古村治彦です。
2025年11月21日に『シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体』 (ビジネス社)を刊行します。是非手に取ってお読みください。よろしくお願いいたします。
シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体
最新刊の刊行に連動して、最新刊で取り上げた記事を中心にお伝えしている。各記事の一番下に、いくつかの単語が「タグ」として表示されている。「新・軍産複合体」や新刊のタイトルである「シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体」を押すと、関連する記事が出てくる。活用いただければ幸いだ。ブログ継続のために書籍の購入をお願いいたします。
アメリカで公開中のドキュメンタリー映画「ザ・デーティング・ゲーム」の紹介記事が興味深かったのでご紹介する。監督は中国系の女性で、中国国内に住む結婚したいのに、出会いに苦労している若い男性たちとそのような男性たちの「コーチ」を登場させている。中国でも日本と同様、正確には日本よりもスピード感を持って、少子高齢化が進んでいる。そして、若者たち、特に男性たちにとって深刻なのは「男余り」だ。記事によると、中国の申請時の男女比は、男性116対女性100となっている。日本やその他の国々では、だいたい男性105対女性100となっている。日本でもそうであるが、伝統や文化の面で、男の子を望む傾向が強く、中国の場合には一人っ子政策という縛りもあり、「1人しか産めないなら男の子」ということになって、男性が多くなっている。そうなると、単純な算数で考えても、結婚適齢期になると、男性が余ってしまう。容姿が良かったり、実家が富裕であったり、学歴が高かったりであれば結婚できるが、「何の取り柄もない」男性は振り向いてもらえない。仄聞するところでは、中国では結婚する際に、男性側が家(マンション)を用意しなければならないということだ。そうなると、経済力がない若い男性は結婚相手に選んでもらえない。
そこで、結婚相手探しに苦労している若い男性たちに女性と出会って結婚まで持ち込むための技術を教える「コーチ」が登場する。彼らは女性を振り向かせるための技術を持つ、日本語で言えば「ナンパ師(pickup artists)」である。SNSに掲載するプロフィール写真やSNSでのやり取りについてアドヴァイスをする。また、国家が主催するお見合いパーティーも開催されている。日本で言えば、「婚活」が中国でも盛んなようだ。しかし、人口統計的に見れば、どうしても女性と出会えない男性が出てくる。結婚は同い年同士ですることは少ない、年齢差があるのが一般的だが、上下数年で見ても、男性が偏って多い以上、対象を拡大しても厳しい状況は変わらない。私はそのうち、中国でも、外国からお嫁さんを連れてくるということが起きるだろう、いや既に起きているのではないかと考える。日本でも、特に農村部で同様の問題があり、東南アジアの女性を結婚するということがあった。中国もそのようなことになるだろう。
こうなると、社会に対して不満を持ち、女性を攻撃するマンスフィア(男性優位志向ネットワーク[と私は訳した])が発生する。自身が持つ不安を社会や女性にぶつけるということになる。これは社会にとって大きな不安定要因となる。日本でも、氷河期世代(1970年代から80年代初頭くらいまでに生まれた人たち)も同様の境遇にある。日本の氷河期世代の場合は人口統計上の問題ではなく、経済や社会、政治上の失敗が原因であるが。記事に書かれているが、中国では結婚をすることを諦める若者たちが多く出ている。日本もそうであったが、不満をため込みながら、社会から退くことを選ぶ人たちが多く出ると、社会の運営効率は落ち、社会は崩壊に向かう。身も蓋もない表現をすれば、中国の問題は、最終的には金で解決できるかもしれない。外国から女性に来てもらうということで(そのために経済力や高い生活水準が必要であるが)、解決ができるかもしれない。2024年の新生児出生数が過去最低を記録したという報道を見ながら、日本の場合には既に回復は望めないと悲観的になってしまう。
(貼り付けはじめ)
中国の余剰男性に何が起きているのか?(What Happens to China’s
Surplus Men?)
-一人っ子政策(one-child policy)による性別間の不均衡(gender imbalance)は、絶望的な独身男性(desperate
bachelors)、疑わしい教祖(dubious gurus)、そして男性優位志向ネットワークの台頭(a rising manosphere)を生み出した。
ドリュー・ゴーマン筆
2025年12月12日
『フォーリン・ポリシー』誌
https://foreignpolicy.com/2025/12/12/china-gender-dating-demographic-population-documentary/

中国・重慶で、デーティング・ブートキャンプの一環として独身の周がハスキー犬たちとポーズを取り、デーティング・コーチのハオが写真を撮っている(ドキュメンタリー映画「ザ・デーティング・ゲーム」)
恋愛がうまくいかない時は、イメージチェンジが容易に始められる場所となる。問題は、何を変える必要があるのか、必ずしも分からないことだ。中国の独身男性、周、呉、李に対し、デート・コーチのハオは率直に次のように答える。「全てを変える」。
ヴァイオレット・ドゥ・フェン監督のドキュメンタリー映画『ザ・デーティング・ゲーム(The
Dating Game)』(現在ニューヨークで公開中)は、かつての中国の一人っ子政策を受けて、デートライフを刷新しようとする男性たちの姿を追っている。長年続いた男児優遇政策は、世界でも最も顕著な性別間の不均衡を生み出した。「中国には女性がいない」とハオは語る。実際、この政策が終了に至った2015年には、中国では女児100人に対し男児が約116人が出生しており、おそらく男児のほぼ5人に1人が生涯独身(a lifetime of singledom)を強いられていることになる。
フェンが取り上げる登場人物たちは、恋愛の見込みのなさに自己不信と不安(self-doubt
and anxiety)に苛まれている。結婚へのプレッシャーはあらゆる方面から押し寄せてくる。家族、友人、そして若者に結婚と出産を公然と迫る国家さえも。
デート・コーチのハオは3000人以上の顧客を抱えていると言い、そのほとんどが労働者階級の男性だ。アパートを所有することが結婚の必須条件とされるこの国では、妻を見つける可能性が最も低い層だ。ハオは彼らを失敗者(failures)と切り捨てながらも、愛を得るチャンスは与えられるべきだと言う。しかし、独身男性たちの旅が展開するにつれ、視聴者はハオのやり方に疑問を抱き始めるかもしれない。そして、約束された成功をもたらさないデート・システムがもたらす社会的影響を懸念するかもしれない。デート・システムは、男性たちを危険な怨恨政治(the dangerous politics of resentment)へと駆り立てる可能性がある。
私たちは中国・重慶のショッピングモールで初めて、女たらし志願の男たちに出会う。ハオは1週間かけて、現代のデジタル時代に女性を惹きつける方法を教えると約束する。36歳の周は最も懐疑的だ。ハオのファッションアドヴァイスに難色を示し、故郷の人たちは自分が太字のピンクのシャツを着ているのを見たら驚くだろうと言う。美容院では、周が「私はハンサムじゃない。スタイリングする意味がどこにある?」と発言する。スタイリストは「顔の形による弱点を目立たなくしてしまう」と答える。こうした率直な発言は、登場人物たちの尊厳を何度も傷つける。独身男性たちが中国の金銭中心のデート文化について語るのも同様に率直だ。周は、女性をディナーに連れて行き、プレゼントを買い、仲人に料金を払うと、月収の半分にあたる300ドルもかかることを嘆く。その後、ある女性は理想のパートナーは「月に1500ドル以上」稼いでくれる人だと語った。
経済的な不利を補うため、ハオは独身男性たちに事実上、偽りの自分を見せることを教え、時にはあからさまに嘘をつくよう助言する。例えば、男性たちが高級高層ビルでデートのプロフィール写真のためにポーズを取る場面が見られる。そして、周は明らかに犬を怖がっているにもかかわらず、ふざけた瞬間に12匹ほどのハスキー犬を連れている場面も見られる(大型犬は中国の多くの都市で厳密には違法であり、ステータスシンボルとなっている)。周は新しいプロフィール写真を使うのをためらう。なぜなら、そこには自分が経験したことのない経験が写っているからだ。女性は見抜くだろうと彼は主張する。ハオは、誰もがオンラインでは騙されていると反論する。呉は「私は偽るのは好きじゃない。私は私だ」と反論する。ハオはただ、本物かどうかなんて気にするなと彼らに告げる。
ハオが男性たちに、路上で見知らぬ女性に声をかけWeChatのアカウント情報を聞き出すなど、過酷なデートの練習を指導するにつれ、視聴者はハオの能力不足を疑い始める。男性たちは昔ながらの方法で真の繋がりを切望しているにもかかわらず、一日中、見境なく右にスワイプして相手を探すように指示されるのだ。
映画監督のフェンは彼らの失敗(そして稀に起こる衝撃的な成功)を一切コメントなしで紹介し、視聴者がハオのやり方について独自の意見を形成できるようにしている。しかし、やがて、これらのいわゆるテクニックは、実際には単なるナンパ師(pickup artist、PUA)の行動であることが明らかになる。
1960年代に遡るアンダーグラウンドムーヴメントのようなピックアップ・アートは、ニール・ストラウスの2005年の著書『ザ・ゲーム』の出版をきっかけに、爆発的に主流へと躍り出た。心理操作と安っぽいテクニックで女性を誘惑するナンパ師たちは、女性を物のように扱い、男性に常識的な境界線をはるかに超えた恋愛や性的欲求を抱かせるとして、広く非難されてきた。
近年、ナンパ師たちは「男性優位志向ネットワーク(manosphere)」という異形の類縁関係を生み出している。男性優位志向ネットワーク(マノスフィア)とは、女性蔑視的な見解を唱え、より狂信的なケースでは、伝統的なジェンダー階層の復活を目的とした暴力を擁護する、緩やかなオンラインコミュニティの集合体のことだ。調査ジャーナリストのジェイムズ・ブラッドワースが著書『ロストボーイズ:マノスフィアを巡る個人的な旅(Lost Boys: A Personal Journey Through the Manosphere)』で記録しているように、男性の権利団体、ナンパ師組織、「非自発的独身(involuntary celibate)」フォーラム、そして過激な女性蔑視的インフルエンサーといった広範なネットワークが相互に関連している。例えば、2014年に殺人事件を起こす前、イギリス系アメリカ人の殺人犯エリオット・ロジャーは恋人ができないことを嘆き、恋愛における失敗の原因の一部はナンパ師のテクニックの失敗にあると非難していた。
ナンパ師からマノスフィアへのパイプラインは、ネガティヴな態度、派手な仕草、あるいは挑発的なタッチなど、適切な条件を揃えればガールフレンドを「獲得(acquire)」できるという、薄汚い思い込みで覆われている。しかし、どれだけ気取った振る舞いをしようと、最初の一言がどれだけウィットに富んでいようと、最終的には他の人間との真の紐帯(a genuine bond with another human being)を築かなければならないのだ。
このことを最も強く裏付ける証拠は、独身男性の試練ではなく、ハオと自身もデート・コーチであるウェンとの結婚生活にある。2人の関係は映画の意外な感情的中心となり、ブートキャンプを覆い隠すほどだ。ブートキャンプが気まずく滑稽な一方で、フェンとハオ、ウェンの接点は親密で緊張感に満ち、ほとんどスキャンダラスだ。私たちは本当にこんな光景を目にするべきなのだろうか?
ウェンは多くの点でハオとは対照的な存在だ。指導する女性たちに、ウェンは本物であることと自己改善(authenticity and self-improvement)を説く。それは勤勉と内省(hard work and introspection)を必要とする。それとは対照的に、ハオのやり方は暗く、醜く、破滅的な印象を与える。ウェン自身も、こうしたやり方こそがハオの当初の嫌悪感であり、不誠実だと感じていた部分だと述べている。この2人のアプローチとメンタリティの乖離は、悲劇的で不可解だ。視聴者として、ウェンがハオの泥沼のようなナンパの嵐をかき分けて彼の良い面を見ようとした理由も、この2人を結びつけている理由も、ほとんど理解できない。2人はデートの仕方だけでなく、人間関係の理解や個人としての尊重の仕方についても、正反対の考え方を持っているように見える。この軋轢は耐え難いものとなり、私は何度も目をそらさざるを得なかった。
この展開を目の当たりにしている視聴者にとって、なぜ何千人もの男性がこのひどいアドヴァイスに賛同しているのか、いささか不可解な点がある。
ハオの主張が魅力的な理由の1つは、農村部の労働者階級の男性の多くが、少女との交流をほとんど持たずに育ったことだ。24歳の李は、自分の村では「少年12人に対して少女は数人しかいない」と語る。一方、多くの親は急速な国家工業化政策に携わるため都市部へ移住し、子供たちは祖父母に育てられた。あるアーカイヴ映像では、当時の指導者である鄧小平が国民に対し、中国を速やかに近代化するよう訴えている。国民に豊かな生活を提供できなければ、国は行き詰まってしまうからだ。
中国が経済減速に直面し、若者の間で不満が広がっている現状を考えると、フェンがこの映像をこの時期に取り上げたことは、非常に的を射ているように感じられる。都市部の若者の公式失業率は約17%、2026年には過去最大の大学卒業者数が見込まれる中、若い中国人は独特の倦怠感(a
distinctive malaise)を抱えながら労働力として働き始めている。こうした経済的な課題は、世代全体の恋愛の見通しに暗い影を落としている。そして、「996」労働制度(“996” work system)で悪名高い中国では、これまで必死に追い求めてきたものはすべて幻だったという感覚が広がっている。若者の中には、経済的・社会的に無力感を抱き、収入と恋愛の成功があまりにも密接に結びついているため、恋愛から完全に身を引く男女もいる。
デートのプールにとどまり続ける人々は、型破りな手段に訴えることもある。ハオのコーチングはそうしたアプローチの1つに過ぎないが、フェンはまた、成人した子供たちのパートナーを見つけることを望む親たちの、かなり憂鬱な集まりなど、さまざまなお見合い(matchmaking)の試みも紹介している。
別の場所では、国家が主催するお見合いイヴェントで、共産党代表が集まった独身者たちに「あなたたちは未来だ」と語りかける。参加者たちは、将来のパートナーに求める条件―「従順であること(obedient)」「仕事を持っていること([has] a job)」「太りすぎていないこと(not too fa)」―を挙げ、ぎこちないアイスブレイクゲームで盛り上がる。男女が無事にカップルになると、司会者は2人に抱き合い、手を繋ぐように促し、幸せな結婚を祈る。出生率が急落する中、奥ゆかしさはもはや通用しない。
フェンはここに怒りを露わにしている。一人っ子政策、今や幻想としか思えない経済的利益のために引き離された家族、そして中国の若者の孤独を少しでも和らげようとする努力を妨げる構造への怒りだ。しかし、現代社会を生き抜くのに苦闘する人々への真の同情が、その怒りを和らげている。彼女は主に、国家の失策を繊細に批判している。それらを記録すること自体が、十分な非難なのだ。
彼女の最も直接的な政治的発言は、映画の終盤で現れる。「歴史的に、社会における男性の過剰は、国内および地政学的な不安定化を招いてきた」とスクリーン上のテキストは述べている。この映画の慎重な抑制は、登場人物たちの実体験や、より広く中国におけるデートの苦悩を浮き彫りにする上で素晴らしいものだが、この特定の点は、繊細さだけでは提供できない何かを求めている。「デーティング・ゲーム」は、不満を抱えた何百万人もの男性が社会全体に及ぼす潜在的な危険に言及しているものの、国家がどのようにしてそのような状況に陥ったのかという切実な問いを、あまり時間をかけて検証していない。
中国人男性に押し付けられる恋愛プレッシャーは深刻だ。なぜなら、恋に破れた男性は時に暴力に訴えるからだ。それは、挫折感や憤りを根源的に払拭するための手段であり、今日では、アメリカ、トルコ、イギリスなど、極右運動の旗印の下に長年結集してきたマノスフィア(男性融資志向ネットワーク)のインフルエンサーやライフスタイルの教祖によって、ソーシャルメディア上で育まれている。
この男性の憤りという生態系(ecosystem)は、中国のみならず世界中で勢力を拡大しており、ナンパ技術はその始まりに過ぎない。男性融資志向ネットワーク(マノスフィア)は確かに扱いにくく、支離滅裂な怪物だが、「デーティング・ゲーム」はその毒性に満ちた鉱脈に触れており、それと同等の深掘りを必要とする。
※ドリュー・ゴーマン:『フォーリン・ポリシー』誌版権担当副編集長。
(貼り付け終わり)
(終わり)
シリコンヴァレーから世界支配を狙う新・軍産複合体の正体

『トランプの電撃作戦』

『世界覇権国 交代劇の真相 インテリジェンス、宗教、政治学で読む』





