考えているのかもしれない。しかし、「何が政治的なシンボルにあたるか」を定義すること自体が、すでに政治的な行為だ。

ウクライナのスケルトン選手ウラディスラフ・ヘラスケビッチは、ロシアによるウクライナ侵攻で命を落としたウクライナの選手やコーチの画像が描かれたヘルメットの着用を拒否されたため、今年の冬季オリンピックで失格処分となった。また、2022年のFIFAワールドカップでは、欧州の7ティームのキャプテンがLGBTQコミュニティへの支持を示す「One Love(ワン・ラブ)」の腕章を着用する計画を立てていた。これに対しFIFAは、その腕章を着用した選手には即座にイエローカードを提示すると通告した。

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イタリアのヴェネト州にあるコルティーナ・スライディング・センターにて、2026年冬季五輪の男子スケルトン練習に臨むウクライナのウラディスラフ・ヘラスケビッチ選手(2026年2月9日)

アメリカがワールドカップ開催の数カ月前にイランに対して攻撃を行ったことは、1930年の第1回大会以来、前例のない出来事となった。開催国が予選を通過した国を承認しないという事例は、過去にも稀にあった。例えば、冷戦時代に最も政治的緊張が高まった事例の1つとして、西ドイツで開催されたグループステージの試合で、東ドイツが西ドイツを破ったことが挙げられます(なお、西ドイツはその後、優勝を果たした)。

しかし、この夏にアメリカでイランが競技を行うことによる外交上の複雑さは、それらとは次元の異なるものだった。政治的象徴をめぐる議論は、アメリカで行われたイランの試合の期間中に明確に表れた。FIFAは、国外在住のイラン人の間でイスラム共和国体制への抵抗の象徴となっている「革命前の国旗」を観客が掲げることを禁止すると発表したが、この禁止令の運用は緩やかだったようだ。

一方で、イラン代表ティームがメキシコのティフアナに到着した際、選手たちが「168」という数字の入ったバッジを胸につけていたことについて、FIFAはこれを政治的な意思表示とは見なさなかった。この「168」という数字は、2月28日にアメリカの攻撃によってイランの女子小学校で犠牲となった奨学生と教師の数を指すものだった。スタジアムから遠く離れた場所での出来事ではあったが、この一件は、「政治色を排除した国際スポーツイヴェント」とは何なのか、そもそもそのようなものが可能なのか、という問いを投げかけることになった。

この夏、ワールドカップにおけるイラン代表ティームの短くも奇妙な旅路は、世界の人々に強い印象を残した。グループステージで敗退する前、イラン代表はアメリカ当局から試合前後の滞在時間を制限され、一部のスタッフへの入国ヴィザ発給も拒否されたため、拠点をメキシコへ移さざるを得なくなった。これは、スポーツ外交という「ソフト・パワー」が、軍事攻撃やヴィザ発給拒否といった「ハード・パワー」と衝突した一例と言える。

しかし、トランプ政権のこうした対応は、ある意味で「ブーメラン効果(boomerang effect)」をもたらした。イラン代表はメキシコで英雄のような歓迎を受けたほか、試合ごとに十分な休息をとれずに移動しなければならないという競技上の不利な状況を強調することで同情を集め、結果としてイラン政権への批判をかわすことにもつながった。

当然ことだが、アスリートは本来、政治家ではない。スポーツ外交が予測不可能であり、時に見る者を熱狂させるのは、それが容易に筋書き通りにはいかないからだ。実際、1936年のベルリン・オリンピックにおける決定的な瞬間は、ジェシー・オーウェンスが4つ目の金メダルを受け取るために表彰台に立った時だった。彼は一言も発することなく、ナチス党の世界観に異議を唱えた。

悪意ある主体に悪用されれば、スポーツ外交は拙劣なもの、あるいはそれ以上に有害なものになりかねない。しかし一方で、異文化間の理解や称賛を生み出す力も秘めている。コンゴ民主共和国の代表ティームが到着時に着用していた大胆なヒョウ柄の特注スーツに向けられた熱狂や、ノルウェーのファンによる「ヴァイキング・ロウ(Viking Row)」のパフォーマンスが北アメリカの街頭にまで広がった様子を見ればそれは明らかだろう。

従って、ソフト・パワーがハード・パワーによる強圧的な力に対して最近大きな突破口を開けていないからといって、スポーツ外交を「別のリーグ(二の次)」に追いやるべき時ではないと言えるかもしれない。

J・アレックス・ターキニオ:ニューヨークの国連を拠点とする特派員、ポッドキャスト「ザ・デレゲイツ・ラウンジ(The Delegates Lounge)」ホスト。ジャーマン・マーシャル・ファンドのジャーナリズム・フェロー、プロ・ジャーナリスト協会(SPJ)の全米会長を務めた。Xアカウント:@alextarquinio

(貼り付け終わり)

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シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体 
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『トランプの電撃作戦』
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世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める

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 古村治彦です。

 2023年12月27日に『バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる』(徳間書店)が刊行されました。『週刊現代』2024年4月20日号「名著、再び」(佐藤優先生書評コーナー)に拙著が紹介されました。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。

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バイデンを操る者たちがアメリカ帝国を崩壊させる

 外交政策について語る際に、よく引き合いに出されるのが、「ミュンヘンの教訓(lessons of Munich)」だ。これは、1938年に、イギリスのネヴィル・チェンバレン首相、フランスのエドゥアール・ダラディエ首相、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統、イタリアのベニート・ムッソリーニ総統が会談を持ち、ドイツの東方への拡大要求を受けて、チェコスロヴァキアのズデーデン地方をドイツに割譲するという合意を行った。チェコスロヴァキアの意向は全く無視された。チェンバレンは戦争を避けた英雄としてイギリスで歓迎されたが、結果としては、ドイツはポーランドに侵攻することで、平和は破綻し、英仏はドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦となった。「独裁者の言うことを真に受けて、譲歩することで宥めようとしても失敗する」という「宥和(appeasement)」の失敗、として、ミュンヘン会談は「ミュンヘンの教訓」と呼ばれている。

 「宥和」という言葉は外交政策分野では評判が悪い。それは、「独裁者に譲歩しても、つけあがらせるだけで、何の得もない」のだから、「独裁者とは交渉しない、叩き潰すのみだ」ということになるからだ。しかし、下の記事にあるように、「宥和」は有効な外交手段になり得る。「ミュンヘンの教訓」で、後任首相のウィンストン・チャーチルに比べて評判の悪いチェンバレンの意図や計画を考えると、ミュンヘン会談での譲歩は間違っていなかったという評価になる(結果は良くなかったかもしれないが)。

 そして、「宥和の過小評価」は、アメリカ式の「独裁者とは交渉取引などしない、叩き潰すのみ」という介入主義的外交政策を正当化する際に使われる。しかし、アメリカは、自分たちに大きな被害が出そうだと考える相手とは事を構えない。自分たちの被害がほとんど出ないだろうと考える相手には威丈高に対応する。しかし、それが失敗に終わることがある。アフガニスタンやイラクに関しては失敗だった。そして、ウクライナ戦争に関しても、計算間違い、認識間違い、誤解を山ほどしてしまい、現状のようになっている。

 「独裁者が攻撃的だ(他国を侵略する)」ということも、詳しく調べてみれば、ほとんど当てはまらない。ヒトラー(ヨーロッパや北アフリカ)やムッソリーニ(エチオピア)といった少数の例を過度に単純化して、一般化してしまうのは危険なことだ。そして、「だから、宥和してはいけない、交渉取引をしてはいけない」となるのは、外交政策を制限してしまい、結局、武力による排除しかなくなる。それでは、アメリカがロシアや北朝鮮を攻撃するだろうか。彼らにはそこまでのチキンゲームをやる度胸があるだろうか。核兵器を積んだミサイルがアメリカ領内に飛んでくる危険性が少しでもある場合、アメリカは攻撃できない。

 交渉取引をして、独裁者とも共存すると書けば、非常に悪いことのように思われるが、それが外交であり、国際関係であり、リアリズムということになる。そして、リアリズムを貫くためには、単純な一般化ではなく、歴史をはじめとする知識を積み重ねての判断が必要となる。

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宥和は過小評価されているAppeasement Is Underrated

-ネヴィル・チェンバレンのナチスとの取引を引き合いに出して外交を否定するのは、故意に歴史を無視している。

スティーヴン・M・ウォルト筆

2024年4月29日

『フォーリン・ポリシー』誌

https://foreignpolicy.com/2024/04/29/appeasement-is-underrated/

私は検閲には反対だが、政治家や評論家たちがネヴィル・チェンバレンやいわゆる「ミュンヘンの教訓(lessons of Munich)」を引き合いに出して、自分たちの提言を擁護するのを止めれば、ここアメリカでの外交政策論争は劇的に改善するだろう。この歴史的エピソードが、今日アメリカが何かをすべき理由を説明していると言われるたびに、私はいらない商品を売りつけられたのではないかと疑いたくなる。

私が何について話しているか、読者の皆さんはお分かりだろうと思う。今から約86年前、当時のイギリス首相ネヴィル・チェンバレンがミュンヘンでナチス・ドイツの代表と会談したのは、ドイツにスデーテンラント(当時のチェコスロヴァキアの一部で、ドイツ系民族の割合が多い)を獲得させれば、アドルフ・ヒトラーの修正主義的野心が満たされ、「我々の時代の平和(peace for our time)」が保証されると考えたからだと思われる。

しかし実際にはそうならなかった。ヒトラーはチェコスロヴァキアの残りを占領し、1939年9月にはポーランドに侵攻した。その結果、第二次世界大戦が勃発し、数百万人が悲惨な死を遂げた。それ以来、政治家や評論家たちは、ミュンヘンでヒトラーを阻止できなかったことを、おそらく世界史上最も教訓的なエピソード、二度と繰り返してはならない国家運営の誤りとして扱ってきた。

これらの人々にとって、いわゆる教訓とは、独裁者は不変の攻撃性を持っており、決して彼らを宥めようとしてはならないということである。それどころか、彼らの目的には断固として抵抗しなければならず、現状を変えようとするいかなる試みも断固として阻止し、必要であれば完膚なきまでに打ち負かさなければならない。ハリー・トルーマン元米大統領は、朝鮮戦争へのアメリカの参戦を正当化するためにミュンヘンを持ち出し、アンソニー・イーデン英首相(当時)は1956年のスエズ危機の際にエジプト攻撃を決断した。ミュンヘンの教訓は今日でも大いに流行している。今年2月、大西洋評議会のフレデリック・ケンペ会長は、ウクライナに関する議論に「宥和の悪臭(stench of appeasement)」が漂っていると書いた。そしてつい先週、米連邦下院外交委員会のマイケル・マコール委員長は、ウクライナに対する最新の支援策の採決を控えた同僚たちに次のように促した。「皆さん、自分に次のように問いかけて欲しい。私はチェンバレンか、それともウィンストン・チャーチルか?」

はっきりさせておきたい。もし私が米連邦議員だったら(これは確かに恐ろしい考えであるが)、私は、窮地に陥っているウクライナ人にさらなる援助を提供することを支持するだろう。しかし、それは、ロシアのウラジーミル・プーティン大統領が、ナチス・ドイツと同じようにヨーロッパ全土で戦争を仕掛けることに熱中している、もう一人のヒトラーであると私が考えているからではない。1938年にミュンヘンで起こったことは、今日私たちが直面している問題とはほとんど無関係であり、それを持ち出すことは、情報を与えるというよりも誤解を招く可能性が高い。これはバンパーステッカーに書いてある「シリアス・アナリシス(Serious Analysis)」のようなことだ。

第一に、ミュンヘンの教訓を引き合いに出す人は、1938年に実際に何が起こったのかをほとんど理解していない。その後の神話とは対照的に、チェンバレンはヒトラーについて世間知らずではなかったし、ナチス・ドイツがもたらす危険性にも気づいていない訳ではなかった。とりわけ、チェンバレンは1930年代後半のイギリスの再軍備の取り組みを支持した。しかし、彼はイギリスが戦争の準備ができているとは考えておらず、ミュンヘンでの合意は英国の再軍備を進めるための時間稼ぎの方法であると考えていた。ミュンヘンで合意された内容が、ヒトラーを満足させ、ヨーロッパの平和を確保することを望んでいたが、それがうまくいかなかった場合、最終的に戦争が起こったときにイギリス(とフランス)はより有利な立場で戦うことになるだろう、とチェンバレンは考えていた。

チェンバレンの考えは正しかった。1940年の春までに、イギリスとフランスはドイツよりも多くの兵力を準備しており、低地地方の戦いでの彼らの急速かつ予想外の敗北は、戦車、兵員、戦闘機の不足のせいではなく、戦略と諜報の失敗によるものだった。

更に言えば、1938年により強硬な姿勢を取ったとしても、ヒトラーの戦争開始を阻止できなかったであろう。ヒトラー自身も、ミュンヘンでの成果に深く失望していたことが分かっている。ヒトラーは、開戦理由(casus belli)を手に入れることを望んでいたが、チェコスロヴァキアを軍事的に粉砕するという、彼が熱望していた機会は、チェンバレンの外交によって否定された。ヒトラーが攻撃を命令していれば、侵略に反対したドイツ軍将校たちは、彼を追放できたかもしれないが、たとえ試みられたとしてもそのような陰謀が成功するという保証はない。不愉快な真実は、ヒトラーは遅かれ早かれ戦端を開こうと考えていて、1938年の結果が異なっていても、第二次世界大戦は防げなかったであろうということだ。

第二に、ミュンヘンの教訓への永続的な執着は、1つの個別の出来事に重きを置きすぎており、大国間で生じた妥協や合意を本質的に無関係なものとして扱っている。歴史を利用するこれほど愚かな方法を想像するのは困難だ。このことはつまり、あるエピソードを普遍的に有効なものとして扱い、別の物語を伝える出来事を注意深く無視することである。中華料理店でたまたまおいしくない食事を食べたとしても、全ての中華料理店はまずいと結論付け、二度と中華料理店などでは食事をしないと決意するのは愚かなことだと分かるだろう。しかし、指導者や評論家たちは、あたかもミュンヘンの教訓だけが歴史から得られるものであるかのように、ミュンヘンでの出来事をこのように利用している。

より具体的に言えば、ミュンヘンの教訓について、繰り返し激しく議論することは、大国がライヴァル国と相互に利益をもたらす協定を結ぶことで、戦争をせずに自らの安全を確保した、全ての機会を都合よく切り捨てることになる。私たちは、適応の成功例を見逃しがちだ。なぜなら、結果が目立ったものでなくても、人生は続いていき、私たちの注意を引く大きな戦争が起こらないからだ。しかし、この種の「非出来事(nonevents)」は、国家が意見の相違を解決できずに戦争に突入したというより、劇的な状況と同じくらい有益である可能性がある。

宥和の成功例を探している? 中立宣言(declaration of neutrality)と引き換えにソ連軍を同国から撤去させた、1955年のオーストリア国家条約はどうだろうか? あるいは、軍備競争を安定させ、核戦争の可能性を低くするのに役立った、アメリカとソ連の間で交渉された、各種の軍備管理条約(arms control treaties)について考えてみよう。ジョン・F・ケネディ米大統領は、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフがキューバに設置しようとしていた核搭載ミサイルについて、フルシチョフがそれらを撤去する代わりに、トルコに配備していたジュピター・ミサイルを撤去することに同意することで、ソ連の最高指導者ニキータ・フルシチョフを宥めた。リチャード・ニクソン米大統領とヘンリー・キッシンジャー国家安全保障問題担当大統領補佐官(当時)は、中国の最高指導者の毛沢東が、冷酷な独裁者であり、数百万の人々の氏に責任があったにもかかわらず、毛沢東率いる中国との「一つの中国」政策(“One China” policy)に合意した際に、同様のことを行った。これは冷戦におけるアメリカの立場を改善する動きだった。何百万もの人々の死の原因となった。

そして、歴史家のポール・ケネディがかなり前に主張したように、大英帝国がこれほど長く存できた理由の1つは、潜在的な挑戦者に対して限定的な譲歩をする、つまり、彼らを宥めようとする指導者たちの意欲があったことで、それによって、直面する敵の数が減ったからだ。帝国の領土を複数の敵から同時に防衛しようとする負担を軽減した。1938年に焦点を当てるのを止めて、より広範囲に目を向けると、時代を超越していると思われるミュンヘンの教訓は、はるかに説得力がなくなるように思われる。

第三に、ミュンヘンの教訓が独裁者への対処法を教えてくれているという主張には、注目すべき矛盾が含まれている。第二次世界大戦の犠牲とホロコーストの恐怖を考えると、当然のことながら、私たちはヒトラーを歴史上最も邪悪な人物の1人と見なすようになった。良いニューズは、ヒトラーほど堕落して、無謀な指導者は珍しいということだ。もしそうだとすれば、そして、ヒトラーの誇大妄想(megalomania)、人種差別(racism)、リスクを冒す自殺願望(suicidal willingness)の組み合わせが、ヨーロッパにおける第二次世界大戦の主な原因であるとすれば、ミュンヘン会談は広範囲に影響を与える非常に代表的な出来事としてではなく、次のように見られるべきである。この非常に珍しい出来事は、大国間のほとんどの相互作用についてはほとんど何も語っていない。私たちは独裁者全てをヒトラーであるかのように扱うのではなく、彼のような指導者が稀であることに感謝し、今日私たちが直面している指導者に賢明に対処することに焦点を当てるべきだ。

全ての独裁者が同様に野心的で、攻撃的で、リスクを受け入れ、危険であると考える理由はほとんどない。確かに、フランスのナポレオン・ボナパルト、イタリアのベニート・ムッソリーニ、そして大日本帝国の軍事指導者たちなど、世界舞台(world stage)で大問題を起こした独裁者も数人いるが、他の著名な独裁者は、民主政治体制の指導者たちほど、武力行使をする傾向はなかった。

ミュンヘンの想定される教訓は、何が国家をそのように行動させるのかについての単純化した見方にも基づいている。この政策を発動する人々は、独裁者たちは常に他国と戦争を始める機会を狙っており、独裁者たちを阻む唯一のものは他国(特にアメリカ)が独裁者たちに立ち向かう意欲だけであると想定している。しかし、ほとんどの指導者にとって、軍事力で現状維持(status quo)に挑戦するという決定は、脅威、能力、機会、流れ、国内の支持、軍事的選択肢などのより複雑な評価から生じており、指導者たちの計算では、他国がそれに反対する可能性はその計算の一項目にすぎない。

ミュンヘンの明白な教訓は、独裁者を決して宥めるべきではないということだが、バイデン政権は、2021年後半にプーティンを宥める努力をせず、代わりに様々な抑止力の脅しを行い、プーティンは本格的なウクライナ侵攻を強行した。同様に、アメリカは、1941年に日本を宥めなかった。日本への圧力を徐々に強め続け、日本からの要求を再検討することを拒否した。ミュンヘンの教訓は忠実に守られましたが、その結果は真珠湾攻撃となった。

ミュンヘンの教訓への執着はコストがかからない訳ではない。アメリカが嫌う全ての独裁者をヒトラーの生まれ変わりであるかのように扱うことは、アメリカの利益を促進し、戦争のリスクを軽減する可能性のある、堅実な妥協を追求することをより困難にする。例えば、イラン・イスラム共和国をナチス・ドイツのシーア派版とみなすことは、イランの核開発計画を後退させた協定を弱体化させ、最終的には破壊することに貢献し、イランは今日、核兵器保有に大きく近づいている。そのアプローチはアメリカや中東地域の同盟諸国の安全を高めたのだろうか?

同様に、プーティンをヒトラーの生まれ変わりだと考え、イギリスのチャーチル首相(チェンバレンの後任)のように行動すべきだと主張することは、ウクライナの更なる破壊を避け、アメリカが他の優先事項に集中できるような外交的解決策を得ることを難しくする。ミュンヘン会談のアナロジー(類推、analogy)は、外交的なギブ・アンド・テイクのいかなる形も侵略への誘いのように思わせることで、アメリカ政府の高官たちが持つ選択肢を、要求を出すか、脅しをかけるか、武器を送るか、自ら戦闘に参加するかに限定している。しかし、このように手段の選択肢を限定する理由は何だろうか?

宥和は常に良い考えであるだろうか? もちろんそうではない。指導者たちは、力の均衡(バランス・オブ・パウア)が相手に有利に大きく変わるような譲歩をすることには特に注意すべきである。相手に有利になるような譲歩をすれば、相手は将来的に譲歩を要求しやすい立場に立つことになるからである。この種のいわゆる宥和は、他に選択肢がない限り避けるべきだ。実際、1950年に次のように指摘したのはチャーチルだった。チャーチルは次のように述べた。「宥和それ自体は、状況によって、良い考えとも、悪い考えともなり得る。弱さと恐怖からの宥和(appeasement from weakness and fear)は、同様に無駄であり致命的だ。力からの宥和(appeasement from strength)は寛大かつ高貴であり、世界平和への最も確実かつ唯一の道かもしれない。」

アメリカの多大な強みと有利な立地を考慮すると、アメリカの外交政策当局者たちは一般に「寛大で高貴な(magnanimous and noble)」道を模索し、慎重に検討された交渉と相互調整のプロセスを通じて、価値観や興味が自分のものと相反する敵対者との相違を解決しようとするべきである。

外交政策コミュニティが「ミュンヘンの教訓」に対する特有の執着を捨てれば、このアプローチはずっと容易になるだろう。早ければ早いほど良いと私は言っておきたい。

※スティーヴン・M・ウォルト:『フォーリン・ポリシー』誌コラムニスト。ハーヴァード大学ロバート・アンド・レニー・ベルファー記念国際関係論教授。ツイッターアカウント:@stephenwalt

(貼り付け終わり)

(終わり)
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 悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める
20211129sankeiad505

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 古村治彦です。

 今年、アメリカは中間選挙を迎える。現在のところ、共和党優勢(※誤字がありました。お詫びして訂正いたします)が伝えられている。総合政治サイト「RealClearPolitics」の集計によると、連邦上院(100議席、過半数は51議席)では34議席が改選となり、今のところ共和党獲得議席が47議席、民主党が46議席、残り7議席は激戦ということだ。一方、連邦下院(435議席、過半数は218議席)は、共和党が223議席、民主党が180議席、残り32議席は激戦ということだ。連邦上下両院で共和党が過半数を占める可能性が高いと見られている。バイデン政権への支持率の平均は支持が39.6%、不支持が56.1%となっている。新型コロナウイルス対策では一定の評価を得たものの、景気回復やアフガニスタンからの撤退での混乱では不支持が多くなり、昨年からのアメリカ国内のインフレーションで更に不支持が多くなっている。

 このブログでも何度かご紹介してきたが、共和党内ではドナルド・トランプ前大統領の人気が高い。トランプからの支持を得ようとする連邦議員たちは多い。一方でトランプを批判する共和党所属議員たちは支持者たちからの批判を受け、予備選挙で苦戦するということも起きている。トランプの影響力はいまだに大きい。2024年の大統領選挙に出馬する可能性まで取り沙汰されている。

 アメリカ政治におけるドナルド・トランプとは何だったのか、ということをここで改めて考えてみたい。私は拙著『悪魔のサイバー戦争をバイデン政権が始める』で、「トランプがアメリカの分断を生み出したのではなく、アメリカの分断がトランプを生み出した」と書いた。この考えは今も変わっていない。トランプを支持した人々は学歴の高くない、元は民主党を支持していた、組合に入っていたような白人の労働者たちだと言われている。彼らは既存のアメリカ政界に異議を申し立てた。それがトランプ大統領誕生へとつながった。これを「ポピュリズム」と言う。ポピュリズムは、既存の政治に対しての一般国民からの異議申し立て、反対ということになる。

 トランプという異分子に対しては様々な悪罵が投げつけられた。そうした悪罵の中に、下記のような記事もあった。トランプがイタリアのベニート・ムッソリーニのようだというものだ。ムッソリーニがこのような悪罵に登場する場合には、ドイツのアドフル・ヒットラーと並べて世紀の大悪人ということで使われている。しかし、ムッソリーニを一面的に見ることは全体を理解することにはつながらない。ムッソリーニもトランプも人々によって押し上げられた指導者であることを忘れてはいけない。

ファシズムを賛美する意図はない。ただ、人々はファシズムを選んだという言い方はできると考える。一般の人々が既存の政治に異議を唱え、力強いリーダーを求める、こうした動きは確かに危険である。しかし、既存の政治がどれほど酷く堕落しているかということを明らかにし、反省を促し、少しは浄化されるように進む、そのために大きな意義があると私は考える。

(貼り付けはじめ)

アメリカの権威主義者(An American Authoritarian

―共和党の大統領選挙候補者ドナルド・トランプはファシストではない。しかし、トランプ陣営はイタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニの支配との共通点を持っている

ルース・ベン=ジアット筆

2016年8月10日

『ジ・アトランティック』

https://www.theatlantic.com/politics/archive/2016/08/american-authoritarianism-under-donald-trump/495263/

アメリカ大統領選挙の共和党候補者にドナルド・トランプが選ばれた際、ファシズム(Fascism)という言葉がアメリカのニュースに再び登場することになった。「自分は白人の代弁者だ」というポピュリスト的主張(populist claim)と、威嚇的なリーダーシップのスタイルは、バラク・オバマ大統領がトランプについて述べたように、「アメリカ国内で大きくなった権威主義者(homegrown authoritarian)」トランプと外国の独裁者たちとの比較をもたらしている。

トランプはファシストではない。彼は一党支配国家(one-party state)の樹立を目的としていない。しかし、トランプは一人の人間が主導する政治運動(one-man-led political movement)を構築した。この政治運動は伝統的なアメリカ流の政党構造に連なるものではない。また、アメリカ政治の伝統とは異なる行動を取っている。これはファシズムが始まる時に出てくる現象だ。

トランプ出現から1世紀前、ベニート・ムッソリーニはイタリア政界に華麗に出現した。イタリア政界のエスタブリッシュメントは、ムッソリーニの異端的な教義と戦術、彼の型破りな個性のために、慌てさせられ、右往左往することになった。

第一次世界大戦後に元社会党員ムッソリーニが「反政党(anti-party)」としてファシズムを生み出した時、イタリア国民の多くは何がムッソリーニの思想と行動を作っているのかを理解していなかった。彼の始めた政治運動はアウトサイダーの運動であった。「自由主義や社会主義などを前提とした、エスタブリッシュメントが作っている既存諸政党は破綻し、イタリアに深刻な脅威を与えている」という考えがムッソリーニの運動の基礎となる考えだった。

ムッソリーニは、気まぐれな熱血漢(mercurial hothead)で、政治的破壊者としての役割を楽しんでいた。ムッソリーニは、社会主義者と民族主義者を混同し、矛盾と逆説を利用して、政治に対する伝統的な考え方に挑戦し、危機を煽った。「ファシズムは国家の再建を目指すのか、それとも破壊を目指すのか? 秩序か無秩序か?」と、首相就任の6カ月前に印刷物でイタリア人を煽った。

ムッソリーニの草の根の信奉者たちは、より直接的に、支配権を主張するための前段階として、イタリアの上層部を恐怖に陥れた。ムッソリーニの扇動的なレトリックを真に受け、黒シャツ隊(blackshirts)は集会や列車、店、学校、居酒屋で、司祭を含む何千人もの政敵を殴り、処刑した。日常的な暴力が、この国を例外的な結果へと導いたのである。1922年、ムッソリーニはローマに進軍し(march on Rome)、恐怖に怯える国王に首相の座を要求した。

1920年代にイタリア人が学んだことを、アメリカ人は2016年に学んでいる。政治的な地位を求めるカリスマ性を備えた権威主義者たちについて、伝統的な政治の枠組みを通じて理解することはできない。彼らは既成の方式やプロトコルに関心を持たず、忍耐力もない。彼らは自分の家族、あるいは既に支配している人たち以外をほとんど信用せず、協力や関係構築を困難にすることが多い。彼らは別の脚本に基づいて行動し、彼らと対決しようとする者もまた同様でなければならない。

権威主義者たちの戦略は、そのような個人が信奉者たちと持つ特定の関係によって定義されている。その戦略とは、たとえその権威主義者が政権の座に就いたとしても、党の上に立つ一個人の権威への服従に基づく愛着である。ジャーナリストとしての訓練を受けたムッソリーニは、メディアを見事に利用してイタリア国民との直接的な結びつきを育み、政党やその他の権威構造を混乱させ、彼の時代は18年間も続いたのである。

トランプはまた、共和党への忠誠心をほとんど後回しにし、有権者と個人的な絆を育んでいる。そのため、彼はイヴェントで感情的な内容を強調し、「愛を感じる」、あるいは「自分を嫌う人間たち」を撃退するのである。大統領選挙の選挙戦の初期には、民主政治体制国家よりも独裁国家でよく見られる儀式を導入した。それは、彼自身への支持を誓う宣誓と、腕をまっすぐ伸ばす形の敬礼である。この個人的な絆の確保は、今後の権威主義的行動の成功の必要条件である。なぜなら、トランプと同様、指導者たちは自分が民衆の声と意志を体現していると主張することができるからである。

ムッソリーニの権力獲得は、今回の選挙戦でアメリカが見たもう一つの権威主義の特徴を例証するものでもある。カリスマを持つ指導者は、一般大衆、報道機関、政治家たちが許容できる限度を試しながら進む。この試みは早くから始まり、物議をかもすような行動や、グループや個人に対する脅迫的、屈辱的な発言によって達成される。これは、言葉や身体による暴力や、警察やその他の領域における非合法的な手法の使用に対する集団的な欲求と許容度を測るためのものだ。エリートやマスコミが境界線の押し広げの例に対してどのように反応するかによって、その指導者の将来の行動、そしてその支持者の行動の基調が決まる。

ムッソリーニが暴力によってイタリア人を試したことは、支配的な政治体制の弱さを示している。恐怖心、日和見主義、そしてイタリアの強力な左翼を打ち負かしたいという願望が混ざり合い、多くのリベラル派はムッソリーニを支持した。ほとんどのイタリア国民はムッソリーニを嫌っていたが、ある程度の権力を与えれば、主流派に転じるか、宥めることができると考えていた。ムッソリーニが首相になった後も暴力は収まらなかった。しかし、哲学者のベネデット・クローチェや元首相のアントニオ・サランドラなど、リベラル派の主要な発言者は彼を支持し続けた。

そしてついに、ファシスト勢力は行き過ぎた行動に出た。1924年6月、彼らは社会党の人気政治家ジャコモ・マッテオッティを、自分たちの選挙違反を告発した廉で暗殺した。ムッソリーニは、反対派のマスコミからその責任を追及され、政治生命をかけた最大の危機に直面する。12月になると、多くのリベラル派がムッソリーニに反旗を翻した。

彼らは、支持を撤回するのに時間がかかりすぎた。1925年1月3日、ムッソリーニはイタリアにおける民主政治体制の終焉を宣言した。ムッソリーニは議会において次のように述べた。「起こったこと全ての政治的、道徳的、歴史的責任は私一人が負う。もしファシズムが犯罪結社であったなら、私はその犯罪結社の長なのだ」。

暴力的な言動は、ファシズムが誕生して以来、その特徴となっていた。しかし、この衝撃的な演説は、「ムッソリーニは狼の皮をかぶった羊であり、いったん権力を握れば革命ではなく改革を受け入れる」という、イタリア人の多くが自らに言い聞かせていた慰めの言葉を台無しにした。1月3日とそれに続く一連の弾圧の後、イタリアのエリートたちが長年試みてきた、政治家と行動隊(the squadtist)を切り離すことは困難となった。

この1年以上、トランプはアメリカ人とアメリカの民主政治体制に類似のテストを課してきた。多くの人が不合理と見なす行動も、この枠組みのもとで考えれば冷静に納得できる。人種差別的なツイートやリツイートの数々は、トランプ陣営がその後間違いであったと宣言している。ニューヨークの五番街で誰かを撃っても支持者を失わないという彼の初期の宣言、ポール・ライアンやジョン・マケインといった有力政治家への屈辱的な発言、アメリカの選挙プロセスの正当性に疑問を投げかけたこと、ヒラリー・クリントンが裁判官を任命するという潜在的な問題を、「アメリカ合衆国憲法修正第二条を支持する人々」がおそらく彼女を射殺することで解決できるかもしれないという彼の脅迫、この最後の発言は、トランプが、アメリカ人と共和党がどれだけ自分を許してくれるのか、そして、いつ 「もうたくさんだ」と言い出すかを確かめるために、勇み足をしている証拠であろう。

権威主義者たちは通常、彼らの意図を明確に表明する。ムッソリーニは実際にそうした。トランプは彼の政策と大統領に当選した場合に攻撃対象とするグループを明確にした。大統領選挙候補者受諾演説の中で、トランプは次のように宣言した。「現在アメリカを苦しめている犯罪と暴力は、すぐに終わることになるだろう。2017年1月20日から、安全は回復されるのだ」。このようなレトリックの危険性を見極めるのに、トランプにファシストのレッテルを貼る必要はない。トランプがアメリカの良識とアメリカの民主政治体制の強さを試していることを認識するために、独裁への軌跡を見る必要はない。ムッソリーニの台頭の歴史は、イタリア版共和党(Italy’s version of a Grand Old Party)とも言えるものだった。共和党内におけるトランプの台頭は、統一以降のイタリアを支配してきた自由主義派閥の没落と重なる。彼らは総統(Duce、ドゥーチェ)への屈服から立ち直ることができなかった。共和党がこれまでのトランプ大統領の経験から得られる多くの教訓の中で、これは最も貴重なものになるかもしれない。

(貼り付け終わり)

(終わり)

※6月28日には、副島先生のウクライナ戦争に関する最新分析『プーチンを罠に嵌め、策略に陥れた英米ディープ・ステイトはウクライナ戦争を第3次世界大戦にする』が発売になります。


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